私の好きな聖句

心に響くこの聖句

152号 ペテロ第一の手紙1章24節  山口イ子

私の好きな聖句
152号(1988年9月)  ペテロ第一の手紙1章24節  山口イ子


 今夏の一泊信仰会に、恩寵教会の深い悲しみの心を乗り越え、内藤先生のしっかり生きろとの言葉を思い出し、信仰浅き私がおそるおそる出席いたす事に致しましたところ、自分の好きな聖句をあげ、それについて書いて出すようにとの塩出先生のお言葉を耳にいたしました。これは大変と思い考えましたが、聖句とはと思いながら聖書の頁をくっておりましたところ、ペテロ第一の手紙第1章24節に「人は草のごとくその栄華はみな花に似ている。草は枯れ花は散る。しかし主の御言葉はとこしえに残る。これがあなたがたに述べ伝えられた主の御言葉である。」が見つかりましたこの聖句は前から私の心に感じられていましたが、聖書の何処にあるのかは信仰浅き私のこと、それすらも忘れていました。その理由はと思っても言葉にはならず・・・・。ただ85年の年月をふりむいた時、人間のはかなさとおろかさを感じたのではないでしょうか。自分の信仰の浅さを思うとともに、いったい「信仰」とはなんだろうかと云う心につきあたるものを感じるようなこの頃の私です。

153号 ピリピ人への手紙2章13 田村愛子

153号 田村愛子  ピリピ人への手紙2章13

 「あなた方のうちに働きかけてその願いを起させかつ実現に至らせるのは神のよしとされるところだからである」 

 私の人生を振り返ってみます時とるに足りない私がこの様に生かされていること自体が奇跡だと思うのです。60歳過ぎてから東京の代田教会に導かれ教えを賜りやがて洗礼を受けさせていただきました。 その時には信仰が分かったつもりでの受洗でしたが今考えますと何も分かっていなかったのではないかと思います。けれども分からないなりに心は熱い思いでいっぱいだったような気がします。今おかげ様で恩寵教会に出席させていただいておりますが、それこそ神の恩寵だと思うのです。こんな不完全な私ですのに今この聖句を読む時に全ては私ではなく神さまがご計画の中に導いて下さった事が分かります。 これからもこの御言葉を信じて唯々感謝して一日一日を贈りたいと願っています。

155号 コリント人への第一の手紙 羽田時子

155号 羽田時子  コリント人への第一の手紙


 エホバよ汝の御業はいかにさいわいなる。もろもろのものは地に満つ。重く冷たい冬は過ぎ去り地上のものみな芽ぐむこの日本の春。私たちに喜びと勇気をあたえかろやかに信仰の道に進ませられる。コリント人への第一の手紙十五章。
 「兄弟たちよ私はこの事を言っておく肉と血とは神の国を継ぐことは出来ない。朽ちるものは朽ちないものを継ぐことが出来ない。愛する兄弟たちよ堅く立って動かされずいつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあってはあなた方の労苦はむだになることはないと、あなた方は知って居るからである。」
 眠り続けるのではない終わりのラッパと響きと共に、またたく間に一瞬にして変えられる。このみことばに励まされて立ち上がり度く祈る。


 山の神秘ピアノに託し老人の
     沈みし山湖水蒼く澄む


 此処にしてあるべき姿水に映す
     たった一度の山湖の祈り   (爆発の山にて セントヘレンズ)

155号 ルカ10章27節 西野幸子

155号 西野幸子  ルカ10章27節
 「心をつくし精神をつくし 力をつくし思いをつくして 主なる汝の神を愛せよ
 己を愛する如く汝の隣り人をも愛せよ」


 母校静岡英和学院の聖句であると共に私が一番初めに覚えた聖句で心に残るものの一つでもあります。毎朝授業前の講堂での礼拝に始まり、宣教師の先生方による聖書の時間、加えて日曜日には寄宿生は教会礼拝に出席すると云う恵まれた環境の中に学び素直な気持ちで神様のご存在を受け入れることが出来ました。
 其の後境遇が変わり様々な事情があったとは云え、信仰の浅さから心ならずも一時教会から遠のいて居りましたが内藤先生によって再び導かれこの教会に入れて頂き、神様の深いお恵みと多くの方々の愛に支えられて毎日曜日の礼拝と聖書を読みお話を伺うお集りにも出席できるようになりましたことを感謝して居ります。
 二度の大病で死のふちをさまよったこと、戦火に追われて九死に一生を得たことなど今考えればただ運が良かったのではなく神様のお守りがあったからこそ乗りこえる事が出来たのです。
 これから残された時間を御言葉にもあります様に何事も思い煩うことなくすべてを御手にゆだねて今日あることを感謝しつつ毎日を送りたいと思って居ります。

157号 マルコ第8章23節 山本敬  

157号 山本敬  マルコ第8章23節


 『その両方の目につばきをつけ、両手を彼に当てて、「何か見えるか」と尋ねられた。すると彼は顔を上げて言った「人が見えます。木のように見えます。歩いているようです。」それから、イエスが再び目の上に両手を当てられると、盲人はみつめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりと見えだした。』


 病院で、眼科の入院患者さんの病棟をお見舞いすると、多くのお年寄りが、白内障の手術を受けられて入院しておられるのに出逢う。その方々が順調に回復されている時、一時視界が曇って殆んど見えなくなっていたのが、ガーゼがとれて始めてぼんやりではあるが、見え出した時の感激は、こちらにもヒシヒシと伝わってくる。
 イエス様が盲人を癒された時、はじめ人間が木のように見え、やがてそれが動き出すのが見え、そしてすっかり治った時、“すべてのものがはっきりと見えだした”とある情景が、目のあたりに見えてくるようである。

157号 コリント人への第一の手紙10章13節 進藤達樹

157号 進藤達樹 コリンと人への第一の手紙10章13節

 小学校時代の親友、大島勝夫君から戦時中紹介された本は、岩波文庫、ヒルテイ著、草間平作訳、「眠られぬ夜のために」である。私は此の本を枕頭の書として、戦中戦後、寝付きの悪い時、研究に行き詰まった時等に、折りにふれ読んだ。就中次の説話は忘れる事が出来ない。 同書、第一部、5月1日 神はその子等の為に、試練のかまどを余りにも熱くされる事は決してない。全く反対に、既に決定されたものから、何時も幾らか軽減される。(中略)「さあ、元気よく跳び込みなさい。あまり深くはないだろう」 6年半前鎌倉恩寵教会で受洗させて頂いてから、前記のヒルテイの説話に該当する新約聖書の聖句を探し求めていた。所が、4年程前に次の聖句が該当すると拝察した。 神は真実である。あなた方を耐えられない様な試練に合わせる事はないばかりか、試練と同時に、それに耐えられる様に、逃れる道も備えて下さるのである。 その時は何かを発見した様に嬉しかった。以来この聖句を毎月一回は味読させて頂いている。

159号 ロマ書8章28節 小林貞子 

159号 小林貞子  ロマ書8章28節

『神は神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることをわたしたちは知っている』

 今日までの人生を自分なりにかなり厳しかった様に受け止めて居る私に、この聖句は事ある毎に常に慰めであり励ましであり、又希望を持たせて立直らせて下さる聖句でございました。この頃のように又足腰が痛みを増して辛い時,胸をよぎるのもこの句でございます。 さらに一つ、大学を出て4年、結婚3ヶ月目の息子を事故で失った時、うつろな心でヨブ記にすがるように読み始め、行き当たった聖句1章20節『・・・・主が与え主が取られたのだ・・・』 無事な時は頭で理解し何気なく読んだこの句が心に響き、何故?何故?と頭から離れない想いを絶対者の前に棄て去り御手に委ねる心と変わりました。今、導きにより至らぬ者ですが、この教会で暖かい配慮に支えられ、平安の内にすごさせていただける恩寵に心より感謝を捧げます。

162号 心にひびく此の聖句  朝倉万喜子

162号 心にひびく此の聖句  朝倉万喜子


 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」 


 自分自身に対しては少々の後悔と、子供に対しては大きい期待を持ってこの句を唱うのです。私が初めて教会の門を潜り、聖書に接したのは小学校五年生の時でした。私の口をついて出てくる聖句、神のみ業についての説教の断片はこのCS時代に与えられたものの様です。女優の東山千栄子さんが「食物、着る物を倹約しても若い時に良い芝居、良い音楽に接しなさい。若い時に受けた感動はお金で買う事は出来ないのです。」と云っていました。今、CSのお手伝いをさせていたゞいていますが、自分自身の事も省りみて、子供達と読む聖書の一句、一句の大切さとこわさを今更ながらに身に感じています。


 若い日と云うより幼い日にふれた神のみわざ、むくいられるのは十字架のみと知りつゝその一人子を賜った神の愛…、今の社会の中でCSへ出席する事が時間的にむずかしくなってきても、神の存在と云う事が子供達の成長の課程の中でいつも心の中にあり、又いつの日か教会に導かれる日が必ずある事を信じています。


伝道の書 第十二章 一節


163号 - 橋爪 光子

163号 - 橋爪 光子(1990年7月)

 「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」(ルカ伝10章42節)

40年程前の光景が今も鮮やかに浮かんで改めて冷汗が出る。その日、礼拝後、遠来の客である外人青年牧師を囲む会が開かれた。過密スケジュールとのことで、会の間に昼食をとって頂く予定だった為、係りの私は礼拝後直ちに台所に立ち、兼ねて準備のオープンサンドを作った。当時流行の一寸お洒落な一品が出来上がり、私はいそいそと捧げて部屋に入った。  しかし何とその時耳に入ってきたのは、マルタが接待で心取り乱し、御言葉に聞き入るマリヤをなじったあの箇所だった。日本語も巧みで、熱のこもったお話に、全員マリヤのように傾聴していた。私は身の置き所とてなく、赤くなったり、青くなったり。 青年牧師は、昼食には一瞥を与える暇もなく、次の会合の場所へ赴かれた。そのあと私は、哀れにも、不信仰症候群にかかってしまった。内藤先生にお会いしなければ、全治不能だったかもしれない。

163号 心にひびく此の聖句 佐々木英之助

163号 心にひびく此の聖句 佐々木英之助


 心にひびくというと極めて情緒的ファンダメンタルな理解になる。私の心をうつといえば聖書そのもの特に四福音書をさす。難しいテーマ設定だ。
 そこで私の頭から離れないイエスのみ言葉の中から、一つを取り上げてみたい。
 ルカによる福音書24の36〜44
 「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。」とこまでも不信仰な私に根気よく呼びかけて下さっているみ言葉である。イエスの「手」「足」に十字架につけられたときの釘痕を、お見せになっていられる。それでもまだ信じない私に「傷跡にさわってみろ」とおっしゃっていられる。こんなにしても信じない私に、イエスは焼いた魚の一切れを手にとられ、むしゃむしゃと食べて見せて下さっている。
 ユーモアでしか語りえない復活のイエスの実像が、リアリテイをもって迫ってくる。ルカの信仰が、私の不信仰を叱咤激励してくれているみ言葉である。


164号 - 赤木 きのえ

164号 - 赤木 きのえ

 私の好きな聖句はロマ書、コリント、伝道の書等幾つかあります。けれど私はヨハネ福音書の「始めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」という聖句に大きなインパクトをあたえられました。この「言葉」とはギリシャ語のロゴスであり、へボン博士により言葉と訳されたと聞きました。その言葉が光と闇の生まれる前、命さえこれより生まれたというこの論理を、どう解釈してよいのか分かりません。それなのにこの聖句に強く心が魅かれるのです。言葉は神であり、いのちであり、それは宇宙の生まれるカオスの前にあった。この事は神の御意志であり、創造であり、摂理であったという事でしょうか。宇宙も人間も動植物も万象みな神の御意志にならざるもなしという事でしょうか。そう考えると私は全て、自分の人生のなりゆきさえ、あるがままに受容し、従う生き方が最もみ心に叶ったものだと納得するのです。 神の言葉と違って人間の言葉は時に心とは裏腹であったり、時に言葉のみが独り歩きをし、人を深く傷つける凶器ともなる事を思えば自戒の意も含めて、尚の事この聖句に心を傾け、心を致さねばならないとふかく思うのです。

169号 心にひびくこの聖句  石郷岡二郎

169号 心にひびくこの聖句  石郷岡二郎


「耐えられないような試練はない」


 このところ、親しい友人のいく人かが、おそろしいほど足早にこの世を去っていった。知人の訃報に接するたびに、死という事実の重みというか悲しみを思い知らされている。いつだったか新聞の夕刊を読んでいたら、随筆家の本間千枝子さんの一文が目にとまった。
「悲劇が起った時、それが予告されたものであれ、突然のものであれ、遺された者は絶望感にさいなまれる。失った悲しみは最初のうち、精神的というよりは、肉体的な苦しみだと思う。何ヶ月、何年と、時ならぬ時にほろほろと涙がこぼれる。」


 この文章を読みながら、その絶望感にさいなまされたこの数年に想いをあらたにした。心から尊敬し、仕事のうえだけでなく生涯の師と仰いできた先達の相つぐ急逝、眠れぬほどの痛みや苦しみに襲われながら死の時を迎えなければならなかったいとしい者との別れ、とても試練などという言葉で言い現わすことはできない思いをしたのである。


 そのときに救いの手を差し伸べてくれたのが、パウロの言葉だった。


『あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。』(コリントの信徒への手紙Ⅰ—10・13)


 心から敬愛している方々、ごく親しい人々や身近な者を失うということほど、人を悲しませる経験はない。口惜しく、残念で残念でたまらない痛恨事であり、憤りすらおぼえるものである。このようなとき、私たちは、もう自分には耐えられない、と思う。


 しかし、私たちの望まぬ試練が、私たちを強めるということは真実なのである。


 心に惹かれ、自分の生き方に一つの目標を指し示してくれるパウロの言葉には、心にひびくものが数多くあるが、なかでもこの聖句は忘れられないものの一つである。




177号 ガラテヤの信徒への手紙 田村剛 

177号 田村剛 ガラテヤの信徒への手紙


『兄弟たち、あなた方は、自由を得る為に召し出されたのです。ただこの自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに愛によって互いに仕えなさい。律法全体は「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。だが、互いにかみ合い、共喰いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。』


わたくしは、暗じて口に出せるような聖句は僅かしかない。この聖句もそのようなわけで、暗記出来ているわけではなく、ことあるごとに読みなおす、ここに戻ってくるという意味での「私の好きな聖句」である。私は、いわゆるクリスチャン・ホームに生まれ、育った。わが家では、聖書を読み、感謝の祈りを捧げてから朝食をし、夕餉にも祈りを捧げ、就寝時には両親は祈っていた。日曜日には家族揃って礼拝にでかけ、家庭集会がもたれ、教会学校の分校としても用いられるようなこともあった。
 このような家庭環境に育つなかで、私はいつしかクリスチャン・ホームの重圧を感じる年頃となり、友人達のこだわりのない、伸び伸びとした生活態度が羨ましくなるようになった。いたずらをするにも、自分との葛藤が友人達よりも強いことが邪魔になった。例え善い事をするにしても偽善ではないかなどとひっかかる年頃になっていった。そのような時代、高校生を対象とする九州教区の修養会があり、そこで「キリスト者の自由」について教えられたのである。「善悪の判断は神様がなさる」こと。「自分の知恵にもとづいて、自分の行動の善悪を判断するそのありようが、罪である」ことを教えられた。
 高校生になりたての私にとって、この修養会は信仰上のひとつの転機となっている。おそらく、その翌年、私は熊本白川教会で宮原牧夫牧師のもと信仰告白をすることができた。
 いまとなっては、「この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」との奨励への導きを信じ、願い、努力するだけである。