月報あれこれ

300号 月報編集二十年 山口みどり

300号 月報編集二十年 山口みどり


 今回、「恩寵月報」が三〇〇号を迎えるに当り、しばらくの間編集に参加させて頂いた一人として、思い出を書かせて頂くことになりました。


 私が「月報」に関わるようになったのは、第一一七号(一九八二年十一月発行)からです。それ迄、故橋本恭子姉の御努力で主にガリ版印刷による月報発行が続けられていました。改めて編集委員会が設けられ、故山本敬兄が編集長、他に故森井皓子姉、野村利孝兄、福本宣彦兄、山口みどりが委員となり、隔月(奇数月)発行で出発しました。途中故三嶋信姉も参加されました。いつからかは覚えていませんが、編集長は時の図書•月報担当長老が当るようになりました。


 その頃はパソコンも無い時代、月報部で一行十五字の原稿用紙を作り、会員の方々に原稿を依頼し、原稿が揃うとB4の用紙に割付けして、七里ケ浜の内田浪江さんにタイプ印刷で版下を作って頂いていました。編集作業の中で一番手間のかかったのはこの版下の校正。字の間違いがあると、別にコピーした紙から正しい字を探し、切り抜いて糊で貼り付ける。又カットのため残した空白にうまく合う絵柄を探すのですが、カット集の外にCSの本棚から見付けること度々でした。これを三嶋姉と二人、毎回シコシコとやり続けました。ただ、二人共結構楽しみながら続けていたことも確かです。


 一面の「恩寵月報」の字は、最初の頃内藤牧師の奥様、美枝子夫人が版下に筆で直に書いておられました。印刷は内藤牧師でした。一二二号あたりから「恩寵月報」もコピーしたものを貼り付けました。(この美枝子夫人の字は現在の月報でも使われています。)この頃から印刷も私達で行うようになりました。表裏をピッタリ合わせるのがけっこう大変。又裏を印刷する時(コピー機で)皺が寄ってしまうことがあり、時間をおいてコピーした方が良いかと、二日に分けて行ったりもしました。


 二一五号(一九九九年三月発行)から田中芳之兄がパソコンでの紙面作りで参加して下さるようになり、月報の編集も変化していきます。機械に弱い私などは、初め、パソコンなるもの、機能がわからず、原稿の処理にとまどうこと度々でした。更に紙面もB4からA3の二つ折りと大きくなり、パソコンの力で以前の切り貼り作業やガットの絵探しは無くなり、写真が多く紙面を飾るようになっていきました。月報の新時代が始まったわけです。


 二〇〇二年三月発行の二三三号で、私は月報部での活動を終わらせて頂きました。丁度二十年になりました。その間、内藤牧師の追悼号(一五〇号)、塩出牧師の追悼号(一七八号)の編集は特に心に残っています。どちらも説教の原稿は亡くなる前のものをテープから起こして載せました。葬儀の式辞の原稿を頂きに内藤牧師の折は鎌倉教会の鈴木和男牧師を、塩出牧師の折は横須賀小川町教会の小林利夫牧師をお尋ねしたことも忘れられません。月報編集を通して色々な経験をさせて頂いたこと、そして教会の方々との交りを深められたこと、改めて感謝の気持で一杯です。ありがとうございました。

300号 創立当時の月報を読んで… 朝倉万喜子

300号 創立当時の月報を読んで・・・朝倉万喜子


月報300号を発行するに当たり1968年4月の第1号から目を通してみました。6号までは手書きで横書き(ガリバン?)、B5版で表が1号、裏が2号という大変限られたスペースの中に説教要旨、会計報告等が収められています。7号からは横書きですがタイプ印刷になり57号(1973年4月)まで続きます。そして58号は伝道所から第二種教会へ移行したのを機会に「新しい月報の発足」をしたいとの委員会の言葉と共に縦書き2段、手書き(ガリバン?)に模様替えをしています。次の59号では縦書き3段、紙数も2枚4ページになり、この形で116号(1982年6月)まで従来の説教、報告に加え会員の消息、文章、詩歌、そしてCSの子供の詩も仲間入り、若葉の薫る季節を思わせるように月報は号を重ねます。118号(1983年1月)、改めて編集委員会が設けられ、活版印刷(縦5段組)の新しいスタイルで登場です。編集委員5名の中に野村利孝兄、山口みどり姉の名前を見つけました。「恩寵月報」の見出しは内藤美枝子姉の筆によるもの、今日の300号に至るまでず~っと月報の大黒柱として私たちを励ましてくれています。


現在、月報部では「私の好きな賛美歌、思い出にある賛美歌・・・」等の題で皆さんに原稿をお願いしています。この前身は137号(1986年3月)、初回の執筆は故山本敬兄、好きな賛美歌は賛美歌121番(まぶねのなかに、うぶごえあげ・・・)でした。その後8名の方が賛美歌への想いを話してくださっています。続いては「私の好きな聖句」の企画がありましたが、そこに多くの先人たちのお名前を見出し懐かしく思いました。


私が委員として月報にかかわるようになった時はすでにPCでのやり取りが出来ていましたし、原稿の訂正もフレーズの入換えも簡単にできますので、校正という仕事はとても軽減されたと思います。今まで一つの原稿を書くのに頭の中で凡その組み立てをして、整理し、ペンを執るという作業を無意識のうちにしていたのですが、それがまず指を動かす、頭に浮かぶ適切な言葉をモニターに表す。気に入らなければ消す。漢字は変換で出す。そんなことで出来上がった文章が最初の想いと異なったものになったり、薄っぺらに感じられたりすることが私には間々あるのです。ガリバン切、謄写版等は小中学校の頃体験したこともあり、その大変さは想像できますがガリバン切で13,4年、活版印刷で20年余りと発行されてきた月報は一字一字がこの上なく愛おしく、その上に教会の歩みが重なります。月報の行と行との間から人の手のぬくもりが立ち上ってくるようです。


余談ですが今はチョットした活版ブーム、おしゃれな大人は「活版印刷で名詞を作りたい」のだそうです。金属活字の文字はくっきりと、刷り上りは美しい。何しろ手間をかけるから愛着があるのだそうです。


資料としてチョットのぞいた初期の月報でしたが、すっかり夢中になって全部目を通してしまいました。多くの先人方に久しくお目にかかったような気持ちです。創立45年、陪席125名の恩寵教会が今在るのはこれら先人方の支えと見守りの上にあるのだと改めて感じています。作業の方法は変わってもいつも手のぬくもりの感じられる月報であるように努力したいと思いました。

300号「恩寵月報」第三〇〇号発行に際して 野村利孝

300号「恩寵月報」第三〇〇号発行に際して 野村利孝


鎌倉恩寵伝道所始動ひと月後の一九六八年四月七日に「月報」第一号が発行されてから、今回の発行で第三〇〇号になります。
 第一号はタイプ印刷の横書き一ページでお説教の要旨と会計報告、教勢報告のみの内容でした。ここには「私たちは長い困難な道を歩み始めました。この一ヶ月の総ては感謝の一語に尽きます。この仮庵の礼拝で感じているおそれに満ちた未完成な教会の姿と心とをいつまでも忘れることなく謙遜に貧しい想いをもって、このおおいなる神の業に参加したいと思います。」と伝道の第一歩を踏み出す内藤牧師の慎重かつ強い決意が記されています。創立一年後の説教要旨(前回の月報に記載されている原節子姉保存の第十二号月報)にもこの想いがこめられています。このときの出席者平均は三十五名でした。
 一九七三年五月の第五十七号に森皓子姉が「第二種教会に移行したのを機会に四倍の紙面に拡大すること、内容を説教要旨、諸報告以外に出来事、反省、夢など信仰生活を分かち合う交わりの場としたいこと、礼拝集会にお出になれない方々とも紙面を通して語り合い、祈り励ましあって主にある交わりを深め確かめ合えますように」との月報の今後のあり方を記し、ガリ版刷りながら充実していきました。
一九七八年八月発行の第一〇〇号はまだガリ版刷りで、仁科文枝姉の追悼記、吉田吉彦兄の博多の教会出席記などが記載されています。このころの出席者平均は四十名でした。
一九八八年五月の第一五〇号月報には、四月に御許に召された内藤協牧師の「朽ちぬものへの甦り」と題した最後の説教の要旨、鈴木和男牧師による「葬儀式辞」が記載され、そして、月報委員は、内藤牧師の掲示の言葉「イースターです やがて死ぬべき者である故に 今日精一杯生きなさい と招きます」「空の空 一切は空なり 世は去り 世は来たる 日は出で 日は没し 人はみな塵に帰る」の四行詩二編に牧水の一首を添えて哀悼の意を表しています。出席者平均は七十二名でした。
月報表記は一一七号からワープロになりました。題字の「恩寵月報」もこのころ内藤三枝子牧師夫人によって書き直され、現在に至っています。
一九九三年二月の第一七八号には第二代牧師、塩出俊三先生最後の説教「霊を養う食卓」の要旨と横須賀小川町教会の小林利夫牧師の「葬儀式辞」鎌倉泉水教会の山崎正幸牧師の「追悼の言葉」等が記載されています。
印刷も教会の印刷機を使うことが出来るようになりました。
二〇〇二年三月の二三三号では菅根信彦牧師の説教「神の御心を行なう者」そして召命による別辞などでした。
そして第三〇〇号の発行です。二月の平均出席者数六十七名のこの小さな群れが創始以来、四十五年の長きに亙って第一代、第二代の牧師を天に召された悲しみと混迷、そして第三代、第四代の牧師を迎えた喜び、月報はその時その時の教会の姿と、教会員皆様の信仰の歩みを刻んで今に至ります。これからも荒井仁牧師に支えられ導かれて、教会創始当初の初心を忘れずご恩寵の下、皆様と信仰生活を送っていきたいと願っています。

311号 45年目の恩寵月報 山本メグミ

311号 45年目の恩寵月報 山本メグミ


私たちの恩寵月報が2013年6月に第300号を迎えました。これを記念して、月報第1号から300号までの目録を作成し、希望者にお配りしました。お読みいただいた方には45年の重みが視覚的にも伝わったことと思います。


半世紀近くも途切れることなく続いた月報。原稿依頼から、編集、印刷の手間をいとわず支えてこられた兄弟姉妹の努力の積み重ねにただ尊敬します。


1年半くらい前からでしょうか、月報部会の折々に「もうすぐ300号ね」と話題に上るようになりました。


どのような形で300号を記念しようか…好評をいただいている「わたしの好きな讃美歌」を拡大して、皆さんからお好きな讃美歌のアンケートを取るのは?…などなど案が出され考えているうちに気がついたら次の号が300号という時期となりました。


ちょうど今年2月発行の298号の中で、原節子さんが創立1年後の月報(No.12)をご紹介下さったことがヒントになりました。過去の月報を振り返ろう、それも全部!などという冒険をすることにしました。(それがどんなに骨折りな作業か後に思い知ることに…)


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さて、参考資料には過去の月報が必要です。
牧師室の本棚に、月報が布表紙に製本されて収まっています。


これらを荒井先生にお断りして拝借、家に持ち帰って開いてみました。


まとまった月報を手にして読んでみると、 まるで物語のようです。 改めてこれは牧師の声、そして教会員という語り部を通して知る教会の歩みであり貴重な歴史資料だと思いました。




初代牧師内藤協先生による1968年伝道所開設、1973年第2種教会設立への移行。1982年新会堂建設。1988年3月、教会20周年誌発行。1988年4月4日(月)あまりに急な訃報。イースター礼拝、墓園礼拝の翌日のこと。 20年にわたる牧会、追悼の号。


(内藤協牧師 追悼号)
月報150号 1988年5月29日
イースター礼拝説教:「朽ちぬものへの甦り」内藤協
「故•内藤協先生 葬儀式辞」鈴木和男
「故内藤協牧師葬儀次第」
「四行の詩」
「内藤先生が召されるまで」山本敬
「永遠のイースター礼拝」伝道師 塩出俊三
「弔辞」滝口充




1987年4月に担任教師として招聘した塩出俊三伝道師は1989年12月按手礼を受けられ、同月17日、主任担任教師招聘が決議。2代目牧師就任へ。1991年よりかねてから心配されていた健康問題が生じ、入退院が続く。多くの教務教師や牧師の協力を受ける。1992年12月30日ご逝去。


(第2代 塩出俊三牧師 就任の号)
月報160号 1990年2月4日
説教:「主が再建される」畠山保男


(塩出俊三牧師 追悼号)
月報178号 1993年2月7日
説教: 「霊を養う食卓」塩出俊三
「故塩出俊三牧師 葬儀式辞」小林利夫(小川町教会牧師)
「故塩出俊三牧師 追悼の言葉」山崎正幸(鎌倉泉水教会牧師)
「故塩出俊三牧師 前夜式式辞」畠山保男(鎌倉恩寵教会協力牧師)
「弔辞」滝口充
「塩出先生を偲んで」山本敬




(無牧師の時代)
月報179号 1993年3月28日
から
月報184号 1994年1月30日


(塩出俊三牧師 召天一周年記念)
月報185号 1994年3月27日
説教: 「幸福であること」木村知己


「故塩出俊三牧師 召天一周年記念式辞」佐藤千郎牧師 田浦教会
「故塩出俊三牧師 召天一周年記念会の記」滝口充
「塩出先生と共に歩んだ日日」山本律子






  菅根信彦牧師が招聘され、1994年5月1日に赴任。1995年佐助1丁目に牧師館取得、1996年3月第一種教会建設移行。1998年、中庭の平坦化一階集会室と多目的トイレ改修工事、礼拝堂新規椅子設置。1998年10月、教会30周年誌発行。2001年7月、菅根牧師より主任担任教師辞任願届提出により招聘委員会設置。8回の委員会を経て荒井仁牧師を後任牧師として招聘を決定。




(第3代 菅根牧師 就任の号)
月報186号 1994年5月29日
説教: ローマの信徒の手紙 12:9−16
「泣く者と共に」菅根信彦
「歓迎と感謝の集い」月報部員記




(菅根牧師 送別の号)
月報233号 2002年3月31日
説教: マタイ福音書 12:46−50
「神の御心を行う者」菅根信彦
「招きに応えて 出会いに感謝しつつ」菅根信彦


教団宣教幹事 荒井仁牧師を恩寵教会第4代牧師として招聘。2002年4月着任、5月就任式。2006年教会牧師館の除却、2007年新牧師館完成。2008年9月 教会40周年記念誌発行。2009年 会堂空調工事。外壁リフォーム。現在に至〜






(第4代 荒井牧師 就任 歓迎の号)
月報234号 2002年5月26日
説教: コリントⅠ 15:1−11
「神の恵みによって」荒井仁


「就任にあたって『キリストにある関わり』」荒井仁
「牧師就任式と感謝会」石郷岡二郎


2013年8月現在 月報301号




資料読みを通して、 教会の歩みを早送り映像で一気に見たようで完璧に圧倒されてしまいました。
そこに懐かしい人を沢山見つけました。お別れも沢山あったことも思い知らされました。


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これからも月報がますます愛され、皆さんを(つなぐ便り)となりますように。




クイズ:目録記載の「人名」について、ご質問を受けました。(①中村ゆう子、②山本史子、③林美穂子、④山本伸子) さて…答えは:①平野、②八木、③中里④田中(敬称略)