遠足

バス旅行

81号 春の遠足 成田靜子

春の遠足 成田靜子  81号




五月十二日はお年寄りの春の遠足で、箱根伊豆へドライブ。八十五才の方四人をはじめ総勢十八名が参加しました。手作りのお弁当に舌鼓を打ち、山の新緑を心ゆくまで堪能し、ベコニヤ園の花の見事さに驚嘆し、帰路は夕凪の海岸線を走り、無事帰着し、又秋の行事の遠足には、お元気な年召した方々とご一緒に参加出来たらと心からねがいつつ家路につきました。


青箱根ドライブウェイ風薫る


若葉雨ベコニヤガーデン花の中




81号 1976/5/25

127号 伊豆小旅行 渡辺文子

127号 伊豆小旅行 渡辺文子


 今回の遠足はバスを借りる事に衆議一決し、係りの方々のお世話で内藤先生御夫妻も御一緒に二十二名がマイクロバスで出発致しました。バスの後方はテーブルを囲んで七人ほどが座れるサロン?風でおしゃべりには快適です。梅雨の最中でお天気が案じられましたが、朝は日も眩しく良い工合でした。箱根を越えるころは霧が立ちこめ富士山も姿をかくして車の見通しも悪くなってきました。ベテランの運転手さんは意にかいせず面白可笑しく周囲の説明をして呉れます。大仁に下りて修善寺に出ますと、かっては伊豆の踊り子が太鼓を背負って歩いた道を、バスは一気に湯ヶ島に向います。八時に鎌倉を出て予定通り正午に第一の目的地みぎわ荘に到着。中村さん御夫妻のお心尽しのお食事が用意されていました。山菜おこわ、わさびの茎のお酢に漬けたもの、その他いろいろそなえられ、大きな器に山盛りにお替りを持ってきて下さいます。どれも美味しくて太るのを気にしつゝ沢山頂いてしまいました。お話に聞いていたとおり、本当に暖いお人柄の方々で、CSの生徒さん達が夏にお世話になり翌年も又来たいと希望なさったとの事。人の情は若い人達にも敏感に伝わるのでしょう。ゆっくりする間もなく玄関の前で写真を撮って頂き別れを惜しみつゝバスに乗り込みました。途中特製のわさび漬をお土産に霧雨の中を伊豆高原へと向いました。緑したたる中を通って着いた第二の目的地ベゴニヤガーデンは、四季美しい花が咲き乱れバラの様な花、大輪の牡丹の様に華麗なもの、色とりどりで酔ってしまいそうです。和歌や俳句にこの思いを托せる方を羨みながら花の有様を脳裡に刻んで外に出ました。バスは網代に出て干物のお店に立寄りました。今時珍らしい七厘に豆炭が燻り試食用のお魚が並んでいます。


 潮風に香ばしい匂いが漂いどれも美味しそうです。留守の家族を思いながらそれぞれにお土産を買い求め荷物が少しずつ増えてゆきます。


 帰路は車が少なく予定より早く鎌倉に着きました。一日楽しく、そして無事に終ったことを感謝して皆様とお別れしました。


 来年はどんな小さな旅が待っているでしょうか。

(挿絵いり)

145号 春の親睦遠足 原節子

145号 春の親睦遠足 原節子
 前日までのぐずついた天気を気にしながら十時に教会前に集った二十四名の若やいだお顔と服装、さっそく七台の車に分乗し葉山の先、秋谷・子安の里に向い出発。今年は経費節約の為マイクロバスは止め、お身体が弱くても誰でも参加出来る近いコースにしました。


 海岸線を三十分走り、くるわ海岸より細いけれど良く舗装されてる山道をゆっくり車で登って行くと、途中で歩いているハイキンググループの人達に出合い、こちらは八十過ぎが二人も居る熟年?グループなのだと小さくなってそばを通りぬけ軽部さんの別荘のある見晴らし台に着きました。


 相模湾の見える眺望、近くにはお花畑、マーマレド作りの折いただいた大きな夏みかんの木!さっそく用意していったお茶やお菓子をくばり一服してると軽部のおばあ様が手作りのフキの煮つけ、ラッキョ、そら豆をしょい籠に入れ持って来て下さりおいしい心づくし皆感激しました。おばあ様も喜んで仲間に入り楽しい一とき、近くの農家でお花の苗や野菜を買う人、へびまで賑やかさにつられ出てくるし、楽しさにカメラマンは写真を撮るのを忘れました。大失策!
 お昼になり山を下りくるわ海岸にある魚亭の座敷に上り、二段重のお弁当に舌鼓、帰りは下の魚やで生きの良いえび、魚等買い皆さんの夕食は魚料理になった事でしょう。


 海岸で写真を撮り二時半解散という近い場所のナウイ「グルメ入りドライブ遠足」の楽しい一日でした。 五月十九日 日記より




(注:漢字間違い修正。 第3パラグラフ 「心ずくし」を「心づくし」に修正)(山本)

157号 大磯沢田記念館を訪ねて  中村喜代子

157号 大磯沢田記念館を訪ねて  中村喜代子


 五月二十三日は恒例の教会の遠足でした。あの頃は雨が多くて梅雨時の様でしたので、”或いは”と懸念した通り前夜から大雨になって了いました。当日雨の中を歩いて茅ヶ崎駅へ。車窓から雨にけぶる緑に目を移しながら大磯駅に到着し、鎌倉からの皆様を待つこと暫し十時一寸過ぎ、にこやかな皆様を迎え、自動車組四人とタイミングよく合流して、塩出先生と共に十八名の参加でした。駅前のこんもり繁った広大な敷地の中にある大磯サンダースホームの石段を昇りながら隠れ切支丹の資料館に向いました。途中石段の両側にあるつわぶき。椿の若葉や一寸まだ早い白紫陽花等を眺めながら資料館に到着、手続きを済ませて中に入りましたが、沢田先生の地味だけれど偉大な足跡を感じながら説明を受けました。「物の前に説明書きはないけれど皆様が見て感じ取って下さい。」との前置きがありましたが厳しい迫害の中で守り通した信仰の深さを感じましたし、だからこそこの様な偶像的な彫刻品やお茶入れ抹茶茶々椀に至るまで十字架の印があったのに感心し、隠れ切支丹の信仰は半端なものではなかったのだと感じました。また切支丹が一番心の叫びと、苦しみを味ったでしょう「ふみ絵」も一入あわれさと強さをも見せられた思いでした。この日私が一番強く印象に残った言葉は、説明された方が「先生は”意地だけでは駄目なのよ”といって礼拝堂に行かれた』といわれたことでした。


 沢田先生は強いだけでなく人間的深さを持った方であったからこの様に大きなことを貫かれたのでしょう。その感慨を持ちながら最後に礼拝堂を見せていたゞき中に入った時は思わず身のひき締る厳そかな気分にひき込まれました。心を残しながらタクシーに分乗して山あいの大磯園でお昼をいたゞき食後十八名がそれぞれ今日感じたことを披露して三時過ぎ塩出先生のお祈りで閉会となりました。梅雨曇りの様ですがどうやら雨も上りましたので、七、八名で駅まで歩くことにしました。覆いかぶさって来る様な緑の濃淡の樹々の下で黄菖蒲の葉の雄々しい線と、対照的なふくよかな著莪の葉、花時には少し早かったけれど、あの優しい花も見たかった。沢のせゝらぎを眺める様に「箱根うつぎ」も可愛かったし、いづれも梅雨時に目を楽しませてくれる花などなど。久し振りに自然も満喫出来たよい遠足でした。


(挿絵あり)

163号 遠足の記  山口みどり

163号 遠足の記  山口みどり


 恒例の教会の遠足は去る六月十二日(火)、十七名の参加者で行われました。


 朝九時半に教会に集合。少し空模様を気にかけながら、四台の車に分乗して、先づ八幡様のそばにある「鎌倉人形美術館」を訪れました、まだ出来て間がないということでしたが、アンティーク人形を見ることで、又一つの歴史が感じられ、楽しいひとゝきでした。塩出先生が、人形達に囲まれてとまどっていられる姿も又愉快でした。(失礼)


 お昼はハイランドの閑静な住宅街の中にある可愛いいレストラン「マムズハウス」で。そこには時間を打合わせて、望月さんがお嬢さんの原節子さんの車で見えました。最近少し体が弱られて、礼拝には出席できない望月さんですがお住まいがマムズハウスの近くということで、お昼だけの参加となりました。思いがけぬ楽しいお昼を過すことができました。


 最終目的地の衣笠しょうぶ園に着く頃すっかり空は暗くなり、ついに雨。でもしょうぶの花は、雨模様の方がおもむきがあってよいと、少しやせ我慢……。色とりどりのしょうぶ、関東系、関西系と分れ、更に沢山の名前がついて、広い公園に咲きみだれ、それはみごとでした。敷地内には立派なお休処があり、歩けない人は二階の展望窓からしょうぶを満喫しました。歩き疲れた後、そこでお茶と談らんの一刻。帰る頃は雨はすっかり本降りとなってしまいましたが楽しい一日でした。(山口記)

176号 教会バス旅行”美術館めぐり” 皆川真里奈

176号 教会バス旅行 ”美術館めぐり”


 皆川真里奈(当時子どもだった思われます。この当時の学年を書き添えたほうがいい)


 丸木、いわさきちひろ美術館へ行く時、乗ったバスは、サロンバスで、サロンになっている部分はとても広々していました。ですが、そのサロンに、沢山人が入って、とてもきつくなりました。


 丸木美術館では、こんなことを学びました。「原爆をおとすと、おとされた人も、おとした人も、くるしむ。」と言う事です。


 こんどは、いわさきちひろ美術館へ行きました。ここもまた、戦争を、中心にしていました。


 それと、その他の作家の本の中に、私のひじょうに大好きな、モーリス・センダックの、「かいじゅうたちのいるところ。」がありました。いわさきちひろの絵がとてもかわいい。とそのほかに、何か、さびしいものを、あらわしているような気がしました。


 帰りは、に顏絵をかいたりしながら、帰りましたが、とても楽しい一日でした。
 このバス旅行のいいところは、「色々な人と、ふれあえて、戦争のことが、よく分かる。」と言うことだと思います。

187号 春の教会遠足  山崎千賀子

187号 春の教会遠足  山崎千賀子


 梅雨入り間もない六月十四日、教会遠足が行われた。


 菅根牧師も御参加下さり総勢十三名。朝方まで降り続いていた雨も止み、祝福を受けたように天候は次第に快方へ。


 桜木町駅から“動く歩道”に乗ってランドマーク・タワーへ。週末は大混雑とのことだが、雨模様のウィーク・ディであったためスイスイとタワー見物。


 日本一高い六十九階の展望フロアまでのエレベーターは最高分速四百数十メートルを出し、たちまち到着。もし、周囲が見えるガラス張りのエレベーターであったなら、目をまわし、足はすくんで青くなったことだろう。入口には“視界不良”と掲示されてあったが天候回復に伴ってまずまずの眺望。相模湾は霞んでいたけれど、はるかに望みながら、ひと休みしたコーヒーの味は格別。


 次は横浜美術館へ。先にショッピングを楽しんでから美術館特別展を回ったグループもあった。


 常設展は、なかなか質の高いものが集められていて、丸一日をここだけに費やしても悪くない、と思わせられる。


 昼食時は“プティ・フルール”というお店に全員集合。たっぷりとしたワイングラスに注がれた冷たいお水でのどをうるおし、おしゃれな食事でひと休み。


 元気を取りもどし、ぷかり桟橋へ。“みなとみらい21地区”だけあって、まだまだあちらこちらに高い塀にかこまれた工事中のビルがある。


 緑色の丸い屋根に風見鶏ならぬ風見マーメイドが、はるか沖へ向って泳いでいる姿にとりつけられているシーバス乗場から乗船して山下公園へ。先を急ぐ方達と別れ人形の家を見物。世界各国の古い人形達に逢った後、元町の商店街をひやかしながら帰路についた。

193号 春の遠足「かにた婦人の村を訪ねて」 山本律子

193号 春の遠足「かにた婦人の村を訪ねて」 山本律子


 6月29日午前八時貸切バスで鎌倉駅前を出発、参加者(近隣教会の方11名とで総勢24名)の一度行ってみたいと思っていた心が一つになり、かにた婦人の村訪問の遠足は久里浜のフェリーボートより快適にスタートしました。


 ここは、今から30年前、社会復帰困難な婦人達の為にと、深津文雄先生(現在85才)の熱い祈りと、当時の矯風会会頭の久布白落実さんの熱意に励まされ、房総半島の突端の丘の上に、長期、終生入所できる施設として創設された所です。


 定員100名の中、41名が開設時からの人で、最高令は81才、平均が51才を越したそうです。30年間の間に亡くなった35人の中、引きとり手のない人のお骨は、’70年深津先生の朝日社会福祉賞受賞の副賞金で礼拝堂の地下に作られた納骨堂の中に納められ護られています。


 3万坪の丘の上に必要に応じてすべての建物が手造りで作られ、生活棟は12人位づつ、一つの家族の様に出来る限り自治的に生活しています。入寮者の一日は12の作業班に分かれ、夫々の能力に応じて希望した仕事についています。かにた農場では必要量のお米は自給され、野菜、果物、畜産によりバター、チーズ等すべて自産自足とのこと。他に洗濯作業所、地元の土を使った焼物作りもあり、圧巻はリサイクルの布を使った(主に和服)「裂き織り」でした。先頃暮しの手帖社で展覧会をして大好評だったとのこと、ブックカバーなど、色とりどり見事な出来栄えでした。


 全国から送られてくる中古衣料が分類され、それぞれ生まれかわり、最後はウエスにして業者に卸し、これも収益になるとのお話しに、私達もお送りした中古衣料が最後迄、有効にお役にたっていることにホッとした思いでした。


 起伏の多い山道を案内され、行き交う婦人達が皆とても明るく、「コンニチワー」と気持よく挨拶して下さり、帰りには「又来てね」と皆で送ってくれました。若い日云いつくせぬ苦労をされた人々が終生の安住の場所を得られ、その力の足りぬ所をそっと助け見守っていらっしゃる奉仕職員の働きには頭のさがる思いでした。


 「わたしたちは死にかゝっているようで、この様に生きており、…無一物のようですべてのものを所有しています。」(コリントⅡ6:9〜10)のみ言がふと思い出され、とても大切なことを教えられた充実した一日を感謝しつゝ帰途につきました。