主日礼拝
主日礼拝
毎週日曜日 午前10時30分
9月6日
9月6日 (聖霊降臨節第15主日)
説教「体験と経験」
渡辺誉一牧師
聖書:
あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。
前奏: 奏楽者
招詞: ローマの信徒への手紙5章5節
讃詠: 28
主の祈り: (讃美歌93-5 A参照 p148)
旧約聖書: 詩編27篇4節(P.857)
新約聖書: ルカによる福音書10章38~42節(P.127)
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神。今この困難な時にこそ、あなたの出来事が現されることを信じることが出来ますように。皆で励まし合い、支え合って歩んで行くことが出来ますようにお力をお与え下さい。苦しんでいる方や悲しんでいる方を守り、支えて下さいますように。
献身の徴: (献金)
讃美歌: 151(1番のみ)
説教: 「体験と経験」 渡辺牧師
静かに神の前に立つことを忘れると、不協和音が響きだす。他者への裁きや神からの背離を招くことに終始する。けれども不協和音を神と己、自分と他者の現実として聴く時、それは神の呼びかけへと変えられていく。
祈祷
讃美歌: 403(1番のみ)
頌栄: 24
祝祷: 渡辺牧師
報告: 司会者
後奏: 奏楽者
8月30日
8月30日 (聖霊降臨節第14主日)
説教「考え直して」
渡辺誉一牧師
聖書:
祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください。
前奏: 奏楽者
招詞: ガラテヤの信徒への手紙3章28節
讃詠: 83-1
主の祈り: (讃美歌93-5 A参照 p148)
旧約聖書: 創世記27章30〜38節(P.43)
新約聖書: マタイによる福音書6章14~18節(P.9)
祈祷: 渡辺牧師
私たちの世界が分裂ではなく和解と共生の世界となりますように。差別や抑圧がなくなり、手を取り合って歩んでいけますように。コロナ禍が一日も早く終息しますように。
献身の徴: (献金)
讃美歌: 437(1番のみ)
説教: 「考え直して」 渡辺牧師
創世記の編集はバビロン捕囚の時代であった。イスラエルは内部分裂と外圧によって滅んだ。きっと捕囚の身である自分達の歩みを省み、未来に更なる苦しみと辛さが限りなくあることに嘆き悲しんだのだろう。しかしその只中にこそ、神は垂直に近づき、導かれるという希望を垣間見たのだろう。
祈祷
讃美歌: 499(1番のみ)
頌栄: 24
祝祷: 渡辺牧師
報告: 司会者
後奏: 奏楽者
8月23日
8月23日 (平和聖日・聖霊降臨節第13主日)
説教「互いのために祈りなさい」
鬼形惠子牧師
聖書:
主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。
前奏: 奏楽者
招詞: ローマの信徒への手紙12章1節 司会者
讃詠: 28 一同
主の祈り: (讃美歌93-5 A参照 p148)
旧約聖書: 詩編1篇1〜3節 (P.835)
新約聖書: ヤコブの手紙5章13~18節 (P.426)
祈祷: 鬼形 牧師
愛する天の神さま私たちに、祈ること、互いに祈りなさいと教えてくださったことを感謝いたします。主イエスも、いつも神に祈り、私たちに祈る姿勢を示してくださいました。コロナ感染の閉塞した状況の中、人を疑ったり、非難する気持ちがおこりそうになる時、どうぞ人を信頼し、寛容であること、互いに支え合って生活できるように私たちを導いてください。この祈りを主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン
献身の徴: (献金) 一同
讃美歌: 204(3番のみ) 一同
説教: 「互いのために祈りなさい」鬼形牧師
私たちは祈ることで主イエスに繋がり、主イエスによって人と繋がることができます。時には自分だけの思いから手を放し、神に心を向け、他者のために祈ること、互いに祈りあうことを忘れずに過ごしましょう。
祈祷
讃美歌: 497(1番のみ) 一同
頌栄: 24 一同
祝祷: 鬼形牧師
報告: 司会者
後奏: 奏楽者
8月16日
8月16日 (聖霊降臨節第12主日)
信徒証詞
聖書:
一人一人に霊の働きが現れるのは全体の益となるためです。
前奏: 奏楽者
招詞: ヨハネによる福音書4章23節 司会者
讃詠: 83−1 一同
主の祈り: (讃美歌93-5 A参照 p148)
新約聖書: コリントの信徒への手紙一12章4~7節(P.315)
祈祷: 渡辺 牧師
主なる御神様 平和を憶える8月を迎えています。
世界や社会がお互いを理解し合い、争うことなく
共に生きる世界が訪れますように。
コロナ禍が一日も早く終息しますように。苦しんでいる
方々や痛みの中にある方々をお守り下さい。
世界中が不安の中に置かれています。どうか希望の光を
見出し、励まし合って歩んで行くことができますように。
アーメン
献身の徴: (献金) 一同
讃美歌: 208(1番のみ) 一同
信徒証詞
本日は信徒の方々の証を聴く日である。聖書は賜物、務め、働きがいろいろあると語っている。与えるのは同じ神である。今日は自分自身が神に、主に導かれ赦し生かされている幸いに思いを馳せたい。自分に与えられた賜物は何か、そして夫々が主の務め、働きを成して行きたい。
祈祷
讃美歌: 564(1番のみ) 一同
頌栄: 24 一同
祝祷: 渡辺牧師
報告: 司会者
後奏: 奏楽者
8月9日
8月9日 (聖霊降臨節第11主日)
説教「悲しみを纏って」
大野高志牧師
聖書:
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。
前奏: 奏楽者
招詞: イザヤ書43章1節 司会者
讃詠: 28 一同
主の祈り: (讃美歌93-5 A参照 p148)
旧約聖書: 創世記4章1~5節(P.5)
新約聖書: マタイによる福音書25章31~46節(P.50)
祈祷: 大野牧師
献身の徴: (献金) 一同
讃美歌: 202(1番のみ) 一同
説教: 「悲しみを纏って」 大野牧師
眼前の人の飢えや寒さに敏感な人。それは、自らの身に刻まれた弱さと悲しみを大切にしてきた人。弱さと悲しみを身に纏い、他者に愛を着せてきた人。そこでは人の思いを遙かに超えて、神の恵みが分かち合われる。
祈祷
讃美歌: 424(4番のみ) 一同
頌栄: 24 一同
祝祷: 大野牧師
報告: 司会者
後奏: 奏楽者
8月2日
8月2日 (平和聖日・聖霊降臨節第10主日)
説教「限りなき恵みの中を」
渡辺誉一牧師
聖書:
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。
前奏: 奏楽者
招詞: 詩編46篇10節 司会者
讃詠: 83-1 一同
主の祈り: (讃美歌93-5 A参照 p148)
旧約聖書: 箴言10章11~12節(P.1003)
新約聖書: ペトロの手紙一4章7~11節(P.433)
祈祷: 渡辺牧師
「主なる御神様 今日は平和聖日です。この世界や社会から争いや憎しみがなくなり、互いに手を取り合って歩んで行けることが出来ますように。コロナ禍が一日も早く終息しますように。コロナと戦っている医療従事者や感染者の方々が、守られますように。被災されている方々の上に、天来の慰めとお支えをお祈りいたします。アーメン
献身の徴: (献金) 一同
讃美歌: 222(5番のみ) 一同
説教: 「限りなき恵みの中を」 渡辺牧師
閉鎖的危機的状況下では、いつも霊性の強調や熱狂的な終末待望が繰り返される。俗を排除し聖なるものを押しつけようとする。イエスは世の中の苦味を引き受け、悲哀の人となられた。私たちも「よく祈る」中でイエスに従い、平和を求めたい。
祈祷
讃美歌: 499(1~3番) 一同
頌栄: 24 一同
祝祷: 渡辺牧師
報告: 司会者
後奏: 奏楽者
7月26日
7月26日 (聖霊降臨節第9主日)
説教「生かされている恵み」
渡辺誉一牧師
説教の要言
ピラトの殺害と事故によって命を落とした人たちは、人々の他者を断罪する心によって死んでもなお切り倒されようとしている。そんな人々に向かってイエスは 「このままにして下さい」と間に立って訴えている。私たちは間に立ち給うイエスによって生かされている。
掲示の言葉
人の痛みや辛さを
己の事として受ける時
互いに切り拓く
道が与えられる
聖書:
御主人様、今年もこのままにしておいてください。 木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
旧約聖書:
詩編 85 篇9~ 14 節
新約聖書:
ルカによる福音書 13 章1~9節
7月19日
7月19日 (聖霊降臨節第8主日)
説教「人間の手中ではなく」
渡辺誉一牧師
説教の要言
おびただしい群衆が集まっていたので「足を踏み合」っていたと私たちはこの箇所を読む。ところが原文には「足」という言葉はない。聖書は足を踏み合うではなく、人々が互いに相手の存在を踏み合っていると表現しているのだろう。ここには人間の姿が露呈されている。
掲示の言葉
悪しき思惑が
渦巻く世ではなく
思いやりが
満ちた世でありたい
聖書:
恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
旧約聖書:
イザヤ書 51 章 12 ~ 16 節
新約聖書:
ルカによる福音書 12 章1~7節
7月12日
7月12日 (聖霊降臨節第7主日)
説教「真ん中に立て」
渡辺誉一牧師
説教の要言
安息日に癒しの業が行われた。ということは癒したイエスも癒された人物も罰せられるということだ。計算づくであればイエスには従わなかっただろう。それでも彼は手を伸ばした。覚悟を決めて神の招きに応えている。
掲示の言葉
人との出会いに
躊躇せず
勇気をもって
踏み出したい
聖書:
イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。
旧約聖書:
詩編4篇7~9節
新約聖書:
マルコによる福音書3章1~6節
7月5日
7月5日 (聖霊降臨節第6主日)
説教「人生の深みへ」
渡辺誉一牧師
説教の要言
この聖書箇所は不思議な出来事が中心テーマではない。人間が破れや弱さを兼ね持つからこそ私たちを招かれるイエスの招きがテーマである。弱さを知る者こそが人の弱さを感受することが出来ることをイエスは教えている。
掲示の言葉
自分の弱さを
知る者は
他者の弱さを
感受できる
聖書:
沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。
旧約聖書:
エレミヤ書 16 章 16 ~ 20 節
新約聖書:
ルカによる福音書5章1~ 11 節
6月28日
6月28日 (聖霊降臨節第5主日)
説教「神は備え給う」
渡辺誉一牧師
説教の要言
アブラハムにイサクが与えられる背景とその後の出来事に注目すると、様々な人間関係のいさかいが原因であることに気づかされる。愛憎そのもの、人間の最も醜い部分が見え隠れしている。イサクを捧げるということは、幸せに伴う憎しみや罪なる姿をも神に委ね放つということだ。
掲示の言葉
人の歩みには
得る時と
何かを放つ時
捨てる時がある
聖書:
あなたは、自分の独り子である息子すら、 わたしにささげることを惜しまなかった。
旧約聖書:
創世記 22 章1~ 19 節
新約聖書:
ヨハネによる福音書3章 16 ~ 21 節
6月21日
6月21日 (聖霊降臨節第4主日)
説教「心を寄せて 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
食事係の7人が、不思議な御業を行えるようになっている。彼らは7人は貧しい者、身よりのない者に仕えることを通して、人々の心に触れた。食事係を通して共に苦しみの時を過ごしたに違いない。そこにこそ神は心を寄せられている。
掲示の言葉
苦しみや悲しみに
心を寄せていくと
共に生きたいという
道が与えられる
聖書:
兄弟たち、あなたがたの中から霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。
旧約聖書:
申命記 34 章9~ 12 節
新約聖書:
使徒言行録6章1~7節
6月14日
6月14日 (聖霊降臨節第3主日)
説教「どんな時でも 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
パウロがコリント教会へと送った手紙の最後の言葉は、 祈りである。パウロはコリント教会へと何度も訪問し たことが、この手紙では繰り返し強調されている。そ してパウロは離れていてもコリントの人々を覚えて 日々祈っていることが分かる。
掲示の言葉
一つ一つの祈りが
束ねられるとき
困難の中でさえ
希望が与えられていく
聖書:
平和を保ちなさい。そうすれば、 愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
旧約聖書:
詩編5篇 12 ~ 13 節
新約聖書:
コリントの信徒への手紙Ⅱ 13 章 11 ~ 23 節
6月7日
6月7日 (三位一体主日・聖霊降臨節第2主日 )
説教「その時を知る 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
若き預言者エレミヤが活躍した時代は戦乱の時代である。エレミヤが危機を告げると人々は「エルサレム神殿があるから大丈夫」と熱狂的な信仰に陥っていた。エレミヤは神から託された預言を語れば語るほど、時流に沿わない変わり者として排除された。
掲示の言葉
危機を察知する
流されない感覚と
平和を願っていく
厚い心を求めたい
聖書:
空を飛ぶこうのとりもその季節を知っている。 山鳩もつばめも鶴も、渡るときを守る。
旧約聖書:
エレミヤ書8章4~ 13 節
新約聖書:
ローマの信徒への手紙1章 18 ~ 23 節
礼拝再開のお知らせ
主の御名を心より讃美いたします。
新型コロナ・ウィルスの感染拡大による影響で礼拝を中断しておりましたが、6月7日(日)より礼拝を再開することとしました。
鎌倉恩寵教会 役員会一同
牧師 渡辺誉一
今週のメッセージ
4月5日
4月5日(受難節第6主日・棕梠の主日)
説教「弱さを受容する姿へ」
渡辺誉一牧師
説教の要言
苦しみの時を過ごしたイエスは三度目に弟子達のところへと戻って来た時、変貌している。弟子達に告げたのは「目を覚ましていなさい」ではなく「もうこれでいい。時が来た。立て、行こう」であった。イエスが神に委ねきることで、再生する姿が描かれている。
掲示の言葉
祈りは己の願いや
欲の為のものではなく
祈りは現状を受容し
立ち上がる力である
聖書:
あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。 もうこれでいい。時が来た。
旧約聖書:
イザヤ書 53 章1~5節
新約聖書:
マルコによる福音書 14 章 32 ~ 42 節
3月29日
3月29日(受難節第5主日)
説教「赦しを憶えて」
渡辺誉一牧師
説教の要言
サムソンの祈りは、今一度だけ復讐をさせてくれとの怒りの爆発であった。「私の命はペリシテ人と共に滅びればよい」という滅びを願う祈りであった。全く対照的な祈りが、あの十字架上のイエスの祈りである。滅びでなく赦しの祈りをこそ捧げていきたい。
掲示の言葉
人生の最後が
虚無ではなく
赦しを感受した
希望であるように
聖書:
ペリシテ人に対してわたしの二つ目の復讐を一気にさせてください。
旧約聖書:
士師記 16 章 23 ~ 31 節
新約聖書:
ルカによる福音書 23 章 32 ~ 38 節
3月22日
3月22日(受難節第4主日)
説教「ゲッセマネの祈り」
鬼形惠子牧師
説教の要言
十字架の死を前に迷い、苦しむイエス・キリストは、最後まで人として私たちと共に歩んで下さったのである。
掲示の言葉
私たちの心の
コンパスは信仰です
神の言葉に導かれて
歩む者でありたい
聖書:
彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。 ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
旧約聖書:
詩編 32 篇8~ 11 節
新約聖書:
マルコによる福音書 14 章 32 ~ 42 節
3月15日
3月15日(受難節第3主日)
説教「その弱さによって 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
イエスが語られた「友のために自分の命を捨てる」という一句の「捨てる」という言葉は、他の聖書箇所で 「置く」「立てる」と訳されている。「捨てる、捨てられるもの」が「置く、置かれ、立つ、立てられ」ていくという十字架の逆説が表現されている。
掲示の言葉
強い者だけが
生き残るのではなく
弱さを認め合う時
互いに生かされていく
聖書:
友のために自分の命を捨てること、 これ以上に大きな愛はない。
旧約聖書:
詩編 86 篇 11 ~ 13 節
新約聖書:
ヨハネによる福音書 15 章 11 ~ 17 節
3月8日
3月8日(受難節第2主日)
説教「従う道の平安」
大野高志牧師
説教の要言
孤独を抱えて生きる人。別れを悼んで生きる人。その 一人ひとりに神は寄り添い声をかける。「わたしに従いなさい。その悲しみを独り占めせず、隣り人の痛みに同道せよ」と。
掲示の言葉
せせら嗤いし対岸を
身に迫り来ば罵るは
同じ命を分つべく
生かさるる恵み毀つ罪
聖書:
イエスはその人に、「鋤きに手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。
旧約聖書:
列王記上 17 章 17 ~ 24 節
新約聖書:
ルカによる福音書9章 57 ~ 62 節
3月1日
3月1日(受難節第1主日)
説教「我等命への旅人」
渡辺誉一牧師
説教の要言
「イエスは息子をその母親にお返しになった」。私たちもイエスによって、いずれの日にか天の国で、愛する者を抱きしめることが出来るという約束への招きが語られている。「憐れむ」イエスは深い悲哀という感性を突き抜けて、ご自身の十字架の死を暗示させ、死を滅ぼしていく。
掲示の言葉
人との出会いは
命との出会いである
人生は人と呼応する
命の旅路である
聖書:
すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。
旧約聖書:
列王記上 17 章 17 ~ 24 節
新約聖書:
ルカによる福音書7章 11 ~ 17 節
2月23日
2月23日(降誕節第9主日)
説教「聖書を生きる」
渡辺誉一牧師
説教の要言
弟子達は少年が持っていたパン5つと魚二匹では「何の役にも立たない」と訴える。挙げ句の果てには少年を引き合いに出して「役立たない」とまで批判をする。数や量にとらわれる弟子達を、あざ笑うかのような奇跡をイエスは起こし、「パン屑」までもが大切にされる。
掲示の言葉
数量化や数値化に
人は惑わされる
心は数値で測れず
命は計れないほど重い
聖書:
イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
旧約聖書:
詩編 145 篇 10 ~ 16 節
新約聖書:
ヨハネによる福音書6章1~ 15 節
2月16日
2月16日(降誕節第8主日)
説教「仕え出す者へ」
渡辺誉一牧師
説教の要言
マルコ福音書はユダヤ戦争直後にユダヤ・パレスチナの地で成立したと云う。戦争は憎しみ、怒り、痛みと深い悲しみをもたらす。聖書は憎悪や悲惨さを悪霊と表現する。イエスに癒やされたペトロの義母は悪霊にイエスを知っていたことを思い出させたという。
掲示の言葉
人は誰でも
優しい心がある
仕え続ける姿は
それを思い出させる
聖書:
人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、 イエスのもとに連れてきた。
旧約聖書:
イザヤ書 58 章 10 ~ 12 節
新約聖書:
マルコによる福音書1章 29 ~ 34 節
2月9日
2月9日(降誕節第7主日)
説教「行ったり来たり」
渡辺誉一牧師
説教の要言
ヨハネ福音書の4章までで、なぜかイエスはあちらこちらを行ったり来たりしている。私たちも様々な心配事や不安がいつも頭の中をグルグル回っている。悩み始めれば切りがない。しかしイエスという救い主も何度も戻って、何度もやって来る。
掲示の言葉
悩みと心配事は
堂々巡りである
救いと和らぎも
何度もやって来る
聖書:
これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、ニ回目のしるしである。
旧約聖書:
ダニエル書3章 32 ~ 33 節
新約聖書:
ヨハネによる福音書4章 46 ~ 54 節
2月2日
2月2日(降誕節第6主日)
説教「隣ることを欲して 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
倒れかけている私を、神が背負い和らぎへと運んで下 さる。イエスが担がれた十字架は、この私の重荷であり、 なぜ私だけがと苦しむ自分を主が背負って行って下さ ることに気づきたい。そして主は私たちに隣ることを 欲しておられる。
掲示の言葉
己の状況と人の状況
互いに交わらない
境界を突破するは
隣ることを欲する心
聖書:
そこで、イエスは言われた。 「行って、あなたも同じようにしなさい。」
旧約聖書:
申命記6章4~9節
新約聖書:
ルカによる福音書 10 章 25 ~ 37 節
1月26日
1月26日(降誕節第5主日)
説教「二人称のまなざし 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
立ち去った人は憐れみをもって見つめられたイエスを思い起こすことだろう。慈しみの眼差しをもって見つめる主は、私たちが互いに向かい合うことを望んでおられる。向かい合う主の眼差しに生きる時、私たちはこの物語の続きを生きるのではないだろうか。
掲示の言葉
主観的な一人称の目
客観的な三人称の目
共に交わりのない眼差しだ
二人称の目は人と向かい合う
聖書:
その人はこの言葉に気を落とし、 悲しみながら立ち去った。
旧約聖書:
申命記5章 16 ~ 22 節
新約聖書:
マルコによる福音書 10 章 17 ~ 22 節
1月19日
1月19日(降誕節第4主日)
説教「孤独と苦しみを分かつ 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
聖書の言葉「フォース」は「光」と訳されるが、「太陽光、輝き、霊的な光、命を与えるもの、暗黒の中で人の霊を照らすもの、神や救い主を指すもの」と多義にわたって使われる。孤独と苦しみの闇に閉ざされた人間を照らす光がイエスであるとヨハネは宣言する。
掲示の言葉
世の雑音響く中
神は沈黙される
しかし苦悩の闇に
光を照らされる
聖書:
わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。
旧約聖書:
詩編 13 編2~6節
新約聖書:
ヨハネによる福音書8章 12 ~ 20 節
1月12日
1月12日(降誕節第3主日)
説教「神の光は今この時に 」
渡辺誉一牧師
説教の要言
生まれつき目の見えなかった人物がシロアムの池でイエスにいやされた。そして再度、彼はイエスと出会っていく。再開した彼はイエスに向かって「主よ、見えます」ではなく「主よ、信じます」と告白した。目の前に立つイエスと共に彼は人々の間に戻っていく。
掲示の言葉
人は殺伐とした世界
冷たい社会に生きる
しかしその只中に
主は共にいて下さる
聖書:
彼が、「主よ信じます」と言って、ひざまずくと、 イエスは言われた。
旧約聖書:
箴言 15 章 28 ~ 33 節
新約聖書:
ヨハネによる福音書9章 35 ~ 41 節
1月5日
1月5日(降誕節第2主日)
説教「信仰という磁針」
渡辺誉一牧師
説教の要言
人生はしばしば旅路にたとえられる。しかし世間一般と同じように旅路といっても、神によって、イエス・キリストによって生かされているという実感を持つ信 仰者と信仰を持たない者との間には大きな相違がある。信仰者は忍耐と祈りをもって歩み続けたい。
掲示の言葉
人生は旅路に
たとえられる
何処に向かうのか
神の愛を磁針としたい
聖書:
あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。
旧約聖書:
創世記 12 章1~9節
新約聖書:
ペトロの手紙一1章3~9節