夏季伝道

夏季伝道(神学生)

182号 “光っているもの”夏期伝道実習を感謝して 服部尙子

182号 “光っているもの”夏期伝道実習を感謝して 服部尙子


 一ヶ月間、御教会と衣笠ホームで夏期伝道実習をさせて頂きました。7月25日、山本敬長老の記念会に始まり、最終日の夕礼拝・親睦会に至るまで、皆さま方のお交わりの中に加えて頂きました。


 矯風会の関係の方がたをはじめ、いろいろなところでのつながりのある方がたが多くいらしたこともあるのですが、恩寵教会が私にとって“身近なもの”と感じられたのはなぜかと、一ヵ月を振り返って考えます。


 二回の礼拝説教は、つらく、終わっ後はホッとしながら、もっとよく聖書を読み深く展開できたらと悔みました。


 いちばん楽しかったのはC・S礼拝で、鎌倉保育園の子どもたちが本当にかわいく、朝倉さんから「特別視してはいけないのよ」と注意を頂いたにも拘らず、子どもさんびかを歌いながら涙が溢れてきてしまいました。C・Sは、Church SchoolではなくChildren Serviceだといわれますが、「これが本当にChildren Service!」と思ったのです。C・Sの先生がたのご奉仕の姿勢は、一見アバウトで“光るもの”を感じました。


 無牧の中に、長老会、総務・会堂、月報、教育など各委員会が機能して、教会の運営・事務が滞りなく運び、一方、外部的には街頭署名活動をはじめ、教区・地区の責任がよく果たされているのはさすがでした。


 『二十年史』を拝見し、また個人的な語らいを通して恩寵教会の歴史を知り、お二人の牧師また長老を天に送り、さまざまな困難のなかで、真実な教会の在り方を求めておられることを知りました。その闘いを’70年以来、日本の諸教会が負ってきたもののうちに感じとるとき、私にとって“他人事”ではありません。「よき牧者はまたよき教会によって育てられる」との木村先生のご助言を思いつつ、よき牧者が与えられますよう、切にお祈りいたします。


 鎌倉保育園の夏祭りや親睦の集いは楽しうございました。夏祭りや盆踊りの輪の中に入れなかった私ですが、実は翌週、子どもに炭坑節の「掘って掘ってまた掘って」を教えてもらいました。今度は踊れますよ。親睦の夕べ、広い夜空に光った花火のきれいだったこと。それは恩寵教会に光っているものの象徴のように思えます。

194号「一ヶ月の夏期奉仕を終えて」同志社大 大門光歩

194号「一ヶ月の夏期奉仕を終えて」同志社大 大門光歩


 京都のボロ下宿に帰り、恩寵教会で撮った写真を見ていると、あの一ヶ月が本当に楽しいものであったと思い起こされます。やはりほとんどが子供達とのものでありましたが、彼らとポーズをとっている自分の姿は恥ずかしいぐらい楽しそうに写っています。何か現実でないようです。本当にあっという間の一ヶ月でした。


 今回、貴教会での学びの時が与えられたことは、多くの教会を見ておきたいと考えていた私にとって貴重な経験となりました。幸いなことに、私は神学部に編入学してすぐに膳所教会でフィールドワークの場が与えられ、昨年の夏にはサンフランシスコ近郊の長老派の教会で一ヶ月間学ばせて頂く機会が与えられました。これらの経験は教会で育った私に初めて「教会」について問題意識を抱かせるものでした。自分の知っている形式と異なる形式を持つ教会と触れた時、当り前であったものが当り前でなくなったのです。そこで初めて意味を考えるようになりました。また、それぞれの場で牧師の意見を聞かせて頂けたことは何よりの経験となりました。


 そのような理由で私はもっと多くの教会を知りたいし多くの人の話を聞きたいと願っておりました。恩寵教会での一ヶ月間は、私の願いを充たしてくれるものであったと思っています。本当に多くの方と話す機会が与えられ、また菅根牧師には事あるごとに、時には夜遅くまでお話し頂きました。これらの時間は私にとっては新たに色々と考えさせられる刺激となり、ほんの少し自分の信じている在方にある問題に関しては確信が持てるようになりました。今の時期にこうして、多くの方々のお話しを通してゆっくりと考える時間が持てたことを何より嬉しく思っています。


 また、この一ヶ月は子供達と楽しく過ごすことのできた一ヶ月でした。子供達に救われたと思うぐらい彼らにはよく遊んでもらいました。キャンプで初めて会うということでこっちは少し緊張していたのですが、彼等は誰であろうとお構いなしで、純粋さをうらやましく思いました。膳所でも恩寵教会でもそうなのですが、楽しそうに集う子供達を見ていると、教会と私達の関わり方を彼等から学ばなければいけないように思いますし、彼等がいつまでも教会につながっていられるように何かできればと思っています。私の親元を離れてからの教会との関わりを振り返りますと、今回もそうであったように子供達に助けられている部分が強いように思います。今回改めてそのことを考えさせられました。子供達が離れていかない教会学校にしていきたいものです。
 京都に帰ってきた今、私は教会の人や、神学部の友人に恩寵教会での経験から話したいことがたくさんあります。その一つ一つがこの一ヶ月で得た財産であると思います。皆でそれぞれの財産を分けあってそれぞれの場で活かしていきたいと考えています。


 皆さん一ヶ月間本当にありがとうございました。


 また遊びに行かせていただきますのでよろしくお願いします。


 恩寵教会の歩みの上に神様のお恵みが豊かにありますよう、お祈りしています。

200号 神学生からのお便り「一ヶ月の夏期奉仕を終えて」竹前篤

200号 神学生からのお便り  「一ヶ月の夏期奉仕を終えて」竹前篤


 一ヶ月の夏期奉仕を終えて、まず思ったことは、来年もぜひ同志社から夏期伝道神学生を呼んでいただきたいということです。このよい体験と出会いを他の神学生にも体験していただきたい。そう思ったからです。『出会い』なんて、そう思っていた自分がなんだか恥ずかしくなりました。たいへん実りある一ヶ月であり、たいへん多くの方々と出会えたことに改めて感謝しています。私を支えてくれたすべての方々に深くお礼を申し上げる、とともに、なにもお礼ができない自分に腹を立てています。


 この一ヶ月、牧師先生の働きを一部ではありますが、見せていただきました。少し不謹慎かもしれませんが、たいへんおもしろい、またやりがいのある働きであると思いました。それと同時にたいへん重要な、また責任ある働きであると思いました。「僕は、すごいモノになろうとしているんだなぁ。」とつくづく感じてしまいました。牧師先生の働きを間近で見られたことはこの夏期伝道の中でたいへん大きな収穫となり、将来への財産となったことは確実です。牧師先生にはいろいろなお話といろいろな体験をさせていただいて本当にありがとうございました。


 キャンプから始まり、夏の夕べまで、たった一ヶ月の期間が貴重な体験と多くの出会いによって何倍もの価値が生まれ、私にとってたいへん有意義な一ヶ月でした。


 京都と鎌倉、遠い場所ではありますが、鎌倉恩寵教会と深く結ばれていたいと強く希望するとともに私のことを心のどこかに残しておいてほしいと願っています。よい出会いもそれまでにしておくと価値が下がってしまいます。夏だけの良い思い出でもよいのかもしれませんが、私はそれだけにしたくありません。今後にもつながる良い夏の体験としたいと強く希望しています。


 次にくるであろう神学生もきっと私と同じく良い体験と素敵な出会いをするでしょう。なぜなら鎌倉恩寵教会のみなさまが強く、やさしく支えてくださるからです。この教会と出会えたことを改めて感謝します。この夏、私の父、母(祖父、祖母)、また兄弟、姉妹がたくさん増えました。かならず親孝行させていただきます。でもお礼は出世払いということにしておいてください。


 最後になりましたが、鎌倉恩寵教会のみなさまの御健康と御活躍をお祈りします。




206号 派遣神学生 夏期伝道の一ヶ月……... 杉岡ひとみ

206号 派遣神学生 夏期伝道の一ヶ月 杉岡ひとみ


 鎌倉から京都に戻って、すでに一週間以上は過ぎました。予想していたとおり暑かった京都もさすがに最近では涼しくなり、秋がやって来たことを感じさせられます。帰って来てしばらくは「鎌倉熱」(カマクラ・フィーバーと自分では呼んでいる)で興奮していましたが、ここにきてようやく落ちついて夏期伝道をふり返る時が来たように思います。


 多くの経験をさせていただいた一ヶ月間、そこには多くの方々との出会いがありました。カマクラに着いてすぐ教会学校の夏期学校があり、元気な子供達、パワフルな教会学校の先生達との出会いは「これから大丈夫かな」と不安を感じていた私を力づけてくれたように思います。


 そこで出会った子供達とは一緒に教会でアイスクリーム・パーティをしたり、お話ししたり、と本当に楽しい交わりをすることができ、いつも私は子供達から元気をもらっていました。


 子供達の他にもたくさんの方と出会うことができました。礼拝、歌の練習、おそうじ、30年史の編集作業、その他いろいろな事柄を通して教会の方には本当にお世話になり、感謝しております。見てのとおり、おっちょこちょいですぐあわてるのでハラハラされた方もいらっしゃったのではないでしょうか。


 また、期間中には在韓被爆者のための署名運動、平和集会などにも参加する機会が与えられました。そこでは恩寵教会の方の他にもいろいろな教会の方とお話しすることができ、共に考え、また活動できたことを嬉しく思っております。


 さらに今回は衣笠病院にも行くことができ、いろいろと見学させていただきました。また、教会の数人と一緒に「熱い熱い」といいながら乾燥したてのオムツをたたんだことも楽しい思い出の一つとなりました。


 まだまだ、書ききれない程多くの出会いがあり、時には静かに考えさせられる事もありました。笑う時もあれば、どうしても悲しくなる時もありました。『すべての事には季節があり、すべてのわざには時がある』。私が今年約一か月間鎌倉恩寵教会へ派遣された事、そこでいろいろなことを感じ、考えさせられた事、そこにもまた「時」があったと思います。「時」を多くの方々と分かちあえた恵みに心から感謝しています。

212号 「教会」・「伝統」を考えた一ヶ月 神学生 長倉望

212号 「教会」・「伝統」を考えた一ヶ月 神学生 長倉望


 京都も、日中まだまだ暑いとはいえ、朝夕吹く風に秋の気配を感じるようになってきました。鎌倉も、秋の装いをし始めているかと思いますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。


 今年の夏は、本当にお世話になりました。この夏が本当に有意義で豊かな時であったという思いと共に、これからの私にとって大切な経験になっていくだろう、鎌倉で過ごした夏がこれからの私の歩みを決定的に支えるのだろう、との予感を持っています。あたたかく見守って下さったみなさんに本当に感謝をしています。


 この一ヶ月の間、恩寵教会のみなさんの教会に対する想いや姿勢にふれ、私たちが宗教的伝統のなかで「生きる」ということ(キリスト者として教会生活を送ること)が、宗教的伝統を私たちの生の前提として受容していくことにとどまらず、私たちが主体的に絶えず宗教的伝統に働きかけ、その内実を問い、自分の命をそこに見いだしてこそ、初めて私たちは宗教的伝統を豊かに生きることができるのではないか、その様なことを考えています。「教会」「伝統」に、そこに閉じ込められるような堅苦しさを感じ、そこから逃れることばかりを考えていた頃もありましたが、「教会」「伝統」に支配されるのではなく、そこに生きる、教会や伝統は私たちの隣人と(そして神との)交わり、祈りの中から絶えず新たに創り出されていくものである。その様な歩みへと招かれたような気がしています。


 また、菅根牧師や役員の方々のお働きにふれ、教会とは「一人一人の命を支える場である」との思いを強くしました。教会で礼拝を守ること、教会に来られない方(病床にある方)の訪問、教会学校のキャンプ、教会の外へ出ての運動(在韓被爆者支援の為の署名運動、平和集会)、様々な場に立ちあわせていただきました。そこに一貫して流れているのは、私たち一人一人に与えられた命を喜び尊び支え合う恩寵教会の皆様の姿勢であったと感じます。


 なんだか抽象的なことを書きましたが、そこに思い出されるのは恩寵教会に集う皆様一人一人の優しい笑顔です。とにかくよく食べ、楽しませて頂いた一ヶ月だったと思います。本当にありがとうございました。またお会いできる時を楽しみにしています。これからもまた、よろしくお願いします。

218号 夏期伝道を終えて 同志社大学神学部 指方周平

218号 夏期伝道を終えて 同志社大学神学部 指方周平


 京都に帰ってきて、一週間が過ぎました。住みなれた自分の部屋でいつものようにくつろいでいると一ヶ月間も鎌倉に行っていたことが不思議に思えてきます。


 「将来は伝道者として用いられたい」その一心で進んだ神学部でしたが学部最終学年になった自分が持っていたものは、ただの困惑だけでした。


 三月の終わりに高等学校時代の友人が僕を訪ねてきました。懐かしいその友人は心を病んでいました。彼は人に会おうともせず家に閉じこもったままの生活をしていましたが、そんな彼が勇気を出して家から出て僕に会いに来てくれたのです。僕は何とかして彼を励ましたく様々な用意をして彼を迎えたのですが、翌日彼は泣きながら帰ってしまいました。ヨブの三人の友人たちは不条理な苦しみにあるヨブを慰め、力づけたい一心で遠くからやってきたのですが、彼の正論(慰め)は結果としてヨブを裁き、余計に苦しめるだけの言葉になってしまいました。これと同じことを僕は懐かしい友人にしていたのです。彼の苦しみを客観的に評価するような不誠実な対応をした自分に気付いたのは彼が帰って何日もたってからでした。


 たった一人の友人に最後まで寄り添って歩むことができなかった素のままの自分を見つけた時、伝道者を志した先が見えなくなりました。自分の今後をどのようにして良いのかわからないまま僕は同志社から鎌倉恩寵教会へと派遣されていきました。鎌倉での一ヶ月間で今後の方向性を見つけられればと思っていた僕は自分のことばかりで夏期派遣神学生という肩書きはついていても教会に対しては何もしませんでした。そんな僕に対して教会の皆さんは家族の様に良くしてくださいました。時々その事が心苦しく感じられると共に涙が出るくらいに嬉しかったです。鎌倉恩寵教会の交わりに加えられた中で、素のままの自分を迎えてくれる「教会(エクレシア)の原点」を見つけた気がしています。鎌倉恩寵教会での一ヶ月は僕の宝ものです。素のままの姿で受け入れられた喜びを持ってあの懐かしい友人と歩んでいけたらと思います。一ヶ月間ありがとうございました。

224号 夏期奉仕を終えて 田中一成

224号 夏期奉仕を終えて 田中一成


 夏期奉仕を終えて一番強く実感として残ったのは「こんなにも違う教会があるのだな。」ということでした。


 丸太町教会はアシュラムと呼ばれる熱心な祈りを重視する修養会の流れを汲む人たちが今牧会の中心にいます。もともとは同胞教会と呼ばれるオランダ改革派とメノナイトの珍しい合同教会の流れを汲んでいますが、榎本保郎先生以後その門下生の人たちが今丸太町教会で牧会にあたっておられ、必然祈祷会や、信仰への情熱が先行した牧会となります。


 そのことに実はぼくはあまり釈然としないものを感じていました。同志社組合教会の各個教会主義に憧れながらも、現実の教会の状況に照らして、青年会があることや、青年会月刊誌があること、ゼミの先生がいることなどの理由で丸太町で受洗したのですが、なんとなく馴染めないと漠然と思いながらその原因はわかりませんでした。


 しかし恩寵教会での奉仕を通して、丸太町教会の信仰が完全に内向きであり、外に対して何ら具体的な力を持っていないこと、閉じた、教会員だけにしかわからない、おそらく新しく来る学生にはほとんどわからないだろうような信仰のあり方が保持されていることを思うとき、ぼくは何か厳粛な思いに立たされます。


 もちろん恩寵教会で得た経験を丸太町でも生かしていけるよう努力するつもりです。


 早くも八月二七日の夕礼拝では、神学生の怪我の都合もあり、急遽ぼくが説教することになりました。気持ちの引き締まる思いがします。そのため浜本真理さんと佐藤寧さんの信徒証詞を聞くことが出来ず、また皆さんにゆっくりお別れの挨拶をすることもできず、慌ただしく帰らなければならないのをとても残念に思います。しかしこれも神様の導きと信じ、取り組みたいと思っています。


 恩寵教会ではたくさんの方からお招き頂き、また何かと細やかなお心尽くしを頂き、多くの皆様に支えられ、元気付けられたことを感謝致します。振りかえってこの教会で奉仕できたことを本当に幸福に思います。菅根先生からは個人史を聞く重要性や、人格障害についてなど、目を開かれるようなお話を伺えて、たいへん勉強になりました。また夜遅くまで話しに付き合ってくださって、あんな熱い先生がおられることを心から嬉しく思いました。先生の奥さん、ようこさんにもとてもお世話になり本当に感謝です。私自身まだまだ先の見えない中にありますが、これからも示される神様の導きを信じて歩みたいと思います。


 一ヶ月間ありがとうございました。皆様もお元気で。

230号 夏期伝道奉仕を終えて 藤浪敦子

230号 夏期伝道奉仕を終えて 藤浪敦子


 四週間という期間は、始めは「長いな…」と思っていましたが、今振り返ってみると、本当にあっという間でした。CSの夏期キャンプに始まり、毎日忙しかった始めの1週間は、長く感じましたが、残りの3週間というものは、知らない間に過ぎてしまった、という感じです。しかし、そのような日々の中でも、衣笠病院の見学、教会に来られない方々の所への訪問など、数多くの経験をさせていただき、何よりも、多くの方と出会えた事を本当にうれしく思います。


 鎌倉恩寵教会の方々は、どたなも暖かく迎えてくださり、本当に貴重な交わりのときを持たせていただけたことを、感謝しております。また、お招きもたくさん頂くとともに、細やかなお心づくしを、心より、お礼申し上げます。個人的な印象としては、鎌倉恩寵の方々はどなたも快活としてらして、また、どなたもお料理が本当に上手だなぁ〜と思いました。そのことも含めて(笑)、本当にすてきな、楽しい夏期伝道でした。


 素直な気持ちとしては、未熟な夏期伝道神学生をその交わりに迎え、導いてくださり、私は牧会をしに来たというよりも、ここに来て、自分が牧会をされたように思います。しかし、この短くはありましたが、共に過ごさせていただいた時間の中で、皆様にも、喜びと楽しみの時が少しでもあったのであればうれしく思います。


 CSの子どもたち、青年会の方々、楽しいひとときを本当にありがとうございました。信徒の方々、暖かく迎え入れてくださったこと、また、楽しく交わりをもてたこと、本当にありがとうございました。そして、お忙しい中、ご家族と共に、時間をさいて常に暖かく導いてくださった菅根先生、本当にありがとうございました。