「低きは高く」
ルカによる福音書1章39~56節


 イエスの誕生の告知を受けたマリヤが、エリサベツを訪問し、エリサベツに対する祝福の後(42節から45節)、マリヤが高らかに歌うという箇所は大変有名な「マリヤの讃歌(マニィフィカート)」です。
 そこには、マリヤの深い感情と神への強い確信が表現されています。しかし、この讃歌そのものは、旧約聖書のサムエル記(上2章1節以下)にある「ハンナの讃歌」を基に、多くの編集が加えられて出来上がったものであると言われています。ユダヤ教の伝統を帯びた様々なテーマが、ここには反復されていますが、神の救いの業の開始が、一人の女性から語られるというところに強調点があるようです。
 さて、マリヤはこの歌を「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主なる神をたたえます。」という讃美で始めます。この背後には「心にかける」という言葉に表現されているように、無力な存在に目を留めて下さる、小さな存在を引き上げて下さるという逆説的な神の視座があります。さらに「力をふるう」「追い散らす」「引き下ろす」など、終末的な審判を意味する表現方法を用いつつ、この世の一切の力と基準がくつがえされる確信と力強さ、またその厳しさが歌われています。このように「マリヤの讃歌」は謙虚さと美しい調べを持ちつつも、その内側には大きな力が秘められています。古来クリスチャンを始め、多くの音楽家の心をとらえて離さなかった力が秘められています。
 かつてデートリッヒ・ボンヘッファーという人がクリスマスを迎えるにあたり、イエスの母マリアを通して問いかけました。第二次世界大戦のさ中、ナチス・ドイツへの抵抗運動の中で命を落とした牧師であり神学者であります。彼はクリスマスを迎えつつも、戦争という恐怖と混乱のなかで震えおののく人々に対し、マリヤの姿をもって問いかけました。
 「マリヤが、神の母になるということは、一体何を意味するのか?」。神を信頼し「この身になりますように」と、声高らかに美しく力強い賛美を奏でる女性・マリヤ、その従順な姿にばかり、私たちは注目しがちです。しかし、イエスの母となったマリヤ、彼女のこの後の歩みとは、どのようなものだったのか?何が、彼女を待っていたのでしょうか?
 それは「喜び」であったでしょうか。いえむしろ、悲しみだけの辛く重い歩みでありました。我が子・イエスは、社会に政治に、宗教に、人間の最も醜い姿によって取り上げられ、奪われていくのです。この親子は引き裂かれてゆくのです。愛するわが子が最も恐ろしい十字架によって殺されるのです。聖書はそのことを念頭に、イエスの誕生物語を記しています。
 何が喜びなのでしょうか、何が恵まれた女性なのでしょうか?引き裂かれてゆく痛み、痛ましく直視できないほどの死を経験しなければならないマリヤという女性。この人の人生とは一体なんなのか?神はマリアを通して何を語らんとするのか?。マリヤとは、現実に生きる一個の人間であり、その痛みは、生きることの苦しさを表現しています。
 以前、朝日新聞社から出版された「子供を亡くしたあとで」という本を読みました。著者はジャーナリストであり、ジョンズ・ホプキンス大学で教鞭をとっている、アン・フィンクベイナーという女性です。
 この本は、子供を亡くした数多くの母親の記録です。本に登場する母親たちは、未だに子供の死を乗り越えてはいません。いえ、愛する者の死は、乗り越えられるものではないかも知れません。子供の死を経験し、良い人間になったとか、より強い人間に成長したということでもありません。敬虔なクリスチャンであったが、我が子の死を境に、神に激しい憤りを憶えながら過ごす者、薬におぼれる者、気が抜けて何もできなくなった者、人前に出られなくなった者、数々の記録が綴ってあります。
 痛みの激しさは、愛の激しさ、深さでしょうか。未だ痛みを負いつつ歩んでいるということは、今は亡き愛する者への愛が消えていないことなのでしょうか。確かに生きていたという人生への証なのでしょうか。
 もし、私たちが生身のマリヤという一人の人間の、その遥か彼方に神の姿を見るのならば、引き裂かれ、直視できないような死の痛みを経験された方が、誰なのかに気づくはずです。痛み多い、悲しみ多き、私たちと共にいて下さり、涙を流されている方が誰なのか気づくはずです。悲しみと痛みの母・マリヤに象徴される人間の現実を、神は神の独り子イエスをこの世へと送る、イエスの十字架の死をもって、ご自身の痛みとして受けられていることを告げています。そればかりか、引き裂かれる痛み悲しさを十二分に味わい、そのままで終わるのではなく、復活という命をもって救おうとされている。低きを高く、小さき者に光を、神がイエスを捧げるという痛みをもってあなたを逆転させようとしている、それがクリスマスの出来事ではないでしょうか。
 最後に、糸賀一雄(いとが かずお)さんという教育者をご紹介したいと思います。糸賀一雄さんは、1946年に知的しょうがいの子供たちや、戦災で孤児となった子供たちの施設、近江学園を滋賀県大津市に設立しました。時代が時代でしたので、世間の無理解故に大変苦労されました。この施設・近江学園は単なる生活施設ではなく、教育と作業を通して、子供たちを自立させるところに施設の目的がありました。
 1968年に糸賀一雄さんは、朝の礼拝で、若い職員と子供たちの前でお話をしていました。お話が終わろうとした時、糸賀さんは突然、心臓発作で倒れてしまいました。倒れながら、苦しみながら、最後にかすかな声で「この子らを、世の光に」と言われ、翌日、糸賀一雄さんは神のみもとへと召されていきました。
 糸賀さんの最後の言葉「この子らを、世の光に」とは、近江学園と糸賀一雄さんのモットーでもありました。これはマタイ福音書にあります「あなたがたは世の光である」という言葉から取られたものです。糸賀さんは亡くなる3年前1965年に「この子らを世の光に」と題された本を出版しています。この本の中で書名となった言葉を次のように紹介しています。
 「この子らに、世の光を」ではなく、あくまで「この子らを」としました。「に」ではなく「を」です。この違いが一番大切なのです。この子たちの存在そのものが世の光なのです。子供たちの真剣に生きて行こうとする姿から教えられ、私達が救われるからです。
 低き者は高く、小さな者は大きく、イエス・キリストの降誕に告げられる神の逆転の出来事を見る思いがいたします。私たちもそのような降誕の出来事が「この身になりますように」、喜びの約束を心から信じることができますように、祈りつつクリスマスを過ごしたいものです。無力な幼子として、私たちと等しい人間として、この世へ生まれたイエスの生涯にこそ、共なる神の姿があることに気づかされたいと思います。

2022年12月25日

「新しい命という希望」
マタイによる福音書1章18節~23節
ルカによる福音書1章26節~33節


 私が勤務しています学校では、高校3年生に、毎年卒業前に好きな聖句をアンケートしています。実は今年3月の私の礼拝担当の時に、昨年までのアンケート結果をお話しました。今年も、高3はもう通常の授業は終わるので、最後の聖書の授業で、アンケートを取りました。高3は受験生だからか、毎年「狭い門から入りなさい」か、「求めなさい。そうれば与えられる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる」のどちらかの聖句が第1位に選ばれるのですが、今年は違っていました。生徒が一番多く選んだ聖句は「明日のことまで思い悩むな」と言うマタイ6章24節のみ言葉でした。7年間このアンケートを続けていて、この聖句が1位になったのは初めてでした。やはり今のウクライナの戦争や、長引くコロナの影響で、生徒たちは学校行事も予定通り行えないことが多く、先が見えない不安を強く感じているのかなあと、しみじみと思いました。でも明日の心配は神さまにゆだねて、今の生活を一生懸命過ごしたいと思っている気持ちも伝わってくるようでした。
 2番目は「敵を愛しなさい」の聖句でした。「あなたがたも聞いているとおり『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」というマタイ5章43節のみ言葉です。終息しない戦争や紛争が続く中で、生徒たちが「敵のために祈る」という聖句を選んだ事に、考えさせられました。
毎年京都清水寺で今年の漢字と言うのが発表されます。今年も12日に発表があり、「戦」、戦争の戦、戦う、と言う字になりました。選ばれた理由は「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻など戦争を意識した年であったこと」「円安・物価高など生活の中でも闘いがあった」などが理由に上げられたそうです。なんだか今年を表すのが「戦争」の「戦」というのも悲しい気持ちが私はしました。確かに今年は2月24日にロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まり、世界中が衝撃を受け、早い終息を願いましたが、いまだに解決していないという現実があります。でも、敵に対しても、祈る気持ちを持ちたいと願う生徒の気持ちに救われる気がしました。
1人の生徒がこんな風に書いていました。
聖書には「敵を愛し、敵のために祈りなさい」と書いてある。また「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」「復讐してはならない」とも書いてある。中1の頃から納得できなかった。今まで嫌なことをされても言い返せなかったり、我慢ばかりして辛い思いをしたことが思い浮かび、一方的にやられたままなのは嫌だ、と考えていた。でも最近、聖書の中の「復讐はわたしのすること、私が報復する。悪に負けることなく、善を持って悪に勝ちなさい」と言う聖句を見つけて、6年越しに理解できた気がした。「私が苦しい思いをした時は、それをイエスさまが知ってくれているから大丈夫なんだ、イエスさまにゆだねればいいんだと救われた気がした。」「敵を愛する」というのは難しいけれど、近づけるようになりたい」と書いてありました。正直な気持ちで聖書の言葉を考えているのが印象に残りました。
「愛することや赦すことは、親しい人の中でも難しいことです。まして敵対する人を赦すことは簡単ではありません。でも、主イエスは、十字架の上でも、自分を十字架に付けた人々を赦されました。先が見えにくく、平和が脅かされる現実の中でも、私たちは毎日を大切にし敵のために祈ることを願い続けていきたい、と改めて生徒のアンケートから考えさせられました。
さて、今日は聖書を2か所お読みしました。イエスの母と父であるマリアとヨセフに、それぞれイエス誕生が告げられた場面です。
マタイによる福音書には、イエスの父ヨセフのことが伝えられています。ヨセフは、いい名づけのマリアが身ごもったことを知り、実はひそかにマリアを離縁しようと考えていました。当時はそんな女性は、石打ちの刑になることになっていたからです。ヨセフはマリアを心配して、公にせず、ひそかに別れるつもりだったのです。でも、マリアが宿しているのは神のみ子であり、その子は神さまの愛をあらわすために生まれる、イエスと名付けて育てるようにとお告げを受けました。ヨセフは悩みましたが、このお告げを受け止め、マリアとお腹にいる命を守る決心をするのです。それは簡単な決断ではなかったでしょう。
母マリアにとっての決断は、もっと大きなものでした。ルカによる福音書に、マリアのことが記されています。これから自分の身に起こることを知って、マリアは驚き、戸惑っています。「一体何のことだろう」と悩みました。しかし、天使とのやり取りの中で、マリアは「お言葉通り、この身に成りますように」と新しい命と共に歩むことを決心します。ヨセフが信じなければマリアは殺されるかもしれません。そうならないとしても、当時は女性が一人で子どもを育てるのは難しい時代です。生活の大変さとか、人の噂とか、この先何が待っているかわかりません。それでも、マリアは、この新しい命を、喜びを持って受け止め、守る決心をするのです。当時は16歳くらいで結婚するのが一般的でした。若い二人はそれぞれに天使のお告げを受け、新しい命を守る決心をしたのです。
暫くして、ユダヤにローマ皇帝から人口調査の命令が出ました。ヨセフとマリアはナザレの村に住んでいましたが、ヨセフの生まれ故郷であるベツレヘムまで旅をすることになります。マリアはもうすぐ赤ちゃんが生まれそうなのに、ヨセフと共に旅に出なければなりませんでした。身重なので、道を急ぐことができず、ベツレヘムについた時には、もうどこの宿屋もいっぱいでした。多くの人が、人口調査のために旅をしていたからです。結局家畜小屋で出産することになりました。
一方ユダヤのヘロデ王は、新しい王が生まれたと聞き、自分の地位を守るために、ベツレヘムの2歳以下の赤ちゃんを殺す命令を出しました。ヨセフとマリアは、イエスを守るために、また旅をして、今度はエジプトまで逃れていくのです。
天使のお告げを受けてからの二人の歩みは、困難に満ちていました。
あちこちを旅して、旅の途中で出産し、乳飲み子を抱いて国を超え、外国でしばらく暮らすことになりました。頼る当てのない若い夫婦は、きっと様々な人に助けられたでしょう。その姿は、今、ウクライナで戦闘が始まり、住み慣れた家を追われ、自分の国から逃げて行く妊婦さんや、赤ちゃんを抱えてさまよう人たちと同じです。どんなに心細く、大変なことだったでしょうか。しかしヨセフとマリアは、小さな新しい命を、希望の光として、大切に守り抜きました。救い主イエスは、最初から救い主として生まれたのではなく、無力で、人に助けられなくては生きていけない小さな命として誕生したのです。きびしい時代の中で、貧しく若い夫婦が、赤ちゃんのイエスを守り抜いた、それが2000年前の最初のクリスマスです。
 
『信徒の友』というキリスト教の雑誌に、タンザニアのタボリ州カリウアと言う地域で働く雨宮春子さんという日本人の女性の活動が紹介されていました。雨宮さんは、看護師・助産師として、日本キリスト教海外医療協力会から派遣されて働いています。雨宮さんは、現地の「ママ・ナ・ムトト」「母と子の命を守るためのプロジェクト」に、現地のスタッフと協力して、活動しています。カリウアの地域では死産や新生児が死亡する率が高く、病院で10件のお産があれば、その内1.2件は赤ちゃんが亡くなります。病院に車で来られる妊婦さんは少なく、お産の時でも徒歩や、自転車タクシーで1時間以上かけて病院に来るそうです。病院に辿り着く前に出産して赤ちゃんが亡くなることもあり、自宅でお産をしようとして、お母さんも赤ちゃんも命を落としてしまうこともあります。病院で検診を受けられない妊婦さんも多いです。この厳しい状況やリスクの高いお産に、絶望や恐怖を感じるのは現地のスタッフも同じでした。雨宮さんはこう言っています。「正直、ちっぽけなこの私に、ここで何ができるのだろうか、と絶望と無力を感じることは少なくありません。失われてしまう命を前に無力を感じることが多いです。それでも新しい命と言う希望を守っていきたい、そう考え、カリウアの病院で働いています。」と。
私は、この「新しい命と言う希望を守っていきたい」と言う言葉が心に残りました。今も理不尽に命が奪われる現実がある中で、今日も、カリウアの病院では、新しい小さな命を神から与えられた希望として守り続けている人たちがいるのだと思うと、励まされました。
命を守る。どんな状況でも、いつの時代でも、たとえ敵対している相手であっても、私たちはどの命も尊び、大切にすることが神から与えられた希望につながります。明日のことが見えにくい時代の中でも、敵のために祈ることが困難な中でも、神にゆだねて、祈ることや赦し合うことを大切にしていきたいと願います。
2000年前のユダヤでも、イエスの命を希望の光として守り抜いた人たちがいました。そのクリスマスの物語は、長い時を超えて、今も私たちに伝えられています。来週はクリスマス礼拝を守ります。神さまのみ子、イエスキリストの誕生を心から待ち望みたいと思うのです。
 
(祈り)愛する天の神様、困難な中でも、小さな命を大切に守り続けるために働く方々がいます。私たちも、命を損なうのではなく、命を守り、お互いの命を大切に認め合って生きていく歩みができますように。クリスマスを待つ時、あなたの救いと恵みが、とりわけ厳しい状況を生きる人々の上にありますように。この小さな祈り、主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。

2022年12月18日

「応答の姿」
ルカによる福音書1章26~38節


 今日、私達はイエスが誕生してから2000年も後の時代に生きています。おそらく聖書の時代には想像も出来なかった位に、世界は社会は科学技術の進歩と共に大変複雑で、おそよ宗教というものの疑わしさが強まった時代はないと思います。日常的にイエスの名前を口にする人々はと言えば、クリスチャンくらいでしょう。教会という建物に入るのは友人の結婚式や葬儀くらいかも知れません。ところが、本人の承諾を得ずに勝手に決められた12月25日というイエスの誕生日に、世界中の人々は、自分達が楽しむために祝い、プレゼントを交換します。商業ベースに乗せられたイエス、しかもそれは生まれたばかりのイエスですが、人間の実相や在り方とは、およそ無縁な存在でしか捉えられていません。
 イエスに近づきにくくしているものに、カトリック教会の神の母・マリアは無垢で受胎し、天に挙げられたという教義があります。このようなカトリックの「無垢受胎説」や「被昇天説」を信ずるか否かは別として、マリアといえば、一般的に「聖母」あるいは「永遠の処女」と捉えられています。しかし、荒井献さんという聖書学者の「マリア観の諸相」という論文によりますと、このようなマリア観はキリスト教の最初期には認められないと云います。イエスの母マリアは時代と共に変遷し形作られました。
 近年ではフェミニズム神学によって「マリア学(Mariology)」という言葉も使われるようになり、現代女性の解放のシンボルとして、また信仰理解を深める意味でも、マリアの再解釈が進められています。
 先ほど読まれましたルカ福音書の1章26節以下は、イエス誕生の予告物語です。著者のルカは、ここにバプテスマのヨハネを身ごもったエリザベトも登場させ、イエスとバプテスマのヨハネの誕生という二つの軸を交差させるように物語を展開しています。ヨハネという名前は「神の恵み」という意味があります。神の救いであるイエスと神の恵みであるヨハネ、著者ルカは巧みに神の救いと恵みを交差させて、二つの出来事を織り込みながら、人間の現実に神の出来事が生来して行く決定的な時を描いています。
 私達はどちらかというと、クリスマスの出来事をロマンテチックにイメージします。特に教会学校や幼稚園などで演じられる降誕劇等は、そんな雰囲気を醸し出します。降誕劇は各福音書から、それこそ美味しい処だけを取ってきて繋ぎ合わせていることを承知しつつも、各福音書のクリスマス理解が非常に多様的であることを忘れてしまいます。例えば「無垢受胎説」が民間伝承の神話や民話に彩られたものであり、昔から伝わるそれら伝承を著者が自由に用いたということがハッキリしているにも拘わらずです。ロマンチックなイメージだけでなく、私達は無理にでも聖書の表面的な描写を理解しようとします。挙句の果てには、「信仰の問題」で捉えるべきだと踏み絵的な決断をさえ迫ります。信仰は深いところでの人間の実相にふれる問題です。それが曖昧にされているにもかかわらず、信仰の問題だという、これは強制以外の何ものでもありません。
 ところで、シェークスピアの37編の戯曲は、その大半が書き記されてから400年もたっていないというのに、原本といわれる元の写本が1編もないと云われています。これに対して、2000年も遡るイエスを伝える記録が全く残っていないと云われれば、さほど不思議なことではありません。しかし、ものによってはシェークスピアよりも記録が保存されているものもあります。更に、これはどうしてか?あまり伝えられないのですが、イエスに関する最古の文書の多くは、ここ70、80年の間に考古学の成果によって発見され、明るみにだされたもので、今なお研究が進められています。
 ルカ福音書に即して云えば、これら神の奇跡的な出来事が、現実には理解出来ない描写が、当時の神話的文学様式で表現されており、劇的に彩られた描写を剥いでいくと、著者ルカの中心的な視点は、それらの謙虚さや清らかさ、「無垢受胎説」等ではないということが分かります。
 マリアの姿を追って、よくよく聖書を読むと彼女が事あるごとに「恐れ、思い巡らし」ていることが分かります。「思い巡らす」とは「疑う」という元々の意味があります。「どうして、そのような事がありえましょうか」と反応しています。信じ難いことに直面したり、予想外、予期せぬ出来事は人を惑わせ、不安にさせます。マリアも例外ではなく、私達のように恐れ、不安に陥り、そんな事はありえないと否定しています。それは神の出来事への抗議であり、神の語りかけへの拒絶、否定的な対立でもあります。バプテスマのヨハネの誕生を取り巻くザカリヤとエリサベトの夫婦も同様でした。
 ルカの云わんとしていることは、理解出来ない出来事を無批判的に信ずるということがテーマではありません。謙虚な受容が問われているのでもありません。神との対話を通して疑い迷う自分、対立し抗議する姿、拒絶し受容できない己が、神の語り続ける出来事、神の流れの中で光が当てられていくということです。と同時に私達人間の迷い、疑い、動揺する姿と、神を受容し、讃美する姿が一人の人間の中に同居していることに気づくことでもあります。
 神の前に立たされた一個の人間の中に、疑う心と受け入れようとする魂が、幾重にも重なり合って多層に多様に共存することに気づき、しかし、そんなどうすることも出来ない自分という存在に、イエスとヨハネに例えられる神の救いと恵みが交差しつつ、訪れていることに気づくことから応答は始まります。
 バーミンガムの神学者フランシス・ヤングは次の様に云いました。「人間の指紋の数だけイエスに対する応答、思い入れ、勘違いがある。信仰を定義づけようと信条を作り上げる試みも、分裂か妥協するしかない。必要なものは、新しい信条ではなく、我々の新しい解放である」。
 ルカが描くマリアの姿には、物語を設定する際の著者の心理が表れています。どうして、ルカは他の福音書に比べて、マリヤを詳細に描くのでしょうか。イエスという神の出来事を疑い、惑い、拒絶したのは、著者であるルカ自身だと思います。ルカを揺さぶるイエスという強烈な出来事に動揺し、拒絶し続けた彼の過去が重ねられているのです。しかし、語り続ける神によって、彼の前に立ち続け問い続けるイエスによって、彼の持つ様々な枠組みや、思い入れが除かれ、救いと恵みによって解き放たれたルカ自身の物語が秘められているのかも知れません。イエスによって解き放たれるまでの長い年月もの間、苦悩し続けたルカの真実が、込められているのではないでしょうか。イエスを迎え入れるルカのアドベントは、きっと気の遠くなるような道のりだったのでしょう。しかしそこには自分自身を見つめた苦悩の姿、どうにもならない、もだえ苦しむ深い人間理解と、そのような深みへと訪れるイエスの姿が証されています。そんな人間の多面さ多層さを包み込む神の側の受容が、クリスマスです。
 イエスの出来事が我が身に起こる、イエスが自分の腹の中で息づく、そのことが「この身になりますように」、イエスと共なる人生へとマリア、そしてルカと共に、私達も一歩を踏み出したいと思います。

2022年12月11日

「地の塩に光宿る」
マタイ福音書 5:13−16


 精神科医であった神谷美恵子は、長くハンセン病の療養所で、当時“癩”と呼ばれていたハンセン病患者さんたち、あるいは治癒したけれどもそこで生活せざるを得なかった人たちに寄り添い続けたキリスト者でもありました。西洋古典を学んでいた神谷は文筆家としても非常にすぐれた人物でしたけれども、いくつか詩も詠んでいます。その中の一篇に、まさに「癩者に」と題された、その患者さんたちに向けた彼女の激烈な感情の吐露による詩があります。1943年に書かれた、「うつわの歌」という詩集に収められたこういう詩です。
 
「癩者に」
 
光りうしないたる眼うつろに
肢うしないたる体担われて
診察台にどさりと載せられたる癩者よ、
私はあなたの前に首を垂れる。
 
あなたは黙っている。
かすかに微笑んでさえいる。
ああしかし、その沈黙は、微笑みは
長い戦いの後にかち得られたるものだ。
 
運命とすれすれに生きているあなたよ、
のがれようとて放さぬその鉄の手に
朝も昼も夜もつかまえられて、
十年、二十年と生きて来たあなたよ。
 
何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代って下さったのだ、
代って人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責苦を悩みぬいて下さったのだ。
 
許して下さい、癩者よ。
浅く、かろく、生の海の面に浮かび漂うて、
そこはかとなく神だの霊魂だのと
きこえよき言葉あやつる私たちを。
 
かく心に叫びて首たるれば、
あなたはただ黙っている。
そして傷ましくも歪められたる顔に
かすかなる微笑みさえ浮かべている。
 
 ハンセン病は、進行すると失明します。そして神経を冒されるので、手足を失うこともある。その患者さんは、運ばれてきて、診察台の上にどさりと載せられた、というのです。そしてその患者さんを見たとき、神谷は深々と頭を垂れた、というのです。
 神谷は、それを、その患者さんの苦しみだと、自分から切り離しひとつの対象として見てしまうことができなかったのだろうと思います。ひょっとしたら、それは、その病は、この私に起こりうることであったのかも知れない。この私が負うべき責め苦であったかも知れない。それを10年、20年、この人が代わって苦しんできてくださったのだ。
 そう思うと、神谷は頭を垂れて、この苦難の人に許しを請わなければならなかたった、というのです。それはどこかで、この苦しむ人たちの姿を忘れて、軽々と、「神だの霊魂だのと」「聞こえよき言葉」をあやつり、とってつけたようにお慰みを消費してきてしまった自分の姿を知るからだというのです。目の前の人の苦悩に照らしたものでなければ、出会ったその人の孤独に触れたものでなければ、「神」という言葉にも、「信仰」という言葉にも、あるいは「希望」という言葉にも、何の価値もないではないかと、神谷は強烈な思いにとらわれ、この詩に刻んだわけでした。
 
 この神谷の思いは、あのイザヤ書に描かれた、「主の僕の歌」に通じるものがあります。イザヤ書は、その53章で「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と」。そう語っていたわけでした。そしてそれが、キリストの範型、姿として受けとめられるようになっていったわけでした。
 
 傷を負い、哀しみを背負い、苦しみに生きてきた人がいる。もし、人が本当の意味での希望を紡いでいくことができるのだとしたら、それは、そのようにして苦難を生きてきた人の命そのものに目を留めることがあってこそなのではないか。そういうことであるかもしれません。
待降節を迎え、私たちは光を見つめています。しかし私たちは同時に、この時、光を奪われた人々があることをも知っています。本格的な冬を迎えつつ、温もりから遠ざけられている人々があることをも知っているのです。この現実の中で、ほんとうに光を見出すためにはどうしたらよいのか。何を持って真実の光とすべきなのか、そのことが問われているようにも思います。力を栄光の表れとみなす勢力が支配するとき、そしてそのようなときこそ、今日読んでいただいたイエスの宣言は、一種のカウンターとして私たちに迫ってくるようにも思うのです。キリストは今朝の福音の中で、多くの群衆を前に語っておられました。マルコによる福音書5章13節でした。
 
あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
 
 「塩」というものは、ただ単に、味付けをなす調味料であるというだけでなくて、生き物が命を維持するために不可欠の栄養素です。塩がなければ、人も動物も生きていくことはできないわけです。塩はまた防腐剤でもあります。命を繋ぐために、食品を保存させることを可能とします。比喩的に言うならば、周囲を腐らせない、それが塩の働きだとも言えるでしょう。また味ということであるならば、それはうまみをもたらすものであるのと同時に、「甘さ」ということと比較して、むしろ苦みやからさ、つらさを象徴するような味覚であるかも知れません。
 イエスは、それらのイメージをすべて込めて、「あなたがたは地の塩だ」と語られたような気がします。あるいはここはむしろ「あなたがたが地の塩だ、あなたがたこそが、地の塩だ」と訳した方が良いかもしれません。
イエスの目の前で、この言葉に耳を傾けていた人々。それはこの日、イエスと共に山に登ってきた多くの名もなき人たちでした。イエスは彼らのことを、「幸いなるかな」と言っていたのです。でも彼らは、どこが“幸せ”だったのでしょうか。「心の貧しい人々」で、「悲しむ人々」であったはずです。義に飢え渇き、憐れみ深く、心が清いのに、平和を実現し、義のために迫害される人々でした。そしてののしられ、迫害され、身に覚えのないことで悪口を浴びせられている人々でした。むしろそのような“幸せ”から取り残されてしまったような人たちであったように思われます。でもイエスは、彼らにこそ神の思いが傾けられていることを見ているのです。
イエスは、彼らこそが、辛い思いを重ねてきた分、生きる営みの重層的で複層的な重み、その残酷さを知っていて、生を紡ぐことの労苦を身をもって知っている人々だとみなしていたのでしょう。彼らの中には病気の人がいたことでしょう。障害を持っている人々もいたことでしょう。あるいは親しい人との別離を経験した人がおり、親しい人の苦境のために毎日してやれることもなく、ただ心を砕いているという人もいたことでしょう。眠られぬ夜に身を委ね、起きられぬ朝に鞭を入れてその日の業に着く人々もいたはずです。彼らは悲しみを知る者であり、孤独を知る者たちであり、希望を失うことの辛さを知る人々です。そしてイエスは、そんな彼らに向かって、「あなたがたが地の塩だ」と、そう呼びかけられるのです。
 イエスは言うのでしょう、「そんなあなたがたこそが、他の人の命を支えていくことになるのだ」ということでした。「あなたがたこそが、人々の人生を味わい深いものとし、その辛さを苦さを、そのままに味わい尽くすことができる存在となっていく。ああ、あなたがた“悲しむ人々”よ、あなたたちがいなければ、本来的に悲しみに満ちているこの世界の営みにあって、誰がその悲しみを悲しみのままに受けとめてくれるだろうか。『ああ悲しいね』と言って裁くことも叱咤することもなく受けとめてくれるだろうか。あなたがたがいなければ、この世はあたかも悲しみなどあってはならないかのように、強い人たちの物語、地位や名誉を追い求め、労働生産性だけに価値を見出そうとするような人々の物語で占められてしまうではないか。」
イエスは語りかけられるのです。「ああ、あなたたちが、そのようなこの世の力に迎合してどうする。あなたがあなたとして経験しなければならなかったこれまでの痛み、弱さ、かけがえのなさ、それを、どうかほんとうに大切にしてはくれないだろうか。地の塩として」と。
 ここに見えるイエスの姿は、教えを説き、神の国についての説教をする教師の姿を示しながらも、それ以上に、むしろ自分自身、悲しみを知る者として群衆たちに対し、心からの敬意を払い、尊い物を見出し、そこに神の働きが現れていることに頭を下げていくような、そんな、ひとりの人の子の姿です。あるいは自らの痛みを引き受けながら、「わたしもまた、あなたたちとともに、その悲しみを引き受けていくものである」と宣言し、私たちの前に跪かれるような、ひとりの人の姿です。イエスは、わたしたちの手を取り、その眼を見つめ、「わたしの目にあなたがたがは値高く尊い」という、神の言葉を全身で示し、言葉を紡がれます。5章14節以下。
 
あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。
 
「あなたがたは世の光である」とイエスは言います。しかしここでわたしたちは一方で、ヨハネ福音書においてはイエス自身が「わたしが世の光である」とも語られていたことを思い出しておいてよいのではないかと思います。ヨハネ福音書の8章12節において、イエス自身が「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と語られていたわけでした。本当に深い絶望、孤独、悲しみを知る者として、私も人々を受入れ、愛し、導いていく。イエスの道は、暗闇を知る者として、それを光り輝かせていく営みです。その道が今悲しむ人々の前にも開かれている。イエスとともに歩き出すことが許されている。
 「ともし火をともして升の下に置く者はいない」といいます。「升」、それは穀物を測り取る器ですね。それを逆さまにして、灯火の上にかぶせてしまう。そんなことをする人はいないだろう。当たり前のことです。けれども、イエスは、実に私たちは、しばしばそんなことをしてしまっているのではないかと問いかけたいのではないでしょうか。イエスにとっては、悲しみを知り、痛みを知り、孤独や嘆きを知っている、その聴衆たちこそが「世の光」です。なのに人々は、自分の傷を隠してしまおうとする。傷、そんなものに価値などないと思っているか、少なくとも人にさらけ出すようなものではないと思っている。あるいは、この世の力が、そういう負の側面を人目にさらすべきではない、そういって人々から言葉を奪い、黙らせている。そうではないか、というのです。それこそが大事なのに、それを隠そうとする。いや、だからあなたがたは、あなたの光を、高く掲げて欲しい。あなたの痛みを、たくさんのこの世で苦しみに呻吟する人々と分かち合って欲しい。ここにこそ本当の希望が生まれてくるからだ、とイエスは言うのでしょう。
 
 あるとき、こんな出会いがありました。ホスピスの患者さん。54歳。アルコール性の肝硬変から肝がんになり、食道も病魔に冒されてしまっていた方でした。何度も血を吐かれたそうです。救急車で運ばれている最中にも大量の吐血されたと伺いました。しかも病を得られたときに合わせるかのように、お勤めになっていた会社が倒産。再就職先を見つけてもらっていたけれども、病気が進行してしまったので、そのまま失業。失業保険の申請もしないといけないけれど、全部弟に手続き任せてしまった。お父様、お母様の3人暮らし。お父様は心臓にペースメーカーを入れておられるので、お母様が倒れてしまったら大変だと言っておられました。お酒を飲まなければいられないほどに大変なお勤めであったのに、病気になり、その会社も潰れてしまった。
脳にも転移しておられ、放射線治療を終えられたばかりで、ほんの少し、小春日和のような穏やか日でのことでした。しかし、これぐらいの内容を語られるのに、30分くらい時間を使われました。「ちょっと、ぼおっとしていてすみません」とおっしゃいました。もういろんなことが重なっておられる、その方の姿に、思わず涙ぐみ、だけれども、「ああ、生きているねぇ、生きてるから、こんなにも辛いのだねぇ」とそんなことを感じた、この方とのひとときでした。
 翌日お訪ねしたときには、お部屋が暗くなっていました。ご本人はソファに座り、目を閉じておられました。お母様が付き添っておられました。「お休みですか」、「ええ、ようやく落ち着いて」、「お母様のこと、心配されていましたよ」「そうでしたか、この人の父親も具合が悪いものですから・・」、とそんなやり取りをしていると、お母様は息子さんに近づき、後ろからまるで小さな子どもをあやすように、頭の上で、「いい子、いい子」をするふりをしてみせられたのでした。
 ほんとうに、辛い場面でした。けれども、お互いを案じ合う、美しい親子の愛の場面でした。部屋は照明を落として暗くなっていましたが、一つの灯りが灯されたような場面でした。そして数日後、この息子さんは旅立って行かれたのでした。
 
 辛さや悲しみを引き受けている者こそが、本当の意味で、光を掲げることができるのだろうと思います。この殺伐とした世にあって、真実の大切なことを示すことができるのは、自らの痛みを知っている者だけです。
 
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
 
「立派な行い」、それは決して、この世が求めるような「立派さ」と同じなのではないでしょう。むしろそれは、たしかに、この世の悲しみを知っている、そしてその悲しみと共に生きている、そういうことでしょう。イエスはそんな私たちに向かって、「ああ、よく生きてきたね」とおっしゃってくださるのです。「あなたは、尊い、立派だ」と言ってくださるのです。そしてそれを、「世に掲げよ」と言われるのです。
クリスマス。闇の中に、キリストがやって来られます。凍えの中に、温もりが宿ります。ほんとうに大切なことを教えてくれる人々。その人々に私たちも伴い、私たち自身の抱えてきた痛みを分かち合いながら、キリストの降誕を共に祝う一人ひとりとなりたい、そう願うのです。

2022年12月4日

「土から成る器にこそ」
コリントの信徒への手紙二4章7~15節


 早いもので、今年もアドベントに入りました。残すところ、後一ヶ月となりました。
 免疫学者の多田富雄さんが私たちの生活衛生傾向を雑菌と共生することが出来ないことを指摘しています。抗菌コートされた商品や洗浄化されたものが多いために様々な雑菌に対する免疫が低下し、人間本来が持っている免疫力の豊かさが失われていると云います。特に、ここ三年は、新型コロナ・ウィルスの登場で、マスクや消毒が欠かせなくなっています。免疫力が著しく低下しているようです、その意味では、雑菌の存在そのものが私たちの免疫力を支えているとも云えます。
 さて、聖書の一番最初に収められている創世記の1章は「地は混沌であって」と表現しています。この「地は混沌であって」という一句は、原文で「ワボーフー・トーフー」という言葉です。決してお豆腐の新製品ではありません。「混沌、無秩序、雑多、廃墟であった」という意味の言葉です。この言葉が生み出されたのは、実は紀元前六世紀でバビロン捕囚の時代です。旧約聖書に収められた大半の書物も、創世記もバビロン捕囚時代に編集され現在のように整えられました。ちなみに「土の塵」という言葉もバビロン捕囚時代に使われるようになりました。私は創世記に収められている「天地創造の物語」がバビロン捕囚時代に編集されたことに大変大きな意味があると思います。
 北イスラエルと南ユダに分裂をしたイスラエル王国は、北イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされ、その後世界史上に台頭してきたバビロニア帝国によって南ユダが滅ぼされます。南ユダの首都であったエルサレムをはじめとして信仰の象徴的な存在であったエルサレム神殿も焼き尽くされます。また数回にわたって行われたバビロン捕囚によって、南ユダの人々はバビロニア帝国の首都バビロンへと強制連行され奴隷の民とされていきます。イスラエルの民は言語をはじめとする文化絶滅の危機、民族根絶危機、そして自分たちの宗教が消滅する危機を迎えます。イスラエルの町や村々が廃墟となり、人々は希望を失い、神を見失う無秩序な状態になりました。そうした自分たちを表現した言葉が「ワボーフー・トーフー」で、バビロン捕囚時代の状況下から生まれ出た言葉でした。廃墟から、絶望から、無秩序から、雑多の中から神が世界を、人間を創造されたように、もう一度、再生の救いを再度の創造を起こされるというメッセージが「ワボーフー・トーフー」という言葉には込められています。混沌から最初の信仰が灯っていったように、荒涼たる瓦礫の中から信仰の灯が再度灯されていく、いわば復活のメッセージでもあるのです。
 混沌の中から生み出された世界において、人間は「土の塵」から創られます。「土の塵」とは「むなしさ、もろさ、悲しみや喪」のシンボルです。このユダヤの信仰継承、聖書理解にたって、パウロは第二コリントで、むなしく、もろく、悲しい程の土の器である人間にこそ、宝が納められ、キリストの命が現れるのだと表現しているのです。7節で「このような宝を土の器に納めています」という一句がありますが、正確には「このような宝を土の器にこそ納めています」となります。つまり、不純物がなく、混ざりけのない純粋なもの、純金の器や銀の器ではなく、塵と表現される沢山の不純物が混ざっている土の器にこそ、神の哀れみや恵みが注がれていくことを、旧約聖書のみならずパウロも語っているのです。
 ところで日本の伝統文化に藍染めというものがあります。藍染め研究家の後藤捷一(ごとう しょういち)さんによりますと、天然の藍染めと人工的に作られた藍染めとでは、最初どんな専門家でも見分けがつかないといいます。ところが年月が経つにつれてやがて分かってくるそうです。天然の藍染めは長く使っていても色があせないからだそうです。木綿に染めても麻に染めても天然の藍染めは同じ植物なので、とてもしっくり来るそうです。なぜなら天然の藍には人工的に作られた藍には含まれていない不純物が沢山含まれているからだそうです。純度の高い人口の染物は、染める生地自体が自然の不純物を沢山含む木綿や麻なので、しっくりせず、しだいに分離し色あせていくそうです。
 人間は混じりけのない純粋なもの程、高価で高級で、尊いものと考えてしまいます。しかし自然界には純粋なものは、ほとんど存在しないと云います。聖書が教える神の創造の業や土の器に盛られるキリストの恵みに関しても、同じことが云えるのではないでしょうか。人間は浄化されればされるほど、純粋さを目指せば目指すほど教条主義、原理主義に陥り信仰が形骸化します。信仰が口先のものとなり、現実に生きたものとなりません。閉ざされ狭い信仰理解へと陥っていきます。
 考えてみますと人間は非常に曖昧です。清らかさ、純粋さを志向しますが、どうも醜いところや弱さを兼ね持っています。清濁あわせ呑んで生きています。弱さに怯えながら、醜さに傷つきながら、叫び、祈り、神に助けを求めていくところに、旧約聖書やパウロの表現する土の器の心があるのではないでしょうか。
 不純物を兼ね持つ土の器だからこそ、この世の様々なことに対する信仰の免疫力が生まれるのでしょう。雑多な土の器だからこそ、様々なことに対応できる信仰の豊かさがあるのではないでしょうか。完全ではなく不完全さに、純粋ではなく混沌さに、土の塵から成る器にこそ、神は沢山の愛情と恵みを注いで下さいます。
 神の子でありながら人間として生きたイエス、天ではなく地上で生涯を閉じたイエス、人間の矛盾や不純物を抱えながら、そこに神の赦しと祝福を届けて下さったイエス、雑多な土の塵で出来た私たちだからこそ、神は愛して下さることを憶えて、今年のクリスマスへと向かうアドベントの一歩をスタートしたいと思います。

2022年11月27日

「言葉にならないから」
マルコ 14:1~9


 高校生の頃だったでしょうか、母が祈っている背中を見たことがあります。
 母はキリスト者でしたから、それまでも幾度となく祈っていたのでしたし、食前や就寝前に祈る姿は日常の光景でさえありました。でもそれは、そういう普段の祈りとは別次元の、特別な情景として、私の記憶に刻まれたのでした。母は、和室の明かりを落とし、窓辺の奥に坐して、夕闇の中、独り祈っていたのです。
 その時の祈りについて母と話したことはありません。父には病がありましたから、そのことで祈っていたのかも知れません。少なくともそれは、母に何か、その力を超えた大きな困難があって、誰にも話せない胸の内があったことを示していました。私は神を信じていたわけではありませんでした。しかしあの夕、私は神を信じている人の真実については疑うことができなくなったのでした。それはある意味で、今も牧師である私の、何か原点となっている出来事であったような気がしています。
 きっと人は、自分の無力を知って初めて真実に祈るのでしょう。誰にも言葉が届かぬ事に途方に暮れて、ようやくそれを神に委ね始めるのです。闇のような世にあっては、祈ることでしか、その思いを誰かに届けることができないと思うからでもあります。
 
 自分の力でなんとでもできるはずだ、あるいは、何とかコントロールしなければならないと思う人々、そんな一群の選ばれた人々と、一方では、自分の力でどうすることもできないことを知っており、それでも言葉を失いつつも、思いだけが激しいうねりとなってその人の行動を司り、その思いを伝えなければと焦っている人。そんな二つの両極が、今日の福音書箇所では示されていると言ってよいのかもしれません。待降節を前にした、年間最終主日。その対比をマルコ福音書の14章1節以下から読みます。福音書はこう記しています。1節。
 
 1さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。 2彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
 
 過越祭と除酵祭。ともに出エジプトの出来事を祝うお祭りとされています。元々は、カインとアベルの物語に象徴されるように、ヘブライ人の二つの起源、牧畜と農耕のお祭りであったようです。それが、出エジプト記12章に記されている物語と結び付いて、エジプトの軛から解放されたことを記念する祭りとなり、2つの祭りは重なって行われるようになっていました。
 イスラエルはかつて小さな群れでした。だからこそ神の目にとまり、エジプトの奴隷状態から解放されて、土地を与えられたのでした。けれどもそのことを語り、解放の主に感謝と賛美を献げるべき祭司と律法学者が、ここではなんとも皮肉なものです。他者に隷属することの哀しみを静かに分かち合うのではなく、むしろ体制の側に組み込まれ、人々を旧態依然と統治する側の理屈に呑み込まれてしまっています。
 イエスの時代も、人々は大国の統治に苦しんでいました。新約聖書時代、彼らユダヤを支配していたのはローマ帝国です。国の自由は制限され、重税が課せられていました。ときにローマは、ユダヤを嘲弄するがごとくに、その神殿に他国の神の偶像を運び入れたりしたそうです。それに反発するような人々はいよいよ国粋主義的になり、民族の独立を願うゲリラ的な一群も登場していたといいます。
 過越祭と除酵祭。これは、民族の独立を祝うときですから、民族主義的な愛国主義がいきおい盛り上がる時でもあります。今日の場面では、すでにユダヤ全土から多くの人々がエルサレム神殿に集まっていたことでしょう。過越祭から始まって、続く除酵祭を祝う3週間、人々は家の中にパン種、イースト菌を置かないようにと大掃除をして、家を清めます。このイメージは容易に、ローマを追い出して平和を実現するという主張に棹を差すことになったでしょう。そんな場面では、人々がイエスをその急先鋒として担ぎ出す可能性もあったと思います。今日の箇所、1,2節に見られるのは、祭司長と律法学者たちの姿。彼らが自らの立場を守るために、何とかしようと心をもみながら、民を恐れ、暴動を恐れ、手をこまねいている様子です。でも、私たちは知っているわけですね。結局そうやって追い込まれた彼らは、最後は、あれだけ「祭りの間はやめておこう」と言っていたのに、その最中にイエスを捕らえ、彼を十字架の死へと送ることになるということをでした。3節。
 
 3イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。 4そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。 5この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
 
 場面は、イエスをとりまく大きな情勢の報告から、今度はイエス自身のおられたその場所の出来事へとクローズアップされていきます。そしていきなり、ショッキングでセンセーショナルなことが書き記されることになります。イエスは重い皮膚病の人、シモンの家にいて、その食事の席に着いておられたというのでした。
 「重い皮膚病」の人に対して、どのような処遇をしなければならないか、私たちも度々、聖書の学びで示されてきたことだっただろうと思います。彼らと関わってはならないのです。近づいてはならない、触れてはならない。まして食事を一緒に取るなどと言うことは想像することもおぞましいことだったはずです。そして旧約聖書レビ記に記されているこの「重い皮膚病」の人への処遇の定めが、ハンセン病の患者たちへの激しい蔑視と隔離を正当化する一助になってきたことも、私たちは知っていることだろうと思います。しかしイエスは今日、シモンの家にいて、食事を共にしているのです。
 この時代の宴席では、食事に招かれた人と、もてなす側とは、ともに輪になって、地べたに横になるのだそうです。そしてきっと、種の入っていないパンを裂いて分かち合ったのでしょうね。みんなが地べたに低く、同じ高さに横になる。人への隷属から解放された食卓がどんなものであるかを象徴する場面だったことでしょう。そして横になっているからこそ、その女性が入ってきて、イエスの頭に香油を注いだときにも、自然な体勢の位置関係だったのだろう思います。
 一人の女が大変に高価な香油の入った石膏の壺を持ってきて、これを壊し、イエスに油を注ぎかけた、と言います。同じ物語を報告するヨハネ福音書によるなら、家は香油の香りでいっぱいになったというのでした。
 この女性に、名前は与えられていません。ただヨハネ福音書では彼女に「マリア」の名前が与えられ、のちの教会伝承の中で、彼女はマグダラのマリアと同一視されていくことになりました。彼女は「ナルドの香油」と呼ばれる品を携えてやって来ています。ナルドの香油はヒマラヤ地方の原産です。ヒマラヤからインド・アラビアを抜けてパレスチナにまでもたらされるのです。当然高額です。そこで、それはしばしば別の香料と混ぜて、ブレンドして使われたのだそうです。ところがそれが、ここでは、「純粋なものであった」と記されているわけで、その貴重なことは図抜たものだったのでしょう。300デナリオン以上といいます。ざっと、今で言えばちょっといい車を新車で購入できるほどの価格になったはずだというのでした。そこに居合わせた人々が憤慨したのは、彼女がしたことが、まったくの無駄遣いであったように感じられたからでした。
 しかし、それは本当に無駄遣いであったのでしょうか。
 私たちは、この女性の身の上に、さまざまな想像を重ねていくことができると思います。そもそも一体彼女は、どこからこのような高価な香油を手にしたのだったでしょうか。普通の女性が普通の営みの中で入手できるようなものではありません。だれか経済力のある、パトロン、あるいは彼女を自分の都合に合わせて利用し、時に欲望のはけ口としてあしらった男たち。そういった存在が思い浮びます。時に彼女は、自らの身に危険を感ずるような場面をも経験してきたかもしれない。
 ところが、どこかで彼女は知ったのでしょう。イエスの愛は、女性たちを都合よく利用する男たちのそれとは全く違う、ということをです。イエスは彼女から、真実の人間としての応答を導き出し、神が作られたままに、尊く、かけがえのない人格であることを引き出し、解放します。彼女はその愛を知っているのです。彼女が香油の壺を壊した、ということ、それはとりもなおさず、彼女を支配しようとしていたよこしまな人々の思いから逃げ、訣別し、自分では抱えきれなくなって、「かみさま!」と飛び込んでいった、その姿そのものであったのではないかと思うのです。
 さらに一方、ですけれども、彼女の行為を「無駄遣いだ」となじった人々の言葉も眉唾です。それはたいそうもっともらしい理由です。喜捨、施すこと、チャリティーをすることは、旧約の律法の中でも、とても大切に重要視されてきたことです。だから、この主張には、掟という彼らの後ろ盾があります。しかしだからこそ、私たちはここに、女性を蔑む、小馬鹿にしたような、冷酷なものを感じることができるのではないでしょうか。そもそも彼らは、ここにこんな“種類”の女性が入り込んでくることを許せなかったのではないでしょうか。彼らは、差別をされていたシモン、重い皮膚病のシモンの家までは、なんとかやってきた。イエスさまが来たんだから仕方が無いと着いてきた。でも、女はだめだ、というのです。どこかに、彼女たちを利用しておきながら、彼女たちと人格としては向き合うことのない男たちの奢りを、私は感じるような気がします。
 
 いたたまれず、どうすることもできないままに言葉を奪われてきた人たちが、言葉にならないからこそ、神に近づく、そういうことがあるのでしょう。ローマ書8章に、パウロはこう書きます。
 
 同様に“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもってとりなしてくださるからです。
 
神の霊が、自ら追い込まれた人たちの思いを引き受けてくださる、そういうのです。今日の聖書の6節。
 
 6イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 7貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 8この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
 
 イエスは、女の泣きはらす姿を、その涙を、そのままにご覧になっていました。そしてその香油の香りに満たされ、それは良いことであったと語られたのでした。「無駄遣い」の論理を持ち出した人々に対しては、「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるではないか。なのに、今まであなたたちはどれほどの愛を働いてきたというのか」と皮肉たっぷりです。どうもイエスの価値判断の基準は、300デナリオンという金銭的な大きさと全く違うところにありそうです。金銭ではなく、イエスは「女が尊い」というのです。
イエスは言います。この人がしてくれたことは、私の葬りの準備なのだ、と。
親しい者を葬った経験のある人なら、だれもが知っていることでしょう。亡き人と私の関係は、決定的に一対一なのです。それは誰かのケースと同じされることではなく、全体として十把一絡げに語れることではなく、私とこの人の物語です。何によって替えられることもなく、まして経済的な価値に置き換えられるようなものではありません。その言葉にならない大切な大切な思いを、「良いこと」と表現されるキリストがおられるということでした。
 
 イエスは最後に言います。9節。
 9はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。
 
 この女性のなしたことを、私たちも今日、この鎌倉の地で聞きました。この女の思いに、私たちも思いを馳せるのです。
 世には言葉を、他者を支配し、自らを奢るために用いる人々がいます。人を金銭的価値に置き換えて判断し、生産性の有無だけで判断する力が存在します。彼らは、自分たちに都合の悪いことを隠し、より弱い立場の人々から言葉を奪っていってしまいます。そしてその社会の中に、今日もその大きな力に抗うことができず、やむにやまれぬ絶望をもって神に委ね、生きる人々がいるのです。
 キリストは、今日態度を持って、一つのことを示されます。「私はそのような人々の沈黙と哀しみの涙と共にある」ということでした。そのような人々の言葉にならぬ思いは、神の前で隠されることのない、真実の願いだからです。今日、この鎌倉にも、死を超え、歴史を超えて、人を思う人々の祈りが満ちていることでしょう。私たちは、そのただ中で礼拝を献げ、キリストに従おうとしています。その私たちは、今日、この礼拝から押し出され、声なき声に聞き、ただ涙することしかできない人の祈りに伴っていくことができるのではないでしょうか。
 来週からは、主を待ち望む待降節。今日私たちは、そのような愛の繋がりをこそ分かち合ってありたい、そう思うのです。

2022年11月20日

「安心して」
マルコによる福音書 5章25~34節
鬼形惠子牧師


 私が勤務しています学校には、宗教委員という生徒の委員会活動があります。礼拝の場所の準備や後片付けをしたり、生徒自身も短い礼拝を担当しています。この生徒の短い礼拝がとても良いのです。必ずしも教会に行っている生徒が宗教委員になるわけでもないのですが、結構人気のある委員会で、礼拝を担当する生徒は、みんな力が入っています。他の人が読まないような、聖書個所を見つけて、選ぶ人もいます。先週の礼拝ではこんな聖句が読まれました。「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。」箴言10章12節のみ言葉です。「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。」良い言葉ですよね。こんな言葉があったんだと私も思いまして、改めて箴言を読みました。
 先日、こんなお話をした生徒もいました。
 選んだ聖書はマタイ26章52節の「そこでイエスは言われた。剣(つるぎ)をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と言う箇所でした。中学3年生の女子生徒の感話です。ご紹介します。
 「私はよく犬にほえられます。それは犬を怖がってしまっているかららしいです。私たち人間同士でも怖がったり、傷つけない限りは相手から拒否されることはないと思います。このように自分のしたことはそのまま返ってきます。今日お読みした聖書箇所で私は剣を人への悪口や暴力だとたとえて、考えました。悪口をさやに納めなさい。悪口を言っていると、悪口によって滅ぼされる。なので、相手が傷つくような言葉や悪口を言わず、自分に返ってきたら嬉しいと思うような言葉をかけていきたいと思います。」こんなお話でした。私たちは人に対して身構えて、懐疑的になることがあります。とくにコロナ感染が広がってから、心の警戒心も強くなった気がします。でも、まず自分から心を開いて、相手を受け入れる準備をすることが大切だというメッセージでした。相手を傷つける悪口の剣は、さやに納める、というのは印象に残った言葉でした。
 私は学校のYWCAクラブの顧問をしていますが、最近YWCAの研修では、会の始めに「セーフスペース」と言う言葉が確認されます。「セーフスペース」とは、「差別や攻撃的な発言のない、一人一人が安心できる空間のこと」です。最近はオンラインの研修が多いのですが、初対面の人たちと画面上でディスカッションをする際に、この場がセーフスペースとなるように、お互いの意見を否定しない、という確認がされます。この確認があると,何だか安心します。剣のような相手を否定する言葉は心の鞘に納めて、お互い安心できる空間を意識して作りましょう、という事ですよね。「セーフスペース」というのも、いい言葉だと思いました。
 
 さて、今日の聖書には、病気に悩む、一人の女性が登場します。婦人病だったようです。12年間この病気に苦しみ、多くの医者にかかっても治らず、そのために財産も使い果たしてしまいました。当時のユダヤ教の律法では、婦人病にかかる女性は、祭儀的に汚れた者であり、彼女が触れた物に触った人も汚れるとされていました。ひどい差別ですが、レビ記15章には、その規定が記されています。自分のことを汚れた者なんて言われたら辛いですが、自分と関わった人まで汚れた者にされてしまうとしたら、相手に悪くて、誰とも関われなくなってしますよね。イエスは、後でこの女性に「娘よ」と呼び掛けていますから、若い女性だったようです。友だちや人との関わりが欲しかったでしょう。病気を抱え、人々の偏見の中で、友達を作ることも赦されず、一人で生きてきたのです。財産も失いどんなに不安だったでしょう。
 ここにイエスがやってくると聞き、この女性は街に出て、イエスに会いに行く決心をしました。イエスは大勢の人に囲まれて歩いていました。実はこの時、イエスはヤイロと言う会堂長から頼まれて、病気になったヤイロの娘を助けるために、ヤイロの家に向かっていました。興味を持った大勢の群衆も、イエスについて大移動していました。だからイエスたち一行は急いでいたのです。なんだか大勢の人に囲まれ、どこかに向かって急いでいるイエスを見て、この女性は躊躇したでしょう。間が悪いと言う感じです。でも、決心して来たので、諦められず、そのまま後ろからついていきました。群衆に紛れ込み、少しずつイエスに近づき、そして後ろから手を伸ばして、イエスの服の背中に触れたのです。同じ記事がルカによる福音書にも出てきますが、ルカによると、「イエスの服の房に触れた」と書かれています。後ろから背中にさわったのではなく、服に触れたのでもなく、服のはしについている房に触れたのです。その瞬間、この女性は癒され、すぐにそのことがわかりました。そして、イエス自身も、このことに気が付きました。「わたしの服に触れたのは誰か」と言われました。弟子たちは言います。こんなに大勢の人がいるのですから、誰が触れたかなんてわかりません」しかも今は、ヤイロの家に急いでいるのです。しかし、イエスは自分に触れた人を探し続けました。
 
 その姿に、女性は黙っていることができなくなって、震えながら前に出ていき、ひれ伏しました。ずっと人から隠れるように生きてきましたが、今、大勢の人の前で、すべてを正直に、ありのまま話しました。この娘にイエスは言いました。「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。これから元気に暮らしなさい」と。
 私があなたを癒してあげたよ、と言ったのではありません。「あなたの信仰があなたを救った」と言われたのです。そして「安心して行きなさい」と言われました。私はあなたを否定しない。よく今日来てくれた。その思いが、あなた自身を救ったのだ。もうあなたは大丈夫。」と言われたのです。恐れるこの人に、きっと笑顔で、イエスは「安心して」と言われたのです。
 この女性は嬉しかったと思います。傷ついて、不安で、苦しかったけれど、あきらめず、自ら声を上げたのです。それはイエスの服を触るという、小さな行為でしたが、イエスはそれを見逃しませんでした。どんなに急いでいても、しっかりと受けとめました。私は、この聖書の箇所を読んでいると、2000年前の出来事なのですが、この二人の出会いがリアルによみがえってくるように感じるのです。イエスも、またこの女性も、素敵だなと思うのです。イエスとの出会いによって、この女性は、安心してそれからの毎日を過ごすことができたでしょう。
 
 また学校での話になるのですが、10月半ばに、聖坂養護学校で教師をしている春日孝行先生に、中学3年生を対象に講演していただく機会がありました。講演のテーマは「共に生きるために」でした。聖坂養護学校は、中区にある知的な障がいをもった子供たちの学校です。春日先生は、聖坂養護学校の生徒さんの中にも多い「自閉症」と「ダウン症」の特性について丁寧に話してくださいました。そして、講演のテーマである「共に生きる」ということについて。こんな風に語られました。
 「障がいはその人の一部であってすべてではない」「みんな、人と違っていてあたりまえ」
「自立とは、何でも自分でできることではなく、安心して他者に依存できること」「共に生きることができる社会とは、安心して他者に依存できる社会である。」「不安な人に安心してもらうには、笑顔で『大丈夫だよ』と声をかける。一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に笑う。そばにいてくれる人がいると感じられるようにする」「何かをしてあげなくても、同じものを見て、同じ時を共有するということが大切」
このような内容でした。そして最後に「どうすれば障害をもった方が笑顔で過ごせるようになると、皆さんは思いますか?」と中3の生徒たちに投げかけました。身近に関わる機会がある障がいを持った方の理解について、生徒は興味を持って講演を聞いていました。講演後のディスカッションで、電車の中で奇声を上げたり、急にとび跳ねたりする人がいるとこれまで怖いと思っていたけれど、障がいの特性を学んで理解できた。まずお互いに理解しようとすることが大切だとわかったと話していました。そして、障がいのある人だけでなく「安心していっしょにいられる空間がある。安心できる関係がある」と言うことは、自分たちにもとても大切だと話していたのです。
 現在、ウクライナへのロシアの軍事侵攻が長期化する中で、私たちはいつもどこか心配や不安を抱えています。現地で何が起こっているのか、考えると心が痛みますし、私たちと無関係のこととも思えません。コロナの感染もなかなか終息せず、いつも何かを制限された生活をもう長くおくっています。そんな中で「安心して誰かと一緒に過ごせる」ということが大切だと、生徒たちも強く思っているんだと改めて思いました。それは今、誰もがそうかもしれません。
 
 イエスは、一人で不安を抱えていた女性に、「あなたは大丈夫。安心して、生きなさい」と言われました。私があなたの「セーフスペースになる」と言われたのです。このイエスの言葉は、私たちにも語られています。私たちには、いつも私たちを受け入れ、安心しなさい、と語りかけて下さる、主イエスというセーフスペースがあるのです。イエスさまの下さる安心の中で、わたしたちも心の剣はさやに納めて、自分を正直に表現し、お互いに受け入れ合える関係を広げていきたいと思うのです。
 
 (祈り)
天の神さま、一人の女性の小さな勇気も見逃さないイエス様が、いつも私たちをも見守って下さっていることに感謝します。長引く戦争や病気のために、苦しむ人々、また私たちの不安な思いも、どうぞあなたが受け止め、新しい歩みへと導いて下さい。この祈り、イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

2022年11月13日

「わかっていたなら」
ヨハネ福音書十三章三一~三五節
渡辺誉一牧師


 ヨハネ福音書の「決別の説教」は現代では、グリーフ・ワーク、喪の作業など、ターミナル・ケアにおける臨床心理という分野で重要なテキストとして注目されています。
 イエスは、十字架の死へと向かうその途上で再三再四、弟子達に自分の死を伝えていきます。ところが、弟子達はイエスの云うことが理解出来ません。しかし、その後に起こるイエスの十字架を起点(基点)として自らを省みたとき、そこに、深いイエスのとりなしの祈りが捧げられていたことに気づかされていきます。この様な「決別の説教」を生み出していくヨハネ教会が目の当たりにしているのは、きっと暗黒の時代です。どれだけ多くの信仰の友を失っていったのでしょうか。しかし、悲劇を前にして目を覆うのではなく、それを凝視し、関わり抜くことを暗黙の内に教えています。悲劇を乗り越えていく鍵は、他ならぬ悲劇自身がたずさえていることを、イエスの十字架の死が示唆しているからです。読者にとってのヨハネ福音書とは、歴史のどの場においても発現しうる「共時的な要素」を抽出することへと促されていく、そんな書物なのではないでしょうか。
 二〇〇一年に起こった「9.11同時多発テロ」の直後、世界中に向けて一つの詩が発信されていきました。ノーマ・コーネット・マレックという女性が詠った詩です。原作は「Tomorrow Never Comes」、日本では佐川睦さんの訳で「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版)として出版されています。
 このノーマという女性は二児の母でした。しかしある時、長男を事故で亡くします。亡くなったわが子を偲んで綴った詩には、伝えたかったけれども伝えられなかった数々の言葉、してあげたかったけれどもしてあげられなかった数々の思いが込められています。そんな彼女の思いが込められた詩が、9.11同時多発テロで多くの犠牲者を出した世界へと発信されていきました。その一部をご紹介したいと思います。
 「たしかにいつも明日はやってくる。でももしそれがわたしの勘違いで、今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは今日、どんなにあなたを愛しているか伝えたい。そしてわたしたちは、忘れないようにしたい。若い人にも、年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを。愛する人を抱きしめられるのは、今日が最後になるかも知れないことを。ほんのちょっとの時間を、どうして惜しんだのかと、忙しさを理由に、その人の最期の願いとなってしまったことを、どうして、してあげられなかったのかと。いつまでも、いつまでも大切な存在だということを、そっと伝えよう」。(ノーマ・コーネット・マレック作、佐川睦訳「最後だとわかっていたなら」サンクチュアリ出版) 
 愛する人を失った時、どんなに心を尽くしても自分の足りなさを嘆かずにはいられません。後悔は消え去ることはないのかも知れません。「ああしてあげればよかった」「こうしてあげればよかった」という思いは尽きず、自分自身を責め続けるのかも知れません。なぜ後悔がこんなにも後から後から襲ってくるのでしょうか。それはむしろ「誰が忘れても私だけは忘れない。」、そんな亡き人の魂に必死に繋がろうとする思いなのではないでしょうか。生前してあげられなかったという後悔とは、愛する者を思う悲しいまでの祈りなのではないでしょうか。
 グリーフ・ワーク、喪の作業の大切な作業の一つに、亡くなった人との同化作業があります。亡くなった人の形見を整理したり、想い出を綴ったり、亡くなった人と訪ねた場所を訪ねてみたり、死をもって断絶された現実を何とか繋いでいく大切なプロセスです。
 イエスを理解できなかった弟子達の姿には、後悔と共に、死なせてしまったという深い罪責の念があります。しかしそんな破れを支える神の真実こそがある、イエスの十字架という悲劇にこそ、生きる力が秘められていることを教えているのです。
 死は突然、私たちを襲います。その時、私たちは恐れ、うなだれます。しかし、あのイエスも私達と同様に叫ばれました。「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになるのですか?」。十字架という悲劇は、まさに孤独の中で死にゆく者との同化するという出来事です。それは、死を越えて永遠の命へと、神のもとへと、私たちを招くためのイエスという贈り物なのです。 
 「いつまでも、いつまでも大切な存在だということを、そっと伝えよう。」この言葉は、もしかすると神から私たちに贈られたメッセージなのかも知れません。私たちに向けた神の祈りなのかも知れません。
 今、私たちが営む社会はとても病んでいます。世界は、大変痛んでいます。だからこそ悲しみを人生の深い意味へと変えていく力をこそ、私たちは祈り求めたいと思うのです。

2022年11月6日

「ヤコブの夢」 
創世記28章10節~19節
鬼形惠子牧師


 
 NHKの大河ドラマで、「鎌倉殿の13人」という番組をやっています。人気があるようで、鶴岡八幡宮のミュージアムでも「鎌倉殿の13人展」というのをやっています。私も夏に見に行きましたが、大勢の人でにぎわっていました。コロナ禍でも、鎌倉の観光客が減らないのは、大河ドラマも影響しているかもしれません。でも、ドラマの内容は情け容赦ないというか、結構非情で残酷です。親子、兄弟、これまで一緒に戦ってきた仲間、そういう親しい人との間で、権力や跡継ぎをめぐって殺し合いが続きます。ドラマではありますが、鎌倉時代は、こんなふうだったのか思いつつ、見ています。
 さて、今日取り上げたヤコブの物語も、兄弟、親子で、相続をめぐって争いがおきたという内容です。
 
 旧約聖書の創世記12章からは、「族長物語」と呼ばれる、イスラエル民族のリーダーである族長についての物語が伝えられています。アブラハムは、メソポタミヤ地方に住んでいましたが、神から、現在のパレスティナ地方にある「カナン」の地を目指して出発するようにと、命じられます。紀元前2000年頃のことです。神の言葉を聞いて、アブラハムは一族を率いて旅していきました。そして「カナンの地」に定住することになります。
 アブラハムは結婚し、生まれた息子イサクが2代目の族長となります。イサクはリベカという女性と結婚し、エサウとヤコブという双子の男の子を授かりました。この二人は母リベカのおなかにいるときから仲が悪く、ヤコブは、少し先に生まれた兄エサウのかかとをつかんで生まれてきました。ヘブル語でかかとは「アケブ」といいますが、そこから「ヤコブ」という名前がつけられました。
 兄エサウは全身毛皮の衣を着ているように毛深かく、野に出て狩りをするのが得意でした。ヤコブは、穏やかな人で、肌も滑らかだったようで、家で働くのが好きでした。父イサクは、狩りをしておいしい獲物の肉を食べさせてくれる兄エサウを愛していました。母リベカは家にいて手伝ってくれる、穏やかで賢いヤコブを愛していました。
 両親はそれぞれ身勝手な理由で子供に愛情を注ぎ、それを感じ取るように兄弟もあまり仲良くありませんでした。
 
 やがて父イサクは、年を取り、目が見えなくなり、寝付くことが多くなりました。父イサクは兄エサウに相続の権利を譲ろうと考え、エサウを呼びます。これから狩りに行って獲物を捕り、おいしい肉の料理を作って来てくれたら、相続のための祝福を与えようというのです。エサウは喜んで、狩りに出かけました。
 母リベカはそのやり取りをこっそり聞いていました。双子とはいえエサウが長男ですから、相続を受ける権利はエサウにありました。でもヤコブの方に相続させたいと、策略を思いつきます。野原に出て狩りをするには時間がかかりますよね。家で飼っている家畜の肉を使えば、短時間で肉料理を作れます。リベカはイサクの妻ですから、イサク好みの味付けはよく知っていました。その肉をヤコブに持たせ、イサクをだましてエサウの代わりに相続を受けることをたくらむのです。ヤコブは、はじめは父をだますことに抵抗を感じますが、結局はそのとおりにします。ヤコブ自身も、相続の権利が欲しかったからです。以前、狩りから帰ってきておなかをすかせた兄エサウに、レンズ豆の煮ものと引き換えに相続の権利を譲ってもらう口約束をしたことがありました。お互い冗談のつもりだったでしょうが、相続の権利をエサウが軽んじたことは確かです。ヤコブは、リベカに命じられた通り、エサウの晴れ着を身に着けました。エサウの体臭がするようにです。毛深いエサウのふりをするために、そんなにエサウは毛深かったのかと思いますが、子ヤギの毛皮を手や首などに巻き付けました。そして父イサクのもとに行きました。
 イサクは声が違うと思いながらも、エサウのにおいを感じ、さわって毛深いのを確認し、おいしい肉の料理に満足して、相続の祝福をヤコブに与えてしまうのです。その時は母リベカとヤコブはやったと思ったかもしれません。
 狩りから帰ってきて事の次第を知ったエサウは、父イサクに訴え、祝福をやり直してもらうよう頼みましたが、相続の祝福は一回きりしか与えられないものでした。エサウは泣いて悔しがります。年を取って父親が目が見えなくなったことをいいことに、エサウに化けて祝福を奪った、卑劣で欲深い弟ヤコブを許せませんでした。機会を見てヤコブを殺そうと思うほど憎みますが、そのことに気が付いた母リベカは、すぐにヤコブを家から逃がします。自分の実家のあるハランの地に、リベカの兄、ラバンがいました。その兄のところにヤコブを逃がすのです。ヤコブは、着の身着のまま家を出発し、砂漠を一人でさすらい、旅をすることになりました。
 それが、今日の聖書までのあらすじです。
 ヤコブの気持ちはどうだったでしょうか。ふた子なので、ほんの少しの差でヤコブは弟となり、相続できません。兄のエサウは、相続の権利を軽んじたこともありました。しかし、それらを考えても、ヤコブのしたことはゆるされることではありません。
 でも、私たちの身近でも、相続をめぐる争いというのはよく耳にすることです。それまで普通に暮らしていた家族が、相続を機に、これまでの確執が表面に出て、いざこざになることをよく耳にします。鎌倉時代ほどではなくても、現代でも遺産を巡る事件もよく報道されます。そう考えると、ヤコブの相続をめぐる争いは、他人ごとではないと思わされるのです。
 また、家族の関係も、家族だから仲が良い、というわけではありません。学校で生徒の問題に触れる時、生徒自身と言うよりも、家庭が問題を抱えているケースがとても多いです。姉妹や兄弟で、親からの愛情の偏りや、比較されて育ってきたことへの確執、時には愛情と憎悪が混ざったような家族への感情が、中高生の時期に、大きく表れることもあります。
 
 そう思うと、この2000年以上前におきた、ヤコブの家族の出来事は、今とそうかけ離れた事件ではありません。父イサクも、母リベカも、兄エサウとヤコブも、それぞれに自分勝手な欲や執着が、こんなに大きなことになるとは思ってなかったのではないでしょうか。ヤコブはこの時は、一時家から避難するくらいのつもりだったかもしれませんが、その後20年間家には戻れませんでした。その間に、母リベカも父イサクも亡くなり、これが一生の別れとなってしまうのです。旧約聖書は人間のドラマと言われますが、本当にそうだと思わされます。
 ヤコブは、砂漠を旅して、夜になり、泊る所もなく、枕にする布切れもなかったのでしょう。砂漠にあった石を一つ取って、枕にし、眠ることになりました。自分自身が招いたことであることは、ヤコブ自身も身に染みていたはずです。横取りした相続の権利も今は何の役にも立ちません。生きて母リベカの故郷に辿り着けるかもわかりません。いつも家にいて、穏やかに暮らしてきたヤコブにとっては、初めての野宿はどんなに恐ろしく心細かったことでしょう。深い後悔と孤独の中で、涙しながら、眠ったのです。
 その夜、ヤコブは夢を見ました。先端が天にまで届く階段が、砂漠の地に降りてきていて、そこを天使が行ったり来たりしていたというのです。天国につながる梯子がかかっていたのです。そして、ヤコブのすぐ傍らには、なんと主が立っておられたのです。神は、「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。・・・あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へ、と広がっていくであろう。・・・見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、決して見捨てない。」と言われました。
 これがヤコブに与えた神の言葉でした。ヤコブを裁く言葉はありません。天から降りて来て、すぐ傍らに立ち、「見よ、わたしは共にいる。あなたを守る。決して見捨てない」と言われるのです。
 目が覚めたヤコブは、本当に主がおられることを実感しました。枕にした石を記念碑としてそこに立てベテル、神の家と名付けました。
 この神との出会いによって、ヤコブは本当の自分を取り戻します。そして、ちゃんと神様を見上げつつ生きようと心を新たにして、リベカの故郷へと向かうのです。リベカの兄ラバンは、腹黒い人で、ヤコブは甥にあたるわけですが、ヤコブを利用し、だまし続けます。ヤコブはそれでも誠実にラバンに仕えました。賢い人だったので、ラバンに十分な利益をもたらしながらも、自分自身も利益が得られるように工夫し、よく働いて、財産を増やしました。そこで結婚し、子供たちも増えていきます。
 そうして、約20年間、ラバンのもとで働いたのち、ヤコブは故郷に帰る決心をします。故郷にいる兄エサウに謝り、和解したいと願うのです。エサウはまだ恨んでいるかもしれません。危害を加えられるかもしれません。ヤコブは、今はある程度幸せを得ています。それでも、故郷から逃げたまま過ごしてきたヤコブは、自分がした過ちと向き合い、兄エサウと会って謝りたいと思うのです。
 ヤコブはエサウに礼を尽くし、ゆっくりと時間をかけて、一族を連れ、故郷へ向かいました。一方兄エサウも、ヤコブの帰郷を知り、今はもう両親も亡くなり、たった一人の兄弟ヤコブを、途中まで出迎えに行きます。
 ヤコブは兄を見つけると、大地にひれ伏しました。エサウは走ってきて、ヤコブを迎え、抱きしめ、ともに泣きました。長い年月は二人の確執を、思いあう気持ちに代えていました。二人は和解し、ヤコブは、20年前に受けた長子としての権利を得て、アブラハム、イサクと続く、3代目の族長としてこの地に住むことになります、二人は少し離れて暮らし、程よい距離を取り、この地で共に暮らすことになりました。
 神は、私たちが良いことしたとか、功績を残したということで愛してくださるのではありません。ヤコブのように自分自身でさえ、自業自得だと後悔し、誰からも見捨てられて涙するような時も、「あなたを決して見捨てない。見よ、わたしがあなたと共にいるではないか」とすぐそばに立ち続けてくださる方なのです。神は、私たち人間の現実をよくご存じであり、それを超えて、許し、新しい生き方へと導かれるのです。ヤコブが長い年月を経て、結局3代目の族長として認められたのは、何があっても主が共にいる、という信仰を捨てなかったからです。主が見捨てないと言われたことを信じて、もう一度新たに歩みなおそうとしたからです。
 私たちも、どんな状況の中でも、神さまは見捨てない、傍らに立ち続けて下さっている、そのことを忘れないで、歩み続けたいと思うのです。
 
祈り
愛する天の神さま、ヤコブのように、後悔するような時、孤独に打ちひしがれる時、あなたがそばにおられることに気づかせてください。人との軋轢や自分の弱さに打ちひしがれる時も、あなたを見上げつつ日々新たにされて、歩むことができますように。この祈り、主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。

2022年10月23日

「この地を耕して」
創世記 2:4b−25
大野高志牧師


 とっても落ち着かない思いでいらっしゃる患者さんがおられました。「看護師さん呼んで。今すぐ。」「どうして行っちゃうの?」・・覚醒されると取り乱される方でした。私が最初にお邪魔したときも「ここ(ホスピス)に来れば、もっとおもてなししてもらえると思っていたんだけど」と、不満げです。でもしばらく座って、ゆっくり「主われを愛す」の讃美歌をわたしが歌うと、気に入って下さり、お訪ねする度に「歌って」と注文される方になりました。讃美歌だけでなく、童謡も歌謡曲も、ポップスも、次々と注文をいただきました。よく知らない曲で、少しわたしが調子を外すと、ナースコールを押して「看護師さーん」となさるので、ちょっと困りました。
 
 とはいえ、とりわけやはり讃美歌はお好きであったようです。お聞きすれば、中学高校とミッションスクールに通っておられたのですね。「みどりも深き若葉の里」がお好きで、そして今ご一緒に歌いました、「この世はみな」というより、旧讃美歌の「ここも神の」を一緒に口ずさんで時を過ごしたりいたしました。
 
 不思議なものだなと思います。人はだれもが、生まれてから今日までを、違った環境で生き、違った出会いをし、違った経験をして来たわけです。だから、考え方も価値観もそれぞれ一人ずつ違うのですけれど、どこかでつながっていたりする。そのことを喜ぶことができるのは、人はどんなに違っていても、最後は、同じように死んでいかなければならないということを、どこかで自覚しているからかも知れません。
 
 ちなみに、この旧讃美歌90番。「ここも神の、御国なれば」という讃美歌はモルトビー・バブコックというアメリカ長老教会の牧師であった人の書いた詩のようです。バブコックは43歳の時に、エルサレム旅行に出発するのですが、その途中のイタリア・ナポリで突然倒れなくなっているのですね。その突然の死の後に出された遺稿集の中にあった、もともと16節もある長い詩。それが、この讃美歌の原詩なのだそうです。だれも予想していなかった死。それも客死となれば、残された家族や教会の皆さんの悲しみはとても大きかっただろうと思います。そんななかで、遠いナポリの地も、「神の国、神の世界だ」と牧師が歌っていたのだとしたら、それこそが残された人々の慰めでもあったと思うのです。
 
 違った人生、違った場所。でも最後に等しく与えられる死。その中でに、賛美の声を胸に思い描くことができる人々は、何と幸いなことであろうかと思います。
 
 
 秋が深まっていきます。あらゆる命が、しばしの眠りに入り、新しい春に備えることになる秋の暮れ。そこで生き、死んでいく、私たちのいのちとはなんであるのか、それを受けとめるために、今日は人類創造の物語を読みます。皆様よくご存じの物語、2章4節の第2文からでした。
 
主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
 
 学者たちによると、創世記は2章4節の第1文までと、第2文以下とでは、書かれた時代も、記した人も違っているのだそうです。だから、第1章では、男と女とが一緒に創られたことになっているのに、第2章では、男が先に作られたことになっている、その矛盾も説明されるわけです。
 
 聖書が書かれた時代、などという話をすると、「聖書は神の言葉」という私たちの信仰が揺さぶられることになるかも知れません。けれども、聖書が神の言葉であるのは、神秘的な方法である日天から降ってきた言葉だから、というのではなくて、その時代を生きた人が、その生かされた時代の歴史と人生を背負いながら、神に向き合い、告白してきた言葉であり、それが神の物語に刻まれていることを信じるからです。聖書は人が書いたものです。でもそれを、ご自身の出来事と受けとめて下さる方がいる。それは神が言葉となり、人であるキリストとなられたことと軌を一にすることです。まさに人の言葉を神の言葉と受けとめて下さる霊の働きがある、ということでしょう。
 
 そう考えたときに、2章4節第2文を記した人たちの中には、ある経験に基づく、実存的な問いと、そこから紡がれた信仰告白があったと言えると思います。それは、「人はどこから来てどこへ行くのか」という問いです。そしてそれに対する応答的告白は、「人は神が生きよと命じられた限りにおいて生きる命であった」というものであったのでした。
 
 今日の聖書箇所に描かれている人間創造のイメージはとても具体的です。物語の絵本を読んでいるような感じがします。水で潤された土。それは焼き物を作るときの粘土のイメージですよね。神はその粘土をこねて、形を作るわけです。神の手が泥をこねている内に、その温もりが、その泥を柔らかくしていき、「ああ、この形だ。わたしが創ったのはこの形だよ、この形がいいと思ったんだよ」と神は思った。そして手は休み、こんどはそこに、命の息が「ふー」っと吹き入れられるというのです。日本語でも、「息」という言葉は「生きる」という言葉と関係しているわけですが、私たちの一呼吸一呼吸は、神の息そのものとつながっていたのだと言うことが示されています。私たちは、神が息を吹きれられている限りにおいて、生きる者とされている。私たちが息を吸うとき、神はその御言葉を全身に漲らせることを願っておられ、私たちが息を吐くとき、御言葉を世に告げ知らせ、人々を言葉によって慰めることを求めておられる。そしてその命の営みのすべてを、神は守り、導き、その艱難辛苦をともに味わっていて下さる。と言うことは反対に、神が息を吹くことを辞めるとき、わたしたちに向かって「お前はよく頑張ったよ。もう帰っておいで」と言われて、その息を吹き入れることをおやめになるとき、私たちもまた、呼吸することを辞め、生きることを終えて、その土に帰るのであった、ということです。
 
 土から生まれた人は、やがて、土に帰っていきます。創世記をまとめた人たちは、一つの激動の時代を生きていました。学者たちによると、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記というモーセ五書と呼ばれる書物たち、あるいは学者によっては、それにさらにヨシュア記までを含めて6書と言う人もあるのですが、その書物は、元々4つの文書群からなっていたものを、一つに編集し直してできあがったのだそうです。この創世記が再編集されて、今の形にまとめられていったのが、紀元前6世紀以降であったと言われているのです。その時代、イスラエル、とくに南のユダ王国の歴史の中で、大変に大きな出来事があったのでした。
 
 それは紀元前586年のことでした。東からやって来た新バビロニア帝国によって、エルサレムが陥落させられるのです。国は蹂躙されて、人々のよりどころであったソロモンの神殿も、焼かれてしまいました。そして彼らは国を失います。王ゼデキヤを初め、実に多くの人が、バビロニアに強制移住をさせられて、そこで抑留生活を営むこととなったのです。世に言う、バビロン捕囚です。
 
 彼らは、故郷を離れ、異国の地で生きなければならない、そして、その異国の地で死に、異国の土に埋葬されていくということを経験しなければならなくなったのだろうと思います。そしてそのとき、彼らの信仰は、その深い嘆きの中から覚醒されて、全く逆説的に、神への信頼に立ち返っていくことになるのです。彼らは、思ったのでした。「ああそうだったのだ、故郷は遠く離れてきたけれど、この土地も、この大地のこの土も、神様がお造りだったのだ。そして、その神様がお造りになったこの世界のこの土によって、私たちは生かされていたのだ」ということです。そう考えてみるならば、「ここもまた、神によって創られた土地であったのだ」ということを、バビロンに生きた人々は経験するようになっていったのではなかったかと思うのです。
 
 そう考えてみると実に見事です。この物語には、エデンから4つの川が流れ出ていた、と書いてあるのです。10節でした。
 
エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。
 
 神の創られた楽園。最初の楽園。その楽園から、4つの川が流れ出ていたというのです。第1の川、第2の川と言うことで記されている、ピション、ギホンという2つの川は、今の世界地図を眺めても存在しません。いろいろと、あの川のことではないか、この川のことではないかと想像する人はいますが、その域を出ません。それに対して、最後の2つの川の名前はなじみがあります。ティグリス川とユーフラテス川。今では、この二つの川は、最下流200キロくらいの所で合流して一つの川になっていますけれども、古代においては、別々にペルシャ湾に注ぐ川であったようです。そして、紀元前6世紀にユダヤの人々が捕囚民として抑留生活を送ることになったバビロニアの首都バビロンは、この二つの川に挟まれたところに栄えた町であったようです。
 
 今、自分たちが故郷を離れて生きなければならないこの土地。ここもまた、エデンから創られた町であったと言うことを、人々は、ここに記憶しているのでしょう。15節。
 
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
 
 私たちが、今、ここを耕さなければならなかったのではないか。自分にとっては、全く違う土地。違う価値観、違う文化を担っている人々に、支配され、虐げられている自分たち。
 
 しかし、考えてみれば、自分たちはうぬぼれていた。かつての自分たちは、神が創った国、それはカナンにある約束の地だけであって、自分たちこそは、その国の民であるのだと言うことを鼻に懸けていた。しかし本当になさなければならなかったことは、神によって召された民であるからこそ、全ての民の土地を耕すものとなっていかなければならないという、メッセージだったのだろうと思います。そしてそのことが、本当の意味での、神がわたしたちにいのちの息を吹き込んで下さったことの意味であり、目的であったのだと気づいていったのだろうと思います。21節。
 
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
「ついに、これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう、まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。
 
 異質であったはずのものが、実は肉の肉、骨の骨と呼びうるようなパートナーであり、互いに知り合い、愛し合い、助け合うものとなるべき事が、ここでは示されます。そしてそのとき、両者はともに裸なのです。父母の血縁を離れて、その同民族、同部族の論理を離れて、異質な物と出会い、何も纏うことなく、与えられた出会いに生き直すのです。そして互いから身を潜めるための盾を取らず、甲冑を纏うこともせずに、やがては土に帰っていくのです。生まれたときの、そのままの姿でです。裸で人と向き合うこと、それが相手を信頼する者たちの姿なのであって、それこそ神がお造りになった姿なのであり、恥ずかしがることはなかったと説かれているのかもしれません。
 
 それなのに、私たちは、どうして他者を恐れ、甲冑を身に纏おうとしてきたのか、そのことをそそのかすに至った園の中央にあった善悪の知識の木は不気味であったというべきかも知れません。異なった背景を持つ人を前にしたとき、その他者とどう出会い、何に希望と繋ごうとしたのか、現実のイスラエルの痛ましい歴史、それへのなげきが、ここに読まれているといってよいのではないかと思います。
 
 冒頭にご紹介した方。時に心乱し、不安に苛まれていたこの方も、あるときふとこんなことを言われました。「ホスピスに来て嫌な思いもしたけれど、よくして下さる看護師さんもいるのよ。私はここで死ぬわ」
 
 私たちは、それぞれ人生の中で、いろんな経験を積み重ねて、今の時まで来ました。どこかで、置いてきたままになってしまった、人々とのもつれの棘があったかもしれません。あの人とは馬が合わなかった、そのことに傷ついてきた、私たちの物語もあったかもしれません。でも今、そのことに痛みを抱えつつ、今日を生かされていることの意味を、ここで感じたいと思います。神が私たちの人生を導いて下さっていること。命の息を吹き入れられたときから、その命の息を取り去られるときまで、私たちに与えられている使命。
 
 それは、今日出会う人々と分かちあうべき大地を耕し、愛を語り、共に生きていこうとするところにあったのではないか、そう思うのです。

2022年10月16日

給付と共生」
マルコによる福音書 8:22−26
大野高志牧師


 ようやく、コロナ禍にも落ち着きが見られるようになってきたか、あるいは、落ち着いてきたとみたい願望が現実を覆っているか——そんなコロナ3年目の秋かもしれないと思ってみたりします。
 
 振り返ってみると、コロナが始まった頃、私たちがまず出くわした困惑は、トイレットペーパーが店からなくなるということであったかもしれません。今思うと、あれはデマだったのですよね。最初は、まあ、当然のようにマスクが無くなったわけでした。それがトイレットペーパー騒動に。それは、ついこの間まで、私たちこれを、「紙マスク」と呼んでいたからでした。本当は不織布であって、紙でも何でもないし、マスクは中国製、トイレットペーパーは日本製であるわけで、まったく流通の問題でしかなかったのですけれども、デマに振り回され、私たちはトイレットペーパーやティッシュペーパーを買いあさりました。それはまさにオイルショックの再来でもありました。それはある意味で、他人の生活まで考える余裕はない。とにかく、自分の生活のこと、余力がある内に蓄えておこうという、とてつもない自己保存欲求の表れが爆発した感じであったのかもしれないと思うのです。
 
 北九州で、長くホームレス支援などの活動をされている、牧師の奥田知志先生が、先日のキリスト教社会福祉学会で、こんな話をしてくださいました。それは20年くらい前、ホームレスを中学生たちが夜に襲い、危害を加える事件が頻発したときのことでした。中学生たちは、ホームレスは役に立たない、社会のゴミだと言って笑いながら暴行を加えていたというのです。奥田先生は路上生活をされている方々のところへと出掛け、「大変やなぁ、なんということやろ、なんかできることはないか?」と解決方法の模索をしていたというのでした。そんなときに、その路上生活されている“おっちゃん”の一人が、こんなことを言ったというのです。
 
 「せやで、こんなに恐ろしいことはない。やつら、ほんとにむちゃしよる。はよ、こんなことは終わって欲しい。だけどなぁ、先生、やつら中学生やで。夜の11時過ぎて家にも帰らんと、外におる。彼らのこと家ではだれも心配してくれないんだろう。家に帰っても居心地わるいんだろう。彼らにも、ほんとの意味では家がない。俺らホームレスだから、その気持ちも分かるけどなぁ」
 
 そう言われたというのでした。そして今、コロナ禍の中で起きている現象を見ながら、奥田先生はこんなことをおっしゃるのです。
 
 「コロナ禍はウィルスで引き起こされた。だから、誰にも同じように危険が及ぶ者として、言い方は悪いけれど、少し期待した。それまではびこっていた自分中心主義や自国中心主義のような風潮を揺さぶるいいきっかけになるかもしれないと思ったのだ。ところが起こったことは、トイレットペーパーがない、医療従事者の子どもたちが学校でも遠巻きにされる、マスク警察、自粛警察がよそ者を寄せ付けない。結局、この国では誰もが居場所をもてない、誰かとのつながりを安心して保つことができていない、そういうことだったのではないか」。そのように指摘されるのでした。この国は、これまで福祉政策というと、現金給付と現物給付といって、何かを給付する、ということで調整を取ろうとしてきました。しかし本当の意味での幸福を作るためには、誰が誰とどう繋がっていられるかという問題に、今から、あるいはこれからこそ、真剣に取り組んでいかなければならないのかもしれない、そう言うのです。
 
 誰が、誰と繋がっているか。今まさに、私たちの社会に孤立の問題が突きつけられている中で、今日の福音を読みます。マルコ福音書8章22節以下、一人の癒された盲人。彼は癒された、しかしその彼には、人が動く木としか映らなかった、というのです。その状況を報告する物語。福音書記者は、こう筆を始めました。22節。
 
一行はベトサイダに着いた。人々が一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。
 
 「ベトサイダ」—ガリラヤ湖のほとりにある村の名前で、ヨハネ福音書によるなら、この村こそ、ペトロやアンデレ、あるいはフィリポといった多くの弟子たちの生まれ故郷であり、彼らがキリストに出会った場所でもあったのでした。彼らは、自分たちの故郷にイエスを案内し、そこに錦を飾るような思いであったのかもしれないと思います。そこに、人々が一人の盲人を連れてくるわけです。
 
 この物語に至ったのには、一つの伏線があるような気がします。それは、直前に記された物語です。弟子たちは、旅にパンを持ってこなかった、そのことで議論をしていました。誰が忘れたのか、一体、どうやって空腹を満たすのか、そんな話し合いになったのかもしれません。ちょっと14節から、振り返っておきたいと思います。14節以下、こうあります。
 
14弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。 15そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。 16弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。
 
 イエスの言う、「ファリサイ派の人々のパン種」と「ヘロデのパン種」とは何か。ファリサイ派の人々は、自分たちの掲げる「正しさ」、「清さ」、「規律性」、そういった基準に照らした上で、パンを食べて良い人と、食べてはならぬ人とを峻別しようとしていました。それに対してガリラヤの領主ヘロデは、それを人々に振る舞うどころか、ただ自分の意に添う手下にだけ食を与え、自分の私腹を肥やすこと、立場を安定させることにのみ関心を向けていました。その両者の両極に振れる「的外れ」に対して、イエスは一つの評価をする。「あなたたちはそうであってはならない」と弟子たちを諭したのでした。
 
 イエスは言うのです。「あなたたちは、5000人とパンを分かち合ったとき、あるいはまた、4000人とパンを分かち合ったとき、“分かち合うときにこそ満たされる”ということを体験したであろう。大切なのは、何をどれだけ多く食べるか、ということではない。だれと分かち合い、共に生きていこうとするか、そのことに掛かっているではないか」ということです。そして、それなのに、というのです。「あなたたちは、なおも“パンがない”ということだけで汲々としている。それならばあなたたちこそ、“目があっても見えず、耳があっても聞こえない”のではないか」
 
 今日の場面はこの指摘に続きます。イエスと共に故郷に戻った弟子たちの前に、文字通り、目の見えない人が登場してきたのです。そこで改めて「誰と共に生きるか」ということがテーマとして掲げられていくことになったのでしょう。今日、人々が、一人の盲人をイエスのところに連れて来てイエスに願ったことは、ただ単に、見えるようにしてくれ、と言うことではありませんでした。そうではなくて、第一に「この人に触れていただきたい、この人の心に温もりを感じさせてやって欲しい」ということであったのでした。
 
23節.
イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。
 
 奇跡が起ころうとしていました。ペトロたちにとって、そこは故郷の村。そこで弟子たちの連れてきた大先生が神の業を行われる。それが村の大勢の人の前でなされたとしたら、それは、ペトロの鼻がどれほど高くなることだっただろうかと思います。村を出て行ったものの、一矢報いる面目躍如の場となるはずであったかもしれません。しかしイエスは、盲人を村の外へと連れ出すのです。あえて、その男の手だけを取り、その見えぬ者の足をこそ導いて、です。そしてイエスは、その村はずれで、男と、一対一になられたのでしょう。大先生と盲人としてではなく、人に蔑まれることの悲しみを知る、一人の「人間と人間」として、そこで出会われたのでしょう。そして古来からの病癒やしの風習に則って、その人の目に唾を付け、両手でその人の目に触れられたのでした。「何か見えるか」—それは、見えなかった人が見たものを一緒に見ようとしたことであり、そのこたえる声に、自ら耳を傾けることでもあったことでしょう。いつわらず、ただ見たものだけに聞く、その真実に立ったお尋ねであったのだろうと思うのです。盲人は応えます。24節。
 
すると、盲人は見えるようになって、言った。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」 25そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。
 
 盲人は見えるようになって、しかし一体何を見たのだったでしょうか。それは人であろうと思われる。しかし率直に言うならば、それは木か何かのようにしか感じられない。たしかに歩いているのは分かる、しかし、それは果たして本当に人間なのか。盲人が口にした言葉は、そのような感覚をありのままに表現したものであったように感じます。ただ手足が動いている、生命維持のための運動がなされている、それだけでは、それは人間と人間とが出会うと言うことにはならない、ということでもあるのかもしれません。イエスはさらに一歩、この男との関係を深めるために、その両のまなこに、今ひとたび手を触れられます。すると男の目は「よく見えてきて、いやされた」。そして何でもはっきりと見えるようになった、というのです。
 
 ただ目の水晶体に像が結ばれる、それだけは、「いやされた」とは言えなかったのでしょう。そして彼は、そこにイエスの存在、人格をもった一人の人との出会いを感じたと言うことだったろうと言う気がするのです。そして今こそ、はっきりと見えるようになった。ただ視力の問題だけでなく、何が大切なのかはっきりと分かるようになった、そういうことだっただろうと思うのです。
 
 奥田知志先生は、厚労省の「地域共生社会推進検討会」の委員として、「伴走型支援」の重要性を説いてこられました。従来、国は「給付」という形で経済的な困窮に対する解決型の支援をしてきたわけですけれども、かつては、いろんな縁で結ばれていた関係が壊れた現代にあっては、それに加えて、「社会的な孤立」をどう防ぐかというための支援が必要だという訴えでした。そして、それが、昨年度から始まっている「重層的支援体制整備事業」という中に具体的に盛り込まれるようになってきているのだそうです。そこで大切にされているのは、まさに、永遠の命を受け継ぐために何が必要なのか、「私の隣人とは誰なのか」―「行ってあなたがたも同じようにしなさい」という、あの「善きサマリア人の譬え」において交わされた、あの、大切な視点だったのかもしれません。そしてまた、あるいは、あの5000人の給食の話、また今日の聖書の直前にある4000人の給食の話によって示された、「分かち合えば増える」という、命のパンの事実のことでもあったかもしれません。給付があるだけでは、私たちは生きて行かれない。人がいなければ、人間がいなければいきられないのだ、という現実に立ち返ることでしょう。そこで私たちはまさに、今日の聖書においても、「何を見てきたのか」、そして、「誰の隣人となろうとしてきたのか」ということが問われているのかもしれないのでした。
 
 イエスは、今日の箇所で、目が見えるようになった男に向かって、こんな風に「これからの道」を示されました。26節。
 
イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。
 
 この目が見えなかった男は、どうやら、この村、ベトサイダの人ではなかったようです。別の町からやって来た人でした。なぜ、この村までやってこなければいけなかったのでしょうか。わかりません。でも、この時代、目が見えないこと、体に障害があることは、今も層であることに輪を掛けて、言われない差別を受けたり、周囲から不利益を被るようなことが多かったのかもしれないと思うのです。とするならば、彼の目が開かれたとき、彼に、彼自身の生活の世界へ帰れとイエスが命じたことは、とても大きな意味を持っていたように思うのです。彼は彼を軽んじていた、あるいは人とし扱わず、彼を孤立させてきた世界へと帰っていくのです。そして、そこで、最も大切なことが何であるのかを、示し、証するものとして生きることになるのです。「歩く木」たちを、「人間」として関わり合えるようにすること、それぞれがお互いに出会い直していくこと、そのための働きかけが、彼に求められたのです。
 
 きっと、キリストと出会う、ということには、そんな使命との遭遇が含まれているのでしょう。今日私たちも、それぞれの生活の場から、この礼拝堂へと集まってまいりました。そして、神の国を垣間見る者とされたのです。ここから、それぞれの隣人のところへと戻っていくことにいたしましょう。誰をもひとりぼっちにしないために。だれをも取り残さないために。そしてそのために、今こそ祈りを合わせて参りたい、そう思うのです。

2022年10月9日

「イエスとニコデモの対話」
ヨハネによる福音書3章1節~16節
鬼形惠子牧師


 私には、よく絵葉書を送ってくれる友達がいます。大学時代の友人で、京都に住んでいます。以前は良く会っていましたし、一緒に旅行にも出かけていましたが、お互い仕事もあり、また今はコロナでもあり、なかなか会うことができません。彼女は一人暮らしで、一人でもあちこち、出かけていく人ですが、最近はお母さまの介護があり、遠出ができなくなりました。それでも美術館に行ったり、近くのカフェに行った時などに、気が向くと、時々の様子を書いて送ってくれます。連続ものの葉書が届くこともあり、そんな時は葉書にその1、とかその5など、番号がふってあるのです。配達の状況で番号通りに届かずに、「その3」と書いた葉書がいきなり最初に届くこともあり、そうなると内容がよくわかりません。一通り揃うのを楽しみに待って、読みます。時々に思い出して、葉書をくれることが嬉しく、落ち込んでいる時にふいに葉書が届くと元気づけられます。
 
 友だちと言うのはいくつになっても、良いものですよね。学校で生徒を見ていると、中高生の時期は友だちが大事な年代で、友達とのつながりを強く求めています。親に話せないことも、友だちには打ち明けていることも多くあります。生徒は学校にいる時間が長いですし、一人になることを「ぼっち」などと呼んで、とても恐れています。本当は一人でいる、ということも大切ですが、一緒にいて安心できる、信頼できる友達を作りたい、と言う思いはよくわかります。
 
 その葉書をくれる友人とは、必要なことはラインでやりとりするので、葉書の内容自体は、他愛ないことです。私も、きれいな絵ハガキを見つけると買い求め、彼女に便りを送りたいと思います。何気ない日常の思いを共有できることが嬉しく、時には悩みや愚痴を書いても、受け止めてくれると言う安心感があります。それは彼女の人柄によるところが大きいのですが、学生の頃にたくさん話をし、いくつかの人生の節目に支え合ってきた信頼があるからです。ずっと変わらずに、誠実に対応してくれる友人に、私も誠実でありたいと思っています。
 
 私は高校まで愛媛県で暮らし、大学時代は京都、その後に横浜に来ましたので、学生時代の友人は近くにはおらず、そのことを寂しく思うことがあります。彼女のような交流が続いている友人は多くはありません。みなさんはどうでしょうか。
 大切に育んできた家族や、友人や、人との関係がみなさんもあると思います。それは、大切なものですよね。また、誰とでも築ける関係ではなく、神さまが与えて下さった出会いであり、お互いの努力も必要です。
 
 さて、今日の聖書には、ユダヤ教のファリサイ派に属するニコデモという議員が、夜にイエスの元に訪ねてきた、と記されています。ニコデモと言う人は、ヨハネによる福音書だけにしか登場しない人物です。イエスとのやり取りで、ある程度年配の男性だったことがわかります。ユダヤ教の議員ですから、ユダヤ教指導者と対立しているイエスに会いに来るのは、大きな決断が必要だったでしょう。ですから、人目を避けて、わざわざ夜に訪ねて来たのです。
 ニコデモは、普段のイエスの行いや話を見聞きする中で、イエスへの信頼を深め、どうしても話してみたくなり、訪ねて来ました。イエスは、このニコデモの思いを理解し、受け入れ、二人で対話する時間を持ちました。このやりとりは、聖書では3章1節~21節まで続いています。
 キリスト教絵画の中には、このニコデモとイエスが対話している様子を描いたものがいくつかあります。インターネットで調べてみても、いくつか出てくるのです。夜、満天の星空のもと、建物のベランダのようなところの縁に腰かけて、ゆっくりと、でも真剣に議論をしている2人の姿が描かれています。ニコデモは白髪の老人として描かれていることが多く、イエスの方が若いですが、ニコデモは、謙虚な姿勢で話しています。イエスも、夜で他に人がいないからでしょうか、リラックスした表情で、ニコデモに向き合い、語っています。教師が生徒に教えているという感じではなく、対等に、心を開いて語り合っている雰囲気が、絵画には表現されています。まるで昔からの親しい友達同士が語り合っているような、おだやかな時間を感じる光景です。
 
 しかし、この2人の会話は、聖書を読むと、あまりかみ合ってはいません。ニコデモは初めに、「あなたが神の元から来られた教師であると知っています」と、深い信頼の言葉を伝えています。イエスはそれに対して「人は新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」と言いました。
 ニコデモは、自分は年を取っているのに、どうして新しく生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることなんてできないでしょう、と反論しています。イエスの言う「新しく生まれる」という意味がニコデモには理解できません。ニコデモは深い新有を持ってやって来たのでしょうが、この時はまだあまり深くイエスを理解してなかったようです。イエスは、16節で「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された」というイエスの十字架にもつながる重要な事柄を伝えていますが、ニコデモの反応はありません。この時は、結局イエスの教えを受け入れられずに、ニコデモは立ち去ったようです。
 先程ニコデモは、ヨハネによる福音書にしか登場しない人物だとお話しましたが、ヨハネには、この後、2回登場しています。
一つは、ヨハネ7章51節です。ユダヤ教指導者たちがイエスを殺そうと相談している時、そこにニコデモもいて、「本人から事情を聞き、確かめたうえでなければ判決を下してはいけない」と、イエスをかばう発言をしています。
 もう一つは、19章38節以下です。イエスが処刑された後、ニコデモは弟子たちといっしょにイエスの遺体を引き取って埋葬しています。十字架刑で処刑されたイエスの遺体を引き取りにいくのは、覚悟が必要です。イエスの弟子たちと共に行動していたということです。
伝承によると、ニコデモはその後クリスチャンとなり、殉教したと言われています。また新約聖書外典の中には「ニコデモの福音」と言う書物もあります。
 
イエスと1対1で向き合い、語り合ったことは、ニコデモにとって、その時はよく理解できなかったけれども、その後の生涯を大きく変えるものになりました。ニコデモはイエスとの対話を何度も思い返し、イエスの言葉の意味を考えました。そして、イエスが自分に語ってくれたとおりに、十字架への道を歩む、その生涯を目の当たりにする中で、本当の意味でイエスを理解したのです。そして、それ以降の生き方が変わりました。親しい友のように受け入れられ、語り合った。大切な事柄を自分にも打ち明けてくれた、あの夜のイエスとの対話が、ニコデモが新しく歩み始める出発点になりました。
 
 ヨハネ15章15節で、イエスは弟子たちにこう言っています。「もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」と。
イエスは、弟子たちに「あなたを友と呼ぶ。友だちと呼びたい。」と言われました。「父から聞いたことをすべて伝えた」というのは、一言で言えば、「神のみ子が人々のために十字架にかけられる」という十字架の出来事を伝えた、ということです。すべてを打ち明け、あなたを友達と呼びたい、と自ら語りかけられたのです。弟子たちは、その時は本当の意味ではイエスを理解することができず、イエスを裏切りますが、十字架の出来事と復活を体験する中で、弟子たちもまたイエスの言葉を自ら生きるものとなるのです。
 イエスは、今を生きる私たちにも、「あなたの友となりたい」と語りかけてくださっています。突然訪ねて来たニコデモを友として迎えたように、十字架による救いと神の愛を私たちにも示し、友として招いて下さるのです。私たちも、心を開いて、主イエスに語りかけていきたいと思います。思いをすべて打ち明け、言葉にならない苦しみや悩みを抱える時も、イエスさまがそばでゆっくりと聞いて下さっていることを思い浮かべ、声に出して祈ってみましょう。離れている親しい友人にゆっくりと手紙の返事を書くように、友と呼んでくださる主イエスに祈る者でありたいと思うのです。人との関わりが良い時も、難しい時も、どんな時でも、イエスは一番親しい友として私たちを招いて下さいます。その恵みの深さに感謝し、私たちも、主にすべてを打ち明け、ゆだね、祈りつつ歩んでいきたいと思います。
 
祈り
 愛する天の神さま、あなたはわたしたちを友と呼んでくださいました。ニコデモとの出会いを通し、私たちをも同じように招いて下さることを示して下さいました。私たち自身も心を開き、あなたに語りかけつつ歩む者としてください。そしてあなたが与えてくださる人との出会いや交わりに感謝し、誠実であることができるよう導いて下さい。新しい1週間も、守られて歩めますように、とりわけ病床にある渡辺先生の回復がを心から祈ります。この祈り、主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。

2022年10月2日

「主が備えて下さる道」
箴言16章1~11節


 日曜日は週の初めの日です。新しい一週間の出発の朝です。キリスト教では、私たちのために十字架に付けられたイエスが、死から復活をされた朝、週の初めの日の出来事です。その日、復活のイエスに出会った弟子たちは、新しい歩みへと出立しました。
 人間の歴史の只中に、私たちの現実の只中に神の子イエスが来てくださったことを知るものとして、イエスの出来事に心の琴線を振るわされたものとして、私たちはイエスの復活の日の朝である日曜日を大切にして、礼拝を捧げます。いいえ、それだけではなく、イエスは私たちの弱さの全て、貧しさの全てを、破れの全てを負う為に、十字架へと進みました。罪深さが生み出す一切の悲惨な出来事を償う為に、イエスが死んでくださったことを私たちは知るものです。私たちの救い主であるイエスの出来事の中に、神の慈しみと人間に対する深い愛がたたえられていることも私たちは知っています。
 さて、お読みいただきました旧約聖書の箴言は、今朝、私達に次のように告げています。「人間の道は自分の目には清く見えるが、主はその精神を調べられる」と。箴言は、イスラエル共同体に古くから伝わる格言集のようなものです。その成立年代は、カナン定着前のイスラエル12部族の時代からバビロン捕囚後までと、非常に幅広いものです。人生や社会、または個人に到までを表現する諺や格言が集められたものですが、しかしながら、それは根底に主なる神への畏敬の念、神への信仰が流れており、一般的な格言集とは異なるものです。いわば、イスラエル信仰共同体において、延々と続く信仰的な営み、信仰の歴史が刻み続けた、生きた神との関係を綴ったものとも言えます。
 「人間の道は自分の目には清く見えるが、主はその精神を調べられる」。私たちは、自分の言葉や振る舞いを正当化します。たとえ誰かに誤りや不都合さを指摘されても、なお自分の正当性を主張して止みません。確かに箴言の語るように「人間の道は自分の目には清く見える」ものなのかも知れません。しかし「自分の道が清い」と正当化することは、裏返すと「他の人の道は清くない」と同じです。箴言は間髪いれずに、「主はその精神を調べる」と告げます。私たちの自己中心さと自己満足な自己を義認する姿を打ち叩く、神の言葉が続きます。
 精神とか魂とか、心というものを私たちは余りにも抽象化してしまいます。精神や魂、心は人間そのものを表現する言葉だと思います。読まれませんでしたが11節に「公正な天秤、公正な秤は主のもの」とあります。とても恐ろしいことに、「精神を調べる」とは、ありのままの、裸の私という存在が、神の天秤にかけられるということです。神が調べられる天秤皿の上に、ありのままの、裸の自分が乗せられるということです。神によって罪や過ちを測られるとき、その重さゆえに、たちまち私たちは沈み込むことでしょう。誰もが、恐れ、震えおののくことでしょう。
 話は変わりますが、「生きもの感覚で生きる」(講談社)という科学の本を書かれている中村桂子さんという方が、「愛ずる」ということを強調されています。「愛ずる」とは、愛でる、愛するということです。平安時代の「堤中納言物語」(つつみちゅうなごんものがたり)の中に「虫愛づる姫君」という小さなお話があるそうです。
 ご紹介させていただきます。京都の街に、チョウチョウが大好きなお姫様がいました。チョウチョウは綺麗だから、みんなも一緒に楽しんでくれます。その隣の家に、毛虫が大好きなお姫様がいました。こちらは「こんな汚く、醜いものを」と、皆が敬遠します。ところが、毛虫の大好きなお姫様が、こんなことを言いました。「みんなは、花やチョウチョウをちやほやするけれども、あれは儚いものでしょう。人は本当のものを見なくてはいけない。本質を求めなければならない。毛虫をよく見ていてごらんなさい。これは汚いけれど、だんだんと育っていってチョウになるでしょう。その美しさの大本は、この毛虫の中にあるのに」。
 「愛ずる、愛でる、愛する」ということは、表面上綺麗だからと言って可愛がるということではなく、よく見つめて本当のことを理解し、本質を見極めていくことと関係しています。そのことを通して、愛しさが沸いてくる、愛情が沸いてくる、愛することの美しさ、その大本は、本質のただ中にあることを教えている小さなお話だと思います。
 「人間の道は自分の目には清く見えるが、主はその精神を調べられる」。自己中心さと自己義認に陥る時、神による「公正な天秤」にかけられてしまう私達、罪や過ちの重さゆえに、本当に神の前で顔をあげることの出来ない存在です。罪や過ちの重さ故に、天秤が沈むような存在です。けれども、反対側の天秤皿の上に乗せられた分銅、重石があるのです。それこそがイエスの生涯、イエス・キリストの十字架と復活の出来事です。公正な天秤が平行にされ、赦し保たれているのです。
 ありのままの私とは、裸の私とは、本当に罪深く、人を愛することの出来ない自己中心的な醜い存在かも知れません。しかし、イエスの十字架によって蒔かれた信仰の種を宿す存在として、私達は神に心から愛でられている、愛されている存在なのです。神の愛を一身に受けた私たち、今度は、命を心から愛でる、愛していく、そんな一歩一歩が神によって備えられているのではないでしょうか。
 イエス・キリストという神の赦し、神の愛から出立する、イエス・キリストが備えられた道を、ご一緒に一歩一歩、巡って行きたいと思うのです。

2022年9月25日

「死の石を取り除く」
ヨハネによる福音書11章28~44節


 ヨハネによる福音書はイエスを言葉、または光、あるいは命と多様に表現をしています。更には永遠の命の水であるとか、永遠の命に至る食べ物とも表現しています。いずれにせよ、この福音書はイエスを神からの命として伝えています。37節で「盲人の目を開けたこの人でも、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と、いみじくも命であるイエスを語る福音書の構成を証言するものとして発言されています。
 皆さん、聖書の中で一番短い節は何は、聖書のどこにあるかご存知でしょうか?。それは今朝の聖書の箇所、ヨハネによる福音書11章35節「イエスは涙を流された」です。原語のギリシャ語や英語の聖書ですとたったふたつの言葉です。聖書の中で一番短い言葉です。しかしそれはイエスとは何なのか、そしてキリスト教の大切なことを一番多く語っていると思います。ラザロの死を悲しみ泣くイエスを通して、人間の悲しみ、人間の涙が神に理解されていることを伝えています。
 同じ新約聖書の黙示録21章3~4節には「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや悲しみも嘆きも苦労もない」という一句が納められています。
 イエスが涙を流されたということは、見方によっては不自然なことかも知れません。ラザロは死んで葬らましたけれども、イエスは終始、ラザロの甦りを確信しておられたはずです。ですから、涙を流し深く嘆かれる必要はなかったはずです。ところが、イエスはラザロの死という現実に直面し、マリヤや他のユダヤ人たちが泣いているのをご覧になって、心に憤りを覚え、興奮し、涙を流されたのです。35節にありますように、確かにイエスは涙を流されました。しかし、神への憤りであるとか、不信仰のつぶやきをもらしたのではありませんでした。現実における人間の深い悲しみや苦しみに涙したのです。そしてそのイエスの涙は、祝福に変えられるとの約束の涙だったのではないでしょうか。
 主イエスが涙を流され、マリヤたちを悲しみから救うという出来事は、私達がマルタやマリアのような悲しみに直面しても、彼女達と同様にイエスは共にいて下さり、私達も共に神の子とされているということです。死の現実、苦悩の現実の中で、私達はともすると神への恨みを抱くことがあります。神はどこにいるのか、神がいるのならどうしてこのような辛い事が起こるのかと、神に捨てられていると思ってしまいます。しかし聖書が語るのは、全く反対のことです。悲しむ者は、神にとってイエスにとって最も愛すべき者なのです。一番に慰められる者なのです。そして最も深い悲しみの現実にある時こそ、イエスは一番近くにいて下さるのです。
 ところで、ラザロはすでに墓に葬られていました。彼が自分の力で甦り、墓から出てくることなどあり得ません。またマルタ、マリアの姉妹の深い愛情をもってしても、どうにかなるものではありません。ここには私たち人間の限られた命の現実があります。しかしイエスはそのような悲しみにある人間に向かって、「石を取り除けなさい」と言われました。「石を取り除けなさい」という発言に注目したいと思います。ここでイエスが命じられた事柄に、手を貸し、石を取り除く作業に加わったのは、他の人々でした。涙を流していた人々が、ラザロの墓をふさぐ石を取り除いたのでした。
 このイエスの促しは宣教への示唆です。取り除きなさいという石は誤解の石、偏見や差別の石、絶望の石、悲しみの石、苦悩の石、孤独の石、そして死の石です。更にイエスは、全身を布で巻かれたラザロを「ほどいてやりなさい」と人々に命じられます。ラザロは全身を布で巻かれていました。顔も覆いで包まれていました。死がラザロの全身を包み込んでいました。イエスは人々にそれを「ほどいてやりなさい」と言われたのです。
 信仰共同体である教会という場における信仰者としての業が、一体何であるかがイエスによって示されています。教会における業とその展開とは、神のイエスの十字架における恵みによって、死から救われた者が真に自由な存在として甦っていくこと、そしてそのような業の展開を私達一人一人が携わっていくことが促されています。石を取り除くのも、布をほどくのも、イエスに招かれ、呼びかけられている私たちの取り組みなのです。イエスは常に信仰者の奉仕、私達の手、私たちの祈りを欲し、それを用いられていくのです。
 さて、死の布、命を閉ざす覆いをほどかれたラザロですが、ラザロが今度は何を身にまとうかです。「何を着ようか思い煩うな」、ラザロは全身に神の恵みをまとうのです。新約聖書流に言えば、キリストを身にまとうのです。
 「ラザロ、出て来なさい」と、イエスは「大声で叫ばれ」ました。このことの意味するところは、イエスは人に呼びかけられるということ、そしてその言葉が肉となっていくことです。ラザロは朽ちていく人間です。しかしイエスの放つ言葉によって、新しい人間として、ここから生かされていくのです。
 主は私達の名を呼んでくださっています。
「たとえ死の陰の谷を歩むともわざわいを恐れません」と。

2022年9月18日

「讃美と祈りの場」
マルコによる福音書8章1~10節


 マルコは旅するイエスが、ユダヤの地において5千人に食べ物を与えた奇跡物語を6章30節以下に記し、今また8章の1節以下に4千人に食べ物を与えるという共食の奇跡を記しています。マルコが報告します二つの共食の出来事には、それぞれ相違する点もありますが、共通する点も幾つかあります。
 空腹の群衆、群衆に対するイエスの憐れみ、人里離れたところ、イエスと弟子達の問答、弟子達の困惑と無理解、感謝と讃美、そして祈りをもってパンを裂き、皆に配餐するイエス。これらの出来事は、最後の晩餐をも含めてマルコ教会の聖餐式と理解されています。
 マルコ福音書の文脈に従って読み進みますと、非常に興味深い弟子達の姿が浮かび上がります。つい先ほど、6章の30節以下でイエスは同じ様な共食の出来事、すなわち群衆と共なる聖餐に預かったにも拘わらず、「こんな人里離れた所で、いったいどこからパンを手に入れて、これだけの人に十分に食べさせることができるでしょうか」とイエスに訴えています。この弟子達の訴えはすでに最初の奇跡を経験したにも拘わらず、非常に不自然な姿とも言えます。困惑する弟子達の姿は、神へのイエスへの無理解であり、不信仰を露呈する姿として描かれています。
 ところが、ある意味で弟子達の困惑する不信仰な姿が、福音書著者達には大変重要な要素でもあったようです。各福音書に収められている共食の奇跡は、その全てが「人里離れた所」で起こっています。
 アメリカのジャーナリストで「イエスの真実~伝説の謎にせまる」という本の著者イアン・ウィルソンは「群衆が人里離れた所でイエスを捜し求めて来た。飼い主のいない羊のような有様をイエスは深く憐れんだ」ことから全てが始まっていることを指摘しています。群衆が食べ物を求めて、心の平安を求めて救い主を探し求めている姿、また一方で憐れみをもってそのような群衆を求めて旅をし続けるイエスが強調されていると云います。そして弟子達の不信仰は、そんなイエスの力、すなわち神の出来事がユダヤだけに限定して考えられていたということです。弟子達は自分たちの枠の中にイエスを収めてしまっていることです。
 マルコの2回目の共食の奇跡である8章1節以下の出来事は、異邦人の地で起こっています。6章の30節以下にあるユダヤの地で起こった出来事が、今異邦人の地でも同様に起こっています。救い主はユダヤ・イスラエルに限定されるという枠を、いとも簡単にイエスは打ち破り、神の御旨は不浄と言われた異邦人の地でも同様に現されることを告げています。
 聖書に収められた共食の話は、4つの福音書全てが報告しています。それだけ初代教会に大きな影響を与えたのでしょう。先程来繰り返していますように、この物話は村や町の外での出来事です。「人里離れた所」という表現は、とても重要で、当時、村や町の外の地域はカオス・混沌が支配する場所であると考えられていました。また外で食事をするということは食事の準備や食べ物の扱いについて律法で定められた清めの規定を注意深く守ることができなかったので、普通は村や町の外での食事はなされなかったといいます。また5千人や4千人という人数なのですが、当時多くの場合、一つの町や村の人口よりも大きな数だと云われています。それこそこの福音書の舞台では5千人や4千人を超える町は、ほんの数える位しかなかったと云われています。食べ物や平安を求める群衆が、難民のような人々が、ユダヤの地にも異邦人の地にも確かに存在したことを裏付ける箇所として、この奇跡物語は私達の心を締め付けるのではないでしょうか。
 さて、パンと魚を祝し配餐されるイエスに注目したいと思います。パンは聖書の中で「神の国」をたとえています。祈りと讃美によって育まれる信仰は、パンが発酵し膨らむ豊かさにたとえられます。先週お話しましたが、パン種はユダヤ教では不浄のものです。マイナスです。しかしそのマイナスがプラスに転じるイエスの逆説的な信仰が表現されています。ちなみにイエスが生まれたベツレヘムは「パンの家」という意味で、ユダヤでは小さく貧しい村のたとえともされています。
 魚は初代教会のシンボルです。魚という言葉はイクスースと言います。これは「イエス、キリスト、神の子、救い主」という言葉の頭文字を並べると魚・イクスースとなり、迫害下の信徒達は魚をシンボルにして互いの信仰を表現し、互いに支え合い祈り合い、迫害を生き延びたそうです。
 人里離れた所で、空腹と困窮のために倒れんばかりの状況にあった群衆の姿は、現在の私達を取り巻く状況でもあります。しかし救いを求めて彷徨う人間へと、イエス自らが枠組みを越えて近づいて来てくださるとき、パンが魚が裂かれていくのです。この裂かれたものは、そうイエスご自身であり、十字架の上で己を裂かれる神の業でもあります。
 いとわずかなものを用いる、いと弱きものを用いる、そんな神への信頼に立って、讃美と祈りを基に、たとえわずかなものであっても分かち合うお互いへと歩み出すとき、そのただ中には己を裂かれるイエスが立っていて下さり、讃美と祈りの場へと変えて下さるのです。
 最後に10節の言葉に注目したいと思います。「それからすぐに、弟子達と舟に乗って、ダルマヌタの地方に行かれた」。ダヌマルタは異邦人の更なる奥地です。イエスは、弱り果てた群衆の中で、再びご自身を裂かれるために、旅を続けられます。更なる奥地へ、未知の地へと進み行かれるのです。讃美と祈りの場を求め続けて旅するイエスに、私達もまた讃美と祈りをもって応答していきたいと思うのです。

2022年9月11日

「水の流れのように」
ヨハネによる福音書7章37~39節


 仮庵の祭りは収穫感謝の農耕儀礼でありましたが、出エジプトの解放の出来事を記念するという意味が加わり、ユダヤの民にとって大切なお祭りになりました。一週間続くお祭りは、毎日祭壇に水を注ぐ、水取りの儀式が行われました。この水取りの儀式では、詩編118篇25節の一句である「どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを」と歌いながら行われたそうです。そして最終日の七日目には祭壇の周りを、詩編の一句を歌いながら七周回って水を注ぎました。
 なぜ、仮庵の祭りで水の儀式が加えられたのかとの理由は、エジプトを脱した後のイスラエルの民が、荒れ野で乾き、神が岩を裂いて水を注いで下さったという出来事を記念するためでした。今もなお、私達に恵みの水を注いで下さいとの祈りが込められています。
 この仮庵の祭りの期間中、最も盛大に祝われる最終日、その水取りの儀式に際して、イエスは立ち上がって大声で語ったと聖書は報告しています。「あなた方は天からの水を求めて、七回も回って祈るけれども、乾いている者は私のところに来なさい」と呼びかけています。そして更に「生きた水が川となって流れ出る」と新しい表現をされています。
 以前にもお話いたしましたが、聖書の地・パレスチナにガリラヤ湖と死海という湖があります。この二つは水が流れることの大切さを語っています。ガリラヤ湖は、ヨルダン川の水源です。豊かな緑と、生き物の命を育んでいます。命の源です。ガリラヤ湖からヨルダン川へ、自然の豊かさをたたえる様に、その流れはパレスチナ地方を縦断します。ガリラヤ湖から流れ出たヨルダン川の水は、死海へと流れます。死海とはご存じ、地中海の海面下392メートル、世界最低置に位置しています。塩分濃度は海水の約6倍、誰でも水面に浮いてしまう、大変おもしろい湖ですが、何せ塩分濃度が濃すぎるので、周りには草木は育たない、死の世界、まさに死海です。ここに流れ着きます水は、どこへも流れ出ません。死海では一日、水面約1センチの水が蒸発するそうです。ですから、ガリラヤ湖、ヨルダン川と経由して届く水も、ただ受けるだけ、蒸発が激しいので、水位と塩分濃度は変わらないということです。ガリラヤ湖と死海が対照的に語りますことは、水は受けるだけではなく流れ出なければ死んでしまうということです。水の流れに例えられる神の霊も、つまり神の恵み、愛、希望も、私達が取り込むだけでは蒸発してしまうということです。イエスの出来事とは、伝え続けなければ、常に証続けなければ命が生み出されない、死んでしまうということを水の流れは私達に教えています。
 そのことと関連して、キリスト教が誕生する以前に、死海のほとりのクムランというところに共同体を作って修道生活をしていたユダヤ・キリスト教一派が存在しました。このことは1947年に羊飼いの少年が偶然に、イザヤ書の写本をクムランで発見したことによって、その存在が知られるようになりました。ちなみにこの写本は、私達が手にしている聖書が訳された写本よりも更に古い、現存する世界最古の写本です。このクムランで発見された文書群の中に「感謝の詩編」という讃美歌があります。その一句に「わが神よ、あなたはわが口に、渇ける者に対する雨のように、生ける水のあふれ出る泉を、置いて下さった」という歌があります。クムランの人々は、いつもこんこんと水が流れ出る泉が自分たちの口にあると自負していたわけです。ところが、ご存知のようにクムランの人々は、一方で自分たちは正しいと讃美をしながら、クムランという洞窟に籠もっていました。約2000年間も人知れず閉じこもっていたのです。彼らはちょうど死海のほとりが象徴的に語るように、ヨルダン川の豊かな命の水が注がれても、何もしない、出ていかない死海の水のように蒸発するだけの死んだ状態でした。バプテスマのヨハネもそしてイエスも、クムラン教団に一時関係したというのが、聖書学の定説です。しかし、ヨハネは預言者のごとくに洗礼運動に赴き、イエスに至っては、ガリラヤ中を旅していく、まさに流れる水のように活動し続けました。弟子達はペンテコステの出来事によって世界中へと流れ出していきました。イエスの語る信仰とは、固く動かない一点に立つのではなく、流れ変化し豊かに実を結ぶ、そんなダイナミックさに表現されています。
 仮庵の祭り、この後、祭りに集まった人々の喧噪は、いずれイエスを十字架にかけるための呪いと罵声が入り交じった喧噪へとかわってゆきます。その時、自分のことしか考えられない私達を、主は十字架へと向かい苦しまれることを通して赦して下さった、その出来事が示されていきます。そんな私達を心から愛して下さったイエスの出来事こそ、神からあふれ出た生きた水なのです。
 イエスを信じるということは、私達が受ける神の愛を、ただ受け取るだけではなく、絶えず与え続けなければならないという逆説があります。と共に、イエスという神の生きた水の流れを、私達人間が勝手に止めてはならないという戒めも同時に示されます。
 イエスは「その人の内から生きた水が川となって流れ出る」と云いました。内と言う言葉は「お腹」という意味です。私達は湧き出るイエスを、溢れ出るイエスを自分の腹の中に収めているでしょうか。イエスがわが内に宿り、溢れて生きているでしょうか。誰もが自信をもっては、うなずけないと思います。しかしイエスが語るように、信仰を生かす霊は流れ出る水のようであることを感得する時、人間の目には、世の中には小さな取るに足りないと思われる私達の小さな証に、そして小さな業に神の御手が重ねられ、大きな神の業へと持ち運ばれていくのです。

2022年9月4日

「園に果樹を植えて」
エレミヤ書29章1~7節


 コロナになる前の夏に、近所の商店街の福引で、はずれだったのですが、良かったらどうぞ、とブルーベリーの苗をもらいました。15センチくらいの、細い、小さな苗でした。3年経って、今年の夏、初めてブルーベリーの実がついたのです。初めて花が咲いて、しばらくしてかわいらしい、5ミリくらいの小さな実が4粒でき、家族で食べました。花が咲く木が好きでしたが、食べられる実がなる木は楽しいものだなあと思いました。
 恩寵教会には、毎年たわわに実をつける夏ミカンの木がありますね。花がたくさん咲いて、ミツバチがたくさん飛んでくると、今年もきっと実がたくさんなるだろうなあと嬉しくなります。その実がおいしいマーマレードになると思うと、また楽しみです。コロナでお仕事会は難しいですが、それでも毎年マーマレードがいただけるのは感謝です。私の家の近所の低層マンションに、マンション前の植木を植えるスペースが横長に長くあり、そこに夏みかんの木が横に15本並んで植えられているマンションがあります。住宅街の中で、夏みかんの木が植えられているマンションというのは珍しい気がするのですが、毎年たくさんの実をつけます。見た目もかわいらしく楽しいですし、なんだか迫力があって、食につながる生命力を感じます。
 
 さて、今日の聖書は、預言者エレミヤが、捕囚の民となった人々に送った手紙です。最初にこう書かれています。29章5節です。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。」と。捕虜として敵の国に連れていかれた人々に、まずそこに果物の木を植えなさいと、言っているのです。
 エレミヤ書の背景を少しお話します。
 イスラエルは紀元前10世紀に二つに国に分裂し、北イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされます。南のユダ王国は残りましたが、周りの大国から狙われていました。このユダ王国の預言者がエレミヤです。このころはアッシリアに代わって、エジプトと、新バビロニア帝国が力を持っていました。ユダ王国の指導者たちは、エジプトを支持しましたが、エレミヤは、当時の状況を分析し、バビロニアを支持していました。預言者ですから、神に祈り、神に言葉をもらって、そう確信していました。この時代を生き抜いていくには、闘って多くの命を失うよりはとりあえずバビロニアの支配を受け入れ、やがてそのバビロニアが亡びたときに国を再建するべきだと、人々に伝えたのです。
 しかしエジプトを指示する指導者からは、バビロニアのスパイと疑われ、命を狙われます。紀元前587年にエルサレムは、バビロニア帝国のネブカデネツァル王によって落城します。その時の王ゼデキヤ王は捕えられ、王子たちが目の前で殺されるのを見たうえで、両目をつぶされ、バビロンへと連行されていきました。そして、ユダ王国の主だった人達もバビロニアに捕虜として連れて行かれます。バビロニア捕囚という歴史的な事件です。
 エレミヤは、バビロニアを指示していたために、ユダ王国に残ることをゆるされました。そんなエレミヤが、捕虜として連れて行かれた人々にあてた手紙が今日の聖書の言葉なのです。
29章1節には
 「以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連れていった長老、祭司、預言者たち、及び民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である。」と書かれています。そして、神が捕囚の民に告げた言葉としてこういうのです。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。」「結婚して、そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしがあなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」と書かれています。
 普通苦しい時には、その期間はできるだけ早く終わるように願うものです。でも、神は、捕虜になった人々に、果樹の木を植えなさい、と言っています。それはすぐには実を付けませんよね。木は植えても根付いて実をつけるには3,4年、あるいはそれ以上かかかりますよね。そんな長い先を見据えて、果物の木を植え、それを食べて、生き続けてくようにと告げるのです。とりあえず我慢して過ごすのではなく、敵の地で根を張って力強く生きていくようにという神の言葉をエレミヤは伝えました。
 日本には戦争中捕虜になった時の教えがありました。
「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すことなかれ」「戦陣訓」の有名な1節です。捕虜になって生きながられるのは恥ずかしい事、つまり捕虜になるなら死ねということですよね。
でも、聖書の神は、捕虜になっても生き抜くこと、敵の地でもしっかり食べて、家族を作り、子供を育て、生き続けなさいというのです。敵のために平安を祈りなさい、とまで言っています。
 どこにいても絶望することなく、将来に神が与える希望を見失ってはならないということです。
 
 エレミヤ自身は、この後、誤解から、バビロニアによって命を狙われ、エジプトに逃れますが、その後の消息は不明です。エレミヤは亡国(国が亡びると書きます)の預言者、涙の預言者と言われています。エレミヤ書の記述も、過酷な歴史を多く記されています。しかし、エレミヤは、今日の掲示の言葉に掲げましたように、将来への希望の言葉も人々に伝え続けました。31章16節にはこう書かれています。
「主はこう言われる。泣き止むがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰ってくる。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰ってくる」
 いつか必ずバビロニアが亡び、捕らわれていた息子たちが帰ってくる日が来る、というのです。確かにしばらくしてバビロニアは亡び、ユダヤの人々は解放されて自分の国に戻ります。このエレミヤの言葉の通りになるのです。でもその時にはもうエレミヤは亡くなっていました。この言葉は、エレミヤが見ることはできない将来の希望のイメージだったのです。
 
 聖書の民の歴史は苦難に満ちていて、エレミヤの時代もそうでした。しかし神に言葉を託された預言者たちは、将来への希望を粘り強く語り続けます。政治的に破壊されても、神への強い信仰を失うことなく、信仰を生きる力として、民族の再生を図るのです。この信仰によって語られた言葉は、民族の伝統を守るだけでなく、苦しい時代を生き抜く人間を支える、普遍的で、生命力あふれることばとして、語り継がれていきました。聖書は、長い時代を経て、この希望の言葉を記し、語り継いでいるのです。
 
 エレミヤの言葉は、長引くコロナの中で生活する私たち、ウクライナへの軍事侵攻が続き、その他にも対立や紛争が絶えず、今も多くの尊い命が失われている現実の中で生きる私たちにも、それでも「あなたの将来には希望がある」という神からのメッセージを伝えています。
 エレミヤのように、神が下さる希望を信じて、果樹の木を植えるように、将来を楽しみに待ち続けながら、今の生活や周りの人との関係を大切にはぐくんでいきたいと思います。周りの人に悲しみの言葉ではなく、力を与える希望の言葉を、伝えることができればと願います。失望したり、あきらめたり、自分の力のなさを思い知ることが多いが私たちですが、自分自身ではなく、神様が与えてくださる将来と希望なので、私たちはそのことに信頼することができるのです。生活の中で、神に心を向けて、「園に果樹を植えるように」将来を楽しみに、希望をもって生活していくことを大切にしていきましょう。
 
(祈り)愛する天の神さま、今日もこうして、共に礼拝を守れたことを感謝します。コロナの広がりの中、不安を覚えることも多い毎日ですが、エレミヤのようにあなたへの信仰を強く持ち、周りの人に希望を伝えることができますように。うつむくばかりではなく、心をあなたに高く向けて、歩むことができますように、私たちを強め、導いてください。この小さな祈り、主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。
 
 

牧会祈祷
 
愛する天の神様あなたのみ名を賛美いたします。
一週間のそれぞれの働きを守り、今日の聖日礼拝へと招いてく
ださったことを感謝いたします。コロナウィルスの感染拡大が続き、教会に来られない方々もおられます。教会HPで礼拝を覚えて祈りを共にされている方々、オンラインの礼拝を視聴して礼拝を守られる方々の上にも、あなたの恵みが共にありますように。共に集うことが叶わない時も、あなたが繋いでくださっていることを忘れず、互いに祈り合うことができる者としてください。
ウクライナへのロシアによる軍事侵攻や様々な政治的な対立が続いています。人々の尊い命が奪われ、生活の場が奪われています。どうぞ少しでも早く戦争が終結し、あなたの平和が実現しますように。
 
不安な毎日が続きます。どうぞあなたがいつもわたしたちと共にいてくださることに信頼し、日々を過ごすことができますように。感染によって苦しんでいる方々やそのご家族をお支えください。医療や介護に携わる方々の健康をどうぞお守りください。さまざまな状況を抱えて困難の中にある方々をあなたが覚え、お守りください。またわたしたちもそのために祈ることができますように。
今日の礼拝を共に守り、力を与えられて、新しい一週間もみ心にかなう歩みができますよう、お導きください。
この祈り、愛する主イエス・キリストのみ名によって、御前におささげいたします。           アーメン   

2022年8月28日              

 

信徒証詞

「一人を思って天につなぐ」
マタイによる福音書 16:13-20


正義と慰め
21年前の9月。4機のハイジャック機がアメリカで同時多発攻撃を行うのを目撃した時、私たちは「21世紀も戦争の世紀なのか」と沈鬱な気持ちになったのではないかと思います。当時私は神学生でした。
事件から間もない夜、地区の教会が集まって緊急の「祈りと学び」の時を持ちました。第一部で追悼の礼拝を捧げ、第二部で中東の宗教文化史に詳しい講師から話を聞き、事件の背景を考える集いとしたのです。
私がショックだったのは、第一部の礼拝を行うことに反対した人たちがいたことでした。「悪いのはアメリカであって、彼らのために祈ることは欺瞞ではないか」というのです。
その後のアフガニスタンやイラクで起こったことを思うと、その人々があの夜示してくださった視座は確かであったと思います。しかし今も私は、あの時のことを思うとどこか悲しくなるのです。教会には正義への連帯が求められます。でもそれは、今傷ついている、その一人ひとりの悲しみを受けとめ、死を悼み祈るところからしか始まらないではないかと思うからです。その日からずっと、「本当に正しいこと」と「目の前の人への慰め」とをどうつなぐのかという課題が、私には問われ続けているように感じています。
 
手ぬぐいになった弟
ある方との出会いがありました。大正12年の1月にお生まれになったという方です。「震災の年ですね」と話を振ると、「親は大変だったみたいです。私を背負って竹藪に逃げたら毛虫が落ちてきたって」と語られました。
女学校を出る直前、そのまま母校に残ってくれと頼まれたのに応じ、代用教員として働かれたといいます。男性が皆、戦争に出て行った時代。校長先生が、学校から一山隔てたところにあったご自宅まで、わざわざ挨拶に来てくださったのだそうです。
お父様もお兄様も海軍軍人であられました。まだ弟さんが小さかった頃は、お兄様が口癖のように「兄ちゃんが守ってやるからな」と言っておられたそうです。
その弟さんが、青年となり、招集されて特攻に出られたのでした。わずかな訓練の後に硫黄島へ飛び立って行かれました。けれども敵艦への突入は叶わなかったようです。その前に撃ち落とされて命を落とされました。19歳であられたといいます。戦後になって、しばらくしてから「“遺骨”が届いたから取りに来い」と言われて、取りに行かれたそうです。そのとき、普段使いの風呂敷だけ持って、普段着で来いと、そう言われていたのだそうです。間違っても喪服を着たり、悲しい顔をしたり、死を悼むようなそぶりをしてはならない、泣くなどもってのほかだと指示されていたというのです。「アメリカが見ているから、刺激をしてはならない」というのです。その箱も、抱えてはいけない、「さっさと包んで、ぶら下げて帰れ」と言われていたと言います。
この方は、気持ちを必死に抑えて家まで帰られたそうです。そしてその箱を開けたといいます。
「中には、手ぬぐいが一本だけ入っていました」
海に沈んだのだから骨がないのは当然だと注釈を入れながら、この方はそうおっしゃいました。そして出撃直前まで持っていた手ぬぐいだとの添え書きもあったそうですが、本当かどうかは分からないとも付け加えられたのでした。
 
「政雄です」
「初めて、こんなこと、人に話しました」
話が一息つくと、この方はそうおっしゃいました。私は「弟さん、お名前はなんとおっしゃるのですか」と尋ねてみました。
するとすぐさま、この方ははっきりと、
「マサオです」
と答えられました。
「どんな字を書かれるのですか」
「政治の“政”に“オス”と書いて政雄です」
と、そんなやり取りが続くと、この方は目を真っ赤にして涙を流されたのでした。あの日から何十年も経っています。その中で、この方が弟さんの名前を口にすることは何度もおありだったことでしょうか。しかしその名前は、もちろんのこと、いつもこの方の胸の中にあったし、それを尋ねられて、今19歳の青年の姿がありありとこの方の眼に蘇ってきておられたのではなかったかと思うのです。
「政雄さんですか・・・」
私もこの弟さんの名前を口にしてみました。すると自分でも驚くような思いが胸を襲ってきました。 ———— 「政雄さんは、何と無念であったことだろうか、せめて、敵艦に突っ込み、敵を一人でも多く殺し、その本懐を遂げることが出来ていたら、きっと大いに報われたのに、本当に何と無念であったことだろうか」と、そう思ったのです。
そこには、たった一人の弟の死を思い続けてこられた、このお姉さんの物語がありました。その方の話を伺い、その弟さんの名前を口にして、そしてだからこそ、一人の青年の命を全くの無駄に失わせてしまった罪への悲しみも、胸を衝いて来るのでした。その弟さんの名前を分かち合うことによって、私たちはそこで、そのあまりに若かった政雄さんの死を、ご一緒に悼んだのだと思います。
 
地上でつなぐことは天上でも
私は、「名前」というのはとても大事なものだろうと思います。それは一人ひとりの人柄や人生に向き合うためのしるしになるからです。
今日の聖書の箇所で、イエスはシモンにペトロという名前を授けます。こんなやり取りがあってでした。13節。
 
13イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 14弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」 15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」 
 
イエスは、「色んな人が色々と私のことを言うけれど、お前は私を何者だというか」と問われたのです。するとペトロは応えます。16節。
 
「あなたはメシア、生ける神の子です」。
 
「あなたこそ、救い主、本当のいのちの本だ」というわけでしょう。するとイエスはこう言います。18節。
 
18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。 19わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
 
それまで「シモン」あるいは「シメオン」、これは「耳を傾ける者」という意味だそうですけれども、シメオンと呼ばれていた彼に、「ペトロ」あるいはアラム語で「ケファ」という新たな名前を与えられたというのでした。これは「岩」という意味です。しかし、なぜ、「岩」なのでしょう。
一つには、頑固者、ということがあったかもしれないと思います。ガリラヤの漁師であったシモンは、堅物で、なかなかの融通のきかなさをもっていたかもしれません。しかし、それだけではないような気がするのです。一方で、私たちは、このあとのペトロの進む道をも知っているからです。今日のこのやり取りの後、ペトロはイエスを裏切ることになるわけでした。もし堅物のゆえに付けられた名前が「岩」というだけなら、ただのあだ名、ということになるでしょう。でも、裏切っていくペトロに目を留めるなら、彼はむしろ弱い存在です。だから、いやしかし、キリストは、まさにその弱さを担っているペトロに対してこそ、「そのあなたが岩となっていくであろう」と言っているように思うのです。それはある意味で、「シモン・ペトロよ、お前はたくさんの破れを知り、自分の弱さを知ることになる。だからこそ、それを知ったときには、そのあなたこそが土台となり、悲しむ者たちの共同体を率いることになっていくようになる」、そういう予言だったのではないかと思うのです。
この地上には罪があります。そしてそのゆえに、悲しみもあるのだと思います。その大きな罪の物語とここで起きている悲しみの物語とをどうつないでいくことができるか ———— それこそが、私たちに問われ続けることとなっていくのでしょう。そしてだからこそ、そのことに向き合うために、イエスはここで「つなぐ」また「解く」というキーワードを示します。そしてシモンをペトロと呼び、「あなたに天の国の鍵を授ける」(同19節)と言われたのではなかったかと思うのです。
 
忘れることと忘れないこと
弟さんを亡くしたその方は、やはり軍人であったご主人の郷に、戦後ひとときお住まいになりました。舅から「息子は戦争で大変だったんだ。ゆっくり釣りでもさせてやりたい。あなたは内地でのらりくらりしていたんだから、これから働け」と言われたといいます。
どれほどお辛いことだったでしょうか。ひとしきりの涙でした。でも、その後に、こう言われたのです。
「私ね、今はもう頭空っぽで、入れてもすぐに忘れるのよ」(笑)と。
この方が「忘れておられること」と「忘れないでいること」との間には、本当に深い悲しみが横たわっていることでしょう。私たちはこの女性の悲しみを受けとめることで、初めて天の慰めの深さにも出会うことになるのかもしれません。この方の語られた「政雄さん」という一人の青年の名前を記憶し続けることから、真実の平和が始まるのではないかと、私には思われるのでした。
 
イエスは最後に諭します。20節。
20それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
 
それは何か、福音を大上段に構え、あたかも力がある者の教えを笠に着て、それを安売りするようなことをするなと、厳に戒められているかのようです。そしてその代わりに、福音に接した一人ひとりが、自分の弱さの中にどれだけ大きな恵みが働いたかに思いを馳せるように導かれているように思うのです。キリストは今日も、私たち一人ひとりの名前を呼んで下さっているのでしょう。この悲しみも、この辛さも悔しさも、一つひとつに丁寧に寄り添って下さるのでしょう。その恵みを味わいたいと思います。そして私たちも、今日出会う、その目の前の一人との間に、和解をもたらし、平和を築く者でありたいと、そう願います。

2022年8月14日

「神の前に、神と共に」
コリントの信徒への手紙二  12章1~10節


 今朝の聖書の箇所には、パウロの不思議な体験が記されています。
 パウロは14年前に第三の天というところにまで引き上げられたと言います。体のままか、体を離れてかは分からないけれども、第三の天にまで上げられたと記されています。この第三の天とは、当時のユダヤ教では、神様の御座の前に近い、聖書ではパラダイスといわれているところだと云われています。パウロはこうも記しています。人が口にすることを許されない、言葉では表現できないところであったと書いています。
 パウロは体験したことを素直に語ってもそれは自分を過大評価することになるのではないか?。誤解を生むのではないかと非常に慎重に語っています。また、素晴らしい体験をし有頂天になりがちな自分には、そうならないようにとの「とげ」が与えられていると言っています。彼・パウロは不思議な体験をいたしました。と同時にサタンから送られた使いと表現されている「とげ」があるというのです。
 パウロは自分自身にささった「とげ」が抜かれますように「離れ去らせて下さい」と三度祈ったと言っています。けれどもその「とげ」は未だにパウロに残されています。無くなりませんでした。どうしてなのでしょうか?神様は私達人間の祈りを聞かれないのでしょうか?またそのような祈りは間違っているからなのでしょうか?おそらくパウロは自分自身の「とげ」のために何度も行き詰まり、途方に暮れたことでしょう。
 彼は必死になって祈り願いました。3度祈ったとありますが、これは繰り返し繰り返し祈ったという意味だと思います。あのイエス・キリストは十字架につけられる前、ゲッセマネというところで祈りました。福音書、とりわけマルコによる福音書の記事によりますと、3度イエスは祈っています。そのような意味からもパウロの3度は幾たびもという意味だと思われます。しかしそれでも彼の願いは叶いませんでした。苦しみを背負ったまま、彼は祈り続けたのでしょう。
 旧約聖書の詩編22編に「なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず、うめきの言葉も聞いてくださらないのか。」というイエスが十字架の上で叫んだという詩編の歌があります。パウロも嘆いたと思います。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と。
 今朝の説教題である「神の前に、神と共に」という一句は、デートリッヒ・ボンヘッファーの「抵抗と信従」(新教出版社)に記された一句から取らせていただきました。今日は、平和聖日です。第二次世界大戦中にナチスドイツの抵抗運動の中で処刑されていったデートリッヒ・ボンヘッファーから、特に「抵抗と信従」という獄中書簡から、キリスト者の反戦平和への態度、姿勢を学んでいきたいと思うのです。
 「神の前に、神と共に」、実はこの一句にはもう一言続きがあります。「神の前に、神と共に、我々は神なしに生きる。我々が成人すること。神は、我々が神なしに生活を処理できるものとして生きなければならないことを、我々に知らせる。神という仮説なしに、この世で生きるようにさせる神こそ、我々が絶えずその前に立っているところの神なのだ。神の前で、神と共に、我々は神なしに生きる」。ボンヘッファーは続けて「神はご自身を十字架へと追いやり給う。神はこの世においては無力で弱い。神はそのようにして、僕(しもべ)たちのもとにおり、僕(しもべ)たちを助け給うのである」。
 パウロが苦しみ抜いた「とげ」とは何でしょうか?一説によると目の病気、あるいは引きつけを起こす「てんかん」と云われています。またはユダヤ教の熱心な信徒であったがために、狙われ続ける憎しみをかった自分自身とも云われています。また獄中で捕らわれたりと本当に苦しんだようです。祈ってもかなわない、そのような状況は、まさに「神なしに生きる」という表現がピッタリであったと思います。しかし、9節に「むしろ大いに喜んで」と「むしろ」という表現をパウロはしています。これは、ある事実を受け入れながら、否定媒介的に肯定していくことです。パウロも困ったこと、苦しいこと、悲しいこと、本当にイヤなことをこれでもかと味わいました。そんな自分の苦しみを、神はご存知なんだ、いや神も一緒にこの苦しみを味わって下さっているのだという体験をしているのです。
 パウロもボンヘッファーも「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という神不在の苦しみと悲しみを味わいました。しかし、この神不在の悲しみを味わったのは、あのイエスご自身なのです。この苦しみの中に悲しみのただ中に、イエスがおられる、パウロはそんなイエスの「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」という呼びかけに「わたしは弱さの中でこそ強いからです。」と応えていきました。
  最後にボンヘッファーが処刑前に獄中で書きつづった、この世での最後の祈りをご紹介したいと思います。
「主イエス・キリストよ
あなたは私のように貧しく、みじめで、捕らわれ、見捨てられました。
あなたはあらゆる人間の困窮を知って下さいます。
たとえ一人の人間も私の側にいなくても、あなたは留まって下さいます。
私を忘れることなく、探し求めて下さいます。」
 
 様々な困難や悲しみが私たちを襲います。人類は何時まで経っても争いや戦争をし続けています。自然環境破壊もしかりです。目の当たりにする悲惨な状況が、イヤと言うほど繰り返されます。「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と、祈っても祈っても変わらぬ現状に、神不在をいやというほど味わってしまうのかも知れません。しかしその時こそ、神不在を味わったイエスが、私たちを忘れることなく捜し求めて下さるのです。弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰まりのただ中でこそ、イエス・キリストが私たちに宿り、イエス・キリストが現されていくのです。
 私たちはこの世界で繰り広げられる悲惨な出来事を、神なしに処理しなければなりません。戦争や破壊という現実を前に、神という仮説なしに、皆が平和にこの世で生きられるようにしなければならないのです。
 そして人間が本当に喜びと感謝に満ちて生きることが出来ない世の勢力に抵抗しつつ、人間を心から愛し、捜し求めて下さるイエスに、信従する生き方をこそ祈り願いたいと思います。
 平和聖日のこの時、世の愚かさや罪深さに、争いや戦争に抵抗しつつ、主イエス・キリストに信じ従えますようにと、共に祈りを合わせたいと思うのです。

2022年8月7日

「恐れるな 小さな群よ」
ルカによる福音書12章22~34節


 「空の鳥を見よ」「野の花を見よ」、大変有名な聖句です。ところが、実際にイエスが語ったのはルカ福音書にある「空のカラスを見よ、野の雑草を見よ」と言ったのならどうでしょう?。
 皆さん、ご存知のようにカラスは大変利口な鳥です。そのために、古代ギリシャではゼウスという神の使いであると考えられていました。ユダヤの民にとっては、嫌われ者というよりも不浄な、けがれた鳥でありました。旧約聖書のレビ記11章13節以下に、けがれた不浄な鳥としてカラスが挙げられています。イエスの時代、カラスは人々から汚れた鳥として嫌われていたに違いありません。
 次に「野の花」です。これはギリシャ語では確かに「ユリ」と訳せる言葉です。けれども、30節での言葉は明らかに「野の草」・雑草のことを指しています。
 更にカラスと野の花についてイエスが言われていることに注目です。鳥については「種を播く、刈り入れる、倉に納める」と言われています。これは当時の男性の仕事を指しています。野の花については「働く、つむぐ」と言われ、これは女性の仕事を指しています。鳥と野の花は、働かず、何にもしないという姿が語られています。
 当時の社会的な構造、経済的な仕組みは、今とは全然違います。経済史的な視点によりますと「家」の経済でした。この場合の「家」は血縁関係だけの家族・家ではなく、雇い人や僕をも含んだ家族・家のことです。それぞれの家では、男性は主人から雇い人、僕までが働きにでます。イエスが語られたように一般的には畑仕事であったのでしょう。女性たちは家で、つむいだり、織ったり、臼をひいたり、水を蓄えたり、一家総出で生計を立てていたのでしょう。幾重にも課せられる税金のことなど、そのために、労働力にならない子どもたちは、一人前に扱われませんでした。ましてや病人や「しょうがい」者は、それこそ、家計の重荷としてうとまれ、場合によっては、重荷としてだけでなく汚れた者として家の外、社会の外へと追い出され、疎外をされました。文字どおり「働かざる者食うべからず」が原則の社会でありました。カラス、野の草花とのたとえは、そのような人々の営みによって棄てられる、存在価値がないとレッテルを貼られた者と、社会、家が切り捨てていく人々を語っています。
 今朝の聖書の箇所はイエスが語った言葉集の一部です。マタイ福音書では山上の説教として、ルカ福音書では平野の説教として納められています。ルカの方がより古く、原型に近いと言われています。マタイとルカの違いは、ルカには「小さな群よ、恐れるな」という言葉が語られています。これはマタイの想定する教会共同体よりもルカの想定する教会共同体の方が小さい群であったということ、弱く貧しい共同体であったのでしょう。それだけに、本来のイエスが語ったであろう神の国の逆説的な視座、小さな群に、小さな存在に与えられていく神の国の出来事が保たれていることにこそ、注目したいと思います。
 アフリカはケニアのナイロビで、キューナ幼稚園をはじめられ、2003年には貧困街に住む子どもたちの為にコイノニア幼稚園を開園された市橋さらさんという宣教師の方がいらっしゃいます。2004年の12月に「赤道の国で見つけたもの」(光文社)という本が出版されました。実をいいますと、この本は私の妹からもらったもので、妹の二人の子どもたちは2003年までケニアのキューナ幼稚園で市橋さら先生に大変お世話になりました。
 市橋さらさんは、神学者であり、牧師であり、オルガニストであり、医者であったアルベルト・シュバイツアーに感化され1988年に、ご夫妻共々宣教師としてアフリカに赴きます。目の当たりにする現実は、市橋さんの想像を絶するものでした。先進国の利害に蹂躙されるアフリカの貧困状況、民族部族間の壁は次々と紛争を引き起こし、報復の連鎖は小さな子どもたちを巻き込んでいきます。最初はショックの連続で、何も出来なかったといいます。しかし市橋さんは「神さま、あなたが私をここまで連れてきて下さったのですから、何とかして下さい」と祈り続けたそうです。人々の明るさや、貧しくとも懸命に生きようとする力強さ、困難さの中で互いに助け合う心に触れ、市橋さん自ら、共に生きたいと願うようになりました。
 「私たちの生きている世界には、いろいろな人がいるのです。けれども普段は、自分たちの見たい世界だけを見て生きてしまうのです。自分と違う人たちと交わったり、理解するチャンスが少ないのです」、そう語る市橋夫妻は、すでにケニアでの生活が34年を数えるに至りました。
 さて、そんな市橋さんは、著作の中でTCKという言葉を頻繁に使われています。TCKとは、”Third Culture Kids"「第三の文化を持つ子ども」、つまり国の違う両親に与えられた子ども、文化の違う親に育てられた、第三の文化を持つ子どもを指す言葉です。キューナ幼稚園は、経済的に貧しい家庭の子どもから裕福な家庭の子どもまでが通います。また世界中の国々からやって来た家庭の子ども達が共に学びます。違う文化、違う人々が共同体に入ることで、新しい広がりを見せ、既成概念にとらわれない創造的な営みを発揮することを、市橋さんは見守っています。そんな市橋さんは、常々子ども達にこう語っているそうです。「神さまが、あなたに素晴らしい可能性を与え、あなたを豊かに用いて下さるんだよ。だからこそ、神さまのご用を責任を持って果たせる人にならなくてはね」、更に「世界のどこへ行ってもいい。どんな職業に就いてもいい。ただ、自分のためだけではなく、誰かのために生きる生き方をして欲しい」。
 アフリカは「飢えと戦いの絶えない土地」と呼ばれています。私たちから見れば、まさに死の大陸かも知れません。そこに生きる幼い子ども達は、それこそ明日は炉に投げ込まれる小さく弱い存在かも知れません。しかし、市橋さんは、そこにこそ神が喜んで神の国を下さるという小さな群、小さな存在の可能性を見ています。
 キューナ幼稚園とコイノニア幼稚園に通う子ども達、それは貧しさや裕福さを越えて、民族や国を越境して響き会っていく子ども達の「感性の交響曲」とも言えます。この小さな群である「第三の文化を持つ子ども」の共同体こそが、世界に新しい道を切り開いていく大きな可能性であること、この市橋さんの視座こそ、イエスの逆説的信仰の視座なのです。市橋さん自らが負う課題、イエスから委託された歩みこそ、新しい世界を切り開いていく希望への一里塚なのではないでしょうか。
 「ただ、神の国を求めなさい」。「思い煩う」というギリシャ語は、本来「思い上がる」という意味です。神の国を求めないで日々の暮らしのことで「思い上がる」のが私たちです。私たちの為に喜んで神の国を下さるにもかかわらず、神の国ではなく日々の暮らしを求めて「思い煩い」「思い上がる」のが私たちです。小さな群こそ、小さな存在こそ、神の国の大きな可能性であることに、私たちの心と暮らしとを開きたいものです。その時、新しい道を切り開いていく、神の国を証ししていく共同体へと祝されていくのではないでしょうか。

2022年7月31日

「希求する姿に」
マタイによる福音書7章7~12節


 今朝の聖書の箇所は、山上の説教と呼ばれる一連のイエスの説教の中の一つです。イエスが山上の説教で語られた世界は、この世の離れたどこか遠くにあるものではなく、また夢の世界の話ではありません。信仰とはこの世の現実から離れて、生きることではなく、この世に、イエスが語り振る舞うように生きることを、求められる出来事です。しかし、この世の中で信仰に生きようとする時、その道が見えず、自分が見えず、イエスの語られる世界が見出せないことがあります。それがむしろ日常かも知れません。それでもなお、イエスは求めよ、捜せ、門をたたけと言われます。
 神学生時代にお世話になった神戸教会にYさんというご年輩の方がいらっしゃいました。毎週行われる祈祷会には必ず出席されていた方でした。神学生が祈祷会の担当を任された時などは、必ず「この神学生が、伝道者として十分に働くことができますように」と祈って下さいました。そしてその後、いつも決まって駅前の「焼き鳥屋」に連れていっていただきました。副牧師であった菅根先生も一緒でした。そこからは、Yさん節が出てきます。Yさんは口癖のように「信仰義認、信仰義認というけれども、初めから信仰義認で何もしないのはいかん。求めて、求めて、捜して、捜して、求道の生活を続けて、ぐるっと回って信仰義認だ」と教えを請うたものです。
 Yさんを知る教会の方々は、一様にYさんのことを「永遠の求道者」だと呼びます。Yさんは、イエスを信じる信仰によって義とされたことの喜びの中に生きながら、なお信仰者として、イエスに義とされた者として、何が相応しい生き方なのかを求め続けておられました。もう25年も前に天へと召されましたが、求め続けたその人生は、ぐるっとまわって神のみもとで更なる義とされたことを思わされます。 
 そのことと関連して、神谷美恵子さんという方をご存知でしょうか。ハンセン病患者と共に生き続け、その生涯を捧げられた方です。随分と前になりますが神谷美恵子さんの日記が出版されました。この日記を読みますと「希求」という言葉がピッタリだなと思わされます。
 神谷さんは、戦前・戦中・戦後の時代を生きられた方としては、恵まれた環境の中で育ち、自分自身で選んだ道に進むことが出来ました。日記にも時折「生きることと、創ることの喜びを恵まれて、自分をこの上もない幸せ者に感じている」と記しています。ところが25才の時の日記には「私は自分一個のためにもう充分苦しんだ。今はもはや自分のために苦しんでいる時でも喜んでいる時でもない」と本当に自分のやりたいことと現実とのギャップにあせり、あるいはそんな自分自身への憤りを書き残しています。神谷美恵子さんがそのような思いを抱いた背景には、キリスト教の牧師であった叔父から学んだ聖書と信仰者の生き方があったに違いありません。
 神谷美恵子さんは「できることなら文学によって自由に自己を表現して、そうした方法で人に精神的に仕えたい」と願っていました。ところが若き日のある出来事が、その後、いつまでも神谷さんの心を捕らえていきます。ある日、牧師であった叔父に誘われ、神谷さんは多磨全生園(ぜんしょうえん)を訪れます。そこで当時、ハンセン病患者がおかれた状況を目の当たりにします。それは多感な19才の時でした。その時から「この人たちのために働きたい」という思いが、若き神谷美恵子の心に刻み込まれます。自身が結核を患ったこともあって、医師になることを父親から反対されていた神谷さんですが、27才になった時、ようやく赦され東京女子医学専門学校で医学の道へと進み始めます。そして医師の仕事に就き、生身の人間の煩う現状を見るようになり、心に魂に沸き上がってくるものが大きくなっていきます。神谷さんの日記と著作を照らし合わせますと、思いが具体的な構成をもって臨月を迎えるのは、44才から45才にかけてです。実践と熟成にかけた苦しみの年月がなんと長いことかと思わされますが、それが「生きがいについて」という、今でも多くの人々に読み継がれる作品として産声をあげていきます。
 生きる意味は何か、いかに生きるか、生きがいについてとは、人間の最も根本的な問題です。特に重い病を煩ったり、深い悲しみに直面するとその問題は重要な課題となってきます。神谷美恵子さんは若き日に、当時死の病といわれた結核を患いますが、死の淵から生還いたします。なぜ自分だけが癒されて、こうして生きているのだろうか、しかも恵まれた環境の中で歩むことができるのだろうか、ハンセン病患者の悲惨な現状を前に、今もなお生かされている自分の道を深く模索し始めます。注目すべきことは、自らの体験や経験を出発として模索する人は、観念の遊びに陥ることなく、鋭い洞察力と先見性と行動への力が発揮されるということです。
 神谷美恵子さんの代表作である「生きがいについて」は、完成され、神谷さんの内面や人生がはじめから安定しているように感じます。しかし「神谷美恵子日記」を読むと、彼女がいかにゆさぶられ、不安定さの中で苦しみ、悩み続け、悲しみながら模索していたことが分かります。
 ハンセン病患者のためにその生涯を捧げた神谷美恵子さんは、多くの人々に良き感化を与えられました。25才の日記の言葉「私は自分一個のためにもう充分苦しんだ。今はもはや自分のために苦しんでいる時でも喜んでいる時でもない」という思いは、19才の時の出会いにありました。そこには叔父を通して神谷さんの背中を押す神の御手があったことを思わされます。更に目の当たりにするハンセン病患者の中にたたずむイエスとの出会いがあったことを思わされます。
 長島愛生園(あいせいえん)での神谷美恵子さんの目には、ハンセン病患者のただれた手には、足には、イエスの十字架の釘の痕が重なっていたのでしょう。十字架の傷がそのままに彼らと共にたたずむイエスの姿が映っていたのでしょう。19才若き日に出会った、あの変わらぬイエスを求め続け、愛生園の人々と共に生き続けた神谷さんを思わずにはいられません。その姿は、神の御旨を求め、イエスの愛を願い続けた永遠の求道者の姿ではないでしょうか。
 信仰を与えられた者として相応しい生き方とは何か、イエスの十字架によって義とされた者のあり方とは何か、求め続け、探し続け、祈り続ける姿にこそ、イエスは惜しみなく恵みを下さいます。イエスは「自分の子どもに」とたとえられ、私達が神の子であることを告げています。神の子として相応しい有り様をこそ、私たちも祈り求め続けたいと思うのです。

2022年7月24日

「主イエスの家」
マタイによる福音書9章9~13節


 ある時イエスが収税人であるマタイという人物を家に招き、一緒に食事をしたという記事が読まれました。その際、マタイと同じ徴税人や罪人と呼ばれる人々が大勢やって来て、一緒に食事をしたとも記されていました。そんなイエスと人々を見て、厳格なユダヤ教一派であるファリサイ派の人々がイエスの行為を非難しました。
 各福音書が報告をするイエスの姿は、ファリサイ派や律法学者など口の悪い人々から「大食漢で大酒のみだ」と非難されるほどに、人々との食事を楽しんでいたようです。ところがイエスが人々との食事を楽しんでいるにも拘わらず、聖書はその食事の内容に関する記事が非常に乏しいようです。
 考古学者の常木晃さんという方が、著書「食料性生産社会の考古学」(朝倉書店1999年)という本の中で、聖書時代の人々がパンや魚、ブドウ酒のほかにレンズ豆、イナゴ豆、ヒヨコ豆、トウモロコシ、キュウリこれはズッキーニですが、玉ねぎ、ニンニク、スイカにブドウ、イチジク、ザクロ、オリーブなどを日常で食していたことが報告されています。特にオリーブは浅漬けにして毎食時、あるいは休憩時、おやつがわりにも食べていたそうです。きっとイエスとその一行は、こうしたパレスチナの農産物をいただくという日常的な一コマの中で、人と共に食するという心の豊かさにも舌鼓を打っていたのかも知れません。
 さて、当時のユダヤ社会には「ミシュナ」と呼ばれるユダヤ教の格言集がありました。その中に「徴税人たちが家に入ると家が汚れる」(7:6)という教えがありました。一般的に徴税人と言ってもザアカイのように徴税人の頭は別として、徴税人の多くは非常に貧しい暮らしをしていたと云います。徴税の仕事だけでは暮らしてはいけず、人々が嫌う仕事をも引き受けつつも、その日その日を暮らすのがやっとの状態であったようです。人々に嫌われ、「汚れ」の対象になっていますから仕事をもらえないのが常であったようです。ですからますます貧しくなり、ユダヤ社会では排除の対象として弱く小さくされていったようです。「汚れ」と「排除」の対象であった罪人と徴税人を家に入れる、ましてや共に食事をするという行為は、ユダヤ社会では禁止事項・タブーの行為でした。
 ところでイエスが罪人や徴税人と一緒に一つ屋根の下で食事をするという場面は、各福音書が伝えていますが、今朝お読みをしているマタイの記事だけは、特別に編集の手が加えられマタイ独自の記事となっています。この記事には2つの特別な編集が加えられています。
 まず一つは食事を共にしていた「家」です。10節に「イエスがその家で食事をしておられた」とありますが、一体誰の家なのでしょうか。平行記事であるマルコ2章13節以下、ルカ5章27節以下では徴税人であるレビという人物の家になっています。ここでもう一つのことに気づかれるかと思いますが、他の福音書ではイエスに招かれた徴税人はレビという人なのですが、マタイではマタイという人物になっています。マタイの報告する箇所では、食事をした家は徴税人マタイの家なのでしょうか?。10節の「その家」とは実はイエスにかかっていて、原文ではイエスの家となっています。マタイはイエスが家を捨て家庭を捨て放浪するような人物として描くのではなく、私たちと同じように家を持ち、そして大切な家庭もある人物として描いています。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが人の子には枕する所もない」という聖書の箇所があります。また「食する暇もうち忘れて」という讃美歌の一節も大変有名です。ところがどうもイエスは食することは忘れずに、雨露をしのぐ家もあるというのがマタイのイエス理解のようです。
 さて問題は、イエスが大切な家庭を人々から疎まれ、蔑視され嫌われていた人々に開放していたということです。誰もが家を家庭を守らなければならいものです。しかし守らねばならない大切な家を、家庭を、徴税人と嫌われ、罪人と人々から後ろ指を指されていた人たちの為に、共に食し共に生きる「共生の場」として開放しているということです。救い主、イエスの家はまさに憐れみの家として、貧しい者達、弱い物達の為の神の国としても描かれています。そしてマタイ独自の編集の第二弾は、招かれた徴税人が福音書著者マタイ自身であるということです。
 福音書著者マタイとイエスの時代には半世紀もの隔たりがあります。しかしマタイはある日、徴税人として嫌われていたにも拘わらず、見知らぬ人物に声をかけられ、その見知らぬ人物の家に招かれたのでしょう。そして温かい家庭に迎えられて、豊かな食卓と豊かな人間性の交わりへと迎えられたのでしょう。
 イエスの出来事を半世紀後の世界で実践する見知らぬ人物を通して、マタイはイエスと出会い、福音書著者として生まれ変わったのでしょう。マタイはマルコやルカの伝承から、徴税人レビを招かれたイエスの出来事を知り、自分の体験をそこに重ねて、この物語を綴っていったのでしょう。
 話は変わりますが、もう引退しているのですが名古屋大学で長らく教えられていた農業研究者の武岡洋治さんという方がいらっしゃいます。引退後の2004年12月に日本キリスト教団の牧師として按手を受けられ、名古屋の安城教会で牧会をされました。また関西学院大学神学部、同志社大学神学部の特別講師として、創造論における環境破壊問題を教えられた方です。武岡さんは農業の研究を通して、破壊された生態環境の問題、栄養不足で様々な病気やしょうがいに悩む多くの子ども達を目の当たりにし、苦悩する世界に「真摯に聴くべき十字架の場がある」と云って、ご自分の体験を重ねて献身をされました。そんな武岡洋治さんが十字架の場として傾聴すべき苦悩する世界に対して次の様なことを語られています。「弱く小さな命が真っ先にその打撃を受け、命のほころびは弱く小さい部分から始まるのである」。
 社会共同体において人間性を剥奪され、喪失している人々、命がほころびかけている小さな人たちに向かって招きの声をかけ、共に生き共に過ごす場を生み出していくイエス。マタイはまさに神の国の接点としてイエスと共なる家を描き、それをマタイ福音書の背後にある教会のあるべき姿として描いています。「命のほころびは弱く小さい部分から始まるのである」、イエスを中心とする教会とは、開かれていく開放性と豊かな人間性へと解かれていく解放の場を提示するミッションを、今もなお、いえ今だからこそ負っているのではないでしょうか。
 私たちもイエスに招かれた主の家の一員です。それぞれ違いますが、マタイの様なイエスと出会った「豊かな物語」を持っています。主イエスの家は、招かれるばかりでなく、ここから出掛けて行く場でもあります。十字架の場を真摯に聴くとき、きっと私たち一人一人の物語もマタイの様なイエスを証していくことへと、神さまによって用いられていくのでしょう。それぞれの豊かな物語を互いに生かし用いる、そんな主の家なる教会を共に目指して行きたいと思います。

2022年7月17日

「神の息吹」
エゼキエル書18章21~32節


 私たちは生きていく途上で、また毎日繰り返される日常の中で、ふと立ち止まり「自分はいったい何の為に生きているのだろう」と思うことがあります。仕事や人間関係に疲れたり、失敗をしたり、耐え難い事が重なっていくと、私たちは改めて自分の人生や存在の意味を深く問うていきます。日常を生きるということは、たとえそれがどんなにささやかなものであったとしても、ある意味では悪戦苦闘の連続であるかも知れません。毎日をつまらないつまらない、あるいは大変だ大変だと感じ、心の奥底で「しょせんはどうにもならない」という空しい諦めと絶望感を抱きながら歩む、自分の存在意味を喪失しながら生きているのかも知れません。
 旧約聖書の預言者の一人にエゼキエルという人物がいます。エゼキエルが生きた時代状況は、イスラエルの歴史の中でも、最も苦しみと悲しみの多い時代でした。神が必ず守ると云われたイスラエルの首都エルサレムはバビロニア帝国によって崩壊し、国そのものが消滅しました。ある者は殺され、家族は離散し、生き残ったほとんどの人々はバビロニアに捕虜として強制連行されます。そして50年、半世紀にもわたる捕囚の生活を強いられていきます。捕囚を強いられたイスラエルの人々は疲れ果てていきます。やがて神を信ずる信仰そのものがガラガラと崩れていきます。そのことによって精神的に荒廃し、諦め、虚無感が人々を支配しました。バビロン捕囚の時代には沢山の預言者が立てられていきますが、エゼキエルもその預言者の一人でした。
 エゼキエルは神によって一つの幻を与えられます。それは、干からびた骨が無数に転がっている谷間の光景でした。これら干からびた無数の骨は、疲れ果てた人々、諦めに支配されている人々、そして深い悲しみにあり、死を待つしかないようなイスラエルを象徴していました。エゼキエルが見た不気味な光景は、どこまでいっても果てしなく続いていました。しかし突然、干からびた無数の骨に神の息が吹きかけられていきます。枯れた骨はどんどん繋がって、筋と肉が与えられ、生きて歩き出していきます(エゼキエル書37章)。
 エゼキエルに与えられた幻は、極めて象徴的です。希望や喜び、生きる意味が枯れ果て、死を待つしかないように見える荒涼とした世界に、思いがけず開かれる神の息吹の世界を見たのです。この幻は信仰の世界としてもたとえられます。行き詰まり、もうダメだと思われた時、自分には開かれた世界があることに気づかされていく、ですからエゼキエルは繰り返し「立ち帰って生きよ、立ち帰って生きよ」と語り続けます。
 新約聖書の世界でも、この思いがけず開かれていく神の息吹をもたらしたのは、いうまでもありませんイエスでした。貧しい者、差別されていた者、悲しむ者、苦しむ者、どうすることも出来なく佇んでいた者、希望や喜びが枯れていく者にイエスが出会っていきます。自分で自分を救い出すことの出来ない辛い現実の中で、イエスによって開かれた神の息吹に触れていきます。思いがけず開かれていく神の世界、思いがけず届けられていく神の息吹、私たちが限界を感じて「もうダメだ」と諦めているところで、実はふと目を上げると、そこに神の世界が開かれているということ、神の息吹がすでに届けられているということです。
 ジャーナリストの外村民彦さんが「私の出会った人々」という文章の中で、安積得也さんという方の事を書いています。安積得也さんは、内務省からイギリスへ派遣され日本の失業保険の基礎を立案された方で、その後、岡山県の知事をされていた方です。社会批評家として、そして教団倉敷教会の教会員でもあった方です。
 生前、安積さんは自分の信念について、次のように語っていたと外村さんが紹介をしています。人間には三つの窓が必要だというのです。三つの窓とは「底窓」「横窓」「天窓」だそうです。そしてその三つが何時も開いていなければならないそうです。
 「底窓」というのは、自分自身と対話をする窓だそうです。自分自身を素直に見つめるための窓だそうです。「横窓」というのは、社会や隣人に対して開く窓だそうです。そしてこの「横窓」を通して、「底窓」の自分との対話が豊かにされていくそうです。ここで安積得也さんは、もう一つ「天窓」を開く必要性を強調します。自分との対話、隣人や社会との対話は、大変重要であるが、それだけでは人間の可能性が開かれていかない、どうしても「天窓」が必要だと云います。この「天窓」は、私たち人間一人一人がいかに尊い存在であるかということ、かけがえのない存在であることに気づかせるからだと云います。
 安積得也さんの三つの窓は大変示唆に富む信念だと思います。信仰とは端的に、この「天窓」に気づいているかということです。私たちは、困難に直面する時、四方が塞がってしまいます。横窓が閉ざされてしまいます。すると底窓だけで、孤独感に苦しみます。途方に暮れてしまいます。しかし、その時にも「天窓」が開かれている、そしてこの「天窓」だけは閉ざされない窓であることに気づかされたのならば、四方が塞がって歩むことが出来なくなっても、終わりではない、行き詰まりではないことに開かれていくのではないでしょうか。
 デンマークの哲学者キルケゴールという人が、「人間の目が暗闇しか見ないところで、信仰は神を見る」と語っています。
 暗い絶望の淵に立たされ、泣き崩れてしまうことがあります。希望や喜びが、本当に枯れ果てていく現実があります。生きる意味を喪失し、死を待つしかないような荒涼とした世界に佇むことがあります。しかし、そんな骨が枯れる谷間の現実へと天の窓を開き、神の息吹、神の光りを届けて下さる方こそ、あのイエスです。「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは、立ち帰って生きよ」、神から送られたイエスというメッセージこそ、私たちを包み込む神の光りであり、私たちを生かす神の息吹であることを憶えたいと思います。私たちの天の窓も、イエス・キリストによって開かれていることをも憶えたいと思うのです。

2022年7月10日

「応答のしるし」
使徒言行録19章1~10節


 旧約聖書には信仰者を「旅人、寄留者」とたとえ、この地上を旅する姿を信仰の姿として表現しています。新約聖書にも「旅人、寄留者、外国人、異邦人」という表現で、キリスト者がたとえられている箇所が多くあります。新約聖書では、この地上を旅する信仰者の姿と、もう一つ、初代教会における信徒の社会層を表現する言葉となっています。
 最初の教会はペンテコステの出来事に端を発したイエスの12弟子を中心としたエルサレム教会です。この教会は誕生をして約30年後にユダヤ教による迫害に遭います。エルサレム教会の信徒たちはシリヤ地方に逃げ、ヘレニズム世界における都市を中心に宣教活動を行うようになります。パウロの宣教ともあいまって、各地に誕生する初代教会は、そのほとんどが都市型の教会でした。
 古代におけるヘレニズム世界の都市は、ローマ帝国の市民権を持つ人々が中心に構成されていました。ローマの市民権を持たない多くの人々は、「外国人、寄留者、旅人」と呼ばれていました。市民権を持たない人々は、集会を持ったり、礼拝を行ったりが出来ませんでしたが、唯一ローマによって許可されていたのが専門職組合の会合だけでした。たとえば葬儀の組合、特定の宗教の組合でした。これをギリシャ語で、コイノニアと言います。現代のキリスト教では教会の交わりや教会共同体を指しますが、直訳すると「組合」という意味になります。ちなみに会衆主義派教会を組合教会と呼ぶのも、このコイノニアというギリシャ語から来ています。
 当時、都市で礼拝を行う場合、ユダヤ教はユダヤの集会と呼ばれていました。キリスト教はキリスト教会とかキリストの集会という名称では呼ばれず、差別や偏見を込めて「パレスチナで十字架につけられた男を礼拝する組合」と呼ばれていました。ローマ帝国の刑法に従って「十字架につけられる」ということは重犯罪人との認識があり、そんな人間であるイエスを礼拝するなどということは、とんでもないことであった様子が伺えます。余談ですが、このようなレッテル張りが、後々に都市に住む人々を不安定にさせ、人々の生活を不安にさせ、ステレオタイプのように人々に刷り込まれて行きました。そしてローマ帝国によるキリスト教徒の迫害へと進んで行きました。
 初代教会の人々は、このコイノニアを信仰の交わり、つまり教会共同体を指す交わりと位置づけました。この際に注意しなければならないのは、クリスチャンの生活の座は、あくまでもヘレニズム都市における疎外された集団でしかありませんでした。しかし、この疎外された集団こそが、イエスを信じ、従うことによって違った意味をもってくることを表明しました。エフェソの信徒への手紙2章の19節に「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」とあります。外国人、寄留者、旅人である自分たちは、都市において社会の一員として受け入れられていくのではなく、皆に認められていくのでもなく、むしろもっと違って、自分たちは「神の家族」であるという新しい表現をしていきます。これはとても画期的なことでした。
 今朝の聖書の箇所は、パウロがエフェソで出会った「何人かの弟子達」のこと、その後のエフェソでのパウロの活動が記されています。パウロが出会った人々は、ヨハネの洗礼しか知りませんでした。4節でパウロの言葉として語られているように「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて悔い改めの洗礼を授けたのです」。彼らが信じていたのは「これから来るイエス」でした。彼らは「すでに来られているイエス」「この地上に生きたイエス」を知りませんでした。また彼らが受けた洗礼は「悔い改め」だけのものでした。イエスによって赦されている幸い、復活への永遠の命という喜びへの約束という洗礼ではありませんでした。彼らの信仰生活とは、単に習慣や道徳的なものであったと言います。都市共同体の一員として、目立たず、騒がず、互いの監視の目によく見える生活だけを心がけていたようです。ところが、彼らはパウロと出会い、再度「イエスの名によって洗礼を受けた」のでした。
 さて7節で12人の人々が洗礼を受けるという出来事が、まるで無かったかのように、8節以下で人々はパウロを拒絶していきます。パウロは論争が毎日も、二年間も続くような対決を強いられてしまいました。今日、私たちが学ばなければならないのは、社会的には疎まれ、いわば都市の中心ではなく周辺でしか生きざるを得ないようなコイノニアがあるということ。そして私たちも違う者を排除しようとしたり、拒絶をしてしまう危険性があるということです。
 パウロはローマの信徒への手紙で「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、~新しい命に生きる」(6章4節)ということを語っています。イエスの十字架の死は、世の中が社会がイエスを疎ましく思い、イエスを否定したという出来事です。しかし神は、十字架の上で無力に、さらに小さき者として否定をされたイエスから、赦しや救いを現していったのです。洗礼とは、そのようなイエスに従う者の一員となる表明のしるしであったということ。既成宗教の内側に入ることを規定する儀式ではなく、神の力を受けて、イエスに従い生きようとする外側に向けての力、世の中や人に向けての力であったことを、パウロはその歩みをもって示しています。
 時代が奨励する勝ち組というあり方は、自分本位、自己充足、自己実現という価値観です。この価値観には、他者と共に生きる「あなた」と呼べる、心の通った二人称の視点は欠如しています。きっと「キリストと共に葬られ」という生き方を疎んじ、否定することでしょう。無力は無力、小ささはそのままで、負け組、敗北、滅びと規定することでしょう。人間は誰でも自分本位かも知れません。しかし己に死ねない自分というものが、キリストの死に結ばれていく時、十字架から復活への道のり、神の家族として人と共に生きるという命の交わりと、命が躍動する生き方が生じて来るのです。十字架上の無力なイエスという存在が、無力でよいとの促しであり、限りない人間の受容への促しであり、共に生きる事への促しであることに気づきたいと思うのです。
 この神の促しこそが洗礼へと進ませるものであり、イエスへの応答であり、主の交わりを本当に豊かにする源であったことを、私たちは改めて心に留めたいと思います。今という時代は、一度の失敗や挫折が致命傷となり、負け組として敗北者として規定されてしまいます。再び立ち上がることがとても困難で難しい時代です。だからこそ、キリストによって弱いままで生かされていく、失敗をしても挫折をしてもキリストと共に葬られ、新しい命へと生かされていく、皆がキリストに結ばれて共に生かされていく、この事を証をしていくことが教会には求められています。応答のしるしをこそ、大胆に証していきたいと思うのです。

2022年7月3日

「イエスに導かれて」
使徒言行録15章22~35節


 使徒言行録15章に記されている「使徒会議」は、世界で初めて行われた教会会議と呼ばれています。内容はユダヤ教で規定されている「割礼の問題」と「食物規定の問題」が議論されました。会議の開催場所はエルサレムでした。
 この会議が開催されるきっかけとなったのは、エルサレム教会の人々がアンティオキア教会にやって来て、異邦人の信徒たちに割礼を受けるべきだと主張したことが発端となっています。エルサレム教会はユダヤ人が大半を占める教会です。初代教会時代は教会規則や聖礼典(洗礼式、聖餐式)などは制定されてはいませんでした。特にエルサレム教会をはじめとするユダヤ・パレスチナの教会は、ユダヤ教の戒律や宗教規定などを継承する傾向があったようです。信徒とそうでない者を区別するために、信徒・クリスチャンは割礼を受けるべきであり、教会で行われる聖餐式=当時は今で言うところの愛餐会のようなものですが、ユダヤ律法に規定されている食物規定を守りながら食するべきだと訴えられていたようです。
 ですからユダヤ人のクリスチャンは異邦人とは食事をしませんでした。たとえば、ペトロはアンティオキア教会で、異邦人と無割礼の者と一緒に食事をすることに躊躇をしてしまいました。そのことを、パウロに厳しく批判されました。初代教会時代はかなりユダヤの生活、宗教習慣に縛られていたようです。事件の起こったアンテオキア教会はパウロが20年もの間牧会していた教会です。当時の教会は一般的に礼拝や集会が終わると必ず、出席者で食べ物を持ち寄って食事を共にするという習慣がありました。これがイエスの最後の晩餐と重なって、現在の聖餐式の源流となっています。
 多分、いつも礼拝後に皆で楽しく食事をしていたのでしょう。そこにたまたまエルサレムからやって来ていたペトロも加わっていました。そしてたまたまパウロが不在だったようです。そこへ15章の1節で云う「ある人々」がやって来ました。彼等は、キリストを信ずる者はモーセ五書に記されたユダヤ律法を守るべきだと主張する人々でした。キリスト者も割礼を受けるべきだとか、異邦人とは一緒に食事をしてはいけないと厳しく戒める人々でした。ペトロは彼等を恐れ、尻込みし、批判を恐れて身を引いてしまったのです。この問題が発端となって、各地の教会から代表者達が集まり、エルサレムで最初の教会会議が開催されました。
 決定した事柄は意外と単純なことでした。「偶像に捧げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けること」でした。割礼のこと、細々とした食物規定のことは、きれいさっぱりと退けられています。要するに偶像崇拝に関することとみだらな行いを慎むということ、それ以外は一切問わないという方針で会議はまとまったようです。イエスの教えに立って、イエスを思い出しながら、それぞれ自分たちで考え判断しなさいということなのでしょう。分け隔てをせず、キリスト者であろうがキリスト者でなかろうが、共に助け合って、共に分かち合って、共に歩む、イエスという原点を見つめ直す決議だったのでしょう。絶えずキリストに立ち帰る大切さを教えられます。
 さて、使徒言行録の文脈に従いますと、このエルサレムの使徒会議、教会会議によって、初代キリスト教会は世界宣教へと本格的に踏み出していきます。信仰理解、教会理解がユダヤ教の枠を打ち破り、ユダヤ教の規定を突破して世界へと広がっていきます。そして割礼の問題と食物規定の問題に悩まされていたアンティオキア教会が初代教会の中心となっていきます。
 更に、もう一つの特徴として、ペトロを始めとするイエスの12弟子たちが姿を消していきます。16章5節以下では完全に宣教の表舞台から姿を消していきます。いわばエルサレムで行われた使徒会議を境にして初代教会の第一世代から第二世代へのバトンタッチが行われていくのです。
 エルサレムの使徒会議を境に、初代教会はパウロ中心にその歩みがなされていきます。ペトロはパウロに取って代わられたように、初代教会の表舞台から姿を消していきます。
 さて、ペトロは一体どうしたのでしょうか?。ペトロは、64年に起こったローマ皇帝ネロの迫害によって殉教したという説があるだけです。多くの研究者はこの出来事によってペトロはエルサレム教会の中心的、指導者的立場から失脚したと説明します。
 失脚とか、中心から外れていくとか、私は何をバカなことをと思います。そのような視点こそ、非常に権威主義的な捉え方です。私は思います。ペトロはエルサレムでの決議、そしてパウロから受けた批判から、かつての懐かしい声を思い出したのでしょう。
 尻込みするとき、逃げ出す時、いつも怒られ、叱咤された、あの懐かしい声と共に、その声の持ち主に包まれながら、導かれながらペトロは、あのイエスのように民衆のただ中へと入っていったのでしょう。
 ペトロが初代教会の表舞台から姿を消して行くということは、教会の歴史に名を刻む生き方から、人々の心へとイエスの姿を刻み込む、そんな生き方へと導かれていったのでしょう。12弟子の中心人物、天国の鍵を持つ男、カトリックにおける初代教皇と呼ばれるペトロです。しかし本当のペトロは、イエスに導かれながら人々の心へと魂へと、真実と共に溶け込んでいったのではないでしょうか。ペトロもまた、イエスという原点へと帰っていったのではないでしょうか。
 私たちもこの時代にイエスを模索し、この私の救い主・イエスという原点に立ち返る大切さを教えられます。
 私たちが日常生活で出来る事は、小さな些細なことかも知れません。しかし私たちの小さな業が、イエスによって豊かにされ、現代にイエスを蘇らせていくのではないでしょうか。そんな匿名のイエスを見続けること、そしてこの鎌倉の地で私達が匿名のイエスに変えられていくこと、それが、私共がイエスと云う原点に帰ることではないでしょうか。私たちもまた民衆のただ中で、人々の心にキリストを刻んでいく生き方をなして行きたいと思うのです。

2022年6月26日

「十字架のままで」
使徒言行録9章1~9節


 キリスト教、とりわけ聖書が語る信仰において決定的なものが、「出会い」あるいは「覚醒、気づき、目覚め」であることを改めて思わされます。心あたたまる出来事と出会ったり、ふと苦しみや悩みの中でピタリと合う聖書の言葉に巡り会ったり、そこに深い招きのようなものを感ずる時があります。一方、一生懸命努力をしたり研究したり、修行を積んだりという人間側の努力で、信仰は得られるものではないというのも、とても不思議なことです。イエスとの出会い、その時と場の問題なのでしょう。イエスの優しさに出会う、イエスの厳しさに出会う、イエスの奥行きのある言葉に思いめぐらす、イエスの振る舞いに驚きと新鮮さ、深い神の愛、そしてイエスの苦しみに出会い、イエスの十字架の死に考えさせられ、イエスの復活に疑問を抱いたり、己の復活とは何かを模索したり、様々なイエスとの出会いを通して、自分の中に頑として根をはっている高ぶりや自己中心さ、自分の絶対化がへし折られていきます。あるいは、絶望や痛み、悲しみが和らげられていきます。そこに芽生えていくものこそが信仰という出来事です。信仰とはイエスとの出会いを通して起こる、起こされる「出来事」であり、今もなお生きて働くイエスと共に歩むという「事柄」なのです。
 今日は、パウロと共に生きて働かれたイエスという信仰の事柄から示されたいと思います。イエスと出会う前のパウロは、サウロといいキリキア州のタルソスという町で生まれました。現在のトルコの町です。彼はユダヤ人であり、若い頃はエルサレムの律法学校で学び、ユダヤ教の厳格な学びと訓練とを受けました。フィリピの信徒への手紙3章5節以下には、パウロ自身の手で自分の生い立ちやそれまでの歩みが綴られています。パウロは当時のユダヤ社会ではエリート中のエリートだったのです。彼が確信していた信念によりますと、キリストとはユダヤで待ち続けられた救い主ですからイエスをこのキリストと呼ぶことは赦されないことでした。また十字架につけられて殺された者は呪われるというユダヤ教の教えもありますので、呪われた者が救い主であってはなりません。キリスト教は、ユダヤ教本来の教えからは、まさに逸脱であり邪教でありました。パウロは熱心な信仰故に、キリスト教徒を片っ端から捕らえては投獄し、時に処刑を行っていたのです。サウロ時代のパウロは、更にキリスト者を捕らえようとしてダマスコへと向かっていました。彼はその途上でイエスと出会うこととなります。
 一体この時何が起こったのでしょうか。パウロが地に倒れてしまうほどの天の光が彼を圧倒したようです。続いてイエスの声が彼に迫りました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。どうも、この出来事がパウロに与えたショックは相当なものだったようです。以後、彼は三日間も目が見えなくなり、食べ物はおろか水も取ることが出来なくなったと云います。圧倒的な衝撃、恐ろしい程のショックが彼を襲いました。それがダマスコ途上で起こったイエスとの出会いだったのです。
 さて、このパウロが経験をしたダマスコ途上でのイエスとの出会いは、偶然に起こったのではありません。何の脈絡もなく突発的に起こったのでもありません。前の箇所であります7章54節から8章の1節に記されているステファノの殉教の場面があります。ステファノは石打の刑に処せられています。多分、血まみれの痛ましい姿で、もの凄い形相で息絶えていったのでしょう。初代教会最初の殉教者であるステファノは死の直前に次のように祈り叫んだと云います。「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい。主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。この様子をキリスト教徒迫害をしていたパウロも側で見ていました。いえきっと、パウロは先頭に立ってステファノに石を投げつけていたのだと思われます。そんな出来事を経て、パウロはイエスの言葉に問いかけられます。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」。ダマスコ途上で聞いた声、体験したイエスとの出会いは、パウロの生き方、パウロの人生と無関係ではありません。彼の生き方故に起こされたものだったのです。パウロはサウロ時代、神の義を求め、神を信じて生きる人間の「正しさ」をスローガンにして生きてきました。しかしサウロの正しさは、イエスを見習い、イエスに従い、愛に満ちた生き方を実践しようとするキリスト者たちを迫害し殺す生き方でした。サウロが本当に目指した道は、他者を生かし、共に生き、共に神を仰ぐ正しさだったのではないでしょうか。
 サウロ=偉大な者をパウロ=最も小さな者へと名前と生き方を変えたものこそ、血にまみれたステファノに現れた迫害されているイエスであり、十字架の上から罪を、弱さを、過ちを赦し続ける神の出来事、十字架のイエスとの出会いだったのです。
 ところで、今日の聖書は、パウロがダマスコ途上で「復活のイエス」と出会った箇所として有名です。これまで「復活のイエス」と出会ったという理解がなされてきました。ダマスコ途上でパウロが出会ったイエスは、「復活のイエス」ではなく、十字架のイエスであり、血まみれで「十字架につけられたままのイエス」なのです。
 第一コリントの2章2節に「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」というパウロ自身の手で書き記した言葉があります。これは「十字架につけられたキリスト」ではなく、正確に訳すと「十字架につけられたままのキリスト」です。更にこれもパウロ自身の手紙で彼が記している言葉があります。ガラテヤの信徒への手紙3章1節です。「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられたままの姿ではっきりと示されたではないか」。パウロ自身が記した手紙の言葉によると、彼は「復活のイエス」というよりも「十字架につけられたままのイエス」と出会っていると判断してまず間違いありません。今の新約聖書神学ではそのように理解されています。ステファノの死が物語るように、多くのキリスト者の迫害が物語るように、パウロにはこれまで、何度も、何度もイエスの十字架の死が示されているのです。繰り返し、繰り返し、パウロは十字架上のイエスの声を聴いて、十字架のイエスの姿を目の当たりにして、初めて気づいたのがダマスコ途上での出来事なのです。
 今もなお、十字架につけられたままのイエスを、赦し続けるイエスをパウロの出来事から教えられます。それは私たちの苦しみを今も背負いつつ、共に歩んで下さるイエスです。そして私たちと一緒に真の復活を願っておられるイエスの出来事なのではないでしょうか。

2022年6月19日

「神に抱きかかえられて」
マルコによる福音書9章33~37節


 今朝の聖書の箇所は、マタイ、マルコ、ルカという共観福音書全てに共通する記事です。皆さんよくご存知の子どもを招くイエスの箇所です。これに続く記事がマルコ10章13節以下にある、弟子達が子どもを拒絶したことを見て、イエスが憤り、弟子達を制してこの子どもらを祝福されたという記事です。よく見ていただきたいのですが、共観福音書はどれも、この記事を福音書の後半に治めています。それはイエスの生涯の後半ということです。つまり、弟子達は、イエスとすでに長い間旅をしてきて、ある程度イエスの語ること、イエスの教えを理解していたと言ってもいいと思います。ですから当然、今朝の聖書にあるように、イエスが子ども達を受け入れるということも分かっていたはずです。しかし彼らは何を思ったのか、9章でイエスが子どもを祝福したにもかかわらず、10章13節以下で再び子どもを排除しようとします。
 イエスと弟子達一行はカフェルナウムにやって来ました。その途中で、弟子達は「誰が一番偉いのか?」と議論をしてたと云います。イエスは弟子達に「何を議論していたか?」と聞きますが、弟子達は黙っていました。弟子達は途中で何を論じ合っていたのか、一言もイエスに話しませんでした。
 「議論する」という言葉は、何か大声で公然と議論するというよりも、むしろニュアンス的には「ひそかに思いめぐらしていた。思案していた」、あるいは周囲の人に聞かれないように「ひそひそと内緒話をしていた」という方が訳としては、近いそうです。ですから、弟子達は聞かれたくない、触れられたくない内緒話について、突然、予期せぬ質問をイエスから受けているのです。更に、著者のマルコは「途中で」という言葉を繰り返し使っています。私達の日常で、歩みの中で、いかに「誰が一番か・・・」という他者との比較、自分の位置と人の位置を確認する話題が多いことでしょうか。ステイタス、能力、地位、順位、立派さ等々、序列化を生み出す話題が、何と多いことでしょうか。自己拡大という欲望から解き放たれることは、本当に難しいようです。
 
 ドイツの童話作家アクセル・ハッケと画家のミヒャエル・ゾーヴァによる「ちいさなちいさな王様」(講談社)という絵本があります。「ある日、指位の大きさの王様が、僕の家に現れたところから物語は始まります。その王様の国では、誰もが生まれた時が一番大きくて、はじめから文字も書けるし、仕事も食事の支度もできます。年を重ねるごとに、体が小さくなっていって、多くの事を忘れていき、仕事をしなくてもよくなります。頭の中は遊びや空想で埋めていけば良いのです。最後には誰もが、宙に舞うほこりのように小さくなって消えてしまうといいます。この小さな王様は、人間社会に疑問を投げかけます。君たちの国では、子ども時代にいろいろなものになりたいと夢を描いていても、気が付くと様々なものに縛られ、したいことも出来なくなっている。あまりすてきじゃないな」。
 この物語が、悲惨な民族紛争が繰り返された90年代にヨーロッパで書かれたことの意味は大きいと思います。強い者と弱い者、大きな国と小さな国、異なる民族、異なる宗教が弱肉強食のように殺し合うのではなく、共存し合い、助け合い、次の世代を担う命を守り育てていく道を探さなければ、人類の明日はないという現代社会への問題提起がなされているからです。
 私達の目の前にある十字架。よく「タテは神様との関係で、ヨコは人との関係である。二つが合わさって、初めて十字架になる。」と言われます。
 少しだけ、私流に付け加えさせて頂きます。十字架は「タテが長く、ヨコが短い」です。私達が、上だけの「タテの生き方」を目指すと、十字架の上と下ですから、神様との関係は長く、遠くなります。
 しかし、人に仕える「ヨコの関係」が組合わさると、そこからの距離は、とても短く、近くなります。ヨコ棒から上が短いのは、神様が人との関係をとても喜ばれて、祝し、天の国に近づけて下さっているからです。イエスは、人より優れようと「上を目指す、タテの生き方」ではなく、自ら人に仕える「ヨコの生き方」こそ、この十字架を世に輝かすことを、教えているのです。
 「有名」は歴史に名を残すことでしょう。しかし「無名」は、人の心の奥深くに、その真実を刻み込むことではないでしょうか。
 弟子達の議論は、秘められた人間の欲望なのでしょう。そんな弟子達の前で、イエスは子どもを抱き上げました。「抱きかかえる」です。小さな者、小さくされてしまった者、弱い者こそ、イエスによって抱きかかえられる人生が始まっていくことを教えています。いえ、小さな者こそイエスが抱きかかえて下さり、一緒にいて下さるのです。「このような子どもの一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」。小さな弱い立場の者と共に生きるとは、イコール、イエスと一緒に歩むということです。
 イエスに抱かれている人々に気づくこと、そうした人々と共に生きること、その時、私達もまた神に抱かれていく幸いな人生が始まるのではないでしょうか。

2022年6月12日

「創造する力」
使徒言行録2章1~13節


 使徒言行録の著者であるルカは、イエスを救い主とする教会がこの世で初めて産声をあげた時のことを、劇的に表現しています。
 イエスを裏切り、人間の弱さを露呈した弟子集団に、イエスは神の力である聖霊を約束されました。弟子集団にとっては、このイエスの約束だけが頼りであったと思います。すがるような気持ちで、ひたすら祈るほかなかったのでしょう。
 ルカはこの出来事を「激しい風」あるいは「炎」が「響き渡った」と表現しました。この描写の中に、福音書著者でもあるルカの感性、あるいは豊かさが余すところなく表れています。「激しい風」は「プネウマ」というギリシャ語で、三位一体の神のことです。ペンテコステに激しく吹いた風は、沈みきった弟子たちに、もう一度命を吹き込み、人を愛する力を湧き起こさせます。
 「炎」、これはダイナマイトの語源となっている言葉です。ダイナミックな躍動する力を表す言葉です。しかしこの力は、元々人を殺す兵器のような破壊する力ではなく、反対に新しく行動を起こし、物事を創造する力であり、人々を結び合わせる力です。その神の力のダイナミズムを、ルカは「炎」と表現したのです。ルカは「聖霊に満たされる」という出来事を、こうした風や炎としてイメージしました。弱く、うちひしがれていた弟子集団が、神によって再び立ち上がる、再生されていく様を、ルカはイメージして伝えているのです。
 悲しむ人や苦しむ人が、いつか癒され立ち上がる姿をイメージすることは、とても大切なことだと思います。その時のイメージは、具体的な願いであり、具体的な祈りなのではないでしょうか。良き将来の、素晴らしい未来の青写真を描くことは、希望をも生み出していきます。
 旧約聖書は神の息について凄まじい描写をしています。旧約聖書エゼキエル書の37章1節以下に、数え切れない程の白骨が荒れ野に散在し、それを前にしたエゼキエルに向かって「人の子よ!」という神の声が響くシーンがあります。神はエゼキエルに向かって問いかけます。「この白骨がふたたび生きられるだろうか?」。問われたエゼキエルは恐る恐る答えます。「主よ、あなただけがご存知です」。神はエゼキエルの目の前で、無数の白骨に息を吹きかけていきます。すると、骨と骨が繋がれ、人間となって蘇っていきます。命の息が吹き込まれると生き返っていきました。ペンテコステの出来事と共に、荒れ野で白骨が蘇るこの出来事に、私たちは一体何を見るのでしょうか?、人間がうちひしがれ、虚しくされ、人間がバラバラとなっていく現代社会が重なり合うのではないでしょうか。
 ところで、以前の讃美歌には「雑」という項目がありました。今回「雑」という項目が無くなったのには訳があります。讃美歌委員会のどなたかが「讃美歌に雑というのはおかしい」と言ったとか、言わなかったとか。雑然、雑草、雑な人間等々、「雑」という言葉の持っているイメージがマイナスだからなのでしょう。ところが、作家の五木寛之さんと中国文学者の福永光司さんの対談集「混沌からの出発」(致知出版社)という本で、お二人は「雑」の持っているエネルギーを見直そうということを語っています。「雑然というのは、どうも不都合なことが多いようです。何と言っても雑然としたものは分かりにくい。そこで整然と、きれいに整えようという力が働きます。物事を秩序化し、規範を整えます。合理化し、効率を図るのです。しかし今や、こうした整然を軸とした歴史は行き詰まっており、むしろ雑然の持っているエネルギーを回復すべきなのではないでしょうか」。雑然としたものが内に秘めているエネルギーを見つめ直そうというのが五木さんと福永さんの主張です。
 「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」、聖霊は整然と静かに下るのではなく、騒がしく雑然として働いたようです。そして、「一同は、聖霊に満たされ。霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した」。最初に、ペンテコステの描写は、著者ルカが劇的に表現していると申しましたが、極めつけが、6節と7節の描写です。弟子達の変化に人々が「あっけにとられて」います。人々は「驚き怪しん」だと云います。
 「あっけにとられる」とは「混ぜ合わされる、生死を共にする、共に軛を負う、結び合わされる」という意味です。「驚き怪しむ」は、神や超越的なものに対する畏敬の念を表し、信仰的な言葉が使われています。ついでに12節で使われています「とまどう」とは「思いめぐらす」です。ちなみに13節で「あざ笑った」人々も42節で使徒の仲間に加えられています。
 沢山の国の、沢山の人々の言葉を理解することは至難の業です。人は共通言語をもって交通整理ならぬ、合理化と秩序化を図ります。規範を整える中で、理解と無理解だけではなく、正しい物事と正しくない物事を二項対立で区別し始めます。時にそれは物事だけではなく、人をさえ二項対立に持ち込み、異なった人々を排除していくのです。ルカのイメージする聖霊降臨の出来事は、異なった人々を雑然と混ぜ合わせていく出来事として描かれています。
 私達お互いの中にも不協和音は響きます。悪口を言って批判することも多々あるでしょう。しかし教会は誕生の最初から雑音だらけだったのです。騒がしく雑然としていたのです。悪口をいってあざけり、教会からイエスから神から距離を置く者もいるのです。しかし神は、騒がしく雑然としたただ中でこそ、お互いを結び合わせて下さるのです。まさにあっけにとられるような出来事を起こされるのです。
 聖霊降臨の出来事は、多くの人々があっけにとられました。多くの人々が混ぜ合わされ、結び合わされ、多くの人々が生死を共にし、共に軛を負う人生へと変えられていった出来事です。
 最後に、旧約聖書創世記の冒頭に次の様な言葉があります。「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。光あれ。こうして光があった」。「動いていた」という言葉は「包む、抱きしめる」という元々の意味があります。雑然とする混沌とする私達を、神が包み込んで下さり、抱きしめて下さったので、光が生み出されていくのです。
 ペンテコステも天地創造のような出来事なのです。私達を包み込み、抱きしめて下さる神の力が働く時なのです。私たちもまた、共に祈りながら神の命の息吹に満たされて行きたいと思うのです。

2022年6月5日

「復活信仰の語り部」
マルコによる福音書5章25~34節


 死にそうであったヤイロの娘をイエスが助ける物語にサンドウィッチされるように、長年病に悩まされていた女性の話が伝えられています。
 ちなみに、ヤイロの娘は幼い子どもでした。ところが起きあがった時には、すでに12才でした。少女が12才になるまで、少女とそしてその家族を励まし支えながら、共に歩み続けたマルコ教会の真実が、彼ら彼女らの証がここに伝えられています。
 このマルコ教会の証は、サンドウィッチされた女性の物語に、その源泉があります。イエスと出会った女性の証が生き生きと綴られています。今朝は著者マルコをして、驚かせた一人の女性の証に迫りたいと思います。
 「さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた」とマルコは報告しています。旧約聖書のレビ記(12章以下)の規定によりますと、この女性は十二年間もの間、「不浄な者、汚れた者」と見なされてきたことになります。十二年という歳月を考えると、その苦しみは大変なものです。汚れている者として長い間、社会から排除された孤独な日々を過ごしてきたのでしょう。著者のマルコもそのような彼女の人生を思ってか、同情を込めて彼女の背景を描写しています。「多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった」と。これが、彼女の十二年間の歩みであり、彼女の個人史だったのです。
 このマルコの記述は、他の福音書と比べると一段と際だって来ます。マルコはこの物語を書くために10節分も割いていますが、ルカは6節分、マタイに至ってはたったの3節分しかありません。またルカとマタイはそれぞれ描写も実に簡単で素っ気ないものです。マルコ福音書の記述は、実際に彼女の口から聞いたように生き生きとした表現で書かれています。いやされた女性の主観的表現が使われています。「すぐに出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた」「女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、全てをありのまま話した」。女性が自分で体感したことを本人の視点から描いています。そしてそれに呼応するかのように、マルコはイエスの視点からも、この出来事を描きます。彼女が「いやされたことを体に感じ」た時、イエスは「力が出ていったことに気づき」ます。二人は同時にお互いの存在に共鳴しあっています。この時、イエスは「わたしの服に触ったのはだれか」と、彼女を捜します。彼女はすでに癒されているのですから、これは余計な行為にも思えます。実際、ルカとマタイには、この部分はありません。マルコだけが、女性を捜すイエスの姿を伝えています。
 実は、マルコ福音書において「血」という言葉と「体」という言葉が使われるのは、今朝の聖書の箇所である5章と14章に出てくるだけなのです。14章とは最後の晩餐の箇所で、血とはイエスの十字架の血であり、体とはイエスの割かれた体を意味します。十二年間続いた出血は、彼女にとって痛みと苦しみそのものでした。しかし、その血と体がイエスの十字架の血と体に交差されていく出来事をマルコは描いています。イエスとの出会いを通して、彼女の痛みと苦しみが、神の血による新しい契約のしるしとされていくのです。自分の身に起こったことを知って恐ろしくなるほどの出来事、震えが止まらないほどの出来事が、イエスとの出会いを通して、彼女にもたらされているのです。
 さて、今朝の聖書の箇所には極めつけがあります。マルコが語るこの女性の個人史の部分は、日本語の聖書では区切られて訳されているのですが、原文だと次のようになります。「さて、一人の女性が十二年間出血を続けており、そして多くの医者によってひどく苦しみ、そして彼女の持ち物をみな使い果たしてしまい、そして何の利益も得られないまま、ますます悪くなり、そしてイエスの事を聞いて、群衆の中に来て、後ろにいって、イエスの服に触った」。日本語の訳では、25節、26節、27節と三つのセンテンスに区切って訳されていますが、本来は25節から27節は一つのセンテンスになっているのです。なぜか、この部分だけあまり上手な記述ではありません。マルコは他の部分では文章をちゃんと区切って記述しているのですが、どういうわけか、この部分だけは区切らずに最後まで一気に綴られているのです。まるで、福音書著者マルコが、この女性から聞き取ったような文章なのです。ここだけ興奮冷めやらない、実にあつい思いが秘められた一文なのです。
 私は思うのです。この女性のその後の人生については何も語られていません。けれども、彼女は自分の身に起こったこと、イエスとの出会いとイエスの十字架によって自らの人生が救われていった体験を、生き生きと語り続けたのだと思います。20年後、30年後のマルコの時代まで、年を重ねたおばあさんになっていたのかも知れません。若いマルコを前に、まるで昨日の出来事のように、あつくイエスとの出会いを語ったのかも知れません。
 34節の最後の部分には、彼女を送り出すイエスの言葉があります。「もう病気にかからず、元気に暮らしなさい」です。ある牧師が日曜の礼拝で、この箇所を間違えて「もうその元気にかかわらず、病気に暮らしなさい」と読んでしまったそうです。あんがい、その方が正しい読み方なのかも知れません。信仰をもっていても病気になります。病気になるのは信仰が薄いからだなどという迷信がかった人もいます。病気や苦しみ悩みから人をはかる視点ではなく、存在そのものを大切にするまなざしに気づかされます。信仰をもてば、病気にならないとか、苦しまない等と人間存在そのものを切り捨て去る理解よりも、病気や苦しみにかかわらず、あなた自身が元気で暮らせることを祈っていますと、存在そのものを大切に尊ぶ言葉の方が力になるものです。
 十二年間苦しんだ彼女の病を問題にするのではなく、自分という存在そのものに共鳴してくれたあついイエスとの出会いを、この女性は昨日のことのように証続けていたのではないでしょうか。そんな、あつい「お達者おばあさん」に、マルコや教会の人々は復活のイエスの到来を感じたのかも知れません。だからこそ、命の極みに置かれたヤイロの幼き娘さんの為に、成人するまで励まし祈り続けた出来事が続くのです。家庭の問題なのか、心の問題なのか、それとももっと複雑で困難な問題なのか、もうそのような推測はいらないのでしょう。存在そのものを大切に、そこに祈りを合わせながらマルコ教会は仕え続けたのですから。
 イエスの十字架の血と体が、現代に生きる私たちに交差され、蘇る出来事をこのマルコの証、女性の証から学び取っていきたいと思います。私たちも復活信仰の語り部として、貴き命へと仕え行く者として遣わされていきたいと思うのです。

2022年5月29日

「挫折者の福音」
マルコによる福音書16章1~8節


 この後、皆さんとご一緒に歌います讃美歌の484番は、大変有名な讃美歌で、愛唱讃美歌とされている方が多いかと思います。この讃美歌は日本語に翻訳された最も早い讃美歌の一つです。日本婦女英学校=現在の横浜共立学園の創立時に会計を務め、その後総長を歴任したジュリア・クロスビーによって訳されました。当時の翻訳は次のようでした。「エス我を愛す、聖書にぞ申す、帰すれば子たち、弱きも強い、はい、エス愛す、はい、エス愛す、はい、エス愛す、そう聖書申す」。英語の原文では「そう聖書申す」という歌詞が繰り返されます。イエスが愛して下さるからこそ、弱いときにこそ強いのだよ、聖書はそう云っているという内容です。子どもから大人まで非常に親しみやすい讃美歌ですが、ここに込められた内容は、正に聖書が語るイエスの十字架と逆説の信仰が詠われていると思います。自分の努力で信仰はあるのではなく、イエスの愛故であることを分かりやすく表現した讃美歌です。
 さて、福音書には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」と、弟子達の弱さ、失敗談、恥ずかしい姿が伝えられています。マルコ福音書が描かれましたのが、紀元後約60年代と云われていますので、そのころにはまだ弟子達の多くは生存していただろうと推測されます。しかも弟子達は初代教会においては12使徒という特別な立場にありましたので、福音書が伝える彼らの姿はとても恥ずかしかったに違いありません。初代教会では特にイエスの受難物語が繰り返し読まれたと云われています。教会の集まりには弟子達の誰かがいたとしても何ら不思議はありません。弟子でなくともその家族や友人達がいたかも知れません。いずれにせよ、受難物語が繰り返されることは、悔やんでも悔やみきれないあの失敗の日々を思い起こしていたことでしょう。
 現存する最古の福音書とされるマルコ福音書は、他の福音書に比べてパレスチナ特に、ガリラヤの地理に詳しく、著者自身がかなりイエスの弟子集団に近い存在だったのではないかと云われています。近い間柄であったからこそ弟子達の挫折の姿を、失敗談を隠すことなく描くことが出来たのかも知れません。そのような事情からマルコ福音書は他の福音書に比べて弟子批判が痛烈であると云われます。そんなマルコ福音書にはある不思議な人物が登場します。それは14章の51節、52節に突然登場する若者です。
 「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げてしまった」。前後の話となんの関係もない人物が突然登場します。しかも、この若者はマルコ福音書にしか登場しません。人々に捕まえられ、着ている物を脱ぎ捨てて裸のままで、一目散に逃げていく姿は、想像するだけで恥ずかしくなってしまいます。あまりにも恥ずかしく、滑稽な姿なので、名前を隠して伝えているのでしょうか。イエスの受難物語という悲劇の中に、一コマだけ滑稽な喜劇が挿入されています。このマルコ独自の挿入は、受難物語の荘厳さと悲劇性をかえって中断させてしまうものであり、全く無用の一コマとも言えます。なぜこの場面を書き加えたのか理解に苦しみます。
 私はこの無名の若者は著者マルコだと思っています。誰でも悪口や批判は聞いていて楽しいものではありません。悪口を言っている人の人格や見識を疑うこともしばしばあります。マルコは福音書を通してイエスの12弟子を痛烈に批判しています。しかしそれは批判の為の批判や貶める為のものではなく、イエスの十字架は、そんな失敗や挫折を赦し、失敗や挫折をした者、罪を犯した者を再び立ち上がらせるものだと、自分の証から来るメッセージが込められていると思います。
 映画監督のヒッチコックは、自分の映画作品の一場面に、ふっとその姿を現していました。最近ではナイト・シャマラン監督が必ず自分の映画の一場面に登場し、物語の鍵となっていきます。イエスの受難物語が初代教会で繰り返し伝えられる時、人々は弟子達の失敗を、挫折を愚かなことと笑ったかも知れません。しかし突然、一人の若者が亜麻布を脱ぎ捨てて裸で逃げていったという出来事が語られる時、裸で恥ずかしい姿で逃げた人物が、今、目の前で自分たちに聖書を読み聞かせ、キリストの出来事を伝えているマルコ、イエスの受難を最初に描いたマルコ自身だと気づかされたのなら、自分たちもまた身の危険が及んだときにはイエスから逃げ去ってしまうだろうと思わされたのではないかと思います。「あの弟子達もイエスを捨てて逃げてしまったけど、私なんかは裸の恥ずかしい姿で逃げてしまったのだよ」と、皆の前で告白しているのでしょう。マルコは自分の失敗談を語ることによって、この若者は自分自身であり、失敗をし挫折をした人間であると告白しつつ、しかしイエスの赦しによってこうして福音を語るものとして生かされていることを証ししていたのでしょう。マルコから若い時の恥ずかしい失敗談を聞かされた人々は、失敗をした本人が、イエスの十字架と復活を告げる人に変貌している姿を見たとき、イエスの大きな恵みの業と限りない赦しに、人々も励ましと和らぎを得ていったことでしょう。
 さて、若かりし頃のマルコは裸で逃げ出した後、どうなったのでしょうか。青年マルコは、なんとイエスの墓で再出発を告げていたのです。イエスの復活を告げる他の福音書は、復活を告げる者がマタイでは「主の天使」であったり、ルカでは「輝く衣を着た二人の人」であったり、ヨハネでは「白い衣を着た二人の天使」となっています。表現はそれぞれ違いますが、いずれもが天使や主の使いのイメージで描かれています。ところがマルコだけは、天使や主の使いをイメージする表現を用いてはいません。マルコでは「若者」という言葉は、先ほどの裸で逃げた若者とこの箇所にしか登場しません。
 イエスを見捨てて逃げ去った後、弟子達と同様に若者も、イエスが十字架にかけられ死なれたことを聞いたことでしょう。自分の弱さやだらしなさ、ふがいなさ、それらを悔やみながら、イエスの十字架が自分の為であったことに気づかされていったのだと思います。「主我を愛す」。マルコは、イエスが私たちを愛して下さるから、私たちの失敗が挫折が、恥ずかしさがイエスの十字架によって赦され真っ白にされること、再びイエスと最初に出会った原点であるガリラヤから再出発しようと、失敗者の復活、挫折者の福音を詩っているのではないでしょうか。
 かつて亜麻布を脱ぎ捨てた若者は、イエスの十字架によって真っ白な衣を着ています。私たちの失敗や挫折が、恥ずかしさが、愚かさがイエスの十字架によって赦され、私たちにも真っ白な衣が掛けられているのです。私たちも「主我を愛す」イエスの十字架という原点に返って、励ましと和らぎをこそ証し続けたいと思うのです。

2022年5月22日

「変貌する母」
マタイによる福音書20章20~28節


 ある時、「ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し」「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人は右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」と願いました。イエスの左右に座らせて下さいとの願いには、初代教会に弟子の地位を巡っての葛藤や対立があったことを示唆します。マルコ福音書では、ヤコブとヨハネとなっており、その母親は登場しません。今日は必死に願う母親の視点から、この物語に触れたいと思います。
 ゼベダイの息子たちとは、ヤコブとヨハネで、その母親が、イエスに「ひれ伏し」て願ったということです。ここには我が子、ヤコブとヨハネを思う、子どものために土下座せんばかりに頼み込む母親の懸命さが伺えます。自分の子ども達が他の弟子達よりも少しでも高い位置に座ることを求めています。
 ところで、イエスの弟子達は、家や仕事を捨てて従ってきたはずです。なぜか、ゼベダイの息子たちには、母親も一緒だったようです。家と仕事、父親は捨てられても母親だけは捨てられなかったのでしょうか。それとも、この母親は息子たちが家族や仕事を捨ててイエスに従っていったことに驚き、いったんは怒ってはみたものの、心配でいてもたってもいられず、彼女自身も今度は家と夫を捨てて、子ども達の後を追ってきたのでしょうか。そんな母親の姿をマタイは「二人の息子と一緒にイエスのところに来た」と表現しています。正確には「二人の息子と伴だって、二人の息子と連れだって」となります。子ども達の事が心配で、後を追ってきた母の姿が描かれています。
 余談ですが、よく国語の授業などで「親」という漢字が説明されたりします。「親という字は、木の上に立って見ると書く、家を出て一人旅立つ子どもの姿を親はいつまでも見送り、最後は木の上に登って、その姿が見えなくなるまで見送っている。これが親という字だ。苦しい時は、そんな親の姿を振り返ってみれば、きっと頑張れる」という具合に解釈されます。この解釈はとてもよく出来た創作です。元々、親という漢字は刃物で身を切るほどの身近な存在、あるいは痛みを感ずるほど身近な存在を表すそうです。親は子どもに対して、いつも身近であり、その痛みや苦しみを誰よりも強く感じる存在なのでしょう。
 こうした母親の心に対して、イエスの答えは何とも冷たさを感じます。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない」、更に「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と問い返しています。イエスはここで「あなたがた」と言っていますから、母親と息子たちに向かって話しているのでしょう。しかし、その後の会話は「二人が、出来ます」と答えていますので、イエスの意図は、母親から二人の子どもを離すことだったのかも知れません。いつまでも親の思いに留まっている子ども達へと自立を促すために厳しく問うたのでしょうか。しかしながら、聖書はイエスが受難に遭うと「出来ます」と答えた弟子達が皆、逃げ出してしまったことを伝えていきます。二人の弟子達を母親の強い思いから引き離し、自立と主体性を問うたにもかかわらず、イエスを見捨てて逃げ出してしまいます。イエスに従うということ、信仰を持って生きるということは、強い人間だから可能なのではありません。むしろ己の弱さや人の弱さ、苦しみや悲しみを知って、はじめてイエスが歩ませて下さることに気づけることなのかも知れません。
 母が願ったヤコブとヨハネは他の弟子達と同様に、十字架のイエスの元から逃げ去りました。しかし彼らは後に、初代教会の中心メンバーとして信仰者を導いて行きます。弱さのままにイエスに赦し生かされていることを感得した彼らは、使徒言行録の記録によれば、ヨハネはペトロと一緒に宣教活動を続けます。ヤコブは12弟子の最初の殉教者となります。「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」、イエスの問いを、ヤコブは命をかけて成就していくのです。
 ところで、母親はどうなったのでしょうか。子ども達が自立し、自分から自立し、本当に巣立っていく一抹の寂しさを感じながら、イエスの元を離れ家へと帰っていったのでしょうか。そうではありませんでした。著者マタイは福音書を使って母親のその後を描きます。マタイ福音書の27章55節以下、イエスが十字架に架かった時、この母親は大勢の婦人達と一緒に、イエスを離れず十字架の元に佇んでいたのです。「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた」となっています。ヤコブとヨセフの母マリアはゼベダイの子らの母とイコールですから、マタイは繰り返しこの母親を強調していることになります。ちなみに名前はマリアさんでした。
 マリアさんは、去ったのでも家に帰ったのでもなく、イエスに従って来て、世話をし続けていたのです。この「世話をする」という言葉は、仕えるという意味で、後に使徒言行録では「奉仕」とか「執事」という使徒職に使われます。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい」。母親はイエスの言葉を誰よりも深く、その胸に刻み込んだのでしょう。勇ましかった弟子達が皆、自分の息子達までもがイエスから去っていった後も、最後までイエスに従い仕える者に変えられていったのです。子どもの事を思うのは親心でしょう。しかしこの母親はイエスに従い、仕えることを通して、全ての者を思う母親へと変貌していったのではないでしょうか。ここに神がイエスが、私たち人間へと寄せる御心が示されているのではないでしょうか。
 漢字学者の白川静さん曰く、「親という字は新しい木から切り出された神の位のことで、切り出された辛いという字が隠されている。それを拝み見る姿が親である」と説明しています。親は辛さの中でこそ、神に向かって生きる人でなければならないということが、親という字には秘められています。
 ゼベダイの子らの母は、なによりも十字架のイエスを仰ぎ見る親となりました。イエスに向かい続けることで、自分の子ども達だけではなく全ての子ども達の母に変貌したのではないでしょうか。そしてそれはイエス・キリストの使徒なる姿へと変貌していったのではないでしょうか。

2022年5月15日

「自分に死んで」
マタイ福音書 28:16-20


今年、私の勤める衣笠病院は、創立75周年を迎えます。病院が最初の患者さんを迎えたのは、1947年8月1日。敗戦からちょうど2年を迎えようとしていたときのことでした。誰もが戦争の痛みを深く身に負っている中、たくさんの将兵を育み、戦地へと送り出していった横須賀で、キリスト教病院が開かれるに至ったことは、ほんとうに新しい希望であったのではないかと思うのです。
その病院が、開院12年にして、火事を出したのでした。病院75年の歴史の中で最も痛ましい出来事です。1960年1月6日。夜9時頃の出火だったと聞いています。火は瞬く間に燃え広がり、木造の古い病舎を焼き尽くしていきました。実に16名の方が命を失う大惨事となってしまいました。火元となったのは産科病棟の重油ストーブ。犠牲者の中には、生まれたばかりで名前さえつけられていないみどり子たちもいました。火中に3度飛び込み新生児を救出していた看護師1名は、4度目に帰らぬ人となり殉職しました。
当日は消防出初め式が終わった夜で、消防の初動が遅れたそうです。毎日乾燥が続いていたことに加え、不十分な防火設備、避難訓練の不徹底などが災いを大きくしました。そして職員住宅、ボイラー室、入り口の教会堂を除いて、敷地は全焼したのでした。
 
病院見学に来た小学生たちに、この火事の話をしたことがあります。病院の隣にあって、火災の夜には、罹災者の避難所となった学校の子どもたちです。地域の歴史学習として病院に話を聞きに来たのでした。すると、教会堂が残ったのだという話を聞いて、ある男の子が叫びました。「すごい、奇跡だ!」と。「教会だけ残ったなんて、やっぱり不思議だ、奇跡だ」というのでしょう。
その言葉を聞いて、私は阪神淡路大震災の時、カトリック鷹取教会(現たかとり教会)で起きた「奇跡」のことを思い出しました。激しかった長田区の火災が教会の前にあったキリスト像のところで止められたという話です。マスコミがさかんに、これを「キリスト像の奇跡」として取り上げた中で、神田裕(ひろし)神父が「ちがうで。あの火事を消したんは人や」と言い、救援に集まった人たちの姿に似せて、そのキリスト像にヘルメットや軍手をつけ、ロープを持たせ、足下にツルハシを置かれたことです。キリストは、ぼっと立っているだけでなくて、その働く人々の中におられたと。
病院の「奇跡」も同じだったのではないかと思いました。その時も、遅れた消防隊に代わって消火活動に集まってくださった地域の人たちがあったのです。教会堂は遺体の安置所となり、また救援本部となりました。この教会を焼いてはいけない。その一念で防火・消火に当たってくださった方々がありました。
60年経って、私に証言してくださった方があります。今は衣笠ホームでお暮らしになっておられる方です。こうおっしゃるのです。
「あの夜、自転車で行ったよ。もう熱いなんてもんじゃないけど、必死で消したんだ。みんなの病院だからね。みんなで育てた病院だ。頼りにしてるんだよ。忘れないでもらいたいね」
「みんなの病院」と言われるのですね。おそらく、その思いは、犠牲者・殉職者への追悼と共に、当時たくさんの人々に共有されたのではなかったかと思うのです。火事を出した病院に対し、なんとご遺族や地域の方から「再建して欲しい」との声が起こり、たくさんの署名や寄付が寄せられたのも、そんなところからでしょう。中には子どもたちからの小さな献金もあったと言います。
そして衣笠病院は復興しました。16名もの犠牲者を出した悲劇は地域の人々と分かち合われて、「だからこそもう一度、いのちに向き合う働きをせよ」との声に繋がり、病院は再建されたのです。痛みと悲しみを通じて、改めて「みんなの病院」になったとするなら、その「復活」の奇跡の大きさを思わされる気がするのです。
 
さて、今日ご一緒に読みますのは、復活後をなしたイエスが弟子たちと出会い、再び彼らをその働きに任じ、世に向かって派遣していく、という場面、マタイによる福音書の最後の箇所でした。28章16節。
 
16さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 17そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
 
11人というのは、当然、ユダがいないからです。仲間であったユダは、絶望して自ら命を絶ってしまったのでした。11人はイエスの言葉に従って、ガリラヤに戻って、山に登りました。
彼らは「山」に思い出がありますね。たくさんの群衆と共に彼らがイエスからその圧倒的な教えを聞いたのは、山の上でした。この福音書の5章から始まる山上の説教では、その冒頭で、イエスは「悲しむ者は幸い」との言葉を告げられました。11人は、その言葉を思い出しながら、彼らの痛みの慰めを山に求めたのかもしれません。彼らははっきり知っていたはずだと思うのです。ユダだけが「裏切り者」であったわけではないということです。彼らは誰もが皆、あの晩、キリストを否んだのでした。「イエスなど知らない」と言ったのでした。彼らはその思いを味わいつつ山に登り、そしてそこで、復活のイエスと再会することになったのだと思うのです。
どこか肩を落としたようであった11人。その彼らに対して、今は、イエスの方から近寄ってこられたと言います。18節。
 
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」
 
ここに、「洗礼」が出てきます。キリスト教への入信儀礼を、私たちは「洗礼」と呼んで継承しているわけです。教会がなぜ洗礼を行うのかというなら、それは、このとき、キリストがそのことをお命じになったからということに他なりません。キリストの持つ権能が、その「大宣教命令」によって教会に委託されているわけです。
しかし、「洗礼」という日本語を用いるとき、私たちはいつの間にか水で体を洗い清めるようなイメージを抱いていないでしょうか。ひとり禊ぎを経て、世に訣別し、罪と無縁の清浄な体にされる感覚です。
2015年に世界遺産となった「アル・マグタス」という旧跡があります。ヨハネ福音書の「ベタニア」に当たると推定され、イエス御自身が洗礼を受けられた場所だとされています。そこを流れるヨルダン川は、周囲の泥灰岩で出来た丘陵地を浸食して流れ着いているために薄黄色く濁っているのだそうです。日本で人々が手水舎に求めるような清水ではないのです。
そう考えると、イエス御自身は、そのような「濁り」の中に身を浸すことをこそ、「洗礼」の範型とされたのではなかったかと思うのです。「洗礼」のギリシア語での原語「バプティスマ」は、「(水に)浸すこと、沈めること」を意味する単語です。ですからそれは、ただ「洗う」というのとは違って、むしろこの世の泥、混乱、濁りを見つめながら、その中に身を浸し、共に労苦することへの招きでもあっただろうと思うのです。私たちは、そこでこの世の窒息しそうな痛み、悲しみ、苦しみを分かち、他者と連帯することを求められます。そしてまた、自分たちも悲しみや欠けを抱えた存在の一人なのだということを自覚しつつ、痛む隣人たちと一緒に生き直すことへと、洗礼のしるしは一人一人を派遣するのです。「お前さんたちは、自分の罪を深く知ったであろう。そしても今も苦しんでいるであろう。だからこそ、ここから出掛けて行きなさい。今この時代、あなたたちと同じように、どうにもならないしがらみや重荷に苦しめられている人がいる。だから、そこへ行って、その泥に身を浸し、分かち合ってあげなさい」 —— そうやってキリストに押し出され出掛けていくとき、こうして、共に労苦するものとしての教会が誕生していくのだろうとも思うのです。
 
衣笠病院のチャペルには、「復興記念室」という別名がつけられています。月曜から土曜まで毎日礼拝が守られているその部屋は、60年前の火災のメモリアルホールでもあります。
正面に十字架が掲げられていますが、その両脇には8本ずつ、床から天上に繋がる柱が刻まれています。亡くなった16人の方々のことを、病院が決して忘れることがないようにするためです。この部屋に座る人は、だれもが、亡くなった方たちの真ん中にキリストがおられることへと思いを馳せます。そして、あの夜、一人でも多くのいのちを助けようと必死になってくださった方々や、その後の復興に尽力しくださった地域の人々の真ん中に、やはりキリストがいてくださったことを噛みしめるのです。
衣笠病院の歴史には、自らの欠けが生み出した悲しみの出来事が刻み込まれています。だからこそ、そこからの復活を思うとき、その傍らに連帯すべきいのちが、今日も再び与えられていることの恵みと使命を感じさせられます。
私たちには、誰の人生にも、その弱さが生み出した悲しみが刻まれているのではないでしょうか。私たちは自分の歩いてきた道のりを通して、その濁りを知る者とされてきました。私たちはもう、己を誇る生き方を続けられません。しかしだからこそ、そんな私たちに向かってキリストは告げられます。20節。
 
「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
 
それぞれの欠けや限界を、一緒に担い、働いてくださる方の姿がここにあります。復活のいのちに与った私たち。だからこそ、その方を真ん中にして、共に隣人の苦しみのために労する者となるように。洗礼の恵みによって教会の交わりに置かれた私たちは、その喜びを味わいつつ、今日も互いに励まし合うその群れでありたい、とそう願うのです。

2022年5月8日

「主と共なる日々」
使徒言行録1章1〜11節


 ルカ福音書の第二巻目といわれる使徒言行録の冒頭には、この書が「テオフィロ」という人物に書き送られた手紙であることが告げられています。テオフィロとは当時のローマの高官ではないかと推測されていますが、実際は分からず、古いローマの記録を探してもそのような人物は見あたらないそうです。
 著者であるルカは福音書の冒頭部分で、なぜ記録を書き残すかということを語っています。それは「私たちの間で、実現した事柄について」、更には「物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手をつけている」と云っています。
 実際、イエスについての記録、またその後の弟子達の記録は聖書に納められているものだけではなく、実に多くの記録が存在しています。それらは今お持ちの聖書を正典とするのならば、外典、偽典と呼ばれています。それらはイエスの奇跡だけを集めたものや、少し信仰の捉え方の違ったものなど実に様々です。ルカはイエスの出来事への集中と共に、イエスによって力に満ちあふれた弟子達のその後の歩み、教会の歩みを描いていきます。
 私たちはともすると、自分勝手な理解や自分に限定された救いになりがちです。当時、ルカはそのような傾向を危険視したのではないかと思われます。信仰的に熱いものを抱くということも大切なことですが、その熱は熱ければ熱いほど個人的なもの、狭いものとなっていったのではないでしょうか。それが証拠に、弟子達は使徒言行録の1章6節で「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と質問しています。イエスの十字架という出来事を経験し、更にイエスの復活を経験したにもかかわらず、彼らは救いをイスラエルに限定しています。救いを喜びを自分たちに限定しようという姿があります。ルカはイエスの生涯、十字架と復活の出来事から起こる神の業は、人間の思いを打ち破り、世界に広がり行くことをこの書を通して語ろうとしているのではないでしょうか。それがルカの描く使徒言行録の世界への広がり、信仰のダイナミックに躍動する姿があります。
 ところで、イエスがこの世に下られイエスが誕生される日がクリスマスであり、その前の期間を教会ではアドベント・待降節として「待ち望む」期間を過ごします。聖霊が下り教会が誕生するペンテコステに際し、その聖霊を待ち望む期間がこの使徒言行録には記されています。いわば、エルサレムにて聖霊を待ち望む期間がアドベント的に語られています。
 さらに注目したいのは、他の福音書はイエスの復活がガリラヤであったり、エマオ途上であったりですが、ルカはイエスが天に昇られ、聖霊が下るまでの日々が全てエルサレムで起こるように設定しています。イエスがいなくなっても、なおエルサレムに留まり続けることを弟子達へと促しています。
 エルサレムとはイエスの受難、十字架と復活の場でありました。そこはイエスの苦しみと死の場であり、しかしそれを打ち破って喜びをもたらす復活の場でもあります。エルサレム入場から苦しみを受け、十字架に架けられたイエス、それは十字架の死に象徴される苦しみと痛み、悲しみと弱さ、貧しさそのものです。そこで復活をされ、イエスはさらにそこから天へと昇る様をルカは描きます。私たちは、あの弟子達も全てはここから始まって行ったことに注目しなくてはならないと思います。ルカの伝える使徒言行録における弟子達の変貌とその力強い歩みは、破れと弱さの象徴であるエルサレムに留まり続けることを通して始まって行くということです。それは人間の罪、愚かさ、弱さ、醜さに神の出来事が起こるということです。
 私たちのエルサレムとは一体なんでしょうか。人を愛せないという思い、受け入れられないという狭さ、何よりも自分のことを第一に考えてしまうという自己中心さ、辛さ、苦しさ、悲しいこと、弱い自分を見つめること、それが私たちのエルサレムではないでしょうか。そこにイエスの復活と共に日々を過ごされるイエスという出来事が起こることをルカは語っています。私たちのエルサレム、そこでイエスは私たちの苦しみを背負い祈られた、私たちの愚かさを思い十字架へと歩まれた。私たちを神の愛と力に満たして下さると約束され、日々を過ごされるイエスが記されているのです。
 信仰の力、教会の力、イエスを証してゆく力は、その自らのエルサレムに背を向けないで、離れないで現実にしっかりと目を向けて、神よどうぞお力を与えて下さいとの祈りを会せてゆくことによって与えられていくのです。ルカ版復活とは、信仰者が結び合わされ共同体へと強められてゆく様、祈りの結実による主の身体なる教会の生命線を語っているのです。
 さて、初めにも申しましたが「テオフィロ」という名前について、もう一度触れたいと思います。テオフィロという言葉は、聖書の言葉でテオス=神、とフィロウオウ=愛するから成る「神に愛された者」という意味の言葉になっています。つまり使徒言行録とは神にイエスに愛された全ての者に当てた手紙なのです。ルカは福音書のはじめにもテオフィロという名を記しています。これは「あなたは神様に愛されたのだ、だからこのような事柄が私たちの間に起こったのだよ」、ルカはこれを使徒言行録でもう一度繰り返し語っているのだと思います。神はあなたを愛された、だからイエスの降誕がおこり、人々の間に入られ十字架に進まれる、今また、私たちを愛されるが故に私達のエルサレムに主は共にいて下さるのだと、ルカはそのようにこの書を貫き通しています。私たちもすでに神に愛されてイエスの出来事を示されたものです。そうした私達は、これからも神に愛されているが故に、守導かれてゆくことを、ペンテコステを前にしたこの時に示されたいと思うのです。
 過る日イースターを終え、今私たちは聖書的に表現するならば、使徒言行録の冒頭部分に立っています。私たちのこれからも、弟子達のように困難が待ちかまえているかも知れません。けれども、私たちは神に心から愛されている一人一人です。神はきっと、ルカ福音書から使徒言行録の中へと私達を生かし、神の器として用いて下さることでしょう。それがルカの伝える主と共なる日々ではないでしょうか。弟子達のように、皆で心を合わせて祈りあう教会の生命線に、今この時、私達も立ち戻っていきたいと思うのです。

2022年5月1日

「執り成しの主」
ヨハネによる福音書21章15~19節


  イエスの12弟子の中で代表的な存在でもあるシモン・ペトロはベッサイダの出身で、漁師でした。イエスと出会う前は、兄弟アンデレと共に荒野の預言者「バプテスマのヨハネ」の集団に属していたと云われています。しかし、イエスの招きに応えて最初の弟子となっていきます。イエスへのファリサイ派や律法学者による迫害と追求が厳しくなる中で、ペトロはイエスを「メシア」(キリスト)と告白し、弟子としての覚悟を鮮明にします。しかし、イエス逮捕後、鶏が鳴く前に三度イエスを拒絶し、その関わりを自ら否定してしまいます。ペトロは、イエスに対する大きく躓く人物として福音書の各場面に登場してきます。そしてイエス復活後、立ち上がった初代教会の指導者として重要な役割を果たしていきます。パウロとの食物規定の論争後、初代教会の歴史から姿を消し、晩年はローマに滞在し、ローマの皇帝ネロのキリスト教徒への迫害の時に殉教を遂げたと言われています。 
 今朝の聖書ヨハネ福音書21章15~19節は、「年をとると、両手を伸ばし、他の人に帯びを締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(18節)とあるように、ペトロの殉教が暗示されています。ヨハネ福音書の著者は、明らかにペトロがローマで殉教したことを知っている人物です。物語全体としては14節までの復活後の「イエスの顕現物語」の続きに位置し、21章は後世に加筆された部分です。本来、ヨハネ福音書は20章31節で締めくくられていましたが、新たな復活の顕現物語を書き加えています。おそらく、ヨハネ福音書の時代は厳しくなるユダヤ教との対立とそれに伴う迫害の下、イエスへの信仰を失い教会から去るものが沢山出たのでしょう。その様な状況下、ヨハネの教会には幾たびかイエスの復活の顕現物語を語り読み続けていく必要があったのでしょう。そんな中、21章はペトロとイエスの関係を彷彿させつつ、何度も躓きかける者を励ますように物語が綴られています。
 復活のイエスはペトロに対して、「ヨハネの子シモン、私を愛するか。」と三度繰り返し尋ねていきます。イエスを「三度知らない」と否んだあのペトロの躓きを意識して、この問いが投げかけられています。ここにペトロの挫折と失敗を受けとめながら、再度ペトロを立ち上がらせていくイエスの執り成しが込められています。と同時に、このイエスの招きは「この人たち以上に」との言葉のように厳しい問いかけになっています。「この世の他のものに優って」イエスを愛することが求められているからです。さらに、三度目の「愛するか」の問いは「フィローオウ(好きか)」というギリシア語が用いられます。一回目と二回目の愛するかとの問いは、「アガポー、アガペー」という神の愛が使われます。三回目の問いはアガペーではなく、人間的な愛をもってイエスがペトロに問いかけています。明らかに二回目までの問いと三回目の問いは違っています。これはペトロに対してイエスが非常に人間味溢れた接し方をしているといっていいと思います。イエスは三度目の問いに、ペトロへの深い愛情を込めているのです。
 このイエスの三度の問いに対して、ペトロは「はい」と応えていきます。そして、イエスは「私の羊を飼いなさい」との派遣命令を出します。信徒の群れ、教会において、ペトロを執り成しの業に就かせます。ペトロにとってこの働きは、おそらく自信に満ちたものではなく、挫折し失敗した自分にとっては、とても荷の重いものであったはずです。イエスの復活はペトロにとって、挫折後、失敗後の出来事です。自信は無いし、力も無いし、信頼も無いしと、無い事づくめであったことでしょう。
 話は変わりますが、明石家さんまさんという人気お笑いタレントがいます。この「さんま」をもじって、最近の子供達の生活を「さんまがない」というそうです。時間、空間、仲間という「三間」が無い事だそうです。勉強や塾で遊ぶ時間がない、遊ぼうと思っても広場や空間が無い、そして大勢で遊ぶことが出来るほどの仲間がいないそうです。明石家さんまさんは人気者でテレビに出っぱなしなのに、子供達の生活には「さんまがない」というのは、いかにも皮肉なことです。
 小学校で飼っているニワトリやウサギ等の小動物が残忍な方法で殺されるといった事件や、野良ネコが虐待され殺される出来事が各地で起こっています。中には大人の手による事件もあるようですが、大部分は子供達の起こしている事件だそうです。社会派ジャーナリストの高杉晋吾さんという方が「子供達に何が起きているのか」(三一新書)という著書の中で、次の様なことを語っています。「子犬を飼い、猫を飼った時、子供が子犬や猫に優しくした時には、子犬も猫も喜び、しつこく悪さをした時には、逃げたり怒ったりし、そうした生き物達の姿に自分と共通する感覚を発見する。異質な姿の中に自分との共通性や命の同等性を見い出して行く。この異質性と同等性の確認は、人間と人間との関係を結ぶ基礎である」。
 時間、空間、仲間がないというのは、こうした人間と人間との関係を生み出して行く命との出会い、媒介が極めて少ないという事なのでしょう。人間は様々な事柄や命に出会い、それを共有することによって他者との関係を模索します。そこでは事柄や取り組みの共有、時間、空間の共有、とりわけ命、人との関係が重要な媒介となっていきます。
 イエスは、自信が無い、力も能力も無い、信頼も無いと、無い事づくめであったペトロを招きました。その招きは、アガペーと云う高次元の神の愛ではなく、フィロスという人間的な愛でした。イエスご自身が無い事づくめのペトロを多くの人々に繋げて行くための媒介となられたのです。二回目までの問いが、神という異質性の確認であったのならば、三回目の問いはイエスご自身とペトロとの人間存在に立った同等性の確認であったのではないでしょうか。
 復活の主が媒介となり押し出されて行ったペトロは、多くの人々と共にイエスへの信仰を共有する時間と空間と仲間を得て行きました。それは失敗し、挫折する者に、なお迫るイエスの執り成し抜きにはありえない人生でした。
 今もなお、復活の主は私たちに向かって問うています。「わたしを愛するか」、この問いかけに励ましを受けながら、私たちも主の招きに応えていきたいと思うのです。

2022年4月24日

「恐れのただ中に」
ヨハネによる福音書20章19~23節


 イエスが甦られた時「弟子達はユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にカギをかけていた」とあります。イエスが十字架にかけられ殺された。そして、今まさに、ユダヤ当局の手が自分たちにまで及ぶのではないかと、恐怖に震え、彼らは密かに隠れていたのでしょう。そんな彼らは、見ないで信仰を得たのではありません。十字架の痛ましいキズをイエスに見せてもらい、初めて信じることができました。そして最後に、主の復活を信じた者がいます。トマスです。彼は、弟子達が復活のイエスに出会った時にはいませんでした。トマスは「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。」と言い張りました。なぜでしょう。多分、トマスは「なぜ、他の者には現れて自分には姿を見せないのか?」と悲しんだのでしょう。彼は孤独の中で一人願っているのです。そして、何よりも、弟子達を始め、最後までイエスに従っていた女性たちも、愛するイエスを失った絶望感、それは愛すべき者がいないという、愛の喪失の中にいます。孤独と絶望と恐怖、愛の喪失が皆を襲っていたのです。ですからトマスも単に疑うという思いだけの中にいるのではありません。
 更に、復活の主がトマスに臨んだ聖書の箇所、26節に注目したいと思います。イエスに出会ったはずの弟子達は、再び家にカギをして閉じこもっているからです。信じたはずの彼らです。しかし、その信仰よりも恐怖の方が勝っていたのです。恐れの中で彼らは再び震えおののいています。イエスを十字架にかけたという死の恐怖が、今度は自分たちに向けられている、彼らが閉じこもっている家は、いわば死の恐怖が支配する世界なのです。
 イエスの十字架に現された人の身勝手さ、醜さ、弱さ、貧しさ、深い罪に、弟子達の信仰、希望、愛が破壊されています。そればかりか命を飲み込もうと死の力が彼らを襲おうとしているのです。
 よみがえりの主イエスは、そんな閉ざされた世界へと来られました。見なければ、体験しなければ、触れなければ、信じることも、生きることもできず、孤独と悲しさと恐怖、死の支配する世界に閉じこめられる私たちへと、主イエスは十字架の痛ましいキズを持ったままで来られたのです。
 石黒美佐子さんという方が「麻意ね、死ぬのがこわいの~死を問い生を見つめた少女」(立風書房)という闘病記録を書かれています。これはご自身のお嬢さん7才の麻意ちゃんの3年間にわたる苦しい闘病生活のことを綴ったものです。
 病魔に襲われ様態が悪化する中で、少女は苦しみつつも見えない神様に必死になって祈ります。しかし「神様はどんなに頼んでも、麻意に力を貸してくれないの」と、少女はむなしさと共にあきらめにもにた絶望感を抱きます。様態はますます悪化し、苦しみの中で少女は闘病の果てに自らの死をも自覚するようになります。「死ぬのが怖い、死ぬのが怖い」、痛みや苦しみに伴う死の恐怖が少女を襲います。
 「神様はどんなに頼んでも、麻意に力を貸してくれない」、暗闇に死の恐怖に閉じこめられた少女は、しかし絶望の中で一筋の光を見出していきます。両親の看護、命の極みの中で交わされる家族の、愛する者たちの一言一言の祈り、「神様のそばに行くということは、子羊のようにイエス様にだっこされることなんだよ」、死の恐怖が愛する者たちを襲う世界に復活のイエス・キリストが立ち、天来の愛で包み込んで下さる、少女は「イエス様にだっこされる」ことを望み見ながら3年間の闘病生活を終え、天へと旅だって行きました。
 病との闘い。それは闘病と表現されます。戦いであり、勝利か敗北と私達は考えます。しかし精神が、魂が、心が、病に食い尽くされることを、キリストにある愛は、赦しませんでした。かえって病を通して、再び親子が信仰と希望と愛に、固く結ばれてゆく日々へと持ち運ばれたのです。
 3年間、病室で共に祈り合うご家族の姿、共に手を取り合って祈る祈り、結ばれた手と手のぬくもりを通して、麻意ちゃんは家族の愛を、そしてキリストの復活の力を豊かに受けていったのでしょう。
 この闘病の記録は、死を前にした人間の、本当の喜びと悲しみ、愛と涙を共有する絆が、神の愛にあって、本当に深められることを、私達に教えています。それは「死ぬはずのこの身に、イエスの命が現れるために」。まさに言が肉となって現れる、死をうち破る復活の神の出来事なのではないでしょうか。
 信仰を持つということは恐れや不安や悩みや悲しみがなくなることではありません。イエスは十字架の死の前に「私は死ぬばかりに悲しい」とまで絶望の叫びを挙げました。しかしそんな死を恐れるイエスに、復活の命が宿っていったのです。
 死の恐怖に支配された弟子達にイエスは「息を吹きかけ」ました。神が人間を創られた時に「命の息を吹き入れられた」ように、弟子達は新しい命を得て、希望に満たされ歩み始めます。彼らは困難の中で涙を流すことがあっても互いに祈り合い、そして助け合い、皆が支え合って生きる教会の基を据えていきます。
 私たちの生活や歩みを襲う恐怖、不安、痛み、悲しみのただ中に、神がイエスという希望をおいて下っていることを、私たちはもう一度、深く心に刻み込みたいと思います。

2022年4月17日

「先立つイエス」
マルコによる福音書10章32~34節


 「イエスと弟子たち」、この両者の関係や関わり方を示す幾つかの言葉をマルコ福音書から取り上げることができます。一つは「従う」(1章16~20節)です。イエスの呼びかけに応じ、仕事や故郷を後にして従った弟子たちの姿を表現します。
 次に「連れて行く、伴う」(9章2節)です。ガリラヤ湖畔を連れ立ち、山の上へと誘い、ゲッセマネの園へと連れて行かれました。イエスはいたるところを旅しながら、弟子たちを伴われました。
 更に「傍におく」(3章13節)です。イエスが弟子たちを選ばれたのは、何よりも弟子たちをご自分の側に置かれるためでした。「共にいる」という表現もあります。
 いずれも、イエスからの招きがその前提となっています。そして、もう一つ上げるとするならば、「先立つ」(10章32節)との言葉です。これは今朝のマルコ福音書の箇所と共に、ヨハネ福音書の10章には「自分の羊を連れ出すと、先頭に立って行く」(ヨハネ10:4)と記されています。この言葉を旧約聖書の詩編23編と合わせて読むと、とても印象的です。 
 マルコ、マタイ、ルカといういわゆる共観福音書は大きく分けると、前半のガリラヤでの活動と後半のエルサレムにおけるイエスの受難という具合に二つに分けて捉える事ができます。後半部分の受難とは、逃げ回るイエスに無理に十字架を背負わすのではなく、自ら十字架に向かうイエスが描かれます。
 そして今朝の箇所は、イエスが弟子たちの先頭に立って導いていく。そして、その背後から、先に行くイエスの姿を見て、「驚き」「恐れる」弟子たち。このようなイエスと弟子たちの関係が述べられています。弟子を先導するイエス。自らが率先して、ある決意を示す。そのイエスと弟子の関係をマルコ福音書は「先立つイエス」と表現しています。この個所は、エルサレムに向かう途上で、弟子たちを呼び寄せて自分の受難予告をする物語です。これで三度目の十字架に引き渡されるとの受難の予告、さらに復活の予告となりますが、その物語の中で「先立つイエス」を描いているのは、このマルコ福音書だけです。 
 イエスが先立って導かれるのは、「緑の牧場や憩いのみぎわ」といった平安や幸福ばかりではなく、苦しみや重荷、あるいは「死の陰の谷」でもあります。そんな「先立つイエス」の様相に、私たちは一つの決死の覚悟と、誰からも理解されない孤高の姿を見ます。それは、十字架の死へと進まなければならないイエスの決意の表れでもあります。
 そのようなイエスの受難の姿に触れる時、私たちは「とてもではないがついて行けない。それはちょっと無理だ」と思います。自分にとって可能なことと不可能なことが頭をよぎります。ですから、よく言われますように、福音書に描かれている弟子たちの姿は、即、私たちの姿を表していると、私たちは誰もがそううなずかざるを得ません。この「先立つイエス」の姿は、その後のペトロを始めとする弟子たちの躓き・離反と復活の予告(14章28節)、さらに、その確認としての言葉(16章7節)である「先にガリラヤに行く」との言葉に対応しています。 
 そんな「驚き恐れる」弟子たちの様子を見るとき、そこには、先導者と後からしか従えない弟子の姿あります。人間の可能性と、恐れのあまり人間には不可能な事柄とが対立的に表現されています。それはすなわち、埋めようのないイエスと弟子たちとの深い断絶を見ます。
 岩波書店から出ている「新約聖書」では32節が次のように訳されています。「イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは(のべつ)肝をつぶし、従う者たちは絶えず恐れていた」。弟子たちは肝をつぶし、イエスに従った者たちは絶えず恐れに震えていたとの描写がなされています。この描写は、神と人間との深い断絶ではないでしょうか。
 しかしこれは同時に、あのイエスが先頭に立ってしか神と人との和解はありえないとのマルコの視座があります。受難のイエスしか、私たちを執り成すことができないという、マルコ福音書の信仰告白なのかも知れません。イエスだけが私たちを先導する存在であるというマルコのイエス像があります。 
 経済学者の正村公宏(まさむら きみひろ)さんという方が新潮社から「ダウン症の子をもって」(新潮社)という手記を出版されています。ご自身の家庭での日常生活を綴られたものです。自分の事柄だけでなく、家族も辛く苦しい歩みをしなければならない時がある。そんな体験を日記などに書き記す際には、重苦しい日々に引き戻される気持ちだと思います。苦悩の刻一刻を追体験することに等しいことかも知れません。正村公宏さんのお子さんの名前は隆明(たかあき)君と云います。手記には、家族が輪となった際の次のような日常が記されています。 「私たちの家族は、よく食事のときなどに『今日、隆明がこんなことをやっていたよ』というようなことを話題にしている。私と家内は『これで連絡帳のネタができたね』と笑いながら、忘れぬように黒板にメモをしたりする」。
 子供の「しょうがい」という重さの中で、綴られていく生活の言葉は、幸せであるとか不幸であるとか、良いとか悪いとかではなく、全てが混在する人生のありのままを受容しているようでもあります。子供の「しょうがい」の重さを知りつつも、なお教育や成長の可能性を求めている家族の姿を示されます。「健常者」と「しょうがい」者の間にある断絶、不可能な事柄を乗り越えようとする記述が、正村さんの手記には淡々と綴られています。それは愛ゆえの、子どもの未来と思う、子どものこれからを祈る先立つ魂の叫びかも知れません。
 「先立つイエス」の姿、それはイエスと弟子たちとの、同時にイエスと私たちとの距離と断絶を示しています。人間の可能性と、人間の限界を表す不可能性かも知れません。しかし、私たちを愛するがゆえに、立ち止まりそうな、諦めそうな私達の歩みの中でも、常に私たちの前を歩み、先取りした苦難を受け、執り成して下さるイエスが告げられています。
 恐れの中で閉じられて行く人間の可能性、失われていく生きる喜びを、先立つイエスは開かれて行くのです。断絶や困難を乗り越えて、恐れを信仰にかえられるイエスは、私たちを未来の可能性へと連れて行かれるのです。私たちをその側に置かれ、先立って招いておられるのです。
 私たちは「先立つイエス」の姿にこそ、慰めと励ましと喜びの可能性を得ていきたいと思います。

「ここから出かけよ」
ヨハネによる福音書14章25~31節


 イエスの長い告別の説教は、弟子達が辛い体験、そのプロセスをもう一度振り返るという視点でヨハネ福音書に挿入された箇所です。グリーフワーク、悲嘆のプロセスを経て行くという心理学的にも大切な過程を踏んでいる箇所でもあります。
 直前の聖書の箇所13章36節に、弟子集団の中心人物であったペトロが「主よ、どこへ行かれるのですか」と問いかけている箇所があります。これは大変有名な聖書の箇所で「クオバデイス・ドミネ」、ハリウッドの映画「クオバデイス」の題名になった聖句でもあります。「主よ、どこへ行かれるのですか」、弟子達を愛するがゆえに先立って苦しみを受けられる主の姿が表現されています。さらに、14章の31節では「さあ、立て。ここから出かけよう」とイエスは、これから自らの貧しさ、人間の弱さを味わわなければならない弟子達と、共なる出発の宣言をされています。
 この後、彼らは十字架と復活のイエスの前で、いやというほど人間の弱さや貧しさを見ました。自責の念にかられました。仲間を許せず、恨みを抱いた者もいたことでしょう。ユダの葬りに関しては、空しさややりきれなさを憶えたことでしょう。イエスの言われた、教えはどこにあるのか?平和はどこに残されているのか?重苦しい雰囲気の中で、誰もが問い、訴えたことでしょう。長いイエスの告別説教の後、弟子達を襲う現実はまことに人の愚かさや弱さを露呈してゆきます。
けれどもその前に注目したいのですが、この聖書箇所の直後に、イエスは祈られます。他の福音書では「ゲッセマネの祈り」と題されている箇所です。その後、いよいよ弟子達に裏切られ、否定をされて一人孤独に十字架に付くという記事が続いてきます。弟子達はチリジリバラバラ、それぞれが散らされて混乱する結果となります。
 エレミヤ書6章16節にこんな言葉があります。「さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ。どれが幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ」。エレミヤ書の背景には人々が私利私欲に自分勝手に生きていたという状態があります。神の言葉を預かった若き預言者エレミヤは嘆きの中で人々に語ったというのがエレミヤ書の背景です。
 16節の「わかれ道に立って」とのわかれ道は、皆さん当然「わかれ道」を思い起こしていただけますと分かるように、道はいくつにも分かれているものです。当然、聖書の言葉もここは複数形で表現されています。「よく見よ」という「見よ」とは、「自分の置かれている現実を現実として知ること、受けとめること」です。
 主はエレミヤに望んで「良い道がどれかを尋ねて」といいます。進もうとする道、神への応答と言えると思います。その応答は、人それぞれです。讃美をもって応答する者、奉仕をもって応答する者、讃美の仕方、自らを捧げてゆく奉仕の姿という、各々の信仰の応答の仕方は、いわば複数です。十人十色であってよいと思います。
 浅野順一という牧師がこのエレミヤ書について「自己の偽りに破れつつ、神の真実に支えられる」書だと表現しています。
 エレミヤの語る「いにしえの道」も破れ多い旧約の民の道です。出エジプトの人々の歩んだ道は、けっして神の御旨にかなった歩みではありませんでした。神の導き、解放を恨むような身勝手さをも人々は見せました。いずれの道も、人の弱さや貧しさ、愚かさを露呈する道でありました。そんな罪なる過程であったと思います。しかし、それを支える神の真実こそを、今、私達一人一人は確認をする時、気づく時ではないでしょうか。良く見るとは、そんな自分たちの破れを見つめること、しかし、それを越えていつも支えて下さっていた神の真実に、皆が気づくことではないでしょうか。
 イエスの十字架を前に、混乱と深い自己の弱さ、己の悲しさを経験した弟子達は、イエスの復活後、12弟子それぞれの道が、本当に破れ多き歩みであったことに気づきました。しかし、それぞれがイエスの十字架と復活を起点(基点)として自らを省みたとき、そこに、深いイエスのとりなしの祈りが捧げられていたことに気づいたのです。誰もが負いきれない十字架の死をもって、全ての者の上に十字架の死を通しての赦しが注がれていたことに気づいたのです。イエスの祈り、十字架の死、それは神の願い、神の涙が、人間に重ねられていたのです。その神の注がれる涙が、ペトロを初期キリスト教会の中心人物として立たしめてゆきました。他の弟子達もまた、迫害にあっても勇気をもって進み行く、そんな信仰へと強められて行ったのです。
 イエスは言われています「私が父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである」。神はイエスの出来事という真実をもって、私達を支えることを、自らお望みになっていたのです。弟子達が経験した苦しみや悲しみという道は、イエスの十字架へのプロセス、過程でありました。それははじめ理解できず、受け入れがたいものでありました。苦しむ、悲しむ道であったからです。自分の描く事柄が崩れさる事でもあったからです。しかしそのプロセスこそが、自分たちのいやしであり、成長と真の喜び、新しく生まれ変わることへの大切なプロセスであったことを弟子達は知るようになったのです。
 私達のために、神は、はじめからそのことを望まれていた、私達の真の喜びのために、イエスをこの世へと送られ、十字架へとかけられたのです。
 後悔に苦しむ裏切りの涙、悲しいまでの自分たちを悔いる姿が、真の一致の喜びに変えられて行きました。無理解であったために人を捨て、孤独にしてしまった私達の弱い姿、わたしたちのそれぞれの道のり、しかしそんな破れを支える神の真実こそがある、強く立ち上がってゆく神の支えがある、主イエスの十字架による赦しと救いの宣言にもう一度、私達が立つ時、あの古代教会の躍動する神の出来事の豊かさへと導かれてゆくのではないでしょうか。私達の教会は、そんな古代教会の豊かな信仰の証を、もう一度、この世に示しなさい、そう神様から命じられているのではないでしょうか。

「主の招く声」
ルカによる福音書9章18〜27節


  福音書は、イエスの歩みを通して、神との出会いが証さていると言えます。イエスと出会った人々が、自らの内に起こったことを、揺り動かされたことを、様々に考え、書き残した記録であり、それぞれが置かれた状況での信仰の告白であると思います。これを手がかりとしてイエスの行動と教えとを読み解いてゆく、いかに自分の現実に引き寄せてゆくか、それが現代に生きている私たちがイエスと出会うということです。
 イエスが活動した時代はローマ帝国の支配下に於かれていました。しかしイスラエル民族には一つの約束が与えられ、彼らはそれを待ち望んでいました。それは神が自分たちに送られる救い主、メシヤの到来でありました。そこに「神の国は近づいた」との宣言をもってイエスは現れました。人々の意識はたぶん高まったことでしょう。
  けれども逆に、この希望の星であるイエスを、次第にわずらわしいと人々は思いはじめました。当時のユダヤ教の祭司や律法学者は始めからイエスの行いや発言が、どうも自分たちの立場や見解とズレている、あいつは目障りだと、イエスに対して批判的でした。そして、もう一つ、彼らはローマ帝国と繋がりながら身の安全を謀っていたからです。同じ民族の中で抑圧する者と抑圧される者を生み出します。人は人に疑いをもち、信じ合うことができなくなります。危険な状況下で、当のイエスは何を見たのでしょうか。それは人々の乾ききった魂、潤いのない生活だったと思います。また、人々がぶつけ合う様々な思惑の中で、貧しい暮らしを強いられている者、差別を受けていた人々ではなかったでしょうか。力と力の衝突の中では、力のない者・弱い者は必要とされません。イエスはそんな、苦しむ多くの人々を見つめていたに違いありません。
 イエスの登場は確かに人々に、希望をもたらしたようです。しかし、その希望とは、かなり先入観の入った、いわば誤解した希望のようでした。
 今日の聖書の箇所にも記されていますが、人々はイエスを「洗礼者ヨハネ」とも、「エリヤ」とも、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」とも見ていました。これらは、預言者であり、神の国の支配を告げる者であるとの見方です。つまりイスラエルの人々が独立をし、自分たちが、あのダビデやソロモンの時代に例えられる華やかな、世界の統治者になるという、そのことを預言しているのだと思いこんでいました。
 イエスは弟子達にも聞きました「あなたがたは私を何者だと言うのか」と。弟子の一人ペトロは答えました「神からのメシヤです」。はたして、弟子達は本当に理解をしていたのでしょうか。21節以下に、イエスが弟子達を戒めたことが告げられています。イエスは弟子達を「戒め・・・命じ」ました。戒めるとは「しかる」ということであります。聖書の他の箇所ではそのように訳されています。イエスは自分を「メシヤ」と答えた弟子をしかりました。そして誰にも話さないように命じたのです。イエスはメシヤ・救い主ではなかったのでしょうか?。
 フランスの作家・ジャン・アニィーユという人が「行方不明になった幼児イエス」という詩を書いています。ご紹介したいと思います。
  「行方不明になった幼児イエス」
「幼児イエスよ、あなたはどこにいるのか?  あなたの姿はもう見あたらない。あなたの飼い葉桶はカラになり、そこには牛と馬とロバがいるばかり、私には母親マリヤとヨセフが手を取り合っているのが見え、私には遠い東の国から来た、りっぱな王たちが見える。
 だが、あなたは、私には見あたらない。あなたはどこにいるのか、幼児イエスよ。「私は忘れ去られた貧しい人々の中にいるのだ」
「マリヤは心配でたまらなくなり、あなたをいたるところで探し回る。
 外の羊飼いのところも、馬小屋のすみずみも、中庭では父親ヨセフが呼ばわり、水桶の中をのぞき込む。りっぱな王たちさえも、恐れのあまり青ざめる。皆、あなたを探し、呼ばわる。あなたはどこにいるのか、幼児イエスよ。「私は貧しく、一人ぼっちの病人の中にいるのだ。」
 
 この詩はクリスマスの夜、ベツレヘムの馬小屋で消えてしまった幼児イエスを捜す人々の姿を歌っています。両親であるヨセフとマリヤをはじめ、羊飼いも王たちも、みんながあちらこちらを捜します。探しまわりますが、見つかりません。そればかりか違っていたとため息をつく姿が歌われています。
 このジャン・アニューユの詩は、単にいなくなって、それを心配する人々を描いているのではなく、イエスが生まれたその意味とイエスの歩む方向を、誰も理解していないので、見つけられないということを歌っています。また、別な表現をしますと、誰もがイエスはここではないか、こういう人ではないかという先入観をもって捜し、求めているので、誰も見つけることができない、そう問うています。
 詩の中で「私は忘れ去られた貧しい人々の心の中にいる」、「私は貧しく、一人ぼっちの病人の心の中にいる」と、イエスの声が、繰り返し告げられています。にもかかわらず、違っていたとため息をつく、私たちの、それぞれに都合の良いように、適って欲しいという人間の身勝手さが歌われています。
 私たちは、ジャン・アニューユの詩に見られるように、見当違いの方向を捜し求めているのかも知れません。まったく逆の方へ目を向け、歩んでいるのかも知れません。
 しかし、イエスは私たちが背を向けている方角から、「私はここにいる」と声をかけて下さっているはずです。貧しさと、孤独、無理解の中で十字架につけられてしまった方が私を呼んで下さっているのです。自分だけを見ている人間に、隣人を見なさい、わたしはそこにいると呼びかけて下さっているのではないでしょうか?
 今、私たちは教会のカレンダーでいうレント、イエスのこの苦しみの中からの呼びかけを覚える期間を歩んでいます。毎年レントはやってきます。しかし、それは単なる繰り返しではなく、そのときどきに、自分の考えや見方、思いにかられ人を判断してしまう私を、十字架から呼んで下さっている方がいることに心を向け、思いを馳せる時です。自分の物差しで人を測る私たちお互いが、その声によって、本当に振り向き合うとき、振り返る時、主と見つめ会っていく、人と見つめ会っていく私達へと導いて下さるのではないでしょうか。そして主との出会いが、私達の人生に生来していくのではないでしょうか。

2022年3月27日
 

「逃れる道をも備えてくださる」
マタイによる福音書26章55~56節
コリントの信徒への手紙一 10章13節


 3月は卒業式シーズンです。わたしが勤務しています学校でも、今週は幼稚園、小学校、中学校と卒業式が続きました。私は卒業式で祝祷をする担当なので、毎回出席しました。高校の卒業式は3月1にあり、私の学校では高3が最終学年になるので、いちばん巣立っていくと言う思いの強い卒業式になります。コロナで制限はありましたが、無事にすべての式を終えることができ、感謝でした。
 高3の卒業式では、私ともう一人の聖書科の教師2人で、聖句の入ったしおりを毎年手作りして卒業生にプレゼントしています。最後の聖書の授業で生徒たちにアンケートを取り、好きな聖句とその理由を書いてもらい、その結果いちばん多くの生徒が選んだ聖句をしおりにしています。聖句なのでどれが一番という事でもないでしょうが、中高6年間をキリスト教学校で学んだ生徒たちの心に、聖書の言葉がどんな風に届いているのか、アンケートを読むと興味深いです。様々な聖句が、色々な思い出と共に挙げられます。
 高3生が好きな聖句として選ぶのは、どんな言葉だと思われますか?
 
 今年1番多かったのは「求めなさい、そうすれば与えられる」のマタイ7章のみ言葉でした。毎年多いのは同じマタイ7章の「狭い門から入りなさい」の聖句です。今年は2番目でした。高3は受験生でもあるので、狭き門でもあきらめない、とか、求め続ける、という自分の進路を切り開くぞ、という思いが選んだ聖句に現れるようです。他に毎年生徒から多くあげられるのは山上の説教の中の「敵を愛しなさい」や「明日のことを思い煩うな」と言う聖句、またテサロニケの手紙の「いつも喜んでいなさい、感謝しなさい」の聖句もよくあげられます。そして、もう一つ良く選ばれるのが、今日取り上げましたコリントの信徒への手紙の「あなた方を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです」というみ言葉です。この聖句は高3生だけでなく、他学年でも生徒が礼拝担当する時によく選ぶ聖書の箇所です。
 
 誰にとっても試練は辛く、できれば避けて通りたいものです。でも中高生も傷つきやすい時期でもありますが、成長したいという気持ちも強く、試練を乗り越えることで成長できる、という事もよくわかっています。苦しい時、自分から新しいことにチャレンジしようとする時、「神は真実な方なので、あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはしない」という聖書の言葉に力づけられるのです。そんな前向きな生徒の姿勢を素敵だなあと思いつつ、私は一方でこの聖書の言葉にはずっとぼんやりとした疑問を持っていました。
 それは「耐えられない試練に遭わせることはせず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えて下さる」という言葉です。耐えられない試練は与えられないなら、同時に備えてほしいのは乗り越える力ではないのか、逃れる道が与えられても、試練を解決することになるのだろうかと思ったのです。屁理屈のようなのですが。
 最近読んだ本に、この聖句について説明されていて、とても腑に落ちたというか、納得しました。
 
 青山学院大学の宗教部長である塩谷直也先生が『視点を変えて見ればー19歳からのキリスト教』と言う本を出版されています。この中に「逃げ道」という章があるのです。
 最初に一つの例があげられていました。
 「2017年8月に東京都立特別支援学校の高校1年生の男子生徒がバスケットボールの部活動中に意識不明の重体になりました。8月21日の午後、顧問の男性教員は練習中に規定時間内で校舎の周りを走るように指示を与えました。時間内に走れなかった生徒には罰として,43周分、約19キロの距離を走るよう命じました。その時の気温は32度でした。生徒はその日は体調不良を起こして終了し、2日後に残っていた分をまた走り始めましたが、結局倒れて救急搬送されました。顧問たちは「障害のある子供でもハードルを越えることで育つと思ってやらせた。」と言っているそうです。」実際にあった出来事です。塩谷先生は本の中でこの事件を例としてこんな風に言っています、「日本の教育はまさに「死んでも逃げるな」を形にしている気がします。密室のコーナーに追い込み、逃げ場所を封じ、ハードルを越えさせる教育です。超えられた子供は勝ち組ですが、越えられなかった子供は負け組です。逃げ場を失った子供にとって、最悪の場合、最後の逃げ道は「死」となります。
 聖書の思想は、「この死んでも逃げるな」に対し挑戦します。何故ならその基本姿勢は「逃げてでも生きろ」だからです。死ぬくらいなら逃げる、最後まで生きる道を探せと言うメッセージです。この聖書の言葉の前半部分は確かに『神は背負えない荷物は与えないのだから、追いつめられてもハードルを乗り越えよ』と激励しているように読めます。しかし後半、明確に『逃れる道』が用意されているとも語られています。人生はどんな局面でもどん詰まり、袋小路はなく、逃れる道、抜け道、もう一つの道が用意されているというのです」と書かれていました。私は、これを読んで考えさせられました。私も試練は乗り越えるべきもの、逃げるのはいけない、と言う自分の思い込みで聖書を理解しようとしていたと反省しました。
 
 考えてみると、聖書には逃げた人たちがたくさん登場します。今日読んでいただいた聖書の箇所もそうです。今はレントの時で、イエス様の十字架を覚えて過ごす期間ですが、イエスが逮捕されるとき、弟子たちはみんなイエスを見捨てて逃げてしまいます。大勢の群衆がイエスを捕まえようと押し寄せて来た時、弟子たちは少し抵抗しますけれども、結局みんなイエスを見捨てて逃げてしまうのです。そして、弟子たちは、エルサエムの都から、故郷のガリラヤへとチリジリに逃げていきました。恐れと、イエスへの申し訳ない気持ちと、裏切ってしまった自分への絶望と、抱えきれない思いをもって、トボトボと逃げて行くのです。しかし、その行く先にも、先回りしていたイエスが待っておられました。
 この聖書の後の28章7節には、イエスが十字架にかけられ殺された後、お墓に行った女性の弟子たちが天使に出会い、「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」と告げられています。イエスは、逃げた弟子たちがやがてたどり着く先であるガリラヤに先回りして行き、待っていると告げているのです。「逃げるなんて負けだ」と言うのではなく、「逃げた先にもちゃんとイエスさまはいて、待っていてくださる」という事なのです。どこに逃げようとも見捨てることなく、共にいるためにイエスが待っておられるのです。逃げても、逃げなくても、救いがある、ということです。
 誰でも、完璧を求めてこうありたい、こうあるべき、と自分を追い詰めてしまうことがあります。自分に対してだけでなく、人に対しても、家族に対しても、自分の理想を押し付けてしまいそうになることはないでしょうか。そんな時、神さまは逃げてもいい、完璧でなくてもいい、私は必ずいっしょにいるから、と言ってくださる方なのです。
 
 3月1にあった高校生の卒業式で、卒業生代表の生徒が「感謝の言葉」の中でこんな風に話しました。「私たちの高校生活の最後の2年間は、コロナで楽しみにしていた宿泊行事が中止になり、体育祭も文化祭も、合唱コンクールも、みんなできなくなりました。でも、教室にみんなと一緒にいられるだけで十分楽しかった。それだけでかけがえのない学校生活を送れて幸せさった」と言ったのです。私はこの言葉がとても心に残りました。我慢することが多い学校生活だったでしょうが、そんな風に受け止めていたのだと思うと安心しましたし、嬉しかったです。コロナでできなくなったことを数えたら、たくさんあります。けれども、いつも通りでなくても、通常通りできなくても、今の生活も神さまは共にいて下さって、日々恵みを与えて下さっています。そのことを忘れないようにしたいと思うのです。
 耐えられない試練は与えられないけれど、試練に耐えられず逃げても、そこにはイエスが共に歩んでくださる道が備えられています。私たちの罪を背負って、十字架にかかってくださった主イエスは、逃げなくても、たとえ辛くて逃げるしかなくても、完ぺきではない私たち人間の現実に寄り添ってくださるのです。主に信頼し、感謝して歩んでいきたいと思います。

2022年3月20日

「信仰者にされていく」
ルカによる福音書17章1~10節


 自分の人生の終わりに「私は、自分のすべき事をしたに過ぎません」と言えたら素晴らしいことだと思います。マニュアルや手引き書が溢れている今の時代、そこにこう書いてあるからこうしろだとか、そこにはこう答えろとあるからその通りにしろというご時世です。感謝や礼儀までもがマニュアル化される時代です。書いてあるから感謝やお礼をするのでは、少々寂しいものです。心の底から喜びに溢れて生きて行きたいものです。
 ルカ福音書が伝えるイエスのたとえ話は、一読すると、とてもきつい内容です。一日中精を出して働いて、クタクタになって家に帰って来たら主人の食事の世話をして、給仕の全てを終えてから、その後で自分の食事を摂るというのです。そして、誰からも一言のねぎらいの言葉もかけられずに、文句も言わずに「しなければならないことをしただけです」と答えろと言うのです。今の時代、このような生き方は、きっと受け入れられないでしょう。それはイエスの時代であっても、きっと同じ事だと思うのです。
 しかし、昔も今も、人の為に自分の時間と労力を使い果たす人がいます。親の介護に明け暮れてしまう人がいます。自分の両親だけではなく、連れ合いの両親をもみなければならない人がいます。また障碍をもった子供のためにいつも付きっきりでいなければならない人がいます。病気の家族を持ち、昼夜を通して看なければならない人もいます。自分の事が後回しではなくて、自分の事が全く出来ない人がいます。本当に時間も労力も全てを人の為に献げきってしまう人がいます。愚痴の一つもこぼしてもいいのかも知れません。弱音の一言二言ぐらい、発してもいいのかも知れません。誰かにあたってもいいのかも知れません。
 さて、今朝の聖書のたとえ話は「つまづきは避けられない」とイエスが宣言をした文脈で語られていることに注目です。
 宗教改革者のマルチン・ルターは、イエスに従っていた弟子達をはじめ大勢の人々の中に起こる「つまづき」の原因を、人々の中に沸き上がって来る「憤り」と見ています。イエスと共に歩んで行く中で、次第に人々の中にわき起こる自分の思い通りにならない苛立ちやスッキリしない思いです。
 私たちも日常生活の中で起こってくる問題に憤ることがあります。自分の思い通りには行かず苛立ちを憶えることがあります。何かスッキリしないこと、モヤモヤしてしまうことがあります。イエスは人を愛せよと教えます。赦せと私たちに迫ります。しかし現実問題、私たちは誰でも彼でも人を受容することは出来ませんし、やっぱり自分の赦せる人しか赦せなかったり、愛せる人しか愛せないのが現実です。一緒に居たくなかったり、顔を見るのもイヤという現実がどこかにあるのではないでしょうか。聖書が伝えるイエスの教えと振る舞いを前にして、私たちもまた「つまづく」のでしょうか。
 イエスは言われました。「悔い改めれば、赦してやりなさい。七回『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と。イエスは無限の受容を語りました。そこで使徒達はイエスに訴えました「わたしどもの信仰を増して下さい」、弟子達が求めたことは、私たちも求めます。至極当然の願いです。ところがイエスは間髪入れずに語られました。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば」と。
 今朝の聖書箇所の副題には「赦し、信仰、奉仕」と記されています。この順番に注目したいと思うのです。私たちはイエス・キリストの十字架によって罪や破れや弱さが赦され、ありのままに神様に受けとめられています。徹底的な受容の出来事がイエスの十字架の出来事です。そんな私たちはイエス・キリストの出来事が、本当にこの自分の為であったことを覚えて洗礼を受けます。私たちはイエスの出来事によって信仰が与えられていきます。繰り返しますイエスの出来事によって、神様から信仰が与えられていくのです。私たち人間に対して徹底的な赦しと受容の出来事があって、私たちには信仰が与えられ、そしてその応答として神と人への、教会への奉仕が与えられていくのです。
 私たちは、いつしか信仰は自分の所有物だ、自分で得たものだと、勘違いや錯覚を起こしているようです。神から与えられたものが大きいとか小さいとか、強いとか弱いとか、何か神様の下さるものにケチを付けているようです。神が下さったイエス・キリストの十字架の出来事は、私たち誰にとっても言葉では言い表せないほど大きいものであるはずです。
 本日の礼拝における説教題を「信仰者にされていく」とさせていただきました。新約聖書の原語で、成るという言葉と祈るという言葉をご紹介させていただきます。「成る、ある」は「ギノーマイ」と言います。「祈る、願う、望む、切望する」は「エウコーマイ」と言います。これは新約聖書の原語でも特別な言葉で「能動相欠如動詞」といいます。受身になって初めて能動的に訳される言葉です。何かが自分にあって、何かを自分が受けて感じて、成る、祈るという状態を表します。
 私たちはイエスの十字架の出来事、神の大きな愛を受けて、信仰者に成る、いえさせられていくのです。今のウクライナの状況に心を痛めて、祈らざるを得ない、祈らなくては、いてもたってもいられなくなるのではないでしょうか。誰かの支えや導き、誰かの祈りによって育てられていきます。信仰者にされていく、導かれ、信仰が与えられていくのではないでしょうか。
 その時、私たちは、神様、イエス・キリスト、そして沢山の信仰者によって自分自身が導かれ、支えられ、祈られてきたという感謝に包まれていくのでしょう。そこから、キリストの手となり、足となって仕えていくことが、苦痛だとか強制だとか義務だとかという思いから解き放たれていくのではないでしょうか。ありのままの自分が、神様に徹底的に受けとめられたので、そのことを感じたので、私たちは、ギノーマイ=成っていくのです。そのことを感得したので、私たちは、エウコーマイ=祈る人にさせられていくのです。
 信仰を増して下さいとは、誰もが求める願いです。しかしその前に、とてつもなく大きい神の愛に気づきたいと思うのです。そして私たちもまた、この世界で、この社会で起こっている出来事に痛み、悲しみ、憤りを覚え、祈らざるを得ない一人一人に成りたいと思うのです。何かをしなくては、居ても立ってもいられない、そんな存在になりたいと思うのです。
それが「信仰者にされていく」という事ではないでしょうか。

2022年3月13日

「信の深みへ」
マルコによる福音書8章27~38節


 
 神によって問いかけられること、そしてその問いに応えようとして生きることは、信仰者の基本的な姿です。福音書の中には、イエスが弟子達をはじめとする多くの人々に語りかけたり、問いかけたりする場面が沢山出てきます。
 今朝の聖書の箇所は、「ペトロのキリスト告白」と云われる箇所で、マルコ福音書においては、イエスの活動が転機を迎えるところです。
 イエスは弟子達とフィリポ・カイザリア地方の方々の村へ向かいました。フィリポ・カイザリアとは、ガリラヤ湖の北50キロに位置する「異教の町」と呼ばれるところです。時の支配者であったユダヤの領主ヘロデ・フィリポ2世とローマ皇帝ティベリウス・カイザルの名が付けられた土地でした。農耕の神パンを祀る神殿があり、ローマ皇帝崇拝も強要されていた地域でした。そんな地方を巡りながら、イエスは弟子達に自分は人々にどう思われているのかと質問をします。それまで弟子達は、イエスの様々な業を目の当たりにしつつも、恐れ、驚き、「この方は一体どなたなのだろう」と互いに言い合うだけでした。しかしこの場面でのイエスからの問いかけに、弟子達は「洗礼者ヨハネ」、旧約の預言者「エリヤ」、あるいは他の「預言者の一人」とイエスにまつわる世間の評判を語りますが、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と改めて自分にとってのイエスは何者かと問われます。
 ペトロが「あなたは、メシアです」と応えます。ペトロは世間の評価ではなく、自らの生き方をかけて自らの意志で、イエスを救い主と告白をしています。ところが、イエスは自分のことを誰にも話さないようにと戒めました。なぜイエスは救い主であることを隠そうとされたのでしょうか。この箇所は「メシヤの秘密」とも呼ばれる箇所です。
 この後、ペトロはイエスに厳しく叱られます。「サタン、引き下がれ」と、普通の人間関係であれば二度と修復できないような言葉を投げかけられます。しかも「あなたは、メシヤです」と告白した直後にです。ペトロを叱ったイエスは、群衆も呼び集めて、イエスに信じ従う具体的な道を教え始めます。十字架の道をこれから歩もうとするイエスは「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と語りかけました。これは大変厳しい招きの言葉です。「信じる」ことの意味が深く問われる言葉です。
 ところで、「分水嶺」という言葉があります。分水とは二つ以上の川の流れが出来る場所です。その分水となっている山脈を分水嶺といいます。山から流れる水がハッキリと分水していく地点を示しています。
 イエスの生涯でハッキリと変化していく地点、マルコ福音書の流れを変えていく地点、分水嶺にあたる地点が、8章27節以下の聖書の箇所です。ここにいたるまでのマルコ福音書の物語は、ガリラヤ湖畔周辺の小さな町や村を巡るイエスの活動でした。多くの病人や身体の不自由な人々をいやし、弱り果てている人々を憐れむ民衆と共に生きるイエスが描かれています。ガリラヤ湖畔を拠点とする活動でしたので、湖を行き交い、舟で向こう岸に渡る様や湖上での情景が生き生きと描写されています。その活動を象徴的に表現するならば、当時の交通機関であった舟と言えます。皆で舟に乗り、風に任せて自由に進んでいく活動であったと思います。しかし8章27節からは、弟子達を伴って陸路をたどります。異教の地を巡りエルサレムへと向かいます。舟に身を委ねるのではなく、イエスと一緒に自分の足で一歩一歩、エルサレムに向かって道をたどります。それは海路か陸路かという交通手段だけの問題ではなく、福音書の内容が大きく変化していくものでもあります。マルコの文脈に従いますと、これから多くの奇跡を起こし、力強く活動していたイエスが、ご自身の十字架への不安と恐怖を示し始めます。弟子達はイエスを救い主と告白したことが次から次へと厳しく問われ始めます。イエスに何でもかんでも身を任せていた弟子達は自分自身が問われ始めます。これらの分水嶺にあたるのが、「ペトロのキリスト告白」「メシヤの秘密」という今朝の箇所です。
 イエスを救い主と告白し、信じ従おうとするペトロ、しかしイエスはペトロを叱り飛ばし、「自分を捨て、自分の十字架を背負って」信じ従えと言われます。イエスご自身の十字架を受容する姿と、弟子達への過酷な「自分の十字架」を覚悟し、受容するような厳しい言葉で締めくくられています。
 イエスと一緒に一歩一歩自分の足で陸路をたどる弟子達の傍らに、イエスもご自身の十字架を受容し苦しみながら悲しみながら歩んで下さる救い主の姿が同時に描かれていきます。
 分水嶺にあたる地点、それまでは生き生きとイエスと共に旅をし、多くの民衆と共に生きた豊かな出会いの物語でした。しかしこれからは、自分の救い主と真向かい、苦しみや悲しみを共に背負って歩む信仰の深みの物語です。イエスの問いかけや招きを、単に承認するという傍観者的な生き方に信仰の深い世界は味わえません。自分の至らなさや弱さを自分の十字架として、しっかりと担い受容する生き方にこそ、イエスは共に道を辿られます。
 私たちは「私たちの教会の姿勢」に詠われているように「夫々全く不思議な主の導きによってこの時代に、キリストの体なる教会を形成するために集められた」一人一人です。出会いという恵みに真摯に真向かい、教会の歩み、教会の歴史に、共に道を辿られるイエス・キリストと一緒に深みへと歩んで行きたいと思います。自分の至らなさや弱さを自分の十字架として受容する、そんな信仰の足腰をこそ、神はきっと強めて下さることでしょう。

2022年3月6日

「私たちの足下に」
ルカによる福音書8章22~25節


 「湖上で突風を静める物語」はマルコ・マタイにも同様、3つの福音書、すなわち共観福音書に並行記事があります。ルカ福音書ではこの物語に続く「悪霊に取りつかれたゲラサの人を癒す物語」「長血を患う女性を癒す物語」「会堂長ヤイロの娘の蘇生物語」などを、イエスの4つの奇跡物語として同じ8章にまとめて記述をしています。それぞれに「自然」「悪霊」「病気」「死」の脅威に対するイエスの力ある業が証しされています。本日の嵐を静める物語は自然奇跡の一つで、ガリラヤを中心としたパレスチナ地方にあった民話として伝えられてきた伝承であると言われています。
 この物語の場面であるガリラヤ湖は、紅海・地中海あるいは南の死海を含めて、海の一つとして数えられていました。海はイエスの時代においても恐怖の対象として理解され、悪の勢力の根源的な居所を示すような「恐れの場」であったようです。事実、ガリラヤ湖は時として渓谷に吹き下ろす強風によって、天候が急に悪化し、舟が遭難することも度々あったと云います。
 「突風が湖に吹き降ろして来て」(23節)との記述はその気候の急変ぶりを伝えています。弟子たちは水をかぶり危機的な状況に落ちいっていきます。舟で眠っていたイエスを起こして、「先生、先生、おぼれそうです。」と必死に叫んでいきます。前の口語訳聖書では「死にそうです。」という翻訳になっていました。岩波書店から出ている新約聖書翻訳委員会編の聖書では「滅んでしまいます。」となっています。もっと前の文語訳聖書でも「我らは亡ぶ」となっています。いずれも、命の危機に直面した悲鳴のような表現となっています。考えてみれば、この弟子の状況はただ事ではありません。「死にそうです。滅ぶ」とは大変な人間の言葉です。「情念」とも言うべき悲痛な言葉です。
 「人間がどうしても、逃げ切れない重圧のもとに喘ぐような状況」を「限界状況」とカール・ヤスパースという思想家が定義しています。限界状況はそれまで培ってきた全てのものを覆し、相対化させていきます。一方で、本来の自分を浮き彫りにさせていきます。人は慌てふためき、恐怖に陥ります。不安にかられ、多くの人が自分の弱さを露呈させていくものです。まるでコロナ禍での人間の姿のようです。
 漁師であった弟子達、この湖をホームグラウンドにしていた彼らでさえ、吹き降ろす突風に恐怖を感じました。危機的状況になって、いよいよ寝ていたイエスを起こしました。イエスは自然の猛威をおさめ、弟子達を戒めたと云います。イエスは「あなたの信仰はどこにあるのか。」と問いかけました。私はこの言葉は、ここに居合わせた弟子に対する単なる叱責ではないと考えます。
 比較社会学者の見田宗介さんが「現代日本の感覚と思想」(岩波新書)という著書の中で「視点を折り返す」という大変興味深いことを語っています。太古の昔から人類は天上を目指していました。旧約聖書のバベルの塔の話しも同様です。それは人類が天に昇ったことがないからだと、見田宗介さんは云います。しかし人類は天に向かって飛び立ちました。そしてそこで見た世界は天国ではなく、最も心引かれたものは「青く美しい地球」でした。見田さんは先には宇宙しかない断崖まで来てしまった人類は、折り返しの場所に立っていると云います。続けて、見田さんは宗教の課題は超越ということだったが、今私達が求めているのは、世界を新鮮な奇跡の場所として開示する覚醒ではないかと問いかけています。
 今朝の聖書の箇所で非常にユニークなのは、突風が吹き荒れる大嵐の中で居眠りをしているイエスの姿です。寝ているという姿に、無防備さと大胆さが表現されているかと思いますが、と共に、寝ているイエスの姿は、まさに「視点を折り返す」姿だと思います。救いは天という上ではなく、小さな小舟の船底で静かに寝ているイエス、そこに限界状況に達し恐怖におののく弟子達への救いが、彼らの足下で静かに眠っていたことを表現しています。
 「あなたの信仰はどこにあるのか」、弟子達の不信仰を叱責し、戒めたのではなく、むしろこの言葉は「私はここにいるではないか」との、弟子たちの叫びに対するイエス同意の言葉ではないでしょうか。どのような時でも、あなたがたから離れず、いつも共にいるというイエスの宣言ではないでしょうか。聖書の伝える神は、イエスは遠くにいる神ではなく、また天の高みから私達の苦しむ姿や悲しむ姿を見ているだけの神ではありません。聖書が伝える神の子イエスとは、私達の歩みに生活に、静かに息づき、私たちの極限の叫びや苦しみを含めて、その苦悩を受けとめて下さる方なのです。
 視点を折り返しつつ、共なる神イエスをこそ、私達の歩み生活という時と空間に目覚めさせること、それが奇跡の開示ではないでしょうか。突風や嵐が私達を襲う時、苦悩を受けとめ、一緒に担いながら歩んで下さる方がいることを皆で確認し合い、声を掛け合い、祈り合いたいと思います。その時、きっとイエスは、私達の輪のただ中で目覚め、苦しみや悲しみ、恐れや不安という突風をおさめて下さいます。それぞれの人生という小舟の中で、静かに、静かに眠っておられるイエスを憶え、そんなイエスに委ねながら、それぞれの「向こう岸」へ、神が示される豊かな恵みへと渡っていきたいと思います。

 2022年2月27日

「恵みのゆらぎ」
ルカによる福音書10章17~20節


 ある日、イエスはご自分の弟子72人を、町や村へと遣わされました。すると遣わされた72人は、喜んで帰ってきました。そして「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と、夫々がその働きと成果を報告いたしました。するとイエスは語られました。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」。
 新約聖書学者・大貫隆さんの著書「イエスという経験」には「イエスの幻視体験」あるいは「イエスの覚醒体験」による「神の国のイメージ・ネットワーク」が描かれています。イエスは今日の箇所であるルカ福音書10章17節以下で語られたようにサタンが墜落する幻を見ました。この幻は「神の国の支配」です。しかもイエスの語る出来事は、イエスがサタンを墜落させたのではなく、神が墜落させた出来事です。「落ちる」という言葉は、原語では「神が投げ落とした」となっています。ドラマの隠れた主人公は神です。そしてサタンの墜落から、そのサタンの配下の蛇やさそりと表現される諸悪を踏みつける権威が神からイエスに与えられ、その権威が、今度はイエスから72人の弟子たちに授けられたという話になっています。
 大貫隆さん曰く「しかもそこには、文学的装飾らしきものは一切ない。それは端的な体験報告とみなすことができる」ということです。イエスはこの幻を神によって示され、この幻から神の国の支配を言葉、たとえあるいは行為によって表現しているということです。
 しかも、最も注意したいことは、イエスの伝える神の国は、将来やって来るものではなく、すでに存在し、今現在も進行しているダイナミックなものであるということです。加えて富むものと貧しい者が逆転する、泣いている者たちが笑うようになるという強烈な逆転こそが、まさにイエス独自のものであるということです。
 注目すべきことは、イエスの神の国宣教にはパートナーが存在していることです。72人の弟子たちです。ウルリッヒ・ルツという神学者は、イエスは私たち人間をパートナーとして選ばれ、ご自身の業を私たちにも託されていると語っています。つまりまず私たちは、諸悪を踏みつけ人々を癒すことへとイエスによって遣わされているということです。でもどうやって諸悪を踏みつけたらいいのか?どうやって癒していったらいいのか?と困ってしまいます。
 イエスの名前を出すと治るとか癒されるというのは、神話的表現ですから、今を生きる私たちには現代的な解釈と実践が必要となります。この繰り返しが教会の歴史であり、歴史の中で絶えず新たに革新されていく信仰の表明でもあります。さてどうしたらよいのでしょうか?
 皆さん、一緒に困りましょう。そして一緒に悩みましょう。頭をかかえましょう。実はそこから、イエスの真髄である「想像する愛」が始まります。ルカの文脈に従うとイエスに派遣された72人は「何も持って行ってはならない」と言われ遣わされた人々でした。もう一つ付け加えますと、彼らはイエスから洗礼を受けているとか資格があるとかではありません。生前のイエスは誰にも洗礼を授けてはいません。それから遣わされた彼らはイエスをちゃんと理解していません。イエスは何かに気づいて欲しい、何かを感じ取って欲しい、そんな切なる願いをもって送り出しています。不完全であり欠点だらけであることを承知で彼らの不安定さ、不完全さを大きく優しく包み込みながら、彼らを送り出しています。
 そんな彼らはきっと行く先々で困り果てたと思います。苦しむ病気の者、孤独の者を前にして、「どうしよう。何もないのに。一体何が出来るのだろう」と焦り、戸惑い、ある者は自らの無力感に悲しくなったと思います。またある者は「こんなとんでもない現実に私たちを送り出して」とイエスを恨んだかも知れません。皆、目の当たりにする現実に痛み、苦しみ、嘆き、悲しさを憶えたと思います。しかしここにこそあのイエスの哀れみ=断腸の思い、痛みを自らのものとして受留める想像の愛が生来するのです。不完全さや不安定さは、もしかすると人間存在の幅をもたらす、恵みのゆらぎなのかも知れません。
 イエスを思い出すとき、イエスの想像の愛は、痛みや悲しみを共有することへ導きます。不安の中で人はゆらぎ、そして無力の中で共に天へと祈りを奉げることへと導かれます。最も重要なことは、出会った人と共に喜びへと導かれるまで、そこに留まり共に生きることへとイエスの派遣は促します。
 人々が喜びに満たされたことを味わい、苦しむ者、悲しむ者と共に生きることこそがイエスの核心であり、促しであることを感得した72人は、自らも喜びに溢れてイエスのもとに帰ってきました。人と一緒に重荷背負い、難しい問題を共有し合い、共に祈りを奉げていくという共生の輪のただ中にこそイエスは存在し、その輪を広げよと命じられているのです。このようなイエスの業という取り組みの果てにこそ、皆で喜びを分かつ神の国の姿が隠されているのです。それがイエスの幻なのです。
 私たちには、イエスの十字架の愛という、私たちを心から愛して下さる神の通奏低音がすでに響いているのです。この通奏低音をしっかりと聴きたいと思います。また私達の教会の掲げる姿勢は、一言で表現すると、神とイエスを中心とした「共生」というヴィジョンです。これは教会論的に神の国を表現する教会の宣教姿勢です。聖書を通してイエスの神の国を表現した主旋律のようなものです。礼拝も諸集会も祈りも奉仕も、この核を中心に営まれているものです。礼拝をはじめとする諸集会や集まりは、この核を常に確認する作業なのです。
 神の通奏低音を我が身に刻みながら、イエスの幻である共生という主旋律を一緒に奏でていきたいと思います。そして鎌倉恩寵教会独自の様々な装飾音を付けながら、神の国、イエスの幻という大曲を、美しい調べを世に響かせていきたいと思います。
 最後に、イエスは「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われました。不完全であり、不安定であっても私たちを赦し、いえ不安全で不安定であるからこそ私たちを愛し、大きく優しく包み込んでくださり、すでに天に名が記されている者として下さっている方が、私たちを送り出し、私たちと共に歩まれているのです。私達もまたイエスによって派遣された72人です。私たちも気づかされ、愛することへ、共に生きることへ、イエスの幻を感得する者へと導かれたいと思います。地上での命の息を神によって納められる時まで、天に名が記された者として、イエスの幻を追い求めたいと思います。

2022年2月20日

「イエスという原点」
マタイによる福音書20章1~16節


 今朝の聖書の箇所は、2000年も前の日雇い労働のお話ですので、現在とはずいぶんと違う点もありますが、日雇いでその日その日の賃金をもらうとすれば、今日働けなかった、あぶれてしまったということは、自分と家族が明日、食べていくことができないということです。もちろん実際には毎日働くことはできなかったと思います。晴れた日ばかりでなく、また安息日なる日には休まなければなりません。お前は今日、働かなかったのだから、明日食べることができないのは当然ではないか、それは当たり前ではないかと誰もが思ったことでしょう。これが当たり前、働かざるもの食うべからずであれば、ますます運が差を広げ、今日職と食事にありつけた者が、職にあぶれ食べるに困った者よりも体力があり、雇い主が体力のある者から雇い、かくして差はどんどん広がっていきます。
 そこで2000年前の大昔、イエスは一言放ちました。仕事が与えられた者働けた者は、与えられた機会に感謝しようではないか、しかし今日安心して食べることができ、安心して眠れるということを全ての者に分かち合おうではないか、最低一日1デナリオンが必要なら皆で分けようではないか・・。
 夢のような話かも知れません。しかしこれは2000年も昔の一人の大工職人によって語られたのです。しかも分かり易いたとえ話にして語られたのです。そんな時代にすでにこんな夢のような話を語った人物がイエス・キリストなのです。
 京都での学生時代、ある時学部生の宗教学の試験監督とそのテストの採点をしてくれないかとアルバイトの話を担当教授の橋本先生という新約聖書学の先生に頼まれ、当時大学院生で時間だけはたっぷりとありましたので二つ返事で引き受けたことがあります。バイト代が先払いでいただけたということが一番心引かれたというのが一番の理由ですが・・・。
 試験内容も何も知らされないままでしたが、多少懐があたたかくなったために足取りも軽く笑顔で試験会場に向かいました。試験が始まると一生懸命に試験に取り組む学生を前に、うろうろしているのも申し訳ないと思いながら椅子に座って試験問題を眺めていました。すると最後の欄に、採点とは関係ないので次のイエスのたとえ話の感想を書いてくださいとありました。今朝の聖書の箇所なんですね。よせばいいのにこんなに難しい箇所をと思いながら、ふと我に返って誰がこの感想についてコメントするんだと、バイト代先払いとはこのことかと気づいてからは、本当に後の祭りでありました。
 まあ採点とは関係ないと書かれていたから等と気楽な気持ちでいましたらさあ大変、あるは、あるは半分位の学生がコメントを残しておりました。しかもその大半が「こういうイエスの意見は間違っている。世の中が不公平になる。働かない者が増える。働いた者が損をしてバカを見る」という意見が支配的でした。何日も頭を抱えながら、これはきっと先生が私を指導するために教育という思いを込めて試験監督をさせたのだなと考えながら、答案用紙にひたすらコメントを書き続けました。そんな京都でのひと夏を思い出します。ところが、後からもれ伺ったのですが、このいきさつをネタに目先のものに捉われないようにと先生が授業で語ったとか語らなかったとか。その夏の笑い者にもなったようです。
 さて、今朝の聖書の箇所について、色々な意見があるかと思いますが、イエスが放った一言が与えた影響ははかり知れないほど巨大なのです。イエスが語った全ての人々に対する共生理念は、多くの人々、とりわけクリスチャンの心に染みとおっていきました。教会はこのイエスの語った理念を、掲げた思想を生かそうと、2000年にわたって努力してきました。西欧社会はこのイエスのたとえを語り継ぎ、失業保険、健康保険という様々な社会保障制度を生み出し、発達させてきました。その制度を近代になってようやく日本も輸入しています。まだまだこれらの制度は欠点もあり至らないところも多々あります。しかし、2000年前にイエスが語らなかったらヨーロッパ世界に継承されてこなかったものなのです。何もないところから、互助制度は降って沸いてはきません。それを生み出すまでの長い歴史の出発点にイエスの一言、共生理念が位置しているのです。福祉制度もしかりです。
 その昔、イエスがこのたとえを語った時、きっと人々はあざ笑い、バカにして、イエスの横を通り過ぎて行ったことでしょう。「お前の考えは間違っている。世の中が不公平になる。働かない者が増える。働いた者が損をしてバカを見る」と多くの人々がイエスの話を聴いては居られないといって離れていったと思います。15節に「ねたむ」という言葉があります。これは「嫉妬深い」という意味で、もともとは「よこしま」という意味を持っています。ねたみが嫉妬が、よこしまさが、イエスの言葉を遮ろうとしています。しかし、ほんの一握りの人々がその後もイエスの言葉を忘れられずに、イエスの理念を何百年もかけて実現して来たのです。
 「天の国は次のようにたとえられる」という訳は「天の国は次のような事態である」という元々の意味があります。たとえというよりは、このような事態ですよとイエスが宣言をしているのです。そして印象的なのはブドウ園の主人が、何度も何度も出かけていくという姿です。夕方の5時にも出かけていきます。もはや人を雇うのはナンセンスな時間でもあります。夕方まで仕事を待ち続けていた人は言います。「誰も雇ってくれないのです」。彼らは命の糧を求めて終日待ち続けました。また命の糧を与えてくれる主人を求め続けました。そしてやっとその主人と出会えたのです。しかも向こうからやって来て、近づき、声をかけられているのです。神は動かないのではない、神は命の豊かさ、命の糧を自ら動き切り開かれて行く、そして人間と共に喜び合おうとされているのです。イエスの放ったこの一言に心揺さぶられた人々が、神の姿を神の御心を実現しようと取り組み始めたのです。
 「キリスト教は愛の宗教」だそうです。命の糧を求めて待ち続けている者に対して、愛が口先だけに終わらぬように、イエスという原点から私達も踏み出して行きたいと思います。

2022年2月13日

「愛を切り開く」
ルカによる福音書10章25~37節


 これまで幾度となく繰り返し読まれ、また語られてきた「よきサマリヤ人」のお話を、今朝はもう一度、読み直してみたいと思います。
 イエスとある律法の専門家との問答ですが、テーマは永遠の命、そして隣人愛です。「永遠の命」というと私たちは永遠に生き続けることと思いがちです。永遠の命というと、どうしても時間の長さを考えてしまいます。時間の長さだけを問題とするなら「永遠の命」にはあまり魅力はないのかも知れません。しかしここの聖書の箇所で言われている「永遠の命」とは単なる時間の長さではありません。永遠の命とは神の前での正しさ、神の前で義として生きることと結びついています。
 このたとえの背景には旧約聖書の創世記の時代から延々と続く、イスラエル12部族の主導権争いや、南北に分裂したイスラエル王国の宗教的、民族的な深い溝があります。
 助けられたユダヤ人と助けたサマリヤ人には、相容れない隔ての壁がありました。命を助けられたユダヤ人が、もし他のユダヤ人にこの事が知れたのなら「何でお前は、サマリヤ人等に助けられたのか?、恥ずかしくないのか?」と軽蔑されるでしょう。同様に助けたサマリヤ人も、もし他のサマリヤ人に自分のしたことの一切が知れたら「何でお前は、ユダヤ人を助けたのか?、自分のしたことが分かっているのか?」と非難されることでしょう。
 以前、朝日新聞の夕刊に「中東和平 愛憎のはざまで」という記事が3回シリーズで掲載されていました。その記事には人々のリンチで殺されかけたテロリストであるパレスチナ人を、あるユダヤ人女性が身を投げ出して助けたという記事でした。このご婦人はテロリストのパレスチナ人を助け、一週間以上も看病したそうです。しかしその後、このご婦人の子供達が心配をして母親に言いました。「お母さんは素晴らしいことをしたけれども、もうしないでね。お母さんにもしものことがあったら、私たちはどうすればいいの」。
 お母さんにもしものことがあったらとは、パレスチナ人を助けた母親に対するユダヤ人社会の嫌がらせを意味しています。つまり、パレスチナ人を助けたことによって、この女性はユダヤ人でありつつも、同胞のユダヤ人社会から嫌がらせを受けたのでした。「裏切り者」「こんど市場に買い物に来たら、殺してやる」などの言葉、落書き等を浴びせられました。
 イエスのたとえであるサマリヤ人も瀕死のユダヤ人を助ける時、他のサマリヤ人に目撃されていたら、様々な嫌がらせを受けたかも知れません。おそらくイエスはそのことを承知で、あえてこのたとえ話を設定しています。両者の間にある大きな溝、にもかかわらず、このサマリヤ人はユダヤ人を助けたのでした。サマリヤ人の価値観や考え方の枠の中では決して「良い行い」ではありません。明らかに「裏切り」の悪いことでした。しかし、サマリヤ人は瀕死のユダヤ人を見て「憐れに思った」のでした。
 この聖書の箇所で使われている「憐れに思う」という言葉は、聖書ではイエスや神に限定されて使われている特別な言葉です。「断腸の思い」「心が引き裂かれる程の思い」とか「心が強く動かされた」と表現される言葉です。
 自分がサマリヤ人であること、また相手が敵対するユダヤ人であることを忘却し、一人の人間として瀕死の人を見過ごしには出来ない、心を強く動かされたのです。実はイエスのたとえには、人と人との具体的な出会いが語られ、そこに「憐れに思う」「心を強く動かされる」という神の出来事が人の心の中に起こることを語っているのです。
 サマリヤ人がユダヤ人を助けるという行為は、そんな神の出来事なのですが、それは境界線を乗り越えていくものでした。サマリヤ人という枠があり、ユダヤ人という枠があります。歴史的にも大きな隔てであり大変難しい問題でした。しかしイエスのいう「隣人愛」はそれを乗り越えていきました。
 社会というものは、様々な境界線から成り立っています。国と国との間には国境という境界線があります。都道府県には県境というものがあります。学校や教会の建物、会社のビルなどは壁で覆われています。家の壁は家族と他人を分けます。家の事情等は外に漏らさないのが普通です。私たちの心の壁は相手によって開いたり閉じたりします。近所の親しい人には愛想良く挨拶をしますが、全然知らない人には、顔を合わせません。私達は「我々」と「彼ら」と区別することで成立します。その意味で境界線を越える、なくすということは社会や共同体を否定しかねません。それほど、境界線は私たちが生きていく上で大切なものです。
 しかしこの大切な境界線が個々の人間を隠し、あるいは個々の人間を分断し、時に個々の人間の存在を見えなくします。境界線ということで、旧約聖書のレビ記にこんな言葉があります。「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちの内の土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、ヤハウェである。」(レビ記19章33、34節)
 この聖書の言葉は「いま、ここに」共に生きているという現実に目を向けさせ、互いに向き合うように命じている言葉です。最後に「わたしはあなたたちの神、ヤハウェである」と宣言されています。神は愛を命じるのではなく、人々の間で、愛を切り開いて行くのです。
 イエスのたとえであるよきサマリヤ人のたとえのテーマは永遠の命です。隣人愛とは一人の人間として他者と出会うことであり、その出会いの中で生まれる境界線を突破する出来事のことです。瀕死のユダヤ人はサマリヤ人によって命を助けられます。瀕死であったため意識が薄れていったことでしょう。同胞の祭司やレビ人が通り過ぎ、見捨て行かれ、だんだんと薄れ行く意識の中で、誰かが自分を抱き上げ、介抱し、回復してゆく命を共に喜んでくれていると、かけがいのない他者を感じたことでしょう。敵対する他者がかけがいのない他者へと変えられてゆくこの時、このユダヤ人は命を獲得していくのです。イエスがたとえの設定として瀕死の人を登場させたのは、恐らく「永遠の命」が境界線を突破する愛、つまりイエスの十字架の愛がそれを生み出すことを示されたのでしょう。私たちもキリストによって、突き動かされたいと思います。

2022年2月6日

「問い続けるイエス」
マルコによる福音書2章23~28節


 イスラエルの安息日規定は現存する世界最古の労働基準法です。この安息日規定にまつわるイエスの言葉と行為から、今朝は共に示されたいと思います。
 ある安息日にイエスの一行が麦畑を通りかかった時、弟子達は歩きながら畑の麦を摘み始めました。それを見ていたファリサイ派の人々がイエスに対して「なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と問いつめました。するとイエスは、昔ダビデも空腹であった時、共の人たちと神殿に入って、神殿に仕える祭司以外には食べることが赦されなかった供えのパンを共の人たちと一緒に食べたではないかとサムエル記上に記載されている故事を引用した後、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」と語りました。
 原則としてあらゆる労働が禁止されているのが安息日ですが、人間の生命の維持、命の危険を緊急に避けるために必要な行為は、たとえ安息日であっても例外的に許されていました。他の聖書の箇所でも繰り返される病人をいやす行為、体の不自由な者を解放して行くイエスの行為、また申命記23章21節には、飢えた人や貧しい人が他人の畑に入って穂を積む権利が記されています。鎌を入れることは労働になり他の人々の仕事を無くしてしまうので、自分の飢えをしのぐ程度の手で摘むことは許されています。これは最古の生活保護法ではないでしょうか。旧約聖書のルツ記などにも同様な麦畑を舞台とする困ったルツとナオミを支え合う美しい人々の姿が伝えられています。
 加えて当時の世界で「病気」とは、当人あるいは親、先祖が犯した律法違反の罪だと考えられていました。神が下した罰ということです。従って罪を許すのも神であって、人間が他人の病気をいやせるはずがないというのが当時の考え方です。イエスはこれを承知の上で病気の者を癒しています。
 福音書に登場するファリサイ派の人々というのは、簡単に表現すると当時の社会的なものの考え方を代表する人々です。旧約聖書の例外規定やそれにまつわる様々な物語があるにもかかわらず、イエスや弟子達を咎める姿には「病人、貧しい者、罪人」と称される人々への蔑視や、偏見差別があります。イエスと弟子の一行は旅する集団でした。定住しない人々は律法を守れないので嫌われ、罪人、社会を乱す危険な人物と見なされていました。これも旧約聖書に旅人を大切にもてなすことが奨められているにもかかわらず、新約聖書の時代ではとんでもないことと考えられるようになりました。つまりイエスは、これら社会の最下層の人々、はじかれ嫌われている人々と共にいるのです。そうではないファリサイ派の人々は、「病人や貧しい者、罪人」と共に歩む旅人集団のイエスが威厳をもって語ること、しかも神の御旨だと語ることが絶対に赦せなかったのです。
 今朝読んでおります聖書箇所は、99匹と一匹の羊のたとえと並んでマルコを手がかりに、福音書における最古のイエスの言葉を探ることの出来る重要な箇所なのです。多くの聖書学者がこの箇所を取り上げ、非常に研究が進んでいる注目の箇所が、マルコにおける安息日の穂摘み事件なのです。
 これは最古のイエスの真性の言葉だと云われるのが、27節と28節です。この内の27節の「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という重要な言葉をマタイとルカは削除しています。マタイは「憐れみ」と理解し、ルカは全く削除したままにしています。マルコに残された27節の言葉は、安息日よりも人間に重点がおかれています。ここにイエスの立ち位置があります。
 安息日は世界最古の労働基準法です。聖書の時代、奴隷制度の中でもそれは適用されました。人間の命が粗末にされないように皆が休み、休息をとり元気を取り戻し、鋭気を養うという意味でしょう。それから貧しい者、飢えた者に施される穂摘みの権利、生活保護、命を守る生きる権利があります。
 教会は、地域の為に、社会のためにと伝道、宣教を考えています。しかし今一度、イエスから示されることは私達の立ち位置です。「どんな方でも教会へお越し下さい。教会は全ての人を受け入れます」と、どこの教会でもうたいます。しかし多くの重荷を背負い、様々な苦しみを持つ人々の、それこそ多様な状況と現実に対して、受け入れる私達の考え方や相手に向かう立ち位置や目線がそのままでは、イエスを伝えることはまず無理です。私はいつもイエスの言葉と振る舞いと表現しています。言葉は現実で語られ、故に言葉は初めて生きてきます。振る舞いはイエスの足跡です。
 イエスは「皆さん、いらっしゃい」とイエス人生相談所なる看板を掲げて、ナザレで待っていたのでしょうか。そうではなかったはずです。以前フェリスで教えられていましたが、現在は立教大学で教えられている新約聖書学者の廣石望先生が私との私的な会話の中で、こう云われました。「イエスは聖書の中にはいない」「イエスは常に自分の身の置き所を変えていた。イエスは現実の世界の中にいる」。廣石先生自身、学校のない日は、一人の人間としてボランテイア活動をされているそうです。イエスは、ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、荒れ野におもむき、洗礼者ヨハネの洗礼運動に関わり、その後、ガリラヤを旅し、ある時は異邦人の地へと身の置き場を変えていきました。孤独の人を誘い、病人と接し、罪人と共に食し、最後はエルサレムで十字架の死を迎えました。
 イエスは聖書から示される様々な事柄を、現実の様々な場で追体験する事へと私達を誘っているのです。安住することなく、身の置き場を変え、多くの人々共に生きて欲しい、一緒に歩んで欲しいとイエスは私達を促しているのです。イエスは神の国の接点です。イエスを伝える福音書はイエスと共に生きた多くの人々とのモザイク画のようなものです。そのイエスや神の国は、例えとしてパン種やパンを用られます。最後の晩餐でもイエスはご自身をパンと云いました。聖書のパン種、パンが膨らむには、神とイエスと、多くの人々の心と生きかたという熱、暖かみ、祈り、共生をもって膨らむのです。それがイエスと生きる豊饒さではないでしょうか。相互が実際の場でイエスを通して変化し、豊かに膨らんで行く、それが信仰者、クリスチャン、そして教会ではないでしょうか。イエスは私達を今も豊かに育もうと、促されているのです。最後の最後まで、一緒に歩んで下さるイエスと共に、私達は神の愛に包まれながら豊かに育まれたいと思います。

2022年1月30日 

「優しさに溢れて」
ルカによる福音書7章36~50節


 福音書にはイエスが人の家に招かれて食事をする場面が度々出て参ります。この聖書の箇所は、ルカ福音書だけに収められているファリサイ派のシモンの家に招待された時のことです。ファリサイ派の人に招かれるというのは珍しいことと思われますが、ルカ福音書では3回もイエスはファリサイ派に招かれています。一般的には、イエスを敵視するファリサイ派の人も多かったことと思いますが、中にはイエスに関心を寄せるファリサイ派の人もいたということでしょう。
 当時のユダヤ社会では、ラビと呼ばれる律法教師を家に招く時には、誰でも参加してよいという風習がありました。現代風にいうのならば、ランチ付きの講習会でしょうか。
 物語はシモンの家で皆が食事の席に着いたところから始まります。突然、町で「罪深い女」と云われている女性が入り込んできました。彼女は香油の壺を抱えていました。律法教師への尊敬のしるしに香油を注ぐのは、当時の習わしでもありました。ところが、彼女の振る舞いに、皆が驚きました。突然、食事の席にわって入るなり、涙を溢れさせながら、その涙でイエスの足を洗い、自分の髪の毛でぬぐい、接吻をし香油を塗ったのです。
 さて、イエスはこの場面でファリサイ派のシモンに語りかけました。それは女性とシモンが対照的であることの指摘でした。39節にある「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」という彼が抱いていた思いは、イエスを諮るそして人を諮る心です。
 この場面に居合わせた人々は、イエスが女性に成した赦しの宣言に躓いてしまいます。イエスのたとえ話を頭では理解しても、目の当たりにした女性とイエスの間に展開された神のドラマが見えませんでした。女性の行為を、とんでもないハプニングとしか受けとめていません。もしかすると、私達も、この人たちと同様のことをしばしば行っているのかも知れません。自分の中で意識されずに放つ言葉、気づかぬ振る舞いによって、事柄の真意がつかめなかったり逆のことをしでかしてしまったりします。自分自身では気づかぬところで、分からぬところで、言葉と振る舞いをもって人を傷つけ悲しませていることを知らず、人の言葉や行為に傷ついたというのも私達の現実です。言葉だけが、なにげない振る舞いだけが一人歩きをして、神と人との関係、人と人との関係を見えなくする現実にうんざりするほど遭遇いたします。そんな私達であることを思い返しながら、もう一度イエスと女性の姿を心に思い浮かべて下さい。
 「罪深い女」と云われた女性は、常日頃耳にしていたイエスの噂を聞きつけて、この場にやって来たのでしょう。「罪人」の友となって下さるイエスの事をもれ聴くだけで、イエスに会いたいと心待ちにしていたのでしょう。そしてイエスに会うことで、これまで抱いていた思いを胸の中に収めきれなくなったのでしょう。自分の今まで歩んできた様々な事を、思い出してイエスの前にひざまずきました。イエスと一緒に食事の席にいる大勢の人々の目に、自分がどう映ってしまうのかなど、もはや問題にならない程だったのでしょう。彼女の目から涙が流れ始めました。泣きながらイエスに成した、この女性の行為を皆さんはどのように思われますか?
 涙をもってしか、自分の心の内を表現できないことがあります。誰にでも、人に知られずに胸の奥につっかえているものがあるかと思います。誰に対して赦しを乞うていいのか分からないものもあります。余りの切実さ、深さ故に言葉が出てこないことがあります。「ごめんなさい」と謝っただけではカタが付かない場合もあります。
 「罪深い女」とされるこの女性は、一体何の罪を犯してそう呼ばれていたかは記されていません。ユダヤ人が厳守すべき律法の違反者として「罪人」のレッテルを貼られていたのかも知れません。いずれにせよ、彼女は良心の呵責を感じていたようです。町で毎日のように「罪人」と断行される辛さ、人々からさげすまれる悲しさ、更には生きることそのものが罪でしかないような人間の闇の部分を見つめていたのかも知れません。
 イエスは言葉なく、涙で足を洗う女性の姿に、彼女が今まで犯してきた罪を感じました。それだけではなく、彼女のいたたまれない良心の呵責、さらには気づかぬところで、分からぬところで人を傷つけ悲しませてきた多くの言葉と振る舞いを、およそ人間が生きる上での業を、しっかりと受けとめたのだと思います。
 宗教という一つの形を通して、神と人との関係を自覚し、神を信じ従おうと私達は教会へ集まります。ところが聖書の時代、同様に思っていたユダヤ人でさえもが陥ってしまう人間の罪、現在のキリスト教も例外ではないと思います。しかし、本当に人間の罪深さを赦される方はイエス以外にないことを、この女性の姿から示されます。彼女はイエスと出会い、イエスから「よし」とされました。「罪深い」といわれた女性だけが喜びに満たされたのではなく、イエスも彼女の姿から喜びを得ました。喜びに満たされ、愛に満たされた者だけが口にし、語りかけることの出来る言葉、「安心して行きなさい」、神があなたと共におられるとの優しさに溢れた言葉がイエスから彼女へと贈られました。神にイエスに赦し生かされている恵みが、一人の女性を包んでいく場面が描かれています。
 自分のダメさ加減に打ちひしがれることがあっても、この女性のようにイエスのところへ向かって行きたいと思います。言葉にならない呻きであっても、イエスが受けとめられる、そして「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」との恵みの言葉を共に聴きたいものです。

2022年1月23日 

「私たちの土台」
マタイによる福音書7章24~29節


 求め開かれる門、狭き門という二つの門のたとえ、木と実のたとえと同様に、今朝の「家と土台」の話でも二つのタイプの人間がたとえられています。一つは、イエスの言葉を聴いて行う人間、もう一つは聞くのみで、守らず行わずという人間です。どちらもイエスの言葉を聴いてはいるのですから、マタイ福音書の歴史的背景を考えても、これは教会内の存在であることが分かります。
 マタイ福音書の7章24節以下では、単に「岩の上に家を建てた」とありますが、平行記事のルカ福音書6章46節以下では「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて」となっています。マタイの家の建て方は、当時のパレスチナの人々の家の建て方を伝えています。ルカの家の建て方は、ギリシャの人々の家の建て方を伝えています。これはマタイ福音書とルカ福音書の読者層の違いで、ルカ福音書は、明らかに広く地中海世界の人々を意識しています。
 ところで、「岩の上に自分の家をたてる」というイエスの言葉に、私は大変心を打たれます。普通、家や建物をこしらえる時、土台作りも人の手によってなされていきます。しかし、イエスのたとえでは、岩と砂地という選択可能な場所を人間が自由に選ぶという設定になっています。人間は自由な存在であるということ、そして、私達の人生や歩みには取り組むべき課題や仕事があるということ、しかし、人間はその一部の取り組みや仕事を受け持っているに過ぎないことが分かります。自分のあり方や取り組み、仕事を全体の一部に過ぎないとして相対化すると共に、なお貴い一部であり、大変意味ある一部だという生き方です。取り組みの一部を受け持っているに過ぎなくても大切な存在であり、しかし私達の命の土台、人生の土台は、人間の手によるものではなく、イエス自身が私達を根底から支える土台であるという生き方です。
 「わたしのこれらの言葉」と語られる今朝の箇所は、マタイ福音書の5章から始まる「山上の説教」におけるイエスの教え全体を指しています。それは律法的な規律ではなく、何よりも隣人愛の教えです。このイエスのたとえは、旧約聖書のノアの箱船がイメージされていると云われています。更に、イエスが語った山上の説教の締めくくりとなっています。注意すべきは、教会に属すること、聞いて「行う」ことに重点が置かれています。
 私達にとって、言葉を聞き頭で理解することと、理解した言葉を実践することは別ようです。教会ではむしろ前者の方に重きがおかれているようです。どういうわけか、言葉を聞くだけで終わってしまうようです。プロテスタントは、言葉の宗教と呼ばれ、言葉そのものを大切にしてきました。しかし言葉を聞き頭で理解しただけでは、人間は考えるだけで終始してしまい、動詞化されず、形骸化してしまいます。それでは生きた信仰は得られません。イエスが今も尚、生きて働かれる豊かさを甘受することは出来ません。
 と云いますのは、元々聖書では、言葉を聞き頭で理解することと、理解した言葉を実践することは一体として考えられており、言葉そのものが行為と深く結びついています。新約聖書で使われている「言葉」とは原語のギリシャ語で「ロゴス」といいます。「物事を束ねる。本質を整える」という意味があります。このロゴス=言葉を、イエスや弟子達が日常的に話していた当時のヘブライ語・アラム語に置き換えると「ダバール」と云います。「ダバール」は「言葉」と訳されていますが「内側から吹き出してくる生命」という意味があります。ヨハネ福音書の冒頭に「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という有名な一句があります。聖書の思想に立って、言葉そのものを捕らえ直すと「神の吹き出してくるような生命が、イエスを通して人類にあふれ出てきた。神の命が私達へと吹き出してきた」という意味になります。つまりイエスのたとえた砂地は、イエスの語った言葉そのものがない場所であり、岩にたとえられた「土台」は、神の吹き出してくるような生命が躍動する場だと云えます。吹き出してくる神の生命、イエスを通してあふれ出てくる命に促されて、私達の人生が整えられてくる様をイエスはたとえています。
 イエスの山上の説教の締めくくりに納められた、このたとえは行為重点の教えです。この箇所までにマタイ福音書に綴られているイエスの言葉は、愛を喪失していくことへの警告とも捕らえられます。人間の自己中心的な営みへと、イエスの鋭い神の言葉=吹き出してくる神の生命が対峙していきます。
 この対峙していく様、向かい合っていく様こそがイエスの真骨頂です。対峙する、向かい合っていく様は、聖書では実は非常に近寄っていく、顔を合わせていく行為なのです。同じ所に立って、顔と顔を合わせるという行為なのです。上から何かを与えようとするのではなく、同じ所にたって悲しみは悲しみとして共感する、一緒に涙を流すという一人一人とイエスが顔を合わせていく姿なのです。
 言葉と行為を一体化させていく聖書本来の視座に立って、山上の説教を読み返すのならば、イエスが語る一つ一つの言葉には、人間の罪なる姿への激しいまでの慟哭、しかしそれを赦しつつ、私達の悲しさに涙を流しながら立つべき土台を備えて下さるイエスの十字架への道のりが見えるはずです。
 同じ所にたって悲しみは悲しみとして共感し、一緒に涙を流すという顔を合わせていく姿、言葉と行為を一体化させていく聖書本来の視座にこそ、私達の土台を据えたいものです。その時、吹き出す神の生命に私達の人生は豊かにされていくのではないでしょうか。

2022年1月16日 

「新しい創造へ」
ガラテヤの信徒への手紙6章11~16節、
マルコによる福音書10章13~16節


 
 新約聖書時代の伝道者と賞される使徒パウロが、ガラテヤの信徒への手紙を、次のように締めくくっています。「大切なのは、新しく創造されることです」。自分自身のことを振り返ってみましても、創造の営みは大変なことですし、自らが新しく変わること、また、新たに変えられることは本当に難しいことです。
 先ほど読まれました聖書の箇所は、そんな実例でもあります。マタイ、マルコ、ルカという共観福音書全てに共通する記事ですが、マルコの福音書10章の13~16節がそれです。
 皆さんご存知の子供を招くイエスの箇所です。弟子達が子供を拒絶したことを見て、イエスが憤り、弟子達を制してこの子供らを祝福されたという記事です。よく見ていただきたいのですが、共観福音書はどれも、この記事を福音書の後半に治めています。それはイエスの生涯の後半ということです。つまり、弟子達は、イエスとすでに長い間旅をしてきて、寝食を共にしてきました。ある程度イエスの語ること、イエスの教えを理解していたと理解してもおかしくはないはずです。そしてこの箇所は、直前のマルコの9章33節以下にもあるようにイエスが子供を受け入れ、祝されることも分かっていたはずという文脈で記されています。
 しかし彼らは何を思ったのか、9章でイエスが子供を抱き上げ祝したにもかかわらず、ここでまた子供を排除しようとします。つまり彼ら大人が、弟子達が、生まれた時からしみついているユダヤ教の教え、仕草、振る舞いなのです。彼らも子供の時には、そのようにあしらわれていたのでしょう。そのように追い払われていたのでしょう。
 従来、この箇所は、子供を受け入れるという美しい場面のみが強調されてきました。しかし、人を排除するというこの身にしみついているユダヤ教の教え振る舞いへの強烈な批判と、どうしても拭い去ることの出来ない私たちの愚かさを語っているものでもあるのです。そしてこれは共通して福音書の後半に記されていることを考えるのならば、私達の拭い切れないものと共に、十字架にはりつけにされるイエスを語っています。
 ぬぐい去ることの出来ない、生活習慣、環境、広くは社会、文化、国のあり方は、私たちのこの身に染み着いています。それは本当に教会でも、知らぬ間に振る舞いとしてしぐさとして現れているものと思われます。
 けれども、私たちが聖書の告げるイエスの振る舞いや仕草、姿勢をこそ求めていく時、私たちの内には、これまでの罪に死ぬ十字架とそこから新しく生まれかわる復活のイエスが生きて来るのではないでしょうか。弟子達はユダヤ教の教えや振る舞いが染み着いていました。しかし、そんな弟子達もイエスの死と復活の出来事が内に宿り、新しく歩み始めることができたのです。
 シャーロット・エリオットという讃美歌作家がいました。讃美歌21では433番を作っています。433番という讃美歌は、伝統的に洗礼式の後に応答の讃美歌として教会では用いられてきました。今日は讃美歌作家シャーロット・エリオットをご紹介させていただきます。
 シャーロット・エリオット、彼女は1789年にロンドンで生を受けましたが、もともと体が弱かったために、家の中に閉じこもりきりの生活を送らざるを得ませんでした。自分のしたいこと、夢や希望を断念せざるを得ませんでした。
 しかしある日、ジュネーブの伝道者マラン牧師と出会い、彼女は何も出来ない自分でさえ「主の十字架によって、ありのままに赦されている」ことに、心の琴線が振るわされてゆきます。十字架の上で無力のままに死なれたイエスにこそ、無力の自分が重ね合わされ、そこにこそ希望と力があることに、気づかされて行きました。
 彼女はその後、1871年に81年の生涯を閉ずるまで、150曲もの讃美歌を作りました。そのどれもが心や体に痛みや不自由さを憶える者、深い悩みの内にある者へと届けられた主の出来事を歌い上げていると言われています。様々な事が要因で無力であらざるを得ない人々への共感、しかし共感だけではなく「ありのままが赦されている」幸いを感得した者が、イエスの十字架によって変えられていく復活の力が秘められています。そんな彼女の作品は、どれだけ多くの人々に慰めと希望を届けてきたことでしょうか。
 こうして「ありのままに赦されている」との感謝を歌い上げるこの曲は、教会では古くから洗礼式だけでなく、聖餐式の際にも歌われてきたのでしょう。
 この私を在りのままに赦して下さった十字架のイエスを命の源として、シャーロット・エリオットは無力な自らが変えられていきました。この私を在りのままに赦して下さった十字架のイエスを基軸として、キリスト教迫害者であったサウロは、キリスト教伝道者パウロとして甦っていきました。
 私達はたとえ大人であっても、イエス・キリストによって新しく創造されてゆく無限の広がりと希望とが与えられているのです。今日は、この後、幼児祝福式が執り行われます。私たちもまた、こどもの様に素直に、イエス・キリストの出来事を心に刻みたいと思うのです。
 そして、新しい年に相応しく、信仰が深められ、希望に満ちた新しい歩みを成していきたいものです。

2022年1月9日 

「主の器として」
マルコによる福音書13章32~36節


 ある日の新聞に、最近の子どもたちの「跳ぶ」能力が著しく衰えているという記事が載っていました。「走り幅跳び」でいうと、10年前より約30センチ跳力が落ちているとのことです。なぜ最近の子どもたちの跳力が衰えているのか?その理由が書かれていました。
 一つは、子どもたちの体格が大きくなっていること、もう一つは、小川や水たまりがなくなり、「跳ぶ体験」が少なくなってきたことによるそうです。そう言われれば、最近の子どもたちは高い所から飛び下りたり、小川を跳びこえたりすることはほとんどないようです。
 飛べないといえば、羽根がありながら飛べない鳥にニワトリがいます。旧約聖書にはほとんど登場せず、新約聖書のみに登場する鳥です。
 なぜ旧約時代にニワトリが登場しないのか?上野動物園の園長をされていたクリスチャンでもある小森厚さんによると、ニワトリが伝わり、家庭に広がった時期と関わりがあるそうです。ニワトリは、東南アジアに野生するセキショクヤケイ(赤色野鶏)から家禽化されたものが世界中に広がったものだそうです。東南アジアと同じ稲の文化圏である日本には、非常に古くから伝わって来たようで、古事記の物語にも登場します。
 東南アジアからインド、ペルシャを経て広がっていきましたが、初めから現在のように肉や卵を採るための家禽として伝えられたのではありません。闘鶏や占いに用いられていたそうです。また、ニワトリが夜明けと共に鳴く習性から目覚まし時計の代わりにもなっていたそうです。伝播されていくにつれ、ニワトリは太陽を呼ぶ鳥とみなされ、さらには暗い夜の闇を追い払う光の象徴とも見なされるようになったそうです。
 ペルシャでは太陽崇拝の宗教とも結びついていきました。従って、ユダヤ・イスラエルの地にニワトリが普及するようになったのは、ペルシャがバビロニアを滅ぼし、勢力をギリシャの方へと延ばしていたころ、すなわちイスラエルの民が捕囚を解かれて、エルサレムにもどり、旧約時代が終わろうとする頃でした。ですから旧約聖書には、ニワトリが登場しないのです。
 イエスの時代にはエルサレムでもニワトリが飼われていたそうです。イエスがエルサレムを嘆く言葉に「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」(ルカ福音書13:34)とあるのは、ニワトリのことでしょう。
 さて、ギリシャ語でニワトリをアレクトールと言いますが、アは否定を意味し、レクトロスは「寝床」、併せて「寝床を離れよ」という言葉から来ています。日本で「コケコッコー」と聞き習わしているニワトリの声を、「アレクトール」すなわち「起きろ」と聞き習わしていたのでしょう。新約聖書にもニワトリは未明を告げる鳥として登場します。
 イエスは弟子たちに「その日、その時は、だれも知らない。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである」と告げられました。
 この言葉は終末の時はいつか、という弟子たちの質問に対して、それは旅に出ている家の主人が突然帰ってくるようなものだ。だから留守をあずかる門番がいつも目を覚ましていなければならないように、あなたがたも目を覚ましていなさい、というイエスの教えに続いています。
 そのなかに「夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か」という表現が語られているのですが、なぜ、わざわざこのような時刻(とき)を書いているのでしょうか?
 「目を覚ましていなさい」それこそ終末を生きる者の基本的な姿勢です。しかし、それは四六時中目を開けていることではありません。「これで終わった」と気を抜き、「まだ始まっていない」と気を入れない、その一瞬の無責任の姿を戒めている言葉でしょう。
 一番鶏は、まだ暗い中に鳴きます。夜が白々としたころ二番鶏が鳴き、明け方には次々とニワトリが鳴き出すものです。ニワトリはヨーロッパの教会ではしばしば塔のてっぺんに置かれ、教会がこの世界に向かって「神の国の到来の時」を告げ知らせるとともに、いつも目を醒して世の見張りの役をすべきことを自分自身に課すしるしとなっています。
 高い所に飛び上がることはできなくても、「神の国の到来」を告げ、目を醒して身をつつしむべきことを警告するこのニワトリは、教会のてっぺんに立ち続けるものとされています。
 新しい年を迎えました。この新しい一年は平安な年となるのでしょうか。それとも、激動の年となるのでしょうか。未だ未だ、コロナ禍が続いています。どれほど激動の時代であっても、また「先行き不透明の時代」であっても、私たちは「神の国の致来」を告げつつ、自らの身をつつしみ、いつも目醒めて歩んで行きたいと思います。たとえ翔べなくても、主の器として用いられていることを信じて、新しい一年をご一緒に歩んで参りたいと思います。
 

 2022年1月2日