「パンの家の物語」
ルツ記1章18〜22節


 ルツ記は冒頭の部分に「士師が世を治めていたころ」とあり、物語の時代背景が、イスラエル王朝成立以前の混乱した士師の時代になっています。ルツ記の最後にダビデの名前が出てきますので、士師時代から王朝成立時代への橋渡し的な物語とも言えます。しかし、このルツ記は書かれた時代が、あのバビロン捕囚後であるといわれています。旧約聖書の中でも後期に編集され、書き残されたのがルツ記でもあります。
 ルツ記は、ユダ族が住んでいた土地の一つベツレヘムで飢饉が起こったのでモアブという、これは異教徒の地ですが、モアブの野に移り住んだある家族をめぐる物語です。戦禍、災害、そして飢饉などを逃れて他の土地へと移り住むということは、時代や自然に翻弄される人間の姿です。ある一家はエリメレク、その妻ナオミ、二人の息子マフロンとキルヨンでした。彼らは難を逃れてモアブに住んだのですが、エリメレクが亡くなったという不幸が一家を襲いました。父親の死後、二人の息子はそれぞれモアブの女性であるオルパとルツと結婚しました。ところが一家を襲った不幸は、なおも続きました。
 聖書によりますとモアブに移り住んでから10年後に、二人の息子であるマフロンとキルヨンも死んだと云います。これは旧約聖書特有の語呂合わせによって物語が進む典型的な箇所です。マフロンとは「病気」という意味の名前です。またキルヨンとは「脆弱」という意味の名前でもあります。つまり、二人の息子はそれぞれ、病気の為に亡くなり、脆弱故にこの世を去ったということです。ナオミは夫エリメレクを、オルパはマフロンを、ルツはキルヨンをそれぞれ亡くしました。
 さて、一家を次々と襲った突然の不幸は物語を展開させていきます。夫と息子達に先立たれたナオミは、自分の故郷であるユダのベツレヘムに帰る決意をいたします。不幸が襲ったモアブ、深い悲しみの地から離れたいという気持は当然のことかも知れません。この時、オルパ、ルツの二人のお嫁さんはルツに同行してユダのベツレヘムへとついて行きました。
 その道中、ナオミは二人にモアブに帰りなさいと諭しました。オルパはその事を承知し、ナオミに別れの口づけをしたといいます。しかし一方のお嫁さんであるルツは、どうしても別れたにないと訴え、ナオミについてベツレヘムへと同行しました。ここらへんの聖書の描写は、本当に胸を締め付けられる箇所です。
 ナオミとルツは、ナオミの生まれ育った故郷であるユダのベツレヘムへと到着いたしました。飢饉から10年以上経ったベツレヘムは元の豊かな土地に戻っていたのでしょう。ベツレヘムとは「パンの家」という意味の地名です。元々豊かな土地でした。飢饉を乗り越え、人々がどよめきながら二人を迎えました。その時、ナオミは人々が呼びかける自分の名前を否定しました。飢饉を逃れて移り住んだとはいえ、異国の地で愛する夫を亡くし、更には二人の息子に先立たれたのです。次々と襲った不幸、自分の身に起きた深い悲しみは、自分の名前である「快い」を否定させ、それこそ、マラ「苦い」思いで、苦しみの連続であったことを表現しています。そしてナオミを襲った出来事は、更に、ナオミを、神を否定する者へと、神に呪いの言葉を発する者へとも変えてしまったのです。
 ルツ記のテーマはここにあります。これは同じ旧約聖書のヨブ記と同様のテーマでもあります。度重なる不幸、しかも愛する者を次々と失うという出来事の中で苦しみ、深い悲しみの底へと突き落とされて行く人間の姿、また、神を恨み、信仰への懐疑の中へと彷徨う人間の姿があります。どうしてこんな事が起こるのか?なぜそれが私なのか?という突然の不幸に襲われた人間の永遠のテーマがここにはあります。
 さて、皆さん、共に考えたいと思います。不幸の人ナオミはどうやって癒されていくのでしょうか?一体何が、ナオミをいやしてくれるのでしょうか?
 自分の生まれ育った故郷の景色や人々でしょうか。それとも時が彼女をいやしてくれるのでしょうか。信仰でしょうか祈りでしょうか。一体何が彼女を悲しみから解き放つのでしょうか。
 ヨブ記と同じ共なる神の出来事がこの書には描かれています。ヨブ記の主人公ヨブは、神は何でもして下さり、何でもご存じの方だと思いこんでいました。理由が分かれば自分を襲った不幸は解決するものだと思いこんでいました。だからこそヨブは神を問いつめました。どうしてか、何故か、しかし彼の苦悩は深まるばかりでした。ヨブは気づきました。神は何でも答えてくれるのではなく、ヨブの苦悩を、悲しみを共に背負い、一緒に苦しみ歩んで下さる方であると気づかされたのです。その神は共なる神でした。
 ルツ記のナオミも、はじめヨブと同様でした。神を恨み、神を問いつめます。当然の事だと思います。けれどもこの書の最後で彼女は「魂が生き返り」ます。それはなぜか、ルツという存在が彼女を甦らせてゆくのです。
 ルツという女性も夫を亡くしました。自分も深い悲しみを経験しました。しかしルツは、ナオミという悲しみを抱く人間と一緒に歩むことを決意しました。悲しむ者にルツは仕え、共に歩むことを選び取ったのです。悲しむ者への献身が人間をいやし、再び立ち上がらせてゆくのです。その顔に「快い」笑顔が戻るまでルツはナオミと共に生きたのです。
 異国の地出身のルツ、それは異教徒の人間、しかしルツという女性がナオミという一人の人間の人生を救って行く、そんな物語が旧約聖書の中でも本当に短い、小さい書物に伝えられています。この出来事がベツレヘムで起こったことに注目です。イエスが降り立ったパンの家・ベツレヘム、私達にその命を捧げるイエスの献身を彷彿させる物語です。
 バビロン捕囚を経験した旧約聖書の民は、形骸化した信仰、教義や律法を超えて人間の深み、人間の本当に重い命のあり方を模索し、そこに訪れる神の出来事を、共なる神の姿を描き出したのです。
 他者へ、人への献身が、この世へと下られたイエス・キリストの姿であったことを思いながら、コロナ禍にあっても、共にいて下さる主の希望を抱き続け新しい年へと歩み出したいと思うのです。

  2020年12月27日

「新しき誕生の時」
(ルカによる福音書2章8〜20節)


 ベツレヘムの丘で、野宿をしていた羊飼い達に、天からのお告げがありました。「今日、ダビデの町で、あなたがたの為に救い主がお生まれになった。」。あたながたの為に・・・、羊飼い達は自分たちの為にというこのお告げに本当に喜んだことでしょう。
 なぜなら、羊飼いは聖書の時代、「身分の低い」職業と見られていました。そんな彼らのところへとイエスの誕生、救い主の到来が真っ先に告げられていったのです。
 聖書の中でイエス・キリストは良く羊飼いであると例えられます。羊飼いという仕事は、常に羊のことを心に掛け、一匹一匹を大切にします。そんな羊飼い達は自分たちがそうであったように、救い主はいついかなる時も、自分たちと共にいて大切にしてくださる方であることを、心から喜んだと思います。教会の牧師も羊飼いとしてたとえられることがあります。羊飼いといいますと思い出すことがございます。
 もう30年以上も前のことですが、私は学生時代、神戸にございます日本キリスト教団・神戸教会というところで神学生としてご奉仕をさせていただきました。当時、前前任者の菅根信彦先生が副牧師をしていた頃でした。その頃よく、信徒の方から、第二次世界大戦中、戦時中に神戸教会を牧会されていた高橋健二牧師という方のことをうかがったものです。
 高橋健二牧師は、戦時下の不安と混乱、そして困難に耐えて教会を守り続けた方です。
 神戸教会は神戸市の中央区にある教会です。戦争が激しくなってきた時、教会の信徒達は、牧師の身を案じて、現在の兵庫県三田市へと非難すること、そして子供達と共に疎開するように勧めたそうです。しかし、高橋牧師は、こう答えたそうです。「羊たちが神戸市内に留まり続けているのに、羊飼いだけが、それを捨てて疎開することは許されない」。先生一家は教会に留まり、戦時中の信徒達を励ましていったそうです。
 しかし、その後、神戸に大空襲がありました。市内の真ん中に位置している神戸教会も例外ではありませんでした。教会も空襲に遭い、焼けました。高橋牧師一家は煙にまかれ焼死しました。奇跡的に幼いお嬢さんだけが助かりましたが、牧師と身重の婦人、そしてもう一人の娘さんが命を落としました。
 自らの命をかけて羊と共に歩んだ高橋牧師の姿は、まさにこの世に下られたキリストの光を証するものでした。その後の神戸教会の歴史の中で、高橋牧師の姿は、いつまでも語り伝えられてゆくことでしょう。
 このお話には続きがございます。奇跡的に助かった娘さんは、それからというもの「あの時のことさえなければ。あの時のことさえなければ。」と辛い体験に心を痛めました。本当に長い間、苦しみました。自らの命をかけてまで、守ろうとする教会とは一体何なのだろう、家族を失ってまで務め上げる牧師の仕事とは一体何なのだろう?まさに闇の中を彷徨い続けるがごとくに、苦悩されたそうです。
 しかし何と、その後、牧師と結婚をし、共に教会に集う羊の為に仕え、励ます人生を歩まれたそうです。
 「あの時のことさえなければ。あの時のことさえなければ・・・。」、苦しみの出来事を越えて、あの時のことが、キリストを証する人生へと、神が自分を捕らえて下さったと、振り返り語られたそうです。
 辛い体験、悲しい経験、あの時のことが、その後、本当に多くの人々へと命の尊さと、命の光を届けて行くことへと変えられてゆきました。他者へと、人へと仕えいく、両親と同じ人生へと導かれていったのです。
 この世へと与えられたキリストという神の光は、ローソクの様に自らを燃やし、自らを捧げて私達を照らされる光です。そして、その光は、私達の現実を飲み込む恐ろしい闇を、光にも変えて下さいます。
 神の光は、すでに私達一人一人に届けられています。私達も人生に立ち起こる様々な苦しみを越えて、長引くコロナ禍の中にあっても、人に光を届ける人生へと新しく生まれ変わりたいものです。クリスマス、今宵、そのことを皆様と共に思い巡らしたいと思うのです。

  2020年12月24日

「暗闇に輝く光」
ヨハネによる福音書1章1~13節


 ドイツの作家でミハエル・エンデという人がいます。日本でも大変有名な海外作家の一人です。ある時、ミハエル・エンデは「これまでの作家生活の中で、一番大切な言葉は何ですか?」と質問され、次の様に答えました。「耳をそばだてること、自分という全存在が傾聴となること」と答えています。エンデは「言が肉となった」というヨハネ福音書の冒頭の一句を想定しています。エンデは作家です。言葉や文言の世界で生きる人かも知れません。しかし、エンデは言を失い沈黙を強いられた、あるいは喜びや豊かさを失った人間の現実をこそ、その作品の主題としています。そして命の響きに、命の源である神の言に耳をそばだて、全てをそこに向けていくことを教えています。
 クリスマスは、神の御子・イエス・キリストがこの世へと下られた日です。ヨハネ福音書3章16節の言葉「その独り子をお与えになった」という一句、「与えた」は「放棄する、捨てる」です。ヨハネ福音書流に表現するのならば、クリスマスとは神がその独り子イエスを捨てた、放棄した、失った日です。そんなヨハネの冒頭には、神と共にあった、愛するイエスという言を、この世に与え、この世のために捨てた、放棄した神の悲しみの出来事が告げられています。
 ヨハネはイエスの死後60年後の世界で、再度、神と共にあった言・イエスの降誕という出来事を自分たちの現実に重ね合わせようと、クリスマスの意味を深く模索しています。真っ暗闇のただ中で光り輝く神の出来事を、ヨハネは見続けようとしました。そしてそこから、かすかに聞こえてくる神の命の響きに、神の言に傾聴していきました。
 話は変わりますが、2003年の8月に日本テレビ系列の番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」という番組で「ASL=筋萎縮性側索硬化症」を患った西村隆さんという方が、自分のご家族に宛てた一通の手紙が紹介されました。今、この場をお借りして、そのお手紙をご紹介したと思います。「夢はかなわなかった。でも一つだけかなった夢が、お母さんとの結婚。これが新しい夢の始まりなんだ。君たちが生まれた。ぼくは病気になった。苦しい時、支えてくれたのは、君たちだよ。そして気がついたんだ。ぼくの夢にね。それは、優しさや愛情に包まれて「あー、幸せだなあ」と感じる心。本物の幸せを見抜く心を持つこと。弱さは大切なことを教えてくれる。だから病気やハンディを恥ずかしいとか、悲しいとは思わない。むしろ誇りに感じる。これからも大切なメッセージを伝え続けるよ。君たちが素敵な夢をつかむために」。
 一年後の2004年8月に手紙の主である西村隆さんの著書「神様がくれた弱さとほほえみ」(フォレストブック)という闘病記が出版されました。      
西村隆さんは1960年に兵庫県でお生まれです。西宮市にあります日本キリスト教団甲東教会の教会員でもあります。西村さんは関西学院大学神学部を卒業後、神戸聖隷福祉事業団に入られ、主に知的なハンディを持った方々の自立訓練に携わりました。1997年に発病、残念なことに現在でも原因も治療法も分かっていない病気です。徐々に徐々に、手足をはじめ、身体の自由がきかなくなる病気です。病状が進むと話すことも食べることも、呼吸をすることも困難になっていくという病気です。本人はもとより、家族にもあるいは友人達にも深刻な影響を与える極めて難しい病気と云われています。医学の世界でもこの病気を「現代医学から最も遠く位置する病気」とか「悪魔の疾患」などと言葉の限りを尽くしてその恐ろしさを表現しています。
 西村さんがこの病気を発病し、担当の医師から病気の告知を受けた時、ショックのあまり言葉を失ったといいます。
 暗闇の中へと絶望へと落とされる苦しみの中で、西村さんは「二つの告知」ということを語られています。一つは「病気の告知」です。「悪魔の疾患」を告げられる苦しみと悲しみの告知です。
 もう一つはご本人曰く「神さまに一番近く位置する病気」の告知だと云います。病気は今でも確実に進行しているそうです。しかし、「二つの告知」によって短くされた自分の人生を、もう一度設計しなおす時と、西村さんが考えたそうです。
 「これからの人生を有意義に、そして豊かにするためには、人前で自分をさらけだす勇気と覚悟が必要です。それが私からの生き方の告知です。キリスト教では信仰告白と言います」と語る西村さん、自分の置かれた苦しい現実の中に、なおも根を張り、証の中で成長し続ける「言が肉となった」信仰の出来事を教えられます。
 「弱さは大切なことを教えてくれる。だから病気やハンディを恥ずかしいとか、悲しいとは思わない。むしろ誇りに感じる。これからも大切なメッセージを伝え続けるよ。君たちが素敵な夢をつかむために」。
 刻々と迫り来る最後の時まで、家族、子ども達に大切なメッセージを証し続けています。西村さんという「主の受肉の告知」が宿る存在に接することで、イエスの力が躍動する西村さんという存在を通して、きっと家族は、子ども達は、素敵な夢をつかんでいったことでしょう。
 「悪魔の疾患」という困難な現実のただ中に降りられた、もう一つのクリスマスの物語が、西村さんの心と暮らしへと、肉となっていったのではないでしょうか。絶望から希望が、暗闇から夢の光が生み出されていく、イエスの訪れを示されます。
 今、私たちの世界は新型コロナ・ウィルスによる世界的なパンデミックによって大勢の命が奪われ、なお沢山の人々が苦しんでいます。そして感染の不安や恐怖の中に置かれています。この様な時こそ、私たちもヨハネの様に、真っ暗闇のただ中で光り輝く神の出来事を見続け、神の奏でる命の響きに傾聴していきたいと思うのです。そして言が肉となるクリスマスとは何か、あのマリアの様に静かに思いめぐらしたいと思います。

  2020年12月20日

「希望を持って、待ち続けたノア」
創世記6章9節~17節
ローマの信徒への手紙8章24~25節


 アドベント第3週に入り、クランツにも3本の灯がともりました。今年は、私たちの生活は大きく変わりましたが、その中でもこうしてクリスマスを待つ時を過ごせることは、神さまからの恵みであり、気持ちが落ち着きます。クリスマスは、その時だけを祝うのではなく、4週間前から、1本ずつロウソクを灯して、待ち続けてやって来ます。そのことに大きな意味を感じるのです。
 今日は、この「待ち続ける」ということを、旧約聖書のノアの物語をとおして考えます。ノアの物語は、絵本もたくさん出ていて、映画にもなっている、よく知られている物語です。創世記では6章~9章までにわたる長い物語ですが、今日読んでいただいた聖書は、ノアが神から命じられて箱舟を作成するところです。長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマとあります。1アンマは今の45センチにあたります。計算すると長さ135メートル、幅22、5メートル、高さ13、5メートルとなり、箱舟は今でも再現することができます。少し古いですが1966年製作の「天地創造」という映画では、ノアの箱舟の場面は、箱舟を実際に再現して撮影されました。他にも明かり取りを造れとか、ゴフェルの木で造ってタールを塗れとか、神さまはとても細かくノアに指示しています。ノアは神の言葉そのままに一生懸命箱舟を作り、完成させました。ノアは、妻と3人の息子たち、またその妻たち、合計8人で箱舟に乗り込みます。神に呼びかけられた動物たちもやってきて箱舟に入り、箱舟の戸口は閉められます。それと同時に洪水が起こり、地上のすべては水に飲み込まれました。人類は死に絶え、箱舟は水の中を約1年間さまようのです。やがて箱舟はアララトの山にぶつかって止まります。少しずつ水が引いていき、鳩がオリーブの葉をくわえてきたことから、ノアは水が地上から引いて、草木が現れたことを知りました。それで箱舟から出て、神への感謝の礼拝をささげ、神は2度と人を滅ぼさないという契約の虹をかけたというのが、ノアのおおまかなあらすじです。
 ノアの箱舟は、まだ神話の時代の物語ですから、歴史的事実ではありません。しかし背景になった歴史的な出来事があります。紀元前の昔、古代メソポタミア地方では、チグリス川とユーフラテス川という大きな川に挟まれた地域のため、大規模な洪水がくり返し起こりました。1853年にアッシリアのニネベで粘土板文書が発掘され、そこにはノアの箱舟と非常によく似た洪水物語が記されていました。ギルガメシュの叙事詩の一部です。イスラエルの人々はこの地方のバビロニアに住んでいた期間があり、それがノアの箱舟が生まれた歴史的な背景と考えられています。
 
 私は、ノアの物語から、改めて、ノアはなぜ箱舟の中の暗く、閉ざされた生活の中で、先の保証は何もないのに、約1年もの間待ち続けることができたのだろう、と考えさせられるのです。先ほど紹介した「天地創造」の映画でも、ノアは、息子たちに問い詰められています。「お父さん、本当に神は助けてくれると言ったのですか?「一体いつになったら、水が引くんですか?」「外に出られるのはいつですか?」と。ノアは、それに対して明確に答えることができません。ノアは、神から契約書のような目に見える物を与えられたわけではなく、ただ言葉一つを聞いただけなのですから。
 私たちも、今のコロナの状況の中で、先の見通しが立たず、忍耐の多い生活をもう長く続けています。私は、10月半ばころからしばらく、何だか寝つけなかったり、夜に何度も目が覚めるようなことが続きました。一時のことでしたが、同じようなことは、私が勤務している学校の生徒たちからも時々耳にします。学校は夏休み明けからほぼ通常の授業が行われていますが、体育祭も文化祭も中止になり、淡々と授業が続く毎日を過ごしています。少し楽しい企画をしたこともありましたが、感染の不安が常にあるので、大勢で集まることや楽しくおしゃべりすることは避けなくてはならない状況です。と言っても、生徒たちは、マスクはしてますが、休み時間は抱きついたり、くっつきあっているんですけれども、それでもどこか不安定で、我慢が続く生活です。
 聖書のノアは、なぜ、将来の希望を持ち続けられたのかと思うのです。ノアについては、聖書には9節に「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」とだけ書かれています。ノアは、何があっても、家族に疑われても、「神さまは共にいて下さる、必ず将来に希望を与えてくださる」そのことを信じ続けました。ただ信じて、箱舟の中で家族や動物たちの命と生活を守り、なすべきことをはたし続けたのです。それが、ノアの強さでした。信じて、待ち続けることができる力、それが自分と家族、動物たちの将来を守ったのです。
 
 話は変わりますが、今年NHKの連続テレビ小説で「エール」という番組をやっていました。もう終わって次の番組が始まっていますが、この「エール」の主人公の「古山裕一」は、古関裕而(こせき ゆうじ)という昭和を代表する作曲家がモデルになっています。
 主人公の妻、音(おと)の実家は豊橋にあり、聖公会のクリスチャンの家庭でした。この番組のキリスト教に関する考証を担当したのは、聖公会の司祭であり、立教学院の副院長でもある西原廉太先生でした。西原先生は、私の学校にも何度も講演に来ていただいていますので、番組にも親しみを感じていました。
 10月12日の週の番組は、「戦場の歌」というタイトルで、戦争中の戦闘の場面、そこでの恩師の死、親しかった人たちの戦死、空襲による爆撃、音の実家は空襲で焼けてしまうのですが、そんな戦争の現実を描いていました。主人公は、戦争中、国からの要請で、出征する人のために軍歌を作るのですが、それが結果的に多くの若者を戦争に駆り立てていたことに気づき、自分をせめ、音楽を憎み、曲が作れなくなります。敗戦を迎え、それぞれが思いを抱える中、主人公の妻、音の母親光子は、焼け落ちてしまった自分の家の前にたたずみ、十字架のネックレスをつけて、賛美歌を歌うのです。この役は薬師丸ひろ子が演じています。賛美歌の「うるわしのしらゆり」が2番まで歌われました。「うるわしの白百合」は、今の賛美歌21にはありませんが、イースターの賛美歌です。イエスが十字架にかかり亡くなった悲しみと、復活につながる未来への再生を願う、静かですが、力強い歌です。戦争で多くを失ったけれど、十字架のネックレスを人目を気にせずつけて、賛美歌を高らかに歌い上げる姿はとても印象に残りました。
 
 この場面を監修された西原先生は、こう説明されています。   
 「この場面は、最初の台本では薬師丸ひろ子さんが、『戦争、こんちくしょう』と言いながら地面をたたくシーンだった。しかし、ここで「うるわしの白百合」の賛美歌を歌いたいと薬師丸さん自身から提案があり、めったにないことだが、台本が大幅に変更された。」
 「撮影の現場では、この場面はカットがかかっても、スタジオは深い沈黙に包まれ、若いスタッフたちも目を真っ赤にして泣いていた。もうドラマではなく、それぞれが何かを感じ、振り返る時間になっていた。この讃美歌の根底には、死から復活への神学的なメッセージが流れている」と、西原先生はオンラインの記事で書かれていました。 
 この場面は、多くの人に感動を与え、反響を呼びました。
 戦争という理不尽な出来事に国中が巻き込まれ、日常生活を奪われ、誰もが自分の大切なものを失い、またある人は自分の過ちを後悔し、それでもなお生き抜いていく、生きることに立ち向かっていく人々の、生きる強さを私は感じました。古関裕而は、自分を責め一時作曲ができなくなりますが、立ち直り、戦後は平和を願って、人々にエールを送る曲を作るようになり、それがこの番組の「エール」というタイトルにつながっているそうです。戦争とは違うけれど、今のコロナで国中が巻き込まれ、日常の生活が変えられていく中で、それでも日々を生きていく人々に伝わるものがありました。
 今日の新約聖書には「わたしたちは希望によって救われるのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ている者を誰がなお望むでしょうか。わたしたちは目にみえないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」とあります。
 先が見えにくい時だからこそ、神さまは、必ず将来に希望を与えて下さることを、ノアのように疑わず、ただ信じて待ち続けたいと思うのです。神さまは必ずわたしたちと共にいてくださいます。そのことが示されたクリスマスを待ち望むこの時に、希望を持って日々を過ごしたいと思います。
 
(祈り)
 御子イエス・キリストをお与えくださる神さま、どんな時もあなたがともにいてくださることを忘れずに歩む者とさせてください。そして。クリスマスの恵みを少しでも多くの人と、分かち合うことができるように、このアドベントの時を過ごさせてください。愛する主イエスキリストのみ名によって祈ります。アーメン

 (2020年12月13日)

「想定外の者、今、用いられて」
サムエル記上 16:1−13
コリントの信徒への手紙 一 1:26−3 


 あの晩の羊飼いたちに目を留める。彼らは野宿をしていた。今「ステイホーム」を合い言葉にしつつ、私たちは野宿者たち、そして家に帰ることのできない多くの人たちに思いを馳せる。
羊飼いたちは蔑まれていた。安息日を守らないからだ。いのちに関わる者は休むことなく働く。彼らは「エッセンシャル・ワーカー」だ。
羊飼いたちは嫌われていた。上品な着物も振る舞いも持ち合わせていなかったからだ。しかしそれは毛を刈り、肉を捌き、乳を搾り、革をなめすためでもある。彼らによってイスラエルの生活は支えられていた。
羊飼いたちはベツレヘムにやって来て、飼い葉桶のみどり子を見守る。彼らは新しい生命へのケアに長けていたはずだ。寒風すさぶ家畜小屋。身寄りのない聖家族にとって心強い存在となっただろう。
「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2:11)
いのちに繋がり、それぞれの生活を献げる人たちのために、キリストはおいでになった。私たちは今年のクリスマス、その福音を味わい、たくさんの人々の支えによって今日生かされていることの不思議に目を留めたい。


 士師であるサムエルは、嘗て王サウルの即位に際して、任命者の働きをした。しかしこの時、彼はうんざりしている。そもそもサムエルは、イスラエルの上に王を立てるということに消極的だった。王政という外国の風習が、イスラエルに合うはずはないと思っていた。しかし、民に押され、仕方なくサウルを任じたのだ。ところが案の定サウルは王となるや神に背く。宿敵アマレクとの戦いにおいて、不完全なまま勝利を宣言しては、自分の名前を刻んだ戦勝碑を建てさせた。そして、神に見捨てられた。
「もういやだ、ほれ見たことか」とサムエルはやけを起こしそうになる。しかし、神は新たな使命を彼に与える。「エッサイのところに行け。そこで新たな王に出会う」というのだ。しかし、どうしてそんなことができよう。サウルは神から一方的に廃位されたと言っても、この世的にはまだ在位している。サウルの後ろ盾だったサムエルを受け入れることに、サウルの罠を疑われてもおかしくない。となればサムエルの命も危い。だから常識としては、事を荒立てるべきではない。なのに神は、「行け、礼拝の用意をして」と言う。


 「いけにえをささげる」、つまり神に礼拝を献げるということ。それは対立のためではなく「平和なこと」のためだと聖書は記す。今、角に満たされる油は勝手に新王を任ずるためではなく、まして敵を焼くためでもない。まさに自分たちの憎しみを焼き、神に委ねてしまうためのものであった。これはサムエル自身の心を和らげるためでもある。
平和、「シャローム」。それは、自分の力を誇り、他者を敵に見立て、自分に対する無理解者と断じ、却って自分を孤立と孤独に追いやってしまう、その罪業に対する終焉の告知だ。神を見上げるとき、自分がいかに自分の力にだけ拠り所を求めていたか、そして心の安らぎを失っていたかを知る。神は礼拝を献げることをサムエルに命ずる。エッサイと出会うのはそれからであった。


――「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」
ステイホームを守っているか、この世の習わし、世間の常識に準じた行動を取っているか、立派な服装、振る舞いで人と接しているか、自分たちの閉じたサークルに対して友好的であるか ―― そのような尺度によって、神は人を判断しない、というのではないか。この選びの前で、サムエル自身、あっけにとられたはずだ。「自分には人を見立てる力がある。王を選び任ずる権能が与えられている」、そう思ってエッサイのところに来た。ところが、その見立てはことごとく裏切られ、今、彼は想定外の8番目――イスラエルでは7で“完全”と見なされた―― 少年ダビデの前に立たされる。サムエルは辛くもこの帰結を受け入れられた。先立って生け贄を献げ、自らの思いを神に委ねたからだった。


 以前この講壇からも紹介したある方のことを、今再び思い出す。ホスピスに入院する直前に、夫婦でドライブをしたという方だ。いつもどおり横須賀から逗子/鎌倉の海岸を走る道。その途中奥様がずっと泣いている。「だって、あなたがちっとも言うことを聞いてくれずに、お酒ばっかり飲んでいたから。だからこうなったんでしょ」と。「返す言葉がなかったよ」と自嘲された。
その患者さんが入院して、「初めて礼拝というものをした」と私に告げられた。ご夫婦と娘さんの3人で廊下を散歩して、たまたまチャペルの前を通りかかった。ふと「入ってみようか」ということになり、椅子に腰掛けてみた。それを「礼拝をした」と表現されたのだ。
 「どうやっていいかわからないけどさ、こうやって、こうやって(手を組んで、十字を切って)祈ってみたよ」と言う。私が、「どうでした?」と聞くと、その方はとても神妙な顔になり言われた。
 「俺はキリストの声を聴いたよ」と。
驚いた。「何と聴いたのですか」と尋ねてみた。
「『たとえ倒れても、お前はひとりなのではない。たとえ路傍で倒れても、あなたはひとりで倒れるのではない』そう聞いたよ」と答えられた。
 私は、本当にキリストはお告げになったのだろうと思う。この方は自分の体に弱さを覚え、小ささと破れを知り、命の終わりを見定めておられた。そんな中「散々迷惑をかけた」という家族と一緒に礼拝堂に入られた。そして、家族が一緒に時を過ごしてくれている幸せを味わい、そんな幸せが自分に及んでいることの不思議を味わっておられた。その思いの中で、神の前に初めて立たれたとき、キリストが「お前は愛の交わりの中にいる」と語るのを聞かれたのだろう。神が「あなたの最後に、私が寄り添う」と約束されたのだった。


 自信に満ち、世評に耐える者とのうぬぼれを持っているとき、私たちは孤独だった。しかしそうではないこと、自らの無力さを知ったときに神の言葉が届く。あの日羊の番をしていた想定外の者たちに神の声が降ったように。
 この年、私たちは幾重もの力及ばずの場面に立ち尽くした。深い世の傷にも心痛めた。だからこそ、羊飼いたちと共に天使の声を聴きたい。
「今日、あなたがたのために、救い主がお生まれになった」
この年の非力に、今、クリスマスの歌が応えるだろう。

(2020年12月6日)

「イエスが宿る」
(マタイによる福音書1章18~25節)


 椎名麟三という作家が、今朝の聖書の記事にふれて、次のようなコメントを残しています。「聖霊によって身ごもったということは、今日的な言い方で表現すれば、夢で身ごもったというようなもので、誰一人として信じることは出来ないだろう。もしマリアがそういうことを言ったとしたら、全ての人が彼女を馬鹿にし、軽蔑したに違いない」。実際にマリアは「聖霊によって身ごもる」ことにより、「ふしだらな女」という烙印を押されることは必至です。そればかりではなく、当時のユダヤ社会では婚約と結婚とは全く同様に考えられておりましたので、身に覚えのない婚約者ヨセフに対して、マリアには姦淫罪が適用され、石打による死刑が待っていました。
 「夫ヨセフは正しい人」と聖書は訳しておりますが、何の正しさなのか?それは社会通念的な正しさなのか?道徳的な正しさなのか?、正しさほど社会変動の中で、歴史の中で目まぐるしく変化するものはありません。この聖書の箇所で使われている「正しい人」という言葉は、正確には「原則を重んじる人」という意味です。ヨセフが自分の信じる正しさに生き、その信仰でもあるユダヤ律法厳守の原則を重んじれば、重んじるほど、マリアとの愛は破綻へと進みます。そしてヨセフの正しさ、原則を重んじるとは信仰です。ユダヤ律法を厳守する信仰なのです。閉じられ形骸化した信仰が人を滅ぼすという現実が、マリア、あるいはヨセフを襲っています。
 苦悩の中でヨセフは「マリアのことを表沙汰にすることを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心」しました。死を免れたマリアです。しかし、ヨセフの決断は二人の愛を切り裂くものでした。のみならず、家族や親族からは非難を浴びることでしょう。人々からは後ろ指を指されることでしょう。ユダヤ律法共同体である社会からは、拒絶され、どこかでひっそりと生きていかねばならないことでしょう。ある意味でマリアの存在が家族親族、社会から抹消されることとなります。
 神の訪れによって、マリアの一生が終わったも同然となるクリスマス前夜の出来事、しかしマリアは、そのことを承知の上で「この身になりますように」と全てを神に投げ出しました。マタイの告げるクリスマスとは、愛しあう二人の人間を切り裂き、一人の人間の人生をずたずたにしてしまうほどの苦しみの中から始まっています。
 ヨハネによる福音書3章16節に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という大変有名な一句があります。有名な一句ですので、皆様もよくご存知のことと思います。しかし、この「与えた」という聖書の訳なのですが、実は正確には「放棄した、捨てた」という強烈な表現です。神は私達のために、今も述べました人生の宝であり、希望であり最愛の「独り子」を捨てたのです。
 マタイの告げるクリスマスとは、ヨセフという人物が最愛の人を断念し、マリアという女性がそのたった一度しかない人生を放棄した、と共に神がそのひとり子であるイエスを捨てたことによって起こった出来事なのです。幾重もの痛みや悲しみが交差した現実の深みに、イエスという救いが生来していく出来事なのです。
 話は変わりますが、お手元の讃美歌に547番「生まれるまえから」という誕生日の歌があります。教会学校などでお友達の誕生日に歌われ親しまれてきた曲です。この曲は旧約聖書のエレミヤ書1章5節「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた」という一句を元に作詞されたものです。作詞者は富岡ぬいさん、音楽家の富岡正夫さんのお連れ合いであり、東京の巣鴨ときわ教会の会員です。作曲者は三島徹さんです。作詞者の富岡ぬいさんは、長女が与えられた時のことを思い出して、子ども達みんなで歌える曲を願い、詩を書きました。しかし、夫である音楽家・富岡正夫さんに曲を依頼せず、横浜の蒔田教会の教会員であった三島徹さんに曲を依頼しました。
 この三島徹さんという方は、横須賀で生まれました。大船の栄光学園に通っていました。しかし在学中、網膜出血症を発病、三島さんは高校時代に失明。光を失いました。その後、横浜市立盲学校へ転校。鍼灸マッサージ師の資格を得、ピアノと和声学を学びました。作曲した讃美歌としては他に旧讃美歌Ⅱ編82番「きょうありて」があります。三島さんは作曲活動を続けながら1979年に43才という若さで天に召されました。
 高校生という多感な時期に光を失うということ、絶望の暗闇を意味します。これまで抱いていた夢を、希望を、放棄せざるを得ない。そして夢多き未来が閉ざされていく。失意のどん底へとたたき落とされていく。誰もが己の運命を呪うような状況だと思います。しかし三島さんを支えた信仰こそが、神がイエスという宝、イエスという希望を捨て、三島さんの現実へと宿った出来事に他なりません。暗闇という己の苦しみの中に宿りゆく、神の救いを三島さんは感得し、己の腹の中で胎動していくイエスという旋律をこそ、曲に託し続けたのです。
 イエスの出来事が我が身に起こる、イエスが己の腹の中で息づく、そのことが「この身になりますように」。マリアにとっては、一度は捨てた悲しい人生でした。ヨセフにとっては心引き裂かれる愛の断念でした。しかし神の救いが人の腹の中で胎動し、そして「目覚めて」いくのです。イエスが与えられたので、マリアとヨセフの愛は繋ぎ留められました。苦悩する人生から、喜びに溢れる人生へと甦って行きました。二人には新しい信仰と、そして歩みが生来しました。
 八方塞がりの中で、それこそ押しつぶされそうな悲しみの中で、イエスが宿り新しい命へと復活させられていく、それがマタイ曰く「イエス・キリストの誕生の次第」なのです。

 2020年11月29日

「地を耕し、種を蒔く」
(マルコによる福音書4章1〜9節)


 フランスの農民画家・ミレーの作品に「播く人」という絵があります。一人の農夫が力一杯に種を蒔いている絵です。日本の農家の方が見たら、大変おかしな蒔き方をしているなあと思われるかも知れません。力まかせに播いているので、種はどこへ飛んでいくか分かりません。しかし、その種まきは長くヨーロッパでの種まきの方法でありましたし、イエスが生きた古代パレスチナ地方に伝わる伝統的な農法の一つでもありました。
 このことをよくよく考えておかないと聖書の種まきの意味も分からなくなります。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土が少ない所に落ち、そこは土が薄いのですぐに芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生えて、育って実を結び、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍にもなった」。この譬えでは、蒔く人は同じであり、蒔かれる種も同じです。ただ、たまたま種が蒔かれたところが道端であったり、石地であったり、茨の中であったり、幸運にも良い土地に落ちた種が実を結びました。その結果、芽が出て実を結ぶ段階になると、非常に大きな違いが出てきたというお話です。このイエスの譬えが直接的に語ろうとしているのは、種を蒔く側の問題ではなく、蒔かれた側の土地の問題、つまりイエスの話を聞く側の問題であるということです。
 恐らく、これはイエス自身の経験からくるお話であったと推測されます。イエスの語ることを聴こうとせず、始めから敵対する者、聴いては一時的に熱心な信奉者となるが、風向きが変わると冷めて離れていった者、実を結ぶかと思っていたら、熱い風で枯れてしまった者等々、聖書を読むとそのような人々が沢山登場いたします。しかしそれも、私達の信仰生活の現実です。イエスが蒔かれる種は、必ずしも良い土地ばかりではありません。道端や石地、茨の地であったりします。蒔いた種が育たないことがしばしばあります。
 1864年にアメリカン・ボードの一員として横浜の地へと辿り着いた聖公会の宣教師・ウィリアムスという人がいます。彼は当時の日本の状況が、キリスト教宣教にあたって、道端であり石地であり茨の地であったことを書き残しています。「日本では公然とキリストの福音を伝道しようという私達の長年の希望は、まだ実現しません。今日まで私達は農夫として、石をかき集め、茨を取り除き、将来そこに鍬を入れる準備をし、あちこちで密かに良い種を蒔き準備をしています」。ウィリアムスだけでなく、幕末から明治期にかけて日本に来た宣教師達は、困難を極める状況の中で不毛の土地である日本、横浜を見捨てることはしませんでした。反対に石を取り除き、茨を一生懸命に引っこ抜き、荒れた土地を耕し続けました。そして密かに種を蒔いていました。イエスの言葉と行為に生きたい、イエスに従いたい、しかし現実は困難を極めます。きっとアメリカン・ボードの宣教師達も現実に愕然としたに違いありません。多くの同労者たちが挫折をし、故郷に帰ったと思います。けれども残った彼等は、イエスの話を自分たちの現実の中で読み返し、石地を茨の地を良い土地に変えるために日本の地で生き抜いたのです。
 ここで、一つの詩をご紹介したいと思います。「グリーンピース」(「ナルドの壺」)という詩で、西ひろこさんという障碍者の女性が詠った詩です。

 「たまに元気のいい豆は、ピシッ、テーブルの下まで飛んでいきます。
 そんな青いやつを見ていると食べてほしくないんだろうなんて思います。
 手がつかえない私は、足の指で豆をむきます。
 それはとっても ゆかいな仕事です。
 聖書のたとえ話など、思い出したりするのです。
 それは、よい地に蒔かれた種 悪い地に蒔かれた種そういうお話です。」

 西ひろこさんは、自分自身が良い土地であるとは思っていないに違いありません。しかし神が彼女を良い土地として見ていて下さっている、彼女に蒔かれた種が芽生え育つことを神が赦し、それを願っていることに彼女自身が精一杯応えようとしています。「しょうがい」があるということは現実ではマイナスとされ、そこなうと理解されます。現実社会の中で生きるときに、西ひろこさんはどれだけの石に阻まれ、茨に塞がれてしまったかを思います。しかし詩に描かれた世界は限りなく明るい世界です。彼女の「しょうがい」が、彼女の家族をも信仰に導いたそうです。それは百倍とはいいませんが、二倍にも三倍にも育った信仰の実りの出来事がそこにはあります。
 お読みしませんでしたが、4章の13節以下に「たとえの説明」なる部分が続いています。これは古代教会が付け加えた部分であると言われています。古代教会の様々な困難の中から生まれた彼等のたとえ解釈です。この古代教会の解釈には、道端や石地、茨の中の土地をそのままにするという一つの断絶された意識があります。推測されるのがユダヤ教との対立、ローマ帝国支配下の植民地問題、社会的宗教的な習慣という様々な断絶の中で、キリスト教会の置かれた事情があると思います。大変な状況です。イエスの話を聴いても、誰もが挫折せざるを得ない厳しい社会状況があります。しかし、そんな荒れ果てたパレスチナという地にこそ、どうすることも出来ない人間の現実にこそ、神はイエスという神の国の種を蒔かれたのです。荒れ果てた聖書の地に生き、そこで人々を愛し続けた種としての十字架のイエスが、神によって豊かに蒔かれているのです。実りの種だけでなく、滅びの種も、あの十字架上で死んでいくイエスであることに気づかされます。それはこの世界を道端にし、あるいは石地に化し、命が遮られていく茨の状況を生み出す人間にこそ、蒔かれた神の赦しの種なのです。
 宣教師ウィリアムスは、西ひろこさんは、そういう人間の世界をこそ神は愛され、イエスという種を蒔かれていることに開かれていったと思います。現実には荒れ果てた土地ばかりかも知れません。自分自身のことを荒れた土地であると思うこともあるかも知れません。しかし、イエスの十字架という光からもう一度、自分と他者と世界を見つめるとき、閉ざされた現実を切り開く道が備えられていくのではないでしょうか。
 私達一人一人は、常に聖書を通して神によって耕され、イエスという種が今もなお蒔き続けられていることを、しっかりと憶え合いたいものです。

 2020年11月22日

「信仰の復元」

(ローマの信徒への手紙6章1〜11節)


 当教会創立50周年の祝会で関田寛雄先生より祝辞をいただきました。関田先生は、以前青山学院神学科の教師をしていましたが、1977年3月末をもってこの神学科は大学当局によって廃止され、以後、川崎の戸手教会での困難な牧会の後、神奈川教区で巡回教師をされ引退をされました。
 関田先生は「キリスト教入門ー教会ー」(日本キリスト教団出版局)という本を書かれています。その中で次のようなことを語られています。
 「ここで二つの事をいっておきたい。一つは、最もよき教会入門は自ら体を運んで教会の門をくぐることである。しかも思い定めた教会に入り、礼拝や諸集会に通い、根が付くまで、そこで生活することである。生きた教会入門は、その時、誕生しているはずである。それからもう一つは、教会には入門はあるが、卒業はないということである。途中でどうか引き返さないで旅を続けてほしい」。
 キリスト教関係の書物の中には、実に沢山の入門書があります。その中でもご紹介した関田先生の教会入門は、個々人の信仰だけではなく、教会の足腰をも強くする大変優れた入門書であると私は受け留めています。
 教会は一言で表現するのならば、この世に生き、そしてこの世で十字架に付けられたイエスを自らの救い主とする共同体です。そんなイエスを頭とし、イエスに従おうとする集団が教会です。ここに集い、また集められる私たちは誰もが皆完全な存在ではなく、皆どこかに欠点や弱さを持っています。それらを含みつつも、イエスから与えられた使命に生きるという、感謝の群れでもあります。罪の中で、弱さの中で、どうすることもできない私たちを、赦し生かして下さるというイエスの出来事に感謝と自覚をもって関わることが教会とは何であるかを、最もよく知ることになります。欠点や弱さとにつまずきながらも、イエスと共に重荷を負い、そして恵みをいただいていくのが教会です。
 足腰を強くするという考え方は、健康面においてもスポーツの世界でも大切なこととして考えられています。地味な基礎的練習を怠らないで続けるということは、信仰の足腰においても教会の足腰においても大切なことです。
 使徒信条がありますが、この使徒信条に対して非常に疑問に思うことがあります。イエスの一番大切な地上での生涯がスッポリと抜けているということです。非常に理念化され、形骸化された文章になっています。これを唱えていれば信仰は大丈夫と思ったら、それは間違いだといわざるを得ません。元来、使徒信条にはそれぞれの文言である骨格の部分に、約2000年の時代時代の人々や、教会の生きた肉が付いていました。この時代に、この地域で、そしてここに集められた方々と試行錯誤を経て教会の独自の宣教を推し進めるということが、肉の復元でもあります。
 現在、日本キリスト教団の教会は全国で約1700あります。いずれの教会もそれぞれに個性を持ち、その創立時期や教会の変遷、あるいは地域での取り組みは違います。どの教会も皆それぞれに信仰告白という骨格に肉を付けようと取り組んでいます。私はそのような各個教会にしか出来ない宣教、私たち一人一人にしか出来ない証が束ねられたところにこそ、肉の復元があると考えています。
 さて、プロテスタント教会はカソリック教会に対して「ことばの宗教」と呼ばれています。しかし、それは言葉という表面的な意味の世界を超えた、極めて象徴度の高い世界であると思います。そして心理的な傾向が強いものですが、自発的、積極的な行為、具体的応答の世界でもあります。
 竹内敏晴さんという方が「からだとことばのレッスン」(講談社現代新書)という書物の中で「話すとは、ある意味で自分がカラッポになって相手の体に行く、至ることなのだ。話しかけてみようかなと思って動くということは、話し手が相手に呼ばれているということではないだろうか。生きること、たぐりよせること、よみがえらせること、それが話しかけることだ。自分と相手は、本来、閉じた個体ではない」と語っています。
 パウロは今朝の聖書の箇所で、罪に死にキリストに生きるという言葉を繰り返しています。このパウロの繰り返しのように私たちも罪に死ぬことを、つまり神の前での悔い改めを繰り返しています。しかしその度にイエスによって生かされてもいます。祈りや賛美を通して神にイエスに語りかけること、それは言葉というものを越えて、神とイエスと生きることであり、神を、イエスを自らにたぐりよせ、よみがえらせることかも知れません。その時、決まり文句の文言の神が、本当に私達の肉となってイエスが我々の内に生きてくるのではないでしょうか。
 竹内敏晴さんは次のようなことも述べています。「自分の部屋に家族や友人や、あるいは恋人の写真を飾ったりすることも、単に一枚の絵を眺めていることではないはずだ。むしろその写真を通して、その誰かの人格全体と触れ合うことを求めているはずだ。このようにして私たちは人と人とが共に生きているという真に喜ばしい確認を繰り返すのである」。
 パウロは死、復活という言葉で信仰者の生活を表現しています。関田先生の言葉をかりるのならば、根付くまで教会で生活をするということです。繰り返し神と人に語りかけ、祈り賛美を奏で、神と人をたぐりよせること、よみがえらせることです。神もイエスも、そして私たちも定型句という文言の中で閉じられた個体ではなく、開かれた存在です。
 何よりも神がイエスを通して私達の人格全体と触れ合うことを求めておられるのです。神が私たちを思って下さり、私たちも神を思い、祈り語りかけることを通して、共に生き生かされている喜ばしい確認を繰り返すのではないでしょうか。それが日々の信仰の復元ではないでしょうか。

 2020年11月15日

「あなたの賜物」

(マタイによる福音書25章14〜30節)


 今朝の聖書の箇所は大変有名な「タラントンのたとえ」と呼ばれるイエスのたとえ話しです。これはパレスチナ地方に古から伝わる民話を用いてマタイとルカが福音書に収めた話であり、当時の人々にとっては誰でもが知っているおなじみのお話です。この民話に「喜ぼう」と云って下さる神の姿を重ねながら、イエスによって語られるというお話になっています。
 聖書は私達が生きているということを「生かされている」と表現します。つまり私達の命や人生は、自分が勝手に処理をしたり、操作できるものではなく、与えられてあるものだ、支えられてあるものだと云います。与えて下さり、支えて下さるのは神であることは云うまでもありません。
 しかし、私達は時としてこの与えられたものが気にくわなくなります。誰かと比較して自分に足りないものが見つかると不満が沸き起こります。例えば能力の差です。他の人が楽々とやっていることが、自分は一生懸命に取り組んでも出来ない時など、がっくりします。境遇の差というのもあります。有り余るほどお金のある人もいるのに、貧しさに飢えている人もいます。ある人には2タラントン、5タラントンが与えられるのに、自分には1タラントンしか与えられていないという現実です。しかしこれは紛れもない厳しい現実です。これは私達の日常的な現実でもあります。
 しかし、聖書はこのような現実を前にして、能力の差、境遇の差、与えられているものの差、つまり能力の無いと思われる自分を、境遇が良くない自分を、貧しい自分をしっかりと引き受けて応答するかを問うています。それがこのイエスのたとえの一つのテーマでもあります。お読みいただいた聖書の箇所に三人の人間に主人がタラントンを「預ける」という言葉が連発されています。この「預ける」という言葉の下にカッコして元々の意味を記してくれていれば良く理解出来るのですが、実は「預ける」と訳されている言葉は、他の聖書の箇所では「赦す」という訳で使われています。神からその存在を赦され、大きな恵みを赦されているという出来事なのです。そしてタラントンとは恵みであり神から人間に届けられている賜物であります。タラントンというお金の単位が私達にはわかりにくいのですが、1タラントンは6千デナリオン、1デナリオンが一日の労働賃金ですから、20年分の労働賃金ということになります。大きな神の恵みが預けられている、赦されている人間を顕わし、ではその大きな恵みを赦された人間は、その神の恵みにどう神に応えるかというイエスの問いかけにもなっているのです。
 イエスのたとえによると恵み・賜物を活かし用いた2人の人物と与えられ、赦されたものを地中に埋めておいた人物が語られます。預けられたものを活かすということは、神から赦された自分という存在、与えられた大きな恵みを用いて、活かして証するということです。逆に地中に埋めるとは、一体どういうことか?何もしない怠惰な僕だとの言葉は、まだやわらかいほうです。以前にもお話いたしましたが、イエスが姦淫の女性のことで人々から問われた際に、イエスは地面に何かを書いていました。聖書の時代、地に書くとは地獄に名を記す、地獄へと行くという意味だとお話しました。地中に埋めておくと云うことは、イエスの十字架によって神に赦された己を地獄に埋める、神の恵みを地獄に捨てるという意味になるのです。聖書の時代の人々にとっては、神に赦された自分でありつつ何もしない、恵みを活かさない怠惰な姿とは、地獄に自らを埋めるそんな姿として迫っているのです。
 ところで私達は、自分に与えられた神の恵み、秘められた賜物とは、一体何だろうかと、とたんに悩んでしまいます。それぞれタラントンが与えられる、赦されているという表現に含まれる、私が私であることの独自性、固有性とは何だろうかと考え込んでしまいます。「私が私であること」は、自明なことではありません。何かに気遣って、どこかに身を隠したり、自己を美化したり、何かに支配されたり、良い意味でも、悪い意味でもレッテルを張られることがあります。自分自身の発見とは、私は他者が気づかせてくれると思います。出会いが私達の独自性、固有性に気づかせてくれると思います。出会いを通して、本当の自分を捜すこととなります。
 京都で学生時代を過ごしていた時に、神学部の先生がよく「人間とは人生の3割バッターを目指しているものだ」と云っていました。先ほどの話とも関連するのですが、人間のもって生まれたものが3割、育った環境で得たものが3割、そして自分の日々の努力が3割だとたとえられて、その先生は3割を達成することも大変なことであると云われました。しかし人間は一つの条件で決まりません。そしてどの領域も全てではありません。残りのたった1割が非常に大切になると云われました。この1割こそが神との出会いであり、この1割が残りの9割をも変える大切なものです。イエスに出会うこと、異なる他者との出会いを通し、私たちは自らの賜物を見いだしてゆくのではないでしょうか。
 教育学者の佐藤学さんはこう語っています。「今、最も宗教的なことは、教会から最も遠いところで起こっている。同じように、最も教育的なことは、学校から最も遠いところで起きている。周辺にある可能性を探らないといけない」。私達の耳は何の為にあるのでしょうか?私達の目は何のためにあるのでしょうか?私達の口は何のためにあるのでしょうか?耳は神の言葉を聞くため、目は神の真実を見るため、口は神を讃美するためと、こういう教会の優等生的な答えをきっとイエスは求めていないと思います。
 耳は他者の中で胎動する神からの大きな恵み、可能性、神からの賜物の鼓動を聴くためにあるのです。目はそんな他者の可能性や賜物を見いだすためにあるのです。口は人と比較される中で不平や不満を言うためではなく、他者の賜物を表現するためにあるのです。自分でも気づかない相手の賜物を見いだし合う、引き出し合う群が、自己の存在を私達の存在のために十字架の死に引き渡したイエスを頭とする教会なのです。神からプレゼントされたかけがいのない賜物が私達一人一人には秘められているのです。お互いにその賜物を見つけだし、引き出し合いましょう。「主人と一緒に喜んでくれ」、神が、イエスが一緒に喜び合おうと私達に声をかけて下さっています。
 最後に第1ペトロの手紙4章10節をお読みいたします。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」。

 2020年11月8日

「生き給うキリスト」

(コリントの信徒への手紙一12章12〜26節)


 最後の宮大工と言われた西岡常一(にしおか つねかず)さんの「木のいのち、木のこころ」という本に、宮大工が習得した伝統的な技術が描かれています。どんな木も無駄なものはないという信念は「個性を殺さず、癖を生かす」、曲がった木、それてしまった木、堅い木、柔らかい木、癖のある木を読み、適材適所に組み合わせて行くという姿であり、そんな伝統的職人芸によって組み合わされた木は、建築物は何百年という命を得るということです。
 組み合わされる木は、まさに命を得てゆく・・・・、木に命と心を読みとり、木に与えられた賜物を生かす技術は、本当に神業のようです。
 この本は、現代社会や学校教育への問題定義とも読めますし、私達教会共同体を省みることをも促して行く本だと思います。
 私はこの本を読んだ時、牧師は何か信徒は何かと考えました。牧師も信徒も組み合わされる木であろう、宮大工はイエス・キリストだろう、組み合わされるジョイント部分にこそ、信頼と祈りと信仰と希望と愛があると考えました。多分、牧師が一番癖があり曲がった木で、一番扱いにくい木だと思いますが・・・。
 全く違う一人一人がそれぞれの個性を尊び合い、大切にしあうことでお互いの賜物が輝き出す。まさにキリストの体なる教会が語られていると思いました。
 ところで以前にもお話しましたが、グリーフ・ワーク、悲嘆のプロセスという悲しみの過程があります。これは愛する者を無くされた方や家族を対象とする慰めといやしの作業です。誰だって愛する者の死に直面した時、それを受容することは本当に大変なことです。辛く悲しく、あるいはどう表現したらよいのか分からなくなります。生前を振り返り、あの時、もっとこうすればよかった、ああすれば良かったと後悔の念にかられることもあります。愛すれば愛する程、人間の想いは深く計り知れないものです。それらを踏まえ、しっかりと受けとめつつ、愛する者への想いを表現する助け手となり、悲しみへと寄り添うのがグリーフ・ワーク、悲嘆のプロセスの大切な点です。
 状況や過程によって対処の仕方や取り組み方は違いますが、重要なことは深い想い故に、大きな悲しみに直面した者へと寄り添うということです。また、本当の悲しみに出会った時、人はどう悲しんでいいのかも分からなくなってしまうということ。それほど愛する者の死は衝撃であり、私達の心を精神を凌駕します。
 自分自身を振り返ってみてもそうなのですが、私達は日常的に愛する者へ想いを伝えきっていません。照れもあるでしょうし、慣れもあるでしょう。非日常的なことが起こって初めて自分の隣に寄り添っている者の大切さに気づくものです。
 もう随分と前のことになりますが、以前おりました教会で神様のみもとに召されましたある姉妹の葬りの営みに関することですが、仮にAさんといたします。Aさんは亡くなられる半月前位から大変危険な状態になりました。Aさんの御夫君から「もう手の施しようがありません。長くは生きられないでしょう」と担当医よりお話があったことを伺いました。私は病室におられたご家族にお伝えをしました。ご家族皆で、意識が無くてもAさんの手を握り、声をかけてあげて下さい、そして妻へ、母への想いを感謝の想いを伝えて下さいと。
 ご家族と親しい方々との前夜式、葬儀が営まれました。火葬場で待っている時、Aさんのご主人より「牧師さん、本当に泣きました。こんなに涙が出るのかと思う位に泣きました」と伺いました。
 よくご葬儀の際に「しっかりね。がんばってね」という言葉を遺族へとかけることがあります。慰めの言葉の様に私達は考えがちです。しかし張り裂けんばかりの心に必要な事は、深い悲しみを私達も共有することです。
 Aさんのご葬儀は、日を改めて本葬をいたしました。ご家族は皆、落ち着いておられました。悲しむべき時に悲しむ、そんな悲嘆のプロセスを通られたのです。しかし、私はこの間のことを振り返りながらご高齢であったAさんのお母様のことが気になっていました。娘さんを亡くされ、その連れ合い、お孫さんたちが悲しんでいる姿をご覧になられて、しっかりしなくちゃと思われていたのでしょうか。人の心は複雑だと思います。悲しくても悲しめない時もあります。まして自分の家族が嘆き悲しむ時、誰だってしっかりせねばと心高まり、その時を失ってしまうかも知れません。思い返すとき、終始落ち着いておられ、家族のこれからのことばかりを気にされる母の姿がありました。その年代の強さなのか、それとも今、家族の支えは自分だという強い意志なのか。人前では涙を見せないという方なのか。けれどもその強さが、この時、心のバランスを崩さなければいいのだがと心配をしていました。
 その後、召天1ヶ月の記念会が持たれました。式が終わりました。お母様はやっぱり落ち着いておられました。私の気にしすぎかと思いました。その時、一人の姉妹がお母様のところに近づかれました。すると、二人は肩を抱き合い、崩れるように激しく涙を流しました。
 一人の姉妹とはご高齢だった教会員の方でした。本葬に列席出来なかったことを気になさって記念会へと出席下さいました。涙を流し合うその場面は、まさに子供を亡くした母「ナインのやもめ」に涙をされたあのイエス・キリストの様でありました。様々な想いの中で心が、魂が萎縮したAさんの母親の所へと、悲しむ者と共に悲しむイエスを、その姉妹は届けて下さったのです。姉妹は牧師である私の出来なかったことをして下さいました。私はその時、教会には確かにキリストが生きておられる、私達の所へとキリストは本当に生きて働かれていることを思わずにはいられませんでした。私自身も本当に救われた思いがいたしました。 
 「そこで神は、ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです」、神は私達の今、隣にいる一人一人を教会に置かれ、私達に出会わせて下さっています。今、隣におられる一人一人はこの私の賜物を輝かせて下さる神様からの贈り物です。年代を超えて性別を超えて状況を超えて、お互いの違いを尊び合い、そして信頼し合い、一つ一つの働きが、一人一人が結び合わされるのです。そしてその時、私達の思いを遙かに超えた神からの賜物が輝き出し、ていくのではないでしょうか。困難な時にこそ、神の出来事が起こされていくのではないでしょうか。

 2020年11月1日

「後味を生きる」

(ヨハネによる福音書14章25〜31節)


 今から16年前の2004年3月19日に、80才で天へと帰られた能楽師・橋岡久馬さんという方がいらっしゃいます。クリスチャンの方です。もう24、25年も前のことですが、大雪の降る2月に国立能楽堂で「望恨歌」という新作能を観賞したことがあります。創作能とも云うべき「望恨歌」は免疫学者で作家でもある多田富雄さんの作品で、戦時中の日本による朝鮮人強制連行によって新婚生活を引き裂かれた老女を描いたものです。原作者の多田さんによりますと「望恨歌」における橋岡久馬さんの演技は「凄まじいばかりの恨の舞」であるといいます。
 実は橋岡久馬さんは、私が前におりました霊南坂教会の教会員であり、教会の集まりで能についてお話を伺ったことがあります。また毎年年賀状を頂いていたのですが、旧仮名遣いの候文であったために読むのに難儀したことを思い出します。橋岡久馬さんは、若いころに「能の型になっていない」等と批判を沢山受けたそうです。しかし「作品への深い解釈と、型を超えて舞う自由な心に、本来の能役者は、いや人間はこうだったのではないか」と、能楽評論家で横浜能楽堂館長の山崎有一郎さんは橋岡さんを評しています。いつお会いしても、言葉少なにひょうひょうとされ、教会の礼拝でも、教会の結婚式でも羽織袴で通されていた橋岡さんの姿に、イエスの自由さを味わいながら生きる姿を思わされました。
 そんな橋岡さんは生前、能楽鑑賞について次の様なことを語っています。「能の魅力は演じ手を父、観客を母とするならば、出来た子供は後味です。その舞台で綺麗だな、凄いなと感動していただくことと共に、皆さんがその帰り道で舞台の感動を堪能できるような後味が最も大切なのです」。教会生活にも同じ様なことが言えるのではないでしょうか。
 私達は教会で礼拝を捧げ、新しい一週間へと送り出されます。礼拝を通して私達の心と暮らしに呼びかけるものを憶えて、私達は新しい一週間へと遣わされていきます。私達が他の6日間を生きるということは、聖書の言葉に、祈りの一句に、讃美歌の一節に心に憶えるものを得て、神の出来事、イエスの出来事の後味を生きるということです。
 後味を生きるということは、教会流に表現すると恵みの中を生きるということです。けれども、このことを頭では理解していても現実の生活の中では、しばしば応答できないことがあります。後味を噛みしめることが出来なくなります。しかしイエスは云います。「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたに全てのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせて下さる」。私達の立ちすくむ信仰を、なえかける信仰を、イエスの教えと行為を思い起こすことへと導いて下さると云います。
 話は変わりますが、軽井沢の「エマオ山荘」というところに、大きく「愛」と書かれた額が飾ってあるそうです。私はそのレプリカの物しか見たことがないのですが、墨絵にも見えてしまう不思議な愛という文字が飾られているそうです。レプリカを初めて見たとき、私には泣き崩れた悲しいダルマの顔にしか見えませんでした。眺める距離によって、また角度によって墨絵に見えるその文字が「愛」という文字に見えたり、「天の心は久しい」とも見えるそうで、レプリカでしたが額の前を行ったり来たりしたことを思い出します。
 愛とは私達人間が語り、時に交わすものです。しかし人間のはかりごとの中で、時に愛は泣き崩れた悲しいダルマの顔の様に見えてしまうことがあります。悲しく虚しい愛を、私達はいやというほど味わいます。本当の愛を知りたい、深く愛されたいと願い近づいたり離れたり、角度を変えたり行ったり来たりします。
 しかし愛が悲しく崩れてしまう、暗闇を行ったり来たりする私達に、神は久しく変わらない天の心を示して下さったのです。いつまでも変わらずに私達を赦し愛して下さっている神の心を、私達の歩みの基にしっかりと据えていく、その時、神の出来事、イエスの十字架と復活という恵みの中を生きる、後味を生きることへと導かれて行くのではないでしょうか。

  2020年10月25日

「たった二枚の中に」

(マルコによる福音書12章38〜44節)


 今朝の聖書の箇所はマルコ福音書において、イエスの宣教活動のしめくくりの部分となっています。この後の13章は「小黙示録」と云われる部分であり、続く14章以降は受難物語となっています。エルサレム入場以後は、権威について、カエサルへの納税について、最高の戒めについての3つの律法学者たちからの論争があり、それらを終えて、イエス自身が最後に弟子達に教えてゆくという流れになっています。著者のマルコは、3つの物語を並べて配置することによって、イエスの生涯と教えが何であったかを際立たせています。それらの前段としてある律法学者への批判、やもめの献金は後に続く出来事への大胆で強烈な問いかけになっています。
 イエスは「長い衣」「広場での挨拶」「上席、上座」を喜びとする律法学者たちの名誉欲、権力欲、あるいは偽善さを厳しく批判しました。このイエスの批判は、これまでの歩みの中で律法学者と多くの論争を重ねてきた言葉であり、その意味で彼らとの対立を表すものです。そしてそれは、形骸化した信仰への批判です。イエスは貧しいやもめの生き方を通して形だけの信仰へと鋭く切り込んできます。
 イエスはレプトン二枚という当時の通貨で最小単位のお金二枚を捧げた一人の女性の生き方を支持します。ここで捧げられたレプトン銅貨はギリシャのレプタ通貨で、当時のパレスチナで使われていた貨幣の最小単位のものです。
 また、やもめを意味するヘブライ語には「無言の者、語ることのない者」という意味があり、当時の社会での女性の位置や、特にご夫君を亡くされた女性の孤独で悲しい姿が、やもめという聖書の言葉に象徴されています。聖書の舞台であるユダヤ社会は、男性が公的な役割を果たし、女性が自分のために語ることのない社会でしたので、やもめという状況に置かれた女性は、この上なく弱いものでした。ユダヤ律法によりますと、やもめは遺産相続が許されないばかりか、搾取収奪の対象でありました。これらの女性達が受けているヒドイ扱いに対する批判は、旧約聖書のいたるところで見られます。後の時代になって、この様な女性達の境遇に対し、神の特別なお守りの中にあるという聖書の思想も生まれました(申10章18節、エレミヤ49章11節)。
 さて、この2つの物語は、律法学者に見られる形骸化した信仰と、一人の女性が捧げた全財産という神への献身、人間の偽善さと敬虔さという対比、神の前における人間の姿、あり方、生き方が表現されています。更にイエスは38節で「気をつけなさい」、43節で弟子達を呼び寄せて「はっきり言っておく」と非常に慎重に、しかも強調するかのように語られます。これは当時のキリスト教会に向けられた警告であり、また励ましでもあります。
 ジャーナリストの斉藤貴男さんが「日本人を騙す39の言葉」(青春出版社)という本の中で、人間が番号で管理されることや、教育者、学校の先生までもが評価制度で管理されていく制度等によって、次第に適者生存、人間の淘汰を起こしかねない社会に警鐘を鳴らしています。ここにあるのは数値、数による人間理解と、気づかぬうちに一つの形式へと誘導されてゆく危険性です。悲しいことに私達は数字に非常に弱いものです。これがデータですと云われると、ハイそうですかとすぐに現実のこととして受け入れてしまう弱さがあります。数字のマジックとでもいいましょうか。「はあ、そうなのか」と現実や人間を数値で納得し、数値の範囲内に収まろうとする心理的な弱さとそれを巧みに利用する恐さがあります。
 かつて、無教会派の社会学者であった大塚久雄さんは言いました。「形式的な原理は、あらゆるものを数量化し、可能な限り数字で表現する。その反面、人生のあらゆる内面的な意味を剥奪する」。斉藤貴男さんの警告は、今、社会が無批判的な形骸化、形式化へと進んでいることを訴えています。律法学者の形式的な知識や価値観に埋没することなく、それらに拘束されてしまう自らの生き方を問い直すことがイエスの云わんとしていることです。
 レプトン二枚を捧げたという表現は数値化ですが、自分の持っている物を全て、生活費を全部という表現は、単位や数で現れない女性の状況が秘められています。女性は、貧しさの中で生きてゆくに必要な全てを捧げ尽くしてしまうのです。全てを捧げてしまうこと、それに伴うこれからの生活の不安や苦しみ、明日をこれからを生きるための保証を手放すという痛みをも、神に託しているのです。
 私たちは不安や痛みを覚えるとき、神に託すというよりは、むしろ、自分の中でそれらに触れさせないで、頑なに守ろうとします。恐れが伴うからかも知れません。これからの自分の将来を心配し、守ろうとする思いが強く、神に託すことができません。そして他者にも心を開きにくくなります。
 貧しい一人の女性は自分の不安、痛みをも、一切を神に捧げ尽くしているのです。イエスはたったレプトン二枚の中に、いえそれを捧げる彼女の深いところでの激しい痛みや悲しみを見つめられているのです。そして同時に彼女の姿を通して、イエスはこれからご自身が献げるものを見ています。イエス自身が全てを捧げる十字架の死を見つめているのです。貧しい一人の女性の献身の姿は、この後のイエスの受難物語への予告であり、またイエスの生き方の具体的なモデルでもあります。
  イエスはこの女性を祝されました。自分のこれからの不安と痛みを神に託した女性をこそ、イエスは省み、深い憐れみをもって見つめておられたのです。イエスのまなざしは、神がご自分の独り子・イエスを見つめる眼差しであり、神とイエスが私たちを見つめるまなざしでもあるのです。
 私たちは自分の不安や痛みを全て託すということが、なかなかできません。しかし、貧しい女性の行為に秘められたイエス十字架の出来事に気づく時、私たちは不安や様々な痛みを覚えるときこそ、神に見つめられ、神に招かれているのではないでしょうか。「あなたの痛みを私に託しなさい、献げなさい」と私たちに呼びかけて下さっているのではないでしょうか。
 イエスは、人間の深みを見つめ、いと小さき、取るに足りないという人間の価値観や数に表れる大小、優劣を逆転されます。そんな一人の女性の生き方に示された、先立つイエスの姿に思いを馳せたいと思うのです。

 2020年10月18日

「命を輝かす」

(マルコによる福音書8章31〜38節)


 私達の人生は「得る」ことと「失う」ことが織りなしながら展開されていくものだと思います。得ることは喜びですが、失うことは悲しみです。
人は誰でも若さや健康、健やかさ、仕事、取り組むべき事、家族や友人といった、どれも得る時は本当に嬉しいものですが、失う時には大変な悲しみや痛みが伴います。
 また意外なことに普段は何とも思わない、当たり前のように思っているもののほうが、失った時のショックは大きく、自分の人生に大切なものであったと感じることが多いのも事実です。新型コロナ・ウィルスの感染拡大によって、これまでの歩みが出来なくなり、世界中が戸惑っています。以前の日常の大切さを改めて思わされているのではないでしょうか。
 聖書を開いてみますと驚くべき事が記されています。神は与えるために奪い、癒すために打たれるというのです。旧約聖書のイザヤ書22節「主は、必ずエジプトを撃たれる。しかしまた、いやされる。彼らは主に立ち帰り、主は彼らの願いを聞き、彼らを癒される」、また申命記32章39節には「わたしのほかに神はない。私は殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす」とあります。
 大切なことは「生かす」「いやす」が後になっていることです。全て「生かす」ため、「いやす」ためになっています。失ったものの大切さに気づき、以前にもましてその後の人生を意義深いものとして生かして下さるためだということです。
 お読みいただいたエレミヤ書10章19節に「ああ、災いだ。わたしは傷を負い、わたしの打ち傷は痛む。しかし、わたしは思った。これはわたしの病。わたしはこれに耐えよう」とあります。エレミヤも大きな苦しみを経験しました。しかし彼はその痛みの中で神が働いておられることを信じ、その痛みを自分のこととして引き受けようとしています。
 同じく今朝お読みいただいた聖書の箇所には「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音の為に命を失う者は、それを救うのである」、ここでは「命」が問題になっています。イエスの為に命を得る、イエスの為に命を失うとは一体どういうことなのでしょうか。
 この箇所はこれまで「命には救うべき命と捨てるべき命があって、肉体的な命は捨てて魂の命を勝ち取るべきだ」とか「自分には否定される自分と肯定される自分がある」等と解釈されてきました。命や自分を分けて考えるのは正しいことなのでしょうか。むしろ神からいただいたかけがえのない命を、イエスは問題にされて、それを大切に保持しようと用心深く、保身的になればなるほど、命は輝きを失うと云われたのではないでしょうか。
 阪神淡路大震災や東日本大震災では、自然災害、天災といわれる災害に遭った時に、いかに人間の力や存在が弱いものか、もろいものかを思い知らされましたが、同時に崩れ去った後も、何もかも失って無に帰されたときでさえ、人間は立ち上がっていく強さをも教えてくれました。
 阪神淡路大震災の時に兵庫県の多くの教会もまた被害を受けました。家族を失った者、家を失った者、そして教会も会堂や付属施設を失ったりと、その被害は大変なものでした。この時、教会は「地域の復興なくして教会の復興はなし」と言いました。これは兵庫教区でも決議され、教会は自分達の会堂や施設の復興再建よりも地域の人々の生活再建のために励みました。教会は何をしなければならないのか、教会は何のためにあるのか、災害によって多くのものを失いましたが、教会は大きく変革していきました。
 教会も私達も何のために、神によってイエスによって立たされ生かされているのかを真剣に問われているのではないでしょうか。
 今日はもう一つと言いますか、一人の人物をご紹介したいと思います。元ハンセン病患者の谷川秋夫さんという方です。
 谷川さんは若い頃、ハンセン病と診断され親元から引き離され、療養所のある島に隔離されました。もちろん家族との別れだけでなく、友人も失い、学校へ進学する機会も病によって奪われていきました。何度も、何度も療養所を抜け出しますが、脱出しても住むところがなく、再び療養所へと帰っていったそうです。体は病にむしばまれ、不自由になっていきます。もがいても、もがいても抜け出せないような深い井戸に落ち込んだように、谷川さんはしだいに希望を失い、生きる気力と意味を失っていったそうです。
 そんな時、彼は「私がいる」という声を聴いたそうです。これは聴いたというよりも時々療養所で持たれていた礼拝を思い出し、そこで繰り返し読み、聴いた聖書の、イエスの言葉を思い出したのです。谷川さんの凍てついた心に光が射していきました。谷川さんはこの時から真剣に神に真向かっていったと言います。谷川さんは長い闘病と苦しみの人生に神が伴い、自分と共に堪え忍ばれる神がおられることを感得していったのです。
 谷川秋夫さんの77年の人生の日々は、大谷美和子さんという方の手によっての「生きる」という本として証されています。イエスの出来事に自分自身を重ね合わせるとき、一体化させてゆくとき、神の愛が限りなく注がれた存在であることに私達が気づくとき、人間の命は輝いてくることを、教えているのではないでしょうか。
 今、私たちもコロナ禍の中で、以前のような日常を失っています。多くの方々が不安や混乱の中で疲弊し、心閉ざされ、生きる希望を失いかけています。しかし、私たちと神が伴って下さり、耐え忍ばれていることに気づきたいと思うのです。そして必ずや神が希望を与えて下さることを信じて、歩んで行きたいと思うのです。

  2020年10月11日

「遠く離れていても」

(ルカによる福音書18章9〜14節)


 ノルウエーの聖書学者で、ジグムント・モーヴィンゲルという人物が旧約聖書の詩編の研究から、次のようなことを語っています。「古代イスラエル共同体の祈りとは、信仰共同体を力強く包容する行為であって、様々な理念を形成し、もろもろの価値観を教えると共に、その共同体を一つにまとめあげる絆として働いていた。」と言います。つまり、祈りこそが自らと神を結びつけ、さらには自らが身を置く共同体をも、神と結びつけるということです。
 イエスのたとえは始めから強烈なインパクトを受けます。それは、神が人間の心の祈りをご存じであることが語られているからです。
 神殿にのぼったファリサイ派の人は、何も大勢の人の前で、大声をはりあげて祈ったのではありません。彼は心の中で祈りました。しかし、その心の祈りは、まことに思い上がった、高慢なものでした。具体的な事柄をあげて他者を見下すものでした。人の罪を数え上げるものでした。何よりも、優越感にひたるということは、自らをいつも人より優れた者だという自分への讃美に他なりません。それを神はご存じだというのです。
 「奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、またこの徴税人のような者でないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を捧げています。」、まさに、自分へ讃美です。まずこのファリサイ派の人の祈りの一句に注目をしたいと思います。彼の祈りの一句は、当時の社会にあって、それはまず法律を守っているということ、また断食、献金、それは宗教であり、文化であり、当時の社会構造そのものが表現されています。
 その様な中で、イエスは祈りを勧めます。いえ、祈ることは一つだと言わんばかりです。「わたしを憐れんで下さい」。これは、破れや弱さ、罪に苦しみもだえる私を憐れんで下さいとの祈りであり、聖書において「あわれみ」とは「断腸の思い」という意味であり、神が人間と一緒に苦しんで下さる様を表現する言葉です。
 ここでイエスは、徴税人こそが「義とされて家に帰った」と言います。自宅に帰ったのでしょうか。誰もがそう思われるかも知れません。しかし、聖書において「家」という言葉は大変、重要な言葉です。家は信仰の家、今で言う教会です。当時の人々がこの聖書の箇所を読んだのならば、それは我々人間が、帰らなければならない神の家、信仰共同体であることは明らかなのです。家に帰るとは教会に帰るということなのです。信仰者の群に帰るということです。神の憐れみをもって、人々のところへと帰ることです。
 徴税人は、確かに目を伏せ、胸を打ち、自らの罪に対する深い後悔と悲しみにあったのでしょう。けれども「私を憐れんで下さい」、彼は祈りの中で、自分と共に苦しみ、自分と共に悲しむ神に包まれていったのです。彼の祈りは、自分が主語であったファリサイ派の者の祈りと違って、自分は退けられています。徴税人の祈りは、神こそが主語になっています。だからこそ、イエスのたとえ話しは、神こそが人間の心の内をご存知であり、神が人間を憐れむという、神が主語のお話なのです。
 ところで、今朝はもう一つのことを考えたいと思うのです。それはファリサイ派の人物と徴税人は「遠く」離れています。けれども遠く離れた二人の事を、神は、イエスはご存知だったということです。
 新型コロナ・ウィルスの感染拡大が始まってから、ソーシャル・ディスタンスが叫ばれ、密になることや人と距離を置くこと、集まらないことが奨められています。しかし、人と距離を置くと、人間というものは内向きになり、他者の事が分からなくなります。また、内向的になると、どうしても鬱々となります。コロナ渦の終息が一行に見ない現状で、自殺者が急増しています。未来が閉ざされた様に感じ、心までもが閉ざされていくのでしょう。社会全体が自分の事だけになりつつあります。
 最近イージス・アショアの配備が秋田県に配備される計画が中止となりました。事の次第は、大陸弾道ミサイルを迎撃するミサイル防衛システムですが、飛んでくるミサイルを打ち落とすミサイルを発射した場合に発射したミサイルがブーストという打ち上げだけに重要なものが、打ち上げると直ぐに落下してくるというのです。これがただでさえ物騒なものが秋田県に配備されるということに加えて、ブーストという落下物が民家に堕ちると大変だと言うことで、地元住民が反対をして配備を断念したというのです。大抵の人々は、それはそうだろうと受けとめました。
 ですが、沖縄の普天間基地から辺野古への移転問題は、県民投票をして7割近くが反対と県民の意思表示をしているにも拘わらず、今度の新首相は沖縄の同意を得ていると発言しています。これは明らかに秋田のいうことは聴くが、沖縄の言うことは聴かないということです。本土の民意は受けとめるが沖縄の民意は受けとめない、聴かないということです。沖縄の民主主義は認めないということです。
 この事を連日、沖縄の新聞をはじめとするメディアでは取り上げられていますが、本土では何にもふれていないのです。沖縄の民意が無視され、沖縄の民主主義がないがしろにされていることに、本土の新聞やメディア、人間が気づいていないのです。これを構造的な差別と言います。おうおうにして、差別をしている人間は自分が差別をしていることに気づかないのです。差別を生み出す社会構造にどっぷりと浸かっているからです。
 東日本大震災の時は、絆という言葉が叫ばれ、人と人がつながることが呼びかけられました。しかし新型コロナ・ウィルスの感染拡大下では、逆に人と距離を置くことが求められています。人間は距離を置いてバラバラになると内向きになり、関心が自分と身の周りのことだけになるのです。今回、沖縄の事を忘れていること、沖縄の怒りに気づけないということが、もう一度明らかになっているのです。
 かつて私たちの教会は教団の「戦責告白」における沖縄の欠如、その後の「沖縄キリスト教団との合同とらえなおし」の問題に促しを受けた出来事が教会誕生の一要因ともなった教会です。今更ながらに教会創立当初から何も変わっていないどころか、状況は更に悪化していることに気づきたいと思うのです。
 そして遠く離れていても、いつも憶えて下さり、受けとめて下さる神の出来事にこそ、しっかりと立ちたいと思うのです。かつて、この地上で、弟子達のために涙を流し、血を流しながら祈り、とりなして下さったイエスは、今もなお、私たちの背後から哀れみをもって祈られているのです。そんなイエスの祈りにこそ、私達は応答したいと思うのです。遠く離れていても他者の痛みが気づけるようにと祈り願いたいと思うのです。

 2020年10月4日

「悔い改めか赦しか」

(ヨハネによる福音書8章1〜11節)

 レンブラントをはじめ、古くから多くの画家達が今朝の聖書の箇所をテーマとした名作を世に残しています。それほど聖書に納められた「姦通の女」の物語は有名です。
 ところが、この物語はカッコの中に括られています。このカッコは元々の聖書にはなかったものであることを示しています。聖書が成立し、後の時代になって後から付け加えられたものです。ヨハネ福音書の有力な写本に、シナイ写本、ヴァチカン写本、アレクサンドリア写本、パピルスという四つの写本がありますが、その四つ、いずれにも載っていないのが今朝の聖書の箇所です。6世紀に成立した西方教会の写本であるベザ写本にようやく「姦通の女」の物語は載ったということです。
 しかし、現在の聖書に納められていない外典と呼ばれる聖書に、この「姦通の女」の物語が収められています。二世紀の終わりごろに成立した「ヘブライ人による福音書」です。この福音書はエジプト在住のユダヤ人キリスト者が書いたと云われています。このヘブライ人による福音書の記事を元に、現在のヨハネ福音書に収められたということです。では、どうしてこの物語は正典といわれる聖書になかったのでしょうか。
 「姦通」の罪を犯したといわれる女性に対して、イエスが「あなたを罪に定めない」と言い切った発言が問題であったようです。3世紀までのキリスト教には「新律法主義」と呼ばれる流れが存在しました。パウロの書いた物や使徒達の手紙を読みますとお分かりになるかと思いますが、キリスト教会内にも非常に厳格な派が存在しています。戒律にとても厳しい一派との問題にパウロや使徒たちが頭を痛めていたことが分かります。厳格な一派は「姦通罪」をキリスト教における「大罪」の一つとみなし、破門や処罰を行っていたと云われています。当然、彼らからすれば「あなたを罪に定めない」というイエスの言葉は、あまりにもラディカルであったために受け入れられなかったのでしょう。
 それでは、どうして「姦通の女」の物語は、その後、聖書に納められるようになったのでしょうか。
 この物語は四世紀になってヨハネ福音書に入れられました。ご存知のように313年にコンスタンティヌスがミラノ勅令を発布して、キリスト教はローマ帝国に認められるようになりました。それまでの迫害下では、多くのキリスト者が命を落としました。また多くのキリスト者がその苦しみと恐怖ゆえにキリスト教を棄てました。ミラノ勅令後、信仰を棄てた多くの者達が、悔い改めてもう一度、教会の門をたたきました。彼らを受け入れるか否かという大きな問題が起こりました。当時のキリスト教会では大論争になりました。最終的には悔い改めた人々をもう一度教会は受け入れるとする方向で決着がつきました。この「姦通の女」の物語は、そんな背景をたとえとして解釈され、ヨハネ福音書に納められました。
 しかし、この物語はヘブライ人による福音書に最初からそのような意図を持って納められたのでしょうか。そもそも「姦通」の女性は、悔い改めを必要とする「罪人」としてみなされていたのでしょうか。再度、この聖書の箇所を読んでみたいと思います。
 旧約聖書のレビ記と申命記には姦通の罪を犯した者は、男女を問わず共に刑に処される規定があります。当事者にあたる男女は共に刑に処せられるということです。けれども、聖書は女性だけが引っ張り出されて来ました。なぜこの物語は女性だけが咎められているのでしょう。古今東西、社会は弱者に厳しく、しかも不当に弾圧されるようです。しかもこの物語はファリサイ派の人々がイエスを陥れるために策略を練ったものであることが語られています。イエスが「罰しなさい」と答えると、刑の執行権はローマ側にあるので、ローマに対する反抗になってしまいます。「罰するな」と答えるとモーセの律法に背くことになります。どう答えてもローマ帝国あるいはユダヤ当局に訴える口実になってしまいます。
 すると「イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた」といいます。このイエスの態度に、人々の問い詰め、質問のレベルを拒否しているイエスの姿勢が文学的に表現されていると思います。聖書の時代は非常に男尊女卑の激しかった時代です。女性の結婚は、ほとんど例外なく「家父長」によって決められました。女性の意思は認められなかったのでした。婚約や結婚の破棄は男性側だけに認められ、女性には婚約の破棄や離婚を訴える権利さえありませんでした。人が共に生きてゆく場合、実に様々なことが起こります。男性であっても女性であっても、お互いがお互いを尊重し受け入れ、支えあって生きること、互いに与えられた個を生かすという営みは、実に難しいことだと思います。罪を犯した、あるいは罪を犯さざるを得なかった事情や状況下で、女性だけを捕らえて咎めるという場面に居合わせた人々は、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」というイエスの発言に心が締め付けられ、心が絶えられない者が次々と去って行ったのでしょう。
 新約聖書学者の荒井献さんは、この物語が「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい」で本来終わっていたとしています。この物語がヨハネに挿入された背景である「悔い改める」者を受け入れるという出来事に、悔い改めを必要とした時代の解釈が、更に付け加えられていると指摘しています。イエスは女性を罪人とは見ていない、イエスは彼女をそのままに、無条件に受け入れていると荒井献さんは見ています(「荒井献著作集2」岩波書店)。私はこの点から更に、もう一歩聖書に踏み込みたいと思います。
 ここで6節と8節のイエスの動き、身体動作に注目したいと思います。イエスは二度ほどかがみ込んで、地面に向かっています。字面だけを追ってみると、まるで人々に背を向けて、無視しているようです。ここに「地面に書く」という言葉が繰り返されています。旧約聖書のエレミヤ書17章12節に「あなたを離れ去る者は、地下に行く者として記される」とあります。「あなたを離れ去る」が神から離れるで、「地下に行く者として記される」とは「地の中にその名が記される」、つまり「地獄に名をしるす」「地獄に行く」という意味です。イエスはかがみ込んで、人々の名前を土に書いていたのでしょうか。こんなことして争っていたら地獄へ行くぞと示されていたのでしょうか。
 そうではなく、罪を犯す、罪を犯さざるを得ない、また人を裁き裁かれてゆく人間のどうすることもできない姿の前で、イエスはかがみ込み、つまりそんな人間の前で身を低くして仕え、地面に向かって人間の足元の更に下の深みへと行く者としてのイエスが表現されていると思います。ご自身の名を地面に記し、人間の地獄のような実相へと深く、深く入って行く、そんなイエスの姿があると思います。
 悔い改めるから赦されるのではない、イエスがかがみ込み、人間の地獄の様相をさえ背負われ、私達のありのままを無条件に受留められるので、私達の今があり、生かされているのです。
 私達の前に立たれているイエスとは、まず私達の足元より深いところに身をかがめ、そこから身を起こされて、私達に真向かっているのです。繰り返されるそんなイエスの動作が、私達の日常で起こっていることに、気づきたいと思います。信仰の目覚めとは、そんなイエスの赦しが先行していることに気づかされることです。

 2020年9月27日

「愛は対象を持つ」

(ヨハネの手紙一 4章1〜12節)


 本日の聖書箇所であるヨハネの手紙第一は、神の真実に照らされた生き方を「光の中に歩む」と表現しています。神の真実に照らされている状況を「光の中にいます」と語っています。イエスはまさに光として神の御心を表すために派遣された存在であることを伝えています。そして同時に、その神の真実さが覆い隠されている状況を「闇」と表現しています。
 特に、ヨハネの手紙第一は神の真実さを「愛すること」として捉え、「愛すること」を一つの基準として、「光」と「闇」の世界というコントラストを浮かびあがらせようとしています。
 ヨハネ第一の手紙は2世紀初頭に書かれた手紙と言われています。イエス死後70年から80年が経った時代です。
 当時は極端な二元論という考え方が教会を混乱させました。時はローマ帝国の成熟期です。ご存知のようにローマ帝国は次々と地中海世界を支配下に置いていきました。国というものが成長を遂げ、安定期に入りますと次が成熟期です。成熟期は経済をはじめとして、延びしろがなくなります。安定感の中でかつての勢いが無くなります。次第に無気力感が支配的になってきます。頭打ちの世の中になりますから希望がなくなってきます。そして道徳心、倫理観が荒廃していきます。精神と肉体、魂と体、あの世とこの世を極端に分けて考える二元論とは、このような厭世観、世の中を悲観的にみる見方が生まれてくるのです。目に見える体はこの世に属しており、魂はあの世に属していると考えます。魂だけがあの世に行くから、この世に属している体は何をしても良いと考えます。世の中に対して悲観的ですので、この世で生きている内には何をしてもよい、人の事などどうでもよいと自暴自棄な個人的快楽主義に陥ります。他人のことはお構いなしです。自分勝手になる為に、互いに愛し合うことがなくなります。極端な二元論が、当時の世界で大変流行した為に、教会はとても混乱いたしました。
 何か、今の日本の状況にとても似ているようです。皆が個人主義になっています。人との関係性がとても希薄になっています。付け加えるのならば、厭世観が蔓延し悲観的な見方が支配的となっています。世界が滅んでこの世が、社会が、自分の人生がリセットされることを望む大変危険な考え方が徐々に流行り始めています。
 話は変わりますが、常に社会的弱者への視点を保ち続けながら、執筆活動を続けられている森崎和江さんという作家がいます。森崎さんが岩波書店から出されている「いのちの素顔」という本の中に、友人達との一コマを表現した次の様なエピソードが綴られています。ご紹介したいと思います。「旧友達が今年も30人ほど集まって二泊三日の旅をした。出会った頃の笑顔と、今はもう還暦を越した友人達の笑い顔とは、本当に大きな隔たりがある。けれどもなんと軽やかないい表情。誰もぐちをこぼさない。老後をどうするの等と言わない。何とも若々しく、そしてひっそりと他人の世話をしつつ、そのことを語らない。その一人一人の生き方が笑顔の中によく見える。50歳を過ぎてから、あの人もこの人も実に美しくなった。私はうれしくてたまらない。連れ合いを見送ったり、離婚したり、シングルライフの充実ぶりをにじませたりする旧友達が、旅の間のびのびと多芸さを表現する。生きて、顔を合わせていることの幸せだけが、互いの間に流れる」。
 生きて顔を合わせるとは、森崎和江さんの視点から捉えると、長い年月の間に、一人一人が経験してきた人生の多芸さと映るのでしょう。やっとの思いで苦労して子育てをした後、まっていたのは年老いた親御さんの介護、また親を看取った方もいるでしょう。愛する御夫君を亡くされた方もいたようです。熟年離婚をされた方もいるようです。生きることの大変さを誰もが身にしみているようです。誰もが楽になりたいと心の奥底で叫び続けていることでしょう。
しかし「生きて、顔を合わせる」「生きて、顔を合わせていることだけの幸せが、互いの間に流れる」とは、命の底流にある大切なものを、本当にいとおしく、優しく見つめる視点なのかも知れません。 
 かつてフランスの女性思想家シモーヌ・ヴェーユは語りました。「愛は対象を持ってはじめて真実となる」さらに「愛を持って、互いが交わす視点の間に神が現存する」。「神を愛し、隣人を愛する」という聖書の言葉に表現されているように、「天」と「横」の関係、すなわち天・神との関係、横・人との関係が同時に繋がれていなければならないのでしょう。
 聖書のヨハネ教会のように、人との関係の希薄性は、現実からの逃避、現実の否定、そして人間の否定が始まっていくのです。それ故に「神からでた霊であるか確かめなさい(吟味しなさい)」(4章1節~2節)と聖書は語ります。現実に生きたイエスの出来事を基準として、生活しなさい、生きなさいと命じられているのでしょう。
 手紙の著者は愛することが観念になっていく時、それは同時に私たちに注がれたあの具体的なイエスの十字架の愛すらなくなってしまう危険性を、社会と教会に見たのです。イエスの苦悩や孤独が私たちの罪をあがない、和解のしるしとなった出来事、神が私たちのために共に苦しむ、その神の愛すら見落とされていく暗闇を見たのです。 
 私たち教会は神からどんな促しや働きかけを受けているのでしょうか。神の憐れみの霊をうけているのならば、そこにはイエスの十字架の執り成しの力と業があるはずです。そして同時に、それぞれの重荷や課題を負っていくことや、あるいは隣人に対して仕えていくことが臆することなく求められているのではないでしょうか。
 神は私達という一人一人に向かってイエスという愛を注がれました。それは私達に一人一人と生きて顔を合わせようとする神の姿です。私たちと生きて顔を合わせて下さるイエスの眼差しを、今度はお互いに向けていきたいものです。

2020年9月20日

「共に負う業」

 (Num11:10~17)


 
 今朝の聖書は民数記にしるされた旧約の民の姿です。エジプトで苦役を負わされ、奴隷の状態にあった人々が神によって導き出された旅の途上を描いています。荒れ野を旅し続けた人々は食べ物に窮しました。人々は、こんなに辛い目に遭うのならば、エジプトに留まったほうがましであった、いやエジプトの方が良かったと、過去を顧み後ろ向きになる人々に対して、神が天からマナを与えて下さり、人々を省みられた出来事が記されています。
 マナという食べ物は「これは一体何だろう」というヘブライ語「マーナー」という言葉から来ており、種のようなものであったと記されていますが、後に命のパンと理解されます。余談ですが、森永マンナというビスケットがありますが、このビスケットは戦後間もなく森永製菓の創設者であり、熱心なクリスチャンであった、当時、霊南坂教会の教会員であった森永太一郎さんが戦後食糧難の子供達へ「命のパン」となって欲しいと願い、旧約聖書から命名しましたお菓子が「森永マンナ」です。
 エジプトの方がましだったと騒ぐ人々は、天から与えられたマナに対しても不平不満をこぼしました。欠乏の中であげる不平不満ではなく、感謝の中で神からいただいたはずのマナに対しても人々は文句を言っているのです。今に生きる私達も、労力や努力の中である程度、欲しいものが手に入る社会に生きているので、天からの恵みということをすっかり忘れてしまっているようです。命という贈りもの、出会いという贈り物、自然という贈りものをどれだけの人々が天からの恵みと受留めているでしょうか。神からの贈り物であるマナを、神の恵みとして受留めることの出来ない人間の姿を伝えています。民数記の伝えるイスラエルの民は、神の恵みを完全に見失っている姿です。「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、ねぎや玉ねぎやにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」。
 この人々の姿に神は激しく憤りました。この時、出エジプトの指導者であったモーセは苦しみ、神に祈りました。「なぜ僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。~どうかむしろ、殺して下さい」とまで訴えました。
 よくよくこの出来事を読み返してみますと、神がこれまで導いて下さったことやマナという恵みを与えて下さっているにもかかわらず、モーセでさえも、今はすっかりそのことを忘れてしまっています。人々の不平不満の言葉にもう一度注目したいと思います。「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、ねぎや玉ねぎやにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない」。「どこを見回してもマナばかり」ということは「どこを見回しても神の恵み」が彼らと共にあるのです。一時的に人間の腹を満たし、その欲望に満足するものばかりを願い、命を豊かにするマナという神の恵みに背を向けるそんな姿があるのです。そしてモーセでさえもそのことを見失い、神に文句を言っているのです。
 実は私達も同じではないでしょうか。主の約束の成就を心から信じ、謙虚にそして静かに祈ることの出来にくいのが私達ではないでしょうか。静かに神に思いを寄せることなく、口から出る言葉は不平や不満ばかりではないでしょうか。モーセや民がすっかり忘れていることは、神も荒野の旅を一緒に歩んでくださっていること、人々と共に苦しみ、腹をすかせ、のどがかわき、重荷を共に負って下さっていることに気づいていないという点なのです。人々もモーセもまるで神は別のところにいて、そこに向かって文句を言っているようですが、人々やモーセと共に神はおられるのです。
 モーセや民が忘れていることは、神も荒野の旅を一緒に歩んでくださっていること、人々と共に苦しみ、腹をすかせ、のどがかわき、重荷を共に負って下さっていることに気づいていません。
 出エジプト記の3章でモーセが神から召命を受ける場面があります。柴の中の炎に神が顕れ、モーセに出会う場面です。モーセに対して神は名を告げました。「わたしはある。わたしはあるという者だ」。この言葉は本来「私は、私のなろうと欲する者になる」「自分の欲する者になる」という意味です。更に、神が顕れた柴は、貧しさを象徴する植物でもあります。
 神は貧しさのただ中に自らが入り、モーセや民と共に歩みたいと欲したのです。人間と共に生きる者になろうと欲しておられるのです。旧約から新約のイエスまで、神は一貫して共に生きる者になろうと願っておられるのです。マナは種の様なものだと聖書は報告しています。それは一時的に満たされるものではなく、神と人間とで一緒に育ててゆくことで、命の糧となるのではないでしょうか。
 私達の人生という旅にも同伴して下さっています。私達の人生の重荷は、同伴者である神が共に負って下さっているのです。それは私たちが、命の糧へと共にあずかることへの旅なのではないでしょうか。
 そのことに気づく時、不平不満の人生から「どこを見回しても神の恵み」に満ちた人生へと変えられていくのです。  
 今はコロナ禍の只中ですが、人類は何度もこの様な事柄を体験しています。教会は、どの様な時代や状況にあっても、神が同伴して下さっている、山あり谷あり、苦しいこと悲しいことが立ち起こる私達の人生という旅にも、神はいつも同伴して下さっている事を、しっかりと憶えたいと思います。
 
 
<説教の要言>
「どこを見回してもマナばかり」ということは、「どこを見回しても神の恵み」ばかりということだ。一時的に人間の腹を満たし、その欲望に満足するものばかりを願い、命を豊かにするマナという神の恵みに背を向けるそんな姿がある。しかし神はそんな民と共にある。
 
<掲示の言葉>
 欲望を追い続けると
  不平不満に終始する
 共に生きる人に出会うと
  人生は恵みと気づく
 

2020年9月13日

「体験と経験」

(ルカによる福音書10章38~42節)

 心の扉は内側からだけ開かれるものです。勿論、その心の扉を外側から叩き続けることは重要です。しかし無理やり押し入ることはできません。心と暮らしを自らが開きイエスを迎え入れるという信仰の目覚めは、ある意味で冒険かも知れません。
 今朝の聖書の箇所はマルタ、マリアという姉妹の家にイエスが訪れたというお話です。イエスは福音書が伝えるように「罪人、収税人の仲間」とうわさされ、イエスご自身も自ら「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言れるように、旅する放浪の生活であり、なおかつ罪人の仲間と後ろ指を指されるような状況でした。そんなイエスを自分の家に迎え入れるということは、当時、自らも後ろ指を指されるかも知れないし、社会的にみるのならば少数者に組することになります。これも一つの冒険ではないでしょうか。
 人は多数者に組している方が心地よいものです。安心感を得ます。少数者の側に立つこと、少数者の仲間入りをすることは、例えその語ることや行うことが感動的であり、心や暮らしを揺さぶるものであっても、大変組しがたいことです。そしてこの時の冒険というものは「目の前に起こる事柄を避けないで、ありのままに受け入れること」、これはフランス文学者の森有正さんが1977年に講じた「経験と思想」で語っていることです。またこの中で「体験」と「経験」ということを語っています。
 体験と経験という言葉は、かなり曖昧に使われています。体験はどこまでいっても体験の積み重ねに過ぎません。体験の積み重ねによって、人は確かに賢く生きることができるかも知れません。しかし、森有正さんの云う経験とは、「自分にとって意表を付く様な出来事に、身を委ね行動することを深く味わう」という意味です。体験は人を賢くするのかも知れませんが、経験は人の心を開き、その人の人生を新しくするものだと森有正さんは語っています。森有正さん自身、東京にある日本キリスト教団富士見町教会にて受洗をし、その後の人生において繰り返しイエスによって開かれてゆく中で、人を新しくする自らの経験を語っているのかも知れません。
 さてマルタ、マリアの姉妹はイエス訪問を受けています。イエスの言葉、行為に応え、彼女達の家に彼女達の人生にイエスを迎え入れました。ところがこの時、人は一つの危機に出会います。イエスの言葉と行為に触発され、私もイエスに従い生きようとするとき、私たちはイエスと同じように生きられない自分自身に直面します。この様な時、私達はどうしますか。イエスは神の子だから、イエスの言葉と行為はとても手の届かない理想だから、そういい切ってイエスの横を通り過ぎていきます。それともイエスに従い得ない自分自身の挫折、己の弱さそのものを直視せざるを得なくなります。一つの危機とは、そんな岐路に私達誰もが立たされるということです。
 イエスを迎え入れたマルタ、マリアはどうであったか。なるほど彼女達もその危機に直面しています。一人は接待に心を取り乱し、一人は黙ってイエスの足元に座っているがゆえに、何もしないとの批判を受けています。
 他者への奉仕、イエスへの献身は時に争いと裁きを生み出します。他者への奉仕がいつしか自己完結的な己の誇示に変わることがあります。多様な生のあり方、多様な信仰表現の豊かさが、いつしか画一的なものへとおとしめられてゆきます。信仰生活の危機、それは再三再四、私達を襲ってきます。マルタ、マリアという姉妹から聞こえる、イエスを迎え入れた信仰生活のただ中に起こった、いわば「不協和音」がここには生じています。
 キリストの世界で大変有名な「ちいろば先生」と呼ばれた榎本保郎牧師に榎本栄次牧師という弟さんがいらっしゃいます。榎本栄次牧師は「川は曲がりながらも」という自伝を書かれています。この自伝の書名と同じ詩を詠われ、著書の中に収められています。この詩をご紹介したいと思います。
  「私は曲がっているのが好きだ
   曲がっているほうがいい
   そこには優しさがあるから
   川は曲がりながら海に入る
   あの里、この村を潤しながら
   まっすぐだったら洪水になる
   真理だってまっすぐじゃない
   曲がりくねって一つの出来事になる」

 イエスの出来事に心震わされ、イエスを自らの人生に迎え入れる時、私達は自らの弱さや至らなさ、また現実に立ち起こる様々な出来事の中でイエスから背離するか、自分に挫折するかの岐路に立たされるという危機に直面します。まっすぐでない、曲がった己に、あるいは他者に裁きや憤りを向けます。不協和音は信仰生活の真只中で聞こえて来るのです。
 しかし、まっすぐでない、曲がった現実、不協和音や雑音が鳴り響く中で、ただ座っていたマリアの様に静かに神の前に立つことの大切さが示されています。私たちが静かに神の前に立つことを忘れると、不協和音は他者への裁きや神からの背離を招くことに終始します。けれども不協和音を神と己、自分と他者の現実として聴く時、それは神の呼びかけへと変えられてゆくのではないでしょうか。なぜならこの不協和音が鳴り響くただ中をこそ、恐ろしく曲がりくねった現実のただ中をこそ、あのイエスは歩み続け、不協和音を雑音を、曲がりくねった人間の現実を十字架の上で負われたのではないでしょうか。 
 信仰と現実の中での「体験」は、曲がらないように、雑音を出さないようにと人を賢くさせることでしょう。しかし、イエスの十字架の出来事を自らのこととして味わい「経験」することは、私たちの歩みがたとえ曲がりながらも様々なものを潤し、不協和音を神の恵みへと変えていくことなのではないでしょうか。
 「必要なことはただ一つだけである」、イエスの十字架を自らの「経験」として刻み込んでゆくことを常に祈り願いたいと思うのです。
(2020年9月6日)

「考え直して」(Gen27:30~38)


 信仰の父と云われるアブラハムの子・イサク、ヤコブとエサウの父としてのイサクは、その晩年、神の祝福を次の世代へと委ねてゆくという一大事の中で失敗をいたしました。しかし、その中で、彼は神への畏れに立ち返っていくという恵を体験いたしました。
 ヤコブはエサウの長子の特権を騙し取っただけでなく、父イサクをも騙してエサウへの祝福を騙し取ったというのが、今朝の聖書の箇所です。ヤコブがイサクから祝福を騙し取ったその直後に、エサウも料理をととのえて、急いで父イサクのところへとやって来ます。そして「わたしのお父さん。起きて、息子の獲物を食べてください。そして、あなた自身の祝福をわたしに与えてください」声をかけます。エサウのそんな弾んだ声を聞いた時、イサクは一瞬、我が耳を疑ったことでしょう。唖然として「お前は誰なのか」と驚きの声を挙げています。「わたしです。あなたの息子、長子のエサウです」この一言を聴くや、イサクは「激しく体を震わせ」たのでした。
 イサクが神の祝福を自分の意のままにエサウに委ねようとした時、そこには神は居られませんでした。それは神の祝福ではなかったのです。祝福までもを弟のヤコブに騙し取られたエサウの嘆きは、年老いたイサクにとって聴くに忍びないことでした。恐らく、イサクは目がかすんで見えなかったとはいえ、我が子エサウの「わたしのお父さん。わたしも、このわたしも祝福してください」との悲痛な叫び声をあげて激しく泣く姿を、イサクは死ぬまで忘れることは出来なかったことでしょう。神の祝福を取り巻く、人類最古の家族間の人間模様の醜さ、痛ましさがここには描かれています。
 ここでは注意すべきことは、息子のエサウが悲痛な叫びに涙したから、父イサクが「激しく体を振るわせ」たのではないということです。これはエサウを愛していなかったということではなく、エソウが泣き叫ぶ前に、イサクは「激しく体を振るわせ」ていたのです。つまり、当然と思われた長子への祝福が、イサクの意のままではなく、次の世代へと受け継がれていったということです。
 旧約聖書の世界では信仰の継承としてアブラハム、イサク、ヤコブの神と表現します。人間の弱さや醜さの中で、イサクの思い通りではなく、むしろ逆にヤコブへとそれは継承されたのです。「激しく体を振るわせた」という表現は「激しく畏れおののいた」という意味でもあります。意のままにいかない不思議さというよりも、人を欺き長子の特権だけでなく、祝福までもを騙し取ったヤコブを神が選ばれた不思議さに、イサクは激しく体を震わせたのでした。ここに聖書の不思議さ、神の業の不可解さがあります。
 ヤコブが選ばれたのは、兄のエサウよりも弟のヤコブが優れていたからではありません。選ばれた者は、では万々歳かといえばとんでもない放浪の旅が続きます。家族を別れ別れにしただけではなく、そこには憎しみが生まれました。家族のもとにいることができず20年間ものあてのない旅に彷徨います。その間に、母リベカも死んでしまいます。ヤコブが祝福を騙し取らなければ、イサク一家は普通に生活していたかも知れません。しかし家族は崩壊し、ヤコブは目的のない、あてのない困難な旅へと家を出たのでした。
 罪なる姿ゆえに追われていくとは言いましても、アダムとエバ、カインも放浪する身でありつつ、神の導きと守りの中にありました。モーセやダビデもそうでした。一見、彼らの姿は追放、罰といったマイナスの姿として捉えがちです。しかし、放浪を契機に信仰の重要な成熟へと導かれていることに注目したいと思います。むしろ神は罪の中に留まることをよしとせず、そこから脱してゆけとの神の御旨を示しているのではないだろうか。
 例えば私達がヤコブのような問題に直面したのならどうでしょうか。その渦中にあったのならば、私達もきっと心が萎縮してしまうと思います。辛くて、辛くてたまらなくなります。もしかすると心が荒れ果て、あるいは病んでしまうかも知れません。その渦中の中でヤコブは半ば強制的に追いやられていきます。聖書は実にたんたんとこれらのことを描写しますが、目的や目標がない旅に20年間も放浪を強いられています。
 目的や目標の無いあてのない放浪を強いられてゆくヤコブは、何処へどの様に進んで行っていいのか分からないでいます。目の前に広がるのは途方も無い水平の世界です。しかしこのヤコブの水平の世界に垂直に神の導きが描かれてゆくのもヤコブの放浪の旅です。
 その昔、この創世記を編集していった人々は、バビロン捕囚の民でした。彼らは兄弟間の争いの中で、内部分裂を引き起こし、様々な外圧によって滅んでいきました。きっと彼らは滅んだ捕囚の身である自分達の歩みを省み、自分達のこれからの未来に、更なる苦しみと辛さが限りなくあることに嘆き悲しんだのでしょう。未来というこれからに、苦しみの水平線を見ていたのでしょう。しかしその只中にこそ、神は垂直に近づき、導かれるという希望を垣間見たのでしょう。
 自分の意のままにならなかったイサクの畏れおののく姿は、また罪なるゆえに放浪へと追いやられるヤコブの姿は、バビロン捕囚の民の姿なのです。バビロン捕囚の民は、滅びに至った自分達へと、神が希望を携え近づいて下さるという信仰へと導かれていくのです。
 神は私達が失敗をしない立派な人間になることを求められているのではなく、失敗しても、欺いても、憎まれても、呪われても、棄てられても、考え直して悔い改め、神の希望を信じ続ける姿を求められておられるのです。
 今は大変な時です。新型コロナ・ウィルスの脅威は、一体いつ終息するのでしょうか。しかし、不安の水平線の只中にこそ、神の恵みが垂直にやって来ることを信じて、歩んで行きたいと思います。

<説教の要言>
創世記の編集はバビロン捕囚の時代であった。イスラエルは内部分裂と外圧によって滅んだ。きっと捕囚の身である自分達の歩みを省み、未来に更なる苦しみと辛さが限りなくあることに嘆き悲しんだのだろう。しかしその只中にこそ、神は垂直に近づき、導かれるという希望を垣間見たのだろう。

<掲示の言葉>
 希望の見えない
  水平線の先に
 神の希望が
  垂直に下る

「互いのために祈りなさい」

ヤコブの手紙5:13-18 詩編1:1-3

 今日の聖書には「祈りについて」とくに「自分のためではなく、互いのために祈ること」について書かれています。
 今日取り上げましたヤコブの手紙は、全体として行いが強調されていて、律法を重んじるユダヤ教的な文書に近いと言われることがあります。2章14節には「自分は信仰を持っているという者がいても、行いが伴わなければ何の役に立つでしょうか、そのような信仰が人を救うことができるでしょうか」とはっきり書かれています。キリスト教を世界へと広めた使徒パウロは「人は律法の実行ではなく、ただイエスキリストへの信仰によって義とされる」と述べていますので、ヤコブの手紙は、パウロの思想と相反するように受け止められることがあります。ですが、ヤコブの意図はそうではなく、パウロが信仰のみと主張したことによって、行いは軽視して良いと曲解した人たちがおり、その考えを戒めるためにこの手紙を書きました。信仰と共に、信仰を行いとして表すことも大切である、ということをわかりやすく説いたのです。
 とくに、今日お読みした5章の「忍耐と祈り」の箇所は、このヤコブの手紙の結論の部分にあたります。
 「あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌を歌いなさい。病気の人は、教会の長老に祈ってもらいなさい」と、どんな時にも、絶えず主なる神により頼み、一切をゆだねて祈るという、神への深い信頼の姿勢を表しています。
 苦しみの時にも、喜びの時にも、祈るということは、自分の様々な思いからいったん手を放し、心を神に向けるということです。このヤコブの手紙の祈りの勧めは、今のコロナの状況下にある私たちにも、具体的で、わかりやすい信仰生活の在り方を教えてくれます。
 私たちの生活は、たった0.0001ミリの小さなコロナウィルスによって、大きく変化しました。生活のすべてが大きな影響を受け、先の見通しが立たない、忍耐が必要な期間を過ごしています。

 私は学校に勤務していますので、学校の様子を少しお話したいと思うのです。4月に新年度が始まっても、緊急事態宣言の中、学校の休校は続きました。学校としては、どんな時も教育を止めない、ということを目標にして、3月にリモート授業の方法を教師全員で学び、4月からリモートによるHR,礼拝、授業の配信を始めました。中学1年生は入学式も行えないままでしたので、先生方の紹介を動画配信し、新しい教科書は郵送し、新年度を開始しました。5月からは全教科でリモート授業を実施し、礼拝は礼拝堂で録画したものを配信するようになりました。私も、zoomとかmeetという機能を使って中学1年に聖書の授業を担当しました。慣れなくて苦労しましたが、教えてくれる専門の教師もいましたし、なんとかついていったという感じでした。でも初めてのリモート授業では、PCの画面上とはいえ、ずっと会えないでいた中学1年の生徒たちと繋がった実感があり、感動しました。画面の向こうに100人くらいの生徒がいて、繋がって授業ができるというのは不思議な感覚でした。
 6月からは分散登校が始まり、対面授業が始まりました。手洗い、消毒、ソーシャルディスタンスですね、また生徒には一人ずつ大きなパーテーションを机に置きました。一人ずつボックスに入っているような感じで、授業をしても生徒は黒板が見えにくいし、生徒が動くとあたって、時々パッタンパッタンとパーテーションが落っこちたりするのですね。それに自分のものを使わないといけないので、移動教室の時はみんなそのパーテーションを持って移動するのです。「やどかり」とか「かたつむり」とか言っていたのですが、面倒くさそうでしたが、やっぱり心配なので、ちゃんと持ち運んでいました。8月1日から短い夏休みに入り、もう今週半ばから新学期は始まっています。

 4月以来、前例がない、先のめどが立たない、何が正解なのかわからない、という中でさまざまなことを決めなくてはならず、嵐の中を時々何か飛んでくるのをよけ、時にはぶつかりながら、必死で歩んできたような毎日でした。皆さんも、そうだったのではないでしょうか。それぞれのご家庭や働きの中で、戸惑い、不安な日々を過ごされたと思います。この状況の中で大切な家族を亡くされた方、ご病気や介護を抱えている方、小さな子供の育児、医療関係のお仕事などに関わってこられた方々は、もっと深刻で、切実な思いを持ち、重い決断を迫られ、過ごされてきたことと思います。

 学校が臨時休校になってから、学習と同時に学校では「礼拝も止めない」ということを目標にして、礼拝の発信を続けました。その時いちばん大切にしたのは、生徒たちと祈りによってつながるということでした。
 生徒たちも各家庭の中で、友達にも会えず、さまざまな不安をもって生活していました。家族と一緒に過ごすことができる時と、家族も仕事に出て行かなくてはならない場合もあります。でも、どこにいても祈ることはできるし、会えなくてもその人のために祈ることができます。祈ることで神さまにつながり、神さまが友達や先生方、離れている家族とつなげてくださる、そのことを忘れないでいてほしかったのです。
 礼拝は、リモートでの朝のHRの後、そのまま担任の教師が礼拝動画を流す形で行い、祈る時間もとりました。その時間は、それぞれの場所にいてもみんな祈っている、お互いを思い祈っている。そのことでつながっていると感じられる時間になりました。
 とくに高校3年生は受験生ですので、大きな不安や焦りを抱え、またクラブの引退試合や学校行事もみんな中止になって悔しい気持ち、やるせない気持ちをもっていました。高3生がリモートの礼拝にこんな感想を寄せてくれました。
 「私は、毎日不安を抱いていました。コロナウイルスでたくさんの方が亡くなり、いつ自分や大切に思う人達が感染するかわからない、恐ろしくて悲しくてたまらなかったです。しかし、礼拝のお話を聞き、未来がどうなるのかは神様以外の誰も知りえないのだから、明日のことを思い悩んで一日を終えるくらいなら、今日を全力で生きて後悔のない1日にするのが良いと思えるようになりました」
 「自粛警察というのがエスカレートしているのを見て、行き過ぎる正義は中傷に変わるのを感じた。ある意味コロナより人間の方が怖いのではないか。私たちはいったい何と戦っているのかわからなくなる気がした。礼拝を聞いて、どんな時でも、人を中傷するのではなく、理解し、受け入れ、人とのつながりを大切にすることを確認できた。」
 ほんの一部ですが、このような感想がありました。礼拝を共有することで、安心し、自分を取り戻していくきっかけになれば嬉しいですし、何より一人でいてもみんなとつながっていることを覚えていてほしいと願いました。

 5月頃のことになりますが、バンクシーという謎の芸術家が、新型コロナウィルスに最前線で対応している医療従事者を励ます作品を、イギリスのサウサンプトンの病院に贈ったということが話題になりました。
 男の子が自宅でおもちゃの人形で遊んでいます。その手にはヒーローのようなマントをつけた看護師の人形を持っています。看護師の人形は胸に赤い赤十字のマークを付け、スーパーマンのように片手をあげて、マスクをしています。その看護師の人形を高く掲げて遊ぶ男の子の横には、おもちゃのかごがあり、スパイダーマンやバットマンなどのヒーローのフィギアが置かれたままになっています。
 スーパーマンたちは、特殊な力を持った架空のヒーローですが、看護師さんは、私たちと同じ人間です。でも、このコロナの状況の中で、看護師が、子供があこがれる現代のヒーローとして描かれていました。バンクシーは絵と共に「あなた方がしているすべてのことに感謝します」と、医療従事者に感謝のメッセージを送っていました。私は、バンクシーの、とても素直な感謝の表現に感銘を受けました。
 コロナの感染が世界中に広がっていった時、これは戦争と同じだと言われることがありました。比ゆ的に言われたのでしょうが、私はこの言葉には違和感がありました。戦争は国と国、人と人とが対立し、兵士となって殺し合うことです。でも、新型コロナとの闘いは、国と国、人間同士がどれだけ協力できるかが解決につながっていきます。各国の知識を集め、互いに協力することが必要です。医療従事者を差別するような言動や日本でも自粛警察など人が互いに非難し合う風潮が起こっている中、このバンクシーの絵に心を打たれました。こんな時だからこそ、私たちは人を信頼し、すなおに感謝をあらわし、互いを非難するのではなく支え合うことが大切なのだと、改めて気づかされました。今日のヤコブの手紙のみ言葉のように、自分だけの思いから手を放し、神さまを見上げ、互いに祈ることが大切なのです。それが、この危機を乗り越えて、コロナ以降の新しい生活を作っていく時の、基盤になるのではないかと私は思うのです。
 毎日誰かを覚えて祈る時を持ちましょう。私たちは祈りによって、主イエスキリストにつながることができます。そして、イエスキリストによって祈りを合わせるたくさんの人とつながっていくのです。一人で祈っていても、一人ではありません。
 日々祈りつつ、希望を与えられて、どんな時も自分のできることを果たしていきたいと思うのです。

祈り
愛する天の神さま
私たちに、祈ること、互いに祈りなさいと教えてくださったことを感謝いたします。主イエスも、いつも神に祈り、私たちに祈る姿勢を示してくださいました。コロナ感染の閉塞した状況の中、人を疑ったり、非難する気持ちがおこりそうになる時、どうぞ人を信頼し、寛容であること、互いに支え合って生活できるように私たちを導いてください。
この祈りを主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン
(2020年8月23日)

「限りなき恵みの中を」

ペトロの手紙Ⅰ四章七~十一節

 「万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を謹んで、よく祈りなさい」という一句は、これまで様々な理解を生み出してきました。万物の終わりが迫るという言葉を聞いて、皆さんはどう思い、何をお感じになられるでしょうか。変わることのない人間の罪なる姿と、どうにもならない現実を感じ、本当に人類の上に神の裁きが起きても何の不思議はないと思われるでしょうか。
 もうすぐ神の裁きがやって来て、世の中は終わってしまうと説くキリスト教の一派があります。世の終わりを待ち望む、キリスト教の一派があります。ところが、そこにあるのは、常に傍観者的な姿勢です。神を信じているから大丈夫、いつ万物の終わりが来ても構わない、それよりもこんなに悪い世の中だから滅びてしまえという姿勢さえも見せます。
 これらに共通するものは、この世とあの世を分ける考え方、また心と体を分ける考え方、さらには霊性を強調することの中で熱狂的に終末を待望する考え方です。こうしたものが声高に叫ばれるのは、決まって世の中が大変混乱している時代や閉鎖的な社会状況の時です。リバイバル、霊性の強調、無批判的な伝道への熱狂が見られます。閉鎖的な状況、危機的な状況の中では何時の時代でも繰り返し語られ、主張されるのがこれらの特徴です。聖と俗を強調し宗教によって俗なる全てを排除しようとするものであり、自分達の主張する聖なるものを押し付け同化させようというものです。
 さて、自分には信仰があるから大丈夫という考え方は、裏を返せば、信仰のない人は滅ぶということです。私達は、その様な考え方こそ、神が喜ばれない事に気づきたいと思います。
 第二次世界大戦前、戦争の足音が迫る中、当時、東大総長であった矢内原忠雄さんは「日本の理想を生かすためには、ひとまずこの国を葬って下さい」と語り、東大を追われていきました。矢内原さんの非戦平和思想は師である内村鑑三から受け継がれたもので、非戦平和思想に立つ著作は多数出版され、ご存知の方も多いことと思われます。師である内村鑑三が1930年に天に召され、その3年の記念の時に矢内原さんは「悲哀の人」という三周年記念講演を行っています。そこには非常時が叫ばれる日本と、本当に非常時なのかと首をかしげてしまう銀座の様子が紹介されています。そこで矢内原さんは「悲哀の人」をこう説明しています。
 「悲哀の人とは自分自身の事を悲しむ人ではありません。自分自身の事を悲しむのは利己的です。全ての人に本当の事が解らぬ時、たった一人、事の真相を見抜いた人、そして皆が黙っている時に一言いう人、それが悲哀の人であります」とエレミヤ、イエスを語ります。更に「我々は神から恩恵をもらうだけでは尽きない。神の恩恵を受けて罪の赦しを被りたる基督信者は、自ら国民の罪を悔い改め、その為に苦しみを受けて、悲哀の人とならなければならない。」。
 私たちはキリスト教や教会での理想と現実の落差が激しいことを悲しみ、教会から離れたりします。信仰と生活とがバラバラであるのに、他者を批判し、自分の信仰そのものを曖昧にします。「神の恩恵を受けて罪の赦しを被りたる」私たちは、悲哀の人とならなければならないという矢内原さんの一句が、時代を超えて迫ってきているように思えます。
 この聖書の箇所は「万物の終わりが迫っています」、終わりが迫るような状況であっても、イエスによって私たちはすでに赦され生かされている、「だから、よく祈りなさい。心を込めて愛し合いなさい。」と、イエスの出来事に立った生き方が奨められている箇所です。
 矢内原さんは「不信者の運命はどうにでもなれと言うのではない」と言います。不信仰な世の中や、にっちもさっちもいかない教会の歩み、そんな中で、自分もその一員であるにも関わらず無責任な他者批判ばかりに、私たちは陥ります。「愛は多くの罪を覆う」、矢内原さんは「世人の悪臭、苦味を己が身に受けよ」と云います。私はこの言葉に改めて、驚きを憶えます。
 世の中の、人間同士の悪臭や苦味から目を背け、自分勝手な聖なる空間ばかりを追い求め易い私たちです。しかし悪臭を、苦味を自分の身に引き受けてゆく生き方こそ、あのイエスの生涯です。
 イエスに従い、現実に真剣に真向かい、心を込めて愛し合い、悪臭、苦味、多くの罪を覆うような人生を味わいたいものです。それらが限りない恵みへの途上であることを信じたいと思うのです。「よく祈りなさい」という言葉を深く噛み締めながら、本当に変えられてゆく、イエスの出来事を感得する歩みへと導かれたいと思います。
(2020年8月2日)

「生かされている恵み」

ルカによる福音書13章:1〜9節

 私たちは毎日、新聞やテレビのニュースを見聞きします。まことに残念なことですが、世の中には本当に辛く、悲しく、痛ましい出来事が多いです。今おかれているコロナ禍の状況も、誰もが「どうして、こんなことが起こるのだろうか、どうして、こんなになってしまったのか」と天を仰いでいることでしょう。災害や病、不慮の事故、理解できないことが私たちの身の回りでは頻繁に起こっています。
 イエスと弟子達、また他の人々が集まっている時、まさにその様なニュースが話題となりました。ルカ福音書13章1節以下に記されています。この地方の支配者ピラトによる政治的な殺害の出来事です。またもう一つはシロアムというところで起こった不慮の事故であります。この事故は18名もの貴い命を奪う衝撃的な出来事でありました。
 二つの事件にイエスは同じように答えています。殺された者、命を落とした者が「罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない」という答えです。
 イエスの「たとえ」で非常に注目したいことは、問題となっていることが、ブドウ園のブドウの木ではなく、ブドウ園であるにもかかわらずいちじくの木が問題とされていることです。本来、ブドウ園ですから、いちじくの木は問題外であるはずです。イエスは多くの人々のように、自分には関係のない他人事として二つの出来事を捉えてはいないということです。「それから…」とありますように、災難や事故は罪深いから…という理由で自分の納得する答えをこじつけているとすると、ブドウはいつでも切り倒せるものとして登場していることになります。
 災難にあった者を「罪深かったからだ」とする人々に対して、イエスは「罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない」と答えました。イチジクの木は実を結ばないから切り倒されてもしかたがない、ピラトに殺されたのは、事故に遭ったのは、罪深かったからしかたがない、そう言い放ち、他人事のように自分だけが納得する、自分は罪深くないというナタをもって、今まさにいつでも木を切り倒せるものとして人を見、人を理解するそんな行為ではないでしょうか。
 ピラトの殺害と事故によって命を落とした者たちは、死してなお、他人を断罪する人々の心によって切り倒されようとしています。イエスはそんな心のナタを振りかざす人々の前に立ち、「このままにして下さい、今年も、もう一年待って下さい」と訴えているのです。
 「かっちゃんの野球」という紙芝居をご紹介したいと思います。すみれ園にかつみ君という腰から下がまったく動かない「障害」を持つ子供がいました。来年は小学校一年生になるという秋のことでした。園庭で子供達が野球をして遊んでいた時、かつみ君も仲間に入りたいと園庭に這い出してきました。彼はバッターになりたいと言って、「かんとく」である友達に申し出ました。座り込んでボールを打ちます。当然、ストライク・ゾーンは低く、そして狭くなります。バッター有利です。しかも、かつみ君は、毎日、階段昇りなどで腕を鍛えており、同年代の子供達よりも腕の力はずば抜けておりました。ピッチャーの投げる何球目かにヒットを打ちました。当たると良く飛ぶそうです。しかし、一塁まで這って進む間に、ボールを返されてしまいアウトになってしまいました。みんな、残念という顔をしています。まわりの子供達も困ったなという顔をしていたそうです。再び、かつみ君に順番が回ってきました。またヒットを打ちました。かつみ君は必死になって一塁へ這ってゆきます。するとキャッチャーをしていた友達が急に、一塁へ走り出しました。友達は一塁へ着くと、「はやく、はやく」とかつみ君を呼びました。一生懸命に這って一塁へ着きました。かつみ君のヒットがヒットとして、ようやく認められました。
 こうして子供達の間に、新しいルールが出来てゆきました。障碍を持つかつみ君を疎外することなく野球をする道が与えられました。
 子供達は困った顔をして、かつみ君の心の中の、走ることが出来ない、みんなのようには出来ないという悔しさ、辛さを知りました。人の心を想像することで、感じ取ろうとすることで、新しいルールを創造したと言えましょう。
この「かっちゃんの野球」は青木優さん・青木道代さんご夫妻の著書「障碍を生きる意味」(岩波書店)という本の中で紹介されている実話です。この後、子供達は皆、小学校へ上がり、学校のあらゆる階段にスロープと手スリ、そして車椅子用のトイレがついたそうです。「障害」を負った一人の子供の存在が、同じ様な子供達のために道を切り開いて行ったということです。
 「ない、できない」、障碍を持つ者は、この社会のニーズから、人々の願いからはずされてゆきます。また私達は、自分の思惑や希望に合わない者を、そのように疎外しがちです。しかし、「ない、できない」者にこそ、助け手が与えられ、道を切り拓くことへと押し出されていく、そんな出来事を紙芝居は語っています。
 イエスはそんな助け手として、道を切り拓くことへと、私達を押し出すために、この世へと来られました。野球をしているかつみ君に、友達は困った顔をしたと言います。天の神様も、困った顔をして、私達を見ておられます。それは私達の「ない、できない」を本当に自らのこととして困られている顔です。自分中心に生きる私達を、悲しむ顔です。社会と人々によって意味を奪われる者に向かって、本当に涙を流し悲しまれる顔です。
 神はそんな私達を十字架のイエスによって、私達の痛み、辛さを自らのものとして受けとめられました。かつみ君を取り囲む「すみれ園」の子供達もそのことを証ししていると思います。
 困難な状況下でも、私達にはイエス・キリストがいて下さり、他者という助け手を出会わせて下さり、神の出来事によって道を切り拓いていく、共に生きる道が私達には与えられるのではないでしょうか。
 今、このような時だからこそ、神の出来事を覚えて共に歩みたいと思うのです。
(2020年7月26日)

「人間の手中ではなく」

ルカによる福音書12章1〜7節

 聖書が語りますイエス・キリストの回りには実に多くの人々が集まっていたようです。長く不治の病とされていた者、体の不自由な者、「とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏みあうほどになった」。足を踏みあうという描写を読むとき、私たちは本当に数え切れない人々がイエスのまわりで、ひしめき合う状況を想像することができます。
 けれども、このおびただしい群衆は病や困難な状況からイエスに癒してもらうために、救われるために判断をして望んで、集まってきた人々ばかりではないと思います。たとえば、ファリサイ派の者や律法学者のようにイエスを付け狙う者たち、または一目うわさのイエスを見てやろうという単なる野次馬も含まれていたのではないかと思われます。ここには人それぞれの様々な思惑がひしめきあっているのです。
 現在、私たちの教会では新共同約聖書を使っておりますが、以前使っておりました口語約聖書のルカによる福音書12章1節を読みますと、おびただしい群衆が、互いに踏み合うほどに・・・という描写になっております。今、手にしております新共同約聖書では「足を踏み合う・・・」という表現です。以前の口語約聖書では「互いに踏み合う」ということで「足」という言葉は使われておりません。べつに人々が群がってひしめき合っているのであれば足を踏むということは簡単に想像することができます。ところが原文には「足」という言葉はありません。多分、新共同約聖書のルカの部分を訳された方が気をきかせて「足」という語を入れて訳されたのでしょう。しかし、私はこの箇所はあえて「足」という語を入れない方が良かったのではないか、分かりやすかったのではないかと思うのです。「足」という語が入りますと、私たちはサラッと読み流してしまいがちです。へえ、そんなに多くの人々が集まっていたのかというように感心だけで終わってしまいます。が、口語約聖書のように「互いに踏み合う」という具合に訳されていると何を踏み合うのかと考えます。人そのもの、他者を踏み、その存在を踏みつけている人間の状況を現して「互いに踏み合う」と表現されるのではないでしょうか。私たちが先を争って満たそうとする欲望は他者を、人を踏みつけているのではないでしょうか。
 今回の新型コロナ・ウィルスの感染拡大の影響では、人間の善き面も悪い面もが露呈されたようです。現在では大分マスクが店頭に並ぶようになりましたが、最初の頃はお店やスーパーからマスクがなくなってしまい、我先にと買い占める姿がありました。マスクを巡って争う事まで起きました。
 イエスは言われました。「ファリサイ派のパン種に注意しなさい」。ファリサイ派のパン種とはなんでしょうか。私は自らの欲望に従って生きることだと思います。普段は善人のふりをして、虫も殺さぬ顔をしながら、ある時には自分の欲望を満たそうとするときにその罪なる姿をさらけ出してしまう。それはイエスの前で明るみにされるのです。
 それ故にイエスは注意をしなさいと言われます。このイエスの言葉は警告でもあり、慰めでもあります。他者を踏みにじる私たちへの警告と共に、「恐れるな」と何度も言われます。神の言葉へと耳を傾けるのならば祝福へと導かれることを約束しています。
 「神がお忘れになるようなことはない」とイエスはこれ以上ない慰めを語っているのです。人間やこの世の力へと目を奪われる私たちではありますが、神は私たちを忘れてはいないというのです。新型コロナ・ウィルスの状況下でも、豪雨によって被災した方々をも、神がお忘れになるようなことはないと、イエスは教えて下さっています。
 私たちキリスト者にとって、人間に与えられている力というものは、神の恵みなしには何も存在いたしません。人の手の中ではなく、神の手の中にいること、捉えられていることを憶えたいと思うのです。神はお忘れにならないように、私たちもまた神を忘れないように、祈り願っていきたいと思うのです。神に覚えられ、神を覚えていく歩みをなしたいと思うのです。
(2020年7月19日)

「真ん中に立て」

マルコによる福音書3章1~6節

 「イエスは、また会堂にお入りになった」。イエスが会堂に入られたのが、これで二度目だということを伝えています。前回、イエスが会堂に入られたのは、1章の21節以下に記されている時です。人々は皆、礼拝に集っています。しかしこの時「汚れた霊にとりつかれた者」が突然叫びだしたと聖書は報告しています。イエスはその汚れた霊を追い出されました。
 今度は片手のなえた人がいました。今度ばかりは人々は気づいていました。しかもイエスが安息日という日にこの人の手をいやすかどうかを、うかがっていました。イエスがこの律法を破るかどうかに、注目していたのです。
 いやな雰囲気です。何とも言えない意地の悪さ、醜さが、手のなえた不幸な人とイエスをとりまいています。神を礼拝する場が、人を陥れよう、そんな醜さとねたみの場に変えられています。
 イエスと共に注目を集めたこの「片手のなえた」人は、よく聖書で見られるような「生まれつき」という説明が付けられておりません。普通、聖書は生まれつきであるのならば「生まれつき」と説明していますので、この人物の手は、何か事故か病気で、突然不自由になってしまったのでしょう。
 この時代、片手を失うということは職業を失い生活の基盤を失うと言うことです。多分、彼は物乞いをして暮らすしか生活の術がなかったのでしょう。人の哀れみでしか生きていけない自分、今、その自分はイエスを陥れるための道具とされている、非人間的な扱いを受けているのです。人々の注目を浴びながら、イエスは手のなえた人に「真ん中に立ちなさい」と言われました。
 そして人々に「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と迫りました。人々は黙っていました。私はここに、人々の冷たい目を感じます。何も答えない、何もしない、ただ陥れようとだけ考えている、じっと伺っている、本当に醜い人間の姿を思わされます。
 イエスは怒りと悲しみをもって人々に向かわれました。手のなえた人に「手を伸ばしなさい」と言われました。すると手を伸ばすことが出来たという不思議な奇跡が起こりました。すっと胸をなで下ろすようなシーンです。けれども、本当にそれだけでしょうか。
 当時、法律を破れば死を意味していた時代です。イエスは自らその法を破りました。殺されることを承知の上で、不自由さと、深い悲しみにおかれた者の手をいやされました。ここに、自らを省みず、悲しむ者、苦しむ者を徹底的に憐れむ主の姿が映し出されています。
 更にこの時代は、いやした者もいやされた者も共に罰せられました。ですから、この癒された人は、特に目を付けられていたイエスの協力者として、抹殺されるかも知れません。そのことを考えますと、彼がいやされることは、この社会からの追放を意味します。ですから、計算づくの人生を送ろうと思ったのなら、イエスに従わなかったと思います。
 彼は自分にも課せられるであろう重い罰、あるいは死を覚悟してイエスの招きに応えたのです。ここには神と人との出会いの激しさ、熱さが表現されているのです。
 この出来事はイエスが会堂に「再び」入り、手の萎えた人を人々の片隅から「真ん中に立たせた」ことから始まっています。神が私達のところへ来て苦しむ者を真ん中に立たせたということは、神は苦しむ者の救いをこそいつも中心に思われているということです。「立たせた」とは「復活させた」ということではないでしょうか。教会とはその様な者の復活の場だということです。
 この聖書の箇所は「イエスは、また会堂に入られた」から始まっています。イエスはガリラヤの会堂で一人の人間のために命をかけられたように、今もまた私達のために会堂へ、教会へと来られているのではないでしょうか。ここには教会を復活の場とせよ、そんなイエスの問いかけがあるのです。教会の礼拝に、私たちの輪の中に、そして日々の暮らしの中に一体誰が共におられるのか?しっかりと憶えたいと思うのです。
 手を伸ばしなさいと私たちの手を取り、一緒に歩んで下さる主イエス・キリストと共に、私たちもここから踏み出していきたいと思います。
(2020年7月12日)

「人生の深みへ」

ルカによる福音書5章1〜11節

  今朝の聖書の箇所には魚を捕る漁師のことが描かれています。当然のことですが聖書の時代には、小舟何そうかで沖に出て網を打ち、魚を捕っていました。ですから多くの魚が捕れたと言っても、何人かの漁師と折半してしまえば、家族をやっと養うくらいだったことでしょう。もし、まる一日の漁でまったく何も取れなかったとしたら、その日一日の暮らしをどうするのか、そんなことを考えると暗く沈んでしまいます。
 今朝の聖書は、漁師たちの所へイエスが訪れ、船を沖に漕ぎ出すように、頼んだと言います。黙々と網を洗い、一匹の魚さえも取ることができなかった彼らに、苦労と精神的不安という私たちの現実を見る思いがいたします。しかも一日のうちで一番、魚がよく捕れる夜中に網を降ろしたのに、何も得ることが出来なかったのです。期待はずれの空振りで、ガックリとうなだれて、口からでるのは溜息ばかりだったのでしょう。
 人間の努力や力が、ただ空しさを感じるだけのことがあります。全く虚しい、いくらやってもダメだ、成果は挙げられず、期待も希望もない、力を落としてしまうときがあります。また、突然の大きな出来事を前に、どのようにして良いのか分からなくなってしまうこと、あまりの悲しい出来事ことに言葉をなくし、ただ出てくるのは涙と言葉にならない叫びの繰り返しということがあります。
 こんな時、私たちは空しさや、悲しさの中で、耳にする言葉や、接してくれる人の行為をも、半信半疑で受けとめてしまいます。何度繰り返してもどうせだめだと決めつけてしまいます。
 と以上の様な解釈の中で、イエスの不思議な出来事によって漁師であった人々はイエスに従い弟子となっていた、と理解されていきます。マタイによる福音書やマルコによる福音書の理解ではその通りです。
 マルコはペトロがイエスに声をかけられ弟子として従ってから、イエスが彼の家に行って彼の義理の母親をいやされるという文脈で語りますが、ルカはこのマルコの文脈を逆にして、4章の38節以下でペトロの家族がまずイエスと出会い、ペトロ自身がイエスに導かれていくという先立つ恵みをテーマに据えています。
 何故彼は再び網を降ろすことが出来たのでしょうか。彼ペトロは、イエスが自分の大切な家族を救ってくれた方であることを知っていたからです。イエスはペトロと直接に出会う前に、すでに彼の不安や心配事を取り除き、先だって整えていて下さったのです。
 イエスの指示に従うと驚く程の魚が捕れました。ルカの描写によりますと他の仲間の漁師達に助けてもらわないと沈んでしまうほどの大漁でした。
 大漁にたとえられるこの出来事は、神の恵みがたとえられています。従来、このルカの箇所は信じて従えば想像を越える恵みに導かれる等と解釈されてきました。ルカはそこにもう少し意味を加えているようです。まずペトロは「主よ、わたしから離れて下さい。わたしは罪深い者なのです」と、心から信じて全てを委ねて網を降ろしたのではないことを告白しています。ペトロは事が起こされてから初めて、先に起こっている母親の出来事と舟が沈みそうになる大漁の出来事とが結びついたのです。イエスは「沖に漕ぎ出せ」と言われました。「沖」という言葉は「深み」という意味を持っています。彼は彼自身の人生の深みの中で二度イエスと出会ったのです。
 そして漁師達の想像を絶する大漁の魚、舟が沈みそうになるほどの出来事は、神の恵みが人間一人では独占できるものではないことを語っています。自己中心的に完結する者は、逆に神の出来事故に沈んでいくのです。多くの人々と共に受けとめる時、多くの人々とそれを分かつ時、共に活かされていく時、初めてそれは恵みとなっていくことが伝えられています。
 シモン・ペトロは「すべてを捨ててイエスに従った」と云います。神によって整えられてペトロは出発していきました。まだまだ解決しないことは沢山あったのかも知れません。後ろ髪ひかれる心境だったのではないかと思われます。しかし、ペトロの家族も、心配だったあの母親も、自分の同僚で漁師のヤコブとヨハネも、そして心から信じ全てを委ね切れなかった自分自身も、既に神の恵みに与る者として、イエスに抱かれていることに、深みで気づかされ、皆と一緒に豊かな恵みを受けとめるために出掛けていったのです。ペトロが捨てたのは、自分だけで悩み、自分だけで苦しみ、何もかも自分一人だけで考えていた小さな殻、つまり自己中心的な己そのものだったのではないでしょうか。人生の深みの中で自らの至らなさや破れ、己の弱さを知る者こそ、神の使いとして、イエスの証人として用いられていくのです。
 ここには、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く、恵みを分かつイエスの共同体の出発、福音書の背後にあるルカ教会の誕生秘話が込められているのではないでしょうか。私たちもまた、自らの深みの中に注がれている神の恵みにこそ気づきたいと思うのです。
(2020年7月5日)

「神は備え給う」

創世記22章1〜19節

 先ほど読みました物語の主人公・アブラハムにとって、神の試みは、まさに、想像と理解を絶するものでした。なぜなら主なる神は、アブラハムに「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げものとしてささげなさい。」と命じられたからです。
 同じ旧約聖書の歴代誌下という書物を(3章1節以下を)読みますと分かりますが、イサクを神にささげようとしたその場所モリヤの山の上に、その後、イスラエルの王・ソロモンがエルサレル神殿を建てたことが記されています。
 今日エルサレム神殿は、イスラム教の寺院になっているそうで、金色のドームがエルサレム神殿のあった場所に光っているそうです。それは別名「岩のドーム」と呼ばれているそうです。といいますのは、寺院の下には大きな一枚岩があり、アブラハムがイサクをささげようとした山の頂だからであるということです。イスラム教も旧約聖書をもとにしていますから、モリヤという場所は特別の意味を持つ場所になるわけです。
 アブラハムは息子イサクを捧げようとしたこの出来事を通して、信仰の父と呼ばれるようになりました。しかし、それは何という恐ろしい信仰の課題でしょうか。確かに当時、カナンというところには人間を神に捧げるという宗教はたくさんあったと言われています。しかし、自分の愛するたった独りの息子を捧げなくてはならないという命令に答えることが信仰者のありかたならば、読む者にそのように問うているのならば、私たちはたちまち落胆し、このような信仰を持つことはできないとあきらめてしまうことでしょう。
 アブラハムはここで、恐れとおののきを覚えました。自分は全てを捧げて、人生の意味の全てを捧げて、全くのゼロになる、長い悩みの末に、彼は三日間の道のりをかけて、約束されたモリヤの山まで行ったのでした。モリヤの山までの道のりは、なんとも重いものであったに違いありません。山のふもとに着くと、二人だけで歩きました。わが子の手を引いて・・・、握る手から伝わるわが子のぬくもり、しかし痛々しかったことでしょう。もう話すことも、抱きしめることもできなくなる、愛することもできなくなる、アブラハムは苦しみを通り越した痛みの中で山の頂きに到着したのです。
 もはや理不尽ではすまされない状況にアブラハムはおかれました。息子イサクの質問はこのようなときになお胸にグサリとくるものでした。「火とたきぎはここにありますが、焼き尽くすささげものにする小羊はどこにいるのですか」。私たちだったら、何と答えるでしょうか?「焼き尽くすささげ物の小羊は、きっと神が備えて下さる」この父の答えは、痛みの中での叫びのようでもあります。神の試みか、試練か。
 ところがアブラハムの一人子・イサクが与えられる背景とその前後の出来事に注目しますと、この愛するイサクそのものこそが、アブラハムの罪であり、ハガルやサラを取り巻く人間関係のいさかいの原因であったことに気づかされます。人間の愛憎、最も醜い部分が、アブラハムとイサクの間に見えかくれしているのが分かります。つまり、神にイサクを捧げるということは、自分の最も大切な、愛する者、それは自分自身の幸せに伴う憎しみをも、罪なる姿をも神の前にさらけ出し、委ねるということだったのです。  
 人は自分を守るために、時に悲惨な出来事を起こします。アブラハムはイサクが与えられた喜びや恵みと共に、自分がそのことでどんなにか醜く、憎しみや破れを兼ね持つ人間であるかを知らされました、そして「何もしてはならない」という声と代わりの雄羊が与えられました。罪なる人間に「もうよい」と語られ、神ご自身が人間の罪の犠牲を用意していたのです。
 すると、このアブラハムの物語が逆転していくことに気づかされます。理不尽で想像を絶するような要求をし、その要求に添って歩んでいたのは、実は主なる神だったのです。暗く重い三日間を歩み、愛する独り子・イエスを人間のために捧げられたのです。愛憎うずまく人間の現実へと送られ、犠牲を払われたのです。実は神がこの物語の主人公であったのです。
 16節には神がアブラハムへと送る言葉が記されています。「自分の独り子である息子すら惜しまなかった」、それは丁度、ヨハネによる福音書3章16節にある「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」という出来事に呼応しています。主なる神がすでにイエスをもって備えてくださり、神が痛み、愛して止まない独り子・イエスを、赦しの捧げものとして与えて下さったのです。
 私たちが出会うであろう、理解できない痛みと苦しみを受ける道は、すでに神が通られ、その先に神の備えが用意されているのでしょう。
 神の備えがあるからこそ、私たちは神に応答し、神に委ねながら歩んで行けるのではないでしょうか。今は大変な時です。しかし、この時をも神は共に歩んで下さっていることを信じて、その先にある神の備えにしっかりと応答していきたいものです。
(2020年6月28日)

「心を寄せて」

使徒言行録6章1〜7節

 今朝の聖書の箇所、使徒言行録を読みますと、ギリシャ語を話すユダヤ人、ヘブライ語を話すユダヤ人、そして、やもめたちと、聖書が語ります背景には様々な人が集まっていることが分かります。このころの教会の群は、毎日、貧しい人や身よりのない人に日々の糧を届けていました。そのようなほどこしの業は「パンのかご」と呼ばれていたそうです。
 ある日、日々の分配のことで問題が生じました。「仲間のやもめたちが軽んじられた」、12弟子は早速、みんなを集め日々の食事の世話をする者を7人選出いたしました。12弟子達の祈りと御言葉の仕事は「デイアコニア」、直訳すると奉仕という意味です。選出された7人の仕事は「クレイア」、務め、役割という意味です。
 これは明らかに、12弟子の仕事と食事係の7人の仕事との、質の違いがうたわれており、明確に仕事が区別されています。どれも貴い奉仕の業ではないのか?何かしっくりこない言葉がここでは使われています。
 しかしながら、6章の8節以下では、食事の係りであった者が、素晴らしい主の御業を行うようになってゆくのです。聖書は食事係の者が、12弟子のような働きをするようになったことを告げています。聖書は仕事の質をも明確に区別していたにもかかわらずです。選出された7人は、「仲間のやもめたちが軽んじられていた」から、暖かくその者達に仕えるために選ばれた7人でした。
 聖書は、詳しいことは記されていませんが、私は思います。彼ら7人は、貧しい者、身よりのない者に仕えることを通して、彼らの心に触れたと思います。悲しい心、寂しい心、そのような人々の有り様に涙を流したと思います。食事の係りをすることを通し、彼らに接し、共に苦しみの時を過ごしたに違い在りません。苦しみの時を共に過ごす。それは、あの主イエスの姿ではないでしょうか。彼らは貧しい者の姿に、寂しくしている者の直中にこそ、神の心が寄せられていること、そして主イエスの姿を見いだしたに違いないのです。
 長くニューヨークのユニオン神学校で教鞭をとられていた小山こうすけさんの「裂かれた神の姿」という著作があります。台湾における「水牛の神学」で世界的に有名になった先生ですが、小山さんは著書「裂かれた神の姿」の中で「他者中心神学への移行」ということを語っています。他者とは他の人です。他の人を中心とする神学へと移ろうということです。この言葉はマルチン・ブーバーの「我と汝」という関係、デイートリッヒ・ボンヘッファーの「聖霊は他者を通して働かれる」という関係であることを思い起こさせます。つまり他者との関係ということです。
 宗教改革者のマルチン・ルターは、「キリストを肉の中へ引き入れなければ、キリストを見失う」と言いました。ルターの語る「肉」とは生きた人と人との血の通った関係のことです。キリスト教信仰の中心であるイエス・キリストは、そのような関係の中でこそ見いだされることを語っています。
 新型コロナ・ウィルスの影響で、今ソーシャル・ディスタンスが叫ばれています。人と距離を置くというのですが、教会にとっても信仰にとっても交わりや触れあいということは、とても大事なことです。教育にも交わりや触れあいが大事なことです。
 牧師も教会員の姿に触れて、ご奉仕される姿や信仰者としての姿勢に触れて学び、教えられていきます。信徒の方々との交わりや触れあいを通して育てられていくのです。教育の場も同じだと思うのです。教師と生徒、生徒と生徒、教師と教師が交わりや触れあいを通して互いに育まれていくのです。
 イエス・キリストはその生涯を通して、他者との交わりや触れあいに生きました。貧しい者や苦しむ者、痛む者、悲しむ者、差別されていた者に触れられていきました。
 人の痛みへと心を寄せていくこと、そのマイナスの苦しみを共に生きる時、マイナスはプラスへ、痛みはいやされていくことへ、本当の豊かさ、愛し合う喜びへと包まれて行くのです。それこそが、イエスの生涯を通して示され、約束された十字架と復活ということなのです。神はイエスを捧げて、私達に本当の豊かさを教えているのです。
 今は大変な時ですが、信仰にとって教会にとってイエス・キリストに従って歩むこと、交わりや触れあいの中で共に育まれていくことをこそ、これからも大切にしたいと思うのです。とても小さな業かも知れませんが、主が共にいまし、豊かに導かれることを信じて歩んで行きたいと思うのです。
(2020年6月21日)

「どんな時でも」

コリントの信徒への手紙二13章11~13節

 今朝の聖書の箇所はパウロがコリント教会へと送った手紙の最後の挨拶の言葉です。この結びの言葉は祈りです。パウロはコリント教会へと何度も訪問した事が、この手紙には繰り返し強調しています。それだけにパウロはコリント教会に対して強い思い入れがあったようですし、コリントの人々を覚えて日々祈っていることが分かります。
皆さんもお気づきかと思いますが、私は礼拝の最後で祈る祝祷の前に、今日の聖書の箇所、パウロの祈りの言葉を使わせていただいています。
 この祝祷を使わせていただいて、皆さんからよく言われることは「いつも喜んでばかりいられません、非の打ち所のない人にはなれません。全き者に、完全な者に成るというのは絶対に無理です」、そして「先生は、いつも喜んでいるのですか」と問われます。う~ん。確かにそうですね。
誰でも破れや弱さや至らなさを持っています。私も苦しむこと、痛むことがあります。けれども、それらが神の力によって良さに変えられていく願いを込めて、祝祷の言葉に使わせていただいています。ですから皆様どうぞ、諦めずに喜びの日々を祈り願って頂きたいと思います。
 しかし、本当の苦しみや悲しみ、困難に直面したら、いかがでしょうか。
 先ほど共にご唱和いたしました讃美歌21の533番の歌詞に注目です。「どんな時でも、苦しみに負けず、くじけてはならない。どんな時でも、しあわせを望み、くじけてはならない」と繰り返されます。私たちの現実はくじける連続かも知れません。誰でも、苦しみに負けたくはありませんし、何時だってしあわせを望んでいます。そして誰でも、何時でも何処でも、イエスの愛が私達を包み込んでいることを、心から信じたいと願っています。
 この讃美歌533番は新しい「こどもさんびか」の応募作品として採用された歌です。それが「讃美歌21」にも採用され、礼拝で用いられるようにと533番として収められています。お手元に印刷された讃美歌21の533番を、もう一度開けていただきたいと思います。皆さん、作詞者のところに注目して下さい。作詞者は高橋順子さんとなっています。1959年に生まれて1967年・・・・、えっと思われるかも知れません。この讃美歌は8才の少女が死の直前に歌った讃美歌です。高橋順子さんというよりも、順子ちゃんが相応しいかも知れません。
 この讃美歌は1980年に「こどもさんびか2」の編集作業が行われていた時に、福島県にあります福島新町教会の教会学校教師をされていた冷泉アキ(れいぜい あき)さんという方から子供讃美歌の編集委員会に送られて来たそうです。
 教会学校に通っていた高橋順子ちゃんは骨肉腫を患いました。苦しい闘病生活を強いられました。幼く小さな体を病魔の痛みや苦しみが容赦なく襲います。まくらべに寄り添う高橋順子ちゃんのご家族と共に冷泉アキさんも、苦しみ痛む順子さんを励ましました。痛みに苦しみに、くじけそうになります。小さな体、幼い魂には無理からぬことかも知れません。しかし病床での母の祈り、冷泉アキさんの祈りは、くじけそうになる小さな順子ちゃんに病床にも共にいて下さるイエスさまを届けました。小さな体を励まして下さるイエスさまを身近に感じながら、順子ちゃんはどんな時でもイエスの愛を信じて生きました。天に召される直前に、この讃美歌533番「どんな時でも」を順子ちゃんは歌い上げました。
 「イエスの愛を信じて生き、天に召されていった作者の生き様が、讃美歌として歌われ、人々を励ます歌になればと願っています」という手紙と共に、この曲は讃美歌委員会へと送られて来たそうです。
 病は8才の少女へと困難と苦しみ、そして深い悲しみを運んで来ました。闘病と表現されるからには、戦いであり、勝利か敗北と私達は考えます。しかし、順子ちゃんの魂が、心が、病に食い尽くされることを、キリストにある愛は、赦しませんでした。ご両親の家族の祈り、教会学校でいつも順子ちゃんと接していた冷泉アキさんの祈りの束が、順子ちゃんの心にイエスの愛と信仰と希望とを送り届けたのです。くじけそうになる日々、苦しみの日々が、イエスの愛に固く結ばれてゆく日々へと変えられていったのです。たった8年という本当に短い生涯でした。しかし、イエスの愛が、病床の順子ちゃんの魂と心に神の愛という調べを響かせました。きっと天の国で、神様が順子ちゃんを両腕に抱かれ、愛でて下さっていることでしょう。
 「どんな時でも、どんな時でも、苦しみに負けず、くじけてはならない。イエスさまの、イエスさまの、愛を信じて」。私たちがこの讃美歌533番を歌うとき、順子ちゃんもきっと天国から神様と一緒に、この歌を歌っているのではないでしょうか。
 パウロがコリントの人々へ宛てた手紙を祈りで結んでいるのは、祈りが束ねられるとき、弱さが強さに変えられることを教えています。
 コロナ禍の時だからこそ、祈りがイエスを届け、イエスの愛が喜びの人生へと私達を持ち運ぶことを皆で覚え合いたいと思うのです。
(2020年6月14日)

「その時を知る」

エレミヤ書8章4~13節
 若き預言者エレミヤが活躍した時代は、栄華を誇ったイスラエル王国が南北に分裂し、分裂した北王国がアッシリアに滅ぼされ、そのアッシリアがバビロニア帝国に滅ぼされ、バビロニア帝国が南ユダ王国に迫ろうとする時でした。まさに戦乱の時代であり、南ユダ王国は諸外国勢力の激動の中、小さいながらもなんとか生き延びていました。この様な時代にエレミヤは神の言葉を携えて預言者としての使命を果たしていきます。
 ところが、エレミヤが危機を告げると人々は「私たちにはエジプトの奴隷の地からここへと導き出して下さった神がある」「私たちには掟がある。定めがある。律法がある」といって、平和と繁栄を謳歌する気分に支配されていました。特に人々は、エルサレム神殿への熱狂的な信仰に陥っていました。エルサレムの神殿とは、地上で神が住まわれるところであり、ゆえに町は不滅であると古くからの信仰に立っていました。エレミヤは神から託された預言を語れば語るほど、時流に沿わない変わり者として排除されました。この時エレミヤは、30歳位だと言われています。
 いくら声高に語っても耳を傾けない人々を前に、エレミヤは苦しんでいきます。そしてエレミヤは、その苦しさ辛さを神に訴え出ます。このエレミヤ書からは、預言者がこの世で苦闘する姿がうかがえます。
 そんなエレミヤの内面の苦悩と存在の重さとを描いたのが、ミケランジェロの描いたシステイーナ礼拝堂の預言者エレミヤの壁画だそうです。神の使命に生きることの重さが表現されているそうです。
 時代に同化して生きる道は、時にたやすく、時に難しいものです。無自覚的であれば、時代に流されます。たとえ信仰を持っていても、この時代に埋没する危険があり、時代や社会に流される危うさを持っています。
 以前、教会付属の幼稚園に携わっていた頃、年に一度、移動動物園という
 楽しい行事がありました。動物園に行くのではなく、動物園が幼稚園に来てくれるというものでした。勿論、一般の動物園の人気者・像やキリンやライオンは来ません。小さな動物が園庭に運び込まれ、子供達が小動物に触ったり、抱き上げたりするものです。当然、こども達はおおはしゃぎ、大騒ぎになります。
 そこに一羽のコブのあるガチョウがいました。飼育係の方から伺ったのですが、くちばしの先にあるコブは、かつてガチョウが渡り鳥であった名残であるということです。ガチョウは人間に飼育される中で、渡り鳥としての性質を失い、渡りの際の大切な役割を果たす器官が必要となくなり、コブとなったと教えられました。人間に飼育されることによって、大切なものを失った、その名残のコブがとても悲しく見えたことを思い出しました。
 大切な器官を失ってしまうことは、ガチョウにとって致命的なことだったのでしょう。私たち信仰者が失ってはならない大切なものをこそ、見つめ直したいと思うのです。
 イエスは「世の光、地の塩」であることを信仰者のこの世での存在意義として語られました。私たちの信仰がいつしか、おごりや、またあきらめの中で形骸化してはいないでしょうか。時代や社会の中で飼いならされてしまってはいないでしょうか。渡る時を察知できないガチョウのコブのようになってはいないでしょうか。
 新型コロナ・ウィルスの影響で、私たちの生活が一変しました。今後も第二波、第三波と感染拡大が予測されています。あるいは更に変化をして新型になることも考えられます。ウィズ・コロナと表現されて、これからの生活がコロナ・ウィルスとの共存とも表現されています。でも私たち信仰者は「キリストと共に」です。どのような状況下であっても主イエス・キリストが私たちと共にいて下さることを憶えたいと思うのです。
 エレミヤは「離れ、背き、立ち返る」ということを語っています。これらの言葉はいずれも「向きを変える」という言葉です。私たちは自分の志向することだけに向き合い、興味のあることだけに向き易いものです。誰だって楽しいことに向き合いたいです。あるいは今回の様な事態で、恐怖や心配事だけにとらわれやすいとも言えます。
 ちなみに、エレミヤという名前は「神は解き放って下さる」という意味の名前だそうです。エレミヤの姿を通して、むなしいものに目を向けていた、自分に都合のいい事ばかりに目がいっている、そんな自分から解き放たれて、なお愛し続けて下さっている神のまなざしに気づきたいと思うのです。
 共なる十字架と復活のキリストに向きを変えて、真向かって歩んでいきたいと思うのです。それが今この時だと思うのです。
(2020年6月7日)

「『祈る』とは?」

ルカによる福音書11章1〜4節

 私たちの肉眼では見えないほど小さく、そして未知の新型コロナ・ウィルスによって世界中が大変なことになっています。それがこれから先には次々と変異をして強毒性を持つウィルスに成っていくのでしょうか。世界中が第二波、第三波が来ることを予測していて、とても心配なことです。
 世界で30万人以上の方々が亡くなるという出来事を私たちはどの様に受けとめたら良いのでしょうか。世界中が嘆きと悲しみに包まれていると言っても過言ではありません。震災や災害でも被災によって沢山の方々の命が奪われる事があります。家族を失い、家を失い、仕事を失うという出来事が起こります。
 また、今回の新型コロナ・ウィルスの影響が経済格差に如実に現れていることは先日にもご紹介させて頂きました。それと共に経済や商業活動、教育等々が自粛され、あるいはストップすることによる落差の大きさを思い知らされました。とたんに死活問題になったり、学力低下が問題になったりとその落差は大変なことです。そんな状況下で今、世界中で沢山の祈りが献げられていると思うのです。この時、改めて祈りということを考えてみたいと思うのです。
 この聖書の箇所は弟子達がイエスに「祈りを教えてください」と願って、イエスが「主の祈り」を弟子達に教えた場面です。主の祈りは私たちも礼拝や祈祷会、地域・家庭集会、家庭での毎日の祈りとして祈っているものです。クリスチャンにとっては最も基礎的な祈りであり、最も大切な祈りです。この「主の祈り」で大切なのは、主語が「わたし」ではなく「わたしたち、我等」となっていることです。
 神を仰ぎ祈りを献げるということは、常に他者を意識して献げるということです。ですから主の祈りは「世界を包む祈り」とも呼ばれています。「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」「我らの日用の糧を、今日も与え給え」という一句は、自分の生活だけが満たされるのではなく、私たちが世界の人々と生活に必要なものを分かち合う責任があることを覚える祈りだからだと言われています。
 「分かち合う」ということに関連しまして、フランスの思想家でジョルジュ・バタイユという人が「呪われた部分」という著書の中で「人間の生命力は過剰だ。だから分配するのだ」と言っています。バタイユは、人間がもっている過剰なエネルギーは、人に分配をしたり、贈与したりしないと呪いとなると言うのです。
 仏教に「お布施」という教えがあります。自分が持っている物をシェアすること、つまり「分かち合う」ことだそうです。それを日常生活で実践することが大事なのだそうです。常日頃から自分の持っている物や気持ち・心を分配し、自分の「とらわれやこだわり」から脱して行くことが「お布施」の意味だそうです。
 人間の持つ過剰なエネルギー、つまり欲望なのでしょう。人間は平常時には自分の事ばかり祈ります。ついつい自分の願いばかりを、欲望を祈っています。「主の祈り」の主語は「わたしたち」です。常に神と自分と他者という視点をもって、祈っていきたいと思うのです。
 ところで、この聖書の箇所で使われている「祈る」という言葉は、新約聖書の言葉で「デュオウマイ」と言います。この言葉は原型が「能動相(態)欠如動詞」という中動相型です。受動相・受動態(受け身)になって初めて能動的な意味で訳される言葉です。動詞ですので、何らかの出来事や何かからの影響を受けてから祈るようになるという状態を現す古典ギリシャ語の特別な言葉が使われています。
 この聖書の「祈る」には、何かの出来事や何かしらの状況から何かを感じて祈らされるということ、悲しむ人や苦しむ人を見て、祈らざるを得ないということ、今の世界や私たちの社会で次々と起こっていく出来事を受けて、祈らなくてはいられないという様を表現しているのです。
 聖書が教える「祈る」ということは、他者と共鳴すること、他者との共同作業とも言えるのではないでしょうか。「祈る」人は、常に他者と共鳴しているので、決して独りではないのです。「祈る」人は、孤独ではないのです。
 世界中の方々が今回の新型コロナ・ウィルスの事で苦しみ悲しんでいます。私たちはそのような現実を毎日聞いています。今、私たちの日常とは、祈らざるを得ない、祈らなくてはいられない日々なのではないでしょうか。今こそ、聖書の「祈る」を私たちの暮らしの一部としたいものです。

「励まし合うこと」

ルカによる福音書8章26〜39節

 選ばせて頂いた聖書の箇所には、悪霊に取り憑かれていた人を墓場で鎖につなぎ、そして足かせをはめて監視していたという、とてもショッキングな状況が描かれています。生きている人間を墓場に拘束して皆で見張っているのです。
 新型コロナ・ウィルスの感染拡大によって緊急事態宣言のもと、自粛が呼びかけられています。
 この自粛ムードの中、頻繁に「自粛警察」という言葉を聞くようになりました。休業したくても出来ない飲食店などが営業を続けていると、自粛を強要する張り紙や落書きがされるという事態や他府県ナンバーの車を見つけると傷を付けたり、張り紙や落書きをして自粛をすることを強いる行為が沢山起こっていることです。車で越境する方の中には仕事の方もいるそうです。確かに今自粛は必要でしょう。けれども死活問題や緊急時の場合もあることは確かです。なぜ、自粛をしたくても出来ないのかとは保証や給付金、それぞれへの支援対策がなされていない政府の対応のまずさが露呈しています。
 多くの方々が真面目に自粛をしています。でもこの先、どうなるのかとの不安の中でストレスが溜まっていくのが皆の心境です。そこでは私も頑張っているのにとの真面目な気持ちが、「自粛」というものを逸脱していく人を快く思えなくなっていくようです。そのような状況が個々人をそれぞれが監視し、批判や排除という形で噴出している状態です。そして今回の新型コロナ・ウィルスは、今社会を「監視社会」にさせているようです。
 「監視社会」を解明したのはフランスの哲学者ミシェル・フーコーです。フーコーが1974年に出した「監獄の誕生―監視と処罰―」という書物の中で「パノプティコン=一望監視装置」という言葉で説明しています。例えばウィルスの感染が拡大しないようにと「自粛」が呼びかけられます。すると途端に外出を控えること、自宅で仕事をすること、お店は休むこと、3密を避けること等々が、誰もが気をつけるべき「当然の所作」となっていきます。この「当然の所作」が、社会の中で「標準」となってしまうのです。そして、ここから逸脱する存在を監視し、批判、排除する心理が働くのです。今回の事態も「自粛の呼びかけ」に過ぎないのですが、ウィルスの感染による恐怖や不安が、人間の心理を逸脱する人間を監視させてしまう「パノプティコン=一望監視装置」へと変貌させているのです。この最悪の事態が戦時下の日本社会でした。フーコーが指摘するように人間がパノプティコンとなることが、権力にとって最も都合のいい監視体制なのです。
 更に、ノルウェーの社会学者トマス・マシーセンはフーコーの「パノプティコン」から「シノプティコン」という相互監視という事態を語っています。これはネット時代を反映した現代を表現しているのですが、問題は監視する者は監視もされるという事です。
 新型コロナ・ウィルスという未知なる小さな存在は、国や社会における政治や経済、教育や家庭、個々人の問題など、人間の持つ弱さや破れ、足りなさや過ちを次々と露呈させています。世界中が混乱と不安と恐怖に落とされています。こうした危機的な状況下や不安な時、あるいは行き詰まった時など、よく古典に帰れと言われます。
 聖書は古典中の古典です。選ばせていただいた聖書の箇所は、まさに古典に帰れというお手本のような箇所ではないかと思うのです。
 この箇所の29節で使用されている「監視する」という言葉は新約聖書の原語で「シネーコウ」と言います。他に「行動を共にする、見張る、板挟みになる、苦しむ、病む」等の意味があります。「シネーコウ」という言葉は「シン」という「共に、一緒に」を含む合成語になっていますで、共に監視する、つまり監視をすることと監視をされることが表裏一体となっていると言ってよいでしょう。
 そして37節に注目です。イエスが悪霊に取り憑かれていた人物を癒やし、解き放った後、悪霊に取り憑かれていた人を監視していた人々は「すっかり恐れに取りつかれて」しまいました。「監視する=シネーコウ」には「板挟みになる、苦しむ、病む」という意味もあります。監視していた者たちは、監視され、皆共に恐怖に板挟みとなり、皆共に恐れに苦しむようになり、そしてこの後、皆共に病んでいくのかも知れません。
 この箇所はイエスが人間を癒やし、解き放っていくという出来事が語られていますが、少し視点を変えて監視をしていた人々の姿に注目をすると、監視を軸として皆が板挟みとなり、皆が苦しんでいくという今私たちが置かれている状況が映し出されてもいるのです。
 では、この事態に私たちは一体どうしたら良いのでしょうか。ローマの信徒への手紙1章12節でパウロはローマの教会の人々に「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」と伝えています。ここでパウロが使っている「励ます」という言葉は原語で「シンパラカレイオウ」といって、これも「シン」を含む合成語になっています。「共に励ます、一緒に励まし合う」という意味となります。人を励ます者は、きっと人から励ましを受けるのでしょう。また「慰める」という意味も持っていますので、人を慰める者は、きっと人から優しく慰められるのでしょう。励ましと慰めも相互的に表裏一体となっているようです。聖書という古典は、今の状況を切り開いて行くヒントがちりばめられているのではないでしょうか。
 困難な状況だからこそ、私たちは古典である聖書に立ち帰り、共に励まし合い、共に支え合い、共に祈り合い、共に慰め合って、この時を過ごして行きたいものです。

「暗闇の中にこそ」

ヨハネ福音書1章1~5節

 新型コロナ・ウィルスの感染拡大と共に、私たちの国の政府があたふたとしていて、全く終息の気配が感じられません。皆さんも先行きが不安で、大変だと思います。教会も日曜日の礼拝だけではなく毎週の祈祷会や地域・家庭集会、各部の取り組みやバザーまでもが中止や中断をしている状況です。更には教会員の方が亡くなられても葬儀が執り行えずに火葬をして、少数のご遺族方々で一緒にお祈りだけで済ませたという状況です。改めてお別れの会をするにも日程が立てられない状況です。
 この様なウィルスの感染拡大は歴史的には何度も起こっており、特に中世に起こったペストの大流行は、ヨーロッパの人口の約3分の一もの人々が亡くなるという大変なものでした。この中世のペストに関して、今は亡くなられているのですが藤代泰三さんという、私が学生時代に同志社の神学部で教えられていたキリスト教史の先生が、著書「キリスト教史Ⅱ」で詳しく描いていますので、ご紹介させていただきます。
 ペスト等の伝染病は寄生する動物によって感染していきますが、人間へと感染するには時間がかかるということ、しかし人間に感染し、人間に感染した途端にその地域で感染が広まるのです。そしてウィルスはその地域に根付こうとするそうです。それはウィルスも生き物ですので、生まれたからには生き延びようとします。自己を保存するために拡大して世界的に蔓延するのです。何度も周期的に発生感染拡大という事態を起こすそうです。今、私たちが直面している感染拡大も何度もやって来ると言われています。
 その様な事態に直面した人間は一体どうしたのか。教会では人間の悔い改めが必要と説かれ、自らの体を鞭で打ちたたく苦行が奨励されたそうです。ところがこの時に悔い改めと苦行を進めて行った司祭たちの中には反ユダヤ主義的な思想を待つ者がいて、ユダヤ人の虐殺があちこちで起こったそうです。誰かのせいにしなければ気が済まないという人間の心理ですね。それが今、アジア人の差別がヨーロッパやアメリカで起こっているのと同時に、この日本でも起こっていますね。
 日に日に格差が広がって行くそうですし、そのような状況が日に日に高まっています。裕福な者は更に贅沢になり、貧しい方々はより貧しくどん底へと落とされていくそうです。
 注目したいことは一方で、より質素に、より謙虚に行動して生活をしていくようになる方々も多くいたそうです。ですが出産率は低下するようになります。
 人間の心理は失望と鬱に陥っていく者、楽しければ良いという身勝手な快楽主義に走る者、そしてより深く模索し学んでいくようになる者と極端になっていくそうです。
 各国の政治や社会は変化するか崩壊するか、これまでの人生や社会の様々な基準や価値観が揺らぐそうです。人間はより死への思いが深くなり、自分の人生を死への備えとして考えるようになるそうです。新型コロナ・ウィルスが終息すると、以上の事が様々な形を変えて起こってくると想定されます。
 中世のペストを描いたフランスの実存主義作家、アルベール・カミュの作品「ペスト」という小説をご紹介したいと思います。この作品は1948年に出版されました。戦後のヨーロッパですから、第二次世界大戦時のナチス・ドイツ批判も同時に秘められているようです。この作品は出版と同時に強烈な印象を与え、日本の作家、開高健(かいこう たけし)さんらにも影響を与えています。開高さんはカミュの作品からヒントを得て「パニック」という作品を残しています。
 カミュの作品「ペスト」は、地中海沿岸のオランという小さな町にペストが発生し、外部との接触を断たれ、閉鎖された町の中で、次々と起こる出来事、現象を描いた話です。
 その中に登場するパヌルーというカトリックの司祭が、大変興味深い存在として描かれています。彼は、ペストという悪疫の流行を神の摂理であり、御心であり、町の住民に対して謙虚な思いでこの現状を受け止め、自分の生活を悔い改めなければならないと唱えます。町の人々は会堂に溢れ、皆が恐れ悔い改めます。この異常な出来事が、人々の宗教心を覚醒させたのでした。連日、会堂は人で溢れました。しかし時が経つにつれ、礼拝堂に集まる人々の数は減り始めました。
 そんなある日、パヌルー司祭は一人の少年がペストにかかり、苦しみの内に死んでゆくという現実に立ち会います。少年は明らかに純真無垢であり、少年の苦しみと死に、司祭は神の御心を読みとれないばかりか、悔い改めとは何かを問われることとなります。司祭の信仰のあり方が覆されていきます。司祭は少年の苦痛と死によって信仰と現実に起こる出来事の不可解さ、神の御心を疑うことで揺れ動いていきます。祭司は人々の苦しみに心を寄せ、人々の現実に寄り添って行く事になります。
 このカミュの「ペスト」を森 有正(もり ありまさ)さんというフランス文学者が次の様に評しています。「信仰は暗闇の中にこそ、神の意志が働くことを信じつつ、その少年と同じ苦悩に自らもあずかることを欲する。ここで信仰は、自己の利害や理解から離れて、純粋な姿を現すのである」。
 過去の歴史から学んでこそ、今の私たちはあるのでしょう。聖書という歴史的に古典と呼ばれるものは、私たちが生きている世界を、今という現実を暗闇と表現して、そこにこそ光がやって来たと伝えています。苦しみや悪がはびこる世界にこそ、神がイエス・キリストを献げられたことが記されています。
 今、多くの人々が苦しんでいます。人間が苦しみ、悲しんでいる時と場所にこそ、復活のイエス・キリストが寄り添い、共にいて下さること、暗闇の中にこそ神の御業が現れることを、私たちも信じて、この時を過ごしていきたいと思うのです。
 そして、この事態が終息した際には、イエス・キリストにならい、苦しむ人へ、悲しむ人へ、孤独の中にいる人へと寄り添っていく歩みを成したいと思うのです。暗闇の中にこそ主の御業が現れることをこそ、私たちも証していきたいと思うのです。

「逆説を知る」

Ⅱコリント12章9〜10節


 今、新型コロナ・ウィルスの感染拡大で世界中が大変な事態になっています。日本も感染者数が1万人を超えてしまいました。
 ところが日本の場合は、新型コロナ・ウィルスの他にもう一つの厄介なウィルスが私たちを困らせています。安倍のウィルスですね。この安倍のウィルスは、新型コロナ・ウィルスが出現する前から、私たちを困らせているという大変なウィルスです。とにかく視点が庶民レベルにはありません。一般の人たちがどういう状況なのかを想像することが出来ないようです。
 日本の安倍政権と財務省は経済とお金の事ばかりを優先にしています。経済の事が大事なのは分からなくもないのですが、自国の豊かさや経済的な強さ、そして大きさや規模ばかりを優先していますので、一般庶民の事は後回しです。つまり人命が後回しになっています。ですからやることなすこと後手後手です。
 私は今回の事で、旧約聖書の創世記という書物に収められたバベルの塔の話しを思い出しました。人間はある時、天まで届く塔を造って有名になろうとします。天まで届く高い塔、巨大な建築物は人間の豊かさや巨大さ、繁栄、そして権力・力のシンボルです。ところがそのバベルの塔の建築は神によって阻止されます。人々は四方八方へとちりぢりバラバラに散らされていきます。それまで一つの言語を話していたのですが、様々な言語を話すようになって意思疎通が出来なくなったというお話しです。人間は過度に力や権力を持ったり、限界を越えて大きくなったりしてはいけないということ、常に謙遜であれと言葉がバラバラになって小さな単位に分けられたという聖書の戒めのお話しです。と共に、小さな単位、個々の違いとその個々の尊さを教えているお話です。
 皆さん、世界最強の国はどこですか?アメリカですね。アメリカの軍事力はとても巨大で、世界でもずば抜けています。グローバル・ファイヤーパワーという研究所が出した2019年軍事力ランキングによりますと、アメリカが世界でダントツの一位です。2位がロシア、3位が中国、4位がインド、5位がフランス、この上位に共通していることは核兵器を持っていることです。そして続いて6位が何と日本です。日本の防衛費はかつてないほど膨大になっています。ところが膨大な防衛費や原子力発電に使う巨額の費用を、今、国民の為に使おうという発想は残念ながら無いようです。続けて7位が韓国、8位がイギリス、9位がトルコ、10位がドイツです。このランキングの2位から10位までの国が同盟を組んで、束になってアメリカと戦争をしても、圧倒的にアメリカが勝つそうです。それほどアメリカの軍事力は飛び抜けて強力なのです。
 しかし、そんな世界最強であるアメリカは、今目に見えない小さな、小さなウィルスに為す術がありません。この小さなウィルスはアメリカだけではなく世界中をマヒさせています。世界を翻弄しています。国と国が力を競い合って競争することさえできないほど、世界をストップさせているのです。この地上で最強なのは、アメリカでも人間でもなく、最も小さいウィルスなのかも知れません。また放射能も最強なのかも知れません。放射能という目には見えない小さな原子は何百年と人間を苦しませて行くのです。私たちの国で起こった東日本大震災によるフクシマの原発事故の事が戒めています。
 どんなに世界が便利になっても、大きくなっても、豊かになっても、どんなに強くなっても、彼らは襲ってくるでしょう。ウィルスもまた生き物なのですから、生存をかけているのです。生きるために次々と感染していくのです。感染は巨大な軍事力を持ってしても止められません。またウィルスはアッという間に変化することも出来ます。これから先も、次々と新型が登場することでしょう。ですから多分、イタチごっこを続けながら共生して行かざるを得ないのでしょう。これも自然界に生きるということなのでしょう。
 これから先の未来、人と人が争っている場合ではありません。国と国が戦争をしている場合でもありません。人類は、人間は戦う相手を間違っていたことを素直に認めなくてはなりません。大きさや強さではなくて、小さい存在に目を向けていかなければなりません。でなければ、また小さな存在に足下をすくわれて行くことでしょう。私は今回の事で、小さな存在こそが強いという逆説を、まざまざと見せつけられた思いがいたします。
 国も社会も、会社も組織も人間の集まりです。どんな人間も小さな単位なのです。一個の命なのです。これから先は、一人の貴い命を大切にし合う、一人にしっかりと目を向けていく、小さな存在を心にかけていく、そんな謙虚さが求められていくのかも知れません。
  一人を大切にする心というものをこそ、今更ながらに座右の銘にしたいと思わされました。

「小さな単位」

マルコによる福音書2章23〜28節

 イスラエルの安息日規定は現存する世界最古の労働基準法です。この安息日規定にまつわるイエスの言葉と行為から、今朝は共に示されたいと思います。
 ある安息日にイエスの一行が麦畑を通りかかった時、弟子達は歩きながら畑の麦を摘み始めました。それを見ていたファリサイ派の人々がイエスに対して「なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と問いつめました。するとイエスは、昔ダビデも空腹であった時、共の人たちと神殿に入って、神殿に仕える祭司以外には食べることが赦されなかった供えのパンを共の人たちと一緒に食べたではないかとサムエル記上に記載されている故事を引用した後、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」と語りました。
 原則としてあらゆる労働が禁止されているのが安息日ですが、人間の生命の維持、命の危険を緊急に避けるために必要な行為は、たとえ安息日であっても例外的に許されていました。他の聖書の箇所でもイエスは、病人をいやす行為、体の不自由な者を解放して行く行為、また申命記23章21節には、飢えた人や貧しい人が他人の畑に入って穂を積む権利が記されています。鎌を入れることは労働になり他の人々の仕事を無くしてしまうので、自分の飢えをしのぐ程度の手で摘むことは許されています。これは最古の生活保護法ではないでしょうか。旧約聖書のルツ記などにも同様な麦畑を舞台とする困ったルツとナオミを支え合う美しい人々の姿が伝えられています。
 福音書に登場するファリサイ派の人々というのは、簡単に表現すると当時の社会的なものの考え方を代表する人々です。旧約聖書の例外規定やそれにまつわる様々な物語があるにもかかわらず、イエスや弟子達を咎める姿には「病人、貧しい者、罪人」と称される人々への蔑視や、偏見差別があります。イエスと弟子の一行は旅する集団でした。定住しない人々は律法を守れないので嫌われ、罪人、社会を乱す危険な人物と見なされていました。これも旧約聖書に旅人を大切にもてなすことが奨められているにもかかわらず、新約聖書の時代ではとんでもないことと考えられるようになりました。つまりイエスは、これら社会の最下層の人々、はじかれ嫌われている人々と共にいるのです。そうではないファリサイ派の人々は、「病人や貧しい者、罪人」と共に歩む旅人集団のイエスが威厳をもって語ること、しかも神の御旨だと語ることが絶対に赦せなかったのです。
 この聖書の箇所、何かと似ていると思いませんか?今、私たちが置かれている状況に非常に似ていると思うのです。新型コロナ・ウィルスの感染拡大状況に置ける政府の対応と私たち国民の置かれている状況です。自粛をして仕事や活動を休まなくてはいけないと政府は連日の様に訴えています。ところが自粛をして休みたくても生活のために休めない方々が沢山います。世界中が自粛ムードの中にあっても、感染のリスクを承知しながらも麦の穂を積まなければならない方々が沢山いるのです。
 アメリカのニューヨークでは大変な事になっていますが、ニューヨーク市の地域別感染者数が発表されましたが、それによりますと、マンハッタン地区やクイーンズ地区に比べて、ブロンクス地区に感染者とても多いこと、その違いは経済格差だそうです。マンハッタン地区やクイーンズ地区に住む人々の年収は平均で800万円位だそうです。一方、ブロンクス地区に住む人々の年収は平均で350万円位だそうです。ブロンクス地区に住む人々は、休みたくても休めない人々なのです。新型コロナ・ウィルスの感染拡大はこうした経済格差にも現れているのです。その様な事態にあって、アメリカは第二段目の支援金を一律に実施するそうです。
 さて、ここでご紹介したい方がいます。ドイツの首相でアンゲラ・メルケルさんです。2018年に「私の信仰〜キリスト者として行動する」というメルケルさんの講演集が新教出版社から出ています。講演集の中でメルケルさんは次の様なことを語っています。「わたしたちは常に、小さな単位が一番大きな意味を持つという原則によって活動してきました。支援の原則は、できるだけ人間の側で、小さな単位のもとで行動することを意味しています。ですから、小さな単位をどのように強化できるかという問が重要になります」。
 ドイツでは国が緊急事態宣言を出してから、年収の低い人には一人に対して一律日本円にして60万円が二日後に支給されたそうです。こうしたドイツの対応には首相であるメルケルさんの政治思想が深く根付いていると思わざるを得ません。メルケルさんは政治に一番大事なことを次の様に語っています。
 「神を信じる人間として、自分が引き受ける課題の中に『へりくだり』も含まれているというのは、政治の世界ではとりわけ重要なことだと思われます」。
 へりくだるからこそ、大変な人や貧しい人の視座に立てるのでしょう。へりくだるからこそ、人の痛みや苦しみを感受出来るのでしょう。私たちの国との違いが大きく現れているのではないでしょうか。
 さて、聖書に戻ります。今日の箇所で最古のイエスの真性の言葉だと云われているのが、27節と28節です。この内の27節の「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」という重要な言葉をマタイとルカは削除しています。マタイは「憐れみ」と理解し、ルカは全く削除したままにしています。マルコに残された27節の言葉は、安息日よりも人間に重点がおかれています。ここにイエスの立ち位置があります。
 休むことよりも、まず人間の命の大切さが訴えられています。一人の命を大切にすること、一個の命を愛でていくことがイエスの行動の、クリスチャンの生き方の基なのではないでしょうか。
今は大変な時ですが、このような時こそ、私たちは一人の命の為に祈り続けたいと思うのです。