壮年会

115号 壮年会雑感  松本龍次郎 

壮年会雑感  松本龍次郎(ちょっと長いので 抜粋も可能ならばと感じています/山本入力)

壮年会雑感  松本龍次郎


 (初めての壮年会)
 昨年五月、お誘いを受けて初参加。血気盛んな30〜40代の壮年のお集りかと、恐る恐る参加した処、大半の方々が最近の流行語となった熟年層(かく言う私もその一人)で一安心。それでも10人余り集り、会食后、今後の開催日時、内容について和気藹々の話合いで、開催日時は基本的には毎月一回、それも野球放送の無い金曜日が良いとか、時間はお勤めの方々の関係もあり、七時半位が適当とか、テーマを如何するとか、結構楽しく過し九時過ぎ閉会となった。
 (テーマ)
 毎回何かテーマを決めて話を進めたらとのご意見あり、尤もとは思いながら自然と雑談形式となる。その雑談も仲々愉快なものもあり、我々求道者達は突飛な質問や意見が出るので、先生も時たま苦笑、お困りの様子。たとえば「讃美歌は皆さん上手に唱われて居られるが音譜が読めるのか?私など546番を歌ってると66番の聖なる聖なる聖なるかぁな…になってしまう」とか、又「主の祈りの国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり。の、汝とは、目下の者に対する言葉ではないか?汝臣民父母を孝に…と云うように」…で、とうとう教育勅語まで出ましたかと大笑い。何れにしても何かテーマを決めましょうとの結論。
 (香港の話)
 ある時の会では五年振りに帰って来られた川田さんから香港の話を伺った。香港の治安は悪く、訪問者に対してもすぐ扉を開けられず、鍵は二重にあるとか、又香港の金持ちは想像以上で、船舶関係の何んとかさん(名前を失念)はギリシャの亡くなったオナシスさんよりずうっとお金持ちだとか。又、香港の教会は皆大変熱心で、唯日曜日だけ教会に行くのでは無く、いろいろと信仰活動をしているとか、仲々有益なお話をたのしく伺った。
 (祈りについて)
 ある時の会で、祈りについて皆さんから種々の話あり、その中の一つに「日曜礼拝時の祈りは『病の床に伏して居る人々、又よんどころ無い都合で、思いながらも参列出来ない人々にも主のかえりみを…』と、他人に対しての、いわゆるよそ行きの祈りに対して、朝晩の祈りは、どうしても自分自身に対するお願いになってしまう」なるほどその通りだと思い当ったが、それではいけないものであろうか?
 (再びテーマについて)
 大八木さんから今回のテーマについて何か話を…との依頼を受け、よんどころなくお引受けする。旧約聖書に出て来る植物に関連した話にした。
 創世記一章11〜12、「地は青草と種をもつ草と種類に従って種のある実を結ぶ果樹とを地の上に生えさせよ」と神が言われた。そしてそのようになって、神はこれを見てよしとされた。これが天地創造の三日目で、植物がこの世に出現した。
 固有名詞として最初に出て来るのはいちじく(創3章7)である。聖書の中に登場する植物10位までのランキングは
一位 ぶどう 二一六ヶ所(ぶどう酒 八一ヶ所 含まず)
二位 麦 一一一ヶ所(麦粉、麦束、焼麦を含む)
三位 亜麻 七七ヶ所(亜麻糸、亜麻布を含む)
四位 香柏(レバノンシーダ) 七三ヶ所
五位 オリブ 四五ヶ所
六位 いちじく 四四ヶ所
七位 いばら 三六ヶ所
八位 ざくろ 三三ヶ所
九位 大麦 三二ヶ所
(小麦 二〇ヶ所 第十四位)
十位 アカシヤ 二九ヶ所


となり、いばらを除いては食用、衣料用、建材用と全て衣食住に関係あるもので、殆んどが有用植物であり、花については百合の花の他は殆んど問題になっていない。第一位のぶどうは、ノアが洪水のあと農夫となりぶどう畑を作り始めた(創9章20)とあるのでぶどう栽培の元祖で、又、ぶどう酒を飲んで酔っぱらい裸になって居た(創9章21)とあるので、これもぶどう酒造りの元祖と思われる。ぶどうは処々に出て来るが、イザヤ書には35ヶ所、全体の約12%を占める。これ(イザヤ5章)に「わたしはわが愛する者のために、そのぶどう畠についてわが愛の歌をうたおう」と。その歌の中に集中的に出てくるためである。
 最后に建築屋として疑問を一つ。ソロモン王は脱エジプト480年後、主の宮エルサレム神殿を造営し、共にソロモンの家(宮殿?)を香柏(レバノンシーダ)で造った。建物の規模は長さ100 x 幅50 x 高さ30キュピット(約45m x 22.5m x 13.5m)と丁度ノアの箱船の1/3であり、完成までに13年もかかった(列王上7章)。この時代はダビデ王朝に引き続き黄金期でもあり、恐らく労力・機材等充分に使用出来たと考えられるが、ノアの箱船は三層造り、延面積9082.5㎡(約916坪)となり、いとすぎ(ホソイトスギ)材も恐らく、八坪当り1本(直径50cm x 長さ20m)は充分必要だったと思われる。労力もノアと息子のセム、ハム、ヤベテと各人の妻の計8人と思われるので、この人達が2800本ものいとすぎを伐採し、箱船を建造するには相当の期日を要する筈で、ノアが神よりのお告げを聞いたのが洪水のどの位前にあったのかな?と考える次第である。
 いつか内藤先生から、創世記は人間と世界を結ぶ意味物語であると伺って、固い事を言わずに、唯ノアの箱船を信じる次第である。
115号 1981/6/25

129号 壮年会御案内 山本基

壮年会御案内(129号)
 山本基


 私が恩寵教会の壮年会に参加させていただく様になったのは、今から五年位前だったと思いますが、壮年会の歴史はもっと古くかれこれ十年位に始まったと聞いています。その間いろいろと変遷はあった様です。スタートの頃は中高年会員の親睦を深める事を目的として、男女を問わず場所も個人宅の持廻りで一夕を語り合う会だった様です。その后場所を教会に固定し、話題もやや固くなり、アルコール類も出なくなり、教育研修的色彩が強くなって来ました。その内に女性の出席も殆ど無くなり、やや淋しくなりました。それでも夏の暑い時を除き殆ど毎月定例的に開かれて来ました。常連メンバーとしては、相川さん、川田さん、松本さん、佐々木さん、小林さん、大八木さん、河本さん(転会された)等になり参加者も減って来ましたが毎回話題を決めて楽しい語らいの時を持って来ました。その中でも小林さんのイスラエル旅行記、千葉さんのエレクトロニクスのお話、内藤先生の日本に於けるキリスト教の歴史、等印象に残るものも数多くありました。その后ややマンネリ化したので世話役も川田さん、大八木さんから吉田さんにバトンタッチされ、しばらく休会していた会も九月二十一日再開され、新メンバーとして島田さん、矢野さんが加わり矢野さんの宗教観についてお話があり、有意義なひとときを持てました。
 今后もこの壮年会が増々盛になります様、皆様の智恵を出して下さい。日曜日に礼拝に出るだけでなく会員同志が語り合い親睦を深める事は良い事だと思います。
 そのためには会の目的(大げさかな?)開催日の決め方、頻度、テーマの決め方、メンバーの範囲等、なるべく多くの方が参加出来る様にしなければならないと思います。
 皆様の御意見又は御希望を是非出していただきたいものです。(山本基)
(イラストカットあり)

221号【 壮・年・会  新年の集い】林 利雄



◉【 壮・年・会  新年の集い】月報221号           
             林 利雄


 去る一月一六日教会の壮年達(?)一三名が「わかみや」で新年の集いの会を持ちました。
 まず、そのいきさつについて一言。昨年春、田中永俊さんが七里ガ浜でも北村さんを誘って男性の会を持ちましょうやとの話。また以前、聖歌隊の男性達が矢野さんの発案で菅根先生に議論を吹きかけたこともあり、その二回目をとの話し、この双方が頭にあって、クリスマス愛餐会の席上先生に話したところ、その席に川田さん小林さんが居合わせて、男性全体にしかも平素家庭で文句ばかり言われて頭の上がらない男性を対象に、「弱きもの集まれ」と呼びかけてはと衆議一決。当日矢野さんの司会、菅根先生の祈りで始まった「教会生活の反省会」、川田、松本、小林、宮部、佐々木、北村、原、田中、宇治田、登内、林の面々。
 座布団にどっかり座って、一献かたむけての雰囲気は自然と打ちとけて、次第に「反省会」の範疇を飛び出し、次回は一泊も考えてはとの声まで出る始末、小林さんのしめで会を閉じ、貴重な出会いの一時に感謝しつつ家路に。

298号 壮年会 登内鍈二

298号 壮年会 登内鍈二


 一月十九日(土)、扇ヶ谷のSashoというレストランで、壮年会が行われました。出席者は十六名、ご夫婦が三組、女性は五名でした。レストランといっても、敷地四百八十坪に建つ立派な鎌倉のお屋敷の日本間でお食事です。とっても美味しくて、健康に優しいお料理だったと思います。この家に嫁いだ、教会員の増井さんのお嬢さんの、お手料理とのことです。
 乾杯のあと、簡単な自己紹介、それから、幹事からお願いして、三人の方にそれぞれの興味深い人生経験談をお話して頂きました。柴田昌一さん、宇治田憲彦さん、浜本光三さんです。メモも、録音もできなかったので、お三人に、次の月報に寄稿して頂けるか、お願いしてみようと思っています。
 デザートの自家製ケーキとコーヒー、紅茶が済むと外はもう暗闇、次の会を楽しみに、風邪をひかないよう、それぞれ帰路につきました。