伝道集会

伝道講演会

140号 伝道協議会報告 赤木きのえ

140号 伝道協議会報告 赤木きのえ
六月二九日。礼拝の後伝道協議会が持たれました。(本文は伝導とあるが間違いと思われる)参加者三三名。四グループに分け各グループでリーダー、及び発表者を選出、自由に話し合い最後に発表者が報告するという形をとりました。簡単な昼食の後、それぞれ討議に入る。約二時間の話合いの結果を、松本兄、佐々木兄、渡辺姉、川田兄が発表され、各グループともテーマを一つに絞らず、様々な角度から種々の問題を提起され討議されました。幾つかの共通項がありますので、それを列記いたします。




会員数の膨張によって会員相互の意志の疎通に欠ける点が出て来ました。例えば教会と社会との関はりの大切さは分っていてもそれを話題にする事に躊躇を感じる事が多くなった。(又発言者の意見がどのようであれ受容する態度も聴く側にしては考慮してもらいたい)


伝導集会についても、クリスマス集会、バザー等はその好機であるにも拘らず、教会員のみの集りとなりがちで、外に向って展かれた教会という姿勢をアピールすべきではないか。


次代の教会を担うC・Sの存在にもっと力を入れ、若者に魅力ある教会であると同時に若者の主張の場をもっと与へるべきであろう。


現在教会から遠ざかっている会員へのアプローチとして誕生祝カードの発送、又問安も委員以外の者も参加してほしい。ホームにいる老人にも外に出られるよう手を貸してほしい。又牧師先生に話を聴いて欲しい人も多いので先生にも時間をさいて接して頂きたい。(これは内藤先生より水曜日、土曜日は在宅日なので、相談日にしても良いとのお返事を頂いた。)


新しい会員への一声運動、又教会掃除当番への積極的参加、(当日二名の希望者を得た)等々希望事項が述べられた。


 この他、教会に導かれた大きな原因の一つに牧師先生の説教に魅かれてという答えが多く、先生の伝道への大きな力を今更のように痛感させられた。又或るグループでは「らしさ」について多く討議され、所詮基督者らしさ、牧師らしさ、ひいては男、女らしさという事の意味への問いかけがなされ、らしくあらねばという枷を持つ事により己れを鎧い、偽善に傾く事はないか?らしさをいうならまづ「人間らしさ」を尊重したい。伝道というものもおのづから滲み出る人間的つきあいの中にこそ育くまれるものではないかとの意見に一致を見ました。ともあれ今回の協議会は会員相互の理解を得る物として大変有効であった事に痛感しました。


(注:原文、文中は「伝道」がすべて「伝導」になっている。最後パラグラフ『所詮〜問いかけ』までの「らしさ」3箇所には右側に強調の点々がつけられている。(山本)

151号 (20周年) 記念伝道講演会報告 

151号 (20周年) 記念伝道講演会報告


キリストへの道 わが入信の記


 五月十五日、故内藤牧師の御遺志により決定されていた二十周年記念講演会が講師小中陽太郎氏を迎え、午後二時より四時まで開催されました。外部より十一名の参加があり、会員共六十余名の聴衆が集りました。


 小中先生は東大仏文を出られ、最初NHKに入社された大変気さくなお方で、御自身の傷にも触れられ乍ら終始、ユーモラスな語り口で重いテーマを笑いの中で語って下さいました。


 NHKを懲戒免職となった理由を淡々と語られ、然しその傷が自分を平和運動に駆りたてた一つの理由となった事、然しこの運動にも限界と虚しさを感じ、その後金大中氏の運動と、高史明氏の子息(十二才)の自殺を通じ、死を超え得るものの存在に目を開かせてくれたと話されました。


 全ての死は無駄ではないという事、キリストは死ぬ事によってキリストとなった。あらゆる死は夫れ夫れ何かを私達に教えてくれ、それがキリストの死は無駄ではなかったという事の意味だと思う。真の自由とは死からの自由でもあると語られ、信仰の重さを深く示唆されました。

196号 手作りの伝道集会 石郷岡二郎

196号 手作りの伝道集会 石郷岡二郎


 一九九五年秋の伝道集会は十月八日、講師に、作家としてまた市民運動などの面でも活躍されている石浜みかるさんを招いて行われた。伝道集会は、教会のはたらきを教会の外にいる多くの人々に理解していただく貴重な機会でもあるので、ふだんあまり教会とかかわりをもっていない方々にも親しみやすい人で、教会の伝道の使命についても理解をもっていてくださる人、講師の人選としてそういう人物を探すことから、伝道部の準備が始まった。


 月一回開かれる定例の伝道部会のとき、日置さんが一冊の本を持ってこられて「石浜みかるさん」を紹介してくれた。石浜さんが書かれた「あの戦争の中にぼくがいた」という本である。あの戦争のさ中、牧師の家庭に育ったご自分の体験にもとづいて書かれた本で、戦後五十年の節目の年の伝道集会の講師としてふさわしい方である。早速、菅根牧師と担当長老が藤沢にお住まいの石浜さんを訪ね、伝道集会の講師依頼について打診するはこびとなった。その結果、八月二十日の午後、石浜さんに教会までお出でいただいて伝道部会のメンバーと懇談のときをもつことになった。こうして、九五年度の秋の伝道集会の講師・石浜みかるさんと、テーマ「大人の現在・こどもの今」—子育て、家庭、教育から見えてくるものーが決まったのである。


 当日は、午前中の礼拝に引き続いて午後の講演会に出席する会員のために昼食のカレーを用意することにした。約五十食分を準備する必要があるため、赤木、宇野、嵯峨、日置のメンバーが前日に教会に集まって仕込みをしてくれた。当日の出席者が四十八名だったことから考えても、この試みは成功だったといえる。


 講演会終了後、石浜さんを囲んで懇談するティータイムのケーキを宇野さんが焼いてきてくれたこと、小さい子を連れて参加してくださる方のために、託児の世話を原さん、川田さんが引き受けてくれたこと、ポスターをはじめて鮮やかなカラーコピーで作ったこと。“手づくりの伝道集会”はこうした伝道部だけでなく多くの方々の奉仕によって実を結んだのである。

213号(金城先生)秋の伝道集会に参加して「死の中より」八木五夫

213号 (金城先生)秋の伝道集会に参加して 「死の中より」八木五夫


 マリヤは、天使ガブリエルから「おめでとう、恵まれた方。」と受胎告知をうけたとき、戸惑い何のことかと考え込みますが、「お言葉どおりこの身になりますように。」と自覚しけつだんしました。


 沖縄は古くから、武器を持たない平和な文化と教育を持った民族です。わが国の文化にも、優れた面もありますが、明治以降先進国に追いつくための国家意識と経済最優先、それに軍の権力が重なり皇民化教育となり、沖縄戦で非戦闘員を自決に追い込みました。洞窟の中で、母親は泣きながら幼い子に死を説得しました。死のうめきが翌朝まで谷にひびきました。


 金城先生は、死と愛のどん底に直面し、戸惑い、懊悩し、ついに肉親の異常な死への疑問と死の究極的な解決者としてのキリスト“十字架にかかって死んで復活され死の門を打ち破った王”(金城先生)に出合い、信仰を与えられました。人格形成の土台を作る最も大切な時の神の選びでした。うめきつつ亡くなった方々のため祈ります。


 沖縄のサンゴ礁の白化は世界的規模です。信仰の熟成と共に共生と伝道と祈りを心から願います。