荒井牧師 

234号 就任にあたって「キリストにある関わり」荒井仁

234号 就任にあたって「キリストにある関わり」荒井仁


 鎌倉恩寵教会の皆様と共に、神様の恵みを分かち合いながら歩むことの許された幸いを感謝いたします。菅根先生の辞任の思いを伝えられてから、不安を抱えながらも祈りを合わせて来られた皆様が、招聘に向けての歩みを一つ一つ重ねてこられたことを思います時に、神様の祝福を祈らざるを得ません。


 私は一九七九年四月十五日に逗子教会で洗礼を受けました。同志社大学大学院を出た後は、大森めぐみ教会副牧師をしました。附属のめぐみ幼稚園では、宗教主事として毎週四つある年長組の子どもたちと礼拝を守りました。アメリカに四年間留学をし、帰国後は豊澤教会牧師として約三年間、牧会と幼稚園の働きに携わりました。その後、この三月迄の四年間は、個々の教会の牧会に直接関わるのではなく、日本基督教団全体、そして国外の諸教会との関わりの中で宣教を、日本基督教団幹事として担ってきました。


 今回、鎌倉恩寵教会から招聘のお話しを頂いた時には、「喜び」と「不安」、そして「驚き」を同時に感じたことを覚えています。


 「喜び」と言うのは祈り求めていた牧会の場への導きが与えられたことです。また、御言葉の分かち合いが許されることへの大きな喜びでした。「不安」というのは、今の自分に与えられた賜物が、この地にふさわしいのか、はたして自分は鎌倉での働きに耐えられるだろうかといった思いがありました。


 しかしこれらの心配や不安な思いは、招聘委員会と役員会の方々とお話しをする中で、徐々に薄れていきました。それは今迄の歩み、考え方、信仰の基本姿勢に、教会の方々と共通項を次々と見出していくことが出来たからです。この教会を通して神様に仕えて、この地域に仕えることは、それまで人間的な経験のみで関わってきた場所、人、出来事を、今度はキリストを通して関わるという方向付けをしていただいた感じがしています。本来そのことが信仰の歩みの中でとても大切なことなのですが、この招聘のお話しをきっかけにして、とても大切な信仰の足場を再確認させて頂いたと思います。信仰とは抽象的な事柄ではなく、具体的な生活上のこと一つ一つに触れ、心の動きの細部にまで関わります。人間としての醜悪さ、痛み、喜び、調和、あらゆる事柄が信仰を形作ります。人間関係、自然環境、社会的状況が信仰と直接接点を持ちます。キリストによって新しくされた関係とは何かということを、皆様とご一緒に歩む中で味わっていきたいものです。おそらく不安や心配は消えないと思います。それを積極的に受けとめたいと思います。


 さて、「驚き」の部分ですが、招聘のお話しなど全く知らない段階で、昨年の七月末のとても暑い日に、菅根先生と大門先生の後援会の立ち上げについてお話しをする機会がありました。教団の働きの一つとして宣教師派遣があります。大門先生の派遣についても手続きの初期の段階から私は関わっていました。その際、後援会を作ることをお勧めしたことから、菅根先生と相談をする事になったのです。そこで大門先生が、かつて夏期神学生として鎌倉恩寵教会に来られたことを知りました。そして今回の招聘のお話しを頂いたときに、今迄の結びつきが、このようなかたちで継続されることを夢にも思っていませんでした。この他にも「いくらこの近辺の出身とはいえ、こんなところでもつながっていたんですね」という言葉を交わす方が何人か教会の中におられることを発見して、驚きを感じています。


 これからも分かち合いの喜び、信仰上の不安、驚きがあると思いますが、皆様と共に、神様に導かれて歩んでいきたいと願っています。宜しくお願い致します。

234号 牧師就任式と感謝会 石郷岡二郎

234号 牧師就任式と感謝会 石郷岡二郎


 五月一二日(日)午後三時から神奈川教区総会議長岩崎隆牧師の「主任担任教師就任式」が鎌倉恩寵教会礼拝堂で執り行われた。


 服部道子さんの奏楽で式が始まり、司会者が牧師の誓約についての式文を読み上げたあと荒井牧師の「約束します。」との力強い誓約、司会者の勧告に続いて教会員の誓約が行われた。引き続いて、教会員を代表して田中和子長老が「私たちの教会の姿勢」を朗読した。


 岩崎牧師の説教は「真の礼拝の場として」と題するお勧めで、初代牧師内藤協先生と親交の深い岩崎先生は、この教会と会堂によせる思いを静かに語られた。


 司会者の祝祷、奏楽をもって就任式が終了したのは三時四五分、厳粛な中にも温かな励ましが感じられる式典であった。


 この日は、五月としては珍しく不順な陽気が続いた中での貴重な晴れ間に恵まれ、お招きした教区・地区各教会の皆様や、荒井牧師と交わりの深い方々六〇数名のご臨席と、教会の出席者を含めると百名を越える盛会となった。


 約一五分の休憩と会場準備のあと、午後四時から会堂で、感謝の披露パーティが開かれた。


 会場に設けられた五つのテーブルには、ワインと寿司以外はすべて教会員の手作りというご馳走が並べられ、参加者の称賛と驚きの声の中で「感謝会」が始まった。司会の野村利孝長老の開会の祈りに続いて、来賓の祝辞では神奈川教区から尾毛佳靖子牧師、東湘南地区から宮原晃一郎牧師、先輩・友人から一色義子牧師のお三方が荒井牧師との交友についてこもごも話され、激励された。


 乾杯のご発声は生野隆彦牧師、内藤先生との交わりを感慨をこめて語られ、用意されたワインで杯を上げた。


 食事・歓談のうちに、司会者から祝電が紹介され、教団出版局の小宮郁子さんと合同メソヂスト教会のヘイゼル・タヒューン宣教師のスピーチに移った。ユーモアに充ちたお話は参会者の間に笑いの渦を広げ、会場も盛り上がった。吉田暁美長老による来賓の紹介のあと、葉山にお住まいの荒井牧師のご両親とご家族の紹介と続き、荒井牧師の閉会の祈りをもって感謝会を閉じたのは、予定した時間をかなり上回っていた。

251号 沖縄を訪ねて  荒井仁

251号 沖縄を訪ねて  荒井仁
 一月二十五日から二十七日、念願の沖縄訪問を、教会のお支えによってさせていただきました。長年沖縄と関わり続けて来られた岩井健作先生が全てにおいて先導して、意義ある訪問としてくださいましたことにお礼を申し上げます。


 那覇空港に到着する段階で目に飛び込んだものは、自衛隊の戦闘機や車両でした。自衛隊と民間共用の空港とは言え、その数の多さに緊張感を覚えながら空港内を出口へと向かいました。二日目の朝四時に起床。早朝の暗い道を走り、辺野古の漁港に到着したのが6時半近くでした。裸電球の照らす小屋が左手に見え、人の声に誘われて行くと、ウエットスーツを着た人が出航の準備をしていました。この人たちは、辺野古の沖に計画されている海上基地建設に反対して、海上で反対行動をしています。小屋の脇には活動のために使うボートがあります。始めのうち小屋の脇から目の前の漁港のゲートを通って海に出ていました。しかし反対行動を阻止しようとする動きがあって、今では二十四時間、閉鎖されています。そこで他の港から舟が辺野古に集まって、沖に向かいます。


 舟が出たところで、座り込み用のテントを立てました。中部教区からも数名の訪問者がありましたので、いつも座り込みに来られている人たちと準備に当たります。落ち着いたところで座り込みについての説明がありました。平良修先生も、反対運動について懇切丁寧にお話しをしてくださいました。大変印象に残ったのは、施設局の人たちが来た時には、丁寧にお迎えして話し合う、しかも立ち話ではなく座っていただいて、時にはお茶も出されるという相手を尊重する姿勢です。非暴力を貫き、人間として敬意を払う姿には、心を打たれるものがありました。


 お昼過ぎには移動して、「集団自決」のあったチビチリ壕を訪問しました。亡くなった方々の氏名が碑に刻まれていましたが、記された年齢に五歳、三歳という文字を目にした時には胸が引き裂かれるような思いでした。続いて、昨年米軍ヘリコプターの墜落事件があった沖縄国際大学に向かいました。今なお校舎に炎上の黒い傷跡が大きく残っていますが、恐怖と共に生きなければならない沖縄の一面を見た思いです。


 「基地の中に沖縄がある」という言葉を痛感させられた旅でした。一日も早く基地がなくなり、子どもたちが安心して遊べる沖縄になることを心から願っています。



257号 牧師館と宣教 荒井 仁



牧師館と宣教 月報257号
 牧師 荒井 仁


 牧師館建設に向けて教会員の方々が祈りと賜物を献げ準備を進めています。そこで牧師館の持つ役割や意味について、ご紹介したいと思います。


 第一番目に挙げられるのは「牧師家族の住居」であるということです。だからこそ「牧師館」と呼ばれます。この伝統は初代教会の頃からあったことが使徒言行録二十八章の記述から分かります。三十節で「パウロは、自費で借りた家に丸二年住んで、訪問する者はだれかれと無く歓迎し」と書かれています。もしかするとこれが最初の牧師館かもしれません。パウロの場合は独身だったようですから、それほど大きな家ではなかったと思います。


 第二に教会の近くに建てられているのは、遠方から通う場合と違って、教会が建てられている地域との交わりを大切にして、教会の宣教の業を担うことへの期待が込められています。
マタイによる福音書十章には弟子たちが宣教に派遣される物語が記されています。遣わされる地で宣教に当たって、ふさわしい人の下に留まり、生活の援助を受けながら主の恵みを伝えました。一つの地域に福音を広める際、その地の空気、その地の食べ物、地域の人々との関わりの中で主のみ業に携わります。牧師館の存在が地域と教会を結びつけます。現在、私有の児童書を広間に置いて小さな文庫を開いています。鎌倉児童ホームの子どもたちがここを訪れ、また鎌倉静養館の読み聞かせのボランティア活動のためにも用いられています。地域に開かれた教会を目指す姿勢は牧師館でも生かされたいものです。


 第三には教会の交わりや集いで、現会堂建物では集会の場所がない時、牧師館の広間などを使うという、教会の分室的役割もあります。どこの教会でも十分に集会室があるとは限りません。小さな教会では牧師館の台所などが教会学校の分級の部屋として使われる場合もあります。


 第四番目には、牧師の牧会活動の拠点の一つとしての役割があります。教会員の方が相談したい時に、教会では色々な人が出入りするので人目を避けたい、或いは電話の内容を知られたくないので牧師館に電話をしたい、このようなケースに対応する場所でもあります。


 第五番目は、地域の諸教会の交わりの場としての役割です。地域の牧師が親睦を深める、或いは学びの時を持つような集いに、牧師館が使われます。この延長線上にあることですが、私が鎌倉恩寵教会に招かれてから、毎年、一、二回は海外の教会の訪問者の交わりと宿泊のためにも使わせていただきました。今の牧師館は畳の広間があるので「日本的だ」と大変喜ばれました。世界の教会との結びつきのためにも一役買っています。


 牧師館を建てるのは、これらの役割からもお分かりと思いますが、地域に仕え、諸教会との交わりを深め、主のみ業を推進するためです。教会の会堂と同じように、イエスの宣教に参与する目的を持って建てる時、建物が祝福され、地域と世界の喜びに貢献できます。牧師館建設は企業が社員の住宅を建てるのと全く異なります。福利厚生の一つとして建設されるのではありません。主なる神様の宣教に用立てるという明確な目的があります。牧師館建設に向けられる祈りと献げ物は、すでに教会外からも寄せられています。地域に、日本に、そして世界に主の恵みをもたらす器を建てて、神様の栄光を表したいものです。


「主が家を建てられるのでなければ建てる者の勤労はむなしい」詩篇一二七篇一節

281号  地域集会から 荒井仁

281号 地域集会から 荒井仁
地域集会から


 一月、二月、三月は「現代の社会問題」というテーマで、「ホームレス」「テロ」「マインド・コントロール」を取上げました。
 今日、ホームレスとなる人が増加して、炊き出しで提供する食事の量も増やさざるを得なくなっています。仕事を失い、家を失って野宿をする人たちは、生活の不安に駆られる毎日を過ごしています。これは旧約聖書の中に登場する人たちと重なります。詩編二十三編は信頼の詩編として有名です。これは羊と羊飼いの生活をもとにして、神と人間の関係を表しています。旅をする羊と羊飼いは、水と青草を求めて砂漠地帯を歩いていきます。獣や強盗に襲われる危険もありましたが、羊飼いは羊を守りきります。神が人間を守るだけではなく、命を祝福して下さる場所として、食卓が整えられます。私たちが炊き出しに何らかのかたちで関わる時に、詩編二十三編の祝福を広げる幸いに与れるのではないでしょうか。
 二月は「テロ」をテーマとしました。各地で起こる爆弾テロに世界が恐怖を感じています。テロリストというと武力に訴えて人の命を奪い破壊活動を行なうという面が強調されます。しかし彼らはもともと貧しい人たちのために病院、学校、福祉施設などを運営しています。貧困に悩む人々に寄り添う中で、世界の中に蔓延る不正と戦うために武器を取るようになりました。列王記上にはエリヤ物語が書かれています。彼は貧しい人に寄り添い、私服を肥やすことだけを考えている王に挑戦します。王を支持するバアルの預言者とエリヤは儀式をもって対決して勝利すると、エリヤは四五〇人のバアルの預言者を殺害します。エリヤはテロリストの姿と似て武力に訴えます。しかしエリヤの武力に訴えるあり方は、弟子のエリシャの物語と比較をすると否定的に見られているようです。エリシャも貧しい人に寄り添いますが、捕虜とした敵を殺害せずに食べ物を与えて主人に返しています。新約聖書ではイエスが非暴力を貫かれました。ですからテロリストの手法は否定されていると言って良いでしょう。私たちも貧困の問題の解決に少しでも関わる時に、テロ行為を止めるようにという声に説得力が出てくるものと思われます。
 三月は「マインド・コントロール」(心の呪縛)です。三月十五日で地下鉄サリン事件から十五年が経ちました。実行犯は高学歴で優秀な人が多く、判断力に優れていると思われましたから、事件を起したことに納得がいかない人が多かったことでしょう。彼らは、もともとは真面目に真理や絶対的価値を追究する人たちでした。しかし教祖によって外部との関係を絶たないと悪いエネルギーが入って地獄に落ちるなどと脅迫にも似た言葉で行動も心のあり方も規制されていきます。朝から晩まで五日間、教祖のビデオを四畳半一間で見させられたり、手紙を書いたりすることも禁じられました。判断能力が奪われた末に、人の命を奪うことが人を救うことになるという信じ難い教えを信じるようにまでなり、悲惨な大事件を引き起こすようになりました。恐怖心、思考停止状態、外部との関係の断絶がマインド・コントロールの特徴点となります。これはエジプトの奴隷であったヘブライ人も同じでした。ファラオの命令に従うのが当たり前で、疑うことすらしません。モーセは彼らを解放することができたのですが、彼はエジプト以外の土地に行き、外部との交渉があり、ファラオを絶対的な存在と考えていませんでした。色々な世界との関わりがマインド・コントロールからの解放につながります。

288号  ルカによる福音書 総括 荒井仁

ルカによる福音書 総括


 水曜日の祈祷会ではルカによる福音書を読み終えた。いくつか印象に残ったことを取り上げたい。
 第一点はルカが経済的な問題に深い関心を寄せている点である。「愚かな金持ち」「不正な管理人」「金持ちとラザロ」など、経済力のある人に対する批判的視点を持っている。これは当時の社会の中で、有産階級と無産の民の格差が大きく、しかも両者の間で分断が起きていたことが背景にある。ルカはこの問題に切り込んで、金銭に執着する者が神の国に入るのは難しいとしながらも、執着から離れる道をザアカイの物語を通して示している。
 第二点は経済的問題と深く関わるが、断絶された関係の回復が挙げられる。「見失った羊」「無くした銀貨」「放蕩息子」などは、関係が切れていたものが回復する物語である。ここで興味深いのは、「悔い改め」と回復が結び付けられている点である。悔い改めは通常、罪の告白があり、赦しを求める祈りが捧げられ、赦しの宣言が行われて、共同体に復帰するという過程を経ることになる。しかし15章に出てくる三つのたとえは、いずれも「悔い改め」のプロセスが見られない。悔い改めが起こるためには、失われた者を見出そうとする神の熱く深い愛が必要であることを物語っている。
 第三点は「サマリア人」との関係の問題である。9章の記事によると好ましい印象を与えない書き方でサマリア人は登場する。しかし「善いサマリア人」の譬えでは、隣人愛を教えるためにサマリア人の愛の実践を紹介している。サマリア人は分裂した北王国イスラエルの子孫であるが、アッシリアによる混血政策によって南王国ユダの人々からは汚れた者として忌避された。長年の反目の関係はイエスの時代にも続いていたが、イエスが譬えを通して彼らを受容した。そして17章では重い皮膚病を患っている10人の清めの話では、清められた人のうちサマリア人だけがイエスの許に帰ってきて神を賛美した。サマリア人はモーセ五書だけを正典としてゲリジム山で礼拝を行っていたので、ユダの人々と同一の神を礼拝している。イエスはそのことを承知していたので、彼らを同胞として扱おうとしたのではないかと思われる。
 第四点は終末の問題である。終わりの日がいつ来るのかは分からないとしながらも、その予兆として戦争や自然災害を取り上げる。自分たちの生活の終焉が終末だと感じていた人々に、世界の終わりは未だ来ないということで、苦難をなお乗り切らせようとしている。
 第五は都市批判と町や村に象徴される自然回帰である。「放蕩息子」の譬えでは、彼が町に出て放蕩の限りを尽くして、財産を使い果たしてしまった。彼の帰りを待ち望んでいる父親は、町に探しには出ていない。制度化され経済活動によってのみ成立する都市ではなく、農業と酪農という自然と共生する世界に戻ることこそ、人間の本来のあり方であると主張しようとしているのではないだろうか。
 第六は「裏切り者の赦し」である。最後の晩餐の場面の前後に、ユダの裏切りの動きが描かれている。ルカは彼の行動について「ユダの中にサタンが入った」と記して、彼の責任を軽くしようとしているかのようである。
 第七は「日常の食事とイエスの臨在」である。ルカは福音書の最後の方で、通常の食卓にいてイエスの臨在を確認する。イエスの臨在を知る食卓は、「主の食卓、晩餐」「聖餐」だけではない。日常の食卓においても、イエスは臨在して弟子たちを励ましている。

290号  被災地訪問報告  荒井 仁



被災地訪問報告
荒井 仁


 8月29日から9月1日まで、仙台、盛岡、宮古を訪問しました。仙台では東日本同信会の研修会が開催され、大震災の被災状況の報告や、キリスト教会の対応などについて知ることができました。仙台の諸教派の教会が集まって「キリスト教連合会」が構成されていますが、被災支援ネットワークを立ち上げ、東北ヘルプと名付けて活動をしています。 その中で宗教者が出来る救援として五項目が挙げられました。
 傾聴と伴走
 市民への啓発と公報
 死者への慰霊と鎮魂(追悼と想起)
 情報整理と共有
 行政に対する公共性の獲得
具体的な活動の一つは、心の相談室として、他の宗教者と協力をして火葬場に詰めています。弔われずに火葬にされる遺体があったので、身元不明者を窯に入れると、神道、仏教、キリスト教の聖職者が同時にカマの前で式を執り行って弔いをしているとのことでした。
30日午後に、仙台学生センター「エマオ」を訪ねました。ボランティアが寝泊りをしていましたが、彼らは自転車で50分くらいかけて被災地に通っています。瓦礫の片づけ、家の片づけ、ヘドロの掃除などを行って、生活を整える働きに携わっている報告を聞きました。この後、荒浜、蒲生地区の被災地を車で案内して頂きました。国道6号線をはさんで海側と山側は景色が全く異なります。6号線が防潮堤の役割を果たしたので、山側は建物も立っていて、地震による被害が見られます。ところが海側は津波の被害で土台ばかりが広がる光景が見渡す限り続きます。津波の猛威を見せつけられる思いでしたが、震災当日に津波を経験した人たちの恐怖を思うと心が痛みます。
 31日に昼過ぎに盛岡から電車に乗って宮古に入りました。町を歩いて気がついたのは、信号が消えていることです。地震と津波によってコンピューターが故障したようで、警察官やYMCAのボランティアが交通整理をして、子どもたちや町の人の安全を確保しています。宮古では鎌倉YMCAで一年研修をしていた大塚英彦さんにお会いできました。ボランティア活動の具体的な話を伺いました。震災から半年近く経った今でも床下や壁の間に入ったヘドロを除去する作業をしています。その他、家の片づけの手伝い、側溝のヘドロ除去、小学生の登下校時の交通整理、仮設住宅での声かけ、生活必需品の配送などを行っているとのことでした。教会員の方と少し話をしたが、ストレスをかなり抱えている様子が感じられました。宮古教会の牧師はストレスから胃潰瘍になり「六か所」穴が空いていると医者に言われたそうです。
 この後、宮古の町を歩いて港近くまで行きましたが、津波の傷痕が町中に残されていました。土台が続く地域、壁に穴のあいた建物、壊れたガソリンスタンドなど、深刻な被災状況に現実感が湧かず、「何を見ているのだろうか」と、心と頭を整理することができないままに帰路に着きました。
 教会として復興に向けて支援をする道がいくつか見えてきましたが、何より大事なのは「祈り」です。これを土台として様々な支援をすることが大きな力となるのを感じさせられました。一日も早い復興を心から祈ると共に、犠牲者の上に平安、被災者の上に慰めと力づけを祈るものです。

294号 ガラテヤ書を読み終えて 荒井仁

294号 ガラテヤ書を読み終えて 荒井仁


 礼拝で「ガラテヤの信徒への手紙」をご一緒に読んで、大切な恵みにふれることが許された幸いを感謝いたします。パウロが書いた書簡の中でも「ローマの信徒への手紙」と並んでプロテスタント教会が重んじてきた文書です。「信仰による義」について強調する内容が、歴史の中で繰り返し立ち上がる「律法主義」の問題を解決する道として示されてきました。宗教改革の時期に、「贖賄状」(かつては「免罪符」と訳されていました)さえ購入すれば、罪の贖いは免除されるとカトリック教会は教えていました。あるいは、生きている人の善い行いが死者の魂を煉獄(地獄に行くほど悪くないが、天国に行くには不十分さの残る人たちが行く所)から救い出す、といった教えも広めていました。改革者はこれに対しパウロの言葉を土台として、イエス・キリストの十字架によって罪の贖いは完成されたのだから、人間はその恵みを受け取るだけで良いと教えました。多くの人々がこれによって改めて救いを受けることができました。
 ガラテヤ書を読んでいて一つ気が付いたことがあります。従来は著者のパウロは救いに関して素晴らしい言葉を残しているので、彼自身も非の打ちどころのない立派なキリスト者であったかのように伝えられていました。弟子の筆頭であるペトロはイエスに叱られ、最後の食卓の場面ではイエスを裏切らないと言いながら、鶏が鳴く前に三度イエスを知らないと、イエスとの関係を否定します。人間味溢れるペトロと比べると、パウロは落ち度のない厳格さを漂わせるかのように紹介されてきました。
しかし、使徒言行録の記述やガラテヤ書の内容を丁寧に読むと、パウロにも弱さがあり、言葉と行いに大きなギャップがあったと思われます。一つにはバルナバとの関係があります。使徒言行録で彼はヨハネ・マルコを伝道に連れて行くことで、バルナバと激論を交わしました。要するに大喧嘩をしたのですが、まだ年若く、色々な面で気後れする若者を包み込む余裕などパウロにはありませんでした。激しい性格の持ち主であるのが良く分かります。この問題はペトロにも向けられます。ペトロが異邦人と食事をしている時に、エルサレムから保守派の人々が来ると、ペトロは異邦人から身を引いてしまいます。ペトロに問題があるのは明らかですが、パウロは皆の前でペトロの差別的行動を非難しています。しかもパウロは自分のとった行動を自慢するかのように二章十四節で書き残しています。後にパウロの非難の仕方が教会の中で反省されたようで、マタイ福音書では罪に陥った仲間に対して、三つの手続きを取るように勧めています。初めは個人的に、聞き入れなければ二人か三人を連れて話し合いをし、それでも聞き入れなければ正式に教会に申し出るようにしました。教会の人たちにとってパウロのあり方は、受容的ではないと疑問視されたのでしょう。歯に衣着せぬ性格は、手紙の最後の方でも表れています。「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい」一から福音を伝え直すような手間なことはさせないでほしいという意味です。ガラテヤの人々に対する愛情も込められてはいますが、「煩わさないでほしい」とストレートな物言いをせずに、配慮のある言葉選びが出来なかったものなのでしょうか。
イエス・キリストに救われたとは言え、完全ではなかったのがパウロです。従来はパウロが語った内容に気を取られて、パウロの教えと生き方が一致しているかのような錯覚を起こしていた人も少なくありません。実際には弱さや罪の中に生きていました。だからこそ、パウロもイエス・キリストの救いを必要としました。そして律法主義からの自由を強調したのは、彼自身がファリサイ派出身で律法を重んじていたからです。救いを知ったからといって人は直ぐに変われるものではありません。時間をかけて新たな人生の歩みが整えられます。
パウロが手紙の中で展開した議論で、説得力のあるのはアブラハム物語を用いた部分です。アブラハムが祝福の約束を受けたのは、割礼を受ける前であった点に目を向けて、神の祝福は割礼のあるなしとは無関係であることを教えます。この説得の仕方は効果があったと思われます。アブラハム物語(「アブラハムとサラの物語」と本来は呼ぶべきでしょう)は、敵対者でさえ知っています。反論の余地のない証拠となる文書をもって、律法主義者に向かいます。
今日でも画一的な社会形成を目指す動きがあります。特定の儀式の形式だけを絶対視し、多様性を認めない人々がいます。排外主義的傾向はそこかしこに見られます。パウロが伝える福音は、現代でも力を持ち、一人一人に与えられた神の豊かさを認める道へと私たちを導きます。パウロは完全な者としてではなく、自分の弱さをさらけ出してこの福音を伝えました。私たちも臆することなく、自由の福音を伝える者でありたいと願っています。

296号 東日本ユース・キャンプ  荒井仁

296号 東日本ユース・キャンプ 荒井 仁




 8月6日(月)から9日(木)まで、軽井沢で東日本ユース・キャンプに参加してきました。これは同志社にゆかりのある教会や、会衆主義の教会から高校生が集まって開かれます。三泊四日のプログラムの中で、信仰、人生、そして将来の献身について共に考え、祈りながら過ごします。今年の講師は同志社大学神学部の関谷直人先生でした。私はチャプレンとして開会礼拝と閉会礼拝の担当をしました。講師の関谷先生から、「探しものは何ですか」というテーマで第一日目と第三日目に二回の講演が行われました。第二日目の夜は参加者を三つのグループに分けて、講演に基づいてそれぞれ劇を行いました。三日目の夜はキャンドル・サービスの時を持ちました。その中で、参加者が考えたこと、感じたことを一人ずつ話します。中には神学部での学びを志す人もいます。最終日の午前中に、参加者は今までの歩みを振り返り、また今後の生き方について作文を書きます。最後にリーダーとして参加をしている5人の牧師の一人と、15分から20分くらい作文について話をし、祈りを捧げ、閉会礼拝をもってキャンプは閉じられます。
 東日本ユース・キャンプは今回で四回目の参加となりました。毎回、3人から5人が同志社大学神学部に進学をして、牧師になる備えをします。神学生の全員がキャンプの経験者ではありませんが、恩寵教会が受け入れている夏期派遣神学生の「卵」を生み出す集まりでもあります。毎年行われる大切なプログラムですので、祈りにおいても、経済的にも支えて頂けると有難いです。

299号 東日本大震災追悼復興祈願祭 -二年目の祈り― 荒井仁

299号 東日本大震災追悼復興祈願祭 -二年目の祈り― 荒井仁


 三月十一日(月)にカトリック雪ノ下教会を会場に、東日本大震災追悼復興祈願祭が行われました。今回は午前十時から三十分ごとに、各宗教による祈りの時が設けられ、午後二時半から諸宗教合同の祈りの時が持たれました。十時からはカトリック教会による祈り、清泉小学校児童の歌、十時半からは鎌倉市仏教会有志による祈り、十一時からは神道による雅楽奉奏、十一時半からは建長寺鎌倉流御詠歌奉詠、十二時からはプロテスタント教会による祈り、清泉小学校児童の歌、そして十二時半からは鎌倉仏教会有志による祈りが捧げられました。
 午後二時半からは合同の祈りが捧げられました。三宗教の代表者が礼拝堂に入堂し、カトリック芹沢司祭による招きの祈り、聖書朗読と祈りを聖公会小林司祭が捧げ、カトリック由比ヶ浜教会聖歌隊による「レクイエム」「キリエ」の奉唱がありました。震災発生の午後二時四十六分から一分間の黙祷を、教会の鐘が鳴る中で捧げました。続いてカトリック神父による追悼の祈り、大船教会松下牧師による復興の祈りが捧げられました。その後、神道による清め祓い、仏教による「香語」「観音経世尊偈」「回向」が捧げられ、最後に私が結びの祈りを捧げた後に、参加者全員で「いつくしみ深きを」を歌いました。
 礼拝堂の中で三宗教がそれぞれの祈りを捧げる経験は初めてでしたが、互いの伝統を尊重しながら祈りの思いを一つにする機会が与えられたことを感謝しています。ただ会場が狭かったために、八幡宮や建長寺の時のように参加者が祈りの場を囲む形をとれなかったのは残念でした。また、参加をされた方の感想として、一般参加者が焼香だけを行う形になっていたので、献花を選べるようにしてほしいとの要望も聞かれました。お花を持参をすることも考えられるので、他の仏教、神道の施設が会場になる場合も、献花ができるようにするのも一案と思います。まだこれからも続くと思いますので、諸宗教の形がより尊重される祈願祭を作り上げていきたいと願っています。そして何より、この祈りを神様お聞き下さって、被災者の慰めと力づけとなるように、心から願うものです。参加された皆様、また場を異にしながらも祈りを持って思いを一つにして下さった方々に感謝を致します。

318号 熊本地震被災者への熊本YMCAの働き  荒井仁

318号 熊本地震被災者への熊本YMCAの働き 荒井仁


荒井 仁


 4月14日とその後に続いて起きた大地震は、熊本、阿蘇を中心として大きな被害を出しました。益城町は震源地の一つでもありましたから、テレビや新聞などでも報道され、早くからその様子を知ることが出来ました。体育館とその駐車場、運動公園に避難をされている人たちの声なども紹介されました。この益城総合体育館と運動公園の指定管理(公的機関から委託を受けた事業)を委託されているのが熊本YMCAです。御船町でもスポーツセンターの指定管理を委託されています。日常の業務に関する業務を請け負っているので、災害時の管理は委託されていませんでした。しかし、事態は深刻でしたので、熊本YMCAは避難者の受け入れ、食べ物や飲み物の受け入れ、配布などの作業を行い、生活に最低限必要な条件を整える働きを始めました。それに加えて、リクリエーション活動も行うようになります。避難生活で体を動かせないようなことがないように、朝の体操に被災者を誘い、今では夕方にも行っています。
 地震発生後早い段階から、各地のYMCAのスタッフが順次派遣されて、熊本Yの働きを応援しています。横浜からも数名既に送られていますが、鎌倉とゆかりのある人たちとしては大塚英彦さん、野澤展さんが時期をずらして熊本に入りました。お二人の話しとフェイスブックでの報告によりますと、「スター・ボックス」というコーヒーを飲んで一息つけるコーナーを開設しました。スタッフや他の被災者とおしゃべりをして、気分転換もできると好評です。また、避難所では「プライバシー」の問題が生じますが、段ボールで衝立を作って、少しでも人目を気にせずに過ごせるようにしています。また、布団を床に直接敷いて寝るのは寝心地が悪いので、段ボールでベッドを作ります。これには大学生のボランティアも手伝ってくれて、支援の輪の広がりが感じられる光景が見られます。
今後の課題として、YMCAは被災者がボランティアに頼りきりにならないように、被災者同士でコミュニティーを作れるように考えています。子どもたちが簡単な作業をすることも一つです。他の課題としては、高齢者で介護の必要な人たちへのケアーがあります。全国のYMCAで働く介護スタッフが順番に熊本に集まって、この働きを担っています。表面化しにくい問題としては、人間関係の面で人前に出られない人たちの生活や心のケアがあります。地震発生一月目には熊本YMCAが主催して、犠牲者を追悼する集いが持たれました。心の面でのケアということでは、とても大切な集いでした。
7月には大塚さん、野澤さんに教会に来て、詳しい報告をして頂く予定です。祈りながらYMCAの働きを応援することで、被災者支援をご一緒に担いたいと思います。

321号 教会創立50周年記念にむけて 荒井仁

321号 教会創立50周年記念にむけて 荒井仁


 鎌倉恩寵教会は1968年に創立され、2018年に創立50周年を迎えます。神様に導かれた年月を感謝して、次のような記念となる行事などを行います。


記念礼拝(2018年3月18日説教:菅根信彦牧師)
教会の歩みをまとめた記念誌と、教会に関わる方々の文集作成、
記念コンサート、
講演会・伝道集会・研修会、
愛餐会(記念礼拝後を予定)、
記念献金の呼びかけ


 詳細は追って委員会より便り等を通してお知らせいたします。祈りを合わせてご一緒に取り組んで参りたいと思いますの宜しくお願い致します。