塩出牧師

143号 塩出先生をお迎えして  山本敬



塩出先生をお迎えして


 新しい会堂が与えられ、又新しい仲間が与えられ、みんななんとなく浮き浮きしていた頃、男子青年がほとんど見あたらない私達の間に一人の小柄の明るい若者を、時々礼拝や、教会学校でお見うけするようになった。


 やがて彼が聖書神学校の学生であること、内藤先生をとても尊敬しておられ、そして恩寵教会が気にいって、好きであることなど、いつとなく私達の中に自然ととけこまれ、何かずっと前からいらっしたように感じ始めた頃、転会を決心され、文字通り私達の仲間の一人になられました。


 それからは恩寵教会の大事な戦力として、時に内藤先生がおでかけの時には、講壇にたゝれるほか、色々の集会、委員会のお世話、その他教会行事の陰の力仕事など、本当に八面六臂の活躍をされておられました。


 特に教会学校や青年部では、生徒や学生さん達から、人気と信望を集められ、いつもなくてはならない存在でした。


× × × ×
 昨年の九月の役員会で、春に神学校を卒業される先生を副牧師として当教会にお迎えする案がはかられました。


 先生を副牧師としてお迎えしたい気持は役員一同少しも変りませんでしたが、何しろ教会堂の
建設の借金がまだ残っているうえに、牧師館の取得にもせまられており、教会財政上から、多少躊躇の意見もありましたが、やはり先生をお迎えしたいという熱意は強く、先生を招聘することが決まり、先生に来て頂くようお願いしました。


 この申出に対し、塩出先生自身も快よくお受け下さいました。そして本年三月神大を、見事トップの成績で卒業され、つぎの神奈川教区総会での「じゆんいん」を受けられる予定です。


 いつも明るくユーモアにあふれ、お身体は生来あまり頑健な方ではないと承っておりますが、お年寄りに、とても優しく、又病苦だけではなく、色々の苦悩を抱える私達のよき先達として温い支えとなって下さる先生をお迎えできて、みんな心から感謝し、喜んでいます。


 私達の教会は自由と開放をめざすだけに意見も様々、にぎやかな教会だと思いますが、内藤先生の強力な片腕としてこれから面倒をみて下さるよう、お願い致します。

150号 「永遠のイースター礼拝」伝道師 塩出俊三

150号 「永遠のイースター礼拝」伝道師 塩出俊三


 一九八八年の四月三日のイースター礼拝は、私達にとって、永遠に忘れる事の出来ないイースター礼拝になりました。


 この日私達は、第一コリント書十五章の美しさは、パウロが復活の主と共に生きた信仰の歩みのもつ美しさであり、決して彼岸的な傾向の故の美しさではないとの説き明かしを頂き帰ってきました。それで、復活の日のテキストは多少なりとも分かったと思っていました。けれども、御言葉を頂き、それに向って歩む事が、どれ程困難であるかを、今程知らされた事はないと思います。イースター礼拝を守るとは何であるかを、今程問いかけられた事はないと思います。


 全く思いがけなく、内藤先生の肉の体が、私達の目の前から取り去られた今こそ、私達は「お前達のイースター礼拝は何であるか」「お前達はイースター礼拝をどのように生きるのか」と問いかけられているのだと思います。


 第一テサロニケの三章八節に「なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである」という言葉があります。先生が今一番私達に語りたい言葉は、この言葉ではないのかと思うのです。


 私達は、この思いがけない出来事にも拘らず、「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」と、誰よりも力強く語りたいのです。その為には、絶望と無力の中で、復活の主に生かされる私達に変えられねばなりません。


 絶望と無力の向うで働かれる復活の主と共に生きる事、それが先生の死を通して主が私達に課された「永遠のイースター礼拝」ではないでしょうか。


150号

160号 就任にあたって 塩出俊三

160号 就任にあたって 塩出俊三


 此の度は、私のような経験の足りぬ、取るに足らぬ者を、当教会の主任担任教師に招聘戴き、誠にありがとうございました。就任にあたっての抱負という事でございますが、只今は、導かれた責任の重さの前で、たじろいでいるのが実状です。従って、抱負と言える程のきちんとした考えを、教会の実状に即して語る事はできません。一応、暫定的な、私の勝手な考えという事で述べさせて頂きたいと思います。


 恩寵教会が一九六八年三月三日に伝道を開始してから、二十二年になります。私たちの歩みと比べても、大学を卒業して、社会に巣立っていく年です。今後の恩寵教会の歩みも、一人前の社会人の歩みであるべきであり、牧会的配慮と会員の甘えとを見分けなければなりません。地域集会での学びも、祈禱会での学びも、信徒一人一人の責任と自覚においてなされる様、今後は、私は一歩退いた所から参加させて頂こうと思っています。又、名実ともに、自立した教会である為には、牧師館の取得が急務です。牧師の生活の拠点が、適正な伝道圏内に確保されてこそ、伝道と牧会が安定します。牧師館が備えられて、自立した歩みをする為に、心を合わせようではありませんか。


 教会の働きには、(1)宣教、(2)奉仕、(3)教育の三つの面があります。


 宣教は更に、教会の宣教、信徒の宣教の二つに分かれます。勿論この二つは有機的関連を持っています。教会の宣教の中心は礼拝です。生活の中心が礼拝である事を確認したいと思います。しかし、その為には、全ての方々が礼拝を中心にして、生活を整えられるよう礼拝そのものの再検討(信徒の参加度を高める、子供と大人が一緒に守れるよう礼拝プログラムの再検討等)が必要です。又、お年寄りや、障害を負っている方や、小さい子供を連れた母親が安心して礼拝に出られるよう、建物の改善や、会員皆での対応をも検討する必要があるでしょう。信徒の宣教という面では、先ず家族への伝道、家庭が核となって、地域と教会の橋渡しをするという面からも、家庭集会が生まれて欲しいものです。


 以上の宣教の働きを具体化するものが、奉仕の業であります。


 「ひとり子を賜わる程に、世を愛された」神を讃美する私たちは、世への奉仕の業に遣わされます。神に癒された者は、癒やしの心をもって、神の歴史形成へと参与出来る筈です。教会も、会員一人一人も、十字架を世に向って掲げている所からも、その事が問われています。先ず、その事を念頭に置きつつも、教会内に目を向けるならば、会員の高齢化、一人住まいの会員の増加等に対応する為、奉仕のシステムを作成しなくてはなりません。会員一人一人が癒しを必要とすると共に、一人の隣人の癒し手にもなる、そこに、本当の奉仕が生まれるのではないでしょうか。体を動かす奉仕もあれば、祈りの奉仕、文書による問安の奉仕もあります。私たちそれぞれの奉仕を通じて、「これは皆でやっていく私の教会」という意識を育てたいと思います。


 宣教や奉仕の理念、教会形成の念は、教育から生れます。単なる感情や好み、人間的温かさの交わりではなく、主の十字架と復活の教理に深く学ぶ所から、真の教会は生れます。教理の学びにも意を用いたいと思います。求道者会(求道中の者と受洗後3年以内の者のみの参加)の設置も考えます。青年層への伝道プログラムの開拓、信仰の老年学といったものの学び、障害者や弱者への奉仕の仕方の研修、世に立つ福音を実践する為の学びも必要でしょう。特に男性と青年層の積極的参加を望みます。

162号 塩出先生 就任式

162号 塩出先生 就任式


 去る三月十八日(日)午後三時より、塩出俊三牧師の主任担任教師就任式が、神奈川教区総会議長山鹿昭明牧師の司式で、教区の牧師の方々他四十八名のお客様、又当教会員六十二名の出席のもの、とり行われました。


 式は奏楽で始まり、讃美歌、序詞、そして聖書が読まれました。
「わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる…。」
(ヨハネ福音書十章11~18)
「どうか、あなたがた自身に気をつけ、またすべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがないとられた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。……」
(使徒行伝二十章28~32)


 祈禱の後塩出先生が担任教師となる誓約をなさり、勧告があって今度は教会員一同が塩出先生を迎えるための誓約を行ないました。その後山鹿先生の心暖まる式辞があり、最後に塩出先生の祝禱で式は終了。


 続いて会堂は模様替えされ、祝会が山本敬長老の司会で始まりました。最初に厳しく又愛情のこもった祝辞を横須賀小川町教会の小林先生が述べて下さいました。続いて六川教会の岩崎先生、船越哉会の木村先生、又在日大韓横須賀教会の鄭相煕(チョンサンヒ)牧師と金奇礼(キムキレイ)姉、高座渋谷教会の菊地キヨ姉、神田キリスト教会の田中義一兄、最後に塩出先生と聖書神学校で同級の飯村雅幸先生(千葉インターハートチャペル)が、それぞれ心暖まるお話をして下さり、感謝のうちに会を終えることができました。




(執筆者については表記なし)

178号 ”塩出先生最後のクリスマスカード”より(塩出俊三)

178号 ”塩出先生最後のクリスマスカード”より(塩出俊三)


 鎌倉恩寵教会の
愛する兄弟姉妹たちへ


 アドベントの中、主の御降誕をお祝いする準備が、今年も豊かになされている事と思います。十一月からお休みを頂いている私は、現在腸閉塞の治療の為、点滴療法による絶飲食継続中です。この状況の中で思い浮かべますのは、野宿していた羊飼いの空腹、身重のマリアとヨセフ夫妻の”泊まる場所もなかった”状況です。こうした状況からこそ、インマヌエル”神我らと共にいます”という救いの確信がより深く育てられてきたのだと思います。


 本来なら、講壇より、お一人お一人のお顔を拝見し、クリスマスのお祝いのメッセージを言うべきでしょうが、去年の父の死と、それに続く私の私的状況、そして今年の私の在り様も、きっと神様はクリスマスの大切な要素として備えて下さっているのだと思います。私の現在の状況はあとどのくらい続くのかは見当もつきませんが、それ程私は救いの意味を知るのに皆様以上に時間がかかる罪深い人間なのでしょう。


 病床にいても、祝会にいても、クリスマスを祝う気持は決して皆に負けません。皆様の日々の祈りと慰めに励まされながら、この大切な時を和やかな心持ちでいたいと思います。けれどもやっぱり持ちよりの愛餐会に出て、思う存分食べたかったと思います。


一九九二年十二月三日 塩出俊三

209号 記念誌「追悼塩出俊三」のこと 石郷岡二郎

209号 記念誌「追悼塩出俊三」のこと 石郷岡二郎


 故塩出俊三牧師逝去五周年の記念式のあと、引き続いて先生を偲ぶ記念会が恩寵教会の会堂で行われた。一九九七年十一月三十日の午後のことである。


 ご母堂の塩出ユリ子さんやご親族をはじめ、聖書神学校時代の恩師三小田敏雄先生、塩出先生の終末時を看取られた山崎正幸牧師や先輩・友人の牧師の方々十数名のご来賓が出席くださり、心温まる先生の思い出が語られた。


 この記念会をもつにあたって、先生を追想する記念誌を作成し、出席くださった方々に差し上げようと準備を進めてきた。


 「追悼 塩出俊三」である。
この記念誌を上梓するに至った経過について、菅根牧師はその序文の中で、こう語られている。
「先生の逝去五周年を機に、先生の思い出をそれぞれが語り、先生の姿と生き方と言葉を今一度心に留めて、その背後で働いた神の御業を讃えるために記念誌を作ることにいたしました。特に、耐えがたい悲しみを経験したご遺族への慰めになればとの祈りをもってこの記念誌の発行を準備してきました。」


 あとがきにも書いたが、準備を進めてきた私たちは、鎌倉恩寵教会にとって最初の大きな試練に立たされたときに遭遇された塩出先生に少しでも報いたいという気持で、手作りの本にすることを心がけた。本にしたときに読みやすい活字の大きさや行間のとり方など気を配ったが、いちばんきつかったのは、自分で打ち込んだ原稿を校正する作業であった。一冊分の原稿全部を校正を終わらせ印刷できる状態にして、印刷・製本所に出さなければならない。そのタイムリミットが十一月のはじめと言われていたので、間に合わせるために、二度ほど徹夜しなければならなかった。


 寄せられた原稿の編集で気を遣ったことが一つだけある。聖書神学校の同期の方々のものは五十音順に、教会員が執筆したものは会員歴の順に載せることにした。


 直前に届いた記念誌を手にとったときは、そんな苦労も吹きとぶくらいの出来ばえで、装丁も題字も納得のいくものに仕上がっていた。記念会の翌日の朝、塩出先生のお母様から丁寧なお礼の電話をいただいた。記念誌のことをとても喜んでくださり、ご遺族への慰めになればとの私たちの祈りがかなえられたことを感謝している。