研修会 春 夏 秋 冬

111号 研修会の記 相川尚武

研修会の記


相川尚武


 今年の一日研修会は十月十日体育の日に葉山相洋閣において、午前十時より開催されました。当日は牧師をはじめ総勢二十名が参加し、おだやかな秋の海を見下ろす会場で今回のテーマである差別の問題について、その深さきびしさを語りあうことの出来た一日でした。
 先ず開会の礼拝ではヨハネ伝四章のイエスとサマリヤの女との対話のところを読みました。
 当日のオリエンテーションとして牧師は、この対話の中に当時の差別問題の深刻さとそれに立向かわれたイエスの姿を説き、この差別意識にこそ人間の深奥の罪というべき他人に対する優越感があるとし、ピリピ書第二章の「へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者と」するほかには克服の道のないことを語られました。
 次に司会の相川より現在の差別問題の大要を報告しました。部落差別と韓国人(ないし朝鮮人)に対する差別意識(当面在日韓国人・朝鮮人に対する差別が問題となっていますが、基本的には民族としての韓国人・朝鮮人に対する差別感でしょう)が、歴史的に同根であること、とくに部落問題については解放運動の進展に応じて若干の法的財政的措置がとられて来ましたが、それらが問題解決に無力であり、国民の多くの意識(ないし意識下)に多くの痕跡を残しているかを報告しました。
 午後は二つのグループに分かれて話しあいました。とくに差別問題に限定しませんでしたが、あとの全体会へそれぞれのリーダーである滝口充さんと渡辺文子さんからの報告では、おおむねめいめいの体験によるさまざまの差別問題がとりあげられ話題となりました。
 最後にふたたび牧師より一日の話合いを集約して頂き、讃美歌を唱い、午後三時すぎ、それぞれの思いをもって散会しました。


111号 1980/11/25

135号  研修会の報告 山本敬

135号 研修会の報告 山本敬

 十月十日 久しぶりの晴れの休日、二十四名の参加で研修会が開かれました。テーマは「人間関係に於ける自分の気づき」、講師は左内坂教会の花房泉一牧師。

 先ずは問題を、と自分は今まで何と呼ばれたか、紙と鉛筆を手に、十幾通りもの呼ばれ方に、自分の姿を懸命に映していますと、何と、緊張をほぐす糸口の問題でした、と早くものせられていました。

 一つの輪になって、問いのカードをめぐり、一対一で、一対グループでと受け答えのやりとりを続けました。その中で、自分から気がつかねば、何も発展しない人間と人間のありようを思い、自己形成のためには気づきが必要であった。「きずき」は「気づき」に他ならない、と受けとめました。

 午后は、ルカによるクリスマス物語を聞いての学習で、如何に私達の思いこみが多かったか、自分の聞き方のくせに気づかされました。また、たとえ判らないことがあっても、話し合いにより正論に近づくその過程が大切なのでした。

 最後は、マルコ伝3章31〜35の一節ずつを、一人一人どう受けとめたか、感動・疑問・決意などの記号をつけ、その根拠をグループで発表し合いました。感性に訴えられる句、意志を問われる句と、様々な角度から書かれた聖書こそ全人格で読まれなければならなかったのです。

(135号)

171号 秋の一日研修会 報告と感想(教育研修委員会 北村

171号 秋の一日研修会 報告と感想(教育研修委員会 朝倉 北村)


 ことしは会場の都合もあって夏の宿泊研修会をもてなかったので、秋の一日研修会を充実したものにしたいとねがって、次のようなプログラムで実施した。


◇日時 十月十日(祝)九時半から
◇場所 鎌倉恩寵教会 開会礼拝
 聖書 マタイ二五・三一 ー 四六
 讃美歌 10
 主題講演 「私と教会」畠山保男牧師
 グループによる話し合いⅠ
 昼食休憩
 全員合唱 世界ではじめのクリスマス 畠山先生指導
 グループによる話し合い Ⅱ
 全体会
  ・各グループの内容の報告
  ・畠山保男講師によるまとめ
  ・塩出俊三牧師の閉会の祈り


以上、字数の関係で概要だけにとどめたが、講師の畠山先生が詳細なレジュメをご用意くださり、熱のこもったお話をされたこと、グループごとの話し合いも予定の時間を気にせずすすめられたこともあって、当初計画した三時閉会を一時間もオーバーしてしまうほど、熱心な、深まりのある研修会であった。


 出席者二八名が三グループに分かれて、私たちの信仰と教会生活のあり方を中心に、それぞれが日頃考えていること、思っていることを卒直に話し合うことができたし、畠山先生が各グループの話し合いに加わってくださって、実りの豊かな研修の一日を恵まれたことを神様に感謝している。(教育研修委員会)

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朝倉万喜子


 「今日のテーマを”教会と私”とにさせていたゞいて委員会から出されました”私と教会”はその中に提示させていたゞきました。」畠山先生のこの言葉を伺った時、私はガーンと殴られた様な思いでした。委員会の中で”私と教会”とのテーマの言い出しぺはこの私でした。これと云う深い考えもなく日頃何となく鬱積している教会内の事柄が話し合えるのではないかと思ったのです。何と傲慢な態度だったでしょう。キリストの身体である教会に連なりながら、そして常に神の前に身を低くしているつもりでいて実体は「私、私と自分を前に出しているこの姿を恥ずかしく思うと共に自分自身の信仰を改めて反省し、考える良い機会を与えていたゞきました

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北村崇郎


 私たちはキリストの枝として、それぞれの個人差すら無視し、ひとつであると信じている。敵をも愛す絶対愛や自己犠牲を当然として祈り言葉すら口にする。しかし、研修会に加わって、私たちの信仰や祈り言葉と裏腹に、私たちが正反対の存在であると理解し、表現しがたい寂寥感を憶えた。


 もしかしたら、教会外一般団体の集まりのほうが、他人の痛みを憶え、互の弱点を考慮するのではないかとさえ思う。私たちの教会名に「鎌倉」という冠があるが、私たちはそのために特殊な人間集団であるかもしれないとさえ思う。一種の階級意識が根強くあるのかもしれない。昔出席していた田舎の教会の人びとの純心さと献身の深さが、いまひたすら懐かしい。

189号 「秋の研修会」の報告 宮部望

189号 「秋の研修会」の報告 宮部望


 秋の研修会は十月九日の礼拝後、午後一時から会堂で行われ、三十一名の参加者があり盛会だった。


 主題は「豊かな礼拝をめざして」で、朝の礼拝説教「神のみ業の想起」を出発点にした。


 司会者の佐々木和子さんの祈りと説明のあと、ABC三つのグループは会堂、階下の二部屋に分かれ、約二時間話し合いを行った。各グループの司会者は、松本(繁)、宮部(望)、川田(俊)、書記は田宮(繁子)、服部、野村(信)だった。


 そのあと全体会でグループの報告があったが、その中から拾うと
「礼拝が神の業に仕えていくことであり、自分を律したり徳性を高めていくことが第一義ではないと教えられた。今までの心の重荷がとれた気がする」
「聖餐式の際に求道者への配慮が必要なことは言うまでもない。しかし、聖餐の時の対応にこだわりすぎるよりも、信仰の決意、ある時期が来たら跳びこえることが大切なのではないか」
「礼拝を、神を拝むかけがえのない時として守りたい。拝むことにもっと集中したい」
「礼拝の中で説教にこだわりすぎてはいないか。心から神への讃美を捧げることが大事なのでは」
「礼拝は奏楽から始まる。受付は一人を残して全員会堂の中に入るようにしたい」
「次の世代の人々、若い人の出席を多くするようにしたい」
「そのためには(説教では、みことば、奉仕、交りの三つが礼拝の大切な要素と学んだが)交りをとくに重視して若い人に魅力あるものとする必要があるのでは」というような発言が注目された。


 菅根先生のまとめのことばがあり、「礼拝には信仰と生活とのすべてが凝縮していると言える。そのくらい重要なものである。しかし、礼拝に出席しなければダメだというものでもない。礼拝が中心であり、宣教と交りと奉仕が行われているかどうかは、自己診断の指標であると把えたい。また説教で私が語る言葉に対して、皆さん自身が日々の生活の中で生きる《自分の信仰の言葉》を創っていって欲しい。それがことばの受肉ということ。礼拝はその反復であり、聖餐式を通して自分と神の関係を見直していく。悲しみをもちながらも、そこに喜びを見出していく」と結んだあと、菅根先生による閉会祈禱があり四時に充実した研修会を終った。

201号 秋の研修会報告 朝倉万喜子

201号 秋の研修会報告 朝倉万喜子


 9月15日「礼拝説教に続いて」番町教会牧師の大門義和先生を講師にお迎えして「信じられない時」—信仰生活の試練と希望—のテーマで研修会の時が持たれました。


 「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上れ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」エフェソ5章14節にある様に祈る事は「どうぞ神様語って下さい、私は聞きます。」と言う事ではないか。故に祈りのない私達は聖書に聞くことになる。聞く事がないと祈りは出てこない。この様に考えて行くと現在の教会は祈らざるを得ない事をしていないのではないか。教会と地域社会との関わり、教会学校と子供達との関係等について話されたが、その中で、『今は教会学校に毎週くる方がおかしいんで、それでも子供が来なくなってもせめて5〜6年間は、「元気ですか」の便りを出してやって下さい。』の言葉んCSに携わる一人としてとても胸に応えた。その後四つのグループに分かれて話し合いの時が持たれた。「教会の現況と地域」又、「今はチョット一息ついている様にも感じられるがこれからの事を考え一つのビジョンを持つ為に祈る姿勢を持たなければならない。」「内藤先生の頃の祈りが今適えられているのを思うと『祈れば必ず聞かれる』という事が私達に示されている。『本当に眠っていてはいけない』と思う」など、沢山の声がきかれた。


 またたくまに時間は過ぎ「教会はみ言葉を聞きいり語る所」であり、そして最後に残るのはやはり「み言葉と祈り」である。とこの研修会に参加された方々は、又思いを新たにされたように感じました。

263号 冬季研修会 八木健

263号 冬季研修会 八木健


 二月一八日、礼拝後に、二〇〇六年度冬季研修会が開かれ、牧師をふくめて、二四名の信徒の方々が参加されました。「教育再生」をテーマとして、荒井牧師から初題があり、その後で、四つのグループに分かれて、話し合いの時間が持たれました。


 昨年、教育基本法が改訂されて、今後の教育のあり方が実際にどのように変化をして行くのか注目されるところです。「教育」は、社会全体がどのような方向に向かって行くかということと密接に結び付いており、「教育問題」は、我々の社会・大人に問われている重要な問題でもあります。


 教育の根本は、心を育てること。感性を磨いていくこと。個人を出発点とし、個人を重視しながら社会全体とどう関わって生きていくのか。




 現代にあって、教育の本来あるべき姿を担って行く役割を教会が求められています。神を愛する思い、隣人を愛する思いを込めて、私の神があなたの神でもあることを信じて、教会が出発点になる教育再生について、改めて思いを強く致しました。

290号 夏季研修会―「震災と信仰」 登内鍈二

290号 夏季研修会―「震災と信仰」
教育研修部 登内鍈二
「神様はなぜ私たちに、こんな悲しい、ひどいことをなさるのですか」と、東日本大震災で被災した少女が、ローマ法王に手紙を書き送ったが、その返事は、「私にも、その答えはわからない」だった。これは、去る7月17日に、当教会で仙台北教会の川端純四郎さんが話されたことだ。
  去る7月31日に当教会で行われた夏季研修会―「震災と信仰」でも、この疑問が提起された。神様は何故、大震災という、こんなひどい仕打ちをされるのか、神様に面と向かって質問したい、という声が上がった。
  一方、「神に何故と問うなかれ」という考えもあるそうだ。しかし荒井先生は、何故と問うことは許されるのではないか、と言われる。私たちは実際、問い続けてしまうだろう。問い続けているうちに、何かが見えてくるのであろうか。
  この度の大震災は、天災であり、かつ人災である、と言われている。「今回の震災以来、自分の考え方や生き方が明らかに変わった」と研修会で言われた方がいる。福島の原発事故は、人災の面が強く、余りに贅沢な生活をするようになった私たちにも、反省すべき点がある、と荒井先生がコメントされた。前述の、仙台北教会の川端さんは、被災地を歩き回るうち、個人の富や地位など、何の価値もないことが良く分かった、と言われた。
  ある研修会参加者によれば、東京電力のある関連企業では、原発の防災訓練をしようとしても、東電から、社会不安を招くから、事故を想定した訓練はしないように、とのお達しがあり、一切訓練はやれなかったそうだ。原発をつくるために、それにブレーキをかける一切の力を排除してきた国と企業、そしてそれに引きずられた地方自治体。そして増え続ける電力消費。原発事故はまさに人災であり、その最終的な被害者は我々自身である。
  被災された方々は、これから先いかに生きていけば良いのか。荒井先生によれば、創世記にある「産めよ、増えよ」は、あのバビロン捕囚時代の、ユダヤ人たちに対する「生きなさい」というメッセージであり、単なる天地創造の神話ではない。これは初耳であり、新しい発見であった。創世記は、エルサレム陥落により、戦争奴隷となったユダヤ人たちへの、この上ない励ましだったわけだ。
  「もうこの歳だし、いつ死んでもいいと思っていたが、創世記を学び直し、励まされ、生きる気になった」とは、ある研修会参加者の声であった。
2011年9月

299号 2013年冬季研修会 田中義宣

299号 2013年冬季研修会 田中義宣


去る3月17日(日)主日礼拝後、1階集会室で冬季研修会をおこない、27人が出席いたしました。終ったのは午後3時を少し廻っていたかも知れません。
主題は「創立45年を迎える鎌倉恩寵教会のこれからと希望」を掲げましたが、今回はいつものような学びの研修会ではなく「恩寵教会の今」を語り合おうと、昼食を共にしながら、全体ではなごやかな中にも真剣な懇談会風の集まりになったように思っています。
若いと思っていても45年を迎えた私たちの教会は、もう青年期を過ぎたのかも知れないし、まずはこれまでの45年を総括すべきだとなりました。
内藤協牧師と37名の出席者が最初の主日礼拝をおこなった鎌倉恩寵伝道所は、1968年3月3日でした。日基教団の鈴木正久議長が議長名で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、いわゆる「戦責告白」を公表された日(1967年3月3日)からちょうど1年後でした。内藤牧師は「どうして、この伝道が始まったかについては、私自身すべてを説明しうるものではありません。言えることは、ただその時の中に立たしめられたという事だけです。私にとっては、その時は確かに動かし難い明確な神の時でした」(鎌倉恩寵教会20年史2頁)と書かれています。
1975年に鎌倉恩寵教会総会で決定し、いまも総会のときなどに唱和する「私たちの教会の姿勢」は、その「戦責告白」の主張が織り込まれているように思います。
現在、私たちの教会の礼拝出席者は約70人です。現住陪餐会員は126人ですが、やはり高齢化がすすんでいます。50代とそれに続く団塊第2世代(30~40代)、若い世代も来られる教会にしなくはならないという意見が多く出されたように思いました。
これからとり組むべき具体的な課題も多く出されました。教会堂の入り口ロビーに役員が立ってご挨拶でお迎えしてはどうか、はじめて来られる人には煩わしく感じられるのではないか、運営面では部会などの枠をとり払って全体で教会の課題にとり組んではどうか、さらに高齢者、身体の不自由な方のためにエレベーターは急がれるべきではないかなど。また東日本大震災、福島原発事故などの大きな問題に焦点を当てての話し合う機会をもちたいとの意見もありました。そして教会に来られる人々が持っておられる様々な情報が共有できる方策が欲しいとの意見も出されました。これらのことは役員会や必要な委員会などで取り上げられるでしょう。
それもこれも鎌倉恩寵教会が、あらためて主日礼拝をしっかりと捧げることの出来る教会としてあり続けることではないかと、当日の司会を担当していて強く思いました。(田中義宣)

317号 春季研修会に出席して (朝倉)

317号 春季研修会に出席して
― 『私たちの教会の姿勢』について考える - 




 3月20日礼拝後、伝道・研修部主催の春季研修会が階下集会室にて開かれた。
テーマは「『私たちの教会の姿勢』について考える」。「私たちの教会が大切にしてきたこと」~「50年史」を編纂しながらみえてきたこと~ との平野担当長老の発題で始まった。


『私たちの教会の姿勢』は総会、転入会等様々な折に唱和され、私たちは恩寵教会の会員である基本的な姿勢を問い、確認してきた。この『教会の姿勢』は5項目から成っており、最初は1項目から考えようとの発案があったが、5項目全体を通しての方が話しやすいとの意見が多く、その方向で進められた。席上で主に転会された方々の話から、総会において承認決定され、私たちの指針となっている『私たちの教会の姿勢』のようなものがどこの教会にもあるのではないことを知った。1項目の「聖書をテキストとして・・・」の箇所に、何人かの意見や解釈が述べられていたが、2項目は将にこの恩寵教会の伝道姿勢が色濃くまとめられていると私は感じている。


今まで私は漠然と『私たちの教会の姿勢』が出来たのは、1968年3月声をあげた「鎌倉恩寵伝道所」が、「鎌倉恩寵教会」として新しい歩みを踏み出した1973年頃かと勝手に思っていたのだが、そうではなく「更に2年後の1975年春の総会であった」とのことを先輩から聞き、改めて20年史を読んでその頃の状況を知り感銘を受けた。7年の年月を経て掲げられた『教会の姿勢』は「こうでありたい」、「これからやるぞ」という単なる指針ではなく、7年というご苦労の多かった年月の中で「多様な人間が一つのキリストの体を形成して行く事の困難・・・」を先人たちは体験もされ、「教会生活は自分の信仰の為だけにあるのではなく、伝道することは伝道されること」を実感され、その中から『教会の姿勢』が生まれたのではないかと思う。


「鎌倉恩寵教会20年史」の中で故相川尚武兄は「いま私たちは一つの区切りにたっているのではなかろうか?これからの20年、30年を思うとき、変わり行く環境の中に『キリストにあって一つに帰せしめようとされた』み旨にそい得る『キリストのからだ』なる教会へ成熟する道の遠く遥かなることを思い、身のひきしまるものを覚えるのである」と結ばれている。


相川兄の記される遥かなる30年は目前に迫ってきている。ここにきても私たちは更に20年、30年先の成熟する道の遠く遥かなることを思う。私は成熟は完了だと思う。常に途上にあって、時には立ち止まり『私たちの教会の姿勢』で軌道修正して歩んで行きたいと願っている。 (朝倉)