「光を灯せ」
ヨハネによる福音書1章1~13節


 クリスマスは、神の御子・イエス・キリストがこの世へと下られた日です。本日の招詞であったヨハネ福音書3章16節の言葉「その独り子をお与えになった」という一句が読まれました。ここで使われている「与えた」という言葉は「放棄する、捨てる」です。ヨハネ福音書流に表現するのならば、クリスマスとは神がその独り子イエスを捨てた、放棄した、失った日です。そんなヨハネの冒頭には、神と共にいた愛するイエスという言、また光を、この世に与え、この世のために捨てた放棄された神の悲しみの出来事が告げられています。つまり神が独子イエスを失ったという、もう一つの意味と共に、失ったことで神は何を私達人間に示されようとされているのかという問いかけがヨハネのクリスマスでもあり、この福音書のテーマにもなっています。
 新約聖書の古代オリエント世界では、新約聖書で使われている「言」というギリシャ語「ロゴス」と云いますが、「ロゴス」は人間に与えられた「理性」という意味でした。また「ロゴス」は「第二の神」と信じられていました。一方ユダヤ・パレスチナの地では「智恵」として人間を高めるものとして考えられてきました。
 当時の世界で考えられていた、言、理性、智恵という高いとされるものが、肉という世界においては、まさに低次元へと落ちる様は一体何か?。人は現実から逃避しやすい存在です。教会と社会、心と体、信仰生活と現実の生活、それぞれ都合のいいように分離しようとします。しかしヨハネはイエスの死後60年後の世界で、もう一度、イエスの降誕という出来事を自分たちの現実に重ね合わせようと、クリスマスの意味を深く模索しました。
 かつて、プロテスタントの誕生の契機となった宗教改革者の一人・マルチン・ルターは云いました。「大胆に罪を犯せ。そして大胆にキリストを信ぜよ」。このルターの言葉は、決して罪を犯すことを奨励しているのではありません。自らの罪を深く自覚する時、人は自らの過ちや至らなさに愕然としたり、悲しみ絶望することでしょう。と共に、その悲しみや絶望を越えるイエスの救いの力と恵みを知るという表裏一体を語っています。そのような意味でも、ルターが傾聴し経験したクリスマスには、恵みの一里塚が込められているのではないでしょうか。
 ところで、新型コロナ・ウィルスによる世界的なパンデミックが未だに続いています。マスク着用や手の消毒、握手をせずに、互いに距離を置き、密にならないこと、大勢での会食はさけること、コロナ禍になってこれらの所作が、すっかり定着した感があります。
 スロバキアのマルクス主義哲学者で、スラヴォイ・ジジェクという人がいます。ジジェクは世界的なパンデミックが始まった頃から、新聞を始めとするメデイアで積極的に発言をしています。それらの発言をまとめた本が既に二冊も発行されています。日本でも翻訳され出版されております。著書の題名は、ずばり「パンデミック」と「パンデミック2」です。
 ジジェクはこれらの著書の中で、W・J・T・ミッチェルの「現在時制2020」というエッセイを紹介しつつ、独自の解釈を述べています。古代ギリシャの三人の神、クロノス、アイオーン、カイロスがいます。クロノスは直線型の時間の神で、人間をはじめとする生物を容赦なく死に導きます。アイオーンは円環型の時間の神で、季節のめぐり、星座の周期を司ります。アイオーンは尾っぽを口にくわえた蛇の姿をしています。カイロスは良い徴候と危険な徴候を示す神です。ジジェクはパンデミックを、おもにクロノスとカイロスであると言います。この世界の直線的な流れの中に突如として現れたウィルス、しかしそのウィルスは何度も変異をし、感染拡大が周期的に巡ってくると表現しています。しかしその只中にこそ、キリストの誕生のようなカイロスが示されるはずだと言っています。
 更にジジェクは、ヨハネによる福音書20章1節以下にあるキリストの復活の場面にも触れています。これはマグダラのマリアがイエスの墓に訪れた箇所で、イエスに触れようとしたマリアが「私に触れるな」と言われた場面でもあります。日本語訳では「わたしにすがりつくのはよしなさい」となっていますが、原文では「さわるのをやめろ、触れるな」です。
 ジジェクはこの箇所を、キリストは信者の間に愛がある時には、いつも自分はそこにいると答えられ、触れる事の出来る存在ではなく、人々の間で交わされる愛や優しさ、連帯の絆の中に存在するとしています。復活のキリストとは、触れる事が出来ない、見ることの出来ない、しかしどこでも、いつでもいる普遍的存在になったということです。
 ジジェクは、次のように述べています。私に触れるなとは、愛の精神をもって他者に触れ、他者と関わりなさい、両手を伸ばしても相手に届かないのならば、触れることが出来ないのならば、自分の内側から、つまり愛や優しさ、温かい心をもって人にアプローチしようと言っています。スラヴォイ・ジジェクは、このパンデミックの状況だからこそ、キリスト教がその神髄を発揮する時だと強調しています。
 イエスの「私に触れるな」については、とても不思議な事なのですが、同時期に、今この時期に、フランスの哲学者ジャン・リュック・ナンシーと京都大学の社会学者・大澤真幸さんもジジェクと同じような事を語られています。
 最後に、先ほどのルターの言葉を借りたいと思います。「大胆に罪を犯せ。そして大胆にキリストを信ぜよ」。コロナ禍となり、気がつけば多くの方々が生活困難に追い込まれたり、自己隔離する家や場所すらない大勢の難民がソーシャル・ディスタンス等とは程遠い状態で密になって放置されていたり、自宅療養で多くの方々の命も放置されました。世界や私たちの社会は、まことに大胆に罪を犯したのではないでしょうか。だからこそ、私たちは大胆にキリストを信ずる、キリストを証する、発信する番なのです。
 手を伸ばしても相手に触れる事が出来ない、しかしそれでもなお、共に喜び、共に涙を流し、励ましの声をかけ、優しい眼差しで相手を見つめ、相手の為に心から祈りたいと思うのです。それが触れる事の出来ないキリスト、普遍的存在としておられる復活のキリストを証しすることなのではないでしょうか。イエス・キリストは私たちのところに降りたって下さいました。だからこそ、私たちは、心からキリストを信じ、降誕のキリスト、普遍的キリストを大胆に証していきたいと思うのです。この世界に、人々のところにキリストという光を灯したいと思うのです。

2021年12月26日  

「命に仕える」
ルカによる福音書2章8~20節


 今年は11月28日の日曜日からイエス・キリストの誕生でありますクリスマスを待ち望む期間、待降節・アドベントが始まりました。町中もクリスマスの飾りでいっぱいです。教会ではこの前の日曜日から、アドベント・クランツに立てられた4本のローソク、その全てに火がともされました。本来ならば、教会ではクリスマスをお祝いし、愛餐会やクリスマスの讃美歌を沢山奏でるところですが、それは今年も叶いませんでした。
 昨年から新型コロナ・ウィルスによる世界的なパンデミックが続いており、長く私たちは不安な日々を過ごしています。なおコロナ禍は続いています。けれども、私たちはアドベント・クランツに一本一本火がともされ、主イエス・キリスト、救い主の降誕を、希望をもって待ち望むように、コロナ禍の中にあっても神の出来事が現され、きっと導かれて行くことを信じたいと思うのです。希望が満ち溢れる日を祈りつつ歩みたいと思うのです。
 もう随分と前になりますが、群馬県東村にあります「星野富弘美術館」を訪れたことがございます。この富弘美術館を見学できましたことは、とても感動でした。
 星野富弘さんは、中学校の体育の先生でした。とは言いましても教師になってたった2ヶ月で、クラブ活動中に頚椎(けいつい)を損傷して首からしたの自由がきかなくなりました。突然の事故で、教師を止めなくてはなりませんでした。希望をもって夢をもって、歩み始めた矢先の出来事でした。9年間もの病院生活を送ることになりますが、彼は、病院でキリストに出会います。彼の大学の先輩に米谷さんという方がいました。米谷さんは、星野さんが入院をした病院で検査技師をしていたのです。彼はクリスチャンで星野さんに聖書を読むように奨めたということです。それから米谷さんの通っていた教会の舟喜拓生(ふなき たくお)牧師より病床洗礼を受け、彼は、事故でうつむいていた状態から上を見上げて、神様を見上げて生きることへと変えられて行きました。イエスの出来事によって与えられ、赦された貴い命を精一杯生きようと、神様に応える人生へと彼は開かれて行きました。
 それからは、口に筆を加えて絵を描き、詩を読み始めます。どれだけ多くの方々への希望と夢を与えたことでしょうか?結婚もしました。私は富弘美術館ではじめて絵を描いている星野さんの姿をビデオで見ました。そこには、いつも奥さんがつきっきりで富弘さんの求める絵の具の色を作っていました。もう少しうすくだとか、もうすこし濃くという言葉に、正確に的確に応えられていました。素晴らしい助け手を与えられ、二人三脚、支え合う素晴らしさをも、神様が与えて下さったのだなと私は、涙が出そうにもなりました。
 ところで、星野さんの描く絵は大半が、いえ、大部分が草木の絵です。それも、道ばたに小さく咲いている草木ばかりと行っても過言ではないと思います。展示されている絵に囲まれて、私は「あれ、どこか外にいるのかな?何か自分の視点が非常に低くなったかな?」と錯覚を感じました。もちろん星野富弘さんは事故以来、車椅子での移動です。星野さん自身、これまで気づかなかった、けがをしてはじめて気づいた低く、そして小さい存在に目を向けるようになりました。神様は、うつむく時、うなだれる者に上を向くように手を差し伸べられます。また、今度は下を向いて、小さな存在、忘れられてしまうようなものに目を向け仕えなさい、その小さな命の尊さに気づきなさいとも声をかけて下さる方であることを改めて示されました。
 クリスマスという言葉は、キリストを礼拝するという意味です。礼拝は英語で「ワーシップ」または「サービス」と言います。「ワーシップ」は直訳すると「仰ぎ見る」です。「サービス」は「仕える」です。礼拝には「仰ぎ見る」ことと「仕える」ことが不可欠なのではないでしょうか。
 ルカによる福音書の箇所には、寒空の元、当時の社会的には底辺で暮らしていた羊飼いたちは、天のお告げで御子の誕生を「仰ぎ見て拝んだ」と言います。人間的思いの内に上を向いている者には下を向くように、下を向いている者には上を向くように天の使いは私たちに教えています。
 イエスの誕生、神様の出来事を共に拝んだ彼ら・・・、占星術の学者達は贈り物を、羊飼いたちは讃美の声を贈りました。
 イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスは、まずイエスという神様の贈り物が私たちに届いたのです。だとすれば、私たちは神様に何を贈ったらよいのでしょうか?
 クリスマス、キリストを礼拝する、神を仰ぎ見、イエスのように仕えていくこと、それが私たちの応答ではないでしょうか。
 星野さんは主を見上げ、小さな命に目を向け、イエスの出来事によってある自らの命と、小さな貴い命を大切に生きる「クリスマス」を歩んでいます。私たちもそのような歩みへと導かれたいものです。この様な時であるからこそ、神の出来事・イエス・キリストの降誕の出来事のように、命に仕えて生きたいと思うのです。今夕、私たち一人一人をクリスマスの出来事で捕らえて下さいますよう、共に祈りを捧げたいと思います。

2021年12月24日 燭火礼拝

「神様のかくれんぼ」
マタイによる福音書2章1~12節


 クリスマスから年末にかけては、何かとプレゼントやお歳暮などの贈答が多い季節です。贈り物のやり取りやスタイルは、それぞれの習慣や考え方によって様々です。儀礼的なものから親愛の情が深い個人的なものまで、本当に幅広くあります。今年も皆さん、それぞれプレゼントでお悩みの季節となりましたが、今日は今一度プレゼントについてご一緒に考えてみたいと思います。
 神の御子イエス・キリストは、私たちの救い主として、神様から私たちにプレゼントされた方です。神様からのプレゼントであるイエス・キリストが送られた時、最初のクリスマスの時を、マタイによる福音書から示されたいと思います。
 マタイ福音書によりますと、イエスが誕生した時、東方の占星術の学者たちがイエスを探してやって来たと云います。この東方の占星術の学者たちは、その時代に最も天文学が発達していたバビロニアの占星術の学者たちと推測されています。当時、すでに天文台まであったそうです。しかしパレスチナと一口にいいましても大変広い地域を指します。学者たちは方々をめぐりながら、きっと何日もかけて、ユダヤの領主であったヘロデへとたどり着いたのでしょう。
 占星術の学者たちは尋ねました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」。東方からはるばるやってきた学者たちの質問に促されてか、ヘロデは祭司長たちに「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問いただします。彼らは旧約聖書の預言者に照らし合わせて「ベツレヘムです」と答えます。もっともこの答えは新しい事ではなく、当時一般に知られ、皆が知っていて、皆が抱いていた希望や期待、いやむしろ信仰そのものでもありました。ユダヤでは昔から周知の事柄だったのです。
 聖書では、マタイによる福音書では東方の占星術の学者たちが生まれたばかりの幼子イエス・キリストに辿り着き、誕生を祝いました。ルカによる福音書では、羊飼い達がイエス・キリストに辿り着き、その誕生を祝して神をあがめて讃美いたしました。しかし、それ以外の人々は、当時周知の事柄であった救い主の到来に気づかず、誰も神の御子の誕生を分かりませんでした。人々は神の御子イエス・キリストの誕生、メシアの到来を知らずに、拝みに行けませんでした。彼らは場所を知っていても時を知らなかったのでした。このマタイの描写は、神と出会う、救い主・メシアと出会う、イエス・キリストと出会うという信仰への覚醒に大切なことは、時であることを物語っています。
 星はその後、占星術の学者たちを先導して、彼らは幼子イエスと出会いました。学者たちはエルサレムへ行って、尋ねる必要など本当は無かったのでした。場所を知らなくとも、時を教えてくれた星の導きに従っていればイエスに出会えたのでした。この星の導きは、私たちが真実に生きようとすれば、問われるのは時をいかに生きるかであって、どんな場所で生きるかは二義的なことであると教えています。星の導きが、場所を知らせても時を知らせなかったのは、非常に象徴的です。それはイエスという存在が、どこでどのような状態であろうとも、今出会うことの出来る方であることを物語っているからです。
 さて、はるばる東の国からやって来た占星術の学者たちは、幼子イエスと出会うと、黄金、乳香、没薬を捧げました。昔からこれら、黄金、乳香、没薬にはそれぞれ意味があると云われてきましたが、これは彼らにとっての商売道具です。占星術をする際に必要と云われる物です。彼らがイエスに、これら商売道具を捧げているということは、得意とする占星術の道具を捨てているのです。彼らはイエスと出会い「捨てる時、放つ時」を得ました。異教の教えである占星術を捨て、そしてヘロデの道、すなわちこの世の者に生きる道から、別の道を通って自分たちの国、日常へと帰って行きました。イエスと出会ったこの時、東方の占星術の学者達は何かをイエスからプレゼントされて、別の人生へと旅立っていったのでしょう。
 話は変わりますが、スイスの臨床精神科医であったポール・トウルニエという人の「贈り物の意味」という一書に触れ大切なことを教えられました。この本の中でトウルニエは、大変面白い一例を挙げています。ヨチヨチ歩きの幼子は、自分が手にした物を周囲の人に手渡して、またそれを受け取る仕草を繰り返します。また「いないいないば~」や「かくれんぼ」が大好きです。子供は「かくれんぼ」で一生懸命に隠れます。それはやがて自分が見つけられて出てくる喜びを味わうためだと云います。見つけられること、すなわち自分が人に発見されること、自分の存在が人に確認されること、そして見つけられて捕まること、自分を人に与えてゆくことが最高の喜びであることを表す遊びだと云います。「かくれんぼ」という遊びには、自分を与えること、自分が受け入れられていくこと、他者を見出すことが一つとなっているのでしょう。
 東方の学者たちは「かくれていた」イエス・キリストを見つけました。彼らは喜びに包まれていきました。遠くから何日もかけて、見出しました。見つかった御子イエス・キリストも、神様も、きっと喜びに溢れていたことでしょう。神の御心であるイエス・キリストを発見してくれた、見出してくれた、探し出してくれたことを心から喜ばれたと思います。東方の学者たちは、神の喜びに、イエスの喜びに沢山満たされていったのでしょう。
 プレゼントを貰うということは、プレゼントを贈ってくれる人自身が神様からの最高のプレゼントであることに気づきたいと思います。自分の人生に沢山の出会いが贈り物として与えられていると気づく人は、きっと何とかして自分自身を与え捧げることを願って歩むのかも知れません。
 クリスマスの日に、私たちには御子イエス・キリストというプレゼントが贈られたのです。その贈り主である神様こそ、最高のプレゼントであることに気づきたいと思うのです。
 神様は私たちを見出して下さいました。私たちもまた、神を、イエスを、他者を見出すためのプレゼントとして遣わされていきたいと思うのです。

2021年12月19日 クリスマス礼拝

「恐れを解かれた人の賛美」
ルカによる福音書 1:46−56


 3本目のろうそくに灯りが灯りました。この灯りを見つめながら、私たちは、この2021年という1年で経験したいろんなことを思い出しているわけです。大きな喜びのあった方があることでしょう。苦しい1年をようようここまで生きてこられた方がおられることでしょう。新しい出会いを経験された方、病を得られた方、親しい方を天に送られた方。その一人ひとりのいろんな出来事を優しく包むように、さあ、クリスマスがやって来るのだ、その喜びの恵みを分かち合ってありたいと思います。
 さて、この1年もコロナの1年でした。今、少し、感染の拡がりが落ち着いてきて、病院でもようやく、入院患者さんとの面会について緩和されつつあるところまで来たのですけれども、このコロナの間に、病院はやっぱりずいぶんと無機質なところになってしまったな、というのが、私の実感するところです。いわゆる行事らしい行事はまったくできなかったですよね。そして、何より、ボランティアさんが活動できなくなってしまったことは大きいことであったと思います。今までは、ピンクのエプロンを着けた方が、正面玄関で患者さんをお迎えしてくださっていました。今では、ホスピスのお花も、病棟のお茶会も、オルガンコンサートも何もできないのです。そうすると、病院というのは、本当に、患者さんの病気を治すことだけの場所になってしまいます。これから、コロナがどんなふうに落ち着いていくか分かりませんけれども、とにもかくにも、「人はやっぱりパンだけで生きていれば良いというものではないよね」という温もりを、どうやって取り戻していったら良いのかと、そんなことを考えています。
 ボランティアさんのおられなくなった玄関に、職員が代わる代わる立つようになりました。入り口で検温して、手の消毒をして貰ってから中に入っていただきます。発熱の患者さんは、館内にお入りにならないでいただいて、事前に建物の外からお電話をいただき、特別の診察室の方に案内します。私も週に1度、2時間ですけれども、毎週月曜日の午前中に玄関に立つようになりました。
 来られる方に、お一人おひとり、「おはようございます」と声を掛け、お帰りになる方には、「お大事になさいませ」と見送ります。ときどき、顔見知りの方が来られては、「あら、先生!」なんて声を掛けてくださると、うれしいものですよね。この殺風景な病院という場所で、せめてもの心のふれあいのある場所の一つかもしれないと思ったりします。
 玄関に立つようになって、ああ、久しぶりのことだなぁと思っていました。というのは、私、今、病院に勤めて15年目なのですけれども、病院に入って、最初にした仕事が、この玄関に立つ、という仕事だったからです。それまで病院というところが全くの門外漢であった私にとって、とにもかくにも、玄関に立って人の動き、病院の組織、場所を覚えていくのが良い、その頃の病院の幹部の方が考えてくださったのだと思います。次第にチャプレンの仕事が多くなって、玄関からは遠ざかっていたのですけれども、今、また良い時間を与えられていると思います。
 玄関に立って、15年前のその頃、出会ったある患者さんのことを思い出しました。
 それは、あるときですが、玄関に立っていると、ある方が、玄関脇にうずくまっておられたのでした。玄関は風よけのための部屋があって、自動ドアを2回通って中に入るようになっています。その風よけの部屋の隅にです。私はお具合でも悪いのだろうかと思って、恐る恐る声を掛けました。
 「どうかされましたか?」
 ひと呼吸黙っておられたその方は、それからゆっくりと斜め上を指(ゆび)さしておっしゃいました。
 「あれは、鳴るんですか?」
 その方の指されたところには、2階吹抜けからのパイプオルガンがありました。病院の後援会が、本館病棟の竣工した時に寄贈してくださった物です。玄関にオルガンを設置している病院は、全国広しと言えどもそうないかもしれません。衣笠病院が神を讃(たた)えるために立てられていることを象徴するものとして、誇りにされています。私はこの方がそのオルガンに関心を持たれたのかと嬉しくなり、「うずくまって」おられることの意味を横に置いて説明し出しました。
 「今日は“残念ながら”鳴りません。月1回、コンサートがありますから、よろしかったら、是非お出でください。毎月第4土曜日の3時からです。ここに椅子を並べますので、お気軽にどうぞ」
 この方はいぶかしげに答えられます。
 「土曜日ですか? 私は土曜日でなくても鳴っているのを聞きました」
 「ああ、毎月、月初めの礼拝の時にも、このオルガンが鳴ります。あとは、ときどき週末にオルガニストの方が練習に見えるので、その音を聞かれたのかも知れませんね。今日は鳴らないんですよ」
 そうやり取りすると、やおら一層この方の顔は気色ばみました。そして今度こそ、うずくまっておられることの意味をはっきりとおっしゃったのでした。
 「私はおびえています」
女性はおっしゃったのですね。「おびえている」と。
 「あれは鳴らないんですね。なら、いいです。私はあれが鳴るのではないかと思って、おびえています」そう言うのです。
 私は、ようやく了解しました。おそらく、精神的な疾患をお持ちの方だったのでしょう。大きなオルガンから音が落ちてくることを想像して、足がすくんでしまわれていたのです。病院の中に入れないでいらしたのです。以前にここへ来られたとき、その音を聞いてびっくりされたのでしょう。その時、その音に何を感じられたのかはわかりません。単純に音の大きさのことだけではなかったかも知れません。教会やキリスト教が大事にしてきたもの、良いと思って誇ってきたもの、“良い”と“悪い”を峻別するためにかざしてきたもの、その辺りの何かを感じ取られたということであったのかも知れません。ただ、その感じられた何かが、この方を怖がらせてしまったということだったのでしょう。
 もちろん、オルガンそのものが悪いのではありません。コンサートは大人も子どもも着の身着のままでお出でになれる安らぎの時間として、入院患者さんにも地域の住民の方にも喜んでいただいています。
 でも、それだけではいけなかったのです。それが「上にある」だけでは不十分なのです。オルガンは動くことができないのですから、なおさら、そこで奏でられる喜びと恵みとを一人ひとりの現実の中で分かち合えるように、この地平で、「ここにいる」その人の支え、その支え手の働きが大事になってくるはずだったのです。私ははっとして、
 「大丈夫ですよ。今日は鳴りません。ご一緒しましょう」
改めてそうお声掛けし、一緒に病院の中に入り、受付まで案内したことを思い出します。
 
 言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた
 
 ヨハネ福音書の冒頭に、そう書かれていることを思い出します。キリストは天の高いところにおられたのではなくて、私たちの間に宿られた。
 
 言葉はかたわらで支えるべきであって、「上から語られる」だけではいけないのです。それは、そのことを私に教えてくれた貴重な一つの出会いだったのかも知れないと思います。
 
 アドベント第3の主日にあたって、「マリアの讃歌」を読んでいただきました。キリストを胎に宿したマリアが歌った歌。礼拝学や讃美歌学の世界では、冒頭の言葉、「わたしの魂は主をあがめ」のラテン語詩からとって「マグニフィカート」と呼ばれている歌ですね。「マグニフィカート」、普通、それは「賛美する」「あがめる」と訳される言葉ですが、「マグニフィカート」というのは、「マグヌス」、「マグナム」とか「マグニチュード」の「マグヌス」、「大きい」という言葉からきた言葉ですね。「私はあなたをこそ、大きな方と認める。反対に、私は私の小ささを受けとめて、それをあなたに委ねる」ということです。マリアは、そのことを持って、自分の置かれていた、「今」を表現しています。46節。
 
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
 
 マリアがみごもった、妊娠をしたということは、恐ろしいことでした。いったい、マリアは何をした、あるいは何をされたというのでしょうか。彼女にはいいなずけのヨセフがありました。しかし、ヨセフがそれを自らの子でないといい、またその責任にないというのであれば、マリアはイスラエル共同体から死を告げられなければなりません。全く身に覚えのないことのために、彼女は石打の刑となるのです。この時のマリアは、まだ少女であったことが想像されます。
 それにしても、懐妊の事実を告げに現れた天使の言葉は不思議でした。天使は彼女に「恐れることはない」と告げ、「安心して、その子を産め」と語り、「エリサベトも子を宿した」と告知し、「神にできないことはない」と宣言したのです。どうすることもできないマリアでしたから、そのどうすることもできないことを認め、彼女は「私は主のはしためだ」と答え、その言葉を受け入れるよりほかありません。そしてマリアは、その示されたエリサベトの許を訪ねていったのでした。
 マリアの讃歌。それが、エリサベトの許で歌われたことに、私は意味があるような気がしています。エリサベトはマリアの親類でした。でも、遠縁であったようです。マリアはダビデの家系、つまりユダ族であるとするなら、エリサベトは祭司の家系、つまりレビ族です。ですから、今まで面識は無かったのではないでしょうか。しかも、エリサベトは老女です。歳を重ねた女性なのです。エリサベトは、マリアを迎えたとき、喜びに満たされたことを聖書は告げています。うれしかったのでしょうね。「こんなにいたいけな女の子が、私を訪ねてきてくれた。神の救いは、こんなに小さな、何も知らない女の子に、私に会いにいくことを示された。この子に起こっていることは、この私、この老女に起こっている出来事とつながっているのだと言うことを示された。神は、力ある者ではなく、権力を振るう者ではなく、この世で力ない者と思われている者たちを通して、その物語を進められる」、そう理解して、喜び踊ったのでしょう。苦しみも悲しみも、人生とはどういうものであるのか、たくさんの経験を受けとめてきた高齢の女性が、一人の何も知らぬ娘の不安と狼狽とを認めて、神にある大きな大きな愛で受け入れたのでしょう。エリサベトは不妊の女でした。その辛さに貫かれた女性です。しかし、そのとてつもなく大きなものが、目の前のはかなく小さな者を捕らえている様子を感じて、歓喜の声で迎えているわけです。マリアもまた、このエリザベトの存在に包まれて、この賛歌を歌うように導かれたのだろうと思うのです。
 
 マリアの賛歌において特徴的であるのは、過去の中に、未来が宿っていることの告白です。力ある方が、この小さな者に、身分の低い、このはしために目を留めてくださった。あなたには、これから大きな出来事が起こるということを告知して、です。だから48節、
「今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」と予言がなされるのです。この賛歌の中に、直接にはキリストの受難と復活は含まれていません。救済論も終末論も言及されてはいません。しかし、その予言は、神は、もっとも小さく、退けられていた存在を通してこそ起こるということを告知している時点で、受難の逆説を言い表していた、と言ってもよいだろうと思うのです。キリストは来られた、それは信じる者が一人も滅びることが無く、永遠のいのちを受けるためであった、というヨハネ福音書の神学にも響いてくるものであるといってよいと思います。51節。
 
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。
 
 神の救いのメッセージは、どんなに小さくされている人々をも、のけ者にすることがないのでしょう。ルカによる福音書は、このあと、これでもかというほどに、その救いが小さき者たちへ優先的に届けられることを記していきます。初めに降誕のメッセージは羊飼いたちに告げられたこと、キリストは平地で「貧しき者は幸い」と語られたこと、迷い出た一匹の羊の譬え、失われた銀貨の譬え、放蕩息子の譬え、金持ちとラザロの話、徴税人ザアカイとの出会い。この世のどんな人をも、恐れにうずくまらせてしまってはならない、と言わんばかりです。彼らをうずくまらせる世の力はくじかれなければならないし、小さくされている者たちをこそ、神は良いもので満たされるのだ、というわけです。
 こうして「賛美」は、天と地とを繋ぐものとなっていくのです。そして地で小さくされていた者たちこそが、立ち上がり、一緒に歩き出す力の元となっていかなければならないのだろうと思うです。それは、天にとどまって天の世界で行われる礼拝に終わるのではなく、地で生きる人々を支えるものとなっていくのです。
 
 私たちは、今、うずくまりから立ち上がるための言葉を必要としているような気がします。隣りにいるこの人も必要としていることでしょう。でもだから、この私たちの地平に、小さなキリストがともにいてくださることを信じたいと思うのです。
 
 このコロナ禍で病院のオルガンコンサートも休止中。再開にはもう少し時間がかかるかも知れません。だから鳴らないオルガンに代わって、今日もひと言、声を掛けたいと私は思います。
 「お大事になさいませ」
 「また雨降ってきましたよ。お気を付けて」
 お互いの平和を願いつつ、それぞれの方々を、それぞれの生活の場へと送り出す言葉であるなら、そんな声掛けも立派な「賛美」なのではないかと思うからです。56節
 
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。
 
マリアは、エリサベトの所に滞在しました。その傍らにとどまったのです。小さき者を、孤独に終わらせないその存在がそこにはありました。エリサベトに守られて、そこで歌われる賛美。その大きさへの開眼が、物語を一歩前へと進めるのです。
 
この1年、私たちもいろんなことを経験しました。そこで味わった、私たちの小ささ。だからこそ、誰かと出会い、誰かと語り合い、その中で、この私たちになされた大きな業を確認し合い、励まし合いつつ、喜びのクリスマスを迎えたいと思うのです。

2021年12月12日

「讃美の回復」
ルカによる福音書1章57~66節


 イエス・キリストの降誕物語をめぐってルカによる福音書は1章から2章にかけて四つの讃美を記しています。1章46~55節はマニィフカート、1章68~79節がベネディクトウス、2章の14節がグロリア・イン・エクセルシス、2章29~32節がヌンク・デイミッテイスとなっています。これらの讃美の間に、洗礼者ヨハネの誕生を取り巻くエリザベト、ザカリヤの揺れ動く姿や、イエスの誕生を告げられるマリヤの心境などが語られています。不安や驚きの中で揺れ動く人々を讃美が包み込むことで平安と喜びに導かれる、それが神の御心、イエスの降誕の出来事であると私たちに教えています。
 信仰によって神の御言に希望を見出したエリザベト、突然の出来事に不安を抱きながら「この身に成りますように」と委ねていったマリヤの姿とは対照的にザカリヤは祭司の職にありながら神の言に信頼を寄せることが出来ませんでした。神が直接、ザカリヤに語りかけ働きかけたにも拘わらず、彼は信じること受け入れることが出来ませんでした。
 人間の経験や常識に基づいて判断する、それは当たり前の事かも知れません。普通に考えてみてもヨハネの誕生やイエスの誕生は理解しがたいことです。ユダヤ教の祭司であったザカリヤは神の言を取り次ぎ、神と人との和解を司る人でした。しかしそんなザカリヤも自分の事となると、理解に苦しみました。不安になり恐怖さえ覚えたと言います。「時が来れば実現する私の言を信じなかった」ために、神の戒めを受けて彼は口がきけなくなってしまいました。
 ところが言葉を失い、自らの意思を伝える術を失ったこの期間が、ザカリヤにとっては悔い改めの時となりました。もう一度、静かな沈黙の内に彼は神の出来事を思い巡らし、神の言を噛み締め、そしてひたすら祈り続けました。やがて月が満ちて男の子が与えられました。命名の日が来たとき、エリザベトがヨハネと名づけようとしました。「あなたの親類には、そういう名の付いた人は誰もいない」と人々は反対をしましたが、ザカリヤはもはや躊躇することなく「ヨハネ」と名前を記しました。人々はこの名前を不思議に思いましたが、この時、ザカリヤの決心は変わりませんでした。
 ヨハネという名前は「神は恵み」という意味です。語る言葉を失い、沈黙を強いられた時を経て、ザカリヤは「神は恵み」を讃美し始めました。ザカリヤは再び言葉を回復し、いえ神を讃美する世界へと戻ってきたのでした。
 数あるゴスペル曲の中で「ギレアデの乳香」という曲にこんな詩があります。
「時々私は落ち込んでしまい、自分の人生がダメであったと思う。その時、聖霊が私の魂を生き返らせてくれる。天使のように歌うことができなくても、パウロのように説教ができなくても、家に帰って近所の人たちに告げることができる。主が死なれたのは、私達を救うためであった。ギレアデには乳香がある。傷ついた魂を癒すために。ギレアデには乳香がある。罪に病んでいる魂を癒すために。」 
 日本でもゴスペルが歌われるようになり久しいです。ゴスペル、スピリチュアルの歴史的背景を知る時、怒り、悲しみ、痛み、そして悔い改めと希望とが交差しています。それは社会的な抑圧と虐待、差別の中で耐え忍び、神の与えたもう希望に生きるという自己完結的な内容ではなく、また自己主張の方法ではなく、悔い改めが根底に流れているという点です。
 アメリカにジェームス・コーンという黒人解放の神学者がいます。彼はゴスペルやスピリチュアル、ブルース、ジャズといった黒人達によって生み出された音楽文化について「Spiritual & Blues」という本で次のように説明しています。「非人間的扱いを受けつつも、抑圧者も神に創られた人間としての尊厳を取り戻すことのできる未来という希望がそこにはある」。つまり自分達の抑圧からの解放のみならず、抑圧者の罪からの解放もが表現されているということです。マーチン・ルーサー・キング牧師の「私には夢がある」という大変有名な説教の一説を彷彿させるものです。
 イエスの十字架の苦しみが歌われる時、そこには黒人達の共感が溢れています。しかしそこで自己完結することなく、その苦しみを負わせたのは自分でもあるという罪の深い恐れ、そして自らを打ちたたく抑圧者をイエスにならい赦そうとする、魂の葛藤と苦痛があります。この点を度外視する時、ゴスペル、スピリチュアルはその命を失うと思います。
 魂を搾り出すように歌われるゴスペル、スピリチュアルは抑圧者側も非抑圧者側も共にイエス・キリストの十字架による罪からの解放という希望に立つことを教えています。虐待を受けた彼らが、驚くべき霊的な洞察をもって罪からの解放を歌っているゴスペル、スピリチュアル、そこには苦しみ喘いだ黒人のみが知りうる、力に満ちた神が表現されています。強いられる沈黙の中でただただキリストの十字架を噛み締め続けた、彼らの爆発的な祈りがそこにはあります。
 神の言を聴かず、ただ人間の思いや考えの中で言葉を発し続ける自己主張の世界に讃美はありません。口がきけなくなったという、聖書のたとえは2つのことを語っていると思います。1つは「不平や不満という独り言」の世界に生きる人間・いわば一方的な、一方通行の世界です。私達の世界、社会も様々な主張はありますが、聴くことを忘れた世界ではないでしょうか。お互いが呼応するには「話し方」ではなく「聴き方」が問題なのではないでしょうか。
 もう1つは「強いられる沈黙」です。それは自らの中で他の存在を赦そうとする、受け入れようとする葛藤と苦痛に満ちた沈黙、魂のうめきにも似た祈りです。
 そのような意味で「言が肉」となったイエス・キリストに聴く姿勢がザカリヤを通して、抑圧の中でキリストの十字架を噛み締め続けた黒人霊歌を通して教えられるのではないでしょうか。キリストが神の救いが、ザカリヤに際して云えば「神の恵み」が肉となった事柄に聴く、噛み締める、そこに生きるということが大切なのではないでしょうか。その時、魂からの讃美が、美しい調べが私達に与えられるのではないでしょうか。

2021年12月5日

「主があなたと共におられる」
マタイによる福音書1章18節~23節
ルカによる福音書1章26節~28節
讃美歌 229(いま来たりませ)


  私が勤務している学校での、聖書の授業の時のことです。中学1年生に、イエスさまの十字架前夜の食事、最後の晩餐にちなんで「自分なら最後の晩餐で何を食べたいか?」と言う質問をしました。今どきの中学1年生たちは、どんなメニューを選ぶと思われますか?
 「やきとりとビール」と言ったのはかわいい女子生徒でした。まだ大人になってないからお酒を飲んだことがないので、一度お酒とおつまみというのを味わってみたいから!と、言ってました。ビックマックとポテトのセット、と言った生徒もいました。いつもお母さんに体に悪いからあんまり食べちゃダメと言われるから、最後ならポテトもLサイズにして好きなだけ食べる!と言ってました。イエスさまと同じパンとぶどう酒にして、あとステーキとケーキも付けます、と言った食いしん坊の生徒もいました。「うちのご飯とお味噌汁がいい」という、ほのぼのとした回答もありました。他愛ないテーマですが、なんだか盛り上がり、楽しい授業になりました。あててもないのに自分のメニューを発表する生徒もいて、個性あふれる意見がおもしろく、ああ、やっぱり対面の授業は楽しいと久しぶりに思ったのでした。
 
 私の学校では、夏休み明けの9月は対面の授業をひかえて、オンライン授業が中心でした。生徒は登校せず家庭にいて、教師が学校からPCを通して授業を配信します。昨年は急な感染拡大のために急いでオンライン授業を始めたので大変でしたが、今年はもう2年目になり、臨機応変に授業をオンラインに切り替えることができるようになりました。夏休み明けに学校で授業を行ったのは、10月になってからでしたが、その10月に学校での対面授業が始まってしばらく、私は何だかとてもくたびれたのです。昨年コロナのために休校が続き、対面の授業が始まった時は、ただ嬉しかったのですが、今回はなんだか生徒の反応も鈍く、うまくコミュニケーションが進まない感じがしました。他の先生や生徒も、その時期はなんだか疲れる、オンラインの方が楽だったと言っていました。なので、その「最後の晩餐」の授業は、久しぶりにやっぱり対面授業は楽しい、みんなと一緒にいるとなんだか面白い、と思えて嬉しかったのです。
 
 ちょうどその頃、鎌倉静養館の副施設長をされている伊藤尚子先生が、私の学校での講演に来られました。鎌倉静養館は、恩寵教会とも関係が深いので、ご存知の方も多いでしょうが、軽費老人ホームと特別養護老人ホームがあります。伊藤尚子先生は軽費老人ホームの方の副施設長をされている方です。軽費老人ホームは、軽い費用と書きますが、比較的お元気な方が入所されています。いつもは自分で外出もされますし、ご家族が面会に来た時は一緒に買い物や外食に行くのを楽しみにされている方が多いそうです。でも昨年からのコロナの影響で、外出も面会も制限され、それがずっと長く続いています。
 去年はまだコロナに負けずにみんなでがんばろう、みんなで乗り切ろう、という勢いがあって、入居者の方自らお互いを励ます企画を立てていたそうですが、今年に入ってからの方がみなさん元気がないそうです。長くコロナの影響が続く中で、人と関わらないことに慣れてしまって、楽しくはないけれど、トラブルもないので、むしろ一人で部屋にいる方がいいと言う人が増えている。かえってたまに集まると、いざこざが起きてしまう。認知症気味の人がマスクをつい忘れて集まるのを、厳しく攻めたてる人がいる。あの人のこの癖が許せないとささいなことが気になって、けんかになってしまう。なので、お互い人が怖いとか、人といるとイライラすると、人と一緒にいることがしんどくなっている方が増えているということでした。
 人とコミュニケーションを取ることは楽しいですが、その分人と合わせたり、自分が我慢をすることも多いものです。でもそれなら一人の方が良い、となってしまうのは残念です。ホームの中で、どうコミュニケーションを取り戻していくかを、今、考えているのです、と伊藤先生は話されました。なるほどなあと思いました。・・・
 
 私が、対面授業が始まった頃に感じた思いも同じだったのかも知れない、と考えさせられました。オンラインをとおしての遠隔授業は、生徒とのやり取りもできますが、基本的に自分本位に進めることができます。いつもの授業ならこちらは面白いと思っても、生徒は興味を示さないことも多々あり、思うようには進みません。そのかわり、なんだか一緒にいて楽しいと思う交わりは生まれにくいです。オンラインは会えない時に人をつなぐ手段としてとても有効ですが、一緒に顔を合わせて授業をつくっていく大切さを忘れてはいけないと、伊藤先生の老人ホームでのお話を聞いて、改めて感じました。
 
 さて、教会暦では、今日からアドベントに入ります。イエス・キリストのご降誕を覚えて過ごす期間です。
 今日は、聖書の中のヨセフと、マリアそれぞれに、イエス誕生が予告される場面を読んでいただきました。
 マタイによる福音書では、1章18節に「イエスキリストの誕生の次第は次のようであった」と、イエス誕生について、二つの名前を通して説明しています。天使はヨセフに「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を救うからである」と告げています。「イエス」と言う名前自体が、ヘブライ語の「イェホーシュア(旧約聖書のヨシュアと同じ言葉ですけれども)そのヨシュアに由来する「主は救い」という意味の言葉だからです。神の救いがいよいよ実現するのだということを「イエス」と言う名前自体が表しています。ただ「イエス」と言う名前は、当時のユダヤではよくある名前でした。
 マタイによる福音書によれば、イエスにはもう一つ名前があって「その名はインマヌエル、『神は我々と共におられる』という意味である」と天使が告げています。この神とはイエス御自身のことであり、神の子イエスが、人となって現実に現れ、私たちと共に生きて下さるのだということを示しています。フィリピの手紙2章6節には、「キリストは神の身分でありながら、神の身分に固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」と記されています。ただ天にいて、人を遠くから見守るのではなく、「受肉」と言う言葉があるように、神が肉体を持って人として生まれ、貧しい人、病気の人、罪人と呼ばれる人々と共に生きてくださる。喜びも悲しみも、孤独も、死の苦しみも誰よりも味わい、私たちの罪をあがなうために死んでくださる。そんな人と共に生きる救い主として、イエスはこの世に来られる、ということを、この「インマヌエル」の名前は表しているのです。
 ルカによる福音書では、マリアのもとに大天使ガブリエルが現れ、「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と言われています。この天使もまた「主が共におられる」ということを真っ先に告げています。
 
 聖書は、マタイもルカも、イエス誕生の物語の最初に、「イエスの誕生は、神が現実に、私たちと共におられることをあらわした出来事なのだ」と伝えているのです。
 ヨセフとマリアは、貧しく、ふつうの若者でした。当時のユダヤでは結婚年齢が早く、男性は18歳ころ、女性は12,3歳で結婚していました。ヤコブによる福音書という書物によると、マリアはイエスを生んだ時に16歳だったと記されています。当時は結婚に先立って、1年間の婚約期間を持つことが一般的で、この婚約期間には結婚と同様の法的な重みがありました。まだ婚約中であったヨセフとマリアは、イエス誕生の予告を聞いて、驚き、戸惑ったでしょうが、それぞれの決意のもと、この知らせを受け入れていきます。神の御子が、自分たちの家族として、人と共に生きるために来て下さる、そのことを畏れながらも、自分の出来事として受け止めていったのです。
 
 人と一緒に歩み続けることは簡単なことではありません。人が実際に集まると楽しいことも多いですが、時には傷つき、また人を傷つけ、悩むことがあります。でも、その困難さを越えて主イエスは、私たちと共に生きることを選び、この世に来てくださいました。裏切られ、ねたまれ、死の苦しみを味わうことになっても、それでも人を愛し、赦し、人と生きることを喜びとしてくださいました。そして、今も、このコロナ禍の中で、あるいはそれぞれの抱えている課題の中で、不安を持って生きる私たちに、将来への希望を忘れないで歩んでいけるように、いつも寄り添っていていくださいます。
 
 アドベントの時、多くの人とクリスマスの喜びを分かち合うことができるように、私たちも他者に心を向け、人と関わっていくことの豊かさを大切にして、過ごしていきたいと思います。
 
(祈り)
 愛する天の神さま、アドベントの時、あなたが共に歩んでいてくださることをいっそう覚えて、過ごすことができますように。欠けたところが多い私たちをゆるし、お守りくださるあなたの愛を覚えて、私たちも人との豊かな関わりを大切にできますように導いてください。新しい1週間もあなたの御心にかなった歩みができますように。この祈り、主イエスキリストのみ名によって御前におささげいたします。アーメン
 
 


 
牧会 祈祷
 
 愛する天の神様あなたのみ名を賛美いたします。
 一週間のそれぞれの働きを守り、今日の聖日礼拝へと招いてくださいましたことを感謝いたします。コロナウィルスの影響で、長く教会に来られない方々もおられます。教会のHPで礼拝を覚えて祈りを共にされている方々の上にも、あなたの恵みが共にありますように。共に集うことが叶わなくても、互いに祈り合うことができる教会としてください。
 今日からアドベント第1週に入ります。コロナの影響がこんなに続くとは、去年のクリスマスには考えていませんでした。教会の礼拝や活動も変わりました。でも、どんな時にもあなたが中心にいて私たちを招き、わたしたちと繋がって下さっていることを忘れることがありませんように、私たちの信仰を強めて下さい。今年もアドベントを共に迎えることができ、心から感謝いたします。
 コロナによって、困難な生活の中にある方々やそのご家族をお支えください。医療や介護に携わる方々の健康をどうぞお守りください。これから寒い季節に向かいます。路上での生活を余儀なくされている方々や、生活に不安を感じる方々をお守りくださいますように。クリスマスの恵みを、どんな時であっても、私たちがより多くの方々と分かち合うことができますように、どうぞ導いてください。
 この祈り、愛する主イエス・キリストのみ名によって、み前におささげいたします。           アーメン 

2021年11月28日

「小さな一粒」
マタイによる福音書13章31〜33節


 今朝の聖書の箇所は、からし種とパン種という小さな二つのたとえ話が、イエス自身によって語られている場面です。著者のマタイはすでに成立していたマルコ福音書に収められているからし種の話とトマス福音書という外典に収められているパン種の話を、ここで合わせて編集しています。元々は別々の話であったものをマタイは並べて配置をしました。
 聖書の舞台であるパレスチナの地において、からしは食用油を採るため、また医療にも使われた大切な植物でした。ユダヤ教では生活の様々なことを定めている「ミシュナ」という規定書には、からしはちゃんと畑で育てることが義務付けられていました。
 からしの種は本当に小さなものです。しかし発芽し成長すると四メートルほどの木になるそうです。たとえの意図は、このからし種一粒が徐々に成長していくイエスの福音や神の国の成長です。はじめは小さく取るに足りないものと思われること、目立たないものであっても何よりも大きくなるという最初と最後の対比が語られています。信仰者は現在の小ささに失望することなく、むしろイエスが約束される将来から現在を見るという視点の転換が求められています。
 ところで「種」という表現は「モノス」という唯一性と独自性を表す言葉です。私達が、種というものを考えます時、種から芽が出て、伸びて行き、実るという成長の課程を、誰もが思い浮かべます。しかし唯一性、独自性が表されているこの言葉は、一つの形態は、唯一であって、種が実るためには、その前段階が滅びることを意味しています。成長する種のたとえは、古い己は滅ぶことを伝えています。
 まことに厳しいようですが、聖書で伝えられるイエスの弟子達は、イエスの神の国のたとえや福音の豊かさを常に耳にしながら、己を捨てられませんでした。同様に私達もまた自分に固執し、なかなか古い己を捨てられません。しかし弟子達は、イエスが十字架の上で死なれ、人々の目には滅びと映った出来事にこそ、神の出来事があったことを後から気づきました。使徒言行録の記録は古い己を捨て復活信仰に生きた、イエスへとの応答する弟子達の姿です。
 とここまでは、オーソドックスな聖書理解であり、福音書の道筋に立ったものですが、この次に配置されたパン種のたとえが、マタイの独自の編集であり、イエスの革新的な新しさを強調するものとなっています。
 マタイは独自にからし種のたとえの後に、パン種のたとえを続けます。一読すると、このたとえの主旨もからし種のたとえと同じように見えます。特にイエスは、パン種、パンを好んで神の国にたとえらました。ところが意外な事に、ユダヤ教においてパン種は不浄のものとされていました。旧約聖書の出エジプト記にありますモーセの過越の出来事が、その後、過越の祭りになります。この過越の祭りでは種入れぬパンが奉げられ、各家庭でもパン種をすっかり取り除いて家を清めることがなされました。そのような不浄とされるパン種をイエスが神の国のたとえとして用いるということは、当時考えられないことでした。しかしイエスが不浄とされるパン種をたとえとして用いるのはなぜでしょうか。人々が不浄とする人々、取るに足りないと云われた人々と共に生き、いかがわしいとされる人々にこそ神の御心が寄せられているという、信仰の逆説があります。イエスの神の国とは、そのようなところから膨らみ行くことが告げられているのです。神の力、聖書の語る福音、そしてイエスの業は、からし種のように非常に小さいものであり、パン種のように不浄と見られ、毒とさえ理解されているものなのです。しかしそれが、鳥を養う、すなわち人間を養うこと、大きく膨らむこと、すなわち人間の生を豊かにするものとしてたとえられています。そしてイエスの信仰の真髄は、他者を大きく育て行く働きであることが示唆されます。徐々に徐々に膨らみ成長する、ダイナミックな働きとして表現されています。
 北海道の恵庭市に島松伝道所という教会があります。もう随分と前にワークキャンプで訪れたことがあります。この伝道所は全国の人々に支えられて「障碍者と共に在る教会形成」を目指しています。教会が障碍者と共に生きることへと歩み始めた発端は、島松伝道所に赴任してきた滝口孝牧師によるものでした。滝口牧師は重度の障碍をもったお嬢さんがおり、一緒に生活をする中で障碍者と共なる教会形成に取り組みました。それは決して楽なことではありませんでした。美談でもありません。大変に苦しい道のりです。滝口牧師自身、志半ばにして病に倒れ、天へと召されました。今でも島松伝道所の困難な歩みは続いています。けれどもその歩みの中で島松伝道所は信仰の大切な種を見出しました。
 以前にもご紹介しました障碍者の共同体である「べてるの家」の母胎である浦河伝道所の方が、次の様に島松伝道所を紹介しています。「いわゆる従来、教会で考えられてきた敬虔さ、まじめさ、あるいは教義や教理による秩序は与えられなくとも、克服しようとしてきた弱さとけじめのなさという、いわば欠落の中に、島松伝道所は可能性を見出しはじめています」。つまり弱さの中に可能性があり、弱さが恵みであることに気づいたというのです。問題がなくなるわけではありません。しかし、困難の中で支え合って歩むことの大切さを発見したというのです。
 聖書の時代には不浄とされるもの、取り除かれる対象となったパン種の様な存在、現代的に例えるのなら強い者が得をする社会にあって、障碍を持った者、偏見にさらされているような存在にこそ、イエスの語るパン種が秘められています。この時代において、不当な世のあり方に苦しむ者と共に歩み、弱さの恵みに気づき、共に苦難の中を支え合って歩む共同体を形作る時、私達はそこに私達の弱さを共に担って下さるイエスに出会うことが出来るのです。その出会いから、主にある新しい希望が溢れて来るのです。イエスを信ずる、聖書を信ずるということは、現代にイエスの物語を甦らせ、その中を生きるということです。混迷の時代にキリスト者として召されていることの意義は、そんなイエスのヴィジョンである希望を示すことにあるのではないでしょうか。

2021年11月21日

「顔を上げよ」
ルカによる福音書18章9~14節


 ルカに納められておりますイエスのたとえは、祈るために神殿にのぼったファリサイ派の人と徴税人という二人の人物を伝えています。このたとえをご一緒に示される前に、私たちもまた、イエスのたとえの中にすでに身を置いていることを確認したいと思います。
 さて、イエスのたとえは始めから強烈なインパクトを受けます。それは、神が人間の心の祈りをご存じであることが語られているからです。
 神殿にのぼったファリサイ派の人は、何も大勢の人の前で、大声をはりあげて祈ったのではありません。彼は心の中で祈りました。しかし、その心の祈りは、まことに思い上がった、高慢なものでした。具体的な事柄をあげて他者を見下すものでした。人の罪を数え上げるものでした。何よりも、優越感にひたるということは、自らをいつも人より優れた者だという自分への讃美に他なりません。それを神はご存じだというのです。
 「奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、またこの徴税人のような者でないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を捧げています。」、まさに、自己讃美です。第一に指摘されることは、このファリサイ派の人の祈りは、感謝することによって実は他の人々をまともに見ていないということです。自分は上手くいっているからそれでよいのだという態度です。自己の現状だけが肯定されていく訳です。
 第二に指摘されることは、ファリサイ派の人にとって徴税人は、自分の幸せをはかる道具であり、徴税人より自分はましだという比較の為の踏み台として見ているということです。得てして私たちは、人との比較が幸福感の素朴な秤、物差しになりかねない事が分かります。神の目よりも人の目を気にしているのが、私たちの現状ではないかと思います。
 もう一方の徴税人は、遠くにいました。この表現は、彼と神殿との距離でしょうか。自分は主に近づくことさえもできない、神の前で目をあげることもできないとの、おののき、悔いる姿でしょう。
 そしてもう一つ、ファリサイ派の人物との距離ではないでしょうか。同じ信仰共同体、イスラエルに属すお互いの距離です。神の前での自己認識の違いという距離であり、罪を悔いる姿が、こんなにも遠いという距離です。同じ信仰共同体にあっても、教会にあっても、お互いにこんなにも距離がある、つまり、人々はバラバラであったということです。
 その様な中で、イエスは祈りを勧めます。いえ、祈ることは一つだと言わんばかりです。「わたしを憐れんで下さい」。これは、破れや弱さ、罪に苦しみもだえる私のところに来て下さい、共に苦しんで下さいとの祈りです。なぜなら、聖書において「あわれみ」とは「断腸の思い」という意味であり、神の苦しみを表現する言葉に他ならないからです。
 ところで、クリスチャン作家であった故・遠藤周作さんが「私にとって神とは」(光文社)という本を書かれています。この本の中で次のようなことを綴られています。「夜中にふっと目が覚める時があります。私は私の人生の中を通り過ぎた人のことをやっぱり考えます。私がその人の人生を通り過ぎた為に、本来行く道が曲がってしまったという人がいると思うのです」。かなり繊細な神経で自分の人生を振り返っている言葉だと思います。それこそ数え切れない程の無数の後ろめたさと言いましょうか、自分との問題といったものを抱え、夜中にふっと目が覚めてしまうという告白をされています。
 聖書に登場する徴税人という仕事を考えてみても想像がつくことかと思いますが、私たちも、誰もが様々な問題を抱えながら生きています。解決されずにそれらが積もり積もっていくことがあります。自分で自分の問題や過ちの解決が出来なくなっていくことがあります。そんな私たちが抱える問題や苦悩が、この徴税人の祈りには込められているのではないかと思うのです。そして、この徴税人の祈りを賞賛するイエスにこそ、私は慰めを感じるのです。
 彼はもはや自分では問題を解決することが出来なくなっています。自分の過ちを消すことも、解決することも出来なくなっています。彼は藁をも掴む思いで、ただ一言「神様、罪人のわたしを憐れんでください」としか祈ることが出来なかったのです。しかし、目を伏せ、胸を打ち、自らの罪に対する深い後悔と悲しみの中で、自分と共に苦しみ、自分と共に苦しみ悲しむ神に包まれていったのではないでしょうか。
 最後に皆さんと注目したいことがあります。ファリサイ派の人の祈りは、自分が主語です。徴税人の祈りは、神が主語になっています。徴税人の祈りは、自分が主語であったファリサイ派の者の祈りと違って、自分は退けられています。徴税人の祈りは、神こそが主語なのです。自らをむなしく低くし、神のみを褒め称える、・・・・、これこそ福音書を通して告げられるイエスの祈りの姿ではないでしょうか。私たちの十字架を背負われ歩むイエスの足跡ではないでしょうか?
 おごり高ぶり、自らを主とする私たちの背後から、憐れんで下さいとの祈りが、十字架と共に捧げられる、それがイエスの祈りと生涯ではなかったでしょうか。かつて、この地上で、弟子達のために涙を流し、血を流しながら祈り、とりなして下さったイエスは、今もなお、私たちの背後から哀れみをもって祈られているのです。
 そんなイエスの祈りは、私たちに顔を上げなさいとの声ではないでしょうか。イエスの憐れみの祈りによって、私たちは生かされ、神に向かって顔を上げることが赦されているのではないでしょうか。そんなイエスの祈りにこそ、しっかりと応答したいものです。

2021年11月14日

「神が見ておられた世界」
ローマの信徒への手紙12章1~8節


 今年も聖徒の日・永眠者記念礼拝に際し、信仰の先達を憶えて礼拝を守っております。
 使徒パウロは、ローマの信徒の手紙の中で、私たちは「キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです」と私たちはそれぞれ体の器官なのだと云っています。私たちは、一人ひとりが別のところで生まれ、別の人生を歩み、また別のところで生涯を閉じていきます。けれどもパウロは、私たちはそれぞれであるが、決して孤独ではなく、皆深いところでイエス・キリストにつながっているとも云っています。皆別々で、それぞれですが、自分という個が大きな全体の一つの器官として見えてくる、その大切さを表現しています。このパウロの言葉はキリスト教の持つ宗教言語として非常に重要であり、極めて大切なことだと思われます。
 一人一人が別々の器官であっても、一見つながっていないように見えても、自分が全体の中にあることに気づくとき、どんな状況になろうと、泥まみれになろうと、みんなから笑われようとも、体が不自由になり寝たきりになろうと、それは神がご自身の業を現される場であり、神が働かれる器官であることにも気づかされていくことをパウロは語っています。きっとそれは、命を終えて散っていく一枚の葉っぱに、大自然の営みが凝縮されていることにたとえられるかも知れません。
 病、老い、あるいは死というもの、私たちは自分だけのものであると考えます。しかし、体力、視力、聴力といった全ての各器官を神にお返ししていく、神と一つ一つがつながっていく過程なのかも知れません。イエスはそれこそ多くの多様な人々と共に生きながら、器官としての全ての者の一つ一つを神につなぎとめていく、そのような世界を見続け、その中で生きられたのではないでしょうか。
 クリスチャン作家の重兼芳子(しげかね よしこ)さんが病気の中で自らの生と死を見つめ続けた最後の随想である「たとえ病むとも」(岩波書店)という著作があります。重兼(しげかね)さんがガンの告知を受けたのが、1991年、60代の半ばでした。それから約二年間、1993年8月22日に天に召されるまで、治療と病状緩和のための闘病生活や執筆活動だけではなく、ホスピスでのボランティア活動、各地での講演会とひたむきに取り組んだ記録が収められています。
 ある日、重兼(しげかね)さんは東京を離れて札幌の病院でガンの
手術を受けられます。その時、普段元気であったご父君が突然倒れ、天に召されてしまいました。倒れたご父君のケアも出来ず、最後の言葉もかけられず、また葬儀にも出られませんでした。重兼(しげかね)さんが自宅に帰ったのは、半年後のこと、そこで亡き夫との遺影を目の当たりにします。重兼(しげかね)さんはその時の事を次のように記しています。「先天性の障碍を持った、妻としては半人前の私を、夫は黙って受け入れた。失敗しても間違えても夫に荒い言葉をかけられたことがなかった。私は全てを許され、許されていることさえ気がつかない我侭な妻だった。ごめんなさい。ごめんなさいと泣きじゃくり遺影の前で伏していた」。この時、家族は誰もその部屋に入って来なかったといいます。泣き伏す重兼(しげかね)さんを一人にしておいたといいます。そのことを重兼(しげかね)さんは「私の心の手術が済むのを皆、部屋の外で待っていたのだろう」と記しています。
 重兼(しげかね)さん自身は大病のために札幌で大変困難な手術を受けられていました。自宅に帰ることが出来るまで、長い月日がかかりました。その間に愛するご父君をなくされました。人生に課せられていく重く辛く悲しい出来事は、心に大きな傷を深く刻んでいきます。この心の傷を癒すために「心の手術」が必要となったと表現されています。更に次のように綴っています。「いのちは神に委ね、身体は山崎医師に委ね、生きることは自分が主体」。
 信仰を持つ全ての者がこのような心境に到達できるとは限りません。信仰を持っていたはずなのに、逆に神を恨み悲惨な心の有り様に陥る人さえいます。むしろ重兼さんは苦しみを深く模索し、自分を見つめることで、全てを神に任せるなどという安易な自己放棄の姿勢をとるのではなく、神の前で信仰者として、折れやすい自分自身を自分で引き受けていく姿勢です。
 誰でも人生には思うようにならなかったことがあります。辛かったこと、悲しかったこと、恨めしく思ったこと、やり残したことなど、数え上げたらきりがありません。けれども重兼さんの手記から教えられることは、たとえ失敗や無念の思いが多々あったにせよ、それらをまるごと引き受けて「これが他の誰のものでもない自分の人生なのだ」と向き合う姿にあります。
 亡きご父君の遺影を前に涙し「全てを許され、許されていることさえも気づかなかった」という、重兼さんの激しい慟哭は、イエスの十字架を前に「全てを許され、許されていることさえも気づかなかった」弟子たちの慟哭を彷彿させるものです。折れやすく、不安定であり、恐れや死の不安をも抱いたまま、まるごとの自分を引き受けて下さり、神へとつなぎ留めて下さる方がいるからこそ、人は自分の置かれた状況に向き合うことが出来るのです。イエスの十字架によってこそ、人という者は神に繋がっていくことを物語っています。重兼芳子さんは、1993年8月22日に天へと召されました。死の不安を抱きながら衰えていく各器官を通して、神に繋がっていったのでしょう。そして先に召された愛するご夫君と、神のみもとでの再会を果たしたのでしょう。
 今日、私たちが思いを馳せ、そして共に思いを馳せております亡くなられた方々は、一つ一つが神に繋がりながら、命の源である神のみもとへと凱旋されて行ったのです。私たちもいずれの日にか、一つ一つが神と繋がりながら、天の国で先達者たちと会いまみゆる日を望み見たいと思います。 

2021年11月7日

「パウロとして生きる」
コリントの信徒への手紙一15章1~11節


 パウロの第二伝道旅行は地中海沿岸に拡がるギリシャ地方でした。パウロはアテネでの伝道を終えて、古代ギリシャの最大の商業都市コリントへと到着しました。コリントは、海を行き交う船の重要な港を持ち、様々な人々が行き交う自由な空気に満ちあふれる都市でした。ギリシャ人だけが暮らす街ではなく、周辺からは、多くの国の人々が集まりました。古代ギリシャにおける文化の中心地でもありました。それゆえに大都市である古代コリントにも都市型特有の生活や習慣が顕れます。相対的な考え方、共同性というよりも個人主義、私的生活主義、人口増加による道徳の欠如、都市化が進めば進むほど拡がっていく貧富の差による人々の階層化、信仰心や畏敬の念の希薄さ等々、他の古代都市に住む人々には社会的、道徳的、宗教的な乱れと写り、同時代の人々は「コリント化する」といって、このような傾向を嫌いました。しかしパウロは第二伝道旅行の拠点として、このコリントを重要視し、宣教の翼を広げていくのです。
 さて、忘れがちと云うよりも、パウロの真実の姿に、天幕職人・テント職人としてのパウロがあります。パウロはダマスコ途上でイエスと出会い、回心していきますが、回心後にすぐにキリスト者として伝道旅行に出かけたのではありません。パウロはイエスと出会った後、約10年間天幕職人・テント職人として働いていました。パウロは第二伝道旅行の拠点として選択したコリントに約18ヶ月間滞在します。パウロは伝道をし、教会を励ましながら、生計を立てるために、このコリントという大都市でテント職人として働きます。この仕事を通じてパウロは、アキラとプリスカという夫妻とも出会います。彼らはパウロの伝道を支える同労者として聖書に度々名前が挙がっています。
 さてこの天幕職人・テント職人という仕事ですが、これは下層民の仕事でありました。動物の皮を薄く剥いで加工していく仕事であったがために、汚れた仕事として忌み嫌われていました。しかし古代世界では、旅行者や遊牧民族にとっては生活や仕事に欠かせない必需品でした。パウロのコリントにおける生活とは都市下層での生活だったのです。
 パウロがどうして下層民の仕事であったテント職人にこだわり続けるのか?、またどうしてサウロという名前からパウロという名前に変えたのか?、偉大な使徒パウロ、キリスト教を広めた大伝道者としてのパウロ、しかし、それはまさにイエスに乗り移られた生涯と生き様であったという他ありません。
 ヴェネツィア建築大学の美学教授で、ジョルジュ・アガンベンという思想家が「残りの時 パウロ講義」(岩波書店)という本を出しています。そこには、パウロが名前を変えていくことの意味が綴られています。
 使徒パウロがイエスと出会う前に、彼はサウロという名前を持っていました。サウロとは、旧約聖書のイスラエル12部族の一つであるベニヤミン族の血を引き継ぐ名前で、最初のイスラエル王国の王サウロと同じ名前です。サウロとは「大いなる者」という意味の名前で、ユダヤの民にとって、この名前をもらえるということは大変な名誉でありました。
 サウロと名付けられた人物は、ユダヤ教において最高の教育を受けました。それは当時のユダヤ社会においてはエリート・コースでもあり、誰もがうらやむような人生でした。またその熱心さのあまり、サウロという人物はキリスト教徒を迫害し始めました。ある時、サウロはイエスと出会い、ユダヤ教からキリスト教へと回心しパウロと名乗りはじめます。名前の綴りの頭文字を英語で言うとSからPに変えただけです。ところが、頭文字を一字変えただけの名前は、彼の生き様と同様に、180度変わっていくものでした。パウロとは「小さい者、取るに足りない者」という意味の名前です。しかも当時の世界では、奴隷に使われる名前でした。ジョルジュ・アガンベンは次の様に語っています。「大きなものから小さなものへの移行~パウロとは、メシア的な召命を十全に引き受ける瞬間に与えられるメシア的な名前なのである」と。
 今朝の聖書の箇所には、復活のイエスとの出会いが想起されています。この箇所は現在入手できるイエスの復活を証する最古の文書です。福音書よりも旧い復活証言です。12弟子達に、そして大勢の人々に出会うイエスの出来事と共に「月足らずで生まれたような私にも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒達の中でもいちばん小さい者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。」と、パウロはイエスとの出会いの意味を思い起しています。パウロは以前はキリスト者を迫害し、多くの信仰者をその手にかけて殺害をしてきた悪魔の様な存在でした。悪魔の様な自分がイエスによって、イエスの弟子集団に加えられていった回心の証言です。福音書よりも古い伝承であるパウロの書簡には、悪魔の様であったパウロ自身が、皆と共にいる風景が記されているのです。
 よくパウロを「イエスを運んだ」人物と表現しますが、私はそうではなく「イエスに持ち運ばれた」人物だと思います。イエスに乗り移られた人物といってもいいかも知れません。パウロは生前のイエスを知りませんでした。しかしパウロは生前のイエスのように、大いなる者ではなく小さな者となり、下層の人々へと自ら赴き、その低き場所や貧しさにこだわり続けました。それはある意味で、聖なる雰囲気やきれい事ではなく、埃まみれになる日常の生活と人間を序列化していく社会、都市化との戦いと云っても過言ではありません。
 イエスを身をもって体現していくことが、パウロにとってのイエスへの信仰であり、イエスを証する宣教でした。サウロという名前を捨てて、パウロとして生きるということは、最も低きに下ったイエスの視座を持って生きるということです。
 私たちの中にあるサウロという生き方を捨て、パウロとして生きるということは、大きいものや上を目指して人生を浪費させるのではなく、またそれらに心や魂を奪われていくのではなく、小さな小さな存在、それは私たちかも知れません、それを大切にされる神の視座、イエスの視座をもって生きることです。小さくとも、そこに盛られていく神の恵みは、きっと人間の想像を超えるような大きな恵みなのでしょう。「パウロ=小さきもの」であるからこそ、イエスの恵みが大きく注がれる出来事をこそ、心に刻み込みたいものです。

 2021年10月31日

「希望への転換」
マタイによる福音書15章21〜28節


 本日の聖書箇所は、イエスが「ティルスとシドンの地方」(21節)に出向き、カナンの女性に出会う物語です。この2つの町は、海洋貿易民族であったフェニキア人によって地中海沿岸に建てられた港町です。当時は、ローマの直割地でシリアの総督が直接支配する町でした。ユダヤ人社会から見ればまさに外国の地です。マタイ福音書によると、一回切りの訪問です。イエスはなぜこの一回限りの「異邦の地」に立ち寄ったのでしょうか。
 この「カナンの女の物語」の前にイエスはファリサイ派や律法学者たちと「昔の人の言い伝え」(1~20節)を巡って論争をしています。彼らはイエスの弟子たちが手を洗わないことを批判しイエスを陥れようと試みます。しかし、その不当な批判に対してイエスは、モーセの十戒の「父と母を敬え」との掟を取り上げ、いかに彼らが伝統とか律法の外面的なものだけを取り繕い、人間の関わりや愛の関係を不明瞭にしているかを逆に語り、その偽善性を厳しく指摘します。彼らの「口先でわたしを敬うが、心が遠く離れている。」(8節)状態を、イザヤ書の言葉で批判します。そして、この論争の後に「イエスはそこをたつ」のです。「足の塵を払う」ように外見や偽善性に対してノーを付きつけ、ユダヤの地を出て「異教の地」に赴くのです。
 ここで、イエスは「異邦の民」であるカナン人の女に出会っていきます。この女は娘が悪霊にとりつかれていることをイエスに訴えて執拗に助けを求めていきます(22、23節)。この母親である女性は、聖書によると弟子達に何度も追い払われながらも、イエスの前にひれ伏しています。藁をもつかむ想いなのでしょう。しかも「イエスの前にひれ伏し」という日本語訳の表現には「何度も」という言葉が抜け落ちています。この女性は、弟子達に追い払われても何度も、何度も、近寄ってきて、イエスの前にひれ伏していました。そんな女性の願いに対して、イエスは「子ども(ユダヤ人の比喩)たちのパンを取って子犬(異邦人の比喩)にやってはいけない」(26節)と語り、その訴えを拒絶しようとします。
 このイエスの言葉は非常に民族差別的な発言でした。唖然とするような言葉です。ユダヤ人と異邦人を区別する軽蔑に満ちた言葉でした。これが愛を説き、赦しを語るキリストの言葉であろうかと思わされます。一読するとイエスは、愛するわが子の為に命をかけて懇願する母を、冷淡な言葉で拒絶したかのように思われます。「子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」。この母親が、キリストに失望し、この事がきっかけで、反キリスト運動の先頭に立つ女性闘士となったとしても、なんの不思議もありません。
 しかし、この女性は、いえ母親は神の心を疑いませんでした。「主よ、しかし、食卓の下の小犬、私たち異邦人も、子供たち・イスラエルのパンくずはいただきます」。怒っても不思議でない、こだわっても不思議でない、批判をするようになっても仕方がない、絶望しても決して不思議ではない事柄の中で、この女性はキリストの言葉を全面的に受け入れ、なおも信頼し続けました。
 使徒パウロは言います。「愛は、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」と。
 突き放され、無視され、侮辱され、打ちのめされることがあっても、神が私たちに向ける愛は深く、時に私たちの想像を超えています。愛するわが子のために、足もとにひれ伏し、キリストを見上げ、キリストをみつめ続けた母親に、イエスは言われました。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」、それは、かつて誰一人として得られなかった祝福と約束の言葉でした。原文のギリシャ語では「おお、婦人よ、あなたの信仰は偉大だ」と、イエスが非常にびっくりしている様で描写されています。
 神を見上げながら、いつも我が子の為に祈る母、喜びの日も、辛い日も、悲しみに涙が止まらない日も、我が子のために祈り続ける母。追い払われる姿に、何度もひれ伏す姿に、我が子を思う母の祈る姿を思わされます。それは、たゆまざる祈りではなく、祈りは誰も妨げることが出来ない神との対話、神と人をつなぐ生命線であることを語っているのかも知れません。
 更にもう一度だけ、イエスとカナンの女性の対話に注目したいと思います。カナンの女性はイエスの発言に対して「主よ、ごもっともです。しかし、・・・」(27節)と必死にイエスの憐れみを請います。イエスはその女の姿、「望み得ないのに、なお望みつつ信じていく」思いに感動していきます。ファリサイ派や律法学者たちと違う、真実な姿を見ていくのです。
 カナンの女はイエスの宣教的使命である、ユダヤ人の悔い改めと救いということは理解していたのかも知れません。だから、「ごもっとも」と言って自分の置かれた現状を認識します。されど「しかし」とその現状、今の状況を破ろうと必死に食い下がっていきます。それは、娘を何とか助けたいとの母親の愛であったのかも知れません。この女性の在り方を「あなたの信仰は立派だ。」(28節)と語るイエスの真意は、現状認識の「そうです」という状況から出発し、「しかし」という希望へ向かうことであることを語っています。
 神の沈黙や拒絶、あるいは世の挫折や苦しみに出会う時にこそ、「そうです」と己の現状を認めながら、なお「しかし」と、希望への転換が信仰の世界では広がることを示しています。私たちも困難の中にあっても、キリストを見上げ、キリストを見つめつつ、現状を打破していく「なおしかし」という信仰に立っていきたいと思うのです。

 2021年10月24日

「神の息づく空間」
詩編121篇


 旧約聖書の詩編には、古くから多くの人々に親しまれている信仰の詩(うた)が沢山収められています。その一つが、今朝、読まれました詩編の121篇です。この詩は「都に上る歌」とあり、エルサレムへの巡礼の歌といわれています。また、どこからでも見上げることの出来る高い山々にたとえられた神の存在が歌われています。更に、一連の高い山々に目を向けつつ、人生の困難な状況、自分の置かれている苦しみの深さが、神の救いと重ね合わされながら歌い上げられています。
 作者と作られた年代は不明ですが、「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」との一句が示すように、自分を委ねることの出来る方がおられるという信頼感と慰めの思いが、この詩のベースには流れているようです。
 トゥルナイゼンという人が旧約聖書における慰めということを語っていますが、彼は旧約で使われる慰め、特に詩編における慰めについて、「深く息をつくことの出来る時と場所、安堵することの出来る瞬間、それは神の自由な空気の中で、わたしたちが深く息をつけること」と語っています。詩編121篇の歌い手も、神は全能であるという理解よりも、むしろ人間が置かれている不安や苦しみといった深淵に、確かな和らぎを届けて下さるということを強調しているようです。
 更に詩編121篇の大きな特徴として、神の自由な空気の中で、深く息づく、安堵感を与えられた者の変化があげられます。121篇の歌い手は、はじめ不安や苦しみの中で、自分を助けてくれる救いはどこから来るのかと「山々をあおぎ」ます。救いの御手が主のもとから来るという、和らぎに包まれた後、歌い手は3節以降、「主があなたを助けて」というように、他者の為に祈る者へと変えられています。「今も、そしてとこしえに」と、他者に主の祝福が注がれるように「あなたに」主の和らぎが届けられるようにと祈り願う者へと変化しています。人間の深淵を知る者は、深淵にある者へと心を寄せることへと導かれるのでしょう。どうすることも出来ない人間の深淵に主が共にいて下さって、深く息をつくことの出来る和らぎの空間を備えて下さることを知るが故に、他者へと主が共にいて下さり和らぎを届けて下さいと願うことへと導かれるのでしょう。
 話は変わりますが、以前おりました教会にシカモア組合教会という日系教会があります。サンフランシスコ・ベイエリアにある教会です。
 そもそも日本人のカリフォルニア移住は、1850年代にサクラメント川で金鉱が発見されると共にカリフォルニアの農業が急速に発展したことに起因します。1880年代になると農場で働く日本人が多く存在し、サンフランシスコには日本人書生・学生が沢山いたといいます。このような状況でアメリカのプロテスタント諸派は海外伝道の際と同様に、国内でも「異文化」と出会うこととなります。特に日本人人口の増加に伴い日本人への伝道も重要視されていきました。
 1904年4月13日、オークランド福音会より美以教会内の学生会員であった竹崎八十雄、久布白直勝(後に久布白落実と結婚、現在の東京都民教会を創設)、大久保清次を中心として組合教会が設立されました。この教会にはホノルルのヌアヌ日本人教会牧師・大久保慎次郎(妻・徳富音羽子、長女・久布白落実)が招かれ、オークランドのサンパブロアヴェニューにシカモア組合教会(Sycamore Congregational Church)が設立されました。はじめは日本人教会として産声を上げますが、時代の流れの中で日系人教会となり、いまではエスニック・チャーチとして多くの民族が混在する教会共同体となっています。
 シカモア組合教会は、アメリカにある日系教会の例に漏れず、共同体としてのアイデンティティーの問題、個々のアイデンティティーの問題で常に揺れ動いてきました。経済移民としての開拓の歴史からはじまり、第二次世界大戦・太平洋戦争時には、日系人は財産を没収され退去命令が下されます。1941年12月7日、フランクリン・ルーズベルトは大統領特別令9066を発令し在米日本人、日系人を強制収容所へと送ります。この大戦下における収容所体験は、彼ら・彼女らに「自分達はどちら側に立つのか」という対立を起こしました。そればかりか、ユタ州トバスをはじめとする強制収容所での過酷な生活を強いられていきます。戦争時、収容所の日系人は太平洋を挟んだ二つの国のどちらが、戦争に勝つか負けるかで、勝ち組、負け組みという対立まで起こります。戦後、日系人は無一文の中で社会へと放り投げられ、アメリカ白人社会への同化を余儀なくされていきます。この様な歴史の歩みが、日系人の自己形成に大きな影を落とし、そして深い傷を負わせていきます。
 作家の山崎豊子さんが「大地の子」という中国残留孤児の小説を描いていますが、山崎豊子さんの作品に「二つの祖国」という帰米二世の人々を描いた小説があります。「帰米」という問題は、戦前、アメリカで生まれた日本人であるにもかかわらず、戦争相手国で生まれたという理由で日本国籍を許されずに、アメリカへと戻された人々を「帰米二世」と表現します。この帰米二世の人々の自己意識は、非常に複雑です。たまたま両親の仕事の関係などで、アメリカで生まれたという場合が多く、戦争を境に日本から拒絶され、生活をし生きざるを得ないアメリカでも差別を受けるという板ばさみの中で、自分の帰属性が奪われていくという体験をしていきます。シカモア組合教会では、英語部には日系二世、三世が所属し、日本語部には戦後に移民をしてくる新一世や短期滞在者と共に、帰米の人々が所属していました。そこで目の当たりにする人々の姿は、自分の帰属性を理解できぬまま、自らの命を立っていく者、またそのような家族を持つ人々の姿でした。「自分は一体何者なのだろう」と、深い問いの中にたたずむ人々との出会いがありました。人間は歴史の深淵の中で、本当に苦悩する存在でしかないとの思いを強くさせられました。人は誰でも個々の歴史があります。それが時に、痛みの歴史であり、深い悲しみの歴史であることがあります。そのような深淵の中から語られる物語に、ただただ耳を傾けることしか出来ない自分に気づかされることがあります。
 主体の喪失や愛する者の喪失による悲しみは、本当に心に大きな傷を負っていきます。その喪失の悲しみは、なかなか消えません。しかし、そんな人間の深淵、人生の深淵のただ中に、あのイエスが降り立ち、一緒にたたずんで下さっていることに気づきたいと思います。イエスによって深く息をつくことの出来る慰めが備えられていること、神が息づく空間へと私たちを導いて下さることを覚えたいと思うのです。イエスにこそ、和らぎの空間を求めつつ、お互いの間に、神の息づく空間が訪れますようにと祈り合いたいと思います。

 2021年10月17日

「ありのままの姿を」
マルコによる福音書2章13〜17節


 最近、私達の社会は「SDGs」が唱われるように、自然環境を考えるようになってきました。地球規模の環境破壊に対して以前よりも敏感になり、その浄化、保護を訴えるようになってきましたし、努力するようになってきました。気候変動の危機と共に、人間の心を蝕んでいるもう一つの環境汚染、破壊が加速度的に進んでいます。人の心に宿る憎しみ、欲望、不正、欺瞞が子ども達の吸う空気を汚しています。心の汚染度は機械で測り得ず、浄化することができません。心の浄化は一人一人の自らの浄化を願うまで待つしかないのかも知れません。
 ドイツの作家ミヒャエル・エンデは、その著作を通して、外的な環境破壊によって人間の内面的世界が破壊されてきた事を訴えてきた人物です。代表作に「モモ」という作品がありますが、資本主義社会の中で時間の奴隷となり、お金もうけしか考えなくなった人間に、人間本来の優しさと心のゆとりを取り戻して行く少女の冒険物語です。その数年後に書かれた「ネバーエンディング・ストーリー」の中で、著者エンデは、一面に拡がる「虚無」によって危機的状況にさらされたファンタージェンという国が、これまた一人の少年によって救われるという物語を描いています。
 日本社会にも今、無気力、無感動、無責任、無関心という一連の「虚無」が拡がり、人の心を蝕んでいます。物質的には恵まれながらも心が充たされていない人々は、その空虚を束の間の快楽や消費で充たし、自分の存在感を確かめようとしています。その結果としての教育現場の荒廃、家庭の崩壊、様々な社会問題として噴出しています。
 ここで少しミヒャエル・エンデの「ネバーエンディング・ストーリー」をご紹介したいと思います。主人公バスチアンは、10才位の男の子です。ある日学校をさぼり、本屋からしっけいしてきた一冊の本に読みふけっている内にファンタジーの世界に引き込まれていきました。一つのお守りお与えられたバスチアンは、そのお守りによって自分の未来の願い事を次々と叶えられていきます。
 臆病だった少年は勇者になります。智恵を得、富を得、権力者となっていきます。けれども自分が願ったその一つ一つの願い事が叶う毎に、バスチアンからは人間界の記憶が一つづつ奪われていきます。最後の記憶が奪われる時、バスチアンは二度と人間界に戻ることは出来なくなります。主人公バスチアンにとっての最後の願いは、真の意志でした。そしてバスチアンは気づかされます。本当に望んでいたことは、偉大なもの、強い者、賢い者になるのではなく、ありのままに愛されたいという願いでした。自分の欠点を含めて、いやむしろ自分の欠点ゆえに愛されたいと願うのでした。このことに気づいたバスチアンは「変わる家」という所に辿り着き、今までの数々の願い事とは全く異なる「愛したい」という願いを抱くようになり、人間界へと戻っていきます。人間界に戻ったバスチアンは自分自身である喜びを味わうようになります。そして理解します。「世の中には、喜びの形は何千何万とあるけれども、それらは皆、結局のところたった一つ、愛することができる喜びなのだ」と「愛することと喜び、この二つは一つ」であることを知っていくのです。
 私達は、そして子ども達も、ありのままの自分を、欠点も含めて、いえ欠点ゆえに自分を愛し、受け入れてくれる環境を求めています。受容されていく場を求めます。そのように自分を愛してくれる存在、受け入れてくれる存在に出会うところ、物語流に表現すると「変わる家」に到達する時、愛したいという真の意志を見いだすことと思います。
 親鸞という宗教者は「善人なおも往生す。いわんや悪人をや」と唱えて、仏の慈悲を人々に、とりわけ貧しい者、差別を受けている者、罪人と呼ばれる社会のひずみがのしかかる人々に教えました。遡ってイエスは「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と語り、苦しみや罪責、あらゆる人間の差別意識に押しつぶされる人々へ、彼らこそ神の招きを受けていると、欠点や過ち故に彼らを愛することを教えました。
 私達が親鸞やイエスのように無条件の愛を実現することは不可能であっても、今よりちょっとだけでいいから、人を受け入れることは実現できるかと思います。それは取りも直さず、人が自分自身である喜びを味わい、一緒に生きる喜びを味わう場と環境を作り出すことです。
 キリスト教が日本に初めて宣べ伝えられた時、宣教師達は「愛」という聖書の言葉を日本語で「ごたいせつ」と訳し、日本人に語ったと云われています。それは当時の日本社会における家柄、身分、性別、年齢などと一切関係なく、人はありのままの姿で神に愛されている存在であり、神の目から見て人間は本当に「ごたいせつな」存在であることを表現した言葉でした。虚無が支配する社会において、人間を取り巻く環境を破壊から守り、浄化する責任は私達大人、しかもイエスを信じ従おうとする私達信仰者にあります。
 生物学者でカソリックの神学者テーヤールド・シャルダンという人が「愛について」(みすず書房)という著作を出しています。この書物は当初、宇宙の誕生から生物学的見知さらには神学をも含む広すぎる内容であったために、彼の死後1955年にようやく世に出たものです。シャルダンは「愛について」という著作の中でが、次のように語っています。「人生にはただ一つの義務しかない。それは愛することを学ぶことだ。人生にはただ一つの幸せしかない。それは愛することを知ることだ」。
 キリスト教で最も大切なことは、自らに向けられた神のイエスの愛を感得しているかいないかです。そして告白とは、証とは、そんな神の愛を味わうことから、神と人を愛する生き方へと変貌することです。
 アルファイの子・レビは収税人であったが為に、人々から嫌われていました。きっとレビ自身もそんな自分に嫌気がさしていたのでしょう。しかしイエスと出会い、神にイエスに愛されている自分に気づかされます。愛されている喜びを自分と同じような境遇の人々に伝えて行きます。レビはイエスに愛されて、人を愛する喜びへと導かれ、聖書の表現に従うのならば、レビは立ち上がっていきました。
 この世の様々な付加価値を人間存在に先行させるのではなく、イエスが愛して下さった一人一人のありのままの姿を愛せるようにと、神への応答をこそ祈り願いたいと思います。私たち一人一人は神にとっての「ごたいせつ」なのですから。

 2021年10月10日

「神のはかり事」
民数記21章4~9節


 かつてカール・マルクスは、「あなたにとって一番大切なもの。あなたが一番心にかけているもの。それがあなたの神だ」と語りました。私たちの身の回りにあるものは私たち自身がこれは必要と思い、生活すること生きることの役に立っているが故に、意味があるものです。ところが、いつの間にか私たちの目の前にあるもの、そのものに価値があると考えてしまい、何ものにも増して大切なものであると錯覚し、人間の方が物に振り回されてしまうようになります。そうなってくると物を得るために人間が働き、生きるようになってしまう、物が神に化けてしまうことをマルクスは「物神化」と呼びました。
 本末転倒な人間のあり方、「疎外」された人間を指摘するマルクスから、無教会派の信徒である経済学者の大塚久雄さんは、キリスト者としてマルクスの思想を受けとめ、人間が人間らしく生きられなくなっていること、大切なものを見失っている状態を真摯に考え、それを乗り越えることを模索いたしました。特に大塚久雄さんの著書「生活の貧しさと心の貧しさ」(みすず書房)の中で、「重荷に耐えうる内面の場所」ということを語られています。それはご自身が世の何ものにも流されないで「踏ん張るところ」とも表現されています。焦らず流されず、合理化、効率化に距離を置く、それはとても孤独な作業であり、重荷とさえ感じてきます。しかしそんな重荷に耐えうる内面の場所として、きっと大塚久雄さんは神と真向かう祈りの時を語らんとしていたのでしょう。なぜなら、大塚久雄さんは繰り返し著書の中で「神は無に等しきものを選ばれた」という聖書の言葉をちりばめられているからです。
 さて今朝読んでおります旧約聖書の民数記には、出エジプトの一コマが描かれています。奴隷の状態で苦役を強いられていたエジプトから、神がモーセを立て人々を約束の地カナンへと導く、その途中での出来事が記されています。カナンへの旅は人々の想像を越えて厳しいものでした。長く苦しい旅の中で人々は目的地にたどり着くことを焦り、これまでの神の導きと支えとを忘れてしまい、不平不満をこぼしながら神を呪ったということが伝えられています。そしてそのために、神に背く人々が死んだことが伝えられています。
 旅の只中で、「民は途中で耐えきれなくなって」、今この瞬間を生きる食べ物を求めていきます。これまでの導きと支えが、これから先、更なる彼方への旅を神が導くという希望を忘れ、今一番心にかけているものが自分にとっての神へと化けてしまいます。「人はパンのみで生きず」効率や目先のことを優先することで人は生きず、人は死んでしまうということが語られています。しかし同時に神に立ち帰る時、人は再び命を得ていくことも語られています。
 話は変わりますが、同志社大学の創立者・新島襄は大学設立の夢を抱き国禁を犯してアメリカへと渡ります。アメリカの大学で学び、牧師の資格を得ます。さらにアメリカ中を回って設立のための募金活動を続けました。日本に帰り設立のために働き、同志社英学校を開校します。ところが実は夢の途上、新島の考えていた真の大学となることを見ずして世を去っていきます。しかし新島襄は、聖書の理念に立ち、理念実現のために忍耐しながら、希望をもって将来を信じ続けました。
ある時、新島襄は、あなたの理想とする大学は、後どれくらいすれば出来るのですかと尋ねられたそうです。これと同様の質問を別の場所で民主主義の完成はいつかと訪ねられたそうです。その時も、新島襄は次の様に答えました。「一年のはかり事は、穀を植えるにあり。十年のはかり事は、木を植えるにあり。百年のはかり事は、人を植えるにあり。」という諺を引用して、「まずは百年」と答えたそうです。ところが、それから少し考えて「いや二百年、いやまった三百年!」と付け加えたそうです。新島の思い描く同志社は、民主主義は未だ出来ていないということになります。聖書の理念に立って人を植えるという作業は、人間のはかり事ではなく、神の計画故にまだまだ途上であることを教えられます。
 苦難や悲しみは全ての人に臨みます。不可解、不条理と嘆かざるを得ない出来事に、人間は途中で耐え切れなくなります。ところが聖書が語るように効率や目先の事柄を優先するはかり事、つまり即効性の御利益では苦難を突き抜けてはいけません。しかし私たちが嘆き狼狽え、呪いの言葉さえ口にする時、神が近づいて来て下さることを民数記の出来事は教えています。
 人が植えられ大地に、現実に根をはって生きる世界は、辛抱強く将来を望見るような「重荷に耐えうる内面の場所」によって開かれていくのでしょう。そこで私たちは共に気づきたいと思います。それぞれの背負う重荷に、一緒に耐えて下さる方こそあの十字架のイエスです。私たちの重荷を、ご自身の十字架にかえて耐え忍んで下さる方こそが、私たちの人生の同伴者です。
 神によって愛され生かされている私たちは、神の創られた世界に植えられ、育まれています。大地に現実に信仰の根をはって大きく実って行くことを、神がイエスの十字架という忍耐をもって育てて下さることに、心を開きたいものです。人間のはかり事ではなく、神のはかり事をこそ仰ぎみて、ご一緒に歩んでいきたいと思います。

2021年10月3日

「軛と安らぎ」
マタイによる福音書11章25~30節


 今朝の聖書の箇所も大変有名なイエスの言葉として知られています。特に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」という一句は、礼拝の招詞あるいは聖餐式における招きの言葉としても有名です。聖書を見ますと、このマタイ福音書11章25節以下はルカ福音書10章21節以下にも記されている並行記事であることが分かります。ところが、マタイ福音書11章に収められているイエスの言葉の内、28節から30節はルカ福音書にはありません。28節から30節はマタイ福音書だけが伝えるイエスの言葉となっています。
 この28節から30節の言葉は、各福音書がそれぞれ福音書を記す際に用いていたであろうと云われている「Q資料」、これはイエスの言葉集、あるいはイエスの言葉や出来事を口伝えで継承していたであろう口伝承でも知られていません。28節から30節の言葉は、正典聖書の伝承には見当たらず、外典と呼ばれるトマス福音書からの引用と云われています。
1945年12月に現在のエジプトにあるナグ・ハマディという場所で何十種類もの外典聖書が発見されました。見つかった場所は古代の墓地でした。発見をされました何十種類もの新約聖書文書は、日本においてもすでに1970年代後半から80年代前半にかけて全文が翻訳されています。このナグ・ハマディ文書を題材にした「ダヴィンチ・コード」や「ユダによる福音書」などで、ナグ・ハマディ文書の存在が一般にも知られるようになりました。この時、発見をされました文書群の内、現在でも研究が進められ、今では正典といわれる四つの福音書と共に比較研究されるほどに重要な文書でありますトマス福音書の90節にマタイ福音書に収められた11章28節から30節までの言葉が記されています。「イエスは言った。『私のもとに来なさい。というのは、私の軛は楽であり、私の支配は穏やかであるからだ。そして、あなたがたは自分のために安息を見出すであろう』」(トマス福音書90節)。
 トマス福音書の言葉とマタイ福音書の言葉を比較すると、表現の強弱は違いますが、トマス福音書でも、マタイ福音書でも、イエスは疲れた者、重荷を負う者を休ませて下さるのですが、軛と安らぎ、安息は対になって語られています。イエスのくびきは負い易く荷は軽いとはいうものの、その前にくびきを負い、イエスに学ぶ、そうすればという条件が含まれています。
 くびきとは、辛い仕事や強制労働を象徴していました。聖書において軛はイエスに従うことで直面する苦難を現しています。そのこととマタイ福音書が成立した背景とを合わせてみますと、マタイ福音書の背景にある教会の実情が見えてきます。マタイ福音書はイエスの時代から約半世紀後、約50年経った時代に書かれました。場所はイエスが活動していた地域から北へと離れたシリア地方で成立しました。そこはダマスコ等、パウロの宣教活動でも有名な場所です。マタイの時代はユダヤ教との対立が激化している時代です。
 信仰を得て、イエスに従おうとする時、否が応でもくびきが課せられて行く時代、マタイは本当にイエスと共に十字架を負わなければならないことを垣間見ていたのでしょう。マタイの時代の現実とは、イエスと共に生きるのは安らぎだけではなく、くびきさえも負わなければならない、復活に生きるには十字架をも受留めなければならないことを感受していたのでしょう。しかし注目すべきは、マタイは「わたしのくびき」とイエスの言葉を表現しています。あの主イエスが共に時代のくびきを負って下さる、自分達の苦難をイエスも共に負って下さることを、マタイは伝えています。
 今朝の聖書の箇所はイエスの招きとして理解されていますが、それだけではなく、イエスの招きの中でくびきを負いつつイエスに学びゆく者が、同時に神の御心を知る契機を得ていくことが含まれています。
 社会学者のジョセフ・バダラッコという人が「決定的瞬間の思考法」(東洋経済新報社)という著書の中で、課せられていく困難や重荷を如何に乗り越えていくか、その過程の大切さを語っています。思いも寄らない状況下で人は試され、また困難というくびきを架けられていきます。バダラッコは「いかに困難を乗り越えて成長していくか、その一瞬一瞬において選択をする過程には、その選択を支えていく志という大切なものがある。このような根源的な問いかけは、人間の志に根ざした生き方や貴い使命を活性化し、再構築する」といいます。またバダラッコは、困難を乗り越える際に選択し「志を分かつ同労者」「仲間」の存在は、更に重要だと云います。困難を乗り越える成長への過程、歩みを支える志を分かち合う出来事を、組織心理学者のエドガー・H・シャインという人は「創造的契機」とも呼んでいます。
 新約聖書の時代において、まさに福音書著者のマタイはこの「創造的契機」を体験したのだと思います。マタイは他の福音書にはない画期的なイエス理解と新しい信仰者の姿を表現するに至りました。それは「インマヌエル=神は我等と共にいたもう」です。マタイはイエスの誕生という福音書の冒頭で「インマヌエル」と宣言し、福音書の結びで「インマヌエル」と締めくくっています。復活後のイエスは天へとは昇らず、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と宣言されて福音書が閉じられていきます。
 イエスは課せられるくびき、困難、悲しみをいつも共にいて下さって一緒に負って下さるのです。私たちに向かって「あなたのくびきを、あなたの苦しみを、あなたの悲しみを、私にも下さい」と、私たちの傍らに立ち一緒に歩んで下さるのです。更に「私の安らぎを、私の喜びを、私の平安を、あなたにも与えましょう」と、私たちを包み込んでいて下さるのです。
 マタイの伝える信仰者としての歩みとは、神の御心を知るという観念的なことではなくて、イエスと共に神の御心を十全に味わっていくことなのではないでしょうか。イエスと一緒に味わうくびきと安らぎ、それは私たち自身にも現されていく十字架と復活と云う神の栄光なのではないでしょうか。

2021年9月26日

「向き合う方」
創世記4章1~16節


 旧約聖書の創世記が伝えるカインとアベルの物語は、世界最初の殺人事件、最初の兄弟殺しの出来事として知られています。
 カインは長じて農耕民となります。一方の弟アベルは牧畜を生業(なりわい)といたします。時が経ち、二人はそれぞれ自分なりの捧げ物を神へと捧げていきます。ところが、誠に不思議な事に神はアベルの捧げ物を受け入れ、カインの捧げ物は受け入れませんでした。どうして自分の捧げ物を神は受け入れてくれないのか?一方を顧み、他方を疎んじる、カインはこの神の出来事を理解出来ず激しい怒りと共に顔を伏せてしまいました。そんなカインに神は「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか」と語りかけられます。
 昔からこの創世記が伝えるカインとアベルの物語は「カインは心からの感謝に基づく捧げ物をしなかったからだ」とか「信仰によらなかったからだ」とか様々に解釈されてきました。神が本当に、一方を顧み、他方を疎んじるのでしょうか?もしそうならば、私たちの一体誰がそのような秤に耐えうる事が出来るのでしょうか。その様な感謝の心や信仰を測ろうとする解釈や理解を越えて、今一度、旧約時代の社会における生活の様式と聖書成立の歴史に注目をしたいと思います。
 カインとアベルの生活様式は、古代社会における二つの大きな生活をたとえています。定住生活をする農耕民と季節の移り変わりによって移動する遊牧民という生活スタイルです。同じ大地を農地として耕すか、それとも放牧の大地とするか、両者の間には見解の相違と利害の対立もありました。創世記という書物の大変面白いところは、ヘブライ語による語呂合わせ的な言葉遊びがふんだんに使われているところです。ちなみにカインという名前は「形造る、創造する」という意味を持っています。一方のアベルという名前は「息、はかなさ、空虚さ、無意味、無価値」という意味を持っています。名前が意味するように、神が「創造する」カインを顧みずに、「無意味、無価値」なアベルを顧みたところにこそ、神の本質が示されています。
 元来イスラエルは無価値ではかないアベル的な存在でした。しかし神は、そんな無価値なイスラエルを顧み、出エジプトの出来事も起こして下さいました。その後のイスラエルの歴史形成も、はかない存在を選んで下さった出来事によって導かれていきました。創世記成立の歴史的な視点を用いるのならば、旧約聖書の大半の書物は、この創世記もバビロン捕囚の時代に現在のような形に整えられ成立したと云われています。本来、旧約の民は、アベル的な存在でした。しかしイスラエル12部族の間で争い、王朝時代も分裂をし、争い合うことで、いつの間にかカイン的存在へと変わってしまっています。そしてカイン的な存在へと変貌したイスラエルの民は、北イスラエルはアッシリアに南ユダはバビロニアに滅ぼされるという顧みられない状況の中で、激しい怒りと疎んじられたのではないかという悲しみに顔を伏せているのです。その様な状況の中で、旧約の民は今、カイン的な存在である自分たちの現実を直視しながら、この兄弟殺しの物語をもう一度吟味することを自分たちに課しているのです。
 しかしこの創世記の物語によると、神はそんなカイン的存在を決して見捨ててはいません。それどころか罪と戦うことを促しています。罪とは何か?罪とは決して抽象的なものでも、心の持ちようでもありません。具体的に私たちの存在に浸透し、私たちの存在そのものを破壊する力です。カインは、そして旧約の民はそんな罪の力に破壊され、本来向き合うべき存在であるアベル=はかなさ、無意味、無価値を亡き者にしてしまったのです。しかしそんなカイン的な存在を守り抜くしるしを、神は付けられました。神が与えられたしるしとは一体何でしょうか?
 話は変わりますが、作家の臼井吉見(うすい よしみ)さんは、学校を卒業していく若者に三冊の本を薦めていたそうですが、その中の一冊に「芸者」という元芸者であった増田小夜さんの手記があります。臼井吉見さんは増田小夜さんの「芸者」という小さな本を次のように評しています。「この本の全体にしみ通っている知恵の輝き、どん底の不幸が語られながらも、漂うユーモアはどこから生まれたのでしょうか。きっと増田小夜さんは、どんな苦難の中でも自分なりの楽しみと喜びを発見し、自分で考え、自分で判断し、常にそれを確かめつつ、自分の足で歩いて来たからに違いありません」。
 誰だって、どん底の生活、苦難の中から脱出したいと思います。人生を襲う様々な不幸、不正、不義、そして罪があります。誰だってそれらを除くために戦わなければならないでしょう。しかし戦いとは、そのような不幸な場、困難な場、罪のただ中にあって、その場所を生命の輝きを創造していく場所とする戦いもあるのではないでしょうか。増田小夜さんはどん底の生活、困難な場を彼女なりの生き甲斐と喜びを輝かせる場所としたのではないでしょうか。
 「土を耕しても、土はもはやお前のために作物を生み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる」。重い罪とさすらいの苦しみを背負いながらカインは、旅立って行きます。苦難の現実を自分の場として引き受けてカインは生きていきます。神のしるしに守られて17節以下で、カインは彼なりの生き甲斐や喜びを見出していきます。どん底で、困難な状況でカインはカインとなっていきます。喜びや生き甲斐を、カイン=形づくっていきます。神が付けた「しるし」とは、苦難のカインにいつも向き合って下さっている神の慈愛の眼差しだったのではないでしょうか。その神に向き合った時、カインは命の輝きを作り出す者へと変えられていったのです。
 神の付けられたしるしを、あのイエスの十字架に見出す時、私たちも赦し生かされている命の輝きを発していくのではないでしょうか。

2021年9月19日

「人間の漁師」
マルコによる福音書1章16~20節


 「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった」。
 イエスが「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と弟子を招いたガリラヤ湖は、イスラエルの北に位置しています。周囲を小高い山に囲まれた静かな湖だそうです。この湖は今日でもガリラヤ湖と呼ばれていますが、旧約聖書の時代には「キンネレト湖」と呼ばれていました。しかしこの地をローマ帝国が支配し、植民化すると「ティベリアス湖」と呼ばれるようになります。ローマ皇帝ティベリウスの名前が付けられたのです。支配者がその土地の名前を勝手に変えることはよくある話です。ガリラヤ湖は歴史的に「キンネレト湖、ゲネサレト湖、ティベリアス湖」と時代時代の支配者によって名前を変えてきました。実は、ガリラヤ湖という呼び方は聖書以外には見あたらないそうです。マルコは当時一般的に使われていた「ティベリアス湖」あるいは「ゲネサレト湖」を、あえて使わないでガリラヤ湖と呼んでいます。ここにマルコの意図があるようです。
 ガリラヤは単なる地名ではなく、南ユダの支配によってキンネレトとされ、領主ヘロデの支配によってゲネサレト、ローマ帝国の支配によってティベリアスとされてきました。三重の支配によって抑圧され差別をされてきた歴史があります。そのガリラヤという地にイエスが現れていく、そしてそこに住む人々をイエスは弟子として招いていくのです。
 そんなイエスは、ガリラヤ湖で網を打っていたペトロとアンデレに向かって「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と声をかけられました。「人間をとる漁師」という言葉は、キリスト教会ではいつの間にか牧師や伝道者、あるいは教会における伝道、宣教の働きを意味するようになりました。
 昔使われていた文語訳聖書では「汝らをして人を漁(すなどる)る者とならしめん」と訳されました。漁る(すなどる)は、漁る(あさる)とも読みます。根こそぎ獲ってしまうという意味を持っています。「あさる」というのは一般的によい意味では使われません。口語訳聖書でも、現在使っている新共同訳聖書でも「人間をとる漁師」と訳されました。しかし、原文では「あなたがたを人間の漁師にしよう」となっており、「とる」という言葉はありません。多分、「人間の漁師」では意味がよく分からないので、「とる」を加えたのだと思います。けれども原文では「とる」という言葉はないのです。
 ここで、金子みすずさんという方の「大漁」と題された詩をご紹介したいと思います。「朝焼け、小焼けだ、大漁だ。鰯(いわし)の大漁だ。浜は祭りのようだけど、海の中では何万の、鰯(いわし)のとむらいをするだろう」。
 山口県の海辺で生まれた金子みすずさんは、小さい頃から大漁でにぎわう浜辺の様子を見てきたのだと思います。大漁で浜辺には数え切れないほどの魚が水揚げされ、大勢の漁師が大漁を祝ってお祭り騒ぎをしている様子が詠われています。大きな網でごっそりと捕獲され陸に揚げられていく鰯(いわし)、市場へと運ばれていく何万という鰯(いわし)、お祭り騒ぎの陸とは対照的に何万という鰯(いわし)を失った海では、とむらいが行われていると詠っています。24歳という若さで自らの命を閉じた金子みすずさんの詩は、弱い者、小さいもの、目に見えない、隠れているものに目を向けながら、それを慈しみ、その苦しみを自らも負っていこうとする苦悩と愛情に満ちたものです。
 「人間をとる漁師」から連想される教会や牧会者の働きは、人を「とる」ことなのでしょうか。人を「すなどり、あさる」ことなのでしょうか。勿論、多くの人々が教会の輪の中に加えられていくことは、よき成果だと思います。と同時に、暗い海の底で何万もの死が起こっている現実を見失ってはならないと思います。そして暗い海の底で死を悼む行列に参列することも大切な事柄だと思うのです。
 一見、教会とは何の関係もないと思われる戦争をはじめ、私たちの日常で起こっている様々な出来事、教育の現場で起こっていること、孤独や心の病のこと、高齢化する社会によって起こってくる様々な問題、直接的には教会の拡張や拡大には繋がらない問題です。しかしそれらを課題として担っていくことも暗い海の底に目を向ける大切な働きではないでしょうか。
 イエスはペトロとアンデレに向かって「人間の漁師にしよう」と言われました。一人の人と出会い、一人の人を大切にし、共に支え合いながら生きていく、それがイエスの語る「人間の漁師」なのです。ですから、イエスに招かれたペトロ達にとって、漁る(すなどる)、漁る(あさる)、漁る(とる)ための網は、もはや必要ではなくなったのです。
 一人一人の人間と出会うことが出来る、その一人一人を大切にしながら共に歩んでいくことが出来る、イエスに招かれた弟子達は、「人を生かし、人と共に生きる漁師」として出発していったのです。
 教会も私たちも、人を漁る(すなどる)、漁る(あさる)のではなく、一人の人間との出会いを大切にしながら、共に喜び、共に悲しみ、共に支え合い、祈り合っていく、人間の漁師として歩んで行きたいと思うのです。

2021年9月12日

「苦しみと喜びの間」
マルコによる福音書1章12~15節


 共観福音書と呼ばれるマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書を比較して読みますと同じような内容の物語でも、それぞれの特徴や違いというものが発見できます。今朝の箇所であるイエスが荒れ野でサタンから誘惑を受けるという場面でも、それぞれの福音書の個性が発見でき大変面白いものです。マルコは「誘惑の物語」をたったの2節分、日本語でも4行しか記していません。そればかりか、イエスの系図がなかったり、キリスト教の最大のお祭りであるクリスマスの出来事すら記していません。マルコ福音書にとっては、十字架と復活のイエスが今も生きて働かれ、時代を越えて人々と出会い、私たち人間がイエスと共に歩むということが大切だったのでしょう。イエスがどのような家系の人物で、どんなに奇跡的に誕生したかということには興味がなかったのでしょう。
そして同じような事が、この荒れ野での誘惑の場面でも言えるのです。マタイとルカは、悪魔の誘惑を受けるイエスが、悪魔と対決をし、打ち勝つというイエスの力ある場面を詳細に記します。ところが、マルコはサタンに打ち勝ったとか、退けたという描写はせずに、ただ誘惑を受けたとだけ報告しています。アブラハム、イサク、ヤコブから始まってダビデを経てイエスが生まれるというユダヤの純粋血統をもってイエスを表現したり、神秘的奇跡的な装いを付け加えながらイエスの誕生を表現する手法をマルコはあえて選ばず、誘惑を受けたに表現されるように、現実は現実として描くことに徹したのでしょう。そこにマルコ福音書の特徴があるようです。わずか4行しかない描写の中に、リアルな人間の生と多様な現実や状況が秘められています。
 さて、今朝の聖書の箇所で最もマルコの特長が出ているのが「その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」というとても不思議な描写です。これはマルコだけにある描写です。天使というのは、何となく分かるのですが、この「野獣」というのは一体何なのでしょうか。マルコの報告を読んでみても野獣がイエスを襲ったり、誘惑したとは書いていません。ただ「一緒におられた」となっています。天使がイエスに仕えるのですが、天使と野獣が対決したとも書いていません。イエスも何にもしていません。非常に短い箇所ですが、読めば読むほど不思議な箇所に思われます。
 日本語の聖書では非常に分かりにくいのですが、実はマルコは、イエスが「サタンから誘惑を受けられた」と完了形で、これは完結した出来事として報告しながら、次の「野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」これは継続的に「一緒に居続け、仕えている」と未完了で表現しているのです。しかも野獣が一緒に居続けていることと天使たちが仕え続けていることが、対立的ではなく並列的に表現されているのです。マルコは、イエスの生涯には、これから先も野獣と天使が一緒に居続け、出来事は未だ終わっていないことを強調しています。しかも天使たちが複数で表現されているのと同様に原文では「野獣たち」と、よからぬ野獣までが丁寧に複数で表現されています。イエスの生涯は全てを通して野獣たちが居続け、しかし天使たちが仕えゆく生涯であることを、マルコは福音書の初めから告げているのです。
 野獣たちに付きまとわれ、天使たちが顔をのぞかせるイエスの生涯、福音書を読み進めていきますとそのことがご理解頂けるかと思います。野獣たちは試みる者として誘惑する者として、ファリサイ派、祭司長、あるいは民衆として、時に側近の弟子達としてイエスの生涯に常に居続けます。最後まで付きまとって行きます。
 これに対して仕える天使たち、特に「仕える」という言葉はマルコが好んで使うものですが「いやす」とも訳されています。マルコ福音書では仕える多くの女性達として、あるいは時に人々に仕え、人々をいやすイエス自身が、弟子達が天使として顔をのぞかせて行きます。特にイエスの十字架刑までイエスに仕えていく女性達はマルコの描く天使たちに重なり合います。野獣たちがいたるところで姿を変えて登場しますが、天使たちもまた様々な人の姿となって、出来事となって、出会いとなってイエスに仕え続けていくのです。
 さて、私たちの信仰生活も、マルコの語る野獣と天使が顔をのぞかせるものではないかと思うのです。野獣が居続けて苦しみを受けたり、困難な状況に陥ったりします。本当は離れ去って欲しいのですが、願っても祈っても去っていってはくれません。多分、イエスの生涯に表現されているように、最後まで私たちの人生に野獣は居続けるのでしょう。とすれば、私たちもまた野獣たちと一緒に生きていくことを覚悟せねばならないのでしょう。しかし一方で、同時に天使たちが仕えてくれることも教えています。その時々に姿を変え、様々な出来事や出会いとして私たちに仕えてくれることもイエスの生涯から示されます。野獣がいる苦しみと天使が仕えてくれる喜びの間を、いかに生きるかをマルコは問うているのかも知れません。
 マルコが描写する非常に短い誘惑の記事は、これから始まるイエスの生涯を暗示し、同時に私達の信仰の歩みそのものを暗示しています。私たちの現実の日々に、いつも試みる者、誘惑する者が存在する荒れ野で生きざるを得ないことをも暗示しているのです。
 現代の野獣は、もしかすると物質的な豊かさだけを求める姿や自分さえ良ければいいという他者との繋がりを欠いた、自己中心的な無責任な姿かも知れません。あるいは私たち一人一人の内側に、いつも野獣が居続けているとも言えます。ジョン・バニエという人が「祭りとゆるしの場」(女子パウロ会)という本の中で次の様なことを語っています。「愛し合っている時、わたしたちはほんの少しのもので満足する。心の内に喜びと光がある時、物質的な富を必要としない。最も愛し合っている共同体は、しばしば最も貧しい共同体である。生活が贅沢で無駄が多いならば、貧しい人たちの側にはいられない。誰かを愛するとは、その人と同じになりたい、共に分かち合いたいと思うことである」。
 私たちの生きる場も、私たちの心も荒れ野なのかも知れません。しかしジョン・バニエは教えています。「その人と同じになりたい、共に分かち合いたいと思う」ことで、天使が支配する場が生み出されることを。野獣と天使の間で生きざるを得ない私たちです。けれども、喜びも悲しみも苦しみも、わずかなものも共に分かつ時、私たち自身が神に、人に、そしてイエスに仕える天使へと変えられていくのです。荒れ野が支配する現代社会に、天使が支配する場を生み出すことこそ、教会の使命なのではないでしょうか。それが聖書に生きる、イエスと共に生きるということなのではないでしょうか。

2021年9月5日

「安心して行きなさい」
ルカによる福音書8章42b~48節


 最近『お寺の掲示板』という本を読みました。2018年に『輝け、お寺の掲示板大賞』と言う企画が行われ、SNSのツイッターやインスタグラム上にお寺の掲示板の写真を投稿してもらい、その中から優れた作品に賞を与えました。その入賞作品を紹介した本です。仏教の掲示板の本ですが、キリスト新聞というキリスト教の月刊誌にこの本が紹介され、興味を持ちました。よくお寺には、掲示板に仏教の格言のような言葉が書かれていますよね。この「輝け、お寺の掲示板大賞」は、4か月間の募集期間に、約700点もの作品が集まりました。
 その中で大賞をとった作品は、岐阜県にあるお寺の掲示板で「お前も死ぬぞ」と言う言葉でした。「お前も死ぬぞ」です。命を大切にして生きる、ということを伝えているのでしょうが、今のコロナ禍で聴くと、ちょっとびっくりする言葉ですよね。2018年に行われた企画ですから、まだコロナはありませんが、なかなか迫力のある言葉です。これが大賞作品でした。他の入賞作品としては「ばれているぜ」とか「もう逃げられん」など、同じように短い、一言のもの。また「人の悪口は嘘でも面白いが、自分の悪口はほんとでも腹が立つ」、とか「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」など、色々紹介されていました。
 有名人の言葉や漫画からの引用の掲示板もあり、「天才バカボン」という漫画からとった言葉もありました。最近テレビのコマーシャルに「バカボン」のキャラクターがよく出てきますが、バカボンと言う名前は、仏教の「ばぎゃぼん」と言う仏に由来しているようです。バカボンにはいつもお掃除をしていて「お出かけですか?」と声をかけてくる「レレレのおじさん」が出てきます。レレレのおじさんはチューラバンタカというお釈迦様の弟子で、毎日掃除に専念し、自分自身の因縁もきれいに掃き清め、悟りを開いた人をモデルにしているそうです。バカボンのパパの「これでいいのだ」と言う決め言葉は、「すべてをありのまま受け入れる」と言う悟りの境地を示す言葉からきています。
 私は仏教の教えにあまり知識がなかったので、キリスト教の教えに通じるところもあるのだなあと興味深く思った本でした。
 私たちの恩寵教会もそうですが、キリスト教の教会にも大抵掲示板があります。私も今日のように礼拝を担当させていただく時は掲示の言葉も考えます。正直言っていつもうまくまとめられず、悩みます。格言のようですと、なんだか偉そうな感じがして気が引けますし、ついくどくどと長い文章になりがちです。このお寺の掲示板のように、もっと一言で、見る人に伝わる言葉を考えられればと反省しました。
 私がこのお寺の掲示板の中で、一番印象に残ったのは、東京の「正徳寺」と言うお寺の、「大丈夫だよ。生きていける」と言う言葉でした。この言葉は、住職の方が他のものに変えたところ、ご近所の方々から元に戻してほしいと苦情が来たそうです。みんな大して見てないようで、案外見てくれていたのだとご住職は嬉しかったそうですが、それで、10年以上言葉を変えられないでいるそうです。「大丈夫だよ。生きていける。」確かになんだか安心できる言葉ですよね。仏教では「安心」のことを「あんじん」と読み、修行によって得られる安定した心の境地をさします。
 
 さて、今日お読みした聖書にも「安心」と言う言葉が出てきます。イエスは、一人の娘さんに「安心して行きなさい。」と言っています。
 この女性は12年間病気のために、苦しんでいました。当時はまだ医学が発達していないので、迷信めいた治療法もはびこっていました。さまざまな治療法を試し、高額なお金をとられ、財産を失っていました。また、病気は汚れているから起こるという、間違った、差別的な考えも当時はあり、心身ともに傷ついていました。どうして自分ばかりこんな目にあうのか、お金もなく、一人で、どうやって生きていけばいいのか、不安だったでしょう。安心とはほど遠い毎日を送っていたのです。
 ある時、イエスが村に来ると聞いて、この人は、イエスさまに会ってみたい、と思いました。通りに出てみると、イエスはいましたが、人気があって、大勢の人に囲まれています。そんな人たちを押しのけて、イエスの前に行くことは、この女性にはできませんでした。でも、なんとか、イエス様に助けてほしい、そう強く願い、イエスの後ろからそっと手を伸ばして、イエスの服の房に触れました。背中を触ったのではなく、そっと、しかも服の房にふれたのです。その時、病気は癒されました。女性はすぐにそのことがわかりましたが、大勢の人の中にいても、イエスもまた、すぐにこの出来事に気が付くのです。「私に触れたのは誰か」と言いました。女性は隠せないと思い、ふるえながら前に出ました。叱られると思ったのかもしれません。みんなの注目がこの女性に集中しました。女性は、一生懸命、自分のこと、イエスの服にふれた事情を話しました。イエスは言いました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」
 私が助けてあげたから大丈夫だよ、ではなく、「あなたのその行動が、あなた自身が自分を助けたんだよ、もう大丈夫」と言われたのです。大勢の前で、ずっと抱えてきた思いを語ることができたこの人に、「あなたはもう大丈夫、安心して生きていきなさい」と言われました。
 
 「大丈夫だよ、生きていける。」というお寺の掲示板を見て、元気づけられた人が多かったように、私たちは、時々、生きづらさを感じることがあります。
 特に、コロナ禍の今、そうではないでしょうか。最近の感染者の急増や、医療現場の危機的な状況を聞くと、私たちの命は、このコロナの波の中で、とても小さく、孤独で、無力なもののように感じることがあります。日常的なマスクの息苦しさや行動の制限、政治への不信感や強い失望、閉塞した、不安の多い毎日を過ごしているように感じます。
 しかし一方で、人類はコロナにやられっぱなしではないという、医療従事者からの声を聴きました。医療の世界では全くの手探りの状態から、コロナの治療法を確立する中で、パンデミック当初は5%だった致死率が2%を切るまでに改善しました。そして発症予防効果の高い画期的なワクチンを1年足らずで開発し、今、全世界で接種が広がっています。この話を聞いて、きびしい現状はあるとしても、世界中の医療にかかわる方々の、努力の成果は確実に表れているのだと改めて思いました。また日常的にも、私たちの誰もが、今、自分ができることを考え、家族や会えない人たちに思いをはせ、少しでもより良く毎日を過ごしたいと努力しています。
 
 私たちの主イエスは、後ろから服のすそにそっと触れるような、小さな行いや、努力でも見逃さずに、受け止めてくださる方です。「あなたは、大丈夫。どんな時も私が共にいる。安心して生きなさい」と、呼びかけて下さいます。それがわたしたちのゆるぎない希望であり、力です。そのことをいつも心にとめ、私たちもお互いに支え合い、主イエスと共に歩む希望を伝えつつ、歩んでいきたいと思うのです。
 
 (祈り)愛する天の神さま、今日もこうして、共に礼拝を守れたことを感謝します。今日の聖書の女性のように、あなたを信じて、安心して、自分ができることに努め、必要な時に新しい1歩を踏み出すことができるように私たちを導いてください。この小さな祈り、主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。
 
 牧会 祈祷
 
 愛する天の神様あなたのみ名を賛美いたします。
 一週間のそれぞれの働きを守り、今日の聖日礼拝へと招いてく
ださったことを感謝いたします。コロナウィルスの感染拡大が続き、教会に来られない方々もおられます。教会HPで礼拝を覚えて祈りを共にされている方々、オンラインの礼拝を視聴して礼拝を守られる方々の上にも、あなたの恵みが共にありますように。共に集うことが叶わなくても、あなたが繋いでくださっていることを覚え、互いに祈り合うことができる群れとしてください。
 不安な毎日が続きます。どうぞあなたがいつもわたしたちと共にいてくださることに信頼し、日々を過ごすことができますように。感染によって苦しんでいる方々やそのご家族をお支えください。医療や介護に携わる方々の健康をどうぞお守りください。さまざまな状況を抱えて困難の中にある方々をあなたが覚え、お守りください。またわたしたちもそのために祈ることができますように。
 今日の礼拝によって、新しい一週間もみ心にかなう歩みができますよう、お導きください。
 この祈り、愛する主イエス・キリストのみ名によって、み前におささげいたします。           アーメン                 
 
 

2021年8月29日

 

「祈り合う群れにこそ」
使徒言行録20章25~38節


 使徒パウロは、実に3度も伝道旅行に出かけ、聖書の告げる大伝道者となっていきました。この聖書の箇所はそんなパウロの伝道旅行の終わりを予告するかのような出来事を記しています。パウロは、これから自分は、エルサレムへと戻り、そしてそこで逮捕されてしまい、ローマへと送られてしまう、自分の身に一大事が起こることを語っているパウロ自身が知っており、それを承知の上でエフェソの教会に集う人々の前で、別れの説教をしているのです。
 パウロはエフェソの教会員の前で、過去、現在、そしてこれから起こる未来の事柄を語っています。パウロにとって未来に起こることは、これまで以上に困難なことが待ち受けています。それでもなお、パウロはエルサレムへと向かっていきます。
 私たちの人生、誰もその先は分かりません。明日、または次の瞬間どうなるかは分かりません。分からないから、心配だといえますが、分からないからこそ、私たちは未来へ向かって歩めるのかも知れません。もし、仮にパウロのように「あなたの未来には、これまで以上に苦しい出来事が待っている」などど告げられたとしたら、どうでしょうか?とても冷静ではいられません。その未来へなど目を向けられません。どうにかして逃げようと考えてしまいます。
 運命とか宿命という言葉はあまり使いたくないのですが、運命とは、めぐりあわせ、あるいは人の身に起こる幸福や不幸、災害のことです。いつ起こるか分からないことです。昨年から長引いています新型コロナ・ウィルスによる世界的なパンデミックという状況を誰が予測できたことでしょう。また、この状況はいつ終息するのでしょう。誰にも分かりません。
 皆さんはこの聖書の箇所をお読みになられてどのようにお感じになったでしょうか?とてもパウロのようにはなれない、聖書とか宗教は強い人間ばかりを告げているから、とても受け入れられないとお感じになったのではないでしょうか?。少なくとも、私は最初、とてもパウロの様にはなれない、私には無理だと思いました。
 ところで、旧約聖書の申命記33章27節に「いにしえの神は、難をさける場所、とこしえのみ腕がそれを支える」という言葉があります。私たちはいつも困難や苦しいことに自分だけで立ち向かっていかなくてはならないと考えてしまいます。また一人で困難に立ち向かっていかなければならいと思いこんでしまいます。しかし、パウロは自分の身におこること、自分が経験しなければならない苦しいことの只中にこそ、神様が共にいてくださり、支えて下さることを伝えているのではないでしょうか?
 聖書において信仰とは、信じる姿とは、決して目の前の大きな問題をすぐに解決できるものとして語ってはいません。困難をさけることができるとか、絶望的な苦しみに出会わないとか、そのようなことを語ってはいません。この世に起きる困難は避けられない、苦しみのない歩みはない、しかし聖書の語りますところは、人間はその中を、それでもなお歩むことができる、神が共にいて下さるので人は再び立ち上がることができる、ということを示しているのです。
 パウロを中心として、エフェソというところを去る者と、それを見送るという人々の姿。この箇所の直後の節に36節ですが、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。そのあとに、人々は激しく泣いたとあります。
 私は、これが人間にとっての神様のみ手の支えであると思います。神様のみ手の内に包まれていることだと示されます。私たちは、困難へと一人で向かわねばならないと思いこんでいます。しかし、信仰を得るということは、その困難の中に向かう自分を激しく泣き崩れ、胸を痛めてくれる信仰の友がいることに気づく事です。更に、信仰を得るということは苦しむ友のために、涙を流し、共に痛むことへと促されることでもあるのです。
 送られる者、送る者共々に神様の手の中にあることを思わされます。そして、「涙は神が最もよみして下さる、受けとめて下さる、深く感じ取って下さる言葉なのです」と言われるように、聖書が伝えるこの人々の涙こそが、実は神様の涙であることに気づかされます。御子イエス・キリストをこの世へと送られた神様、送り出されたイエス、その引き裂かれるような別れが、今、パウロとエフェソの人々の間に、重なり合っています。神様の御子を送られた出来事があるからこそ、私たちは、困難に直面する私たちへと向けられている神様の思いを知ることが出来るのです。イエスはパウロのように苦しみへと向かう者と共にいらっしゃるのです。いえ、イエスが共にいてくださるからこそ、パウロは己の身に起こる困難へと立ち向かって行けたのです。だからこそ、私たちもまた、イエス・キリストが共にいて下さるので、困難へと立ち向かう力が、その時、その時に与えられるのではないでしょうか。
 送る者、送られる者、そして祈り合う群れ、その只中にこそ、神様の光が差し込んでいくのです。聖書の告げる人々の輪は、私たち教会です。神様が起こして下さったイエス・キリストの十字架と復活が私のためであったことを受け入れた群なのです。私たちの困難の中にこそ、イエス・キリストがいつも共にいて下さり、きっと守って下さるという確信へと導かれたいものです。今、私たちが直面しているコロナ禍という状況にも、主イエス自らが降りたって下さり、私たちと共に祈って下さっているのではないでしょうか。

2021年8月15日

「意味を問われて生きる」
マタイによる福音書 16:21−28


 近代ホスピス運動の産みの親と呼ばれる英国人医師シシリー・ソンダース。彼女は2005年に亡くなりましたが、その晩年よく、「私がホスピスを作ったんじゃないの。ホスピスが私を見つけてくれたの」と語っていたそうです。英語では、I did not found hospice, hospice found me! というのですね。Foundという動詞は、find、見つけるという動詞の過去形で使うのに加えて、単独で原形で創設する、という意味がありますよね。そのしゃれになっているわけです。
 「私がホスピスを作ったんじゃないの。ホスピスが私を見つけてくれたの」。そうは言っても、もちろん、彼女が世界初の近代ホスピス「セント・クリストファー・ホスピス」を1967年にロンドン郊外に作ったこと、そして、このホスピス運動の方法論と心とを、世界中に著作や講演などを通じて広めてきたことは、誰も疑うところのないことです。それでも彼女が「自分がホスピスを創設したのではない、ホスピスが自分を見つけてくれたんだ」と言うとき、そこには、物事が個人の力を超えて展開していく不思議と、それを目撃しながら生きていく喜び。そんな感覚が、なんとなく彼女の許からにじみ出てくるように感じられます。
 この、ホスピスが自分を見つけてくれたんだ、というソンダースの思いは、あるいはビクトール・フランクルが「人生から意味を問われた者として生きる」と提唱したことや、Sr.渡辺和子が「置かれた場所で咲きなさい」と勧めたことに似ているかもしれません。人生を主体的に生きていくこと。それは、何も我を張り、突っ張って生きることと同じではないでしょう。むしろ与えられた人生の中で、自分の限界をもしっかり味わいながら、それでもしなやかに、たおやかに、それをまっすぐに生きていくことであるはずです。ソンダースには、そこにおいて、自分をひょいと外側から眺め、にこっと笑ってみせるような洒脱ささえあったようにも思います。
 
 さて、同じように、多くの歳月を重ねてこられた方々、ご高齢の方々の語りの中には、なんというのでしょうか、一種の軽やかさが含まれていて、胸をドキドキさせられることがあります。
 ある日、衣笠ホームのショートステイに来られていたお二人は同い年でした。いつも利用日が重なると、親しげに会話を楽しんでおられましたお二人です。こんな話をしておられたのですね。
 「私たちってさぁ」、て言うんです。「私たちってさぁ、女学校に入ったのが戦争の始まった年で、出たのが戦争の終わった年でしょ。もうずーっと戦争よ。学校で授業を受けたことなんてほとんど無かったわよね」
 思い出は、やっぱり戦争の頃に遡るのですね。もう一方が答えます。
「そうそう、学校入ったら、すぐに工場に行かされることになってね。電車に乗って毎日遠くの工場まで行ったわよ。何作ってるんだか分からなかったけど」。そうすると、
 「あらそう? 私、一生懸命にネジを作ってたわよ」
 「いやいや、ネジだとか、金具だとか、そういうことは分かるんだけど、何の何になるんだか分かんないわけ」
 「そりゃ、分からないわ。戦争なんだもの。私たちが分かってどうするのよ」
 お二人の会話は、まあ、かしましく続きます。そんな中で、私が、
 「ずっと戦争では、青春も何もという感じですね」
 そう言ったときでした。お一人が目元を緩めてお話になるのです。
 「それがあったのよ。その頃、通う電車も男女別々になってたんだけどさ、ホームで男の人がいっつも待ってるわけ。私にはちっともその気がないから、何ともならなかったけど・・・」
そしてお顔をさらに紅くされて、
 「それが主人が死んだ後に、その人、突然訪ねてきたのよ。もう、ちゃんと奥様がある方なのにね。娘も『ゆっくり外で話してきたら』なんて言うもんだから、1回、喫茶店に行って、昔話をしたわよ」
 と言われました。そして、もうひと方が口を挟みます。
 「あなた、その方の顔見て、わかったの?」
 「うん、わかった。面影があった。それで、この話をデイケアでしゃべったら、スタッフの人みんながからかうの。嫌になっちゃう」、こう言うのですね。
 戦争から半世紀。そして今日まで、ご主人が亡くなってさらに30年。その時、時代、歴史を自由に超えて話が行ったり来たります。そして、お二人は、そのことにまた大笑いされていました。
 
 楽しい思い出から笑みがこぼれるとき、そこに苦労した時代のあったことへの愛おしさも沸き起こってきます。お二人の会話が続くんです。
 「あの頃、ほんと、食べ物無かったものね。かぼちゃばっかり食べてた。農家じゃないから、かぼちゃぐらいしか上手に作れないのよ」
 「そうね、それで、あんなに苦労したのに、苦労の経験から人様に言ってあげられることなんて、私たち何にも無いのよね」
 私はちょっと驚いたのです。苦労なさった、というから、そこから大切な何かを伺うもの、と思ったのにです。
 「え? 無いんですか?」
そう言ったのですね。そうしたら、こんなことを言われたのです。
 「そう、何にも無いのよ」
 「何にも無い」と言われる。そして、こう付け加えられたのです。
 「私たちって、最初っから悪い時代だったわけじゃないのね。私たちより10歳若い人たちは、そうね、最初っから戦争。戦争前を知らない人たちはかわいそうね。でも私たちは戦前派なの。戦争が始まる前の、ほんとうに豊かだった時代を知っている。今よりも豊かなくらいの時代だった。だから、初めっから苦労に耐える力を持っていたわけじゃないの。自然とそうせざるを得なかっただけ。よく、『今の若い人は』って言う人がいるけど、今の若い人たちだって、ああなったら、そうなっちゃうでしょ。あんな苦労はしなくて済むなら、しない方がいいの。だって、生きてりゃ、みんな誰だって辛いことがあるでしょ。それだけで十分じゃない。あんな苦労はいらないの」
 もう一人の方も応じて、
 「そうね、子どもたちにはあんな苦労はさせたくないわ。あれはいらない」
私は少し胸が辛くなって尋ねました。
 「じゃあ、時代で損をしたということだけですか?」
その方は、「ほほほ」と大笑いなさいって、
 「そうね、損よ。大損。いらない苦労ね」
とおっしゃいました。自分の経験を誇らず、ただご自分の人生として引き受けている —— 私はその方のとてつもない大きさを感じたのでした。
 
 それは“損”を真面目に引き受けてこられたたくましさであられるのかもしれないと思います。自分に与えられた人生と引き受けるのです。
 長い前置きでしたが、今日の福音です。奇しくも、3月にこの講壇からお話しさせていただいた箇所の直前の場面です。イエスが、弟子たちに「自分の十字架」を背負うよう求められた場面でした。こうありました。マタイ16章21節。
 
21このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。 22すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」 23イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」 
 
 ペトロはイエスの受難を「とんでもないこと」と考え、そう発言するイエスを譴責している、のですね。自分があなたを守ります、とでも言わんばかりです。すると、イエスは振り向いて、ペトロの眼をぎゅっと見て、こう言ったというのです。「サタン、引き下がれ」
 まあまあ、なんというか、「サタン、引き下がれ」とは、イエスさまもまたずいぶんきつい言葉を口にされるものだ、と思ったりします。イエスさまに「お前はサタンだ」と言われたら、どんな気持ちになるでしょうか。悲しくなるか、恐ろしくなるか。あるいは反論したくなるか。
 しかし、私は、ここで、新共同訳に訳出されていない、ギリシア語原文にある小さな一言に目を留めたいと思うのです。それは愛の一言です。原文ではここは、「サタン、私の後ろに下がっておれ」とイエスは語っているのです。「私の後ろに」の一言が、新共同訳聖書には訳出されていません。これをきちんと訳すと、このイエスの言葉も、ずいぶん印象を変えてくるのではないでしょうか。
 「ペトロ、あなたはわたしの後ろにいなさいな」というわけです。
 人が神の業を止めることなどできようはずがありません。それほど人は強くないのです。人はキリストの後ろにいるよりほかないのです。しかしだからこそ、キリストの後ろで、その背中の守りを感じたならば、私たちに求められていること、それは、自分自身に与えられている重荷————神の担われる荷の重さではなく————、自分自身が背負っているところの荷の重さをしっかり味わえばよいというのでした。そしてその重荷をしっかり大切にすることは、キリスト背中を通じて、この時代、他の人々が同じようにあえでいる、その一つひとつの重荷の辛さ、それとつながっていくこと、痛みや悲しみで、でもしっかり同じ人間としてつながっていること ———— それを一緒に味わう、その共苦の恵みをキリスト自身が保証してくれたということになるのではないでしょうか。イエスは重ねて説きます。24節。
 
24それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 25自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。 26人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 27人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
 
 イエスは、「自分の十字架を背負え」と命じられるのです。そしてそれは、あなた自身のためであるだけではなくて、全世界とつながるためだ、というのです。世に苦しむ人の痛みを忘れて、自分は生き抜けるなどと言う人は、神の栄光にふさわしくない。否、自らの重荷に忠実であろうとする人は、この世のすべてのいのち、その苦しみとつながって、その栄光を仰ぎ見るものとなるであろう、と、そう言われているのだろうと思うのです。
 
 前半にご紹介したお二人の会話は、こんなふうに続きました。
 「戦闘機から機銃掃射されたことがあるわ。私、とっさにしゃごんだ(しゃがんだ)のね。そうしたら、頭の上に弾痕が一列に! ちょっと遅れたら死んでたわね」
 「あら、そう、大変だったわね。私はさ、空襲が終わって疎開から帰ってきたの。そしたら黄金町から山手まで丸見えなんだものね。何にも残ってなくて。人生だいぶ生きてきたけど、あの風景は忘れないわ」
 そして、会話は締めくくられました。こんなふうに。
 「そう、何んにもなかったものね。そう、それなのに私たち死ななかったのよ。なんか、95まで生きちゃって。だからさ、コロナでみんな大変だって言うけど、それで、たしかに大変だって思うけど、驚くことはないのよね。人生何が起きたって、私たちは・・・」
 焼け野原でも生きてきた事実。その重みと軽やかさ。やっぱり、人生を生きてこられた方たちは、たおやかで、しなやかで、そしてどこか洒脱だと、私はその大きな力をいただきました。
 イエスは言います。
 
はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。
 
 負わされた重荷をきちんと担ってこられた方々の言葉。その生き方。その力が、生き続けるのだと思います。何があっても、あるいはたとえ、お一人お一人のこの世の生が終わっても。そしていつも立ち返らなければならない平和への手がかりが、ここにある——、そして、その営みをキリストが背中で守ってくださっている、そう思うのです。

2021年8月8日

「主なる神は近い」
マタイによる福音書6章5~13節


 小さな頃、誰も見ていないからといって、いい加減なことをしてはいけませんと、よく注意を受けられた方々もいらっしゃるのではないでしょうか。誰も見ていなくても「神さまは見ている」とか「お天道様が見ている」と言われたのではないでしょうか。隠れたところにいる大きな存在を心に留めて生きるということ、誰も見ていなくても神さまが、お天道様が見ているから、すべきことをし、してはいけないことをしないという基準を、私たちは成長の過程で感受していきます。これは成長過程での「躾け」と呼ばれるものです。ところが近年、このような躾け、あるいは隠れたところにいる大きな存在に心を留めて生きるというあり方が、かなり希薄になっているようです。
 今朝読まれました聖書の箇所は、マタイ福音書に収められた山上の説教の一部です。山上の説教で語られる一連のイエスの言葉を貫くものは、神の前での人間の誠実な姿勢と生活です。イエスが地上に生きられた時代、人々にとって神を大切にして生活をするということは、即律法を守るということでした。神さまが見ているという表現は、律法を通し、律法に照らし合わせて生きることでした。具体的な行為としては「施しをする、祈る、断食をする」という事でした。当時ユダヤ教で具体的に進められる「施しをする、祈る、断食をする」という行為は、いずれも律法に定められた事柄なので、人に見せる、見せたい、見てもらいたいという落とし穴があります。
 ユダヤ教は元々、モーセが神から授かったという「十戒」が律法そのものでした。しかし時代の流れの中で、様々な状況に拡大解釈が必要となり、レビ記や民数記、申命記に細々と記されているような数え切れない程の規定が生まれていきます。
 問題は律法が表現する、つまり旧約聖書が定める罪という言葉なのですが、実は旧約聖書で使われている罪という言葉は全てといってよいほどに複数形になっています。律法規定が複数あるのに応じて、人間の罪も複数で表現されています。別の言い方をすると、旧約聖書の語る罪とは「一つ、二つ、三つ」と数えられるものになっているということ、罪が数量化され、多いとか少ないという数、量の概念になっているのです。とりわけ、ごくごく一般の人々の日常生活は、律法の細かい規定を知らずに暮らしていますから、間違って何か食べてはいけないものを口にしたり、禁止事項を破ってしまったりということが日常的に起こるわけです。その細かい罰則を、人々は神殿の司祭に伺って罪の赦しの捧げものをして、罪をあがなうわけです。そのための捧げものが神殿の入り口や中庭で牛や羊や山羊や雀として売られているわけです。
 これらの数量化される罪の概念は、当然、社会や共同体を律法厳守という監視社会へと進ませ、お互いの監視が始まるのです。そして、あの人は私よりも罪が「より多い」とか、あの人はこの人より罪が「少ない」という発想になり、人間への抑圧が進んでいくことになります。
日本は戦時中、統制と監視によって文化や芸術がゆがめられていきました。「皇民教育」によって人の精神が破壊され、多くの人々の心の在り方をゆがめていきました。そんな恐ろしさ、そして深刻と思われる問題点は、人間の在り方が「こうあるべき」と数量化、基準値化されたことです。コロナ禍になって「自粛警察」という言葉も生まれました。
「監視する」という言葉は新約聖書の原語で「シネーコウ」と言います。他に「行動を共にする、見張る、板挟みになる、苦しむ、病む」等の意味があります。「シネーコウ」という言葉は「シン」という「共に、一緒に」を含む合成語になっていますで、共に監視する、つまり監視をすることと監視をされることが表裏一体となっていると言ってよいでしょう。ルカ福音書8章で描かれている物語は、監視を軸として皆が板挟みとなり、皆が苦しんでいくという今私たちが置かれている状況が映し出されてもいるのです。まるで戦時中と一緒のようです。
 ところで、そのような時代状況に向かって、イエスは偽善者という表現で見せかけの姿勢や行為を批判しています。この箇所で使われている偽善者という言葉は、俳優とか役者という元々の意味があります。思っていること、心に抱いていることと、表面上の行為が違っている、演じられているという意味で偽善者とイエスは批判をしています。突き詰めれば、律法規定で進められている行為をもって賞賛を得たい、私は罪深くないということをアピールする姿、人間の根本的なエゴイズム、自己中心さへと批判を加えています。
 人は誰でも一番の関心事は自分自身かも知れません。けれども自分の評価基準と価値観をどこに置くかが問題です。人の目、監視の目、律法規定が一番の関心事となると、見せかけの人生を歩むことになりかねません。イエスが「隠れたところにおられる方」と言われたのは、かつて幼少の頃に大人が子供への躾けとして語った言葉と同じなのでしょうか?それともイエスの発言も単なる躾けや脅し文句なのでしょうか。しかし、いつも私たちを隠れたところから見ておられる方がいるとしたら、真実なる神が常に私たちを見ているとしたら、一体誰がそのことに耐えることが出来るのでしょうか。
 今朝の聖書の箇所は「主の祈り」への導入となっています。マタイの主の祈りは、現在私たちが祈るものに非常に近い形に整えられています。主の祈りの原文はルカ福音書の「平野の説教」に納められたものがより原型に近いと言われています。最も大きな特徴はマタイでは「天におられるわたしたちの父よ」という呼びかけですが原文に近いルカでは「父よ」だけなのです。この父よという言葉だけはギリシャ語ではなく、「アッバ」というアラム語、イエスや弟子達がしゃべっていた言葉が使われています。この「アッバ」とは、小さな子どもが父親に向かって「お父ちゃん、パパ」と呼ぶようなニュアンスです。関西では「おとん」でしょうか。目の前に立つ父親に飛びつくような時に使う言葉なのです。この「アッバ」という言葉から分かるように、イエスの神は、とても身近にいて下さり、罪を犯さないように監視するという裁きの神ではなく、いつも傍らに立って見守っていて下さるような神のイメージなのです。
 パウル・テリッヒという神学者が次のようなことを語っています。「神は私たちに近い。私が私であるよりも近い。神は私が私を知るよりも、もっとよく私を知っていて下さる。そして私が私自身を愛するよりも、神はもっと深く私を愛して下さっている」。
 隠れたところにおられる存在とは、実は私たちの近くにいて下さり、私たちを慈しみの眼差しをもって見守っていて下さるのです。監視されているのではなく、その眼差しに応えて生きる神への主体的な応答が、私たちの人生を豊かに導くのではないでしょうか。

2021年8月1日

「愛と赦しを着る」
ガラテヤの信徒への手紙3章26~29節


 「聖」という字は、聖なるもの、清いもの、神聖を表します。それはまた、「俗」の反対語で神々しいものを意味します。ですから、ある文字の上に「聖」という字を付けると特別さがハッキリとします。聖地、聖域、聖夜、聖職、聖所、聖典、等々です。そこで教会でいうところの聖徒の交わりといいますと、清らかな交わり、笑うときはゲタゲタとではなく、上品に少しだけ笑う、会話も下に落ちず、高尚なものに限定し、神々しく混じりけのないのが聖徒の交わり等と考えられています。しかしそんなものは、肩がこってしまいますし、偽善の匂いさえ漂います。現実の「人間の交わり」、つまり人間関係は教会といえども、常に不完全で、破れや限界がつきまといます。その交わりや関係は人間が人間である限り、完成されたものではないし、完全無欠ではないということです。にも拘わらず、使徒信条では「我は聖徒の交わりを信ず」と告白しています。
 カール・バルトという人が、「聖徒とは、特別に純真な人々を意味しない。むしろコリント教会やガラテヤ教会のように、極めていかがわしい聖徒を意味する。このいかがわしい人々に我々も属することを赦されている。それでも彼らは聖徒である」(「教義学要網」)と述べています。
 実際、コリント教会の人たち、ガラテヤ教会の人たちは、パウロをとても悩ませました。いかがわしく、破れ多く、わがままで、分派行動を起こし、バラバラで、どうにもならない人々の集団でした。だから、イエスは彼らには赦しや愛を注がなかったか、彼らを素通りしたかと云えば、断じてそうではありませんでした。ちなみにルターは、コリント教会の人たちとガラテヤ教会の人たちを「極悪非道人」とも呼びましたが、彼らの躓き、破れ、失敗を繰り返す問題児たちの全てをイエスが受けとめたことをパウロは、手紙を書き送りながら、再三再四、告げています。このイエスと人々との関係を、パウロは極めて象徴的に「衣、上着」をまとうことにたとえています。
 今日の聖書の箇所では27節で「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」と表現されています。また第一コリント15章53節では「朽ちないものを着」、エフェソ4章24節では「新しい人を身に着け」と、破れや汚れの多い私たちの上にイエスという衣を着せていただき、「お前は聖なる者だ、お前は私の子だ」と神が呼びかけて下さっていることをパウロは告げています。
 私たちが本当はボロボロであっても、その上に無条件にイエスという衣、上着がかけられていく、その時、主にあって私たちは聖徒となっていく、このパウロの信仰理解は、人間にかけがいのない尊厳性を与える神の愛が刻み込まれています。俗に対する聖ではなく、俗のただ中でこそ着せられるイエスという尊厳、そのイエスの導きを俗のまっただ中で信じて生きることがパウロの云わんとしていることです。イエスがその生涯で大切にされ、訴え続けたものが、人間には神の息が吹きかけられ、存在が赦されたという、かけがいのない尊厳があるということです。
 今までの学校という概念から全く離れて、新しいヴィジョンを描いて「自由学園」という学園を創設したキリスト者で、羽仁もと子さんという方が、自由学園を次のように語っています。「自由学園には先生はありません。大人も子どもも、共に長所を学び合わなくてはならないからです。ただ一人、私たちには共通で変わらない先生がいます。それはイエス・キリストです」。皆がイエスをまとっている、子どもも大人も尊重され、敬愛されていく、それを目指して努力を続け、祈り続けるのが聖徒の交わりではないでしょうか。その意味で信仰とは、まさに生きものなのです。
 さて、聖徒の交わりについて視点を変えて考えてみたいと思います。誰でも迷うことがあります。信仰は固く一点に立って動かされないものではなく、常に動く生きものです。懐疑や反発、裏切り迷いと云った葛藤のただ中で育てられていくものです。教義や信条が全くつまらないのは、信仰が育まれる場が俗まみれの現実社会でありつつも、毒素がないものとし、無菌状態であるかのごとく装い、反発や疑問を封じ込めてしまうところにあります。
 ドイツ文学者の小塩節(おしお たかし)さんの随筆で「春近く」という作品に「私には祈れないことがあった。幾度となくあった」という書き出しで、生後3ヶ月の子どもが肺炎にかかり、医師から死の宣告を受ける場面が描かれています。ご紹介いたします。
 「祈れば御心のままにと、祈らざるを得ない。しかし御心のままにされては困る。この子の命まで取っていかれる神の御心は、絶対に困る。神さまはむごい!もし神さまが出てきたら、壁にかけてある登山用のピッケルで神さまの顔を真っ正面から叩きつけて、ぶっ倒そう。そう思った」。この一文は、我が子を思う親の気持ち、子の命を守ろうとする親の心情が吐露されており、胸を打ちます。小塩さんが抱いた神への思いは、決して不信仰ではありません。俗のただ中で、理不尽さのただ中で、葛藤し迷い、悩み苦しみ、マイナス要因を抱え込みながら信仰は育まれるからです。
 宗教改革者の一人・J.カルヴァンはかつて次のように語りました。「祈りとは躓いてから立ち上がり、立ち上がってから歩き出すまでを云うのだ」と。躓くものと共に悩み苦しみ、立ち上がるまで様々な失望や空しさを味わいながら苦闘の中で祈り続けること、その過程の中に「聖徒の交わり」は大きく息づいているのではないでしょうか。
 この意味で「聖徒の交わり」とは新しい人間関係の創造的なあり方であると言えます。またイエスを衣の様にまとった神の出来事の変奏曲と言えるのではないでしょうか。イエスという愛と赦しをまといながら、私たちも愛と赦しを届ける者へと、ここから遣わされたいと思います

2021年7月25日

「十字架の受容」
ローマの信徒への手紙15章7~13節


 「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れて下さったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」
 今朝の聖書の一句は、ローマの信徒への手紙の中心的なテーマを表現していると思います。ローマの信徒への手紙の前半部分は、イエス・キリストによって義とされることを中心に述べています。後半部分は、義とされた者の生活や倫理を語っています。「キリストがあなたがたを受け入れて下さった」とは、罪や破れや弱さや醜さにも拘わらず、イエスが十字架を通して私たちを受け入れて下さったという事柄です。お前は過ちを犯したから受け入れない、お前は罪深いからダメだ、きれいに清くなってからいらっしゃいではなく、ありのままで赦され、招かれているということが、ローマ書の前半部分で強調されています。
 ローマ書の後半部分は、具体的な生活や振る舞いが綴られています。キリストに受け入れられた私たちが、他者を受け入れないとすれば、それは神の栄光に反することであり、神の栄光は現れないことになります。イエスによって義とされた者は、他者を受け入れ、隣人を受け入れ、イエスを証しする生活を奨められています。それは一言で言えば「受容」ということです。
 少し古いのですが、ロジャースというアメリカの心理学者が、「受容」の大切さを語りました。心を病んでいる人もそうでない人も、大人も子どもも「受容」が大切な、いやしであると言いました。現在、大人から子どもまで、本当に受け入れられることを必要としているのではないかと考えさせられます。何かとても苦しいことや大変なことを抱えて、誰かに相談をするとします。しかしその人が、賢くもいけない点を指摘して「こういう点が悪いから、こうしなさい、ああしなさい」と言われたら、身に覚えがあり、当たっていればいるほどやるせなくなってしまいます。逆に、話を聞き、苦しみに共感してくれて、一緒に悩んだり考えたりしてくれたら、心が少し楽になることがあります。互いの間に、共感と受容が起こる時、あのイエスの受容が証しされるのではないでしょうか。
 また、教育や指導も同じではないかと思います。教育とは英語でEducationといいます。元々は「引き出す」という意味があります。教育や指導とは、神が一人一人に与えて下さったものを引き出し、大きく育てることではないでしょうか。ギリシャの哲学者ソクラテスは、自分の教育方法を産婆術と言いました。それは産婆さんが、子どもをこしらえるのではなく、神が人に命を与え、その人に下さっているものを取り出すこと、引き出すことを言い表しています。
 よくこのようなお話をしますと、「子どものことを受け入れていたら大変です。何を要求してくるか、何をしでかすか分かったものではありません」と反論する方がいらっしゃいます。「受容」とは、子どものわがままな要求を全て受け入れることではありません。ここでいう受容を心理学では「情動を受け入れる」と表現します。言ってみれば「あなたの気持ちは察することができる」ということです。子どもは自分の気持ちが受け入れられることを求めてきます。もしその反対をやれば、子どもはわがままに要求してくるでしょう。しかしその心が理解され、受け入れられている時は、けっしてわがままは言わないものです。
 それはまた、大人の人間関係も一緒です。パウロがローマ書を記して、それをローマのキリスト教会へと宛てました。この手紙の宛先であるローマの教会は、ユダヤ人と異邦人からなる教会です。むしろ異邦人が中心でユダヤ人や様々な人々が集まっていた教会です。そこには互いの異質性があります。私たちにとって、受け入れることが難しいのは、この異質性です。ところがこの異質性を乗り越えないと、夫婦の関係も友人関係も国際関係も成り立たなくなってしまいます。人は誰でも、性格も生まれ育った環境も、習慣も違います。その違いは、お互いの分離に繋がります。でも、人間が全く同じであったのなら、それは以前もお話しましたが、死の相、滅びの相になります。共に歩む中で、互いに理解することと、互いの違いが明らかになっていく・・・・、私たちは違いが明らかになる時、苦労します。骨が折れます。難しさに嫌気がさしていまいます。しかし、この時こそ「キリストがあなたがたを受け入れてくださった」ことが大切になるのではないでしょうか。いえ、その時にこそイエスの十字架の受容を思い起こしていくことが、信仰者の生活であり姿勢であるのではないでしょうか。
 先ほど紹介いたしました心理学者のロジャースは「愛とはたんに他者の苦しみを自ら進んで経験しようとすることではない。それは他者を苦しみから救う力を、自分が持っていないことを自覚しつつ、なおもそのやりきれない思いと共に生きようとする意志なのである」とも語っています。
イエスは十字架から降りようとはしませんでした。人々の罵声を浴びつつも、やりきれない思いと痛みの中にとどまり、人の罪と過ちと弱さと共に生きようとされました。その時、神はそんなイエスを通して、私たちへの赦しと受容を起こされたのです。キリスト教会では、それを救いと表現しているのです。
 やりきれない思いと共に生きようとするイエスをこそ、常に思い起こしながら、キリスト者としての言葉と振る舞いを、私たちもまた模索していきたいと思うのです。

2021年7月18日

「天の国は近づく」
マタイによる福音書4章12~17節


 イエスが初めて宣教活動をスタートさせたのはガリラヤ地方でした。その最初の伝道は洗礼者ヨハネが逮捕されたことをきっかけに、ガリラヤに退かれたからでした。洗礼者ヨハネといえば、3章の13節以下でイエスに洗礼を授けた人物がヨハネです。一つの悲劇的な出来事を通して神の業が人間の歴史の中へと顕現しはじめる様子を描いています。
 イエスはゼブルンとナフタリの地に移動し、カフェルナウムに住まわれたと聖書は伝えています。イエスは一時的であれ、この町に住みました。そして旧約聖書の預言者イザヤの言葉を引用して人々に語られました。「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ」。
 ゼブルンとナフタリの地はイエスの時代、つまり新約聖書の時代には「異邦人のガリラヤ」と呼ばれ、さげすまれたところです。紀元前733年以来、アッシリア帝国に占領され、イスラエルの手から奪われた異邦の地として見放された場所でした。それは神からも見放された異教の地と見られていました。
 ところで、洗礼者ヨハネが逮捕されたことを聞いて、イエスはこのような地に逃げ込んだのでしょうか。洗礼者ヨハネは死海のほとりのクムラン教団という、いわゆる世を捨てて禁欲的集団生活に入る宗教運動との関係があったのではないかと云われています。この洗礼者ヨハネの運動とクムラン教団は実際に新約時代に存在し、少なからずイエスに影響を与えたとも言われていますし、一時期イエスもヨハネの洗礼運動に加わっていたのではなかとも推測されています。
 しかし、イエスはヨルダン川を拠点とするヨハネの洗礼運動とはたもとを分ちました。それは一カ所に留まる運動であったからです。意味じくも15節に「ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ」と表現されるようにイエスが向かった先は、ヨハネの活動する場所からはるかかなたのところでした。イエスの神の国の宣教は、留まるのではなく満ちあふれていき、流動的に流れ出す豊かさそのものです。表現を変えるのであれば、それは人々の所へと届けられるもの、届けるものとして理解されています。イエスの公生涯が旅の生涯であることは、溢れて流れ出る神の国の恵みを表すものだからです。
 私たちにとって、神やイエスは神の国や教会でデンと構えて動かないもののようにイメージしています。これは旧約のイスラエル王国時代にイメージされた動かない神、黄金に輝くエルサレム神殿によるイメージです。王政と神の支配イメージが混同されて出来上がった信仰理解に他なりません。そのようなイメージが支配的であった時代に、イエスは常に身の置き所を変え、旅し続けました。そしてそんなイエスの姿勢や行動の中にこそ共なる神の姿が証されています。
 「ガリラヤに退く」というマタイの表現には、この世の不条理と人間の差別的、抑圧的な力に支配され続ける地へと赴くイエスの姿があります。嘆き悲しむ人間が沢山住む場所へと近づくイエスの生き様が表現されています。イエスにとっての宣教、神の国の訪れが真っ先に届けられるところは、「暗闇」と表現され続け、「死の陰の地」と言われ続けた人々の待つゼブルンとナフタリであったのです。神の子イエスの願った第一歩は、そんな嘆き悲しむ人々のまっただ中でした。私たちはこのイエスが最初に踏み入れた地とそこに住む人間の現実にこそ、イエスは真っ先に赴かれたことに気づきたいものです。
 私たちは自分の弱さやいたらなさ故に挫折することがあります。あるいは時に仕事に嫌気がさしたり、人間関係に挫折しすることがあります。また、人生の意味を見失い、絶望することがあります。そして、ただただ自分の人生を重荷としてしか感ずることができなくなることがあります。注意をして健康管理をしていても病気を煩うことがあります。更に、あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったと後悔し、あえぎ苦しむことがあります。
 今日の聖書流に表現しますと、イエスはそのような重荷に喘ぐ現実にこそ神の国が近づいていること、神の子が赴いていること、いえイエスご自信がおられることを告げています。そしてイエスは次のようにゼブルンとナフタリの人々に語られました。私たちにもこう語っています。
 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と。「悔い改めよ」とは方向転換せよと云う意味です。決してイエスは「悔い改めたら天の国が近づく」といったのではありません。天の国はもう近づいたから、方向転換せよと云っているのです。
 心の向きだけを変えるなどという「心と体を二分する二元論」的なことをする限り、喜びに溢れることはできません。私という存在そのものを神が愛してくださり、イエスにおいては心と体の重荷や痛みさえも負って下さっているのです。信仰において心と体とが分離していないのが、イエスの生涯でもあります。我々も全存在をかけてイエスに応答し、生き方を、人生を方向転換したいものです。

2021年7月11日

「あなたがたで」
ルカによる福音書9章10~17節


 「昔、たくさんの人々にご馳走して下さったイエスさま、今、このご飯を感謝していただきます」、同様な、似たような祈りがキリスト教教育にたった幼稚園や保育園では食前に捧げられます。5つのパンと二匹の魚で5千人もの人々を満腹にしたイエスの話は、子供達の心に感動と神への信頼を育てます。
 この5千人の共食の話は4つの福音書全てが報告しています。それだけ初代教会に大きな影響を与えたのでしょう。ところで、この話は村や町の外での出来事です。12節に「わたしたちはこんな人里離れたところにいるのです」という表現があります。当時、村や町の外の地域はカオス・混沌が支配する場所であると考えられていました。また外で食事をするということは食事の準備や食べ物の扱いについて律法で定められた清めの規定を注意深く守ることができなかったので、普通は村や町の外での食事はなされなかったといいます。また5千人という人数なのですが、当時多くの場合、一つの町や村の人口よりも大きな数だと云われています。それこそこの福音書の舞台では5千人を超える町は、ほんの数える位しかなかったと云われています。
 さて、この有名な5千人の共食の話でルカ福音書の特徴が冒頭の部分に現れています。「使徒たちは帰って来て、自分たちの行ったことをみなイエスに告げた」。イエスの弟子達はイエスから離れ一体何をしに出かけ、何処へ行っていたのでしょうか。そのことを考えることは、このルカの箇所を読み解くカギになります。
 同じ9章の1節以下に、彼ら弟子達がイエスによって派遣されたことが記されています。弟子を派遣するに際し、イエスは「何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持って行ってはならない。下着も二枚は持って行ってはならない。」と云われたのです。弟子達はその通りに従い、帰ってきました。注目すべきことは、後の22章35節でイエスは弟子達に質問します。「財布も袋も履き物も持たせずに、あなたがたを遣わした時、何か不足したものがあったか」、すると弟子達は「いいえ、何もありませんでした」と答えています。彼らはイエスによって遣わされ、町や村を旅し、イエスのことを宣べ伝え、多くの悩める者、病気の者、体の不自由な者をいやし、神の力と神の恵みの確かさを実際に体験し帰って来たのです。一方イエスも、11節にあるように「人々を迎え、神の国ついて語り、治療の必要な人々をいやされ」ました。
 イエスも弟子達も神の国を宣べ伝え、人々をいやし、喜びと感謝に溢れる人々を目の当たりにしていたのです。そうこうしている内に日が傾きかけたので、弟子達はイエスに、皆お腹も空いているでしょうから、各自解散して食事を取らせましょうと提案しました。イエスは弟子達の提案に対して「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と云われました。弟子達は「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり」と言い出し始めました。聖書は男性が五千人と伝えていますから女性や子供達も含めるとその倍、いえ3倍位の人々がいたのでしょう。無理もないかも知れませんが、弟子達は「こんなにも沢山の人々がいるのに」とぐちゃぐちゃと言い始めました。ここに自分達の持てるもの、目の前に映る現実に戸惑い、困惑する弟子達の姿があります。
 困惑する弟子達は、直前までイエスの派遣に従い、何一つ持たずに出かけて行き、神の力を体験し、人々の喜びと感謝を感得し、溢れる神の恵みを体験した弟子達でもあります。にもかかわらず、彼らは今、その体験を忘れ、目の前の現実に戸惑い困惑しているのです。
 ルカ福音書が語るパンと魚の出来事は、もう一度信仰の出来事とは何かを再確認させます。「あなたがたで」とのイエスの呼びかけは「あなたがたの信仰はどこにあるのか」との問いかけでもあると思います。イエスはパンと魚を手品の様に、また不思議な力で増やしたのではありません。聖書は天を仰ぎ、讃美の祈りを捧げ、それを配ったとあります。
 手元にあるわずかなもの、目に見えるものに戸惑い、困惑して、天を仰ぐこと、祈ることを忘れているのです。更にイエスこそが我々一人一人を招き、派遣されるそのこと見失い、イエスの様に天を仰ぎ讃美し祈りを献げることを日々の生活の中で失っていく時、何もしない、何も出来ない、あきらめへと陥ります。
 ちなみに、パンは聖書の中で「神の国」をたとえています。祈りと讃美によって育まれる信仰は、パンが発酵し膨らむ豊かさにたとえられます。そして神の国もそのようだということです。イエスが生まれたベツレヘムは「パンの家」という意味です。魚は初代教会のシンボルです。魚という言葉はイクスースと言います。これは「イエス、キリスト、神の子、救い主」という言葉の頭文字を並べると魚・イクスースとなり、迫害下の信徒達は魚をシンボルにして互いの信仰を表現し、互いに支え合い祈り合い、迫害を生き延びたそうです。
 神の国、神の力、神の恵みがこれしかないのに無理だ、「イエス、キリスト、神の子、救い主」がたったこれだけしかない・・・、もしかすると私達は本当に神を冒涜しているのではないでしょうか。
 いとわずかなものを用いる、いと弱きものを用いる、そんな神への信頼に立って、讃美と祈りを基に、たとえわずかなものであっても分かち合うお互いへと歩み出すとき、神は恵み溢れる人生へと私達を導いて下さるのです。この週も「あなたがたで」と主によって派遣されていることを心に留め、天を仰ぎ、讃美と祈りをもって共にスタートしたいと思います。

2021年7月4日

「命があるのだから」
使徒言行録20章7~12節


 エフェソに滞在していたパウロはエルサレム行きを決心し、その道中でトロアスに7日間滞在をしました。この7日間の滞在は日曜日から日曜日までであり、礼拝から始まり礼拝で終わったことを示しています。
 日曜日という名称は、ギリシャの「太陽の日」がローマ帝国へと浸透し、後にキリスト教の礼拝日としてヨーロッパに広まっていきました。名称自体にはキリスト教的背景はありません。一週間の7日目を休みとする習慣は、皆さんご存じの通りユダヤ教の安息日規定ですが、バビロン捕囚期以前では、古代人にとって7という数字は神の数字で人間にとっては恐れ多いという考え方から、一週間の7日目は休むこととされました。バビロン捕囚期以後はユダヤ教の安息日が割礼と並んで大切な律法規定となり、祭司資料に基づく天地創造の物語にちなんで、7日目の休みを義務づけました。一方、同じ旧約聖書でも申命記資料では天地創造が安息日の源流となったのではなく、出エジプトの出来事を憶える日として安息日の大切さが説かれています。何事もはじめの精神が形式化の固定を招く場合があります。安息日規定はその最たる例で、時の流れの中で禁止事項を増やし続けていきました。労働だけでなく、外出、買い物、調理、治療等々です。イエスは「安息日は人のためにあるものであって、人が安息日のためにあるのではない」と云って形骸化した安息日規定を批判していきました。
 さて初期キリスト教はと申しますと、本日の聖書箇所にあるように週の初めの日を独自の礼拝日として守っていました。今日の使徒言行録20章7節は、古代教会の集会が週の初めの日に守られており、しかも日曜毎の集会では「パン裂き」すなわち聖餐式が行われていたことを裏付ける大切な箇所として知られています。最初のクリスチャンも一週間に一回集まり、共に祈り、パンを裂きながらイエスの出来事を思い起こしていたのです。
 紀元後314年、ローマ帝国による「ミラノ勅令」によってキリスト教が公認されると日曜日が休日となっていきます。中世末期には厳格な就業禁止日ともなりました。プロテスタントではピューリタン革命によって日曜日は厳守となり、その後も19世紀の敬虔主義に受け継がれながら、日本へと入って来ました。19世紀末から20世紀にかけて、産業革命による近代化が進み日曜日の休日は困難となりました。増え続ける数え切れない程の職種が存在し、日曜日に休みを取ることが難しくなっているのが現状です。休日のアクセントが不明確になると同時に、一週間のリズムの中で神の前で、己を整えるという習慣が薄れてきます。これはキリスト者でさえ、薄れてきています。生と死、イエスの十字架と復活という神に出会いつつ、生活のリズム整えることの大切さが今問われているのではないでしょうか。
 さて、週の初めの礼拝において、パウロの長話がいけなかったのかどうかは分かりません。礼拝中にエウティコという青年が眠りこけて三階から落っこちて死んでしまったという事故が起こりました。責任を感じたかどうかは知りませんが、パウロが急いで降りていき、抱きかかえて「騒ぐな。まだ生きている」というと、青年は生き返ったという、何ともお騒がせな出来事が記されています。騒ぐなというパウロの言葉が表現しているように、突然の出来事に皆大変な騒ぎになったのでしょう。三階から落っこちて死んでしまった等という大変な事故が起こったのですから無理もありません。
ところが、直前の19章以下でもお分かりのように、この間、パウロの周りでは騒動ばかりが起こっています。というよりもパウロの伝道旅行ではいつも騒動ばかりが起こっています。この世を旅する教会の周りにも沢山の騒動があります。突発的な事故だってあります。このような状況に直面する時、ある時は絶望し、ある時は諦め、ある時は騒ぎ出すこと、怒り出すことだってあります。しかしパウロは騒動のただ中で、突然の事故で次のように語りました。「まだ生きている」、直訳すると「命はあるのだから」つまり「霊、魂、神の息が彼の中にまだある」とパウロは云っているのです。
 突然登場するエウティコという青年、トロアスでの集会、つまりトロアス教会の問題児ではなかったかと思うのです。いつも騒ぎばかりを起こす存在だったのではないでしょうか。あるいは礼拝から礼拝という信仰のリズムが眠ってしまっている存在とも云えます。彼は三階の窓に腰掛けて、危険であるにも拘わらず眠りこけて、不注意にも落下してしまう騒動を起こしてしまっています。
 しかし、パウロはエウティコという存在を抱きかかえながら「命はあるのだから、神さまからいただいた霊、魂、神の御心である神の息があるのだから」といって、再びパンを裂きました。イエスの十字架の死を想起しながら、なお神から送られた命がある幸いを、どのような存在であれ神の息が鼓動している幸いを祈り願ったのです。
 騒ぎばかりを起こすエウティコ、眠りこけて落下してしまったエウティコ、けれども、そんなエウティコにも神様からいただいた貴い霊と魂と息が脈打つ存在であることを心から抱きしめていくパウロは、その命がパンを裂くというイエスの十字架によって赦し生かされていることを示していくのです。
 人々は生き返った青年、生き返った、つまり甦った復活した青年によって、大いに慰められたと云います。問題ばかりを起こす人物、騒ぎばかりを起こす人物が、人々に慰めを届ける人物へと変えられていったのです。
 日曜毎に刻む礼拝のリズムとは、十字架によって私たち一人一人を赦し生かされるイエスの出来事を想起するリズムです。私たちがエウティコの様な存在をも、神様からの貴い命ある存在として抱きしめていくことが出来るようにと促していくイエスの十字架のリズムなのです。イエスの十字架のリズムが私たちの生活の、私たちの日々の歩みのリズムとなる時、きっと多くの人々へと慰めを届けることへと用いられるのではないでしょうか。

2021年6月27日

「大きな神の器」
使徒言行録11章1~18節


 エルサレムを離れ、弟子達は各地へと出かけていました。弟子達の旅先での出来事が11章以前までにも伝えられています。そんな中、弟子フィリポはエチオピアの宦官に洗礼を授け、またペトロはローマの百人隊長であったコルネリウスを導き、彼と多くの異邦人の上に神の霊が注がれる様を見ました。
 そのような出来事がエルサレムにいる使徒達の耳に入り、エルサレムへと戻ってきたペトロに向かって非難をしました。当時のエルサレム教会は割礼派と呼ばれるユダヤ人グループが主流でした。まだまだ、ユダヤ教の伝統から抜け出せないでいました。彼らにしてみれば、ユダヤ教の伝統に基づく慣例や規則に反して、異邦人と共に食事をすることは言語道断、それがたとえ神の導きであっても、聖霊の働きであっても受け入れられないものであったようです。エルサレムに戻ったペトロは、割礼派の人々に非難されました。
 激しい非難にさらされたペトロは、あれこれと弁明するのではなく、繰り返し現された幻を語りました。神の出来事や働きかけは人間には、本当に理解しがたいものですし、分からないものです。キリスト教の歴史も、また教会の会議や教会の規則も、いつでも神の導きの後からついてきているものです。教会や私たちは神の導きの後を追っているに過ぎません。
 この世に誕生した世界で一番始めのキリスト教会であるエルサレム教会の弱点は開かれていないことです。「教会の扉は閉じられていません。どなたでも受け入れます」と言うかも知れません。伝統やこれまでの形式に飼い慣らされてしまい、新しい提案や新しい信仰の表現に対しては、いつも、いつも先例を取って反対し、決して取り組もうとはしません。「それはとても難しいことだが、みんなで一緒に祈って道を探ろうとか、いつも祈りの内に憶えましょう」とは言いません。教会の中に支配しているものも、この世を支配しているものと同じになってしまいます。ペンテコステの出来事によって誕生した教会も大きな問題を抱えていたのです。
 さて、非難を浴びているペトロですが、彼も神の幻を見た時には、「とんでもないことです」と神の促しを拒絶しています。聖書によると三度も同じ事が繰り返されたようです。ペテロはかつて、イエスが十字架にかけられる前夜にイエスを三度拒絶しました。また再び、彼は神の問いかけ働きかけを三度拒絶しています。ペトロの中に染みついているユダヤの伝統、考え方というペトロの寄って立つ存立基盤を、神は大きく揺さぶっています。ペトロに対して神の促しは非常に酷なようです。ペトロの受け入れられない姿を繰り返し伝えます。けれどもこの繰り返し伝えられる閉ざされたペテロの姿こそ私達の姿なのかも知れません。伝統、これまでの形式や考え方に固執する姿や神の促しに一歩を踏み出せない姿こそ神の前での私達そのもののようです。
 ここでペトロに働きかける神の言葉に注目したいと思います。「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」です。ペトロは祈っていたといいますから、ひざまずいていたのでしょうか。神のこの促しは、単純に身を起こして、立ち上がって食べなさいとの動作を思い浮かべます。しかし、ここで使われている「身を起こす」という言葉は原語のギリシャ語で「アナスタシース」という言葉です。福音書ではイエスの誕生の前夜、ヨセフの夢の場面で使われる「目覚めよ」、そしてイエスの復活で使われる言葉です。身を起こせ等という単純な動作を現す言葉ではなく、「目覚めよ、よみがえれ、復活せよ」との神の働きかけ、神の力が望んでいく様なのです。
 目覚めよ、よみがえれ、復活せよとの三度も繰り返される神の働きかけによって、生前のイエスの言葉を思い出していきました。というよりも、イエスがペトロの中によみがえっていったのです。かつて誰一人として拒まず、拒絶せず、隔てなく生きられたイエスがペトロの中によみがえっていったのです。ペトロは目覚めていきました。「神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか」、イエスの歩みを、神の力を人間が妨げることが出来るでしょうか。旧約聖書のレビ記に規定され、何百年、何千年と固く守られてきたユダヤの食物規定が、こうして打ち破られていきました。食物規定という日常的な生活習慣が人との隔てを作ってきました。しかし、そんな人間の日常が神によって打ち破られ、開かれていきました。
 エルサレム教会の人々はこの出来事に皆、沈黙したといいます。この沈黙はユダヤの伝統、規定に立っていた者たちが、これまで構築してきた一切が崩れ去った沈黙です。神の出来事によって人間的な一切が奪われていく様、それを聖書は沈黙と表現しています。一切を奪われた者達には、無から新しい命が与えられていきました。彼らは新しい存在として復活させられたのです。それは新しい讃美の歌を与えられた者達と聖書は伝えています。「神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えて下さったのだ」、これまで誰も聴いたことのなかった新しい歌を彼らは奏でていきました。
 ペトロをはじめとする原始キリスト教会は異邦人へと開かれていく神の大きな器と変えられていきました。変えられたというよりも、新しく創造されていったのです。人々は沈黙という無から新しい命が与えられ、よみがえっていったのです。
 イエスの促しに目覚め、己の内にイエスがよみがえっていく時、私達は神の大きな器として用いられていくのではないでしょうか。そこには、これまで味わったことのない新しい沢山の神の恵みが盛られていく、そんな幸いがあるのではないでしょうか。新しい信仰者の歴史が、そこから始まっていく、今朝の聖書の出来事を深く心に刻み込みたいと思うのです。

2021年6月20日

「花を携えて」
ペトロの手紙一4章7~11節


 ユダヤの人々は、家の戸口にメズザーと呼ばれる金属製の筒を貼り付けています。家の戸口を通るたびに、その筒に触れて間接キスをしたり手を置いたりするそうです。この筒の中には、申命記6章4~5節の「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」という言葉に始まり、9節までの言葉と同じ申命記の11章13~21節までの言葉が綴られた巻物が入っています。
 また祈るときには、テフィリーンと云われる小さな箱の着いた皮の紐を手に巻き付けて祈るそうです。この小さな箱の中にも申命記6章4~5節の言葉が書き記された札が入っているそうです。新約聖書の福音書によると、「最も重要な戒めはどれですか」と尋ねられた時に、イエスが答えた言葉としても有名です。福音書のイエスの答えでも、神を愛すること、隣人を愛することの前に「聞け」と云われているように、聞くことが前面に出ています。「信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聴くことによって始まるのです」とあるように、人間の不平不満は、人が聴かないで一方的につぶやきます。人は語りかけを聴かないからこそ、まずは「聞け」と戒められているようです。
 さて今朝の聖書箇所ペトロの第一の手紙です。この手紙はイエスの使徒であったペトロの名を借りて、紀元一世紀に生きたキリスト者が書いたものです。記された場所は、今のトルコであると云われています。当時まだ社会的には少数者であったキリスト者は、他の様々な宗教に囲まれて生きていました。「囲まれて」と言いますのは、価値観の違い、生活習慣の違い等から、いわれのない中傷や不信感、差別や敵対、憎悪などに囲まれてということです。それらがやがて後々には、迫害に繋がっていきます。「囲まれた」状態で、どう生きるかということが、この手紙のテーマになっています。
 7節に「万物の終わりが迫っています」という表現があります。これは世の終わりということで、当時流行っていた終末思想が背景にあります。いつの世にもというより、100年毎の世紀末にはいつの時代にも、いつの社会にも登場し流行するものです。しかしどうして終末という世の終わりが流行るのかと言いますと、そこには世の中への危機感を抱いてしまう社会的不安が常にあります。手紙の背景にある教会も周囲からの圧力に不安を募らせました。不安や危機の時にこそ、互いに励まし合う必要を感じました。だからこそ「思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」と奨められています。その奨励の根拠が「愛は多くの罪を覆う」となっています。ここで、「愛は多くの罪を覆う」という言葉と共に注目したいのが、直後の「不平を言わずにもてなし合いなさい」という勧めです。とても具体的であり、日常的な勧めです。
 聖書の世界では、人をもてなすこと、更には旅人をもてなすことは大切な聖書の教えでした。旧約聖書には、旅人をもてなすことが務めにもなっています。私たちが注目しなければならないことは、神に愛され、罪を覆われ、赦し生かされていることと、不平を言わずにもてなし合うことが一対になって、相互に関連付けられて奨められているということです。ついつい、不平不満をつぶやいてしまうという曲がり角を、イエスから受けている愛をもって曲がりきっていくことが求められています。
 さて、人をほめることに、特別な資格はありません。いつでも誰でも出来ることです。それが人の人生を生かすことです。けれども、どうして人間は人の良い点を見つけることが苦手で、人の欠点を見つけることの方が得意なのでしょうか。
 人間の脳を研究している松本元さんという方が「愛は人の脳を活性化する。人は自分の存在が意義深いと感じた時、脳は非常に活性化する」と語っています。自分の存在が認められること、自分の事が分かってもらえること、何よりも人は愛を感ずる時、積極的に自分の人生を受けとめられるようです。
 「愛は多くの罪を覆う」、この言葉は旧約聖書の箴言から来ています。箴言では「憎しみはいさかいを引き起こす」という一句も綴られています。今の世界を考えても、憎しみの世界は、人間が克服できない世界のように思えてしまいます。しかし旧約聖書の箴言は、憎しみの世界に切り込んでいくのが、神の愛であることを告げています。神の愛はうなだれていく人間の内面の魂を解放させ、外向きに人々を自由へと解放する力として両面的に語られ続けています。問題は「愛は多くの罪を覆う」という一句を、ただ内向きにだけ作用させるのか、それとも最後には「憎しみの世界」を覆っていく神の愛の出番があることを信じ、外向きに解放させるのかということです。
 この後、旧讃美歌の二篇26番を歌います。「ちいさなかごに」という曲です。
「ちいさなかごに花をいれ、さびしい人にあげたなら、へやにかおり満ちあふれ、くらい胸もはれるでしょう。あいのわざはちいさくても、かみのみ手がはたらいて、なやみのおおい世の人を、明るく清くするでしょう」。
 花の美しさは言うまでもありません。しかし、より美しいものは、一輪の花を通して広がり行く、人と人との繋がりなのかも知れません。そして「ちいさなかご」とは、私たちなのかも知れません。神の愛によって生かされている私たちは、たとえ小さくとも、心に花を携えて歩んで行きたいと思うのです。その花を他者へと届けて行きたいと思うのです。きっとその時、神の御手の業が豊かに働いていくのでしょう。
 不平不満をつぶやく前に、まずは神からの語りかけ、私たちを赦し生かすイエス・キリストという神の語りかけを静かに聴きつつ、人をとりなす愛、人を赦す愛を発信したいものです。それが聖書に生きるということなのではないでしょうか。

2021年6月13日

「神の畑、神の建物」
コリントの信徒への手紙一3章1~9節


 コリント教会は、パウロの第二回伝道旅行の折り、アテネ伝道の後に設立されます。ギリシア半島の南部、古くから交通の要所として栄えた町です。ローマ伝道を志しているパウロにとっては、イタリア半島との交易船が往来する港街コリントの地理的重要さは欠くことのできないものであり、コリントは大切な拠点であったようです。それだけに、コリント教会が設立された後も、教会として相応しい歩みが果たせるように、パウロは頻繁に手紙のやり取りを行い、教会との関係を保とうとします。 
 しかしパウロの思いとは逆に、コリント教会は様々な問題を抱えていきます。その一つが教会内の分派的な争い「分派問題」です。教会は「パウロ、アポロ、ケファ、キリスト」とバラバラに掲げ、教会の交わりが崩れていたことが分かります。そのような教会の崩壊を「固い食物」が食べられない「乳飲み子」、言わば幼児性を抜けきれないと指摘、どこまでも人間的な依存性がお互いの間に「ねたみや争い」を起こしている原因となっていることを語っています。
 もちろん、人間はもとより依存性の強い存在です。依存していくこと、絶対的に受容されていくこと、この体験や経験を通してこそ人間としての自立が成し遂げられていきます。信仰の世界も同様です。神による絶対的な受容の体験と、その経験の積み重ねが自立を促し、同時に他者の存在に耐えうること、認めること、赦すこと、執り成すことの共同性を養っていきます。しかしながら、コリントの教会が未だ、人間のしがらみの中で、自己の拠り所や帰属性を確かめようとしていることに対して、パウロは厳しい批判の表現をもって戒めていきます。そこで「パウロとは何者か」(5節)と、パウロは自問自答の言葉を発していきます。これは人に依存しつつ分派を作ろうとするコリント教会の人々に対する批判であり、自分を神に完全に明け渡そうとするパウロの自戒を込めた厳しさでもあります。さらに、イエスに生かされていく自由さを読み取ることができます。今日は、神に明け渡し、イエスに生かされる自由さをパウロから学びたいと思います。
 さて、キリスト教では一般的に「信仰義認=信じて救われる」という教えがあります。これが一番大切だなどと説く、牧師や教会があります。これはガラテヤ書2章16節「ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。」というパウロの言葉から、伝統的に信仰を理解しているものです。ここで使われている信仰という言葉は「ピスティス」という言葉で、元々「信頼」という意味です。2章16節の直訳は「ただイエス・キリストの信頼によって義とされる」「キリストの信頼によって義としていただく」となります。実はこの一句のニュアンスは「人間からイエス・キリストへの」といった、人間がイエスを対象とする対象属格で表現されるのではなく、「人間に寄せるイエス・キリストの信頼が人を義とした」いうイエスが主体となって表現されている一句なのです。つまり人間に寄せるイエス・キリストの信頼が私達を義としているという事です。ここからは決して「信じていない者は救われない」という排他的な断言は生まれません。早い話が、神が人間へと寄せた愛は、信じていない者も愛と救いの対象であり、ただ気がつかないだけであるということです。救いや義は、今もなお不断に私達を義とし続けている神の存在であり、徹底的に人間を越えている事柄です。人間が信じるから神が動くのではなく、人間には神とイエスの圧倒的な信頼が注がれている、そこからは誰も逃げも隠れも出来ないということです。
 ルターという宗教改革者は、信じて救われるというパウロの言葉を誤解し、愛の実践と応答する歩みを綴ったヤコブの手紙を「藁の書」といってけなしましたが、これはルターの見識のなさと言わざるを得ません。実は神への応答を最も大切にし、証しているのが実はパウロ自身です。新約聖書学者の佐藤研さんさん曰く「パウロは沢山の文書や手紙を残していますが、パウロの凄さは彼の最後に現れます」と語っています。最後のパウロは、ルカが書いた使徒言行録の結びにあるような、ローマで「全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた」等という平穏な最後ではありません。パウロの最後は「よせばいいのに」という周囲の反対の声を押し切って、わざわざエルサレムに単身乗り込んで行きます。案の定、捕まって殺されます。パウロは殺されるのを知っていてエルサレムに乗り込みます。それはなぜか?三度の伝道旅行で集められた献金を、困窮状態にあったエルサレム教会へ届け支援するためでした。それともう一つ大切なことを成し遂げるためでした。自分を殺そうと付け狙い、キリスト教会と対立関係にあったユダヤ教との和解のためでした。殺されるのを知っていて、パウロは困難な者への支援者として、和解の使者として生きていく。それはまるでイエスがパウロに乗り移ったような姿です。パウロの凄さは、書いた文章や発した言葉ではなく、まさに神への応答という歩みに現れていきます。
 それと関連してボンフェッファーという人がこんなことを語っています。「イエス・キリストの地上でのご生涯は未だ終わっていない。この生涯をキリストに従う者達の生活の中で、さらに生き賜う」。イエスを献げるほどに私達を愛して赦して下さる神は、私たちが躓いても転んでも常に、用いて神の業へと向かわせていきます。「成長させてくださったのは神である。」(6節)パウロの歩みと生涯からにじみ出た証の言葉に、人を越えていく神の導きや支えを見つめていく大切さを学びたいと思います。一人一人の全てを引き受けて救うイエスの十字架によって、私達は、神が育てて下さる畑とされ、神が作り上げて下さる建物とされ、イエスが現れていく命を授かっています。私達皆が、イエスを通して神の大きな愛と信頼に包まれています。これにどう応えるのか?その模索と実践が信仰者として生きるということ、また教会の歴史を綴るということです。

2021年6月6日

「生命の相」
エフェソの信徒への手紙4章1~6節


 エフェソの信徒への手紙は、パウロが獄中からエフェソ教会へと書き送った手紙であるとされてきました。ところが、この手紙は獄中で書いたものですが、パウロの死後、彼の同労者がエフェソへと送ったものであると言われています。つまりこの手紙は、パウロがエフェソ教会に残した遺書的な手紙であるのかも知れません。
 死期が近づくパウロは4章の冒頭で、次の様な表現をしています。「主に結ばれて囚人となっているわたし」。これは、イエスによって捉えられている自分、この世の力によって牢獄に捉えられている自分という、二重の「被り・ひ」の体験を語っています。信仰は教義や制度を固守することで究極的な生き方をするのではありません。むしろ、今ここに存在を赦されているという「被り」(こうむり)の体験が、自分を越える神の存在を自覚させ、証することへと促されていきます。この二重の被りには不自由さと自由さが表現されています。
 創世記の1章に神が人間を創造された物語の下りに、次のような表現が綴られています。「神は御自分にかたどって人を創造された」(創1:27)続いて「その鼻に命の息を吹き入れられた」(2:7)、全く自由な神が不自由な人間存在の中に、ご自分の息を吹き入れられているのです。息とは、漢字で自分の心と書きます。聖書では霊です。つまり神の御心を表現しています。不自由な人間が、自由に生きうるものとされる、そこに神の息が吹き入れられた意味があるかと思います。パウロに即して表現すれば、パウロは牢獄に捉えられています。自由を束縛され、この世の「被り」の中で苦しんでいます。しかし同時にパウロは、イエスに捉えられたという神の「被り」の中で、この世の「被り」が打破されていく自由さを語っています。この世の不自由さの中であっても、イエスに捉えられるという神の「被り」は、なお私たちを自由へと導いていくことを証しているのです。
 ところでパウロは、エフェソの信徒への手紙4章で、ではどのように「主の証人」として歩んでいくべきかを、具体的に記しています。「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩みなさい。」(1節)との書き出しで始まる勧告は、「謙遜」「柔和」「寛容」「忍耐」「平和」を求める促しとなっています。これらの促しは全て他者との隣人との関係性を求めるものとなっています。
 さて『平和』という言葉ですが、これは二つのものが一つとなっていくとの意味があります。パウロは更に「聖霊による一致」ということを語っています。隣人との交わりや関わりの中でお互いが励ましあい、時に神の助けを求めていく、この勧めはその歩みの中で初めて確認される恵みであると語っているのです。ですから「一つ」とは、みんな同じになることを示しているのではありません。様々な賜物や種々の働きの中で、それぞれが神の御旨に向かって招かれている、その「一つ」の希望に与るようにとの意味で語られています。
 私たちが生きる現代社会は、パウロの告げるような関係性を作り上げることが、とても苦手な時代となっています。他者を求め、受け入れ理解していくことが非常に困難であり、とても希薄な関係が支配的です。むしろ自分中心に、自己を失わずに、自分に都合のいいことを求めていく、同じ価値観、同じ環境を持つ者同士を求めています。そして、人々を同じ方向にもっていこうとする強い力があることを、私はとても危惧しています。
 ちょっと恥ずかしいことなのですが、実は16、7年前に、コスモポリタンという集英社から出ている女性雑誌の取材を受けました。取材は男性の結婚観でした。取材を受ける前に編集者の方とお電話をし、「私は、性差別の問題やセクシャル・マイノリティーの問題を自分なりに受けとめているので、結婚することが絶対であるとは口が裂けても言えませんよ。結婚なんて考えれば考えるほど、分かりません」と応えたのですが、かえってそれが興味を引いたらしく「いえいえ、それで結構です」と切り替えされてしまい、のこのこ取材に応じてしまいました。
 どうも私への取材が最後であったらしく、何十人にものぼる男性へのアンケート結果やこれまでの取材のことなども話してくれました。私が驚きましたのは、取材を通しての男性の結婚観でした。アンケートの上位を占めるものが「自分を大切にしてくれる人、自分の時間やお金を失わずに済む人、同じ環境の人、母親のように受け入れてくれる人」等々でした。はっきり言って絶句でした。取材をされていた方も顔が引きつっていました。相手から受けることばかり、自分を変えずに済むことばかりなのですね。愛情も相互の応答関係、時に自分を犠牲にして、あるいは相対化して、相手のよいところを尊重し、生かすことがなければ、自己満足に陥ってしまいます。相手を自分の都合のいいように支配することになりかねません。結婚がいつしか相手を自分に同化させる、まるで同化政策のように思えてなりませんでした。
 取材を終えて、思い出す言葉がありました。京都の御幸町教会で長く牧会をされていた藤木正三先生の「神の風景」(ヨルダン社)という著書に記されている言葉です。ご紹介させていただきます。「同じであることと、一つであることは全く別のことです。同じであるものの間には、対立も緊張も分裂もなく、従って発展や成長もありません。生命はそこにおいては存在し得ません。これに対して一つとは、相違するものが対立をはらむ中で忍び合い、譲り合い、理解し合って働き合い、助け、補い合って結ばれていく努力のことであり、創造的な営みとしてまさに生命の相なのです。生命あるものは皆、違っています。そしてそんな一つであることを希求しています。」
 「私たちの教会の姿勢」にもあるように、「多様な人間が一つのキリストの体を形成して行く事の困難を光栄とし忍耐をもって共存し続けます」。ここでも「同じ」ではなく「一つ」と唱われています。
 「愛をもって互いに忍耐し、平和の絆で結ばれて、霊によって一致を保つように努めなさい。」、私たちは神がその命の息を吹き入れられ、心から祝されて、そして生されている存在です。私たちもパウロの勧めを自分の課題として、そして教会の課題として歩んでいきたいと思います。その時、神の創造の業である生命の相が、豊かに輝き出すのではないでしょうか。

2021年5月30日

ペンテコステ礼拝

「片隅からの声」
使徒言行録2章1~13節


 今朝、与えられた聖書の箇所はペンテコステ・聖霊降臨の出来事が人々にとって、あっけにとられたこと、更には、驚き怪しむ出来事であったと伝えています。
 天下のあらゆる国から帰って来た人々、それはディアスポラ、離散の民、ユダヤの人々は外国に暮らす者をそう呼んでいます。外国に住むユダヤ人は、仕事を終え、年をとるとイスラエルに帰ってきました。また、ユダヤの重要な祭りの時は、故郷に帰ってきて祭りを祝ったそうです。聖霊降臨の出来事は、ちょうど、早蒔きの収穫祭「7週の祭り」にあたります。なぜ、聖書はわざわざ「天下のあらゆる国から帰って来た」と説明しているのでしょうか。
 当時、すでにイスラエルはローマ帝国の属州、植民地となっていたからです。時の支配者によって治められた小さな国にすぎなかったからです。時代の流れの中で、栄華を誇った王国も、もはや小さな国となっていました。しかし、神の御業が、この小さな民、しかもイエス・キリストを慕う、一握りの集団から発信されるのは、旧約聖書の申命記にある様に「主が心を引かれて、あなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった」からに他なりません。注目すべきは、神が、もう一度、その御業を、弱く、小さな人々から起こそうとしていること。神の恵みは、小さな一点から流れ出ようとしているのです。教会は、片隅の小さな群れから産声を挙げたのです。
 ところで、聖霊が下り、教会が誕生したというこの日、聖書の昔から聖霊は、ハトや風、炎と表現されてきました。日本のカトリック教会の神父・井上洋治氏は、好んで聖霊を風と表現しています。実際、ご自分が牧会された教会を「風の館」とも命名しています。若き日、この井上洋治神父と共に、同じ船でフランスへ渡ったというキリスト教作家・故・遠藤周作さんの「深い河」という作品は、実は「水の流れの神学」と評されています。言われてみますと、聖書の中で「水」は、バプテスマのヨハネの洗礼が挙げられ、イエスの奇跡でもベトサイダの池の水が動く時、シロアムの池の流れる水など、次々と挙げられます。特に印象的なのは、十字架上のイエスが「渇く」と叫ばれ息を納められたこと。水の流れる様が神の霊を語っています。洗い清め、赦しと、再生、命の誕生が、水の流れとして、たとえられています。
 小説「深い河」で、遠藤周作さんは、主人公である美津子に「愛の河は、どんな醜い人間も、どんなに汚れた人間も、全て拒まず、受け入れ流れます」と語らせています。流れ続ける水にたとえられる、神の力の働きは、祈り続ける、仕え続ける、赦し続ける、人を受け入れ続ける、そんなイエス・キリストの生涯を象徴しています。水に例えられた聖霊は、流れ続けなければなりません。いえ、流れ続けなければ、命を失うということです。
 聖書の地・パレスチナにガリラヤ湖と死海という湖があります。この二つは対照的にそのことを語っています。ガリラヤ湖は、ヨルダン川の水源です。豊かな緑と、生き物の命を育んでいます。命の源です。ガリラヤ湖からヨルダン川へ、自然の豊かさをたたえる様に、その流れはパレスチナ地方を縦断します。
 ガリラヤ湖から流れ出たヨルダン川の水は、死海へと流れます。死海は、ご存じ、地中海の海面下392メートル、世界最低置に位置しています。塩分濃度は海水の約6倍、誰でも水面に浮いてしまう、大変おもしろい湖ですが、何せ塩分濃度が濃すぎるので、周りには草木は育たない、死の世界、まさに死海です。ここに流れ着きます水は、どこへも流れ出ません。死海では一日、水面約1センチの水が蒸発するそうです。ですから、ガリラヤ湖、ヨルダン川と経由して届く水も、ただ受けるだけ、蒸発が激しいので、水位と塩分濃度は変わらないということです。
 ガリラヤ湖と死海が対照的に語りますことは、水は受けるだけではなく流れ出なければ死んでしまうということ。そうです私達が受ける神の愛は、ただ受け取るだけではなく、絶えず与え続けなければならないという逆説がございます。水の流れに例えられる神の霊も、つまり神の恵み、愛、希望も、私達が取り込むだけでは蒸発してしまうということです。神の恵みと希望であるイエス・キリストの出来事は、伝え続けなければ命が生み出されない、水の流れの神学は、そのように私達に教えているのではないでしょうか。
 ペンテコステに吹いた激しい風、炎とたとえられる聖霊は、ある者にとっては希望と力を与えるものでした。しかしある者にとっては、「驚き怪しみ」またある者にとっては「新しいブドウ酒に酔っているのだ」と、怒りと混乱の嵐を引き起こしました。イエスを宣べ伝えるという宣教にあたって、弟子達は共通の言葉もありませんでした。どう語ったらよいか分からなかったと思うのです。彼らは「ただ自分の言葉で語」ったのです。その言葉は漁師たちの雄弁ではないが、自分の言葉でした。それは弱々しい一歩でした。ペンテコステから始まる彼らの道のりは長く険しかったのです。しかし弟子達は、一人一人にあるイエスへの誤解と裏切り、十字架において示されたイエスの愛と復活の力、その一つ一つが痛いまでに己の身体に刻み付けられた恵みを、口ごもりながら、ひっかかりつっかかりながらも語り続けたのです。彼らのそんな取り組みは、産声をあげたばかりの小さな共同体を豊かにしました。神の前にある人間という深みと幅をもたらしました。縦横の振幅は様々な状況におかれた人々を、この後、招き入れていくのです。
 「あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった」、打ちひしがれる者、苦しむ者、悩む者、悲しむ者へと注がれる聖霊、そして神の愛は小さな群れから流れ出て行くのです。この世に希望と、勇気と、愛を届ける力が、小さな群れから発信されて行くのです。
 そして何よりも、主は、すでに私達にその力を与えて下さっているのです。神の霊の流れを、私達の中で止めてはなりません。弟子達が様々な言葉で語り始めた様に、私達もそれぞれの表現をもって、それぞれの取り組みをもって、それぞれの讃美をもって、イエスの出来事を発信していきたいと思うのです。
 その様な者として私達一人一人が用いられますよう、ペンテコステのこの日、共に祈りを合わせましょう。

 2021年5月23日

「信仰の豊かさ」
エフェソの信徒への手紙3章18~19節


 色々な国の言葉に触れたり、学んだりしながら、ふと表現しきれない日本語が持つ微妙な言葉に気づかされます。例えば「美」という言葉です。英語でもビューティフル、スタイリシュ、キュート、ラブリー、ハンサム、最近ではクール等と沢山の言葉によって表現されます。日本語の「美」には、そこに微妙な深さや奥行きが込められます。京都にあります桂離宮の簡素な美しさを、単なる「美」と表現せずに「雅」と表現してきました。東京の下町に見られる人間の生き様は「粋」と言われてきました。もちろん、他国の言葉にも日本語で表現できない沢山の微妙な言葉があると思います。聖書では「信仰」という言葉「ピスティス」には、実に様々な意味があり、聖書は様々な角度から、この「ピスティス」を表現している書物と言えます。ちなみに「ピスティス」とは「信仰」ですが、本来は「信頼」また「信愛」という意味を持つ言葉です。
 日本で40年間、「死生学」を教え続けたアルフォンス・デーケンさんが、引退と同時に「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」(新潮社)という著書を出版されています。この本の中で、デーケンさんは、病院やホスピス、高齢者施設、あるいは最近の社会の現状から、肉体的な死ではない、様々な死の側面を示唆しています。
 まず一つ、例えば病院や高齢者施設で、生きる喜びを失ってしまった人を時々見ます。肉体的には未だ死んだ状態ではないのに、死を迎えたような状態だということです。これをデーケンさんは「心理的な死」と呼んでいます。次に、例えば高齢者であるとか病人に関わらず、社会との接点が失われて、外部とのコミュニケーションが絶えてしまった状態があります。社会や世界で起こっている様々な問題に、自分は関係ないと言い切る人も、これかも知れません。デーケンさんは、そのような状態を「社会的な死」と言えると述べています。さてもう一つですが、生活環境を含む、様々な環境に一切の文化的な潤いが無くなることです。音、視覚的なもの、感覚的なものに一喜一憂し、様々な感情を抱くことのできる営み、音楽、絵画など様々な文化的な潤いが無くなること、それをデーケンさんは「文化的な死」と表現しています。
 パウロは「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか理解し、人の知識をはるかに越える愛」と表現しています。信仰は人間の生と死と切り離すことは出来ません。私は、デーケンさんの様々な側面からの死へのアプローチから、様々な側面からの信仰へのアプローチという視点を教えられます。信仰も心理的なものだけでは、パウロが語る、人の知識をはるかに越えるイエスの愛を感得することは出来ないと思います。
 とかく日本の一般的なキリスト教会は、心理的な面ばかりを強調します。というよりも社会的なもの、文化的なものを切り捨てて、信仰は成り立つと本気で思いこんでいるようです。非常に閉鎖的であり、かつ独善的です。ご存知のように、それが今、世界で抱えている大きな問題でもある訳です。
 笠原芳光さんという方の「イエスとはなにか」(春秋社)という著書があります。聖書学者からはじまって、思想家、文学者、音楽家、芸術家との対話を通して、様々な分野からイエスを考えるという本です。日本のバッハ研究家・磯山雅さんが、この本の中で対話をされています。
 バッハは「マタイ受難曲」の中で、イエスの十字架の直後に、帰って来た放蕩息子の場面を挿入することで、イエスを知らないと拒絶したペトロとイエスを裏切ったユダを、一対として赦していると、磯山さんは強調します。つまりバッハは、イエスの十字架はユダさえも赦していると理解しているわけです。
 宗教音楽というと、とかく美しい曲や安らかな曲を聴いて心が癒される、慰められる、心が晴れるというレベルで聴かれることが多いと思います。けれども本当に宗教的な態度というものは、自分自身と自分を取り巻く世界との罪に向き合うことです。その厳しい体験の上に、赦しへの確信と希望が生じ、新しい存在への解放が始まっていくのです。バッハの受難曲をはじめとする教会カンタータには、そうしたダイナミックなプロセス・過程があり、私たちは音楽に乗っかるように、それを体験できるというのです。
 このバッハが提示したプロセスは、普遍と表現できるものであり、狭い意味でのキリスト教の歴史、あるいは教会での信仰理解、更には神学さえも遙かに超え出ているように思われます。正に、心理的、社会的、そして文化的な信仰理解を可能な限り表現したものではないかと思います。
 バッハにとっての信仰とは、絶えず捉え直されるべきものであって、懐疑や苦しみの中から再獲得されていくものとも、磯山さんは捉えています。バッハの教会音楽作品は、これを信じなさい、あれはダメだではなく、イエスや神をどう信じていけるのか、そのプロセスとして音楽と共に体験するようになっているということです。バッハが教会の礼拝を通して、沢山の教会音楽を書いたのは、信仰を新しく再獲得する場にするためだったというのです。イエスの言葉と振る舞いの広さ、長さ、高さ、深さに、どれだけ自分自身の生き様を織り込んでいけるか、バッハの問いはそこにあります。
私たちも神の前に招かれることを通して、常に新しくされ、イエスの愛の広さ、長さ、高さ、深さをしっかりと味わい知る者へと導かれたいと思うのです。

 2021年5月16日

「キリストの香り」
コリントの信徒への手紙二2章14~17節 


 今日、五月の第二日曜日は母の日です。アメリカのウエスト・ヴァージニア州のウェブスターという町に、小さなメソジスト教会がありました。その教会に26年間も教会学校の教師をし、子供達のために奉仕されていたジアービスというご婦人がいました。ある日曜日、教会学校の礼拝で「モーセの十戒」の一つ「あなたの父と母を敬え」という言葉に触れ、「あなたがたもお母さんに感謝する方法を考えて下さいね」とメッセージを伝えました。そこには、ジアービスさんの娘さんであるアンナさんもいました。それから年月が流れ、ジアービスさんは天へと召されました。1905年5月の第二日曜日に娘のアンナさんは、母ジアービスさんの記念会を開き、かつて自分の母から問われた「あなたがたもお母さんに感謝する方法を考えて下さいね」という言葉を思い出し、母が庭で作っていたカーネーションの花を記念会列席者に配りました。一輪の花の香りは、生前のジアービスさんを思い起こさせ、人々に故人を想起させるだけでなく、故人が地上でイエスと共に生きた信仰の足跡を漂わせることとなり、列席者に感銘を与えていったと云います。
 後にこの出来事を知った、デパート王といわれたジョン・ワナメーカーは、アンナさんに後援を申し入れ、全米中に母の日運動が広がりました。時の大統領であったウィルソンは、1914年に5月の第二日曜日を母の日を定めました。
 さて、日本では当時まだ森永商店という小さなお菓子屋さんでしたが、今の森永製菓の創設者・森永太一郎さんが、母の日を普及させました。森永太一郎さんは霊南坂教会の教会員であり、森永さんは教会へと働きかけ日本で初めて母の日を教会で祝い、日本社会へと母の日を定着させました。
 私たちの日常生活でも、お祝いや記念の時には花を贈るというのが慣例になっています。また昔から、病院に入院している人にお花をもってお見舞いに行きます。花は心をなごませ穏やかにする力があるといわれています。
 皆さんもよくご存知のことと思いますが星野富弘さんという方がいらっしゃいます。学校のクラブ活動の授業の時に、鉄棒から墜落して首から下が動かなくなり、9年間の病棟生活の中で洗礼を受けられ、その後、社会へと戻っていった時の気持ちを、次のような言葉で表現しています。
 「からだのどこかが人の不幸を笑っている。人の幸せがにがにがしく、少し気にいらなければ、『あいつもおれみたいにうごけなければいい』と思った りする。心の隅にあった醜いものが、しだいに膨らんできたような気がする。からだの不自由から生じたひがみだろうか。自分が正しくもないのに人をゆるせない苦しみは、手足の動かない苦しみをはるかに上まわってしまった。ただ、花を見て、白い紙に向かっている時だけ、その苦しみを忘れる。・・・」
 星野さんは、その苦しみの中から花をみつめ花と出会っていきます。「わたしもこんな素晴らしいものと同じように生かされているのだ。」と気づいていきます。花の美しさとひたむきさから、人の愛や神の愛に気づいていきます。このように、花は確かに「人を励ます」不思議な力があるようです。そして、花はまわりに美しい香りを漂わせてくれます。
 共に喜ぶとは、文言化するのも言葉として発するのも簡単です。共に泣くのも同様です。しかし、心から愛し、心を寄せなければ人と喜ぶことは出来ません。泣くこともしかりです。私たちが単純に考える好きな人を愛することと、イエスが語り、生涯をかけて実践したことは、あまりにも違います。それはまさに十字架の道かも知れません。パウロが語るように自分を打ち叩く生き方かも知れません。人間存在の共鳴は、この社会にあって知的ハンディ、身体的ハンディのある子供達も、そして私たちもまた、神によって生かされ、育まれる一輪の小さな花であり、出会いという時と場の共有が必要不可欠だからです。
 花は咲くまでに時が必要です。咲く時期も違います。花は与えられた時を蒔かれた場で過ごします。場は多くの人々の献身的な奉仕によって豊かに耕されます。私は知的身体的ハンディある子供達にも、神が美しく咲かせて下さる花の可能性を感じています。そこに「普通である。健常者である」ことを越える賜を信じています。自分自身という花を咲かせることにやっきになる生き方を戒め、他者という神が蒔かれた種であり、イエスが育てて下さる花を育みなさいとの声を、自分の戒めとして聴いています。
 イエスはよく、花の譬えをもって人々に話をしました。ご自身のことを「谷のゆりの花」のような存在であるとも語っています。チクチク刺すいばらのような私たちの世界。それは自分のためには人を傷つけたり、陥れたり、自分を誇るために、相手の悪口をいったり、相手の心を苦しめたりしてしまいます。しかし、そんな私たちの弱さを担って、十字架にかかっていったのがイエスです。イエスを慕う多くの人々は、そんな、ゆりのようなイエスの姿から、愛の香りが漂い出たことを胸に刻み、応答していきます。そしてイエスを信じる信仰者は、イエスのような香りを人々に証しよう、伝えていこうと祈りをもって踏み出していきました。
 イエスの愛に触れたパウロも、その愛の香りを出かけていく先々で、生活の場で広めていくことを心がけ、生涯を捧げていきました。パウロは更に、私たちに、そのように生きることを勧めています。花の香りのように、皆を力づけ、慰めていく働きを私たちに求めています。
 私達は取るに足りない、見向きもされない小さな道端の草花かも知れません。しかしそんな小さな草花をこそ、イエスを献げるほどまでに愛し、赦し生かされている神の出来事を胸に、命から命へと至る香りをこそ、この教会から人々へ、地域へと伝えたいと思います。そんなイエスの香り溢れる歩みが生来しまうように、共に祈りを合わせたいと思います。

 2021年5月9日

「共にみ前に立つ」
マルコによる福音書2章1〜12節


 大分前のことですが、女性週刊誌をなぞらえて「なあぶる」という出版社から「週間 聖書」なる本が出ています。本当の週刊誌ではなく、1回限りのものでゴシップ誌のように聖書の出来事を紹介しているものです。
 たとえば、山上の説教の場面ですが、「潜入レポート!イエス説教現場。イエスは宗教改革者か、それとも異端児か?山上の説教の内容を全入手!」なんていう見出しがあり、週刊誌よろしく公告も掲載されています。「ピリリと辛い 地の塩!天然にがり」とか「イエス説教ツアーガリラヤ紀行6日間!お一人様5デナリ、2名様9デナリ」。
 今日の聖書の箇所もこんな風に紹介されています。「難病、奇病、悪霊憑きでお悩みのあなた、あきらめてしまってはいませんか?信仰心に応じてみるみる治る。ご希望の方はガリラヤ地方のイエスまで。安息日なしの年中無休で受付中!」。
 そして聖書に登場する中風の者を連れてきた一人にレポートしているかの様にインタビューが書かれています。その記事をご紹介したいと思います。「なんとかあいつをイエスって人に診てもらいたいと思ってね、飲み仲間4人でイエスのいるところに運んで来たんだよ。ところが大した人気ぶりで、なかなかそばに連れていけないんだよね。悪いとは思いながら、しかたないから家の屋根を剥がしてそこから友達を吊り下ろしたんだよ。そうしたらイエスさんは一言「あなたの罪は赦される」って云うんだね。それを側で聞いてた連中が「神でもないのに、おかしい。冒涜だ」とかギャアギャア言い出してさあ。そうしたらイエスさんは「起きあがりなさい」って云うんだよ。まさか寝たきりの病人にいきなりそれはないだろうと思ってたら、友達は元気に起きあがるじゃないですか。もう本当にびっくりしたねえ」(ユダヤ人男性自由業Dさん)。
 かなりふざけているかも知れませんが、この描写はイエスがいやされた場面の本質を押さえているかも知れません。一人の苦しんでいる人がいる、その人を見てなんとか助けたいと願っている4人の人たちがいました。イエスはその人たちの必死な姿をご覧になり心動かされました。本当に彼らの思いと行動は、しっかりと堅く結ばれた姿でした。それは神の御心にかなうことだとイエスを動かしました。
 確かに他人の家の屋根に穴を開けて病人を吊り下ろした彼らの行為は問題であったかも知れません。まあイエスが大工の息子だったから、その事後処理も問題無いのかも知れませんが。また当時、神のみに属する権威であると考えられていた罪の赦しを宣言したイエスも、時の権力者達からみれば常識はずれであり、神を冒涜するものであったかも知れません。
 エーリッヒ・フロムという人は「愛するということ」という本の中で「愛するということも一つの技術であり、それを究極の関心事としなければ、本当に愛を求めることはできない」と語っています。私はこのフロムの語る一句に自分自身つくづく考えさせられます。フロムのいう愛は能動的な愛することです。しかし私達はいつも受動的な愛されたいという思いに支配されます。私達は人を愛するよりも、愛されたいと思います。人を良く見たい、人を良く思いたい、いいところを本当に評価したいと願いつつも、自分が人に良く見られたい、あの人にいい人だと思われたい、どちらかというと自分が中心で人から愛されたいに重点が置かれ、多大なエネルギーを費やしています。愛されたいとの願いは決して間違ってはいません。誰もが根本的に持っている「人に愛されたい」という魂の叫びです。さらに人は愛されなければ生きてゆけません。愛される喜びを知らなければ、人を愛する心を学べないのかも知れません。
 ということを思いめぐらしていきますと、結局は堂々巡りで自分自身を肯定するようです。「愛する」よりも「愛される」ことを願い、そこに安住してしまいます。
 しかし私達は今一度、私達を心から愛されたイエスに心と暮らしとを開きたいと思います。一人の苦しむ者のために必死になる姿、常識はずれ、とんでもないと云われて続けても助けたいという熱い思いをはじけさせている4人の人物、ここには私達を心から愛するがゆえに、常識はずれの十字架へと歩まれたイエスの思いが溢れてはいないでしょうか。
 神にイエスに心から愛されているということを日々の暮らしの中で思い出すこと。それが信仰者の第一歩ではないでしょうか。
 イエスは私達がこだわる様々なもの、評価、富、権力等々から自由にされ、隣人と共にみ前に立つことへ招いておられるのではないでしょうか。人に愛されたいと固執してしまう私達を、人を愛して生きることへと招いておられるのではないでしょうか。それぞれの生活の場で、私達を招く主の声があることに心を傾けつつ歩みたいと思います。その時、私達も神の愛の中を生きる人生が生来するのではないでしょうか。

 2021年5月2日

「イエスは我等を知っている」
ヨハネによる福音書10章7〜18節


 ヨハネ福音書が書かれた紀元後90年代は、イエスという神の光が与えられたクリスチャン達にとって、ユダヤ教徒からの迫害に合う時代に生きています。それをヨハネ福音書の著者は光と闇と表現します。このヨハネ福音書に見られる特徴的な表現は、この世に相対する二つの存在があることを、私達に告げています。ヨハネ福音書の背景にございますヨハネ教会は、十字架にかけられたイエスを、自らの救い主と告白したゆえに、ユダヤ教徒から迫害を受け、シナゴーグ・いまでいう会堂から追放されるという出来事に遭っています。
 追放された信徒達が羊として語られることは、大変、示唆に富んだものです。なぜなら羊は弱く、周りには危険がたくさん潜み、困難の只中におかれていることを表現しているからです。だからこそ、羊飼いは、羊と寝起きを共にし」、外敵から守ります。余談ではございますが、どうして羊は群をなすのでしょうか。羊は大変目が悪いと云われています。極度の近眼で、自分の前の羊の「おしり」までしか見えません。ですから、当然、前の者の姿を追ってゆくので、群をなすわけです。でなければ、すぐに迷子になってしまうのです。その代わり、耳は大変に発達し、声を聞き分けると言われています。羊飼いが愛情を込めて一匹一匹の羊の名前を呼ぶ時、羊はハッキリとその声を聞き分けると言います。羊にとっては、羊飼いとの愛と信頼が、この世での命の綱と言えるでしょう。
 ここには、対立する世の現状、苦しみと悲しみ多い世界にあって、羊の極度の近眼に象徴されるように先が見えない時代であり、故に不安や恐れに揺れ動きながらも、イエスに繋がって歩み抜きなさいとの奨めがあります。励ましと慰めの源こそが、羊飼いである主の愛と信頼という命綱であり、ヨハネは光と闇の対立する世にあっても、主イエスが危機的状況にある信徒と共につながっていて下さることを告げています。
 福音書で使われている「知る」という言葉は「愛する」と同義です。イエスは自分の羊を知っている、愛していると宣言されます。けれども、雇われ人は狼が来ると羊達を見捨てて逃げてしまうと語られました。この世の論理は狼の論理かも知れません。社会学者の山田昌弘さんが、著書「希望格差社会」(2004年、筑摩書房)の中で、生きる希望、将来への希望さえもが不平等で格差が広がりつつあると、警鐘を鳴らしています。強い者だけが生き残ることは、生物学的にも環境的にも滅びます。ですから今の社会は、狼の論理を越えて、本当に弱者が滅び、そして勝ち組やセレブ等と呼ばれる人々をも、いずれ滅ぼす死神の論理かも知れません。
 話は変わりますが、最近自然災害が多くなっています。地球規模での地殻変動か、あるいは気候変動か、毎年の様に各地で被災が起こります。東日本大震災も大変な出来事でした。その前に起こった阪神淡路大震災でも、多くの人々の命が奪われ、家屋や建物が崩壊しました。信仰があり祈っているからといって、教会やクリスチャンだけは大丈夫などという新興宗的な、たわごとは通じませんでした。あらゆる教派を問わず多くの教会と集う信仰者が被災し、信仰ある者の命を奪いました。当時、阪神地区で牧会をされ、その後、神奈川教会で牧会をされ、今は隠退をされている坂口吉弘先生に震災の時のことを伺ったことがあります。
 震災に遭った阪神地区の教会は、「地域の復興なくして、教会の復興なし」と宣言し、全国から捧げられた献金を、自分たちの教会の為に使う前に地域の為に使いました。地域に住む多くの人々の様々な生活の為に教会の施設と敷地が開放されました。
 坂口先生は、こんな事をおっしゃられました。「地域や社会と一歩引いていた人が、地域等という大げさなことでなく、近くに住む人々の輪に入ってこられたこと。たとえどんな人であれ、孤独だった人が人と繋がることの場が、思わぬ出来事で与えられたことが、本当に忘れられない」とおっしゃられました。
 震災という惨事、苦悩を通して、人と人との垣根や枠組みだけでなく、辛さと悲しみというものは、私たち個々姿、ありのままの真実の姿を露にするのかも知れません。その中で、真実の姿と姿の出会いと共有は、立ち上がる力の源となるのかも知れません。
 星野富弘さんの詩に次のような詩があります。「喜びが集まったよりも、悲しみが集まった方が幸せに近いような気がする。強い者が集まったより、弱い者が集まった方が、真実に近いような気がする」。
 イエスを知っている、愛しているという信仰者の集まりが教会です。ところが、苦悩や悲しみに出会うと、途端に逃げ出し、我が身の安全だけを計るのが私たちの現実です。しかしそんな私たちの現実を知っている、愛していると宣言されるのがイエスという羊飼いです。私たちの、どうすることも出来ない現実を知っていて下さる、愛して下さる、そんな幸いを確認するところこそが教会です。
 それぞれの一人一人の個々の真実の姿を露にしつつも、その営みの中で、真実の姿との出会いと共有は、復活の立ち上がる力の源となるのです。挫折のペトロ、懐疑のトマスを招かれた、復活のイエスの真実は、過去の過ちや失敗におびえる私たちに、再び神の力を注がれる幸いに預かる恵みです。私たちを知る、愛すると云われるイエスは、私たちに向かって、限りなき恵みを賜っておられるのです。その出来事に気づくのが、復活節です。今は、己を捨てたイエスの出来事が自らの身に起こり、新しく生きる喜びに預からせて下さいと祈る、そのような日々ではないでしょうか。

 2021年4月25日

「旅の途上で」
ルカによる福音書24章13~35節


 イエスと出会った弟子達を始め、最後までイエスに従っていた女性達は家も故郷も、仕事も捨ててイエスに従ってまいりました。誰よりもイエスを慕い、イエスを愛していたと思われます。しかし、そのイエスはユダヤ社会の支配層の人々、ファリサイ派、律法学者、祭司達の策略によって十字架にかけられ殺されました。愛するイエスを失った絶望感、それは愛すべき者がいないという、愛の喪失をこそ弟子達、最後まで慕っていた女性達は経験しました。
 さてイエスの十字架の死の後、二人の弟子がエマオに向かって話しながら歩いていました。するとそこへイエスが現れました。始めこの弟子の二人はイエスだとはわからなかったと聖書は言っています。16節に「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とその理由を述べています。「遮る」という言葉には「ふさぐ、課せられる」という意味があります。
 新約聖書では、とりわけルカ福音書ではこの言葉は緊迫した状況で使用されますし、パウロがこの言葉を使うときには、強制的、必然的にそれが課せられるという意味で使われています。つまり言葉の使用状況から、二人の弟子は緊迫した状況の中で強制的に何かを課せられていて、イエスだとは分からなかったということになります。何を弟子達は課せられていたのでしょうか?
 弟子達は恐怖におののき、信じること、希望をもつこと、そして愛することが閉じこめられています。聖書でイエスだと分かるということ、イエスだと理解することは、すなわち信ずること、愛することへと開かれることが意味されるからです。
 私たちも遮られることがあります。突然の悲しみや苦しみは目の前を遮ります。今の新型コロナ・ウィルスの感染拡大状況も、一年も前から続き、未だ終息の気配すら感じられません。これが一体、いつまで続くのか出口がさっぱり見えません。
 聖書が描く一行、二人の弟子は、もしかすると私たちかも知れません。弟子達、すなわち私たちも、エマオという人生の先へと向かって歩いているようです。自分のこれまでの歩を振り返りながら、同時に今朝は十字架へのイエスの足跡を振り返りながら、これまでの自分と聖書が伝える一切の出来事を話しながら歩いていることを思い浮かべて下さい。そこに復活して「イエスは生きておられる」という声が届けられました。それは何時なのでしょうか?誰からなのでしょうか?
 イエス・キリストは何時、誰だか分からない様に囁いているようです。今は誰だか分からない、見知らぬ人物です。二人に対して、イエスは「ああ物わかりが悪く、心が鈍く、預言者たちの言ったことを信じられない者達、」と言い、全てを説明されました。
 さて、目指す村へと近づきつつ、もうすでに夕暮れになったので、二人は「一緒にお泊まり下さい」とイエスを無理に引き留めました。イエスはとどまり、その食事の席でパンを裂き、讃美の祈りを捧げて二人に渡しました。すると弟子の二人は目が開け、今まで一緒にいた方がイエスだと気付きました。二人は「道で話しておられるとき、私達の心は燃えていたではないか」と語り合いました。彼らはすぐさま、出発し、つまり一歩を踏み出し、イエスを証しし始めました。まことに不思議な出来事です。
 エマオへ向かう二人の弟子はイエスについての一切のことを話し合いながら、それを思い起こしながら歩んでいたと言います。決して楽しい話ではなかったようです。17節を見ますと「二人は暗い顔をして」とあります。イエスのこと、その十字架の出来事を語り合うということは、つまり自分たちの辛い経験、悲しい出来事を話し合っていたということ、彼らは自らの経験した、恐怖と愛する者の喪失という痛ましい出来事を問い続けているのです。イエスはそこに共におられました。
 しかし、今、自分たちの前に現れた方が誰だか分からなかったのです。見知らぬ者であったのです。
 私達も教会でイエスの十字架と復活の出来事を聞き、そこに祈りを合わせ讃美を捧げます。しかし、本当に、私達を襲う突然の出来事、苦しみや悲しみは、その喜びを凌駕してしまうほどに、恐怖となって私達の前に立ちはだかります。強制的に課せられたもの、緊迫した中で遮られてしまうほどに、私達の信仰の目をふさぎます。自分と共に、いかなる困難や悲しみの中をも歩んで下さるイエスが見えなくなり、自問する事の中で苦しみます。 
 自らの主体の喪失、愛する者の喪失、希望の喪失による悲しみは、本当に心に大きなキズを持つことです。その悲しみは決してなくならないものかも知れません。いつまでも苦しく辛い問いを続けなければならないのかも知れません。
 この聖書の箇所を読み、改めて思わされることがございます。それは、31節の「すると、二人の目が開け」という言葉です。この箇所は「開かされて」という受け身の表現です。神によってという強調がここにはあります。そして見知らぬ人の「パン裂き」という意味の大きさに気付かされます。
 見たり、聞いたり、触れたり、知ったり、理解したりという中ではじめて信じることの出来る私達にとっては、神は未知の存在であり、また見知らぬものであります。しかしその見知らぬ者こそが、私達のためにパンを裂かれる、主が自らの身を裂かれて渡されるということに神の受難の十字架の意味があります。つまり、私達にとっては見知らぬ者が私達のために命を捨てられたということです。名もなき、見知らぬ者が、私達と共に歩み続けられるのです。
 私達は苦しみや悲しみを背負いつつ、それを痛み、問い続けます。しかしその問いと共に歩み、私達の抱えるその問いに自らを差し出される方がおられるのです。主よ留まり下さいとの祈りがなされるとき、聖書が心は燃えていたと表現しているように、私達の大きな苦しみや悲しみのキズをふさぐような熱い神の愛が注がれてゆくのです。

 2021年4月18日

「ペトロの再出発」
ヨハネによる福音書21章15~19節


 
 大変有名なヨハネによる福音書の書き出しは「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という、いかにも深みのある響きで、思想的ですらあります。それに比べますと、今朝の箇所は湖畔で魚を焼いて食べたという場面に続く、とても日常的な描写がされています。ヨハネ福音書の結びとしては、何か相応しくないような印象を受けます。
 この場面はテイベリアス湖、つまりガリラヤ湖です。かつて弟子達が生活をし、またここでイエスと出会い旅立った場所です。イエスが十字架に付けられたエルサレム、敵意と反感に満ちたエルサレムとは違って、故郷のガリラヤは平和で静かだったのでしょう。彼らは漁に行くといって、船を出しました。しかし全く収穫はありませんでした。得たものは疲労と不満ばかりでした。
 夜が明けた頃、一人岸辺に立つ人物がいました。その人は「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」といい、見知らぬ人物の言うままに網を下ろしますと、大量の魚が捕れて、舟が沈みそうになったと聖書は不思議な出来事を伝えています。
 かつて弟子達がイエスと初めて出会った時と同じ出来事がイエスの復活の後にも繰り返されています。どちらの描写も弟子達=漁師達が自分たちの知識や経験に基づいた努力が失敗する、挫折するという出来事を告げています。そして非常識とも、愚かとも思われる再度の挑戦で収穫を得ていくという展開もかつての出来事と同じになっています。常識や経験が通じず、イエスの言葉だからという理由で行動に起こすことは、一見、愚かなことと見えます。しかし、それに続く湖畔でのイエスとの朝食は、イエスと共に歩む最後の出来事ではなく、これが始まりであることを告げています。ヨハネ福音書の最後に記されたこの物語は、エピローグではなくて、プロローグなのです。
 イエスが逮捕された晩、弟子の一人であるペトロは、大祭司官邸の中庭で火にあたっていました。その彼は三度もイエスを知らない、関係ないと否定しました。きっと十字架で終わっていたのなら、彼はユダと同じ道を歩んだかも知れません。イエスが復活されたと聴いた時、ペトロはいたたまれなくなり、自己嫌悪に襲われていたはずです。自らの弱さや破れ、そして裏切りの場であるエルサレムから逃げ出して、ガリラヤ湖に帰って来ていたのでしょう。
 さて大量の奇跡の後、ペトロはやっと岸辺に立つ人物がイエスだと気づきました。急いで陸に上がったペトロは、きっとぞっとしたに違いありません。イエスは火にあたっていたのです。あの晩にイエスを否定したと同じ状況でした。そしてイエスはペトロに質問しました。ペトロが否定したと同じだけ、イエスは彼に質問したのです。「私を愛するか」。イエスはペトロが三度否定したこととは全く逆に、確かめる様に彼を三度、繰り返し受け入れ、新しい使命を与えられました。
 世間の常識、私達の経験では、ペトロは完全な失格者です。同じ使命を与えることは言語道断です。考えられないことです。否定し逃げ出した彼の過去は信頼できる姿ではありません。しかし、弟子達の先頭を歩まれて、弟子達を導いてきたイエスは、そんなペトロに、イエスに代わって先頭を歩き、群を導くように重い務めと責任を任して行きます。とんでもないイエスの召命に本人ペトロは「悲しくなった」と言います。イエスと再度真向かうことで、ペトロはいやという程、己の悲しさを味わっているのでしょう。
 児童文学者の清水真砂子さんという方が「もうひとつの幸福 挫折と成長」という著書の中で、芹沢俊介さんが語る「三重の肯定」を自らの視点に置き換えて次の様に語っています。「三重の肯定」とは、この世に生まれること、家族が存在すること、どのような身体か、どんな性かは自分の選択ではありません。そしてそのことを自ら選び直すこと、清水真砂子さんは受け身であるこれらを考え直す大切さを語っています。選択の余地がない自己の存在、人との関係、そしてその人だけに与えられた身体的特徴というこれら三つのことは無自覚的です。自分がこの世に生まれたという存在の意味を能動的に捉え直すことは、実は大変重要で、受け身の状態から自分を解き放つという成長の芽が隠されていると清水さんは云います。
 ペトロに真向かうイエスは「何もかもご存知だと」云います。イエスの前で悲しくなったペトロの姿には、自分は何だったのだろうか?イエスとの関係は何だったのだろうか?自分の良さ賜物は何なのかと、改めて問う中でそれらを見つけられない悲しさ、そしてイエスに何も応えられなかった何も出来なかった悲しさが表現されていると思います。しかしイエスは、彼の存在の小ささを受け留めて行きます。彼を否定するのではなく肯定していきます。関係を捨て逃げ出してしまう醜さをも受容し、本当に弱いペトロ、悲しい程に自分を否定するペトロを受け入れ、彼をもう一度選ばれ行くのです。
 イエスは自分を三度否定したペトロの挫折を、三度の呼びかけを持って肯定し、彼を新しい人生へと用いて行きます。つまづいても、裏切っても、何度失敗しても、どこまでもペトロを肯定するイエスの姿は、人間の挫折のただ中に、かけがいのない賜物と豊かさという種を蒔き続ける姿です。そしてそれを発芽させ育てて下さる神の姿があります。
 神に愛され続けているという存在意義に気づき、裏切り逃げ出しても深い関係を結び続けて下さるイエスに捉えられ、弱さや悲しさを持つ己であるが故に、そのような人々の友であることを選び取るペトロは、古代教会の指導者として多くの信仰者を導いて行きます。復活のイエスは、存在への愛、関係への赦し、かけがえのない特徴や賜物へと祈りを注ぐ、そんな三重の肯定をもってペトロを招きました。ペトロのイースターはここから始まって行きました。
 復活のイエスは、私達一人一人に存在への愛と、神との関係への赦しと、それぞれの個への祈りを注がれています。このイエスへと自覚的に真向かうことを通して私達の再出発、私達の復活の一歩を踏み出したいものです。

 2021年4月11日

「信じがたい事」
マルコによる福音書16章12~18節


 使徒信条に「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人の中から甦り」というくだりがありま区切り線す。
 イエスが死人の内より甦った日は日曜日ですが、イエスが十字架につけられて殺されたのは金曜日で、受難日、受苦日、聖金曜日などと様々に呼ばれています。苦しみと絶望の金曜日と喜びの復活日・日曜日の間に沈黙の土曜日があります。沈黙の日と呼ばれ、これが使徒信条で詠われる「陰府に下った」日です。
 私達が使っています新共同訳聖書の巻末に聖書の用語解説が載っています。そこの「陰府」という欄を見ると「死者が集められる場所で、地下にあると思われていた。この語は旧約では65回、新約では10回使われている。イエスも死後は陰府にくだり、そこから復活することによって死の力を打ち砕かれた」とあります。陰府に下るとは、日本では地獄に落ちるということなのでしょう。つまり日本流に解釈するとイエスは十字架の死後、地獄に落ち、地獄をも神の支配される場とされたということになります。それが死を打ち破るイエスの復活ということです。別の表現をすると、人間の持つ地獄性をイエスが打ち砕かれたということです。「陰府に下る」という表現は、イエスが地獄の様な人間の有様を十字架の上で担って下さったということ、しかも、人間の死が、暗い世界に行くことではなく、神の世界にいくことにして下さったということです。
 さて、今朝の聖書の記事は、三度も同じ表現を繰り返しています。それは信じなかったということです。イエスは復活し弟子達を始め、多くの人々に出会いました。しかし彼らは、観たこと、聞いたこと、体験したこと、それは個人的なことを含めて、複数の人々による集団的な体験さえも信じなかったと云います。マルコの伝える復活直後の出来事には、信じがたい事を受留められない彼らを、イエスが叱責する姿があります。
 理路整然としていることを信じるのは、非常に説得力があります。しかしそこに隠されているのは、理に適ったことだけを選び取る合理性があります。赦せる人、受留められる人、一緒に歩んで行ける人と生きるのも非常に説得力があります。けれども、赦せる人を選ぶ、一緒に歩める人を選ぶという、自分の枠組みの中で人を選択してゆく姿があります。この様な生き方には、喜びも感謝も生まれてきそうにありません。それはほんの一瞬の出来事であり、自己満足に終始します。逆に、そのような生き方は、時間が経つにつれ、相手に対する批判や失望、非難が噴出してきそうです。信じがたい、愛しがたい、赦しがたい、共に歩みがたい、だから何もしないという生き方が、私達の人生から潤いと喜びだけでなく、意外性に富んだ驚きを喪失させています。それどころか、生きるということは大変なことだ、苦しいことだと自分の人生を自ら地獄と化しているのではないでしょうか。生きることを苦悩に溢れさせてはいないでしょうか。
 信じるという側面には、信じられないという一方の現実を否定する側面があります。逆もまたしかりです。自分自身の中にある弱さに不誠実になります。信じる者が信じられない者を排除してゆく、二項対立の深みへとはまる落とし穴があります。
 マルコが描く信じられない人々とは、実は著者マルコを代表とする信仰者であり、この後に紆余曲折を経て信じがたい事を受留めるようになった人々です。彼らは、いわばマルコ教会の中心メンバーともいえます。マルコによる福音書は本来、16章8節で終わっています。この聖書の箇所は後の時代に付け加えられた物語です。それだけに、イエスの復活を受けとめられるようになってからの、後のことが報告されているのです。
 注目すべきことは、イエスは信じられない人々を、そしてその頑なな心を叱責しますが、彼らを全世界へと遣わしています。信じた者だけを送ったのではなく、信じられなかった者も同様に遣わしているのです。
 京都にある精華大学の学長をされていた笠原芳光さんが「宗教再考」(教文館)という著書の中で「不定形の思想」ということを語っています。「教義や制度や儀礼としての定型の宗教よりも、むしろ不定形なものを評価する。それは近代が定型を構築する時代であったことに対するリアクションといってもよい。国家に対する個と共同体、政治党派に対する市民運動体、人工物に対する自然、機械技術に対する手作り、秩序に対する自由などなど。不定形なるものの新しさが浮かびあがってくる」。
 笠原さんの「不定形の思想」を「不定形の信仰」に置き換えると、マルコの自由さと豊かさに気づかされます。マルコは福音書を通して、しきりに「信ずること、祈ること」を強調します。しかしそれは単なる宗教的な行為を奨励しているのではありません。むしろイエスと出会った人間が、その生を活性化する行為として強調されます。それはまるで神から与えられた命と人生を世の中が固く定型化して閉ざしていくことを拒み、むしろ豊かな広がりを残しつつ未定義に不定形であることをさえ奨励します。
 マルコは、信じられない者をも遣わすというイエスの姿を描きます。不信仰が今朝の箇所では際だちます。しかしここに、絶大なる信頼と力強い信仰が交差されていきます。彼らを遣わすイエスの姿は、彼ら個々の可能性を信じるイエスです。彼らはきっと豊かに導かれるだろう、必ず彼らは大きく用いられるだろうと、神の導きと支えを信じるイエスの姿があります。そして神が創り給う人間の新たな、豊かな命の可能性を信じ、彼らのために祈り願うイエスの姿があるのです。
 信じられなかった彼らは遣わされました。己の現実のただ中で、紆余曲折を経ながら導かれて行ったのでしょう。彼らは後から気づきました。私達が遣わされたあの時、私達のスタート地点には、自分たちに寄せられた「イエスの信仰と祈りがあったのだ」と。今朝の追加された聖書の箇所とは、マルコ教会のイースター後の証が込められているのです。
 人間の地獄性を打ち破った復活のイエスは、豊かに自由に生きよと私達一人一人の可能性を信ずるイエスです。私達の為に心から祈って下さるイエスです。
 私達も彼らの様に、迷いながらも恐れながらも、私達を信じ、私達のために祈り続けて下さるイエスによって一歩を踏み出したいと思います。きっと私達の現実のただ中で、イエスは出会い続けて下さいます。そして私達の命に、人生に、復活のイエスは生き続けて下さるのではないでしょうか。

 2021年4月4日

「光であるイエスを」
ヨハネによる福音書18章28~40節


 ポンティオ・ピラトの総督官邸の中にイエスはいます。その外にはユダヤの当局者たちがいます。その間をピラトは行ったり来たりしています。なぜピラトが官邸を出たり入ったりしなければならなかったのでしょう。
 第一の理由は、ユダヤの当局者たちが官邸の中に入ることを拒んでいたからのようです。「汚れないで過越の食事をするためである」(28節)。イエスの受難週は過越の祭に起こったことでした。彼らは汚れの規定を守っているようです。過越の食事は出エジプトの出来事を記念するためのものです。神に選ばれた民として、清さを保たなければならないと考えていました。聖と俗とをハッキリ分けるという考え方です。
 彼らの守る「清さ」とは一体何なのでしょうか。この後、きっと彼らは「聖なる者」として過越の食卓を囲みながら、神に祈り、神を讃えながら祝うのでしょう。自己義認、自己聖化からは真理は見えなくなるのではないでしょうか。自分で自分を「正しい」として「清い」としていますが、それが残酷な姿をとっていきます。このような人間の愚かなる姿が、イエスの受難を通して浮き彫りにされていきます。教会や私たちの清さ、正しさというものはこの世や社会との乖離によって保たれるものではありません。
 ピラトはローマ帝国の委任によって立てられたユダヤ・パレスチナの地の総督です。ユダヤの当局者たちによって訴えられているイエスを裁かなければなりません。しかしここで描かれているピラトは行ったり来たりで、動揺し落ち着きません。その姿は終始揺らぎ続けています。ピラトは官邸の外に出て行っては、自分に対して強くイエスの処刑を訴える声を聞き、中に戻って来てはイエスの言葉と毅然とした態度の前で圧倒されています。
 まずピラトは外に出て行ってユダヤの当局者たちに向かって言います。「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」(31節)。このやり取りは、二つの枠組みがあることを表現しています。内側での基準と外側での基準の間をピラトは右往左往しているのです。その間にピラトはイエスのことが分かってきます。しかしピラトは官邸から一歩外に出ると、その事をユダヤの当局者たちに強く訴えることが出来ないでいます。
 38節でピラトは「真理とは何か」とイエスに尋ねていますが、同時に「わたしはあの男に何の罪も見いだせない」と言っています。毅然としたイエスの態度と受け答えにピラトは真理を垣間見たのかも知れません。「何の罪も見いだせない」との一言で、イエスへの裁きは終えることが出来たのです。しかし彼はイエスの裁きをここで終わらせることで、ユダヤの当局者たちを敵に回し、ユダヤでの支持を失うことを考えたのでしょう。一旦は垣間見たイエスの真理の姿を、ピラトは自分自身の保身によって見失っていくのです。教会や私たちが二つの基準で行動したり、教会の中と外とを分けて右往左往する時、教会や私たちもイエスの姿や聖書の語ること失ってしまうのではないでしょうか。
 ピラトは「過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている」として、イエスの釈放をほのめかしていきます。ところがユダヤの当局者たちはイエスではなくてバラバを釈放しろと要求します。
 聖書によりますと「バラバは強盗であった」とありますが、バラバはただの窃盗犯ではなかったようです。マルコによる福音書15章7節「暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた」、ルカによる福音書23章25節「暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバ」とあります。バラバはローマ帝国の植民地支配に抵抗するユダヤの民族主義を掲げた過激派組織の一人であったと言われています。今で言うところのテロリスト集団の幹部であったようです。この過激派組織はローマ兵から武器を奪い戦闘を繰り返していたそうです。武器を強奪する手法は今も昔も変わらないようです。ローマ帝国への抵抗組織は民族独立を願っていたユダヤ人にとっては支持されていたそうです。
 ピラトとしてはバラバを釈放する訳にはいかなかったはずです。しかしどの福音書も民衆がバラバの要求を強く訴えるので、ピラトはしぶしぶバラバを釈放します。ユダヤの支持を失うことを恐れたピラトの保身でした。
 最初はユダヤ当局者たちのイエスへの憎しみや怒りでしたが、そこにユダヤの熱狂的な民族主義・ナショナリズムが加わっていきます。総督であったピラト一人では止められなくなっています。このバラバを求めていく人々のあり様には、憎しみや怒り、報復、そこから生まれる果てしない暴力、テロ、戦争に突き進むような危険な姿があります。こういう人間の姿がイエスを十字架へとつけていくのです。
 ちなみにポンティオ・ピラトは紀元後26年から36年頃までユダヤの総督でした。イエスの死後、数年でユダヤの総督ではなくなっています。難しいユダヤの地から去って行ったのでしょう。そしてこの20年後には過激派組織主導のもと大規模なローマ帝国への抵抗運動が起こり、エルサレムは徹底的にローマによって破壊されます。抵抗運動はユダヤ戦争にまで発展し、多くの人々が犠牲となり、ユダヤの信仰的なシンボルであったエルサレム神殿も失っていきます。
 イエスというユダヤ教の基準に合わない存在への憎しみ、そこへ熱狂的な民族主義が加わり、イエスが十字架へと付けられていく流れを、どの福音書も描いています。そしてその約20年後に戦争が勃発していきます。福音書は4つ全てがユダヤ戦争後に書かれています。福音書が描くイエスの十字架の出来事は人間の罪の赦しだけではなく、暴力によって起こる報復の連鎖や戦争へと突き進む人間の愚かな姿をも伝えています。神の出来事と人間の出来事が二つ同時に編み込まれています。これが「私たちの教会の姿勢」で唱われている「私たち人間の生の現実の重荷を見つめながら、聖書をテキストとして最後まで神信仰に立つ事を志します」という一句に立った「テクスト」として聖書を読むということです。
 ヨハネ福音書は「光は闇の中で輝いている」(1章5節)と初めに宣言しています。神の光であるイエスはこの世という闇の世界で輝いているということです。教会はこの世に属していますが、教会は光であるイエスを教会の頭としています。教会がイエスの十字架による罪の赦しである希望を宣教するのであれば、同時に十字架の出来事に描かれている争いや対立、戦争へと突き進む愚かな人間の姿をも戒めていく使命があるのではないでしょうか。
 争いには和解を、対立には共生をこそ訴えて続けつつ、イエスは、光は闇の中で輝いていることを、私たちもしっかりと証して行きたいと思うのです。

2021年3月28日

「あなたのために祈っている」
ルカによる福音書 22章31節~34節


 昨年12月の始め頃のことですが、私が勤めている学校の、校長先生が、お孫さんからもらった手紙を見せてくれたことがありました。内容がかわいらしく、なんだか元気が出たので、最初にご紹介させていただきます。小学校3年生の女の子の手紙です。
「お元気ですか。東京では800人の感染が確認され、2月か3月くらいには、1000人にもなっているというよそうもついています。今ではマスクや3密もあたりまえになっています。悲しい現実ですが、ママの笑顔を見ると、なんにもなかったような気持ちになります。みつよちゃんもぜひためしてみてね。またおあいしましょう。」
みつよちゃんというのが校長先生で、お孫さんは「おばあちゃん」ではなく「みつよちゃん」と呼んでいるそうです。
 昨年の12月は後半に入ってどんどん感染者が増え、東京で2500人近くまでになりました。その少し前に届いた手紙でした。緊迫した、不安な空気がまたいっそう強くなった時期でしたので、この手紙に、とても気持ちがなごみました。この手紙にはかわいいいイラストと共に「人の笑顔はコロナの弱点!」と書いてありました。「笑顔はコロナの弱点なんだ」って、いい言葉ですよね。「ママの笑顔を見ると、何にもなかったような気持ちになる」というのも素敵な言葉です。今年度は、本当にコロナに翻弄された1年でした。人とのコミュニケーションが感染を広げるなんて、やるせない、悲しいことでした。でもだからこそ、人が人を思うこと、笑顔を送りあうことがどんなに大切かを実感したように思います。まだしばらく不安な日々が続くでしょうが、笑顔を忘れずに過ごしたいです。
 話は変わりますが、昨年5月に、私が学生の頃通っていた京都の錦林教会で、当時牧師をされていた牧師先生が天に召されました。緊急事態宣言が出ていましたので、その時は告別式にも行けず申し訳ない思いでした。その頃の教会には、学生がたくさんいて、神学部の学生も多くいたのです。その中の一人で、今、新潟にある敬和学園というキリスト教学校の校長をしている女性がいます。同じ時期に錦林教会に通い、青年会で活動し、一緒に教会学校の教師もした友人です。時々敬和学園の新聞が届くのですが、先日の新聞にはその友人が「心をかけて育てられた」という題で、亡くなられた牧師先生の思い出を書いていました。
 錦林教会には保育園も併設されていました。京都大学のすぐそばにあったので、アジアやアフリカ各地から来ている留学生のお子さんも通っていました。多い時で10か国以上の国の子どもたちが通園していたと思います。障がいをもった子どもたちも積極的に受け入れていて、今よく多様性という言葉を聞きますが、まさに多様な子どもたちが一緒に生活している保育園でした。
 牧師先生はその保育園の園長をし、また教会学校の校長もしていました。教会学校は保育園の関係もあって、100人近い子どもたちがいて活発でした。教会にはたくさんの大学生が来ていたので、教会学校のスタッフはほとんど学生でしたし、みんな保育園でバイトをしていました。私はある時、牧師先生から教会学校のスタッフをやってみないか、と声をかけられました。自信がなかったのですが、小さい子供が好きだったので、保育園や幼稚園の子どもたちがいる幼稚科というクラスを希望して、そこのお手伝いならということで引き受けました。楽しく1年過ごしたのですが、翌年、牧師先生はわたしに中高科という、中高生のクラスのリーダーをするように言ったのです。「えー、それは無理です。小さな子のクラスならって言ったじゃないですかあ」と訴えましたが、まったく聞いてもらえませんでした。
 中高科は幼稚科や小学生のクラスと違って、全部で8人くらいしかいなくて、みんな来たり来なかったりでした。用意して待っていても誰も来なくてがっかりしたこともありました。でも、夏休みのキャンプで、台風の後だったために思わぬアクシデントにみまわれ、それをどうにかこうにか乗り越えたのがきっかけで、みんななんだかとても仲良くなったのです。メンバーには小児まひの後遺症で左半身にマヒが残っている男子もいたので、その子の特性を理解しながらなんでも一緒にやりました。その内誰も休まなくなり、いつもフルメンバーそろって、教会学校だけでなく、教会の台所を借りてお好み焼きパーティーをしたり、みんなで映画に行ったりするくらい仲良くなりました。高校受験を応援しあい、たくさん話をして本当に楽しかったのです。私は、結局その後も卒業まで中高科のクラスを担当しました。
 私は大学卒業後の進路を決められないでいたのですが、大学院に進みもっと聖書を学んで牧師になり、中高生に聖書を教える教師になりたいと思うようになったのは、この時の出会いや体験のおかげです。
 国籍や、障がいや、さまざまな違いを受け入れ、歩むことは楽しい、ということもこの交わりをとおして学びました。
 その教会には神学生もたくさんいて、みんなそこで育てられました。敬和学園の校長になった友人の文章を読んでいて、あらためて思い返してみると、その頃通っていた神学生で、現在聖書の教師をしている人は、彼女と私を入れて8人もいるのです。北海道、新潟、横浜、神戸、広島、愛媛、と場所も様々です。みんな学生の頃に、その牧師先生の元で、さまざまに用いられ、学び、それが今につながっているのです。
 友達は、学生の時は何て厳しいんだ、そんなこと私にできるわけがない、と反発した時もあったけれど、将来を見据えて、心をかけて育てて下さったのだと、今思い返すと、改めて教えられたことの大きさを感じると書いていました。振り返ってみると、いつも見守られ、祈ってくださっていた、と、ありました。私も同じ気持ちでした。信頼して機会を与え、祈って、見守ってくださっていた、そのおかげで今の自分がいる、と、感謝と共に、なつかしく思い出すのです。
 今は教会歴ではレントの時、イエス様の十字架を覚えて過ごす期間です。来週の日曜日は棕櫚の主日で、その日から受難週に入ります。
 今日の聖書では、最後の晩餐の後、イエスがペトロに声をかけている場面が伝えられています。イエスはやがて自分を裏切ることになるペトロに言いました。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と。ペトロは、すぐに「主よ、ご一緒なら、牢に入っても、死んでもよいと覚悟しております。」と答えました。これはペトロの本心でした。何があってもイエスさまについて行く、と本当に思っていたのです。でもイエスが逮捕されると怖くなって、裏切ります。心に強く思っていても、人としての弱さのために、思いを貫けないことがあるのはよくわかります。イエスは、自分が死んだあと、ペトロがどんなに苦しむか、ペトロの将来を思い、声をかけたのです。やがてペトロには乗り越え、教会の人たちを導いてほしい、そう願い「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と前もって声を掛けたのです。それが今日読んでいただいた聖書の箇所です。これからイエス様ご自身が十字架にかけられ殺されるのに、その死の恐怖の前にあっても、ペトロを思い、祈られた主イエスの深い愛を知らされます。
 私たちも、振り返ってみると、生涯の時々に、深い愛情をもって関わってくれた人がいたはずです。信仰を持つきっかけとなった牧師先生の導きや、信仰の友との交わりがあったでしょう。将来を思い、見守ってくれた家族や、恩師の存在、一緒に成長してきた仲間がいたでしょう。苦しい時に声をかけ、祈ってくれた、かけがえのない交わりや出会いが、わたしたちに生きる力を与え、将来を導いてくれたのです。その交わりに感謝し、これからも祈り合い、笑顔を交わし合う関わりを大切に育てていきたいです。
 そして何よりも、私たちには、十字架にかかっても私たちを愛し抜き、将来を思い、祈ってくださる主イエスが共にいてくださいます。どんな時も、下を向くのではなく、主イエスの愛を見上げて、希望を持って共に歩むことができることは、なんと幸いなことでしょうか。主の愛を心に刻み、これからも歩んでいきたいと願います。
 (祈り)愛する天の神さま、レントの時、あなたの深い愛を心に留め、私たちも周りの人たちと祈り合い、支えつつ歩んでいくことができますように。笑顔で人と向き合うことができますように導いて下さい。

アーメン
2021年3月21日

「宿命を割る」
マルコによる福音書14章3~9節


 新約聖書の中には、名前が記されていなくとも深い感動を与える人物が沢山登場致します。ペトロとかパウロといったキリスト教史に名を残しているような人物とは違って、その名前も伝えられないまま、小さな出来事だけが伝えられている人々がいます。特に女性の場合には、それが際立っているようです。
 女性に対する偏見や蔑視というものがあったことは間違いありません。しかし皮肉なことですが、名が記されなかったために、かえって無名の女性たちの行為は鮮やかに、そして純粋に語り継がれてきたようでもあります。歴史に名を残す人物は、時が経つほどに存在がゆがめられ、伝説化されてきましたが、無名の女性たちの姿は、人々の心にそのままに残されて来たようです。今朝の聖書に登場する女性にも名前がありません。しかし、イエスは無名の女性の行為こそが世界中で記念として語られると祝されています。
 「この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう」、記念という言葉は、アナムネーシスという言葉です。ヴァルター・ベンヤミンという人は、この言葉を、単に故人や昔の事を想起する、記念するのではなく「覚醒的想起」として捉えています。覚醒され、新しく変わって行く復活の命が秘められています。
 さて、シモンの家でイエスは食事の席についていました。重い皮膚病の人の家に入ること、ましてや一緒に食事をすることは考えられないことでした。当時の社会ではこの病気の人は、一般の人々とは一緒に暮らせませんでした。多くの場合、人里離れた山や谷の中で隔離され、ひっそりと暮らさなければなりませんでした。ベタニヤという地名は、貧しさという意味の名です。福音書著者が貧しさという地名にひっかけた、悲しいほどの状況がシモンと無名の女性の背景を語っているようです。ベタニヤという貧しさ、あるいは悲しさを表現する村、そこにある一件の家で、突然一人の女性が何の脈絡もなしに高価なナルドの香油の入った壷を割ってイエスの頭に注ぎかけるという出来事が起こりました。ナルドの香油というものは、インド産の高価な香油でありました。通常小さな壷に密封されて、大切にされていました。実際には、ほとんど使われる事が無かったといいます。日常的に使うものと言うよりも、ナルドの香油は財産のようなものであったようです。もし万一使う事があっても慎重に封がはがされ、わずか一滴二滴が使われた程度でした。それほど大切なものを、なぜ壷を割ってまでイエスの頭に注いだのでしょうか。ナルドの香油は壷を一度割られると、その瞬間から価値を失ってしまいます。事実、一瞬の香りと共に香油は姿を消してしまうそうです。
 女性が割ったナルドの香油は300デナリオン以上の価値があると、周りの人々が計算をしています。当時の労働者の一年間の賃金となります。周りの人々が女性の行為を厳しく咎めたのも無理の無い事かも知れません。
 高価な香油を破棄することは無意味で愚かな事です。そんな無駄使いをするのなら、貧しい人々に施せばいいとは、全くの正論です。事実、困っている人は沢山存在したわけです。その人々のために役立てることは意義深いと言えます。
 私たちの生活や行動は、通常何らかの意味付けや動機があって成り立っています。もしそうした意味付けや動機の無い生活や行動があるとしたら、それは無意味で無駄な生き方と映る事でしょう。しかし、不可解な行動があることもまた事実です。よくよく考えてみれば私たちの生活や行動というものは、何でもかんでも全て意味があり、動機があるのでしょうか。必ずしもそうではありません。時には自暴自棄な、損をする行為があります。これらは価値付けや意味付けの世界から見れば、愚かで無駄なことです。
 8節に「この人はできるかぎりのことをした」という女性の行為へのイエスの言葉が記されています。この8節の言葉を正確に訳すと、「この人は、自分のできる事を待っていたのだ」となります。女性は壷を割る日を待っていたという意味になります。この女性は自分自身を献げる日を待ち続けていたのです。
 私たちはよく宿命とか運命という言葉を使います。多くの場合は、自分自身でそれを受け入れられないような、説明できないような苦しみや悲しみに満ちた出来事に対して使います。ただひたすらに、高価な壷を割らなければならない、何の意味も無い日を待ち続けた女性の人生は、宿命でしょうか、イエスと出会う日は、彼女の運命だったのでしょうか。彼女は、その宿命とも運命ともいうべき高価なナルドの壷を惜しみなく割りました。自分の宿命そのものを割ったのです。イエスと出会い、彼女の宿命、運命が割られ、イエスを十字架へと進ませる使命へと変わったのです。
 惜しむという漢字は、心を昔に向けると書きます。心を思い出や懐かしさ、昔に向けることです。宿命や運命だと昔に心を向けていることから、使命に生きる者へと変えられる出来事が、ナルドの壷を割った女性の出来事です。この出来事は、イエスの十字架への道備えとして位置付けられています。
 イエスの十字架への道、受難の道を、私たちは初めから決まっている神の子の宿命だとか運命だとか勝手に解釈します。それは既に決まっていることだという傍観者的な態度と、何もしなくてもよいという自分に都合のいい距離を保つ態度があります。それこそが心を昔に向けるがごとくの閉鎖的なイエス理解です。
 自分自身を滅ぼす女性の行為とは、イエスよりも先に自らを滅ぼす十字架の先取りの行為であり、イエスの十字架がまさに彼女の行為に応答した主体的な行為であることを告げています。
 歌手・加藤登紀子さんの「さすらいの海へ」という曲の歌詞に次の様な一節があります。「だから一粒の愛が欲しいの。愛という字を心から受けると読むならば」。ベタニヤという貧しさ、「シモンの家」という差別と偏見にさらされる悲しみ、人はそれを宿命、運命と呼ぶ事でしょう。しかし無名の女性は、その宿命、運命を全てイエスに捧げ、壷を割りました。そんな彼女の心をしっかりと受けとめて、イエスは十字架への道を宿命や運命ではなく、自らの使命として進み行かれるのです。
 神は、イエスは人々に愛を注がれるだけではなく、イエスは出会った多くの人々の心を受け、愛を受けとめるが故に十字架へと進まれるのです。それは私たちの心、愛をしっかりと受けとめて下さる神の姿を告げています。一方的な神ではなく、私たちに心を豊かに注がれる、生きた交わりの神なのです。神と人とが互いに応答し合い響き合う中にこそ、イエスは息づき、そんな神に向かって惜しむことなく、心と愛を使って行く時、人生の宿命や運命と呼ばれる苦難が割られ、新しい使命もった器へと変えられて行くのです。

2021年3月7日

「愛を失わない」
マタイによる福音書24章3~14節


 ここ数年、地球規模で大きな災害が起こっています。世界の各地で多くの人々の命が奪われ、家や財産が一瞬のうちに消え去るといった事態に見舞われています。そして昨年から新型コロナ・ウィルスの世界的なパンデミックが起こり、一年が過ぎました。世界中で大勢の命が奪われていきました。
 キリスト教には、たとえば使徒信条の一句にもあるように、イエスが「かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」という終末思想、最後の審判という考え方があります。ところがキリスト教に限らず、世界中に、世の中が乱れに乱れた時や大災害が続くときには必ずといっていいほど、終末思想が浮上してきます。これは世の常といいますか、人間が持っている根本的な心理だと思います。新約聖書の代表的な終末思想はヨハネの黙示録と云われていますが、ヨハネ黙示録はローマ帝国の内戦による混乱と二世紀はじめに起こった地中海地震が背景にあり、その混乱を隠喩的に表現した文学作品です。未来形で現在を表現する黙示文学と呼ばれる、いわば流行文学です。
 今日、皆さんと読んでいます聖書の箇所は、福音書に収められた小黙示録と呼ばれる箇所です。弟子達が「また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」という言葉があります。ここで弟子達はイエスが来臨すると思っています。しかし、このマタイ福音書の大きな特徴は「インマヌエル=神は我々と共におられる」という考え方です。マタイ福音書は1章23節で、「インマヌエル=神は我々と共におられる」と宣言し、28章20節で「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」というイエスの宣言で締めくくられます。神は、イエスは私達と共におられるという「インマヌエル=神は我々と共におられる」で始まり、「インマヌエル=神は我々と共におられる」で終わるという大きな特徴を持っています。
 イエスが語った真意は、戦乱につぐ戦乱の世の中、また災害が続く中で人々の心に生じる来世への希望、その希望が自分勝手なものであることへの警告が含まれています。だいたい信じる者は救われるとの裏返しは、信じない者は滅びるということです。私達は、神がこのような考えを喜ばないことに気づきたいと思います。
 福音書に収められ、イエスが語ったと設定される小黙示録の意味は、イエスによって世界が乱れ、崩れ去る様が語られながら、そんな世界と同様に人の心も非常にもろいものだという深い嘆きから絞り出された言葉だと思います。この世は流れ変化し、世界は永遠ではなく、絶対でもなく、破壊的な力に飲み込まれるということ。だからこそ人がそうした力に飲み込まれないように「目覚めていなさい」と、この小黙示録の文脈では繰り返し、繰り返し語られます。そして今日の箇所で、イエスは同じ文脈の中で、不法がはびこり多くの人の愛が冷える現実を指摘しています。「愛が冷える」等という言葉は、マタイにしか出てきません。非常に特徴的な表現です。愛が本当に冷え切っていく現実を指摘しつつ、最後まで堪え忍ぶ者は救われると語ります。前後の流れから、最後まで堪え忍ぶとは「愛を失わない」ということです。
 話は変わりますが、いとうひろしさんという方が講談社から出版されている「だいじょうぶ だいじょうぶ」という絵本があります。少しく紹介させて頂きます。主人公の「ぼく」は毎日、おじいちゃんと散歩を楽しんでいます。おじいちゃんと散歩をしていると、次々とおじいちゃんが草花や木々、石ころや空、犬や蟻、怪我をした猫や人に声をかけていくので、一緒に散歩をしている「ぼく」の世界もどんどん広がっていきます。ところが、世界が広がると同時に、ヘビや近所のいたずらっ子、怖い犬、スピードを出している車など、色々な怖い者にも出会うようになります。しかしその度に、おじいちゃんは手を握って「だいじょうぶ だいじょうぶ」と慰め、支えてくれます。いつしか、そのおじいちゃんの言葉は、「ぼく」の心に刻み込まれ、何があっても乗り越えられるようになります。そして「ぼく」は、年月と共に大きく成長していきます。同時に、おじいちゃんは、年を取り寝たきりとなります。絵本のラストは、次のように締めくくられます。「だから こんどは ぼくのばんです。おじいちゃんの手をにぎり、なんどでも なんどでも くりかえします。だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ おじいちゃん」。
 絵本のキーワードは云うまでもなく、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」です。それは「がんばれ がんばれ」ではありませんでした。人間の生を支える言葉というものは、意外と短く単純なのかも知れません。更に、本当に命を支える言葉は、「頑張れ」固く己を張り通す言葉ではありませんでした。「だいじょうぶ」という手を握ることから生まれ出る、共に生きる言葉でした。「ぼく」の心に刻み込まれた「だいじょうぶ」という言葉、それは「ぼく」の命を支え続け、一緒に歩み続け育んでくれた、おじいいちゃんの温かな愛、そのものでした。「ぼく」という存在は、心に刻み込まれたものによって、愛を失うことなく、愛が冷えることなく、今度は自らが手を握る者へと変えられ、「だいじょうぶ だいじょうぶ」と命を支える者へ、命に仕えていく者へと変貌していきます。
 私達の手を握っているのは、誰なのでしょうか?私達を心から愛し、手を握りしめて下さっている方は誰なのでしょうか。「いつまでもあなたがたと共にいる」と、私達の手を握って下さるイエスによって、今度は私達が、隣人の手を握り、命に仕えることへと遣わされていきたいと思います。

2021年2月28日

「主は呼び寄せる」
マルコによる福音書10章32~45節


 キリスト教会では、ただ今、レントと呼ばれる期間を歩んでおります。レント・受難節は、イエス・キリストが私たちの罪なる姿のために十字架の死へと歩まれ苦しまれたということを憶えるという期間です。
 先ほど読みました聖書の箇所には、イエスが苦しみ、人々の手によって殺されるということを弟子達に予告しました。しかも、これでもう三度目だというのです。しかし弟子達は誰も理解しなかったようです。
 予告の後に、イエスと弟子のやりとり、また弟子達同志のやりとりが記されています。彼らはイエスに「栄光をお受けになるとき」、自分たちをイエスの右と左に座らせて欲しい、誰よりも良い地位に就かせて下さいと願い出ました。弟子達は自分の地位を求めました。イエスはハッキリとこの願いを退けました。そして、力や地位を欲する姿を否定します。人は誰でも力を欲するものなのかも知れません。社会的な地位や生活の安全と潤いを望む者なのかも知れません。
  ここでもう少し、私たちは聖書を注意して読んでみましょう。すると、ゼベタイの子ヤコブとヨハネの願い出を、こころよく思わない人たちがいることが分かります。41節に「ほかの10人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた」とあります。ここには誰もが自分こそはと思っている姿があります。しかしそこには必ず踏みにじられる者の存在を伴います。だからイエスは、偉くなろう、力が欲しいと願うのではなく、皆に仕えなさい、僕となりなさい、そのように戒めます。
 イエスが仕える者になりなさいと批判するものは、まさに自己中心的な力や豊かさを志向する人間の姿です。力の論理でいえば、力のない者や、貧しい者は蹴落とされてしまうという、この世のあり方への批判です。もし競争に負けてしまったらと想像しますと、非常に恐いことです。人は誰でもそんな恐怖を持っているのではないでしょうか。
 マルコによる福音書を読み解くカギは、私たち人間の抱く「おそれ」です。
 受難節の期間、マルコの語るイエスの生涯のクライマックスは、クライマックスであるからこそ、様々な人間の抱く「恐れ」があらわにされます。福音書の初めに登場しますヘロデはバプテスマのヨハネを恐れ、ポンテオ・ピラトは群衆が騒ぎだすのを恐れました。
 そして、あの弟子達は、イエスと共に行動し、嵐の湖で恐れ、山の上の大勢の人々にどうして食べ物を与えようかと恐れ、心配し、イエスが自らの死をあらかじめ告げるときには死について訪ねることを恐れ否定します。そして、栄光を受けるイエスの最も近くで、その力を得ようと願います。しかしながら、イエスの十字架が近づくにつれ、彼らは、自分の身の安全をはかり、イエスを裏切り逃走します。恐れから逃げていく人の姿が描かれます。聖書は人間を自らの弱さや恐れの中で他者を傷つけ、踏みつけながら生きている存在として描いています。
 この後、皆さんとご一緒に讃美歌513番をご唱和いたします。この曲は、フランシス・ハバーガルという女性讃美歌作家の曲です。フランシス・ハバーガルは小さい頃から、多くの才能に恵まれ、音楽だけではなく、語学も6ケ国語を習得したと言われています。513番の讃美歌を作ったのは、彼女が22歳という時でしたから、本当に驚きです。
 彼女はある時、ドイツのデュセルドルフにあります美術館で、シュタインバーグという画家の「エッケ・ホモ」という作品を見ます。それは十字架にかかっている主イエス・キリストの絵で、絵の周りには「私はあなたのために命を捨てた。あなたは私のために何をなしたか」と書かれていたそうです。この彼女は十字架にかけられたキリストの絵とその言葉に衝撃を受けたそうです。こうして、讃美歌513番は生まれました。
 私達は様々なものを持ち、なおも次なるものを追い求めるものです。弟子達は行き着くところ、イエスの右に左にと偉くなりたいがために争いを起こしました。得よう、得ようと欲し続けることが、本当は貧しさを生み出すものであることを、聖書の描写は私達に語っているのではないでしょうか。何を私達はイエスに向かってなし、イエスに向かって捧げることができるのでしょうか?
神はイエスを私たちのところへとお送りくださり、限りない愛を注いで下さっているのです。仕えなさいとイエスは言いました。しかし、仕えたのはイエスでした。私たちに仕え、捧げ尽くしたイエスの十字架の生涯こそ、利己的な私たちを、それでも愛して下さり、赦して下さる神の御心の出来事なのです。利己的な私たちに仕え、身を捧げ、痛みと苦しみの中で私たちをいつくしんで下さっているのです。
 私達も仕え、自らを捧げ尽くしたイエスに立ち帰っていきたいと思うのです。主は、今もなお私達を呼んで待っていて下さるのではないでしょうか。
 私たちを招き、呼び集めて下さる主の声に気づき、祈り合わせるとき、本当の豊かさが、すでに神によって与えられていることへの感謝に満ちあふれていくのではないでしょうか。天の神の愛がすでにイエス・キリストを通し、私達には限りなく与えられていることを、しっかりと憶えながら、受難節・レントの中を歩んで行きたいと思うのです。

2021年2月21日

「深く根をおろして」
コロサイの信徒への手紙2章6~19節


 ツツジという植物は、日照りが続くと葉っぱがカサカサに乾き自ら葉を落として生き延びるといいます。植物や動物には変化する環境や状況に応じて自らを変えながら生きる能力が備わっているものがあります。それは環境や状況が変わるのを待っていたら絶滅することを知っているからです。人間も生き物であり、当然そのような能力を備えているはずなのですが、なかなか環境や状況に応じて自己の何かを捨てることが出来ないのが現状です。しかし危機的な状況では人間も「葉を落とす」必要に迫られるのではないでしょうか。
 パウロの名によるコロサイの信徒への手紙は、教会に台頭した分派による異なった教えに対して向けられた手紙です。この教会に集う人々は、大抵が異邦人、つまり聖書ではユダヤ人以外の人々であったと言われています。コロサイの町は国際都市として開け、古くからヘレニズム文化や思想が根強いところでした。様々な思想や哲学的な考え方があり、かつ自由な気風があったのでしょう。具体的には天使信仰や天空の星座を拝み、礼拝の対象としていたようです。また、異邦人教会であったにもかかわらず、ユダヤの安息日などの食物規定を重要視し、断食や苦行を奨めるような活動をしていたともいわれています。異教徒的要素とユダヤ教的要素が混在して密教のような様相を呈していたといわれています。
 密教的なものは神秘性に向かっていくので非常に内向きになります。自分たちの宗教生活だけが守られればよいという、他は知らぬ存ぜぬ、関知せずと内向きとなり、また排他的になります。パウロが戦ったのは、このような密教的、個人主義的な分派でありました。
 話は変わりますが、現在日本社会に蔓延している「生活保守主義」とか「私的生活主義」と呼ばれる現象に対して、寺島実郎さんという方が「団塊の世代 わが責任と使命」(PHP研究所)という著書の中で「私的生活主義」というものを次のように論じています。「そもそも全体に対する関心も意識もなく、ただ自分の私的時間空間が確保されることに過敏な心情である」「私的生活主義は思想・信念ではない。生き方のスタイルに過ぎない。思想・信念なき者は、今受けていることに過敏であり、人当たりがよく、対立・対決・緊張を避け、自分が気持ちよく生活できることのみにこだわる。たとえ、世界や社会がどうなろうとも」と語っています。
 「親の背を見て育つ」という表現がありますが、大人が真剣に社会の課題を負って闘い、時代が投げかけるテーマに挑戦している姿を子供達や次世代に提示することができたのならば「私的生活主義」を越えたメッセージとなっていくことを教えられます。
昨年の秋にアメリカでは4年に一度の大統領選挙が行われました。大統領選挙で思わされたことをお話します。皆さんご存知のように民主党のバイデンさんが大統領に選出されました。アメリカの政治や今後の世界情勢についてお話をするのではありません。私の思うことは、大人としての、一人の人間としての言葉や振る舞いについてです。
 私はバイデンさんの勝利がほぼ確定した時、アメリカのCNNのニュースが特別番組を放送していたので、それを見ていました。確かに、トランプさんの今後にも触れていましたが、CNNはとても大切なことに触れていました。CNNのキャスターやコメンテーターは、バイデンさんの演説で発せられた一つ一つの言葉を取り上げていたのです。
 特に私が注目したのが、コメンテーターの一人であったヴァン・ジョーンズさんというオバマ大統領の側近だった方のコメントでした。彼はバイデンさんの演説を取り上げて次のようなコメントをされました。
「トランプ大統領はマイクの前に立ち、カメラに向かって相手を罵ったり、バカにしたり、自分がいかに正しいことやどれだけの成果をあげたこと、そして自分がいかに強いことばかりを語っていた。しかし今日という日は、そんな大人の姿を、もう自分の子ども達に見せなくてよい素晴らしい日となった。保守派も革新派も、白人も黒人も、ヒスパニックも、アジアの人々も、同性愛者も、トランプを支持する人たちも、お互いの違いを認め合って、受け入れ合って、この国を作って行こうと語るそんな大人の姿を、自分の子ども達に見せることが出来た。今日は素晴らしい一日だった」。
私はこれを聴いていて、襟を正されました。子どもは常に大人を見ていること、そして大人に影響されていくことを改めて思わされました。日本の政治家にそれを求めていくのは多分無理でしょうから、私たちは人任せにするのではなく、私達自身が子ども達の前で恥ずかしくない言葉を発し、振る舞いをしたいと思うのです。
 さて、7節にある「キリストに根をおろして」という一句には「深く」という原語にある表現が欠落しています。地上に生きたイエスは人間の深みに、世の深みに根をおろされました。粗末に扱われる命へと近づき、神がその様な存在と共におられることを伝えていきました。神は人間を知らぬ、存ぜぬではない、という神の御心をこの地上で訴え続けました。そして命を粗末に扱うこの世の緒力、社会の抑圧的な力に対峙していきました。故にイエスは政治犯として十字架刑をに処せられました。イエスこそ、ユダヤの神権政治とローマ帝国の植民地主義という具体的な歴史に介入をした神の出来事だったのです。このイエスの出来事を通して、現代の私たちが世の中を見るということが信仰の視座です。「キリストに深く根をおろす」ということです。信仰も「私的生活主義」に陥ってはなりません。キリストに深く根付いて、一人一人が結び合わされ、神に育てられ成長していくものです。信仰は私たちの繋がりの中でこそ育まれていくのです。
 時代や社会の変化に翻弄されるのが私達かも知れません。しかしイエスにあって自ら葉を落とす、私的生活主義という閉ざされた肉の思いを脱ぎ捨てることがパウロのいうイエスに生かされること、開かれた神の豊かさに生かされることではないでしょうか。どのような時であっても、イエスの十字架と復活という出来事に深く根をおろして、共に歩んでいきたいと思うのです。

2021年2月14日

「変えられる人生」
ルカによる福音書9章57~62節


 東京の雑司が谷(ぞうしがや)霊園の近くに、豊島区が保存管理しております雑司が谷旧宣教師館があります。古きアメリカの郊外住宅の特色を余すところなく映し出す近代木造建築物です。50年近くにもわたって日本で宣教活動を続けたマッケレーブ宣教師が住んでいた家でもあります。この雑司が谷旧宣教師館では、マッケレーブ宣教師が従事した日本の地で宣教とその困難さをビデオで紹介しております。
 マッケレーブ宣教師は27歳の時に、召命を受け、その招きに応えて日本へとやって来ました。彼はイエスに従うという使命を、日本の地で、海外の異国の地で果たそうと思ったということです。約50年間の宣教活動でしたが、太平洋戦争が勃発し、強制的にアメリカへと帰国させられました。しかし強制帰国までの50年間もの間、異国の地での困難を覚えつつも、出会いを与えられた一人一人を愛し抜く姿が、雑司が谷旧宣教師館を訪れる者に紹介されます。それはマッケレーブ宣教師自身を深く愛し抜いて下さったイエスの愛の強さが顕された人生とも云えます。
 今朝の聖書の箇所59節で、イエスは「わたしに従いなさい」と、ある人を招きました。従うという言葉、追従という言葉やイメージは、非常に嫌われるものかもしれません。これらの言葉には有無を言わせないニュアンスの響きがあります。しかし、イエスに従うという聖書の出来事には、私達ががんじがらめになっている様々な事柄からの解放的な響きが根底にあります。
 イエスを主と仰ぎ、救い主と告白をし、洗礼を受け、信仰者になるクリスチャンになるということは、イエスが私の心と暮らしの扉を叩いていることに気づくことから始まります。そこからイエスの招きを受留め、自覚し、イエスに従うという人生がスタートします。洗礼とは、始めに神の側からの、イエスの側からのアクションがあり、それに応答するということです。冷静に考えると、自分自身のこれまでの歩みが、とても神の前で顔を上げることが出来ない自分自身を自覚するということかも知れません。
 聖書の描くイエスは、何時でも損得勘定で物事と人とはかる人間に鋭く迫ります。自分かわいさゆえに、信ずることに愛することに己の人生をかける事のできない人間の弱さを暴きます。大変なことや責任が自分の身に強いられることから逃げて、何をやっても無駄だと虚無感の中で己を安住させる人間に、そのあり方を鋭く問いかけます。信ずれば救われる等と、信仰の出来事を心の中の問題だけに限定する人間側のご都合主義を、生前のイエスは容赦なく砕きます。そのようなイエスの姿に触れながら、人は罪深く、弱く、貧しく、自己中心的な自分を赦して欲しい、イエスと共に歩みたいという思いに溢れて信仰者へと変えられていきます。そして心と暮らしがイエスによって整えられてゆくことが喜びとなっていくのです。
 ところでイエスに従うことを求められた人物が「先ず、葬りに行かせてくれ」と、ちょっと待って下さいと云いました。イエスは「死者は死者に任せよ」と言われました。これは死者をおろそかにしろと云っているのではありません。人間の死は大切な生の節目です。誰もが誠心誠意その葬りに臨むべきことです。しかしイエスが意図したことは、人間の生と死を貫く神の愛を知らなければ一切は空虚であることを語っているのです。聖書に納められている「ナインのやもめ」は嘆き悲しむイエスに触れた時、きっと神の限りなき憐れみを感得したのでしょう。それから後も、イエスを思い出すことで、生と死を貫く神の愛を何度も感得したことでしょう。彼女を再び襲ったであろう死の悲しみには、二度と打ちのめされることはなかったことと思います。イエスを思い出すことを通して、そんなイエスの愛の強度が我が身に宿って行くのです。
 話は変わりますが、日本の伝統文化に人形浄瑠璃という文楽があります。人形浄瑠璃の義太夫家である豊竹英太夫(とよたけ はなぶさ だゆう)という方がいらっしゃいます。義太夫(ぎだゆう)というのは、沢山の観客を前にマイクなしで、肉声をもって大声で語るという浄瑠璃の一ジャンルです。舞台に上がるために毎日、毎日何時間も練習を重ね、本番の舞台では、精神的にも肉体的にも限界、がんじがらめの状態だそうです。限界の状態、がんじがらめの自分を基にしつつ、鍛錬された大きな声で人物や物語を朗々と語り分けていくのが浄瑠璃の義太夫節という世界だそうです。すると、そのような限界状態の先に、つまり責任と義務の延長線上に演技の喜び、自由の喜びが待っていると豊竹さんは云います。実は、豊竹英太夫(とよたけ はなぶさ だゆう)さんはクリスチャンです。高校を卒業後に洗礼を受けてから、文楽に入門されました。しかし辛い修行から逃げるように放蕩の限りを尽くし、ついには体をもこわしたそうです。死をも覚悟した時、ふと教会を思い出し、もう一度、教会の門をたたいたそうです。そこで甦ってきたのは、十字架上のイエスの叫びでした。「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになるのですか」。かつて洗礼を受けた時に、心振るわされたイエスの姿を思い出したと云うことです。豊竹さんは振り返って云われます。十字架上のイエスの叫びは「極限の肉の叫びである」と、生きている人間、これから生まれ生きる人間を代表する悲惨と苦痛を担う肉の叫びであると。豊竹さんは、悲惨苦痛にがんじがらめの、悩み不安、悲しみ恐怖の限界に縛られる人間の先に、生と死から解き放たれる復活の自由さを見つめています。
 浄瑠璃の義太夫という語りに強いられる限界は、人間が喜怒哀楽によってがんじがらめになった状態を現しています。しかし、それを越えるイエスの自由さを豊竹さんは伝統文化を通して証されています。
 イエスの云われる「従いなさい」とは、人と人との出会いや、日常的な様々な出来事の中でイエスの言葉と行為とを思い出すこと、それを反芻することです。そしてそのような営みの中でこそ、私達自身の心へと、歩みへとイエスの愛の強度が宿り、私達は造り変えられていくのです。
 イエスに思いを馳せるとは、極限の肉の叫びを挙げたイエスを思い起こすことではないでしょうか。

2021年2月7日

「聖霊に導かれて」
ヨハネによる福音書1章43~51節


 弟子の召命物語の中でも一風変わった物語を描くのが、今日、皆さんと共に読んでおりますヨハネ福音書の記事です。最初の弟子を得たイエスは、次の日にガリラヤに向かいました。その時にフィリポという人物に出会いました。フィリポはペトロとアンデレと同郷であり、ベトサイダ出身でした。ペトロ、アンデレ、フィリポの三人は、ガリラヤ湖畔のベトサイダ出身です。しかしイエスと出会った際には、三人とも皆ガリラヤではなくエルサレム近郊で出会っています。
 さて、ヨハネ福音書だけに登場する独自の人物が描かれます。ナタナエルという人物です。ナタナエルは他の福音書には登場せず、このヨハネ福音書だけに登場する謎の人です。彼はイエスと出会ったフィリポから間接的にイエスのことを聞きます。ナタナエルはフィリポから「ナザレの人で、ヨセフの子イエス」という救い主に出会ったことを知らされます。するとナタナエルは「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と、即座にナザレを蔑視する発言が飛び出します。時代と社会の意識によって、ナタナエルはナザレを差別し、貧しいところだと、さげすむ発言をしています。人は皆、その時代や社会の枠組みによってバイアス=偏見にかかっているのでしょう。
 そんな彼を、まあまあ「来て、見なさい」と、百聞は一見にしかずでしょうか、フィリポはナタナエルを促し、イエスのところへと誘います。イエスと出会いナタナエルは変えられていきます。人間を豊かにするものは出会いです。と同時に差別や偏見からの解放も出会いにあります。自らの偏見の目を解き放つのも、自ら出かけていって実際に出会うことにあります。固定観念や偏見から一歩も外に出なかったナタナエルが、フィリポと出会い、そして促されイエスと出会うために自ら出かけていくのです。当時ギリシャ人は外国人を蔑視していました、そんな差別や偏見をもつ生活圏へ、ギリシャ文化圏へと宣教の翼を広げていくヨハネ教会の新しい歩みが秘められています。
 ところで、イエスは自分のところへ向かってくるナタナエルを見て、「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と云われました。この言葉は正確には「本当にイスラエル人だ。この人には裏(策略)がない」であり、良くも悪くもイスラエルの伝統や習慣に染まりきっている様です。そこには裏表がなく素直だという意味合いと、エルサレム中心主義と固定観念や偏見まるだしの人だという意味も含まれています。そしてナタナエルは、この初めて出会うイエスが、フィリポと出会う前に、いちじくの木の下に自分がいたことまでも知っていることに圧倒されていきます。
 ペトロ、アンデレ、フィリポは皆、辺境と云われたガリラヤから首都エルサレムへと何かを求めて故郷を後にしたのでしょう。三人はイエスと出会い、ナタナエルを得て、この後、イエスと共にガリラヤのカナに向かいます。周縁から中心に向かっていたのですが、イエスと出会い、中心から周縁へと向かっていく、神の光が鮮明に描かれています。彼らは小さなカナという村で行われる結婚式の席上で、神の光を目の当たりにします。無色透明の水が真っ赤な葡萄酒に換えられていく物語、真っ赤に染まっていく葡萄酒はイエスの十字架の血をたとえています。イエスの十字架はエルサレムのゴルゴダだけで起こるだけではなく、先だってまず周縁で起こっているという独自の理解が表現されています。
 ところで本日の聖書の箇所は、原文でないと分からない事が一点あります。それは「フィリポ」という固有名詞でありながら、不特定なものを表す名詞表現の二通りが表現されていることです。ギリシャ語は固有の名詞の場合は必ず定冠詞が付きます。定冠詞が付くと、特定の人物であるフィリポとなります。ところが定冠詞が付かないと不特定なフィリポになります。フィリポには「特別な目」という意味があります。44節の「フィリポ」には定冠詞が付いていますので、聖書が説明している通りに、「アンデレとペトロの町、ベトサイダ出身」の特定の人物になります。ところが、43節、45節、46節の「フィリポ」には定冠詞が付いていません。不特定な「特別な目」という存在になっているのです。
 43節では、イエスが「特別な目」に出会って「わたしに従いなさい」と言われています。「特別な目」はイエスを従わせています。45節と46節では、「特別な目」はナタナエルに出会って、イエスの事を告げ、ナタナエルに向かって「来て、見なさい」とイエスのもとへと導いています。「特別な目」は、イエスとナタナエルが出会うように両者を導いています。この定冠詞の付いていない「フィリポ=特別な目」という存在は聖霊の働きではないでしょうか。
 ナタナエルがいちじくの木の下から出かけて行った場所は、自分たちの生まれ育った場所でした。何もなく、貧しく、ダメだと思っていた場所でした。イエスと共に歩む時、ダメだと思ったものにこそ神の愛が注がれ光輝いていることを、私達も再発見するのではないでしょうか。それはパウロが云う「弱い時にこそ強い」ではないでしょうか。
 そして、ナタナエルとは「神が与える」という意味の名前です。イエスを通して新しい地平と新しい視座を与えられたナタナエルは、神が、イエスが与える本当のナタナエルとなっていきました。イエスを通して見る自分と他者という存在の再発見、神が与える新しい地平を、私たちも見出したいと思います。
 このナタナエルの解放の出来事は、今の時代にあってとても重要だと思います。今、ナショナリズムが台頭し、国が、民族が対立し合っています。世界中が自国ファースト、自民族ファースト、自分ファーストになっています。隣人を自分のように愛するではなくて、隣人はどうでもよいと自分だけが大事になっています。神の導きによって、私たちはお互いを尊重し合い、共生の営みを成して行くことが、今求められていると思うのです。
 イエスを通して見る自分と他者という存在の再発見、イエスを通して見る自分と他者の貴い人生の再発見、神が与える新しい地平を、私たちは世に示して生きたいと思うのです。その為にも、主の導き、聖霊の導きを祈り願いたいと思うのです。

2021年1月31日

「深い渕をこえて」
ルカによる福音書16章19~31節


 お読みをいただきましたルカによる福音書16章19節以下には、金持ちと貧しい者が死んでどうなったかが、たとえを通して語られています。
 金持ちは上等の服を着て、毎日、贅沢三昧の暮らしをしていました。彼が着ていた服は紫であったと言います。紫という色は当時、高貴さを表す色でした。いつも、着飾って遊んでいたとイエスはたとえられました。そんな彼の家の門前には、毎日の様に貧しく、身よりのないラザロという人物が「せめてその豊かな食卓から落ちる物を求めて、横たわっていた」と言います。実に極端な状況の二人をイエスは、たとえられました。
 やがてラザロは貧しいまま天に召されました。信仰の父と呼ばれるアブラハムのふところに抱かれました。「すぐそばに連れて行かれた」とは、直訳すると「ふところに抱かれた」です。金持ちも死んで葬られ、彼は陰府でさいなまれたと言います。この両者の歩んできた人生について、イエスは何もコメントをしてはいません。たとえば、金持ちが贅沢三昧に暮らしていても、それを罪であるとか、悪いことであると咎めていません。ただ私たちがこの聖書の箇所を読むと、このお金持ちはラザロに対して何もしなかったのか?心が痛まなかったのか?との思いが涌いてくることでしょう。
 金持ちは死んでからようやくラザロに注目をしています。そして「父アブラハムよ、わたしを憐れんで下さい。ラザロをよこして、指先に水を浸し、私の舌を冷やさせて下さい。わたしは炎の中でもだえ苦しんでいます。」と訴えています。私はこの金持ちの訴えに、生前のラザロの訴えが重なります。ラザロは、せめて食卓から落ちる物をとの思いで、門前に横たわり息を引き取っていきました。お金持ちもやがて死んで、アブラハムから「両者の間には、越えることの出来ない大きな淵がある」と言われ断絶を告げられます。金持ちが自分の兄弟への思いを告げると、アブラハムはこことそことは、行き来はできないけれども、モーセと預言者、つまり聖書があるからそれに聴きなさい、そこに突破口があることを告げています。イエスのたとえは死後の世界のことを語っていますが、これは現実の世界ではないかと思うのです。
 話は変わりますが、よく私は次のような質問を受けます。聖書はどう読んだらいいのでしょうか?私なりに答えるのですが、聖書は、一人で読むよりも、出来るだけ沢山の人と読む、共同体の中に参加をして、一緒に加わって読むことが大切です、望ましいということをお伝えしています。
 教会には様々な方がいらっしゃいます。今日も私達は一緒に同じ聖書の箇所に向かっています。でも同じ聖書の箇所を読みつつ立場や状況が違います。たとえば、聖書には多くの病人や、体の不自由な者が登場し、彼ら彼女らをイエスがいやされる場面があります。いわゆる生活が安定し、健康が与えられ、感謝に溢れている人ならば、この箇所を読んで神の力ある業を見出すかも知れません。神の子の奇跡に、不思議さとおののき、畏敬の念を抱きもしましょう。
 しかし、現に病気であり、体の自由がきかず、長い間、苦しみの中で祈り続けている方がいるのならば、どうして神さまは、私の祈りを、訴えを聴いて下さらないのだろうか。神さまは私を見捨てられているのか。一生懸命に教会に通って、一生懸命に礼拝に出席して、一生懸命にお祈りをしているのに、なぜ神さまは、私を助けてくれないのか。疑問や憤り、信じているのに不安にかられ、見えない神さまが、ますます遠のいていくように感じてしまうことでしょう。教会はきれい事だけで、何の解決にもならない、そうつぶやくことでしょう。
 ラザロはお金持ちの家の前で、一体何を思いながら息を引き取って行ったのでしょう。自分の出生や人生をうらんだのでしょうか。自らの訴えと叫びに耳をかさず、目も留めてくれない人の世を、うらみ、嘆き悲しんだのでしょうか。人と人は、本当につながって行くことはできないと涙を流し、疲れ果て、力尽き、死んでいったのでしょうか。人間は他者を思ったり、心にかけたりしない、苦しむ者から、哀れな者から目を背けていく、人と人との間には、断絶の深い溝があると感じていたのでしょうか。そして神の不在、この世と自分の現実に絶望していったのでしょうか。
 イエスのいやしの行為で使用される「いやす、治す」という言葉には「仕える」という意味もあります。イエスは病気であり、体が不自由であり、貧しく、深い悩みと憤り、苦しみ、悲しみの中にある人々に仕えられ、その者と共に生きたということです。病床で共に苦しみ、体が動かない悲しみに、ご自身を置かれたのです。
 だとしたら、たとえで語られたラザロとは、イエスご自身かも知れません。ラザロという名前は「神は助ける」また「神の助け」という意味をもっています。神の助けは私達の目の前に日々、横たわっているという戒めかも知れません。人と人との無理解、互いに受け入れられないという現実、そこに深く口を開け、行き来できない大きな溝があります。しかしそれを越えて、訴え泣き叫ぶような私達の現実に来られたのが、十字架の主イエスだからです。
 出会いを通して与えられた信仰の友、また隣人に心を寄せ、祈りを聴き、その人の苦しみや悲しみを察しつつ、聖書に神の言葉に聴くのであれば、深い大きな淵に、すでにかけられている主の十字架と復活という架け橋に気づくはずです。
 宗教改革者の一人・J.カルヴァンは祈りについて次のように語っています。「祈りとは躓いてから立ち上がり、立ち上がってから歩き出すまでを云うのだ」。嘆き悲しみ、深い疑念に捕らわれ、躓いてしまう人と共に悩み、共に苦しみ、一緒に立ち上がるまで様々な失望や空しさを味わいながらも苦闘の中で祈り続けること、その過程の中に教会の本当の交わりは大きく息づいているのではないでしょうか。
 皆で手を取り合って、祈り合いながら、主イエスの十字架によってかけられたかけ橋を渡ることが聖書に聴くということではないでしょうか。私達がそのように歩み出すことをこそ、神はいつも願っておられるのではないでしょうか。

2021年1月24日

「主のもとに連れてくる」
ヨハネによる福音書1章35~42節


 バプテスマのヨハネの一言で、イエスのもとへ走った弟子、 ヨハネによる福音書では、ここからいよいよナザレのイエスが登場します。
 39節に「午後四時ごろのことである」とあります。 原文では「時刻はほぼ第十時」となります。新改訳聖書と古い文語訳聖書はここを「10時」と訳してしまっています。大きな間違いです。現在の時刻で計算すると午前10時なりますが、ユダヤ式に計算すると第十時は午後4時になるそうです。日の出から計算するので、大体午後4時頃になります。午後4時ですからもう1~2時間で日没を迎えます。よって「そしてその日は、イエスのもとに泊まった」との説明がつくことになります。
 「ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ ペトロの兄弟アンデレであった」。ではもう一人は誰か?これはヨハネ福音書の書き方から見て、ゼベダイの子ヨハネであった可能性が高いです。この福音書では、ヨハネは名前を出さずに21章でただ一度「ゼベダイの子たち」と紹介されるだけです。共観福音書では、ガリラヤに帰ってから、舟も網も捨ててイエスに従った最初の四人というのが、ヨハネの子アンデレとシモン、ゼベダイの子ヨハネとヤコブですから、ここで名前を伏せてあるもう一人の弟子はゼベダイの子ヨハネではないでしょうか。続いて、アンデレが自分の兄弟シモンをイエスのもとに連れてきます。ヨハネ福音書で独特なのは、シモンはイエスからペトロという名前をもらいます。イエスはシモンをアラム語・当時のヘブライ語で「ケファ」と呼びます。「ケファ=岩」という名前でした。
 兄弟という言葉「アデルフォス」、姉妹という言葉「アデルフィー」は共に、どちらが年上でどちらが年下か分かりません。前後の文脈で読み取るしかないのですが、ここでは判断がつきません。ヨハネ福音書では、ペトロとアンドレはどちらが兄で、どちらが弟なのかハッキリはしていません。
 「わたしたちはメシア―『油を注がれた者』という意味―に出会った」と伝えて兄弟がイエスのもとにすぐにやって来ます。注目は、兄弟同志ですぐに理解できたことです。直ぐさま、イエスのもとにシモンが飛んできたということは、それで通じたということです。
 彼らの家庭では、常に旧約聖書の話しがされていたということです。たったそれだけで通じたということは、家庭でいつもモーセや預言者の言葉についての会話があったからなのでしょう。共に祈り合っては信仰のこと、救いのこと、いのちのことを語り合っていたからこそ、いざという時に通じたのです。夫婦でも親子でも兄弟姉妹でも同じですが、そういう宗教的な場作り、祈りの空間作りは大切なのでしょう。
 更に、大事は何時来るか分からないということです。またどの様に到来するか分からないということです。シモンの場合、ここではイエスと泊まりながら話しを聞いていたアンデレからですから、時は夕刻から夜になります。兄弟を介してですから、人を介して救いの到来を察知したわけです。その時に一歩を踏み出したシモン・ペトロの姿に、招きに応えることの大切さを教えられます。大切な時の到来に、いかに応えるかということを改めて思わされます。
 ヨハネ福音書ではシモンはペトロという名前をイエスからいただいています。他の福音書、特にマルコによる福音書を読みますと、熱血漢ですが少々おっちょこちょいの人物を、「ケファ=ペトロス」と名付けたのがイエスになっています。そんなシモンを「岩」と名づけたイエスの意図をはかりかねるのですが。しかし、シモンが後に聖霊の力により、徐々に文字どおり「岩」のペトロに変えられて行ったことを考えますと、ヨハネの福音書編集意図が分かるような気がするのです。
 私自身、時々ふと不思議なことを考えます。イエスは、私たちが信じて自分の一生を主に委ねる時、初めからそのような「岩」とか「鋼鉄」とか、あるいは「純金」とか「清水」とか、およそ私たちが想像もしないような、似ても似つかぬような強い名前や純粋な名前を与えて下さり、背後から後押しして下さっているのではないかと、不思議なことを考えます。イエスご自信がいつも付いているから「岩」のように動じないで神の出来事を証しなさいと、名前のようになるように支え守って下さっているのではないかとさえ思うのです。主イエス・キリストがいつも共にいて下さるからこそ、誰もがイエスに支えられ、守られて真の信仰者となっていくのではないでしょうか。
 更に、イエスとアンデレ、シモンは初めて顔を合わせています。誰からも名前も聞いていませんし、知らなかったお互いです。イエスは、彼らの全てを知っておられたという、その事に「初めに言があった」という著者ヨハネの力点が感じられます。イエスは神と共に創造の初めから被造世界を、人間を見ておられるということです。
 それにしても、ヨハネ福音書では、アンデレがペトロを連れて来ることによってキリスト教に大きな貢献をしたというストーリーになります。これを単に著者ヨハネの創作と捉えないで、現代でも主のもとに人を連れてくる大切さと受けとめたいものです。主のもとに人を連れてくることで可能性が大きく開かれていくのではないでしょうか。連れてきた者も、連れてこられた者も互いに主によって祝されていくのではないでしょうか。
 「私たちの教会の姿勢」にあるように「他人に信仰を述べ伝える事によって信仰は自分の中により確かなものになるという事、即ち伝道することは伝道される事だという二つの事を踏まえて伝道を私たちの教会の使命とします。」このことを常に心に留めながら、私たちもまた、主の元に人を連れて来たいと思うのです。

2021年1月17日

「主の声を聴く時」
アモス書5章10~15節


 以前、ピアノの調律の仕事をなさっている方からお話をうかがうことができました。私は、この聖書の箇所を読みながら、その時のお話を思い出しました。 人間の耳というものは、たった今、聴いたばかりの音を瞬時に忘れてしまうということです。では、楽器の調律というとてつもなく多種多様のばく大な音というものを体得するにはどうしたらよいのか?それはやはり、繰り返し音を聴くということだそうです。しかも、ただ聴くというのではなく、音に向かうということです。
 私たちは感心あることには自然と体が向かいます。関心のないことには心が上の空で、全然、違う方向を向きます。例えば、町の雑踏の中で友人と話しながら歩いているとします。とても大きく、また様々な声や音が回りには溢れんばかりにあります。でもなぜ、友人の声は聞き取れるのでしょうか?それはそこに心が向いているからであり、聴こうとする気持ち、意志があるからではないでしょうか。瞬時に音は忘れてしまう、でも聴こうと向かうことを繰り返すとき、その音は自分の中に住まうということです。 
 旧約聖書の時代の都市や町というものは城壁で囲まれているのが普通でありました。外敵から町を守るためであります。それほど戦争が絶えなかったのでしょう。この町の入り口には大きな門がありました。また城壁に囲まれている町は狭い路地ばかりであったようです。ようするに、敵が万が一、町へ攻め入った時、町の中心に攻め入る時間を稼ぐためのものでもあるようです。平穏な時にはきっと、この狭い路地は市民の交流の場となり、品物が売られ、契約、協定が結ばれていたことと思います。このような城壁に囲まれた町は、一つ一つが独立をした自治体であったようです。行政を司る会議も裁判も門の中で独立をして行われていました。当時の会議、裁判でも多数決という決議方法がとられていました。しかし、貧しい者などの意見や声は取り上げられず、また聴かれず、無視されていた、虐げられていたという現実があり、アモスはそのことを訴え出ました。実際、アモスの生きた時代には、貧しい者からの搾取があり、城壁内の都市は貧富の差が非常に激しかったと言われています。アモスは富自体を批判したのではなく、富を得るその手段に批判を加え、彼らのやり方に神の言葉をもって臨んだのです。貧しい者は存在が失われ、道具として者として売られていたとも言われています。預言者アモスは激しい口調でこの時代と人々、支配者を戒めました。
 ところが、人々はアモスのような戒める者、真実を語る者を町の門から外へと追い出そうとしました。預言者の存在とその語ることを認めようとしませんでした。その時、アモスは13節の言葉を発しました。「それゆえ、知恵ある者は、この時代に沈黙する」と。当時の世界、旧約聖書の背景にございますユダヤ教では、沈黙することは、一般的に賢明なこととされていました。そして神の沈黙とは、絶縁を意味しており、信仰を与えられた者にはとても恐ろしいことでありました。神様が私を選んで下さり、導いて下さるという信仰に立っているので、沈黙されることは関係の破綻であるので、人は神の前で、神の言葉の前で沈黙すべきこととされていました。ですから預言者アモスの沈黙は神の沈黙と等しいものであり、いわば関係の破綻を意味します。人は己の口を閉ざし、沈黙すべき時なのです。しかしながら、そのようなアモスを黙らせようと人々は門の外へと追いやろうとしました。
 現代もまた、聖書の時代のように人が沈黙すべき時ではないかと考えさせられました。アモスを排除しようとした人々にとって、神の言葉は自分たちの思いによってかき消されていたのでしょう。現代でも命の大切さ、尊さが語られても、命が粗末にされています。
 真実を語る者を排除する、そのような時代に神は沈黙されました。声をあげずに沈黙するとは、一体何か、それは神が人間の声を聴いていることではないでしょうか?アモスを沈黙させた神は、じっと静かに人々の声を自分勝手な思いを聴いておられるのではないでしょうか。
 沈黙と言いますと、私は新約聖書の十字架上のイエスを思い出します。イエスは十字架の上で人々のあざ笑う声、憎しみの声、また悲しみの声に沈黙されました。かけがいのない個人の生が踏みにじられました。アモスもイエスもそして、沈黙しました。新約聖書の報告によりますと、突然、百人隊長という人が沈黙を破って「この人は正しい人だった」と告白しています。罵声を浴びせていた彼がなぜ、突然にもそのように叫んだのでしょう。一体何が、彼を、動かしたのでしょうか? 彼は、兵士です。そしてこれまで、どれだけの戦闘を繰り返したのでしょうか。どれくらいその手を、血に染めてきたのでしょうか。時に人のクビをはね、心臓をめがけて剣を抜いたことでしょう。彼はこれまで多くの人々の声を、命を消してきたのです。そして今また彼は、イエスを沈黙の闇へと葬ろうとしていたのです。
 人々の前で殺されるイエスは、父なる神に十字架の辱めも、苦しみも、痛みも、悲しみも、伝えているのです。神はその手に、傷つき、血を流し、もう動かないイエスを抱かれ、「どうして、私のたった独りの愛する子どもが、このような目にあわなければならないのか」、恐ろしいまでの悲しみに涙されたことでしょう。
 百人隊長は、自分の子どもが人間に殺されたにもかかわらず、なおも、沈黙しつづける神だからこそ、その沈黙は自分に向けられた、限りない赦しと愛なのだと気づいたのです。イエスの十字架における神の沈黙は、私たちの犯した取り返しのつかない過ちを、悲しみの中で震えながらも、耐えしのぶ、神の赦しなのです。神の親子を切り裂く十字架の死こそ、私たちの罪なる沈黙です。しかし、この沈黙の中を貫く神の悲しみ、流される涙、痛みをこそ、私たちは聴くために心を向けていくべきではないでしょうか。
 新型コロナ・ウィルス感染拡大下で呻き苦しむ世界のために、今神御自身が悲しみ、痛み、苦しみの中で涙を流されていることでしょう。沈黙におけるの神の調べをこそ、私たちはしっかりと聴き取りたいと思うのです。

2021年1月10日

「神に知られた者」
創世記7章1〜16節


  ノアの箱船の物語は洪水の原因を「地上に人の悪が増し」たと記しているのは注目に値します。ここで言われている悪とは一体なんでしょうか。それは聖書の1〜14節にあります、通称「英雄伝説」もしくは「巨人伝説」と呼ばれる箇所です。神の子らが人間と結びつくことによって、英雄が生まれ出たと聖書は告げています。そして地上に悪が増してゆきます。つまり英雄や巨人になるということは、かえって神へと反逆をすることになると言っているのです。自己拡大と自己中心的な姿、人間が神を神とせずに、定められた限界を超えて自己追求をする姿に洪水の原因、罪なる姿を伝えます。
 現代の私たちの姿に、実に似ていると思いませんか。人類の科学技術への過信は大きな災害をもたらします。また人類の発展の名のもとに自然破壊が進み、自分たちで自分たちの首を締め付けているようでもあります。核兵器の発明は、もはや自然破壊や地域的な紛争だけではすまされません。地球規模の破滅の危機をもたらします。
 それは、聖書の「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という言葉を自己拡大として理解してきたとも言えるのです。地を支配するのは神が祝された人間だけだという思想なのです。地球規模の破壊を招く思想を支えてきたのです。今、このような聖書の理解が問われてきています。
 さて、大洪水の中で、ノアの家族だけが救われたということを、皆さんどのよう様に受けとめていますでしょうか。日頃の行いが良かったから、みんなが災いに遭い滅ぼされた中にあって、自分たちだけが救われて「よかった、よかった」ということでしょうか?もしそうであれば、それはエゴイズムであり、ノアも正しくない者の一人となります。もし、自分がノアのようであったらということです。自分たち一握りの者以外、皆滅んでしまったそのような世界を想像して下さい。なにもないのです。家族以外はいなくなってしまうのです。私は、これは恐ろしい世界だと思います。精神的に耐えられないと思います。いずれ息絶えて滅んでしまうでしょう。
 この恐ろしい世界へとノアを歩ませるものは、果たさねばならない使命があるからこそです。「全ての生き物とともに」新しい世界へと旅立たねばならないという神様の使命が あったからこそです。ノアという名前は「慰め」という意味をもつヘブル語です。
 慰めという名を持ったノアは黙々と方舟造りに励みました。その心は張り裂けんばかりであったと思います。あの人も私を笑う、でももう会えない、話をすることもできない、どんなに悲しかったことでしょうか。神様がノアを正しいとされたのはここにあります。どのような悲しみや困難の中にあっても神様がそれを解決して下さる、乗り越えさせて下さる希望に生きる、それが神様の前での正しさと聖書は語るのです。
 私たちは、より頼むということを口にいたします。しかし、ノアの姿から示される神への信頼とは実に厳しいものであることが分かります。けれども、神に憶えられている、なによりも命ぜられている者であることの自覚からくる信仰の歩みを、ノアから学びたく思うのです。
 ノアを通して私たちは神様の慰め、そして神様からの使命が語られているのです。それに気づきたいと思います。それは、私たちも、ノアのように黙々と方舟を造ることです。教会という方舟、教会に連なる一人一人の家庭、生活、大きく私たちの生活フィールドにまでわたる方舟です。私たちはどのような方舟を造ったらよいのでしょうか? それが、いつも私たちに課せられている課題なのです。どのように方舟造りに従事していったらよいのでしょうか?
 7章の箇所ですが、神様の命じた通り、ノアの家族と、全ての生き物の一対ずつが方舟に乗りました。最後に「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされた」とあります。大きな方舟を作ったり、家畜をはじめ全ての生き物を方舟に乗せるというたいへんな仕事をやってのけたノアです。そのノアが、最後の「戸を閉ざす」という、いとも簡単なことをしないのはなぜでしょうか?
ノアの大事業を最後に締めくくるのは、神様であるという宣言なのです。支えたもうていたのは神様であるとのことでもあります。
 私たちは方舟を作ることが課題ですと述べました。その方舟作り、すなわち信仰をもった私たちの教会共同体の形作る方舟の最後の完成こそが神様のなさることなのです。更に大切なのは、私たち一人一人の人生の最後も神様が締めくくられるということです。自分で自分の人生に価値や意味を持たせようとするのが、普通の私たちの生き方です。けれどもこのノアの最後をまかせるという信仰が、自分で意味を作り出そうとしてあくせくし、自分だけのことを考える生き方から、私たちを救う信仰なのであります。自分で何事かをして、他人の評価を得て、それを拠り所として生きようとする人生から、神様の御旨にかなうことで自分は何をなすべきか?を問う人生へと転換させてくれるのです。最後を主にまかせる、それは全てを主に委ねることへと私たちを歩ませます。「主は与え、主はとりたもう、主のみ名はほむべきかな」、そのような告白の中で日々歩みたいと願います。
 そこで私たちは6章7節の神様が「後悔する」という言葉を、ぜひ、憶えておきたいと思います。この言葉は、日本語訳として正しくありません。もっと正確に訳すのならば、「私は、自分自身を苦しめる」となります。地上から全ての生き物をぬぐい去ることを神様は、ご自身の苦しみとしているのです。神様の裁きとはこの苦しみの中で行われているのです。
 パウル・テリッヒという神学者はノアの箱船の箇所を通して次のように語っています。「過去と未来とを越えて、永遠に私たちは知られている」。それがイエス・キリストの十字架の出来事なのです。神自らが苦しみの中で、ノアの業、慰めの業を成し遂げられる、そして主イエスによって、赦し生かされている、それは過去、未来を越えて永久に私達が憶えられている、死をも越えて憶えられているという出来事なのです。   
 ノアの方舟の記事は神様の約束と単純に捕らえられやすいです。しかし、それは約束をはるかに超え出た、新しい創造の出来事なのです。死をもって終わっていた人間を、死を越えてなおも憶えられ歩み出す存在として、憶えて下さった、新しく創造してくださった出来事なのです。永久に、神に知られた者として相応しい歩みが生来しますよう、共に祈りを合わせましょう。

 2021年1月3日