地域集会

家庭集会

127号 地域集会だより 梶原地域集会 川田峯子

127号 地域集会だより 梶原地域集会  川田峯子




 梶原地区の会は、恩寵教会の歴史と共に歩んでいる古い集りと伺っております。私などは新しい方でもすでに三年半御一緒させて頂いております。
 毎月第二金曜日に、十数人のメンバーが教会員の家を持ちまわりで集りを持っております。教会員でない方が半数以上ですが、ミッションスクール卒業の方、お嬢様が教会学校へ行っている方など、私共集る一人一人を神様が選んで下さっていることを覚えます。この方達も、もより会を大切になさり、話し合いを通して私共が学ぶことが沢山ございます。
 昨年のメンバーの中に悲しい事が続き、私共近くに住む者として心を痛めましたが、深い悲しみの中から御夫妻での受洗と云う事もございまして、地域での集りが伝道への大切なつどいであることを学びました。
 同じ悲しみを経験しない者には、唯々神様の大いなる慰めと支えを祈るばかりでございます。
 この新しい会員の方の家でも、もより会を近いうちに持つようにしたいとの御本人のお声を伺って、より豊かな集りの場となることを楽しみにしております。
 持ち廻りで集りを持つことによって、お当番をなさる方への心くばりがなされたり、又その家の方の知人への呼び掛けがされるなど良い点がございます。
 私は家の整理日もかねさせていただき、一人でも多くの方の出席を願い乍ら準備致して居ります。
 私どもでは
「毎月我が家でしていただくと家の中が綺麗になって良いとの、耳の痛い声が聞こえております」。
 数多い集会をお抱えの先生には、呉々も健康にご留意下さり、それぞれの会に豊かなみことばを伝えて下さいますように願っております。

128号 七里が浜地域集会  山本律子記

128号 七里が浜地域集会  山本律子記


 七里が浜集会のメンバーを御紹介いたします。赤木きのえ、宇野詔子、大西華、河崎ミホ、嵯峨道子、桜井美恵子、西名緑、林美子、鈴木和子、林博子、南厚子、橋爪光子、山本正子、山本律子の面々そしてこの八月始め田宮繁子さんが横須賀より山本(正)さんの一軒おいて西隣りに引越してこられて、これに加わられました。反対側の東隣りは宇野さん宅、裏側には嵯峨さん宅、少し離れて大西さん宅、又前方は赤木さんのお家とまさにその辺りは恩寵通りと呼ぶにふさわしく、年々同労のよき友の輪が広がっていくのは感謝でございます。この西武の分譲地が誕生して約十五、六年始めは稲村ケ崎の渡辺さん宅に参加させていただいてましたが、林さん、河崎さん方が越していらして独立し毎月第三火曜日の午前中名簿順に各家庭を持ち廻りで会場とし現在に至って居ります。


 七里が浜の特徴はメンバーの殆どの方が教会員か客員、求道者で御家族の都合で現在は聖日礼拝出席が無理な方々もバザーにはお菓子を焼いて下さったり、一品寄附をして下さったりと大いに外から教会を支えて下さってます。


 礼拝のお説教と違い聖書のみことばと私達の日常生活との関わりとの具体的な話し合いもあり、教会にいらしてない方々も内藤先生のお話しに大変感銘を受けていられます。神様の一方的な深いあわれみによって選ばれていることを感謝し「聞く耳のあるものは聞くがよい」のみことばを心に刻んでこの静かな祈りのひとときを大切にしていきたいと願って居ります。

129号 鷹取地域集会  宮部綾子

129号 鷹取地域集会  宮部綾子


 鷹取家庭集会は、小川様のお宅で開いていました土曜学校の子供達の母親を中心に、約十二年前に始められました。皆川さん小林さん田中さんが当時からのメンバーです。最近永見さんが北鎌倉に越されて淋しくなりましたが、梶原から高橋さんが越してこられ、ご近所の永山さん滝沢さんを加えて現在八名程です。毎日曜の礼拝にはなかなか出席できないので、月一回でも聖書のお話をうかゞうことができるのはとてもありがたいといわれています。特に何か問題をかゝえていた時は心の支えになったといわれる方もあります。また聖書を初めから順を追って読み続けてきたことも大変勉強になりました。お話の後は、お茶をいたゞきながら楽しくおしゃべりをします。みんなの年令が近いこともあり、こどもの事から健康のことなど話題はつきず一時過ぎまで続くこともあります。これからも、どんな悩みも話し合えるようなこの会の雰囲気を大事にし、楽しく聖書を学んでいきたいと思います。
 土曜学校の子供達によって各家庭に種がまかれ今日迄続いてきたことを感謝すると共に、この会をもっと大きくしたいと願っています。

131号 地域集会だより 稲村が崎 中村喜代子

131号 地域集会だより 稲村が崎 中村喜代子


 茅ヶ崎には「もより会」がありませんでしたが昨年一寸したきっかけで稲村の渡辺さんのお宅の「もより会」に加えさせていただく様になりました。丁度一年前の二月のことで第四金曜日の午後二時からです。先生が大橋さんや田村さんを車で案内して来て下さったり、杉浦さんや吉田さんのおむつたたみのお仲間の権田さん、松田さん達を交えて大体六、七人位でお集りを守っています。そのとき使徒行伝二十二章でしたが今はコリント第一の手紙のお話を伺っています。パウロが何回かの伝道旅行での迫害や苦しみを味ったり、又うれしい助っ人に逢いながら、いくつかの難問を乗り越えて、目的の為に精力的に残した足跡を語られる。先生の言葉が身に沁みて来ます。お集りに参加させていただき、よかったとこの日を楽しみにしています。渡辺さんお心入りのお茶をいただき先生が帰られたあとは、教会の大先輩でいらっしゃる橋本さんからこの教会誕生の成行きなど話していただき感激を新にすることもあったりで、これ又楽しい一時でもあります。高台の渡辺さんのお宅を後にする頃にはもう山際から遠くに広がる江ノ島あたりに夕日が沈みかけそれは一幅の画の様な美しさで思わず感嘆の声が洩れて了います。ああこの日も忙しい一日だったけれど充実感に満ちた日であったことを感謝しつつ家路を急ぎます。

133号 材木座地域集会 河島正子

133号 材木座地域集会 河島正子


 材木座の地域集会は、雪の下教会の時からの古い集会で、当時「もより会」と呼んでいました。材木座地区は会員が多く、もより会はお部屋に溢れる程の盛会でした。


 別れて恩寵教会になってからは会員が少なくなり、野口さん、羽田さん、一柳さん、河島と四人の淋しい集会になりました。以来このメンバーで、ささやかながらもご熱心な野口様を中心に大切に守られてまいりました。昨年十月野口様ご召天になり、材木座の集会に大きな穴があいたような淋しさを感じています。


 長い間少数の集会でしたが、何年か前に武内さんがお加わりになり、そして八木智満子さんが昨年からご出席なさるようになりました。八木さんは、今年になってご入院なさってるとのことでしたのでご病状をご案じ致していましたら、去る六月の集会にはお元気なお顔を見せて下さり、嬉しく存じました。又、現在ご熱心に求道なさってる若い白藤さんが、最近ご出席下さるようになり、平均年令の高かった材木座の集会が若返った感じでございます。このようにして、材木座集会が少しずつふくらんできていることは、嬉しいことでございます。又三嶋さんが、耳の不自由な私に、先生のお話をご筆記いたゞく為に、お忙しい中をご出席いたゞくことは、私にとって大きな感謝でございます。


 地域集会は、礼拝とは異なった雰囲気の中で、解り易く聖書を学ぶことが出来、又先生と個人的にお話出来る機会でもあり、そして又地域の会員の方々との交わりを深めることも出来て、大変有意義な集会だと存じます。この地域集会を大切に守り、広い材木座地区にふさわしい大きな集会に育てていきたいものでございます。

134号 地域集会だより “逗子” 山口みどり

134号 地域集会だより “逗子” 山口みどり


 毎月第四週の金曜日午前十時より、我家のダイニングキッチンの食卓で、逗子の地域集会が始まります。出席者は教会員五名、御近所の方が三名。


 母の話ですと、今から十何年か前、父山口茂の存命中に何度か家庭集会があり、その頃は美枝子牧師夫人も御一緒されたそうです。十年程のブランクの後再開され、当初は教会最年長の大橋さんが逗子に一人で住んでおられ、集会に出席されて、私達の大切なメンバーとして皆お話を伺うのを楽しみにしておりました。鎌倉の静養館へ移られて一寸寂しくなりました。


 お集りは、各地域とも同じなのでしょうが、讃美歌と聖書の輪読そして先生のお話…。日曜日のお説教とは一寸味付の違う取り組み方で、皆「ホー」「フムフム」という感じ。


 しかし、当メンバーの本領発揮はお茶の時間。更に先生がお帰りになってからは八十二才の母が先立ちとなっておしゃべりの花を咲かせます。話題は羅針盤の無い船同様何処へ行くのやら…。でも最近すぐ御近所の方が一人、気さくな集りのようなのでと参加されるようになりました。しばらくはこのカラーで続くことでしょう。

135号 地域集会だより —佐助— 斎藤頴子

135号 地域集会だより —佐助— 斎藤頴子


 近くから教会へいらしてる方が少なく、なかなか最寄り会をもつことができませんでしたが、三島さん、谷口さん、松本さんが礼拝にいらっしゃるようになり、佐助でも最寄り会をしましょう、ということになりました。はじめは少人数で少しさびしい感じでしたが、岩楯さんが加わってくださいまして会も活気がでてまいりました。


 谷口さんの思いがけない突然のご逝去に、しばらく在りし日の姿が思い出され空席がひとしお、さびしさを増しました。


 その後、空席を埋めるように永見さんが加わってくださいました。先生による聖書の解き明かし、そこから拡がる皆様の体験のお話し、子育て真只中のお母様ならではの教育の問題などの話も出て、多くの事を教えられます。


 信仰を中心にした交わりの豊かさを感じております。七里ガ浜に教会の方々より恩寵通りと呼ばれている通りがあるそうですが、教会の周辺から多くの兄弟姉妹が与えられ、この辺りを恩寵村とでも呼ばれるようになればと夢みております。

137号 地域集会報告 葉山 雪竹多枝子

137号 地域集会報告 葉山  雪竹多枝子


 現在、葉山地域の六名のうち恩寵教会員は私一人です。二名は葉山教会、三名は求道者で、もう十六年も続いているのですが洗礼までには至りません。鎌倉には恩寵通りとよばれる集会があるとおききして羨しく思っています。


 仮伝道所が始ってからの週報第三号には早くも梶原で、一週間後には逗葉での集会の報告がみえます。逗葉は当初廻り持ちをしていましたが一年目位から私の家でするようになり、多い時は十人も集っていました。それが五年程たって逗子と葉山に分れてからは、加藤先生と私だけが会員ということになり、その上先生はご高令でしたので次第にお姿を見るのが少なくなって参りました。


 私はこの灯を消してはならないと、葉山のお友達を誘ったり教会の方に応援を求めたりしました。今その頃の記録を見ますと、天に召された方、越された方、仕事の都合で出られなくなった方々のお名がみえ懐しい想いで一杯です。この小天地でもこの様な変遷を記録してきまししたが、ここにきてすっかり定着したようです。


 先生のお話を毎月楽しみにしていて、遠慮なく質問したり、経験を話したりします。先生がお帰りになった後も、お昼まで雑談に花を咲かせるのが常です。


 永松様のご好意の離れ家で始まった伝道所も、この三月で満十八年、週報も九百四十号を数えます。


 あの頃誰がこんなに早くこの様な立派な教会になると考えたでしょうか。たゞ主の赦しと、憐みとみ恵みの外はないことを思い感謝の外はございません。


 葉山の集会は私がもっと年老いた時終りとなるかも知れません。しかし、誰方かこの灯を守り続けて下さる方が、現われるようにと祈るのみでございます。

227号 地域集会巡り 梶原 原節子

227号 地域集会巡り 梶原 原節子

 梶原地域集会は一九六八年三月に始まり、今年で三十三年目になります。

 今は亡き信仰の先輩でいらした磯部ヒサ子姉、小口文子姉、相川麗子姉が若い私達を導いて下さり、メンバーは変わっても何時も十名前後の方が家庭集会に集まり現在まで続いています。聖書の他、生活の知恵を沢山学びました。現在のメンバーを紹介しますと教会員は川田姉、沢井姉、田中和子姉、西山姉、松本姉、千葉姉、山下姉、湯浅姉、原夫妻と娘の皆川美保子、知人の坂内夫妻、小沢さん、時々登内兄や羽田姉も見えます。

 毎月第三金曜日原宅が定着しています。十二月は持ちよりでクリスマス会を致しますがご馳走にひかれて大勢の方が集まり昨年は二十名と賑やかでした。故内藤牧師、塩出牧師の時は新約聖書を系統立ててわかりやすく学びました。一九九四年五月より菅根牧師との集会では「イエスのたとえ話」を主題に選んだり、今は「心に残る聖句」を十八回、先生の用意して下さるレジメが毎回楽しみです。これからもなごやかな楽しい会にしたいと思います。

229号 地域集会巡り(二)合併集会 三嶋信

229号 地域集会巡り(二) 合併集会  三嶋信


 名称のように、材木座、小町、大町、二階堂、佐助あたりに住む方々、現在は約十人程の集まりをもっております。


 材木座の武内ちとせ姉が、通りから少し奥まった静かな場所のお宅の部屋を会場に提供して下さり、二時間ほどの充実した時を持つことが出来て感謝です。


 会は菅根先生をお迎えして午後二時から始まり、開会の祈りに続いて讃美歌、大きな声を出して心ゆくばかりの合唱は心がほぐれます。先生が用意して下さるレジメに沿い「心にのこる聖句から」を主題に聖書の中の事柄について先生から詳しく解り易い解説を伺います。この二時間は日常生活から呼び覚まされ聖句に心を集中する至福の時といえましょう。その後、憩いのお茶を頂きながら先生を囲み社会の事件等に質疑応答。自由自在にまさに地域集会ならではの貴重な楽しいときが持たれます。こうして月一回のこの集会を待ちかねている次第です。

233号 地域集会巡り(四) 山口みどり

233号 地域集会巡り(四) 山口みどり


 逗子集会は毎月第四木曜の午後、服部姉宅か私の家で開かれます。メンバーは写真の九名。(宇治田眞子、山口みどり、高田昇、佐々木和子、服部、山口イ子、西野、松崎、高田順子)それと先生のお話後、一番の論客である鈴木一野さん。今体調悪く、しばらくお休みされています。九十九歳になるイ子さんはお茶の時間専門。ちょっと繰り返しの多い昔話で皆をなごませてくれます。昨秋より先生のお話は「旧約聖書に於ける信仰」と題してなされました。創世記の「アブラハムは主の言葉に従って旅立った」という聖句に、何か菅根牧師が私達のもとから旅立たれる事と重なりを覚えました。イザヤ書で現状を点で捉えず、長い神の導きの中で自分を見つめて行くことも伝えられました。二月で先生のお話が終わるのは残念ですが、第二イザヤの語る「避けることのできない現実の中でも、未来から切り開いてくる神の希望があること」を信じて、私達も新しい出会いと地域集会の始まりを期待します。

265号 梶原地域集会の歩み 原節子

265号 梶原地域集会の歩み 原節子


 今、恩寵教会では、来年三月、四十周年を迎える為の様々な計画準備が始められています。我、梶原地域集会も、一九六八年三月二十二日「梶原もより会」として内藤牧師と五名(磯部、小口、長井、茅田、原)が磯部姉宅で第一回を持って以来、四十年の間メンバーは変わっても、ご近所の方、友人を誘われ今も毎回十名〜十五名の方が集まっています。会員交互で「もより会記録」を付けてきましたので、今回歩みを書くにあたり、大変役にたちました。


 会員の家を持ち回りして二十年が過ぎた時、一九八八年四月四日突然内藤先生が逝去され、悲しみにくれる中、先生が始められたもより会を続けなければと、七月一日、川田姉宅に長井、千葉、小澤、小口、籠宮、石田、相川、川田、原が集まり、それまで勉強していた「ローマの信徒への手紙」の学びを、塩出先生の講義で続けました。一九九二年三月頃より塩出牧師のお身体の具合が悪くなり、六月から十二月まで原宅で、テーマを決めて話し合いをしたり「信徒の友」を参考書にしたりして、信徒だけでのもより会を続けましたが、その年の十二月十九日に、会の中心だった小口姉が、又、三十日には塩出牧師がご逝去と悲しい事が重なり、九十三年四月から九十四年四月までの一年間も、原宅で祈りと聖書を読む、自主もより会となりました。


 九十四年五月に新たに就任なさった菅根信彦牧師を迎え、二〇〇二年三月十五日、先生神戸教会転任の、若宮での送別会までの八年間、多くを学ぶことができました。ガラテア書十五回、イエスのたとえ話七回、イエスの生涯十七回、心に残る聖句二十一回、パウロの教え、旧約に於ける信仰、クリスマスのお話等、先生には大変解り易くお話していただきました。


 二〇〇二年五月十七日、新任の荒井仁牧師の初めての会が原宅で持たれました。荒井先生も毎回レジメ、その日に学ぶ聖書のページ、賛美歌を大きな字でコピーしてお持ち下さるので、目に老いの来ている私達は皆とても助かります。イザヤ書の召命、苦難に始まり、癒しの物語(マタイ)(マルコ)詩篇の信仰、たとえ話「良きサマリア人」「放蕩息子」「不正な管理人」外国人の受容、出エジプト記、多様性と一致、預言者エリア、宴会のたとえ、イエスの幼少時の物語、クオ・ヴァディス、十戒、ユダヤ教の儀式、小預言書、使徒言行録、今月六月十五日で五年目、わかっているつもりが初めて知るという、先生の解り易い楽しいお話、これからもずっと大きな楽しみとなっています。


 月一回の学びと親睦が四十年途切れることなく続けられましたのも神様の計り知れない恵みと導きの賜物、と深く感謝しながら、次の会のお菓子を思案しています。

275号 茅ヶ崎 地域集会   八木史子

275号 茅ヶ崎 地域集会   八木史子


茅ヶ崎の家庭集会は、二〇〇七年六月より拙宅で、毎月第二木曜、藤沢•茅ヶ崎にお住まいの方を中心に始まりました。一番若い集会です。『恩寵二十年史』を開いてみますと、最初のページの写真(一九六八年イースター)の中に、中村喜代子姉、母の槙子が載っています。二人は、当時、茅ヶ崎から鎌倉を結んでいたバスで待ち合わせ、日曜礼拝に通っていたそうです。茅ヶ崎地域集会は教会創立時会員のこの二人、父徹、そして藤沢の山口孟志兄、進江姉、史子のメンバー(親戚の集まり?)でスタート。聖書の輪読、讃美歌2曲に声を合わせ(愛犬ボルも唱和)、荒井牧師のわかり易い解説を伺いながら、使徒言行録、マタイ伝、詩編、ローマ書、出エジプト記、ルカ伝、そしてヨブ記と学んできました。持ち寄ったお菓子を食べながら、思い思いに感想を述べあう後半のお茶タイムも楽しんでいます。宇野姉、八木智子姉、尾崎姉、大野かおり姉が加わって下さっています。叔父の孟志は、重い病気で、車椅子移動ですが、毎回みんなに顔を合わせるのを楽しみに出席しています。そして、二〇〇八年十月、受洗に導かれました。恩寵教会四十年の歴史の中で、先に天に召された何人もの方々の祈りを思い、茅ヶ崎まで確かに広がり、伸びた枝を実感した事でした。「みんな同じところに行くのよ。」という進江さんの祈りと励ましを共有できる交わりであることに、心から感謝しています。この枝がますます豊かに拡がっていきますように、と祈っています。

276号 七里ガ浜 家庭集会  河崎ミホ

276号 七里ガ浜 家庭集会  河崎ミホ
先の月報、茅ヶ崎集会の山口孟志様が天に召されました事、心より哀悼の意を表します。扨、今回は七里ガ浜に廻って来ました。新緑の美しい季節、ミネラルたっぷりの風薫る丘にある部落です。七里の集会は一九七七年に林美子様宅から始まり、各家庭を持ち廻り、現在は山本律子様宅でお世話になっております。御都合のつかない時は嵯峨様が解放して下さり、おふたり方に感謝致しています。顧みますと三十年が過ぎ、数名の方が御許に召され、また私達高齢者は記憶も覚束なくなる程歳を重ねました。毎月第一金曜日十時から先生の美しいお声に合わせ讃美歌に始まり、聖書輪読後、ゆっくり優しい解説に何時も聖書の奥深さを思います。その後、質問と続き、主の祈りで終わります。後半は御用意下さったお茶、お菓子を頂き乍ら四方山話の楽しい語らいの時を過ごします。何時も神谷様、時に嵯峨様がお手作りの美味しいものを差し入れて下さり花を添えて下さいます。慌ただしい日常にほっとするひとときです。先の戦争に翻弄された若かった頃を想い、平和をかみしめています。この和やかな主に在る集いが、若い方々へと広まりますように願い祈るものでございます。因に現在のメンバーは十名です。(西鎌から日置様、由比ケ浜から神谷様、藤沢から中島様、材木座から篠田様がみえられます)

277号 逗子の地域集会  山口徹

277号 逗子の地域集会  山口徹
逗子の地域集会は母、イ子が存命中は私の家で行われていた。その頃の私は集会が終え、ティータイムになった時に雑談に加わり、学生時代に学んだキリスト教について牧師先生と対話する程度であった。今は日曜礼拝にも参加し、服部宅で開かれる地域集会にも聖書の輪読から参加するようになった。変ったものである。参加メンバーも母をはじめ、主要なメンバーであった松崎さんも、西野さんも亡くなられ、今は宇治田夫妻、高田夫妻、柴田夫妻、増井清、佐々木和子、それに私どもと服部姉とかなり変ってしまった。なによりも男性が過半を占めるようになったことに驚く。高齢化社会の現れであろう。前回の集会では裁判員制度の実施に関係して、聖書も列王記上の16節から28節がとりあげられ、討論も死刑が認められている現行法のもとで裁判員を引き受けるべきか否か、国家権力が検察、警察、裁判権を握っているもとで、庶民が裁判権をもつ意義について、活発な討論がおこなわれた。今回は若者の入会者が少ない状況が問題となり、太宰治の「人間失格」や小林多喜二の「蟹工船」を読む若者の悩みの実態を考えることが教会として必要ではないかということが話題になった。集会の内容もここ数年の間に様変わりしたようである。こうした変化は多分、それぞれの地域の集会で見られるのであろう。その変化をお互いに大切にしていくことが私達の信仰を深めることになるであろう。

278号 合併地域集会 白仁正子

278号 合併地域集会 白仁正子


毎月第4金曜日午後二時から、3年ほど前には、材木座の個人の家で催されておりましたが、今は教会で開かれております。荒井先生を囲んで七、八名が集まり、讃美歌を歌い、聖書の輪読。お話のあと、お茶を頂き乍ら、各々の会話がはずみ、楽しい一時を過ごしております。聖書のお話の質問はあまり無く!?日常生活、社会の出来事、身近なお年寄りの問題などの情報交換で、すぐに四時近くになってしまいます。お話の内容がエスカレートすることなく、つつがなく日々を過ごしており、世の中が騒々しいわりにはあまり影響を受ける事が少なく、幸せな事と感謝の日々を過ごしております。

279号 梶原地域集会 田中和子

279号 梶原地域集会 田中和子




佐助稲荷から源氏山公園を通って荒井牧師は毎回、徒歩で季節の風景を楽しみながら(?)、梶原集会の原さん宅に来られます。
私達共々、原家の愛犬ラジェルの大歓迎を受け、一息ついてから讃美歌を歌い例会が始まります。毎月第三金曜日十時からです。ラジェルも荒井牧師のお話が終わるまで、静かに同席しています。


今年は3名の方が88歳(米寿)の誕生日を迎えられました。お祝いの寄せ書きカードを差し上げました。4月に亡くなられた原保夫さんは3月が誕生月でしたが、入院されている時にお届けできたこと、神様のお心遣いと嬉しくなりました。山下寿枝さん(9月)、山本哲子さん(10月)、お元気に歩いて出席されます。
聖書をテキストに、テーマを決めての先生のお話、私達からの質問・感想、そして主の祈りをもって第1部は終ります。
ラジェル共々、賑やかにお茶の支度をし、旅のお土産や手作りケーキで「お話し合い」となります。話題は尽きません。14名ですが12月の例会は全員+お客様で賑やかなことでしょう。主日礼拝に出席できない方々も、毎月の例会を大切にしてくださいます。「いつのまにか、私は、あなたの御言葉に養われ、育てられてきたのです。感謝します。御言葉によって生かし、導いてください。」(「信徒の友」の祈りより)
地域集会での聖書のお話と牧師を真ん中にしての楽しいおしゃべり会。「神様、豊かな実りへと導いてください」と祈ります。

280号 鷹取地域集会 小林祥子

280号 鷹取地域集会 小林祥子
小川さんのお宅で地域集会が始まって、今年で三十八年になります。その間、集会場所も都合の良い方が受け持って、六、七人の家庭で開かれてきました。出席者も多い時は十四、五人、少ない時は三人の時もあり、鎌倉からわざわざ牧師先生にお出頂くのも心苦しく思いました。でもそんな時は、少人数のためいつもより親しくお話が出来て、とても充実した時間を過ごすことが出来ました。 /現在小川さんのお宅で開かれている地域集会のメンバーは十名ですが、最高齢の伊藤さんと、体調がお悪い高橋さんが、なかなかご出席になれないのが残念です。メンバー十名のうち、小林を含む五名は教会員でなく求道者ですが、地域集会を大切に守ってきました。長い年月の間には、出席するのも心重く気のすすまない事もありましたが、出席すると必ず新しい展望が開けて、進むべき道が示され、神様の恵みを感じました。他のメンバーの方々も同じ思いでいらっしゃると思います。牧師先生の聖書のお話の後のメンバーの質問や感想が、時々聖書から離れて脱線してしまうのも、鷹取地域集会の特徴かもしれません。 /末永く地域集会が続けられますよう、メンバー一同心から願っております。

322号 感謝 地域集会のこと 山本律子

322号 感謝 地域集会のこと 山本律子


1968年3月3日、内藤協牧師により鎌倉恩寵伝道所が開設されてまもなく、梶原地区集会として磯部ヒサ子姉宅に牧師夫妻、会員、ご近所の方々が数名集まり、その年の5月までには逗子、葉山、雪の下、材木座などの会員宅で御近所の方や聖日礼拝に出席出来ない方なども参加され聖書のお話を聴く会が始まりました。また1972年の9月から湘南鷹取の小川宅で土曜学校が月2回で始められ、やがて集う子供たちのお母様方への聖書のお話を聴く集会が始まりました。(〜1991年2月まで)


鎌倉は1970年代にはいると宅地造成が進み人口構成も変わり、教会にも新しく転入会なさる人が増えて来ました。地域集会の裾野は湘南鷹取、稲村が崎、梶原、逗子、七里ヶ浜、茅ヶ崎、佐助(教会)へと広がっていきました。


《荒井牧師と過ごした七里ヶ浜の集会のこと》
2002年4月に荒井牧師が就任。翌5月から七里ヶ浜集会は第一金曜日午前10時から開始されて現在に至っています。毎年4月はバザー準備のため、8月は夏休み、その他色々な都合で休会になったこともありますが、記録を見ると今年2月3日で140回目を迎え、延べ参加人数は1,315人になります。毎回、荒井牧師が用意してくださったレジメにより聖日礼拝とは異なる雰囲気の中で聖書の疑問点などをお聞きしたり、また皆さんで賛美歌に声を合わせるひとときは心落ち着く感謝のひとときです。
2005年3月の集会は明け方から降り積もった雪のためお休みになりました。2006年〜2009年の9月の集会には教会への夏期派遣神学生も参加して下さり、また2012年の小岩神学生はコンピューターで作った紙芝居のような聖書物語で楽しませて下さったことも思い出します。


2015年〜2016年にかけて、荒井牧師は半年の間にご両親とお兄さまを天に送られました。そして七里ヶ浜集会では会員の北村崇郎さんとのお別れもあり、ご主人を見送られた方が7人、ご親戚などお身内の関係者のご逝去もあり、この集会を通して先に神様の元に召された方と天国での再会を信じて励まし合うことが出来たことも大きな恵みでした。


あっという間に15年が過ぎたように感じます、心から感謝いたします。

324号 地域集会報告

324号 地域集会報告


七里が浜集会


5月12日(金、)渡辺牧師ご夫妻をお迎えして七里が浜集会が新たに開かれました。それ迄長い間、山本律子さんのお宅で開かれていましたが体調を崩され、入院された為に場所も嵯峨の家ですることになりました。出来るだけ多くの方にいらして頂きたいとの思いで、他教会に属している方にもお誘いの連絡をしましたが生憎ご都合悪く、当日先生ご夫妻を含め七名の出席となりました。
 今回から新たにローマの信徒への手紙を学ぶことになり、私にとりましてもパウロの信仰を学べることは大きな喜びとなりました。
 毎月第一金曜日10時からの集会、どうぞ憶えてどなたでもいらして下さい。大歓迎です。
(嵯峨)


鷹取集会
 5月25日(木)、この日は夏日を思わせる暑い日、渡辺牧師ご夫妻は坂を登ってきてくださいました。この鷹取集会は1972年頃土曜学校が出来、土曜学校へ集まる子供達のおかあさんが中心に作られた集会です。子供達はみんな巣立ちました。1991年土曜学校は閉められましたが、子供達に蒔かれた種によりお母さんたちの鷹取集会は続いています。渡辺牧師を迎えまた新しい気持ちで共に読み、賛美する時を与えられ感謝です。出席は6名でした。(小川)


佐助集会(合併集会)
 5月26日(金)、朝から本格的な雨です。止んだかなと思うとまたドシャ・・・。牧師館の玄関には靴がずらり、お仕事会でお手伝いして下さった方、ご近所の方々を交え総勢16名の出席です。この集会でいろいろとお世話くださっていた渡辺文子さんを神様の許へおくり淋しかったのですが、こんなに大勢のお集りが出来て渡辺文子さんも喜んでいらっしゃるでしょう。聖書は「ローマの信徒への手紙」、讃美歌「521、405」、『あなたと私の間に神様がいられる』とのお話をききながら恵みに満ちたひと時を持ちました。そしてこの集会を改めて「佐助集会」と名付け会場は「牧師館」になりました。(朝倉)