菅根牧師 

186号 「歓迎と感謝の集い」月報部員記

186号 「歓迎と感謝の集い」月報部員記


 時折うす日の射す穏やかな聖日の五月一日、恩寵教会主任牧師として着任された菅根信彦先生の説教で礼拝が守られた。
 礼拝後、牧師御一家の歓迎会と木村知己牧師と畠山保男牧師への感謝の集いが併せて持たれた。
 礼拝堂は教会員一同の手際良い協力によりたちまちの内にお茶の会会場となった。
 田村長老の司会、吉田吉彦兄のお祈りで開会。
 まず菅根牧師から御家族と御親族及び旧知の方々の紹介。二人の幼い御子様方はすっかり疲れてしまった様子で、ぐっすりねむり込んでおられた。
 教会員を代表して田宮繁子姉と宮部望兄から歓迎と感謝のことばが述べられた。
 畠山先生からは、この教会とかかわりを持つようになったいきさつ等様々な思いを語っていただいた。
 大学での教育や研究に携さわっておられる一方で、私共の教会の説教や勉強会、諸行事にと、多くの時間をさいて下さった事を一同は深く感謝しつつ聴き入った。
 木村先生は、山本敬長老が「代務者になってほしい。」と直接交渉に来られたいきさつ等を話され、長老が今ではすでに故人となられたことが誠に残念とのお言葉に、一同の胸もつまる。老人ホームのホーム長として、お忙しい仕事をかゝえながら主任牧師代務者という重責を担って下さった木村先生へも一同、深い感謝の念を抱く。
 菅根牧師は、これからの教会生活を教会員と迷いながら信仰を共にしてゆきたい、とのお言葉。
 御父上からも御挨拶をいただいた。讃美歌四〇三番を一同で讃美し、菅根牧師のお祈りで会はとじられた。
(部員記)

187号 就任にあたって 菅根信彦

187号 就任にあたって 菅根信彦


 鎌倉恩寵教会とも初めての出会いは、昨年の十月の第五の日曜日であったかと思います。丁度、二番目の子供を日本で出産したいとの妻の要望で、アメリカから一時帰国していた時期でした。礼拝の説教の依頼が届き、当初は、特に招聘との関係で説教を引き受けたのではなく、「新しい出会いがあれば」との先輩牧師のアドヴァイスで、とにかく礼拝の時を一緒に過ごすという気軽な思いで訪れました。時間に間に合わないといけないと思い、前日の土曜日の夕方過ぎ、何とか予約できた大船のビジネス旅館に泊まったことを昨日のように思い出します。夕食後、時間ができたので、道を確かめるために鎌倉駅に出て、教会から送ってきた詳しい地図を広げながら教会の前まで辿りつきました。夜の八時過ぎごろでしたので、観光客の人通りもなく、静かに会堂だけが佇んでいました。それは私にとって余りにも静か過ぎる位の静寂でした。


 翌朝、再び鎌倉駅に降りた時、余りの雑踏に驚きました。活気ある朝を肌で感じつつ、前夜の街の姿との違いを思い知らされました。礼拝堂の階段を心地好く上がりながら、礼拝堂に入り、パイプオルガンの奏でる音に押し出されるように沸き起こる会衆の讃美歌に圧倒される思いがいたしました。整っている礼拝の姿が私の皆さんへの第一印象でもありました。


 礼拝後、役員会との懇談が設定されていましたが、私自身は、教会の行っていた公募制が、牧師の招聘に際して馴染まないとの判断から、また、具体的な事柄について話し合う段階でもないとの思いから、深い議論を避けて、もう一つ夕礼拝の説教を約束していた渋谷へと出向きました。


 渋谷に向かう東横線に乗りながら、様々な思いが過りました。当日説教のテキストに選んだ「シカルの井戸辺の物語」を思い返しながら、ふと、前日の夜初めて見た誰も居ない、本当に寂し過ぎるほどの静かな会堂。そして、朝の活気のある街並みの対照的な姿。これは何だろうと思いました。そしてもしかしたら、活気のない昼の井戸辺に水を汲まなければならない女の所にイエスも佇んだように、あの夜の誰も居ない静寂さの中にこそイエスも佇んでいたのではないかとの思いが、電車の窓から流れていく風景と一緒に、私の脳裏をかすめました。……


 今年の一月七日、招聘についてのお手紙を受け取ったことを機に役員との懇談の時を持ってもらうように要請し、再び教会を訪れました。前日、長男の雅史が誕生したこともあり、一つの喜びと安堵を持っての再会でした。この場を用意してくれた段階で、招聘を受諾しようとは思っていましたが、役員の方々との話し合いの中から、教会への熱い思いを感じつつ、宣教の一端を担えればとの思いを強くしました。午後八時過ぎ、懇談を終え教会を後にしました。役員の打合せが続く一階の会議室から光のもれる会堂を振り返りながら、イエスは佇む。その思いを再びいだきました。……


 四月の下旬、京都から、妻の洋子、二才の長女香織、四ヶ月の長男雅史を連れて、鎌倉の駅に降り立ちました。山本長老の出迎えを受けて、細い鎌倉の道を強気の運転で牧師館まで案内して頂きました。途中の青々として緑が大変印象的でした。


 五月一日に転入と同時に牧師として赴任し、早二ヶ月が過ぎました。受入れまでの皆さんの心づかいに本当に感謝しています。


 神の招きとは何かをこの間、いろいろ考えさせられましたが、未だ答えは出ません。しかし夜、教会の門を閉めて帰る度に、会堂を振り返りつつ、イエスが佇み給うとの思いを強くしている毎日です。

187号 喜びと感謝に溢れる牧師就任式と祝会 宮部望

187号 喜びと感謝に溢れる牧師就任式と祝会 宮部望


菅根信彦牧師は鎌倉恩寵教会の主任担任教師として招聘され、その就任式が五月二十九日(日)午後三時から当教会で行われた。司式は神奈川教区副議長の小橋孝一牧師、奏楽は山口みどり姉であった。讃美歌一九四番、二一一番のあと、ヨハネ福音書二一・一五 — 一九に基き、司会者による式辞があり、主イエスのペトロに対する「わたしの羊を飼いなさい」という言葉を通じて牧会の使命についての懇切なる説教と勧めが行われた。そのあと菅根牧師の誓約と、それに対する教会員一同の誓約がなされた。就任式は簡素な中にも厳粛に進行し、最後に頌栄五四一番を参加者一同声高らかに歌い、四十分をもって終った。


 参加者は一三〇人以上に上り、横十二列の椅子席では足らず、ホールに溢れるほどの盛会だった。


 続いて四時から、同じ会堂に会場を作り、感謝のお茶の会が行われた。司会者である宮部望長老の開会の祈りに始まり、神奈川教会を代表して山崎正幸牧師(泉水)、東湘南地区代表として佐藤安彦牧師(逗子)、それに菅根牧師の恩師である氏原淳一氏(つきみ野伝道所)がそれぞれ祝辞を述べたあと、衣笠病院付の手島恵子牧師の発声による乾杯へと進んだ。


教会員の手作りによる御馳走と飲み物が五つのテーブルに盛り付けられ、諸教会から参会された牧師、信徒、友人の方々、菅根牧師のご両親などと恩寵教会員とが、しばらく歓談の時をもち、この間に菅根牧師は会場の中を廻って来会者と挨拶を交わされた。


当日のメニューは、ローストビーフ、スモークサーモンなどと多彩で、これにフルーツパンチ、ケーキの他ワインなどの飲み物が加わるなど豪華なものだった。


会の中頃に、全国同信会、京都教会、神戸教会、米国のシカマ教会など菅根牧師とゆかりのあるグループ、友人からの祝電が披露された。さらに、菅根牧師と同志社大学で同級の滝口宣牧師(鎌ヶ谷)のユーモアあふれる祝辞、恩寵教会と交流のある在日大韓基督横須賀教会のチョンソンヒ牧師の力の籠ったあいさつが、祝会の雰囲気を盛り上げ、和やかなものとした。会の終り近くに菅根牧師からの挨拶、教会を代表しての石郷岡二郎長老の謝辞があり、菅根牧師の祈りで一時間余の祝会を終えた。

198号 ペンテコステ 菅根信彦

198号 ペンテコステ 菅根信彦


 使徒言行録二章によれば、「五旬節」の日にキリストの約束どおり、エルサレムに留まり熱心に祈っていた弟子たちに聖霊が降ったことが記されています。「突然、激しい風が吹いてくるような音が聞こえ…炎のような舌が分かれ分かれに現れて一人一人の上にとどまった」と、そして、聖霊に満たされて、様々な国の言葉で人々が話出したことが伝えられています。これが、最初の聖霊降臨日(ペンテコステ)の出来事です。この弟子たちの体験に顕れた事象は、単なる陶酔的体験を意味するのでなく、(一)み言葉が人間の間に、神の言葉として語られたこと。(二)そこに、新しい神の民としてのキリストの教会が誕生したこと。(三)さらに、終わりの日の到来のしるし、中間時としての教会の宣教が開始された時、としての大切な意味があります。ですから復活日(イースター)、降誕日(クリスマス)と共に、教会の誕生日として、教会の三大祝日として、四世紀から守られてきました。


 聖霊の「霊」を意味する原語は日本語の「霊」よりもずっと広い意味があります。ヘブル語の「ルアハ」とギリシァ語の「ブニューマ」の言葉が「霊」と訳されています。時に「心」とか「気」とも訳されています。さらに、「息」との意味もあります。古代イスラエルでは「息」は生命と同じ意味合いで用いられており、創世記一章七節の人類の創造物語にも主なる神が、命の息を鼻に吹き入れて、人が生きた者となったことが記されてあります。さらに、霊は「風」との意味もあります。目に見えない神の力と働きが現されているように解釈もされています。「風は思いのまま吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきてどこへ行くかは知らない」
(ヨハネ三章八節)の印象的な聖書の個所もあるほどです。


 教会学校では、このペンテコステの出来事や聖霊の働きについて子どもたちと学ぶ時、風船を使ったり、モビールを作ったり、凧上げをしたりして分級の時を過ごします。これも先に説明した「霊」の理解の実演です。また、聖霊によって一つにされたことを覚えて世界の様々な教会のことを知ったり、世界の国の言葉で挨拶をして聖霊の働きを学んでいきます。


 聖霊は信仰を与え、愛する心を与え、教会を教会とする働きそのものとも言えます。

233号 「招きに応えて」〜出会いに感謝しつつ〜 菅根信彦

233号 「招きに応えて」〜出会いに感謝しつつ〜 菅根信彦


 鎌倉恩寵教会の皆様に初めてお会いしたのは、一九九三年一〇月三一日(日)のことでした。第二子雅史の出産のためアメリカから一時帰国した時に、妻の実家の京都より鎌倉を訪ね、主日礼拝の説教を担当しました。二階礼拝堂の玄関に入った時の礼拝部委員の方々の行き届いたご奉仕。礼拝の前奏の心地よいパイプオルガンの音色。讃詠の力強い讃美の声。窓から見える鎌倉のなだらかな山の稜線の美しさ。これらが私の教会への第一印象でした。当時はまだスリッパを穿き替えていましたので、講壇で足に力が入らず、困ったと思いましたが、却って、肩の力が抜けてよかったのかもしれません。幸いに、紆余曲折はありましたがよき出会いがあり招聘受諾へと到りました。それ以後八年余り、主の導きがあったことを信じてやみません。翌年五月一日に家族と共に転入会式をしていただきました。旧組合教会(会衆派)の伝統を持って育っていたこともあり、牧師も信徒も一人であるという理解からそれまでも信徒籍を持って教会に赴任してきました。日本基督教団の教師は教団に教師籍を置くものですが、同時に合同教会として性格上、旧教派の伝統を重んじていくことを信仰職制委員会も認めていますので矛盾していることではありません。むしろ、一人の信徒であることを常に覚えることが教師として立つことへの私自身の自制でもありました。教師としての牧師はその資格や権威に依拠するものではなく、まして、教会的身分でもなく、会員の祈りと支えぬきには成り立たない教会的機能に過ぎないことへの自戒を込めての意味で、そうお願いしました。「それでは掃除当番もお願いしますね」とある役員に冗談をこめて言われましたが、その願いについては余り達成できずに申し訳なく思っています。


 教会に牧師として赴任すると同時に、私なりにいくつかの宣教活動の目標を設定してみました。第一には、「私たちの教会の姿勢」の実質化です。これは一九七三年三月二三日の教会定期総会で決議されたもので、私たちの教会形成の基本的なあり方を示すものです。特に、①の「聖書をテキストとして」という言葉は、聖書を単なる信条主義や一つの教義的立場で読むのではなく、これまでの聖書学の研究成果や文学や歴史的視点をもって「信仰の書」として読み直していくことの意味であると理解し、説教や聖書研究の場でも不十分ではありましたが、極力「聖書を歴史的に読む」ことを心がけてきました。また、②や③で指摘されているように、交わりの基本として「多様な人間が一つのキリストの体を形成していく困難さ」さらに「自由にして開放的な環境を維持する」ことを全ての活動の領域で大切にしていくことを決めました。さらに、⑤の「他者に関する関心と歴史に対する責任を通して、この世に生きた神の言を証する」とあるように、信仰を二元論的に捉えず、又、福音理解を
「教会」と「社会」という図式で区別する悪しき誘惑に陥らずに、福音を人間総体にかかわる出来事であるという理解に立って、宣教の働きを進めていくことを志しました。どの程度実質化が図られたかは分かりませんが、総会の度に、会員の入会のたびに読まれる「私たちの教会の姿勢」は、この教会に招かれていることの喜びを感じる時でした。


 第二には、短い期間に二代にわたる両牧師の逝去による会員の痛みを和らげ、和解と相互の執り成しの業に励むこと。この点に心を注ごうと思いました。幸いに内藤牧師の逝去十周年記念礼拝、塩出牧師の逝去五周年記念礼拝をそれぞれのご遺族を迎えて行うことができました。そして、新たな思いを持って創立三十周年を迎えることができました。折々の牧師と信徒の出会い、会員同士の支え合い、労りと慰めが教会にはあることを知らされました。


 第三には、将来を見据えた宣教基盤の整備です。何よりも、会員関係者の祈りと熱意と献身によって牧師館を与えられたことは感謝でした。教会境内地の拡充というだけでなく、牧師家族を安心して受け入れ、生活を恒常的に支えていくことの意味は大きいものがあります。教会債の返済もあと一息となりました。会堂の屋根全面改修、中庭の平坦化、一階集会室の改築、パイプオルガンの全面改修、礼拝堂へのテレビカメラの設置、会堂への土足化など、総務会堂や財務担当者の協力もあり会堂も機能的になりました。内に向けて精神性、外に向かって教会の働きが展開できる整備は大切です。第一種教会建設式の実現も地域に仕え、連帯して生きる教会の新たな決意の場であったと思っています。


 第四には、高齢会員への「魂の配慮」と次世代への信仰の継承。そのためのそれぞれの個人史を重んじて共感共苦していく交わりの形成です。会員部を中心にした問安活動。会員相互の訪問や祈り。本当に助けられました。惜しみなく時間を捧げて下さり、医療・施設・行政・市民ボランティアに携わる方々の協力も将来の教会の高齢者支援の在り方を考えるときの大切な視点を与えられました。又、七年にわたる夏期派遣神学生の働きは、青年会活動の再開へと繋がり、教会学校生徒から青年会への道筋もできました。教会学校教師の日常的な地味な奉仕に感謝しています。失敗を重ねて行く若い青年を広く受け入れていく環境作りが青年伝道の基礎です。これもまた忍耐との勝負でもあります。付属施設を持たない教会ですので、伝道の領域を広げていく必要があることを考えて、「永眠者記念式」「納骨者記念式」あるいは「結婚式」など、遺族との関わりを繋げたり、会堂の冠婚葬祭のための使用、又、楓幼稚園との関係も大切にしてきました。キリスト教関係団体や広く市民のための文化・音楽・芸術・学習のためにも会堂を用いていくことも積極的にしてきました。会堂部の係りの人々には昼夜を問わず協力してもらいました。


 第五に、地区・教区・教団の宣教活動を担っていくこと。合同教会あるいは地域共同体としての教会の連帯を○○○○○○(ページ綴じ目、読めない)心がけてきました。その思いに応えて、教区音楽部や伝道部・財務部や寿地区活動や婦人会活動など、多くの教会員の奉仕や理解もあったことを感謝しています。病院や社会福祉施設へのボランティア活動も広い意味での教会の宣教活動です。これからも継続した取り組みを願っています。


 以上のような働きを考え、展開してきた積りですが、しかし、全てが未完成です。次の牧師の指導に委ねて、また新たな宣教の展開をはかっていただければと思っています。


 妻洋子はこの間、育児に専念することができました。皆様の温かい眼差しと理解の中で良き出会いができたのではないかと思っています。香織も楽しい小学校生活を送ることができました。生まれてまもなく鎌倉に来た雅史も早四才となりました。主治医となって支えてくださった先生にも感謝しています。家族の健康が守られ、元気に次の任地に赴くことができます。一度の人生の中で、教会を通して与えられた信仰の友との出会いに心から神に感謝しています。与えられた賜物を精一杯ささげながら、これからも主イエスの後に従って生きたいと思っています。どうぞ皆様もお互いに執り成しあいつつ、和解に努め、この時代の宣教を力強く担っていって下さい。日々、生かされている恵みを数えて、喜びと感謝を忘れ歩まれますように。主の祝福をお祈りいたします。