CS 教会学校

60号 S・S 修養会より

S・S 修養会より

S・S 修養会より


七月三十日、三十一日の両日、西田記念館で、先生、生徒あわせて約三〇名によって、S・Sの修養会が開かれました。
みんな海岸に行って遊んだり、裏の山に登って虫をとったり、夜は花火や亮ちゃん先生の怪談やら、九時半にはみんな疲れてグッスリ。
三十日の夕食は、若い先生方の作ったカレーライス。おばあちゃんの作ったカレーしか食べないと言っていた馨ちゃんが、お替りをして食べた所をみると、味は結構いけたらしい。
三十一日、朝六時より裏の山で早朝礼拝、朝の海を遠くに眺め、潮風に吹かれていい気持。
昼食は内藤先生たった一人で、スパゲッティーにとり組む。前夜よりお勝手にて、ひとりコトコトと玉ねぎ切りに泣いたとか。お味の方は意外?と大好評。みんなお腹一杯頂きました。
潤ちゃん、帰りぎわに発熱。注射一本でおさまる。まずは無事な二日間でした。

No.60  1973年7月

69号 年少組のキャンプ報告

年少組のキャンプ報告


中村ゆう子


 七月二十五、二十六日、教会で日曜学校ぶどう組(小学二年まで)と、鷹取土曜学校の同年令の人達との合同合宿をしました。朝九時、子供達九名が集って礼拝をし、ゲームをして、お昼のお弁当をひろげる頃には、すっかり仲良くなり、大人達の考えた自己紹介など不要だったかしらと思う程でした。その後、大きなプールに水が溜るのを待ちかねて水着になり、もぐりっこをしたり、しばし大はしゃぎ。お八つの時、日曜学校の人が又二人加わりました。姉妹で、お姉さんは三年生。土曜学校からも三年生の参加者は一人で、それまで時々淋しそうに、先生の後ばかりくっついていましたが、早速この二人は仲良くなり、それからはいつも一緒。解散の時まで、「アルプス一万尺…」と二人の歌声がしていました。夜は、皆が楽しみにしていた花火。五連発に大歓声をあげ、終わったとたん、ドシャ降りの雨。神様が皆を顧みて下さったのでしょう。一人風邪気味で帰り、又咳が出てなかなか眠れない人が一人いましたが、翌朝六時には元気に起きました。源氏山への散歩のあと、昼食までに暫く時間がありましたので、トランプ、ハンカチ落し、新聞紙のファッション・ショウ、捕えたクワガタで遊ぶなど…、まだまだ時間が足りないようでした。
 三日間通しての主題聖句であった“光のある闇に、光の子となるために、光を信じなさい”を皆で暗記しました。
 食前のお祈りも、大きな声で子供たちが代るがわるお祈りをしました。初めての教会での一泊キャンプでしたが、いつもは日曜学校の短い時間しかいない教会ですが、このキャンプを通して教会が、子供達に身近なものになりました。


69号 1974/7/31

74号 たかとり土曜学校

たかとり土曜学校


小川信子


 土曜学校を始めて、ちょうど三年になりました。始めのうち、子供たちは七、八名で、それに内藤先生、お手伝い下さるお母さまを含めて十名たらずでした。オルガンの伴奏もなく、こどもさんびかを、大きな紙に書き、それを持ちながら一緒に歌い、聖書のお話を聞き、時々紙芝居などをして、本当に小さなお集りでした。
 けれども三年たった今では、子供たちも二十名から二十五名位にふえ、みなお休みしないように、熱心になりました。先生のお話にも、よく質問をしたりして、大変にぎやかな、楽しいお集りにまでなってまいりました。こどもさんびかも沢山おぼえ、大きな声で元気よく歌えるようになりましたし、ここへ来て初めて聖書を開いた子供たちも、今ではお互いに読みあえるまでになりました。普通の日曜学校と同じ様な内容で、しているのですが、いろいろの都合で第一、第三、第五の土曜日の午後、私の家を開放して致しております。それで、私共は、土曜学校と呼ぶようになりました。 
 去年は、花の日に衣笠ホームを訪れたり、鎌倉での子供会、キャンプにもご一緒に参加させていただいたりして、できるだけ、交流をもつようにしてまいりました。クリスマスには教会学校のお友達が、こちらに来て下さって、劇や紙芝居をして楽しいひと時を過しました。
 ふり返ってみますと、最初は近所のお母様方と、自分たちの子供の為に、聖書のお話をしていただこうと内藤先生にお願いしたのがきっかけとなり始めた事でしたが、今では教会学校の分校にしていただき、先生も遠い所をずっと通い続けて下さっています。最近では、子供たちの間でも土曜学校の午後は楽しみのひとつになり、二時になると「こんにちは」と、元気よく入って来るようになりました。私のように、何のとりえもない者を、今日まで神様は支えて下さり、この集りを続けさせて下さった事を、本当に感謝しています。出席カードが百枚になるまで、休まずに通うと張り切っている男の子や、道路で会うと私の腕にぶら下ってくるかわいい女の子など、どれ程私の喜びになっている事でしょう。この子供たちが大きくなって、困難に出会った時、喜び、悲しみに会った時、幼い日の聖書のみことばを思い出してくれたらと願いつつ、私はいつまでもこの小さな集りを大事に続けてまいりたいと思っております。皆様もこの教会に連なる小さな集りを憶え、祈りのうちに支えて下さいますようおねがいいたします。


74号1975/4/25

75号 特集 母の日

ぼくのお母さん
のむらかおる(小学二年)


 ぼくのおかあさんは四人子供をうみましたが、一人女の子がなくなったので、ぼくたちは三人きょうだいになりました。下のおとうとはまだ一才半で、おかあさんはそのせわがたいへんなので、いつも、いそがしいいそがしいといっています。ぼくがよる目がさめると、おかあさんはまだおきていて、おさいほうをしたり、せんたくをしたりしています。テレビでがいこくのけしきがうつると、「ママはここにいったことがあるわよ」とうれしそうにいいます。おかあさんはまえにひこうきにのっていたことがあるので、ぼくにパイロットに
なりなさいといいます。
 おとうとたちがまだ小さいので、おかあさんはきょうかいには、ちっともいけません。早くおとうとたちが大きくなるといいなと思います。

「母の日」
吉田栄(小学三年)


ははの日は お母さんの日。
その日は お母さんを祝う日。
みんなが お母さんにかんしゃをする日。
カーネーションを
お母さんにあげる日。




“カーネーション”


カーネーションがさいていた。
赤と白のきれいなカーネーション。
ぼくはカーネーションのにおいをかいでみた。
ぷーんといいにおいがした。
そのいいにおいにぼくはびっくりした。
一まいの花びらをとって手のひらにおいた。
そうしたら 花びらは風にのって
どこかえ どんでいった。


75号 1975/5/28

90号 井の中の蛙



井の中の蛙


松崎百合子


 教会学校が歩み始めてから、約七年余となります。丁度小学一年坊主と云う事ですね!代々の校長先生の心のこもった地ならしと確固たる基礎工事の上に建てられたCS。徐々に着実に成長して、この四月より新しいプレハブで中等部の礼拝が別にもたれ、内容も充実して大人の礼拝への掛け橋となります事でしょう。今迄は唯内部へのみ目を向けて進んできましたが、この五月より地区の教師研修会に五回に渉って参加し、他のCS教師と交わりを得、その良き収穫の一つに、鎌倉教会のCSの子供会へ、お誘いを受け一同喜んで参加させて頂きました。伝統のある古いCS。生徒数も何十倍もある活気に満ちた他教会の中に交わりを持ち、生徒共々目を外に向け、楽しい一時の中に勉強をして来ました。そして次回は小さいながら暖かい心のこもったお迎えを準備して、他教会のCSをお誘いしましょうね…と。
 蛙達はぴょんと井戸を飛び出して大海を見る機会を得ました。益々成長発展して良き後継者になって欲しいです。会員の皆様どうぞ励まし祈って下さいませ。


90号  1977/6/20

93号 ぼくと教会

ぼくと教会


吉田栄 5年


ぼくは今、教会にいる
なぜかしらないが教会にいる
ぼくが気づいた時には教会にいたのだ
ぼくがおかあさんにきいたのでは、
おかあさんがクリスチャンだからときかされたが
今はもうクリスマス
ぼくはこの教会でクリスマスをもうなんどもむかえた
ぼくと教会はつながってるみたい。




93号 1977/12/25

110号 夏期学校

夏期学校


土谷玲子 (高一)


 七月二十八日から三日間、私は伊豆の湯ヶ島で過ごしました。夏期学校参加のためです。


 教会で内藤先生の車で荷物を運んでもらったのでとても楽でした。


 みぎわ荘では、いろいろな行事がありました。それらの行事で印象が残ったものは、聖書研究、食事、早天礼拝、レクリエーション、ハイキング、ディスカッションです。


 聖書研究は、旧約聖書の流れです。今まで私は旧約聖書全体にふれたことがなかったのでほとんどわかりませんでしたが、少しずつわかるようになりました。この聖書研究を機会に知識をより深めていきたいと思います。


 食事は初めの夜と朝が洋風で、残りが和風でした。二十八日の夕食の最初は緊張しました。なぜならお祈りが私だったからです。何も考えてはいなかったのに、お祈りを始めると言葉がちゃんとでてきました。翌日の朝の食事のパンの味は決して忘れないでしょう。三日間の食事を通してとてもおいしかったです。


 早天礼拝は、朝のすがすがしさの中で讃美歌をうたい、聖書を読み、とても気持ちがよかったです。


 天気も、あまり雨に降られずに、恵まれていたと思います。私は、来年もみぎわ荘で夏期学校があることを望みます。もしあったときには、必ず参加したいと思います。
(イラスト付き)

119号 CSだより(部分的にカットをする)

119号 CSだより 松崎百合子


○春のおとづれと共にCSの教室もそれぞれ一月、二月の重い暗い試練の波を突破した若者達のピチピチした明るい笑顔、張りのある声に満ち溢れて活気づいて来ました。CS行事の一つとして


 一教会員の方の御厚意を得まして長い間、卒業を、入学を記念して、聖書、讃美歌、を贈っております。表紙の扉に美枝子先生の美しい筆にて“聖句”を書いて頂き、CS合同礼拝の時一人一人に手渡して皆で共に祝福を致します。CSにて神の御言葉も学んだ思い出が何時迄も何時迄も忘れる事なく良き記念となる事を心より、祈りつつ


幼稚園卒業生 “新約聖書”
小学校卒業生  “新旧約聖書”
中学校卒業生 “英対訳聖書”
高校生卒業 “英語讃美歌”
大学生卒業 “書籍”


○最近特に感じた喜こび“二つ”新しく導かれて来た中高生がCS礼拝に引続き大人の礼拝に出席する事です。(以前はCS礼拝に出たから大人の礼拝には出ないと云う傾向が多く、教師も誘うものの何となく帰ってしまう生徒が多い中)大人の礼拝もコースの中にあると云う観念でそれが当然と理解していて、聖書の箇処も讃美歌も未だよく判らず、更に牧師のお説教も少々むづかしく、もじもじと身体を動かしつつも礼拝の雰囲気に溶け込み、聖日の朝の一時を教会員と共に守った喜こびを持って家に帰ってゆく後姿を見て一人感動している昨今です。


 もう一つは昨年のクリスマスに受洗した、林美穂子さんが自発的にこの四月よりCSのアシスタントとして奉仕を申出てくれた事です。昨年度も土谷玲子さんがアシスタントとして此の一年間良く頑張って勉強して下さり、CS出身の若い人々がCSを次々と背負って下さる喜こびは深い感銘です。一月二月はCSとして行事は致しませんでしたが、三月二十日に最後の教師会を開き反省、与へられたこの奉仕により自分自身が成長させられた感謝一年間の先生方への慰労等々…… 来年度の新らしい計画、希望を話し合います。


松崎 記
(山本注:つづいて、3月の予定が3行書かれていますが割愛)

120号 83年度のCS先生のプロフィル



CSだより 83年度のCS先生のプロフィル


松崎記


・内藤美枝子先生(低学年担当)
美的センスの素晴らしい、優しいお姉様タイプの先生。でも信念は堅固です。だって牧師夫人となられた方だもの。


・林美穂子さん(アシスタント)
”ピッカピッカの一年生先生” 頬っぺのエクボが一入可愛らしく未知数の可能性を沢山に秘めている楽しみな鎌高三年のお嬢さん。


・吉田暁美先生(小学高学年担当)
二人の息子さんを大学、高校と育てあげられたベテランママ。生徒の心理を的確に捕え愛情深く相手の気持を理解する聞き上手な十年選手。お母様方からの信頼も厚くいろいろ相談事も受けられてます。


・土谷玲子さん(アシスタント)
大学入試の準備の年であった昨年一年間を本当によく堪えて頑張り通しアシスタントの責任を負ってくれました。物事に動じない緻密な計画をたてる優秀な大学生。「今年は吉田先生とのコンビで更に聖書を勉強して下さる事を期待していますよ」


・山本温子先生(中高生担当)
お名前の如く温和な、良きクリスチャンホームでお育ちの雰囲気が辺りに漂う御嬢様社会人。青年会の会計担当。行事時の食事のメニュー、買出し、調理一切を安心してまかせられ、食後の批評は毎度絶賛です。


・宮川久仁子先生(中高生担当)
三才から九十余才の老若男女のどの年齢層の方にもピタッと呼吸を合わせられるスーパーガール。明るく、タフで、聖書もよく学び四年有余の奉仕を続けるCS重要な人材!時々外国に行って働きながら学びたいと周りの先生をヒヤヒヤさせます。今年は大丈夫かな?…


・小川信子先生(土曜学校担当)
鷹取の自宅を開放。地域の子供達の為に土曜学校を始められて十年余次々と生徒達が巣立ってます。御苦労の多い奉仕の仕事を近くの御母様方が親しく援助され、夏の子供会、クリスマス集会と楽しさの中に伝道の道を開かれてます。


・松崎百合子先生(校長)
皆様御覧の通りの人間でこの大役を受けるに相応しい器ではありませんが、導かれる儘に祈りつつ歩んでおります。


・内藤協先生(牧師)
近頃頓に教会の内外のお仕事がお忙しく信望の厚き所以と喜びつつも健康に御留意の事祈ります。青年会夏期講習で年表を作成され、歴史的背景を織り混ぜて、今日のキリスト教への歩みを説かれる旧約聖書の講義は、再度のアンコールを受けて青年達に好評です。又今年もよろしく御願いします。以上
(松崎 記)


120号 1983/5/29

128号 みぎわへ行って(高二)佐々木一彦



 昨年に比べて今年がとても楽しかった。昨年は台風が近付いたおかげで大幅に予定が狂って、みぎわ荘に閉じ籠もってばかりだった。
 しかし、今年は晴れていて雨一つ降らなかった。おかげで予定も順調に進んだ。一日目、サイクルスポーツセンターで男性軍は五キロサーキットに挑戦!でもさすがに堪えた。みぎわ荘についてからもへとへとだがそのわりに一時ごろまで起きていた。二日目、ハイキングで一本松あたりまで歩いた。初日の寝不足のおかげで少し歩いただけで疲れがでてきた。
 夜は花火。昨年できない分をやったがやはり湿気ているのが少々あった。また、星空が美しく鎌倉には見れない星座があった。
 また、今年の内藤先生の話がたいへんおもしろかった。
 来年も行きたいが、大学入試があるために行けないかもしれません。でも来年、母にたのんで行かせてもらうようにしたいのです。
 また、来年は今年にない楽しさがあると思います。

130号 クリスマス祝会

CSだより(130号)
松崎百合子


クリスマス祝会
幼少学年 十二月二十五日一時
礼拝奏楽 岩壁真理子先生
司会 土屋玲子先生
お話 内藤牧師
劇 聖誕劇 幼・小一、二、三年
ペープサイト「フレデリック」
解説朗読 奥山恒一郎君、小四、五、六年


親睦会 出席者 四十四名
 フルーツバスケット
 手品 宮川久仁子先生
 ゲーム
 プレゼントの交換
 御菓子と飲物


二才のあや子ちゃんも仲間に入って羊飼、三人の博士、宿屋の馬小屋の場面、合唱と、練習時間の少ない中をとても良く出来ました。見ていて胸が一杯になり、これこそ、イエス様の一番に喜ばれる贈り物です。上級生のペープサイトは、手作り鼠が表情たっぷりでバックの画も素晴らしく「今一匹の鼠が仲間に馬鹿にされているが、ある時その鼠のした事が、仲間を勇気付け助ける」事になるというストーリーです。よくがん張りましたね。もう一度皆に見せよう。


中高生祝会 五時~九時
出席者 二十五名


 礼拝堂がすっかり聖夜のムードにセットされ、中高生一同心を合わせての手作り豪華版のディナー食前礼拝、内藤牧師の御話、会食話題が弾み、こんなに大勢の若い後続会員が明るく一堂に集まってクリスマスを祝った事は感謝です。CS第一回の岩壁真理子先生の受洗は他の中高生に良き道しるべとなった事でしょう。プレゼント交換。


「クレスマス」
プレゼントばかりくれくれとおねだりする子供のクリスマス


「クイスマス」
美味しい御馳走やケーキに夢中になっている子のクリスマス


「クルシミマス」
劇の練習やプレゼントの事、クリスマス礼拝、お説教に頭を痛め、心を悩ます先生方のクリスマス


「クリストイマス」
「イエス様の聖誕」を暖かい心で世界中の仲間と共に祝う人々のクリスマス


 CSの生徒は皆で「クリストイマス」のクリスマスを祝おうね!


本年度の皆勤者 六名、精勤者 二名、努力者 十一名
来年も休まずに。。。。。。(松崎 記)

140号 C・S修養会にて (小三)朝倉ちかほ



 夏期学校ははじめてです。れいはいやゲームいろいろ面白かったけれど、その中でもないとう先生の手話と手品が面白かったです。

146号 CSだより(採用 前半の朝倉陽さんの部分を採用

146号 CSだより 朝倉兄 松崎姉

夏の幼少科のキャンプ 朝倉陽



 “腕が痛い。いったいどうしたのだ”
夏期学校の翌朝のこと、痛くて痛くて鞄が提げられない。
“オジチャン!肩車して!保育の児にせがまれて何回肩車しただろう。あの満足そうな顔、夜枕を並べた私の顔をニコニコみつめながら、そのままの表情で眠った児、込み上げてくるものをどうする事もできない。


 それにしても腕が痛い、しばらく続きそう。イエス様の痛みかな。(朝倉兄)

163号 CS報告(松崎さんと校長交代について)

163号 CS報告  平野ゆう子


 ”CS校長 引受の記”


二十年近くCSの校長先生を務めて下さった松崎さんが、今年と来年はどうしてもおできにならないとお話があったのが、二月だったでしょうか。吉田暁美さんは教区のお仕事、朝倉万喜子さん、林美穂子さん、宮川久仁子さん、佐々木一彦さんはお勤め、佐々木英彦さんは学生…結局二年間の穴を埋めるだけと思い、このたび大役をお受けしました。とは言え、聖日毎に「あっ忘れた!」と決り文句の私を、皆さんがフォローして下さり、何が穴埋めやら…手数の掛る校長で皆さんゴメンナサイ。


 さて、CSに来る子供が減っていると言われて久しくなりますが、資格や級の取れる所、成績の上る所へは子供を駆り立てるけれど、心の教育は忘れている昨今です。そんな中で何とか子供を引き付けたい、「いつか教会に戻って来る人」にと、CS教師一同心を一つに祈りつゝ活動をしております。どうぞ会員の皆様も子供達の為にお祈り下さいます様お願い致します。


 「子供の日、花の日」には、大人の方々と一緒に礼拝ができ感謝でした。又今年は鷹取土曜学校の子供達も参加して下さって、嬉しい子供の日でした。

165号 教会学校の野外礼はい 三嶋哲夫

165号 教会学校の野外礼はい 三嶋哲夫


 10月21日の日曜日に、横すか線で横すかまで行きました。三かさ公園でしばふにすわり、さんびかを歌いました。先生のおいのりがありました。
 その後、グループにわかれ、ぼくは男の子のグループに入りました。
 公園にある「めいろ」に入りました。行き止まりがあって引返しました。それから、アスレチックですべり台、足をかけて上る丸太とかゆれる丸太の上を歩いておもしろかったです。それから公園に昔からあるバクダンを見ました。
 つないである昔の船の中に入りました。反対がわは海で、ちょっとこわかったです。はじめての場所であそんでおもしろかった。

177号 CS報告「東湘南地区生徒大会」

177号 CS報告 「東湘南地区生徒大会」 平野ゆう子


 十月の第三聖日、例年通り東湘南地区生徒大会が開かれました。大会前の午前中は三笠公園での野外礼拝。これも今年で三回目となり、すっかり定着した感じです。今年の教育週間は、東治モールの難民の子供達に学校を建てる為に献金します。東チモールと言う国の事、そこで子供達がどんなに苦しい生活を強いられているかと言うお話を礼拝の中で林美穂子先生がして下さいました。


 この日、三笠公園ではビーフフェスティバルが行われています。「横須賀を平和な町に」の願いをこめて、模擬店、世界の兵器や戦争のパネル展示、迷路、ミニSL、野外演奏等のあるお祭りです。松田めぐみさんの高校の模擬店は、いい臭いをさせてイカを焼いています。めぐみさんは、汗をかきかき大奮闘の先生のお手伝い。私達も焼けるのを待つ間、先生と交流ができました。皆で少しずつつまんだイカのおいしかったこと。


 昼食の時だけ皆集まり、後は自由に遊びました。一番元気者の上村てっちゃん、英次郎君がいないのが寂しいですが、野球の試合に勝ち進んでいるとのことで仕方ありません。真梨子ちゃんは前日の保育園の運動会でひどい怪我をしたそうで、園の先生と共にお休み。心配です。その運動会で疲れていたのか真紀ちゃんは皆が遊んでいる間、少し眠りました。高校生のみちよちゃんや、お姉さんの絵里ちゃんが、時々心配して見に来ます。


 二時からは横須賀学院で生徒大会。受付の仕事を、ちえちゃん、真里奈ちゃんが手伝ってくれました。「平和をつくりだす人達は幸いである」を主題に礼拝がもたれあゆみちゃんが献金を、
小さな佑介君がプラカードを持って壇上に上がりました。第二部は運動会。十七教会混合のチームが十個でき、逗子教会のリードのもと、次々と楽しいゲームが行われました。中でも、持ち物を並べて長さを競うゲームは、小さな物でもつなげればこんなに長くなると、びっくりしました。風船わりではどのチームでも恩寵教会が頑張りました。帰りに、今日初めて参加の久美ちゃんと絢子ちゃんは、お世話になったお姉さんに何度もさよならをしました。鎌倉駅に着く頃には日も暮れかけましたが、とっても楽しい一日でした。

188号 夏期学校で(中二)三嶋あゆみ

188号 CSだより 夏期学校で (中二)三嶋あゆみ

 初日は、高学年だけで中央公民館に行って映画を見た。映画は、「月光の夏」。特攻隊の人達の本当にあった話で前から見たいと思っていた。

 「ピアニストになりたい」という夢を持っていた特攻隊員が、出撃の前の日に学校のピアノで「月光」を弾いた。あの時、どんな気持ちピアノを弾いたのだろう。そう思うと涙が出て来た。

 教会に帰って来て、分級をやった。人数は中高生+α(中学生4小学生3)で、使徒言行録の4章1節〜22節を関西弁の劇でやった。発表は、夕食の後にやったので、最初のころよりも数倍うまくなったと思う。関西出身はひとりもいなかったのに、みんな上手だった。迫力もあったし。

 夜、寝る前は、5、6人で怖い話や秘密の話とかいろんな話をして、とても楽しかった。

 次の日は、七里ヶ浜小のプールに行った。日がカンカン照っていて、ものすごく暑い日だった。プールの中で、最後にやったバレーボールが楽しかった。



190号 CS報告 『聖誕劇ウラ話』

190号 CS報告 『聖誕劇ウラ話』 平野記


 今年のCSクリスマスの準備不足は例年以上でした。吉田さんご夫妻と佐々木英彦さんの抜けた教師陣はテンヤワンヤ。(子供達が増えているのも嬉しい悲鳴なのですが)、その上、23日(幼少科・中高科祝会)24日・25日と三日連続と言う事もあり、教師一同ダウン寸前。結婚を目前に忙しい上、風邪気味の林美穂子さん。三日間マスクをして頑張った佐々木一彦さん。腰と首のヘルニアの痛みを押して動き通した木南恒雄さん。お義母様の入院と重なってしまった朝倉万喜子さん。いつも元気いっぱいの山本メグミさんも、23日にやった劇のせいで、24日の晩は眠れず気持ちが悪くなったとのこと。外目には何ともない私は胸に疲労が蓄積していたようです。


 23日の祝会には、初めての子供も多く、又、久しぶりに顔を見せてくれた子供も多くいて、賑やかにゲームをしたり、食べたり…。幼少科にはサンタさんも来てくれました。


 ただ、劇の出来にはちょっと不安を感じた教師一同、25日の愛餐会には何とかもう少し形にしなければ、と対策会議の末、当日の分級で台詞を録音し、本番はそれに合わせて動くだけにしようと言うことになりました。「綱渡りやねエ」と菅根先生に呆れられながら当日を迎えました。厳かなクリスマス礼拝、表彰式の後、いよいよ録音です。何処でとっても子供達の声が入ってしまいそうで…。窮余の一策。一階女子トイレに延長コードを引っぱり、二・三人ずつ呼んでは録音します。
「はい、羊飼さんご苦労様。出たら博士さんを呼んで」と言う調子で順調に進みます。中には「何で女子トイレなのさ」とふくれる六年男子もいましたが…。
(ヘロデ王だけは礼拝が始まってしまい、声は木南さんが代役しました。)


 録音は無事終了しましたが、皆様にはご迷惑をおかけしました。紙面をお借りしてお詫び申し上げます。


 特に羊さんは、今まで「羊さぁーん、出番ですよー」と叫んでも一度も集まってくれなかったのに、大勢出演してくれた上、ナント四ツ足で歩き回り迫真の演技を見せてくれたのですから。


 まあちゃんイエス様も、寝起きで御機嫌うるわしく、ホッとしました。でも来年こそは、子供達の演技力と本番の強さにばかり頼らず、教師も早くから頑張るぞー。(と今は思っています。)

195号  沖縄と広島を訪ねたCSの子供達  大野真梨子・平野絢子・三嶋あゆみ

195号 沖縄と広島を訪ねたCSの子供達  大野真梨子・平野絢子・三嶋あゆみ


 今夏CSでは目黒YMCA主催の沖縄キャンプに大野真梨子さん、平野絢子さん二人を派遣する機会に恵まれました。又三嶋あゆみさんは八月六日を広島で迎えました。この三人に体験をレポートしていただきます。キャンプの文集、レポートは階下CSコーナーにあります。
「私が見た五十年前の沖縄」 高一 大野真梨子


 「沖縄に行きたい。」という言葉が、友人の間でかわされていた夏休み前、私は一生行けないだろうと思っていたので、お声を掛けて頂いた時は、とてもうれしかったです。とても感謝しています。


 初めは、昔の医学技術に興味があったのですが、しだいに心はひめゆりの女学生達に引きつけられました。彼女達が歩いた道、もしかしたら道などなかったのかもしれませんが、どんな気持ちで逃げ続けたのだろうと、当時の様子を考えられるだけ考えました。立ち止まっては後ろを向き、追っ手を予想するのですが、私の後ろには、追っ手などいないのです。そこには、静かな自然が広がっているにすぎません。


 ひめゆり学徒達の主な仕事は、食事や水を運んだり、排泄の処理そして埋葬でした。彼女達は、まだ中学生、高校生でした。当時の看護活動には、安楽とか安全とか看護の条件と言われる物は何一つありませんでした。動けない兵士や住民に、医師の手、あるいは看護する者の手から手榴弾、青酸カリが渡されたのです。今の時代では、安楽の為とはいえ人の命をたつ事は罪です。当時の人には、人の命よりも戦争に勝つ事の方が、大切だったのです。


 自分の身で感じた沖縄を思い出すかの様に、あれから何冊かの本を読んだけれど、どれも違った様子に書かれていました。それだけ感じ方が違うのだと思います。私は、戦争の事を伝えるだけでなく沖縄に行く事もお勧めします。
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「心に残ったチビチリガマ」 中一 平野絢子


 沖縄行きが決まり、「集団自決を心に刻んで」という本の前半を読みました。そして思った事は、自らが持っている個性を捨て、天皇を神様と思う様、非常時には喜んで天皇の命を捧げる様、無理矢理教育されたため、捕虜となって日本の恥にならない様に自殺する事が何故「自決」なのかという事でした。戦後の憲法では、天皇は象徴とされましたが、まだ今でも皇民化教育が続いているのではないかと思われる光景が沖縄で見られました。それは、常陸宮が丁度私達と同じ日にひめゆり資料館を見に来ていて、皇室の安全の為に私達が中に入る事を禁止された事です。


 今回最も心に残ったのは、集団自決の悲劇の舞台となったチビチリガマです。ガマの中は土が湿り、静かで暗く、青々とした外の自然を窺う事も出来ません。その中で皆で屈んで目を閉じてみると、五分も我慢できませんでした。怖い話などを聞く時に感じる怖さとは違う本当の怖さ。恐怖といった物を感じました。ガマを出て光と草木を見てほっとしました。


 普段、私達は、神様に、あれがほしいこうしてほしいと、ぜいたくを言うけれど、光があって、自然があって、そういう普段気付かなくて、無くなってみて大切だと気付く、そういう物があって幸せということなので、それ以上を望むとすれば、それは、我儘でしかないのだと思います。例えばアメリカ軍や幸福な所に今居る私たちなどの、我儘が無くならないかぎり平和は訪れないのではないかと、私は思います。


「ヒロシマへ行って」 中三 三嶋あゆみ


 原爆投下から五十年目の今年、初めて広島へ行って驚いたり、感動したりすることが山ほどありました。


 私は広島で、一番禎ちゃんに会いたいと思っていました。原爆の子の像の佐々木禎子さん。彼女の存在を知ったのは小学生のときで、去年初めて本を読みました。禎子さんの生きる力に感動して被爆後十年もたってなお、人の命をうばう原爆がにくらしかった。


 その原爆の子の像は平和公園の片すみで、たくさんの千羽鶴に囲まれて立っていました。私が思っていたよりもずっと大きくて、高い台の上に建てられていました。像の前では広島市内の中学生が中心になって、核兵器廃絶と平和を誓って集会をしていました。中学生ががんばっているのを見ると、自分もがんばらなくちゃって元気が出ます。


 原爆資料館へも行きました。被爆者の遺品が原爆の恐ろしさを訴えていました。ボロボロのもんぺ、八時十五分で止まった時計。こわれた三輪車。まっ黒なお弁当。禎ちゃんが原爆症と闘いながら祈った小さな折り鶴。


 とても怖かった。あんな恐ろしい死に方、私は絶対にいやです。誰だってそうでしょう?なのになぜ核兵器なんて造るのでしょうか。なぜ、世界中に核兵器が何万発とあるのでしょうか。結局は、まわりの国が怖いのです。だから核でおどす。こんなことで他の国よりも優位にはなれません。


 核問題は人類だけの問題ではありません。地球の生死にかかわる問題です。人間の傲慢さで、さまざまな生物が生きる地球を滅ぼしてはいけないと思います。


 もうすぐ来る二十一世紀を、核兵器のない、平和な地球で迎えたい。

196号 クリスマスはイエス様の日(小三)山本愛



 12月23日、クリスマス会、みんなで、ゲームをしたりしました。新聞紙で、言われた物を、人をモデルにして、作ったりしました。わたしは、赤組でした。赤と、青でわかれたからです。赤は、はかせでした。たく君が、モデルになりました。青チームは、天使でした。そのあと、おまちかねのケーキを食べました。わたしは、ケーキを食べていたけど、クリスマスって、ケーキを食べる日じゃないという事が、だんだんわかってきました。そして、また、二かいに行きました。そして、しばらくまっていると、サンタと、トナカイが来ました。サンタは、フランクさんで、トナカイが、おとうさんでした。そして、プレゼントを、もらいました。中には、シャーペン、ケシゴム、ノート、キャンディーのレイ、マドレーヌとポンポンラケットでした。イエズス様が、おうまれになった日なのに、わたしたちがこんなにもらっていいのでしょうか。イエズス様ありがとうございました。そして、教会の先生どうもありがとうございました。

200号 紙芝居作り (中二) 上野創子



 今年のサマースクールは上郷森の家に泊まった。テーマは九十九匹の羊と迷い出た一匹の羊。中高生は、学校でけんかしたり、いじめられたりした時に、迷い出た一匹の羊になった事がないかを話し合った。そして、弦君の小学校の時の出来事を紙芝居にした。
 その話は、遠足で水族館に行って、さあ、魚のショーを見にいこうというときになって、弦君の帽子が無い事に気がつき、先生と探したがみつからなかった。クラスのみんなが二人を待っている間にショーが終わってしまった。バスに戻ったら帽子があった。でもみんなは怒らなかった。
 夜の紙芝居作りは先輩の眠れなくなるこわーい話を聞く会になった。でも、本当を言うと夜の怖い話はとてもとても楽しかった。

208号 “クリスマス” 毎年恒例 中三 平野絢子

208号 CSだより“クリスマス” 毎年恒例 中三 平野絢子


 またクリスマスが来た。小さい頃は、25日までの一週間が長く感じたものだけど、今では気付いたら24日になっていたと感じる程度だ。クリスマス愛餐会も、この間やったばかりじゃないかと思われた。また誰かが「ケーキ食べたいけれど、切れていないのね」とか言っている。ちゃんと切れてるのにー。毎年恒例の台詞となっている。


 毎年恒例といえば、夏期学校でまだプールに行っていた頃、いつも川田さんがまるいドーナツを袋詰めにして一人づつくださったのを思い出す。プールに入って、ふやけてしわしわになった手で食べるのが、美味しかった。


 教会という所は、常に「毎年恒例」がついてまわる所だ。その「毎年の恒例」が来るたびに、ずっと昔の事を思い出したりする。でも確実に、毎年違うのは人だ。子供の遊び相手のお兄さんが変わる、牧師も変わる。自分自身も、遊んでもらう方から、遊んであげる方に変わった。遊びながら、自分が小さかった頃に連れていってもらった所に連れていったりする。この子が大きくなったら、こんな事があったなぁ、と思い出すのかと思うと自然に顔がにやけてくる。


 25日教会へ行ってみると井戸愛子ちゃんの顔がホクホクしていて、「プレゼント、何もらったの。」と聞くと、ビニール袋から、ヨーヨーと、映画のキャラクターかなにかの人形を見せてくれた。人形を私に一つ貸してくれて、何やら一生懸命説明してくれた。ヨーヨーも得意気に見せてくれた。彼女がもう数年もしたら、遊んであげる方の人になっているのかと思うと何か信じられない。


 今年のクリスマスは吉田さんの顔も、渡辺さんの顔も、ちかちゃんの顔も、はなわ君の顔も、のにちゃんの顔も、内藤先生の顔もないけれど、「毎年恒例」が訪ずれるたびに、私の中で色んな思い出がめぐる。

209号CS教師研修会報告「若者と心」井戸淳子

209号 CS教師研修会報告
  「若者と心」井戸淳子




 二月二二日、菅根牧師に講師をお願いし、「現代の若者の心を考える」という主題で教会学校教師研修会が開かれた。CS教師五名、会員から傍聴一名計七名の会となった。「心の時代」と言われ久しい時代状況の中で大人も子供もストレスを抱えて生きるこの頃。若者はそのストレスから身を守るかの様に生き方を模索している。そこに現れて来るのは、「コックピット症候群」の様に狭い一人きりの世界で画面を通しての他との接し方。他人も自分も深く愛せず、傷つく事を恐れ敵も作らず、しかし「死」への現実感に乏しく、死ぬことにこだわらない。心の内側にかたちのない怒りが常にある。先生の語られる現代の若者像に不可解を感じながらも、私達の在り方を問われる一時であった。
 つい先日こんな電話があった。「小学五年の綾子さんが中学に入る頃、教科書内容が可哀相な位難しい物になるのでその為の補充の教材をどうぞ…。」と言う不思議なものであった。思わず私は「可哀相な内容の教科書を作る方がおかしいと思いませんか?その為に更に子供につめ込む様なまさに可哀相な事は出来ません。」といつもの様に丁重にお断りした。「学力向上」を唱えれば親は飛びついて来ると思っているその手の教(狂)育業界の在り方に腹が立つ。子供はそんな社会の風潮にうんざりしている。しかし抵抗し切れず耐え、受験戦争で戦い抜いて勝利(?)を得、生きのびればそれがよいのか。反面「弱虫」とレッテルを貼られ落ちこぼれと自他共に責め、コンプレックスを振り払い切れずに歩く子供、若者は今暫く減りそうにない。「世の中甘くない。」と言ってしまえばそうかも知れない。しかし「最近の中学生は理解出来ない、恐ろしい」と他人事の様に言う前に彼らを育てているこの社会こそが恐ろしい所であることを実感せねばならないだろう。街を歩けば子供達の欲求をかき立てる物に溢れ、書店に行けば小学生でも手の届く所に下劣で露骨な描写ばかりの雑誌は山積みされ、テレビではナンセンスプラス暴力の画面。そんな中「まともに生きて!!。」と言われても、濁り水の中の金魚に「きれいな水を飲んで大きくなって。」と言うのと同じ事。せめて大人はその濁った水を一緒に飲んで生きる者として、「何か変だよ、息苦しいよ!!」と共に感じ合い、子供達の心の奥の「痛み」に手を当て互いに癒し合って行きたい、そんな働きをCS教師又、一親としてさせて下さいと主に祈る日々である

210号 決意あらたに「CS教師任職式」

210号 CSだより 決意あらたに「CS教師任職式」平野ゆう子


 今年度も四月十九日に教会学校教師任職式をして頂きました。毎年の事ながら身のひき締まる思いがしました。ところで私事ですが、先日次男が病気になり、検査中は大変心配しました。結果は良かったのですが、その間の菅根先生の牧会は感服し、感謝しています。励まして下さったのは勿論ですが、なんと他の方の悩みを私の所に置いて行ってしまわれたのです。ところがそれによって私自身の荷は少し軽くなりました。一昨年の子供の日礼拝で「荷物は一つより二つの方が軽くなる」と語られたのを思い出しその事を実感しました。先生は私達一人一人の性格を読みとられた上で聖書のみ言を実践しつつ牧会にあたられているのだと思います。CSに戻りますが、私達教師も、少しでもそれに習い、悩み、不安、希望や喜びを携えて集まる子供達に接する事ができたらと思いました。一週間に数時間の接点で心を交わせるのは大変な事ですが、子供達と教師達との関係は良い方だと思います。更に子供達やそのご家族と教師達が信頼し合えるよう努力するのは校長の務めと遅ればせながら気付いた次第です。どうぞ今年もCSをお祈りのうちに覚えて下さいませ。

216号 タコ焼き世代交替 平野宗

216号 CS便り タコ焼き世代交替 平野宗


 今年は我が横須賀学院卒のタコ焼き職人達が、都合により皆、前日の準備に集まれず、一人、店を廻り、主婦に紛れ食品売り場、家庭用品売り場で奮闘するハメとなった。見た目、学生の様な男が、いくつも買い物袋を下げ、リユックからは長ネギをのぞかせ、自転車をフラフラとこぐ姿は、さぞ奇っ怪だったろう。一人内職のごとく材料の下ごしらえをするのも少々空しかった。


 当日、生憎の天候に少々滅入りながらも駅に向かう。が、そこで落ち合うはずのタコ焼き職人は、一人も見当たらず、待った末、とうとう一人来ただけだった。


 「仕方ない」と教会に向かい、準備を始める。とそこに、我々とは大分世代は違うが(見た目、そうは見えないが)やはり横須賀学院出身のタコ焼き職人が一人。この須賀学デコボコトリオで作業は進むはずだった。が、あれよあれよという間に女の子達が集まり、気付けば、ピックは全てその子達が握っていた。女の子のパワーに圧倒されながらも、「まっ、しばらくすれば飽きるだろう」とタカをくくってタネをかき混ぜながら成り行きを見守っていた。


 それから数時間、あまりのサービスサイズにしてしまったタコはすっかり無くなってしまったが、焼きソバ屋と提携し、焼きソバの余った肉をタネに入れ、タコ焼き状態に焼く「肉焼き」なる物を、女の子達はまだ、楽しげに作っている。


 最終的には片付けも、ほとんど手を出さずに済んでしまった。「世代交替」だろうか。女の子達、「来年も、買い出しはお願いね」
(注)もう一人の須賀学出身者というのは、吉田家の栄さんの事です。


(山本 注)文末の(注)のほうは 原文オリジナルのものです

217号 子供の日、花の日 吉田朋子



 子供の日、花の日はとっても楽しい一日でした。二歳の娘、ひかりを連れて礼拝にあずかりました。この日の礼拝は、子供たちは前のほうに座らせていただいて、菅根先生のお話も一緒に聞きました。みんな一生懸命聞いていました。ひかりも知らない讃美歌ながら、みんなが歌っているので、一緒になって歌っていました。子供たちの劇もありました。「大きなかぶ」のお話でした。お百姓さん一人では抜けないかぶを、動物たちが手伝って力を合わせて最後にはめでたく抜くことができるお話です。
 礼拝の後は教会の一階でホットドッグの楽しい昼食。この日は夏を思わせる天気で、みんな気持ちよさそうに外での食事を楽しんでいました。みんなでいただくとすごくおいしい!ホットドッグは大人気で売り切れてしまいました。
 そして女性陣は持ち寄ったお花をアレンジ、花束を作ります。花束を作るのって、うきうきしますね。小さなお花たちも、たくさん集まるととっても華やかになります。「あら、すてき」とにぎやかにきれいな花束が次々とできあがり。リボンをくるくるっと結んでますますステキ。子供たちと、鎌倉静養館へ出発です。みんなは教会から歩いて行きましたが、私たちは車で先回り。静養館の入り口で待っていました。「あれ、何で先にきてるの!」と子供たちはきゃっきゃっと盛り上がっています。
 静養館ではお花をお渡しして、讃美歌を歌いました。皆さん、にこやかに、嬉しそうに聞いて下さいました。そして、子供たちと握手。ひかりもおばあさまたちの手をにぎって、あくしゅ。皆さんがありがとう、ありがとうと云ってくださいました。バイバイと手を振って皆さんにご挨拶して帰りました。職員の方が皆さん入り口のところまで見送って下さいました。訪問して、歌を歌っただけでこんなに喜んでいただけるとは、感激です。子供たちの力です。見る人の心を和ませる不思議な力。そういう点では大人はかないません。これからも、小さい子からお年寄りまで、みんな一緒になって、日々喜んで過ごせるように、いろいろな活動に参加したいと感じた、気持ちのいい一日でした。

224号 楽しかったCS夏期学校 小学三年生 すがねかおり

224号 楽しかったCS夏期学校 小学三年生 すがねかおり


かみごう森の家に行って、みんなでバーデゾーンへはいったり、ぶんきゅうをしたり、ゲームをしたりして遊びました。
そのなかで、一番楽しかったのは、ぶんきゅうです。
今年は、ヨナさんのさかなをつくりました。
とても楽しかったです。らい年もまた行きたいです。

226号 成人の年を迎えて 三嶋あゆみ

226号 成人の年を迎えて 三嶋あゆみ


 私が教会に通い始めたのは小学校三年の六月で、初めての礼拝は林美穂子先生のお話でした。礼拝後の分級で描いた絵をほめられたことがうれしくて、今でも覚えています。CSの頃をふり返ると、私を育ててくれた二つのことに気づかされます。一つは、大人も含めた様々な年齢の人と知り合い、親しくなれたことです。鎌倉保育園のえりちゃんたちの姿を見て、自分もしっかりしなくちゃと思ったり、吉田吉彦先生と渡辺武雄先生が亡くなられた時はショックで、色々なことを考えました。これら様々な交流や経験が私の視野を広げさせ、成長させたことは間違いありません。


 もう一つは、CSの先生方が私のすることを全て肯定して下さったことです。絵を描いても歌を歌っても文章を書いても「いいわねー」の一言が、どんなに私に自信をつけてくれたか知れません。今度は私が、まわりの人に対してどう接するかが問われる番です。


 昨年十月に在日コリアの青年たちと出会い、接していく中で、自分の考え方が、どんどん変化していくのです。彼らが今、在日の中からも統一を成し遂げようと一生懸命です。ならば日本の青年は、戦争責任に目を向け、同じ日本の住民である彼、彼女らの権利を奪う差別に気づかなくてはなりません。CSで得たことを糧に、まわりの人と真正面から向き合える大人でありたいと思います。

230号 教会学校キャンプ 小二 すがねまさ史

230号 教会学校キャンプ 小二 すがねまさ史


 今年の教会学校キャンプは、教会でありました。
七月二十六日朝十一時に集まって、皆でお弁当を食べました。みんなは、プールへ出かけて行きました。ぼくは、水疱瘡の終わりかけだったので、プールへは行けませんでした。ぼくが、一人でいるとき、山本連君が来てくれたので、一緒に遊ぶことが出来ました。
 夜は、バーベキューをしてくださいました。ぼくは、大好きなお肉とソーセージを、たくさん食べました。最後に、花火をして、シャワーを浴びてから、二階の礼拝堂へ行きました。礼拝堂の中には、お布団がたくさんひいてありました。ぼくは、連君のとなりでねることにしました。寝る前に、平野校長先生が、とってもこわいおばけのお話をしてくださいました。ぼくは、こわくて夜トイレにいけるか心配になりました。
 次の朝、竹の楽器を作りました。その後腹話術を池田さんに教えていただきました。ぼくも、パクちゃんを作りました。
 ぼくは、キャンプで一番たのしかったことはみんなで竹のがっきを作ったことです。

230号&231号シカモア教会交流プログラム 



 シカモア組合教会、小林さんの積極的な働きかけにより、「シカモア組合教会と当教会の交流プログラム」が実現しました。初めての試みであるにもかかわらず進んで参加してくださったのは、八木美稚子さん、森田朋子さん、岡倉綾子さんの三人、引率は望月達朗さんと平野絢子さん、八月十七日(金)に出発わずか一週間の旅でしたが、五人の珍道中振りを、次号で
詳しくお伝えします。七年前の夏、一月をともに過ごしたあの大門先生も、大いに登場します。ご期待ください。(月報部)

231号 シカモア教会訪問記 望月達朗



八月十七日から一週間の予定で、シカモア教会との交流プログラムを行って来ました。そこで、我々メンバーが何を見て、そして何を行って来たのかを、大まかではありますが、ご報告したいと思います。


八月十七日、予定より一時間遅れの午後四時二十分発の便で、約九時間の飛行を経て、無事サンフランシスコ空港に到着。空港でのお出迎えは、大門さんと遠藤(夫)さん。空港を出ると、中学生トリオは遠藤さんの快適な車で、引率者二人はサイドミラーの一つ欠けた大門さんの快適な!?車で、早速シカモア教会へと向かいました。シカモア教会は、少し逸れると下の町並みが見下ろせる、まさに「丘の上の教会」といった感じで、とても奇麗でした。


 十八日、教会員の方にサンフランシスコ周辺を案内して頂きました。中でも、GGブリッジやミュアウッズは得に印象に残っています。お昼は、JAPAN TOWNにてラーメンを食べましたが、一人二人前くらいの量で、お腹破裂寸前状態でした。それでもみんな食べ切ってしまうのが恐いところですが…。


十九日、日曜日です。教会学校は十時、合同礼拝は十一時から礼拝が守られました。教会学校では、幼稚園〜中学生(約三十人)のみんなと一緒に礼拝をし、その後我々メンバーが前から練習していた、自己紹介も兼ねた英語での人形劇を披露しました。みんな笑ったりして楽しんでいた様子を見ると、出来栄えは完璧だったのか…な。分級では子供達と一緒に、劇で使った人形作りをし、みんな熱中して喜んでくれていました。合同礼拝では、「恩寵モーメント」がもたれて、そこで各自の自己紹介と教会紹介、プレゼント贈与、「赤とんぼ」と「アメイジング・グレイス」の歌披露をしました。大門先生は、すっかり教会に溶け込んだ様子で、落ち着きのある、とてもよい説教をされていました。


二十日は、JASEB老人ホームで、みなさんと話をしたり、その後こちらから歌のプレゼントをしたりと、充実した時間を過ごせました。


二十一日、遊園地マリンワールドで、引率者迷子!?という問題は発生したものの、思いっきり楽しむことができました。


二十二日、西野さんの豪邸にて、お世話になったホストファミリーや教会員の方々と、お別れパーティーの時を持ちました。食事後、シカモアのみなさんから、写真とアメリカTシャツ(手作り)のプレゼントを頂いたので、我々メンバーもお返しとして、日曜日に使った人形を利用して、お礼の言葉とこちらへ来てからの感想などを英語で伝えました。本当に楽しい、アットホームな時でした。


二十三日、出発の日です。シカモアのみなさんと何度も何度も抱き合いながら、つらい別れをつげて、無事日本へと帰国することが出来ました。


六日間という短い期間ではありましたが、本当に温かく迎えて下さったシカモアの方々、また、様々な支援をして下さった恩寵の方々の支えの中で、メンバーそれぞれ色々なものを得て帰ることが出来たことを覚えます。またこれを機に、シカモア教会との交わりを深めていけることを願います。


【参加者から一言】


平野絢子さん
自由の国アメリカで暮らす日系の方々の日米両国においての在り方や葛藤を僅かですが知りました。


岡倉綾子さん
アメリカのすべてが大きいこと。家族が暖かいこと。人を楽しくもてなすこと。そのほか沢山のことを学びました。


森田朋子さん
私はアメリカに行って、アメリカって本当に食べ物がおいしい所だなと思いました。特にJapaneseタウンのラーメンはおいしかったです。


八木美稚子さん
私が一番気に入ったお土産は自分自身にだった何$かで買った食べられるシャボン玉「Bubble Candy」だった。


原文のまま(五十音順」

232号 ☆CSクリスマス☆ 八木暁

232号 ☆CSクリスマス☆ 八木暁


 僕は一九八〇年のイースターに内藤先生から幼児洗礼を受けました。父の転勤で、高校生の頃まで色々な教会のCSに通っていました。最近は楽しい事がある時だけ教会に出没します。今年はクリスマス礼拝、イブ賛美礼拝、青年会の祝会と三日間フルコースで教会の中でクリスマスを迎えました。恩寵教会の雰囲気や普段の生活の中ではなかったことを感じながら、気がついたらクリスマス三日間を教会で過ごしていました。年が明けたら僕には新しい生活が始まります。どこにいてもキリスト教の力強さを感じながら、楽しく教会と関わっていけたらと強く思いました。とても有意義な時を僕に与えてくれた教会の皆様に感謝しています。クリスマスおめでとうございます。

232号 ☆楽しかったCS祝会☆ 菅根謙治 平野ゆう子

232号 ☆楽しかったCS祝会☆ 菅根謙治 平野ゆう子


 CS祝会幼少科は、礼拝、望月君によるゲーム、工作、ケーキ作りでした。


「ボクがきなこ(きのこの砂糖菓子)もらったのにマーちゃんがとったんだよ」「ケーキ、変なのができた」「ボクサッちゃん(八木暁君)とケッコンするの」


謙ちゃんの3倍位の背の高いさっちゃんとボール遊びをしました。

237号 東湘南地区教会学校生徒大会

237号 東湘南地区教会学校生徒大会 望月達朗


 十月二十日午後二時から、横須賀学院にて、東湘南地区・教会学校生徒大会が行われました。当日は天候が危ぶまれましたが、何とか持ちこたえてくれて、参加者百人以上の中無事終えることができました。プログラムの内容としては、まず始めに久里浜教会の窪田牧師司会で礼拝の時が持たれ、その後池田尚徳先生による腹話術が披露されました。池田先生の腹話術は、僕自身見るのは初めてでしたが、それは見事なもので、思わず口を半開きにして見入ってしまいました。その腹話術に続いて行われたプログラムは、グラウンドでの運動会でした。このプログラムは恩寵CSが担当だったので、普段鍛え抜かれたお笑い魂(?)を発揮する絶好の機会でした。その運動会で行われた内容とは、大まかに言うと『長い物競争』『新聞ゲーム』『漁師ゲーム』の三つです。一体これらはどんなモノなのかここで簡単に紹介したいと思います。


 『長い物競争』身に付けている様々な物(ベルトや靴下等)を地面に縦長につなげていき、最後に一番長くつなげたチームの勝ち!
 『新聞ゲーム』各自広げた新聞の上に乗り、司会者とジャンケンで負けたら、その新聞を半分に折っていき、最後にその新聞の上から落ちてしまたら負け!
 『漁師ゲーム』漁師チームと魚チームに分かれ、魚チームは各自、指定された五種類の魚の内、どれになりたいかを決め、漁師チームの代表者がそのいずれかの魚の名前を叫んだ瞬間、その叫ばれた魚に当てはまった人はゴール地点まで逃げなくてはならず、漁師チームは全員でそれを捕まえに行かなければならない。魚をより多く捕まえたチームの勝ち!


 これらのゲームを、転んだりぶつかったりしながら、大人も子どもも関係なくみんな全力で取り組んでいました。同じ様に礼拝を守りつつも、普段あまり関わることの出来ない各地域の教会が一緒になって、さらには必死になって関わり合えた時間は、とても充実したものでした。

239号 教会学校教師研修会

239号 教会学校教師研修会 望月達朗


 二月十六日に教師研修会が行われました。テーマは『説教での教師の陥り易い誤り』。教師にとって、決して目を背けてはならない大切なテーマです。内容としては、レント・イースター礼拝で各自が担当することになっている説教案を、普段子供達に話す様な形で発表し、それに対して気付いたこと、感じたことについて、他の教師や荒井先生からコメントをもらうというものです。聞く側としての客観的な思いを聞くことによって、直すべき言葉遣い・ニュアンス、話の伝わり方はどうか…など、自分だけでは気付けない様々な点を知ることができました。また、発表された説教は、話し方、伝え方、どれをとっても同じものはなく、各教師独自の世界がかもし出されていて、大変魅力的なものでした。研修会の終りに荒井先生が一言、『教師それぞれ説教の話し方・伝え方が違うということ、これはとても大切な点です。それは、子供達に人はそれぞれ違うのだ、違っていて良いのだ、ということを伝えることにも繋がるからです』「違い」の大切さにも改めて気付かされた会でした。

241号 子どもの日・花の日 合同礼拝

241号 子どもの日・花の日 合同礼拝 平野ゆう子


 今年の子どもの日はペンテコステと重なり、子どものプログラムもそれに因んで、又世界の平和を願って、一八か国語で「平和」と叫ぶ歌(こども讃美歌改訂版)を歌いました。講壇の上には井村さん作のアレンジメントと皆様がお持ち下さった花で溢れんばかり。九ヶ月ぶりに帰国されたゼブリ先生ご夫妻と荒井先生のペンテコステのお話を聞きつつ聖霊を実感し喜びに満たされていました。それに実は階下に素晴らしい昼食が待っていたからでもあるのです。


 五月の役員会の折「子どもの日・花の日」の昼食会の件で一同考え込んでしまいました。昨年「子どもたちには添加物の少ない食品を」とのご意見があり、その事も含め、昼食準備を会員部にお願いしてあったのですが、今会員部は様々な事情で人手不足状態だからです。嵯峨さんの「有志でやっては?」とのご提案で難問の糸がほぐれ始めました。四月に会員部の長老になられた宇野さんも「それなら私が責任者になります。」とほっとされたご様子。役員会が終るや否や「ハンバーグに」「それならミートローフの方が」「ゼリーも」とお二人で話が進んでいます。それから一ヶ月間、宇野さんは以前息子さんのために良く作られたというハム・ソーセージの試食用を作るやら、食材の値段を調べるやら大忙し。そして当日の四日前、那須の井戸さんより「パンを百個送ります」とのお電話があり、これで全てが手作り品となりました。当日並んだご馳走はハム・ソーセージ・ポテトサラダ・パン・コーヒー。子ども達にはババロアも付きました。六十人強を見込んでいたところ実際には八十人以上の方が召し上がりましたし、大人からは三百円を頂いて教会からの補助無しにと思っていたところ、七七三五円が純益として残りました。宇野さんが「もう一生二度と作る事はないと思っていたハム・ソーセージを教会のために作る事になった」と喜んでいらした事と併せ、私は「これこそ奇跡!」と心の中で叫んでいました。特にあの難解な「五千人の給食の奇跡」が少し理解できるような気がしました。


 皆様のお働きに心から感謝し、これからも子ども達のために祈りを合わせて参りたいと思います。
平野ゆう子)

252号 望月先生有難う 森田朋子、八木美稚子



 二〇〇五年三月二七日CSのイースター礼拝で、望月達朗先生が恩寵教会での最後の礼拝をされました。説教の基盤は「ぼくをさがしに」という絵本で、望月先生がとても共感された本の一冊だそうです。この本のあらすじは、主人公が自分のかけらを探しに旅に出るが欠けている部分があるからこそ良くなる事もあると気付くというものです。望月先生は「人は完璧を目指すけれど完璧でなくていいんじゃないかな。それに、かけら同士が集まって一つになり神様が用いてくださる。」とおっしゃっていました。誰もが共感したことでしょう。

260号 CSキャンプの思い出 よしだ けい・ひかり

260号 CSキャンプの思い出 よしだ けい・ひかり


 ぼくたちの一番楽しかったのは、小坪のプールに行ったことです。午前中に礼拝をして、お弁当を食べたあと、バスで小坪のプールに行きました。プールでおにごっこをしたのが楽しかったです。夜はバーベキュー、花火、きもだめしをしました。きもだめしは、教会から銭洗い弁天まで歩いて行きました。花火をもっとやりたかったです。バーベキューではお肉がおいしかったです。きもだめしはあんまりこわくありませんでした。来年もまたさんかしたいと思っています。


273号 CSだより 宮部徹

273号 CSだより 宮部徹


ある日曜日に、ゆう子先生から、「てっちゃん、日曜学校のOBとしてちょっと手伝ってほしいことがあるからよろしくね。」と頼まれた。当日の朝少し早めに行くと「これが台本ね。」と、「和解」というタイトルの付いた紙を渡された。なんと私が実名で出てくる。10億円(!)も神様から借りていながら、情け深い神様に全額棒引きにしてもらう役。ところが神様にさんざんそのお礼をいったその舌の根の乾かぬうちに、自分が貸していたお金は厳しく取り立てる。ああ、人間てなんていい加減な生き物なのだろう、万物の霊長が聞いてあきれる、演じている私がしみじみ感じました。それでつい、神様に咎められてのセリフ「神様ごめんなさい!」を「(神様役の)荒井先生ごめんなさい!」と言ってしまった。でもこれが皆さんにはウケたので、少し嬉しかった。そして、35年前に日曜学校のクリスマス劇を演じた時のことと、別のクリスマスの時に、マリア様を演じた故山本敬兄が、爆笑を巻き起こした時の記憶がなつかしく蘇ってきたのでした。

248号 CS夏期学校 小2 荒井真



 今年の夏期学校は教会めぐりをしました。ぼくはBグループでした。最初はYMCA、お話を聞いた人は山田さんです。YMCAのしごとは、子供のめんどう(学童保育)と、サッカーと英語です。次は鎌倉教会です。大きくて屋根に時計みたいのがありました。やさしそうな先生がお話をしてくださいました。一八九六年一二月三十一日に最初に礼拝をしたそうです。きれいな幼稚園もありました。あと、カトリック由比ガ浜教会と鎌倉キリスト教会です。そのあと教会のパノラマを作りました。

270号 CSペンテコステ  大野高志

270号 CSペンテコステ  大野高志


 ペンテコステの出来事を子どもたちと分かち合うのはとても難しいことです。だって語る大人たちがよく分かっていないのですから。


「教会の誕生日」。「炎のような舌」。何度聞いてもやっぱり実感がわきません。逆に言うと、わたしたちはその分、精霊降臨の出来事と遠い現実の中に生きているということなのかも知れません。


 五旬祭の十日前、人々はオリーブ山の上に立って、主イエスを天に見送りました。主は彼らの目から見えなくなり、雲の中に消えて行かれました。「この大地(印刷が濃くて読みづらい)の現実の、どこを見渡したって神の姿なんかないではないか」という事態が起こったわけです。けれども、彼らはいつまでも天を見上げているわけにはいきません。自分たちが雲の中に消えていくこともできません。目を大地に向け直し、そこで歩んでいかなければならないのです。


 しかしそのとき、彼らは天使たちの声を聞きます。「いつまで天を見上げているのか。主はまた来る。この大地が、神の計画の成し遂げられる舞台そのものなのだ」と。


 この天使の告知が、聖霊降臨の序章です。そして聖霊が降ると、彼らはいよいよ、この大地が神の働きの舞台であることを知り、この大地に生きる様々の人々といっしょに生きていくために、教会を建てることになるわけです。


 そこで、今年のCSペンテコステの着目点は二つ。一つは、この大地が天とのつながりの中にある場だということ。そしてもう一つは、この大地で他者と手を携え生きていくということ。さて、これをどうCSらしく表現するか。


 一つめ。さあ、凧を作ろう。聖霊は神の息。心を澄ませる心地よい風。爽やかな五月の風に乗る凧を作ろう。和紙に竹ひごを貼り付けて。糸を上手に通して。「先生、どうやって穴をあけるの?」「紙破れちゃった」。なかなか賑やかです。


 二つめ。左手を開いて、手のひらから見つめ、それを横に倒してごらん。親指が首の部分になった鳩の形に見えるでしょ。「なんだか、鳩サブレみたいだ」「ほんとだね」。聖霊はイエスさまに、鳩の形で宿りました。そのひとつひとつの手を形取ろう。自分で難しいときは、友だちに象ってもらおう。それでくちばしと目を描いて切り抜いて、さあ凧に貼ろう。きっと手の鳩が大空を飛んでくれるに違いない!


 この原稿を書いている時点で、凧はまだ未完成。さてはちゃんと飛んでくれますか。それは風の吹くまま、“霊”が語らせるまま。でも飛ばなくて地に落ちてしまったって平気。神の働く舞台は、まさにこの大地なのですから。

286号 “成人になって” 井村 周嗣

286号 “成人になって” 井村 周嗣


自分は今年で20歳になり、成人になりました。正直、まだ成人したという実感もありません。実際に、まだ生活面や学業面でも多くを親にたよっています。けど、成人したからといって全ての事を親や他人に頼ったりせずに自立しなければいけないとは思いません。親や他人に頼ることによって、より一層、自分を成長出来るからです。しかし成人とは、人生の中では節目であることは確かです。この節目に変えるべき、または考え直すべきは考え方だと思います。これからは社会の一員になるわけで常に周りから見られたりします。実際に自分も学校内では後輩などにも見られたりしているわけで、恥しい態度はとれません。これからは自分にも多くの責任などが生じてくるだろうし、その責任に対してもしっかりと向きあっていかなければなりません。そのために、いままでよりもより一層、大きな人間にならないといけないと思います。これから大きな人間になるために、自分は”高い自尊心”を持っていきたいと思います。この”自尊心”とは、自分を尊敬し、信頼する姿勢のことです。しかし、これは本当に大変なことだと思います。たとえ、辛くて大変な事があっても人のせいにせずに、ひたむきに努力していき、常に良い方になるように変化を求めるなどしなければなりません。まだ自分には努力が足りないことばかりです。だけれども自分はまだ若いですし、リスクをおそれずに色々と挑戦していきたいです。一人で出来ないときには、今までの人生の中で出来た仲間に頼ったりしようと思います。仲間はかけがえないものだし本当に大事です。なのでその仲間を作ることが出来た、この環境に感謝しなければなりません。
成人になった今、思う事は様々あります。しかし周りに流されず自分を信じ、高い自尊心を持ち、仲間を大事にしていきたいです。まだこれからの長い長い人生、より大きな人間になれるように日々努力していきたいと思います。


2011.1.20  井村 周嗣