「出会いによって新しくされる」鬼形惠子牧師
イザヤ書9章5節  
マルコによる福音書5章25~34


 私は1984年に同志社大学の神学研究科を卒業し、当時は成美学園という名前だった、現在の横浜英和学院に、中高の聖書の教師として赴任しました。学校に勤める牧師のことを教務教師というのですが、教務教師として働き、この3月でちょうど40年になりました。途中学院宗教主任になり、幼稚園や小学校にも関わりましたが、宗教主任は昨年の3月に定年となりました。今年度は再雇用として、引継ぎをしながら中高の教師として勤務しました。これまでは授業の担当は少なかったのですが、今年は久しぶりに授業をたくさん持ちました。とくに中学3年生の旧約聖書の授業が、印象に残りました。
 出エジプト記のモーセの生涯を学んだ後で、「十戒」にちなんで、生徒たちに「私の十戒」というタイトルで、今自分が大切にしたい10の約束と言うか、10のルールについて発表してもらいました。生徒たちはそれぞれノートパソコンを持っているので、自分でスライドを作成して、それをスクリーンに映しながら発表しました。これがとても面白く、興味深かったのです。いろいろ印象的な言葉がありましたが、一人の生徒が発表の中で、こんな言葉を言いました。「変化していくこと」。「変化していくことを大切にしたい」というのです。今、学校の環境もデジタル化が進み、どんどん変化しています。私などはついていくのがやっとなのですが、生徒もそんな思いがあったようなのです。どんどん変化する世の中で、変わってはいけない部分もあるし、振り回されてもいけないけれど、でも自分が変化していくことも大切にしたいと話しました。「変化すること」は必ず成長につながるわけではありません。しかし、変化の中で、新しくされたり、成長していくことがあるのも確かです。私自身、今、変化の時であるからかもしれませんが、いくつになっても、もうついていけないとか、心を頑なにしないで、自分が変化していくことも大切にしたいと生徒の意見を聞き改めて思わされました。
 
 さて、今日の聖書には、一人の女性が登場します。
 この人は12年間も病気を抱えて、苦しんでいました。たくさんの医者にかかりましたが、治りませんでした。治療のために全財産を使い果たし、孤独で、病気も治らず、この先どう生きていったらいいのか、途方に暮れていました。そこにイエスがやってくると言うのです。この頃、病気の人は汚れているという考えがあり、また婦人病に対しては女性への差別もあって、強い偏見がありました。この人は外に出ていくことをためらったでしょう。でも、どうしてもイエス様に会いたい、今の生活を変えたいと思い、勇気を出して出かけていきました。
 イエスは大勢の人に囲まれて、どこかに急いで向かっているようでした。今日読んだ聖書の前には、この時、イエスは、ヤイロという人から娘の病気を治してほしいと頼まれて、ヤイロの家に急いで向かっている途中だったとあります。大勢の人もイエスと一緒に移動していました。この女性にはその事情は分からなかったでしょうが、なんだかイエスたちが急いでいるのはわかったでしょう。でも、あきらめきれず、人ごみに紛れ、イエスに近づこうとしました。イエスの前に出て、話しかける勇気はありません。イエスの背中を見ながらずっと一生けん命後をついていき、そして、そっと、手を伸ばして、イエスの服のはしに触ったのです。イエスの背中とかではないのです。服のはしにそっとふれたのです。すると、その瞬間この女性の病気は治りました。ずっと苦しんできた体が軽くなり、この女性は自分の病気が治ったことを感じ取りました。そして、イエスもまた、このできごとを感じ取ったのです。そして振り返りました。「私に触れたのは誰か?」と。弟子たちは「群衆があなたに押し寄せているのがおわかりでしょう。それなのに誰がわたしに触れたのかとおっしゃるのですか」と言っています。つまり「大勢の人がいるんだから、誰かぶつかっただけですよ。そんなことより、先を急ぎましょう」ということですよね。しかし、イエスは振り返ったまま、先には進まず、探し続けました。この女性は、ふるえながらみんなの前に出て、イエスにこれまでの事情を話しました。イエスはこの人の気持ちをしっかりと受け止めました。そして「娘よ、あなた自身の信仰と勇気があなたを救った。安心していきなさい。元気に暮らしなさい」と話しました。イエスは私が癒してあげたとは言いませんでした。「あなた自身が持っている力が、あなたを救ったのだ、安心していきなさい。これからは元気に暮らせるよ。」と、この女性に対して、最大限の敬意と、励ましの言葉を投げかけたのです。
 
 聖書のこの女性は、名前も出てきませんが、娘さんと言うのですから若い女性でしょう。
 私は、この女性の物語を聞くと、一人の生徒を思い出します。まだ私が教師になって3年目くらいのことですから、35年位前のことです。中学1年生に片足が生まれつき不自由で、左足にギプスをはめている女子生徒が入学してきました。太ももから足先までしっかり固定している黒いギプスでした。Mさんとしておきます。Mさんは、外を歩く時も、校内を歩く時もギプスをはめたままで、グランドに出た時は雑巾でギプスの底を拭いて、校内に入っていました。ギプスをしている左足は、細く、成長していない感じでしたが、歩くことはある程度できるようでした。頑張り屋で、体育の授業もどの種目でも参加していましたが、着替えの時などギプスを外した方が楽なんじゃないかと思う時も、絶対にギプスを外すことはしませんでした。宿泊の行事に行く時も、ギプスを取りたくないので、お風呂に入りませんでした。
 Mさんは、私が顧問をしている、学校のYWCAと言うクラブ活動に所属していて、仲良しの友達2人と、いつも3人組で行動していました。YWCAでは、その頃夏休みに日本YWCAが主催する「広島の旅」というプログラムに希望者で参加していました。広島で平和について学ぶ2泊3日の研修旅行で、その3人も希望して一緒に参加しました。
 
 原爆資料館を見学し、色々なところをフィールドワークで歩きました。私たちのグループの案内をしてくれたのが、山岡ミチコさんという、被爆者の女性の方でした。山岡さんは、広島で被爆し、10年後にケロイドの治療のためにアメリカに渡った25人の女性の一人です。ある時から証言活動を始めて、平和を訴え続けました。2013年に82歳で亡くなられています。この山岡さんがその時の平和公園の碑巡りやフィールドワークの案内をしてくださったのです。高校生の参加が多い中で、中学1年生で、一生懸命ついてくる3人がかわいらしいと思ったのか、この3人にはとくに話しかけてくださって、1年生3人は山岡さんと親しくなりました。
 山岡さんは、被爆後、顔に残ったケロイドがアメリカで治療してもよくならず、いつもスカーフを巻いて顔を隠し、社会から隠れるようにひっそりと暮らしていたそうです。お母様と2人で洋裁をしながら生計を立てていました。しかしそのお母様が亡くなり、生きる力を失いかけた時に、広島の高校生が、原爆瓦を集めて残す活動を始めたことを知ります。若い高校生たちが平和のために活動していることを知ってから、ご自分も証言活動をするようになりました。そして、その中で、ずっとケロイドの残る顔を隠してきたスカーフを取るようになるのです。スカーフを取って、どうどうと顔を見せて、証言活動をするようになったことを、山岡さんはていねいに話してくださいました。
 この話を聞いた夜、宿舎に戻ってからのことでした。Mさんと仲良しの生徒たちが私に教えに来てくれました。「先生、さっきね、Mさんと一緒にお風呂に入ったんだよ。Mさんギプスを外してお風呂に入ったんだよ」と。今まで絶対に取らなかったギプスを取って、絶対一緒にお風呂に入らなかったのに、宿舎の大浴場に、みんなと一緒に入ったというのです。友達も驚いたんだと思うのですね。で私に嬉しそうに、そっと教えに来てくれました。
 それ以来、Mさんは、学校に戻ってからも、その方が楽な時は、ギプスをはずすようになりました。体育の授業で、柔軟体操をする時は、ギプスを外してやるようになりました。山岡さんと出会ったことが、Mさんにとって自分を変えていくきっかけになったのだと感じました。
 
 その後、こんなこともありました。YWCAのクラブ活動で、視覚障がいを持つ方を講師に招いて、「視覚障がいについて理解を深める」というテーマでお話をしていただく機会がありました。講師の方は、おしゃれで素敵な方で、視覚障がいがあっても工夫して生活を楽しんでおられることを話してくださいました。
 趣味はテニス、結婚したばかりでお連れ合いとテニスをしている、お料理が好きでかき揚げが得意料理などと聞いて、生徒たちは目が見えないのにどうやって作るんですか?とか、テニスはどうやってやるんですか?など率直にたくさん質問していました。それにも明るく答えてくださり、生き生きされている本当に素敵な方でした。講演が終わって、会場の礼拝堂を後にして、控室にご案内をしていた時でした。途中何か感じて振り返ると、先ほどのMさんが後ろをついてきていたのです。何も言わず、一生けんめい追いかけてきたようで、ハアハアと息を切らして後ろにいたのです。私は驚いて、「どうしたの?」と聞くと、「講師の先生とお話ししたかった」というのです。「早く呼び止めてくれればよかったのに」と言うと「言えなかった」というのです。お話に感動して、でも声をかける勇気がなくて、後をついてきたというのです。すると、いつもの友達2人が、 Mさんの荷物をもって追いかけてきました。「先生、Mさんは、突然荷物を礼拝堂に置いたまま出て行ったんです。戻ってこないから後を追いかけてきたんですよ」と、その子たちも息を切らして追いかけて来ました。Mさんは、お話に感動して、でもみんなの前で質問することはできなくて、講師の後をついてきたのです。聖書の中の娘さんが、イエスの背中をみながら、一生懸命後を追いかけてきたように。講師のかたも喜んで、一緒にしばらくお話してくださいました。私はその様子を見ていて、胸がいっぱいになりました。
 Mさんは、被爆者の山岡さんや、講師の先生との出会いによって、心を動かされた自分の気持ちをまっすぐ表現できるようになっていました。自分では無意識かもしれませんが、毎日Mさんは変化している、毎日新しくなっている、その成長を目の当たりにするような感じがして胸がいっぱいになったのです。荷物をもって追いかけてきた友達もかわいらしく、そんな生徒たちの様子がとても尊く思われ、今でも印象深く覚えています。
 思えば、私は、そんな生徒たちの姿を日々見ることができたから、長く仕事を続けてこれたのだと思うのです。生徒とのかかわりや成長していく姿に励まされて、私自身も変えられてきましたし、新しくされてきたのです。生徒とのかかわりは楽しいことばかりではありませんでした。ひどく傷つくことも、また傷つけてしまい後悔することも沢山ありました。でも、やはり若い人たちがまっすぐに伸びていこうとする姿には、本当に励まされ、支えられました。
 
 イエスの後ろをずっとついてきた聖書の娘さんに、イエスは自分が治してあげたとは言わず、「あなたの信仰があなたを救った」と言いました。この女性のまっすぐに向かってくる生きる力、変わりたいと信じて願う姿に、イエス自身も心を動かされたのです。イエスは、たくさんの人に出会い、力を与えていますが、それはただ一方通行ではなかったはずです。イエス自身もまた心を動かされ、生きる楽しさを実感していたのです。「娘さん、あなたの力はすばらしい、あなたはこれから元気に暮らせるよ」と思わず声をかけたくなるような、思い出深い関りであったと思うのです。イエスはそんな風に多くの方と出会われたのです。その出会いの一つ一つを聖書は私たちに伝えています。
 もちろん誰にとっても、人との関りはいつも楽しいわけではありません。イエス自身も人の憎しみや妬みの中で、十字架につけられたのです。しかし、イエスさまは人と出会い、人と関わり続けました。そして十字架の後も、復活して、また私たちと出会うために、生きて働かれているのです。
 私たちも人と出会い、関わる中で、変化していくこと、心を動かさていくことを大切にしたいです。新しい出会いに押し出されるものでありたいと願います。
 
祈り
 愛する天の神様、私たちに様々な出会いを与えてくださることに感謝します。人との関わりに疲れてしまう時、裏切られたように感じる時、それでもあなたが多くの人と愛をもって出会い、関わられたことを思い起こすことができますように。日々私たちを新しくしてくださることに信頼して歩むものとしてください。この小さな祈り、主イエスキリストのみ名によってみ前におささげいたします。

2024年3月24日

「新しい革袋」
マタイによる福音書9章14~17節


 断食は古代より宗教行為の大切なものとして守られてきました。出エジプト記には、モーセが四十日四十夜断食した出来事が記されています。それは罪の悔い改めと共に真実に生きるためでした。時代が変わると、断食は悲しみの表現になりました。自分の罪、神の恵みに応えられない自分を悲しむ時、あるいは人の死などの悲しみに断食しました。
 聖書の時代、イスラエルの成人男性には、年に一度必ず断食をすることが義務づけられていました。しかしファリサイ派の人々は毎週二日も断食をしていました。初めの内は、そのことを誇らしげにしたり、自慢することは無かったのですが、次第に週二日の断食という信仰表現が形骸化し、自分たちを誇るものに変わっていきました。
 そもそもキリスト教の信仰は神と他者のために生きるところに核心があります。モーセによる出エジプトは、エジプトでの束縛、強制、抑圧、差別からの解放でした。そして導いて下さった神から律法が与えられ、神との契約関係に入ったということは、一人一人が神の前で主体的に責任応答的に生きることを意味しています。皮肉なことにその律法を守る守らないという形において、本質を失い形骸化された信仰となり、守る守らないという基準で人を判断し、断罪することに変わっていきました。
 16節以下には「新しい布、新しいぶどう酒、新しい革袋」という表現があります。特に注意したいのは、以前にもお話しましたが「新しいぶどう酒」という表現は、原語で「発酵し続けているぶどう酒」という意味です。新しい布は古い布と継ぎ当てをしますと、古い布を破ります。発酵し続けているぶどう酒を古い革袋に入れると、発酵のする力で古い革袋は破けてしまい、中身も外側も両方ともダメになってしまいます。今までの生き方に、新しいイエスを受け入れたところで、全く意味をなさないどころか、元も子もなくなると大変挑戦的なことを語っているのです。
 ところでマタイによる福音書では第8章から一連のいやしの出来事が続いています。今日ご一緒に読んでいる箇所も、一連の癒しの出来事の中で語られています。8章1節から重い皮膚病を患っていた者の登場を皮切りに、百人隊長の僕の癒し、多くの病人を癒す出来事、悪霊に取り憑かれた者を癒す場面、中風の人を癒す場面と続いています。そして徴税人であるマタイを招き、共に食事をする箇所の直後に、今日の箇所である断食についての問答が位置しています。イエスが徴税人や罪人と云われる人々と食事をしていた時、ファリサイ派の人々をそれを咎めました。そして今度は、バプテスマのヨハネの弟子達がファリサイ派の人々はよく断食をするのに、あなたがたはしないのか?と問いつめてきました。
 ファリサイ派の場合もヨハネの弟子達の場合もそうなのですが、彼らは自分たちの知っている知識や自分たちが正しいと思う信仰の価値判断でイエスの言葉や行為に対応しようとしています。ところがイエスの新しい出来事は、彼らには理解できず、むしろ批判の対象となっていきました。イエスが行っていく様々な新しい出来事に対応出来ず、ファリサイ派やヨハネの弟子達は自分たちの古い革袋にイエスの出来事を入れようとしているわけです。
 精神分析家のジャック・ラカンは「人間の社会とは他者の群の中に、なんとか多数派である自分の姿を見つけようとするゲームだ」と語っています。ラカンの言葉に、なるほどなと思いますのは、よく書店に行きますと、その世代その世代向けに書かれた多くの書物が並んでいます。大抵が社会や世界をどう読むかではなく、どうするこうするのマニュアル本の類です。いわゆる自分探しの本、自己啓発の本、つまり世間の座標軸に自分というものをすっぽりといれていく、または座標軸に合うように自分の位置を定めるようなものばかりです。多様な視点や視座の没個性化、あるいは没社会化とでも表現できるのでしょうか。それは自分ではなく他者の鏡像以外の何ものでもありません。
 イエスに出会った病を患っていた者を初めとする多くの人々、また徴税人であったマタイは、自分の身に起こった新しい出来事を、新しいままに受け取ることが出来ました。いわばイエスと出会ったことで、新しい出来事を入れる新しい革袋が与えられたのです。徴税人として嫌われ孤独の中でたたずんでいたマタイ、所詮自分の人生はこんなものだとの諦めと寂しさの中に佇んでいたのでしょう。そのような人生観が壊され、イエスによって新しい自分自身が始まっていきました。古いマタイという人間から新しいイエスに従う人間へと生かされていった出来事は、イエスという神の出来事を納める新しい革袋が与えられた人間の姿でもあるのです。
 私達は日毎に新しいことを学び、新しい事を体験します。また新しい出会いは人生を豊かにするだけでなく、新しい革袋をも与えてくれるのではないでしょうか。新しい革袋は、新しい葡萄酒、つまり発酵し続ける葡萄酒を柔らかく優しく包み込むといいます。新しい革袋は、日毎に経験する様々な事を、良いことも悪いことも、嫌なことも嬉しいことも柔らかく優しく包み込むのでしょう。マタイの文脈は新しい革袋を非常に豊かに表現していると思います。なぜなら新しい革袋こそ、病気で苦しむ多くの者や孤独の中で佇む者を柔らかく優しく包み込んでいるからです。
 最後に、フランスの思想家ジャン=ピエール・デュピイは語ります。「愛は差異を廃棄しない。ただ愛だけが差異に意味を与える」と。イエスの提示する新しい革袋とは、私達一人一人に貴い意味を与えて下さるものなのかも知れません。
 信仰共同体である教会が目指すのは、このイエスが下さる新しい革袋なのではないでしょうか。

2024年3月17日

「神の主体性」
ヨハネによる福音書15章1~10節)


 ヨハネによる福音書の13章から16章までは、イエスの訣別の説教、または告別の説教と呼ばれています。最後の晩餐の席上で語られたもので弟子の足を洗ったという洗足の出来事や、ユダの裏切りの出来事が語られつつ、主の晩餐であるパン裂きが行われます。これはイエスの十字架の死を象徴する行為であり、弟子達のために死に引き渡されることを語っています。
 説教の中で「道・ブドウの木」との言葉があげられ、その「道」を通ること、木につながりなさいと奨められています。しかし、そのように出来ない弟子達の姿が、この後の裏切りや否定として描かれてゆきます。
 この決別・告別の説教は、辛い体験や悲しい体験を思い起こし、そのプロセスをもう一度振り返るという視点で編集されたヨハネ独特の説教群です。
 福音書の背後にあるヨハネ教会の時代とは苦しみに満ちた自分たちの時代に、約60年前のイエスの時代を重ねながら、困難の中にこそ到来する救い主イエスを描いています。イエス=愛する故人を想起する様々な視座が指摘されます。故人を思い出すという想起が、ただ「思い出」となるのではなく、あの時を思い出しつつ新たに覚醒されていくことが促されていくからです。それは愛する者を失う喪失の哀しみと痛みを思い出しつつ、悲哀を負いつつも、新しい視座を持った存在へと持ち運ばれていくことが描かれています。
 イエスの十字架を前に、混乱と自己の弱さ、己の悲しさを経験した弟子達はイエスの復活後、12弟子それぞれの道が、本当に破れ多き歩みであったことに気づきました。しかし、それぞれがイエスの十字架と復活を起点(基点)として自らを省みたとき、そこに、深いイエスのとりなしの祈りが捧げられていたことに気づいたのです。誰もが負いきれない十字架の死をもって、全ての者の上に赦しが注がれていたことに気づいたのです。その神の注がれる涙が、ペトロを初期キリスト教会の中心人物として立たしめてゆきました。他の弟子達もまた、迫害にあっても勇気をもって進み行く、そんな信仰へと強められて行ったのです。
 こうしたプロセスこそが、自分たちのいやしであり、新しく生まれ変わることへの大切な過程であったことを弟子達は気づき、十字架のイエスへとつながっていったのです。そのことを振り返り、自らの内に起こったことを物語っていったのがヨハネ福音書のイエスの告別の説教です。
 さて、私達はイエスにつながっているのでしょうか?読まれませんでしたが、直後の12節、13節の「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」というイエスにつながっているか?留まっているか?まもっているかという問いかけです。
 中村雄二郎さんという方が「術語集」(岩波書店)という書物の中で「自分の左手を右手で握るとき、左右の手の間で、(さわる手―さわられる手)の関係は容易に逆転しうる。こうして身体はおのずと一種の反省作用を行い、この反省作用のなかで両方の手は同一の身体の分肢として共存している。同様なことが他者との関係のうちでも起こる」ということを語られています。
 たとえば、他人と握手をするとき、自分の右手は相手の右手を握っているのですが、同時に相手の右手によって握られているという現実があります。自分か握っているということと、握られているということが同時に起こっているわけです。この同時性、あるいは主体と客体の共存は、私たちが信仰ということを考えるとき、大切な内容を示唆してくれるのではないかと思います。
 「わたしは、何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです」(フィリピ3章12節)、パウロはキリスト・イエスを捕えようと努めています。それは、キリスト・イエスに捕えられているからだと言うのです。
 信仰とはキリストを知り、主と告白することです。その意味では、私たちの主体的な行為となります。「私は信じます」が信仰の姿です。しかし、信仰というのは「信じます」という私の主体性によってのみ支えられているものではありません。むしろ、「私は捕えられている」という客体性、言葉をかえれば、「私を捕えてくださっている」神の主体性によって支えられているということなのです。「私は信じます」という意識より、「神が私を捕えてくださっている」という現実(リアリティ)のほうが、圧倒的に強いということです。
 私が掴んでいる手の力より、相手の手の力のほうが強いとき、私の手の力が弱まり、手を離しそうになっても、私の手は相手によってしっかりと捕えられています。だから、私もなんとかして捕え続けようと努めることができるのです。
 信仰とは、イエス・キリストを信じようと努めつつ、しかし、そのキリスト・イエスによってしっかりと捕えられていることを、心から受け入れることです。
 私の握る手の力の強さを誇り、自分の強さを信じることではなく、この私の手をしっかりと握って下さっている方の愛の強さ、憐れみの深さを信じて、委ねること、主体と客体の共存、応答することが繋がりゆくこと、それが告別の説教の中を生きるということです。
 私達一人一人の上に起こった十字架と復活の出来事を基点として、イエスの出来事に応答するとき、お互いはつながり、「神が私を捕えてくださっている」という現実(リアリティ)が、生来するのです。

2024年3月10日

「主よ我らと共に」
詩編64篇1~11節


  1節に「ダビデの詩」とありますので、ダビデがサウル王の策略の中で苦しんだ状況であると理解されています。この詩を歌っている人物は恐怖の中でおののきながら、神の助けを呼び続けているということ、私たちはそのような状況の中に働く神の御手の業をこそ注目したいと思います。
 韓国のキリスト教詩人に、キム・ジハという方がいらっしゃいます。彼、キム・ジハの書いたもので戯曲になっています「金の冠のキリスト」という詩があります。詩の一部を皆さんにここで紹介したいと思います。
 
  凍てついたあの空、凍てついたあの野原、
  太陽も光を失い、
  ああ、真っ暗な、あの貧しさの街
  どこから来たのか、頬のこけた人々
  何を求めてさまよい歩く、
  あの目、あのひからびた手
  ふるさとすらない、この身、
  疲れはてた身を、横たえる
  墓すらなく、冬のさなかに、見捨てられた、見捨てられた・・・・、
  果てしもない冬、そこ知れぬ闇、
  もはや耐えられぬ、この悲しみの歳月、
  もはや耐えられぬ、もはや耐えられぬ・・・・・、
  この長い長い貧しさ、もはや耐えられぬ
  冷え冷えとした世の中、これ以上耐えられぬ
  いずこにいませるや、主はいずこに、
  凍てついたあの空、凍てついたあの野原
  太陽は光を失い、真っ暗なあの貧しさの街、
  いずこにいませるや、いずこにいませるや
  われらを救いたまえる方は、いずこにいませるや
 ああ、主よ、いまはここに、
  我らと共に、主よ、我らと共に・・・・・。
 
  詩の一部でありますが、何という世界でしょうか?また何という人生でしょうか?凍てつくほどの寒さ、そしてその中で、墓すらなく見捨てられるというあり様、太陽の光りを奪われ、暗闇に落とされたような絶望と恐怖だけが支配する世界、これは詩的な幻想だけによって作られた世界なのでしょうか。それともこの世界は、詩編64編の詩人が経験した現実の世界なのでしょうか。
  私はこのキム・ジハの詩と、詩編の64編に、神に問い続ける人物、つまり命の危険にさらされた暗闇の恐怖におののく人間の共通の問いがあると思います。そしてその問う姿こそ、神に向かって目を上げ、神と向かい合わせになっている姿であると思います。全ての人間のなかで、この神への問いを問い続けるのは、抑圧の中にある者、危険にさらされている者、見捨てられた者、世の人々の冷たさの中で震えている者です。この社会の中にあって、力ある者や社会的な安全の中で暮らすものではありません。人間の営みの中で、捨てられ、絶えず襲う恐怖の中で、もはや助けは人間からではなく、神からしかこない、私に声をかけ、私を見つめてくれる者は、もはやこの地上には誰一人としていないという悲痛の中から叫ばれている声なのです。
 詩人達は、苦痛に満ちた自分自身を見つめています。抽象的な人間像を見つめてはいません。理想的な人間のあり方を見てはいません。彼らは、自分自身の中に破れた不正義な世界を見ています。不条理な世の中を感じています。平和と調和に満ちた理想の世界を感じてはいません。彼らは冷たく暗い空の下で震えているのです。
 聖書に記されている様々な教えから、私たちは理想的な、また、抽象的な信仰者像というものを考えてしまうときがあります。そのような現実性のない信仰を抱き、理想としてしまう危険に陥るときがあります。
 新約聖書のマタイによる福音書の5章38節から42節に復讐してはならないというイエスの言葉があります。「だれかがあなたの右の頬を打つのなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが1ミリオン行くように強いるのなら、一緒に2ミリオン行きなさい」とイエスは奨めました。私たちはこのようなイエスの言葉を理想化してそのようになろうとします。これは別に間違ったことではないと私は考えます。イエスの言葉のようになれたら、本当に素晴らしい世界がやってくるに違いありません。
  しかしそれこそが、私たちの視点と立場からの理想です。実に抽象的な思いです。私たちは、そのようになれたらいいなと考えることのできる思うことのできる、ほんの少しの余裕があります。これは現実に、今、私たちが頬を打たれ、下着を取られ、1ミリオン行くように強いられていないからです。
 キム・ジハの詩の世界と詩編64編の詩の世界という現実は、この私たちの視点と明らかに違います。恐怖と危険、暗闇のなかで、なおも差し出す頬があるのでしょうか、打たれに打たれ、恐怖のあまり小さく身をかがめている者が立って、頬を相手に向けることができるのでしょうか。寒さに震え全身が冷たくなっている者が下着を取られどうして上着をあたえられるのでしょうか。疲れはて1ミリオン行くことを強いられた者が、あと2ミリオン行く力がどこに残っているのでしょうか。
 思い巡らし考える余裕などなく、ただ寒さと恐怖に震え、打たれ過ぎて出す頬もない、歩く力は奪われ、残されたものは絞り出すような神への訴え、ここには理想化され抽象化された人間性の入り込む隙間はありません。あるべきはただ、この悲痛な状況に降りられるあの十字架の主イエス・キリストだけではないでしょうか。
  「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」、まさに彼らの歌に表現された叫びこそ、主の叫びではないでしょうか。神はこの言葉に向かわれます。この叫びをあげる者に御顔を向けられます。彼ら、彼女らこそ神と真向かう者、神の奇跡と御業が現れるところなのではないでしょうか。
 今、レントの中を歩んでおります。冷たく暗い中で、呻きを挙げている者の声こそ、私たちが救い主と仰ぐイエスの声です。そのことに気づくときこそ、私たちは主の叫びに応答する者へと変えられるのではないでしょうか。イエスの受難を憶えるこの時、主の叫びを、心を開き受けとめたいと思うのです。

2024年3月3日

「なすべき種まき」
コリントの信徒への手紙二 1章:3~11節


 宗教改革者のマルチン・ルターは「明日、世界が滅ぶとしても、今日、リンゴの木を植える」と言いました。日本では無教会派の内村鑑三さんが同じことを言いました。しかし、元々これらの言葉は違う人が述べていました。
 「あなたが木を植えている時、メシアが来たと知らせを聞いたのなら、先ず木を植えなさい。それから走って行って、メシアに挨拶をしなさい」、これは新約聖書の書かれた時代に生きた、時の賢者・ヨナハン・ベン・ザッカイという人の言葉です。彼は、紀元70年、エルサレム神殿がローマ帝国によって破壊され、焼き払われ、ユダヤ民族の危機に直面した時、この言葉を語ったと言われています。ローマによるエルサレム陥落の後、人々は世の終わりを叫びました。しかし、その中にあって、ヨナハン・ベン・ザッカイは、現在のテルアビブとアシュドドの間にあるヤブネという所に律法を学ぶ学校を作り、後の世代の信仰と民族の危機を救ったと言われています。
 木を植えるという作業は、木の成長を願う祈りと、丁寧に木を植え付けるという、低くかがんだ姿勢、奉仕があります。
 危機的な状況下で、世の中が終わってしまうと言う終末思想の只中で、また神の国を待ち望むことの中で、まず自分に与えられた現場・フィールドに祈りと心を注ぎ、奉仕をすること、そこからは神が私達人間の考えを遙かに越えた仕方で、実を結んで下さるという希望への委託があります。
 古くから終末思想は、間違うととんでもない方向に走る危険を含んでいました。政治や経済の低迷だけでなく、天候・気候までも乱れて怪しくなりますと、時が近づいたと勝手に叫ぶ者が現れました。救いに預かろうと、現にこの世を捨てて、山にこもった人々もいました。善人と悪人を分けるという危険な思想も生まれます。強い信仰と修練を積んだ者だけが、新しい社会を作り、悪人が滅びるのは仕方がないと教えます。信じる者に害が及ぶと、皆殺しにせねばと、テロ行為を起したりと身勝手な正義を振りかざします。それこそが悪魔の仕業のようです。
 聖書によく「たとえ」という言葉が登場します。「たとえ」というギリシャ語は、もともと「なぞ」という意味を持っています。よく現実に照らし合わせないと、聖書の語ります「たとえ」は、まさしく神の国は「なぞ」としか映らないのではないでしょうか。
 話は変わりますが、1415年7月6日に、カトリック教会の教皇至上主義に対して批判をし、時の教皇・ヨハネス23世に対して、教会の頭は教皇ではなくイエス・キリストであると抗議・プロテスタント運動を展開したボヘミヤのヤン・フスが火破りにされ処刑されました。
 それから約100年後、ドイツのヴィッテンベルグでルターが同じことを訴えましたが、火あぶりにはならず、プロテスタント教会が生まれました。改革を成功させた人ばかりが注目されがちですが、近年、異端との刻印を押され処刑されたヤン・フスが再解釈され、彼の思想と行動が、まさに100年後の礎であると大きく評価されています。
 彼は火あぶりに合い、最後の最後まで、教会の頭はキリストであるとだけ訴え続けました。まさに、100年後を見つつ、100年後の人々へと小さな種を蒔き、小さな木を植え、託して行ったと言えましょう。
 始めに、紹介させて頂きました「木を植える」という神の国への視点は、そのことを教えています。今日、一生懸命に自分で植えた木は、後の時代の人々の役に立ちます。もしかすると、木を植えたものは、その時、すでに死んで、木の恩恵に浴さないかも知れません。一見、みすぼらしい姿が、無様な死が、後の時代の恵みと祝福になってゆくのです。木を植えることや、種を蒔くことは、神の国と、全然関係のないことのように見えます。しかし、そこにこそ私達の思いを越えた神の業の確かな種が、蒔かれていることを、私達は知らなければなりません。
 約2000年前、イエス・キリストは明らかに異端と見なされました。そして、時の権力者や律法学者達によって、イエスは十字架に付けられました。イエスの十字架の死は、誰の目にも弱く、貧しく、そして、みすぼらしく、痛みと悲しみの出来事でした。しかし、イエスは十字架の上で、全ての者の赦しのみを祈りました。まさに、イエスは十字架の死をもって、人々に惜しみなく施すという、神の全き赦しと愛の種を蒔きました。弟子達の、後の時代の、そして現在のキリスト教会の礎となっていったのでした。イエス・キリスト自身が、この世の全ての栄華、名声、力を捨て、十字架の上で、種を蒔くことに徹しました。神に全てを委ね、自らの命をも委ねました。
 私達は、今、一体何をしているでしょか?、社会は、世界は、一体何をしているのでしょうか。まだ戦争や争いを続けていくのでしょうか。人類は、勝手に、収穫の鎌を手に持っているのではないでしょうか。それとも「たとえ」が「なぞ」となり、何も分からないでいるのでしょうか?
 最後に、ウイスキーの誕生物語をご存知でしょうか?お酒の話で申し訳ございませんが「天使の分け前」ということをお話ししたいと思います。
 麦芽を適温で発酵させ、搾りだし蒸留した、無色透明の液体は、木の樽に詰められ長い眠りに入ります。倉の中で静かに眠る内に、琥珀色に色付きます。さて、樽の木目を通して、10年間もの間、仕込んだウイスキーは、その4分の1が失われるそうです。この減り分を倉の杜氏達は、「天使の分け前」と呼んでいるそうです。杜氏達は、せっかく仕込んだものを一滴も失わずに済ませられないものか?あれこれと工夫したに違いありません。しかし、ただ黙って、神様の下さる時の流れの中で、神様の取り分を惜しげもなく捧げれば、神様は、きっと、上質のウイスキーを残して下さるに違いない。「主は与え、主は取りたもう」、それがウイスキー誕生物語、「天使の分け前」というお話です。
 「天使の分け前」は更に、私達に語ります。私達は何もかも、根こそぎ得ないと承知せず、また、結論や結果だけを手にしては喜びます。それでは貧しいぞ、そう私達に語っているのではないでしょうか。
 私達もまた、惜しげもなく捧げ、委ねて行くとき、熟成された上質の信仰が与えられるのではないでしょうか。
 今は、とてつもなく危機的な時代です。このような時だからこそ、祈りつつ、互いに心を通わせ、仕え合い、成すべき種まきをしたいと思うのです。その時、私達は一つ輪となり、豊かな収穫を得る教会の群へと変えられていくのではないでしょうか。

2024年2月25日

「委ねる一歩」
ルカによる福音書21章1~4節



 私たちは普段の生活におきまして、それぞれスケジュールやリズムをもっています。朝起きて、仕事をしたり、それぞれが自分の成すべき事をすることでしょう。毎週日曜日には教会へ行くこともリズムになっているかと思います。私たちはそれぞれが、自分の時間なり労力なりを割り振りながら生活をしています。
 ところが、割り振りのできないものもあります。突然の困難や苦しみ、悲しみなどです。今は時間がないから、あとで苦しみますとはいきません。今は悲しんではいられなから、そのうち悲しみますなんていうことも不可能です。不安や痛みも、自分で割り振りができません。割り振りできないだけに、本当に苦しいものです。
 先ほど皆さんと目を通しました聖書の箇所はユダヤ教の神殿におけるイエスの教えであります。当時のユダヤ教の神殿ではいたるところに幾つもの献金箱が置かれていたようです。その一つの向かいにイエスは座り、人々が献金をする様子を見ていたと聖書は報告しています。
  「金持ちたちが賽銭箱に献金を入れているのを見ておられた。」あまり細かい描写はなされてはおりませんが、大勢の金持ちがたくさんのお金をいれていたのでしょう。平行箇所でありますマルコによる福音書では「大勢の金持ちがたくさん入れていた。」と記されています。聖書は続いて、貧しいやもめがきて、レプトン銅貨2枚を入れたと告げます。するとイエスは、この女性は誰よりも多くを捧げたのだと言いました。それは捧げたレプトン銅貨2枚が自分の持っている全てであり、生活費の全てであったからです。
 ところで、レプトン銅貨とは当時の最小単位のお金であります。レプトン銅貨2枚は現在の日本円になおすと200円くらいでしょうか。生活費の全てを捧げたとありますので、もう少し多いとしても500円、1000円くらいであると考えられます。今日、聖書に登場しました女性は、それしか持ち合わせていなかったのです。
  この女性はやもめであったと聖書は語っていますので、ご夫君を亡くされたのでしょう、一人で生計をたてて暮らしていたのでしょう。けれども貧しく手持ちにはレプトン銅貨2枚しかなかったのです。一方、金持ちはどうでしょうか、お金の額は記されてはおりませんが、この女性の何十倍、いえ何百倍と捧げたのでしょう。けれどもどんなに捧げても自分の財産の全てではなかったはずです。貧しい女性のように全てを捧げたのではないのです。
 私たちはこの女性のように全てを捧げることができるのでしょうか?とは聞きません。とても無理です。つまり私たちは、捧げるというとき、お金だけではなく、時間や労力も自分の中で割り振りをするからです。そうした割り振りでしか神に捧げることのできないという現実に、私たちは生きているのです。そして私たちはこうした生き方を、しかたのないことだと片づけてしまうのです。
 ということで、私たちはイエスが心から祝されるような全てを捧げるということをしているのか?という問いの前で、どうやらイエスに「イエス」とクビを立てに振ることができないようです。自分の中での割り振りによってしか、神に捧げていない、委ねていないという、私たちの本当の姿が、このイエスの言葉によってあらわにされるのではないでしょうか。
 さて、聖書が語りますこの女性は貧しい中でのわずかなものを捧げたのですが、生活費を全て入れたとあります。自分の持っている全て、生活費でありますから生きてゆく一切の保証をも手放し捧げたことになります。ここにイエスが女性を祝される理由があります。
 この女性は、全てを献げる行為を通して、痛みや苦しみも神に託しているのでしょう。それをイエスは評しているのでしょう。そして思わされるのは、イエスが貧しい女性の全てを捧げた姿をとおして、イエス自らが、これから献げる御自身の献げものを見ていたのではないかと思うのです。イエスはこの貧しい女性を通して、この後、ご自分の身に起こる十字架の死を見つめておられたのではないでしょうか。
  イエスの十字架は全てを献げ、命までも献げられたという出来事でした。十字架刑への恐怖、不安、そして痛み、イエスは全てを神に託されたのです。イエスは今、神殿の献金箱へ全てを捧げた貧しい女性を通して、自らの十字架を見つめておられるのです。そして、イエスはこの貧しい女性を祝されたのです。自分のこれからの不安と痛みを神に託した、この女性をこそ、イエスは、省み、深い憐れみをもって見つめておられたのです。イエスのまなざしは、神がご自分の独り子・イエスを見つめる眼差しであり、神とイエスが私たちを見つめるまなざしでもあるのです。
  私たちは自分の不安や痛みを全て託すということが、なかなかできません。しかし、貧しい女性の行為とイエスの言葉をしめされるとき、私たちは不安や様々な痛みを覚えるときこそ、神に見つめられ、神に招かれているのではないでしょうか。「あなたの痛みを私に託しなさい、献げなさい」と私たちに呼びかけて下さっているのではないでしょうか。
 自分の不安や痛み、苦しみを託してゆく、それこそがイエスに従うということ、イエスの十字架を受け入れるということではないでしょうか。 日々の暮らしの中で私たちは様々な不安や、体のまたは心の痛みを覚えます。苦しいときもあります。けれどもその時こそ、主が招き呼んで下さっていることをいつも心にとどめて歩みたいと思います。
 そして最後に大事なことは、イエスがこの女性を通して自らの現実を見られたように、今度は私たちが、この女性を通して私たち自らの現実を見るのです。私たちの現実世界はどうでしょう。
 聖書の時代よりも、はるかに状況はひどくなっているのではないでしょうか。貧困者は世界中に溢れ、戦争、紛争で数え切れない程の人々が今なお命を失っています。対立は激化しています。希望はあるのでしょうか。平和は、平安は。未来の子供たちに希望はあるのでしょうか。
 私たちはイエス・キリストのようには生きられないし、出来はしません。けれども、分かち合うことが出来ます。痛みも苦しみも、悲しみも喜びも、希望も平安も分かつことが可能なのです。
 現代に生きる私たちが不可能だと思っていること、出来なくなってしまっていることことが、分かち合う生き方なのです。最近ではカリフォルニア州立大学バークレー校で教えているジュデス・バトラーやアントニオ・ネグリ、マイケル・ハートなどが盛んに訴えている「コモン」という生き方のことなのです。
 ところが良く良く考えて見ると、聖書が語る教会そのものが「コモン」という共に分かち合う共同体なのです。今こそ教会がその原点に帰って、喜びも悲しみもお互いに委ね合う一歩をこそ踏み出したいと思うのです。そのことが、あのイエス・キリストを現代に甦らせ、証をしていくことになるのです。大変な時代だからこそ、力強くイエス・キリストを証していきたいと思うのです。

2024年2月18日

「わずかなもので」
マルコによる福音書5章21~43節



 今朝の聖書の箇所には、愛する家族が命の極みに置かれ、困惑するヤイロという人物が登場します。彼は会堂長の一人、つまり神殿に仕える仕事をしています。このヤイロという名前は「神に呼び出された者」という意味を持っています。
 神に呼び出されても、信仰を持っていても、この様に現実に立ち起こる悲しみは避けられません。ヤイロは愛する者、自分の幼い娘の命が消えゆきそうな状態の中でさまよっています。そんなヤイロと一緒にイエスは出かけて行かれたと言います。ヤイロのその後を主イエスはついて行きました。
 きっとヤイロは不安と恐れとでうなだれていたことでしょう。どうすることもできない不安がその背中に現れていたのかも知れません。その後ろを、イエスは背後から支えるようについて行ったのでしょう。
 深く、そして自らの十字架の死を背負いながら、その後を、イエスは追ってゆくのです。ここに深いいつくしみとあわれみのまなざしがあります。イエスは導かれる神です。でも同時に私達を背後で支える方でもあります。そして注目すべきは、人間のどうすることも出来ない不安と恐れの中をイエスは共に過ごされているのです。
 ヤイロの苦しみと共にあるイエスは、途中で12年間も病に苦しむ女性に出会いました。「この方の服にでも触れればいやしていただける」との藁をもつかむ思いでイエスに触れました。するとイエスは自分の内から力が出ていったことに気づきました。女性は癒されました。
 そしてイエスから「安心して行きなさい」と言われました。自分の内から力が出ていく・・・、自分の命をけずってゆくイエスの姿が、この女性のこれからの人生を支えてゆく、そんな出来事です。
 ところで、幼い娘が死にそうなヤイロにとっては、気が気ではないでしょう。早くイエスを連れて家に帰らないと幼い娘は死んでしまうかも知れない。するとイエスが話し終わらない内に、訃報が届きました。お嬢さんは亡くなりました。
 その後、人々があざ笑う中、イエスは少女に声をかけられます。「起きなさい」「少女はすぐに起きあがって歩き出しました。もう12才になっていたからである」。
 私はこの聖書の箇所を読んでいまして、本当に悩みました。これはおかしい、一体どういうことだろうか?どう理解したらよいのだろうか?悩みました。
 私が悩んだのは不思議なイエスの業ではありません。皆さんもお気づきかも知れませんが、死にそうであったヤイロの娘は幼いはずでした。「テクノン=小さな子供」を表す言葉が使われています。しかもこの言葉は、小さな子供なので性別を分けないで良い、中性名詞で表現されています。ところが起きあがった少女はもう12才、12才と言いますとユダヤでは成人の年齢です。イエスも12才で成人を迎え、エルサレム神殿に礼拝へ行きました。そして42節以下で使われている「少女」は女性名詞になっており、立派な大人の扱いになっています。まるで年月が飛んでしまったような描写です。どう理解したらよいのでしょうか。
 私はこの聖書の箇所は、マルコ教会の証、マルコ教会の歩みだと思います。ヤイロの娘は、なぜ死にそうなのかは判りません。どうして具合が悪いのかも記されていません。けれども何かが原因で具合が悪く、寝たきりで家に閉じこもりきりだったのでしょう。もしくは心の病であったのかも知れませんし、何かの出来事がきっかけで、気力を失い、無気力になり魂が死んだ状態であったのかも知れません。
 そんな少女と共にマルコ教会のメンバーは過ごしたのでしょう。何年も何年も少女の為に祈り、少女の心に和らぎが戻るまで、長い年月を共に痛み、共に苦しみ、共に涙しながら過ごしたのでしょう。少女が12才になるまで、少女とそしてその家族を励まし支えながら、共に歩み続けたマルコ教会の真実が、ここに伝えられているのではないでしょうか。それは生前のイエスがそうであったように、苦しみ悩み、悲しむ者と共に歩んだ、そんな彼らの証がここに重ね合わされているのではないでしょうか。
 話はかわりますが、コスモス社というところが出版している私小説の同人誌があります。そこにあるクリスチャンの方の証が私小説として載っています。
 この方は女性で、結婚問題で傷つき悩みました。婚約者がいたのですが、自分の出身のことで婚約は一方的に破棄されました。彼女は本当に苦しみました。なぜ、婚約が一方的に破棄されたのか。彼女が被差別部落出身だったからでした。今なお、この社会には様々な差別が存在しています。在日差別やアイヌ差別、はたまた沖縄差別も存在しているのです。
 さて、12月24日の晩、彼女は「もう死んでしまおう」と夜の町中を彷徨っていたそうです。どのくらい彷徨ったのでしょうか。ふと目の前に教会がありました。クリスマス・イブの晩でしたが、すでに礼拝は終わって静まり返っていました。けれども教会が開いていたので、彼女は吸い込まれるかのように教会の礼拝堂へと入って行きました。するとそこには礼拝後の後かたづけと戸締まりをするため、最後まで残っていた一人の教会員のご婦人がいたそうです。
 そのご婦人は彼女が悲しそうな顔をしていたので、彼女のお話を礼拝堂のイスに座って聞きました。彼女の生い立ち、出身のことで婚約が破棄されたこと、その胸の内を話しました。約2時間ほど、教会のご婦人はただただ黙って聞いていました。そして彼女の為に祈りました。「神様は今、あなたを慰めて下さっている」こと、たった一言だけ祈り、二人はその日、別れたそうです。
 彼女はそれから、その教会へ通うようになりました。そして洗礼を受けました。今はクリスチャンとして自分と同じ悲しい出来事が起こらないようにと祈りつつ、歩んでいるそうです。
 このお話を伺って、私はクリスマス・イブでの教会での約2時間が本当に重要なことだと思いました。私達はクリスチャンとして何が出来るだろう?何を証しすればよいのだろうか?と考えます。大抵は考えるだけで終わってしまいます。しかし、ただただ黙って過ごす、そして向かい合って一言祈る、そんな時とわずかな力が主イエス・キリストを豊かに証しすることを教えています。
 「恐れることはない。ただ信じなさい。」。わずかなものでも、わずかなことでも献げて、共に歩むところにこそイエスはおられます。そして私達を神の限りない愛で包んで下さいます。マルコ教会の人々は、そんな主イエスの姿にならって誠実に生きたのではないでしょうか。私達も、わずかなものですが、そのわずかなものを献げて他者と共に歩み、この聖書の箇所に、今度は私達の証を重ね合わせたいと思います。

2024年2月11日

「振り向くイエス」
マタイによる福音書16章13~28節


 今日の聖書にはイエスが「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」つまり「私を何者だと思のか」と弟子たちに尋ねた箇所があります。人々は洗礼者ヨハネだ、エリヤだ、エレミヤだ、預言者の一人だと様々にイエスを呼んでいることを告げます。それでは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問います。弟子たちを代表してシモン・ペトロが「あなたはメシヤ、生ける神の子です」と答えたという場面があります。
 マタイ福音書は続いて他の聖書の箇所にはない独自の記事を挿入します。イエスがペトロを岩と呼び、その上に教会を建てる、さらには天の国の鍵を授けようと語ります。イエスの時代には教会がないので、後の時代に誕生をした教会をあえて語るところに、マタイが教会を念頭に入れて、この福音書を書いていることが伺い知れます。
 さて、まことに不思議なことに、イエスは彼らにそのことをバラさないように命じたという出来事が報告されています。続いて、イエスは弟子たちに自分は必ず多くの苦しみを受けて殺されてしまう、そして三日の後に私は復活すると告げました。この時の弟子達の様子は、それこそ大混乱であったようです。聖書はなにやら、その時のことを少しやわらかく表現しているようですが、これは日本語に訳されているからであって、実はこの時、ペトロという弟子の一人は、イエスをむんずとつかみ、いさめる、つまり怒鳴って怒りだしたのです。「あんた、なんてことをいうんだ、そんなことをいうんじゃない」とでもイエスに食ってかかったのでしょう。ペトロにとってイエスが苦しみを受け、殺されることは許されなかったことだったからです。ペトロは突然の発言に思わず怒りだしたのでしょう。
 皆さんと読んでおります箇所の前半の部分は「最初の信仰告白」とも呼ばれている箇所です。イエスの弟子達がはじめてイエスを「メシヤ」であると告白したからだと言われています。「メシヤ」とは救い主であり、旧約聖書の昔から人々が待ち望んでいた救い主に対する呼び名であります。この「メシヤ」という言葉は新約聖書の原語でありますギリシャ語では「クリストス」という言葉になっています。これはイエス・キリストのキリストであります。キリストとは救い主という意味が一般的です。また当時の世界では「油を注がれた者」という意味が一般的でした。「油を注がれた者」とは古代イスラエルにさかのぼる祭司や預言者、そして国を治める王という選ばれた者たちが、油を注がれたのでそのように呼ばれていました。現にイスラエルの人々がバビロニアという国に滅ぼされ、奴隷として何十年もの囚われの生活を強いられた時、それを解放したペルシャの王キュロスも「油を注がれた者」と呼ばれました。つまり、聖書の背景にあってキリストと呼ぶことは、人々の様々な思惑が入り交じったものでありました。メシヤとは当時人々の願望のこもったものであったのです。
 聖書を読みますと、そのようにイエスを呼んだ弟子達をイエスは誰にも話すなと命じたとあります。マタイでは日本語的には非常に穏やかな表現ですが、原語ではかなり強い表現になっています。
 「戒める」という表現が使われており、ペトロがイエスを「いさめる」という表現、更にイエスがペトロを「いさめる」言葉3つが全て、原語のギリシャ語では全く同じ言葉になっています。もともと「いさめる」という言葉は「怒る」「叱る」「どなる」になるのです。しかもこの言葉は福音書ではイエスが悪霊や汚れた霊を追い出す時に使われる言葉でもあります。ですから、イエスと弟子達はかなりひどくどなりあっているわけです。ペトロがイエスを「いさめ」ます。この言葉は、「怒る」「しかる」「どなる」という言葉です。イエスとペトロはかなり強烈にやりあっているわけです。
 何が原因でか皆さんもうおわかりと思います。事の発端はイエスに対する呼び名「メシヤ」であります。聖書に従うのであれば、イエスはこのとき弟子達を「叱り」ました。続いてイエスが苦しみを受け十字架に付き死ぬことを告げたとき、弟子のペトロはイエスを「叱り」ました。するとイエスはペトロを「この悪魔め!」とばかりに「叱り」ました。
 元来この聖書の箇所は、イエスに叱られるペトロに対し、口では告白しつつもイエスに従い得ない姿勢をもっていたのでイエスにこっぴどく叱られたと説明します。それも正しい説明でありますし、本当に口先だけの私たちであるからイエスは、ペトロを通して私たちを叱りつつも、私たちの為に苦しみを受けられたものであると言います。
 しかしここにはもっと深いところでの私たちの姿が、もう一つ浮かび上がってきます。イエスの怒りの原因は当時の既成概念の一つである「メシヤ」というレッテル張りです。ペトをはじめ弟子達は、イエスとの躍動感あふれる生身の人と人との出会いをそこで否定しようとしているのです。
 ある方は、メシヤというペトロの告白を悪魔的な告白だと言っています。そうかも知れません。人を自分の枠組みの中でとらえ、自分の願い通りに、あわよくば支配しようとするものです。
 旧約聖書のコヘレトの言葉1章に次のような言葉があります。
 「なんという空しさ、なんという空しさ、全てはむなしい、
  かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは
  これからも起こる。
  太陽の下、新しいものは何ひとつない。」
 
 新しい出来事や人との出会いも、これまでの既成の枠組みに取り込んでしまうことで、驚きや感動を失います。かつて旧約のコヘレトが歌ったように「空しさ」に包まれることになるのです。
 ペトロはイエスの「メシヤ」拒絶に、空しさを憶えたに違いありません。かつてあったものの中でしか人を見ることができなかった、自分勝手な願望の中でイエスをとらえ、しかもその願望にすがりついていたのです。自らの思いがことごとく打ち砕かれて行くことの中で、彼の願いは空しくなっていたのだと思います。激しい口論の末、ただただ、呆然と立ち尽くしているペトロがそこにはいます。
 しかし、イエスは振り向きます。自分の枠組みでしか人を見ることの出来なかった人間ペトロの前に立たれます。メシヤ、キリスト、救い主の称号を捨てて、空しき同じ人間として、同じ血が脈々と流れる人として、イエスは彼と向かい合っているのです。神様が御子をこの世へと使わしたこととは、神が同じ人として全ての賞賛される称号を拒否し、生身の裸の人間として私たちと出会って下さったということなのです。
 自らの固定観念や社会的に付けられた価値観を一つ一つ取り除いて行くとき、私たちに残されるものは、何一つない空しい私たちかも知れません。そんな私たちの前に立ったイエスは、それでも神様が心から愛して下さっている小さな命の輝きを見つめて下さるのです。人は都合の良い思いで人を見ることの中で、この命の輝きを曇らせます。だからこそ主イエスは、神様が命を惜しまないほど愛されているという思いを示すのです。
 振り向かれるイエスこそ、神のまなざしであり、十字架のイエスこそが、神との出会いなのです。この出会いを通して、私たちもまた、ありのままに人と向き合う者へと変えられて行くのではないでしょうか。イエスが振り向かれるような出会いこそ、命と命を輝かせるものであることに気づくのではないでしょうか。そんな招きをこそ、しっかりと心に留めておきたいとおもうのです。

2024年2月4日

「愛が溢れて」
ルカによる福音書7章36~50節


 福音書にはイエスが人の家に招かれて食事をする場面が度々出て参ります。今朝の聖書の箇所は、ルカ福音書だけに収められているファリサイ派のシモンの家に招待された時のことです。ファリサイ派の人に招かれるというのは珍しいことと思われますが、ルカ福音書では3回もイエスはファリサイ派に招かれています。一般的には、イエスを敵視するファリサイ派の人も多かったことと思いますが、中にはイエスに関心を寄せるファリサイ派の人もいたということでしょう。
 当時のユダヤ社会では、ラビと呼ばれる律法教師を家に招く時には、誰でも参加してよいという風習がありました。現代風にいうのならば、ランチ付きの講習会でしょうか。
 物語はシモンの家で皆が食事の席に着いたところから始まります。突然、町で「罪深い女」と云われている女性が入り込んできました。彼女は香油の壺を抱えていました。律法教師への尊敬のしるしに香油を注ぐのは、当時の習わしでもありました。ところが、彼女の振る舞いに、皆が驚きました。突然、食事の席にわって入るなり、涙を溢れさせながら、その涙でイエスの足を洗い、自分の髪の毛でぬぐい、接吻をし香油を塗ったのです。
 さて、イエスはこの場面でファリサイ派のシモンに語りかけました。それは女性とシモンが対照的であることの指摘でした。39節にある「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」という彼が抱いていた思いは、イエスを諮るそして人を諮る心です。
 この場面に居合わせた人々は、イエスが女性に成した赦しの宣言に躓いてしまいます。イエスのたとえ話を頭では理解しても、目の当たりにした女性とイエスの間に展開された神のドラマが見えませんでした。女性の行為を、とんでもないハプニングとしか受けとめていません。もしかすると、私達も、この人たちと同様のことをしばしば行っているのかも知れません。自分の中で意識されずに放つ言葉、気づかぬ振る舞いによって、事柄の真意がつかめなかったり逆のことをしでかしてしまったりします。自分自身では気づかぬところで、分からぬところで、言葉と振る舞いをもって人を傷つけ悲しませていることを知らず、人の言葉や行為に傷ついたというのも私達の現実です。言葉だけが、なにげない振る舞いだけが一人歩きをして、神と人との関係、人と人との関係を見えなくする現実にうんざりするほど遭遇いたします。そんな私達であることを思い返しながら、もう一度イエスと女性の姿を心に思い浮かべて下さい。
 「罪深い女」と云われた女性は、常日頃耳にしていたイエスの噂を聞きつけて、この場にやって来たのでしょう。「罪人」の友となって下さるイエスの事をもれ聴くだけで、イエスに会いたいと心待ちにしていたのでしょう。そしてイエスに会うことで、これまで抱いていた思いを胸の中に収めきれなくなったのでしょう。自分の今まで歩んできた様々な事を、思い出してイエスの前にひざまずきました。イエスと一緒に食事の席にいる大勢の人々の目に、自分がどう映ってしまうのかなど、もはや問題にならない程だったのでしょう。彼女の目から涙が流れ始めました。泣きながらイエスに成した、この女性の行為を皆さんはどのように思われますか?
 涙をもってしか、自分の心の内を表現できないことがあります。誰にでも、人に知られずに胸の奥につっかえているものがあるかと思います。誰に対して赦しを乞うていいのか分からないものもあります。余りの切実さ、深さ故に言葉が出てこないことがあります。「ごめんなさい」と謝っただけではカタが付かない場合もあります。
 「罪深い女」とされるこの女性は、一体何の罪を犯してそう呼ばれていたかは記されていません。ユダヤ人が厳守すべき律法の違反者として「罪人」のレッテルを貼られていたのかも知れません。いずれにせよ、彼女は良心の呵責を感じていたようです。町で毎日のように「罪人」と断行される辛さ、人々からさげすまれる悲しさ、更には生きることそのものが罪でしかないような人間の闇の部分を見つめていたのかも知れません。
 イエスは言葉なく、涙で足を洗う女性の姿に、彼女が今まで犯してきた罪を感じました。それだけではなく、彼女のいたたまれない良心の呵責、さらには気づかぬところで、分からぬところで人を傷つけ悲しませてきた多くの言葉と振る舞いを、およそ人間が生きる上での業を、しっかりと受けとめたのだと思います。
 宗教という一つの形を通して、神と人との関係を自覚し、神を信じ従おうと私達は教会へ集まります。ところが聖書の時代、同様に思っていたユダヤ人でさえもが陥ってしまう人間の罪、現在のキリスト教も例外ではないと思います。しかし、本当に人間の罪深さを赦される方はイエス以外にないことを、この女性の姿から示されます。彼女はイエスと出会い、イエスから「よし」とされました。「罪深い」といわれた女性だけが喜びに満たされたのではなく、イエスも彼女の姿から喜びを得ました。喜びに満たされ、愛に満たされた者だけが口にし、語りかけることの出来る言葉、「安心して行きなさい」、神があなたと共におられるとの優しさに溢れた言葉がイエスから彼女へと贈られました。神にイエスに赦し生かされている恵みが、一人の女性を包んでいく場面が描かれています。
 自分のダメさ加減に打ちひしがれることがあっても、この女性のようにイエスのところへ向かって行きたいと思います。言葉にならない呻きであっても、イエスが受けとめられる、そして「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」との恵みの言葉を共に聴きたいものです。

2024年1月28日

「近づく主、祈りの主」
マルコによる福音書1章35~45節


 マルコによる福音書を読み解くカギは「恐れ」です。人々が何を恐れているか、これがマルコを読み解く大切なキーワードです。
 先ほど、読まれました聖書には、イエスと「重い皮膚病」をわずらっている人との出会いが記されています。病を患っている者は町にいました。35節以下からのつながりですから、町にいたのでしょう。大勢の人々がいたに違いありません。当時、この病気は非常に人々から恐れられておりました。病に対する「恐れ」を軸に人々がどのように振る舞うか、また病を患う者は、どういった状態なのか?聖書は展開されます。
 病にかかった人はイエスの噂を聞きつけて、町にやって来たに違いありません。想像できますことは、町にやって来たこの人物・・・、大変な覚悟をしてきたに違いありません。なぜなら、この病気をわずらっている人は町に入ることが許されておりません。町に入ると刑罰を受けるという決まりがありました。罰を受けてもかまわない、そんな覚悟でイエスを求めて来たのです。
 町というわけですから、通りすがりの人々も含めて、近くで遊んでいたであろう子供たちも含めて、多くの者がいたことが推測されます。
 さて、人々はどの様な目で、この人を見つめたのでしょうか。時代が時代ですので、けがわらしいと思って見たり、何をしにここへ来たのだろうと思ったり、早く出て行けという気持ちで見ていたに違いありません。聖書には詳しく報告がなされていませんが、もしかしたら、石をなげられたかも知れません。つまりこの人は社会から切り捨てられ、人間として見られず、何かものとしか見られないといった状態で、ただ孤独と病いの辛さの中で生きてきたと思えます。人々は、社会は病にかかった者に死の宣告をしているかのようです。忘れられた存在として、それは生きているというよりも死の中に置かれているといっても過言ではないと思います。人間誰もが抱く「恐れ」がこのような状態を生み出すことをマルコは訴えています。
 しかし、その様な者とイエスは向かい合い、手を差し伸べられます。私達が注目したいのはイエスの行った目に見える結果としての「いやし」の奇跡ではなく、その者に声を掛け、手を差し伸べ触れてゆく、その者と向かい合うということにこそ注目をしたいと思います。なぜなら、イエスの振る舞いこそが神の振る舞いであり、イエスと向かい合い、見つめ合い、言葉を交わし、ふれ合うことこそ神との出会いであるからです。
 人間として否定された者、ひとり、孤独に生きていた者に対して、友として近づいてゆくイエス・・・、それは、かけがいのない存在、貴い命が与えられた者として、あつい血が流れる者として接してゆくのであります。イエスが出会って下さることによって、死の淵から導き出され、いやされるのが奇跡物語の語らんとするところです。孤独から解放され、人と接するというぬくもり、暖かさを再び味わうことへと導き出され、もう一度、人と人との交わりの中で生きることへと歩み出させて下さるのです。
 聖書は私達に病をわずらい、人々から切り捨てられ、もののように見られていた人間を通して、その人間をものとして見ている人間の方が非人間的であるということを教えられます。イエスの出会いは、私達と共にいて下さる主が存在するということと共に、人は「人との、血の通い合う暖かなふれ合いの中で生きるからこそ、人間なのだ」そう告げているのでしょう。
 さてこの出来事が広まり、大勢の人々がイエスを捜して集まってきたと記されています。しかし、イエスはすでに「町の外の人のいないところにおられた。」と報告しています。
 なぜイエスは人々の前から退かれたのでしょうか。大勢の群衆が病気をいやしていただいたりするために、イエスを探し急いで来たのでしょうが・・・、どうして、イエスはいなくなってしまったのでしょう。
 私は、この人々ゆえにイエスは退かれたと思います。人々と接することに嫌気がさしたり、疲れたというのではありません。人々がなにも分かっていないから、合いたくない、そういうことではありません。
 イエスのもとに集まってきた者が、イエスを求めている者が、大勢ということだからです。助けを求めている者、救いを求めている者、苦しんでいる者が、この社会にはあまりにも大勢いる・・、大勢の人々が、苦しみの中で非人間的な生き方をせざるを得ない現実、それがある、そのことにイエスは心を痛めたのだと思います。
 イエスは一人になります。イエスは、群衆とまで膨らんでしまう、病める人々、苦しむ人々のために、いずれやってくる御自身の十字架の時、十字架にかかる孤独を指し示しているのです。あまりにも現実が病んでいるために、イエスの十字架をもってしか人々の痛みや悲しみを感ずることはできない、癒すことの出来ない現実を前に苦しみ、悲しみ涙を流されたのでしょう。
 44節に清めの献げ物をすることがあります。これは旧約聖書に定められた規定で、神への感謝を現すしるしであります。イエスによっていやされた人物が感謝の献げ物をしたことを聖書は記しておりません。45節に「しかし」とありますから、イエスの意図したこととは違った行動にでました。彼は「大いにこの出来事を人々に告げ、いい広め始めた」のです。
 私はこの聖書の告げる奇跡に、登場人物の進む方向があると考えます。どんな方向かといいますと、イエスと「いやされた病人」の進む方向です。病人は孤独という状況からから人々の間へと進みます。人間性と社会性、ぬくもりやふれあいへの方向です。恐れから喜びへの方向です。それとは逆にイエスは人々の間、交わりから孤独へと向かいます。いやされた病人とは逆方向に向かいます。そうです。この孤独はイエスの十字架を暗示しています。人の喜びと交差する神の業があります。
 私達が痛みを感じ、悲しみの中で涙を流すとき、孤独の中に置かれるとき、非人間的な生き方へ進むとき、主はいつも、暖かな手を差し伸べて下さるのです。私達一人一人の痛み、悲しみに、ふれて下さり、十字架の痛みをもって、イエスが祈られるという姿をこそ、いつも心に憶えたいと思います。その時、私たちの命を根底で支える主イエスに気づくはずです。
 この気づくことを通し、私達も他者へと近づく者へ、他者のために祈る者へと歩みだしなさいとも、告げられています。そこにこそ、聖書に生きるということ、十字架と復活の交差点があるのではないでしょうか。

2024年1月21日

「みかえりイエス」
詩編 139:16−18
ヨハネ福音書 1:35-51


 京都東山。南禅寺の北側に、もみじの名所として知られる古刹、永観堂(正式名:禅林寺)があります。貞観5年(863年)の創建。当初は真言密教のお寺でしたが、中興の祖、永観(ようかん)律師によって浄土教に改められ、今日に至っている寺院です。
 さて、浄土の教えの中心にあがめられるのは阿弥陀仏。この永観堂に祀られているご本尊の阿弥陀様は、その特徴的な姿で知られているのですね。その名も「みかえり阿弥陀」。右手を前に、左手を逆さに結ぶ来迎印の印相。それは阿弥陀如来像としての姿勢なのですが、お顔が左後ろを振り返っているのですね。
 なんでも伝承によると、永観律師が50歳頃、奈良東大寺で修行をしていたとき、永保2年の2月15日払暁 — 2月15日、というのは涅槃会、お釈迦様が入滅なさった日ですよね、その明け方、お堂の中で永観が念仏行道の修行をしていると、須弥壇から阿弥陀像がするすると降りてきて彼に先立ち行道を始め、その前の方から振り返り、「永観おそし」と声を掛けられた、その姿を刻んだものなのだそうです。永観が東大寺から禅林寺に移るとき、白河法皇の命により、この像を彼が護持すべく託されるのですが、京に入ろうとするところで、東大寺の僧がこれを取り返そうと後ろから迫ってくる。すると、この像は永観の背中にぴったりとくっつき離れようとしなかった、と、そんな逸話も残されている重要文化財の阿弥陀像です。
 決して大きくない像なのですね。資料では77cmとされています。おまけに実物を見に永観堂に行っても、厨子に収められていて、お顔を拝することがなかなか難しいのですけれども、その姿には、とても惹かれるものがあります。阿弥陀様と言えば、衆生を済度して西方極楽浄土へと連れて行ってくださる存在です。だけれども、その阿弥陀様がただお浄土を目指して先行される、というのではなくて、その後ろを振り返っておられる。「おーい、大丈夫か? 遅いなぁ、なにを怖がっているんだい、ちゃんと付いてくるんだよ」そう言って、ただに永観ひとりをというのではなく、一切衆生の歩みを振り返っておられる、そんな姿として、私たちの目に映るからです。そしてここに、平安後期から鎌倉前期、平氏政権の栄枯盛衰を見た時代にあって、歩みの遅いものをこそ大切にする導き手を理想とした、名も知れぬひとりの仏師の思いを感じ取ることができるような気持ちになるからです。
 
 民を率いる者、社会の改革者、あるいは救済者が雄々しく先頭を歩いて行く、それは頼もしいことであるかも知れません。しかし先を行くものは、先を行くからこそ、遅れた者はないか、むしろ自分だけが先走って一人勝手なことをしてはいないだろうか、常に心を配っていなければいけないと言うことかもしれません。
 ヨハネ福音書におけるイエスは、他の福音書以上に、その世に現れ出た初めから、すでに「罪を取り除く者」、すなわち罪ある世の人を救うために、生け贄として十字架に献げられ、そして復活する者としての性格が際立っています。ですから、ヨハネのイエスは、時空を超えて、最初から復活者として描かれているのです。その意味で、イエスはすでに弟子たちのずっと先を行っておられるのですけれども、そのイエスが「振り返った」と今日の聖書、38節に記されることになります。復活者キリストが、罪ある者のために「振り返る」ということ、その意味を黙想しながら、今日の聖書を読み進めたいと思うのです。今日の福音、教団聖書日課によって与えられた福音書は、ヨハネによる福音書1章35節以下でした。
 
 35その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 36そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。 37二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。 38イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、 39イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
 
 「その翌日」という言葉がこの辺りで繰り返されています。この第1章では、29節と、35節、そして43節に「その翌日」と繰り返されて、そして、2章1節にある「三日目に」という言葉につなげられていきます。ですから、2章1節の「三日目に」というのは、43節以下の出来事があった後、その3日目と言うことになるのでしょう。とすると、洗礼者ヨハネが登場して、そして19節以下で「翌日」「翌日」「翌日」と4日経った後の3日目に婚礼、つまり全体で一週間経ったところで、カナの婚礼の物語に至るという形になっているわけです。この前半4日間の内にイエスと弟子たちの出会いは集中していて、3日間は沈黙される。かなり、文学としては巧みですよね。弟子たちはイエスと、彼が働いた前半4日間の、しかも昼間、「翌日」「翌日」「翌日」、朝を迎えるために、あるいはその朝毎に新しく出会ってきた。一方で、婚礼の記述の後、ヨハネ福音書は3章に至ると、ファリサイ派のニコデモという人物を登場させます。そしてこのニコデモは、夜、イエスの許を訪れるのですね。こうして光の中の出会いと、闇の中の出会いが対照的に際立たせられます。
 こうして、イエスの十字架から復活までの3日間、さらには、神の天地創造を彷彿とさせる「1週間」を描く中で、ヨハネは2章で、水からぶどう酒を、つまり、無から有を生み出すことの出来る神の力を、死からいのちを、蘇りをなすキリストの顕現として描いていく —— ヨハネ福音書は、そんな構造になっているわけです。
 
 今わたしたちは、降誕節から、受難節を迎えようとする季節の移りの中で、キリストがどこに生まれ、何をなさろうとしていたかを見失うことがないようにと呼びかけられています。降誕の夜から、復活の朝へ。闇から光へ。それを追う私たちは、私たちの神が天の王宮を離れ、あの家畜小屋に宿られたことの意味を復活の先駆けとして、真のいのちの発露として受けとめなければならなかった、そういうことでもあろうと思います。
 ここに二人の弟子が登場します。二人の弟子、一人はアンデレであったことが、40節に記されています。もう一人が誰であったかは明らかではありません。他の福音書では、ペトロ、アンデレの兄弟と、ヤコブ、ヨハネの兄弟の2組の兄弟が、最初の弟子となったことが記されていますから、ヨハネ辺りではないかと推測する人もいますが、確かではありません。大事なのは、洗礼者ヨハネが、イエスを指さし、「見よ、神の小羊だ」と言う。そして二人を自らの許から、イエスに引き渡していった、ということです。二人は、闇を指摘したヨハネの許から、光そのものであられる方、復活のキリストへと引き継がれていくわけです。
 こうして私たちは、光そのものであられる方が、闇の中から出てきた私たちのために、「振り返られる」という出来事に直面することになります。
 38節にある「振り返る」という言葉は、ギリシア語のστρέφωは、文字通り振り返ることを表す言葉なのですけれども、ヨハネ福音書は、度々この言葉を、「心をそちらに向け直す」というようなイメージで使います。一番大事な箇所としては、復活の朝、イエスの墓で、復活のイエスにマグダラのマリアが出会う場面ですね。あとで、20章をご覧ください。マリアが、イエスの方を「振り向く」という動作として二度登場します。普通、2度振り向いたら、イエスと反対の方を見てしまうことになると思うのですが、それはそうではなくて、しっかりイエスの方へ心を向けた、ということなのでしょう。
 それに対して、今日の箇所では、イエスの方が弟子たちの方へ振り返るわけです。これは、驚くべきことであるかも知れません。私たちが、キリストの方へと心を向ける以前に、キリストの方が、私たちの現実に心を合わせてくださっていた。私たちがどこに立っているのか、どんな状況にあるのか、「何を求めているのか」探ってくださったのであった。あるいは、こんな言い方ができるかもしれない。マリアが墓で、復活者キリストの方へと心を向けることができたのは、それに先立って、キリストがマリアに、真っ暗な心持ちであったマリアに心を向けておらられたからであった。そしてこの眼差しが、まさにイエスこそ「世の罪を除く神の小羊」であるということの証しだと、福音書記者ヨハネは言うのでしょう。
 さて、こうして弟子たちは、イエスに従い、イエスがどこにおられるのかを目撃することになります。40節。
 
 40ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。 41彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。 42そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
 
 38節、39節にあった、「泊まる」という言葉も、この福音書では大事なキーワードです。「μένω」というギリシア語ですけれども、もともとは「とどまる」というような意味の言葉です。キリストがどこにとどまっているか、キリストはどこを目指そうとしておられるのか、それが、この福音書では、ものすごく関心の的になっているのです。そしてこの二人は、そのキリストのおられる場所を確認するわけです。それは、自分の兄弟シモンとの関わりへと文章は引き継がれていきます。つまり、アンデレは、この世で命を分かち合った「兄弟」と関わることが、キリストのおられる現在地と重なって立ち現れた、それを目撃したと言うことだったのでしょう。キリストは、遠く、とんでもない未知の世界におられるのではない。よく知った、わたしたちのこの生活世界に、地を分かち合ったこの兄弟との関わりの中に彼は来られたのだ。そしてそのことを知ったとき、私たちは、イエスによって、また新たに名前を与えられ、その名前で呼びかけられ、新しく生きる者とされていくのだと記されていると言ってもよいかも知れません。43節。
 
 43その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。 44フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。 45フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」 46するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。
 
 舞台は、ヨルダン川東のベタニアから、ガリラヤへと移っていきます。イエスたちのふるさとですよね。人のつながりが次々と展開して、キリストとのつながりが切り開かれていきます。人を通して、私たちはキリストと出会う、ということが言えるのかもしれません。
 しかしナタナエルは、フィリポから、ナザレのイエスがキリストなのだと知らされても、すぐには受け入れられません。「ナザレから良いものができるか」というのです。たしかにナザレは、ただ田舎町であるという以上に、聖書の言い伝えに照らしても、メシアが生まれる道理がない町です。こんな場所に、こんな場所で、神の働きが始められるわけはない、ナタナエルの常識が、そういわせた言葉であったのでしょう。しかしフィリポの証言は、ところがどっこいキリストは、ガリラヤから、つまり私たちの生きるこの現実から働きを始めるのだ、と言う宣言です。イエスの働きは、エルサレムの華やかな宮殿や神殿からではなく、この雑多な街角から、この私たちの慣れ親しんだ人間関係の真ん中からというのです。さあ、それを一緒に確かめよう、というわけでしょう。
 
 年末の報道特集で、京都で、自閉症などの発達障害を抱えている子どもたちのヘアカットをする試みを拡げておられる、美容師の赤松隆滋(りゅうじ)さんの活動が紹介されていました。発達障害のある子どもたちは、慣れないこと、知らないこと、新しいことに曝される状況に耐えられません。初めはお店に入ることすら怖くてできないのですから、まして体に触られることは恐ろしいことです。さらに音に敏感な子どもも多いので、ハサミの、あの金属がこすれる音、それが耳元ですることはとてつもないハードルです。
 親御さんたちはたいへんなのですね。子どもが寝ている間になんとか親が切ってきた、そんなこともあるのだそうです。そんなご家庭や施設の悩みに寄り添おうと、赤松さんはいろいろと学び、大学院で障害の研究をしたりしながら、試行錯誤し、スマイルカットという、そのやり方を試みて来られたのでした。
 赤松さんのやり方、まずは子どもが美容室のお店に入れるようにするところからですよね。もう初めは乗ってきた車から降りることすらできないわけです。何時間もかけて、車から降りられるのを待つ。そして子どもが赤松さんにタッチできたら、それでその日は万々歳です。その子がお店に入り、赤松さんにハサミを持たせてくれるまで、ときには何ヶ月もかかる。ようやく切らせてもらえるところまで言っても、突然思っていなかった行動には子どもはパニックになってしまうので、いざカットとなっても「次は、ここを切らせてもらうからね」と本人に了解を得る。説明をする。そして大事なこと、ずっと笑顔で応対する。
 そして、切らせてもらえた後には、その子を思いっきり褒めてあげるのですよね。子どもは得意顔になり、親御さんは涙です。そして満面の親子の笑顔。
 赤松さん、おっしゃるのです。「あの子も、家の中ではああいう風に笑顔で過ごしているわけじゃないですか。みんな、障害だけでなく、個性だって一人ひとり違う。この子たちは、“困った子”ではなくて、“困っている子”なんです。僕は美容師ですから、髪を切ることで困っている子がいたら、大丈夫だよって手を差し伸べたいと思っています。」
 
 その一人ひとりが、生きている、暮らしている、それぞれの場の笑顔。あるいは不安やとまどい。そこに留まりながら、でも少し前へと進み、これからこうなるのだよと言うことを丁寧に示し、正直さを持って関わり、すべて受け止めてあること。それが、振り返る者の姿勢なのかも知れません。そしてそこに留まる者のことをよく知った上で、一緒に進んでいこうとする。そうるすることで、ようやく人は、安心し、かつては知らなかった喜びをも味わえるようになっていくのでしょう。
 
 イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた、といいます。47節。
 
 「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」 48ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。 49ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 50イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」 51更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
 
 イエスは、ずっと前から、あなたがそこにいるのを見ていた、と言われています。今日の聖書の箇所には、何回も「見る」という単語が繰り返されていますが、つまりは、神と人とが出会うのは、決して精神的なものとしてだけではなく、実際に体の温もりを感じられる距離で、目の届くような近さで、ということなのかもしれません。今、わたしたちの生きている「ここ、今」、わたしたちが喜び、涙し、悲しみ、怒り、笑う、この場所に、人の子、つまりキリストの眼差しが注がれていた、そのことがここで告げられているのでしょう。キリストは、この場所と天とを、私たちの場所と光の彼方とを自由に行き来され、この場所を天と結び合わせてくださるからです。
 私たちを、ずっと先から振り返り、見守っていてくださる方がある。この方に信頼し、今日もそれぞれの生を喜びつつ、少しだけでも前に進む私たちであることができるように、そのように願うのです。

2024年1月14日 

「信仰を糧に」
詩編37篇1~6節


 「悪事を謀る者のことで、いら立つな。不正を行う者を、うらやむな」と詩編は記しています。私たちを苛立たせるもの、それは悪事を謀って上手くやっている人間、あるいは不正な事を行っている人間、人を出し抜いて成功している人間、そういった事々は私たちを苛立たせます。しかし聖書は云います。不正を行っている者たちは、草のように枯れてしまうと。
 旧約聖書舞台は、砂漠に近い世界です。雨季は雨が降って草が生え、成長していきますが、乾季になると、たちまち枯れてしまいます。あるいは夜露によって、小さな芽が出るということもあるそうですが、陽が昇ると枯れてしまいます。悪事を謀る者や不正を行う者の力は大きく見えてしまいます。ところが詩編は草木にたとえながら、それらの悪事や不正は神の目から見れば、たちまちに枯れてしまう草のようなものだと表現しています。そして詩編37篇は「主に信頼し、善を行え」と奨励しています。
 善を行うことの難しさは、圧倒的な悪事や不正の力の前で、無駄に思えてしまうところにあります。小さな良き行いを積み重ねても、全てが押し流されてしまうかのように感じてしまうところにあります。だからこそ、聖書は神を信頼して自分の成すべきことを行いなさい、そうすれば悪しきものの虚しさが、おのずと分かってくるというのです。
 更に詩編37篇の詩人は続けます。「この地に住みつき、信仰を糧とせよ」。「この地に住みつき」というのは、自分の住んでいるところで現実から逃げるなということです。現実は確かに悪事や不正がはびこっています。この世の出来事は虚しい、けれども天国には慰めがあるという短絡的なことを詩編は詠ってはいません。また、この世の生活はあきらめて、この世を越えた世界に望みを繋ぎなさいと奨めているのでもありません。
 ところが、最近の日本社会の特徴として、現実社会の文脈を消し去り、ひたすら本能的な感覚に依存する「動物化」が進んでいるという指摘があります。物や商品、キャラクターを消費し、断片化されたものに感動する傾向にあると云います。あるいはスピリチュアル・カウンセラーなるものや占い、自分の前世などと云った彼岸的志向によって人々はますます私的個人主義に陥り、社会の文脈から遠く離れていく傾向があると云います。
 聖書の語る神は、悪事や不正が沢山はびこる世界を捨てたのではありません。むしろこの地に、この世界にイエスという光をお送り下さり、光を輝かせようとしているのです。「この地に」現実に生きて、信仰を糧として自分の成すべきことを行っていくことが、神の光を輝かせることだと詩人は歌い上げています。それがイエス・キリストを証することなのではないでしょうか。
 話は変わりますが、現代プロテスタント教会のユルゲン・モルトマンというドイツの神学者がいます。神の創造論から始まりキリスト論、救済論、終末論、フェミニズム神学からしょうがい者神学まで広く深く、世界中のプロテスタント教会に影響を与えている方です。90歳をすぎて、まだ健在です。
 このモルトマンの大著である「イエス・キリストの道 メシア的次元におけるキリスト論」(新教出版社、1992年)で、悪事や不正がはびこる事や個人的な憎しみなどに対して、「敵を愛することは」というマタイ福音書の山上の説教を元に次の様なコメントを記しています。
 「敵を愛することは、敵意から本来的に解放されることから生ずる。それは敵を憎むことによって敵に敵を与えることによって、敵意を増幅することを意味しない。問題は~、私はどのようにして敵から身を守り、敵の攻撃をおどしで止めさせることが出来るかとは問わない。むしろ私はどのようにしたら敵から敵性を取り除く事が出来るかと問う。敵を愛することとは、敵を私達自身の責任の中に取り込み、そこにまで私達の責任範囲を広げることにある。それ故に、敵を愛することは、心の問題とは全く別の問題である。それこそ真の意味の責任倫理に他ならない」(同上212頁)。
 私達一人一人の置かれた場所や状況は違います。また私達一人一人が用いることの可能なものも違います、しかし、その中で私達が自らの信仰を糧にして、この場合の信仰とは目的ではなく、過程に過ぎません。信仰を目的と錯覚するところが問題なのですが、信仰を糧とした理念、聖書から感ずる思想を少しでも現実に生かすべく努力をしていくというのが、キリスト教が胎動している本来的な力なのです。
 人は悪事や不正のみならず、自分の思い通りに行かない時、「誰が悪い、これが悪い、あれが悪い、あいつが悪い」または「環境が悪い」とつぶやきます。ところが、その裏を返せば、もはや人のせいにし、環境のせいにすることは自分自身に負けているのではないでしょうか。私的個人主義に埋没し、社会的な文脈を自己中心的に、無責任に切り離しているに過ぎないのです。
 もう一人だけ紹介居します。チェコの神学者フロマートカです。彼はこう云っています「信仰者のフィールドはこの世界である」「信仰を持つ者はこの世界を見る」、建設的な批判者として社会に参与することがキリスト教徒の道であるという、フロマートカの「人間は形成途上にある」という理念が十二分に表現されている言葉だと思います。
 この世の現実に、人類の歴史に生きて働かれる神を信頼し、クリスマスを通してイエスが私たちの人生に共にいて下さることを心に刻み込みながら、私たちは主の指し示す事を、たとえ小さな事でも粘り強く取り組んで行きたいと思います。今もなお生きて働き一緒に歩んでくださる神を信じながら、この新しい年2024年度を歩み始めたいと思うのです。
 

2024年1月7日