「目覚めの物語」
マタイによる福音書1章18~25節


 今年も主が、私達と共におられ、豊かに導いて下さいました。こうして先週のクリスマス、そして年末の12月31日の礼拝を迎えることができますこと、感謝の祈りを捧げたと思いますし、同時に来る新しい年も、主がますます共にいて下さり、私達を導いてくださいますことを祈り願いたいと思います。
 さて、もう一度クリスマスの出来事に思いを馳せたいと思います。
「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリヤはヨセフと結婚していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった・・・。」先ほど読みましたマタイによる福音書の1章18節以下にある聖書の記事はそのように告げています。
 これはナザレという当時の小さな村での出来事です。ナザレは小さな小さな村でした。けれどもマリヤとヨセフ、二人にとっては出会いの場であり、故郷でもあります。そして全てがそこから始まったわけです。なのに、ナザレはイエス・キリストの誕生ではあまりスポットを浴びません。むしろ、成人したイエスが公に活動を開始してからです。
 マリヤという女性とヨセフという大工職人が出会ったという記事はどこにもありません。そのいきさつは、聖書には記されてはいませんが、たぶん、小さな村だったのですから、誰もが顔見知りであったことでしょう。もしかすると小さな時から知っていた仲だったのかも知れません。
 皆さん、ここまでは、良かった。めでたし、めでたし、新しい夫婦を誰もが祝福し、二人のこれからを誰もが祈ったことでしょう。
 しかし、なんとマリヤが身ごもってしまいました。ヨセフにとっては身に覚えのないことでした。そして天使が現れて「聖霊によって身ごもった」と聞いても、ヨセフはたぶんそれを信じることができなかったことでしょう。「密かに縁を切ろうと決心していた」という聖書の言葉がなによりもそのことを物語っています。
 ヨセフはそうとう悩み、苦しんだと思います。一体、どうしたら良いのだろうか?、本当に、辛いことですが、恐らく次のようなことを考えていたのでしょう。
 まず、ただちにマリヤと離縁をする。結婚する前に身ごもった身に覚えのない子です。小さな村ナザレの噂になるに違い有りません。いずれは人の噂も無くなるであろうから、それまではじっと待つこと。もう一つは、姦通の罪でマリヤと離縁をする。ただしこの場合は、マリヤが石打の刑になるので、やさしいヨセフにはできなかったことでしょう。聖書は「表沙汰にするのを好まず、密かに」とあります。マリヤのことを考えて、もしかしたらこの村を出ようと考えていたのかも知れません。
 聖書は「表沙汰にするのを好まず、密かに」と告げていることからも、お互いが思いを寄せ合いつつも、お互いが深く傷ついてしまいます。なんで、私達がこのような目に合わねばならないのか?苦悩する姿が目に浮かんできます。
 ところがこの時、まさに劇的にであります。先ほど読みました20節にありますように、主の天使がヨセフの夢に現れ、告げました。「恐れず妻マリヤを迎え入れなさい。マリヤの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」。ヨセフは妻マリヤの言うことと同じ言葉を聞いたのです。
 しかもその子は救い主であるというのです。「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」。
 23節にあるようにインマヌエル、それは「神は我々と共におられる」という意味です。これはマタイによる福音書では二回でてきます。一つ目は今読んでおります1章の23節に、もう一つはマタイによる福音書の一番最後の言葉で、復活のイエスが弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」というラスト・シーンです。「神が私達と共にいて下さる」、するとヨセフは眠りから覚め、妻マリヤを迎え入れました。眠りから覚めると、ヨセフは苦悩の現実、とんでもない自分の置かれた現実を受け入れたのです。イエス・キリストの誕生の次第は、救い主の到来の次第はこうである、マタイによる福音書はそう告げています。今日は皆さんとこの点に注目をしたいと思います。
 眠りから覚める、つまり「目覚める」という言葉ですが、少しく調べてみました。するとマタイの1章24節の「目覚める」という言葉は特別な言葉でありました。なんと28章の6節の「復活なさった」という言葉と同じ語幹からできているものなのです。この言葉は10人のおとめの話に出てくる「目を覚まして」という言葉や、イエスのゲッセマネの祈りの際に弟子たちに言われる「目を覚まして」という言葉とは違います。明らかにヨセフの「目覚め」は起きあがるという意味、そしてよみがえる、復活という元々の意味があるのです。
 つまり聖書の告げるところは、神が共にいて下さるので、苦悩する人間が、恐れおののき、弱さを持つ人間が、目覚める、起きあがることができる、よみがえりの命の中を歩むことができる、そして辛い現実、苦しみ、痛みを受け入れて行くことができるということです。マリヤとヨセフ、心痛め、苦しみの中にあった二人には、イエスという幼子、「神が共にいて下さる」が与えられたのです。マリヤもまたどうぞ「この身に成りますように」、自分の現実を受け入れる事へと導かれ、強められました。イエスの誕生とは、苦しむ人間に神が宿られた、「神が共にいること」が明らかになった、それがクリスマスの次第なのだと私達に告げているのです。
 皆さんに小さなクリスマスのお話をご紹介したいと思います。童話作家の丸山明子さんという方の「てんしのはな」というお話しです。
 ある森の小さな家にアンナという女の子が住んでいました。アンナの家は貧しかったのですが、笑顔の絶えない暖かな家でした。食べる物がない冬でも女の子は小鳥にパンを分け、トナカイには干し草を分けて上げました。森で迷っている人には、雪道を一緒に目的地まで行ってあげました。おとうさんが暖炉の前でうたた寝をしていると静かに毛布を掛けてあげました。お母さんが作ったものは何でも残さずに食べました。
 アンナという少女は、みんなの喜ぶ顔が見たかったのです。そして何よりも笑顔が大好きでした。そんな少女を天使は、毎日、天から見ていました。
 ある日、アンナは重い病気にかかってしまいました。何日も、何日も寝たきりです。そして、病気のために目が見えなくなってしまいました。その日から、少女の笑顔は消えてしまいました。アンナは以来、来る日も来る日も泣いて暮らしました。
 クリスマスの夜、天使は神様の御心を伝えるために、少女の家をきれいな花でたくさん飾りました。クリスマス、冬という季節にもかかわらず、少女のまわりは春の花の香りで包まれました。銀の鈴の音色、まるで天使の歌声のように、やさしい音色が聞こえてきました。いつしか、少女に笑顔も戻ってきました。少女は思いました。「みんなに何かをしてあげることはできないけれども、笑顔でいることはできる。」
 アンナの笑顔を見る度に、みんなはとても心が暖かくなりました。そして少女は気づきました。目が見える時には、分からなかった沢山のこと。花の香り、小川のせせらぎ、木の枝を通り抜ける風の音、たくさんの星のささやきです。何よりもうれしいことは、神様の使い、天使がいつも、自分の側にいてくれることを感じるようになったことです。今までよりも、もっと優しい気持ちになりました。物がりは、ここまでです。
 この物語の少女は神の大きな力の中に包まれることを感じ、自分の目が見えないという現実の苦しみを受け入れることができました。そればかりか、それを越えて、新しい歩み、受け入れることから越えて行くことへと導かれています。
 ヨセフもマリヤも不可解な、また苦しみ悩む自分たちの存在に神の大きな御手がさしのべられ、神が共にいて下さることに気づき、目覚めていきました。そして喜びに満ちて、歩み始めたのです。
 私たちも辛いことや悲しいことが起こると塞ぎ込みがちです。笑顔がなくなってしまいます。しかし、そんな現実に神が宿る、キリストが伴って下さることが、クリスマスのメッセージです。私たちもまた、神が共にいる出来事の中を歩んで行きたいと思うのです。

2023年12月31日

「主は闇の中に降り給う」
マタイによる福音書2章13~18節


 聖書が告げますクリスマスの出来事には、強烈なまでの光と闇のコントラストがあります。
 マタイ福音書のクリスマスに際しての記述は強烈です。イエスが生まれた時、ヘロデはベツレヘムとその周辺一帯にいたという二歳以下の男の子を、一人残らず虐殺したと云います。イエスが生まれた頃のヘロデは、老いが進み権力欲と猜疑心の権化と化していました。そんなヘロデを物語る出来事に、彼は自分が死んでも誰も悲しまないのではないかと疑い、自分の側近や家族、親族までもをエリコという町の競技場に閉じ込めたと云います。そして自分が死んだらすぐに、閉じこめた何千人もの人々を殺すように命じました。そうすればユダヤ中が嘆き悲しむだろうと考えたからでした。このヘロデの企ては、あのサロメによって食い止められたといいます。ヘロデに気づかれないように、サロメは閉じこめられた何千人もの人々をこっそりと逃がしたそうです。
 しかしベツレヘムでの悲劇は、どうやら誰も阻止することは出来なかったようです。実は、ベツレヘムのすぐ近くには、ヘロデが気に入っていた要塞を兼ねた宮殿がありました。この要塞はヘロディウムと呼ばれ、自分のお墓まで用意していたと云われています。こともあろうに、その近くに自分を脅かす「ユダヤの王」が生まれた、ヘロデにとっては、ゆるし難い事だったのでしょう。
 そして子ども達を虐殺された親たちにとって、イエスの誕生、メシアの降誕は血塗られた悲劇でしかありません。幼子たちを失った親たち名前は、記載されていません。匿名の、名も無き民衆の声が、ここには響いています。そしてここにマタイ福音書が告げる歴史の重みが描かれているのです。子どもの誕生という喜びの裏側で、背筋が凍るような幼子達の虐殺が行われたのです。マタイの描くクリスマスは、強烈なまでの光と闇のコントラストがあります。しかしこの光と闇のコントラストにこそ、目を背けたくなるような現実のただ中にこそ、神がその独り子・イエスを献げたことが伝えられているのです。
 幼子の誕生という喜びの場面と時の権力者ヘロデによる幼児虐殺という恐ろしい場面です。この光と闇のコントラストこそ、真の意味でクリスマスの出来事を告げています。目を背けたくなるような現実のただ中にこそ、神は独り子・イエスを献げたからです。
 1994年のクリスマス・イブに、東京YWCAがキリストの誕生とその生涯を題材にした、松岡しょう子さん演出「恐れるな、見よ」という舞台劇を演じました。今日はこのお話を皆さんにご紹介いたします。
 ユダヤのベツレヘムの丘で、羊飼いが不思議な星の輝きと共に天からのお告げを聴いた時、一組の若いカップルがその場に居合わせました。羊飼い・ラケルと宿屋の娘・マルタでした。二人は天使の「恐れるな」との声を聴くのでした。
 それから数時間後、ベツレヘムの村には二組の身重のカップルがいました。一方は先ほどベツレヘムの丘で天からの声を聴いた羊飼いラケルと宿屋の娘・マルタの二人。もう一方はナザレの大工・ヨセフとマリヤでした。身重でありながらも長旅を続けてきたヨセフとマリヤ。どこにも泊まるところがなく途方にくれていた時、同じ境遇を案じてか、宿屋の娘・マルタはこの二人を馬小屋へと案内します。その晩、二組のカップルにはそれぞれ男の子が与えられました。
 しかし、マルタに子どもが生まれたことを父親のラケルは知りません。二人は周囲の反対に会っていたのです。家族の強い反対のため、羊飼いラケルとは子どもが生まれる直前に別れていました。マルタは誰にも子どもを授かったことを言いませんでした。けれどもマルタはこの子どもを自分の生き甲斐としていたのです。
 一方、時の権力者・ヘロデはユダヤの地に救い主が生まれたことを聞きつけます。この時に生まれた子どもが自分の驚異になることを恐れ、彼は2才以下の男の子を全て殺すように命じます。
 殺戮が行われました。狂わんばかりに泣き叫ぶ母親の手を振り払って多くの幼い命が奪われました。多くの母親と同様に、マルタも逃れることができませんでした。「どうしてこのようなことが行われるのか」、動かない自分の子どもを両手でしっかりと抱きしめながら、マルタの足は馬小屋へと向かっていました。しかし馬小屋に人はなく、あのカップルはヘロデの魔の手から逃れていたのです。
 マルタは叫びます「どうして、私の子どもは奪われ、あの救い主と言われる子どもは助かるのか、これが神のなさることなのか」・・・、深い悲しみと燃えたぎるような憎しみが入り交じり、マルタはヘロデの魔の手を逃れたイエスを追ってあてのない旅に出ました。
 30年後、マルタはイエスに救われたというサマリヤの女に出会い、今、イエスはゴルゴダで十字架に付けられ殺されることを聞きます。ゴルゴダで見たイエスは人々の言う救い主とは程遠く、弱くみすぼらしくもはやボロボロでした。この時、奇しくも30年前に周囲の反対を受け、別れた羊飼いラケルと十字架の元で再会します。はからずも「どうしてイエスだけが助かったのか」という同じ思いをもってイエスを追い続けていたラケルと出会い、二人はクリスマスの日、ヘロデの殺戮から逃れた幼子イエスの十字架に触れることになります。
 十字架上のイエスは「父よ彼らをお赦し下さい」、自分を殺そうとする者の赦しを天へと祈っていました。「全てを委ねます」、息を引き取ってゆきました。十字架の下で嘆き悲しむ母・マリヤを見ました。
 その時、二人がまだ若く心から愛し合っていたクリスマスの夜、あのベツレヘムの丘で聞いた「恐れるな、見よ」との天の声を思い起こすのでした。マルタは人間の罪をその身に負い、全てを赦されようと生まれた時から十字架の死を背負っていたイエス。あのクリスマスの不思議な夜以来、神の親子が天と地に引き裂かれていることを知るのでした。
 我が子の死に直面している母・マリヤを通して、十字架の上で息絶え動かない愛する子・イエスを抱かれ「どうして、私のたった独りの愛する子どもが、このような目にあわなければならないのか」と恐ろしいまでの悲しみに涙している神の姿を知るのです。マルタはあの時に子を失った全ての母の、そして泣き崩れるマリヤの「激しく、嘆き悲しむ声」こそ天の神の声なのだと気づくのです。舞台劇はここまでです。
 この後、聖書によると神は十字架で死んだイエスの墓を空にしイエスを甦らせます。悲しみの母・マリヤへ死を越える愛と希望が届けられます。嘆き悲しむ母の胸に神は再び愛する子をお返し下さったのです。
 神は深い嘆きと悲しみに沈む全ての者の痛みを、ご自身のものとして感じ取るためにクリスマスの日を備えられました。死によっても引き裂かれない天の愛を、苦しみを越える希望を全ての者に約束して下さるために、神はイエス・キリストを遣わされました。
 キリスト教は愛の宗教だと言われます。思います時、神は平和を願い、私たち人間が互いに寄せる愛をこそ守るためにその独り子イエスをこの世へと献げたのではないでしょうか。十字架の死を背負い、この世へと生まれて来られた救い主を、私たちはしっかりと胸に刻みつけたいと思うのです。

2023年12月24日

「小さな わざでも」
イザヤ書9章5節  マタイによる福音書2章7~15


「小さな手で行われた小さなわざが兵士の剣を止めた。私たちも、平和のために小さなわざを積み重ねて、祈りつつ歩みたい。」
「平和の君、イエスキリストの誕生を、希望をもって待ち望む。」
 
アドベント第3週に入りました。
教会の暦ではアドベントから新年が始まるのですが、一般的には今年も2週間で終わろうとしています。そろそろ1年を振り返るような報道も多くなってきました。猛威をふるったコロナウイルスはようやく落ち着いてきました。教会でも少しずつ通常の形式で礼拝が行えるようになり、聖餐式もできるようになって、嬉しい気持ちになります。しかし、昨年2月に始まったロシアへのウクライナ侵攻は終息の気配がなく、イスラエル・パレスチナ情勢でも、続く戦闘の中で毎日、多くの犠牲者が生まれていることに本当に心が痛みます。世界は、また平和から遠く離れていくような気持ちがいたします。
 
クリスマスの絵本の中に『へいしのなみだ』という題名の物語があります。これはセルマ ラーゲルレーヴというスエーデンの作家がまとめた「キリスト伝説集」からとられた物語です。ラーゲルレーブは、『ニルスの不思議な旅』の著者で、女性で初めてノーベル文学賞を受賞した作家です。『へいしのなみだ』は、幼子イエスとお城の門番をしていた兵士の物語です。
昔、ユダヤの国の、ベツレヘムに、ヘロデ大王のお城がありました。お城の門には兵士が立っていました。兵士は門に立っているのが仕事でした。何があってもそこから動かずに立っていなくてはなりません。野原の方を見るとひとりの男の子がかけまわって遊んでいました。その子は飛べないでいる蜂を助けたり、折れそうな花を見つけると支えてあげたりしていました。「かわったことをする子だな」と兵士は思って見ていました。
ある暑い1日。その日も兵士は身動きせずに立ち続けていました。水が飲みたくても動くことはゆるされません。のどがやけつくような渇きを感じ、倒れそうになった時、あの男の子がやってきました。その子は、泉からくんできた水をその両手で運んできてくれました。兵士は思わずその子を抱き上げ、小さな手から水を飲みました。水はほんの少しでしたが、つめたくて、おいしくて、体中にしみわたりました。兵士は、命が救われました。
 その頃ユダヤには、新しい王となる子供が生まれたという、うわさがひろまりました。新しい王は「平和の君」だというのです。
 ヘロデ王はうわさを聞いておこりました。自分以外の王なんて認められません。自分を倒して新しい王様になる人が生まれたのではないかと心配になりました。そして、町中の男の子を城に集めて殺せという、恐ろしい命令を出しました。王様のご招待の宴会がある、と招かれた親子たちは喜んでお城にやって来ました。でも、王の兵士によって皆殺しにされてしまいました。
いつもお城の門に立っていた兵士も、王の命令で子どもたちを殺しました。しかし、その合間に一人の男の子と母親を取り逃してしまいます。追いかけましたが、その子は野原にいるはちや、花々に守られて兵士の目をくぐり抜け、逃げてしまったのです。必ずその子を殺すように命令を受けた兵士は、どこまでも親子を探しにいきました。
 山を越えて、小さな洞穴の中で、お父さんとお母さんの間に眠る幼子を発見します。やっと見つけた、王の命令の通り殺さなければと、剣をふり上げたその時、兵士は、この子は、あの、虫や花にやさしい、小さな手で水を運んできてくれた、あの男の子であることに気が付きます。「あ、あの子だ」兵士は驚きました。男の子は目を覚まし、じっと兵士を見つめました。この幼子はイエスキリストだったのです。
その清らかな目を見ていると、兵士は体中の力が抜けて、剣を捨て、ひざまずきました。
涙があふれ、あたたかな気持ちがあふれてきて、「このかたこそ平和の王なのだ。この方にしたがっていこう」と、新しい勇気と力がわいてきました。
自分の感情を殺して、王の命令通りに生き、多くの幼い命を犠牲にしてきたこの兵士は、今、剣を捨てました。人としての心を呼び覚まされ、涙を流し、新しい平和に向かう生き方へと導かれたのです。
「兵士の涙」は、こんな物語です。
 
さて、今日読んでいただいた聖書には、イエスが生れた時に、外国から占星術の学者たちがお祝いにやってきたことが伝えられています。星を頼りに、はるばる旅してきた3人の学者たちは、黄金、乳香、没薬、と持ってきた贈り物をささげました。イエスを見守る母マリアとヨセフ。ペイジェントで良くあらわされる場面です。しかし、このあたたかな家畜小屋の情景の背後には、ヘロデ王の魔の手が迫っていました。ヘロデは、イエスを探し出して殺そうと画策していました。そのために3人の学者たちを利用しようとしましたが、学者たちはお告げを受けてヘロデに報告せずに国に帰っていきました。結局ベツレヘムのどこに生まれたのかわからなかったために、ベツレヘムの2歳以下の男の子をみんな殺せという命令を出しました。ヨセフは夢でこのことを知り、マリアとイエスを連れて、エジプトへと逃げていきます。
幼子を連れて逃げ惑う家族の姿は、今のウクライナやパレスチナでの戦闘によって、逃げ惑う家族の姿のようでもあります。イエス様が生まれたのも、平和とはほど遠い、過酷な時代だったのです。
その中で、神の御子はこの世に誕生しました。私たちを罪から救い、神様の愛を知って、希望をもって生きる道を示すために。互いに憎みあうのではなく、愛をもって互いに仕えあうようにと導くために、一人の人としてこの世に誕生したのです。
イザヤ書には「一人のみどり子が私たちに生まれた。ひとりの男の子が私たちに与えられた。その名は驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君、と唱えられる。」とあります。平和でない現実のただなかに、主イエスは平和の君として生まれたのです。
 
 話は変わりますが、私の勤務している学校では、毎年12月に高校3年生の卒業試験が行われます。聖書の授業では、試験ではなくレポートを課しています。レポートの問題の中の一つに、中高6年間のキリスト教教育を受けての感想を書く問題があります。レポートなのであまり悪いことは書かないのかもしれませんが、でも、卒業にあたって、6年間を振り返り、聖書を通して学んだことを素直に書いている印象があります。
最近そのレポートを読んでいたのですが、ある男子生徒が、「善いサマリヤ人」のお話をめぐって考えたことを書いていました。「善いサマリヤ人」のお話はよく知られています。ある旅人が強盗に襲われ、半殺しの目にあって倒れていたところを、ユダヤ人と敵対していたサマリヤ人が助けたという、イエスのたとえ話です。サマリヤ人の前に祭司やレビ人が通りかかりますが、この人たちは倒れている旅人に気が付いても、見て見ぬふりをして行ってしまいます。しかしサマリヤ人は近寄って介抱し、この人を助けます。この例えについて、生徒はこんなことを書いていました。
「以前僕は、人にやさしくすることは、自分は苦しんで損をするだけではないか、と考えていました。聖書の授業や礼拝を通して、「善いサマリヤ人のたとえ」について深く考えるようになり、人を助けることの本質について知ることができました。それは損や得ではなく、愛をもって人と関わっていくということだと考えます。このたとえ話でサマリヤ人は時間もお金も消費して、ある人を助けました。それはサマリヤ人にとって損でしかないように見えますが、愛のある行動をしたことによって、ある人の隣人となり、またある人も、今後愛のある行動をできる人になるのではないかと思います。」「これは、今の社会において、すこしおおげさかもしれませんが、平和に近づく1歩になるのではないかと考えます。」一部の抜粋ですが、こんな風に書かれていました。
面白い意見だなと思いました。サマリヤ人のたとえは、よく読まれるお話ですが、私はこの男子生徒のように理解してなかったのです。倒れた旅人を無視して行ってしまう祭司、レビ人と、旅人を助けるサマリヤ人、この3人の人達のそれぞれの対応が気になり、助られた側の旅人のことは、私はあまり考えていませんでした。助けられた旅人のその後というのでしょうか、旅人がサマリヤ人に感謝して、サマリヤ人に対してだけでなく、他の人にも愛をもって接していく人になったのではないか。たとえ小さなことでも、愛をもって行う人が増えれば、いつか平和につながるのではないか、という意見もなるほどと思いました。この生徒は、普段は、フォークソング部でバンドを組んで結構激しく歌っている男子生徒だったので、なんだか余計に印象に残ったのかもしれません。愛をもって人と関わっていく、というのはいい言葉ですよね。 
「兵士の涙」の物語の中で、幼子イエスは、強い日差しの中、お城の門に立ち続ける一人の兵士に、水を届けました。門で身動きせず立ち続ける兵士のことなど、誰も気に留めなかったでしょう。でも幼子イエスは兵士の渇きを見逃さず、両手を合わせて、泉から水を運びました。小さな手で運べる水はほんの少しだったでしょう。でも、その小さなわざが、兵士の命を救ったのです。そして、やがて剣を捨てて、命を大切にして生きる、新しい生き方へと導いたのです。
私たちも、たとえ小さなわざであっても、愛をもって行うことを大切にしていきましょう。平和を願って祈り続けること。家族を、友達を大切にすること。近くにいる人たち、遠くにいる人たちに思いを向けること、悲しみの中にある人、病気を抱える人に寄り添うこと。主イエスがそうされたように、愛をもって仕えあう生き方を、このクリスマスを待つときに、改めて考えていきたいとと思うのです。
 
祈り
愛する天の神様、私たちが誰かを思い、人に寄り添いたいと思うとき、平和の実現のために祈り続けたいと思うとき、どうぞ力を与えてください。自分のことばかりではなく、小さな行いであっても、他者のために、愛をもって行う者としてください。この祈り主イエスキリストのみ名によってみ前におささげいたします。アーメン。

2023年12月17日

「生きた声を届けて」
イザヤ 40:3−8
ヨハネによる福音書 1:19−28


 コロナの時代を経験した私たちの間に、急速に肉体というものを厄介扱いする空気が広がっているのではないか。
 今年夏、5年ぶりに同志社大学の神学協議会というものが開かれて、同志社大学神学部に関係する方々や、旧組合教会の営みに関心を持つ人々が京都のキャンパスに集まりました。集まった、と言っても、実は私自身はオンラインでの参加だったのですが。まあ、このリモート参加というのは実に便利なコロナの副産物でしたね。京都まで行かなくても、話が聞ける。でも、やっぱり画面の中に懐かしい顔がちらほら見えたりすると、対面で会っている人たちは楽しそうだなぁとそんなことも感じるわけです。
 さていきおい、協議会の内容も、コロナの時代とは何であったのかと、その意味を問い返すような事柄が多かったようでした。そして、今年の3月まで神学部の教授をなさっていた石川立先生が、基調講演を担当され、この「肉体を厄介だと思う風潮が広がっているのではないか」ということを会場に問いかけておられたのでした。
 石川先生は、しかし慎重に、この風潮は、コロナ前から身近にあった感覚であったということも指摘されていました。肉体は、病気になるし、年を取るし、そもそも力持ちとそれほどでない人の差を生み出します。そして役に立つ肉体は重宝されるけれど、役に立たないと烙印を押されたり、自ら役に立たないと思い込んでしまったりする肉体は、社会の足を引っ張る。コロナ前もそう思っていたのです。
 そしてそんな社会の雰囲気の中に、「ソーシャル・ディスタンス」はやって来たわけです。さかんに意識されたのは、「自らが感染してしまうことへの恐怖」と同時に、「誰かを感染させてしまうかも知れない危険」でした。この肉体が、誰かの肉体の弱さをさらに蝕むものとなるとすれば、こんなに厄介なことはありません。そして例えば、教会の礼拝にあっても、実際には集まらず、リモートで参加する礼拝、バーチャルで与る聖餐、等という方法が考えられていったわけでした。
 身体と身体とが触れ合うことの危険。それはやがて心理的なふれあいへの忌避にも繋がっていきます。美学・美術を東京工業大学で教えておられる伊藤亜紗さんという方が、朝日新聞の取材に答えて「私たちは今、人を傷つけることに対してあまりに敏感になっていないか」と問いかけ、こんなことを語っておられます。
 
 例えば芸術の授業で学生が作品を発表する時、前口上が長いんです。「刺激が強いかもしれない要素が入っていて、傷つけてしまうかもしれないので気をつけてください」と。たしかに人の心を動かすことは傷つけることと紙一重ですが、すべてを暴力とくくってしまうと美術作品は成立しません。
 いま、暴力への感受性と同時に、ケアへの関心も高まっています。このことには矛盾を感じます。ケアとは人の領域に介入することなので、暴力に敏感になり介入が暴力とみなされたら、ケアができなくなります。例えば困っていそうな人に手を差し伸べようとした時の、ためらいが増えた気がするんです。みんなが透明なアクリル板で安全な領域の中に仕切られたような状態だと、ケアの手が入れません。私は障害を研究していますが、目の見えない知人たちから、コロナによって街で声をかけてもらいにくくなったという話はよく聞きます。


朝日新聞 2023/6/6 朝刊15面

 
 石川先生は、この伊藤先生の記事をも引きながら、「世間では、人と人との“ふれあい”の関係に依存するより、人と人との“ふれあい”など必要としない自立した人間を求めてきたのではないか」と問いかけておられました。
 私たちはそこで思うのですね。「しかし本当にふれ合いは必要ではないのだろうか」と。バーチャルな世界で、抽象化された概念だけを共有できればそれで良かったのだろうか。傷つけることを恐れていたのは、ほんとうは自らが傷つくことをも恐れていたからではないか。本当に必要なのは、傷つけたり傷ついたりすることを退けることなのではなくて、傷つけてしまったり、傷ついてしまったりしても、それでも生き直しができるように支え合う人の関わりであったのではないだろうか。そしてそのために、教会はあったのではないだろうか。
 この数年を経て、ようやくコロナに出口が見えるようになってきました。私たちは、もう一度、触れ合うことの意味について考えおきたいと思うのです。そして、「神が肉体となった」、まことに弱い肉体という身体性を伴って、その厄介な体を携えて、私たちの前に現れた、そのことにについて思い巡らしておきたいと思うのです。
 
 今日読みます聖書の箇所は、ヨハネ福音書1章。洗礼者ヨハネの証についての記事でした。1章19節。
 
 19さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 20彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。 21彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。
 
 ヨハネ福音書は、その冒頭に、あの有名な「初めに言ありき」の句を記します。神学的には、この「言」というのが、ギリシア語の「ロゴス」であって、世界の秩序や、存在要因、その構成様式などを示していて、当然に創世記冒頭の「神は言われた『光あれ』」と言葉と響き合いながら、旧約聖書全体、特に知恵文学における「ダーヴァル」として昇華し、ヨハネ教団が人格を伴ったキリストそのものを指すものとして同定した神の働き、とそんな説明がなされるわけです。それは研究者にとって興味の尽きない用語であるわけですけれども、ヨハネ福音書がもっとも言いたかったことは、ひと言で申し上げるなら、「神の働きが具体性を伴って現れた」と、そういうことだったのではないかと思います。
 私たち人間同士の関係を考えてみてもよいでしょう。お互いがお互いのことを思っている。お互いを、こんなふうに理解している。それはそうであってよいのですが、それは、言葉にしてみて、つまり実際にその相手とコミュニケーションを取ってみて、そこにおいて、意味のある形となっていくものであったわけです。
 神は世の初めから、人とコミュニケーションを取ろうとしてきた。でもそのことを人は受け入れようとしてこなかった。だから、コミュニケーションはより具体性を伴うようになった。肉体となった。救い主が、イエスという人間の形になって地上に現れた、というわけです。クリスマスの物語ですね。
 今日の箇所に先立つ8節には、ヨハネについて、「彼は光ではなく、光について証しをするために来た」と書いてあります。あるいは、この後の3章30節において、ヨハネ自身がイエスを指し、「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」とも語っています。つまり、ヨハネは、自分は神ではない、と言っているわけです。そして、むしろ自らの肉体性、身体性に触れながら、「自分はやがて衰え、朽ち、この世を去って行かなければならない存在だ」との限界性を認識しているのです。
 ここで、私たちは、ヨハネと共に思い巡らすことを求められているのではないか。イエスの肉体性、身体性に触れ、その温もりに接しようとする者は、むしろ、自らの、自分自身の肉体の限界、その弱さというものをきちんと受けとめておかなければならないのではないか、ということです。神の言葉に向き合おうとする者は、自分は神に対峙する、神に呼ばれて神に向き合うのにふさわしい存在だと考えることはできません。神のお眼鏡に適って神に呼び出されるというのでもありません。むしろ自分の弱さ、究極的には、やがては衰える、という肉体の厄介さのことですよね、英語には”mortality”という言葉がありますが、敢えて訳すと「死すべき存在性」というような感じになるでしょうか、やがては死んでいくこととなる、儚い存在だということです、それに向き合い続けていかなければならない。他者との関わりにおいても、自分自身への向き合い方に対しても、「私は完全ではあり得ない存在である」、そして時には、持て余してしまうほどに厄介な存在ですらある。「肉体」という限界性を持つ私。その私に対して、神がそのままに語りかけてくださっている、そのことに向き合うべきだったのでしょう。
 ところが、祭司やレビ人たちはやって来て、ヨハネに問うたというのでした。「あなたは、どなたですか」。
 彼らは、ヨハネの持つ肉体性、つまり、具体的な悩み、悲しみ、叫び、うろたえ、やむにやまれぬ思い、それには目を留めていないのです。彼らが気にしているのは、ヨハネの肩書きです。人々は、ヨハネにレッテル貼りをしようとしていた、そういう言い方もできるでしょう。彼らは、ヨハネを、自分たちに馴染みのある「用語」、「グループ」で、分類し、理解したことにしてしまいたかったのかも知れません。「ああ、あれはエリヤだ」「ああ、あれは預言者だ」。この「エリヤ」という時、「エリヤ」というのが本当はどんな存在で、あのアハブ王の時代、神と民の前にどう生きたかということは、問題とされていません。とにかくここでは、自分たちの馴染んだ分類方法のポケットに目の前の男がすぽっと埋まればそれでよいわけです。それで処理できる、派遣元に報告ができるからです。それでよいと思っていたわけです。
 ヨハネはこれに対し、全身を震わせるように抗うのです。「違う!」と。形式的に処理されてよいことではない。レッテル貼りをされて、「ああ、よかった、直接我々の生活に関係ないことだ」と安心されるような者ではない。「ここに私は生きている。だって、私は声だから。この地上に生きる人たちが、どれだけその肉体の弱さに苦しみ、肉体に辱めを与えられ、収奪され、抑圧され、そうして神を礼拝することからすら遠ざけられているか。その現実を告発する声として、生きた声として、ここに私はここに生きている。報告して終えないで欲しい。一緒に痛み、一緒に怒ってはくれないものだろうか。神の裁きを求める一人の人間となってはくれないか」、そう叫んでいる声であったというのです。22節。
 
 22そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 23ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。
『主の道をまっすぐにせよ』と。」
24遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。
 
 「ファリサイ派に属していた」と、彼らがその属性によってものを語っていたことが、ここで空しく響きます。一方ヨハネは、「私は声」しかも「荒れ野の声だ」というのでした。荒れ野です。それは、この世の権威であるとか、この世でしたり顔して強者の地位に安居している、そういう権力者からはじき出された人々が追いやられていく場所だったことしょう。創世記に記された最初の殺人事件、そこで、カインに殺されたアベルの血が叫び出した場所は荒れ野でした。あるいはサムエル記の物語、サウルに命を狙われたダビデが逃れた場所も荒れ野でした。そしてイエスの時代、数え切れないほどの重い皮膚病を患った人々が押し出されていった場所も荒れ野です。人に疎まれ、踏みつけにされ、軽んじられて追いやられていった者たちの生きる場所が荒れ野であったとするなら、ヨハネは、自分はまさにそこから、肩書きにあぐらをかくあなたたちに呼びかける声だというのです。この声を聞くがいい、この痛みの声をしっかり聞かなければならない、というのでしょう。
 このヨハネによるイザヤ書の引用は、今日の礼拝の中でもう一つ読んでいただいた、イザヤ書40章からでした。旧約の本文では、こんな風でした。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え、荒れ地に広い道を通せ。」それは、荒れ地に置かれ、遠ざけられ、人との関わりを、人間らしい関わりを断たれている人々の声、その声に耳を傾けることが、主のために道を備えることになる、という宣言でした。それはある意味では、この声を聞くこと、この痛みの声、悲しみの声を聞くことが、キリストを迎えるのに最も近い道のりだ、という事でもあったでしょう。そして、ヨハネは訴えているのです。「私自身はキリストではなく、キリストの前で、この世の悲しみの声を共に泣いている、その一人なのだ」と。ヨハネは、荒れ野の叫び声に耳を傾けました。そしてその声を、また自らの叫び声とすることで、キリストを指し示したのだったと思います。25節。
 
 25 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、26 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。27 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」
 
 人をただの分類対象として眺めることしかできない人々は、ヨハネがどうして洗礼を授けようとしているのか理解できませんでした。ヨハネの洗礼は、水の中に全身を沈める洗礼でした。息ができなくなって、苦しくて苦しくて仕方がない、そしておぼれて死にそうになる。そこを、再び助け起こされて、新しい呼吸をするものへと導かれる。その時、人は気づくわけです。私たちは、その生きるという営みを、自分の力で送ることができているわけではない。むしろ、現実の私たちはこんなに苦しくて、この人生の重みの中で今にもおぼれそうになっているのに、この今の時の向こうに、さらに「生きよ」と命じておられる方がいる。その方の息が、呼吸が、聖霊の息吹が私の中に注ぎ込まれていて、私たちは生きる者として生かされている、この弱い肉体のままに。そのことを全身に刻み込ませる洗礼でした。
 「あなたがたがの中には、あなたがたの知らない方がおられる」。ここで「知らない」と訳されている元の言葉は、知的に「知っている」「知らない」ということを表すときに用いる単語「ginosko」とは違う、「oida」という言葉が使われています。それはむしろ、「わかる」「理解する」「自分のこととして受けとめる」、そんなニュアンスを帯びた単語です。「その人」、つまりキリストは、力で人を押さえつけ、支配し、機械的に分類し、それで統治ができている —— こんな雑魚どもとは違って、自分には力がある、ヴァイタリティーがある、そう思っている人々には、決して馴染まない、理解できないその人である。ただ、生きることの苦しさ、悲しさを体験し、他者のその声をも自分のものとして分かち合うことができる人こそが、彼と共に歩くように招かれている、「その人」だ、そういうのでした。
 
 「瞬きの詩人」と呼ばれた水野源三。子どもの時の赤痢が元で脳性麻痺となり、目と耳以外の多くの生体機能を失っておられたキリスト者でした。母親が五十音表を用いて、彼の瞬きの合図を拾い、彼の言葉を紡ぎ、多くの詩を残されました。水野さんの詩に、こんな詩があります。
 
 生きている 生かされている 歯が痛き 手足が痒き 咳が苦しき
 
 歯が痛い、手足がかゆい、咳が苦しい。どれをとっても辛いことです。特に体が不自由であられた水野さんにとってそれはどれほどのことであったか。でも水野さんは、それが「生きている」ということ、いや、「生かされている」ということであったと詠うのです。そして彼が、生かされて生きていたということ、その故の咳の苦しさを、この朝、もし私たちも分かち合うことができるなら、そのときこそ、弱きままの人間を愛し、生かしたもう神の大きさに、私たちも与ることができるようになるのではなかったかと思うのです。28節。
 
 28これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。
 
 ベタニア、川の向こうです。私たちが普段接しているのではない向こう側の人々のことかもしれません。その人々の中にも、生きている人々の声があります。そしてその声を聞くために、イエスは生まれ、その地で洗礼を受けられることになるのです。御子を受け入れること、私たちの胸にお迎えすること、それは、そのキリストの姿をこそ受けとめ、肉体の叫びを分かち合っていくことに他ならない、そのように思うのです。

2023年12月10日

「文化という色彩の裏に」

ルカによる福音書1章26~38節   

 カトリック教会には、神の母・マリアは無垢で受胎し、天に挙げられたという教義があります。このようなカトリックの「無垢受胎説」や「被昇天説」を信ずるか否かは別として、マリアといえば、一般的に「聖母」と捉えられています。しかし、荒井献さんという聖書学者の「マリア観の諸相」という論文によりますと、このようなマリア観はキリスト教の最初期には認められないと云います。イエスの母・マリアは時代と共に変遷し、形作られたものです。
 往々にしてロマンチックなイメージだけでなく、無理にでも聖書の表面的な描写を理解しようとします。挙句の果てには、理解できないこと、不可解なことを信じるべきだと踏み絵的な決断をさえ迫ります。この時、「信仰の問題だから」とかいいますが、信仰は深いところでの人間の実相にふれる問題です。それが曖昧にされているにもかかわらず、信仰の問題だという、これは強制や欺瞞、盲信以外の何ものでもありません。
 ルカ福音書に即して云えば、これら神の奇跡的な出来事が、現実には理解出来ない描写が、当時の神話的文学様式で表現されており、劇的に彩られた描写を剥いでいくと、著者ルカの中心的な視点は、それらの謙虚さや清らかさ、「無垢受胎説」等ではないということが分かります。
 マリアの姿を追って聖書を読むと彼女が事あるごとに「恐れ、思い巡らし」ているのが分かります。「思い巡らす」とは「疑う、惑う」という意味があります。「どうして、そのような事がありえましょうか」と反応しています。
 28節で天使ガブリエルがマリアに向かって「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と告げますと、29節でマリアは「この言葉に戸惑い」と、戸惑ったことが記されています。
 信じ難いことに直面したり、予想外、予期せぬ出来事は人を惑わせ、不安にさせます。実はマリアも例外ではなく、私達のように恐れ、不安に陥り、そんな事はありえないと否定をしているのです。それは神の出来事への抗議であり、神の語りかけへの拒絶、否定的な対立でもあるのです。
 バプテスマのヨハネの誕生を取り巻くザカリヤとエリサベトの夫婦も同様でした。ルカの云わんとしていることは、理解出来ない出来事を無批判的に信ずるということがテーマではありません。謙虚な受容が問われているのでもありません。神との対話を通して疑い迷う自分、対立し抗議する姿、拒絶し受容できない己が、神の語り続ける出来事、神の出来事の流れの中で光が当てられてゆくということです。と同時に私達人間の迷い、疑い、動揺する姿と、神を受容し、讃美する姿が一人の人間の中に同居していることに気づくことでもあります。
 今日は「処女降誕」に切り込んで見たいと思うのです。ギリシャ・ローマというヘレニズム文化には、実は「処女降誕」の物語が多く存在します。例えば、ギリシャのプルタルコスの「英雄伝」(「プルターク英雄伝9」岩波文庫)には、アレクサンダー大王が「処女降誕」によって世の中に出てきた事が描かれています。また哲学者のプラトンも「処女降誕」によって生まれたこと(「ギリシャ哲学者列伝」岩波文庫)、更にはローマ皇帝であったアウグストウスもまた「処女降誕」に(「ローマ皇帝伝」岩波文庫)よって生まれたとされています。これはマタイによる福音書とルカによる福音書が、ギリシャ・ローマというヘレニズム文化圏で書かれ成立したものだからなのです。マルコ福音書とヨハネ福音書には、「処女降誕」はないのです。理由はマルコがユダヤ・イスラエル文化圏で書かれ、ヨハネはエジプトの文化圏で書かれているからなのです。「処女降誕」の物語など知らないのです。この件に関しては聖書学者の青野太潮さんが詳しく論じられています。
 そして今日は更に突っ込んで、ルカが描くマリアの姿には、物語を設定する際の著者の心理が表れていると思うのです。どうして、ルカは他の福音書に比べて、マリヤを詳細に描くのでしょうか。イエスという神の出来事を疑い、惑い、拒絶したのは、著者であるルカ自身とルカを取り巻く人々だったと思います。ルカを揺さぶるイエスという強烈な出来事に動揺し、拒絶し続けた彼らの、彼女らの過去が重ねられているのです。しかし、語り続ける神によって、彼の前に立ち続け問い続けるイエスによって、人間の持つ様々な枠組みや、思い入れが除かれ、救いと恵みによって解き放たれたルカ自身の物語が秘められているのかも知れません。苦悩し続けたルカの真実が込められているのでしょう。自分自身を見つめたルカの苦悩の姿、どうにもならない、もだえ苦しむ深い人間理解と、そのような深みへと訪れるイエスの姿が証されているのでしょう。女性であるマリアを詳細に描けるのは、著者であるルカ自信が女性だったからなのでしょう。ルカ福音書の著者はルカスです。男性名詞です。当時女性が描くのでは誰も読んではくれなかったから、仕方なくルカはルカスと云う男性の名前で福音書を描くしかなかったのでしょう。
 今日の聖書の箇所を元にした絵画「受胎告知」という作品は沢山あります。レオナルド・ダ・ヴィンチ、アンジェリコ、カラバッジオ、エル・グレコ等々です。どれも、天使ガブリエルには羽根があり、マリアは赤い服の上に青いベールの様なものをまとっています。マリアに受胎を告げる天使ガブリエルは一人であったり、沢山の天使が一緒だったりと様々です。また鳩が一緒に登場したり、マリアに天から光が差し込んだりと、大体、神の使いの不思議な場面として神々しく描かれています。
 その中で異色な作品が、ラファエル前派と呼ばれる19世紀後半に活躍する象徴主義美術の先駆的な運動を担っていったロセッティという画家が描く受胎告知「見よ、われは主のはしためなり」という作品です。
 天使ガブリエルには羽根がありません。頭の上に浮かんだような「天使の輪」もありません。代わりにガブリエルの手には百合の花一輪が持たれています。マリアは白い服を着ており、白いシーツが敷かれたベットの上に座っています。マリアは天使ガブリエルの方を見てはおらず、うつむき気味に怯えているようです。マリアがとても弱々しく描かれています。まるで病人の様です。
 38節のマリアの言葉「わたしは主のはしためです」の「はしため」とは原語で「ドーレー=奴隷」を現す女性形の言葉です。自由な身分を持たない奴隷を現します。よくこれを神の奴隷であるとマリアは告白し、その謙遜さを表現していると解釈されますが、果たしてそうでしょうか。戸惑い、疑うマリアの姿は、ルカ福音書ではまだまだ登場します。むしろ不自由で、抑圧されていた存在としてマリアは描かれ、その不自由さや抑圧された者へと神の救いと解放が告げられていくドラマとして綴られているように思われます。「この身になりますように」とは、マリアの祈りなのかも知れません。当時、抑圧されていた人々や、特に女性たちが解放されますようにと祈り願っていたのかも知れません。そしてこれこそが女性である著者ルカ自身の祈りなのかも知れません。文化という色彩の裏にこそ、そうした真実が秘められているのかも知れません。
 人間にとって、神の出来事は本当に受け入れられないこと、信じられないことかも知れません。しかし、イエスの出来事が我が身に起こる、イエスが自分の腹の中で息づく、そのことが「この身になりますように」、イエスと共なる人生へ私達もまた、著者ルカと共に一歩を踏み出したいと思うのです。

2023年12月3日

「この身に起こったこと」              
マルコによる福音書5章1~20節



 マルコによる福音書の5章1節以下には、失われた人間の姿、自己を喪失した者の姿が告げられています。
 聖書の舞台は「ゲラサ人の地」。これは異邦人の土地であり、ユダヤの人々は近づかない場所でした。そこには家畜の豚を2000頭も所有する大金持ちもいたようです。
 そのような町にイエスがやってきました。すると「汚れた霊」にとりつかれた独りの者が近づいてきました。とりつかれた者の様子を聖書は次のように描写しています。「墓場を住まいとしており、もはや誰も、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、誰も彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。」、もはや絶望的な状況のようです。
 「鎖や足枷」という言葉の中に、霊にとりつかれた者が、ゲラサの人々からどのように扱われていたかが伺えます。彼らは、自分の生活に都合の悪い者の存在を決してゆるしてはおかなかったのでしょう。自分たちの生活を乱す者を鎖、足枷をはめ、墓場へと放り出していたに違い在りません。
 3節、「この人は墓場を住まいとしており、」、とは何と悲しい状況でしょうか。彼を取り巻く全ては、しかばねです。何を聴いても答えてくれず、何を求めても彼には何も与えてはくれません。ここは生きた交わりのない世界です。事情は違いますが、聖書の語る墓場は、私達の世界をも暗示しているのではないでしょうか。現代社会、多くの人々が真実の交わりを求めますが、それが出来ずに、時に心にキズを負ったり、病に患わされたり、人として行き生き生きとしたいと願い求めても、誰も答えてくれず、自らの命を絶つという現実があります。それを聖書は「墓場」と表現しているのではないか、そのように思われてなりません。表面的には非常に美しく飾られている、しかし、生き生きとした人間的な交わりと命がない、現代とはまさしくそのような時代ではないでしょうか。
 聖書はそういう現実にある者のところにこそ、イエスが向かわれることを語っています。私は今、そういうところに「こそ」と表現しました。直前の聖書の箇所になりますが、イエスはこの「ゲラサ人」の土地に来るときに、向こう岸で群衆を解散させられました。なぜでしょう?そして群衆とはどのような人々であったのでしょうか?主イエスの奇跡や言葉に触れ、少なくともイエスに好感を寄せていた者達です。もしかしたらイエスを慕ってやまない人々であったかも知れません。
 しかしイエスはそのように自分を慕い、受け入れ、大事にしてくれる人々を解散させました。その上で、神に生きようとせず、ユダヤの人々に忌み嫌われていた異邦人であるゲラサ人の土地に行こうと言いました。 
 このイエスの招きに、自らを振り返りながら思わされるのですが、私達はいつしか、自分の気の合う人々と一緒になっています。そのほうが楽ですし、気分がいいわけです。逆に、馬の合わない人と一緒にいなければならないのは苦痛になります。不愉快ですし、イライラしてきます。私達は嫌いな人からは身を引き、そしていつの間にか自分と気の合う人々とばかり共にいようとしています。イエスの指さす方向は、まったくその逆側ではないでしょうか。人に尊敬や愛情をもって迎えられる、これは人生の最大の喜びでしょう。生き甲斐でもあります。しかし、そこからあえて逆側へと歩むイエスの示す姿に、福音に生きるということの困難さを思わされます。また、イエスの招きの厳しさを思わずにはいられません。
 ところで、皆さんもご存じの、聖書の有名な言葉に、ヨハネによる福音書第3章16節の言葉があります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」という聖書の言葉です。この聖書が語る「世」とは、まさしく神様を思わないところです。神様を無視し、敵対し、反逆し、人間の身勝手な思いだけで歩んでいる、そんなところです。そのような「世」の救いのために、神はイエスをお遣わしになったのです。神の業の具体化がこのマルコの記事には現されているのではないでしょうか。
 人を鎖と足枷で縛り上げ、死の世界である墓場へと追いやった、世にイエスは来られました。彼はイエスの不思議な業により、いやされました。この出来事をゲラサの人々は、その一部始終を見ていました。いえ、悪霊にとりつかれていた者を毎日見ていたのです。言葉を失い、獣のように絶え間なくほえ続け、自らを石で打ち続け、血を流したことでしょう。そのような彼を見続けていたのです。自分たちが切り捨て、不要とした者がイエスによって人間性と命を回復しました。
 ゲラサの人々にとっては失われた仲間が、戻ったのです。しかし、誰一人として、それを喜ぼうとはしませんでした。主に感謝したり、回復を祝福したりしませんでした。それどころか、自分たちの財産である豚を失ったことで非常に腹を立て、「出ていってほしい」と訴え出たのです。人間以上に財産が大切であったことがうかがえます。
 18節以下に「イエスが舟に乗られると、悪霊にとりつかれていた人が、一緒に行きたいと願」いました。自分よりも財産を大切にするところに、しかも自分の醜い過去を知られているところに、いたくはない、どこかへ行きたいと考えるのは当たり前のことかも知れません。しかし、イエスはそれを許しませんでした。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」と命じられました。なぜでしょう?
 キリストによって救われる、人間性を回復し神に心から愛されていることを知るということは、今までの人間関係や社会生活を無視していいということではありません。そうではなく、キリストにあって新しい存在とされた者は、その事実を生きて証し続けることが求められているのです。古い、今までの人間関係さえも、キリストが自分を切り捨てなかったように、切り捨ててはならない、そのような歩みが促されて行くことなのです。それと大切なことがあります。人から捨てられ、世の身勝手さに鎖や足枷をはめられ、死の世界に放り出されるのは、もはや私だけでよい、そのように身代わりとなって十字架へと進むイエスの姿でもあるのです。十字架の死へと進まれるイエスは、神に敵対するゲラサの地に、それでも神が人々を愛されているという御旨・すなわちイエスにいやされた者、キリストを証しする存在を残されて行くのです。
 キリスト者とは、おのおのの生活の場に主イエスによって蒔かれた種、地上に残された神の愛の証でもあるのです。そんなこととは知らず、悪霊をイエスによって追い出してもらった者は、たぶん、渋々、いやいやながらこの地に残ったと思います。しかしながら、イエスが去った後、一体何がゲラサの地に起こったでしょうか?。人々は皆、驚いたのです。この驚きは神への畏敬の表現です。皆が、神は確かに奇跡を起こされた、そのことに驚いたのです。私達は恥ずかしいこと、過去のこと、自分の弱さを知る者達のところから、離れたい、身を隠したい、嫌な思い出のところは去って行きたい。どうせ、人々は私をまたのけ者にするだろう、彼もそう考え、イエスに一緒に行きたいと願ったのです。けれども、イエスの業は、そんな思いを遥かに超え出たものでありました。
  主に出会い、信仰を得てゆくということは、「信仰を得たからもう完全なんだ、それで終わりなんだ」ではありません。イエスの十字架と復活という救いの出来事は、確かに、一回限りのことです。しかし、このイエスの出来事に触れ、それに導かれた者は、そこで立ち止まらず、更に先に、私達の思いを遥かに超えた驚きの出来事が起こされて行くのです。まさに、終わったと思いこむ私達の考えを突き抜けてゆくのです。
 私達もそれぞれの生活の場で、更に主が驚くべきことをなして下さることを信じ、証し続けたい、そのように願い、祈りを合わせたく思います。

2023年11月26日

「思い起こされる神」                   
出エジプト記6章2~13節



 出エジプト記には、エジプトで苦役を強いられているユダヤの人々の解放者となるべく、神によって指導者として召命されたモーセの出来事が記されています。指導者に選ばれた時、モーセは、「それでも彼らは『主がお前などに現れるはずがない』と言って信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」(出エジプト4章1節)と神に不安を打ち明けていきます。すると神はモーセに「あなたが手に持っているものは何か」とモーセが手にしている杖に注目させます。モーセの杖は単なる杖でした。しかし、不安がるモーセの為に神は、その杖に力を与えていきます。神の力が宿った杖は、この後、モーセを度々救っていきます。その時々によって杖を通して神の力が示されていきます。とても力強いものをモーセは与えられました。
 ところがそれでもなお、モーセは神に訴えます。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全く私の口は重く、舌の重い者なのです」(4章10節)と。不安の中で使命を拒もうとするモーセに対して、神は強制することなく、モーセを諭すように導いていかれます。神はモーセの兄でアロンに、モーセの口となって語る使命と力を与えていきます。アロンはこれからモーセの兄弟ということを越えて神の使者、モーセの援助者として登場していきます。神の業は人との共同作業の中で豊かに現されていくのでしょう。そしてモーセはいよいよエジプトへと向かっていきます。
 モーセはエジプトに戻り、ファラオと交渉をいたします。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と」。
 苦役に喘いでいた人々を助けるため、エジプトを脱出させる方法は幾つか考えられたかも知れません。けれどもモーセはファラオとの直接交渉を選んでいくのです。ファラオと真向かって、話し合いによって平和な解決を望んだのです。
 私たちも問題に直面します。日々、問題だらけかも知れません。そして問題を解決するには幾つかの方法があることかと思います。時に応じて、あるいはそれぞれの状況に応じて、私たちも問題解決の方法を選択していきます。私たち自身の事を振り返って考えますと、私たちは日頃どのようにして問題解決の方法を選択していくのでしょうか。
 モーセの交渉はとても難航しました。ファラオはなかなか首を縦に振りませんでした。モーセが交渉すればするほど、ファラオは民に対する重労働を激しくしていきました。
 一方でモーセは、イスラエルの民に神から託された使命と神の導きを語っていきます。ところが民は無気力で反応がありませんでした。厳しい重圧を受け束縛をされてしまうと人間は自由な意志や気持ちが萎えてしまうのでしょうか。奴隷の苦しみはここにあるのではないでしょうか。
 激しい重労働が課せられ、不当に扱われる中で自分の意志が消され、意欲が押さえつけられていくのではないでしょうか。モーセはこのような状況を目の当たりにして、どうしたのでしょうか。どのように民を奮い立たせ、導いていったのでしょうか。
 ファラオとの交渉は長引きました。その間、モーセが民を戒めたとか、民に対して憤ったということはありませんでした。多分モーセは、イスラエルの民の為に悲しんだのだと思うのです。無気力になった民の姿は、極度の苦しみと深い悲しみに根ざしています。そしてモーセは、その民の心に気づく者となっていきます。そして背負っていくものがいかに重いかを感じていたことでしょう。出エジプトの解放者として立てられたモーセは、民と共に苦しむ者となっていきます。ここにこそ神の御心が現れているのではないでしょうか。モーセは粘り強く頑迷なファラオとの交渉を続けていきます。
 モーセのファラオへの交渉は難航を極めます。イスラエルの民はエジプトにとっての大切な労働力だったからです。この時代はエジプトの第19王朝ラメセス2世(B.C.1304~1237年)の時と言われています。この時代のエジプトは各地に多くの神殿や建造物、彫像を残しました。エジプトの歴史の中でも経済的に活気のある豊かな時代の一つであったと言われています。そしてこのエジプトのファラオの事業に従事したのはイスラエルの民(他国の人々も含まれていたそうです)でした。貴重な労働力を失うことをファラオは認めませんでした。こうして長期にわたる交渉は、きっとモーセとアロンを指導者として鍛え上げていったのでしょう。粘り強い忍耐力をも身につけていったのかも知れません。次第に指導者として成長していったのではないでしょうか。
 6章の2節以下で、神がなぜ民を導き出し救われるのかという理由が繰り返されています。「奴隷の身分から救い出す」ためです。そしてその前の5節に神が民を「思い起こす」という件があります。そして12節で「唇に割礼のないわたし」とモーセのことが語られています。どれもこれも混迷を極めていきます。そしてモーセは自分自身に自信がありません。弁が立ちません。そういうモーセだからこそ、神は豊かに用いられました。そいいうモーセだからこそ、民と一緒に苦しむ者となることが出来たのでしょう。
 ユダヤの宗教学者であるマルチン・ブーバーは、神の出来事とは私たち人間の表現能力を遙かに越え出たものなので、神の出来事を人間は語り尽くせないと言っています。人間が神の出来事を語ったり、証したりする時、モーセのように「つっかえながら」しか語ることは出来ないのでしょう。それでもなお語り続けるモーセの姿を、信仰者の姿を、神が「思い起こし」て下さり豊かに祝されるとブーバーは語っています。
 まさに人間という「土の器」に過ぎない存在に、神の出来事が、主イエス・キリストの命が現れていくような、そんな出来事なのでしょう。私たちも「つっかえながら」神の出来事を、イエス・キリストの出来事を伝えて行きたいと思うのです。その神は、私たちを豊かに思い起こされるのではないでしょうか。

2023年11月19日

「ひとつを分かちて」
箴言 27:1−2
ルカによる福音書 19:11−27


 サン=テグジュペリの名作、『星の王子さま』。お読みになった方、また愛読されている方も多い作品なのではないかと思います。
 王子さまはとても小さい星に住んでいました。椅子の向きを変えるだけで一日40回も日の入りを眺めることができるほどの小さな星。その星で生きているのは、王子さまと気位の高いバラの花が一本だけ。ときどき生えてきては星を壊してしまうほどに大きくなってしまうバオバブの木を除けば、王子さまの話し相手はバラの花だけだったわけでした。
 ところがある日、王子さまはそのバラの花と喧嘩をしてしまい、自分の星を飛び出すのですね。宇宙のいろんな天体を巡り、色んな人と出会い、そしてとうとう王子さまは地球へとやって来ます。今まで巡ってきた星とは桁違いに大きな星。バラだって他の生き物だってたくさんいる星で、王子さまは星に残してきたあのバラのことを気にかけていました。しかし、なんだってあのバラのことがこんなにも気になるのか。喧嘩別れしてきたのに。するとそこに一匹のキツネが現れ出て王子さまに言うのです。
 
 「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
 「かんじんなことは、目には見えない」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。
 「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」
「ぼくが、ぼくのバラの花を、とてもたいせつに思ってるのは」と、王子さまは、忘れないようにいいました。
「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね」と、キツネはいいました。
 「ぼくは、あのバラの花との約束をまもらなけりゃいけない」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。(内藤濯 訳)
 
 長く唯一の翻訳であった内藤濯の岩波訳で読みました。ちなみに内藤濯は、内藤協牧師の大叔父さんに当たる方です。その内藤はここで、「ひまつぶし」というちょっとわかりにくい訳を付けているのですが、これは原文では「時間を使う」という意味の箇所です。「きみがあのバラのことを気にかけているのは、そのバラのために時間を使ったからなのだ」というのです。「だから、それはきみにとって、ありふれたものの一つではなくて、たった一つしかない、決定的に関係づけられたそれになっている。たいせつなものは目には見えない。それのために時間を使った、それがきみに責任をあたえたんだよ」とそういうのでした。この作品の中には、内藤が「飼い慣らす」と訳しているapprivoiser という単語も繰り返されるのですけれども、このapprivoiserというのは、プライベートなものにする、自分自身に関わるものにする、という意味の言葉です。世界に一つしかない、かけがえのない、代替不能のものとして引き受ける ———— そこに責任が芽生える、そのことの深さをキツネは王子さまに教えるのでした。王子さまはキツネと話すことで、自分がどれほどバラのために時間を使ってきたかということの尊さに気づかされていく。そのことでバラは王子さまが飼い慣らした、自分自身と決定的な関係の命の相手となったわけです。
 
 どこにでもあるものではなくて、たった一つしかないその価値をどれほど大事にできるか、あるいはそんな大事なものとの関わりに、すでに私たちがどれほど支えられて生きてきたことか。そしてそのたいせつなものを誰かと分かち合うことで、そのたいせつさをより深いものにしているか。「星の王子さま」は、私たちに教えてくれるように思うのです。
 今日の聖書、ルカ福音書の「ムナのたとえ」の箇所でした。そのような「たった一つしかないもの」を分かち合っていくことのたいせつさを思いながら読み進めたいと思います。ルカによる福音書19章11節から。
 
 11人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。 12イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。 13そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。 14しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。
 
 「星の王子さま」よろしく、こちらの人物も旅に出ようとしていました。しかしむしろこちらの人物は、これから王の位を受けようとしての旅であったというのです。
 この話を聴いたとき、この話に聞き入っていた人々は、「ああ、あのことではないか」とクスリとしたり、少しざわついたりしたのではないかと思います。というのも、それは、この時代のユダヤで実際に彼らの身近で起こった出来事を彷彿させる話であったからです。
 ヘロデ大王の息子にアルケラオという人物がいました。マタイ福音書に1回だけ登場するのですね。イエスさまの降誕物語の続き。エジプトに逃げた聖家族の許に、ヘロデが死んだとの知らせが天使によって届けられる。でも、その息子アルケラオが後を継いでユダヤを支配していると聞いたので、彼らはユダヤに行くことを恐れ、ガリラヤのナザレという町に住むことになった、と記されているところです。アルケラオという人物です。
 アルケラオは父親の領地を受け継ぐことになったのだけれども、有り体に言うと、あまり人望がなかったのでしょう。どうにか王としての地位を認めてもらおうと、紀元前4年、彼はローマへと旅をします。民衆は彼を嫌って、その代表50人が同じようにローマへ向かい、彼を王にしないようにと嘆願したとの記録もあります。この辺りの出来事が、今日の譬えの下敷きになっているようです。
 歴史としての帰結は悲惨なものでした。アルケラオは王位を認められず、「ユダヤ民族の統治者」との称号だけをもらいます。彼の兄弟アンティパスとフィリポスがそれぞれガリラヤとヨルダンの領主とされたのと対照的です。アルケラオは帰国後、その嘆願を行った50人を処刑したほか、暴虐の限りの圧政を敷いたようで、領民から皇帝アウグストゥスに度重なって窮状が訴えられることとなり、結果、アルケラオは廃位され、ガリア地方に流罪。ユダヤは王のいない属州としてローマの直轄地にされていくこととなるのです。
 イエスの時代、そんなわけでユダヤには領主がいないことになっていて、徴税人の徴収する税金はローマに送られるものであったし、また死刑に関する裁判権もユダヤになくなっていたことで、不思議なものですね、イエスさまの最後に深く関わっていくことにもなるわけです。
 今日のたとえが置かれている箇所は、だからとても興味深いですよね。直前に書かれているのはザアカイの物語です。イエスの一行はエリコでザアカイに出会った後、エルサレムに入られる。ザアカイが、ローマの力のもとで溜め込んだ財産の半分を貧しい人々に施すとし、まただまし取ったものを4倍にして返すと宣言したことを受けて、イエス自身は、これから本当の意味での王、王の王となられるために、遠い国、11節の「神の国」へと旅立っていく。その道中、イエスの語りおいた譬えとして、私たちに迫ってくるからです。ザアカイがローマの支配から解き放たれるのと対照的に、イエスはそのローマに殺されるのです。しかし、そのことを通してイスラエルを、いや人間を神の国に取り戻されていく、そんな展開になっています。
 アルケラオは、自らの統治のために、「王の称号」を受けようとしました。町から町へと自分の名前を轟かせるために、王となろうとローマまで出掛けたのです。けれどもこの譬えの人物は、自らの欲望のために王となるのではなく、そこに生きる人々が幸いを分かち合うために、神の支配に身を委ねるのです。イエスの話を聴いていた群衆は、「ああ、あの話だなと聞き始め、いや、違う、あのことへの皮肉なのだな」と合点していたことでしょう。そんな彼らに、今、本当の王の姿を示される、そういうことになったのではないかと思うのです。
 
 15節。
 15さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。 16最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。 17主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』 18二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。 19主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。 20また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。 21あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』 22主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。 23ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』
 
 主人は家来たちに金を渡します。マタイ福音書25章に出てくる「タラントンの譬え」との比較がなされます。大枠としてよく似た物語の展開なので、元は同じ話であったのかもしれません。しかし、細部ではずいぶんと違います。第一、タラントンとムナとでは、金額がだいぶ違うわけです。タラントン。1タラントンは6000ドラクメ。16年半、休みなしで働き続けた時の賃金に相当するというのですから、ざっと見積もっても4000~5000万円くらいでしょうか。それに対して1ムナは100ドラクメ。1タラントンの60分の1です。50~60万円と言っていいでしょうか。普通に考えて、5000万円も管理を委託されるのは特別な立場の人ですが、60万円くらいなら、一般の人でも扱うことのある金額かも知れません。ルカは時に貧しさと言うことにとても拘るので、聴衆が我がこととして物語を受けとめるのには、「タラントン」という莫大な金額は不適当だと考えたのかも知れません。
 第2に、タラントンの譬えでは、主人は旅に出たとき、お金を家来たちに「預けた」と書いてあるのです。それに対して、こちらは「渡した」です。あるいはもっと直訳をすると「与えた」となる箇所なのです。しかもムナの譬えでは主人がはっきりと「商売をしろ」と命じていたという風に書いてあって、主人からの大きな贈り物、商売の原資として、元手として与えられた金であったことが注目されます。これは、タラントンの譬えの方がどちらかというと終末論に関係する段落で書かれていることで、世の終わりの裁きに関係する話になっているのに対して、ムナの方は、イエスの受難に強く関わりを持たされていて、イエスが人々の為に命をすら惜しむことなく与えられたことを彷彿とさせていることと読み解けるかも知れません。
 そしていちばん大きな違いとして、タラントンの譬えでは、3人の僕に異なる金額を委ねているのに対し、こちらの譬えでは、主人は10ムナを10人の僕が1ムナずつ均等にもらい受けるように与えた、とされていることが目を惹きます。このとき、タラントンの譬えが、一人ひとり持っている力量、才覚、利点、そういったものの「違い」に目を留めながら、その与えられている限りの力を用いて神からの恵みを生かす生き方に注目しているとするなら、ムナの譬えは、むしろ、「与えられているということ」そのもの、 誰にも決定的な形で等しく与えられている物の根源性に目を注いでいるといってよいのではないか、そんな気がするのです。
 誰にも、一人ひとり、一つずつ、同じだけ与えられている物。神の恵み、そう言ってもいいかもしれない。神の語りかけ、そういってもいいかもしれない。しかし、もう少し具体的に実際的に感じられるようにいうなら、誰にも一つずつ与えられた物、それは、命だといってよいのではないかと思います。
 神は一人に一つだけ、だれにも同じように、一回限りの命、その人生を与えられた。それを使って、生きるようにと。
 最初の家来は主人の前に進み出ると答えます。「御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました」と。ドイツ語で贈り物のことをGabeと言います。そして、その人への贈り物、恵みという意味で、その人の天からの課題、使命のことをAufgabeと言います。この家来は、主人に与えられたGabeを、さらに生かすために一体どうしたらいいのかと文字通り、彼の課題、Aufgabeとしたのでしょう。彼は町へ出て行って商売をしました。するとそれは10倍になった、それを主人も共に喜んだ、そして、彼には10の町の支配権を委ねられることになった、というのでした。
 一方で、その中の一人は、1ムナを死守しようとします。誰にも取られまいとしたのでしょう。なくしてしまってはいけないと考えたのでしょう。しかし、彼は、神に与えられたGabeをAufgabe、使命——「生きる意味の模索」にすることはしなかった。というのです。するとその結果、彼にはどの町の支配も許されなかったというのでした。
 町を支配する。それは、多くの人々と共に生きるということであったはずです。5つの町、10の町を治めると言うことになるなら、そこに生きる人々の喜びと共に、悲しみ、辛さ、不安、恐れ、そのようなものをも分かち合うべき存在となっていかなければならないと言うことであるはずです。それをこそ、イエスは「小さなことに忠実である」と言われたのでしょう。一人ひとりの小さな命、そこで小ささの中でもがいて生きていかなければならない人。その人たちとの関わりの内に生きていくように。そのときこそは、そこに生きる誰もがかけがえのない存在として、一人ひとりのうちに命ある存在として立ち上がってくるように。その願いが込められていたように思うのです。
 
 先日、ホスピスで年に一度の追悼会が行われました。昨年度、つまり、今年の3月までの1年に亡くなられた方のお名前を読み上げて、お一人おひとりのかけがえのなさを偲ぶのでした。今年は265名の方のお名前を読み上げました。
 礼拝が終わって、一人の方が声を掛けてくださいました。「先生、今日はありがとうございました。今日が実は、2年前、妻と一緒にあの旅行に出掛けた日なのです。」
 その方のことを思い出すと、遠藤周作が好きで、病院に入院される前に、ご夫婦で長崎を旅された、という方でした。奥様はとても勉強熱心な方で、立花隆をだいぶ読まれたとのこと。それでご自身としては「死後の世界などない」という結論に達していたのだけれども、こうして病を得てみると、「死後の世界があってもいいかな」と思うようになったと語っておられた方でした。私が「じゃあ、生まれ変わったら、またご主人と結婚なさいますか?」とお聞きすると「はい」とはっきり答えられた方。「そうしたらまたこの娘さんが生まれてきますね」と申し上げると、「楽しみです」と言われた方でした。
 あれから2年。ご主人が追悼会に来られて、その入院前の旅行について語られた。かけがえのない、あのたくさんの時間を共に使われた奥様との思いについて私と分かち合ってくださったのでした。そのとき、奥様は今や遠くに旅立ってしまわれたのだけれども、ご主人にとって、その思い出、そして奥様が今も大切な方として胸の中で生きていることは、何倍もの意味深いこととして、5倍、10倍もの実りを伴って、ご自身に宿っておられるのではないかと思われたことでした。24節。
 
 24そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』 25僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、 26主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。 27ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」
 
 私たちは、誰かがこの世から旅立っていくことを妨げることはできません。それが御心である限り。私たちはこの世の営みを終えた人々を次々と見送ります。しかしだからこそ、今日、一人ひとりに与えられている恵み、その一回限りのいのちを蔑ろにしたくないと思うのです。どの一人のいのちをも踏みにじりたくないと願います。私たちは誰もが、それぞれの今日の喜びと悲しみを担っている。それを、それぞれに与えられた出会いの中で分かち合っていくことのできる私たちでありたいと思うのです。そしてそれは、そのようにしてこの世の営みを続ける私たちに、キリスト・イエスが、ご自身のいのちまで差し出してくださった、そのこととと関わっているということをも、私たちが知っているからでもあるのです。

2023年11月12日

「主の慈しみに生きる」
詩編30篇2~6節、
ヨハネ福音書3章16、17節
(鎌倉恩寵教会召天者記念礼拝)


 私達は、この世に生を受けた時から人生の旅路を歩んでいると言えます。その旅路の途上では、光り輝くような時もあれば、暗闇の中を手探りで歩まなければならない時もございます。
 特に、愛する家族を失うという体験は言葉では表現できない程の痛みであります。そして最後には、人間誰もが必ず死を迎えます。この世の旅路の終わりを迎えます。
 今年から召天者記念礼拝と名称を変更致しました。そして今朝は召天者追悼記念礼拝として神のみもとにある兄弟姉妹方を憶えていますが、その際、私たちが心するべきは、憶える兄弟姉妹は亡くなられて永眠をしているのではなく、今は神のみもとに召され天の国におられるということです。キリスト教会では人間が亡くなると永眠をするのではなく、天へと、神のみもとへと召されていくという信仰に立っています。そして私達は誰でも命の源である神の元から生まれて来て、死を持って神のもとに帰るということです。「主は与え、主はとりたもう、主の御名はほむべきかな」との信仰に生きることができますよう、この礼拝を通して共に祈りを合わせたく思います。
 お読みをいただいた今朝の聖書の箇所、旧約聖書詩編30篇4節に「主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ、墓穴に下ることを免れさせ、わたしに命を得させてくださいました。」とあります。またヨハネによる福音書3章16節には「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあります。旧約聖書も新約聖書も共に、神を信ずる人間にとっては、死が終わりではなくて、永遠の命の始まりだということを伝えています。誰もとっても死という現実は悲しいものです。考えたくない事柄です。しかしそれを越えて確かな慰めが神によって備えてあることを今朝はもう一度、皆さんと共に確認をしたいと思うのです。
 ところで皆さん、デンマークの童話作家・アンデルセンは、よくご存じのことと思います。「みにくいアヒルの子」「人魚姫」など夢のある物語を世に遺しています。数多いアンデルセンの作品の中に「墓の中の子供」という小さなお話がありますが、今朝、この「墓の中の子供」という作品をご紹介したいと思うのです。
 幼子を病で亡くした母親いました。それ以来、どんな慰めも、励ましの言葉も聴けない程に悲しみに打ちひしがれていました。残されたご主人、二人の娘の言葉さえも彼女には聞こえませんでした。母親は毎晩のように子供の墓に行き、墓石にもたれかかって我が子に話しかけるのでした。そんな日が続くある日、お墓で気が付くと、目の前に亡くなった愛する我が子が立っていました。そしてそこは暗く、せまいお墓の中でした。
 母親は二度と離すまいと我が子を抱きしめ、その顔をしっかりと見ました。幼子は母親に言いました。死んでから空も飛べるようになり、生きていた頃とは違って人の温かさ、愛の素晴らしさを知ったと、そう母親に告げました。そして「これから、沢山の友達と一緒に、すばらしい神様の国に行きたい」、そう母に願いました。母親はもう少しここに居て欲しい、また自分も連れていって欲しいと我が子を引き止めようとしました。するとその時、上の方からご主人の声と、二人の娘の声が聞こえてきました。幼子はしきりに母親に「お父さんと、お姉さん達が呼んでいる」と告げますが、母親はそれが誰の声なのか分かりませんでした。幼子が「お父さんやお姉さんを忘れてしまったの?」と悲しそうと言うと、母親は我に返り目覚めました。
 母親は悟りました。暗く、とても狭い墓の中で、悲しみ沈んでいた自分こそが、死の支配する世界に我が子をいつまでも閉じこめてしまうこと。しかし、その中で自分を支え、上から命ある者の声を聴かせて下さり、導いて下さった方が、誰であったかを知ったのです。今は亡き愛する我が子は、その方の国に、限りない愛に包まれて昇っていったことを悟ったのです。母親は家族に言いました。「神様の御心こそ、常に最善のもの」大きな慰めと生きる勇気が与えられていきました。もう一度、人を愛する力を「神様からいただいてきた」ことを家族一人一人を抱きしめながら告げたのでした。話はここまでです。
 希望を失うこと、死の恐怖に怯えること、愛すべき者を失うことが、いかに人間にとっての破壊的な力かが分かります。これは閉ざされた世界です。信じること、希望を持つこと、愛することが閉ざされる世界です。孤独感と恐怖に支配されるところです。愛すべき者の声が聞こえなくなる世界とも言えましょう。
 キリスト教会は、主イエス・キリストが十字架にかけられ死んで、3日目によみがえったということを信じる群です。復活をしたイエスはまず、孤独と恐怖、いえ愛する者を失ったという者のところに、現れました。それは信じることもできず、孤独と悲しさと恐怖、死の支配する世界に閉じこめられる私たちと共に神がおられるということです。キリストは死の支配という痛みと苦しみ、人々に捨てられたさびしさ、悲しみを、ご自身の体にしっかりと十字架の死のキズとして刻み込まれているのです。苦しみ、痛み、悲しみの深いキズが、あのイエスの十字架のキズと重ね合主イエスは、いつまでも私達と共におられようと願われたのです。
 先ほど読みました詩編にあるように天からの祈りに応え、私達も地上から祈りを合わせる時、「泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」そのような力と、希望が与えられること、主イエスの復活の力に包まれることを教えています。神は必ず、私達に「喜びの朝を迎えさせて下さる」ことを、この時にあたり、しっかりと心に刻み込みたいと思うのです。

2023年11月5日
鎌倉恩寵教会召天者記念礼拝

「イエスの食卓」             
マルコによる福音書2章13~17節



 イエスが生きられた時代と、もう少し後の時代は「罪人」と食事をすることは律法を破ること、あるいは不浄な汚れたこととして固く禁じられていました。「罪人」と食事をする者も同じく「罪人」とされました。そのような時代に、イエスは「罪人」といわれる多くの人々と共に食事をされたというのが、今朝の聖書の箇所です。
 案の定、そんなイエスの振る舞いを見ていた ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一諸に食事をされるのを見て、イエスへの誹謗中傷を弟子達に語りました。
  イエスの公生涯を描く福音書、とりわけマルコ福音書には、イエスと民衆との出会いや関わりが豊かに描かれています。と同時にイエスの言葉とイエスの行動を常に見ている「監視の目」「支配の目」があることが分かります。これらの「監視の目」は冷酷な目です。病を患う人がイエスの力によって癒されていく。その出来事を共に喜び、イエスの業に驚きと畏敬を見出すのではなく、自分たちの形成してきた秩序や社会通念を、イエスが破りはしないか、そのことの一点だけを探る目です。苦悩を持ってイエスに近づく人の悲しみや辛さを覚えようとする気は全くなく、またそのような人の心は問題にしない目です。これがファリサイ派や律法学者の視点です。このような「監視の目」は必ずといってよいほどに「処罰」と「断罪」を伴うものです。 そういえば、新型コロナ・ウィルスによるパンデミックになった時、マスクを付けているかいないか、自粛をしているかいないかで、「監視の目」が働きました。いつの時代も同じなのかも知れません。
 アルファイの子レビを弟子にする物語もイエスを注視する「監視の目」があります。イエスは徴税人であるレビを自分の弟子に招いていきます(14節)。当時の徴税人は関税の徴収をローマ帝国から請け負う役割をその仕事としていました。ユダヤ教の律法からしても軽蔑の目で見られる、言わば、職業的・宗教的偏見を負う人々でした。その徴税人をイエスは弟子とし、彼らと共に「食事の席」(15節)についていきます。イエス自身が彼らと共なる存在であることを、食卓を囲むことを通して示していきます。普段、共同体から分かたれ、不条理な烙印をおされている者にとって、このイエスとの食卓がどんなに彼らにとっての「喜びの祝宴」となったかは容易に想像できます。
 しかし、イエスとの食卓を囲むレビをはじめとする徴税人たちの喜びを、自分の喜びにできない人々がここに登場してきます。人間の関係や出来事を自分の立場で良いか悪いかしか判断しない人々です。このような、「監視の目」「支配の目」をもつファリサイ派からのイエスへの厳しい批判が次に展開されていきます。「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか。」(16節)との問いのように、「監視の目」は選別を好み、人間の関係を遮断する方向へと動いていきます。さらに、処罰と裁きの契機となっていきます。
 人間は「共食」の生き物だと言われます。共に食事をすることが、どれだけ人間にとって幸せなことかを表現している言葉です。心理的に考えても、共に食べるということは非常に大きな意味を持ちます。他の人が美味しい美味しいといって食べているのを見ますと、自分もつられて美味しく感じます。満足した気分で話し合えば、難しい話も、案外スムーズにまとまることも多いようです。反対に「ハングリー・イズ・アングリー」という言葉があるように、お腹が減っていると、腹が立つという言葉もあるくらいです。現代では一人暮らしの方々が多くなって来ました。だからこそ、教会は皆で一緒に食する、共に食べるということを大切にしたいと思うのです。その様な場は、互いに心が通じ合うことでもあり、イエス・キリストが、常にその点を非常に大切にされたことには、深い意味があるように思えます。
 河野食品研究所の所長をされている河野友美さんというクリスチャンの方が「食べ物からみた聖書」という著書の中で、現代日本における食事について次のようなことを語られています。「日本は、食べ物が豊かであるせいか、どうも、食事を軽く見がちである。せっかく一緒に食べても、ものも言わずにかき込んでしまうといった人が、かなり多くいる。たとえ時間がずれても、食べる時には、側にいて話をするだけで、食べている本人は、心が和むのである。聖書のイエスの姿について、もう少し、その行動についても見る必要がありそうだ。食べる楽しみを失っている人の多い現状が目につく。イエスにならって共に食べる。共に食卓につくことを考える時が来ているようだ」。
 河野友美さんの語ることは、何も実際の食事だけとは限らないと思います。たとえば、食を聖書の言葉と置き換えて見て下さい。神の言葉も共に食すると変わってきます。豊かになります。神の恵みも同様です。共に分かち合い、共に預かることで広がりと深みを伴っていきます。
 イエスの食卓はラウンド・テーブルのように、誰でも迎え入れることのできる無限の広がりをもっています。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(17節)とのイエスのファリサイ派の人々への反論の言葉は、イエスの食卓の広がり、すなわち、愛の広さを示しています。
 慈しみをもって、常に人を受け入れるイエスの在り方です。イエスの言葉を私たち自身への招きとして喜ぶと共に、この食卓の広がり、関係の広がりを私たちの生き方にしたいと思うのです。

2023年10月29日

「神のわざが現れるために」
イザヤ書43章4節~7節、
ヨハネによる福音書9章1節~12節


 イエスたち一行は、エルサレムに滞在していました。7節に出てくる「シロアムの池」は、エルサレムにあった池と考えられています。エルサレムを歩いている通りすがりに、イエスたちは、生まれつき目の見えない人に出会いました。弟子たちは、この人を見て「この人が生まれつき目が見えないのは誰が罪を犯したからですか?本人ですか?それとも両親ですか?」と問いました。
 この弟子たちの問いかけは、本人を前にしてひどい言葉だと思うのですが、当時のユダヤ教においては、伝統的に体の障がいは罪の結果としておこると考えられていました。ですので、その罪は、本人の罪なのか、両親、あるいは先祖の犯した罪なのかを、弟子たちはイエスに聞いたのです。今の私たちは、それは差別であり、間違った考えだとわかりますが、しかし現代においても、これに近い偏見は案外あるように思うのです。家族が重い病気になった時に何かのばちが当たったとか、厄払いをしなくてはいけないと言うような言葉を身近に聞くのです。障がいを持った子供が生まれた時に、誰かのせいのように言われることも、今でも耳にすることがあります。  
 まして、イエスの時代ならそういう無理解は多かったでしょう。
しかし、イエスはそれをはっきりと否定しました。
「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない」と。そして「神の業がこの人に現れるためである」と言われました。神様の業がどんなに素晴らしいものか、この人を見れば、この人と交流すればわかる、と言われたのです。ハンディキャップを負って生きる人を神は守られるということ以上に、もっと積極的にこの目の見えない人の存在自体が、神の御業を表すのだといわれたのです。
 
 イエスは、この後地面に唾をし、唾で土をこねてこの人の目に塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい」と言いました。シロアムというのは、聖書にある通り「遣わされた者」という意味です。「シロアムの池」は、旧約聖書の時代には「シェラの池」と呼ばれていて、水を確保するために、エルサレム北方の高い山にある泉から水を引いてできた、人工的に作られた池だったようです。この人は、イエスに言われたとおりに、シロアムの池で目を洗い、目が見えるようになって、帰ってきました。
 
 彼が目が見えず物乞いをして生きてきたことを知っている人々は、目が見えるようになったのを見て、本当に同じ人物なのかと問いますが、この人は「わたしがそうなのです」とはっきりと答えています。これはギリシャ語で「エゴー・エイミ」という言葉です。
 聖書の中で、この「エゴーエイミ」という言葉は、神が自分を表す時に使う、特別な言葉として出てきます。英語で言うと「I am」、日本語では「わたしはある」「わたしはいる」というような意味です。
 旧約聖書の中で神がモーセに自分のことを表した時に「わたしはあるというものだ」と言っていますが、この言葉も「エゴーエイミ」という言葉です。またイエスも、今日お読みしたヨハネ9章の前、8章の48節からの個所で、自分のことを人々に「アブラハムが生まれる前からわたしはある」「エゴーエイミ」という言葉を告げています
 この目の見えなかった人が、自分が神であるかのように、この「エゴーエイミ」という言葉を使ったわけではありませんが、「わたしがそうなのです」といった言葉には、重い意味があるのです。これまでの因果応報の罪理解のために、宗教的にも社会的にも排除されて、物乞いをして生きていくしかできなかったこの人が、今は、解放されて、「自分を生きることができるようになった」という意味で、「エゴーエイミ」「わたしがそうなのです」と言ったのです。人々の前に自分の存在を堂々と告げるものに変えられたのです。
 
 話は少し変わりますが、私は勤務している学校で、YWCAのクラブ活動の顧問をしています。学校のYWCA活動は、日本YWCAや他校のYWCAクラブと繋がりながら、福祉とか平和について学んでいます。私の学校のYWCAでは、毎年ある期間、手話を学んでいます。講師を招いて、主に手話の挨拶や歌を学んでいます。手話を学ぶ時は、まず最初に、聴覚障がいの方に講演をしていただき、聴覚障がいについて理解を深めてから学ぶようにしています。
 もう大分前のことになるのですが、その講師として、聴覚障がい者センターから森先生と言う、聴覚障がいを持つ、男性の先生が来て下さっていた時期がありました。その頃60代くらいで、長身で、おだやかな方でした。もう成人されているようでしたが、娘さんが一人いると話されていました。その森先生のお話の中で、とても印象に残っていることがあります。
 森先生はこんな風に話されました。
 「もし神様が、私の願いを一つ叶えてあげようと言ってくれたら、私は、私の耳を聞こえるようにしてもらいたいのです。娘の声を一度でいいから直接聴いてみたいと思っています。そして、娘の声を聴くことができたら、そのあと元の聴覚障がいを持つ自分に戻してほしい」と言われたのです。
 この言葉は、とても心に残りました。
 一人娘さんをこよなく愛しておられるのだなあと思いました。大切な娘の声を、一度でいいから直接自分の耳で聞いてみたい、そのお気持ちはよくわかるように思いました。でもそのあとは、元の聴覚障がいをもつ、今の自分自身に戻してほしい、と言われたのです。
 私なら、もし何か願いをかなえてもらって、そのあと元の、自分に戻してほしいと言えるだろうか。そんな風にありのままの、今の自分を大切に受け止めているだろうか、そう思ったのです。そして、障がいを持って生きることがマイナスなことなのではない、そう思って生きておられるわけではない、ということを改めて知りました。
 聴覚障がいを含めて、自分自身をそのままで誇りを持って生きておられる、それが本当に素敵だと思いました。
 
 イエスさまは、誰もがそのままで、神の御業を現わす存在なのだと言いました。人はそれぞれに個性や特性を持って生きています。弱い所や、欠点もあります。しかしイエスは、その人の弱さにこそ恵みが与えられ、神の御業が現われると言われたのです。
 
 また学校の話になりますが、学校の行事で、聖坂支援学校の春日孝行先生に講演をして頂く機会が最近ありました。
 聖坂支援学校は、横浜市中区にある知的な障がいをもった子供たちのための学校です。春日孝行先生は、聖坂支援学校の中等部で、主任をされています。長く子供たちの先生として働かれています。聖坂はキリスト教を土台に教育をされていて、様々な学校との交流を大切にされています。横浜英和でも、もう50年以上、聖坂とは交流を続けています。聖坂に横浜英和の小学生、中高生が訪ねて行ったり、聖坂の生徒さんが学校に来て下さることもあります。直接交流して一緒に過ごすプログラムを続けています。ただコロナになってからはまだ直接の交流が難しく、そのかわりに聖坂の春日先生を招いて、講演を聞くことになりました。
 障がいについて理解を深め、社会の中で、一緒に生きることの大切さを考えるプログラムでした。「誰もが安心して、笑顔で過ごせるために」というテーマでお話をしてくださいました。
 
 初めに、春日先生はこんな風にメッセージされました。
「私は聖坂の児童生徒たちに、困ったことや難しいこと、不安な時があったら、「助けてください」「手伝ってください」「教えてください」とお願いして人に頼っていいんだよと話しています。自分でできることはすばらしいことです。立派なことです。でも難しいとき、苦しいときは頼っていいのです。助けてもらっていいんです。助けてもらってできればいいんです。みなさんには、もし誰かに「助けてください」「手伝ってください」「教えてください」などと声をかけられたら、優しく応じてあげてほしいのです。今日は、皆さんと一緒に「誰もが安心して他者に依存できる優しいかかわり」について考えていきたいです」と話されました。
 そして、自閉症やダウン症などの具体的な特性を説明し、電車の中や街でそのような子供たちと出会ったときに、その特性を理解して対応してほしいといわれました。また、私たちにもこんな風に話しました。
「人に対して『ふつう』という言葉はあてはまらない。みんな違って当たり前で、人はそのままで十分に素晴らしい。障がいを持つことは不自由だが不幸ではない。
 自立するというは、自分のことが自分でできるようになることではなく、安心して他者に依存できることではないか。共に生きる社会になるには『安心して依存できる、その依存先がたくさんある社会』になってほしい。
 もし不安に思っている人に出会ったときは、笑顔でやさしく  『大丈夫だよ』と声をかけてほしい。相手に安心してもらうには、一緒に考えて、一緒に笑う、一緒に悲しむ、何かできなくてもそばにいてくれると感じられることが大切。小さな親切や思いやりであっても、やがてそれは誰もが安心して過ごせることにつながると思います・・。
 と、このように話されました。
 
 春日先生の言葉は、私たちが普段使っている言葉とは少し違うと感じたのです。私たちは学校でも家庭でも「自立しなさい」とか「自分でできるようにしなさい」とか、「人に依存するのは恥ずかしいことだ」とよく言われてきたし、言ってきたように思うのです。「でも、苦しいときは頼ってもいいし、できないことは助けてもらってできればそれでいいんだ」というのは、本当にそのとおりです。
 生徒たちも、春日先生の言葉に救われたような気持ちを持ち、自分たちの関係の中でも安心できる関係を育てていきたいと思ったようでした。 
 
 イエスさまは、まだ偏見や差別が強い時代にあっても、生まれつき目の見えない人に対して、罪の結果ではない、とはっきりと否定されました。そして人は誰もが神の業を現す尊い存在であると言われました。
イザヤ書43章4節には 「私の目にあなたは価高く、尊い。わたしはあなたを愛し、あなたと共にいる」とあります。
神様が私たちのありのままを受け入れ、私の目にあなたは尊いと言ってくださることを心に留めて歩みたいと思います。そして、主がそうされたように、私たちも人をそのままで認め、お互いに安心できる関係を築いていきたいと願います。 
 
 祈り
 愛する天の神さま、どんな時も、あなたが私たちを尊いものとして愛してくださることに感謝します。私たちも、互いに受け入れ、困ったときは声をかけたり、助けたり、助けられたりして、日々を歩めますようにお導きください。この祈り、愛する主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。

2023年10月22日

「裁きから感謝へ」
ローマの信徒への手紙 14:1−12


 ハンセン病の元患者さんで、2009年に亡くなった近藤宏一さんという方がおられました。大正15年のお生まれ。11歳の時に岡山の長島愛生園に入園なさってから83歳でお亡くなりになるまでを、その療養所でお暮らしになった方でした。この時代を療養所でお暮らしになった方ですから、近藤宏一さんというそのお名前は、親からもらった名を捨てさせられ、療養所に入ってから名乗ることになったものです。神谷美恵子が『生きがいについて』を書くに当たって大きな影響を与えられた人物の一人だと言われている方でした。
 近藤さんは、戦後、療養所内の赤痢病棟の介護に従事したことで赤痢に罹患。そのことが元でハンセン病が悪化し、失明。両手両脚に障害を負われることとなりました。盲者の仲間と共にハーモニカのバンド、「青い鳥楽団」を結成して、園の内外で演奏活動を行い、晩年までハンセン病の問題を啓発することに尽力されました。
 近藤さんが「青い鳥楽団」を導くに当たって立ちはだかった課題は、楽譜をどうするか、ということでした。目が見えないので、普通の楽譜は使えません。では点字はどうか。残念ながら、指先からは病のために感覚が失われていました。わずかに知覚が残っていたのは唇と舌です。近藤さんは唇と舌とで、文字通り「言葉を味わう」、舌読という方法を編み出したのでした。唇と舌。皮膚がとても繊細で薄いのですね。ほぼ粘膜。だから、点字を読む度に口には血が滲むのだそうです。でも、近藤さんは辞めなかった。なんとしてもその音を拾い、仲間に音楽を届けなければならない、その一心であられたのでした。近藤さんが書かれた一篇の詩があります。「点字」と題された詩。その後半を読みます。
 
読めるだろうか
読まねばならない
点字書を開き唇にそっとふれる姿をいつ
予想しただろうか・・・・・・
 
ためらいとむさぼる心が渦をまき
体の中で激しい音を立てもだえる
点と点が結びついて線となり
線と線は面となり文字を浮かび出す
 
唇に血がにじみでる
舌先がしびれうずいてくる
試練とはこれか——
かなしみとはこれか——
だがためらいと感傷とは今こそ許されはしない
この文字、この言葉
この中にはてしない可能性が大きく手を広げ
新しい僕らの明日を約束しているのだ
涙は
そこでこそ拭われるであろう
 
 こうやって体得された舌読の方法は、聖書を読むことにも用いられました。近藤さんは療養所内で洗礼を受け、キリスト者となっておられました。11歳で療養所に連れてこられた近藤さん。母親は同じくハンセン病で亡くなっており、父親と引き裂かれて療養所に送られたこの方。どれほど世を恨むことがあったであろうかと思うのです。しかし、血を滲ませながら聖書を読み、味わい、楽譜の音を拾うとき、「ああ、これが悲しみというものであったか」と言葉を拾うとき、世を裁くことよりも、友と共に言葉を喜び真実を示す近藤さんの姿があったのではないかと思うのです。
 
 今日の聖書。ローマの信徒への手紙14章1節以下でした。パウロの語りに、耳を傾けたいと思います。1節から。
 
 1信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。 2何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。 3食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。
 
 ローマの信徒への手紙は、これから初めてローマを訪ねようとしていたパウロが、事前に自分の考え方の基本を知っておいてもらおうと書いた手紙です。ローマ。そこは言わずと知れた世界に冠たる大帝国の帝都です。「すべての道はローマに通ず」。世界中の人々がこの町に集まり、経済を営み、文化を支え、思想を語り、人生を生き抜いていたことでしょう。大都市のご多分に漏れず、大きな財産を手にしている者と、今日食べるものにさえ不自由する者がいたはずです。町を統治する者の根幹に据えられている原理は「力」であったかもしれません。力ある者は生きていける。力なき者は追いやられていく。「パックス・ロマーナ」、ローマの平和とは、その帝国の頂点に立つ皇帝が、絶大な権力と兵力と財力を持つところに成立しているパワーバランスのことでした。
 パウロは、初めてその帝都に赴くのです。彼は生まれつき、そのローマの市民権をもっていました。けれども彼がローマの教会の人々と分かち合おうとしたのは、その力の均衡による平和ではありませんでした。力ある者が弱き者を守るというような幻想によるのでもありませんでした。彼がキリストの教会の統治原理に据えたのは、「兄弟愛」であったからです。立派な人が、劣る人を支配するというのではない。むしろ、誰もがどこかに棘のような弱さを抱えており、その部分をも神が愛してくださっている。そのことを分かち合う共同体として教会を受け入れよう。そのことを共有するために、彼はローマに向かおうとしていたのでした。
 「信仰の弱い人たち」は野菜だけを食べていたと言います。菜食主義は、もともとのユダヤ教の伝統の中にはあまり見られない生活スタイルです。ですから、必ずしも頑固にユダヤ風の生き方を守ろうとした、ということではなかっただろうと思います。むしろ地中海文化の中に、そのようなスタイルが一つの流行としてあったのでしょう。「こうしていれば、なにかいいことに繋がるだろう」、そう願う人たちが菜食主義を行っていたとするなら、つましい願掛けです。パウロ自身は彼らを「神が受け入れている存在」と考えているのですから、特段それを悪いこととも思っていないわけです。
 一方、「何を食べてもよい」と考える人もいる。こちらはキリスト者となることで、さらにユダヤ教の律法規定をすら相対化し、自由に生きようとしていた人たちでしょう。ユダヤの律法には、豚は食べてはいけない、うなぎもだめだ、というような食物規定がありました。しかし、彼らは伝統的なそれをナンセンスなことと受けとめ、「宗教的に禁止される食べ物などあるはずないではないか」と思っていたのでしょう。時に、この強い人が見せつけるように何でも口に運ぶ姿があったのではないか、そんな想像が働きます。
 この辺りの対立、コロナ禍を経験した私たちは、どこかくすぐられるところがあるのではないでしょうか。片方に、「あんなの風邪と同じだよ。まあ、罹ったら罹ったで運が悪かったと思うまでだ」、そんな感覚の人がいる。「マスクなんて苦しいもの、やめたらいいのに」とずっと思っている。そして片方では、「こういう連中は、どれほど他者の健康にリスクを負わせているかの自覚がない。あんな連中がコロナになったら、自業自得だと見捨てればいいんだ」と思っている。そしてお互いが非難し合う中で、多くの人は日和見的にあっち行ったりこっち行ったりしている。
 パウロは、これからそのローマに行こうとしているわけで、「そんなふうな対立が教会の中にあっては困るのだ」と、そう思っているのです。そして、大切なことは、互いを裁くことではなくて、そのどちらの主張をする人も、「神は受け入れている」、その確認をするべきだといっているわけでした。4節。
 
 4他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。 5ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。 6特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。
 
 「他人の召し使い」と、パウロは面白いことを言いますね。そうです。すべての人は、神に仕える召使いであったではないか、とパウロは言うのです。あなたが悪く言うその人は、あなたと同じように、主なる神の僕なのですよ、そういうのです。
 そして、あなたと同じように主なる神の僕である、その人たちの中に、ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべてを同じように考える人もいる、そういうのです。
 
 高校生の時でした。記憶が曖昧なので、どうしてそんなことになったのかはっきり覚えていないのですが、古典の先生の授業で、なぜか現代文の作文を書くことになったのでした。ひょっとしたら、現代文の先生がお休みになったので、急遽古典の先生が代わりに授業をしたということだったのかもしれません。僕は、作文というのが大嫌いであったので、急にやってきた先生が、「お正月の思い出を書きなさい」とか何とか言ったので、ちょっとむしゃくしゃしたのでしょう、「人はなんで初日の出なんか見に行くんだ。あんな寒い思いをしてまで。大晦日に昇る太陽と元旦に昇る太陽のどこが違うというのだ」と、そんなことを書いて、いの一番に提出した記憶があるのです。すると、その先生は僕の作文を取り上げて、他の級友たちの前でつるし上げたのでした。「君には大晦日の太陽と元旦の太陽の違いがわからないのか。そこに込められる人の思いに心が動かないのか、なんとさもしいことであるのか」。今度は、僕が傷つきました。そんなに怒るようなことであるのか、と思いました。でもその違いが人にとって大事なのだと言うことには、もう少し大人になってから、ようよう気持ちが付いていくようになるものだったのでしょう。僕自身は、さほど本気でその文章を書いたという自覚すらない。いやいや書いた、書き殴った文章。だから、「正月の思い出をかけ」といわれた事への反発を書いただけの文章。それが、大の大人の感情をここまで害している。この先生の大切にしている世界観、人生観に触れてしまったのでしょう。この先生は、元旦を迎えることに、歳を重ねることに伴ういのちの重みを知っておられたのでしょう。「私たちは、この年も神に生かされてあった」。この先生が持っているその感謝の念に、泥を塗ってしまったのかもしれない。今日の聖書の箇所を読む度に、私は、そんなほろ苦い出来事を思い出したりもします。7節。
 
 7わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 8わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 9キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。 10それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。 11こう書いてあります。
「主は言われる。
『わたしは生きている。
すべてのひざはわたしの前にかがみ、
すべての舌が神をほめたたえる』と。」
 
 パウロは自らの歩みを振り返りながら、この文章をしたためたのではなかったでしょうか。かつてのパウロは、自分の正しさと言うことに依拠して生きてきた。生粋のユダヤ人として生まれ、恩師ガマリエルの元で真剣にユダヤの律法を学び、真面目な信仰者のグループ・ファリサイ派に所属して、時には彼の目に不信仰と映ったキリスト教徒たちを捉え、その命を奪うことにまで加担していたパウロ。彼は言ってみれば、「誰かのために死ぬ」などということはできない人でした。誰かが死ぬことがあったとしても、それは神の敵であったからだと処理してしまう。そして、自分こそは正しいのだから生き延びる、そう思っていたことだったでしょう。しかし、そんな彼こそがキリストに出会い、世界観を根底から揺さぶられ、新しい生き方を選択するように変えられていった。パウロはいまや、かつての自分に一度死んだ者であった、といってもよかったかもしれません。かつてキリスト者たちを死に追いやっていたパウロは、キリストの死によって生かされているという真逆の事実に立っている。本来死すべきは自分であったのに、自分は生きている。生かされている。その不思議を味わされている、そんな思いであったことでしょう。「わたしは生きている」―イザヤ書49章に記された、今日引用されるこの神の言葉によって、神自身が生きていることの前に立たされていたからです。
 
 先日、院内の老人保健施設から電話があって、ある方を訪ねて欲しいと言われたのでした。聞けば、礼拝のメッセージで動揺しておられるようだ、というのです。私はどきどきしてしまいました。その朝、私がその施設の礼拝で語ったのは、別のある患者さんのことでした。この方のことについては、この講壇でもお話ししたことがあったかもしれません。10年以上の関わりのあった方で、乳がんの患者さん。骨にも転移して、右腕なども骨折してしまった。まだ60代の患者さんでしたが、最後は老人ホームで過ごすことを決断された、という方のことです。利き腕である右腕は使えなくなっているのですが、ホームのクラブ活動で書道に取り組まれました。左手に筆を持ち、何度も何度も書くのです。
 部屋にその墨書が一枚掲げられている。「生きろ」。慣れない左手で自分を鼓舞するように書いた「生きろ」との言葉。
 と、この方の話を、老人保健施設でしたのです。その方は、私の話をじっと聞いておられたのでしょう。あとで激しく動揺されたのです。私はお訪ねしていって話を伺いました。するとこうおっしゃったのです。「私はもう死にたい、死にたいと、そう思っていた。もうこんな病気になってしまって、家族の厄介者になってしまって。夫は10年前に他界、兄弟もみんな亡くなってしまって。なのに、何の導きかこの病院に入って、きょう、先生から、『生きろ』との言葉を聞きました。私はなんと神様に申し訳ないことをしていたのでしょう。そうだ、生きなければいけないのだ、と思いました。先生、本当にありがとうございます」
 若い日に洗礼を受けたのだけれども、結婚して教会から離れてしまったというこの方。一緒に祈りを合わせました。そこに、既に亡くなった人の「生きろ」という言葉が届けられたのでしょう。死者のいのちに生かされていく。この方は、もう、自分で自分の命の意味を決めてしまうことはなさらないでしょう。たくさんの交わりの中で、さまざまな関わりの中で、確かに「生かされている私たち」の姿がある。生きること、それは誰かを裁くことではなく、また自らを裁くことでもなく、このような私をも生かしてくださっている方の言葉に思いをいたし、そこに立ち続けることだ、ということになるのでしょう。
 
 ガラテヤ書2章でパウロはこう書きます。
 「20生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」
 
 「私たちがどのような力を持っているか」、それは神の前でなんの関わりもない。私は肉の弱さを持っている。だけれども、そのいのちは、神が生かしてくださっている命なのだ。そう思う言葉だったでしょう。だから、パウロは今日の箇所をこう締めくくります。
 
12節。
 
 12それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。
 
 私たちは、神の前に立つとき、一人ひとり立つのです。そこでは「あいつが」とか「こいつが」と他者をあげつらって、裁くことはできません。その代わりに、自分の身に背負わされていたもの、苦しかったことも、悲しかったことも、悔しかったことも、自らの思いをそのままに神に語ればよい、のです。他者と比べる必要はない。人を裁くことで新たな争いを招くのではなく、ただ、この「私」を創られた造り主の前で、言いたいことは言えばいいじゃないか、というのです。今日のいのちをありのままに喜んで良いとパウロは言うのです。そして、ともに神に感謝を献げよう、そう言うのでした。

2023年10月15日

「主と共に祈る」           
ルカによる福音書11章1~13節


    
 弟子達に促されイエスご自身が教えられたとされる「主の祈り」はマタイ福音書とルカ福音書に収められています。福音書編集の研究によりますと、マタイよりもルカ福音書の「主の祈り」が伝承過程において、より古いものであると言われています。このルカ福音書の「主の祈り」の文脈は3つのパートに分かれています。
 11章の1節以下で、まずイエスが弟子達に祈りを教えられます。次に5節以下で、イエスはたとえを話されます。ある人のところに、真夜中に友達が尋ねてきます。空腹のためにパンをあげたいが、貧しい彼のところには家族が夕食を済ませた後なので、余分がありません。彼は村の友人達のところに頼みに行きます。しかし真夜中なので誰からも締め出されます。それでも空腹で旅をしている友人のことを思い、断られても断られても頼みます。もう友達だからということではなく、しつこさに音を上げて、与えてくれるだろうというイエスのたとえです。このたとえの後に、イエスは「求めなさい。そうすれば与えられる」と言われています。そしてその最後に「天の父は求めるものに聖霊を与えてくださる」と締めくくられます。
 ルカの「主の祈り」を取り巻くイエスのたとえには、助けを必要としている友のために自分が何かをしたいと願い、祈りつつも、自分にはその力がない、実際には助けられないという重苦しさや痛み、悲しみがあります。実はルカの背景にある信仰の共同体とは、力がなく、弱く、小さな集団、小さな教会なのです。それがこの福音書の背景でもあり、主の祈りの「我ら」とは、そのような力なく、小さく、弱い「我ら」なのです。
 蓮見和男さんという牧師いらっしゃいます。この方は、ドイツのハンブルグで日本人へと伝道従事されていた方ですが、この先生の「神様のおとづれ」というキリスト教の入門書に祈りのことが触れられています。こんなことが記されています。「聖霊を所有しようと思うな、聖霊があなたのすべてを所有するのです。そうでなければ聖霊は聖霊でなくなり、あなたの僕になるでしょう。あなたが僕とならなければならないのに、あなたが主人になるわけにはいかないのです」。私たちはどうしても自分が主人に、自分が中心になって祈ってはいないでしょうか。
 以前もご紹介しましたが、ニューヨーク大学のリハビリテーション・センターの壁に無名の患者さんの祈りが書かれています。ここでご紹介はしませんが、ここで祈られている内容は、力を与えて欲しい、富や賞賛、権力という自分を中心として願った祈りは退けられ、代わりに弱さ、病、貧しさという人の支えや協力が必要なものが与えられて行きます。ここに生きるということにおいて、他者と分割できない人間という存在が表現されています。
 私達も辛さの中で祈れない時があります。そんな時、私達は祈れないと云う弱さを授かっているのではないでしょうか。言葉が出ない、祈れない他者の悲しみと痛みが写し出されているのではないでしょうか。
 人には、私たちには、それぞれ「祈り」があります。それは時に言葉にならないうめきや叫び、涙にもなります。祈れない人、祈れない時、祈ったことがないという方でも、人の祈りを聴くこと、そして人の祈りにアーメン=「その通りです」とうなずくことも祈りです。人と一緒に祈るところに主イエスは同席されるのです。
 カトリックのシスターであったマザー・テレサは「神は沈黙の友です」と表現しました。私たちは沈黙の中で、神様からの語りかけや促しを感じことが大切です。何よりもイエスが、私たちのために祈って下さっているということを、いつも憶えたいものです。
 人は祈られて、祈る人になっていくのです。祈れないという方も、いつかイエスに導かれて他者のために、世界や社会のために祈る人へと用いられていくことでしょう。
 実は、主の祈りは「世界を包む祈り」とも呼ばれています。なぜなら「我らの日用の糧を、今日も与え給え」との一句は、自分の生活だけが満たされるのではなく、私たちが世界の人々と生活に必要なものを分かち合う責任があることを覚える祈りだからです。
 最後に、最新の聖書学ではルカに納められている「主の祈り」の2節から4節までの祈りの言葉は、本当にイエスが弟子達に教えられた祈りとされています。いわばイエス直伝の祈りです。ですから、古代教会では聖餐式はオープンで洗礼を受けていない人でも、誰でも受けることが出来ました。ところが「主の祈り」だけは、礼拝が終わると洗礼を受けた者だけが別室に移って、この「主の祈り」を最後に祈っていました。そして聖餐式に合流していたと言われています。イエスが教えてくれた正真正銘の祈りだったので、古代教会の人は「主の祈り」を大切にしました。
 更に「主の祈り」の「わたしたち、我ら」の中に、イエスは入っているのでしょうか。普通は私たちと祈る中にイエスは含まれていないと考えます。なぜなら「わたしたちの罪を赦して下さい」と、イエスまでが罪を赦して下さいと祈ることになるからです。ところが、弟子達に教えた主の祈りの「わたしたち」の中には、イエス御自身も含まれると考えられています。聖書学者の佐藤研さんは「主の祈り」を私たちが祈る時、いつもイエスが私たちと一緒に祈り願って下さり、罪の赦しを祈って下さっている。」と理解しています(佐藤研「禅キリスト教の誕生」岩波書店,p116)。
 「主の祈り」は、全ての日々を他者と共に生きるイエスそのものが表現されているのです。世界が悲惨な状況にあるからこそ苦しむ多くの者と共に生き、そうした人々の為に「御国」を祈り願うこと、貧困に苦しむ多くの者と共に生き、そうした人々の為に糧を祈ること、罪にあえぐ人間の為に十字架の上で赦しを祈られた、そうしたイエスの生涯が表現されています。ですからこの祈りは正真正銘のイエス直伝の祈りとされています。
 祈ることが出来ない私、何もしてあげられない私、しかしそんな私に「わたしたち、我ら」といって、共に祈ろう、共に生きようとされるイエスが今も尚、おられることに「主の祈り」を通して気づきたいものです。「主の祈り」はまた派遣の祈りです。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(Mt18:20)、イエスと共に「主の祈り」を祈りながら、私たちはイエスと共にそれぞれの生活の場へと派遣されていくのです。

2023年10月8日
 

「信仰の土台」           
マタイによる福音書7章24~29節



 求め開かれる門、狭き門という二つの門のたとえ、木と実のたとえと同様に、今朝の「家と土台」の話でも二つのタイプの人間がたとえられています。一つは、イエスの言葉を聴いて行う人間、もう一つは聞くのみで、守らず行わずという人間です。どちらもイエスの言葉を聴いてはいるのですから、マタイ福音書の歴史的背景を考えても、これは教会内の存在であることが分かります。

 マタイ福音書の7章24節以下では、単に「岩の上に家を建てた」とありますが、平行記事のルカ福音書6章46節以下では「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて」となっています。二通りの家の建て方になっています。多分、当時は二通りの家の建て方があったのでしょう。
 ところで、「岩の上に自分の家をたて」るというイエスの言葉に、私は大変心を打たれます。普通、家や建物をこしらえる時、土台作りも人の手によってなされていきます。しかし、イエスのたとえでは、岩と砂地という選択可能な場所を人間が自由に選ぶという設定になっています。人間は自由な存在であるということ、そして、私達の人生や歩みには取り組むべき課題や仕事があるということ、しかし、人間はその一部の取り組みや仕事を受け持っているに過ぎないことが分かります。自分のあり方や取り組み、仕事を全体の一部に過ぎないとして相対化すると共に、なお貴い一部であり、大変意味ある一部でなのだという生き方です。取り組みの一部を受け持っているに過ぎなくても大切な存在であり、しかし私達の命の土台、人生の土台は、人間の手によるものではなく、イエス自身が私達を根底から支える土台であるという生き方です。
 「わたしのこれらの言葉」と語られる今朝の箇所は、マタイ福音書の5章から始まる「山上の説教」におけるイエスの教え全体を指しています。それは律法的な規律ではなく、何よりも隣人愛の教えです。このイエスのたとえは、旧約聖書のノアの箱船がイメージされていると云われています。更に、イエスが語った山上の説教の締めくくりとなっています。注意すべきは、教会に属すること、ただ聞いているだけが最終的な目的ではないということです。このイエスのたとえでは、聞いて「行う」ことに重点が置かれています。
 私達にとって、言葉を聞き頭で理解することと、理解した言葉を実践することは別々のように思えます。教会ではむしろ前者の方に重きがおかれているようです。どういうわけか、信仰とは言葉を聞くだけで終わってしまう間違った理解が伝統的になされているようです。プロテスタントというキリスト教の宗派は、言葉の宗教と呼ばれ、言葉そのものを大切にしてきました。しかし言葉を聞き頭で理解しただけでは、人間の考える「言葉」で終始してしまい、動詞化されていない死んだ形骸化した言葉です。そんなものを大切にしても、生きた信仰は得られません。イエスが今も尚、生きて働かれる豊かさを甘受することは出来ません。
 と云いますのは、元々聖書では、言葉を聞き頭で理解することと、理解した言葉を実践することは一体として考えられており、言葉そのものが行為と深く結びついています。新約聖書で使われている「言葉」とは原語のギリシャ語で「ロゴス」といいます。「物事を束ねる。本質を整える」という意味があります。ロゴス=言葉は旧約聖書の原語ヘブライ語に置き換えると「ダバール」と云います。「ダバール」は「言葉」と訳されていますが「内側から吹き出してくる生命」という意味があります。ヨハネ福音書の冒頭に「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という有名な一句があります。聖書の思想に立って、言葉そのものを捕らえ直すと「神の吹き出してくるような生命が、イエスを通して人類にあふれ出てきた。神の命が私達へと吹き出してきた」という意味になります。つまりイエスのたとえた砂地は、イエスの語った言葉そのものがない場所であり、岩にたとえられた「土台」は、神の吹き出してくるような生命が躍動する場だと云えます。吹き出してくる神の生命、イエスを通してあふれ出てくる命に促されて、私達の人生が整えられてくる様をイエスはたとえています。
 イエスの山上の説教の締めくくりに納められた、このたとえは行為重点の教えです。この箇所までにマタイ福音書に綴られ来ているイエスの言葉は、愛の喪失への警告とも捕らえられます。人間の自己中心的な営みへと、イエスの鋭い神の言葉=吹き出してくる神の生命が対峙していきます。しかしその際の対峙していく様、向かい合っていく様こそがイエスの真骨頂です。対峙する、向かい合っていく様は、聖書では実は非常に近寄っていく、顔を合わせていく行為なのです。同じ所に立って、面と面を合わせる、互いに向き合うという行為なのです。上から何かを与えようとするのではなく、同じ所にたって悲しみは悲しみとして共感する、一緒に涙を流すという一人一人とイエスが面を合わせていく姿なのです。
 言葉と行為を一体化させていく聖書本来の視座に立って、山上の説教を読み返すのならば、イエスが語る一つ一つの言葉には、人間の罪なる姿への激しいまでの慟哭、しかしそれを赦しつつ、私達の悲しさに涙を流しながら立つべき土台を備えて下さるイエスの十字架への道のりが見えるはずです。
 同じ所にたって悲しみは悲しみとして共感し、一緒に涙を流すという面と面、顔と顔を合わせていく姿、言葉と行為を一体化させていく聖書本来の視座にこそ、私達の土台を据えたいものです。その時、吹き出す神の生命に私達の人生は豊かにされていくのではないでしょうか。

2023年10月1日

「寄り添う者へ」                
マルコによる福音書6章30~44節


     
 先ほど届けられました聖書の箇所は、マルコ福音書が伝える五千人の給食のお話です。この箇所の直前で、イエスは町や村へ弟子達を派遣しました。彼らは皆、町や村を回って、イエスの教えやイエスがなさったことと同じことを成してきました。イエスの元に帰ってきた彼らは、それぞれがそれぞれの務めをイエスに報告をしました。これまで、イエスも弟子達も大変忙しく、食事をする暇もなかったので、人里離れた所へ行って一息入れようとしました。
 ところが、大勢の群衆が先回りをして、イエスとその一行を待ち受けていました。そんな群衆を見たイエスは、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れんだと云います。きっと、大変な困難さの中にいたのでしょう。苦しんでいたのでしょう。イエスとその一行より急いで先回りをするほど、彼らはうちひしがれていたのです。イエスはさぞかし、深く憐れんだのでしょう。イエスは、群衆の姿を見て、何よりもご自身が痛み苦しんだのでした。
 憐れむ=スプラングゾゥ、「断腸の思い」、聖書ではイエスにしか使われない特別な言葉です。人間に対する神の御心がたとえられ、イエスの十字架の苦しみへと繋がっていく言葉です。イエスの憐れみが、呼び水となって五千人の共食の出来事は起こっていきました。
 話は変わりますが、数年前に新しい聖書の翻訳が出版されました。新約聖書学者の田川建三さんが訳されているものです。作品社という出版社から出ているものです。翻訳者曰く「可能な限り最大限いわゆる直訳にとどめた」というもので、いままで読んだこともない不思議な訳になっています。ちなみに44節の「男が五千人」という表現は間違っています。マタイやルカでは「男が五千人」ですが、マルコに「男」という言葉はないそうです。マタイがルカが「男」という言葉で表現しているから、日本語の翻訳者が勝手に付け加えているのです。マルコでは単に「五千人」としか表現されていないそうです。今日はそんな新しい翻訳聖書をもとに、読み直してみたいと思うのです。
 さて、イエスが群衆を深く憐れんだ出来事、イエスが痛み苦しんだ事柄に続いて、私達が手にしている聖書では、「そのうち、時もだいぶたったので」と報告しています。この箇所は原語では「そして多くの時が生じた」となるそうです。時が生じるとは、不思議な訳です。決定的な時が生まれてくるという表現だそうです。
 実は、ユダヤでは時、時間は経っていくもの、過ぎ去っていくものではありません。イエスや弟子たち、疲れ切った、苦しと哀しみの群衆が日常で使っていたヘブライ語という言葉には、私たちの感覚の現在、過去、未来という時制がありません。「時や時間というものは、外側から私達人間を規制するという考えではなく、業の中から生じる、わき出してくるという感覚」だそうです(前島誠「不在の神は風の中に」春秋社)。マルコは他の福音書著者と違って、忠実にヘブライ語の時の感覚を、ギリシャ語で表現しているのです。単に夕方になったからとか、時が過ぎていっているのではなく、何よりも「時が生まれる」という決定的な瞬間を、イエスの憐れみが引き出していると訴えているのです。
 二匹の魚と五つのパンを確認させたイエスは、群衆を「組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じに」なると、「人々は百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした」と言います。この一句で使われている「組」という言葉と、「百人、五十人」という言葉は共に「野菜畑」という意味の言葉が繰り返し使われているそうです。五十個、百個と身を寄せる野菜を思い出して下さい。所狭しと群れをなしている野菜畑の風景が表現されているのだそうです。
 注目すべきは「座る、腰を下ろす」と翻訳されている言葉です。マルコの描くイエスは人々を組にして、青草の上に座らせたのではありません。マルコでは野菜畑のように人々を「寄りかからせている」のです。
 マタイでは「時が生まれ」出る表現はなく、群衆がお互いに寄り添い互いに寄りかかるように組にしていません。ルカでは群衆を組にしていますが、単に座らせるという言葉が使われ明らかにマルコとは使用している言葉が違います。そしてルカでも「時が生まれ」出る表現はないのです。明らかにマルコ独自の箇所、というよりもマルコの卓越したイエス理解がこの箇所には秘められているのです。
 イエスの憐れみ、ご自身が痛み苦しむ出来事が、人々が寄り添い、互いに寄りかかっていく助け合う姿を生み出しています。イエスの憐れみが助け合う時を、支え合う時を生み出していったのです。そのような大切な時が生じた時、それぞれの組には、魚とパンが分配されていきました。魚とはイクスース=イエス、キリスト、神の子、救い主という四つの言葉の頭文字を取った信仰者のシンボルです。パンはイエスが繰り返したとえられるように豊かに膨らみゆく神の国の象徴です。ちなみにイエスが生まれたというベツレヘムは「パンの家」という意味です。
 マルコは、イエスの憐れみによって 皆が共に寄り添い合い、助け合い、支え合う時が生ずると、そこにはイエス、キリスト、神の子、救い主が宿って下さり、神の国を味わうことへと導かれていくことを描いています。マルコの語る五千人の共食の出来事とは、イエスの憐れみが人間を生かし、支え合う群れを形作ることを教えているのではないでしょうか。
 最後に、マルコはこの教会誕生の出来事を「人里離れた所」で起こったと言っています。人里離れた所とはマルコでは「荒れ野」です。
 この世は荒れ野かも知れません。私達の社会は、皆が勝手に生きていて、お互いに寄沿い、助け合うことを忘れた社会かも知れません。持てる者が益々富み、持てない者は益々貧しくなる弱肉強食の世界かも知れません。しかし、イエスの憐れみによって生み出される「その時」には、現在も過去も未来もないのです。マルコのイエスとは、この世という荒れ野で、うちひしがれる私達を、悲しむ私達を、現在、過去、未来に関係なく、常に憐れみ痛みを共にして下さっているです。
 私達にもイエス、キリスト、神の子、救い主が与えられ、神の国を味わう者へと寄り添いたいと思います。私達にその時は生じているのでしょうか。私達の間に、その時は産声をあげているでしょうか。今は出来ないとか、今は無理だという、己の都合で、己の時で弁解するのではなく、時の良し悪しに振り回されることないイエスの憐れみにこそ動かされて行きたいと思います。それがイエスと共に、人と共に生きること、教会の成すべき業なのではないでしょうか。

2023年9月24日

「神の国、神の義」               
マタイによる福音書6章25~34節



 澄み切った空、緑鮮やかな草木、足下いっぱいに咲く美しい小さな花々、山の上でイエスは人々に語られました。「空の鳥、野の花を見よ」。
 山上の説教でも、とりわけ今朝の聖書の言葉を聞く時、美しく、解放感に満ちた、そんな情景を誰もが思い浮かべるかも知れません。しかし、元々はルカ福音書が伝える「カラス」であったのなら、「空のカラスを見よ、野の雑草を見よ」と言ったのならば、私はルカの語る「カラス」という言葉にこそ、イエスの指し示す神の国への視点があるのではないかと思うのです。
 皆さん、ご存知のようにカラスは大変利口な鳥です。そのために、古代ギリシャではゼウスという神の使いであると考えられていました。もちろんこれは例外です。ユダヤの民にとっては、旧約聖書のレビ記11章13節以下にあるように不浄でけがれた鳥としてカラスが挙げられています。カラスは人々からけがれた鳥として嫌われていました。次に「野の花」です。これは明らかに雑草のことを指しています。しょせんはかない雑草、惜しげもなく刈り取られて焼かれてしまう雑草です。しかしながらイエスの目にはソロモンの装い以上に美しいものとして写っている、人々から嫌われ不浄でけがれた鳥とされているカラスでさえ、神が養われる尊い存在として写っています。
 ではそのように小さな命を見つめられるイエスは、さぞかし優しい、済んだ声で人々に語られた、誰もがそう思われることでしょうが、それは否と言わざるを得ません。
 カラスと野の花についてイエスが言われていることに注目です。鳥については「種を播く、刈り入れる、倉に納める」と言われています。これは当時の男性の仕事を指しています。野の花については「働く、つむぐ」と言われ、これは女性の仕事を指しています。鳥と野の花は、働かず、何にもしないということが語られています。
 当時の経済的な仕組みは「家」の経済でした。この場合の「家」は血縁関係だけの家族・家ではなく、雇い人も含んだ家族・家のことです。それぞれの家では、男性は主人から雇い人までが働きにでます。イエスが語られたように一般的には畑仕事でした。女性たちは家で、つむいだり、織ったり、臼をひいたり、水を蓄えたり、一家総出で生計を立てていました。ローマ帝国への税金のことなど、様々なことがからみながら家の経済はありました。そのために労働力にならない子どもたちは、一人前に扱われませんでした。そして病人やしょうがいをもった者は、それこそ、家計の重荷としてうとまれました。時として、不浄でけがれた者として家の外へと、社会生活の外側へと追い出されていきました。文字どおり「働かざる者食うべからず」が原則の社会でした。カラス、野の雑草のたとえは、そんな社会によって棄てられていく現実を指摘しています。経済的な営みにとって存在価値のないものとして切り捨てられる様を指摘しているのです。
 イエスは山の上でそのような世間の常識の中で生きている者に向かって、「あなたたちが嫌いなカラスでさえ、働きのないままに神に愛され、現に生かされているではないか。君たちが、気づかずに踏みつけている、また、惜しげもなく刈り取る雑草でさえ、働きのないままに生かされ、よく見れば美しい花を咲かせているではないか」、あなたがたは「何を思い悩むのか」とイエスは戒めているのです。「思い悩む」とは「思い上がる」とも訳せる言葉です。「何を思い上がるのか」イエスは、社会の生み出す壁、人々を隔てる境界線を厳しく戒めているのです。
 空の鳥・カラスにたとえられる、人々から棄てられた者、雑草のように、人々に踏みつけられる者の痛みは、すでに神が担って下さっている、自分の事で思い煩っている者の心は、すでに神が心を痛め苦悩し、そして赦し、受け取って下さっている、だから全てを神に委ねよ、イエスはそう告げておられるのではないでしょうか。
 話は変わりますが、作家・故・遠藤周作さんの三部作「海と毒薬」「深い河」「私が棄てた女」の完結編である「私が棄てた女」という作品が「愛する」という映画として今から26年前に上映されました。この作品の一部をごく簡単に紹介したく思います。
 あるクリスマスの日、主人公の女性は、一人の男性と出会い、二人の間には愛が芽生えてゆきます。しかし喜びもつかの間、女性は重い皮膚病と診断され北アルプスの療養所へと隔離されてゆきます。愛をはぐくみつつあった若者とは悲しい別れをしなければなりません。
 女性は療養所で、同じ境遇の中に生きる多くの人と出会い、この病気の偏見と差別の中で苦しんできた、いえ棄てられてきた人々の悲しみに触れます。
 そんなある日、女性の診断は誤診であったことが判明、彼女は外の世界、もとの世界へと戻れるようになります。誤診のために女性は、どれだけ多くのものを失ってきたことでしょう。また病だけでなく、自らの境遇をも憎んできたことでしょう。療養所の人からは「こんなところにいる必要はないんだから、すぐに戻りなさい」と諭されます。けれども女性は、全てを失った人々から、社会から汚れた者との烙印を押され、棄てられた人々と共に療養所に留まり続けるのです。「帰りなさい。戻りなさい」と言われ続けた時、彼女は次の様に応えました。「ただ、あなたとここに居たいんです」。人々の痛みを感ずるが故に、そしてどんなに不幸な出会いであっても、そこに貴い何かが生まれる時、自らを棄ててさえも、留まり続ける道を選ぶ何かが生まれるのではないでしょうか。
 イエスは「時は満ちた。神の国は近づいた」と言いました。ある意味でイエスは、人々に神の国を届けた、神の国を具現化したといえます。人々と共に笑い、共に泣き、限りない喜びと憐れみを注がれました。
 「憐れむ」という言葉は、とりわけ福音書の中でイエス・キリストに限定される言葉です。直訳すると「痛む」です。多分日本語では「はらわたが煮えくり返る」「断腸の想い」というのでしょうか。人と共に苦しむ様子を現す言葉です。まさにイエスの十字架を指し示します。イエスが憐れむ時、人々はいやされ、人々は満たされてゆきます。神の「憐れみ」こそが、神の国をかいま見させる出来事です。
 「憐れみ」の語源はヘブル語の「ラハーミン」という言葉からきています。これは「母胎」という意味です。社会的な包みを取った生身の人間、様々な位置や立場での役割を取り除いた裸の人間、その存在そのものを受け入れ、赦し、生かし、養うという無条件に包み込む、愛と生命の発信源がイエスの憐れみです。
 教会とは、イエスの憐れみの共同体です。私たちは憐れみの共同体の一員なのです。全ての者が神の胎に包まれていること、それを証ししてゆくこと、それぞれの人生において、そんなキリストを物語ってゆくこと、それが神の国と神の義が具現化された教会の姿ではないでしょうか。

2023年9月17日

「解放された者の道」
イザヤ書 31:1−9
マタイによる福音書 10:5−15


 38年前の8月、日本航空の旅客機が御巣鷹山に墜落しました。乗客乗員524人の内、520人が亡くなった、という大惨事でした。あの日の夕方、事故機が墜落までの30分間、迷走しながら飛んでいくのを地上からいろいろな人が目撃しているのですけれども、私のいとこも、ちょうどその日山岳部で長野の山に登っていて、群馬の方に進んでいく姿を見たと言っていました。あの日から、40年近くの年月が経ったのだなぁと思います。
 その中に、美谷島健くん、という男の子がいました。当時9歳。小学校3年生でした。1985年、当時私は4年生でしたから、健くんと一つしか違わなかったのだなと思います。野球が大好きな男の子だったのだそうです。夏休みを利用して、おばあちゃんの家に行く、甲子園でPL学園の試合を見るのを楽しみにしていたのだそうです。はじめてのひとり旅。お母さんが羽田まで送っていって、「伊丹でおばあちゃんが待っているからね、スチュワーデスさん、おねがいします」と見送った。
 この間の夏なのですが、娘がスタディーツアーに参加するという形でバングラデシュに行くことになりました。娘ははじめての海外、初めて飛行機に乗るというので、羽田から見送りました。娘はもう高校2年生ですし、引率の方々もあったので、そこまでの心配ということではなかったのですけれど、親としても空港で娘を見送るのは初めてだったので、あの事故と重なって、なんとなく胸につんと来るものがある、そんな気持ちになりました。
あの日から38年。それは、子どもが親の世代になり、そして子どもたちが青年へとなっていく年月。一方では、あのときから時が止まったままの人たちがいることに、この夏は思いを馳せました。
 
 健くんのお母さん、美谷島邦子さんは、事故からの日々、2度とこのような悲しみを他の人に味わわせたくない、その思いで走ってこられました。被害者遺族会である“8・12連絡会”を組織され、お世話役もなさり、たくさんの遺族を励ましてこられたのでした。この“8・12連絡会”でまとめられた「茜雲」という題の遺族の文集があります。2015年、事故から30年の節目の時には、再編集して出版されましたが、そのなかに邦子さんご自身の詩が転載されています。事故から9ヶ月のときに書かれた詩でした。「白い鯉のぼり」とタイトルが付けられています。
 
白い鯉のぼり
事故から9か月がたった こどもの日
私は 御巣鷹山に 向かっていた
普段は 村人も足を踏み入れない 険しい山中
夏の日の残照を そのままに 土は 焼け爛れていた
一本の短い竹の先に結んだ 白い鯉のぼりを
亡き子の墓標においた
白い鯉のぼりには「お空の健ちゃん安らかに」と書いた
どこからか 蝶が 飛んできて 白い鯉のぼりに止まった
白い鯉のぼりは 小さく揺れ
白い鯉のぼりに かすかに色がついていた
「みえなくても いるんだね ここに みえないだけだね」
白い鯉のぼりに 私は そう 語りかけていた
 
 健くんは鯉のぼりが大好きだったのだそうです。でも美谷島さんには、事故の日から、世界から色が失われてしまったように見えていたそうです。だから「白い鯉のぼり」。それを持って、子どもの日、御巣鷹山に登り、供養のために尾根へと拡げた。と、そこへ蝶が飛んできた。世界に色が取り戻された時だった、というのです。
 健くんが戻ってきてくれたのだろうか。それを見てから、邦子さんは、健くんは9年間という期限付きの約束で自分のところに来てくれた天使だったと思うことにしたのだそうです。
 邦子さんは文集にこう書かれています。「健が生きられなかった時間をこうして今、自分は生きているのだと。『いのち』の価値は長さではなく一日一日を大切に積み重ねることではかるのだと健が教えてくれた。」
 
 私たちは、何が私たちのいのちを紡ぐものであるのか、改めて考えなければならないのかもしれません。どんなに心を砕き、また技術がどれほど発展しても、人間の力にはどこか不完全なところがあります。そしてその不完全さがもたらす結果に、私たちは激しく傷つくのです。さらなる安全の技術や仕組みが必要です。でも、そのことにもまして、私たちが本当の意味で哀しみから立ち上がり、再び生きていくためには必要としているものは何であるのか。この世界に本当の意味で色を取り戻してくれるものは何なのか。その問いが、私たちの前に置かれているように思います。
 
 今日はこの問いをたぐるようにして、今日の聖書を読みたいと思います。マタイによる福音書10章5節以下でした。
 
 イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊の所へ行きなさい。」
 
 イエスは、12人を派遣したのでした。それは、今日の箇所に先立つ9章の終わりに、「イエスは町や村を残らずまわって、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝えていたとき、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」と書いてある、そのことに理由があると思います。イエスは目の前に、たくさんの人々が力なく、気を落とし、あるいは時に虐げられているのを見たのでしょう。それはちょうど「善きサマリア人」が旅人を見たようなことです。イエスは、打ちひしがれた人々のために、疎外されている人々のために、身を低くして働くことのできる人々を選び、その救いのために派遣したというわけです。
 しかしでは、だとするなら、余計に私たちは、なぜイエスが「異邦人の道に行ってはならない」などと言うのか、分からなくなります。「行って同じようにせよ」とまで言われることになるイエスが、なぜ「サマリア人の町に入るな」などと言うのでしょう。混乱します。差別ではないか。悪しき排外主義なのではないか。
 実際、これは多くの人を悩ませる課題なのでしょう。新約聖書学者の中にさえ、これをイエス自身の言葉だと考えない人もいるようです。つまり、この言葉は、イエスの本当の言葉なのではなくて、のちに教会が異邦人伝道に関わるようになった頃、それを快く思わないグループが書いた文章である、というのです。彼らは「外に出て行くのではなく、ユダヤ教の一派として信仰を続けていくべきだ」と主張していて、この文章が福音書に紛れ込んだ、というのです。
 私自身は、でも、もう少し考えたいと思います。今丁寧に扱いたいのは、「異邦人」という言葉です。この「異邦人」という言葉を、イスラエルが歩んできたその歴史と照らし合わせながら理解することで、考えを深めたいと思うのです。
 さて、「神の民イスラエル」にとって、「異邦人」とは何だったのでしょうか。遡って、イスラエルが体験した異邦人との接点。それを探っていくといくつもの民族が想定されるわけですけれども、その中でも彼らにとって最大の脅威の一つは、“エジプト”であったことを、私たちは知っているかもしれません。彼らの先祖はまさにその異邦人たるエジプトのまっただ中で生きることを余儀なくされたわけです。
 出エジプト記の1章に、こんな記述があります。
 
 エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、イスラエルの人々を酷使し、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷をきわめた。
 
 古代エジプトにおいて、王ファラオは神そのものでした。鷹の姿をした神ホルス、そして太陽神ラー、それと王ファラオとは三位一体をなすものとして同一視され、あがめられていました。エジプトにあっては、弱者から人間である権利を剥奪し、王権を護持するためには過酷な生活を強いることも、神に仕えることとして正当化されました。
 けれどもご存じの通り、イスラエルはそこから解放されたのでした。出エジプト記12章に、その解放の道の第一歩が記されていますけれども、彼らは自分たちが労働によって建設した町ラメセスから、スコトという町に向かったというのです。ラメセスからスコトへ。「ラメセス」というのは、当時のファラオの名前そのものであるわけですけれども、これはもともと「太陽神ラーによって生まれたもの」という意味です。一方の「スコト」、これは「神の家」という意味です。ラメセスを去ってスコトへ。ファラオの支配を後にして、神の守りの中へ。——「イスラエルとは何か」ということを考えるとき、このこのことが、この後の彼らの中心に宿る自己理解となっていくわけです。
 ところが、うまくいきません。彼らはその後の歴史の中で、なんども、ファラオを求める、その気分に舞い戻っていってしまうのでした。
 歴史の話になって恐縮ですが、もう少しお付き合いください。
 紀元前8世紀。約束の地カナンで王国を築いていたイスラエルが南北に分裂します。北イスラエルと南ユダ。すると北イスラエルはさらにその北方から起こったアッシリアによって領土を侵されるようになっていきます。北イスラエル、その都がサマリアです。
 アッシリアの脅威にさらされて、そのサマリアは何を思ったか、兄弟であるはずのエルサレムに刃(やいば)を向けます。
 南ユダ王国のエルサレムとしても、アッシリア帝国への距離感には色んな考えが錯綜していたのでした。サマリアとしてはエルサレムを攻め、親アッシリアの立場にあったアハズ王政権を打倒することによって、反アッシリアの連合戦線をユダ王国と一緒に築こうとしたのでした。まずは親アッシリアのエルサレムを倒そう。シリア・エフライム戦争と呼ばれる戦争です。
 結果は北イスラエルの惨敗でした。サマリアは蹂躙され、アッシリアの入植地とされ、混血が進みました。これがのちのサマリア人の起源です。けれども一方、ひとまずは勝利したはずのユダも、アハズ亡き後は混乱します。アハズに続く王ヒゼキアは、アッシリアに反旗を翻します。そして事もあろうに今度はエジプトと手を結ぼうとします。もうごちゃごちゃですね。
 こうして、異国の力に対抗しようと別の異国の力に頼もうとしたユダは、周辺の大帝国たちの力関係、パワーバランスの中に引き込まれていきました。彼らは大国同士の戦争に巻き込まれるような形になり、やがては、まったく新しい形で東に興ってくる国、バビロニアによって滅ぼされることになっていくわけです。
 私たちは、そんな激動の古代オリエント史を眺めるとき、ここで、今日読んでいただいた旧約聖書イザヤ書31章の言葉に向き合うことになります。その激動の歴史のまっただ中で預言者イザヤが語っていた言葉です。彼はこう告げていたのでした。
 
 災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない。
 
 イザヤは、力に頼む者、力による支配構造に安寧の根拠を求めようとする者、そんな、彼らの政権指導者たちを糾弾して、語るわけです。31章3節。
 
エジプト人は人であって、神ではない。
その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。
主が御手を伸ばされると
助けを与える者はつまずき
助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる。
 
 イエスが「異邦人の道に行ってはならない。サマリア人の町に入ってはならない」というのは、まさにこのことを指していたのではないかと思うのです。「エジプトの道を行くな。サマリアの過ちを繰り返すな」。だから、今、イエスは弟子たちを、真実の平和を告げる者として遣わします。マタイ10章11節。
 
 町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。」
 
 イエスが12人の弟子を選んで派遣した、ということには、イスラエルの先祖が12部族であったことを思い起こさせられます。互いを欺き、大国との駆け引きの道具にしあった12部族、イスラエル。あなたたちは、ファラオの道に戻ってはならない。人間を神とする道に戻ってはならない。自らをファラオとすることも、またファラオによって自らを隷属させることもしてはならない。ただ、「平和があるように」とあいさつする者として旅立って行きなさい、そう言うのでしょう。
 
 あなたがたはむしろ、イスラエルの失われた羊のところへ行きなさい。
 
 冒頭に語られているその言葉は、私たちに、自らの弱さに徹底的に眼を向けた上で、私たちと同じように、弱り果て、打ちひしがれている人々がいることを思い起こさせます。そしてそんな人々の隣人となりなることを求めた、イエスの言葉として響くのです。かつてあなたたちは奴隷であったではないか。なにも持たない弱さの民だったではないか。その弱さをあなたたちは知っている。だから行って、あなたたちの隣人に、打ちひしがれたあなたの隣人たちに語りなさい。「あなたたちにこそ、『天の国は近づいた』、『あなたたちは解放される』」、その平和のあいさつを持って、そういうのです。
 
 御巣鷹山の墜落事故は、1985年、戦後40年というときに起きた、戦後史のひとつのエポックをなす悲劇であったかもしれないと思います。敗戦から40年という私たちの荒れ野を歩む中で、この国が、どこに平和と安全の根拠を見出してきたのかが問われたことでもあったのだろうと思うのです。
 あれからまた38年、それと同じだけの日々が経ちました。この戦後78年を迎えた私たちが、本当の意味で、この世界に色を取り戻すための知恵を身につけてくることができたのであろうか、今、まさにするどく問われているような気がしてなりません。ほんとうに痛み、本当に悲しむということが何であるのか、ということです。そしてそこから語る希望が何であるのか、ということです。
 
 イエスは私たちに、弱さを抱え、打ちひしがれている人々とともに歩みだしていくことを求めました。そして人々のもとにとどまり、「平和があるように」と語ることを求められたのでした。そう私たちが語るのは決して私たちが力や経済で優れていたからではありません。宗教的・道徳的に正しいとされたからでもありません。それはなんとしても、私たちがかつて打ちひしがれていたからであり、私たちもそれぞれに痛み悲しむできごとを、経験してきたからでした。
 
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」、イエスの命令です。その言葉は、今悲しむ人々と平和を語るために、悲しみの経験者たちを遣わしていくに当たっての、解放の宣言でもあったのではないかと思います。私たちは、まさに一人ひとりがかつての姿から解放された者であったことを思い出します。そしてだからこそ、隣人の悲しみと弱さと嘆きに仕える、その道をこそ歩き出していきたい、そのように願うのです。

2023年9月10日

「十字架のままで」                  
コリントの信徒への手紙一2章1~5節


     
 コリントの信徒への手紙の舞台となりましたコリントという都市は古代ギリシャの都市で、紀元前146年、コリントはローマによって破壊され全滅し、その後、この古代都市は約100年間、まったく人が住まないという廃墟となりました。約100年後、ユリウス・カエサルというローマ皇帝によってローマの都市として再建されました。古代社会の主要都市としてよみがえり、大変栄えました。大きな都市として栄えましたので、都市と都市を結ぶ交通手段も発達しており、多くの人々が都行き交い、訪れるところとなりました。
 コリントの手紙の著者パウロもキリスト教宣教にとって、とても重要なところと考えたのでしょう。彼はこのコリントの教会へ何度も足を運び教会員を励まし、力づけ、祈り続けていたようです。パウロの熱い想いを表すかのように、事実、パウロはコリントの信徒へ何通もの手紙を書き送りました。それがコリントの信徒への手紙1と2です。この手紙は7つから9つ、いえそれ以上の手紙から構成されています。それだけ多くの手紙をこのコリントの教会へ送っていました。
 使徒パウロにとっては、あのダマスコ途上での改心から、彼の伝道者としての人生の何年かはコリントの教会にたいして捧げられましたし、幾たびも彼はコリントを訪れております。そうしたことから宣教の重要地点という思いを越えて、パウロにはコリントの信徒の人々との深い交流、キリストにある交わり、素晴らしい出会いがキリストを証し、宣べ伝えることを通して与えられていたに違いありません。
 ところが、少し前の箇所であります1章の12節以下に、わたしはパウロにつくとか、アポロであったり、ケファ、つまりペトロにつくと言ったり、キリストになどと、教会員がバラバラであった様子がうかがえます。いかんせん、人は集まると上手くいかないものです。どうしてもこの世的な思いや人間的な視点で何かを行おうとするようです。なぜキリストを信じている者同志が・・・というつまずきになりかねません。それがコリントの信徒への手紙の背景でもあります。このような問題は現代の教会でもあるかと思います。
 コリントの教会の人々を惑わしていた教えに「栄光の神学」と呼ばれているものがあります。これは光とは神の側からの全くの恵みと理解するのではなく、知恵によって、むしろ自らが勝ち得るような考え方です。知識によって、より高次元へと人間は進み行くことができるという考え方です。これに対してパウロは人間の目には、全く愚かで弱々しく見える主イエスの「十字架の神学」というものをもって対抗します。いえ、正確には対抗するのではなく牧会的な配慮をもって、ケアしてゆくといった方がよいでしょう。
 コリントの教会を混乱と分裂に巻き込んだ出来事は、神によらない人間の力、人間の優秀さ、人間の能力で信仰を計って行くという高慢さと身勝手さでした。
 さて、3節のところをご覧いただきたいと思います。コリントの教会を訪問した際のパウロは「衰弱し、恐れ、不安」でありました。事実、パウロはこの直前でアテネで伝道が大失敗しました。パウロの伝道は華々しく大成功のように捉えられがちですが、多くの挫折と失敗の連続と言った方がよいでしょう。ここで記されている落胆の声は、パウロの真実な姿を伝えていると言っても過言ではありません。しかしパウロはそんな落胆の中にこそ「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい」と十字架のキリストを強調します。
 以前にもお話をしましたが「十字架につけられたキリスト以外」という言葉は、正確には「十字架につけられたままのキリスト以外」となり、継続を表しています。未だに「十字架につけられたままのキリスト」についてもう一度考えたいと思うのです。
 皆さんエパフロディトという人物をご存じでしょうか。聖書の中でもたった2回しかその名前は出てきません。このエパフロディトは、フィリピの教会から獄中のパウロを助ける為に遣わされた使者でした。獄中で苦しんでいるパウロの為にと多くの教会の人々の祈りと願いを背負って派遣されたのがエパフロディトという人物です。
 ところが、しばらくしてエパフロディトは病気にかかり、パウロを助けるどころではなくなりました。それだけではなく、彼はホームシックにもかかり、フィリピに帰りたいと言い出しました。パウロも、エパフロディトを送り出したフィリピの教会員も、皆がっかり、失望しました。パウロの為にと彼は遣わされて来たのですが、病気にかかっては何もできません。弱気になって役に立たないわ、フィリピに帰りたいと言ってダダをこねるわで、教会の人々はエパフロディトにすっかり腹を立ててしまいました。よくある光景かも知れません。
 しかしパウロは役立たずで弱虫なエパフロディトからとても大切なことを感じ取りました。フィリピの信徒への手紙2章の25節から30節をお読みいたします。新約聖書の364ページです。
 人々の期待と祈りを背負いつつ、病気にかかり、気が滅入って何の役にも立たなくなったエパフロディト・・・、しかし彼を通してパウロも人々も哀れみが与えられ、悲しみを重ねずに済み、再会を喜び、悲しみが和らいでいく、エパフロディトはキリストの業に命をかけたとパウロは表現しています。しかし、そうではなくて、未だに十字架にかけられたままの、今もなお、その人を通して命の極みに共におられるイエス・キリストが彼に生きて働かれているからではないでしょうか。
 パウロは「弱さを誇る」と言います。それはパウロに与えられた役立たずの同労者・エパフロディトから気づかされたのかも知れません。ともすると能力や効率、弱さよりも強さに偏りがちな人間の群を、神はこのような人物を通して成長させて下さるのかも知れません。「十字架につけられたままの」弱さや貧しさを背負ったままのキリストこそ、信仰の光であり、教会の礎となること、伝道の力の源であることを示されるのかも知れません。
 この世の価値観から逆転した視点こそが教会の命です。それを宣べ伝えるのが教会の使命です。弱さや貧しさにこそ真のキリストの姿があることを、私たちは尊び、敬い、大切な教会の姿であることを心に留めたいと思います。

2023年9月3日

「わたしたちの心は燃えていたではないか」
旧約イザヤ書40章28-31節
新約 ルカによる福音書24章28~35節


 この夏はコロナが5類に代わり、花火大会やお祭りが4年ぶりに開催されたというニュースをよく聞きました。私の家の近所でも、地域の小さなお祭りが久しぶりに行われ、子供たちが嬉しそうに参加していました。
 私は、コロナのこの3年くらいの間に、コロナでというわけではありませんが、学生時代の恩師やお世話になった教会の牧師先生、数人の方が天に召されたのです。コロナ禍で通常のご葬儀ができなかったため、今年になってから、改めてそのような先生を覚えての記念会というのがいくつか行われました。
 先週の日曜日も、京都の錦林教会という教会で長く牧会をされていた糸井国雄牧師の記念会が京都でありました。夫も、私も、その京都の錦林教会が母教会であり、婚約式を糸井牧師にしていただいたので、その会に出席してきました。糸井牧師は3年前の緊急事態宣言が出た頃に亡くなられたので、ご家族だけでご葬儀をされました。お別れの会をきちんと持ちたいという声が多く出て、3年過ぎて改めて、記念会が行われたのです。懐かしい方々に久しぶりに会うことができました。
 6月の終わりには、昨年亡くなられた同志社大学の名誉教授であり、京都の上賀茂教会の牧師であった深田未来生先生の記念会が、東京の霊南坂教会で行われました。深田未来生先生は、たくさんご著書がありますが、2年前に「ボクたちは軍国少年だった!平和を希求する2人の自伝」という本を、木村利人先生と共著でキリスト新聞社から出版されています。私の学生時代の恩師でもありますが、お連れ合いの深田ローラさんは私が勤務する横浜英和学院の宣教師として働いていた時期がありました。だいぶ前のことですが、そんなご縁もあって深田先生には、私の学校にも何度か講演に来ていただきました。
 
 アメリカと日本を行き来されていましたが、コロナでアメリカの滞在が長くなり、昨年6月にアメリカで亡くなられました。京都の教会で告別式がありましたが、その時はまだ人数制限があったため、今回東京で、記念会が行われることになったのです。
 
 深田先生は学生にとても人気のあった先生でした。大学の先生の研究室はいつもオープンになっていて、学生たちが集まっていました。親しくなると学生をファーストネームで呼んで、気さくに話しかけてくださる先生でした。多くの学生が深田先生との出会いによって、牧師やキリスト教学校の教師の道へと導かれていったのです。
 私が一番印象に残っている先生の授業は、「説教学」という大学院の授業でした。礼拝の説教を学生が順番に担当して、相互に評価しあうのです。学生同士なので、みんな言いたいことを言い合って、きびしく批評するので、泣き出す学生もいましたが、今思うと、そんな風に率直に意見を言いあえたのは貴重な機会でした。深田先生は、そんな授業で学生が落ち込んでいるとさりげなくホローし、逆に傲慢になっているときは、的確に注意されました。
 話している様子を録画して客観的に見たり、教会では葬儀や結婚式もあるので、その模擬体験などもした実践的な授業でした。
 その時に教わった説教の作り方が記念会でも話題になりました。深田先生の教えは、「説教は長いのはよくない。18分にまとめること。そのためにはベテランになるまでは完全原稿を作って、準備をしっかりしなさい。(私はいつまでたってもベテランとは思えないので、いまだに原稿はその教えを守り、完全原稿を作っています)。聖書に初めて触れる人にも、ずっと教会に来ている人にも、わかる言葉で語ること。人からの借り物ではなく、自分の言葉で話すこと。そして準備をしたら、あとは大胆に、自由に語りなさい。」と言われました。
 私は学生の頃、なかなか自信が持てなかったので、説教の時も「〇〇だと思います。」というあいまいな言い方が多くなりました。もっと自信をもって大胆に語りなさい、とよく言われました。この「大胆に語りなさい」という深田先生の言葉をこの記念会で改めて思い出しました。また授業の準備が足りなくて、何かで読んだ文章をそのまま授業で使ったとき、今でいうコピペのようなことですが、先生からきびしく注意されました。そんななつかしい授業の思い出を語り合ううちに、もうずいぶん前のことになるのですが、先生から教わったことが改めて思い出されて、心が熱くなりました。
 深田先生はユーモアがあって、時々口が悪く、愛情を込めたジョークをよく言われました。私の友人で、後輩の女性がいるのですが、彼女はキリスト教学校で働いているときにガンになり、手術を受けることになりました。ショックと不安の中にある時、深田先生からいきなり「これで俺たちはガン友だな―ガンと闘う友達という意味でしょうか。ガン友だな。」というメールが来て思わず笑って元気が出た、と言っていました。深田先生も何度かがんの手術を受け、がんと闘ってきた方でした。その言葉に励まされたと話していました。
 その友人だけでなく、記念会に参加した人たちは、そんな先生との特別な思い出をそれぞれに持っていました。深田先生は自分のことをよく気にかけて言葉をかけてくれた、そのおかげで牧師や教師を続けることができたと思っている人が多かったのです。
 それを聞いていて、私は、以前インドのマザーテレサのところでボランティアをした人が書いた文章を思い出しました。「マザーテレサと交流のあった人は、誰もが、マザーテレサは、特別に私のことを気にかけて言葉をかけてくれた、私を特別扱いしてくれた、と思っている人が多い」と書かれていたのです。それだけ愛情が深く、マザーテレサが一人一人との出会いを大切にされていたということでしょう。深田先生の教え子たちも、多くの人が、深田先生は特別に自分を心配してくれていた、とそれぞれに思い出を語っていたのです。先生の人間としての大きさというか、広さというか、学生や卒業生を大切にされていたこと、いつもユーモアがあって明るい気持ちにしてくださったことなどをしみじみと思い出しました。そして、改めて、神学校の学生だった頃、共に聖書を学び、聖書を伝える仕事をしたいと願った、その熱い思いで満たされたような気持ちがして、私はその日、とても力を与えられました。
 
 今日、お読みした聖書には、2人の弟子が復活したイエスに出会う場面が伝えられています。
 読んでいただいたのは28節からですが、この物語は13節から始まっています。「ちょうどこの日」と13節にあるのは、女性の弟子たちがイエスの復活を知った日のことです。イエスが十字架にかけられた後、女性たちがイエスのお墓に行くと、墓は空になっていて、そこに現れた天の使いからイエスの復活を知らされます。女性たちはすぐに、弟子たちに報告しましたが、みんな信じようとせず、ペトロだけがお墓に見に行ったとルカによる福音書は伝えています。
 エマオに旅をしていた2人の弟子たちも、女性たちから復活の話を聞いても信じられず、イエスは死んだと思って、エルサレムから逃げていくところだったのです。2人のうちの一人は「クレオパ」という名前だったと18節に記されています。この2人は12弟子のメンバーではなかったようです。
 2人は、道すがら、イエスの十字架の出来事、女性たちが告げた復活のことを話し合っていました。その旅の途中でイエスと出会うのですが、イエスだとは気が付きません。「あなたはエルサレムにいたのにイエスの出来事を知らなかったのですか?」とイエス自身にイエスのことを説明し、さまざまな話をするうちに夕方になります。でも別れがたく、引き止めて一緒に宿に泊まることになりました。そして、食卓に着き、イエスがパンを取り、祈りを唱え、パンを裂いて渡してくださいました。これは聖餐式ですね。すると、 2人の目は開けて、一緒にいるのはイエスだとわかるのです。イエスの姿は見えなくなるのですが、2人は「道で話しておられる時、聖書を説明してくださった時、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合いました。姿は見えなくなっても、確かにイエスが共におられた、そして今も一緒におられる、と確信するのです。そして時を移さず、すぐにエルサレムへと引き返しました。エルサレムではユダが欠けて11人になった弟子たちと他の仲間たちが集まっていて、復活したイエスさまはペトロにも表れたと話し合っていました。エマオから引き返してきた2人は、私たちのところにもイエスさまはあらわれてくださったと話し、その体験を分かち合いました。
 イエスさまは十字架にかかっていなくなったけれども、共に聖書の教えを受け、活動し、自分が生きる道を示された、あの熱い思い出は生きている、主イエスは、今もわたしたちと共におられる。イエスさまと一人一人が出会ったように、それぞれに特別な形で、復活したイエスさまもまた会いに来てくださったのだと気が付くのです。
 
 私たちも、それぞれ、さまざまな形で、主イエスに出会いました。家族がクリスチャンで小さな頃からイエスと出会った方も、大人になってから出会った方もおられます。教会で牧師先生の教えによって、あるいは教会学校やキリスト教学校の先生との交流の中で、教会に通っていた友人を通して、聖書と出会い、イエスさまを知るようになった人もおられるでしょう。イエス様は、私たちそれぞれに、ふさわしい時を選んで、特別な形で、出会ってくださったのです。
 イエスさまを知り、共に聖書を学んだことは、私たちに生きる力を与えてくれます。あたたかな人との交流を通して、学んだ聖書の教えは、時を経てもその人を生かす力になります。そこには今も生きて働かれる主イエスが、共におられるからです。
その出会いや交わりに感謝しつつ、イエスさまの教えを学びつつ歩んでいきたいと思うのです。
 
祈ります。
愛する天の神様、あなたがいつも私たちを覚え、共に歩んでくださることに感謝いたします。あなたが与えてくださるたくさんの出会いや交わりに感謝しつつ、そこに働かれるあなたの深い恵みを受け止めて歩むものとしてください。この祈り、愛する主、イエスキリストのみ名によってみ前にお捧げ致します。アーメン。

2023年8月27日

「この現実からの平和」
エゼキエル書  37:4−10
ヨハネによる福音書 20:19−23


 ロシアによるウクライナ侵攻から一年半。なにか、第二次大戦後の世界が必死で守ろうとしてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れていくような、そんな思いに駆られたりして参りました。先の大戦が終わった後、大陸からの引き揚げをされてきた経験を持つ方が、私にこんなことをおっしゃいました。「ニュースを見ていると、ほんとうに今、毎晩眠れない。ソ連軍がやって来て、略奪や強姦が始まったこと、昨日までよき隣人であった中国の人々が、自分たちに石を投げ始めたこと。取り囲まれて、万事休すと思い、わざと人が来たように見せかけて『助けて、ここ、ここ!』と叫んだら、慌てて逃げて行ってくれたので、命からがら、貨物鉄道の無蓋車、屋根のない貨車に乗り込んで一昼夜逃げたこと、そのことを思い出す」と言われるのです。皆さんの中にも、あの日の、戦争の残虐さをまざまざと思い起こされている方が、今日ここにもいらっしゃるのではないかと思うのです。
 1957年、あの、黒人解放運動の発端となったバスボイコット事件から3年、まだアラバマ州・モンゴメリーに留まっていたマーティン・ルーサー・キングJrは、この年、繰り返して「汝の敵を愛せよ」(Love your enemies)と題した説教を行っていました。彼は言うのです。「“敵を愛せよ”、それは甘い理想論などではない。そうしなければ、この憎しみの連鎖を断ち切らなければ、世界に未来はないという極めて現実的な課題なのだ。イエスが山上の説教を語ったとき、彼は大真面目だったことだろう」と。そして11月の説教の中では、こう言うのです。
 「私が思うに、民主主義は人間がこれまでに考え出した中で最も優れた政治形態です。しかし、その弱点については未だ触れられては来なかったのでした。考えて欲しい。私たちが、大衆からしばしば彼らの必需品まで取り上げて特権階級に贅沢を供給してきた ———— これは事実ではないでしょうか。あるいは私たちが、この民主主義の体制の中で、抑圧という鉄の足を用い、個人や民族を踏みつけてきたこと、これも事実ではなかったでしょうか。またこの欧米社会の力をふるって、私たちが植民地主義と帝国主義を永続きさせてきたこと、これも事実だったのではないでしょうか。今ロシアを見る際には、私たちはこれらすべてのことを考慮しなければなりません。アジアやアフリカからくる、その深遠なる不満のうなり声、その波打つ鼓動は、その根底に、西洋文明が長年にわたって永続させてきた帝国主義と植民地主義に対する反逆があるという事実を直視しなければなりません。今日の世界における共産主義の成功は、民主主義がその制度に内在する崇高な理想と原則に沿うことができなかったことに起因するのです。」
 そう語った上で、キングは、第一に、私たち自身の内にある罪に目を留めること、第二に、敵と思われる人々のうちに善なるもの、すなわち「神の似姿」を見出すこと、そして第三に、その敵を神が愛していることに気づくこと。このことによってしか、この現実の中で真の平和を築く道は開けないのだ、と説いたのでした。
 なぜ、こんな暴力が繰り返されるのだろうか。私たちは心を痛めます。しかしそのような中で、キング牧師の語りに思いを巡らすことができるとするなら、それは、だれもが罪や弱さを担っていること。だから、その傷にさらなる暴力を加えることではなく、むしろ愛を持って触れ合っていくこと。その道がキリストにあってこそ開かれている、その確かさを見出すことへと進むことができるのではないかと思うのです。
 今日の福音。ヨハネ福音書20章の終わり。復活のイエスと弟子たち、特にトマスの出会い直しの物語でした。19節から。
 
19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 20そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
 
 「週の初めの日の夕方」、すなわち日曜日の夕方です。前日は土曜日でした。ユダヤ人たちにとって安息の日である土曜日には、さすがに追っ手も手荒なまねをすることがなかったかもしれない。しかしそれが明けて日曜日、この「安息が過ぎ去った一日」を、彼らはどのような思いで過ごしたのだったでしょうか。
 ここに「ユダヤ人」と書いてありますが、これはしかし、「民族としてのユダヤ人」のことではありません。そう読んでしまうと、ヨハネ福音書は激しい差別に充ちた文書と言うことになってしまいます。そうではなくて、この福音書は、「ユダヤ人」という表現を、「血族に拘り、身内の論理を優先し、他者を排斥しようとする勢力一般」というような意味で用いているわけです。ですから、キリストをこの世から追い出し、十字架に付けてしまった勢力、その勢力全体を『ユダヤ人』と呼んでいるのでしょう。その意味では、本当はこの私たちも、ヨハネ福音書の言う「ユダヤ人」と同じであったといわなければならないかもしれません。
 弟子たちはそんな「ユダヤ人」を畏れていました。彼らが、あるいは「私たち」が、キリストの弟子たちを、キリストに続く者として死に追いやることになる危険を身近に感じていたのでした。弟子たちは「家の戸に鍵を掛け」、一所に集まっていたといいます。
 命を容赦なく奪う者が家の中に押し入ってくるとするなら、そのことに対する恐れは、たしかに想像に難くありません。私たちでもきっと、戸に鍵をかけることでしょう。狭いその空間だけが唯一のシェルターのようなものです。そこに息を潜めて、身を寄せ合うことであるかもしれません。「怖い」でしょう。
 それなのに、いやその恐怖の真ん中に、イエスはやって来る。その厳重な隔てを超えて、いとも簡単に、その部屋の「真ん中」にまで入って来られたというわけでした。
 ところが、イエスの振る舞いはどうであったか。あに図らんや、イエスは、そこで銃口を向けるのではなく、怒声を浴びせるのでもなく、火を放つようなこともしません。大勢で押し入ってきたのでも、そこで狼藉を働こうとしたのでもありません。そうではなくて、彼はひと言「平和があるように」と告げた、そして、その平和の証として、自分の「手と脇腹」を、彼らに見せたというのでした。その「手と脇腹」の傷、それこそが、「平和」のしるしだ、というのです。
 「手と脇腹」。私たちはよく知っていますよね。イエスは十字架に掛けられたとき、手には釘を打ち付けられたことを。そしてとうとう絶命したとき、兵士たちが検死のために脇腹に槍を立てたことを。手と脇腹、そこにあったのは傷です。深い深い創痕です。片や殺害されることを恐れていた弟子たち。そして片や、すでに殺害されたイエス。しかしイエスは、恐れに充ちた弟子たちを制圧するために来たのではなくて、自らもまた最も深く傷を負われたその一人として、その恐れを一緒に背負うために、分かち合うために、その内側まで来てくださったのでした。
 
 何度か、この講壇でもお話ししたことがあったのではないかと思ってみたりもします。ある患者さんのことです。その方は、乳がんの患者さんでした。加えてもう長いこと、統合失調症にも悩まれていた方でした。心乱れることは多く、ホスピスに入院さればかりの頃は、何度も無断で病院を出て行こうとされたりもしました。最初の頃は、私がお部屋にお邪魔しても、「しっしっ」と追い払うような感じでさえあられたのです。いろんなことがあって、一度は精神科病院に転院されることになり、2ヶ月ほどされてから、ホスピスに戻ってこられた方でした。
 ホスピスにお戻りになった頃には、もうご自分で立ち上がることはできないようになられていました。何とか、ご自分でも、心を穏やかにして過ごしたいと願っておられるような風でもありました。
 ある日、私がお部屋を覗くと、看護助手さんが讃美歌のCDを掛けてくださっていました。畳の方が落ち着くというので、ベッドの代わりに床に畳を入れ、お布団に横になっておられました。私と目が合い、その目は、私がお部屋に入っていくことを招いてくださっていました。助手さんは部屋を出て行かれ、私はこの方と二人になりました。
 Tさんと呼んでおきます。私は話しかけました。
 「Tさん、最初の頃は、全然気を許してくださいませんでしたよね。ちょっとさびしかったですよ」
 答えはありません。しばらく時が流れました。静かな空間に、柔らかくCDの讃美歌が流れている、それを一緒に聴きました。そして、私も少し声を合わせて、そっと歌い出しました。そして、そうしていると、その時、Tさんはやおら私の方に手を伸ばされ、私の手をつかもうとされるのです。握手をしました。すると、そのまま、Tさんはそれをご自分の胸脇に持って行かれたのでした。手術をなさった、その傷が残る胸脇です。そこに手を触れる。その時、わたしは、「ああ、これがトマスの体験だ」と、そう思ったのです。傷に触れて欲しい、Tさんにとって、それはそういうことであったのだろうと。
 福音書は、今日の箇所の後半で、そのトマスの物語を記しています。23節までの場面には、居合わせなかった弟子、そのトマスのためにも、1週間を経て、イエスは再来したというのでした。24節。
 
24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
 
 トマスは「ディディモ」と呼ばれていたといいます。ディディモとは「双子」という意味ですが、さて、実際に双子であったのかどうか。その片割れは、聖書に登場しないわけですね。むしろ、ここではディディモという言葉は、いつもどっちつかずに心揺れる、ダブルスタンダードの二心、そんな意味に受け取った方がいいのではないかと思うあだ名です。トマスの中には、信じたい気持ちと信じたくない気持ちが同居している。彼はいつも、「いや、おれはそうそう簡単に騙されないぞ」と踏ん張っている、そんな印象です。
 そしてイエスは、そんなトマスの気持ちをよく理解しておられたのではなかったでしょうか。イエスはまるで、こう言っておられるかのようです。「トマス、お前が信じ切れないのは、怖いからであろう。そしてお前も傷ついたからであろう。お前は私の死を悲しんでくれたのだろう。だからこそ、にわかに喜んだりしたくないのだろう。自分自身をも信じられないでいるのだろう。」そして、言うのです。「だからこそ、わたしは、そんなお前に私の傷に触れて欲しいのだよ。傷を通して、わたしは同じ立場になり、あなたと関わりたい」と。
 あの乳がんの患者さんの胸脇にも、手術の傷跡がありました。そこにその方は私の手を導かれた。この傷の痛みを分かって欲しい。この傷を通して、わたしはあなたと同じ地平に立ちたい、そこには、そんな願いが込められていたのではなかったか、今私はそんなふうに思い返すのです。
 私たちが、本当の意味で、平和を見出し、死の恐れからさえも解放されるのは、この「私」の傷から目を背けたりせず、そっと触れてくれる誰かの手があったときなのではないかと思います。そして、その傷をこそ、傷の辛さを我がことと受けとめてくれる手があったとき、私たちはそれぞれが身に纏った鎧から解放されていくのでしょう。
 イエスは弟子たちに、重ねてこんなことも言っておられました。21節。
 
21イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 22そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 23だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
 
 イエスは、私たちに向かって — まさに傷つき、自分の弱さにぶち当たり、狼狽し、痛み、不安に苛まれている、そんな私たちに向かって、「そんなあなたたちをこそ平和のために遣わす」と、そうおっしゃったというのです。
 ここに「遣わす」と訳されている言葉は、ラテン語聖書ではmittoという動詞に訳されています。まさに「派遣する」という意味の言葉ですが、その過去分詞形missusから、ひとつには、「ミサ」、カトリック教会の典礼、礼拝を指す言葉が生まれました。そしてもう一つには、英語のmission、つまり「使命」という言葉が生まれたのでした。礼拝から、遣わされていく使命です。誰よりも深い傷を負っていたイエスが、同じように傷を抱えている人々の許へと私たちを派遣する。私たちもまた、傷を担っていることをよくよく受けとめ、愛されていることを受けとめるように。そしてそのことから、まさに私たちの宣教の使命は始まっていくということだったのでしょう。
 私たちにキリストが与えられた使命。それは私たちが自らの傷に向き合いつつ、そしてその傷に少なからぬ人が触れ合おうとしていてくれていることを自覚しつつ、私たち自身の手を孤独な人々に差し伸べていく。そしてその人との間にある壁を超えて、その人の内側に、その真ん中へと踏み込んでいく。そうして、共に、キリストの時を待ち望む日々の道へと共に歩んでいく。その共生のための働きだったのではないかと思うのです。
 イエスの傷に触れたトマス。彼は、こう叫びました。28節。
 
28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
 
 私たちは、これからもまだ見ぬ不安と恐怖に向き合っていかなければならないのかもしれません。そしてだからこそ、そこにも、私たちとともに傷を担ってくださっている方のいらっしゃることを、しかも、その方はすでに復活し、死に対して勝利を収めておられることを、信じてありたいと願うのです。
 今こそ、世界は誰をも孤独としないための手を必要としていることでしょう。その世界に向かって、私たちは、復活のキリストの命によって、この礼拝から遣わされていくのでした。このことに感謝し、今、この手を差し出す使命のうちに歩んでいきたい、そのように願うのです。

2023年8月13日

「一人の人間によって」
マタイによる福音書16章21~28節


 今朝の聖書の冒頭には「このときから」と、ある時を設定しています。「このとき」とは、弟子の一人であるペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と、直接イエスが救い主であることを表現した直後です。「このときから」イエスは、自らの悲劇的な将来を弟子達に語り始め、苦難と死に進んで行きます。ところが、弟子達にしてみれば、イエスが苦難を受けたり、死なれたりすることは赦されないことだったのでしょう。
 弟子達にとってのイエスは、栄光の主、永遠の命を与える神の子、しかしそれは、栄光を自ら引き寄せることの出来る者であり、また永遠の命を自ら引き寄せ得ることのできる存在と受け止められていたのでしょう。栄光を引き寄せ得る、永遠の命を引き寄せうる、そんな態度を見せるペトロは、次の様な行動に出ました。
 イエスの苦難を否定し、イエスをわきへ連れて行きました。以前の聖書では「わきへ引き寄せ」となっています。今朝の聖書の箇所は「命」がテーマとなっています。イエスにとっての命は、十字架への苦難が象徴するように、自ら引き寄せうるものではなく、逆に失う事柄の中で語られています。イエスにサタンとまで叱咤されるペトロは、命も、イエスさえも、自らが引き寄せうるものとして捉えています。十字架への道を、そして死を越える復活への道へ進もうとされるイエスを、ペトロは自らわきへ引き寄せようとしています。それをイエスはサタンと表現しました。
 「このときから」の「この時」は何度でも、訪れます。イエスや信仰が自らに都合のいいように引き寄せられるものとの誘惑に陥る時、常に厳しく否定されるものとして「この時」は訪れます。けれども改めて、「自分の十字架を負って」とイエスは招き続けるのです。そして失うが、得ること、死が、死なないという十字架と復活という逆説へと、私たちと同伴されるのです。
 話しは変わりますが、中世のヨーロッパでは「汝、死すべきことを憶えよ(メメント・モリ)」という言葉が、座右の銘とされました。人々は「死の芸術」と題された絵画や書物で、人間の死、己の死の意味を探り、あるいは死への心構えを学びました。そこにあるのは、死とは時間をかけ、努力して磨き上げるべき「芸術」であるという思想が見られます。死を時間をかけて磨き上げる芸術とするのは、至難の業かも知れません。 しかし、死を単純に、漠然とした将来の出来事として捉えるのではなく、現在の自分に避けがたく関わるテーマであると、開かれるのであれ、私達は時間の尊さを知り、出会いの深い意味に目覚めることが出来ます。
 また西洋思想では、往々にして「文明」と「文化」の区別を重要視します。「文明」とは、人間の活動の物質的・技術的領域のことと理解されます。一方、「文化」は精神的・内面的な活動の表現と理解されます。「文明」は、進む、発展すると表現されますが、「文化」は深めると表現されます。現代社会は技術的な「文明」は進歩したかも知れませんが、死生観などの「文化」的な面は、かえって後退し、浅くなっているのかも知れません。
 今日の聖書でも表現されているように、死は決して否定的・厭世的な態度で捉えられているのではなく、むしろ死と命は表裏一体として捉えられています。モンテーニュという人は「いかに死ぬかを教えられる人は、いかに生きるかをも教えられる」と語っています。
 人生の意義、命の意味は、おそらく一生という広い視野にたって、はじめて発見できるものであり、その一生とは生と死を共に含んだものなのでしょう。例えば、絵画を鑑賞する場合、完成した作品を見ることによって各部分が重要な意味を持ってきます。音楽でも、未完成交響曲のようなものもありますが、曲全体を聴いて、その作品の各楽章、各小節といった細部の深い意味が見出せます。果たして、これと同様に人生も、全体から意義が明確になるのでしょうか?。
 今日は平和聖日です。戦争によって、紛争によって人生が本当に短くされてしまう多くの人々がいます。今日は広島に原爆が投下された日です。40万人もの人々が人生を短くされてしまいました。本日は礼拝後に広島での被爆者の証言DVDを見ます。また今なおウクライナでは戦争が続いています。
 話しは変わりますが、日本で40年間もの間、死生学を教え続けたアルフォンス・デーケン先生というカトリックの司祭がいます。デーケンさんには、尊敬してやまないドイツのアルフレッド・デルプという神父がいました。デルプ神父は第二次世界大戦中に、ドイツ国内における反ナチス運動の精神的指導者として働かれました。しかし、37歳という若さで、ベルリンでナチスに処刑されました。デルプ神父は、処刑の直前に人々に次のような文章を残しました。「もし一人の人間によって、少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたならば、その人の一生には貴い意味があったのである」。
 聖書、とりわけ福音書が告げるように、イエスは限られた時間の中で、少しでも多くの人々に愛と平和、光と真実、喜びと恵みをもたらし続けました。それは「自分を捨て、自分の十字架を背負って」と表現されたように、死と云う十字架を基軸、基点とした死生観でもあります。自分を救う、命を引き寄せるという方向ではなく、少しでも多くの人々へという逆転の視座があります。デルプ神父には、ナチズムの独裁から、人類を解放する視座があり、イエスには滅びにいたる自己中心さからの解放という視座があります。
 「もし一人の人間によって、少しでも多くの愛と平和、光と真実が世にもたらされたならば、その人の一生には貴い意味があったのである」、今日は「平和聖日」です。少しでも多くの愛と平和、光と真実をと私たちも祈り願いつつ、取り組んでいきたいものです。
 もし私達がイエスの方向性やデルプ神父の言葉を一つの指標として、生きようと祈り願うのなら、きっとイエスは私達の内に宿って下さり、与えられた人生の意義を深め、命を輝かせて下さいます。十字架を基軸、基点とする生き方を目指し、豊かな復活の命へ、愛と平和をこの世にもたらしていく生き方へと導かれたいと思うのです。

2023年8月6日

「祝福し合うこと」
創世記2章4~25節


 創造の出来事で共通していることがあります。それは「神は言われた」ということです。神に主体があるということが第一です。神が言われたので、物事が生じ、命は生まれていったということです。人間も同様に、神が言われたので命あるものとなりました。そのただ中に、人間は存在を赦された者であるということです。
 ここで人間が造られたところを見てみたいと思いますが、創世記の1章と2章は、天地創造と人間の創造とが繰り返されています。1章で語られたことがもう一度2章の4節以下で語られています。これは1章と2章の4節以下を書いた人が違うということで、厳密には、聖書編集の為の伝承資料が違うと言われています。
 2章の18節をご覧下さい。ここでも「神は言われた」ではじまっていますが、人が造られた時、「彼に合う助ける者」が、続けて造られました。「~に合う」と新共同訳聖書では訳されています。以前の口語訳聖書では「相応しい」と訳されていました。「助け手」という考え方は、男性社会の影響でしょう。「~に合う」「相応しい」原語で「ケネグド」という言葉は、「差し向かいでいる」という強い対立関係を示す言葉です。
 男性の「あばら骨から女性が造られた云々」とありますが、これは今述べましたように、男性社会の反映です。余談ですが、アラビアの男性は今でも、自分の恋人に向かって、「我が、いとしきあばら骨よ」と呼ぶそうです。何か、私達がそのようにささやいたのならば、途端に、平手打ちを食らってしまいそうです。
 私は、ここで語られていることは、まことに危険をはらんだものであると考えています。2章の23節から良く、読んでみましょう。
 23節にあります「人は言った」というのは男性のことです。先ほどから「神は言われた」に象徴されるように、「言うこと」から新たな関係が生まれてきます。男は女を自分と同じには呼ばなかったのです。そのままを良しとせずに、「イシャー」と女性を自分と区別することで、つまり言葉を持って言い分けることで、差し向かいになっているのです。言葉をもって自分と他者を言い分けるという行為です。差し向かう、対立し合う構図がここにはあります。それゆえに、無理解、誤解、断絶をも、はらむ関係があるのです。女性は、不思議なことにこの時、男性が言ったことに対して沈黙しています。
 24節、「こういうわけで」、人は父母、これは神を表しています。神から離れてしまうということが語られているのです。神は確かに二人の人間を造りました。しかし、人間自身が人間を言い分けてしまったので、その神の作品である人と人とが対立する、差し向かいになってしまったのです。ここから罪なる歴史がはじまってゆきます。
 ここでもう一度、1章に戻りますが、神の業の6日目と7日目をご覧下さい。6日の日、神は人間を造られて、植物、地の獣、空の鳥、地をはうもの、全て命あるものと言いつつ、その地上を眺めておられます。このただ中に人間はいます。ということは、神と共に、この日に起こる物事と躍動する命を、人も見つめていたのです。神と同じ方向を見ていたのです。「神はお造りになった全てのものをご覧になった」。人の目に映っていたものは、神の造られたものであり、それは聖書が告げるように「極めて良かった」世界です。
 ここからが問題です。7日目、神は創造の業を終えられ休んだといいます。この日から、創造の業の決まり文句であった「夕べがあり、朝があった」という表現と、「神は言われた」という表現が、突然、出てこなくなります。つまり、神の業ではない何かがここから起こっていると言うことです。神が何か言葉を発さなくとも、そこにはすでに物事が起こってしまっているということです。
 聖書のたった短いこれまでの記事、これ以降、聖書の描写の上で物事を起こしてゆく主体が入れ替わっているということ、主体が人間になってしまっているということです。神が造られた世界の流れに、人間が介入してきています。先ほど読みましたが、女性が造られた時、人間が言いました。言い分けました。3章以下、有名なエデンの園のお話ですが、ここでは蛇が語っています。人間が主体的に行動し、その結果、男女の対立が起こる、楽園を追放されてしまうという記事が続きます。従来、これを罪の始まり堕落と読んできました。と同時に、人間の自由への一歩とも言われてきました。
 聖書は人間がこの地を支配せよと言っています。神からそういわれています。生きるものを治めよと言われています。他の創造物よりも、我々人間の優位さを思わされます。そして、確かに、人は自然を支配し、自由さを歌ってきました。けれども、自然は破壊され、生き物は絶滅の危機に瀕しています。本来、神だけの業に人間が介入してきたからでしょうか。しかし、神は支配せよ、治めよと言われました。一体、現代は、神が見られた「極めて良かった」世界のままなのでしょうか?
 決定的な一つが、人間には欠けています。
 支配すること、治めること、自由さを歌う前に、人が人を言い分ける前に、神と違う徹底的なことが人間には欠けているのです。それは、「良し」という祝福なのです。神は一つ一つの業の後に、必ず「良し」と祝福されています。闇であったにもかかわらず、混沌であったにもかかわらず、神は「良し」と祝福され、全てを抱きしめ、愛しておられるのです。神が愛を注ぎ、命を生み出し、物事を起こされているのです。これが神の創造の本質的出来事です。
 私達が物事を起こすとき、まずそれをしっかりと抱きしめるほどに、愛しているでしょうか、心から祝福しているでしょうか?。しっかりとそれを見つめ「良し」としているでしょうか?。
 現代は、混沌としている闇を感じさせるものです。聖書の記事も、この後、人間のまことに混沌とした姿を伝えてゆきます。6日目以降、「夕べがあり、朝があった」という文句が消えます。朝の訪れが、ピタリとなくなった闇の世界を思わずにはいられません。
 しかし、神は、もう一度、そうです。新約聖書が告げますイエス・キリストの出来事を起こし、混沌とした闇に閉ざされている私達を・・・・、それは、他の者を抱きしめ、祝福し愛せない私達を、神の側から近寄って抱きしめ、祝し愛されたのです。私達はイエス・キリストの出来事によって、もう一度「良し」と命を与えられているのです。十字架と復活の出来事によって、「夕べから朝」へと生かされているのです。
 私達は、イエスによって、もう一度、神と共に、世界とそこに生きる全てのものを見つめるようにと問われているのです。神と共に世を、人を見つめることが、創造の業への参与なのです。「極めて良かった」世界を作り出す者へと、私達は日曜日ごとに、ここから送り出されているのです。イエスの出来事こそ、新しい創造の業と言われるゆえんなのです。
 私達は神にイエス・キリストの出来事を通し、再び「良し」と祝福されているのです。ですから、私達も、他者を言い分けるのではなく、その存在、ありのままを良しと祝福したいと思います。皆さんと共に、神の創造の業へ参与できたらと願っております。

2023年7月30日

「カインとアベル」
旧約 創世記4章1節~16節
新約 マタイによる福音書18章18~20節


 今日は、旧約聖書、創世記のカインとアベルの物語を取り上げました。カインとアベルは兄弟で、お兄さんがカイン、弟がアベルです。聖書に登場する最初の人間であるアダムとエバの子どもたちです。
 兄のカインは土を耕す者であり、畑を耕し、作物を育てる農耕を自分の仕事にしていました。弟のアベルは羊を飼う者、たくさんの羊たちの世話をして、野原で草を食べさせ、夜は囲いのある所に保護して守る、牧畜を仕事にしていました。
 ある時、二人は神にささげ物をすることになりました。カインは日頃育てている畑の実りを神にささげました。アベルは、いつも世話している羊の群れの中から肥えた初子をささげました。神は、アベルとそのささげ物に目を留めましたが、カインとそのささげ物には目を留めませんでした。カインは激しく怒って、神に対して、顔を伏せました。「神はどうしておこるのか?どうして顔を伏せるのか?と」問いかけますが、カインは答えませんでした。そして、弟のアベルを野原に誘い出し、襲って、殺してしまいます。
 聖書の中の、最初の兄弟なのに、兄が弟を殺すという悲惨な結末になるのです。
 
 神さまはなぜカインのささげものを顧みなかったのでしょうか?カインは兄ですから、弟の方だけが喜ばれて、立場がなかったでしょう。せめてなぜ、二人を公平に扱ってくれなかったのでしょうか?
 
 いくつかの説があります。
 日頃からカインは信仰心が薄く、生活にも不満を持っていた。あるいは、アベルは一番良いものをささげたが、カインは良いものを供え物にしなかったという説です。カインの性格や行動に問題があったという考え方です。
 また、物語の歴史的な背景があげられることがあります。ユダヤ民族は、もともとは牧畜を生業としていましたが、カナンに定住するようになってからは農耕が広がっていきます。次第に牧畜よりも、農耕に従事する人が増えていくのです。牧畜をしていたアベルが、農耕をしていたカインに殺されると言うのは、そんな歴史的な背景を表しているという説です。
 しかし、聖書にはそのような説明は何もありません。何故アベルが顧みられて、カインは顧みられなかったのか、この理由はわからないし、明らかにされていないのです。
 
 誠実に生きていても、災害で大きな被害にあうことがあります。良く生きていても、病気になることも、事故に遭うことあります。
 日頃の生活の中でも、一生懸命努力しても、報われないことがあります。自分ばかりに不幸がおこり、神さまは他の人を顧みて、私を顧みてくれない、と感じることもあります。
 カインも同じだったのではないでしょうか。台風や干ばつで、作物が大きな影響を受けても、牧畜を営むアベルの方はあまり影響を受けなかった、というようなことが続いたのかもしれません。それは誰のせいと言うわけではありません。
 しかし、しだいにカインはアベルに憎悪を向けるようになりました。アベルさえいなければと考えるようになり、アベルを殺してしまいました。でも、それでカインの問題が解決されるわけではなく、むしろもっと深い苦しみを背負って生きていくことになりました。
 カインは、いったいどうすればよかったのでしょうか?みなさんはどう思いますか?
 
 私は、今年久しぶりに学校で、中学3年の生徒たちと一緒に旧約聖書を学んでいます。
 このカインとアベルの物語も一緒に学びました。そして中3の生徒たちに「カインはどうすればよかったのだろうか?」と質問を投げかけました。グループで意見を交換し合い、まとめて発表してもらいました。一番多かった意見は「カインはもっと話し合えばよかったのではないか」という意見でした。「自分の苦しい気持ちを正直にアベルやあるいは家族に打ち明けて、相談してみればよかったのに」という意見です。なかなか良い意見ですよね。
 授業では、手掛かりとしてカインとアベルの物語をアニメにしたDVDを見ました。手塚治虫が書いた旧約聖書のマンガがあるのですが、それをアニメ化したものです。イタリア国営放送と、教文館と日テレが共同で作成したと言うもので、旧約聖書は、ほぼすべての物語がアニメになっています。一つのお話は25分くらいにまとまっていて、その中のカイントアベルを視聴しました。
 アニメでは話が少し脚色されていて、カインはいつも畑を一人で耕し、日照りの日や嵐の日でも、一人で畑を守って働いていました。アベルも羊の世話を一生懸命していますが、カインからすると、いつも羊を誘導する笛を吹いて、野原でのんびり過ごしているようにしか思えませんでした。アベルは優しい性格で、兄のカインを慕っていましたが、それも何だか腹立たしく、アベルの優しい笛の音を聞くたびに、アベルへの憎悪を募らせていくのです。アベルはいつも羊の肉を家族みんなに分けていましたが、カインは作物の一部だけを家族に渡し、あとは独り占めするようになりました。ひとりだけ良いものを食べても、何をしても、いつも不機嫌でした。そんなカインの供え物を神は喜ばなかった、という風に描かれていました。それはアニメの理解なので、聖書の物語とは少し違いますが、生徒たちはアニメを見ると考えやすかったようです。
 「カインも一人で大変そうだったから、アベルに手伝ってくれるように頼めばよかった。時には仕事を交換しても良かったのではないか。あるいは、畑の仕事も、牧畜の仕事も、アベルと一緒に二人でやれば良かったのではないか、とにかくまず話し合えばよかった」そんな意見が、生徒から出ました。
 生徒たちにはもう一つ質問をしました。「みんなカインのように不平等や不条理を感じる時がありますか?そんな時あなたはどう解決していますか?」という問いです。これもグループで話し合い、発表してもらいました。
 どんな意見が出たかというと、「姉妹でそんなに年は違わないのに、お小遣いに大きな差があって、不公平だ」「自分がやったのではないのに教師に勘違いされて叱られた。」「姉たちの機嫌が悪いと私は何もしてないのに八つ当たりされる」などです。
 どう解決したか?というのは、まずお小遣いの件は、「両親に訴えて、無事少し値上げしてもらえた」そうです。先生に他の人がやったことを勘違いして注意されたというのは「言い返すより、黙っていてやり過ごす方がめんどくさくないのでそうした」と言ってました。姉たちに八つ当たりされるというのは、「姉たちはおこると怖いので、自分は悪くないけど、とりあえずひたすら謝っておく」という事でした。それを聞いて、ええー?それは少し反論した方が良いのではないの?など、その時はいろいろな意見が飛び交いました。みんなの前で出す意見なので、深刻なものはあまり出せなかったでしょうが、生徒たちが日ごろ感じていることが話題になり、面白かったのです。
 そしてその時改めて思いました。生徒たちはカインには、もっと気持ちを正直に打ち明ければよかったのに」「兄弟で相談すればよかったのに」と言ってましたが、自分のこととなると「そんなことは言えない」「我慢した方いい」という意見が圧倒的に多かったのです。カインへのアドバイスと実際とは違うのですね。
 しかし考えてみると、「心を開いて話す」というのは、それほど簡単なことではありません。誤解されたと思うと、素直になれず、自分を閉じてしまいがちです。被害者意識が強くなると、誰かを恨んでしまうこともあります。自分自身を振り返っても、悩みが深い時ほど、素直に相談ができないものです。
 しかし、カインのように人を傷つけても、自分の問題は解決しません日頃から本当に信頼できる関係や、正直に話ができ、誠実に受け止めてくれる、そんな交わりを積み重ねていくことが大切なのだと感じました。
 
 聖書に戻りますが、創世記1章から11章には、カイントアベルの物語の後に、ノアの箱舟、バベルの塔、と有名な物語が続いています。これらの物語は、まだ神話の時代に属する物語であり、本当にあった歴史的な事実を伝えているわけではありません。歴史的な背景を持っている物語もありますが、むしろ神から人間への深いメッセージが語られているものです。
 旧約聖書のうち、最初の5つの書物、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は、モーセ5書と呼ばれています。ユダヤ教においては律法であり、最も大切にされている5つの書物です。この5つの書物は、主に4つの資料がもとになって編集されています。新約聖書は、マタイによる福音書はマタイ、と言うように、書物ごとに作者がわかるものが多いですが、旧約聖書はそうではありません。いくつかの資料がダイナミックに合わさり、編集されてできています。
 創世記は、その中の3つの資料が元になり、編集されています。紀元前9世紀にまとめられた「ヤハウェ文書」と言う資料、紀元前8世紀に北イスラエルで書かれた「エロヒスト文書」、紀元前6世紀ごろに書かれた「祭祀文書」、この3つの資料です。
 今日取り上げました、カインとアベルの物語は、その中でも最も古い、紀元前9世紀に書かれたヤハウェ資料に属する物語と考えられています。
 紀元前9世紀と言うと、随分昔のことで、その時代に生きていた人たちと、現代の私たちでは、感覚や考え方が違うのではないでしょうか?でもカインとアベルの物語を読んでいると、そうではないようです。カインが苦しんだ嫉妬や妬みの感情は、現代に生きる私たちにもよくわかるからです。人間は、紀元前の昔からそんな憎悪や負の感情をもって苦しんでいたのかと考えさせられます。
 
 カインがアベルを殺した後、神はカインに「お前の弟アベルは、どこにいるのか」と呼びかけました。「知りません」とアベルを殺したことを隠すカインに神は「何という事をしたのか。お前の弟の血が土の中から私に向かって叫んでいる。お前は呪われるものとなった」と告げています。「もう土を耕しても、お前のために作物は育たたない。お前は地上をさすらう者となる」とカインを追放しました。カインは「私の罪は重すぎて負いきれません。私に会う者は誰であれ、私を殺すでしょう」と言っています。昔のユダヤには「血の復讐の掟」という考えがあったようです。不当に殺された人の血をあがなうために復讐が許される、仇討のような制度でした。カインはそれを恐れたのです。しかし、神はカインに一つの印を付けて、カインが復讐されることがないように守りました。「人にしるし」というのは不思議に思いますが、これは、主に遊牧民の人たちがお守りとして付けたタトゥーを表しているのではないかと言われています。弟を殺すという大きな罪を犯したカインに、神は、追放はしても生き続けることを命じたのです。カインはやがてエデンの東、ノドの地に住み、結婚しました。カインの生きる道を神は備えられたのです。
 その後アダムとエバにはセトと言う男の子が生まれ、セトの子孫がノアの箱舟のノアに繋がっていきます。
 
 許されないと思うような大きな罪を犯したカインを追放しても、神はカインを守られました。その生きる道を導かれました。自分を顧みてくれなかったと思うことがあっても、本当は、いつも神はカインに目を留め、愛されていたのです。かたくなになってカインはそれに気づけなくなっていたのです。
 私たちは、誰かを憎んだり、傷つけてしまうことがあります。誰もが欠けてところを持って生きています。でも神さまは、そんな私たちを愛し、いつも「守っている。生き生きと生きなさい」と呼びかけて下さるのです。そのことに感謝し、神さまに心を向けることを忘れずに歩んでいくものでありたいです。そしてどんな時も、心を開いて、人を信じることや、受け入れ合って生きることを大切にしていきたいと思うのです。
 
 祈り
 愛する天の神さま、どんな時も、あなたがいつも守り、呼びかけて下さっていることに気が付くことができますように。そして、心を開いて、人を受け入れて歩む者としてください。この祈り、愛する主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。

2023年7月23日

「つながりに向かういやし」
詩編 51:12−21
ルカ 17:11−19


 他者とのつながりや関わりを持とうとするとき、私たちにとって、自尊心とか、プライドと呼ばれるようなものがどれほどの役割を持つだろうか、そもそもそのようなものが人間関係に必要なのだろうかと思うことがあります。
 そこに困り果て、途方に暮れている人がいたとします。彼を助け起こそうとする人は、むしろ自分のプライドなど捨てなければ、本当の意味で彼の隣人になるということはできないのではないかとも思うわけです。あのエルサレムからエリコへと下っていく道すがら。追い剥ぎに襲われ、半殺しの状態になっていたその人を助けたのは、祭司でもレビ人でもなく、ひとりのサマリア人でした。祭司たちは考えたのでしょう、自分たちには務めがある。神殿に仕える者として、血を流す者、ひょっとしたらもう死んでいるかもしれないその汚れた存在には触れるわけにいかない。そしてそう思ったから、その傷ついた人を見たのに、あたかも見なかったことにしてそこを通り過ぎていったのでした。そしてそんな彼らの代わりに、その男に手を差し伸べたのが、人々に疎まれていたサマリア人であった、というわけです。彼は、ただ、その倒れている人を見て、「憐れに思った」のだとルカ福音書は書きます。自分が何人だというのではない、ただの一介の人間として、その人の痛みを我がことのように胸が痛んだ。そしてそのようにただの人とただの人が出会うことで、隔ての壁は克服されていきました。
 実際、私が病室を訪ねていくときもそうだと思うのです。初めての時。まあ、何も名乗らない、自分が何者なのかを紹介することもしない、というわけには行かないので、半分仕方なく「病院の牧師です」と、そう言ってお話を始めるわけですけれども、間違っても、「臨床傾聴士です」だの「臨床スピリチュアルケア師です」だの「臨床宗教師です」などとはいわないのです。つまり、なにか、「ケアの専門家です」などと言わない。自信がないから、というわけではありません。うーむ、自信がないの、かもしれませんが、それが主な理由じゃない。それは、そもそも、「魂のいやし」というようなものは、専門的な技術によってとか、認定された資格などというものに寄ってではなくて、人が人とが出会い、対等なそのつながりを取り戻していく中でしか起きえないのではないかと思っているからです。ここに大野という人間がやってきた、そこから始まる関わりを大事にしたいと思うからです。
 しかし、そうだとすると、むしろ今度は、大野が大野であることの確からしさはやっぱり必要だと言うことになってくる気がします。客観的な、あるいは外在的な資格だの立場だというものは、関係をいびつにしてしまうけれど、やぱり、私たちには自尊心とか、自分をかけがえのない存在として受け入れる、自己肯定感のようなものを必要とするのでしょう。私たちは、自分が、きちんとここに生きていること、ここに存在していることの確からしさを持っていなければ、人と関わることなどできないだろうとも思うからです。
 
 この辺りのことについて、「ケア」というものを考え続けた哲学者のミルトン・メイヤロフは、自分自身への信頼感を、「自尊心」とか「プライド」と表現する代わりに「基本的確実性」という用語を用いることで、新しい地平を拓いているような気がします。看護学校で教科書のように用いられている「ケアの本質」という本の中で、彼はこう書きます。
 
 基本的な確実性というのは、岩にしがみついているような状態というよりも、世界に根をおろした状態といったほうが当たっている。(略)
≪今あることやこれから起こることについて、絶対的保証を得たい気持や、それらについて確信したい気持からむしろ卒業することを、基本的確実性(basic certainty)は求める。それどころか、もし基本的確実性が根本的な保証を含むと私たちが考えるならば、それは私たちが傷つくことも、また保証を得ようとする思い込みを捨て去ったりすることをも含むのである。≫
 
 もし「絶対に大丈夫だ」と思えるようなものを「プライド」と呼ぶとするなら、ケアの現場で必要とされるのは、そのような特権意識なのではありません。いやむしろ、これから下手をすれば却って不確実な状況に赴いていくことになるかもしれない、悩んだり苦しんだり、自分を信じられなくなったりするかもしれない、それでも自分は大丈夫だと思う確実性。それでもどっこい生きているというような根を下ろした確実性、そういうものだ、というのでしょう。「私が私として生きている、あるいは生かされている」というだけで確実に備えられているところの、生の意義、私が私である価値、そのものにまで意識を掘り下げていかなければならない、というのです。
 
 今日与えられている聖書の物語は、ひとりの人が、病の経験の中から解放されて、まさに新しい繋がりの中に招き入れられていく物語です。元患者たち。彼らはふれあいを取り戻していきます。しかし物語をやや複雑にしているのは、その患者たちの間にふたたび立ち上がってきたユダヤ人とサマリア人という関係です。病を抱えていたときには、等しく社会から押しやられた者として共同生活をしていたはずです。同じ場所で。癒された途端にその繋がりを失っていく。そんな残酷な物語進行を含みながら、一人のサマリア人が、本当の意味での新しい繋がりへと結び直されていくのです。ここには、「救い、というものための資格は何であるべきなのか」という究極的な問いかけが内包されているようです。順に読んでいくことにしたいと思います。ルカ福音書17章11節でした。
 
 11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。
 
 イエスの一行はエルサレムと向かっています。その終着点はゴルゴタの丘、ということになるでしょうか。傍目には、それは都へと凱旋する群れと映ったかもしれません。エルサレムには大神殿がそびえています。イエス自身も幼き日に、その庭で神の教えを語り合ったものでした。しかし、今、彼がエルサレムへと上っていくのは、最終的にその神殿の祭司たちにも疎まれ、最も神の民から追いやられた存在として十字架に掛かるためです。その未来を目指しつつ、彼は今、同じように人々から追いやられていた病の男たちに向かい、彼らには「祭司たちの所に行け」とお命じになるわけです。イエス自らは祭司たちにさえ受け入れられないものとなることを自覚されつつ、彼らの方をこそ民のうちへと帰しておやりになろうとされている。キリストの救いということを考えてみると、何か象徴的なことがここで起ころうとしていたようにも思います。
 さて、「ある村」とされているその地方に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「どうか憐れんでください」と叫んだ、といいます。
 この村では、ユダヤ人の患者とサマリア人の患者とが一緒に暮らしていたようです。これは、この「重い皮膚病」という病の状況を勘案しなければ、絶対にあり得ない光景だったことでしょう。なにしろこの両者は歴史的な経過からお互いに警戒し合っていましたし、特にユダヤ人の側からサマリア人を見る眼差しは軽蔑と侮蔑そのものだったからです。しかしひとたびその恐ろしい病にかかっていることが宣告されたなら、その人は今までの生活や周囲の人との温かな交わりを断たれて、町から追放されることになったわけです。「重い皮膚病」、それは単なる疾病であることを超えて、一種の宗教的な禁忌、タブーでした。だから、その病にかかると、神の共同体の構成員として社会生活を営む、その一切の保障を失うのです。もはや彼らはユダヤ人でもサマリア人でもなくなります。10人は等しく見捨てられた存在として、見捨てられたもの同士、なんとか支え合い、その村で命を紡いでいたのでしょう。
 イスラエルの律法は、彼らが健康な人と交わることを禁じていました。10人は、だから、イエスの一行が近づいて来たことを見取っても、そのそばに参ずることはできません。それで離れて、遠くから叫び声をあげたのでしょう。「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」。
 さて、この「憐れんでください」という言葉ですが、その意味は曖昧で、彼らが何を求めていたのか、今ひとつ具体性に欠けます。あるいは、金品をせびる願いであったかもしれない、とも思います。あるいはもっと、ただたんに彼ら自身もうどう具体的な願いを立てて良いのかも分からない、だけれども苦しいから、何とかしてくれ、という叫びであったかもしれない、とも思います。
 こういうこと、実は私たちも同じように経験しているように思うのです。もし神が私たちを救ってくると言うなら、今すぐにでもその元に近づいていきたい。けれども、神はあまりに遠くにおられ、心も体も、この世の力としがらみに遮られて、神の近さを味わうことができないように感じるのです。日々の生活にあって、私たちも、ただただ「神よ憐れんでください」と叫ぶばかりで、その実、本当は私たち自身、何を願い、どう祈れば良いのか分からなくなってしまっています。
 イエスは、そこにいる10人をご覧になります。その眼に至近距離で、しっかりとその姿を受けとめ、そしてただひと言おっしゃるのです。「祭司たちの所に行って、体を見せなさい」。
 この病は、医者の見立てに従うようなものではなかった、それは律法の規定として、確かにそうだったのでしょう。それはもはや宗教的な禁忌の問題であって、彼がその病にかかっているか、かかっていないのか、すなわち、神の民として礼拝共同体の構成員に認められるのか認められないのか、その判断が祭司たちに委ねられていた、ということだったわけです。しかし、私は、イエスがこうして「祭司たちに体を見せよ」と命じられたのには、もう少し踏み込んだ心があったように感じるのです。「体を見せよ」とは、ありのままのその姿を神の前に曝せ、ということです。人に疎まれ、退けられ、蔑まれてきた体。その苦悩の歴史が刻まれているその体。彼らには神に献げるべき生け贄の財産はなかったかもしれない。しかし、その体をそのままで、聖なる生ける生け贄として神に見せよと命じられたのではなかったか。そう思うと、それは、これからイエス自身が歩んでいこうとされる道に重なってくるようにも感じられるのではないでしょうか。
 15節です。
 
 15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
 
 祭司たちの所へと向かった10人。彼らは、その道中で体がいやされます。そしてその中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながらイエスの許に戻ってきた、というのでした。彼は「イエスの足もとにひれ伏して感謝した」といいます。先ほどまでは、イエスの許に近づく、ましてその体に触れるなどと言うことは考えられないことだったはずです。彼こそは、その病が癒されると言うことがどういうことであるのかをはっきり味わうことになった人物だったでしょう。それは人とのふれあい、関わり合いを取り戻すと言うことであり、他者との関係性の中で、自分が独自の、唯一無二の人格を神から与えられた一人の人間であるということを認められていくように回復すると言うことであったのでした。イエスの足もとにひれ伏したこの人。この人はまさに人間となったわけです。s
 
 何度か、皆さんにお話ししたこともあったかもしれません。ネパールで、ハンセン病の病院に行ったときのことです。手術の様子を見学させていただきました。ハンセン病は神経がらい菌に冒されていく病ですね。それは、機能しなくなってしまった手の指の腱を取り除いて、代わりに、別の健全な指の腱を割いて移植するという手術でした。25歳の男性の患者さん。手術が終わると、執刀医の先生が、彼にこう言ったのです。「これで君もナマステができるよ」。
 ネパール語でのあいさつの言葉が「ナマステ」ですね。「おはよう」も「こんにちは」も「こんばんは」も「ナマステ」です。そして「ナマステ」というときに、こうして手を合わせてあいさつするのです。その患者さんは今までは、手の指が拘縮してしまっているので、「ナマステ」ができなかった。人と会っても、きちんとあいさつすることができなかったわけです。これが意味することは大きかったでしょう。「ナマステ」の瞬間から、差別が始まってしまうことだってあった。
 「これで君もナマステができるよ」。その手術は、ただ単に、手の機能を取り戻す、ということだけであったのではなくて、人との関わり合い、出会いの場、繋がりを取り戻すと言うことであった、ふれあいと温もりを取り戻すことであった、そう思うと、心が震えるような場面でした。
 
 10人の内、9人は、イエスの許に戻ってくることなく、その場を去って行ってしまいました。彼らは、自分たちの祭司のところへ出向いて行って、その体を見せたことでしょう。そして、ユダヤ人としての身分を取り戻し、ユダヤ教の神殿に参拝する資格を手に入れ、その自尊心もプライドも生活の保障も再び手中に収めたのではなかったか、そうも思います。
 でも、彼らはイエスのところに戻っては来なかった、わけでした。イエスとのふれあいを求めることはなかった、というのです。彼らは、彼らの「制度」に乗っかり、「清い」と宣言されることを優先してしまったのでしょう。
 サマリア人は、そういうわけにいかなかったのかもしれません。そもそも、サマリア人がユダヤ人の祭司たちの所に行くことは意味をなしません。彼は「重い皮膚病の人」から、「サマリア人」に戻っただけで、その共同体に受け入れられることはなかったでしょう。ここに、両者の違いが立ち上がっています。
 サマリア人は、イエスという人の人格にふれ、人と人が本来は触れ合って生きていくべきものだという原点に立ち合わされます。そして彼は、自分自身の深い生の意義に根を下ろし、その基本的確実性に立ち返っています。そしてその確実性から、新しい旅立ちへと誘われるのです。19節。
 
 19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
 
 「立ち上がって」、それは、「復活して」と訳しても良い言葉です。復活。それはいのちにあずかることです。神が彼を生かし、愛しているという事実に出会うと言うことです。彼はこれからの人生を、ただたんに制度や資格、身分によって補償を求める生き方、そんなものを選び取ることはないでしょう。それからは解放されて、しかし、今苦しみの中に生きている人々を見つめ、その人々のために神がどれほど心を痛めているかを知って、神の愛を証しする生き方を選びとっていくことになるはずです。このサマリア人が選んだ生き方が、私たちにも示されています。この道を、私たちが生きていくことができるなら、それこそ、本当の幸いと呼びうるのではないか、そう思うのです。

2023年7月16日

「泣いてくれる友」
使徒言行録20章:17~38節


 新約聖書の記録を読みますと、当時の世界、地中海一体を広く旅しながら、多くの教会を立て、また本当に多くの人々にイエス・キリストの出来事をのべ伝えていった人物でありますパウロの歩みというものを知ることができます。
 新約聖書を読むとき、大伝道者パウロと呼ばれるゆえんが分かります。パウロという人物は、ダマスコというところで、復活のイエス・キリストに出会ったと言われています。そこで、パウロは回心し、イエス・キリストの出来事をのべ伝える伝道者となりました。この復活のイエスに出会うまでのパウロは、サウロと呼ばれており、熱心なユダヤ教徒でありました。熱心さのあまり、彼はキリスト教徒を迫害していました。そのキリスト教徒を迫害していたパウロが、180度も転回して、キリスト教徒となったばかりか、キリスト教の伝道者となっていたのです。パウロは実に三度も伝道旅行に出かけ、新約聖書の告げます大伝道者となっていきました。
 今日の箇所はそんな伝道旅行の終わりの部分を記しています。自分は、エルサレムへと戻り、そしてそこで逮捕されてしまうだろう、ローマへと送られてしまう、自分の身に一大事が起こることを彼は知っており、そのうえでエフェソというところの教会に集う人々の前で、別れの説教をしているのです。
 パウロはエフェソの教会員の前で、自分がこれまで歩んできて起こった様々な事柄を語ります。過去エフェソのみんなと涙を流したこと、また自分をつけねらうユダヤ教徒らの陰謀などなどです。パウロのこれまでの歩みも、それは決してゆうゆうたるものではなかったのです。
 パウロは過去、現在、そしてこれから起こる未来の事柄を語っています。未来に起こることは、これまで以上に困難なことが待ち受けています。私たちはこのようなパウロの姿を読み、パウロの姿を思い浮かべながらどのように、自分自身のこととして受けとめることができるでしょうか?私たちの人生のその先は誰にも分かりません。分からないから、心配だといえますが、分からないからこそ、私たちは未来へ向かって歩めるのかも知れません。
 もし、仮にパウロのように「あなたの未来には、これまで以上に苦しい出来事が待っている」などど告げられたとしたら、どうでしょうか?とても冷静ではいられません。その未来へなど目を向けられません。どうにかして逃げようと考えてしまいます。
 運命とか宿命という言葉はあまり使いたくないのですが、運命という言葉を国語辞典で調べてみますと、運命とは、めぐりあわせ、あるいは人の身に起こる幸福や不幸、災害のことであると説明されています。それはいつ起こるか分からないこと、だから私たちはそれを運命であるとか宿命であるとか理解しているわけです。
 私たちの人生、もしくは生活の歩みの上で、確かに何か突然としか説明できない様々なことが起こります。自分の力ではどうすることもできないようなことが起こります。
 私たち人間が生まれ育ち、そしていずれの日にか息を引き取ります。それは誰であっても分かりませんし、一人一人が違った人生を歩みます。しかし、そのような事が分かってはいても、理解していても、突然のように自分を襲う出来事の前ではただただ立ちすくんでしまいます。誰もが怖じ気付いてしまうことでしょう。
 皆さんはこの聖書の箇所をお読みになられてどのようにお感じになったでしょうか?とてもパウロのようにはなれない、聖書とか宗教は強い人間ばかりを告げているから、とても受け入れられないとお感じになったのではないでしょうか?私自身、このパウロの強さは何なのかといつも首をかしげてしまいます。
 旧約聖書に「いにしえの神は、難をさける場所、とこしえのみ腕がそれを支える」(申命記33:27)という言葉があります。私たちはいつも困難や苦しいことに自分だけで立ち向かっていかなくてはならないと考えてしまいます。また一人だけだと思いこんでしまいます。しかし、パウロは自分の身におこることを、その苦しいことを通して、そこに神様が共にいてくださり、支えて下さることを語っているのではないでしょうか?
 それを今日の聖書の箇所は信仰を得た者が、従い行く姿として記しています。けれども、皆さん、キリスト教の信仰とは、聖書の語ります信じる姿とは、決して目の前の大きな問題をすぐに解決できるものとして語ってはいません。困難をさけることができるとか、絶望的な苦しみに出会わないとかそのようなことを語ってはいません。新興宗教のように、御利益的な教えはなされていません。現実の苦しみは現実のこととして、かわりありません。これはまことに厳しいことかも知れません。
 困難は避けられない、苦しみのない歩みはできない、しかし聖書の語りますところは、人間はその中を、それでもなお歩むことができる、再び立ち上がることができる、ということを示しているのです。どうして、歩み出すことができるのでしょうか?言葉では言い表されないほどの苦しみ、目を背けたくなるような辛さ、考えたくもない悲しみ、そのことの中をどうして歩むことができるのでしょうか?
 それは、パウロを中心として、エフェソというところを去る者と、それを見送るという人々の姿です。36節ですが、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。そのあとに、人々は激しく泣いたとあります。
 私は、これが人間にとっての神の支えであると思います。神様のみ手の内に包まれていることだと示されます。私たちは、困難へと一人で向かわねばならないと思いこんでいます。しかし、信仰を得るということは、その困難の中に向かう自分を激しくないてくれる友がいることに気づく事なのです。また、信仰を得るということは苦しむ友のために、涙を流すことへと促されることでもあるのです。
 送られる者、送る者共々に神の手の中にあることを思わされます。そして、聖書の語りますこの人々の輪の只中にこそイエス・キリストが共にいて下さり、この涙こそが、実は神の涙であることに気づかされます 
 最後にもう一度、今日の聖書の言葉をお読みしたいと思います。「受けるよりは与える方が幸いである」、優しい心、溢れる程の愛、いつくしみの涙が交換される、そんなお互いでありたいと思います。キリストが共にいて下さるお互いでありたいと思うのです。パウロ達の涙は、きっとキリストと共なる、そんな涙であったことでしょう。

2023年7月9日

「イエスに包まれる」
一コリント十五章五〇~五八節


 
 マーチン・ルーサー・キング牧師の連れ合いであるコレッタさんが、ちょうど三十五年前に来日され、講演をされました。コレッタさんが、講演の度に語られていたのは、生前のキング牧師の言葉でした。「敵を愛してごらんなさい。そうしたら憎悪しか返ってきません。何か報酬があるわけではありません。ただ憎悪だけが返ってくるのです。でも私たちは、それでも神様からの愛をいただいて、その敵を愛していくのです」。コレッタさんが、キング牧師の言葉を変わらず胸に刻み込んでいるのは、神の、イエスの愛を固く信じ、望み見ているからなのでしょう。そんなイエスを通して示された神の愛は、私たちが完全な者になったら与えられるものではありません。
 マタイによる福音書五章四八節、山上の説教の一句に「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」という有名な言葉があります。私たちは、クリスチャンは完全な者になければならないと思い込んでしまいます。ところが、ギリシャ語の原文では「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となるだろう」と未来形で表現されています。「なりなさい」という命令形ではなく、原文では「なるだろう」という未来形になっています。神の愛が限りなく注がれていることに気づく時、その愛を人に示していく、そういう者になるだろうとイエスは言われているのです。私たちは自分が完全な者にならないと愛されないとか、愛せないではなく、神に愛されているから赦されているから、人は徐々に、少しずつでも完全な者に近づいていくと、そうイエスは語られているのです。
 さて、パウロは「朽ちないものを着る。死なないものを着る」と表現しています。パウロは「脱ぐ」ではなく「着る、まとう」と云っています。これは仏教の「悟り」や「解脱(げだつ)」の思想とは全く違います。この聖書の背後にあるコリント教会では、この「脱ぐ」ということを一生懸命に主張していた人々がいたようです。人間の悪しき部分や良くない部分を脱いで純粋な者になるということを盛んに進めていた人々がいました。それに対してパウロは、悪しき部分や良くない部分を脱ぎ捨てるのではなくて、そのままにキリストを着るのだと反論します。私たち人間が自らの修行によって「解脱(げだつ)」し、悪しき部分を脱ぎ捨てるから神に認められるのではありません。純粋な者だから神は愛を注がれるのでもありません。実にダメで、罪ばかり犯して、弱い私たちだからこそ、神はそのままにイエスという着物で包み込んで下さるのです。イエスという着物で包み込んで下さるからこそ、少しずつ変えられていくことをパウロも語っているのです。
 ある教会にAさんというクリスチャンの方がいらっしゃいました。すでに亡くなられているのですが、亡くなる3ヶ月前から日記を書き残されました。家族のこと、友人のこと、自分のこと、信仰のことなど様々なことが書き残されました。それが後に遺稿集として出版されました。神の愛に満たされ、死の不安をも突き破っていく信仰の証集です。ところが「その本に書かれていることは全て偽りだ」と云う人が現れました。Aさんの妹さんでした。妹さんはAさんが結婚されてから、一時期、一緒に暮らしたことがあるそうです。妹さん曰く、「姉夫婦はいつも喧嘩ばかりで、本にはきれいごとが書いてあるが、現実の生活は全く逆だった。だからクリスチャンは信用できない。信じられない」とのこと。実生活の裏の姿を知る妹さんにとって、信仰者としての表の姿は偽りの姿と映ったのでしょう。
 ところが「クリスチャンは信用できない。信じられない」と云っていた妹さんが数年後に教会で洗礼を受けられました。「姉が書いた本の中身が全て本当だとは思わないが、醜さや弱さの中でも、姉のようにすばらしい生き方が出来ること」に気づかされたそうです。人間は不完全さの中でこそ、神に愛され、生かされていることに気づかされ、妹さんは信仰に導かれ、洗礼を受けられたそうです。
 神が私たちを愛して下さるのは、私たちが完全で純粋であるからではありません。むしろ私たちの不完全な部分、私たちの心の奥底に秘めてある闇の部分をも、神はそのままに包み込んで下さるのです。そのことをパウロはキリストを着ると表現しているのです。
 取るに足りない歩みかも知れません。あまり見栄えのしない姿かも知れません。しかし小さな私たちの歩みに働いて下さっている神を信じつつ、歩んでいきたいと思うのです。イエスという衣に包まれて、神に喜ばれる存在へと変えられることを祈り願いたいと思います。

2023年7月2日

「躍動する信仰」  
マルコによる福音書10章46~52節


 イエスの時代、当時のイスラエルの人々にとって「上着」はとても大切なものであったようです。上着は礼服であり年長の者に会たり、神殿に行く時の必需品でありました。穴を空けて、頭から被るもの、あるいは、二枚の毛布を合わせるもの、袖のあるもの、ないもの、だぶだぶで帯の使用を必要とするものなど、様々なものがあります。ポンチョのようなものから、着物風のものなどを想像したほうが似ているのかも知れません。
 旧約聖書には、負債者が担保として自分の上着を差し出しても、上着を取った者は夕方にはそれを必ず返さなければならないという人道的な規定もあります(出エジプト22:25、申命記24:12など)。これらの律法規定のように、上着は寝る時の毛布になり、野宿の時の寝袋になり、馬や驢馬の鞍の敷物になったり、時には風呂敷にもなったりしたそうです。「イエスのエルサレム入場の物語」のように尊い人を迎えるための敷物として上着が使われる記述もあります。このように、上着は単なる衣服の役割だけでなく、様々な用途があり、特に貧しい者にとって、上着とは唯一の財産であり、生活を支える術でもあったようです。
 今日のマルコ福音書10章46節以降の物語は、目の不自由なバルティマイの病気を治す「癒しの奇跡物語」です。マルコ福音書では一番最後に出てくる癒しの物語です。この後、エルサレムでのイエスの受難の物語が続いていきますが、イエスの十字架の死が迫る中でこの物語が描かれていきます。しかも、この物語の前には、己の立身出世を求める「ヤコブとヨハネの願いの物語」がありますが、36節の「何をしてほしいか」とのイエスの問いかけは、51節の言葉と対比され、マルコ福音書の文脈では、イエスのバルティマイへの関わりこそ弟子の歩み方であることを示しています。
 それと共に、この物語はイエスによって憐れまれ、招かれ、癒され、受け入れられた者の喜びの姿が、豊かに描かれている物語でもあります。それが、バルティマイの「上着を脱ぎ捨て、踊り上がってイエスのところに来た。」(50節)との描写です。上着は生活必需品です。彼は施し物を受けるためにおそらく上着を地面に広げていたはずです。彼の唯一の財産であった上着は、彼が今日の糧を得る、唯一の生命線でもありました。ところが、バルテイマイは、その上着を脱ぎ捨てていくのです。イエスの許に行くことにおいては、上着はもはや彼にとっては、二義的なものにすぎなくなっていくのです。それは次の様にも表現できるかと思います。己を成り立たせていたものを捨てて、イエスの招きをこそ第一に生きること、自分第一主義から神を、他者を第一にする生き方への転換かも知れません。
 この物語は「招き癒すイエス」と「憐れみを請う者」との関係にある躍動感を覚えます。応答関係による人生の飛躍や命がぶつかり合う響きを感じます。それは、現代に生きる私たちが、どんなに多くのものに固執し、様々なものに依存し、がんじがらめになって生きているか、あるいは惜しむ心から「放つ時」「捨てる時」を逃し、イエスと歩むに必要な信仰の根源的ものを失っていないかとの問いかけともなっています。
 そのことと関連して、旧約聖書の創世記12章から始まるアブラハムの神からの召命と旅する物語があります。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」という神の呼びかけに従って、土地を捨て、財産を捨て、何よりも思いで深い故郷と人々を後に、アブラハムは旅立ちます。聖書に従うとアブラハムが旅立ったのは、なんと75歳の時でした。
 私達は、とかく安定を考え、財産や生活の保障にばかり心が向いてしまいます。勿論、悪いことではありません。しかし同時に私達は、未来への自由な飛躍や展望を心がける、開かれた視座も必要なのではないでしょうか。思えば、イエスも故郷ナザレを後に旅立っています。イエスに招かれた弟子達は、ガリラヤの漁師であることを捨てて、イエスに従いました。アブラハムは神の招きを第一として、新しく旅立つことが大切だということを示しました。
 日本語に「出会い」という言葉があります。「出会い」とは、「出て行って、会う」ということです。自分だけの、自分だけを成り立たせている狭い殻から出て行って、心を開いて人と会うことが出会いです。何もせずに待っていても出会いはありません。「出会い」とは、簡単に思えて、とても深く、含蓄のある言葉だと思います。
 バルテマイは、イエスとの出会いの為に、己を成り立たせていた唯一の上着を脱ぎ捨て、躍り上がるように、飛び上がるように、イエスと会うために自ら向かって行きました。そしてイエスは応えられました。「私イエスが、あなたを救おう」ではなく、「あなたの信仰があなたを救った」。更に、バルテイマイはイエスに従った、イエスと共に歩み始めたということです。
 ここには、神の救いの何たるかが秘められています。それは、神の憐れみと愛が限りなく注がれている人間を、神の愛する命が脈打つ人間を、更に祝され、豊かに躍動させる神の招き、それに会うために自らが殻を脱ぎ捨て、出て行くことこそが、神との共なる第一歩だということです。
 イエスの憐れみを覚えつつ、自分の足元にまとわりつく自己保身や自己中心的なものがあるならば、時に脱ぎ捨てていくことも大切です。「捨てるに時あり」「放つに時あり」、人生の時を見定めて、躍動する信仰の営みをこそ求めていきたいと思うのです。

2023年6月25日

「主は呼ばれる」
ヨハネによる福音書1章35~51節


 今朝の聖書の箇所は、何かぎこちない流れの中でイエスに従う人々や弟子の姿を告げています。例えばイエス・キリストが病人を治したりする奇跡を、今、目の前で行ったのであれば、なんとなく従ってゆくことも理解できます。しかし、聖書は従ってゆく弟子達が、イエスを見たとか、一言二言会話を交わしたことくらいしか記していません。それなのに、従ってゆくことには、何か不自然さを感ぜざるを得ません。
 この出来事の初めに、38節の言葉ですが「何を求めているのか」とのイエスの問いかけがあります。さて、私たちは何を求めているのでしょうか?。一人目の者はイエスをラビ、当時の言葉で先生、つまり知恵や教訓を教えてくれる人物と見ています。彼は知恵を求めていたのでしょう。当時の社会でよりよく生きるための処世術でも教わろうと考えていたのでしょうか。
 その後、出会ったナタナエルという人物は、イエスを「ナザレから何か良いものがでるだろうか」と見ています。ナザレという村はイエスの育ったところで、貧しく小さな村でした。また人々からは低いものとして見られていたところです。「何か良いものが出るだろうか」とは、見下している表現です。彼はその後のイエスとの会話の中でイエスと出会う前に自分のしていたことを告げられビックリ仰天、180度イエスの見方を変えて「神の子です。王です。」と答えています。不思議なこと、驚くべきこと、つまり自分にはできないすごいことを行うことによって見直すという態度をとります。これは自分より優れた者、力のある者、貧しさではなく豊かさ、つねにそういうことを追い求めていることの裏返しではないでしょうか。私達誰もが持っている、心の奥底にある、力への、優れたことへの願望ではないかと思います。
 私たちは何を求めているのでしょうか?知恵でしょうか。力でしょうか。快適さや便利さでしょうか。誰でも生きてゆくとき、安住ということ、安心して、安全に、よりよく暮らしたいと思います。誰もが、それを求めます。しかし、求めているものが、気づかぬ内に自分の安定、それのみになってはいないでしょうか。いつしか、「自分の」となり「自分だけの」と限定されていってはいないでしょうか。
 話は変わりますがアフリカには少数民族で形成される部族単位の集まりが多くあります。アフリカに限ったことではないと思いますが、こうした少数部族は家族だけではなく、仲間に不幸があったり、病気になったりすると共に悲しみ痛むという風習があります。以前、本で読んだことがあるのですが、不幸があると部族の皆が、不幸のあった者の家に集まり、自分の体をワザと痛めて、仲間の、家族の悲しみや痛みを分かつといいます。病気になっても同様だということです。
 私たちはアフリカなどの風習をバカバカしいと思いますが、今、私達の営む社会の中に、そのような他者の痛みを分かつというあり方が、果たして見られるでしょうか?アフリカの少数民族の姿は、最も大切な共に生きるという根本的なものを失った私たちに問いかけてくるものであるともいえます。自分の利潤や快適さを求める歩みは、人とすれ違って行く、しかも自分の方から、遠ざかっている私たちのあり方ではないでしょうか。
 そんな私たちの心と振る舞いにイエスは「何を求めているのか」と問いかけています。そして神の問いかけは、問いかけっぱなしではなく、一つ屋根の下で一緒に泊まるという出来事が続いています。泊まるという言葉は、留まるという元々の意味をもっています。神の問いはなされ、その人の現実のただ中に、イエスが一緒に留まって下さっているということを告げています。
 更に、聖書はイエスがと留まって下さった出来事が「午後4時」であったと特定の時刻を記しています。今朝、特に注目したいのが、この特定の時刻です。「午後4時」というのは、私たちの歩みが刻む一刻一刻の生きたしるしです。命のが刻まれる一瞬一瞬です。人間の現実的な空間を現し、生活の場を意味するものです。午後4時は、たそがれの時であります。いわば、すでに一日の大半を過ごしてしまった、その時であります。ある方は、午後4時に、人の一生の後半を想像されるでしょうし、また、ある方は人との関係を思い起こし、その人との歩んできた道のりを重ねることでしょう。またある方は、取り組んでいる物事の総仕上げの残り一時間を思い起こすでしょう。皆さん、それぞれの生活、歩みにこの午後4時を、当てはめて頂きたいと思います。すると、自分にとっての良い教えだけを求めてイエスをラビと呼んだヨハネの弟子達、ナザレから良いものが出るだろうかと、人を見下す歩みをしてきたナタナエルは、午後4時まで、どんな歩みを繰り返してきたのでしょうか。聖書の告げる午後4時、そこに自らの歩みを振り返りつつ、私達は何をして過ごしてきたかを振り返りたいと思います。
 大切な何かを見失い歩んできてはいないでしょうか。誰もがそれぞれの午後4時を思い浮かべるとき、ああすればよかった、こうすれば良かった、そんな後悔と破れ、弱さ、また痛みを感ずるのでないでしょうか。
 しかしそこに、神が声をかけ、イエスが近寄って来て下さり、そんな私達に出会って下さる、私達を招き共に留まって下さる、それは、午後4時までに私達が背負ってきた様々な事ごとを、イエスが背負い、赦して下さるための、午後4時の出会いではないでしょうか。私達の苦しみ過ごしたその時を、身に一つ一つと刻まれる、そんなイエスが描かれているのではないでしょうか。イエスの十字架のキズとは、私達の過ごしてきた事ごとが刻まれている、そんなキズではないでしょうか。聖書に自らを重ね、午後4時までの自らの歩みを思い起こすとき、すでに私達には、私達を呼んで下さっている神の声がかけられていることに気づかされてゆきます。
 主が私たちの人生で刻まれる一刻一刻に留まって下さっています。主の呼ばわる招きの声に自らを委ね、従う時、私たちは失った何かを見いだし、イエスの導きによって「もっと偉大なこと」へと神の救いの業の中に包まれてゆくのではないでしょうか。留まられる主との出会いに気づかせて下さい、そんな祈りを合わせいと思います。

2023年6月18日

「キリストの手と足」
詩編63篇1~9節


 ダビデという人物は古代イスラエル王国の最盛期の王であります。彼は王位に付く前、若い時に、サウルという前任の王の嫉妬を買い、命を狙われます。若いダビデはまだ王に対抗するだけの力はありません。彼を狙う暗殺者、軍勢に追われて、必死になって逃亡生活を送りました。命を狙われていたころの若いダビデが、荒野でその追いつめられた自分自身を歌った歌が詩編の63編です。
 この詩の中で表現されております「魂の渇き」「水のない乾ききった大地」という言葉に、ダビデの生命が待ったなしという状況に置かれていることが理解できます。また「捜し求める。渇き求める」という言葉は本来「見えなくなってしまった」状況や「暗くなってしまった」状況を表現するようです。追いつめられた中で、救いや希望、道が見えなくなってしまった、恐怖と苦しみという暗闇に覆われてしまったということでしょう。
 渇くという言葉は喉が渇くとか、大地が渇くとかいう意味で使用されていますが、聖書では命、潤いの水、生きる力という意味で用いられています。生きる希望を失うこと、生きる意味が見えなくなること、暗闇にさまようことなどが渇くということです。
 信仰生活を送っていても、時に渇くことがございます。例えば祈れなくなった時や人を許せなくなった時であると思います。そのような時、必ず神への信頼が欠けていることに、後から気づかされたりします。神への不信が自分の中に潜んでいることに、ハッとさせられます。結局はいつも後から気づかされるのですが、自分の力で生きなければならないという傲慢さや、あの人は気づいてくれないとか、受け入れてくれないだろうと、勝手に諦めている自分があります。イエスを自分自身の救い主であると口で告白しつつも、これらの思いの交錯が、私たちの日常ではないでしょうか。その意味でも、立ち返ってゆくことの大切さを、いつも思わされます。
 また63編の1節でダビデが荒野にいたことが告げられています。聖書の昔、荒野は何もないところ、孤独、寂しさ、苦しみ、また命の無いところ、死を意味する場所でした。ダビデは荒野という死がまつだけの場所にいたのです。孤独と寂しさの中で、ダビデは時代、国、そして人々から捨てられたという体験をしているのです。
 しかし、詩編の63編は3節から一変して喜びの詩に変わっています。これは一体どうしたことでしょうか。ダビデに何があったのでしょうか。彼は一体何を感じ、何に支えられたのでしょうか?新約聖書、ヨハネによる福音書にイエスの十字架の死の場面がございます。これは、ヨハン・セバスチャン・バッハの「ヨハネ受難曲」の中でも歌われていますが、十字架上のイエスが「渇く」と言いました。そして息を引き取る時に「成し遂げられた」と言いました。神の御子は私たちの救いのためにこの世に生まれ、救いのために十字架についたと聖書は語り、それをキリスト教会では信じています。救いのためにイエスは苦しみ、十字架で渇ききって、私たち一人一人の救いを「成し遂げられた」と、そうヨハネによる福音書は告げているのです。
 実はここにこそ、ダビデとそして我らと共に生きたもう神の姿があるのです。イエスは新約聖書によりますと十字架上での苦しみが絶頂に達した時、突如として、イエス自身の祈りが聞かれなかったことに叫びをあげました。人々に見捨てられただけでなく、神にも見捨てられたかのように「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫びました。イエスは苦しみと痛みの中で、孤独と命が終わろうとする絶望の中で、祈りと救いとに渇ききったのです。この十字架こそが私たちを愛するがゆえに、神が死の中に、自ら望んで入ってきて下さったということなのです。
 ポール・ブラントという人物をご紹介したいと思います。彼は医者であり、インドのベロールというところでハンセン病患者のために一生を捧げた人です。ベロールの町の人々は、病気にかかった人たちを町の外へ追い出し隔離していました。始め、ポール・ブラントがこの町へやって来たとき、隔離されていた患者も皆、彼の顔を見るとすぐに、遠くへ逃げてしまい、医師達はいつも避けられていました。
 しばらく、いえ何年かしてようやく、近づけるようになり会話を交わすようになり、やっと親しくなってまいりました。ある時、患者が何かお話をして欲しいというので、ポール・ブラントはしばらく考えました。適当な話が浮かばないので、彼は、自分の目の前にいる患者達を見渡しました。彼の目は患者の手や足に止まりました。指のない手や、手足が途中までしかない者、皆が病のために、それを隠していました。 ポール・ブラントは、静かに話し始めました。「私は外科医です。私はここへ来て、皆さんの手や足を見ました。皆さん、病気のためにとても痛々しい手や足をしています。始めは、私も目を背けようとしました。しかし、今、私は皆さんの手や足を愛しています。私はここで、キリストと出会い、キリストの手について学ぶ機会を与えられたからです。なぜなら、私はキリストの手に触れる機会を与えられたからです。」
 ポール・ブラントは患者の手に神の手が重ねられていることを語っています。患者の手、それは人々から見放され、差別を受け、希望も光も愛も奪われたという印です。しかしそれはクギで打ち抜かれた、十字架上のイエスの手であることを告げているのです。イエスの十字架は人間の苦難に対する神御自身の応答なのです。神がその者達と共におられると言う宣言なのです。
 ダビデの乾きは、神の乾きです。ダビデの苦しみは神の苦しみなのです。見失っていた神の存在に、イエスを通して気づくとき、私たちは私たちの側にいつもいて下さる主イエスに、自らの苦しみと痛みをこそ、見るのではないでしょうか。離れずにいつもいて下さった主イエスに気づくのではないでしょうか。その時、喜びの詩を奏でる人生へと私たちは導かれていくのではないでしょうか。

2023年6月11日

「今、霊に生かされて」
ヨハネ福音書 3:1−15


 先週私たちは、ペンテコステ、聖霊降臨の日の礼拝を守りました。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ」て、「彼らが座っていた家中に響いた」というあの出来事でした。そして、それから、炎のような舌が分かれ分かれに顕れて、一人一人の上にとどまったというわけです。よく間違えられるのですが、「舌のような炎」ではなくて、「炎のような舌ベラ」というちょっとグロテスクな話です。それが「人々の頭の上に現れた」というのですから気味が悪いのですが、それが聖霊、つまり神からの霊であった、という使徒言行録の記述でした。そして霊を受けると、人々はいろんな国の言葉で話し出したわけです。パルティア、メディア、エラム、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、リビアにローマ、クレタ、アラビア。その場所にはいろんな言葉を母語とする人たちが集まっていたのに、使徒たちは突然、彼らに理解できる言葉によってそれぞれ語り出した、という訳です。それは、今まで人目を避けるようにしていた弟子たち、これからどうやって生きていったら良いのかと恐怖を抱いていた弟子たちが、新たな一歩を踏み出していった、恐怖は横に置いておいて、この世界に堂々と向き合っていくことができるようになった、そんな出来事であったといってもよいのだろうと思います。
 考えて見れば、この聖霊降臨の出来事は、それを遡る10日前、イエス・キリストが天に昇っていった、というその物語とともにすでに開始されていた天の働きだったように思います。復活から40日の間、イエスは弟子たちと共に地上の歩みを再び送ったわけでしたが、果たしてイエスは、それからずっと彼らの目に見える形で弟子たちと一緒にいてくださるようになったわけではなかった。弟子たちからしたら、「ああ自分たちは結局取り残されてしまった」と、そう思うようなことであったかも知れないと思います。弟子たちは、それでそのときは、名残惜しくイエスが天に昇って行かれるその姿を、ずっと見送っていたわけでしたし、見えなくなった後も、その天を仰いたのでした。そして、天使たちの声を聴いたのでした。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。それは、「天を見上げるだけで終わってはならないんだよ。視線をもう一度この地上に向けなさい。あなたたちが立っているこの大地で、どれほど神は豊かに働いているかを見なさい。ほら、キリストは今、あなたたちと共にいるではないか」という、まさにそういう宣言だったのだろうと思うのです。そしてこの「なぜ天を見上げているのか」「さあ視線を天から、再び地上に移せ」ということ、そして「大地の声、共に生きる隣人の声を聞け」ということが、教会の働きとして、ペンテコステの日に始められていくように備えられたのです。
 さて、こうして、今日は父・子・聖霊、と三役そろい踏みいたしまして、三位一体の主日を迎えています。天地の造り主なる父によって命が与えられ、子なるキリストによって罪が赦され、聖霊なる導き主によって力を与えられていく。伝統的に、この日の礼拝には、ヨハネによる福音書3章1節以下が選ばれてきました。
ニコデモ、という一人のユダヤ人議員とイエスの対話の場面でした。「人は新しく神の霊によって生まれ変わらなければならない」という、その語りかけの場面です。ヨハネ福音書3章1節以下です。
 
さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
 
 「ファリサイ派」のニコデモでした。「ファリサイ派」が、どんな一派だったのかの説明には、同時代に活躍した「サドカイ派」との対比がなされます。「サドカイ派」はというと、彼らは神殿祭司たちを中心に勢力を持った一派でした。彼らは旧約聖書のモーセ五書、トーラーとよばれる律法の書だけを大事にしていて、どこか特権階級的な臭いを持っています。体制追随型で親ローマ帝国の立場を取り、神殿儀礼を重んずるという貴族的な人たちです。それに対しての「ファリサイ派」です。彼らは、大衆運動的な感覚を持っていた人たちでした。書かれた文字としての律法、特権階級だけが読むことのできる書物としての律法だけに価値を置くのではなくて、むしろ生活の実際に主眼を置き、先祖代々の言い伝えも大事にしました。ユダヤ人としての民族アイデンティティーを大事にすることで、普段の生活の一挙手一投足に、神の民としての自覚を生かそうと努力したのです。実生活の些細なことまで、それが信仰的に正しいか気にする人たちでした。どうしたら良い生活を営めるか、よい夫婦とは、よい子育ての仕方とは・・・いろいろと知識があるものですから、お悩み指南役としても活躍した人たちだったようです。「ニコデモ」という名前は、ギリシア語で、「民衆の勝利」というような意味ですけれども、特権階級ではなく、「民衆の」勝利ということでファリサイ派っぽい名前だったと言えるかもしれません。
 そのニコデモが「夜」やってくるのです。人目を憚るようにしてイエスの許にやって来たというわけです。ヨハネによる福音書は、「光と闇」という対照を描きます。そしてイエスを「光」と描く一方で、それを離れているものを「闇」と表すわけです。11章には「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである」とあります。「イエスの内を歩くと光ですよ、その外は闇ですよ」というわかりやすい二項対立です。
 ニコデモという人、彼は、普段、昼の人であったはずです。どこでいつも自分に言い聞かせている強がりのようなものがあったかもしれない。「私は立派だ。私は大丈夫だ。私はだれよりも一生懸命に勉強をしてきたし、模範的な生活をしている。その証拠にみんな私を尊敬の念を持って扱ってくれるじゃないか」。そうやって気落ちしないように自分を鼓舞していた。その一方で、彼の正体は、外側の光に対して、内側に闇があった、というのがヨハネ福音書の見立てです。それは単に罪という以上に、深い悲しみのようなものだったと言ってもいい。いつも自分で自分を鼓舞してあげなければならないような、その空しさ。人々のお追従を聞いていても、「これはきっと皮肉なのだろうなと」思う猜疑心。その中で途方に暮れている人物だったということでしょうか。自分の内にちっとも光なんかないのに、さも自分が人々の光であるかのような、人々にとっての「勝利」であり続けなければならないように、そうやって生きてきた。そんな自分を振り返りながら、彼はひそかに、人と距離を置き、夜陰に紛れて、ようやく、イエスの許にたどり着くことができたというわけでした。
 イエスは答えて言われます。3節。
 
 「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の体内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」
 
 「人は新たに生まれなければ」。ここで「新たに」と訳されている「アノーテン」という単語は、その原義、一番根幹の所に「もとから」とか「根本から」というような意味を持っています。これを空間的に理解すると「本国であるところの天からの、天来の」というような意味にもなります。イエスはただ「新たに」と言ったのではなくて、「あなたを生かしているその元のところから、あなたの力を超えた天の力によって」生まれ変わらなければならないと言っていたことにもなるわけです。イエスの答えはある意味で単純明快です。「あなたは自分で築き上げてきた心の砦、その壁を、自分の力で取り去ることができるか。あなたは今まで生きてきた中で、年をとってくる中で、たくさん自分を武装してきたことだろう。地位、名誉、知識、経験。あるいは富や栄達に対する憧れ、人生の目標とする理想。そういったものを、あなたは捨てられるか」そういう事だったのだろうと思います。
 あの話を思い出します。ある金持ちの青年に、イエスが「もし完全になりたいなら、持っている者をすべて売り、貧しい人々に施せ」とそう語られた話。それができなかった青年の姿と重なります。
ニコデモは、「まさか母親のお腹にもう一度入るなんてことはできるか」と、一見とんちんかんなような、あるいはわざと茶化したような答えをしているわけですけれども、実際は、それはまさに当たっている、と言わなければならない。私たちは、「あれを持っている、これを持っている、自分にはあれがあるこれがある」、そういう発想を根本から改めなければならない。そしてただ、私たちがこの地上に生まれてきた初めのように、元のように、子どものように、まっさらにならなければ、「人は神の国を見ることはできない」ということかもしれません。
 しかしそれにしても、この「手放す」ということが私たちにはできない。田沼意次の時に流行った川柳、「役人の子はニギニギをよく覚え」、という感じかもしれませんが、なにもニギニギが好きなのは、役人ばかりではない、私たちは誰もが、何かを手中に収めることを勝利と理解していて、それを手放すのは敗者になることだと考えているわけです。
 私たちは自分の力で、手放すことはできません。だからそれは、「水と霊とによって」というのです。「水」、これは、教会共同体にとって、その共同体に入っていくための儀式、洗礼を表していますよね。人はひとりでその困難を乗り越えるのではない。教会という場が開かれている。仲間がいる。そのことが意識されているでしょう。そして「霊」。「新しく生まれる」ということは、人間が自分の力でなし得ることなのではなくて、神の霊がそのことを確かに、しっかりと成し遂げてくださる。だからこそペンテコステがあったのではないか。霊が降されて、あなたは自由となり、仲間と生きていくことができるようになっていく。「水と霊」があなたを解放するというのです。
 イエスは言葉を続けます。6節。
 
肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれたものも皆そのとおりである。
 
「あなたは、自分で自分の行く方向を決めつけてしまってはいませんか。来し方に基づいて、今までの経験だけで判断して、これでなければ自分はダメだと思い込んで、神の働きを侮っていませんか。」そう言うのでしょう。「風」という言葉は、「霊」という言葉と全く同じ「プニューマ」という単語です。私たちの限界、暗闇、悲しみを超えて、霊が働く、爽やかに吹き渡る風のように、霊は自由に、あなたの存在を作り替えることができる、そう言われているのだろうと思うのです。
 
 衣笠病院のホスピスでは、コロナ禍になるまで、毎年、病院の裏にある桜の名所、衣笠山でお花見をしてきました。もう4年も行っていないので、残念です。来年は登れるでしょうか。
これは、5年前のことになると思います。その年はソメイヨシノの開花がとても早かったものですから、花見に行った日には、もう終わっていました。それでも八重桜や、菜の花が綺麗に咲いていたので、患者さんたちにとっては、ほっと心の和むようなときとなったと思います。たまたま同じ日に親子連れが山に来ていました。シャボン玉を吹いていました。すごいですね。100円ショップに行くと電池でファンを動かして、たくさん泡が出てくるおもちゃもあるんですね。それを小さな子が患者さんたちの前でやってくれたので、患者さんと集まって、シャボン玉の歌を歌いました。「風かぜ吹くな。シャボン玉とばそ」
 山に一緒に昇った30代の患者さんがいました。小さい頃からこだわりの強い女性で、知的発達ということで、それなりに苦労されたのではないかと、そんな印象を抱かせる方でした。お花見に出かけた頃、「自分はどうしても退院するのだ」と言われていたので、その調整を始めた方でした。お母様は、「なんであんたはもう、せっかくここに入れたんだから、ようやく入れたのに、いっつもわがままなんだから」とおっしゃっていました。お母様の疲労感はよく伝わってきていました。でもその患者さん、そっと私におっしゃったのでした。なぜ退院したいのか。それは、この病院でとてもよくしてもらったからだというのです。この患者さんはビーズなどで小物を作るのが大好きでした。だから、それを作って、スタッフにプレゼントしたい、でも病室にいたら見つかっちゃうじゃない、家で作って、また入院することになったらそのとき手渡ししたい。「お母さんには絶対内緒ね、怒るから」そういうのでした。
 実際の所は、病室でも手芸をしているのはよく知られていましたから、結局その企みはバレてしまい、そのための退院ということに意味はなくなってしまったのですが、お花見の1週間後、彼女は家に帰っていきました。そして、その翌日のこと、この方は安心して家で亡くなった、病院にそう、知らせがありました。大変な苦労されたお母様も、亡くなった後はやりきった顔をなさっていてすがすがしい感じだった、と訪問したソーシャルワーカーが教えてくれました。退院前に私がもらったビーズのストラップは、しばらく私の院内用PHSにつるしてありました。
 シャボン玉が風に揺れるのを見るとその方のことを思い出します。「自分をどう見せるか、どう格好つけるか、あるいはどれだけ頑張ってきたか、どんな立場にいるか」、そういうものはもうどうでもよくなって、「上へ下へ、どこへ行くとも分からない、その自由さの中で、今抱く心を大切にすることの重要さです。私たちは明日どこに行くかも知らない存在だったのではないか。でもその命が終わるその日まで、神は「生きよ」と命じておられるではないか。ただそのことに希望を欠けていて良いのだと言うことです。
私たちは、あの日のシャボン玉に、自由を感じました。それはきっと、あの若い患者さんの屈託のない、人を思う心が、みんなの心を結びつけた、その幸せを感じることができたからだと思うのです。
 
 イエスは語ります。13節。
 
 天から降ってきたもの、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇をあげたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
 
 出エジプトの民は時に神にたてつき、神に罰せられました。でもその度毎に、人々が前に進んでいくことができるためのしるしを、神に与えられたのでした。その故事をイエスは引いています。そして、「今や、この私があの蛇が掲げられた旗竿、つまり“十字架”に掛かって、命を捨て、あなたたちに平和の約束を取り戻すことにしよう、あなたはそれに従えば良い」そう言われているのだったでしょう。私たちは、自分の力では悲しみや恐れ、自らの立場や意固地な心を乗り越えていくことはできません。だからこそ、キリストが天に昇ったこと、そして霊が送られていることに、私たちは解放の喜びを味わうことができるのです。私たちがどんなであったとしても、上から、根本から新たに作り替えてくださる神の愛。そのことを受けとめながら、今日も前に進んで参りたい、そのように思うのです。

2023年6月4日

「聖霊が響く」
使徒言行録二章一~一三節


 
 最初のペンテコステである聖霊降臨日には聖霊を受けた弟子達や人々は「めいめいの生まれた故郷の言葉」で話し始めたといいます。原語のギリシャ語を直訳すると「めいめいの異なる言葉」となります。一人一人と共に歩まれたイエスの出来事をそれぞれが思い起こし、イエスの十字架を想起する中で、自分の口から自分の証が飛び出していったことを伝えています。
 はじめから決まっている定型文のなぞりではなく、まさにイエスを思い起こし、自分にとってのイエスの出来事が内面化したところから語り始めているのです。
 私は聖書が伝えるペンテコステの出来事に、大切な出来事が示唆されていると思います。教会が誕生の源泉に聖霊が導く異質共存の出来事があると思います。普通、異質なもの、異なるものは対立や分裂を引き起こします。ところが異なる言葉であっても、異なる表現や証であっても神を賛美するものは響きあっていったという、普通では考えられない事が、このペンテコステの出来事には流れています。
 教育学者・佐藤学さんの著書「学びの身体技法」(太郎次郎社)に、あるエピソードが紹介されています。ある中学校の合唱クラブのエピソードです。この合唱クラブもコンクールでの入賞を目指して毎日練習を重ねていました。ところが、この中学校には大会やコンクールで度々入賞する、大変優秀なブラスバンド部がありました。音楽の優秀な生徒は皆、ブラスバンド部へ入部し、合唱クラブはそこから漏れた生徒達が集まっていました。実際、毎年のように何度も何度も挑戦しても入賞することはありませんでした。生徒達は、だんだんと自信を失い、目標を失い、やる気が失せてきました。しかしある日、高齢者のホームのボランティアをしていた一人の生徒が、合唱クラブで高齢者ホームにボランティアに行こうと提案をしました。この提案に対して、生徒達は皆、賛成し、下見をかねて高齢者の施設を訪れました。ところが、いざはりきって下見に訪れたのですが、痴呆症で言葉も表情も失った方や、様々な症状にある多くの人々に会って、驚いてしまいます。自分たちの歌声は、果たして届くのだろうか?、生徒達は絶望的な不安を覚えました。
 合唱クラブの生徒達は、選曲に配慮しました。またテンポに心を配りました。歌うことを自分たちの評価として行うのではなく、ご高齢者のために、他者のために行うこととしました。精一杯練習を重ね、ホームで歌いました。皆、祈るように歌いました。すると合唱の途中で、生徒達の目がうるんでいったそうです。歌声を聴いているお年寄り達の目から涙が流れていたからです。
 佐藤学さんが紹介されているエピソードから、私は大切な事を教えられます。合唱クラブの生徒達の祈るような歌声が、言葉というコミュニケーションの方法を越えて、お年寄りの心と響き会っていったことです。世代も考え方も、状況も違い、立場さえも違う者が響きあっていったということです。一体それを可能にした出来事は何であったのか?。生徒達の舞台がフィールドが、コンクールという舞台から高齢者施設へと転換したことによって、コンクールという自分たちの評価から他者の喜びへと生き方が転換したのです。生徒達の歌声が「競争する歌声」から「共生する歌声」へ、「弱肉強食」の合唱から「異質共存」の合唱へと変貌していったのです。
 かつてイエスの弟子達は、イエスという存在を自らの都合のいいように考えました。自分にとって益となるメシア像を抱いていたがゆえに、皆、挫折し、イエスを理解できずに拒絶しました。イエスの死後、彼らはイエスという愛する者を失った悲しみを抱きました。またある者は、裏切り者を赦せないという憎しみを抱きました。これらの人々は共に一つところで顔を合わせ共に祈るなど、普通ではとても考えられない状況であったのです。絶望、痛み、対立、溝、ありとあらゆる状況がそこには渦巻いていたのです。
 ところが祈りの中で、あのイエスの十字架を思い起こし、聖霊の働きに促されていった時、イエスの出来事が自分のためであり、自分自身に注がれた神の愛と赦しであることに気づいていった時、彼らは変わっていったのです。それまでの自己実現という言葉や振る舞いから解き放たれて、他者の為に生きる言葉と振る舞いへと変貌していったのです。その時、聖霊は豊かに響き合い、共同体が形作られることを、ペンテコステの出来事は私達に教えています。   
 現代は本当に難しい時代です。しかし今、ここに生きる使徒として、この社会において教会と名付けられた共同体に生きる者として、聖霊を響かせたいと思うのです。イエスを思い起こしながら、共に祈りを会わせ続け、他者の為に生きる者へと変貌したいと思うのです。

2023年5月28日

「ペトロの見た幻」
使徒言行録10章9節~23節


 私たちの生活の中で、「食べること」とか「食事すること」は、大切なことであリ、大きな楽しみです。私が勤務する学校では、私立学校としては珍しいと思うのですが、給食を行っています。学校の中に設備があり、幼稚園から高校までの生徒、教職員、約1600名の給食を賄っています。お弁当を作っていかなくて良いのは助かりますし、栄養バランスもよく、学校の中で作るのでできたてで、おいしいです。私もですが、生徒たちも給食を楽しみにしています。好きなメニューの日は、1時間目の授業から、「先生、今日の給食はトンカツだよ」とか「今日はデザートに、雪見大福のアイスが出るよ」とか教えてくれます。キリスト教学校なので、クリスマスはローストチキンとケーキが出て豪華です。生徒も先生方も朝からケーキの日だ、と話題になります。今の生徒はトンカツもケーキも普段から食べているでしょうが、学校でみんなでいただく、というのがうれしいようです。
 ただ給食は食堂と違って一つだけの献立ですから、好きではないメニューの日もあります。私が小学生の頃は、給食を全部食べきるまで昼休みをもらえず、いつまでも残されて食べていたのを思い出しますが、今はそんなことはありません。アレルギーもありますし、ただの好き嫌いであっても、食べられないものは最初から取らなくてよいですし、残すこともできます。最近はフードロスを意識している生徒が多いので、初めから各自食べられる量をよそって、食べているように思います。味が苦手とか、経験によって食べられない食材というのは、誰にでもありますよね。また何を食べるかということは、その人の体質やあるいはベジタリアンであるとかの信条や宗教にも関わることがあります。
 さて、今日の聖書にはペトロが見た幻が出てきます。お昼の12時ころ、祈りの中にもペトロは空腹を覚えて、幻を見ました。天から大きな布がおりてきて、その中にあらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。同時に「これらを屠って食べなさい」という声がしたというのです。ペトロは「とんでもないことです。清くない、汚れたものは何一つ食べたことがありません」と言っています。
 これはユダヤ教の食事に関する規定に関係しています。ユダヤ教では、旧約聖書の教えに基づいて食べてはいけないものの規定がありました。申命記14章には「清い動物とけがれた動物」に関する規定が記されています。「すべていとうべきものは食べてはならない。たべてよいどうぶつは次のとおりである。牛、羊、ヤギ、牡鹿、かもしか、など、その他ひづめが分かれ、完全に2つに割れており、しかも反芻する動物は食べることができる」と記載されています。反芻というのは、繰り返し食物をかんで食べることですね。これによると、豚は食べてはいけない動物になります。ただ豚肉を食べないというだけではなく、豚のスープやエキス、ラードのようなものも食べられません。
 魚や鳥にも規定がありました。また血液を口にすることも禁じられています。このユダヤ教の規定は「カシュルート」と呼ばれ、規定に沿って適切に処理された食事は「コーシャルミート」と呼ばれるそうです。オリンピック開催の時に、色々な国の人を日本に迎えるにあたって、宗教による食べ物の規定が話題になったように思います。
 ペトロの幻に出てきた動物たちは、みんなこの規定に反するものでした。ユダヤ教徒として生まれ育ったペトロには、「主よ、とんでもないことです」と驚くような、食べてはいけない食材だったのです。しかし、「神が清めたものを、清くないなどとあなたは言ってはならない」という声がして、このやり取りが3度続きました。
 
 この不思議な幻は何を意味しているのか?ペトロが思いを巡らしていると、3人の人が訪ねてきました。ペトロに会うことを願っていた、百人隊長のコルネリウスから差し向けられた人たちでした。百人隊長とは、ローマ軍の戦闘部隊、百人隊の指揮官のことす。ユダヤの人ではなく、ローマの人です。ペトロは翌日、迎えに来た3人と一緒に、カイサリアにいるという百人隊長のコルネリウスのところに、出かけていきました。コルネリウスは、親類や友人を呼び集めて、ペトロを待っていました。コルネリウスはペトロの足元にひれ伏し、ペトロを拝もうとしました。ペトロは「お立ちください。私もただの人間です。」と言ってそれを制して、人々に話し始めました。これらのやりとりは、今日読んだ聖書の続きに書かれています。ペトロはこんな風に話しています。「ユダヤ人は外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは律法で禁じられています。けれども神は私にどんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならない、とお示しになりました。それでこうしてきたのです。なぜ私を招いてくださったのですか」と。そうするとコルネリウスもまた幻を見ていて、ペトロに会いに行くよう、神からの啓示を受けていたということがわかりました。ペトロの見た奇妙な幻は、偶然ではなく、神の深いご計画の中で、備えられたものだったのです。
 
 ペトロはこのことによって、自分が見た幻の意味を理解しました。どんな食べ物も汚れたものはなく、食べて良いように、人を国や民族で分け隔てすることなく、教会に受け入れるようにと、神は幻を通して示されたのです。当時のユダヤ教の律法や規定を越えて、教会が広く人を受け入れていくことを求めるものでした。
 
 初期のキリスト教会は、ペトロや12弟子たちを中心にしたエルサレム教会と、パウロを中心にしたアンティオキア教会、パウロが宣教旅行の拠点にした教会ですが、この2つの流れがありました。当初ペトロたちは、ユダヤの地で、できればユダヤ教からも認められて、イエスの教えを伝えていこうと考えていたようです。ユダヤ社会はユダヤ教が絶対でしたし、弟子たちもユダヤ人です。ユダヤを支配していたローマも、本来は皇帝崇拝を強制するのですが、ユダヤ人にはユダヤ教を信じることを認めていました。ユダヤの国やローマ帝国からの迫害を防ぐためにも、ユダヤ教の戒律を守っていたのです。ペトロ自身もそれに従って、食べてよいもの、いけないものの規定を固く守り、律法で禁じられていた外国人と交流することはさけていました。
 
 一方、もともとローマの市民権を持ち、ディアスポラと呼ばれる、ユダヤの地以外でも暮らすユダヤ人であったパウロは、イエスの教えを、ユダヤを超えて広く伝えていきました。地中海地方に伝道旅行に出かけ、あちこちに新しい教会を立てていきます。その中でユダヤ人以外でも、イエスを信じる人々も出てきました。その人たちをどう受け入れていくのか、教会の中では議論になっていたのです。外国の人も、ユダヤ人と同じように割礼を受けてもらい、ユダヤ教の律法を守るなら教会に受け入れよう、いう考えもありました。多分ペトロもまた、そのような考えに同調するところがあったのではないでしょうか。しかし神は、ペトロに幻を見せて、教会に、すべての人をそのままで招くように、教会で人を分け隔てすることないようにとペトロにはっきりとされたのです。
 
 ペトロは、イエス亡き後の教会のリーダーとして活動しました。多くの人に慕われ、教えを伝える立場にありました。でも、迷うことも多く、時には間違うこともありました。しかし、ペトロは、正しい道が示された時、自分が変えられ、新しい道に進むことに、とても謙虚で誠実であったと思うのです。ペトロは、自分をイエスのように拝み慕ってくるコルネリウスにも、自分は間違っていたことを正直に話しています。ペトロの人柄を感じるやりとりです。使徒言行録15章に記録されているエルサレム会議では、ペトロはこの幻とコルネリウスとの出会いを人々に語り、教会の変革を求めました。それはユダヤの1地域から生まれたイエスの教えが、国を超えて広く人々に伝わってくために、避けては通れない重要なことでした。これは、初期キリスト教会にとって、大きなターニングポイントとなる出来事だったのです。
 
 私たちも、生活の中で変化を強いられることがあります。「食べるという事」に表されるような生活の小さな習慣でも、変えるのは思ったよりも簡単なことではありません。結婚してそれぞれの育った家庭の習慣が違ってけんかになるとか、新しい家族が加わって、新しい習慣に戸惑う、ということもありますよね。もっと大きな変化がおこることもあります。仕事の環境が変わるとか、あるいは災害や病気で思いがけず、生活を変えなければはならない時もあります。その時は夢中でも、後になって、人生の大きなターニングポイントで合ったと思うこともあります。その変化の時も、神様の導きと備えがあったと気づかされることもあります。
 神さまは、その時々に、豊かな備えを持って、私たちの歩みを導かれます。ペトロがそうであったように、神さまが示して下さる道を祈りつつ確認し、誠実に歩んでいく者でありたいと思うのです。
 
祈り
 愛する天の神さま、どんな時も、あなたがいつも豊かな備えを持って、私たちを導いてくださることに感謝いたします。どうぞあなたからの導きに気づき、祈りつつ歩む者となれますように。この祈り、主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。

2023年5月21日

「見えないことで繋がる」
ヨハネによる福音書 16:16−24


 「会うは別れのはじめ」。そんな言葉がありますけれども、実に私たちの一生にはいくつもの別れが伴い歩きます。そんな中でも、特別に深く関わり、愛し、生活を共にした人との別れというのは、その後の私たちの営みを大きく変化させてしまうこともあるだろうと思います。まさにそんな大きな悲しみのうちにある人に寄り添い支えるのが、世に「グリーフケア」と呼ばれている営みなのではないかと思います。
 たとえば死に別れというような大きな悲嘆を和らげるには、いくつも方法があるかもしれません。人によっては、意識的に亡き人を思い出すことを封印してしまい、忘れたように新しいことを始めることで前に進もうとする人があるかも知れません。また人によっては、わざと日常を忙しくして時を稼ぐかもしれません。そのような中で、近年グリーフケアの臨床で注目されているのは、「リ・メンバリング」(re-membering)という故人への向き合い方なのではないでしょうか。
 「リメンバリング」、あるいは「リメンバー」という英語の動詞は、そのままで「思い出す」とか「記憶する」という意味ではあるわけですが、グリーフケアを試みる人たちは、用語としてのこの言葉、「リ・メンバー」と言う言葉の“リ”と“メンバー”の間に、あえて“・”を入れます(英語ではハイフン)。そうすると、これは“再び”・“メンバーに”というわけで、死別の現実を超えて、その人との関係性を「再び認識する」、そういうことを目指す言葉になるわけです。実際的には、それぞれ自由に思い出を語ったり、今抱えている課題を故人の目を通して考え直したりすることで、これからも遺された人の生涯が、亡くなった方との対話の中で意味を持ち続けられるようにと整えていくのです。そしてさらに場合によっては、その故人との関係性を受けとめ直すために、今までは意識していなかった第三者も引き入れます。「ああ、あの人も繋がっていたし、こんな人もいた。あの時は思いもよらなかったけれど、今思うと、あの人はあの時こう考えていたのもかも知れない」というふうに、どんどんつなげていくのです。こうやって亡くなった人を中心としとして、一種の会員制クラブのようなつながりを拡げていく。これは、死別した人への愛着を断ち切るのとは反対のケアということになるかもしれません。死というこの世の現象では終わってしまわない、いやむしろ、そこから新しく始まっていくような、より確かな絆へと、関わりを深めていくわけです。
 ある意味で、キリスト教の歴史においても、初代教会が形成されていった経過というのは、まさにこの「リ・メンバリング」であったのではないかと、そんな気がするのです。イエスが十字架に付けられ、死んでしまった。弟子たちは苦しんだのでしょう。自分たちがイエスを十字架に送ってしまったことに思い至ったからです。そして、その姿、その声、一つひとつの場面、教え、いやし、支え・・・それを思い出して行ったとき、彼らはその胸を突くような痛切な思いを分かち合って、そして、それを分かってくれる同志として、彼らはもう一度、イエスと繋がる仲間へと変わっていったのだったでしょう。そしてそうしたところに、その真ん中に、イエスは復活をし、「教会」が誕生したのでしょう。キリストは今日も生きていることを信じ、キリストとの関係によって自分たちの生きている意味を見出していく「教会」の誕生です。
 さてキリスト教の暦は、今週木曜日に、キリスト昇天日を迎えます。復活のキリストは40日にわたって弟子たちの前に現れ、その生き生きとした姿を示された後に、天へと帰って行かれます。弟子たちの目に見えなくなり、その手で触れることも出来なくなることで、却って神の霊、聖霊によって生かされ、キリストの働きを地上で委託されている教会に生きる繋がりが育まれていく、そのことを記念するお祭りです。昇天祭を控えたこの日曜日、ご一緒に読みますのは、ヨハネによる福音書16章からでした。16章16節。
 
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」
 
 ヨハネ福音書において、この箇所は、長い長いイエス自身による遺言の独白に当たる箇所だろうと思います。すでにイエスは弟子たちとの最後の晩餐を済ませています。食事が終わると、ユダがその場を出て行きます。13章30節には、その「出て行った」というのが「夜であった」と記されていて、ただ時間が夜であったということ以上に、人の心の暗さ、悲しみ、業の深さ、そのような物を感じさせていました。
 その意味で、今日の聖書の箇所は、イエスの最後の晩、死の前に語り置かれた言葉であるわけですから、イースターを過ぎたこの時、復活を知る私たちが読むのは時季外れに感じられる方があるかもしれません。でもそれは一方で、復活後の40日をキリストと共に過ごし、その昇天を仰いだ弟子たちの思いと重なるところがあるのではないかとも思うのです。弟子たちは、ペンテコステを迎える前に振り返らされていたのではないかと思います。「あの時、自分たちは気づいていなかった。信じられなかった。イエスが本当に殺されてしまうなどと言うことは気に留めていなかった。そして理解できなかった。自分たちの先生がひざまずいて、自分たちの足を洗ってくれたことの意味。自分たちはちっとも本気で受けとめようとはしなかった。その時先生が『私を離れずにいなさい』と言われたことの気持ちも、『互いに愛し合いなさい』と命じられたことの心も。
 弟子たちは、復活後にあってこそ、自分たちを支配していた、あの夜の闇の深さと、その罪を自覚したことだったのではないでしょうか。その意味で、今日のイエスの遺言は、復活後の教会が大切に聞き直した、その言葉でもあったと思うのです。19節。
 
イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。
 
 イエスは、自分の力では、確かに神の働きを見ることも、受けとめることも出来ないのだということを深く深く味わい知った教会に向かっても語りかけます。「お前たちはその痛み、その限界を知って、今悲しんでいる。だからこそ、その悲しみは、今、大きな喜びへと変えられる。私があなたがたの弱さを、小ささを、天に向かって携え上る。その淋しさと暗さを、天の栄光と同じ並びに、高く上げる」、そう宣言されているのを、私たちは今日、ここで聞くことになるわけです。
 
 衣笠病院のホスピスは、来月1日で、開設25周年を迎えます。ようやく四半世紀です。ホスピスというものに対する世間の捉え方も、また実際に社会から期待されていることにも大きな変化の与えられてきた25年だったと思います。それでも、一つも変わらないのは、それがどんなに重い病であったとしても、今ここに生かされているいのちの尊さ、というものに対する思いだったのではないかと思います。
 ホスピスの歩みと軌を一にしてきてくださった存在の一つが、このホスピスの遺族会です。ホスピスができて5年目の時に発足した自主団体で、病院近くの桜の名所にちなんで「さくらの会」と名付けられています。その全体会が毎年6月に開かれてきたのですが、この4年間はコロナでだめでした。今年は久しぶりに開かれる予定をしていて、今から楽しみにしています。
 何年か前のことでしたけれども、この遺族会で、「13年ぶりにこの場所へ足を運びました」と言って、ご自身の語りを始められた方がありました。ご伴侶を亡くされた男性でした。「今日は、一つの報告をしに来た。13年経って、ようやく妻の作ったお猪口で一杯やれた」、そういうのでした。そのことを皆さんに聞いて欲しくて、ここに出てきたというのでした。
 ご主人によると、奥様は生前、陶芸を趣味にされていたのだそうです。それで、あるとき徳利とお猪口を作られたわけです。そのお猪口には、満月と、その前を渡っていく雁の絵が付けられていたそうです。きっと奥様としては、ちょっと自信作だったのでしょうね。ご主人は感想を求められたというのです。『こんなのが出来たんだけど』というように。ところが、ご主人は、おそらく照れもあったのだと思うのですけれど、あんまり気がないままに、「ちょっとここのところがな・・・」、ま、そういって形をけなしてしまったのだそうです。すると、奥様はそそくさとそれを片付けられてしまって、二度とそれが出てくることはなかったというのでした。
 遺族会に出てこられたご主人、そのことをとても悲しそうに振り返っておられて、なんだか、その場に居合わせた私たちもじんとしてしまいました。
 「ちょっと前に、大きな月が出てね・・・」、その夜、13年経って、ご主人はその焼き物を思い出されて、探された。そして出てきた、というのでした。改めてみると、たしかにちょといびつなのだけれども、なんとも言えないような味わいがある。さっそく縁側に腰掛けて、月に向かって献杯して、一献傾けた、のだそうです。
 ご主人は言われたのですね。「あの時のこと、妻は許してくれるかな」
そこに出席していた人たちは、それぞれ、奥様を亡くされた方、お父様を亡くされた方、背景はみんな違うのですけれども、大切な人を見送った経験を持つ者として、そのご主人の秘められた切ない思いを分かち合ってくださったのでした。その悲しみの輪に加わることで、一献傾けられたこの方の、ようやくの喜びを、出席者皆で味わうことができたように思えた時間でした。
 考えてみれば、人には、今は理解できないというようなことがたくさんあるのではないかと思うのです。時を重ねなければ、その悲しみに意味を見出せないというようなことがあるのではないかと思います。けれどもだからこそ、十分にその時が与えられて、時が充ちたならば、その断絶していた絆を取り戻し、今までとは桁違いに、全く異なるあり方で、そのかけがえのない関係を取り結ぶことができるような時というようなものもあるのではないかと思うのです。そしてもし、その時が来たとき、その新たにされた絆を、そこで一緒に喜んでくれる人がいたとしたら、それはとても幸せなことなのではないでしょうか。悲しみを知っている人。人の悲しみを知る人たちは、たとえそれぞれの物語が違っていたとしても、その亡くなったいのちを真ん中にして、なにか温かな思いを通わすことができるからです。今悲しんでいる人々。彼らは、いつか、そんな交わりが与えられるということを信じて、今はそっとその悲しみを大切にして、その時が来るのを待っていれば良いのかも知れません。
 この方の話をみんなで聴いたので、この方の思い出は、あるいはあのとき奥様の作品をけなしてしまった痛みは、そのことへの悔いは、そして奥様がいないことへの改めての思い、その淋しさは、みんなの重いとして分かち合われたのではないかと思うのです。
 実際、雁渡る夜、もし私にも月夜を見上げることがあったら、きっと私はこの方のことを思い出すことでしょう。こうして、見えないことは、おられないことは、みんなの中に生き続けるということに繋がっていくのだろうと思うのです。
 
イエスは語り続けます。21節。
 
 女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。
 
 時が来ると、もはや苦しむことはないとイエスは言います。痛みや悲しみは、その辛さを知っている人たちの間で分かち合われるために与えられている、ということなのかもしれません。
 キリストは、天に昇って行かれました。弟子たちの目の前からいなくなったのです。しかしそのことで却って、その痛切な罪を悔いる人々の間で、キリストの教えが生き生きと生き続けることにもなったのでしょう。この世の別れで、決して失われることのない、はるかに確かな絆として、地上を旅する教会の歩みを生み出していったのでしょう。キリストはこれよりのち、人の目には見えない形、聖霊の形で人々を導きます。人の罪と悲しみを徹底的に知り、なおそれに対して打ち勝った方との交わりは、世の終わりまで、ずっと私たちを守り導くことになるのです。
 そのことを、ペンテコステの弟子たちは固く信じていたことだろうと思います。教会がこの世にある限り、そこに生きる私たちもまた、このことに希望を置き、別れの淋しさの携える世の人々を慰める言葉を語り続けることができるのではないか、そんな風に思うのです。

2023年5月14日

「主イエスの約束」
ルカによる福音書24章36~49節


 教会の歩みというものは教会暦と呼ばれます教会のカレンダーに従って、クリスマスや復活祭・イースター、ペンテコステ・聖霊降臨日という礼拝が定められています。この教会暦に従いますと、今年は5月18日が昇天日という日です。これはイエス・キリストが天に昇るという日です。
 十字架にかけられて死んだイエスが、三日目に甦り、甦ったイースターという復活祭より40日目にイエスが天にあげられた日であるといわれています。地上での歩みを終え、神のもとへと帰られた日として定められています。
  ところで、天へと上げられてゆくまでのイエスの生涯を振り返りますと、聖書に記されております短い期間だけでも、かなり精力的にあちらこちらを旅していました。イエスの地上での生涯は「旅の生涯」だったともいえます。出会いを求めて、助けを必要としている人々を捜して、苦しむ者、悲しむ者の友となるために旅を続けました。それは「愛の旅路」を生きたといっても良いかも知れません。
 日本の松尾芭蕉という人物も、その晩年にさしかかろうとする時、住み慣れた場所を離れて、それまでの名声を捨てて旅に出た人でありました。しかし、芭蕉の場合は、あちらこちらを旅するのですが、その行く先々で、かつての弟子達や、芭蕉の名声を聞きつけた人々に迎えられるというものでした。多くの人々に迎えられ、歓迎されては、また送り出されてという繰り返しでありました。もちろん、旅の途中では誰にも歓迎されずに荒れ果てた寺で野宿をすることもあったようですが、大抵は行く先々で、人々が待ち、歓迎されていたと言われています。そんな旅を終え、彼が最後の息を納めようとしたときには、死を惜しまれつつ、弟子達や多くの人々に見守られながら生涯を閉じたと言います。
 芭蕉は、自分の最後を、そのような大勢の人々の暖かいまなざしの中で迎えました。しかし、その時の彼の心のなかは、「旅に病んで、夢は荒野を駆けめぐる」と歌った歌に現れているように、孤独感、むなしさを憶えていたように思われます。もともと芭蕉という人は、その孤独感を求めて旅にでたようです。世の中の煩わしさを絶って、一人、孤独を求めて旅をする、その願いゆえに旅をしたのです。
 そして、芭蕉のように煩わしさを絶ちたいという思いは、私たちの中にもあるかと思います。人との関係が上手くいかずに、わずらわしくなったり、仕事にトラブルが続いて疲れてきたり、家庭に問題が生じてきたり、家族の誰かが病気になって大変なことになったり、肉体的にも精神的にも疲労困憊するようなとき、もう、嫌なことを忘れて、煩わしさから解放されて自由になりたいと感ずることは、誰にでもあることと思われます。自分を静かに保ちたい、誰にも邪魔されずに、静かに心を落ちつけたいと願います。それは誰でも願っていることかも知れません。
  しかし、人や社会から遠ざかる、それは、芭蕉が息を引き取るとき、大勢の人々に暖かく見守られながらも、ただ荒れ果てたところを一人駆けめぐった自分しか見えなかったというように、ある意味では、非常に寂しいことかも知れません。
 更に、自分を想ってくれるという熱いものまでも見えなくなり、人の心の暖かさをも感じなくなり、荒れ果てたところをという具合に、人の想いや心を踏みにじることにもなりかねません。自分しか見えなくなるとき、人の親切心も、やさしさも、感ずることのできない、冷たいものとなってしまうのではないでしょうか。自分勝手に生きてしまう、愛も優しさも、暖かさもない、殺伐とした、自己中心的な世界へと進んでゆくのではないでしょうか。
 ところで、芭蕉と比較するというわけではありませんが、イエス・キリストの生涯は旅は旅でも、人から離れてゆく、煩わしさから遠ざかってゆくというものではありませんでした。人に近づき接するというものでした。けれども、大勢の人々に歓迎され、人々に暖かく迎えられた生涯ではありませんでした。弟子達に惜しまれ、見守られて、息を引き取るということはありませんでした。それどころか、弟子達には理解されず、見捨てられ、人々には罵声を浴びせられ、十字架の上で見せしめのごとくに殺されていきました。
 そしてイエスは、その十字架の死のとき、芭蕉のように自らを見つめませんでした。自らの心に目を向けたのではありませんでした。イエスの目は、人々に捨てられ、十字架の上で一人寂しく死んでゆく、自分の哀れな姿ではなく、自分を捨てた弟子達、イエスを笑う人々の上に注がれたのです。ですからイエスは自分の痛みを訴え泣き叫ぶかわりに、神様に「彼らは何をしているのか分からないのです、彼らをお赦しください」と祈ったのです。イエスは自分の死に際して、自らに目を向けるのではなく、人々に目を向けていました。それは、人々の上に注がれる神の赦しと愛を見つめていたといえるのではないでしょうか。
 イエス・キリストの生涯・イエスの旅は、この世の煩わしさから遠ざかる、人との関係から逃げるという旅ではなく、煩わしさ、うんざりする程の嫌なこと、悲しいこと、苦しいことを背負う旅でした。イエスは人々から見守られるのではなく、人々を見守る旅を続けられたのです。
 先ほどの聖書の箇所は、人々を最後まで、暖かく愛をもって見守られたイエスが地上での旅を終えて、天の神のもとへと帰ってゆくことを記しています。そしてここには約束が記されています。「父が約束されたものをあなたがたに送る。高いところからの力に覆われる」と語られております。これを教会では、昔から聖霊と呼んでいます。聖霊の約束が、天に帰ろうとするイエスの口から語られるという場面なのです。
 聖書の中で聖霊が下るという場面があります。聖書は聖霊を炎として表現しています。これは目に見えるといったものではなくて、聖霊を受けた者が熱いなにかに満たされたことを、炎と表現しているのだと思います。
 熱い何かとは、一体なんでしょうか。それは、イエスが地上を旅していて多くの人々、苦しんでいた人、悲しんでいた人、病気で死にそうな人、そうした社会にあって人々の中にあって救いを求めていた一人一人に注がれた、熱い眼差しではないでしょうか。あの十字架の上で、死の痛みと苦しみをこらえながらも、自らを見つめることなく私たち人間を見つめておられた、あの愛と慈しみの熱い眼差しではないでしょうか。
 この世の煩わしさや嫌なこと、辛いことは本当に多いです。人との関係も辛くなってしまい、、苦しくなってしまうときもあります。しかし、それでもなお逃げ出すことなく、人にそして自らの置かれている現状に向かうとき、きっとあの熱い眼差しで見ていて下さるイエスに気づくはずです。私たちに、その時にかなった力を与えて下さるでしょう。
 天に昇られた主が、私たちにその約束を残されたことに気づき、熱い思いに包まれ、主の愛に覆われたいと願います。今、それぞれの歩みに主の熱い思いが注がれています。そのことに気づくように、そして主に従い行く歩みがなせますように、共に祈りを捧げたいと思います。

2023年5月7日

「教会の生命線」
使徒言行録1章1~11節


 ルカ福音書の第二巻目といわれる使徒言行録の冒頭には、この書が「テオフィロ」という人物に書き送られた手紙であることが告げられています。テオフィロとは当時のローマの高官ではないかと推測されていますが、実際は分からず、古いローマの記録を探してもそのような人物は見あたらないと云われています。多分、キリスト教に好意をもっていた人物であったか、もしくは偽名を使ってこの書を誰かに送っていたと考えられています。
 著者であるルカは福音書の冒頭部分で、なぜ記録を書き残すかということを語っています。それは「私たちの間で、実現した事柄について」、更には「物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手をつけている」と云っています。
 実際、イエスについての記録、またその後の弟子達の記録は聖書に納められているものだけではなく、実に多くの記録が存在しています。それらは今お持ちの聖書を正典とするのならば、外典、偽典と呼ばれています。イエスの奇跡だけを集めたものや、少し信仰の捉え方の違ったものなど実に様々です。ルカはイエスの出来事への集中と共に、イエスによって力に満ちあふれた弟子達のその後の歩み、教会の歩みを描いていきます。
 私たちはともすると、自分勝手な理解や自分に限定された救いになりがちです。当時、ルカはそのような傾向を危険視したのではないかと思われます。信仰的に熱いものを抱くということも大切なことですが、その熱は熱ければ熱いほど個人的なもの、狭いものとなっていったのではないでしょうか。それが証拠に、弟子達は使徒言行録の1章6節で「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と質問しています。イエスの十字架という出来事を経験し、更にイエスの復活を経験したにもかかわらず、彼らは救いをイスラエルに限定しています。救いや喜びを自分たちに限定しようという姿があります。ルカはイエスの生涯、十字架と復活の出来事から起こる神の業は、人間の思いを打ち破り、世界に広がり行くことをこの書を通して語ろうとしているのではないでしょうか。それがルカの描く使徒言行録の世界への広がり、信仰のダイナミックに躍動する姿があります。
 ところで、イエスがこの世に下られイエスが誕生される日がクリスマスであり、その前の期間を教会ではアドベント・待降節として「待ち望む」期間を過ごします。聖霊が下り教会が誕生するペンテコステに際し、その聖霊を待ち望む期間がこの使徒言行録には記されています。いわば、エルサレムにて聖霊を待ち望む期間がアドベント的に語られています。さらに注目したいのは、他の福音書はイエスの復活がガリラヤであったり、エマオ途上であったりですが、ルカはイエスが天に昇られ、聖霊が下るまでの日々が全てエルサレムで起こるように設定しています。イエスがいなくなっても、なおエルサレムに留まり続けることを弟子達へと促しています。
 エルサレムとはイエスの受難、十字架と復活の場でありました。そこはイエスの苦しみと死の場であり、しかしそれを打ち破って喜びをもたらす復活の場でもあります。エルサレム入場から苦しみを受け、十字架に架けられたイエス、それは十字架の死に象徴される苦しみと痛み、悲しみと弱さ、貧しさそのものです。そこで復活をされ、イエスはさらにそこから天へと昇られゆく様をルカは描きます。私たちは、あの弟子達も全てはここから始まって行ったことに注目しなくてはならないと思います。ルカの伝える使徒言行録における弟子達の変貌とその力強い歩みは、破れと弱さの象徴であるエルサレムに留まり続けることを通して始まって行くということです。それは人間の罪、愚かさ、弱さ、醜さに神の出来事が起こるということです。
 私たちのエルサレムとは一体なんでしょうか。人を愛せないという思い、受け入れられないという狭さ、何よりも自分のことを第一に考えてしまうという自己中心さ、辛さ、苦しさ、悲しいこと、弱い自分を見つめること、それが私たちのエルサレムではないでしょうか。そこにイエスの復活と共に日々を過ごされるイエスという出来事が起こることをルカは語っています。私たちのエルサレム、そこでイエスは私たちの苦しみを背負い祈られた、私たちの愚かさを思い十字架へと歩まれた。私たちを神の愛と力に満たして下さると約束され、日々を過ごされるイエスが記されているのです。
 信仰の力、教会の力、イエスを証してゆく力は、その自らのエルサレムに背を向けないで、離れないで現実にしっかりと目を向けて、神よどうぞお力を与えて下さいとの祈りを会せてゆくことによって与えられていくのです。ルカ版復活とは、信仰者が結び合わされ共同体へと強められてゆく様、祈りの結実による主の身体なる教会の生命線を語っているのです。
 さて、初めにも申しましたが「テオフィロ」という名前について、もう一度触れたいと思います。テオフィロという言葉は、「テオス」と「フィロス」、「神」と「愛」という言葉からなっています。「神に愛された者」という意味の言葉になります。つまり使徒言行録とは神にイエスに愛された全ての者に当てた手紙なのではないでしょうか。ルカは福音書のはじめにもテオフィロという名を記しています。これは「あなたは神様に愛されたのだ、だからこのような事柄が私たちの間に起こったのだよ」、ルカはこれを使徒言行録でもう一度繰り返し語っているのだと思います。神はあなたを愛された、だからイエスの降誕がおこり、人々の間に入られ十字架に進まれる、今また、私たちを愛されるが故に私達のエルサレムに主は共にいて下さるのだと、ルカはそのようにこの書を貫き通しています。私たちもすでに神に愛されてイエスの出来事を示されたものです。そうした私達はこれからも神に愛されているがゆえに、守られ導かれてゆくことをペンテコステを前にしたこの時に示されます。
 過ぐる日イースターを終え、今私たちは聖書的に表現するならば、使徒言行録のはじめに立っています。私たちのこれからも、弟子達のように困難が待ちかまえているかも知れません。けれども、私たちは神に心から愛されている一人一人です。神はきっと、ルカ福音書から使徒言行録の中へと私達を生かし神の器として用いて下さいます。それがルカの伝える主と共なる日々ではないでしょうか。弟子達のように、皆で心を合わせて祈りあう、教会の生命線に私達も立ち戻っていきたいと思うのです。

2023年4月30日

「信仰の表裏」
ヨハネによる福音書20章24~29節


 今朝の聖書の箇所は、先に他の弟子達に現れた復活のイエスの出来事を聞いても信じられず、疑い惑うトマスの姿を伝えています。自分の目で見なければ、更には自分の手で触れなければ信じられないと、かたくなに拒むトマスの姿は、聖書において「不信仰の人、懐疑の人」として描かれています。
 弟子の一人トマスが、復活のイエスを見ないでは信ずることが出来なかったように、物事を見ないで確信に到ることや確かめないで信ずることは大変に難しいことです。トマスはディディモ=双子と呼ばれており、私達自身の信じられずに疑う姿を映し出す鏡のような存在かも知れません。
 疑い惑うという姿を今朝の聖書は報告していますが、一方でトマスの姿は真実を求めようとして生きる積極的な姿としても評価されています。疑うという姿の中に、非常に求道的な姿勢があります。また信じられないということ、疑い惑うということは、本当はとても辛いことです。同じ弟子であるペトロのように直感的行動的な人間ではなく、右往左往して揺れ動く、疑い惑うという辛さを持つ人間としてもトマスは描かれています。あのオーギュスト・ロダンは聖書に描かれるトマスをモデルに「考える人」を作成したと云います。
 ところで今日の聖書の箇所は、ヨハネ福音書の最後の部分です。30節31節の本書の目的をもって完結していた福音書です。続く21章は後の時代に加筆された部分です。イエスの復活という喜ばしい出来事が顕されたにも拘わらず、弟子達の宣教への派遣が一筋縄ではいかなかったところに、この加筆部分の人間臭さ、人間味溢れる魅力があります。イエスの十字架と復活の出来事が繰り返されながらも、人間はなかなか心開かれないばかりか、かたくなに拒み続けるという姿が浮き彫りにされてきます。そして今日の聖書の箇所にあるように「ユダヤ人を恐れて、家の中に、鍵をかけて」という状況が物語るごとく、イエスの死後60年後の世界に生きるヨハネ福音書には、迫害に直面する危機的状況があります。復活のイエスに出会ったはずの弟子達は、トマスと同様に、家に鍵をかけ閉じこもっていかざるを得ない、時代の厳しさが伺えます。この聖書の描写は、迫り来る恐怖への恐れと共に信仰は本当に自分たちを守ってくれるのかという不安の中で、信じきることが出来ずに、心が閉ざされているヨハネ共同体の姿を伝えてもいるのです。
 ヨハネ福音書の背景にあります教会共同体ということで、非常に興味深い描写があります。ヨハネ福音書はイエスの復活を全て一週間おきの日曜日に合わせて創作しています。つまり弟子達は日曜日毎に一緒に集まっていたという描写の中にヨハネ教会の姿が秘められているのです。トマスはイエス復活の日の夕方、つまりイースターの夕方に一緒にはいませんでした。ここから彼の疑いがはじまったと云っても過言ではありません。
 現代でも同じことが言えないでしょうか。日曜毎に礼拝に集い、共に聖書を読み、讃美を奏で、祈りを合わす。そこでは今教会の群で起こっていること、そして抱える問題へと祈りを通して誰もが心を合わせていきます。皆が共に顔を合わせて行くことでしか捧げ得ない大切な祈りがあります。私は皆で一緒に心を合わせて捧げていく祈りこそが信仰の原点であり、教会の生命線だと思っています。何気なく日曜毎に集められていますが、この祈りの輪に接することが信仰を深めていく大切な要素であると思っています。
 私たちは誰もが疑問を持ち、不安を抱いています。それを黙しながら、つぶやきながら去っていくのは正しくないと思います。人はその時、往々にして何かの誰かのせいにします。共なる祈りの輪に接していかなければ、乗り越える力も希望も得ることはできません。共なる祈りから離れていくとき、去っていくとき、やがては礼拝に集う者を疑い、教会を疑い、聖書の力を疑い、更には共同体の輪のただ中に生きて働くイエスをも疑っていくのです。
 トマスは次の日曜日には、弟子達の輪の中に戻っていました。あれほど強く他の弟子達へと疑いをぶつけたにもかかわらず、彼は一緒にいることを欲していったのです。あれほど激しく仲間の弟子達にあたったのですから、とても気まずいと思います。そして、言い放って去って行った後、残された者はもっと辛いものです。暗くなるし、落ち込んでしまいます。自らの疑いや戸惑いを人のせいにしたりせず、自ら真実を求めていく誠実な姿としてトマスは描かれています。言い放って無責任に去っていったり、離れたりするのではなく、疑いへの責任を自ら背負いつつ、トマスは輪の中に留まるのです。このトマスの加わった弟子達の輪は、閉じられた、小さな集まりに過ぎなかったかも知れません。しかしそれでもイエスは彼らのただ中に立ち、再度、十字架の傷を示しながら彼らに祝福を注いでいくのです。
 イエスは云われました「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」、ここで使われている「信じる」という言葉は「愛する」と同義の言葉です。この部分を直訳すると「愛さない者ではなく、愛する者になりなさい」。疑い惑い、恐れや不安は、信じる信じないではなく、愛するという最も大切なことを閉じていきます。
 見ないでは愛することの出来ないトマスへとイエスが現れたのは、もう一度愛することへの促し、イエスと人を愛することへの「愛への解放」だったのではないでしょうか。
 おぞね としこさんという方の「人を愛する資格」という小さな詩をご紹介したいと思います。
「人を愛する資格はね、早く走れることじゃない。人を愛する資格はね、心でものを聞けること。心でものが見えること。愛を伝える資格はね、人を信じる資格はね、お金を持っていることじゃない。名前が売れていることじゃない。いつか別れがやってきて、さよならしたあとも、生きていけると誓うこと。涙を流したそのあとで、生きていけると誓うこと」
 この詩を詠ったおぞね としこさんは、生まれながらの重度のしょうがいを持って生きてこられた方です。そのことの故に、涙を流し続ける日々があったことと思います。人を愛することに破れたこともあったと思います。人を信ずること、人を愛することに疑いと不安をもったこともあったと思います。しかし涙を流したその度に、なお生きていける、なお愛していけると誓いながら歩み続けられました。
 ヨハネ福音書は一旦閉じられながらも、更に弟子達の輪の中に復活のイエスが現れていくという出来事が書き加えられて行きます。恐らく弟子達は、いえヨハネ教会の信徒の群は、度々疑いや不安に陥っていったのでしょう。厳しい現実の中で、去る者、離れる者が続出したのでしょう。しかし涙を流したそのあとで、イエスと一緒に生きていけると、祈り合う中で力を得ていったのではないでしょうか。ヨハネが描く復活物語は、涙を流したそのあとに、生きていけるとの希望が満ち溢れています。そして信仰とは、イエスを愛すること、人を愛することとして表裏一体となって伝えられています。  
 「愛さない者ではなく、愛する者になりなさい」とのイエスの促しに、私たちも顔を合わせ、祈り合う中で応えたいものです。

2023年4月23日

「もう一度網を打て」
ヨハネによる福音書21章1~14節


 復活のイエスに二度出会った弟子達が三度目の正直ではございませんが、もう一度、復活のイエスに出会う場面になっています。場所はガリラヤのテイヴェリアス湖畔、他の福音書で云われる「あの方は復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる」という天の使いの促しが、ヨハネでも取り上げられたと考えられます。
 ガリラヤに行けば、テイヴェリアス湖畔に向かえば、イエスにお会いできる、弟子達は喜びと期待に溢れて湖畔に戻っていったのでしょう。
 しかし現実は、希望や期待が大きい程落差も激しいようです。21章に記されている前半の部分がそのことを物語っています。イエスとの再度の劇的な出会いを期待していたのでしょうか。勢い「私は漁に行く」と言い出したシモン・ペトロに一同も「私たちも一緒に行こう」と張り切って出かけました。しかしながら現実は3節にありますように「しかし、その夜は何もとれなかった」のでした。
 この場面はペトロを初めとする弟子達とイエスとの最初の出会いが重ね合わされています。かつて漁師であった彼らが、この場所でイエスと出会い、イエスによって新しい一歩を踏み出した場所です。彼らはこの湖畔で生まれ育ち、それこそ腕に覚えのある者たちです。たとえイエスとしばらくの間、旅をしていたとはいえ、かつてとった杵柄です。ホーム・グラウンドへと帰ってきた彼らは腕試しのつもりだったのでしょうか。皆で船に乗り込みました。
 そのような里帰りの第一夜は徒労に終始しました。何もとれない、何も得るものがなかった、勢い望んだことでしたので、一層の気詰まりが彼らを支配しました。
 私たちの状況もこれに似ていると思います。洗礼を受けて信仰生活に入る喜び、劇的な自己変革を期待しながら、教会生活を歩み始めます。ところが、一向に変わらない、変われない、新しくならない我が身を持て余します。愛の共同体と信じたはずの教会の現状・・・、人間の弱さや貧しさ、愚かさ、罪、我が身の為に十字架にかかって下さったイエスへの感謝と応答の生活、よく生きたいとの願いに溢れて歩み始めた信仰生活、ところが現実は行き詰まり挫折と失望感が漂いはじめます。こんなはずではなかったと頭をかかえることでしょう。あれが悪いこれが悪いと愚痴をこぼしはじめます。希望と期待、しかし現実の落差に、いえ己の弱さゆえに挫折をしていきます。なかなか思うように行かないのは、教会も信仰生活も同じです。
 ところが夜が明けた頃、イエスが岸に立っておられました。現実に困惑し疲れ果てる弟子達に向かってイエスは語りかけていきます。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」、かつての状況と同じです。更に声をかけた人物がイエスだとも彼らは分からなかったといいます。全く同じ状況が再び起こっています。
 弟子達は誰もが無駄と知りつつ、しぶしぶ従ったのでしょう。ところが、その過程の中で彼らはかつての体験を再確認しました。云われた事にかつてのことを思い出さずにいましたが、網を打って魚が取れて初めてかつてのイエスとの出会いを想起しました。
 イエスへの応答を通して、その過程の中で彼らはかつての信仰の芽生えを心の中に魂の中に再感得出来たのです。これは単に初心へ帰れ、最初のことを思い出せ、あのころに戻れという事ではありません。4節に「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた」という一句があります。ここには「すでに」という一言があります。勢い出かけて行った弟子達、希望と期待を胸に歩み始めた彼ら、現実は途方に暮れるものでした。息詰まる弟子達を、挫折しうなだれる弟子達を、すでにその過程の中で待っていて下さるイエスがおられたことを物語っています。初心と現実の間に「すでにイエスが立っておられた」ことを語っています。
 イエスを我が救い主と信じ従う誓いを果たしながらも、現実の難しさや己の弱さ故に保身に走り、証をせよとのイエスの促しに対しては、証しするのは自分のことばかり、信仰と現実に乖離していく自分、しかしそこにこそ、立ち続け我々を待ち続け、なお十字架の赦しを注ごうとするイエスがおられること、弟子達は再度の招きへと応答しつつ、自分達の初心と現実の間に注がれた神の愛と赦しを感じ取っていったのです。
 誰でもその出発は夢や希望に満ちあふれていると思います。歩み始めることの中で順風満帆の人は、なかなかいないと思います。誰でも失敗し、時に挫折し、あるいは八方塞がりの中でにっちもさっちも行かなくなることがあります。信仰生活、教会生活もこんなはずではなかったとため息を付くことがあります。
 罪と破れと弱さに満ちた人間に神が働きかけるだけでなく、信仰の生活に頓挫する私たちのかたえに復活の主は寄り添って下さるのです。そして主は「もう一度網を打ちなさい」と声をかけて下さるのです。私たちも、あきらめるのではなく、「もう一度」との祈りを込めて、イエス・キリストの促しに応えて行きたいものです。
 初心と現実の間を十字架に現された愛をもって赦し、執り成して下さることに心の琴線が震える時、主に向かって歩む新しい生が生来して行くのです。復活の主の新しい招き、新しい召命に応え、生活の中に主との共なる足跡を記して行きたいと願います。

2023年4月16日

イースター「悲しみの中から」
マタイによる福音書28章1~10節


 イースターの朝に墓にやってきた複数の女性の中で、一人だけ共通して全ての福音書に名前が登場している女性がいます。マグダラのマリヤです。
 マグダラのマリヤといいますと、これは映画や小説の影響でしょうか、当時売春をしていて、姦淫の罪を犯し、人々からとがめられていたと考えられてしまっています。しかし、実際、姦淫の女性はマグダラのマリヤであったという事実も、詳細も何も聖書は記してはいません。一言だけ、以前、イエスによって悪霊を追い出してもらったということだけ記されています。
 さて、どうして、マグダラのマリヤというのでしょうか、これは彼女の出身地のようです。マグダラという土地で生まれたようです。マグダラというところは、ガリラヤ地方の西に位置しており、ガリラヤ湖の湖畔にあるのです。
 正式な名称は、マグダル・ヌアイアであり、これは「漁師の町」という意味をもっております。それはこのマグダラの町が当時、一番大きな漁師町であったからだそうです。漁業だけではなく、商業も盛んで、遠くからやってくる商人達でにぎわっていた町でした。ローマやギリシャの人々も多く住んでいた町だったようです。各国の人々が、それぞれの習慣や生活様式を持ち込み、様々な文化が入り交じった、そのような所であったようです。
 ユダヤ教の会堂の他にも、宗教が存在し、特にアッテイスという神を崇拝する会堂は、悪名高い場所でありました。巫女とよばれる女性を中心に、陶酔的な礼拝が行われており、多くの売春が行われていたということです。このような悪名高い神殿がある町の出身ということで、マグダラのマリヤとは、姦淫の女性だと思われてしまったのでしょう。
 さてマグダラのマリヤは以前、イエスによって悪霊を追い出してもらったと云うことですが、いずれにせよ、彼女は重病であったのをイエスにいやされたのです。当時の世界では、何かわけのわからない病気になりますと悪霊が取り付いたのだと考えられておりました。そのことによって、人々は信仰がないだとか、先祖が悪いことをしたから、その報いだと噂し、時に差別の対象ともなっておりました。マグダラのマリヤも例にもれず、人々から差別され、いやな思いをし、悲しい思いをしたと思います。病気と、それに人々との噂、誹謗中傷の中で、辛く、悲しい日々を過ごしていたのでしょう。
 彼女は、イエスによっていやされて以来、最も献身的に、イエスに従っていた女性であることは間違いないようです。もう、悲しい思いをしなくてもいい、苦しまなくていい、人々から後ろ指をさされなくていい、イエスとの出会いによって、喜びと希望を与えられた一人であったと思います。
 けれども、最もイエスの十字架の死を悲しんだ、その一人であるということも事実なのです。苦しみから助けて下さったイエスに、従い付いてきて、イエスをしたい、共に歩んで来たのでしょう。喜びを知った、あの苦しい悲しい日々から解放されていたのに、イエスの受難と十字架の死は、彼女にとってもショッキングな出来事なのです。
 ところが、イエスの墓までいってみると、それこそとんでもないことが起こっていました。「あの方は、ここにはいない。復活なさったのだ」と告げられたニュースです。その時の様子を驚きを通り越して「恐ろしかった」と告げています。
 イエスが復活し、ガリラヤにいるから「行きなさい」。イエスは以前、ガリラヤに行くと伝えていたようですが、この、かねてからイエスが示していたガリラヤとは何でしょうか。弟子達または聖書に登場するマグダラのマリヤの出身地です。いえもっと正確にいうのならば、彼らが以前、生きていたところです。以前、ここに住み、生活をし、歩み、そうした中で様々なことを経験したところです。いやなこともありました。苦しいこともありました。悲しいこともありました。破れも経験しました。人々から後ろ指をさされたり、変な目で見られたり、いわば、戻りたくない、帰りたくないところなのです。イエスは、そこで待っているというのです。
 私たちのガリラヤはどこでしょうか?思い出したくないような、キズや痛み、胸が締め付けられるようなところで、待っているというのです。行きなさいというのです。イエスはそうした、一人一人のガリラヤで、復活の力をもって、待っていてくださるのです。誰もが逃げだし、忘れたい、にがい思い、悲しいことの中にいて下さっている。しかも、私たちよりも先に行って、待っているというのです。新たな力をもって、私たちのガリラヤで、復活の主が共にいて天の力と愛を注いで下さるのです。主イエスの十字架の死と復活とは私たちの新たな歩みを備えるためでもあったのです。
 聖書は、婦人たちが、恐れながらも大いに喜びとその様子を報告しています。恐ろしいところ、思い出したくないところ、触れられたくないところ、しかし、イエス・キリストはすでに愚かさ、醜さには赦しを、弱さ貧しさには力を注いで下さるために待っていて下さるのです。私たちもこの促しに押し出されていきたいと思うのです。ガリラヤへ行くのであれば、終わりだと思い、伏せていたことから、全く新しい歩みへと変えられるのです。さあ、行きなさい、神様の声、イエスの招きに応じるとき、新しい歩みの中をイエスと共に進むのです。イエスの十字架により、赦された者として、それぞれのガリラヤへ、押し出され、復活の力をもって歩んで下さる主イエス・キリストに自らを委ねたいと思うのです。

2023年4月9日

「主を見つめよ」
ルカによる福音書23章13~25節


         
 天才とも呼ばれた有名なチェリスト・パブロ・カザルス。彼は13才の時に、ある一軒の店で偶然、バッハのチェロのための「六つの無伴奏組曲」を見つけます。これがカザルスとバッハとの最初の出会いでした。後に彼はバッハのマタイ受難曲をパリで初めて聴いた時、「窒息するような感じがし、思うように泣くことさえできなかった。それほどの偉大さが私を打ちのめした」と語っています。
 私は受難節・レントに入りますと毎年、バッハのマタイ受難曲、ヨハネ受難曲、そしてヘンデルのメサイアを聴きます。もう何年も繰り返し続けていますが、不思議な事に同じ曲でもその年によって違った感じ方や受け止め方をするものです。
 マタイ受難曲の第65曲にベースのアリアが収められています。次のような歌詞です。「私の心よ、己を清めよ。私は、自らを墓としイエスを葬るのだ。イエスが今より後、私の中でとこしえに。甘い安らぎを得ますように。この世よ出て行け、イエスにお入りいただくのだ。私の心よ、己を清めよ。私は、自らを墓としイエスを葬るのだ」。
 この歌詞を改めて読み、曲を聴いていると不思議な思いにかられました。自分の心を十字架の上で亡くなったイエスの墓にするという視点に、初めて接したからです。ここには何かバッハの切実な思いが込められているのではないかとさえ思いました。
 話は変わりますが、アムステルダムの美術館にレンブラントの「ペテロの否認」という作品があります。聖書によるとイエスに三度否認することを予告され、さらにはイエスを思い出し、遠くからイエスのまなざしを感じていたにも拘わらず、本当に三度もイエスを否定し、拒絶した弟子の一人です。「ペテロの否認」と題されたレンブラントの描くペテロの表情は、非常に平安に満ちています。このペテロの表情は作者であるレンブラント自身ではないかと云われています。実はレンブラントは1649年に愛人関係で独りの女性を訴え、7年間も牢獄に入れてしまったという体験をしています。しかも相手の女性に愛情を注ぎ、同棲していたにも拘わらず別の女性にひかれ、レンブラントは同棲していた女性が邪魔になり、彼女を売春婦だとデッチ上げ、裁判所に訴えたのでした。当時、有名な画家であったレンブラントの訴えだけが取り上げられ、女性は有罪判決を受けたのでした。この事件の後、レンブラントは苦しみました。そして女性が刑期を終え、その10年後にレンブラントは「ペテロの否認」を描きました。ペテロの柔和で穏やかな表情の中には、無実の女性を売り渡した自分を赦して欲しい、取り返しの付かないことをした自分を赦して欲しい、平安でいたいというレンブラント自身の思いが込められていると云います。
 先ほどのバッハの曲もバッハ自身の思いが込められているようです。バッハ研究家の杉山好(よしむ)さんという方の「マタイ受難曲理解のための覚え書」という文章の中で、次のことを教えられました。マタイ受難曲を作曲するために、バッハは音符に自分の名前の頭文字を重ねて曲作りをしていることは有名ですが、バッハは「自分の名前を重ね合わせることで、御霊の働きを受けたこれら異邦人の仲間として自分を表現したり、自分が十字架に息絶えたイエスへの信仰告白を歌ってもいる」と云います。このような表現が最も顕著に現れている箇所が、第65番の曲だと云います。
 「私の心よ、己を清めよ。私は、自らを墓としイエスを葬るのだ」との一句はバッハの頭文字であるBが主音となっており、「この私は」と歌われる人物は「バッハ自身に他ならない」と杉山さんは強調し語っています。
 聖書の語る受難の記事は、ユダの裏切り、弟子達の否認、その中で苦しみつつも歩み続けるイエスの姿を伝えます。人間の身勝手さによる無理解と拒絶、皆に裏切られ否認され、皆が逃げていく孤独さの中で苦しむイエスの姿が絶頂に達し、十字架の日・今日金曜日を迎えます。生の極みに立つイエスの姿とは対照的に、己の生き様を問わない人間、力や権威を求めて行く人間の罪深さが浮き彫りにされます。そして誰もがイエスとの関係を断ち切ろうとイエスを拒絶していきます。マルチン・ブーバーは人間の罪や悪について次の様に語りました。人間の罪悪とは「他者との関係を認める余裕もない程に自分自身に陶酔した状態」であると。イエスの十字架を取り巻く人間は誰もが自分の正しさ正当さを主張する姿です。それと共に関係性を断ち切る姿でもあります。自分自身の事だけをいつも追い求め、そのことに何も答えられないことを恨み、諦め離れていきます。何もできないという弱さの極みにあるイエスは、かつての力あるイエスではありません。弟子達に良き教えや力ある業を示し、与えていったイエスではありません。弟子達にとっては、マイナスでしかない、自分たちに危機をもたらすイエスです。
 バッハはイエスの受難を奏でながら、十字架から逃げないでイエスの苦しみを自分の中に感じたい、イエスの遺体を自分の心を墓として迎えることで、あのイエスに憩いの場を捧げたいと激しく願っています。自分にとっては決してプラスではない、マイナスを引き受ける姿勢があります。このバッハの曲に際して私は別の視点を与えられました。
 私達はいつもイエスに私達自身の弱さや破れを重ね合わせて、イエスに私の重荷を負って頂くことを常とします。それがキリスト教会では、また弱き人間として、クリスチャンとして当然の様に考えていました。しかしバッハはそれを超えて、イエスが苦しみから解き放たれて、イエスに憩いの場を差し出したいと願っているのです。バッハの曲に込められた思いを知るとき、今の今まで、私は自分のためにイエスを利用することしか考えていなかったのではないかと思わされました。マタイ受難曲の秘密は、ただ曲を作る曲を奏でるということではなく、全身を持ってイエスを愛し、イエスに応答する一人の信仰者の生き様でもあります。
 神の限りない恵みと愛を私達はこの身に受けています。毎年、この時期には十字架のイエスが示されるにも拘わらず、私達はいつまでも受け身に安住しがちです。愛するという行為は能動的な行為です。本当にイエスを愛するとは、受け身から能動へと変えられることです。
 イエスを愛するということ、十字架の主を見つめるということは、体ごとイエスに向かうことです。己の生き様を、人生を向けていくことです。その時、私達の体には、私達の全存在にはイエスの愛が一杯に詰まって行くのではないでしょうか。その愛を携えて、世に社会にそれぞれの生活の場へと、今度は愛を届けていくことへと一歩を踏み出したいと思います。

2023年4月2日

「終わりと思う時にこそ」       
ルカによる福音書21章25~33節


 聖書の時代、ユダヤの民はローマ帝国の下におかれ、政治、経済など、ローマ帝国の監視下で行われていました。当然、ユダヤの人々は自由にあこがれ、独立を夢見ていたに違いありません。人々は心の中で救い主の到来を待ち望んでいたことでしょう。中にはローマ帝国に反抗し、いつの日かローマを倒そうとしていたグループも存在していました。
 このような状況の中、ローマはユダヤ教の神殿を監督下に置き、大祭司の職を我がものにする権限を得ました。宗教も牛耳ろうとしたのです。さらに外国に住むユダヤ人たちが排除される事態があちこちで起こりました。そしてついにローマの監督下におかれていた神殿を占拠し武器をもって立ち上がったのです。人々はアッという間にエルサレム市内全域からローマ軍を一掃しました。けれども、その後は、次々とユダヤ人の反乱砦を打ち破って、大軍でエルサレムを包囲したローマ帝国は容赦ない攻撃を仕掛けてきたのです。エルサレムは破壊されてしまう、そのことを記していますのが、今日の聖書の直前にありますイエスの言葉です。
  もう終わりの日が来たのだ、この世は滅びる、誰もがそう感じたようです。実際、ローマに抵抗していた人々は余りの戦闘の激しさに、今に救い主が降り立ってこの世を新しくしてくれる、自分たちを救い出してくれると信じていたようです。また、当時小さいながらも存在しておりましたキリスト教会もこの事件で激しく揺れ動きました。教会に集う信徒は、この世の終わりがきたのだと思ったのです。
 私たちが心を騒がせ、恐怖と不安に陥る出来事は現在でも同じように起こります。今、ウクライナで起こっていること、この世界はどのように移り変わるのか、私たちはどうなるのか?様々に起こる日常の事件に不安と恐怖を覚えます。「地上では海がどよめき荒れ狂う」とあります。大きな地震による破壊、津波による更に大きな破壊、大型の台風による被害、私たちも目の前にしてなすすべのなさを痛感したはずです。この先何が起こるのだろうかと不安になることがあります。愛する者、家族、その死に直面したのならば、また挫折、失敗、人々の無理解、孤独に置かれたのなら、誰もが悲しみ、恐怖、不安の中で「もうだめだ」「生きていても何もいいことなんかない」「終わりだ」と感じてしまうことでしょう。
  もう27年も前のことになりますが、亡くなられた木安牧師が東京で牧会をされていた頃、奥様・木安茜さんが一冊の本を出されました。「野の花よ、空の鳥よ・共に生きて20年」という本です。この本はお二人の間に神様から与えられた「小さな命」との記録が記されています。
 牧師という仕事は一カ所の教会にとどまっているということはありません。何年かしましたらどこかの教会へ移ります。木安先生の家族も何カ所も転々といたしました。先生ご夫婦は、寒さの厳しい北海道は札幌で「小さな命」、未来の未という字に希望の希という字で未希ちゃんという女の子が与えられました。子どもの誕生、親であるのなら誰もが喜びの中へと招かれるこの時、先生は主治医から「知能に障害があるかもしれません。後日、そのことが判明しても、私は責任を負いかねますから、そのことを承知していてください。」と宣告されたそうです。この時を振り返り、宣告ではなくむしろ「引導を渡されたと悟った」と語っております。3才児の検診で障害があるということが分かったとき、戦慄を覚えたとも記しております。「小さな命」未希ちゃんとの共なる歩み、いえそれは共なる戦いと言った方がよいのかも知れません。何年かして北海道から大阪へ移った家族は幼い未希ちゃんの突然の様態変化に戸惑います。下痢から脱水症状、緊急に病院での検査を受けます。分かったことは心身共に発育不良ということだけだったそうです。お母さんの茜さんは病院のベットに横たわる未希ちゃんを、「小さな顔がいよいよ小さくなり、目の回りにクマを作り、点滴をはずさないよう手足を広げてくくりつけられ、まるで十字架の上のイエス様のような姿の、意識も薄れかけた未希がいた。」と振り返っております。何とか退院をしました。けれどもその後、社会という大きな壁、人間の持つ偏見と差別という大きなカベが待っています。未希ちゃんの状態は養護学校の基準にも合わない、近所の子どもは未希ちゃんを仲間として受け入れてくれるのだろうか、それとも拒むだろうか、両親は心を痛め、何日も何日も眠れない「夜を過ごし、不安と絶望の中を歩んだということです。それでも聖書の言葉に、周囲の人々に、何よりも家族が支え合って歩まれました。この本「野の花よ、空の鳥よ」は未希さんの20才の誕生日にお母さん茜さんが、未希さんに送ったものです。20年間の思いが詰まっています。共に笑い、泣き、苦しみ、傷ついたその記録です。
 本の中で「最後の者」という聖書の言葉を記しています。「最後の者」「最も小さい者」聖書にはたくさん出てまいります。この社会では未希さんのように「障害」を背負った者は後回しにされます。社会はとてつもなく大きなカベをもって未希さんの前に立ちはだかります。このとき「障害」を持つがゆえに大きなカベの前で「最も小さい者」としてたたずんでいるのです。しかし、神はこの小さい者を通して、神の言葉を家族に宿したと思います。イエスの語る「最後の者」「最も小さい者」へ目を向け、共に歩むという、神の言葉が家族一人一人に宿ったのではないでしょうか。著者の茜さんは「聖書のみことばは、頑なな私にも、あなたと生きる命がけの日々の中で、一つずつ理解されてきました」と振り返っています。20才の未希さんに送られたこの本は、神への感謝の歌であると言ってもよいかも知れません。
 あらゆる困難がこの家族を待っています。けれども、神の言葉を与えられた家族は共なる歩みを通して、そこに神が共に歩んで下さっていることを示していくことでしょう。
  「わたしの言葉は決して滅びない」今日の箇所の最後の言葉です。この言葉は私たちの内に宿り、そして歩むための力となるのです
 私たちも時に「もうだめだ」「もう終わりだ」と絶望します、困難な状況でもがき苦しみます。私たちのそうした終わりを通して、終わりと思う時にこそ、神の言葉、イエス・キリストが与えられているのです。終わりと思うほどの苦しみの中から、共に歩み出て下さるために、イエス・キリストが与えられているのです。
 現実の生活で起こる様々なことに伏せてしまい、なすすべがないと不安におびえます。けれども、決して滅びない神の言葉に向かいつつ、イエスが私たちを変えて下さり、私たちの内に宿って下さることをこそ祈り願いたいと思うのです。

2023年3月26日

「委ねることが出来るように」
ルカによる福音書21章1~4節


 私たちは普段の生活におきまして、それぞれスケジュールやリズムをもっています。教会に足を運ぶこともリズムになっていると思います。毎週日曜日には教会へ行く、これも、一週間のスケジュールです。それぞれが時間なり労力なりを自分で割り振っています。お金もそうです。いくら、いくらが生活費で、あとは自由になるお金など、様々に割り振ります。いわば生活そのものが時間や労力など様々なものを割り振りながら生きているといってもよいかと思います。それは割り振りをすることで、生きてゆくうえでの、次の瞬間、それは明日への保証をつくっているといってもよいかと思います。
 しかし、割り振りのできないものもあります。突然の困難や苦しみ、悲しみなどです。今は時間がないから、あとで苦しみますとはいきません。今は悲しんではいられなから、そのうち悲しみますなんていうことは不可能です。こうしたことは、割り振りがきかないものであります。
 不安や痛みもそうです。自分で割り振りができません。すごく痛いから、今は半分だけ痛んで、後の半分は明日いたみますとは無理な話です。こうした痛みも割り振りできないだけではなく、人に触られたくなかったり、自分のうちで守ろう守ろうといたします。時間や労力のように割り振りできないだけに、本当に苦しいものです。
 先ほどの聖書の箇所はユダヤ教の神殿におけるイエスの教えであります。賽銭箱とありますが、献金をする箱としたほうがよいかと思われます。当時のユダヤ教の神殿ではいたるところに幾つもの献金箱が置かれていたようです。その一つの向かいにイエスは座り、人々が献金をする様子を見ていたと聖書は報告しております。
  「金持ちたちが賽銭箱に献金を入れているのを見ておられた。」あまり細かい描写はなされてはおりませんが、大勢の金持ちがたくさんのお金をいれていたのでしょう。平行箇所でありますマルコによる福音書では「大勢の金持ちがたくさん入れていた。」と記されています。聖書は続いて、「ところが一人の貧しいやもめがきて、レプトン銅貨2枚、すなわち1クアドランスを入れた。」と告げます。するとイエスはすぐに弟子達を呼んでこの女性は誰よりも多くを捧げたのだと言います。それは捧げたレプトン銅貨2枚が自分の持っている全てであり、生活費の全てであったからです。
 ところで、レプトン銅貨とは当時の最小単位のお金であります。レプトン銅貨2枚は現在の日本円になおすと20円、生活費の全てを捧げたとありますので、もう少し多いとしても100円くらいであると考えられます。それしか持ち合わせていなかったのです。
 この女性は「やもめ」であったとあり、ご夫君を亡くされたのでしょう、一人で生計をたてて暮らしていたのでしょう。けれども貧しく手持ちにはレプトン銅貨2枚しかなかったのです。一方、金持ちはどうでしょうか、お金の額は記されてはおりませんが、この女性の何十倍、いえ何百倍と捧げたのでしょう。けれどもどんなに捧げても自分の財産の全てではなかったはずです。貧しい女性のように全てを捧げたのではないのです。
 私たちが捧げるというとき、お金だけではなく、時間や労力も自分の中で割り振りをしています。この時間であれば教会へいって礼拝を守れる、でもほかの時間では教会へは行けない。奉仕でもそうです。他の用事がなければ可能です。自分の空いている時間であればできます。そうした割り振りでしか神に捧げることのできない現状に私たちは生きています。こうした生き方を、しかたのないことだと片づけてしまっています。実は神様に全てを捧げていない、委ねていない私たちの姿がイエスの言葉によってあらわにされます。
  さて、聖書が語りますこの女性は貧しい中でのわずかなものを捧げたのですが、生活費を全て入れたとあります。自分の持っている全て、生活費でありますから生きてゆく一切の保証をも手放し捧げたことになります。ここにイエスが女性を祝される理由があります。
 この女性は貧しさの中で、なおも全てを捧げるということ、生活に必要な、言い方をかえるのならば、生きてゆくに必要な全てを捧げ尽くしてしまうという不安、それに伴うこれからの生活の苦しみ、そのような全てを捧げ尽くしてしまうということで、これから先、生きるための保証を無くすという痛みをも神に託しているのです。この女性は捧げ尽くすことで、生活に必要なお金はもうありません。一体、これからどうするのでしょうか。彼女は自分の不安、痛みをも、一切を神に捧げ尽くしているのです。ここに神に全てを委ねる信仰者の姿が示されているようです。
 私たちは不安や痛みを覚えるとき、神に託すというよりは、神から離れていってしまうことのほうが多いようですし、不安や痛みを感ずるときにはむしろ、託したり、捧げるというより自分の中でそれらに触れさせなで、守ろうとしてしまいます。
 私はイエスが献金をする人々を確かに見ていたと思いますが、それだけではなくて、献金を捧げた人々をとおして、特に貧しい女性の全てを捧げた姿をとおして、イエス自らが、これから献げる御自身の献げものを見ていたのではないかと思うのです。イエスはこの貧しい女性を通して、この後、ご自分の身に起こる十字架の死を見つめておられたのではないでしょうか。
  自分のこれからの不安と痛みを神に託した、この女性をこそ、イエスは、省み、深い憐れみをもって見つめておられたのです。イエスのまなざしは、神がご自分の独り子・イエスを見つめる眼差しであり、神とイエスが私たちを見つめるまなざしでもあるのです。
 私たちは自分の不安や痛みを全て託すということが、なかなかできません。しかし、貧しい女性の行為とイエスの言葉を示されるとき、私たちは不安や様々な痛みを覚えるときこそ、神に見つめられ、神に招かれているのではないでしょうか。「あなたの痛みを私に託しなさい、献げなさい」と私たちに呼びかけて下さっているのではないでしょうか。そのような、あなたの痛みや苦しみを私に預けなさいと声をかけて下さっているのではないでしょうか。
 日々の暮らしの中で私たちは様々な不安や、体のまたは心の痛みを覚えます。苦しいときもあります。けれどもその時こそ、主が招き呼んで下さっていることをいつも心にとどめて歩みたいと思います。
  自分の不安や痛みをも献げることが、神に委ねることへの大きな一歩ではないでしょうか。私たちは苦しみの中で、なおも委ねることのできる神の存在を、イエスから貧しい女性から示されます。このレントの時、私たちが全ての痛みを、お預けすることの出来る神の存在に気づく一時でもあるのです。
  委ねることができますようにと、共に祈りを合わせたいと思うのです。

2023年3月19日

「踊らされず、祈る」
ルカ福音書 4:1-13


 以前にもお話ししたことがあったかもしれませんが、私の前任地である、ドイツのケルンという町には、その名も「ヒロシマ・ナガサキ公園」(Hiroshima -Nagasaki Park)と名付けられた広場があります。真ん中に綺麗な池のある公園で、市民の憩いの場所として、多くの人々がゆっくり時間を過ごしています。
 この場所にこの名前が付けられたのは、ちょうど20年ぐらい前。2004年のことでした。この広場の横に日本文化センターがあり、ケルンの日本人教会なども一緒になって名付けの運動を展開したのでした。この場所が、一緒に核廃絶、そして人類の未来と平和への願いを深めるのにふさわしい場所だと思ったからです。
 ケルンという町はローマの植民市・コロニーであったころから1200年以上の歴史を積み重ねてきた都市です。ライン川沿いに発展し、元々ユダヤ系の住民も多く、外国人には寛容な町でした。1930年代、ここにやってきたナチスにとって、これは憂うべき事でした。彼らはこの町に秘密警察、ゲシュタポの拠点を置きます。その地下牢は、たくさんの人々が裁判も受けずに亡くなった歴史の舞台となりました。一方、ナチスは、市民への懐柔策も行います。旧市街地の外れにある原野を開拓し、ここに総合娯楽施設を作る計画を立てたのです。劇場に競技場、ボウリング場・・・。建設のために次々とブルドーザーなどの重機が運び込まれました。しかし、それは土地が開かれただけで、戦争は激化し、建物は一つもできずに終戦を迎えるのです。
ケルンは、焼け野原でした。ドイツ第3の都市で、ゲシュタポの拠点ですから、空襲に狙われたのも当然でした。残ったのは瓦礫の山。それを人々は開墾され放置されたこの広場に運び込みました。やがてこの広場は整備され、人々はここで安らぐようになっていきました。穏やかな風景が訪れたのです。
 ケルンは焼け野原だったのでした。世界遺産となっているあの大聖堂。大聖堂一つを残して、徹底的に破壊された・・・。大聖堂、司教座聖堂のことを、ドイツ語では「ドーム」というのです。ドーム一つを残して、焼け野原となった。それでその意味をこの広場から考えようということになったのです。新しい公園には、広島のイチョウと、長崎の山桜と、ケルンのポプラが植えられました。そして、その真ん中に石が二つ置かれます。大きめの石には、広島原爆公園にある、禎子の折り鶴が刻まれ、もう一つの石は小さく、そっとその脇で腰掛けられるように置いてあります。ここに座り、祈ろう、というのです。
 ナチスはやって来て、力と恐怖と、甘い誘いとで、町を征服しようとしました。町を自分のものにしようとし、そして灰になった。その悲しみをこの公園は人々と分かち合おうとしています。
 それなのに、というべきでしょうか。この2023年の世界は、今も核という大きな力を手にすることに躍起になり、平和は乱されています。悪魔は今日も私たちにささやきかけます。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう」。このささやきを、どうやって退けることができるのか。遠いドイツ・ケルンの町に、「ヒロシマ・ナガサキ公園」があることの意味を、今日こそ、私たちは真剣に思い返さなければならないのかもしれないと思うのです。
 
 巨大な力を求めたやまない私たちです。その愚かしさと、人の深い悲しみを引き受けるかのように、キリストは悪魔と向き合っておられました。今日の聖書は、受難節に古くから読まれてきた聖書の箇所の一つ、ルカによる福音書4章1節以下でした。
 
 1さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、 2四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。
 
 イエスは洗礼をお受けになったのでした。私たちは、洗礼を受けるというと、なんとなく清くされ、もうこれからは世の在り方に従わず、神のものとなって生きる決意の行為と理解して終わってしまいそうになります。しかしむしろ洗礼の意味は、世の濁りと訣別することにあるのではなくて、世の苦しみを共に担っていくものとなるという所にこそあるのかもしれません。ヨルダン川は濁った川だそうです。その水の中で、死にそうになりながらもがく。キリストもその苦悩を味わわれた。そしてその結果が、イエスにとっては、40日間の断食へと繋がっていくわけでした。
 受難節。それが40日間であるのは、もちろん、今日の聖書の記事にちなんだことです。受難節、あるいは四旬節と呼ばれるこの季節は、イースターに洗礼を受けようと思う志願者が心を整える期間として定められたところから教会のカレンダーに定着していったのだそうです。そしてこの季節の風習としてしばしば信仰者に断食が呼びかけられてきたのは、他者の飢えを受けとめることに意味を見出したからでしょう。洗礼とは、まさに他者の苦しみに、今日の飢えに伴っていくことのしるしであったわけです。続けて読みます。3節。
 
 3そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」 4イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
 
 このコロナ禍が始まってから、医療や介護の現場は本当に大変でした。膨大な業務に振り回されるようになったことはいうまでもありません。それにもかかわらず、院内や施設内で感染者が出たと言うことになれば、何かプロとして失格でもあるかのようにみなされる、そのことに耐えなければなりませんでした。まして自分が感染してしまうことは恐ろしいことでしたから、職員たちは皆、日常生活も緊張し通しであったことを振り返ります。
 そのような中で、スタッフたちにとっても最も辛かったことの一つは、面会を制限しなければならなくなったことではなかったかと思うのです。スタッフはその方の家族や親しい方々との接点を失ってしまいました。家族も患者さんの今の様子がわかりません。いくら電話越しで情報は得ていたとしても、ひとたび患者さんの体調が悪くなれば、「なんで急にこうなるんですか」という持って行き場のない感情に襲われます。そしてスタッフは、そのお気持ちに曝されることになったのでした。そして別に期待しているわけではないとは言え、以前だったら、少しの感謝の言葉ももらったりして、それが励みになっていたことも思い出します。人が人と関わっているという当たり前のありがたさを分かち合えたのです。でも、それがない。人との繋がりを持っているということは、まさに人間であることの意味でもあります。それが断たれたとき、人は人であって、ほんとうに人間らしくあることは難しくなるのかもしれません。向き合う相手が人間であるという当たり前のことが揺るがされ、スタッフも、業務としてなさなければならない治療や看護、介護や生活支援、それを画一的に守ること、つまりパンを配ることだけで精一杯になってしまうのでした。
 悪魔なら迫ります。「石をパンに、他者を犠牲にしても自分の体を維持するための費えに変えてしまえばよいではないか」と。結局、パンがなければダメじゃないか、きれい事ではないだろう、と。しかしイエスは、申命記8章の言葉を用いてはっきり答えられます。「人はパンだけで生きるものではない」と。
 私たちは、今こそ、本当に問い返さなければならないように思うのです。「人は何によって生きていたのだろうか」ということです。私は何によって養われ、命を紡いでいるのだろうか。マスクで口を覆い、黙ってひとりずつ食事をし、できるだけ誰とも会わずに過ごす。そのことを3年も強いられてきた私たちには感じるものがあるような気がします。他者との繋がりが断たれるという究極の飢え、精神的な渇きを味わった私たちに、それは今、突きつけられている問いであるようにも思うからです。5節。
 
 5更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。 6そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。 7だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」 8イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、
ただ主に仕えよ』
と書いてある。」 
 
 あるキリスト教主義学校の聖書の先生が、クラスで「主の祈り」の授業をしたあと、「みんなが本音で祈りをするとしたら、どんな祈りになるか?」と作文させたのだそうです。するとこんな祈りができあがったと言います。「主の祈り」ではなくて、「わたしたちの祈り」という祈りです。
 
「わたしたちの祈り」
天にまします我らの父よ、
このわたしがほかの誰よりも有名になりますように。
そしてすべてのものをわたしに支配させてください。
またわたしの思うことがすべて実現しますように。
わが日常の糧を今日だけといわず、
死んでも食べきれないほど与えてください。
わたしを傷つけるものは絶対に許さないで、
徹底的にやっつけてください。
だけど、わたしの過ちはそっと見逃し、
すべてをなかったことにしてください。
誘惑にも少しは出会いたいなぁ。
悪いことをしてもどうか見つかりませんように。
国も力も栄えもすべてわたしのもの。
わたしのものはわたしのもの。
あなたのものもわたしのもの
アーメン
 
 ほんとうによくできていると思います。この生徒さんたちは、「主の祈り」がどんな構造になっているか、何を求める祈りであるか、よく理解して、これをひっくり返して見せてくださった。見事な表現力、ですね。感心いたします。そう、私たちはどれほど、主の祈りに示された祈りの姿勢を離れ、これをひっくり返して祈ってきたことだろうかと思うのです。「すべてのものを、私に支配させてください」、そう願ってきただろうかと思うのです。イエスは人のパンへの求めを大事にされました。いや、イエスこそは、貧しい人々、今日のパンに事欠く人々と共に生きられた方ですから、彼はそのことを切実に祈り、「今日のパンをお与えください」と願ったのです。しかし彼は、「日ごとの糧を」と祈ったのでした。イエスはパンというものを、他者を支配し、思いのままに人を従わせるための道具としてはならないことを示されたのだったではないかと思うのです。
 ともすると、私たちは、飢えと渇きに曝されながら、今日のパンを必死に求める人々に札束をちらつかせ、私たちに隷属するものにしてしまってきたのではなかったか。いや、まさかそんな阿漕なことはしていないと言いたいところですが、ひょっとすると、私たちは、自分の恵まれた生活を続けるために、どこかで誰かの犠牲を強いてきたのではなかったか。沖縄の人々に、福島の人々に、そして世界中の人々に。そしてその上にあぐらをかいて平気でいたのではなかったか、そう問い返してみてもいいことでしょう。私たちは知らず知らず祈っている。「国も力も栄えもすべてわたしのもの。わたしのものはわたしのもの。あなたのものもわたしのもの」。その言い草はまったく、まさに悪魔のささやきそのものだったということになるのではないでしょうか。イエスはこれに対し、「ただ主に仕えよ」と応えられます。申命記第6章の言葉です。「あなたが求めてきたもの、それはすべて、本来主なる神のものであったではないか」、これはそんな諭しの言葉でもあったのかもしれません。9節。
 
9そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。 10というのは、こう書いてあるからだ。
『神はあなたのために天使たちに命じて、
あなたをしっかり守らせる。』
11また、
『あなたの足が石に打ち当たることのないように、
天使たちは手であなたを支える。』」
12イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。
 
 イエスが聖書の言葉を持って悪魔のささやきを退けようとされるので、悪魔もまた、聖書の言葉で彼の心を揺さぶろうとします。詩篇91編の言葉。「神はあなたを支えるだろう」というのです。
 ナチス政権下であった1940年。ドイツで、“ドイツ国民に有益なように”聖書を再編集したという本が新約聖書学者たちの手によって出版されます。”Die Botschaft Gottes”(神のメッセージ)というタイトルで、従来の旧新約聖書に代わって教会で用いられることが期待されていました。旧約聖書は省略。例えば、ヨハネ福音書4章にある「救いはユダヤ人から来るからである」のような言葉は削除。イエスはユダヤ人ではなかったことにされ、その十字架の贖罪の死は、民衆のための進んで献げるべき犠牲として描かれました。それは巧妙に聖書の言葉を再編成しながら、その核の部分を、まさに「神のメッセージ」では“ない”ものにしてしまっていたと言わなければならないでしょう。各地の牧師研修会でこの本はテキストに選ばれ、積極的な流布が図られ、戦後も5年ほどは、各教会で使われていたようです。
 聖書を、自らに都合の良い言葉だけで受けとめ、人を扇動する。これこそ、まさに神を試す行為であったと言わなければならないのではないかとも思うのです。
 私たちは、この世の歩みを続けている以上、どこかに不安というものを背負いながら生きています。これからどうなるのだろうか、あれで正しかったのだろうか。あの人の真意はどこにあるのだろうか。そして悪魔にすくい取られてしまう。だから、私たちは、ただ神にのみ心を向け、神を試すことなく、もっと単純に祈りに希望を見出して良かったのだろうと思うのです。
 
 ある患者さんを訪ねたときのことです。お母様が患者さん、間もなく臨終の時を迎えようとしておられました。そばには息子さん。私が「牧師です」と言って部屋に入ると、息子さんが呟かれるのです。「どうしてこうなったのでしょう。どうして母は死ななければならないのでしょう。あの時、もっとしっかり僕が母の訴えを聞いていたら。悔やまれてなりません」
 痛々しい魂の叫びでした。私はただただ立ち尽くし、その重苦しさに耐えていました。でもいよいよその痛々しさが苦しくなって、「祈ってもいいですか」と言ったときのことでした。
 息子さんが「ちょっと待ってください」とおっしゃるのです。何事かと思うと、スマーフォンを取り出し、「動画を撮ってもいいですか?」というのでした。私は今まで祈りを撮影されるなどという経験はなかったので、驚いていると、息子さんはおっしゃいました。
 「母は間もなく亡くなることでしょう。残される私は悲しみに暮れることと思います。でも、母の最期の時に牧師さんが来て祈ってくれた、その様子を手元に持っておけたら。これを見返すときが来るのか、今はわかりませんが、何か希望になるような気もするのです。ビデオを撮らせてもらえませんか?」そう言うのでした。
 祈りは、自らの限界や力なさ、途方もなさを深く自覚したときに生まれるものなのでしょう。そしてそのことを真っ正面から引き受けたものだけが、そこに希望を見出すことができるのではないかとも思うのです。
 
13悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
 
 今日の聖書箇所は、そんな言葉で閉じられていました。悪魔の誘惑は去っても、イエスを離れているだけで、その時が来るまでは、恐れが続くのかもしれません。だからこそ、この受難節を、儚いものに踊らされることなく、祈りのうちに過ごしたいと思うのです。私たちの非力を顧みつつ、なお大きな息吹で私たちを生きるものとしてくださっている方に信頼を置きたいと思うのです。キリストは私たちの今日の飢えを知っておられる、これほどに大きな道しるべはないと、私たちはそう信じてありたいと願うのです。

2023年3月12日

「イエスに従う道」
マルコによる福音書8章 31 節~9章8節


 キリスト教の暦では、2月22日の灰の水曜日からレント、受難節に入りました。レントは、イースター前日までの日曜日を除く40日間で、そのため四旬節とも言われます。今年のイースターは4月9日ですから、前日の8日土曜日までレントは続きます。主イエスが私たちのために、十字架への道を歩まれたことを覚えて、過ごしたいと思います。
 
 さて、今日読んでいただいた聖書は、マルコによる福音書の中で、イエスが弟子たちに、これから十字架の道へと進んでいくことを、初めて話された箇所です。受難の始まりを告げる箇所なのですね。マルコによる福音書は、4つある福音書の中で、一番初めに書かれました。歴史的なイエスに一番近い福音書と言われています。16章までなので、他の福音書よりも短いのですが、ちょうど真ん中にあたるのが、今日読んでいただいた、8章後半から9章初めあたりの記述です。少し長く読んでいただきましたが、ちょうど、イエスの活動の折り返し地点となる部分なのです。イエスはここから十字架に向かって歩み始めます。
 
 「人の子は多くの苦しみを受けて祭司長たちによって殺され、3日後に復活することになっている」とイエスは、初めて、はっきりと話しました。それを聞いたペトロは驚いて、イエスをわきへ連れ出し「そんなことを言ってはいけません」といさめました。十字架刑は、当時の政治犯の処刑方法で、非常に苦しんで死を迎える残酷な死刑でした。自分の先生であるイエスがそんな死を迎えるなんて、ペトロは驚き、反発したのです。これに対してイエスは、「サタンよ、引き下がれ」という厳しい言葉で、ペトロを叱っています。
 「あなたは神のことではなく、人のことを思っている」そして弟子と群衆に向かって「自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と言われました。この自分を捨てて、でも自分の十字架を背負って、イエスに従っていく、というのはどういうことなのでしょうか。今日は、この言葉を考えたいと思うのです。
 
 この後9章では、イエスの姿が変わる場面が伝えられています。イエスはペトロ、ヤコブ、ヨハネという3人の弟子だけを連れて高い山に登りました。すると、彼らの目の前でイエスの姿が変わり、服は真っ白に輝いたというのです。そしてエリヤとモーセと言う旧約の偉大な預言者が共に現れて、イエスと語り合います。「白」は、当時神の世界を表す色とされていました。イエスの姿が変貌する「山上の変容」とか「変貌山」と呼ばれる、イエスの生涯の中でも特別な場面です。まるで神の子イエスが天に戻られたかのような様子です。それを見ていたペトロは言葉にならない感動に包まれ、「先生、すばらしいことです。あなたとモーセとエリヤのために仮小屋を立てましょう。」と言いました。この夢のような、輝かしい出来事に、自分も居合わせることができたことを光栄に思い、このことを記念碑を立てて永久に保存したいと思ったのでしょうか。しかし、その次の瞬間に、雲の中から声がして、モーセもエリヤも見えなくなりました。そして、イエスだけが、弟子たちと共に地上に残りました。
 
 ペトロは生涯をかけてついてきたイエスが、神のように輝いて栄光の中にいる姿を見て誇らしく、嬉しかったでしょう。自分も同じ栄光を与えられたような気持ちになりました。イエスについてきてよかった、自分もいい地位をもらえるかもしれない、そう思ったかもしれませんし、ペトロの気持ちも私はよくわかるように思うのです。誰でもいい夢を見たいと思いますよね。名誉を得たい、成功したいと、そう思うことはあります。しかし、イエス自身はその輝く真っ白な衣は山に脱ぎ捨て、弟子たちのもとに戻りました。私たち人間の現実に戻り、苦しみに満ちた十字架の道へと歩まれていくのです。その時はペトロにはよく理解できなかったでしょう。しかしペトロもやがて、十字架と復活の出来事を経て、イエスの生き方の後を辿ることになります。
 
 イエスの十字架は栄光に満ちた高い山にあるのではありません。人間の罪や弱さ、悲しみを人として体験したイエスは、最後には弟子たちにさえ裏切られ、孤独の中で、身体も心も耐えられないような苦しみを受けて十字架で、死を迎えました。イエスの十字架は人生の高い山ではなく、谷底のようなところに立っているのです。
 
 モルトマンというドイツの神学者がいます。1926年、ハンブルグに生まれたプロテスタントの神学者です。モルトマンは、ドイツ軍の兵士として第2次世界大戦に従軍しました。激しい戦いの中、目の前で多くの友人を失いました。「なぜ私は隣にいた友のように死ななかったのか?なぜ私は生きているのか?」「神よ、あなたはどこにいるのか?」と悩みました。やがて1945年に戦争は終わり、ドイツは敗北します。そして、モルトマンは、信じていた母国が行ったナチスのユダヤ人虐殺を始めとした非道な犯罪を知ることになります。
 モルトマンは、戦後イギリスの捕虜収容所に入れられ、捕虜としての生活を送りました。そこで、自分の国が犯した大きな罪と、生き残った自分への負い目に苦しみます。その収容所の中で、従軍牧師に聖書を渡されました。読み慣れた聖書を改めて開いてみた時、モルトマンの目にはイエスの十字架上の「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」という死の叫びの場面が迫ってきました。モルトマンは、苦しみの中で、イエスの苦しみに共感し、イエスこそが自分を理解し、友となってくれる方であることに改めて気づくのです。主イエスは、死の陰の谷を行く時も道連れとなって下さる友である、そのことに力を与えられて、生きる勇気を得ました。モルトマンはこう言っています。
 「1945年、あの時、あのスコットランドの捕虜収容所で、イエスが私の魂のブラックホールを尋ねて、私を見出してくださったのだと確信しています」と。この時モルトマンは19歳でした。モルトマンは、後に『希望の神学』と『十字架につけられたイエス』と言う有名な著作をしています。それらは、解放の神学やフェミニスト神学にも関連して注目を集め、日本にも大きな影響を与えました。それは、モルトマンが収容所で味わった苦悩と、十字架のイエスへの深い理解が原点となっているのです。
 
 「自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさい。」というのは、自分だけの栄光や成功を追い求めるのではなく、また自分の弱さや間違いに押しつぶされるのではなく、イエスが共におられることを信じて、自分の課題に向き合い続けると言うことではないでしょうか。「自分の命を救いたいと思う者はそれを失うが、わたしのため命を失う者はそれを救うのである。」ともイエスは言われています。十字架のイエスを見つめつつ歩む時、私たちは自分の弱さを知る時でも、希望と感謝を持って、自分を負って生きることができるのです。
 
 話は変わりますが、昨年末の大晦日に、NHK紅白歌合戦を見ました。見られた方は多いと思いますが、大分前のことなので、忘れてしまったと言う方も多いですよね。最後の方にサザンオールスターズの桑田佳祐を中心にした「時代遅れのロックンロールバンド」というのが出演し、歌いました。私は、それが印象に残ったのです。「時代遅れのロックンロールバンド」というのは、サザンオールスターズの桑田佳祐と、世良公則、チャー、佐野元春、野口五郎、往年の人気歌手5人が集まった即席バンドで、歌詞の一部はこんな感じでした。「この頃平和と言う文字がおぼろげにかすんで見えないか。意味さえうつろに響く。世の中を嘆くその前に、しらないそぶりをする前に素直に声を上げて見ないか。子どもの命を全力で大人が守ること、それが自由と言う名の誇りさ。」と言う歌詞でした。最後は「闇を照らす、ダサイロックンロールバンド」と言う歌詞で締めくくられていました。桑田佳祐は、1985年頃在日外国人の人たちを中心に指紋押捺拒否運動が起こった時も、指紋押捺を拒否した在日コリアンの女子高校生のことを歌った「悲しみはメリーゴーランド」というオリジナルの歌を出しています。とてもいい歌で私は感動して、それ以来桑田佳祐の歌に興味を持ちました。それほどサザンの歌を知っているわけではありませんが、ヒットソングをたくさん出していて軽い内容の歌も多いですが、時々とても深い内容のメッセージソングも出しています。紅白歌合戦という多くの人が視聴する歌番組の中で、新しいバンドを組んで、平和へのメッセージソングを歌ったのが新鮮でした。アーティストの人たちは、歌と言う自分の専門の分野で人々に訴えるのだなあ、全然ダサくない、かっこいいなあと思ったのでした。
 
 自分の力を、自分のためにだけではなく使う事が出来たら、イエスの十字架には遠くても、イエスに従う道につながるのではないでしょうか。自分を捨て、自分の十字架を背負って、イエスさまの後について行く、大きなことでなくても、自分のできることから考えていきたいと思うのです。
 
祈り
 愛する天の神さま、
 どんな時も、あなたを見上げつつ歩むことが許されていることに感謝します。新しい1週間も、あなたによって新たにされて歩むことができますように。この祈り、主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン。

2023年3月5日

「キリストのからだ」
コリントの信徒への手紙一12章12~31節


 今朝は、聖書の中で教会について語っている箇所、特に使徒パウロが教会について語っている箇所を通して示されたいと思います。皆さんにとっては今朝の箇所は、繰り返し繰り返し読んでこられた箇所であり、何度もこの箇所についての説教を聞かれてきたことと思いますが、改めてパウロの云う教会観に迫りつつ、イエスを中心とする教会の姿に迫りたいと思います。
 「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である」、パウロは教会とキリストを同時に語りながら、「体は一つでも、多くの部分から成り」、一つから多数へという方向と、「体のすべての部分の数は多くても、体は一つである」という多数から一つへという二つの方向を語ります。そして「キリストの場合も同様である」と、イエスも二つの方向を内に秘めているとパウロは語ります。
 この二つの方向は相矛盾するかのように思われますが、しかしイエスはその二つの方向を自らの内に持っているとパウロは主張します。
 実は、今朝の聖書箇所である第一コリントの12章は、古代教会における「三位一体論」への芽生えと云われる箇所です。三位一体とは「父、子、聖霊」、つまり「神、イエス、聖霊」という神表現です。特に「聖霊」は聖書で「炎」などと表現されますし、カトリックの井上洋二神父は「風」、作家の故・遠藤周作さんは「水」ともたとえます。西洋のキリスト教美術などでは「炎、ハト」として描かれてもいますし、宗教音楽でも「聖霊」が音によって表現されます。このことからもお分かりのように、この「三位一体の神」が働く場は、多岐にわたり、多様に表現されています。多様で、多層で、豊かで、繋がりつつ連動し、流動する動き、ダイナミックさが表現されています。神はその中に、内側に様々に異なるものを同時に持っているということ。これと非常に似た表現をパウロが先だって、全く逆方向の二つのものをイエスが持っていると表現しているのです。そのことを現実にたとえて、パウロは「体の中ではほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」、さらに「一つの部分が苦しめば、全ての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、全ての部分が共に喜ぶのです」と表現しているのです。
 パウロの云う必要な「弱い部分」という逆説的なものは一体何でしょうか?パウロの直筆の手紙である第一コリントの2章2節に「わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」というパウロ自身の言葉があります。これは「十字架につけられたキリスト」ではなく、正確に訳すと「十字架につけられたままのキリスト」です。更にこれもパウロ自身の言葉で、ガラテヤの信徒への手紙3章1節に「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきりと示されたではないか」と「十字架につけられたままのイエス」が綴られています。「十字架につけられたまま」とは、非常に弱々しく無力なイエスの姿です。「体の中ではほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」、それは今もなお私たちの弱さと共に苦しんでおられるイエスを表現しているのです。「あなたがたはキリストの体である」と語る時、キリストの体である教会には、今も「十字架につけられたままのイエス」が具体的に描き出されていくのではないでしょうか。
 そのことと関連して24節に「組み立てられる」という言葉があります。教会の一人一人が、私たちが組み立てられていくと云います。この「組み立てられる」とは共同的一体性を表す言葉で、マタイ福音書19章6節とマルコ福音書10章9節の「結び合わせる」という言葉にあたります。元々は「共に」という言葉と「くびき」という言葉が合わさったものです。本来は「共にくびきを負う」という意味です。語られている事柄は、マタイとマルコの文脈では男女の間の結婚がたとえられていますので、「神が共にくびきを負うようにされた」二人となり、パウロの文脈では「イエスが共にくびきを負うようにされた」教会となります。人は互いにくびきを負って生きていく、それが「もはや別々ではなく一体である」いう本来の姿、神によって造られた人間の根源的な姿なのかも知れません。
 事故で首から下が全く動かなくなってしまった星野富弘さんが「鈴の鳴る道」(偕成社)という書物の中で、動けない星野さんと共に生きる連れ合いさんとの一コマが紹介されています。「先日も妻に任せっぱなしで食事をしていたら、おかずが口に運ばれてくるばかりで、いくら待っても御飯を食べさせてもらえない。同じ箸で、私に食べさせながら自分も食べているので、彼女は私の口に入れたおかずを、自分で食べたと勘違いして、自分では、御飯ばかりを食べていたのである」。私はこの話がとても好きです。自分で食事を摂ることの出来ない星野さんを、彼女も一緒に食べさせているのですが、相手に食べさせた、自分も食べたと勘違いしているのです。この勘違いは、なんと見事な一体性を示していることでしょうか。しょうがいを負いつつも、弱さを負いつつも、共にくびきを負う二人の間には「十字架につけられたままのイエス」がいて下さるのでしょう。そんなイエスによって互いがくびきを負い合うことへと導かれ、そして生かされている、赦されている存在としての和やかさが漂っています。くびきはマイナスなのかも知れません。しかしマイナスをこそ、互いのあたたかさに、和やかさに変えゆく出来事が、復活であることをも物語っています。
 パウロは私たちへと注がれる聖霊の力や教会へと注がれる神の業が、一回限りの十字架と復活で終わるのではなく、それは今もなお十字架にかかり続け、繰り返し甦っていく、生き続ける神の出来事を教えています。教会は十字架につけられたままのイエスの血によって、赦され生かされた共同体です。教会は命のない無機物ではなく、イエスのあつい血が脈々と鼓動するダイナミックな有機体なのではないでしょうか。
 教会が互いに支え合い、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜ぶ、互いの為に生きていく時には、教会そのものもまた、十字架につけられていくのでしょう。もちろんそこには共に十字架につけられたままのイエスがその中心にいて下さるのです。それが教会の基盤であり、それがどのような現代的な意味を持っているのかを模索し様々な実践へと試みていくことが、教会が世にある、イエスが世に生きて働く証となっていくのではないでしょうか。

2023年2月26日

「イエスの眼差し」
ルカによる福音書9章57~62節


 イエス・キリストに従うということは、イエスを主と仰ぎ、信じて、イエスの働きを私たちも互いに担いながら、主の業を分担し、キリストの体なる教会共同体の一員として生きることです。それは突き詰めて考えていくと、とても厳しく、とても大変なことなのかも知れません。けれども、イエスと共に生きる幸いは、私たちの厳しいと感ずる思いや大変なことだと感ずる思いを越えていく、そんな恵みとなっていくのかも知れません。
 ルカ福音書の中で、ある時イエスに従って行こうとした三人の人物に対して、イエスはそれぞれ三つのことを告げられました。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。」。
 家も無く放浪の生活を強いて、死者を葬ることさえもせず、家族に挨拶をすることさえも許さない、そんな理不尽なことを果たしてイエスは要求したのでしょうか。むしろこれらのイエスの言葉は、私たちを縛り付けるものではなく、私たちを、様々なしがらみから解き放つ言葉なのではないでしょうか。
 「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」、第一は、私たちが地上の何物かに命の根拠を見出すのではなく、神にこそ命の源を見出し、地上では命の源である神のおられるところを目指して生きる、旅人として生きることが奨められています。信仰者は旧約聖書の昔から旅人として表現されてもいます。
 「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」、第二に、地上の命を走り抜いて、与えられたその生涯を終えた者は、すでにその命を与えて下さった神の御腕に抱かれていること、地上の痛みや悲しみや不安から解放されて神の御手の安らぎの中に包まれていることを信じて、一切を神に委ねる信仰が奨められています。これは葬りの営みをするなとか、してはいけないという教えではなく、人間の命を、自分の命を、神に委ねる大切さが語られているのです。
 「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。」、第三は、とかく私たちは移り変わるこの世の価値観に振り回されますし、世間体とかを気にします。世間体とかこの世の価値観に捕らわれないで、しっかりとイエスを見つめ、導いていただく大切さが語られています。それぞれのイエスの言葉は、この世のものとか自分自身の執着する心から解き放たれて、主イエスと共に歩もうという招きになっています。  
 しかしながら、私たちはこのようなイエスの招きの言葉に触れつつも、その通りに従っていけないのが現実です。イエスに真っ直ぐに向かって従いたいと思いつつ、従いきれないのが私たちではないでしょうか。イエスの言葉に同意はするものの、実際にはそれが出来ずに、イエスの言葉の横を通り過ぎているのではないでしょうか。現実には、イエスの背中が遥かかなたにあって、見失いかけているという心境ではないでしょうか。
 しかし、イエスという方は、従えないでいる者、一歩を踏み出せないでいる者を、振り切って行かれたり、ほっといて行ってしまわれる方ではありませんでした。最後まで自分だけは従いますと宣言しつつ、実際は従うことばかりか、知らないとまで逃げたペトロをほっとかずに、イエスはペトロの方を振り返り見つめられました。相応しくない者をそのままに、何度も何度も招いて下さいました。
 そのことと関連して、長らくドイツのハンブルグにあります日本人教会で牧会されていた蓮見和男さんという方が、「神さまのおとずれ」(新教出版社)という本の中で、次の様なことを語られています。「普通この世は、取り去り、奪い、もうけることのみを考えるのですが、そのような中で取らずに、奪わずに、もうけずに、捧げるために罪を負う神が私たちを呼んでいるのです。普通、あなたの能力を買おうというこの世の中で、神だけはそうは言いません。あなたの罪を買いましょう。あなたの内の汚れたゴミを買い取りましょうと言われるのです。最後に能力も力も健康も失ってしまい残るものが何も無い時、なお残るあなた自身をも、神は呼んで下さるのです」。
 私たちは出来る、出来ない、従える、従えない、強いと弱い、大きいと小さい等の二項対立に翻弄され、右往左往してしまいます。私たちが持っている価値観や規範とは違う聖書の言葉、イエスの言葉の前で、ただ佇むばかりです。破れや弱さ、あるいは相応しいとか相応しくないとか、それは私たち人間側の価値観であり、私たちのマイナス面は、もしかするとイエスの目には輝きとして映っているのかも知れません。
 たとえ私たちが、最後に、本当に、能力も力も健康も失ってしまい残るものが何も無い時、なお残る私たち自身を、神はそれでも呼んで下さっているのでしょう。イエスは今もなお人間の弱さを、破れを買い取るべき輝きとして見つめつづけて下さっています。私たちを繰り返し呼んで下さるイエスの招きに、肩肘を張らずに応答したいものです。
 「出来る、出来ない、相応しい、相応しくない」ではなく、そのままに、ありのままに、主に向かって解き放たれたいと思うのです。

2023年2月19日

「そのひとりへの眼差し」
ルカ福音書 21:1~9


 1914年のクリスマス。第一次世界大戦のまっただ中にあった西部戦線でクリスマス休戦が起こった、という話は、比較的よく知られていて、皆さんもお聞きになっていることなのではないかと思います。
 7月に始まった戦争は、膠着状態に陥っていました。当時の戦争は、まだ航空機が本格的に使われる前ですから、陸兵同士による塹壕戦です。イギリス兵とドイツ兵とがフランス北部でにらみ合っていたのでした。そして12月24日。イギリス側の将校チャールズ・ブレーワーが、ドイツ軍の壕の中に光るものを見つけます。と、それはクリスマス・ツリーであったのでした。すると今度は、その敵陣の中から歌が聞こえてきます。歌詞はドイツ語ですが、メロディーはよく知っている。まちがいなく、「きよしこの夜」です。ドイツ兵が壕の中から手を振っています。両手を上に挙げたまま壕から出てくる兵がいます。自陣からもその招きに向かって壕から出ていくものが現れ、両者は最前線で出会うわけです。
 「僕はハンスだ」、「僕はジョンだ」と名乗り合い、握手を交わします。お互いの家族の写真を見せ合う者が現れました。「メリークリスマス」、彼らは互いにそう語りかけ、杯を交わしました。ある者が、上着を丸めて即席のボールを作ります。そして、サッカーを始めたのでした。昨年、ちょうどワールドカップが行われたわけですけれども、1914年のクリスマス、戦場で敵と味方が一緒にサッカーをやったということが当時の新聞に報じられ、話題となったことでした。
 残念ながら、戦争は終わったのではありませんでした。それから4年も続くことになるわけです。しかもこの数日間の休戦も、戦場全体に広がったというわけではありませんでした。快く思わなかった人がいたのも事実で、翌年以降、戦場で私的な休戦をすることは厳しく取り締まられることともなったのでした。
 しかしそれでも、この話が今日に至るまで語り伝えられているのはなぜか。それはそこに居合わせた兵たちのうち、その休戦の中で繰り広げられた光景に一筋の人間としての希望を見出した者が少なくなかったからなのではないかと思うのです。実際にも、この休戦以降、相手に銃を向けるときにわざと急所を外すようにした兵がいたといいます。また、大規模な作戦が行われる前に相手に密通した者たちもいたといいます。「ハンスだ」、「ジョンだ」と名乗りあった彼らは、そこにいるのが、ドイツ兵あるいはイギリス兵であるということの以前に、生きた人間の一人であり、かけがえのない誰かによって愛された存在であることを知ってしまったのでしょう。それはたしかに軍事行動にとっては、きわめてゆゆしき事態です。しかし、そこに希望を見出した者たちがいたことは、新しい人間の生き方を指し示す歴史となって、私たちに伝えられてきたのではないかと思うのです。
 
「新しい歌を主に向かって歌え/全地よ、主に向かって歌え/主に向かって歌い、御名をたたえよ。」
 
 今日は最初に詩編96編を読んでいただきました。様々な国々が割拠し、力で力を競い合っている。その中で、ただ天地を創った神だけが、本物の喜びをもたらすことができる、そのことを謳った詩です。この世で権力を振るう者たちは、自分の思いで、自分に有利なように世界に意味を与えようとします。ひたすらに大きな物語を語り、大きな歌を歌い、人々をそれに隷属する者にしてしまうのです。しかし私たちは新しい歌をこそ歌わなければならない。1914年のクリスマスに人々が戦場で共に歌った「きよしこの夜」。それは誰もが知っている歌で、決して時代的に新しいものであったわけではないかもしれません。しかし、それが戦争に利用される大きな歌であったのではなく、飼い葉桶のキリストを指した者であったという意味で、それは、やはり彼らにとって、まったく新しい歌であったのではないかという気がするのです。
 
 クリスマスから受難節へと私たちの歩みは進みます。みどりごイエスは、やがて十字架へと引き渡されていくのです。そのような中、今日私たちはルカ福音書21章を読みます。今日の箇所は「やもめの献金」、「神殿崩壊の予告」、「終末の徴」と3つのパートに分かれていて、話はバラバラであるようにも見えます。しかし貫いているテーマがあると思うのです。小さな物語と大きな物語の対比。そしてそれを見つめるキリストの眼差しです。1節から読んでまいります。1節。
 
 1イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。 2そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、 3言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。 4あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」
 
 「イエスは目を上げて」・・・。20章ではサドカイ派や律法学者たちとの長い論争が続いていましたから、イエスは疲れて視線を落としていたのかもしれません。しかし私はそれ以上に、目を見張り、心を高く天にまで上げたくなるような光景が、彼の目前で繰り広げられたと言うことであったということであった気がします。「金持ちたち」がたくさんの献金を神殿の賽銭箱に入れた一方、ひとりの貧しいやもめは、全財産をこれに入れた、というのでした。
 エルサレムの神殿。女性でも立ち入ることのできた「婦人の庭」と呼ばれる広場。そこに「ショファロート」と呼ばれるラッパ型をした賽銭箱が13個据えられていたのだそうです。それらの賽銭箱の傍らには祭司が立っています。賽銭を投じる人はその金額を声高に叫び、祭司に渡すというのです。だから、いくらを献げたのか、そばにいる人はそれを知ることができたのでした。金持ちたちはこれ見よがしにその金額を告げる。そして渡す。当時紙幣はありませんから、献げられた金貨/銀貨は、ラッパ管を通じて大きな音を立てたことでしょう。
 一方のやもめ。彼女が献げたのはレプトン銅貨2枚。「レプトン」というのはギリシア語で元々「軽い」という意味の言葉です。この地方で通用している硬貨としては最小の銅貨でした。レプトンの複数形がレプタ。すなわち、2レプタ。これは1クァドランスに相当し、当時一日の日当とされていたデナリオンの64分の1。この頃の公衆浴場の入浴料がちょうど1クァドランスであったのだそうです。まぁ、ざっとですが、私たちで言えば、百数十円といった感覚なのではないかと思います。賽銭箱に投じられても、レプトン銅貨が大きな音を立てることはなかったのではないでしょうか。やもめ、すなわち夫を失って今日までを生きてこなければならなかったこの女性の、精一杯の額がそれであった。それはこの人の全財産であったというのでした。
 イエスは、その神殿のシステムを支配しようとする「金持ちたち」には目を留めず、ただひとりの女性、その2レプタに込められた思いに目を留めて、こちらの方が大きい、「たくさん」あふれる悲しみの捧げ物だ、そう言ったというのです。イエスはそして、そのような「金持ちたち」の力で成り立っているかのような神殿システムに不吉な予言をなします。5節。
 
 5ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
 
 見事な石と奉納物で飾られている神殿。人々はそれに見とれている、とイエスは指摘します。たしかに、人々が見とれているのはたしかに神殿なのですが、それが、このやもめの支えになるためではなく、金持ちたちの虚勢を強めるために機能するシステムとなっていたのであったら、人々が見とれていたのは、いや、目を奪われていたのは、まさにそのような虚飾であり、権力であり、声の大きな人々のふるまいであったということになるでしょう。私たちは容易にそのようなものに見とれ、だまされてしまうのです。多数に迎合し、権力者におべっかを使い、自覚的か自覚的でないかを問わず、小さき者を搾取する側に回ってしまうのです。
 エルサレムの神殿は、実際に紀元70年にローマ軍によって陥落させられ、焼け落ちます。ユダヤ人は国を失い、世界中に離散の民となっていくわけです。そして人々は、再び悲しみの歌、古い哀歌を歌う日を迎えなければならなくなるのでした。しかしイエスの語りは、単なる未来の予言であったというのではなく、鋭い問いかけでもあったのでしょう。金持ちたちとひとりのやもめを対比した上での問いかけです。「あなたたちは神殿を、すなわち国家の統治機構を、誰のためのものとし、誰の幸福を願う場としているのか」というのです。もし人々が、その見極めを誤っているのだとしたら、それによって成り立っている国もまた宗教者も、そのまま立ち続けることはできなくなる、その警告でもあったのでしょう。イエスは、やもめの祈りを聴いて、その2レプタに込められた万感の思いを受けとめ、その目を天に上げられたのでした。7節。
 
 7そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 8イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。9戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。
 
 先日、科学者たちによる世界終末時計が10秒進められて、世の破滅90秒前になった、1947年に始められたこの表示が過去最高に終わりに近くなった、ということがニュースで報じられていました。この聖書箇所を読むとき、それはまったく他人ごとではない時代に生きていることを痛感させられます。
 世の終わりを思い、自らの今を問い、その在り方を問い直すことは、とても大切なことであろうと思います。終末論は、その意味において、キリスト教信仰の根幹をなす教えでもあり続けてきました。しかし一方では、その教えを大きな物語で包んでしまい、大勢で世を扇動していくようなものとして語られていくとき、それは人々の平和に繋がらず、かえって恐怖だけをもたらすものとなってしまうのだろうと思います。そればかりか、この世で力を持つ者たち、あるいは相当の地位にある者たちが、ますます自分たちに都合の良い状況を作り出し、時には人々を恐怖で操り、支配し、金銭を巻き上げ、騒動を起こし、戦を起こし、その前線に人々を送り込んではさらなる財を築くというシステムを固定化させてしまうことにも繋がっていくのです。そのシステムの中では、財を持つ者に寄り掛かる群衆が、寄る辺ない一人ひとりの弱き民を利用する立場へと変えられていくのでした。
 イエスは、だから「金持ちたち」にではなく、「ひとりのやもめ」に目を留めています。集団の論理を恐れることなく、一人の人間に心を向けるのです。そして、恐怖で人を絡め取る代わりに、愛と敬意で人に向き合い、「恐れるな、わたしがあなたと共にいる」と、そう語られるのです。
 
 先日、衣笠ホームを草創期から支えてくださった元介護員の方が病院で亡くなりました。入院されている間にお訪ねして、昔のいろんな思い出をお聞きしたのですが、その中にこんな話がありました。
 ある入居者の方が病を得て入院されることになった、というのです。でも身寄りがありません。今でこそ、完全看護は当たり前になりましたが、その当時は、身の回りのお世話は病室で家族がすることも多かった。「じゃあ、私たちが順番に泊まり込もう」とそういうことになって、寮母長などと交代で病室に寝泊まりした、というのです。
 「今では考えられないことですね」と、私が言うと、その方は、「いや、その頃もずいぶん批判されたのよ」と応えられました。「だれにでもそうして上げるんですか? みんなに泊まり込むんですか? 不公平ではありませんか? 他の人から文句が出たらどうするんですか?」やっぱり、周りからはそんな風に言われた、というのです。でも、この方は言われたのでした。「私たちは、すぐに、“みんな同じように”と言う。でも、それって、その人をしっかり見ていないって事じゃないかしら。その人がどんな人で、どんな問題を抱えていて、どんな繋がりで生きているか。“みんな同じように「やる」”っていうならいいのよ。でも“みんな同じようにするために「やらない」でおこう”っていうのは、なにか怠けていることになるんじゃないかしら」、そうおっしゃったのでした。
 そうです。私たちはついつい、自分がやらないでおくための理由に、「他の大勢」を持ち出すのでした。今この人が求めており、今なら私にできるはずのことも、「他の大勢」を思い浮かべて「しない理由」にするのでした。しかし、そのたったひとりの今の困難に向き合い、その苦しい胸の内に思いを馳せること。そしてできうる限り、最善を尽くそうとすること。そのひとりを思うことのできる力に生かされて、衣笠ホームはその使命を今日まで担ってきたのだったと思わされたのでした。
 
 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。
 
 「あれが心配だ、これが心配だ。あんなことが起こるかも知れない、こんな不幸が襲ってくることもある。」——私たちを大きな物語で不安にたたき込もうとする声は地に満ちています。そしてそのために力をそがれ、弱きままに取り残されている人々もいます。ひょっとしたら、今日の私たち自身が、大きく感情を揺さぶられるような大きな声に震えながら、ようやくこの日の礼拝にやって来たと言うことであったかもしれません。しかしキリストは、力ある者たちの大きな物語、マスの物語には距離を置かれるのです。ただ、この「私の悲しみ」、そして「ハンスの苦しみ」、「ジョンの悩み」に伴いつつ、「私が共にいる、私が世の終わりまで共にいよう」、そう語りかけておられるのでしょう。もうすぐ受難節。ここから歩み出していきたい、そう願うのです。

2023年2月12日

「御言葉を下さい」 
ルカによる福音書7章1~10節


 「百人隊長の僕を癒す物語」は、ルカ福音書の「平野の説教」(6章17~49節)の直ぐ後に置かれています。「イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから・・」(7:1)とあるように、「貧しい人々は幸いである」(6:20)から始まる「至福と災い」などの教えを民衆に語るイエスの姿を描いた後、その直後に起こった出来事として記されています。これはマタイ福音書の「山上の説教」(マタイ5~7章)後の展開とも同様です。ルカの著者は、イエスの平野で語られた教えが具体的な関わりとしてどのような事柄であるのかを示すかのように、この物語を置いています。
  この物語はローマの百人隊長が死にかかっている僕をイエスに治してもらうようにユダヤの長老たちにお願いし、彼らがイエスに助けてもらうよう懇願するところから始まります。そして百人隊長の在り方がイエスを感心させていきます。そして百人隊長の僕は癒されていきます。
 ルカ福音書の続編である使徒言行録の10章1節以下に「さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」というエピソードが描かれています。使徒言行録で登場する百人隊長は、ペトロを招き、何百年と続いたユダヤ食物規定を打ち破る幻を体験するという初期キリスト教では重要な出来事に関わる人物として登場します。ルカの持つ教会観、信仰理解において、百人隊長という異邦人の存在は、大変重要であり、故に、百人隊長はイエスとの関わりの中で描かれたのでしょう。百人隊長が統括する「イタリア」部隊とは、ローマ帝国の外人部隊であり、それこそ各国の人々からなる民族混成隊でありました。異邦人伝道への要として、ルカの描くキリスト教史、歴史観に登場するのでしょう。
 ところで、この物語を読んでいきますと、一つの同じ言葉から二つの信仰の在り様が浮き彫りにされます。それは「ふさわしい」(4節と7節)という言葉からです。「ふさわしい」とは「価値がある」とか「値打ちがある」との意味です。
 前者はユダヤ人の長老がイエスに百人隊長の僕を治して欲しいと願った時に思わず口に出した言葉です。しかも、自分たちの会堂を建ててくれたからだと
自分たちのにとっての値打ち、その功績を語ってしまいます。あの人は私達の益となる功績や実績をあげてくれた、私達にとって良いことをしてくれた、私達を愛してくれるので、だから助けて下さいと、自分たちの願いを聴いてもらおうという言い回しです。だからといって、イエスは突き放さずに、とりあえず付いて行きました。
 その途中で、百人隊長は友達を使いにやって、自分の思いをイエスに告げた時の言葉です。彼はイエスに対して、とても近づきがたい存在と思っているようです。自分は神に顧みられるような存在ではないとの思いが伝わってきます。自分の大切な僕が助かって欲しいとの願いや祈りが届かない、その不甲斐なさや弱さを感じていたのかも知れません。兵士という存在がもたらす虚しさや罪悪感を覚えていたのかも知れません。「ふさわしくない」だからこそ「ただ、言葉を下さい。」「ひとだけ言おしゃってください。」と、自らの立場と想いを、イエスに伝えたのではないでしょうか。もちろん、ここでは「ただ喋って下さい」とか、「教えを述べてください」との意味ではなく、神の前に立つ事も赦されない「弱い自分に向き合って下さい」との思いが込められています。虚しい自分を表しながら、その空虚な心に光が差し込むように、イエスの慰めを願います。そんな自己の罪悪感と空虚さ、そして神の前では顔を合わすことが出来ないという謙遜さが、イエスを動かし、イエスの癒しの業を導いていきます。そればかりか、「一人に行けと言えば行きますし、他の一人に来いと言えば来ます」と、イエスの願うことをしますとの想いが告げられています。神の徳となることを、願う姿に「イスラエルの中でさえ、私はこれほどの信仰を見たことがない」とイエスを感動させていきます。
 そのことと関連しまして、社会学者の見田宗介さんという方の「現代社会の論理」という著書に、「人がモノのように交換可能な状態である社会」への警告が綴られています。自分にとっての良い悪い、自分にとって価値があるか無いかという損得勘定で事柄を突き詰めると、人間そのものが価値を基準にして交換可能になってしまうということです。そればかりか、損得勘定で事柄を捉えるあり方は、自分自身に跳ね返って来るので、結局は自分自身が損得勘定で、価値があるか無いかで交換されてしまうということです。入れ替え可能なものを望む人間に提供されるサービスそのものも、入れ替えが可能になるということを警告しています。
 自分にとって値打ちのあるもの、益するもの、良いもの、都合のいい人、自分を愛してくれる人が、強く求められる時代と時代が照らし出す人間のあり方の中で、それは究極のところ、そうでないものを排除し、他を打ち倒していく論理ともなりかねません。
 百人隊長の信仰のあり方とは、「相応しくない自分」がイエスに対して出来ることを語る、表現する、神の慈愛への精一杯の応答の姿です。私達も、自己の罪悪感や足りなさ、信仰者として相応しくない自分自身に、うなだれることがあります。しかし、イエスは私達に相応しさを求めておられるのではなく、イエスに対して何か出来ることを精一杯探し、応答しようとする姿を祝されるのです。相応しくないからこそ、イエスは私達に祝福を携えて向かって来るのです。誰が相応しく、誰が相応しくないという人間の価値基準に振り回されることなく、ありのままを愛されるイエスの姿にこそ、私たちの生きる希望と励ましを据えていきたいとい思います。

2023年2月5日

「また会堂に入られた」
マルコによる福音書3章1~6節


 本日の箇所の冒頭には「イエスは、また会堂にお入りになった。」とあります。イエスが会堂に入られたのが、これで二度目だということを伝えています。前回、イエスが会堂に入られたのは、1章の21節以下に記されている時です。この時、「汚れた霊にとりつかれた者」が突然叫びだしたと聖書は報告しています。イエスはその汚れた霊を追い出されました。
 一つ私は、不思議に思うことがあります。この汚れた霊にとりつかれた者が叫び出すまでは、皆、何も気づかなかったのでしょうか?この聖書の描写は注意しないと見落としがちですが、誰もが自分の事ばかりを考え、誰が共にいるのか分かっていないという人々の姿があります。
 そしてイエスは再び会堂へ入られました。今度は片手のなえた人がいました。今度ばかりは人々は気づいていました。しかもイエスが安息日という日にこの人の手をいやすかどうかを、うかがっていました。
 イエスを陥れようとする人々は、イエスがこの法律を破るかどうかに、注目していたのです。いやな雰囲気です。何とも言えない意地の悪さ、醜さが、手のなえた不幸な人とイエスをとりまいています。神を礼拝する場が、人を陥れよう、そんな醜さとねたみの場に変えられています。これはすでに礼拝の場では、なくなっていると言えましょう。
 イエスと共に注目を集めたこの「片手のなえた」人は、よく聖書で見られるような「生まれつき」という説明が付けられておりません。普通、聖書は生まれつきであるのならば「生まれつき」と説明していますので、この人物の手は、何か事故か病気で、なえてしまったのでしょう。昨日まで健康であった者が、突然不自由になってしまったり、病気になってしまうこと、それはどんなに辛く悲しいことでしょう。どんなに運命を呪ってみても呪い切れない悲しさの中で、日々を送っていたに違いありません。
 この時代、片手を失うということは職業を失い生活の基盤を失うと言うことです。多分、彼は物乞いをして暮らすしかなかったのでしょう。自由さの喪失とでも言えましょうか。人々の哀れみでしか、生きていけない自分、その自分は今度はイエスを陥れるための道具とされているのです。これが神を讃美する礼拝堂での出来事となっています。
 人々の注目を浴びながら、イエスは手のなえた人に「真ん中に立ちなさい」と言われました。
 そして人々に「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」と迫りました。人々は黙っていました。私はここに、人々の冷たい目を感じます。何も答えない、何もしない、ただ陥れようとだけ考えている、じっと伺っている、そのような本当に醜い人間の姿を思わされます。
 宗教改革者の一人でありますカルヴァンという人が、「悲しみの中にある者が頼り求めたのに、これに心を傾けないことは人殺しである」と言っています。片手がなえただけではない、この人は今、非人間的な扱いを受け、人を陥れるための道具として冷たい目で見られている、それはその人の人格を、存在を、無視していることです。
 以前、「福音と世界」というキリスト教の月刊誌にが「胸が痛むことを忘れた社会である」という文章がありました。そこに「コミュニケーション不完全症候群」という言葉がありました。現代社会の中で、子供達は、友達を作るための最初のステップである「心を開く」ことを忘れてしまったのではないかということです。これは、人に心を開かせることが恐ろしいと感じさせてしまう社会を、私達が作ってしまったのではないかという問いかけでもあります。心を開けないということは、他人を拒絶することにつながります。つまり、いつまでも孤独というカラの中に閉じこもり、寒々とした生活の中にいるということです。また、他人を拒絶するということは、単なる孤独だけではありません。憎しみが生まれ、羨望、嫉妬などという否定的な感情を生み出してしまいます。そして、心を開くことができなければ、人を人として見ることが出来なくなることでもあります。残忍な事件や信じられないような事件が毎日私達の耳には飛び込んできます。そこにはそのような社会を作ってしまった私達への警告があります。
 私達は他の人のことで、胸の痛めているでしょうか。むしろ、自分のことでは、心を痛めているのが現状ではないでしょうか。聖書のように、手のなえた人を道具としてしか、見ることの出来ない人々に、そのような胸の痛みを忘れた人間の姿、いえ私達の社会と営みとを見るような思いがします。聖書の描写は私達への問いかけではないでしょうか。
 そんな人々の姿へと、イエスは怒りと悲しみをもって向かわれました。非人間的に扱われた手のなえた人に「手を伸ばしなさい」と言われました。すると手を伸ばすことが出来たという不思議な奇跡が起こりました。すっと胸をなで下ろすようなシーンです。けれども、本当にそれだけでしょうか。
 当時、律法を破れば死を意味していた時代です。イエスは自らその法を破りました。しかも必ず殺されることを承知の上で、不自由さと、深い悲しみにおかれた者の手をいやされました。ここに、自らを省みず、悲しむ者、苦しむ者を徹底的に憐れむ主の姿が映し出されています。悲しんでいる者、苦しんでいる者に、救いの道を備えるために命をかけてそれを背負われる十字架を担ぐイエスの姿が描かれています。
 今一度、手を伸ばした人に、注目したいのですが、この時代、いやした者もいやされた者も共に罰せられました。ですから、この癒された人は、特に目を付けられていたイエスの協力者として、抹殺されるかも知れません。そのことを考えますと、彼がいやされることは、この社会からの追放を意味します。追放されますと、それは、もう生き地獄であったようです。一説によりますと、何もない荒れ野にホッポリだされるとも言われています。ですから、片手のなえた者が、計算ずくの人生を送ろうと思ったのなら、イエスに従わなかったと思います。声をかけられても無視をして、黙って会堂の隅っこに座っていたことでしょう。
 すでに彼は、もはや打算的にも、自らのことをはかり、計算的にも、生きられないほどに、苦しんでいた、もうどうすることも出来ないところまで、来ていたことが分かります。ですから彼は自らの死を覚悟してまで、手を伸ばそうと決断したのでしょう。
 ここには神が人を招いて下さる、出会いの激しさが告げられているようです。この出来事はイエスが会堂に入り、手の萎えた人を「真ん中に立たせた」ことから始まっています。神が私達のところへ来て、苦しむ者を真ん中に立たせたということは、神は、人の救いをこそ、いつも中心に思われているということなのです。神は苦しむ者、悲しむ者を、いつも中心に見ていて下さっているということです。それを聖書は「神の怒りと、深い悲しみが起った」と表現しているのです。
 「イエスは、また会堂に入られた」、イエスはガリラヤの会堂で一人の人間のために命をかけられたように、今もまた、私達のために、その命を捨ててまで、救いの道を備えて下さるために来られるのです。
 教会の礼拝の際に、日々の暮らしの中に、一体誰が共におられるのか?、私達はしっかりと心にとどめておかねばならないと思うのです。

2023年1月29日

「神の孤独」
ヨハネによる福音書16章23~33節


 ヨハネ福音書が書かれたとされます紀元90年頃のキリスト者は、ユダヤ教徒によって会堂から追放され、迫害を受けるという闇に直面しつつ聖書の言葉を聞いた人々です。
 キリスト者という呼名は、紀元40年頃から64年頃にローマで呼ばれた名前です。紀元200年頃には広く浸透して行ったと言われています。しかし、ヨハネ教会をはじめ、この頃のキリスト者は、敵対者であるユダヤ教徒、またローマから、別の名で呼ばれたと言われています。彼らはもっぱら、キリスト者を「民衆の敵」「人類の敵」「嫌われ者と貧困者」「愚かな祈祷者」「魔法使い」「十字架に祈る者」、ローマ人でもユダヤ人でもない、愚かな「第三種族」と呼び、ユダヤの社会のみならず、ギリシャ・ローマ社会からも、非難されるようになります。
 この後のキリスト教徒迫害の歴史は、皆様もご存知のことと思います。キリスト者が飢饉や地震を起こしたなどと噂され誹謗中傷があびせられるようになります。キリスト教徒迫害はローマ帝国によって組織化され、次々と信仰者が命を落としてゆきます。正に闇の中での戦いです。
 さて今朝の聖書箇所はイエス・キリストの受難の予告、前にもお話ししましたが、イエスの訣別の説教です。
 今という別れの時、これはイエス自身の十字架、死の時が語られると共に、その日、その時という勝利の時、平安の時、救いの時が語られています。このヨハネ福音書の時は、ヨハネ教会の置かれた時代、90年代の時であります。つまり、イエスの時代と自分たちの後の時代を重ね合わせています。イエスの前にある暗闇である十字架の死、ヨハネ教会員の前にある迫害という闇、そこからその日、その時が告げられ、迫害下に主が復活の勝利をすでに告げられているとの励ましが、今朝の箇所なのです。
 では、私達にとっての闇とは一体、何でしょうか?
 迫害か?十字架刑か?、私達を脅かす敵でしょうか?、旧約聖書では、人間の命を脅かす総称を敵と表現しています。その思想は、新約聖書を経由して、現代に生きる私達にとって、とても大切な聖書の表現です。旧約聖書の語る敵は、戦争、人々の争い、飢饉、疫病、重い病、人々の無理解、不和、または老い、人間の寿命、けが、などなど、自らの内にあるものから、私達を取り巻く、命を脅かす全てのものとして語られ、また訴えられます。悲しみや理解できない苦しみなどです。
 そして、人は誰でも、神から頂いた命をもって、この地上を旅する時、イエスが告げるように、私達には一人きりと表現される戦いがあることを思わずにはいられません。孤独の中に置かれることを思わざるを得ません。
 もう随分と前の事ですが、ある信仰の生活を送られていた方の葬りの式がございました。重いご病気の為、少し前よりご家族から、ご相談を受けていた方でした。再入院されたというので、私はご家族の方と病床をお訪ねいたしました。
 お訪ねした際、その方は重い病ゆえに、病床で極度の苦しみにございました。どう表現したら良いのでしょうか。激しい痛みに襲われ、もがき苦しんでいました。話すことは出来ず、訪ねてもただただ心配で見守っているだけでした。
 私は、その際、本当に思わされました。誰がこの痛みを分かちうるのだろうか?、家族か、友人か、それとも牧師か?。誰もこの苦しみ痛み、死への不安を分かつ者はいない、いえ、分かつこと、代わることは誰もできないと感じました。がんばれ、しっかり、それはあまりにも残酷です。
 フランスの哲学者エマニユエル・レビナスは人間は誰でも「死にゆく私を一人にするな」との声なき声をあげていると語ります。ただ、出来ることは、ここに一緒にいるよ、優しさと思いやり、愛に満ちた言葉を語り続けること、そばにいて優しく手を握ること、ただただ、主よ共にいたまえ・・・、主が共に痛んで下さっている、天を仰ぐ祈りだけが、病室で捧げられました。
 翌日、闘病の生活に終止符が打たれました。命の息を納められました。
 人間の命を脅かす総称の一つ、病、そして闘病生活、それは戦いと受け止められます。戦いですから、勝利か敗北、ゆえに、この世的には、病に果敢に立ち向かいながらも、勝利を得ることはできなかったと、私達は受け止めがちです。
 しかし、神ご自身が、あのイエス・キリストの十字架の死を通して、孤独と痛み、苦しみと悲しみ、死への恐怖、命を脅かす全てを、背負われたのです。イエスは「今、世を去って、父のもとへ行く」とご自身の十字架の死、痛みと苦しみを語られます。更に「わたしを一人きりにする時が来る。いや、すでに来ている」と、誰もが通らなければならない孤独を、神ご自身が受けられると告げています。
 私は、命の息が納められる時、故人は、そんな主の姿を見いだしたのだと、信じざるを得ませんでした。最後の安堵した、安らぎに満ちたその表情は、十字架の死という孤独を味わわれた主だからこそ、命の極みに、共にいて下さることを、私達に教えているのではないでしょうか。イエスを捧げる程の、神の愛に包まれた、そんな和らぎのお顔だったと思い返しています。
 「私は一人きりになる」という神の孤独こそ、私達が負いきれない重荷を背負う姿です。そのイエスの十字架の出来事は、命を脅かす総称によっても崩されない、神だけがなせる私達へ固い約束なのです。主イエスが共にいたもうて、世に打ち勝つ力を私達に注いで下さるというのです。闇の世を歩み抜く勇気は、力は、そのことに心開き、受け入れ、天に祈りを合わせることから与えられていくのではないでしょうか。
 聖書日課によりますと本日の主題は「祈れ」です。闇の世にこそ、神の勝利の宣言は、届けられています。私達は、すでに十字架と復活による主の勝利を聞く者として、「どうぞ勇気が与えられますように」と、あつい祈りを束ねたいと思います。

2023年1月22日

「冷たさを知る神」
ヨハネ黙示録 3:14~22


 オスカー・ワイルドの優れた作品の一つに、1888年に発表された『幸福な王子』(the Happy Prince)という短編小説があります。僕が幼稚園の時でしたけれども、園から毎月共同購入している絵本シリーズの中に、この物語の絵本があって、決して派手な話ではないのに、なんとも心引かれ、母に読み聞かせてもらいながら、子供心にじーんと染み入るような思いになっておりました。
 舞台は北ヨーロッパ。おそらくは、当時のプロイセン王国のことと思います。広場に、ある王子の像が立っていました。全身は黄金に光り輝き、両目にはサファイア、手に持つ剣の柄(つか)にはルビーが埋め込まれています。人々は、それは立派だ立派だと、この像を見上げて自慢げに言うのでした。
 ある、冬の近づいた日。一羽のツバメがこの像の許にやって来ます。仲間よりも少し、エジプトに向けての越冬の旅に出掛けるのが遅れてしまった一羽でした。この町までやって来て、像の所で一晩泊まろうとその足下に留まります。すると、像の上から、雨のようなしずくが垂れてきます。ツバメがびっくりして見上げると、それは王子の涙なのでした。王子はツバメに語ります。「自分は生きていたとき、サンスーシの宮殿にいた・・・」“サンスーシ”というのは、フランス語で「悩みのない」という意味の宮殿ですね。実際に今もベルリン郊外にあって、プロイセン時代の文化遺産になっていますよね。「悩みのない宮」、象徴的です。その宮殿は屏に囲まれていて、外の「悩みに溢れた世界」を王子は知らなかった。ところが今は死んで像となり、町の広場の高いところに挙げられた。町がよく見える。この町がどれほど悩みと愁いに満ちているかを見た、というのです。王子はツバメに頼みます。あそこにいる貧しいお針子の女性のところにこのルビーを持っていって欲しい、またあの売れない舞台作家のところには、この目のサファイアを。そしてあそこのマッチを溝に落としてしまったマッチ売りの少女のところに、もう片方の目のサファイア、ああ、それでは見えなくなってしまうではないかと案ずるツバメを説得する王子。そして次々と町中の貧しい人のところに、体を輝かせていた金箔を一枚一枚剥がして持っていかせるわけです。
 残ったのは、目が抉られ、全身鉛色となった金属の塊です。市長と市議会議員が像の下を通りかかり、「何とみすぼらしいんだ、熔かしてしまえ」と話はまとまります。市長と市議会議員たちは、熔かした金属で、今度は自分の像を造るべきだと論じ合ったりします。ところが王子の鉛の心臓は熔鉱炉でどうしたわけか熔け残る。人々はそれを、結局エジプトには出発できず凍え死んでしまったツバメの死骸と一緒にゴミに捨てたのでした。
 その様子を天から神様が見ておられました。物語はこう締めくくられます。
 
 神さまが天使たちの一人に「町の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい」とおっしゃいました。その天使は、神さまのところに鉛の心臓と死んだ鳥を持ってきました。神さまは「よく選んできた」とおっしゃいました。「天国の庭園でこの小さな鳥は永遠に歌い、黄金の都でこの幸福の王子は私を賛美するだろう。
 
 ワイルドは、どんな思いの中で、この短編を書いたのでしょう。本当に美しく、尊いものとは一体何なのか。ぐるりを塀で巡らせて、その内側を存分の豪奢な飾りで彩っている宮殿。それと、明日、いやそれどこか今日の食べるものをどうしたらいいのか、絶望の内に生きている人々。その対象が描かれる中で、心を痛めると言うことがどういうことなのか、王子の鉛の心臓は二つに割れてしまっていたというのですけれども、心を痛めるとは何なのか、そんな鋭い問いが一人一人に求められる作品であるように思います。
 
 新しい年が始まりました。クリスマスに灯った光。その明かりに心を温められた私たちであったのに、新年を歩み出す私たちには、大きな闇が覆い被さってしまっているかのようです。感染症が一向に収まらない中、平和が激しく侵され、物の往来が堰き止められ、経済はますます不均衡の内にたたき込まれ、生活に関わる費用は、すべてが著しく高騰しています。そしてそのような中で、極めて軽んじられている命があることです。それはまさに、人と人との間に垣根ができていて、肥えているものと飢えているものとがある、その傷みでもあることでしょう。幸福な王子、その物語の問いかけは、2023年を歩み出そうとする私たちに、いよいよまっすぐ向けられているものの一つであるように思うのです。
 
 さてそのような中で、今日私たちは黙示録の3章14節以下を読みます。キリストが、来て、その戸をたたいている、というのです。今日はこのメッセージに耳を傾けます。14節から。
 
 14ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。
『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。 15「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。 16熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。 
 
 ヨハネの黙示録は、その冒頭から、ヨハネの見た幻を七つの教会に手紙で書き送るというスタイルで筆が進められます。これから人々が何を経験するのか、どんな苦難が襲うのか。しかし、そのすべての中で、キリストが生きておられ、最後には正義を行われる、希望を持て、というメッセージが示されるのです。ローマ帝国という大帝国の中で、社会とは異質な形で生き続けなければならなかった初代のキリスト者たちに向けられた福音であったのでしょう。ラオディキアの教会に宛てられた手紙は、差し出された七つの手紙の内の最後、第七番目のものです。ユダヤ人にとって、7,というのは、神秘的で完全であることを示す象徴的な数字でした。そこで、「勝利を得る」キリストが示されるわけです。
 ラオディキア。ここはギリシア語で、「民の正義」という意味の町でした。アジア地方、今のトルコ、エフェソの町から内陸に少し入ったところにある町です。古来、交通の要所として栄え、6000人ものユダヤ人が住んでいた街でもあったそうです。紀元60年、地震がこの街を襲います。多くの家が倒壊してしまうのですが、町は、皇帝からの義援金を拒み、自力で町を再興したと言います。それほどの財力を持った町であったのでしょう。
 ヨハネは、キリストのことを「アーメンである方」、そして「万物の源である方」と紹介します。
 「アーメン」、私たちが神を賛美する度に、また祈りを捧げる度に口にする言葉ですね。「そうだ、そのとおりだ」そんな意味を表す単語として知られています。この「アーメン」ですが、ヘブライ語の「エメトゥ」(真実)という単語から派生してできた言葉のようです。そしてこの「エメトゥ」という単語なのですが、ヘブライ語は子音だけを書いていく言語ですので、「え・め・とぅ」という3文字からなっています。正確に文字だけ拾うと「アレフ・ミン・テート」という3文字です。そしてまあ、たまたまなのだと思いますが、この「アレフ・ミン・テート」というのは、ヘブライ語のアルファベット22文字の中で、最初の文字と真ん中の文字と最後の文字を拾った単語です。ですから、「真実」という単語は、ヘブライ語の話者にとって、「最初にある者、真ん中にあるもの、そして最後にある者、それを貫いてある物」と、そうイメージが重なるのです。新約聖書の言葉、ギリシア語のアルファベットに置き換えるなら、アルファとオメガを貫く、ということになるでしょう。だからヨハネが「アーメンである方」というとき、それは1章8節にあった表現、「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである』」、このことの言い直しである、と、そういうことができるだろうと思います。
 
 「万物の源」と訳されている「アルケー」という単語は、ギリシア哲学史的にも面白い言葉なのですが、むしろここでは、ヨハネ福音書の冒頭にある「初めに言があった」というときの「はじめに」というところで使われているのと同じ単語だと言うことに興味が引かれます。「はじめから、あなたたちを見ておられた方、そして最後まで見届けてくださる方が、今、あなたに語りかける」というのでしょう。「あなたは冷たくもなく、熱くもない」と。
 
 これはきっと、ラオディキアの教会の人々の信仰を評価して語られている言葉でしょう。あなたたちの信仰は生ぬるい!と。
 けれども、ちょっと、これはなんか居心地の悪い感じを覚えるのです。「冷たい」と「熱い」。まあ、「生ぬるい」に対して、「熱い」と言われるような信仰。これは、私たちにもわかりそうな気がします。そしてしばしば、そのような熱い信仰を自分が持っていないことに思い至って、恥じ入ったりするわけです。しかし「冷たい」とは何か。冷たい信仰、とは何か。
 私は、マタイ福音書10章にある、こんな一言が、少し参考になるのではないかと思っています。マタイ福音書10:42。
 
 はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。
 
 実は、長い新約聖書の中でも、この「冷たい」という単語が使われているのは、このマタイ福音書10章と、今日の聖書箇所の2箇所だけなのです。福音書では「冷たい水」が描かれています。小さな者の一人、その一人の渇き、もだえを潤す水です。熱い信仰を持つ人たち、それは良いのですけれども、時に、自分たちも渇いている者の一人であると言うことを覆い隠してしまいがちです。熱い信仰が、「心頭滅却すれば・・・」のようになってしまったのでは元も子もありません。大切なのは、自らも渇く人と同じように渇いていることを自覚しながら、与えられている物を神にあって分かつ、その一杯の水の冷たさでしょう。
 ラオディキアの町は、少し離れた温泉地から水を引いていたので、水が生ぬるかったと言います。本当なら、水を分かち合っていることの意味を大切にしなければならなかったはずなのに、どこかで、自分たちは優れていると、うぬぼれたようになっていたのではないでしょうか。この世界の渇き、ほてり、反対に冷酷さ。それに鈍感になっている町の姿があったのではないでしょうか。キリストの言葉は続きます。17節。
 
 17あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。 18そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
 
 キリストは言うのです。「あなたたちは、自分たちの飢えに気づいているか。自分たちこそが、冷たい一杯の水を必要としていることをわかっているか」ということです。
 「白い衣を買い、目に塗る薬を買うが良い」、これはなんとも皮肉です。ラオディキアという町は、黒羊の毛を使った織物業と、目の治療で有名な医学校で栄えた町だったのだそうです。黒羊の羊毛と眼科。それで栄えている彼らに、白い衣と目薬を買え、というわけです。あなたたちは裸の王様で、まったく見えていない、というのです。
 
 しかし、キリストは、そんなラオディキアの町の現状を揶揄することには終わりません。今の現実の町の姿、裕福さを誇って、陰の部分に目を閉ざしてしまっている町の人々に心を痛めつつ、なお、希望の言葉を紡ぎます。19節。
 
 19わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。 20見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。 21勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。
 
 「わたしがこんなことをいうのはね、あなたたちを愛しているからなんだよ」と、キリストは19節でいうわけです。「お願いだから、心を開いてくれよ。目を開いてくれよ。ほら、わたしはもう、今、この今、あなたの戸口に立って、戸をたたいているんだよ。ほら、一緒に食事をしよう。その食卓に、今まで、あなたが目を留めてこなかった人たちも招待しよう。冷たい水一杯を求めて渇いていた人たちに差し出そう。ほら、ここから平和が始まるじゃないか。私は最後の晩餐であなたたちに示した。本当の豊かさがどこにあるか。そして十字架でこの身を献げた。一緒に食事をしよう。私はあなたたちを最後まで見捨てたくないのだ」、そう言っておられるというわけです。
 
 以前、ある患者さんとの出会いがありました。54歳。大腸癌が転移して、肺も真っ白になっていた方でした。もともとロックミュージックをなさっていたということもあったからでしょうか。なかなか生き方もロックな方でした。ご両親が創価学会員であられたということもあって、最近は日蓮さんの言葉に惹かれているということで、私との宗教談義も楽しんでくださいました。
 その頃、私自身が、プライベートな出来事の中で、色んな出来事があり、かなり気力が落ちていた頃でした。ある日の夕方ですけれども、なんとなく肩を落としながら、この方の病室を訪ねました。西日がどんどんと傾いていく、そんな時間帯でした。この方は、壁を背にしてベッドの上に座っておられました。少し、息が苦しそうでした。あいさつだけして、私はすぐに帰るつもりでした。でも、ちょっと漏らしたのです。
 「Tさん、人って、いろんな考えの人がいるものですね」
 すると、その方は深くは何も聞かず、ただその途切れる声で、振り絞るようにしてこういってくださったのでした。
 「大野さん、あなたは人の話を聞く仕事なのだから、人の話を聞く仕事なのだから、自分が真ん中にいようとしちゃだめだ。その人のそばに行ってあげなきゃ」そして、なんとも気弱になっていた私の訪問をも喜んでくださり、「ありがとう」と手を握ってくださったのでした。とても慰められました。Tさんはそれ以前にも、「自分はかつて色んな人がいるということをそのままで受けとめられなかった。身勝手で、それで病気になった」とそう口にされていたのでした。「ここが真ん中だ、周りはおかしい」と威張っていることの空しさを身を賭して学んでこられた方、その方が、私を諭してくださったようでした。
 
 イエスは、七つの教会に宛てた手紙、そのすべてを同じ言葉で締めくくります。22節。
 
 22耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。
 
 私たちの耳は、一体何を聞いているでしょうか。この痛みと哀しみに満ちた世界にあって、どんな声を聴いているのでしょうか。新年を迎えて、なお、私たちは深い闇を見ています。しかしだからこそ、クリスマスに聞いた、あの天使たちの声を、もう一度思い出したいと思います。
 
 「天には栄光、地には平和。恐れることはない、今日、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。」
 
 その喜びを分かち合うために、私たちの耳をも傾けあっていきたいと思います。そして自らを真ん中にそびえ立たせるのではなく、世で力弱く感じている人々と共に、神の到来を今一度喜ぶ私たちでありたい、そう願うのです。

2023年1月15日

「このことを信じるか」
ヨハネによる福音書11章17~27節


 世界中に子ども向けの昔話というものがあります。親子何代にもわたって語り継がれてきたお話であります。童話もそのうちの一つです。最近では、あまり語られなくなった昔話を人間形成のためには、大変重要なものであると捕らえて、見直しをと叫ぶ声があちらこちらで聞かれるようになりました。特に残酷な昔話の復活が叫ばれています。子どもには残酷な話は聞かせられないと、親なら誰でも思うことでしょう。自分がその昔、聞いたあの話は、ちょっと子どもには話せられないと思うことでしょう。しかし、よく考えて見ますと、そうした大人の視点で、いわば社会的な視点で切り捨てていくことで残酷さの中にある戒めを教えること、あるいは悲しい話の中に含まれる同情や、哀れみというものを呼びおこすということを同時に捨てているのではないでしょうか。日常的な様々なことを通して、残酷さへの戒めがなくなり、辛いことに合っている人や、悲しいことに涙をしている人への同情もなく、哀れみの心さえも湧き起こらない、そんな社会を子どもに見せている、体験させている、そのことへの批判として、叫ばれているように思えてなりません。
 そして、それは恐ろしく心を失った、心が死んでいる様々な出来事を生み出して行くことになっています。私たちの心が冷え切っているので、人の痛みを忘れた社会が今あるのかも知れないのです。このような私たちのあり方を心の死んだ状態と言えるのではないでしょうか。
 キリスト教の神様は、この心の死んだ状態にある私たちのために、「甦えりであり、命である」、イエス・キリストをこの世へと送って下さったと言います。貧しさや、痛み、また悲しみに合っている者に、鈍感な心しか表すことのできない人と人との間に、イエス・キリストの出来事を起こして下さったと言います。
 今日の聖書の箇所は、死んでから四日もたったラザロという人物をイエスが甦らせるという奇跡を行う、その直前の箇所であります。聖書は、兄弟ラザロが死んでしまって嘆き悲しんでいる二人の姉妹を記しています。そこに、イエスが駆けつけました。しかしながら、ラザロが死んでもう四日もたっているのです。
 イエスがラザロの家に来られたとき、姉妹の一人でありますマルタはイエスに「あなたがいて下さったのなら死ななかったのに」と言いました。しかも、イエスの願いならば、神様は何でもかなえてくださるのにと信仰の告白をもしています。マルタの口を通して語られた信仰は、少なくとも言葉の上で見る限り立派な信仰であります。しっかりとした信仰の告白を彼女はしているわけです。
 しかし、もうすこし注意してみますと、イエスが「あなたの兄弟は復活する」と言いますと、それに答えて「終わりの日」にそれがなされることは知っていると答えます。終わりの日とは、この世の中が裁かれて、神様が支配されるその日が来るときのことです。その時に、復活することは知っている、そのように答えています。
 今日の箇所の直後に記されていますが、マルタはイエスの「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない。あなたはこれを信じるか。」との問いに、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシヤであるとわたしは信じております。」と答えていながら、また、どんなことでもかなえられると言いながら、実際に、死んでしまったラザロの墓石をどけなさいとのイエスに対して、主よもうだめですよ四日もたってしまったのですから・・・、と実際には全然違った態度をとってしまうのです。
 現実にお墓まで行って、墓石をあけて、四日もたって腐りかけているラザロを甦らそうということになると、彼女は、それはちょっと無理な話だ、非常識すぎる、むちゃくちゃだとそういう反応を示すわけです 
 つまり彼女は、イエスに対して立派な信仰を表明したにもかかわらず、言葉と行動とがまったくもって分離してしまっているのです。また、思いと行動とがちぐはぐになっているのです。今日の聖書の箇所は、肉体的な死をとりまく中で、思いと行動とがちぐはぐになっている、私たち人間の姿を、えぐり出しているようです。
 この出来事とイエスの問いは、ベタニヤで起こったことを聖書は告げています。ベタニヤとは「貧しさの家」また「悩む者の家」という意味です。「貧しさの家」とは何でしょうか?これは、心と行いとが、かけ離れてしまっている私たちの貧しさです。無感動な悲しい心の貧しさです。人を信頼できない狭さという貧しさです。「悩む者の家」とはなんでしょうか?これは、人の冷たさや、情け容赦のない社会の中で苦しみ悩む者のところです。
 けれども、神様の出来事は、この貧しさに現されるのです。悩む者のところに現れるのです。神様の御子イエス・キリストはこここに来られるのです。イエスは、貧しさという冷たさ、薄情さ、そんな私たちのことを赦すために貧しさの中で十字架にかかり死んで下さるのです。悩み多き、苦しむ者のために、その心を知られるために十字架で息を引き取られるのです。
 神様は、私たちに限りない愛をイエスの十字架をもって注いで下さっています。貧しい私たちをそのままに赦して下さっています。他の人に無感動で手を差し伸べられない私のために涙を流して下さっています。それが、イエスの十字架の死です。だからこそイエスは私たちの命の源なのだ、全てがここから始まってゆくのだよ、そう呼びかけて下さっているのです。
 このことを信じるとき、全く関係のない他人に語っているのだなと思うのではなく、この私にそう呼びかけて下さっているのだと受け入れるとき、私たちは神様に愛されているという事実に押し出されて、復活の命の中を歩み始めるのであります。
 この時、人の痛みに無感動ではいられなくなります。悲しみに共に涙を流すことでしょう。しかし、これは弱さではありません。神様が下さった、甦らせてくださった温かな心の復活です。
 私たちはそのような命の歩みの中へと招かれています。私たちの歩みが豊かなものになり、他の者と共に喜び合うそんな世界が開けて来るのです。「このことを信じるか」、信じることができますように、その中を歩みぬくことができますように、皆さんと共に心から願いたいと思います。

2023年1月8日 

「主が宿り給う日々」
マタイによる福音書1章18~25節


「イエス・キリストの誕生の次第は、次のようであった。母マリヤは、ヨセフと結婚していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった・・・。」 これはナザレという小さな村での出来事です。そこは、マリヤとヨセフにとっては、出会いの場であり、故郷でもあります。ところが、マリヤと大工職人・ヨセフが出会った、いきさつはどこにも記されていません。小さな村ですので、誰もが顔見知りであったことでしょう。幼なじみだったのかも知れません。いずれにせよ、二人はナザレで知り合い、婚約をし、生涯を誓い合いました。
 ナザレの村は、二人の結婚式を心待ちにしていたことでしょう。誰もが二人の上に祝福を祈り願っていたことでしょう。しかし、二人が一緒になる前に、マリヤが身ごもりました。それが「明らかになった」と聖書は記しています。マリヤの驚きも想像を絶するものであったと思いますが、ヨセフも大変なショックを受けたのではないでしょうか。身に覚えのないこと、「天使が現れ、聖霊によって身ごもった」とマリヤから聞いても、彼は、それを信じることができなかったことでしょう。「密かに縁を切ろうと決心していた」、この言葉が何よりもそのことを物語っています。
 ヨセフは相当悩み、苦しんだと思います。一体、どうしたら良いのだろうか?、彼は、ただちにマリヤと離縁する決意をしました。身に覚えのないこと。小さな村・ナザレでは噂になるに違い有りません。「表ざたにせず、密かに」、ヨセフはマリヤのことを考え、この村を出ようと考えていたのかも知れません。故郷を捨て、当然、仕事も失う。お互いが思いを寄せ合いつつも、お互いが深く傷ついていく・・・、切なさ、やりきれなさ、どうしてなのか、なぜなのか、愛する二人が、このような目に合わねばならないのか?、心痛め、苦悩するヨセフの姿があります。ヨセフのは、まるで悪い夢でも見ているような状態だったのではないでしょうか。 ところがこの時、まさに劇的に、主の天使がヨセフの夢に現れ、告げました。「恐れず妻マリヤを迎え入れなさい。マリヤの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」、ヨセフは、マリヤと同じ言葉を聞いたのです。しかもその子は救い主であると言います。「見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」。
 インマヌエル、それは「神は我々と共におられる」という意味です。これはマタイによる福音書では二回でてきます。一つ目は、今読んでおります箇所。もう一つは、復活のイエスが弟子達に語られた「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」というマタイ福音書のラスト・シーンです。インマヌエル、神は我々と共におられるとの宣言によって、このマタイ福音書はサンドイッチになっています。
 「神は我々と共におられる」、するとヨセフは眠りから覚め、妻マリヤを迎え入れました。眠りから覚めると、ヨセフは自分の置かれた苦悩の現実を受け入れたのです。イエス・キリストの誕生の次第は、救い主の到来の次第はこうである、マタイによる福音書はそう私たちに告げています。   
 話は変わりますが、現在使用しております讃美歌21には納められていませんが、前に使っておりました讃美歌275番は、1850年にアルフレッド・テニスンという詩人が作った「イン・メモリアム」という詩から抜粋されています。アルフレッド・テニスンは、1809年、牧師の子供として生まれます。彼には、アーサー・ハラムという無二の親友がいました。また、アーサー・ハラムは、テニスンの妹の婚約者でもありました。すでに詩人として活躍していたアルフレッド・テニスンでしたが、親友のハラムが、22才という若さで急死。テニスンにとって、その悲しみは、まことに深いものでありました。また、妹の悲しむ姿を見て、彼は打ちひしがれます。突然起こった悪夢の様な出来事に、テニスンは詩作活動から離れ、長く、暗いトンネルの中を、さまよい歩くかの様に、亡き友人をしのび、悲しみに沈みました。それから約20年という年月が流れました。
 しかし、20年後のクリスマスの日、テニスンは、悲しみに沈む自分のところにこそ、神のみ光が、神の御子が降り給うことに開かれてゆきました。神は悲しみの最も深いところにこそ、イエス・キリストをお送り下さった、彼は主の降誕によって、目覚めていったのです。共なるイエスの出来事によって、20年間の悪夢から再び立ち上がっていったのです。そして出来上がったのが「イン・メモリアム」という詩でした。その詩より抜粋されて出来た曲が、旧讃美歌の275番です。アルフレッド・テニスンは20年間という、長く、暗く、深い悲しみの中から、共なる主によって目覚めてゆきました。ヨセフもインマヌエル・「神は我々と共におられる」ことによって目覚めてゆきました。
 眠りから覚める、ここで使われている「目覚める」という言葉ですが、これは特別な言葉です。10人のおとめの話に出てくる「目を覚まして」という言葉や、イエスのゲッセマネの祈りの際に、弟子たちに言われる「目を覚まして」という言葉とは明らかに違います。
 この「目覚める」という言葉は、マタイ福音書では28章6節のイエスの復活の際に使われる言葉と同じです。ヨセフの「目覚める」とは「起きあがる、よみがえる、復活する」という意味を持っています。神がイエスをこの世に遣わし、共にいて下さるので、苦悩する人間、恐れおののく人間、弱さを持つ人間、深い悲しみに嘆き、悲嘆の中で沈む人間が、目覚める、起きあがることができる、よみがえりの命の中を歩むことができる、そして辛い現実、苦しみ、痛みを受け入れて行くことができると宣言しているのです。
 マリヤとヨセフ、心痛め、苦しみの中にあった二人には、イエスという幼子、インマヌエル・「神が共にいて下さる」が、与えられたのです。イエスが胎に宿るとは、私たち一人一人の痛みや悲しみ、苦しみを、イエスが私たちの内側から、まさに私たちの心の奥底で、全身をもって感じ取って下さるということです。
 神が私たちに宿られる時、マリヤは「この身に成りますように」と自分の現実を受け入れる事へと強められました。ヨセフは、悪夢の様な苦悩を迎え入れることへと、目覚めてゆきました。アルフレッド・テニスンは、愛する者の喪失という悲しみを越え、まさに甦ってゆきました。
 イエスの誕生、クリスマスとは、現実を受け入れ、更にそれを越え、新しい歩みへと目覚め、奮い立ち、甦っていくことの出来る、天よりの、復活の贈り物が与えられた日なのです。そのことを胸に、主が宿り給う新しい日々へと、共に出発したいと思うのです。

 2023年1月1日