一泊研修会

一泊信交会

123号 一日研修会の報告 滝口充

一日研修会の報告 滝口充

一日研修会の報告 滝口充


 10月10日は例年の様に会員一日研修会でした。出席者は21名。講師の朴寿南先生は日本で生まれ育った韓国の女性で、非常に頭の切れる方の様に見うけられました。会は先ず短い礼拝で始まり、続いて朴先生のお話を伺ったのですが、先生の口をついて出る熱っぽい口調のひと言ひと言が、差別された経験のない私共の胸につきささり、恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになりました。日本人として深く反省させられた貴重な一日でした。朴先生のお話によると、『戦前の帝国主義時代から日本は朝鮮人(ここでは韓国の人も北朝鮮の人もひっくるめていう)を一段下の民族として差別し、ことばも着物も名前も取り上げ、朝鮮の歴史文化を抹殺し、日本人として同化することを強いて来た。戦時下植民地では「皇国臣民の誓詞」というものを強制的に唱えさせ、無理に日本人にならせた。即ち朝鮮人としての生存が否定されたのである。敗戦間近になるとその政策はいよいよ強められ、朝鮮人を強制連行して広島や筑豊の炭坑で過重な労働を強いた。男子ばかりでなく女子も挺身隊として安い代価で徴用し、ついに広島では10万人近い朝鮮人が原爆の犠牲となった。又筑豊での虐待はアウシュヴィッツを思わせる様なひどいものであった。日本が敗けてからは朝鮮人は解放され、民族教育が始まり、民族復興運動がわきおこった。が、やはり彼らは日本で生きていくためには、日本人のふりをしなければならなかった。昭和三十三年におこった小松川事件の被告李珍宇(日本名金子しずお)も”朝鮮人”というだけの理由で就職も出来なかったことでもわかる様に差別が酷しかったからである。然も同胞からも”ぱんちょっぱり”(半分日本人)といって差別された。日本は広島での朝鮮人の大量被曝を歴史から欠落させ、真実をまげて子孫に伝えようとしている。これは殺す側の人間を作り上げる教育であるということから教科書問題がもち上がり、韓国や中国から厳しい抗議を受けたのである。


 私は、差別と気付かずに差別している日常を深く反省させられ、差別される側に立ってみることの重要さを感じながら、「解放されている自由な人間こそ他を差別しない」と云われた最後の言葉を強くかみしめました。
(滝口記)

140号 一泊研修会 報告の記 佐々木和子

一泊研修会 報告の記 佐々木和子


 八月二十五日(月)より二十六日(火)の一泊二日、戸塚の聖フランシスコ修道院の「聖母の園・黙想の家」で「教会らしさとは何か」の主題のもとに、二十五名集まって研修会をもちました。


 内藤牧師の開会礼拝に始まり、次に塩出兄、田宮、吉田両姉の発題があり、夕食後、三グループに分かれて話しあいをしました。


 翌日の早天礼拝の奨励は松本兄、庭園のマリヤ像の前のベンチに腰掛けて涼風に頬を撫でられながら、日本の虚構の繁栄の話を聞き、朝食後、牧師によるエペソ人への手紙三ノ十四〜二十一の聖書研究、教会の存在はふるまいによる証だとの厳しい話を聞いたあと、一室に全員集まっての全体協議、昼食をすませて塩出神学生の閉会礼拝で研修会終了、車に分乗して帰途につきました。


 「黙想の家」は原宿の喧騒をはなれた広い敷地内にあり、涼風が室内を吹きぬけ、殆んど全員個室で、食堂も清潔で配膳、片付けがセルフサービスでしたが、シスター達の心のこもった料理を嬉しくいただきました。


 各集会を通じて語られたことは殆んど“交わり”の一語に尽きたような気がします。神との交わり、人との交わり。そしてまた、こうして日常生活から離れたところで兄弟姉妹と心を一つにして、“教会とは”と話しあえることも一つの交わりであり、神より与えられた恩寵と心から感謝している次第です。
佐々木和子

146号 一泊修養会報告 吉田暁美

146号 一泊修養会報告 吉田暁美


 今年の一泊修養会は今までと内容を変えて内藤先生による聖書研究を中心としたプログラムで準備を進めてきました。大勢の参加を期待して聖日の礼拝後から月曜の正午すぎまでとし、梅雨のまだあけない七月十九日〜二十日に昨年同様戸塚の「聖母の園」を会場に部分参加者も含め四十四名の参加がありました。


 第一日目のプログラムは、塩出先生の開会礼拝からはじまり、マタイ・5・3の奨励がありました。ティータイムに自己紹介をして鷹取のもより会の姉妹方とはじめてお顔見知りになりました。


 聖書研究は主題「霊性への招き」(エペソ1・3〜23)についてまず1・3〜14までを(一)神の選び (二)一致 (三)聖霊の証印の三項目についてくわしい説明がありましたが、午前中の礼拝にひき続いての聖研に疲れをかんじた方もいらっしゃったのではないかと思います。夕食はシスター方の心のこもった食事を感謝していただきました。懇談会は食堂を特別に使わせていただき、佐々木姉の司会で第一回の聖研について話し合いました。大勢の方から前記三項目についてそれぞれ感想、質問が出され活潑は意見交換をしました。晩禱をもって一日目のプログラムは終了しましたが、部分参加の方が帰られたあとも十時近くまで色々と話がはずみました。


 第二日目の早天礼拝は天気が悪かったので小礼拝堂で滝口姉による証詞。ひき続き第二讃美歌の練習をしましたが、練習後、ゆき交うシスターの方々から美しい讃美歌をきかせていただきありがとうといわれいささか恐縮しました。


 朝食後第二回の聖研は残る1・15〜23までを(一)心の目 (二)神の国 (三)キリストの体なる教会の三項目についての説明があり、主題のまとめになりました。このあと田宮姉の司会で二回にわたる聖研によって「霊性をどううけとめたか」ということで一人一人から発言がありました。それぞれが受けとめに霊性を今後の信仰生活でどのように深め高め、ひろげていくかが私たちの課題ではないかと思います。


 昼食はごちそうをお腹一杯いただき閉会礼拝を最後に二日間のプログラムを完了し、来年伺うことをお約束して居心地のよい「聖母の園」をあとにしました。
146号

158号(一泊信交会に参加して) 三嶋信 矢野 亨子  高橋 美也子

158号(一泊信交会に参加して 三嶋 矢野 高橋

 信交会の二日  三嶋信


 七月十六日(日)、十七日(月)に戸塚の「聖母の園」で一泊信交会が持たれました。


 聖書はコロサイ人への手紙第三章十六節~十七節、相馬恵助先生を講師として主題は「さんびかとわたし」。会場は庭園は広く静か。手入れが行き届き絵画に見る外国の庭園の様に青い芝生の緑を円筒型に刈り揃えられた針葉樹が等間隔に並んでいました。都会にこの様な閑静な場所があるとは、と驚きました。物音一つしない静かな清潔な部屋で集会を持つ事の幸せをかみしめました。


 教会堂以外の場所での集会は、また新鮮で感動的でありました。


 相馬先生のご講話の後、実際に讃美歌を歌って曲と歌詞を心ゆくばかり味わいました。その後、夕食、同じ誕生月の人同志が同じテーブルを囲み、今迄親しく話し合う機会のなかった人同志が歓談する事が出き親睦を深め大変よかったと思います。


 この後、夜の懇談、晩禱があり第一日を終りました。第二日目は早天礼拝に始り、講演、話し合い、まとめ、と充実した二日間を守る事が出来ました。

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さんび歌をめぐって 矢野亨子


 今年の一泊研修会では、教会音楽に大変造詣のお深い相馬先生を囲み、日頃私達が何気なく歌っている賛美歌を歴史の目で見直したり、数多くの賛美歌を思う存分歌うことが出来たりで大変楽しく且つ意義深いものでした。


 教会音楽がかつてはこんなだったろうと思われるユダヤ教会の礼拝の録音も聞かせて頂きましたが、笛などオルガン以外の楽器も使われ、透明な男声の斉唱の賛美歌が印象的でした。以前聞いたカトリックのラテン語の賛美歌や更には旅先で聞いた仏教寺院から流れてくる大勢の僧による読経の声ともどこか共通するものを感じました。宗教の別を問わず人は仰ぎ信ずるものに最も美しいものを捧げたいと願うのでしょう。


 一方、広く人々に愛された音楽が長い歴史の間に賛美歌に取り入れられた例も少なくないとのこと、ある賛美歌がその昔流行した恋歌だったことなど、驚きをもって伺いました。まさか「矢切りの渡し」が将来賛美歌になるとは思えませんが、愛され親しまれる歌が取り入れられて行くのは楽しいことに思えました。


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讃美歌をともに   高橋美也子


 嬉しいにつけ悲しいにつけ口ずさみ、私の生活から切り離すことの出来ない讃美歌ですが、此の度信交会に一日目のみ参加させて頂きまして讃美歌の歴史、日本の讃美歌の特徴等について学ぶ機会を得ましたことを嬉しく思います。


 讃美歌は聖書に基づくものばかりと思っておりましたが、中にはキリスト教のメッセージの全くないもの、花鳥風月を歌う自然神学的なものも…。私達の好む讃美歌にはその様なものが多い様に思われます。信仰が讃美歌によって育てられ、教会も又讃美歌によって作られるということですから、私達は良い讃美歌を選んで歌う必要があることを痛感致しました。


 信交会にふさわしい静かな環境で学び、又日頃お交りの機会がなかった方々と親しくお話しする機会が持てましたこと、皆様の愛唱讃美歌を御一緒に歌い、私のも素晴らしいコーラスで歌って頂けたことも感激でした。


 最後に、御指導下さいました相馬先生をはじめ御世話下さいました先生、委員の皆様に心から御礼申し上げます。

159号(一日修養会)歌って学んで 朝倉万喜子

159号(一日修養会) 歌って学んで 朝倉万喜子


 秋の一日修養会が十月十日、日本キリスト教団千葉柏教会の久世望先生をお迎えして開かれました。観光地鎌倉の休日の混雑を思い、先生は前夜からシンセサイザー、愛用のアコーディオン等を車に積み込み恩寵教会においでになり塩出先生と共に一泊、この日のために準備して下さったのです。


 開会礼拝の後に先生ご用意の楽譜を横目に、先生の思わず引き入れられてしまう話術に午前中は二曲讃美歌を歌っただけでランチ・タイム……。そして午後、歌いました、歌いました。讃美歌「なつかしのメロディー」を……。先生の「覚えている説教は少いけれど、讃美歌は覚えているでしょう」のお言葉ではありませんが、本当に覚えているのです。何十年も歌っていなかった子供讃美歌が口をついて出てくるのです。この日の参加者には熟年層の方々が多かったのですが皆さん本当に楽しそうで子供に還りました。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」ではないが幼い日に覚えた讃美歌はしっかりと記憶の中に刻み込まれているようです。閉会の後も階下でのお茶の会に先生を囲んでいつまでも楽しい若々しい歌声が少し冷たくなった夕方の風に吸いこまれて行きました。

205号 一泊信交会の記  原保夫

205号 一泊信交会の記 教育・研修部 原保夫 佐藤裕美


  今年の一泊信交会は、いつも参加なさる方で今年は都合が悪い方が多かったのですが、反対に初参加の方も多く、泊りの方が12名、日帰りの方が17名でした。特にその日初めて礼拝に出席された登内さんが参加され、たった一日でお交わりの深められた事は感謝です。松本とみさん、八木五夫さんの発題、コーヒーブレイクの後、菅根先生のお話。今回は四回目で「聖書と現代生活Ⅱ」。’95は日本の精神風土の問題でしたが、その他はシリーズで、’94がマルコ福音書、’96がマタイ福音書、今年はルカ福音書から学びました。三グループに分れての懇談、夕食の後、懇親会。今年は山口みどりさんにリードして頂き、讃美歌21のCDを聞いたり、歌ったり。本音とジョークの一番出るのもこの時間でした。翌九日は雨。早天礼拝は滝口充さんが松隈俊子さんの生涯について話して下さいました。朝食後、又讃美歌21をたくさん歌いました。グループ懇談の発表、まとめと閉会祈禱を菅根先生にして頂き、昼食を頂いてお別れとなりました。菅根先生始め、様々な役を担って下さった方、本当に感謝です。聖母の園のシスター方の上にも主の御顧みを祈り、何よりもこの交りの時を主に感謝します。来年は、五月三十一日から六月一日。ヨハネ福音書を学びます。お楽しみに。
(教育・研修部記)

「一泊信交会参加記」 原 保夫


 六月八日梅雨入りの日、今年も亦深緑の樹々に囲まれた聖母の園で一泊信交会が行われ参加させて頂きました。今回の主題は「聖書と現代生活」について「ルカ福音書の譬物語から学ぶ」ということで午後二時から松本とみさんと八木五夫さんのお話を中心にオリエンテーションで始まりました。


 松本さんのお話は長い苦しい悲しみの中から神に出会い、神の深い愛と慰めの中から新しい安らぎと幸せを得られた過程を語られ福音書の中の物語を現実のお話としてお聞きするようで深い感銘を受けました。又、八木さんの悔い改めと神のゆるしについて実際のお話から、その信仰の深さと愛の広さに心を打たれました。
 午後三時からの菅根牧師によるルカ福音書の三つの譬物語は寓話として有名ですが聖書的意味あいでの神のゆるしについて他の奇蹟の話と同じように新しい生につれ戻してくれる罪のゆるしと神の深い慈しみについてよく理解出来るお話でした。ルカ福音書は異邦人を中心に異教異邦の地で性別国籍に左右されることのない慈しみの書として我々には一番親しみの持てる福音書と思って居ますがそれでもその後の不正な管理人の譬えを理解するには未だ何年かかゝりそうです。グループ懇談と楽しい夕食を頂いて九時頃翌日の都合もあって帰途につきましたが本当に心豊かな一日を送らせて頂き又、一歩神の御心に近づいた思いで居ります。

「感銘の集会」佐藤裕美


 混雑している国道からわずかに脇に入ると目に飛び込んできたのは、建物の白い壁に木々の深い緑が映えるなんとも美しい空間。一泊信交会のために初めて訪れた聖母の園の門をくぐった瞬間、私はまるでモノクロの世界からカラーの世界に入り込んだような目の覚める感覚を覚えました。それまで何度となく通り過ぎていた喧騒のすぐそばにこのような静謐な空間があったなんて。そんな爽やかな驚きは、聖書を読む度に、それまで考えてもみなかったことに出会って目を開かせられている自分の姿に重なりました。


 私は都合で一日目しか参加できなかったのですが、どのプログラムも印象に残る有意義なものだったと思います。発題者のお二人のお話しを伺いながら、神様がお与えくださった人生の奥深さ、不思議さを感じずにはおられませんでした。


 ルカによる福音書が書かれた時代背景や、福音書記者の意図などについてわかりやすく解説して下さった菅根先生のお話も大変興味深く聞かせていただきました。


 『放蕩息子の譬え』の解釈を伺いながら振り返って考えると、私はこれまでに何度もこの「兄」と同じこと言ってしまったような気がいたしました。例えば長期間無断欠席していた学生が、やる気を取り戻して授業に現れたとしたら、私は放蕩息子を赦した「父」の愛のせめてほんの一かけらでも示すことができるだろうか、などと考え、あらためて神様の偉大な愛に深く思いをいたしました。


 グループ討議や食事の際には、聖書の理解や信仰生活、その他様々なことについて、参加されたたくさんの方々と親しくお話しさせていただくことができ、参加できたことを本当に嬉しく思いました。


 教育研修部のお仲間に入れていただいたばかりの私に心を配っていただき、私にでもできそうな役割を与えてくださった姉妹たちとも楽しい思い出ができました。


 一泊信交会で学んだこと、感じたことは、良い働きができるようにさらに努めようと気持ちを新たにする大きな励ましとなりました。

211号 信交会の感想 渡辺文子

211号 信交会の感想 渡辺文子


 久しぶりに一泊信交会に出席しました。聖母の園は相変らず手入れが行き届き美しいたたずまいで私達を迎えてくれました。各自選んだお部屋で一休みして集会室へ。お二人の発題に続き主題に入る。ヨハネの時代背景からおかれている状況が丁寧に説きあかされ聖書を具体的にとらえる興味深い学びの時でした。ティタイムの後懇談会そして揃って夕食を頂きました。後片付けは当番制で男性も一緒でこれは新しい経験です。


 夜は分団の各報告で第一日のプログラムは終り自然に男性はホールへ女性は和室に集り楽しい交りの時となりました。ちなみに男性の話題は神学論から天皇制まで展開した由。


 私達も話がはずみ夜の更けるのも忘れました。翌朝は素晴らしい天気で、花に囲まれ清々しい野外礼拝です。通りをへだてゝ車の往来の厳しい所ですが緑に包まれ静寂そのものです。たった一晩でしたが聖書を学び皆さんと共に生活して楽しい気分を味わいました。失なったものは大きいけれど与られるものも多いと思うこの頃です。