「変貌する母」
マタイによる福音書20章20~28節


 ある時、「ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し」「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人は右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」と願いました。イエスの左右に座らせて下さいとの願いには、初代教会に弟子の地位を巡っての葛藤や対立があったことを示唆します。マルコ福音書では、ヤコブとヨハネとなっており、その母親は登場しません。今日は必死に願う母親の視点から、この物語に触れたいと思います。
 ゼベダイの息子たちとは、ヤコブとヨハネで、その母親が、イエスに「ひれ伏し」て願ったということです。ここには我が子、ヤコブとヨハネを思う、子どものために土下座せんばかりに頼み込む母親の懸命さが伺えます。自分の子ども達が他の弟子達よりも少しでも高い位置に座ることを求めています。
 ところで、イエスの弟子達は、家や仕事を捨てて従ってきたはずです。なぜか、ゼベダイの息子たちには、母親も一緒だったようです。家と仕事、父親は捨てられても母親だけは捨てられなかったのでしょうか。それとも、この母親は息子たちが家族や仕事を捨ててイエスに従っていったことに驚き、いったんは怒ってはみたものの、心配でいてもたってもいられず、彼女自身も今度は家と夫を捨てて、子ども達の後を追ってきたのでしょうか。そんな母親の姿をマタイは「二人の息子と一緒にイエスのところに来た」と表現しています。正確には「二人の息子と伴だって、二人の息子と連れだって」となります。子ども達の事が心配で、後を追ってきた母の姿が描かれています。
 余談ですが、よく国語の授業などで「親」という漢字が説明されたりします。「親という字は、木の上に立って見ると書く、家を出て一人旅立つ子どもの姿を親はいつまでも見送り、最後は木の上に登って、その姿が見えなくなるまで見送っている。これが親という字だ。苦しい時は、そんな親の姿を振り返ってみれば、きっと頑張れる」という具合に解釈されます。この解釈はとてもよく出来た創作です。元々、親という漢字は刃物で身を切るほどの身近な存在、あるいは痛みを感ずるほど身近な存在を表すそうです。親は子どもに対して、いつも身近であり、その痛みや苦しみを誰よりも強く感じる存在なのでしょう。
 こうした母親の心に対して、イエスの答えは何とも冷たさを感じます。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない」、更に「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問い返しています。イエスはここで「あなたがた」と言っていますから、母親と息子たちに向かって話しているのでしょう。しかし、その後の会話は「二人が、出来ます」と答えていますので、イエスの意図は、母親から二人の子どもを離すことだったのかも知れません。いつまでも親の思いに留まっている子ども達へと自立を促すために厳しく問うたのでしょうか。しかしながら、聖書はイエスが受難に遭うと「出来ます」と答えた弟子達が皆、逃げ出してしまったことを伝えていきます。二人の弟子達を母親の強い思いから引き離し、自立と主体性を問うたにもかかわらず、イエスを見捨てて逃げ出してしまいます。イエスに従うということ、信仰を持って生きるということは、強い人間だから可能なのではありません。むしろ己の弱さや人の弱さ、苦しみや悲しみを知って、はじめてイエスが歩ませて下さることに気づけることなのかも知れません。
 母が願ったヤコブとヨハネは他の弟子達と同様に、十字架のイエスの元から逃げ去りました。しかし彼らは後に、初代教会の中心メンバーとして信仰者を導いて行きます。弱さのままにイエスに赦し生かされていることを感得した彼らは、使徒言行録の記録によれば、ヨハネはペトロと一緒に宣教活動を続けます。ヤコブは12弟子の最初の殉教者となります。「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」、イエスの問いを、ヤコブは命をかけて成就していくのです。
 ところで、母親はどうなったのでしょうか。子ども達が自立し、自分から自立し、本当に巣立っていく一抹の寂しさを感じながら、イエスの元を離れ家へと帰っていったのでしょうか。そうではありませんでした。著者マタイは福音書を使って母親のその後を描きます。マタイ福音書の27章55節以下、イエスが十字架に架かった時、この母親は大勢の婦人達と一緒に、イエスを離れず十字架の元に佇んでいたのです。「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた」となっています。ヤコブとヨセフの母マリアはゼベダイの子らの母とイコールですから、マタイは繰り返しこの母親を強調していることになります。ちなみに名前はマリアさんでした。
 マリアさんは、去ったのでも家に帰ったのでもなく、イエスに従って来て、世話をし続けていたのです。この「世話をする」という言葉は、仕えるという意味で、後に使徒言行録では「奉仕」とか「執事」という使徒職に使われます。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい」。母親はイエスの言葉を誰よりも深く、その胸に刻み込んだのでしょう。勇ましかった弟子達が皆、自分の息子達までもがイエスから去っていった後も、最後までイエスに従い仕える者に変えられていったのです。子どもの事を思うのは親心でしょう。しかしこの母親はイエスに従い、仕えることを通して、全ての者を思う母親へと変貌していったのではないでしょうか。ここに神がイエスが、私たち人間へと寄せる御心が示されているのではないでしょうか。
 漢字学者の白川静さん曰く、「親という字は新しい木から切り出された神の位のことで、切り出された辛いという字が隠されている。それを拝み見る姿が親である」と説明しています。親は辛さの中でこそ、神に向かって生きる人でなければならないということが、親という字には秘められています。
 ゼベダイの子らの母は、なによりも十字架のイエスを仰ぎ見る親となりました。イエスに向かい続けることで、自分の子ども達だけではなく全ての子ども達の母に変貌したのではないでしょうか。そしてそれはイエス・キリストの使徒なる姿へと変貌していったのではないでしょうか。

2022年5月15日

「自分に死んで」
マタイ福音書 28:16-20


今年、私の勤める衣笠病院は、創立75周年を迎えます。病院が最初の患者さんを迎えたのは、1947年8月1日。敗戦からちょうど2年を迎えようとしていたときのことでした。誰もが戦争の痛みを深く身に負っている中、たくさんの将兵を育み、戦地へと送り出していった横須賀で、キリスト教病院が開かれるに至ったことは、ほんとうに新しい希望であったのではないかと思うのです。
その病院が、開院12年にして、火事を出したのでした。病院75年の歴史の中で最も痛ましい出来事です。1960年1月6日。夜9時頃の出火だったと聞いています。火は瞬く間に燃え広がり、木造の古い病舎を焼き尽くしていきました。実に16名の方が命を失う大惨事となってしまいました。火元となったのは産科病棟の重油ストーブ。犠牲者の中には、生まれたばかりで名前さえつけられていないみどり子たちもいました。火中に3度飛び込み新生児を救出していた看護師1名は、4度目に帰らぬ人となり殉職しました。
当日は消防出初め式が終わった夜で、消防の初動が遅れたそうです。毎日乾燥が続いていたことに加え、不十分な防火設備、避難訓練の不徹底などが災いを大きくしました。そして職員住宅、ボイラー室、入り口の教会堂を除いて、敷地は全焼したのでした。
 
病院見学に来た小学生たちに、この火事の話をしたことがあります。病院の隣にあって、火災の夜には、罹災者の避難所となった学校の子どもたちです。地域の歴史学習として病院に話を聞きに来たのでした。すると、教会堂が残ったのだという話を聞いて、ある男の子が叫びました。「すごい、奇跡だ!」と。「教会だけ残ったなんて、やっぱり不思議だ、奇跡だ」というのでしょう。
その言葉を聞いて、私は阪神淡路大震災の時、カトリック鷹取教会(現たかとり教会)で起きた「奇跡」のことを思い出しました。激しかった長田区の火災が教会の前にあったキリスト像のところで止められたという話です。マスコミがさかんに、これを「キリスト像の奇跡」として取り上げた中で、神田裕(ひろし)神父が「ちがうで。あの火事を消したんは人や」と言い、救援に集まった人たちの姿に似せて、そのキリスト像にヘルメットや軍手をつけ、ロープを持たせ、足下にツルハシを置かれたことです。キリストは、ぼっと立っているだけでなくて、その働く人々の中におられたと。
病院の「奇跡」も同じだったのではないかと思いました。その時も、遅れた消防隊に代わって消火活動に集まってくださった地域の人たちがあったのです。教会堂は遺体の安置所となり、また救援本部となりました。この教会を焼いてはいけない。その一念で防火・消火に当たってくださった方々がありました。
60年経って、私に証言してくださった方があります。今は衣笠ホームでお暮らしになっておられる方です。こうおっしゃるのです。
「あの夜、自転車で行ったよ。もう熱いなんてもんじゃないけど、必死で消したんだ。みんなの病院だからね。みんなで育てた病院だ。頼りにしてるんだよ。忘れないでもらいたいね」
「みんなの病院」と言われるのですね。おそらく、その思いは、犠牲者・殉職者への追悼と共に、当時たくさんの人々に共有されたのではなかったかと思うのです。火事を出した病院に対し、なんとご遺族や地域の方から「再建して欲しい」との声が起こり、たくさんの署名や寄付が寄せられたのも、そんなところからでしょう。中には子どもたちからの小さな献金もあったと言います。
そして衣笠病院は復興しました。16名もの犠牲者を出した悲劇は地域の人々と分かち合われて、「だからこそもう一度、いのちに向き合う働きをせよ」との声に繋がり、病院は再建されたのです。痛みと悲しみを通じて、改めて「みんなの病院」になったとするなら、その「復活」の奇跡の大きさを思わされる気がするのです。
 
さて、今日ご一緒に読みますのは、復活後をなしたイエスが弟子たちと出会い、再び彼らをその働きに任じ、世に向かって派遣していく、という場面、マタイによる福音書の最後の箇所でした。28章16節。
 
16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
 
11人というのは、当然、ユダがいないからです。仲間であったユダは、絶望して自ら命を絶ってしまったのでした。11人はイエスの言葉に従って、ガリラヤに戻って、山に登りました。
彼らは「山」に思い出がありますね。たくさんの群衆と共に彼らがイエスからその圧倒的な教えを聞いたのは、山の上でした。この福音書の5章から始まる山上の説教では、その冒頭で、イエスは「悲しむ者は幸い」との言葉を告げられました。11人は、その言葉を思い出しながら、彼らの痛みの慰めを山に求めたのかもしれません。彼らははっきり知っていたはずだと思うのです。ユダだけが「裏切り者」であったわけではないということです。彼らは誰もが皆、あの晩、キリストを否んだのでした。「イエスなど知らない」と言ったのでした。彼らはその思いを味わいつつ山に登り、そしてそこで、復活のイエスと再会することになったのだと思うのです。
どこか肩を落としたようであった11人。その彼らに対して、今は、イエスの方から近寄ってこられたと言います。18節。
 
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」
 
ここに、「洗礼」が出てきます。キリスト教への入信儀礼を、私たちは「洗礼」と呼んで継承しているわけです。教会がなぜ洗礼を行うのかというなら、それは、このとき、キリストがそのことをお命じになったからということに他なりません。キリストの持つ権能が、その「大宣教命令」によって教会に委託されているわけです。
しかし、「洗礼」という日本語を用いるとき、私たちはいつの間にか水で体を洗い清めるようなイメージを抱いていないでしょうか。ひとり禊ぎを経て、世に訣別し、罪と無縁の清浄な体にされる感覚です。
2015年に世界遺産となった「アル・マグタス」という旧跡があります。ヨハネ福音書の「ベタニア」に当たると推定され、イエス御自身が洗礼を受けられた場所だとされています。そこを流れるヨルダン川は、周囲の泥灰岩で出来た丘陵地を浸食して流れ着いているために薄黄色く濁っているのだそうです。日本で人々が手水舎に求めるような清水ではないのです。
そう考えると、イエス御自身は、そのような「濁り」の中に身を浸すことをこそ、「洗礼」の範型とされたのではなかったかと思うのです。「洗礼」のギリシア語での原語「バプティスマ」は、「(水に)浸すこと、沈めること」を意味する単語です。ですからそれは、ただ「洗う」というのとは違って、むしろこの世の泥、混乱、濁りを見つめながら、その中に身を浸し、共に労苦することへの招きでもあっただろうと思うのです。私たちは、そこでこの世の窒息しそうな痛み、悲しみ、苦しみを分かち、他者と連帯することを求められます。そしてまた、自分たちも悲しみや欠けを抱えた存在の一人なのだということを自覚しつつ、痛む隣人たちと一緒に生き直すことへと、洗礼のしるしは一人一人を派遣するのです。「お前さんたちは、自分の罪を深く知ったであろう。そしても今も苦しんでいるであろう。だからこそ、ここから出掛けて行きなさい。今この時代、あなたたちと同じように、どうにもならないしがらみや重荷に苦しめられている人がいる。だから、そこへ行って、その泥に身を浸し、分かち合ってあげなさい」 —— そうやってキリストに押し出され出掛けていくとき、こうして、共に労苦するものとしての教会が誕生していくのだろうとも思うのです。
 
衣笠病院のチャペルには、「復興記念室」という別名がつけられています。月曜から土曜まで毎日礼拝が守られているその部屋は、60年前の火災のメモリアルホールでもあります。
正面に十字架が掲げられていますが、その両脇には8本ずつ、床から天上に繋がる柱が刻まれています。亡くなった16人の方々のことを、病院が決して忘れることがないようにするためです。この部屋に座る人は、だれもが、亡くなった方たちの真ん中にキリストがおられることへと思いを馳せます。そして、あの夜、一人でも多くのいのちを助けようと必死になってくださった方々や、その後の復興に尽力しくださった地域の人々の真ん中に、やはりキリストがいてくださったことを噛みしめるのです。
衣笠病院の歴史には、自らの欠けが生み出した悲しみの出来事が刻み込まれています。だからこそ、そこからの復活を思うとき、その傍らに連帯すべきいのちが、今日も再び与えられていることの恵みと使命を感じさせられます。
私たちには、誰の人生にも、その弱さが生み出した悲しみが刻まれているのではないでしょうか。私たちは自分の歩いてきた道のりを通して、その濁りを知る者とされてきました。私たちはもう、己を誇る生き方を続けられません。しかしだからこそ、そんな私たちに向かってキリストは告げられます。20節。
 
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
 
それぞれの欠けや限界を、一緒に担い、働いてくださる方の姿がここにあります。復活のいのちに与った私たち。だからこそ、その方を真ん中にして、共に隣人の苦しみのために労する者となるように。洗礼の恵みによって教会の交わりに置かれた私たちは、その喜びを味わいつつ、今日も互いに励まし合うその群れでありたい、とそう願うのです。

2022年5月8日

「主と共なる日々」
使徒言行録1章1〜11節


 ルカ福音書の第二巻目といわれる使徒言行録の冒頭には、この書が「テオフィロ」という人物に書き送られた手紙であることが告げられています。テオフィロとは当時のローマの高官ではないかと推測されていますが、実際は分からず、古いローマの記録を探してもそのような人物は見あたらないそうです。
 著者であるルカは福音書の冒頭部分で、なぜ記録を書き残すかということを語っています。それは「私たちの間で、実現した事柄について」、更には「物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手をつけている」と云っています。
 実際、イエスについての記録、またその後の弟子達の記録は聖書に納められているものだけではなく、実に多くの記録が存在しています。それらは今お持ちの聖書を正典とするのならば、外典、偽典と呼ばれています。それらはイエスの奇跡だけを集めたものや、少し信仰の捉え方の違ったものなど実に様々です。ルカはイエスの出来事への集中と共に、イエスによって力に満ちあふれた弟子達のその後の歩み、教会の歩みを描いていきます。
 私たちはともすると、自分勝手な理解や自分に限定された救いになりがちです。当時、ルカはそのような傾向を危険視したのではないかと思われます。信仰的に熱いものを抱くということも大切なことですが、その熱は熱ければ熱いほど個人的なもの、狭いものとなっていったのではないでしょうか。それが証拠に、弟子達は使徒言行録の1章6節で「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と質問しています。イエスの十字架という出来事を経験し、更にイエスの復活を経験したにもかかわらず、彼らは救いをイスラエルに限定しています。救いを喜びを自分たちに限定しようという姿があります。ルカはイエスの生涯、十字架と復活の出来事から起こる神の業は、人間の思いを打ち破り、世界に広がり行くことをこの書を通して語ろうとしているのではないでしょうか。それがルカの描く使徒言行録の世界への広がり、信仰のダイナミックに躍動する姿があります。
 ところで、イエスがこの世に下られイエスが誕生される日がクリスマスであり、その前の期間を教会ではアドベント・待降節として「待ち望む」期間を過ごします。聖霊が下り教会が誕生するペンテコステに際し、その聖霊を待ち望む期間がこの使徒言行録には記されています。いわば、エルサレムにて聖霊を待ち望む期間がアドベント的に語られています。
 さらに注目したいのは、他の福音書はイエスの復活がガリラヤであったり、エマオ途上であったりですが、ルカはイエスが天に昇られ、聖霊が下るまでの日々が全てエルサレムで起こるように設定しています。イエスがいなくなっても、なおエルサレムに留まり続けることを弟子達へと促しています。
 エルサレムとはイエスの受難、十字架と復活の場でありました。そこはイエスの苦しみと死の場であり、しかしそれを打ち破って喜びをもたらす復活の場でもあります。エルサレム入場から苦しみを受け、十字架に架けられたイエス、それは十字架の死に象徴される苦しみと痛み、悲しみと弱さ、貧しさそのものです。そこで復活をされ、イエスはさらにそこから天へと昇る様をルカは描きます。私たちは、あの弟子達も全てはここから始まって行ったことに注目しなくてはならないと思います。ルカの伝える使徒言行録における弟子達の変貌とその力強い歩みは、破れと弱さの象徴であるエルサレムに留まり続けることを通して始まって行くということです。それは人間の罪、愚かさ、弱さ、醜さに神の出来事が起こるということです。
 私たちのエルサレムとは一体なんでしょうか。人を愛せないという思い、受け入れられないという狭さ、何よりも自分のことを第一に考えてしまうという自己中心さ、辛さ、苦しさ、悲しいこと、弱い自分を見つめること、それが私たちのエルサレムではないでしょうか。そこにイエスの復活と共に日々を過ごされるイエスという出来事が起こることをルカは語っています。私たちのエルサレム、そこでイエスは私たちの苦しみを背負い祈られた、私たちの愚かさを思い十字架へと歩まれた。私たちを神の愛と力に満たして下さると約束され、日々を過ごされるイエスが記されているのです。
 信仰の力、教会の力、イエスを証してゆく力は、その自らのエルサレムに背を向けないで、離れないで現実にしっかりと目を向けて、神よどうぞお力を与えて下さいとの祈りを会せてゆくことによって与えられていくのです。ルカ版復活とは、信仰者が結び合わされ共同体へと強められてゆく様、祈りの結実による主の身体なる教会の生命線を語っているのです。
 さて、初めにも申しましたが「テオフィロ」という名前について、もう一度触れたいと思います。テオフィロという言葉は、聖書の言葉でテオス=神、とフィロウオウ=愛するから成る「神に愛された者」という意味の言葉になっています。つまり使徒言行録とは神にイエスに愛された全ての者に当てた手紙なのです。ルカは福音書のはじめにもテオフィロという名を記しています。これは「あなたは神様に愛されたのだ、だからこのような事柄が私たちの間に起こったのだよ」、ルカはこれを使徒言行録でもう一度繰り返し語っているのだと思います。神はあなたを愛された、だからイエスの降誕がおこり、人々の間に入られ十字架に進まれる、今また、私たちを愛されるが故に私達のエルサレムに主は共にいて下さるのだと、ルカはそのようにこの書を貫き通しています。私たちもすでに神に愛されてイエスの出来事を示されたものです。そうした私達は、これからも神に愛されているが故に、守導かれてゆくことを、ペンテコステを前にしたこの時に示されたいと思うのです。
 過る日イースターを終え、今私たちは聖書的に表現するならば、使徒言行録の冒頭部分に立っています。私たちのこれからも、弟子達のように困難が待ちかまえているかも知れません。けれども、私たちは神に心から愛されている一人一人です。神はきっと、ルカ福音書から使徒言行録の中へと私達を生かし、神の器として用いて下さることでしょう。それがルカの伝える主と共なる日々ではないでしょうか。弟子達のように、皆で心を合わせて祈りあう教会の生命線に、今この時、私達も立ち戻っていきたいと思うのです。

2022年5月1日

「執り成しの主」
ヨハネによる福音書21章15~19節


  イエスの12弟子の中で代表的な存在でもあるシモン・ペトロはベッサイダの出身で、漁師でした。イエスと出会う前は、兄弟アンデレと共に荒野の預言者「バプテスマのヨハネ」の集団に属していたと云われています。しかし、イエスの招きに応えて最初の弟子となっていきます。イエスへのファリサイ派や律法学者による迫害と追求が厳しくなる中で、ペトロはイエスを「メシア」(キリスト)と告白し、弟子としての覚悟を鮮明にします。しかし、イエス逮捕後、鶏が鳴く前に三度イエスを拒絶し、その関わりを自ら否定してしまいます。ペトロは、イエスに対する大きく躓く人物として福音書の各場面に登場してきます。そしてイエス復活後、立ち上がった初代教会の指導者として重要な役割を果たしていきます。パウロとの食物規定の論争後、初代教会の歴史から姿を消し、晩年はローマに滞在し、ローマの皇帝ネロのキリスト教徒への迫害の時に殉教を遂げたと言われています。 
 今朝の聖書ヨハネ福音書21章15~19節は、「年をとると、両手を伸ばし、他の人に帯びを締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(18節)とあるように、ペトロの殉教が暗示されています。ヨハネ福音書の著者は、明らかにペトロがローマで殉教したことを知っている人物です。物語全体としては14節までの復活後の「イエスの顕現物語」の続きに位置し、21章は後世に加筆された部分です。本来、ヨハネ福音書は20章31節で締めくくられていましたが、新たな復活の顕現物語を書き加えています。おそらく、ヨハネ福音書の時代は厳しくなるユダヤ教との対立とそれに伴う迫害の下、イエスへの信仰を失い教会から去るものが沢山出たのでしょう。その様な状況下、ヨハネの教会には幾たびかイエスの復活の顕現物語を語り読み続けていく必要があったのでしょう。そんな中、21章はペトロとイエスの関係を彷彿させつつ、何度も躓きかける者を励ますように物語が綴られています。
 復活のイエスはペトロに対して、「ヨハネの子シモン、私を愛するか。」と三度繰り返し尋ねていきます。イエスを「三度知らない」と否んだあのペトロの躓きを意識して、この問いが投げかけられています。ここにペトロの挫折と失敗を受けとめながら、再度ペトロを立ち上がらせていくイエスの執り成しが込められています。と同時に、このイエスの招きは「この人たち以上に」との言葉のように厳しい問いかけになっています。「この世の他のものに優って」イエスを愛することが求められているからです。さらに、三度目の「愛するか」の問いは「フィローオウ(好きか)」というギリシア語が用いられます。一回目と二回目の愛するかとの問いは、「アガポー、アガペー」という神の愛が使われます。三回目の問いはアガペーではなく、人間的な愛をもってイエスがペトロに問いかけています。明らかに二回目までの問いと三回目の問いは違っています。これはペトロに対してイエスが非常に人間味溢れた接し方をしているといっていいと思います。イエスは三度目の問いに、ペトロへの深い愛情を込めているのです。
 このイエスの三度の問いに対して、ペトロは「はい」と応えていきます。そして、イエスは「私の羊を飼いなさい」との派遣命令を出します。信徒の群れ、教会において、ペトロを執り成しの業に就かせます。ペトロにとってこの働きは、おそらく自信に満ちたものではなく、挫折し失敗した自分にとっては、とても荷の重いものであったはずです。イエスの復活はペトロにとって、挫折後、失敗後の出来事です。自信は無いし、力も無いし、信頼も無いしと、無い事づくめであったことでしょう。
 話は変わりますが、明石家さんまさんという人気お笑いタレントがいます。この「さんま」をもじって、最近の子供達の生活を「さんまがない」というそうです。時間、空間、仲間という「三間」が無い事だそうです。勉強や塾で遊ぶ時間がない、遊ぼうと思っても広場や空間が無い、そして大勢で遊ぶことが出来るほどの仲間がいないそうです。明石家さんまさんは人気者でテレビに出っぱなしなのに、子供達の生活には「さんまがない」というのは、いかにも皮肉なことです。
 小学校で飼っているニワトリやウサギ等の小動物が残忍な方法で殺されるといった事件や、野良ネコが虐待され殺される出来事が各地で起こっています。中には大人の手による事件もあるようですが、大部分は子供達の起こしている事件だそうです。社会派ジャーナリストの高杉晋吾さんという方が「子供達に何が起きているのか」(三一新書)という著書の中で、次の様なことを語っています。「子犬を飼い、猫を飼った時、子供が子犬や猫に優しくした時には、子犬も猫も喜び、しつこく悪さをした時には、逃げたり怒ったりし、そうした生き物達の姿に自分と共通する感覚を発見する。異質な姿の中に自分との共通性や命の同等性を見い出して行く。この異質性と同等性の確認は、人間と人間との関係を結ぶ基礎である」。
 時間、空間、仲間がないというのは、こうした人間と人間との関係を生み出して行く命との出会い、媒介が極めて少ないという事なのでしょう。人間は様々な事柄や命に出会い、それを共有することによって他者との関係を模索します。そこでは事柄や取り組みの共有、時間、空間の共有、とりわけ命、人との関係が重要な媒介となっていきます。
 イエスは、自信が無い、力も能力も無い、信頼も無いと、無い事づくめであったペトロを招きました。その招きは、アガペーと云う高次元の神の愛ではなく、フィロスという人間的な愛でした。イエスご自身が無い事づくめのペトロを多くの人々に繋げて行くための媒介となられたのです。二回目までの問いが、神という異質性の確認であったのならば、三回目の問いはイエスご自身とペトロとの人間存在に立った同等性の確認であったのではないでしょうか。
 復活の主が媒介となり押し出されて行ったペトロは、多くの人々と共にイエスへの信仰を共有する時間と空間と仲間を得て行きました。それは失敗し、挫折する者に、なお迫るイエスの執り成し抜きにはありえない人生でした。
 今もなお、復活の主は私たちに向かって問うています。「わたしを愛するか」、この問いかけに励ましを受けながら、私たちも主の招きに応えていきたいと思うのです。

2022年4月24日

「恐れのただ中に」
ヨハネによる福音書20章19~23節


 イエスが甦られた時「弟子達はユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にカギをかけていた」とあります。イエスが十字架にかけられ殺された。そして、今まさに、ユダヤ当局の手が自分たちにまで及ぶのではないかと、恐怖に震え、彼らは密かに隠れていたのでしょう。そんな彼らは、見ないで信仰を得たのではありません。十字架の痛ましいキズをイエスに見せてもらい、初めて信じることができました。そして最後に、主の復活を信じた者がいます。トマスです。彼は、弟子達が復活のイエスに出会った時にはいませんでした。トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」と言い張りました。なぜでしょう。多分、トマスは「なぜ、他の者には現れて自分には姿を見せないのか?」と悲しんだのでしょう。彼は孤独の中で一人願っているのです。そして、何よりも、弟子達を始め、最後までイエスに従っていた女性たちも、愛するイエスを失った絶望感、それは愛すべき者がいないという、愛の喪失の中にいます。孤独と絶望と恐怖、愛の喪失が皆を襲っていたのです。ですからトマスも単に疑うという思いだけの中にいるのではありません。
 更に、復活の主がトマスに臨んだ聖書の箇所、26節に注目したいと思います。イエスに出会ったはずの弟子達は、再び家にカギをして閉じこもっているからです。信じたはずの彼らです。しかし、その信仰よりも恐怖の方が勝っていたのです。恐れの中で彼らは再び震えおののいています。イエスを十字架にかけたという死の恐怖が、今度は自分たちに向けられている、彼らが閉じこもっている家は、いわば死の恐怖が支配する世界なのです。
 イエスの十字架に現された人の身勝手さ、醜さ、弱さ、貧しさ、深い罪に、弟子達の信仰、希望、愛が破壊されています。そればかりか命を飲み込もうと死の力が彼らを襲おうとしているのです。
 よみがえりの主イエスは、そんな閉ざされた世界へと来られました。見なければ、体験しなければ、触れなければ、信じることも、生きることもできず、孤独と悲しさと恐怖、死の支配する世界に閉じこめられる私たちへと、主イエスは十字架の痛ましいキズを持ったままで来られたのです。
 石黒美佐子さんという方が「麻意ね、死ぬのがこわいの~死を問い生を見つめた少女」(立風書房)という闘病記録を書かれています。これはご自身のお嬢さん7才の麻意ちゃんの3年間にわたる苦しい闘病生活のことを綴ったものです。
 病魔に襲われ様態が悪化する中で、少女は苦しみつつも見えない神様に必死になって祈ります。しかし「神様はどんなに頼んでも、麻意に力を貸してくれないの」と、少女はむなしさと共にあきらめにもにた絶望感を抱きます。様態はますます悪化し、苦しみの中で少女は闘病の果てに自らの死をも自覚するようになります。「死ぬのが怖い、死ぬのが怖い」、痛みや苦しみに伴う死の恐怖が少女を襲います。
 「神様はどんなに頼んでも、麻意に力を貸してくれない」、暗闇に死の恐怖に閉じこめられた少女は、しかし絶望の中で一筋の光を見出していきます。両親の看護、命の極みの中で交わされる家族の、愛する者たちの一言一言の祈り、「神様のそばに行くということは、子羊のようにイエス様にだっこされることなんだよ」、死の恐怖が愛する者たちを襲う世界に復活のイエス・キリストが立ち、天来の愛で包み込んで下さる、少女は「イエス様にだっこされる」ことを望み見ながら3年間の闘病生活を終え、天へと旅だって行きました。
 病との闘い。それは闘病と表現されます。戦いであり、勝利か敗北と私達は考えます。しかし精神が、魂が、心が、病に食い尽くされることを、キリストにある愛は、赦しませんでした。かえって病を通して、再び親子が信仰と希望と愛に、固く結ばれてゆく日々へと持ち運ばれたのです。
 3年間、病室で共に祈り合うご家族の姿、共に手を取り合って祈る祈り、結ばれた手と手のぬくもりを通して、麻意ちゃんは家族の愛を、そしてキリストの復活の力を豊かに受けていったのでしょう。
 この闘病の記録は、死を前にした人間の、本当の喜びと悲しみ、愛と涙を共有する絆が、神の愛にあって、本当に深められることを、私達に教えています。それは「死ぬはずのこの身に、イエスの命が現れるために」。まさに言が肉となって現れる、死をうち破る復活の神の出来事なのではないでしょうか。
 信仰を持つということは恐れや不安や悩みや悲しみがなくなることではありません。イエスは十字架の死の前に「私は死ぬばかりに悲しい」とまで絶望の叫びを挙げました。しかしそんな死を恐れるイエスに、復活の命が宿っていったのです。
 死の恐怖に支配された弟子達にイエスは「息を吹きかけ」ました。神が人間を創られた時に「命の息を吹き入れられた」ように、弟子達は新しい命を得て、希望に満たされ歩み始めます。彼らは困難の中で涙を流すことがあっても互いに祈り合い、そして助け合い、皆が支え合って生きる教会の基を据えていきます。
 私たちの生活や歩みを襲う恐怖、不安、痛み、悲しみのただ中に、神がイエスという希望をおいて下っていることを、私たちはもう一度、深く心に刻み込みたいと思います。

2022年4月17日

「先立つイエス」
マルコによる福音書10章32~34節


 「イエスと弟子たち」、この両者の関係や関わり方を示す幾つかの言葉をマルコ福音書から取り上げることができます。一つは「従う」(1章16~20節)です。イエスの呼びかけに応じ、仕事や故郷を後にして従った弟子たちの姿を表現します。
 次に「連れて行く、伴う」(9章2節)です。ガリラヤ湖畔を連れ立ち、山の上へと誘い、ゲッセマネの園へと連れて行かれました。イエスはいたるところを旅しながら、弟子たちを伴われました。
 更に「傍におく」(3章13節)です。イエスが弟子たちを選ばれたのは、何よりも弟子たちをご自分の側に置かれるためでした。「共にいる」という表現もあります。
 いずれも、イエスからの招きがその前提となっています。そして、もう一つ上げるとするならば、「先立つ」(10章32節)との言葉です。これは今朝のマルコ福音書の箇所と共に、ヨハネ福音書の10章には「自分の羊を連れ出すと、先頭に立って行く」(ヨハネ10:4)と記されています。この言葉を旧約聖書の詩編23編と合わせて読むと、とても印象的です。 
 マルコ、マタイ、ルカといういわゆる共観福音書は大きく分けると、前半のガリラヤでの活動と後半のエルサレムにおけるイエスの受難という具合に二つに分けて捉える事ができます。後半部分の受難とは、逃げ回るイエスに無理に十字架を背負わすのではなく、自ら十字架に向かうイエスが描かれます。
 そして今朝の箇所は、イエスが弟子たちの先頭に立って導いていく。そして、その背後から、先に行くイエスの姿を見て、「驚き」「恐れる」弟子たち。このようなイエスと弟子たちの関係が述べられています。弟子を先導するイエス。自らが率先して、ある決意を示す。そのイエスと弟子の関係をマルコ福音書は「先立つイエス」と表現しています。この個所は、エルサレムに向かう途上で、弟子たちを呼び寄せて自分の受難予告をする物語です。これで三度目の十字架に引き渡されるとの受難の予告、さらに復活の予告となりますが、その物語の中で「先立つイエス」を描いているのは、このマルコ福音書だけです。 
 イエスが先立って導かれるのは、「緑の牧場や憩いのみぎわ」といった平安や幸福ばかりではなく、苦しみや重荷、あるいは「死の陰の谷」でもあります。そんな「先立つイエス」の様相に、私たちは一つの決死の覚悟と、誰からも理解されない孤高の姿を見ます。それは、十字架の死へと進まなければならないイエスの決意の表れでもあります。
 そのようなイエスの受難の姿に触れる時、私たちは「とてもではないがついて行けない。それはちょっと無理だ」と思います。自分にとって可能なことと不可能なことが頭をよぎります。ですから、よく言われますように、福音書に描かれている弟子たちの姿は、即、私たちの姿を表していると、私たちは誰もがそううなずかざるを得ません。この「先立つイエス」の姿は、その後のペトロを始めとする弟子たちの躓き・離反と復活の予告(14章28節)、さらに、その確認としての言葉(16章7節)である「先にガリラヤに行く」との言葉に対応しています。 
 そんな「驚き恐れる」弟子たちの様子を見るとき、そこには、先導者と後からしか従えない弟子の姿あります。人間の可能性と、恐れのあまり人間には不可能な事柄とが対立的に表現されています。それはすなわち、埋めようのないイエスと弟子たちとの深い断絶を見ます。
 岩波書店から出ている「新約聖書」では32節が次のように訳されています。「イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは(のべつ)肝をつぶし、従う者たちは絶えず恐れていた」。弟子たちは肝をつぶし、イエスに従った者たちは絶えず恐れに震えていたとの描写がなされています。この描写は、神と人間との深い断絶ではないでしょうか。
 しかしこれは同時に、あのイエスが先頭に立ってしか神と人との和解はありえないとのマルコの視座があります。受難のイエスしか、私たちを執り成すことができないという、マルコ福音書の信仰告白なのかも知れません。イエスだけが私たちを先導する存在であるというマルコのイエス像があります。 
 経済学者の正村公宏(まさむら きみひろ)さんという方が新潮社から「ダウン症の子をもって」(新潮社)という手記を出版されています。ご自身の家庭での日常生活を綴られたものです。自分の事柄だけでなく、家族も辛く苦しい歩みをしなければならない時がある。そんな体験を日記などに書き記す際には、重苦しい日々に引き戻される気持ちだと思います。苦悩の刻一刻を追体験することに等しいことかも知れません。正村公宏さんのお子さんの名前は隆明(たかあき)君と云います。手記には、家族が輪となった際の次のような日常が記されています。 「私たちの家族は、よく食事のときなどに『今日、隆明がこんなことをやっていたよ』というようなことを話題にしている。私と家内は『これで連絡帳のネタができたね』と笑いながら、忘れぬように黒板にメモをしたりする」。
 子供の「しょうがい」という重さの中で、綴られていく生活の言葉は、幸せであるとか不幸であるとか、良いとか悪いとかではなく、全てが混在する人生のありのままを受容しているようでもあります。子供の「しょうがい」の重さを知りつつも、なお教育や成長の可能性を求めている家族の姿を示されます。「健常者」と「しょうがい」者の間にある断絶、不可能な事柄を乗り越えようとする記述が、正村さんの手記には淡々と綴られています。それは愛ゆえの、子どもの未来と思う、子どものこれからを祈る先立つ魂の叫びかも知れません。
 「先立つイエス」の姿、それはイエスと弟子たちとの、同時にイエスと私たちとの距離と断絶を示しています。人間の可能性と、人間の限界を表す不可能性かも知れません。しかし、私たちを愛するがゆえに、立ち止まりそうな、諦めそうな私達の歩みの中でも、常に私たちの前を歩み、先取りした苦難を受け、執り成して下さるイエスが告げられています。
 恐れの中で閉じられて行く人間の可能性、失われていく生きる喜びを、先立つイエスは開かれて行くのです。断絶や困難を乗り越えて、恐れを信仰にかえられるイエスは、私たちを未来の可能性へと連れて行かれるのです。私たちをその側に置かれ、先立って招いておられるのです。
 私たちは「先立つイエス」の姿にこそ、慰めと励ましと喜びの可能性を得ていきたいと思います。

「ここから出かけよ」
ヨハネによる福音書14章25~31節


 イエスの長い告別の説教は、弟子達が辛い体験、そのプロセスをもう一度振り返るという視点でヨハネ福音書に挿入された箇所です。グリーフワーク、悲嘆のプロセスを経て行くという心理学的にも大切な過程を踏んでいる箇所でもあります。
 直前の聖書の箇所13章36節に、弟子集団の中心人物であったペトロが「主よ、どこへ行かれるのですか」と問いかけている箇所があります。これは大変有名な聖書の箇所で「クオバデイス・ドミネ」、ハリウッドの映画「クオバデイス」の題名になった聖句でもあります。「主よ、どこへ行かれるのですか」、弟子達を愛するがゆえに先立って苦しみを受けられる主の姿が表現されています。さらに、14章の31節では「さあ、立て。ここから出かけよう」とイエスは、これから自らの貧しさ、人間の弱さを味わわなければならない弟子達と、共なる出発の宣言をされています。
 この後、彼らは十字架と復活のイエスの前で、いやというほど人間の弱さや貧しさを見ました。自責の念にかられました。仲間を許せず、恨みを抱いた者もいたことでしょう。ユダの葬りに関しては、空しさややりきれなさを憶えたことでしょう。イエスの言われた、教えはどこにあるのか?平和はどこに残されているのか?重苦しい雰囲気の中で、誰もが問い、訴えたことでしょう。長いイエスの告別説教の後、弟子達を襲う現実はまことに人の愚かさや弱さを露呈してゆきます。
けれどもその前に注目したいのですが、この聖書箇所の直後に、イエスは祈られます。他の福音書では「ゲッセマネの祈り」と題されている箇所です。その後、いよいよ弟子達に裏切られ、否定をされて一人孤独に十字架に付くという記事が続いてきます。弟子達はチリジリバラバラ、それぞれが散らされて混乱する結果となります。
 エレミヤ書6章16節にこんな言葉があります。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ。どれが幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ」。エレミヤ書の背景には人々が私利私欲に自分勝手に生きていたという状態があります。神の言葉を預かった若き預言者エレミヤは嘆きの中で人々に語ったというのがエレミヤ書の背景です。
 16節の「わかれ道に立って」とのわかれ道は、皆さん当然「わかれ道」を思い起こしていただけますと分かるように、道はいくつにも分かれているものです。当然、聖書の言葉もここは複数形で表現されています。「よく見よ」という「見よ」とは、「自分の置かれている現実を現実として知ること、受けとめること」です。
 主はエレミヤに望んで「良い道がどれかを尋ねて」といいます。進もうとする道、神への応答と言えると思います。その応答は、人それぞれです。讃美をもって応答する者、奉仕をもって応答する者、讃美の仕方、自らを捧げてゆく奉仕の姿という、各々の信仰の応答の仕方は、いわば複数です。十人十色であってよいと思います。
 浅野順一という牧師がこのエレミヤ書について「自己の偽りに破れつつ、神の真実に支えられる」書だと表現しています。
 エレミヤの語る「いにしえの道」も破れ多い旧約の民の道です。出エジプトの人々の歩んだ道は、けっして神の御旨にかなった歩みではありませんでした。神の導き、解放を恨むような身勝手さをも人々は見せました。いずれの道も、人の弱さや貧しさ、愚かさを露呈する道でありました。そんな罪なる過程であったと思います。しかし、それを支える神の真実こそを、今、私達一人一人は確認をする時、気づく時ではないでしょうか。良く見るとは、そんな自分たちの破れを見つめること、しかし、それを越えていつも支えて下さっていた神の真実に、皆が気づくことではないでしょうか。
 イエスの十字架を前に、混乱と深い自己の弱さ、己の悲しさを経験した弟子達は、イエスの復活後、12弟子それぞれの道が、本当に破れ多き歩みであったことに気づきました。しかし、それぞれがイエスの十字架と復活を起点(基点)として自らを省みたとき、そこに、深いイエスのとりなしの祈りが捧げられていたことに気づいたのです。誰もが負いきれない十字架の死をもって、全ての者の上に十字架の死を通しての赦しが注がれていたことに気づいたのです。イエスの祈り、十字架の死、それは神の願い、神の涙が、人間に重ねられていたのです。その神の注がれる涙が、ペトロを初期キリスト教会の中心人物として立たしめてゆきました。他の弟子達もまた、迫害にあっても勇気をもって進み行く、そんな信仰へと強められて行ったのです。
 イエスは言われています「私が父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである」。神はイエスの出来事という真実をもって、私達を支えることを、自らお望みになっていたのです。弟子達が経験した苦しみや悲しみという道は、イエスの十字架へのプロセス、過程でありました。それははじめ理解できず、受け入れがたいものでありました。苦しむ、悲しむ道であったからです。自分の描く事柄が崩れさる事でもあったからです。しかしそのプロセスこそが、自分たちのいやしであり、成長と真の喜び、新しく生まれ変わることへの大切なプロセスであったことを弟子達は知るようになったのです。
 私達のために、神は、はじめからそのことを望まれていた、私達の真の喜びのために、イエスをこの世へと送られ、十字架へとかけられたのです。
 後悔に苦しむ裏切りの涙、悲しいまでの自分たちを悔いる姿が、真の一致の喜びに変えられて行きました。無理解であったために人を捨て、孤独にしてしまった私達の弱い姿、わたしたちのそれぞれの道のり、しかしそんな破れを支える神の真実こそがある、強く立ち上がってゆく神の支えがある、主イエスの十字架による赦しと救いの宣言にもう一度、私達が立つ時、あの古代教会の躍動する神の出来事の豊かさへと導かれてゆくのではないでしょうか。私達の教会は、そんな古代教会の豊かな信仰の証を、もう一度、この世に示しなさい、そう神様から命じられているのではないでしょうか。

「主の招く声」
ルカによる福音書9章18〜27節


  福音書は、イエスの歩みを通して、神との出会いが証さていると言えます。イエスと出会った人々が、自らの内に起こったことを、揺り動かされたことを、様々に考え、書き残した記録であり、それぞれが置かれた状況での信仰の告白であると思います。これを手がかりとしてイエスの行動と教えとを読み解いてゆく、いかに自分の現実に引き寄せてゆくか、それが現代に生きている私たちがイエスと出会うということです。
 イエスが活動した時代はローマ帝国の支配下に於かれていました。しかしイスラエル民族には一つの約束が与えられ、彼らはそれを待ち望んでいました。それは神が自分たちに送られる救い主、メシヤの到来でありました。そこに「神の国は近づいた」との宣言をもってイエスは現れました。人々の意識はたぶん高まったことでしょう。
  けれども逆に、この希望の星であるイエスを、次第にわずらわしいと人々は思いはじめました。当時のユダヤ教の祭司や律法学者は始めからイエスの行いや発言が、どうも自分たちの立場や見解とズレている、あいつは目障りだと、イエスに対して批判的でした。そして、もう一つ、彼らはローマ帝国と繋がりながら身の安全を謀っていたからです。同じ民族の中で抑圧する者と抑圧される者を生み出します。人は人に疑いをもち、信じ合うことができなくなります。危険な状況下で、当のイエスは何を見たのでしょうか。それは人々の乾ききった魂、潤いのない生活だったと思います。また、人々がぶつけ合う様々な思惑の中で、貧しい暮らしを強いられている者、差別を受けていた人々ではなかったでしょうか。力と力の衝突の中では、力のない者・弱い者は必要とされません。イエスはそんな、苦しむ多くの人々を見つめていたに違いありません。
 イエスの登場は確かに人々に、希望をもたらしたようです。しかし、その希望とは、かなり先入観の入った、いわば誤解した希望のようでした。
 今日の聖書の箇所にも記されていますが、人々はイエスを「洗礼者ヨハネ」とも、「エリヤ」とも、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」とも見ていました。これらは、預言者であり、神の国の支配を告げる者であるとの見方です。つまりイスラエルの人々が独立をし、自分たちが、あのダビデやソロモンの時代に例えられる華やかな、世界の統治者になるという、そのことを預言しているのだと思いこんでいました。
 イエスは弟子達にも聞きました「あなたがたは私を何者だと言うのか」と。弟子の一人ペトロは答えました「神からのメシヤです」。はたして、弟子達は本当に理解をしていたのでしょうか。21節以下に、イエスが弟子達を戒めたことが告げられています。イエスは弟子達を「戒め・・・命じ」ました。戒めるとは「しかる」ということであります。聖書の他の箇所ではそのように訳されています。イエスは自分を「メシヤ」と答えた弟子をしかりました。そして誰にも話さないように命じたのです。イエスはメシヤ・救い主ではなかったのでしょうか?。
 フランスの作家・ジャン・アニィーユという人が「行方不明になった幼児イエス」という詩を書いています。ご紹介したいと思います。
  「行方不明になった幼児イエス」
「幼児イエスよ、あなたはどこにいるのか?  あなたの姿はもう見あたらない。あなたの飼い葉桶はカラになり、そこには牛と馬とロバがいるばかり、私には母親マリヤとヨセフが手を取り合っているのが見え、私には遠い東の国から来た、りっぱな王たちが見える。
 だが、あなたは、私には見あたらない。あなたはどこにいるのか、幼児イエスよ。「私は忘れ去られた貧しい人々の中にいるのだ」
「マリヤは心配でたまらなくなり、あなたをいたるところで探し回る。
 外の羊飼いのところも、馬小屋のすみずみも、中庭では父親ヨセフが呼ばわり、水桶の中をのぞき込む。りっぱな王たちさえも、恐れのあまり青ざめる。皆、あなたを探し、呼ばわる。あなたはどこにいるのか、幼児イエスよ。「私は貧しく、一人ぼっちの病人の中にいるのだ。」
 
 この詩はクリスマスの夜、ベツレヘムの馬小屋で消えてしまった幼児イエスを捜す人々の姿を歌っています。両親であるヨセフとマリヤをはじめ、羊飼いも王たちも、みんながあちらこちらを捜します。探しまわりますが、見つかりません。そればかりか違っていたとため息をつく姿が歌われています。
 このジャン・アニューユの詩は、単にいなくなって、それを心配する人々を描いているのではなく、イエスが生まれたその意味とイエスの歩む方向を、誰も理解していないので、見つけられないということを歌っています。また、別な表現をしますと、誰もがイエスはここではないか、こういう人ではないかという先入観をもって捜し、求めているので、誰も見つけることができない、そう問うています。
 詩の中で「私は忘れ去られた貧しい人々の心の中にいる」、「私は貧しく、一人ぼっちの病人の心の中にいる」と、イエスの声が、繰り返し告げられています。にもかかわらず、違っていたとため息をつく、私たちの、それぞれに都合の良いように、適って欲しいという人間の身勝手さが歌われています。
 私たちは、ジャン・アニューユの詩に見られるように、見当違いの方向を捜し求めているのかも知れません。まったく逆の方へ目を向け、歩んでいるのかも知れません。
 しかし、イエスは私たちが背を向けている方角から、「私はここにいる」と声をかけて下さっているはずです。貧しさと、孤独、無理解の中で十字架につけられてしまった方が私を呼んで下さっているのです。自分だけを見ている人間に、隣人を見なさい、わたしはそこにいると呼びかけて下さっているのではないでしょうか?
 今、私たちは教会のカレンダーでいうレント、イエスのこの苦しみの中からの呼びかけを覚える期間を歩んでいます。毎年レントはやってきます。しかし、それは単なる繰り返しではなく、そのときどきに、自分の考えや見方、思いにかられ人を判断してしまう私を、十字架から呼んで下さっている方がいることに心を向け、思いを馳せる時です。自分の物差しで人を測る私たちお互いが、その声によって、本当に振り向き合うとき、振り返る時、主と見つめ会っていく、人と見つめ会っていく私達へと導いて下さるのではないでしょうか。そして主との出会いが、私達の人生に生来していくのではないでしょうか。

2022年3月27日
 

「逃れる道をも備えてくださる」
マタイによる福音書26章55~56節
コリントの信徒への手紙一 10章13節


 3月は卒業式シーズンです。わたしが勤務しています学校でも、今週は幼稚園、小学校、中学校と卒業式が続きました。私は卒業式で祝祷をする担当なので、毎回出席しました。高校の卒業式は3月1にあり、私の学校では高3が最終学年になるので、いちばん巣立っていくと言う思いの強い卒業式になります。コロナで制限はありましたが、無事にすべての式を終えることができ、感謝でした。
 高3の卒業式では、私ともう一人の聖書科の教師2人で、聖句の入ったしおりを毎年手作りして卒業生にプレゼントしています。最後の聖書の授業で生徒たちにアンケートを取り、好きな聖句とその理由を書いてもらい、その結果いちばん多くの生徒が選んだ聖句をしおりにしています。聖句なのでどれが一番という事でもないでしょうが、中高6年間をキリスト教学校で学んだ生徒たちの心に、聖書の言葉がどんな風に届いているのか、アンケートを読むと興味深いです。様々な聖句が、色々な思い出と共に挙げられます。
 高3生が好きな聖句として選ぶのは、どんな言葉だと思われますか?
 
 今年1番多かったのは「求めなさい、そうすれば与えられる」のマタイ7章のみ言葉でした。毎年多いのは同じマタイ7章の「狭い門から入りなさい」の聖句です。今年は2番目でした。高3は受験生でもあるので、狭き門でもあきらめない、とか、求め続ける、という自分の進路を切り開くぞ、という思いが選んだ聖句に現れるようです。他に毎年生徒から多くあげられるのは山上の説教の中の「敵を愛しなさい」や「明日のことを思い煩うな」と言う聖句、またテサロニケの手紙の「いつも喜んでいなさい、感謝しなさい」の聖句もよくあげられます。そして、もう一つ良く選ばれるのが、今日取り上げましたコリントの信徒への手紙の「あなた方を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです」というみ言葉です。この聖句は高3生だけでなく、他学年でも生徒が礼拝担当する時によく選ぶ聖書の箇所です。
 
 誰にとっても試練は辛く、できれば避けて通りたいものです。でも中高生も傷つきやすい時期でもありますが、成長したいという気持ちも強く、試練を乗り越えることで成長できる、という事もよくわかっています。苦しい時、自分から新しいことにチャレンジしようとする時、「神は真実な方なので、あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはしない」という聖書の言葉に力づけられるのです。そんな前向きな生徒の姿勢を素敵だなあと思いつつ、私は一方でこの聖書の言葉にはずっとぼんやりとした疑問を持っていました。
 それは「耐えられない試練に遭わせることはせず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えて下さる」という言葉です。耐えられない試練は与えられないなら、同時に備えてほしいのは乗り越える力ではないのか、逃れる道が与えられても、試練を解決することになるのだろうかと思ったのです。屁理屈のようなのですが。
 最近読んだ本に、この聖句について説明されていて、とても腑に落ちたというか、納得しました。
 
 青山学院大学の宗教部長である塩谷直也先生が『視点を変えて見ればー19歳からのキリスト教』と言う本を出版されています。この中に「逃げ道」という章があるのです。
 最初に一つの例があげられていました。
 「2017年8月に東京都立特別支援学校の高校1年生の男子生徒がバスケットボールの部活動中に意識不明の重体になりました。8月21日の午後、顧問の男性教員は練習中に規定時間内で校舎の周りを走るように指示を与えました。時間内に走れなかった生徒には罰として,43周分、約19キロの距離を走るよう命じました。その時の気温は32度でした。生徒はその日は体調不良を起こして終了し、2日後に残っていた分をまた走り始めましたが、結局倒れて救急搬送されました。顧問たちは「障害のある子供でもハードルを越えることで育つと思ってやらせた。」と言っているそうです。」実際にあった出来事です。塩谷先生は本の中でこの事件を例としてこんな風に言っています、「日本の教育はまさに「死んでも逃げるな」を形にしている気がします。密室のコーナーに追い込み、逃げ場所を封じ、ハードルを越えさせる教育です。超えられた子供は勝ち組ですが、越えられなかった子供は負け組です。逃げ場を失った子供にとって、最悪の場合、最後の逃げ道は「死」となります。
 聖書の思想は、「この死んでも逃げるな」に対し挑戦します。何故ならその基本姿勢は「逃げてでも生きろ」だからです。死ぬくらいなら逃げる、最後まで生きる道を探せと言うメッセージです。この聖書の言葉の前半部分は確かに『神は背負えない荷物は与えないのだから、追いつめられてもハードルを乗り越えよ』と激励しているように読めます。しかし後半、明確に『逃れる道』が用意されているとも語られています。人生はどんな局面でもどん詰まり、袋小路はなく、逃れる道、抜け道、もう一つの道が用意されているというのです」と書かれていました。私は、これを読んで考えさせられました。私も試練は乗り越えるべきもの、逃げるのはいけない、と言う自分の思い込みで聖書を理解しようとしていたと反省しました。
 
 考えてみると、聖書には逃げた人たちがたくさん登場します。今日読んでいただいた聖書の箇所もそうです。今はレントの時で、イエス様の十字架を覚えて過ごす期間ですが、イエスが逮捕されるとき、弟子たちはみんなイエスを見捨てて逃げてしまいます。大勢の群衆がイエスを捕まえようと押し寄せて来た時、弟子たちは少し抵抗しますけれども、結局みんなイエスを見捨てて逃げてしまうのです。そして、弟子たちは、エルサエムの都から、故郷のガリラヤへとチリジリに逃げていきました。恐れと、イエスへの申し訳ない気持ちと、裏切ってしまった自分への絶望と、抱えきれない思いをもって、トボトボと逃げて行くのです。しかし、その行く先にも、先回りしていたイエスが待っておられました。
 この聖書の後の28章7節には、イエスが十字架にかけられ殺された後、お墓に行った女性の弟子たちが天使に出会い、「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と告げられています。イエスは、逃げた弟子たちがやがてたどり着く先であるガリラヤに先回りして行き、待っていると告げているのです。「逃げるなんて負けだ」と言うのではなく、「逃げた先にもちゃんとイエスさまはいて、待っていてくださる」という事なのです。どこに逃げようとも見捨てることなく、共にいるためにイエスが待っておられるのです。逃げても、逃げなくても、救いがある、ということです。
 誰でも、完璧を求めてこうありたい、こうあるべき、と自分を追い詰めてしまうことがあります。自分に対してだけでなく、人に対しても、家族に対しても、自分の理想を押し付けてしまいそうになることはないでしょうか。そんな時、神さまは逃げてもいい、完璧でなくてもいい、私は必ずいっしょにいるから、と言ってくださる方なのです。
 
 3月1にあった高校生の卒業式で、卒業生代表の生徒が「感謝の言葉」の中でこんな風に話しました。「私たちの高校生活の最後の2年間は、コロナで楽しみにしていた宿泊行事が中止になり、体育祭も文化祭も、合唱コンクールも、みんなできなくなりました。でも、教室にみんなと一緒にいられるだけで十分楽しかった。それだけでかけがえのない学校生活を送れて幸せさった」と言ったのです。私はこの言葉がとても心に残りました。我慢することが多い学校生活だったでしょうが、そんな風に受け止めていたのだと思うと安心しましたし、嬉しかったです。コロナでできなくなったことを数えたら、たくさんあります。けれども、いつも通りでなくても、通常通りできなくても、今の生活も神さまは共にいて下さって、日々恵みを与えて下さっています。そのことを忘れないようにしたいと思うのです。
 耐えられない試練は与えられないけれど、試練に耐えられず逃げても、そこにはイエスが共に歩んでくださる道が備えられています。私たちの罪を背負って、十字架にかかってくださった主イエスは、逃げなくても、たとえ辛くて逃げるしかなくても、完ぺきではない私たち人間の現実に寄り添ってくださるのです。主に信頼し、感謝して歩んでいきたいと思います。

2022年3月20日

「信仰者にされていく」
ルカによる福音書17章1~10節


 自分の人生の終わりに「私は、自分のすべき事をしたに過ぎません」と言えたら素晴らしいことだと思います。マニュアルや手引き書が溢れている今の時代、そこにこう書いてあるからこうしろだとか、そこにはこう答えろとあるからその通りにしろというご時世です。感謝や礼儀までもがマニュアル化される時代です。書いてあるから感謝やお礼をするのでは、少々寂しいものです。心の底から喜びに溢れて生きて行きたいものです。
 ルカ福音書が伝えるイエスのたとえ話は、一読すると、とてもきつい内容です。一日中精を出して働いて、クタクタになって家に帰って来たら主人の食事の世話をして、給仕の全てを終えてから、その後で自分の食事を摂るというのです。そして、誰からも一言のねぎらいの言葉もかけられずに、文句も言わずに「しなければならないことをしただけです」と答えろと言うのです。今の時代、このような生き方は、きっと受け入れられないでしょう。それはイエスの時代であっても、きっと同じ事だと思うのです。
 しかし、昔も今も、人の為に自分の時間と労力を使い果たす人がいます。親の介護に明け暮れてしまう人がいます。自分の両親だけではなく、連れ合いの両親をもみなければならない人がいます。また障碍をもった子供のためにいつも付きっきりでいなければならない人がいます。病気の家族を持ち、昼夜を通して看なければならない人もいます。自分の事が後回しではなくて、自分の事が全く出来ない人がいます。本当に時間も労力も全てを人の為に献げきってしまう人がいます。愚痴の一つもこぼしてもいいのかも知れません。弱音の一言二言ぐらい、発してもいいのかも知れません。誰かにあたってもいいのかも知れません。
 さて、今朝の聖書のたとえ話は「つまづきは避けられない」とイエスが宣言をした文脈で語られていることに注目です。
 宗教改革者のマルチン・ルターは、イエスに従っていた弟子達をはじめ大勢の人々の中に起こる「つまづき」の原因を、人々の中に沸き上がって来る「憤り」と見ています。イエスと共に歩んで行く中で、次第に人々の中にわき起こる自分の思い通りにならない苛立ちやスッキリしない思いです。
 私たちも日常生活の中で起こってくる問題に憤ることがあります。自分の思い通りには行かず苛立ちを憶えることがあります。何かスッキリしないこと、モヤモヤしてしまうことがあります。イエスは人を愛せよと教えます。赦せと私たちに迫ります。しかし現実問題、私たちは誰でも彼でも人を受容することは出来ませんし、やっぱり自分の赦せる人しか赦せなかったり、愛せる人しか愛せないのが現実です。一緒に居たくなかったり、顔を見るのもイヤという現実がどこかにあるのではないでしょうか。聖書が伝えるイエスの教えと振る舞いを前にして、私たちもまた「つまづく」のでしょうか。
 イエスは言われました。「悔い改めれば、赦してやりなさい。七回『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と。イエスは無限の受容を語りました。そこで使徒達はイエスに訴えました「わたしどもの信仰を増して下さい」、弟子達が求めたことは、私たちも求めます。至極当然の願いです。ところがイエスは間髪入れずに語られました。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば」と。
 今朝の聖書箇所の副題には「赦し、信仰、奉仕」と記されています。この順番に注目したいと思うのです。私たちはイエス・キリストの十字架によって罪や破れや弱さが赦され、ありのままに神様に受けとめられています。徹底的な受容の出来事がイエスの十字架の出来事です。そんな私たちはイエス・キリストの出来事が、本当にこの自分の為であったことを覚えて洗礼を受けます。私たちはイエスの出来事によって信仰が与えられていきます。繰り返しますイエスの出来事によって、神様から信仰が与えられていくのです。私たち人間に対して徹底的な赦しと受容の出来事があって、私たちには信仰が与えられ、そしてその応答として神と人への、教会への奉仕が与えられていくのです。
 私たちは、いつしか信仰は自分の所有物だ、自分で得たものだと、勘違いや錯覚を起こしているようです。神から与えられたものが大きいとか小さいとか、強いとか弱いとか、何か神様の下さるものにケチを付けているようです。神が下さったイエス・キリストの十字架の出来事は、私たち誰にとっても言葉では言い表せないほど大きいものであるはずです。
 本日の礼拝における説教題を「信仰者にされていく」とさせていただきました。新約聖書の原語で、成るという言葉と祈るという言葉をご紹介させていただきます。「成る、ある」は「ギノーマイ」と言います。「祈る、願う、望む、切望する」は「エウコーマイ」と言います。これは新約聖書の原語でも特別な言葉で「能動相欠如動詞」といいます。受身になって初めて能動的に訳される言葉です。何かが自分にあって、何かを自分が受けて感じて、成る、祈るという状態を表します。
 私たちはイエスの十字架の出来事、神の大きな愛を受けて、信仰者に成る、いえさせられていくのです。今のウクライナの状況に心を痛めて、祈らざるを得ない、祈らなくては、いてもたってもいられなくなるのではないでしょうか。誰かの支えや導き、誰かの祈りによって育てられていきます。信仰者にされていく、導かれ、信仰が与えられていくのではないでしょうか。
 その時、私たちは、神様、イエス・キリスト、そして沢山の信仰者によって自分自身が導かれ、支えられ、祈られてきたという感謝に包まれていくのでしょう。そこから、キリストの手となり、足となって仕えていくことが、苦痛だとか強制だとか義務だとかという思いから解き放たれていくのではないでしょうか。ありのままの自分が、神様に徹底的に受けとめられたので、そのことを感じたので、私たちは、ギノーマイ=成っていくのです。そのことを感得したので、私たちは、エウコーマイ=祈る人にさせられていくのです。
 信仰を増して下さいとは、誰もが求める願いです。しかしその前に、とてつもなく大きい神の愛に気づきたいと思うのです。そして私たちもまた、この世界で、この社会で起こっている出来事に痛み、悲しみ、憤りを覚え、祈らざるを得ない一人一人に成りたいと思うのです。何かをしなくては、居ても立ってもいられない、そんな存在になりたいと思うのです。
それが「信仰者にされていく」という事ではないでしょうか。

2022年3月13日

「信の深みへ」
マルコによる福音書8章27~38節


 
 神によって問いかけられること、そしてその問いに応えようとして生きることは、信仰者の基本的な姿です。福音書の中には、イエスが弟子達をはじめとする多くの人々に語りかけたり、問いかけたりする場面が沢山出てきます。
 今朝の聖書の箇所は、「ペトロのキリスト告白」と云われる箇所で、マルコ福音書においては、イエスの活動が転機を迎えるところです。
 イエスは弟子達とフィリポ・カイザリア地方の方々の村へ向かいました。フィリポ・カイザリアとは、ガリラヤ湖の北50キロに位置する「異教の町」と呼ばれるところです。時の支配者であったユダヤの領主ヘロデ・フィリポ2世とローマ皇帝ティベリウス・カイザルの名が付けられた土地でした。農耕の神パンを祀る神殿があり、ローマ皇帝崇拝も強要されていた地域でした。そんな地方を巡りながら、イエスは弟子達に自分は人々にどう思われているのかと質問をします。それまで弟子達は、イエスの様々な業を目の当たりにしつつも、恐れ、驚き、「この方は一体どなたなのだろう」と互いに言い合うだけでした。しかしこの場面でのイエスからの問いかけに、弟子達は「洗礼者ヨハネ」、旧約の預言者「エリヤ」、あるいは他の「預言者の一人」とイエスにまつわる世間の評判を語りますが、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と改めて自分にとってのイエスは何者かと問われます。
 ペトロが「あなたは、メシアです」と応えます。ペトロは世間の評価ではなく、自らの生き方をかけて自らの意志で、イエスを救い主と告白をしています。ところが、イエスは自分のことを誰にも話さないようにと戒めました。なぜイエスは救い主であることを隠そうとされたのでしょうか。この箇所は「メシヤの秘密」とも呼ばれる箇所です。
 この後、ペトロはイエスに厳しく叱られます。「サタン、引き下がれ」と、普通の人間関係であれば二度と修復できないような言葉を投げかけられます。しかも「あなたは、メシヤです」と告白した直後にです。ペトロを叱ったイエスは、群衆も呼び集めて、イエスに信じ従う具体的な道を教え始めます。十字架の道をこれから歩もうとするイエスは「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と語りかけました。これは大変厳しい招きの言葉です。「信じる」ことの意味が深く問われる言葉です。
 ところで、「分水嶺」という言葉があります。分水とは二つ以上の川の流れが出来る場所です。その分水となっている山脈を分水嶺といいます。山から流れる水がハッキリと分水していく地点を示しています。
 イエスの生涯でハッキリと変化していく地点、マルコ福音書の流れを変えていく地点、分水嶺にあたる地点が、8章27節以下の聖書の箇所です。ここにいたるまでのマルコ福音書の物語は、ガリラヤ湖畔周辺の小さな町や村を巡るイエスの活動でした。多くの病人や身体の不自由な人々をいやし、弱り果てている人々を憐れむ民衆と共に生きるイエスが描かれています。ガリラヤ湖畔を拠点とする活動でしたので、湖を行き交い、舟で向こう岸に渡る様や湖上での情景が生き生きと描写されています。その活動を象徴的に表現するならば、当時の交通機関であった舟と言えます。皆で舟に乗り、風に任せて自由に進んでいく活動であったと思います。しかし8章27節からは、弟子達を伴って陸路をたどります。異教の地を巡りエルサレムへと向かいます。舟に身を委ねるのではなく、イエスと一緒に自分の足で一歩一歩、エルサレムに向かって道をたどります。それは海路か陸路かという交通手段だけの問題ではなく、福音書の内容が大きく変化していくものでもあります。マルコの文脈に従いますと、これから多くの奇跡を起こし、力強く活動していたイエスが、ご自身の十字架への不安と恐怖を示し始めます。弟子達はイエスを救い主と告白したことが次から次へと厳しく問われ始めます。イエスに何でもかんでも身を任せていた弟子達は自分自身が問われ始めます。これらの分水嶺にあたるのが、「ペトロのキリスト告白」「メシヤの秘密」という今朝の箇所です。
 イエスを救い主と告白し、信じ従おうとするペトロ、しかしイエスはペトロを叱り飛ばし、「自分を捨て、自分の十字架を背負って」信じ従えと言われます。イエスご自身の十字架を受容する姿と、弟子達への過酷な「自分の十字架」を覚悟し、受容するような厳しい言葉で締めくくられています。
 イエスと一緒に一歩一歩自分の足で陸路をたどる弟子達の傍らに、イエスもご自身の十字架を受容し苦しみながら悲しみながら歩んで下さる救い主の姿が同時に描かれていきます。
 分水嶺にあたる地点、それまでは生き生きとイエスと共に旅をし、多くの民衆と共に生きた豊かな出会いの物語でした。しかしこれからは、自分の救い主と真向かい、苦しみや悲しみを共に背負って歩む信仰の深みの物語です。イエスの問いかけや招きを、単に承認するという傍観者的な生き方に信仰の深い世界は味わえません。自分の至らなさや弱さを自分の十字架として、しっかりと担い受容する生き方にこそ、イエスは共に道を辿られます。
 私たちは「私たちの教会の姿勢」に詠われているように「夫々全く不思議な主の導きによってこの時代に、キリストの体なる教会を形成するために集められた」一人一人です。出会いという恵みに真摯に真向かい、教会の歩み、教会の歴史に、共に道を辿られるイエス・キリストと一緒に深みへと歩んで行きたいと思います。自分の至らなさや弱さを自分の十字架として受容する、そんな信仰の足腰をこそ、神はきっと強めて下さることでしょう。

2022年3月6日

「私たちの足下に」
ルカによる福音書8章22~25節


 「湖上で突風を静める物語」はマルコ・マタイにも同様、3つの福音書、すなわち共観福音書に並行記事があります。ルカ福音書ではこの物語に続く「悪霊に取りつかれたゲラサの人を癒す物語」「長血を患う女性を癒す物語」「会堂長ヤイロの娘の蘇生物語」などを、イエスの4つの奇跡物語として同じ8章にまとめて記述をしています。それぞれに「自然」「悪霊」「病気」「死」の脅威に対するイエスの力ある業が証しされています。本日の嵐を静める物語は自然奇跡の一つで、ガリラヤを中心としたパレスチナ地方にあった民話として伝えられてきた伝承であると言われています。
 この物語の場面であるガリラヤ湖は、紅海・地中海あるいは南の死海を含めて、海の一つとして数えられていました。海はイエスの時代においても恐怖の対象として理解され、悪の勢力の根源的な居所を示すような「恐れの場」であったようです。事実、ガリラヤ湖は時として渓谷に吹き下ろす強風によって、天候が急に悪化し、舟が遭難することも度々あったと云います。
 「突風が湖に吹き降ろして来て」(23節)との記述はその気候の急変ぶりを伝えています。弟子たちは水をかぶり危機的な状況に落ちいっていきます。舟で眠っていたイエスを起こして、「先生、先生、おぼれそうです。」と必死に叫んでいきます。前の口語訳聖書では「死にそうです。」という翻訳になっていました。岩波書店から出ている新約聖書翻訳委員会編の聖書では「滅んでしまいます。」となっています。もっと前の文語訳聖書でも「我らは亡ぶ」となっています。いずれも、命の危機に直面した悲鳴のような表現となっています。考えてみれば、この弟子の状況はただ事ではありません。「死にそうです。滅ぶ」とは大変な人間の言葉です。「情念」とも言うべき悲痛な言葉です。
 「人間がどうしても、逃げ切れない重圧のもとに喘ぐような状況」を「限界状況」とカール・ヤスパースという思想家が定義しています。限界状況はそれまで培ってきた全てのものを覆し、相対化させていきます。一方で、本来の自分を浮き彫りにさせていきます。人は慌てふためき、恐怖に陥ります。不安にかられ、多くの人が自分の弱さを露呈させていくものです。まるでコロナ禍での人間の姿のようです。
 漁師であった弟子達、この湖をホームグラウンドにしていた彼らでさえ、吹き降ろす突風に恐怖を感じました。危機的状況になって、いよいよ寝ていたイエスを起こしました。イエスは自然の猛威をおさめ、弟子達を戒めたと云います。イエスは「あなたの信仰はどこにあるのか。」と問いかけました。私はこの言葉は、ここに居合わせた弟子に対する単なる叱責ではないと考えます。
 比較社会学者の見田宗介さんが「現代日本の感覚と思想」(岩波新書)という著書の中で「視点を折り返す」という大変興味深いことを語っています。太古の昔から人類は天上を目指していました。旧約聖書のバベルの塔の話しも同様です。それは人類が天に昇ったことがないからだと、見田宗介さんは云います。しかし人類は天に向かって飛び立ちました。そしてそこで見た世界は天国ではなく、最も心引かれたものは「青く美しい地球」でした。見田さんは先には宇宙しかない断崖まで来てしまった人類は、折り返しの場所に立っていると云います。続けて、見田さんは宗教の課題は超越ということだったが、今私達が求めているのは、世界を新鮮な奇跡の場所として開示する覚醒ではないかと問いかけています。
 今朝の聖書の箇所で非常にユニークなのは、突風が吹き荒れる大嵐の中で居眠りをしているイエスの姿です。寝ているという姿に、無防備さと大胆さが表現されているかと思いますが、と共に、寝ているイエスの姿は、まさに「視点を折り返す」姿だと思います。救いは天という上ではなく、小さな小舟の船底で静かに寝ているイエス、そこに限界状況に達し恐怖におののく弟子達への救いが、彼らの足下で静かに眠っていたことを表現しています。
 「あなたの信仰はどこにあるのか」、弟子達の不信仰を叱責し、戒めたのではなく、むしろこの言葉は「私はここにいるではないか」との、弟子たちの叫びに対するイエス同意の言葉ではないでしょうか。どのような時でも、あなたがたから離れず、いつも共にいるというイエスの宣言ではないでしょうか。聖書の伝える神は、イエスは遠くにいる神ではなく、また天の高みから私達の苦しむ姿や悲しむ姿を見ているだけの神ではありません。聖書が伝える神の子イエスとは、私達の歩みに生活に、静かに息づき、私たちの極限の叫びや苦しみを含めて、その苦悩を受けとめて下さる方なのです。
 視点を折り返しつつ、共なる神イエスをこそ、私達の歩み生活という時と空間に目覚めさせること、それが奇跡の開示ではないでしょうか。突風や嵐が私達を襲う時、苦悩を受けとめ、一緒に担いながら歩んで下さる方がいることを皆で確認し合い、声を掛け合い、祈り合いたいと思います。その時、きっとイエスは、私達の輪のただ中で目覚め、苦しみや悲しみ、恐れや不安という突風をおさめて下さいます。それぞれの人生という小舟の中で、静かに、静かに眠っておられるイエスを憶え、そんなイエスに委ねながら、それぞれの「向こう岸」へ、神が示される豊かな恵みへと渡っていきたいと思います。

 2022年2月27日

「恵みのゆらぎ」
ルカによる福音書10章17~20節


 ある日、イエスはご自分の弟子72人を、町や村へと遣わされました。すると遣わされた72人は、喜んで帰ってきました。そして「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と、夫々がその働きと成果を報告いたしました。するとイエスは語られました。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。
 新約聖書学者・大貫隆さんの著書「イエスという経験」には「イエスの幻視体験」あるいは「イエスの覚醒体験」による「神の国のイメージ・ネットワーク」が描かれています。イエスは今日の箇所であるルカ福音書10章17節以下で語られたようにサタンが墜落する幻を見ました。この幻は「神の国の支配」です。しかもイエスの語る出来事は、イエスがサタンを墜落させたのではなく、神が墜落させた出来事です。「落ちる」という言葉は、原語では「神が投げ落とした」となっています。ドラマの隠れた主人公は神です。そしてサタンの墜落から、そのサタンの配下の蛇やさそりと表現される諸悪を踏みつける権威が神からイエスに与えられ、その権威が、今度はイエスから72人の弟子たちに授けられたという話になっています。
 大貫隆さん曰く「しかもそこには、文学的装飾らしきものは一切ない。それは端的な体験報告とみなすことができる」ということです。イエスはこの幻を神によって示され、この幻から神の国の支配を言葉、たとえあるいは行為によって表現しているということです。
 しかも、最も注意したいことは、イエスの伝える神の国は、将来やって来るものではなく、すでに存在し、今現在も進行しているダイナミックなものであるということです。加えて富むものと貧しい者が逆転する、泣いている者たちが笑うようになるという強烈な逆転こそが、まさにイエス独自のものであるということです。
 注目すべきことは、イエスの神の国宣教にはパートナーが存在していることです。72人の弟子たちです。ウルリッヒ・ルツという神学者は、イエスは私たち人間をパートナーとして選ばれ、ご自身の業を私たちにも託されていると語っています。つまりまず私たちは、諸悪を踏みつけ人々を癒すことへとイエスによって遣わされているということです。でもどうやって諸悪を踏みつけたらいいのか?どうやって癒していったらいいのか?と困ってしまいます。
 イエスの名前を出すと治るとか癒されるというのは、神話的表現ですから、今を生きる私たちには現代的な解釈と実践が必要となります。この繰り返しが教会の歴史であり、歴史の中で絶えず新たに革新されていく信仰の表明でもあります。さてどうしたらよいのでしょうか?
 皆さん、一緒に困りましょう。そして一緒に悩みましょう。頭をかかえましょう。実はそこから、イエスの真髄である「想像する愛」が始まります。ルカの文脈に従うとイエスに派遣された72人は「何も持って行ってはならない」と言われ遣わされた人々でした。もう一つ付け加えますと、彼らはイエスから洗礼を受けているとか資格があるとかではありません。生前のイエスは誰にも洗礼を授けてはいません。それから遣わされた彼らはイエスをちゃんと理解していません。イエスは何かに気づいて欲しい、何かを感じ取って欲しい、そんな切なる願いをもって送り出しています。不完全であり欠点だらけであることを承知で彼らの不安定さ、不完全さを大きく優しく包み込みながら、彼らを送り出しています。
 そんな彼らはきっと行く先々で困り果てたと思います。苦しむ病気の者、孤独の者を前にして、「どうしよう。何もないのに。一体何が出来るのだろう」と焦り、戸惑い、ある者は自らの無力感に悲しくなったと思います。またある者は「こんなとんでもない現実に私たちを送り出して」とイエスを恨んだかも知れません。皆、目の当たりにする現実に痛み、苦しみ、嘆き、悲しさを憶えたと思います。しかしここにこそあのイエスの哀れみ=断腸の思い、痛みを自らのものとして受留める想像の愛が生来するのです。不完全さや不安定さは、もしかすると人間存在の幅をもたらす、恵みのゆらぎなのかも知れません。
 イエスを思い出すとき、イエスの想像の愛は、痛みや悲しみを共有することへ導きます。不安の中で人はゆらぎ、そして無力の中で共に天へと祈りを奉げることへと導かれます。最も重要なことは、出会った人と共に喜びへと導かれるまで、そこに留まり共に生きることへとイエスの派遣は促します。
 人々が喜びに満たされたことを味わい、苦しむ者、悲しむ者と共に生きることこそがイエスの核心であり、促しであることを感得した72人は、自らも喜びに溢れてイエスのもとに帰ってきました。人と一緒に重荷背負い、難しい問題を共有し合い、共に祈りを奉げていくという共生の輪のただ中にこそイエスは存在し、その輪を広げよと命じられているのです。このようなイエスの業という取り組みの果てにこそ、皆で喜びを分かつ神の国の姿が隠されているのです。それがイエスの幻なのです。
 私たちには、イエスの十字架の愛という、私たちを心から愛して下さる神の通奏低音がすでに響いているのです。この通奏低音をしっかりと聴きたいと思います。また私達の教会の掲げる姿勢は、一言で表現すると、神とイエスを中心とした「共生」というヴィジョンです。これは教会論的に神の国を表現する教会の宣教姿勢です。聖書を通してイエスの神の国を表現した主旋律のようなものです。礼拝も諸集会も祈りも奉仕も、この核を中心に営まれているものです。礼拝をはじめとする諸集会や集まりは、この核を常に確認する作業なのです。
 神の通奏低音を我が身に刻みながら、イエスの幻である共生という主旋律を一緒に奏でていきたいと思います。そして鎌倉恩寵教会独自の様々な装飾音を付けながら、神の国、イエスの幻という大曲を、美しい調べを世に響かせていきたいと思います。
 最後に、イエスは「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われました。不完全であり、不安定であっても私たちを赦し、いえ不安全で不安定であるからこそ私たちを愛し、大きく優しく包み込んでくださり、すでに天に名が記されている者として下さっている方が、私たちを送り出し、私たちと共に歩まれているのです。私達もまたイエスによって派遣された72人です。私たちも気づかされ、愛することへ、共に生きることへ、イエスの幻を感得する者へと導かれたいと思います。地上での命の息を神によって納められる時まで、天に名が記された者として、イエスの幻を追い求めたいと思います。

2022年2月20日

「イエスという原点」
マタイによる福音書20章1~16節


 今朝の聖書の箇所は、2000年も前の日雇い労働のお話ですので、現在とはずいぶんと違う点もありますが、日雇いでその日その日の賃金をもらうとすれば、今日働けなかった、あぶれてしまったということは、自分と家族が明日、食べていくことができないということです。もちろん実際には毎日働くことはできなかったと思います。晴れた日ばかりでなく、また安息日なる日には休まなければなりません。お前は今日、働かなかったのだから、明日食べることができないのは当然ではないか、それは当たり前ではないかと誰もが思ったことでしょう。これが当たり前、働かざるもの食うべからずであれば、ますます運が差を広げ、今日職と食事にありつけた者が、職にあぶれ食べるに困った者よりも体力があり、雇い主が体力のある者から雇い、かくして差はどんどん広がっていきます。
 そこで2000年前の大昔、イエスは一言放ちました。仕事が与えられた者働けた者は、与えられた機会に感謝しようではないか、しかし今日安心して食べることができ、安心して眠れるということを全ての者に分かち合おうではないか、最低一日1デナリオンが必要なら皆で分けようではないか・・。
 夢のような話かも知れません。しかしこれは2000年も昔の一人の大工職人によって語られたのです。しかも分かり易いたとえ話にして語られたのです。そんな時代にすでにこんな夢のような話を語った人物がイエス・キリストなのです。
 京都での学生時代、ある時学部生の宗教学の試験監督とそのテストの採点をしてくれないかとアルバイトの話を担当教授の橋本先生という新約聖書学の先生に頼まれ、当時大学院生で時間だけはたっぷりとありましたので二つ返事で引き受けたことがあります。バイト代が先払いでいただけたということが一番心引かれたというのが一番の理由ですが・・・。
 試験内容も何も知らされないままでしたが、多少懐があたたかくなったために足取りも軽く笑顔で試験会場に向かいました。試験が始まると一生懸命に試験に取り組む学生を前に、うろうろしているのも申し訳ないと思いながら椅子に座って試験問題を眺めていました。すると最後の欄に、採点とは関係ないので次のイエスのたとえ話の感想を書いてくださいとありました。今朝の聖書の箇所なんですね。よせばいいのにこんなに難しい箇所をと思いながら、ふと我に返って誰がこの感想についてコメントするんだと、バイト代先払いとはこのことかと気づいてからは、本当に後の祭りでありました。
 まあ採点とは関係ないと書かれていたから等と気楽な気持ちでいましたらさあ大変、あるは、あるは半分位の学生がコメントを残しておりました。しかもその大半が「こういうイエスの意見は間違っている。世の中が不公平になる。働かない者が増える。働いた者が損をしてバカを見る」という意見が支配的でした。何日も頭を抱えながら、これはきっと先生が私を指導するために教育という思いを込めて試験監督をさせたのだなと考えながら、答案用紙にひたすらコメントを書き続けました。そんな京都でのひと夏を思い出します。ところが、後からもれ伺ったのですが、このいきさつをネタに目先のものに捉われないようにと先生が授業で語ったとか語らなかったとか。その夏の笑い者にもなったようです。
 さて、今朝の聖書の箇所について、色々な意見があるかと思いますが、イエスが放った一言が与えた影響ははかり知れないほど巨大なのです。イエスが語った全ての人々に対する共生理念は、多くの人々、とりわけクリスチャンの心に染みとおっていきました。教会はこのイエスの語った理念を、掲げた思想を生かそうと、2000年にわたって努力してきました。西欧社会はこのイエスのたとえを語り継ぎ、失業保険、健康保険という様々な社会保障制度を生み出し、発達させてきました。その制度を近代になってようやく日本も輸入しています。まだまだこれらの制度は欠点もあり至らないところも多々あります。しかし、2000年前にイエスが語らなかったらヨーロッパ世界に継承されてこなかったものなのです。何もないところから、互助制度は降って沸いてはきません。それを生み出すまでの長い歴史の出発点にイエスの一言、共生理念が位置しているのです。福祉制度もしかりです。
 その昔、イエスがこのたとえを語った時、きっと人々はあざ笑い、バカにして、イエスの横を通り過ぎて行ったことでしょう。「お前の考えは間違っている。世の中が不公平になる。働かない者が増える。働いた者が損をしてバカを見る」と多くの人々がイエスの話を聴いては居られないといって離れていったと思います。15節に「ねたむ」という言葉があります。これは「嫉妬深い」という意味で、もともとは「よこしま」という意味を持っています。ねたみが嫉妬が、よこしまさが、イエスの言葉を遮ろうとしています。しかし、ほんの一握りの人々がその後もイエスの言葉を忘れられずに、イエスの理念を何百年もかけて実現して来たのです。
 「天の国は次のようにたとえられる」という訳は「天の国は次のような事態である」という元々の意味があります。たとえというよりは、このような事態ですよとイエスが宣言をしているのです。そして印象的なのはブドウ園の主人が、何度も何度も出かけていくという姿です。夕方の5時にも出かけていきます。もはや人を雇うのはナンセンスな時間でもあります。夕方まで仕事を待ち続けていた人は言います。「誰も雇ってくれないのです」。彼らは命の糧を求めて終日待ち続けました。また命の糧を与えてくれる主人を求め続けました。そしてやっとその主人と出会えたのです。しかも向こうからやって来て、近づき、声をかけられているのです。神は動かないのではない、神は命の豊かさ、命の糧を自ら動き切り開かれて行く、そして人間と共に喜び合おうとされているのです。イエスの放ったこの一言に心揺さぶられた人々が、神の姿を神の御心を実現しようと取り組み始めたのです。
 「キリスト教は愛の宗教」だそうです。命の糧を求めて待ち続けている者に対して、愛が口先だけに終わらぬように、イエスという原点から私達も踏み出して行きたいと思います。

2022年2月13日

「愛を切り開く」
ルカによる福音書10章25~37節


 これまで幾度となく繰り返し読まれ、また語られてきた「よきサマリヤ人」のお話を、今朝はもう一度、読み直してみたいと思います。
 イエスとある律法の専門家との問答ですが、テーマは永遠の命、そして隣人愛です。「永遠の命」というと私たちは永遠に生き続けることと思いがちです。永遠の命というと、どうしても時間の長さを考えてしまいます。時間の長さだけを問題とするなら「永遠の命」にはあまり魅力はないのかも知れません。しかしここの聖書の箇所で言われている「永遠の命」とは単なる時間の長さではありません。永遠の命とは神の前での正しさ、神の前で義として生きることと結びついています。
 このたとえの背景には旧約聖書の創世記の時代から延々と続く、イスラエル12部族の主導権争いや、南北に分裂したイスラエル王国の宗教的、民族的な深い溝があります。
 助けられたユダヤ人と助けたサマリヤ人には、相容れない隔ての壁がありました。命を助けられたユダヤ人が、もし他のユダヤ人にこの事が知れたのなら「何でお前は、サマリヤ人等に助けられたのか?、恥ずかしくないのか?」と軽蔑されるでしょう。同様に助けたサマリヤ人も、もし他のサマリヤ人に自分のしたことの一切が知れたら「何でお前は、ユダヤ人を助けたのか?、自分のしたことが分かっているのか?」と非難されることでしょう。
 以前、朝日新聞の夕刊に「中東和平 愛憎のはざまで」という記事が3回シリーズで掲載されていました。その記事には人々のリンチで殺されかけたテロリストであるパレスチナ人を、あるユダヤ人女性が身を投げ出して助けたという記事でした。このご婦人はテロリストのパレスチナ人を助け、一週間以上も看病したそうです。しかしその後、このご婦人の子供達が心配をして母親に言いました。「お母さんは素晴らしいことをしたけれども、もうしないでね。お母さんにもしものことがあったら、私たちはどうすればいいの」。
 お母さんにもしものことがあったらとは、パレスチナ人を助けた母親に対するユダヤ人社会の嫌がらせを意味しています。つまり、パレスチナ人を助けたことによって、この女性はユダヤ人でありつつも、同胞のユダヤ人社会から嫌がらせを受けたのでした。「裏切り者」「こんど市場に買い物に来たら、殺してやる」などの言葉、落書き等を浴びせられました。
 イエスのたとえであるサマリヤ人も瀕死のユダヤ人を助ける時、他のサマリヤ人に目撃されていたら、様々な嫌がらせを受けたかも知れません。おそらくイエスはそのことを承知で、あえてこのたとえ話を設定しています。両者の間にある大きな溝、にもかかわらず、このサマリヤ人はユダヤ人を助けたのでした。サマリヤ人の価値観や考え方の枠の中では決して「良い行い」ではありません。明らかに「裏切り」の悪いことでした。しかし、サマリヤ人は瀕死のユダヤ人を見て「憐れに思った」のでした。
 この聖書の箇所で使われている「憐れに思う」という言葉は、聖書ではイエスや神に限定されて使われている特別な言葉です。「断腸の思い」「心が引き裂かれる程の思い」とか「心が強く動かされた」と表現される言葉です。
 自分がサマリヤ人であること、また相手が敵対するユダヤ人であることを忘却し、一人の人間として瀕死の人を見過ごしには出来ない、心を強く動かされたのです。実はイエスのたとえには、人と人との具体的な出会いが語られ、そこに「憐れに思う」「心を強く動かされる」という神の出来事が人の心の中に起こることを語っているのです。
 サマリヤ人がユダヤ人を助けるという行為は、そんな神の出来事なのですが、それは境界線を乗り越えていくものでした。サマリヤ人という枠があり、ユダヤ人という枠があります。歴史的にも大きな隔てであり大変難しい問題でした。しかしイエスのいう「隣人愛」はそれを乗り越えていきました。
 社会というものは、様々な境界線から成り立っています。国と国との間には国境という境界線があります。都道府県には県境というものがあります。学校や教会の建物、会社のビルなどは壁で覆われています。家の壁は家族と他人を分けます。家の事情等は外に漏らさないのが普通です。私たちの心の壁は相手によって開いたり閉じたりします。近所の親しい人には愛想良く挨拶をしますが、全然知らない人には、顔を合わせません。私達は「我々」と「彼ら」と区別することで成立します。その意味で境界線を越える、なくすということは社会や共同体を否定しかねません。それほど、境界線は私たちが生きていく上で大切なものです。
 しかしこの大切な境界線が個々の人間を隠し、あるいは個々の人間を分断し、時に個々の人間の存在を見えなくします。境界線ということで、旧約聖書のレビ記にこんな言葉があります。「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちの内の土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、ヤハウェである。」(レビ記19章33、34節)
 この聖書の言葉は「いま、ここに」共に生きているという現実に目を向けさせ、互いに向き合うように命じている言葉です。最後に「わたしはあなたたちの神、ヤハウェである」と宣言されています。神は愛を命じるのではなく、人々の間で、愛を切り開いて行くのです。
 イエスのたとえであるよきサマリヤ人のたとえのテーマは永遠の命です。隣人愛とは一人の人間として他者と出会うことであり、その出会いの中で生まれる境界線を突破する出来事のことです。瀕死のユダヤ人はサマリヤ人によって命を助けられます。瀕死であったため意識が薄れていったことでしょう。同胞の祭司やレビ人が通り過ぎ、見捨て行かれ、だんだんと薄れ行く意識の中で、誰かが自分を抱き上げ、介抱し、回復してゆく命を共に喜んでくれていると、かけがいのない他者を感じたことでしょう。敵対する他者がかけがいのない他者へと変えられてゆくこの時、このユダヤ人は命を獲得していくのです。イエスがたとえの設定として瀕死の人を登場させたのは、恐らく「永遠の命」が境界線を突破する愛、つまりイエスの十字架の愛がそれを生み出すことを示されたのでしょう。私たちもキリストによって、突き動かされたいと思います。

2022年2月6日

「問い続けるイエス」
マルコによる福音書2章23~28節


 イスラエルの安息日規定は現存する世界最古の労働基準法です。この安息日規定にまつわるイエスの言葉と行為から、今朝は共に示されたいと思います。
 ある安息日にイエスの一行が麦畑を通りかかった時、弟子達は歩きながら畑の麦を摘み始めました。それを見ていたファリサイ派の人々がイエスに対して「なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と問いつめました。するとイエスは、昔ダビデも空腹であった時、共の人たちと神殿に入って、神殿に仕える祭司以外には食べることが赦されなかった供えのパンを共の人たちと一緒に食べたではないかとサムエル記上に記載されている故事を引用した後、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」と語りました。
 原則としてあらゆる労働が禁止されているのが安息日ですが、人間の生命の維持、命の危険を緊急に避けるために必要な行為は、たとえ安息日であっても例外的に許されていました。他の聖書の箇所でも繰り返される病人をいやす行為、体の不自由な者を解放して行くイエスの行為、また申命記23章21節には、飢えた人や貧しい人が他人の畑に入って穂を積む権利が記されています。鎌を入れることは労働になり他の人々の仕事を無くしてしまうので、自分の飢えをしのぐ程度の手で摘むことは許されています。これは最古の生活保護法ではないでしょうか。旧約聖書のルツ記などにも同様な麦畑を舞台とする困ったルツとナオミを支え合う美しい人々の姿が伝えられています。
 加えて当時の世界で「病気」とは、当人あるいは親、先祖が犯した律法違反の罪だと考えられていました。神が下した罰ということです。従って罪を許すのも神であって、人間が他人の病気をいやせるはずがないというのが当時の考え方です。イエスはこれを承知の上で病気の者を癒しています。
 福音書に登場するファリサイ派の人々というのは、簡単に表現すると当時の社会的なものの考え方を代表する人々です。旧約聖書の例外規定やそれにまつわる様々な物語があるにもかかわらず、イエスや弟子達を咎める姿には「病人、貧しい者、罪人」と称される人々への蔑視や、偏見差別があります。イエスと弟子の一行は旅する集団でした。定住しない人々は律法を守れないので嫌われ、罪人、社会を乱す危険な人物と見なされていました。これも旧約聖書に旅人を大切にもてなすことが奨められているにもかかわらず、新約聖書の時代ではとんでもないことと考えられるようになりました。つまりイエスは、これら社会の最下層の人々、はじかれ嫌われている人々と共にいるのです。そうではないファリサイ派の人々は、「病人や貧しい者、罪人」と共に歩む旅人集団のイエスが威厳をもって語ること、しかも神の御旨だと語ることが絶対に赦せなかったのです。
 今朝読んでおります聖書箇所は、99匹と一匹の羊のたとえと並んでマルコを手がかりに、福音書における最古のイエスの言葉を探ることの出来る重要な箇所なのです。多くの聖書学者がこの箇所を取り上げ、非常に研究が進んでいる注目の箇所が、マルコにおける安息日の穂摘み事件なのです。
 これは最古のイエスの真性の言葉だと云われるのが、27節と28節です。この内の27節の「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という重要な言葉をマタイとルカは削除しています。マタイは「憐れみ」と理解し、ルカは全く削除したままにしています。マルコに残された27節の言葉は、安息日よりも人間に重点がおかれています。ここにイエスの立ち位置があります。
 安息日は世界最古の労働基準法です。聖書の時代、奴隷制度の中でもそれは適用されました。人間の命が粗末にされないように皆が休み、休息をとり元気を取り戻し、鋭気を養うという意味でしょう。それから貧しい者、飢えた者に施される穂摘みの権利、生活保護、命を守る生きる権利があります。
 教会は、地域の為に、社会のためにと伝道、宣教を考えています。しかし今一度、イエスから示されることは私達の立ち位置です。「どんな方でも教会へお越し下さい。教会は全ての人を受け入れます」と、どこの教会でもうたいます。しかし多くの重荷を背負い、様々な苦しみを持つ人々の、それこそ多様な状況と現実に対して、受け入れる私達の考え方や相手に向かう立ち位置や目線がそのままでは、イエスを伝えることはまず無理です。私はいつもイエスの言葉と振る舞いと表現しています。言葉は現実で語られ、故に言葉は初めて生きてきます。振る舞いはイエスの足跡です。
 イエスは「皆さん、いらっしゃい」とイエス人生相談所なる看板を掲げて、ナザレで待っていたのでしょうか。そうではなかったはずです。以前フェリスで教えられていましたが、現在は立教大学で教えられている新約聖書学者の廣石望先生が私との私的な会話の中で、こう云われました。「イエスは聖書の中にはいない」「イエスは常に自分の身の置き所を変えていた。イエスは現実の世界の中にいる」。廣石先生自身、学校のない日は、一人の人間としてボランテイア活動をされているそうです。イエスは、ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、荒れ野におもむき、洗礼者ヨハネの洗礼運動に関わり、その後、ガリラヤを旅し、ある時は異邦人の地へと身の置き場を変えていきました。孤独の人を誘い、病人と接し、罪人と共に食し、最後はエルサレムで十字架の死を迎えました。
 イエスは聖書から示される様々な事柄を、現実の様々な場で追体験する事へと私達を誘っているのです。安住することなく、身の置き場を変え、多くの人々共に生きて欲しい、一緒に歩んで欲しいとイエスは私達を促しているのです。イエスは神の国の接点です。イエスを伝える福音書はイエスと共に生きた多くの人々とのモザイク画のようなものです。そのイエスや神の国は、例えとしてパン種やパンを用られます。最後の晩餐でもイエスはご自身をパンと云いました。聖書のパン種、パンが膨らむには、神とイエスと、多くの人々の心と生きかたという熱、暖かみ、祈り、共生をもって膨らむのです。それがイエスと生きる豊饒さではないでしょうか。相互が実際の場でイエスを通して変化し、豊かに膨らんで行く、それが信仰者、クリスチャン、そして教会ではないでしょうか。イエスは私達を今も豊かに育もうと、促されているのです。最後の最後まで、一緒に歩んで下さるイエスと共に、私達は神の愛に包まれながら豊かに育まれたいと思います。

2022年1月30日 

「優しさに溢れて」
ルカによる福音書7章36~50節


 福音書にはイエスが人の家に招かれて食事をする場面が度々出て参ります。この聖書の箇所は、ルカ福音書だけに収められているファリサイ派のシモンの家に招待された時のことです。ファリサイ派の人に招かれるというのは珍しいことと思われますが、ルカ福音書では3回もイエスはファリサイ派に招かれています。一般的には、イエスを敵視するファリサイ派の人も多かったことと思いますが、中にはイエスに関心を寄せるファリサイ派の人もいたということでしょう。
 当時のユダヤ社会では、ラビと呼ばれる律法教師を家に招く時には、誰でも参加してよいという風習がありました。現代風にいうのならば、ランチ付きの講習会でしょうか。
 物語はシモンの家で皆が食事の席に着いたところから始まります。突然、町で「罪深い女」と云われている女性が入り込んできました。彼女は香油の壺を抱えていました。律法教師への尊敬のしるしに香油を注ぐのは、当時の習わしでもありました。ところが、彼女の振る舞いに、皆が驚きました。突然、食事の席にわって入るなり、涙を溢れさせながら、その涙でイエスの足を洗い、自分の髪の毛でぬぐい、接吻をし香油を塗ったのです。
 さて、イエスはこの場面でファリサイ派のシモンに語りかけました。それは女性とシモンが対照的であることの指摘でした。39節にある「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」という彼が抱いていた思いは、イエスを諮るそして人を諮る心です。
 この場面に居合わせた人々は、イエスが女性に成した赦しの宣言に躓いてしまいます。イエスのたとえ話を頭では理解しても、目の当たりにした女性とイエスの間に展開された神のドラマが見えませんでした。女性の行為を、とんでもないハプニングとしか受けとめていません。もしかすると、私達も、この人たちと同様のことをしばしば行っているのかも知れません。自分の中で意識されずに放つ言葉、気づかぬ振る舞いによって、事柄の真意がつかめなかったり逆のことをしでかしてしまったりします。自分自身では気づかぬところで、分からぬところで、言葉と振る舞いをもって人を傷つけ悲しませていることを知らず、人の言葉や行為に傷ついたというのも私達の現実です。言葉だけが、なにげない振る舞いだけが一人歩きをして、神と人との関係、人と人との関係を見えなくする現実にうんざりするほど遭遇いたします。そんな私達であることを思い返しながら、もう一度イエスと女性の姿を心に思い浮かべて下さい。
 「罪深い女」と云われた女性は、常日頃耳にしていたイエスの噂を聞きつけて、この場にやって来たのでしょう。「罪人」の友となって下さるイエスの事をもれ聴くだけで、イエスに会いたいと心待ちにしていたのでしょう。そしてイエスに会うことで、これまで抱いていた思いを胸の中に収めきれなくなったのでしょう。自分の今まで歩んできた様々な事を、思い出してイエスの前にひざまずきました。イエスと一緒に食事の席にいる大勢の人々の目に、自分がどう映ってしまうのかなど、もはや問題にならない程だったのでしょう。彼女の目から涙が流れ始めました。泣きながらイエスに成した、この女性の行為を皆さんはどのように思われますか?
 涙をもってしか、自分の心の内を表現できないことがあります。誰にでも、人に知られずに胸の奥につっかえているものがあるかと思います。誰に対して赦しを乞うていいのか分からないものもあります。余りの切実さ、深さ故に言葉が出てこないことがあります。「ごめんなさい」と謝っただけではカタが付かない場合もあります。
 「罪深い女」とされるこの女性は、一体何の罪を犯してそう呼ばれていたかは記されていません。ユダヤ人が厳守すべき律法の違反者として「罪人」のレッテルを貼られていたのかも知れません。いずれにせよ、彼女は良心の呵責を感じていたようです。町で毎日のように「罪人」と断行される辛さ、人々からさげすまれる悲しさ、更には生きることそのものが罪でしかないような人間の闇の部分を見つめていたのかも知れません。
 イエスは言葉なく、涙で足を洗う女性の姿に、彼女が今まで犯してきた罪を感じました。それだけではなく、彼女のいたたまれない良心の呵責、さらには気づかぬところで、分からぬところで人を傷つけ悲しませてきた多くの言葉と振る舞いを、およそ人間が生きる上での業を、しっかりと受けとめたのだと思います。
 宗教という一つの形を通して、神と人との関係を自覚し、神を信じ従おうと私達は教会へ集まります。ところが聖書の時代、同様に思っていたユダヤ人でさえもが陥ってしまう人間の罪、現在のキリスト教も例外ではないと思います。しかし、本当に人間の罪深さを赦される方はイエス以外にないことを、この女性の姿から示されます。彼女はイエスと出会い、イエスから「よし」とされました。「罪深い」といわれた女性だけが喜びに満たされたのではなく、イエスも彼女の姿から喜びを得ました。喜びに満たされ、愛に満たされた者だけが口にし、語りかけることの出来る言葉、「安心して行きなさい」、神があなたと共におられるとの優しさに溢れた言葉がイエスから彼女へと贈られました。神にイエスに赦し生かされている恵みが、一人の女性を包んでいく場面が描かれています。
 自分のダメさ加減に打ちひしがれることがあっても、この女性のようにイエスのところへ向かって行きたいと思います。言葉にならない呻きであっても、イエスが受けとめられる、そして「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」との恵みの言葉を共に聴きたいものです。

2022年1月23日 

「私たちの土台」
マタイによる福音書7章24~29節


 求め開かれる門、狭き門という二つの門のたとえ、木と実のたとえと同様に、今朝の「家と土台」の話でも二つのタイプの人間がたとえられています。一つは、イエスの言葉を聴いて行う人間、もう一つは聞くのみで、守らず行わずという人間です。どちらもイエスの言葉を聴いてはいるのですから、マタイ福音書の歴史的背景を考えても、これは教会内の存在であることが分かります。
 マタイ福音書の7章24節以下では、単に「岩の上に家を建てた」とありますが、平行記事のルカ福音書6章46節以下では「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて」となっています。マタイの家の建て方は、当時のパレスチナの人々の家の建て方を伝えています。ルカの家の建て方は、ギリシャの人々の家の建て方を伝えています。これはマタイ福音書とルカ福音書の読者層の違いで、ルカ福音書は、明らかに広く地中海世界の人々を意識しています。
 ところで、「岩の上に自分の家をたてる」というイエスの言葉に、私は大変心を打たれます。普通、家や建物をこしらえる時、土台作りも人の手によってなされていきます。しかし、イエスのたとえでは、岩と砂地という選択可能な場所を人間が自由に選ぶという設定になっています。人間は自由な存在であるということ、そして、私達の人生や歩みには取り組むべき課題や仕事があるということ、しかし、人間はその一部の取り組みや仕事を受け持っているに過ぎないことが分かります。自分のあり方や取り組み、仕事を全体の一部に過ぎないとして相対化すると共に、なお貴い一部であり、大変意味ある一部だという生き方です。取り組みの一部を受け持っているに過ぎなくても大切な存在であり、しかし私達の命の土台、人生の土台は、人間の手によるものではなく、イエス自身が私達を根底から支える土台であるという生き方です。
 「わたしのこれらの言葉」と語られる今朝の箇所は、マタイ福音書の5章から始まる「山上の説教」におけるイエスの教え全体を指しています。それは律法的な規律ではなく、何よりも隣人愛の教えです。このイエスのたとえは、旧約聖書のノアの箱船がイメージされていると云われています。更に、イエスが語った山上の説教の締めくくりとなっています。注意すべきは、教会に属すること、聞いて「行う」ことに重点が置かれています。
 私達にとって、言葉を聞き頭で理解することと、理解した言葉を実践することは別ようです。教会ではむしろ前者の方に重きがおかれているようです。どういうわけか、言葉を聞くだけで終わってしまうようです。プロテスタントは、言葉の宗教と呼ばれ、言葉そのものを大切にしてきました。しかし言葉を聞き頭で理解しただけでは、人間は考えるだけで終始してしまい、動詞化されず、形骸化してしまいます。それでは生きた信仰は得られません。イエスが今も尚、生きて働かれる豊かさを甘受することは出来ません。
 と云いますのは、元々聖書では、言葉を聞き頭で理解することと、理解した言葉を実践することは一体として考えられており、言葉そのものが行為と深く結びついています。新約聖書で使われている「言葉」とは原語のギリシャ語で「ロゴス」といいます。「物事を束ねる。本質を整える」という意味があります。このロゴス=言葉を、イエスや弟子達が日常的に話していた当時のヘブライ語・アラム語に置き換えると「ダバール」と云います。「ダバール」は「言葉」と訳されていますが「内側から吹き出してくる生命」という意味があります。ヨハネ福音書の冒頭に「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という有名な一句があります。聖書の思想に立って、言葉そのものを捕らえ直すと「神の吹き出してくるような生命が、イエスを通して人類にあふれ出てきた。神の命が私達へと吹き出してきた」という意味になります。つまりイエスのたとえた砂地は、イエスの語った言葉そのものがない場所であり、岩にたとえられた「土台」は、神の吹き出してくるような生命が躍動する場だと云えます。吹き出してくる神の生命、イエスを通してあふれ出てくる命に促されて、私達の人生が整えられてくる様をイエスはたとえています。
 イエスの山上の説教の締めくくりに納められた、このたとえは行為重点の教えです。この箇所までにマタイ福音書に綴られているイエスの言葉は、愛を喪失していくことへの警告とも捕らえられます。人間の自己中心的な営みへと、イエスの鋭い神の言葉=吹き出してくる神の生命が対峙していきます。
 この対峙していく様、向かい合っていく様こそがイエスの真骨頂です。対峙する、向かい合っていく様は、聖書では実は非常に近寄っていく、顔を合わせていく行為なのです。同じ所に立って、顔と顔を合わせるという行為なのです。上から何かを与えようとするのではなく、同じ所にたって悲しみは悲しみとして共感する、一緒に涙を流すという一人一人とイエスが顔を合わせていく姿なのです。
 言葉と行為を一体化させていく聖書本来の視座に立って、山上の説教を読み返すのならば、イエスが語る一つ一つの言葉には、人間の罪なる姿への激しいまでの慟哭、しかしそれを赦しつつ、私達の悲しさに涙を流しながら立つべき土台を備えて下さるイエスの十字架への道のりが見えるはずです。
 同じ所にたって悲しみは悲しみとして共感し、一緒に涙を流すという顔を合わせていく姿、言葉と行為を一体化させていく聖書本来の視座にこそ、私達の土台を据えたいものです。その時、吹き出す神の生命に私達の人生は豊かにされていくのではないでしょうか。

2022年1月16日 

「新しい創造へ」
ガラテヤの信徒への手紙6章11~16節、
マルコによる福音書10章13~16節


 
 新約聖書時代の伝道者と賞される使徒パウロが、ガラテヤの信徒への手紙を、次のように締めくくっています。「大切なのは、新しく創造されることです」。自分自身のことを振り返ってみましても、創造の営みは大変なことですし、自らが新しく変わること、また、新たに変えられることは本当に難しいことです。
 先ほど読まれました聖書の箇所は、そんな実例でもあります。マタイ、マルコ、ルカという共観福音書全てに共通する記事ですが、マルコの福音書10章の13~16節がそれです。
 皆さんご存知の子供を招くイエスの箇所です。弟子達が子供を拒絶したことを見て、イエスが憤り、弟子達を制してこの子供らを祝福されたという記事です。よく見ていただきたいのですが、共観福音書はどれも、この記事を福音書の後半に治めています。それはイエスの生涯の後半ということです。つまり、弟子達は、イエスとすでに長い間旅をしてきて、寝食を共にしてきました。ある程度イエスの語ること、イエスの教えを理解していたと理解してもおかしくはないはずです。そしてこの箇所は、直前のマルコの9章33節以下にもあるようにイエスが子供を受け入れ、祝されることも分かっていたはずという文脈で記されています。
 しかし彼らは何を思ったのか、9章でイエスが子供を抱き上げ祝したにもかかわらず、ここでまた子供を排除しようとします。つまり彼ら大人が、弟子達が、生まれた時からしみついているユダヤ教の教え、仕草、振る舞いなのです。彼らも子供の時には、そのようにあしらわれていたのでしょう。そのように追い払われていたのでしょう。
 従来、この箇所は、子供を受け入れるという美しい場面のみが強調されてきました。しかし、人を排除するというこの身にしみついているユダヤ教の教え振る舞いへの強烈な批判と、どうしても拭い去ることの出来ない私たちの愚かさを語っているものでもあるのです。そしてこれは共通して福音書の後半に記されていることを考えるのならば、私達の拭い切れないものと共に、十字架にはりつけにされるイエスを語っています。
 ぬぐい去ることの出来ない、生活習慣、環境、広くは社会、文化、国のあり方は、私たちのこの身に染み着いています。それは本当に教会でも、知らぬ間に振る舞いとしてしぐさとして現れているものと思われます。
 けれども、私たちが聖書の告げるイエスの振る舞いや仕草、姿勢をこそ求めていく時、私たちの内には、これまでの罪に死ぬ十字架とそこから新しく生まれかわる復活のイエスが生きて来るのではないでしょうか。弟子達はユダヤ教の教えや振る舞いが染み着いていました。しかし、そんな弟子達もイエスの死と復活の出来事が内に宿り、新しく歩み始めることができたのです。
 シャーロット・エリオットという讃美歌作家がいました。讃美歌21では433番を作っています。433番という讃美歌は、伝統的に洗礼式の後に応答の讃美歌として教会では用いられてきました。今日は讃美歌作家シャーロット・エリオットをご紹介させていただきます。
 シャーロット・エリオット、彼女は1789年にロンドンで生を受けましたが、もともと体が弱かったために、家の中に閉じこもりきりの生活を送らざるを得ませんでした。自分のしたいこと、夢や希望を断念せざるを得ませんでした。
 しかしある日、ジュネーブの伝道者マラン牧師と出会い、彼女は何も出来ない自分でさえ「主の十字架によって、ありのままに赦されている」ことに、心の琴線が振るわされてゆきます。十字架の上で無力のままに死なれたイエスにこそ、無力の自分が重ね合わされ、そこにこそ希望と力があることに、気づかされて行きました。
 彼女はその後、1871年に81年の生涯を閉ずるまで、150曲もの讃美歌を作りました。そのどれもが心や体に痛みや不自由さを憶える者、深い悩みの内にある者へと届けられた主の出来事を歌い上げていると言われています。様々な事が要因で無力であらざるを得ない人々への共感、しかし共感だけではなく「ありのままが赦されている」幸いを感得した者が、イエスの十字架によって変えられていく復活の力が秘められています。そんな彼女の作品は、どれだけ多くの人々に慰めと希望を届けてきたことでしょうか。
 こうして「ありのままに赦されている」との感謝を歌い上げるこの曲は、教会では古くから洗礼式だけでなく、聖餐式の際にも歌われてきたのでしょう。
 この私を在りのままに赦して下さった十字架のイエスを命の源として、シャーロット・エリオットは無力な自らが変えられていきました。この私を在りのままに赦して下さった十字架のイエスを基軸として、キリスト教迫害者であったサウロは、キリスト教伝道者パウロとして甦っていきました。
 私達はたとえ大人であっても、イエス・キリストによって新しく創造されてゆく無限の広がりと希望とが与えられているのです。今日は、この後、幼児祝福式が執り行われます。私たちもまた、こどもの様に素直に、イエス・キリストの出来事を心に刻みたいと思うのです。
 そして、新しい年に相応しく、信仰が深められ、希望に満ちた新しい歩みを成していきたいものです。

2022年1月9日 

「主の器として」
マルコによる福音書13章32~36節


 ある日の新聞に、最近の子どもたちの「跳ぶ」能力が著しく衰えているという記事が載っていました。「走り幅跳び」でいうと、10年前より約30センチ跳力が落ちているとのことです。なぜ最近の子どもたちの跳力が衰えているのか?その理由が書かれていました。
 一つは、子どもたちの体格が大きくなっていること、もう一つは、小川や水たまりがなくなり、「跳ぶ体験」が少なくなってきたことによるそうです。そう言われれば、最近の子どもたちは高い所から飛び下りたり、小川を跳びこえたりすることはほとんどないようです。
 飛べないといえば、羽根がありながら飛べない鳥にニワトリがいます。旧約聖書にはほとんど登場せず、新約聖書のみに登場する鳥です。
 なぜ旧約時代にニワトリが登場しないのか?上野動物園の園長をされていたクリスチャンでもある小森厚さんによると、ニワトリが伝わり、家庭に広がった時期と関わりがあるそうです。ニワトリは、東南アジアに野生するセキショクヤケイ(赤色野鶏)から家禽化されたものが世界中に広がったものだそうです。東南アジアと同じ稲の文化圏である日本には、非常に古くから伝わって来たようで、古事記の物語にも登場します。
 東南アジアからインド、ペルシャを経て広がっていきましたが、初めから現在のように肉や卵を採るための家禽として伝えられたのではありません。闘鶏や占いに用いられていたそうです。また、ニワトリが夜明けと共に鳴く習性から目覚まし時計の代わりにもなっていたそうです。伝播されていくにつれ、ニワトリは太陽を呼ぶ鳥とみなされ、さらには暗い夜の闇を追い払う光の象徴とも見なされるようになったそうです。
 ペルシャでは太陽崇拝の宗教とも結びついていきました。従って、ユダヤ・イスラエルの地にニワトリが普及するようになったのは、ペルシャがバビロニアを滅ぼし、勢力をギリシャの方へと延ばしていたころ、すなわちイスラエルの民が捕囚を解かれて、エルサレムにもどり、旧約時代が終わろうとする頃でした。ですから旧約聖書には、ニワトリが登場しないのです。
 イエスの時代にはエルサレムでもニワトリが飼われていたそうです。イエスがエルサレムを嘆く言葉に「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」(ルカ福音書13:34)とあるのは、ニワトリのことでしょう。
 さて、ギリシャ語でニワトリをアレクトールと言いますが、アは否定を意味し、レクトロスは「寝床」、併せて「寝床を離れよ」という言葉から来ています。日本で「コケコッコー」と聞き習わしているニワトリの声を、「アレクトール」すなわち「起きろ」と聞き習わしていたのでしょう。新約聖書にもニワトリは未明を告げる鳥として登場します。
 イエスは弟子たちに「その日、その時は、だれも知らない。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである」と告げられました。
 この言葉は終末の時はいつか、という弟子たちの質問に対して、それは旅に出ている家の主人が突然帰ってくるようなものだ。だから留守をあずかる門番がいつも目を覚ましていなければならないように、あなたがたも目を覚ましていなさい、というイエスの教えに続いています。
 そのなかに「夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か」という表現が語られているのですが、なぜ、わざわざこのような時刻(とき)を書いているのでしょうか?
 「目を覚ましていなさい」それこそ終末を生きる者の基本的な姿勢です。しかし、それは四六時中目を開けていることではありません。「これで終わった」と気を抜き、「まだ始まっていない」と気を入れない、その一瞬の無責任の姿を戒めている言葉でしょう。
 一番鶏は、まだ暗い中に鳴きます。夜が白々としたころ二番鶏が鳴き、明け方には次々とニワトリが鳴き出すものです。ニワトリはヨーロッパの教会ではしばしば塔のてっぺんに置かれ、教会がこの世界に向かって「神の国の到来の時」を告げ知らせるとともに、いつも目を醒して世の見張りの役をすべきことを自分自身に課すしるしとなっています。
 高い所に飛び上がることはできなくても、「神の国の到来」を告げ、目を醒して身をつつしむべきことを警告するこのニワトリは、教会のてっぺんに立ち続けるものとされています。
 新しい年を迎えました。この新しい一年は平安な年となるのでしょうか。それとも、激動の年となるのでしょうか。未だ未だ、コロナ禍が続いています。どれほど激動の時代であっても、また「先行き不透明の時代」であっても、私たちは「神の国の致来」を告げつつ、自らの身をつつしみ、いつも目醒めて歩んで行きたいと思います。たとえ翔べなくても、主の器として用いられていることを信じて、新しい一年をご一緒に歩んで参りたいと思います。
 

 2022年1月2日