5月15日 復活節第5主日
説教 「変貌する母」
渡辺誉一牧師
そのとき、ゼベタイの息子たちの母が、その息子と一緒にイエスのところへ来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。
祈祷: 渡辺誉一牧師
主なる御神 主日の礼拝を感謝いたします。心から讃美をし、共に祈る者とならせて下さい。長引くコロナ禍の為に、今なお出席出来ない方々がおられます。どうか等しく、あなたの祝福とお守りがありますように。
ウクライナでは戦争が続いています。苦しみと悲しみの中にある方々に希望とお力をお与え下さい。世界に自由と平和をもたらして下さい。争いや対立、貧困や差別、抑圧を克服する力と知恵を授けて下さい。人と人が手を取り合って共に歩む世界が訪れますように。
説教: 「変貌する母」渡辺誉一牧師
弟子達は家や仕事を捨ててイエスに従ってきた。なぜかゼベダイの子たちは母親も一緒だった。この母親は息子たちが家族や仕事を捨ててイエスに従っていったことに驚き、心配でいてもたってもいられず、彼女自身も今度は家と夫を捨てて、子ども達の後を追ってきたのだろう。子どもの事が心配で、後を追ってきた母の姿が描かれている。
5月8日 復活節第4主日
説教 「自分に死んで」
大野高志牧師
わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
祈祷: 大野高志牧師
説教: 「自分に死んで」大野高志牧師
一人ひとりの苦しみを引き受け背負った方がある。誰もが互いに支え合い、力を合わせて働くよう。ここに奇跡が巻き起こる。己を過信しうぬぼれた、そんな「私」に死ぬ奇跡。そんな「私」と訣別し、教会に生きる復活の奇跡。
5月1日 復活節第3主日
説教 「主と共なる日々」
渡辺誉一牧師
エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
復活の主イエス・キリストを称える復活節の中、今朝も礼拝を捧げています。心からなる感謝、讃美を捧げることへとお導き下さい。
けれども、長引くコロナ禍で、今なお教会に集えない方々を憶えます。お一人お一人のところへ、復活の喜びと平安がありますようお祈りいたします。
ウクライナでの戦争が2ヶ月を過ぎました。多くの方々の命と生活が奪われています。悲しみ、痛み、苦しみの中にある人々をお守り下さい。そして一日も早く戦いが終息しますように心から祈り願います。
今日から始まる新しい一週間も神と人に仕えていくことが出来ますように、私たちを導いて下さい。
説教: 「主と共なる日々」 渡辺誉一牧師
テオフィロとは「神に愛された者」という意味の言葉だ。つまり使徒言行録とは神にイエスに愛された全ての者に宛てた手紙だ。ルカは福音書のはじめにもテオフィロという名を記している。「あなた方は神様に愛された者たちだ」、だからキリストの出来事が私たちの間に起こったことをルカは福音書と使徒言行録で繰り返し語っている。
4月24日 復活節第2主日
説教 「執り成しの主」
渡辺誉一牧師
ペトロは、イエスが三度目も「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
今私たちは、復活節の中を歩んでいます。甦りの主イエス・キリストが今もなお私たちと共に歩んで下さることを憶えて感謝を捧げることが出来ますように。
コロナ禍が長引いています。今朝も教会に集えない方々を憶えます。皆のところへと復活の喜びが届けられますように祈ります。
ウクライナでの戦争が早く終わりますように。悲しみや苦しみの中にある多くの人々を守り導いて下さい。平和と平安を心から祈ります。
説教: 「執り成しの主」 渡辺誉一牧師
本来、ヨハネ福音書は20章31節で終わっている。おそらく、この時代は厳しくなるユダヤ教との対立によって、信仰を失い教会から去るものが沢山出たのだろう。その様な状況下で復活の顕現物語を続けていく必要があったのだろう。加筆部分である21章は、何度も躓きかける者を励ますように物語が綴られている。
4月17日 復活日・イースター
説教 「恐れのただ中に」
渡辺誉一牧師
弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
今日は主イエス・キリストの復活日・イースターです。キリストは私たちのために十字架にかかりましたが、死に打ち勝ち、私たちの希望となられました。主に従う者には永遠の命をも約束されました。心から感謝を捧げ、主をほめ歌うことへとお導き下さい。
今朝もウクライナでの戦争という悲劇が一日も早く終わることを祈ります。戦争による悲しみや苦しみの中にいる多くの人々のために祈ります。平安が訪れ、日常生活へと戻れますように。平和のために心から祈ります。
コロナ禍も続いています。教会に集えない方々のところへも、主の復活の喜びが届けられますように。
説教: 「恐れのただ中に」 渡辺誉一牧師
イエスに出会ったはずの弟子達は、再び家にカギをして閉じこもっている。信じたはずの彼らだ。しかし、その信仰よりも恐怖の方が勝っていた。彼らが閉じこもっている家は、いわば死の恐怖が支配する世界であり、弟子達の信仰、希望、愛が破壊されている。よみがえりの主は、そんな閉ざされた世界へと来られた。
讃美歌: 327(1番)
4月10日 (受難節第6主日)・棕梠の主日
説教 「先立つイエス」
渡辺誉一牧師
一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
今日は棕梠の主日です。主イエス・キリストの受難週が始まります。十字架へと進み行く受難のキリストに思いを馳せ、祈りつつ私たちもこの週を歩むことが出来ますように。
特にウクライナでは戦争という悲劇が起こっています。戦渦の中にいる多くの人々のただ中に受難のキリストがおられ、その苦しみを受けとめて下さっています。争いが一刻も早く終わりますよう心から祈ります。対立や争いではなく、平和な世界が訪れますように。
コロナ禍で今もなお、教会に集えない方々がいます。どうか皆のところに主の祝福と恵みがありますように。次週は復活日・イースターです。主の復活を共に祝う事へとお導き下さい。
説教: 「先立つイエス」 渡辺誉一牧師
イエスが弟子たちの先頭に立って導き、それを見て「驚き、恐れる」弟子たち。これで三度目の受難の予告、さらに復活の予告となるが、その物語の中で「先立つイエス」を描いているのは、このマルコ福音書だけだ。ここにはイエスだけが私たちを先導する存在であるというマルコのイエス像がある。
4月3日 (受難節第5主日)
説教 「ここから出かけよ」
渡辺誉一牧師
わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て、ここから出かけよう。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
新しい年度が始まりました。未だコロナ禍が続いていますが、この一年の教会の歩みと連なる一人一人の生活を支え、導いて下さい。夫々の生活の場で今朝も共に祈りを合わせている方々と共に、祈りを束ねていくことが出来ますように。そして一日も早くコロナ禍が終息しますよう心から祈ります。
ウクライナでは戦争が起こっています。争い血を流し合う悲劇が終わりますように。平和で共に生きる世界が訪れますように。
今はキリストの御苦しみを思う受難節です。復活日・イースターまでの歩みの中で、人間の罪や愚かさを思い、悔い改めていくことが出来ますようお導き下さい。
説教:「ここから出かけよ」 渡辺誉一牧師
弟子達を愛するが故に先立って苦しみを受けられるキリストの姿が表現されている。「さあ、立て。ここから出かけよう」と、イエスはこれらか自らの貧しさ、人間の弱さを味う弟子達との共なる出発の宣言をされている。破れを支える神の真実こそ、主と共なる歩の中にある。
3月27日 (受難節第4主日)
説教 「主の招く声」
渡辺誉一牧師
自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
ウクライナへのロシアによる軍事侵攻によって、戦争が引き起こされ約1ヶ月が過ぎようとしています。世界中が重大な危機におかれ、不安に包まれています。毎日のように、貴い命と沢山の人々の生活が奪われ、大勢の避難民が隣国へ逃げています。小さな子どもたちの命が犠牲になっていることに心が痛みます。
一日も早く戦争が終わりますように。人々の間に平和と平穏な日常が戻りますように。困難と悲しみの中にある人々をお救い下さい。皆をお支え下さい。私たちには出来ることは小さいですが、祈りをもって可能な支援が出来ますよう強めて下さい。心から祈り願います。
次週から新しい年度が始まります。教会の歩み、連なる一人一人の生活を豊かにお導き下さい。コロナ禍が終息し、皆で礼拝に集えるようになりますように、心から祈ります。
説教:「主の招く声」 渡辺誉一牧師
人々はイエスを洗礼者ヨハネ、エリヤ、だれか昔の預言者と見ていた。ペトロは「神からのメシヤです」と答えるが、イエスは弟子達を戒める。弟子達が見当違いの方向を見ていたからなのだろう。そして誰にも話さないようにと命じた。
3月20日 (受難節第3主日)
説教 「逃れる道をも備えてくださる」
鬼形惠子牧師
コリントの信徒への手紙一10章13節(P.312)
祈祷: 鬼形牧師
主なる神様
コロナ禍が長引き、世界中が不安と困難の只中にあって、ウクライナへのロシアによる武力侵攻が続いています。沢山の貴い命と沢山の人々の生活が奪われています。同時に避難民が増加しています。特に、小さな子どもたちの命までもが奪われている惨状に、とても心を痛めます。
争いが終わり、平和と平穏な日常が戻りますように。苦しみと悲しみの中にある人々をお守り下さい。私たちも祈りをもって可能な支援が出来ますように。心から祈ります。
説教:「逃れる道をも備えてくださる」 鬼形惠子牧師
思うようにいかない毎日が続く中でも、主は必ず共にいてくださる。
感謝して、日々を豊かに生きていきたい。
3月13日 (受難節第2主日)
説教 「信仰者にされていく」
渡辺誉一牧師
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
ウクライナへのロシアによる武力侵攻が長引いています。しています。貴い命が沢山奪われています。一般の人々の生活が奪われ、国外へ逃れる避難民が日に日に増加しています。小さな子どもたちの命までもが奪われています。
人はどうして争うのでしょうか、力のある者が弱い者を踏みにじるのでしょうか。
一日も早く、この争いが終わりますように。世界の人々が平和を願い、作り上げていくことが出来ますように。苦しみと痛み、悲しみの中に佇む人々をお支え、守って下さい。私たちの出来ることは小さな事かも知れません。けれども祈りをもって可能な支援が出来るようにして下さい。心から祈ります。
説教:「信仰者にされていく」 渡辺誉一牧師
副題に「赦し、信仰、奉仕」と記されている。順番に注目したい。私たちはイエス・キリストの十字架によって罪や破れや弱さが赦されているから、信仰が与えられていく。その感謝の応答として神と人へ、教会への奉仕が与えられていく。
3月6日 (受難節第1主日)
説教 「信の深みへ」
渡辺誉一牧師
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
一日も早く、争いが終わりますように。ウクライナへとロシアが武力を持って侵攻しています。流血の惨事が起こっています。大勢の貴い命が奪われ、大勢の方々が生活を脅かされ、国外へ退避しています。その中には小さな子どもたちがいます。主が共にいて下さり、お支えとお守りを心からお祈りいたします。
戦争に反対し、平和を望む声が高らかに世界中に響きますように。戦争を止めることが出来るのは、民衆の力です。私たちにも平和を願い、作り上げていく勇気と力、そして知恵を与えて下さい。
世界は未だにパンデミックの中にあります。終息を心から祈ります。
説教:「信の深みへ」 渡辺誉一牧師
イエスを救い主と告白し、信じ従おうとするペトロ。しかしイエスはペトロを叱り「自分を捨て、自分の十字架を背負って」信じ従えと言われる。弟子達への厳しい言葉で締めくくられる。だが弟子達の傍らで、ご自身の十字架を受容し苦しみながら悲しみながら歩んで下さる救い主の姿が同時に描かれている。
2月27日 (降誕節第10主日)
説教 「私たちの足下に」
渡辺誉一牧師
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
世界は新型コロナ・ウィルスのパンデミックのただ中ですが、今、ウクライナを巡って争いが起きています。大勢の人々が命を奪われ、生活が脅かされています。その中には老齢の方々や小さな幼子たちもいます。とても胸が痛みます。武力行使に憤りを覚えます。
どうか人が争い合うのではなく、傷つけ合うのではなく、共に手を取って歩んで行けることが出来ますように。世界に平和をもたらして下さい。そして平和な世界を私たちが望み、作り上げていくことの出来る勇気と知恵を与えて下さい。
困難と不安と悲しみの中にある方々をお助け下さい。主が共にいて下さい。お支えとお守りを心からお祈りいたします。
説教:「私たちの足下に」 渡辺誉一牧師
湖上で突風にあった弟子達は、舟で寝ていたイエスを起こし「おぼれそうです。」と必死に叫んでいく。前の口語訳聖書では「死にそうです。」という翻訳になっていた。岩波書店から出ている聖書では「滅んでしまいます。」となっている。いずれも、命の危機に直面した悲鳴のような表現となっている。だがイエスは寝てはいたが一緒におられたのである。
2月20日 (降誕節第9主日)
説教 「恵みのゆらぎ」
渡辺誉一牧師
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
長く続くコロナ禍によって、多くの方々が疲弊し、疲れ切っています。どうか、一日も早く、このパンデミックが終息しますように。
今朝も、教会に出席することの出来ない多くの方々を憶えます。どうぞ等しく、あなたの祝福とお守り、お導きがありますように。
世界の国々が対立し、争い合うのではなく、共に手を取って歩んで行けることが出来ますように。この世に平和をもたらして下さい。
病気で苦しんでいる方や、困難の中にある方、悲しみの中にある方をお助け下さい。天来のお支えをお祈りいたします。
説教:「恵みのゆらぎ」 渡辺誉一牧師
遣わされた72人は、喜びに溢れて帰ってきた。これは人と一緒に重荷背負い、難しい問題を共有し共に祈りを奉げていくという共生の輪のただ中にこそイエスは存在することを表現している。イエスはその輪を広げよと命じられている。このような取り組みにこそ、神の国の姿が隠されている。それがイエスの幻である。
2月13日 (降誕節第8主日)
説教 「イエスという原点」
渡辺誉一牧師
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
新型コロナ・ウィルスによる世界的なパンデミックが起こり、三年目となります。長く世界や社会は困難な状態に置かれています。どうかこのコロナ禍が一日も早く終息しますよう祈ります。
教会に出席することの出来ない多くの方々にも等しく天来の祝福とお守りがありますよう祈ります。
世界の全てのところに自由と平和をもたらして下さい。貧困や格差、対立や争いを克服する知恵と力と勇気を与えて下さい。
病気の方、試練の中にある方、悩みを抱えている方、悲しみの中にある方が必要としている助け、支えをお与え下さいますように。
説教:「イエスという原点」 渡辺誉一牧師
イエスがこのたとえを語った時、きっと人々はあざ笑い、イエスの横を通り過ぎて行ったことだろう。15節の「ねたむ」には「嫉妬深い、よこしま」という意味がある。ねたみや嫉妬、よこしまさがイエスの言葉を遮ろうとしている。しかし、ほんの一握りの人々が、このイエスの言葉を伝えて来たのである。
2月6日 (降誕節第7主日)
説教 「愛を切り開く」
渡辺誉一牧師
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
次々と変異をする新型コロナ・ウィルスによって、世界や社会は長く困難な状態に置かれています。コロナ禍が一日も早く終息しますよう祈ります。不安の中に置かれている多くの方々をお支え下さい。
争いや対立が無くなり、皆が手を取り合って歩んで行ける世界が訪れますように。皆が心を通わせ合うことが出来ますように。平和な世界の到来を心から祈ります。
説教:「愛を切り開く」 渡辺誉一牧師
自分がサマリヤ人であり、相手が敵対するユダヤ人であることを忘却し、一人の人間として瀕死の人を見過ごしには出来ないと心を強く動かされた。このイエスのたとえは、人と人との具体的な出会いが語られつつ、そこに「憐れに思う、心を強く動かされる」という神の出来事が人間の中に起こることを語っている。
1月30日 (降誕節第6主日)
説教 「問い続けるイエス」
渡辺誉一牧師
安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
長く続くコロナ禍が一日も早く終息しますように。今もなお、困難の中に置かれている大勢の方々を憶えます。どうぞ、お支え下さり、守り導いて下さい。心から祈ります。
私たちもまた不安の中に置かれていますが、私たちの心を整えて下さい。この世の様々なものに振り回されずに、命に仕えていくことが出来ますように。この様な時であるからこそ、心を通わせ、共に歩むことが出来ますようにして下さい。
説教:「問い続けるイエス」 渡辺誉一牧師
聖書で描かれているイエスは、現実の様々な場でイエス自身を追体験する事へと私たちを誘っている。一箇所に安住することなく、身の置き場を変え、多くの人々共に生きて欲しいと願っている。そしてイエスは一緒に歩んで欲しいと私たちを促している。
1月23日 (降誕節第5主日)
説教 「優しさに溢れて」
渡辺誉一牧師
イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神
次々と変異をするウィルスによって、更なる感染拡大が続いています。人々がなおも不安に包まれ、生活困窮者も増えています。医療関係のみならず、公的サービス期間も逼迫しつつあります。困難の中にいる方々をお支え下さい。このようなコロナ禍が一日も早く終息しますように祈ります。
寒い日が続いております。大雪に悩まされている地方の方々の上にも、あなたのお守りがありますように。
主が共にいて下さることを信じて歩むことが出来ますように。
説教:「優しさに溢れて」 渡辺誉一牧師
イエスは言葉ではなく、涙で足を洗う女性の姿に彼女が今まで犯してきた罪を感じた。それだけではなく、彼女の良心の呵責、更には気づかぬところで人を傷つけ、悲しませてきた多くの言葉と振る舞いを、およそ人間が生きる上での業を、イエスはしっかりと受けとめた。
1月16日 (降誕節第4主日)
説教 「私たちの土台」
渡辺誉一牧師
そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神。
新型コロナ・ウィルスが次々と変異をし、更なる感染拡大が続いています。社会が混乱し、人々が大きな不安に包まれ、生活困窮者も増えています。この世界的なパンデミックが、一日も早く終息しますように祈ります。困難の中に、悲しみの中にいる多くの方々をお支え下さいますように。
この年も主が共にいて下さり、希望を抱いて歩むことが出来ますように、なかなか教会の様々な活動も再開出来ませんが、必ずやあなたが導いて下さることを信じて歩むことが出来ますように。
説教:「私たちの土台」 渡辺牧師
山上の説教の締めくくりに納められたイエスのたとえは、行為重点の教えである。この箇所までに綴られているイエスの言葉は、愛を喪失していくことへの警告とも捉えられる。人間の自己中心的な営みへと、イエスの鋭い神の言葉が対峙していく。この対峙していく様、向かい合っていく様こそがイエスの真骨頂でもある。
1月9日 (降誕節第3主日)
説教 「新しい創造へ」
渡辺誉一牧師
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神。
私たちは新しい年2022年を歩み始めています。長引く新型コロナ・ウィルスによる世界的なパンデミックが、一日も早く終息しますように。不安を取り除き、困難の中に、悲しみの中にいる多くの方々をお救い下さい。そして、希望を抱き、平安に満たして下さい。
今日は礼拝の中で成人祝福と幼児祝福が執り行われます。新しく成人する方々の上に豊かな祝福を祈ります。幼子達の上には、貴方の祝福とお守りが豊かに注がれ、すくすくと育ち行きますようにと、心から祈ります。教会に連なる一人一人が主によって呼び集められた家族である事の自覚に立つことが出来ますように祈ります。
説教:「新しい創造へ」 渡辺牧師
イエスの弟子達はユダヤ教の教えや振る舞い、当時社会の考えが染み着いていた。しかし、そんな弟子達もイエスの死と復活の出来事が内に宿り、新しく歩み始めることができた。パウロはガラテヤの信徒への手紙を「大切なのは、新しく創造されることです」と締めくくっている。
1月2日 (降誕節第2主日)
説教 「主の器として」
渡辺誉一牧師
あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。
祈祷: 渡辺牧師
主なる御神。
御子イエス・キリストの降誕を憶える降誕節の中で、新しい年を迎えました。私たちは安心出来る日常を心から願っています。二年も続く新型コロナ・ウィルスによる世界的なパンデミックの為に、未だ未だ不安と困難が続いています。どうか一日も早く終息しますように。希望に満ちた年となりますように祈り願います。
悲しみや苦しみの中に置かれている大勢の方々のところに、天来の慰めとお支えがありますように祈ります。
説教:「主の器として」 渡辺牧師
ヨーロッパの教会では、塔のてっぺんに鶏の像が置かれていることがある。教会がこの世界に向かって「神の国の到来の時」を告げ知らせるという意味があるという。と共に、いつも目を醒して世の見張りの役をすべきことを自分自身に課すしるしともなっている。