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70号 キリスト教音楽講習会に参加して 滝口充

キリスト教音楽講習会に参加して

滝口充


 近頃めっきり固くなりかけて来た体のふしぶしと頭とをときほぐす為に、一つ若い人と一緒にもまれて来ようかと、ごく軽い気持で参加をきめたのが、この夏神戸女学院で開かれるキリスト教音楽講習会だった。三十年余り前の学生時代への郷愁と、美しいパイプオルガンがふんだんにきかれる楽しみとにひかれ、ついでにオルガンの弾き方も少しは教わって来れるしなど、不謹慎極まりないきっかけで、神戸まで出かけていったのだったが、そこで授った賜物は思いがけなく大きく、オルガンの弾き方はともかくとして、礼拝音楽の重要性、その奉仕に携わらせて頂く身の幸せと責任とをしみじみ感じさせられて来た。特に、「奏楽は奉仕者の信仰の告白である」との言葉には大きなショックを受けた、と同時に今まで不信仰でお座なりの奏楽しかして来なかった我が身をふり返って、まことに忸怩たるものがあった。
 毎日の日課は先づ朝八時半からの礼拝で幕が開く。パイプオルガンの奏楽、説教、祈り、賛美歌合唱と、音楽講習会にふさわしい一日のスタートである。午前中、礼拝学、賛美歌の歴史、音楽理論などを学び、ひるになると学生食堂で隣り合わせた人とお互に自分の教会の話などしながら昼食をとる。皆キリストにつながる枝と枝。話はすぐに通じ合って励まされる。午後は合唱、実技のレッスン。真夏の昼下がりはさすがに日ざし強く暑さは酷しいが、広く豊かな自然に包まれたキャンパスは静かで、樹々をわたる風はまことにすがすがしく、冷房で人工的に冷やされ馴れた体から吹出す汗を心地よく引っ込めてくれる。午後四時から一時間半の礼拝研究ゼミで一日の日課は終わる。夜は聖和女子大の薹のたった寮生となって結構楽しい。
 五日間の長い様で短い講習会は瞬く間に終り、程よい疲れと充実感に満たされながらすぐに新幹線の人となる。帰りは泉水教会の日比さんと二人、これまた楽しい弥次喜多道中で、家に帰り着いたのは夜もかなり更けていた。子供たちに賑やかに迎えられ、感謝の中に私の神戸行は幕を閉じる。

70号 1974/9/20

76号 パイプオルガン 山本史子

76号 パイプオルガン  山本史子


 二年前の夏、もしもキリスト教音楽講習会に参加しなかったら、私は、とにかく卒業して、すねかじりでなくなっていたでしょう。往復六時間かかって通った、異常に暑い五日間、生れて初めての体験、巨大なパイプオルガン(当時の私の目で)、そして、見知った人達が、あたりまえのごとく響かせる、まるで別世界の音響とそのメロディー。演奏者がみんなものすごく恵まれた天才に見えました。ガランとしたチャペルの固い椅子にジッと動けず、「すごいな、すごいな」と驚いて聞き入っていました。自分がパイプオルガンを弾くことがあるだろうかと、空想するだけで、ブルブルしてしまうようでした。


 あれから恩師に恵まれ、同志と励まし合い、秋には、洗足のオルガン科を受験することに決めるまで、ダッとかけ登ってしまった気持ちです。すぐに試験曲が目前に立ちはだかっていたので、音楽について全く無知の私であるし、この道は、本当に自分に向いているのか?と、考える余裕もなかった。感激している間に、今日まで来てしまったのです。


 キリスト教の歴史とは切っても切り離せないパイプオルガン。日本におけるその発達と現状は、他の楽器、声楽と比べて、著しく遅れています。建物そのものが音響として楽器の一部をなすし、楽器の持ち運びが出来ないことからも、演奏者も聴衆も、その場所へ行かねばならないので、演奏会も数少ない。また、歴史の浅さ、日本の教会の礼拝音楽に対する軽視、それと、お金の少ないところへ高価なため、パイプオルガンを備えられる教会は仲々ありません。


 しかし、夢として終わらせないように、導かれた道を、心からの感謝を持って、一歩ずつ、遅い歩みでも、続けていきます。


118号 オルガン演奏とソプラノ独唱の会 山口みどり 

オルガン演奏とソプラノ独唱の会  


山口みどり




 去る十一月二十八日(日)、礼拝后、午后三時より、第一回「ソプラノとパイプオルガン演奏会」が当教会において 開催されました。


 演奏者にスイスのラングナウ教会でオルガニストをつとめておられ、帰国されて間もない清瀬千鶴子さんのお二人を迎え、プログラムは季節に合わせ、「アドヴェントを迎えて」と題して第一部待降節、第二部クリスマス、と組まれました。


 プクスステフーデのコラール幻想曲「いかに美しきかな明けの明星」が、静かなそして澄んだ音色で会堂を包みながら音楽会は始まり、バッハのコラール前奏曲、ソプラノアリア、フランクのパストラールと続き、ハイラーのオルガンとソプラノの為の曲「主にあっていつも喜びなさい」が、本邦初演として第一部の最后を飾りました。第二部は、皆に親しまれている讃美歌、「いざ歌え、いざ祝え」でソプラノがはなやかにクリスマスを告げ、続いてレーガーのソプラノ曲、オルガンによるコラール前奏曲、又ヴォルフの美しいソプラノ曲二つ、そして現代曲メシアンの「神の子等」(主の降誕より)をはさんでヘンデルのメサイアより「シオンの娘よ大いに喜べ」が歌われ、最后にバッハのフーガ変ホ長調(三位一体のフーガとも呼ばれている)が重々しく格調をもって演奏され、この音楽会がしめくくられました。ストップが五つで音色に限りのある小さなオルガンを最大限に生かしたお二人の演奏とプログラミングに対しておしみない拍手が与えられました。


 その日、会堂には一一二名の聴衆が入り、一般の音楽会とは一寸雰囲気の違う教会での演奏会を興味をもって聞き、また楽しんでいたと思われます。大変感動したという感想の言葉や、これからの音楽会にも是非連絡をして欲しいという反応を沢山受け、会を準備してきたオルガン委員会として嬉しく思った次第です。


 ただ、オルガンの響きの限界と、会堂の収容能力から、希望者全部を入れられなかったことは残念でした。又初めての試みであったため、準備の段階や、当日の運営上にも反省すべき点がいくつかあり、これからの演奏会企画の参考として生かしていきたいと考えております。
(オルガン委員会 山口)

118号 1983年1月31日

118号 神奈川教区教会音楽祭奮闘記 滝口充


神奈川教区教会音楽祭奮闘記



滝口充

 昨年の女声三部合唱初出演の好評に気をよくして今年は混声四部でいこうと誰いうともなく大それたことが囁かれ始めたのは、九月の声をきいて間もなくでした。


 さて何を歌おうか、あまり難しくなく、聴いてきれいで、然もありふれていないものという三つの条件を満たすべく考えに考えた末思いついたのが『ちとせのいわよ』の合唱曲です。これは明治36年版の讃美歌の後部に載っていたものですが、遠く少女時代に、聖歌隊が歌ったこの歌の美しさにすっかり魅せられて、いつの日にか自分でも歌いたいものと思い思いしながら半世紀近くが過ぎ去ってしまったのでした。早速教団の讃美歌委員会に電話を入れて訳を話しましたところすぐにコピーを送って下さいました。長い間の願いが実現して皆で歌ってみると案に違わずそのメロディーは真に美しく、難易度もまあまあです。ありふれてないという点では古さに物を云わせたわけです。この古さが又音楽祭で大変好評を博しました。最後の講評で角田三郎先生が「『ちとせのいわ』は深い感慨をもってきかせてもらいました。昔、この歌を共に歌った青年たちの九人中八人までが空へ海へと散って帰らぬ人となったことが今まざまざと思い出されました。歌は幾年も幾年もそれにまつわる思いと共に生きているものですね。」としみじみとした口調で話されると会場は水を打った様に静まり返り、聴いている人それぞれの頭の中に何かが稲妻の様に走った様に思われました。もう一つの歌は『花よ、魚よ』です。昔の日曜学校讃美歌の二つを新しく一つの歌に作り直してもらったものですがなかなか凝っています。男性軍の参加者は少なく然も練習時間の不足で、果たしてものになるかと正直いって当日まで不安は募るばかりでしたが、案ずるより産むは易しとはこのことでしょうか。少数の男性軍の涙ぐましい奮闘の甲斐あって、ルンルンルンのリズムに乗って軽やかに歌い終ると万雷の拍手が起こりました。本邦初演とあって楽譜をわけてほしいという声もかかるなど、指揮者伴奏者含めて15名という小編成にしてはまあまあ大成功と申せましょう。貴重な男性三人の中の一人が所用あり、出演5分前に息せき切って滑り込むという一と幕もありましたが、とにかく一同又気をよくして清水ヶ丘教会お心づくしの紅茶とケーキを頂いて帰路についたのは、陽もとっぷり暮れて街に灯りがともる頃でした。


 どの教会もそれぞれ特徴を出して頑張っています。参加する以上やっぱりよい歌を上手に歌える様によく準備していきたいものと皆で話し合いました。


118号 1983/1/31 神奈川教区教会音楽祭奮闘記  滝口充

121号 パイプオルガンとフルートのコンサート 

パイプオルガンとフルートのコンサート

著者名 記載なし


 恩寵教会の春の伝道集会の一行事として、去る五月十五日(日)午后三時より、オルガンとフルートのコンサートが開かれました。演奏者は、逗子教会のオルガニスト、小島直子さん。フルートは、湘南バッハコンソートのソリストである、森本薫氏。


 今回は伝道を目的とした音楽会ということで、準備にあたり、入場は無料とし、呼びかけの対象を主に教会周辺及び鎌倉市内の方々、そして教会員の友人関係としました。宣伝のため市内のケーキ屋、楽器店、喫茶店又、教会員の家の塀にはった手書のポスターとチラシを見て、教会へ直接問い合わせてきた方々も多く、人数確認のため発行した整理券も足りなくなる程でした。


 当日は、午前の礼拝が終る頃より空模様があやしくなって、お客様の足が鈍るのではと心配されましたが、百人以上の方を迎えることができ、オルガンとフルートの息の合った若さ溢れる演奏がなされました。ペンテコステの前の週ということで、それにちなんだバッハのコラール幻想曲で始まり、内藤牧師のメッセージを中にはさんで、終りまで充実した会とすることができたことを感謝します。

121号1983/7/31

123号 ヴァイオリンとパイプオルガン演奏会 山口みどり

ヴァイオリンとパイプオルガン演奏会

音楽委員会 山口


 昨年から始まった秋のオルガン定期演奏会が、今回はヴァイオリンとのジョイントで十一月十三日(日)午后三時より開かれました。演奏者には、東洋英和女学院教諭を勤めるかたわら、日本各地で演奏活動に忙しいオルガニスト河野和雄先生と、キルヒエンムジークアカデミーや、コンソルティウムバッハのメンバーとして室内楽、特にバロック音楽の研究と演奏を続けておられる小谷陸子先生のお二人をお迎えしました。


 河野先生の力強い演奏で、我が教会の小さなオルガンも豊かに鳴り、特に一部の最呉の曲目、Ch.H.リンクのコンチェルトでは、曲の作りもさることながら、限界のある楽器でソロとトゥッティの音色の対比を見事に演奏し切って、聴く者に十分の満足を与えて下さいました。又、ヴァイオリンの小谷先生も暖かい音色によって、オルガンとの一体を感じさせ豊かな音楽を作り上げて会堂を包んでしまわれました。


 当教会にパイプオルガンを設置できたことを、何かの形で教会外の方々に広くお役に立てたいとの趣旨で始められたこの定期演奏会ですが、今回も百名以上のお客様を迎えることができましたことを感謝致します。

123号1983/11/27

130号 ファミリーコンサート

(11月25日開催)
ファミリーコンサート(130号)
小川


 十一月二十五日、聖日礼拝の後三時より、秋のファミリーコンサートを致しました。今回は、去年のアンケートの結果により、少し内容を変えてみました。「教会音楽にかたよらポピュラーなものを。」又、「若い人が来やすい様な会に。」との意見にそって、オルガン演奏の他に、トランペット、ソプラノ、そして内藤先生のモーツアルトの音楽についてのお話、会衆一同で讃美歌を歌ったりと、かなり盛り沢山のプログラムになってしまいました。鈴木氏のトランペット演奏は、あの木造の教会堂のすみずみにまで鳴り響き、川田姉は、私達の聞きなれたメサイアの中の一曲を美しいお声で歌って下さったり、当教会のオルガニストの服部姉の伴奏、山口姉の演奏もすばらしいものでした。


 一時間三十分の中に、様々な内容をとり入れ、あるいは雑然としてまとまりのない会になってしまうのではないか、との事前の心配をよそに、一つ一つが充実していて、最後のソプラノとトランペット、オルガンの演奏は見事に調和がとれていて、すばらしい盛り上りの内に会をとじる事が出来ました。
(小川 記)

140号 「聖歌隊夏の特訓」 山口みどり

140号 「聖歌隊夏の特訓」 山口みどり


 八月十日、礼拝后午后一時より四時まで、聖歌隊の夏期集中練習が行われました。これは、こゝ数年続いていることで、いつも秋の教区音楽祭参加曲をたっぷり練習します。今回は参加者二十二名。(現在隊員総数二十八名)これも恒例で、音楽祭に指揮をしてくださる滝口亮介さんが指導にあたってくださいました。


 とりあげた曲はハインリッヒ・シュッツの作品を二つ、「たたえよもろびと」と第二讃美歌九十七番「たえにもとうとき」。我々の実力には少しむつかしい選曲をしてしまったため、以前に二回パート練習をしてあったのですが、皆当日あらためてやりなおしという状態でした。途中で自分達の歌をテープで聞かされ、ガマの油のガマよろしく油汗ならぬひや汗の出る思いもさせられました。


 二時半から三十分の休けい。麦茶とアメでのどをうるおして、又四時迄歌い続け、皆少しづつ曲の感じをつかみかけてきたかなというところで今回の集中練習は終り。十一月の音楽祭までにさらに練習を重ねて仕上げていきたいと思います。

151号 20周年記念 チャリティーコンサート「ハープの夕」報告

151号 20周年記念 チャリティーコンサート「ハープの夕」報告


 去る六月三日、ハーピスト吉野直子さんとお母様の篤子さんをお迎えし、20周年記念の催しの最后となるコンサートが、鎌倉中央公民館で開かれました。今は亡き内藤先生は、以前より直子さん(当教会員故吉野弘さんの御親戚)の演奏会を望んでおられました。このコンサートの準備のため、御自身で何度か吉野さんのお宅をたずねるなど力を尽してこられましたのに、そのコンサートが内藤先生の追悼の意味をこめたものになるとは誰が想像できたでしょうか。


 当日は朝から強い雨に見舞われましたが、会場には内藤先生の奥様美枝子夫人をはじめ一杯のお客様を迎えることができました。


 「わが神よ、わたしは又立琴をもってあなたと、あなたのまことをほめたたえます…」という詩篇が塩出先生によって読まれたのに答えるようにハープの音(ね)が会場にひろがり、聴衆の心にしみわたっていきました。二部はデュエット。直子さん、お母様お二人の演奏は優雅な音色から最後には力強く盛り上り、私達はハープの魅力を十分堪能することができました。

153号 教会音楽祭に参加して  田宮繁子

153号 教会音楽祭に参加して  田宮繁子


 「主を讃美し、ともに歌おう。」の思いを寄せ集め、故内藤先生が発起人となって始められたこの音楽祭も今年で十二回目になりました。十四の教会が各々の教会の雰囲気を合唱や合奏で披露しました。若い人達の元気な演奏や陶製のベルの涼やかな響きなどは特に会場の人々を魅了しました。


 プログラムの半ばで、内藤先生を偲ぶひとゝきがあり、奏楽「バビロンの流れのほとりに」の曲が静かに流れますと、先生の旧約の世界への深い想いと高いものへの信仰とに心を揺り動かされました。メッセージは横浜明星教会の川又志郎牧師が内藤先生のお人柄と、教区議長としての重責の中で常に主にあって一つになることを祈っておられたこと等を話されました。続いて、私達の聖歌隊が先生を偲びつゝ讃美歌「主のひつじかい」と、先生がいつも私達に語っておられた言葉通りの「こころを高くあげよう」の二曲を力強く歌いました。


 御心ならば、この音楽祭が教区の様々な状況にある教会を理解し合う場として用いられます様にと願いつつ帰途につきました。

170号 聖歌隊夏季練習  山口

170号 聖歌隊夏季練習  山口




 去る八月十八日(日)午後、聖歌隊メンバー十五名の参加で夏の特別練習が行われました。


 毎年八月になると、日曜礼拝の後皆で一緒に昼食をとり、その後たっぷり時間をとって集中練習を行うのが恩寵聖歌隊の慣しとなっています。その時はいつも滝口亮介さんが来て下さり、秋の教区音楽祭に向けて参加曲の特訓…というのが通例でした。


 今年は「歌う」ことを中心に、特にハーモニー感覚を学べたらと、取り上げる曲をガラリ一変させ、中学の音楽教科書より二曲「遠い日の歌」「時の旅人」としました。滝口さんは、音楽授業の現場で子供達がハーモニーの美しさを自然に感じとり、又積極的に歌に参加するようになったこの二曲を使って私達を指導して下さると同時に今の中学生の音楽感覚にも触れさせて下さいました。


 おじんおばんコーラスと云われて長い恩寵聖歌隊、この半日は気分若やぎ懸命に新曲に挑戦しました。美しいメロディやハーモニーを感じても、それを十分に表現するのはなかなか大変でした。この日の新しい経験がこれからの聖歌隊の練習や活動に活かされていきますように。


(山口)

171号 教区音楽祭参加記 (山口)

171号 教区音楽祭参加記 (山口)


 去る十月二十七日(日)午後二時より、明治学院大学横浜校舎チャペルにて第15回教会音楽祭が開かれました。私達恩寵教会聖歌隊は会場が戸塚の丘陵地にあり交通が不便なので、今年は何台かの車に分乗して出かけました。前もって道順の下見はしてあったのですが、大船近辺の車の渋滞を計算に入れていなかったため大変遅刻をし、プログラムの順番を繰り下げてもらうということになりました。大失敗の巻…です。


 参加教会は今回十六。毎年それぞれの教会が持ち味をいかして讃美していますが、今年は、岸本牧師を天におくり、悲しみの中から参加された紅葉坂教会聖歌隊の讃美に、三年前の私達の思いがよみがえり、とりわけ心にしみわたりました。


 この音楽祭ではいつも最後に全員合唱があります。今回も四百人近い方達が心を合わせて讃美しました。自分の声が大きな響きの中にとけ込んでいくのを感じて「あゝ今年も参加できてよかった」と感謝の気持ちがあふれました。
(山口)

挿絵あり

194号 「聖歌隊夏の特別練習」 山口

194号 「聖歌隊夏の特別練習」 山口


 毎年夏の日曜日の午後、滝口亮介さんを迎えて行われる特別練習が、八月二十日(日)、皆で昼食を共にした後始まりました。練習曲目は三曲。十月奉仕曲と、この秋の教区教会音楽祭参加曲二つ。


 現在恩寵聖歌隊は山本敬、吉田吉彦両兄を天に送り、男性の人数が少なく選曲に苦労しています。そこで今回亮介さんに第Ⅱ讃美歌の中の一つを私達のメンバーで歌えるよう編曲を依頼しました。その曲を中心に、歌うための基本である呼吸と発声、そして曲の構成をつかんで歌うこと等普段はなかなかできない充実した練習が三時まで続きました。亮介さんの指導は大変楽しく、歌う私達は普段以上の力が引き出され、コーラスの厳しさと楽しさを私達なりに経験することができました。この成果がこれからの練習や奉仕に活かされていけば大変嬉しいのですが…。


 だんだん高齢化し、声が出にくくなってきた恩寵聖歌隊を支えるものは神讃美の心、つまり信仰ですよと、後日電話の折亮介さんに云われたことでした。

208号 “教会コンサート”報告 音楽委員 原節子

208号 “教会コンサート”報告 音楽委員 原節子


 十一月九日(日)礼拝後三時より会堂一杯のお客様を迎え第九回鎌倉恩寵教会コンサートを開きました。今年は「モツアルト・カッツエ」のチェロリストでいらっしゃる雨田光弘氏とピアノ伴奏者に雨田のぶ子さんをお願いし、会堂にピアノが備えられて初めての音楽会で“チェロリサイタル”を鑑賞致しました。


 プログラムは、ヴィヴァルディのソナタ第五番、JSバッハのソナタ第三番、休憩をはさみベートーヴェンのソナタ第一番、メンデルスゾーン無言歌、サンサーンスの白鳥、エルガーの愛の挨拶と美しく格調高い演奏を堪能致しました。


 雨田御夫妻の息もピッタリで心地よい音色にアンコール曲バッハのアリオーソの余韻にひたりながら四時半演奏会が終りました。


 休憩時間にはホールで雨田画伯のネコのカレンダー・レターセット等買ったり、演奏後階下で夫妻を囲みお紅茶、クッキーをいただきながら楽しい懇談の時を過ごす事が出来感謝でした。
音楽委員 原節子

213号 讃美歌21録音について 田宮繁子

213号 讃美歌21録音について 田宮繁子


 四月より「讃美歌21」に移行しましたが、もうお馴れになりましたでしょうか。文語体から口語体に、新しいリズムや言葉遣いに戸惑いを覚えておられる方も多いのではないでしょうか。


 「讃美歌21」には、様々な状況下にある世界各国の人々の叫びや祈りが多く集め加えられたことにより、連帯感を強め、共にキリストにある喜びの広さと深さを示しています。新しい時代にふさわしい讃美歌になるべく早く親しんでいただく為に音楽委員の有志によって教会オリジナルのカセットテープを作りました。第一巻は旧讃美歌になかった新しい曲で礼拝に使用し易い21曲を収録しました。


 真夏の七月から練習と録音を重ね、昨年新設された音響設備に助けられオルガニスト、指揮者、録音担当者、聖書朗読者、そして六名の女声コーラスによって漸く完成しました。


 皆様が「21」による讃美を心から捧げられますように、その一助となればと願いつつ第二巻、三巻へと続ける予定です。ご期待ください。


 お入用の方は実費三百円でお領けしています。受付までお申し出ください。
(田宮繁子)

223号 聖歌隊指揮者に就いて 宇治田眞子

223号 聖歌隊指揮者に就いて 宇治田眞子


 昨年の八月二二日、聖歌隊の「夏期集中練習」が礼拝後開催されました。


 秋の教区音楽祭で歌う曲の練習が主な目的でした。毎年この日は滝口亮介さんが御指導されていますが、御都合が悪くて急きょ私に指導して下さいとの依頼でした。それまではメンバーの一員として歌わせていただいていましたので、とても驚くと共に責任を強く感じました。転会して1年余りで皆様のお名前もまだすっかり覚えていない状態と、礼拝後の三時間で良い成果を上げる事が出来るかどうかが不安でした。そして思い付いたのがハワイの名曲「アロハオエ」を歌いつつ身体と声のウォーミングアップをしてみるという事でした。リラックスして喉を温めるという事です。


 そして当日、菅根先生や指方神学生も御一緒に参加して下さり、一、歌う時の息の仕方 二、声をだして喉を温めるという練習 三、教区音楽祭参加曲(滝口さん編曲)の練習等のプログラムで、楽しいお茶の時間をはさんで「歌う午後」となりました。教区音楽祭ではこの練習が土台となって明治学院大学の礼拝堂に美しい響きを残すことが出来たと思います。今でも私の耳に曲の最後の男性の声が残っています。


  その後私は聖歌隊の正式な指揮者としてご奉仕させていただく事になりまして今に至っています。聖歌隊員の奉仕の内容は毎月第四主日礼拝中での讃美歌合唱、クリスマスの礼拝や祝会の時の合唱そして外に向かっては七月の東湘南地区教会音楽祭、一〇月の教区音楽祭、一二月の鎌倉市民クリスマス音学会の参加等です。限られた練習時間の中で讃美歌二一の中からその時に相応しい曲を選んで練習するという事は追われるような気持ちになる事もありますが、こんなに多く讃美する機会を与えられている事を思う時、幼子のようになって「喜び」たいと思います。教会で歌う事について国立音大助教授、そして讃美歌委員でいらっしゃいます高浪晋一先生は「信徒の友」六月号で次のようにおっしゃっています。


「一人より二人、二人よりみんなで心を合わせて歌う時、その『息』から生まれた振動はより確かな倍音を生み、そこにいる人を包み祈りの気持ちを強めて一つにし、私達の勇気を倍加してくれるのです。まさに歌うことによってしか生まれない神との霊的な応答です」


 私が大学に入学し音学の勉強を始めた頃、指揮法の授業で先ず教えられましたのは「グレゴリア聖歌」の指揮の仕方でした。米国より宣教師そして音学教師として来日されていた故デビット・ラーソン教授の授業でした。それまでの私はテクニカルなオペラのアリアを歌う事を第一目的にしてまいりましたので、先生の指揮で「グレゴリア聖歌」を歌った時、何と自然で、きばらなくて、そして息と声が何か不思議な糸であやつられるような今迄感じた事がないような体験をした事を思い出します。


 「息をする事」は「生きて」いる事、吸った息が一瞬のうちに美しい声となって口から発せられる不思議さ、学習してきた音学知識を全て一度原点に戻さなくてはならない思いでした。「讃美歌二一」の中にはこの様な曲も多く含まれております。「なじめない」と思われる前に、先ず御一緒に声を出してみませんか。病床の方も車椅子の方もゆっくりと歌っているうちに、うっすらと汗をかくでしょう。


 八月二七日(日)の今夏の特別集中練習日には、ヴォイストレーニングの曲として素晴らしい曲を用意いたします。滝口先生の讃美歌の御指導も予定されていますので、きっと楽しい「歌う午後」になると思います。皆様の御参加を心からお待ち申し上げますと共に、今後もどうぞよろしくお願い申し上げます。

225号 聖歌隊への便り「編曲についての雑感」滝口亮介

225号 聖歌隊への便り 「編曲についての雑感」滝口亮介


 だいたい七月初旬頃に、山口みどりさんから聖歌隊の件でお電話をいただきます。そのお電話一本が「もう夏か…一年経つのは早い」などと、私にとってはとても貴重な季節感を覚えさせてくれるものです。それを味わってすでに何年経ったのでしょうか。恩寵教会聖歌隊の皆様、毎年、私をお呼びくださり、なにか里帰りに似た嬉しさ、懐かしさを頂きありがとうございます。編曲もついでにやらせていただき感謝いたします。


 私の編曲は実のところ、かなり無茶苦茶です。何が無茶なのか一言でいうと、合唱のための編曲なのに器楽的な発想で旋律の重なりを構成していくものですから、皆様が音取りに苦労することは必至でしょう。さらに喰えないことをもう一つ付け加えるならば、場違いなテンションで構成してしまうと言ったことでしょう。例えば今年編曲させていただいた「主が受け入れてくださるから」に至っては、何と「主」を「恋人」がごとく粗末に扱い、さらに悪いことに「恋心的情念の高まり」をもって盛り上げようとするところなどはもう、穴があったら入りたいといったものです。しかし、作業中はそのような不埒な感覚は一切ありません。あくまで作業結果を振り返る上で、編曲者自身がそのように受け取れてしまうといったものです。音楽は一人歩きするものだとよく言われます。この曲に関して必ずしも「恋心的情念」を感じる方々ばかりではないのだ、と、自分を慰めております。今年の教区教会音楽祭のプログラムを見ると、とても興味深い曲目が数多く存在するのだなあ、とつくづく思います。特に邦人のオリジナル作品については、構成音や、創作経緯を知りたいものです。また、アフロ・アメリカン・スピリチュアルやゴスペルソングを採り上げている教会は、どの様にその曲に取り組むのだろうかと興味津々です。教会音楽もこれからは大いに変わっていくことだろうと思います。現代における信仰的な音組織や旋律構成とはいかなるものか最近考えるようになりました。今まであまりそのことについて突っ込んでいなかったのに、最近の私の関心事の一つとなっています。その意味でも、恩寵教会聖歌隊にかかわることのできる幸せをいつまでも続けられるように、大いに勉強を重ねて参りたいと思っております。

232号 第十一回教会コンサート「声のささげもの」 田宮繁子

232号 第十一回教会コンサート 「声のささげもの」 田宮繁子


 昨秋十一月十一日(日)午後行われた、教会主催のコンサートは第十一回目となる。当日は大変穏やかな日和となり、毎回楽しみに参加される方で満席となり、急遽、椅子を追加するほどであった。(入場者百十三名)


 今回は「声のささげもの」と題し、混声合唱団「カンマーコア湘南」が新進気鋭の指揮者、大谷研二氏によってイタリア、ドイツ、イギリス各国の中世から現代に亘る教会音楽を、山口みどりさん伴奏のコーラスと、濱裕子氏のオルガン演奏で行った。


 この合唱団の目標はよい音作りと伺い「さすが」と思わされた。活気の中に繊細さを秘め、時には神に向かう情熱さえ感じる音の響きが、会衆を包み演奏者と一つとなって神から贈られた美しい曲、美しい歌声を再び神に捧げる思いがした。また会堂と一体感のあるオルガンを濱さんが豊かな技で用いてくださったことも大きな感謝であった。この会の為に一年前から準備をはじめ、出演依頼、日程調整、ポスター、ちらし作り、案内発送等、全て手作りであったことがお客様から「温かで心和む」と言われるのでしょう。今回も終演後おいしい手作りケーキと紅茶で懇談のひと時。無事の帰途を祈りつつ終了した。

236号 聖歌隊夏期集中練習 荒井かおり

236号 聖歌隊夏期集中練習 荒井かおり


 八月二十五日(日)礼拝後、聖歌隊の夏期集中練習が行われました。


 前半は、宇治田眞子さんのご指導の下、J・S・バッハの「マタイ受難曲」のコラール三番と四〇番に取り組みました。メロディーは、普段私たちが用いている讃美歌と同様、比較的親しみ易いものです。歌詞はカタカナで読み仮名をつけたものをコピーして下さいましたので、ドイツ語に馴染みのない方も抵抗なく歌えました。各パートの音とりと歌詞づけを数回繰り返し、高音部の発声のコツなどを丁寧に教えていただいた結果、何とか少しずつかたちになっていったように思います。


 後半は、滝口亮介さんにご指導いただきました。曲は、「讃美歌二一」の五三一番「主イエスこそわが望み」を滝口さんが自らアレンジしてくださったもので、バッハとは別の意味で面白い曲でした。個性的でダイナミックなご指導のお陰で、かたちが整って行くにつれて、楽しみながら歌うことができました。


 夏の午後、充実したひとときを与えられ心より感謝しております。今後も美しいハーモニーを楽しみながら、十分に練習を重ねて、受難週、教区教会音楽祭で賛美の奉仕をさせていただきたいと思っております。

270号 はじめての聖歌隊コンサート  (朝倉万喜子)

270号 はじめての聖歌隊コンサート  (朝倉万喜子)


 「教会創立四〇周年記念に恩寵教会聖歌隊のコンサートをやらない?」との声が上がったのは一年三ヶ月前のこと。(諸手をあげて)「賛成!賛成!」との声は聞こえず、「出来るのかしら?」との戸惑いの方が聖歌隊の方々の胸の内にあった、というのが本当のところでした。練習は始まりました。毎週土曜日です。忙しい方も多く、一月に最低二回は練習に出てくださいとの事。最初の中は自分の先約優先で練習を時々休んでいた私たちも秋が過ぎ、クリスマスも終わると暢気に構えてはいられないとの気分にせかれ、真剣に練習に臨むようになりました。冬の日は短く、練習を終え帰りの道は暗く、冷たい風に首をすくめましたが、私たちの心はとても熱くなってきました。曲目は賛美歌、賛美歌21、それに聖歌隊が出来てこの三〇年間、教区、地区の音楽祭で歌ってきた滝口亮介兄編曲によるものから七曲が選ばれました。滝口亮介兄編曲による曲は美しいけれど難しい、第一部の最初にアカペラで歌った「心を高くあげよう」は最初の練習から最後までOKをいただけませんでした。


 さて当日、白いブラウスに黒のロングスカートを身にまとい、お化粧も直して頂き、晴の舞台です。会堂に入ったとたんお客様の温かい眼差しと応援してくださるムードに緊張していた気分も和らぎ、第一部、第二部、アンコール(?)のアヴェ・ヴェルム・コルプスまで本当に楽しく歌わせていただきました。この日の為、休むことなく指導にあたられた宇治田姉、平野姉、伴奏の山口姉、遠方より何度も足を運んで下さった滝口兄に心から感謝申し上げます。


 当日は勿論、準備段階から沢山の方々の働きがありました。ポスター、プログラム、会場準備、受付、整理、接待、… これらの方々のお力があって聖歌隊は初めてのコンサートを開く事ができました。全てに感謝です。(朝倉万喜子)

271号 聖歌隊コンサート 滝口亮介

271号 聖歌隊コンサート 滝口亮介


 四〇周年コンサートが盛会のうちに行われたことがとても嬉しく思いました。恩寵教会聖歌隊の皆様には感謝の気持ちで充たされています。
 その感謝の筆頭には先ず皆様が私の編作に対して敬意を表してくださったことがございます。プログラムに載せていただいた作品は約二十年もの経過の中で作られており、当然ながら若気の至りと申しますか妙に力の入ったものやら、到底合唱しづらい器楽アンサンブル系のヴォイシングやら様々な難題が内在します。それらに対して「ウ〜ン難しい」とおっしゃりつつも音取りに専念して最終的にはしっかりとした音程で表現してくださったわけです。私の編作に敬意の念を抱いてくださったなどとは私自身の能天気な解釈にも思えますが、編作者としては我が子同然のごとく愛着がある訳でして本当に感謝感激感動。改めて心より御礼申し上げます。


 感謝のもう一つはその「難しい」ものの音取りを終始ご指導くださった宇治田さん、山口さん、平野さんの粘り強さです。これについては心底敬意を表する次第です。以前、中学生を指導しておりましたのでこの作業の並々ならぬ大変さを承知いたしております。奇跡としか言い様のない児童生徒の名演。そこには必ず「指導者」の質的なものが影響を与えてます。子どもももちろん努力を、しかし指導者がポイントを絞って努力させるからこそ奇跡的な表現となるのでしょう。聖歌隊の皆様の表現にも当てはまるところがあります。ご指導に当たられた御三方と皆様方の信仰心という結びつきが難解とされる音取りを可能にし、編作の理念を正当に評価して表現にまで熟成させてくださったと思えます。


 コンサート後、聖歌隊の数名のお方から感謝のお手紙を頂戴いたしました。こちらこそ感謝です。音楽とは人種の違いや身分・立場の違いには無縁に理屈抜きに人間と人間をつないでくれる、そんな本質をしっかりと再確認できたコンサートでした。

271号 聖歌隊コンサート スタッフとして 安岡純子

271号 聖歌隊コンサート スタッフとして 安岡純子


 静まりかえった会堂に美しい歌声が響き渡った瞬間、ほっとした心の中に熱い思いが湧き上がってくるのを憶えました。舞台の上では聖歌隊の方々の輝いた顔と指揮者の包みこむようなやわらかな手の動きが私の目をとらえました。なつかしい讃美歌。滝口兄編曲による明るく弾むような楽しい讃美歌。オルガン、ピアノ、オーボエの演奏。あっと云う間に時が流れて行きました。


 この度、思ってもいなかったステージマネージャーと云う役目の仕事をいただき、どんな仕事か、何をやったらよいのやら色々と考えてしまいました。(本当はゆっくりと友人と聴くつもりでした)でも平野姉の持ち上げ上手な(ゴメンナサイ)言葉と、元来ののんきな性格から、なんとかなる、皆さんが困ったことがあったらお手伝いをすればよいとの思いで引き受けました。リハーサルを見せていただきました時、顔全体を明るくした方が素敵になるように感じ、少々お化粧をさせていただこうと考えました。当日、皆さん嬉々としてお化粧を受けて下さり思ったとおり明るくなり、白いブラウス黒いロングスカートが良く似合う堂々とした聖歌隊員に変身したのです。そして友人から“合唱もすばらしかったけど、皆さんとても若々しくおきれいね”と云われ、とてもうれしかったです。コンサートのスタッフの一人として、かかわらせていただく事が出来たこと心から感謝いたします。

299号 東日本大震災被災者支援 チャリティーコンサート『祈り』 宇治田かおる

299号 東日本大震災被災者支援 チャリティーコンサート『祈り』 宇治田かおる


2011年3月11日の東日本大震災。テレビでは信じられない光景が毎日のように流れました。病院の廊下にまであふれる負傷した方々を見るたびに、私はなぜ医者か看護師にならなかったのだろうか、なぜこの方たちに何かをしてあげることすらできないのか、と無力な自分に失望して人生の選択を誤ったことを後悔していました。そのような中、ちょうど震災から1か月後の4月11日に鶴岡八幡宮で復興祈願祭があり、足を運びました。八幡宮で荒井牧師が祈祷される姿は大変な衝撃でした。また、多くの方が祈るために集まっていらしたことに励まされる思いがしました。どんな人にも祈ることが与えられている。それがなんと素晴らしい恵みであるかを、恥ずかしながらその時やっと気付いたのでした。宗教を超えて、人として祈る、無力の私でも祈ることができるということは、本当に幸いであると感じました。そこで、もっと祈る機会を作れれば多くの方が参加して下さるのではないかと思い、祈りとコンサートを合わせることを思い付きました。コンサートという名目であれば寄付金も募ることができ、また、教会で祈るということに慣れていない方も足を運びやすい。すぐに荒井先生のご相談させていただいたところ、快くご協力を引き受けてくださいました。本当に感謝しております。恩寵教会のご後援を頂戴し、礼拝堂で開催させていただきましたことを深く御礼申し上げます。こうしてチャリティーコンサート「祈り」が2011年7月よりスタート、2012年3月までほぼ毎月全8回開催いたしました。パイプオルガンの前奏に導かれて「祈る」時間を持ち、その後プロの多彩な演奏家によるコンサートという内容です。荒井先生のお取り計らいで、他教会の牧師先生方に祈祷をしていただきました。また、素晴らしい演奏家の皆様も快くご協力をしていただき、多くの温かいお心に触れる機会となりました。恩寵教会の皆様にも多大なるご協力をいただきまして、心より感謝しております。震災から1年目の全8回分の寄付金、総額831,715円は全額日本YMCA同盟を通して寄付させていただきました。2年目は2012年10月と2013年3月の2回の開催、コンサートだけではなく朗読や講演を加えました。第9回は被災した子どもたちの作文の朗読を紹介、185,478円をあしなが育英会の東日本大震災津波遺児支援に寄付いたしました。第10回の3月9日は岩手から復元納棺師の笹原留似子様をお招きして講演をしていただき、津波により損傷の激しいご遺体を復元するボランティアをされたお話、ご家族を亡くされた方たちのお別れの現場でのお話に、お客様の多くが涙を流されていました。この回の寄付金は318,826円となりまして、笹原様のご活動「こども夢ハウス大槌」ほか支援活動に全額寄付させていただきました。皆様からの温かいご寄付は、「祈り」と共に被災地の皆様のお心に届いていることと信じております。本当にどうもありがとうございました。

291号 第14回 鎌倉恩寵教会コンサート 佐々木美和子 

291号 第14回 鎌倉恩寵教会コンサート 佐々木美和子 
<やすらぎを祈りつつ>
             佐々木美和子


 10月30日(日)午後礼拝堂で、品川聖さんによるヴィオラ・ダ・ガンバのコンサートが開催されました。
 桐朋学園大学音楽学部古楽器科を卒業後、ベルギーのブリュッセル王立音楽院を首席で卒業された34歳の若い演奏家のコンサートでした。ヴィオラダ・ガンバはチェロの前身のような楽器です。バッロック時代には無くてはならない重要な楽器でしたが、今ではあまり目にする機会がありません。ガンバとはイタリア語で脚を意味します。チェロの様に支えの棒がなく、膝に挟んで演奏します。弦の数もチェロより2~3本多く調弦も違います。
 ヴィオラ・ダ・ガンバの音色は暖かく豊かで、コンサートの冒頭の音から秋の午後の礼拝堂はその音色と響きに包みこまれました。プログラムは「アメージング・グレイス」から始まり、作曲家自身もヴィオラ・ダ・ガンバの演奏家だった、バッロク時代後期に生まれたアーベルの作品を5曲。品川聖さんが編曲したバッハの「無伴奏チェロ組曲第一番」と進み最後はスペインでクリスマスに演奏されるカタロニア民謡「鳥の歌」を演奏されました。アンコールにはグリーンスリーブスが選曲されました。コンサートの副題《やすらぎを祈りつつ》にふさわしい演奏会でした。
 終演後は階下で演奏者を囲み、多くの方がお茶とケーキを頂きながら遅くまでコンサートの余韻を楽しみました。
 教会コンサートは2年ごとに企画されていたようですが、近年は間隔が空いてしまっているようです。 教会員のためだけでなく、普段あまり教会に来られない方にもいらしていただけるように。そして若い演奏家など幅広い演奏家のためにも、礼拝堂の中にすばらしい音色が広がる教会コンサートを滞る事無く企画し楽しんで頂けるようにこれからもお手伝いしていきたいと思いました。
  

303号 鎌倉恩寵教会設立45周年記念 第15回教会コンサート “新たな歩みへ”阿部美子



303号 鎌倉恩寵教会設立45周年記念
第15回教会コンサート “新たな歩みへ”阿部美子




 11月24日、礼拝終了と同時にコンサートの会場設定が始まりました。大勢の方たちにより、手際良く演奏会の会場が整えられ、演奏者の方々は準備に入られました。幼い日、教会での生活を過ごされた方々が、現在は演奏者として各地でコンサートに出演し、また学び続けておられます。プログラムで曲目解説をして頂きましたが、それを読むと、深い研鑽を積み重ねつつある方たちであることがわかります。
 驚くことはそれだけではありません。演奏の豊かさ、温かさ、力強さ、美しさ、輝かしい音の響き、
そうした感動は、演奏会が終っても皆さんの心に、耳に残っていることでしょう。音の美しさは、前々日行われた調律の見事さと無関係ではありません。演奏者と調律の方との間で交わされた、深い信頼関係が、演奏の大事な要素であることを知らされました。
 休憩時間・演奏会終了後、そこここで再会を喜ぶ、多くの方がいらっしゃいました。思いがけない出会いに顔をほころばせる方々がいらっしゃいました。1階で開かれた茶話会でも、多くの話の輪が広がっていました。外は真っ暗なのに、部屋は暖かな空気で満たされ、明るさに満ちていました。大きな家族
がそこにはありました。会堂が豊かに生かされ、会堂に集う人々の働きが生かされた、恵みの時でした。“新たな歩みへ”向かうには、このように、それぞれの力を出し合い、ともに手を携えることが必要なのだと、あらためて実感させられました。            音楽委員会     阿部美子

303号 鎌倉恩寵教会設立45周年記念 第15回教会コンサート 平野ゆう子

303号 鎌倉恩寵教会設立45周年記念 第15回教会コンサート “新たな歩みへ” 平野ゆう子


教会コンサートの演奏者を決める音楽委員会で、ふと林利雄さんのご葬儀でピアノを弾いていたお嬢さんお二人のことを思い出しました。美穂子さんのソフトなタッチの演奏、和子さんの情熱的な演奏は贔屓目ではなく素晴らしいので推薦しました。丁度45周年の記念コンサートでもあり、世代の少し下の皆川真里奈さんのヴァイオリンも交えて、と決まりました。




私がCSに最初に関わったのが1971年~74年頃、24歳〜27歳でした。美穂ちゃん、和子ちゃんは小学生。美穂ちゃんはしっかりして作文の上手な子、和子ちゃんは冬でも半袖で元気で可愛かったです。という訳で、美穂ちゃんと和子ちゃんは私のことを保母さんみたいに「ゆう子先生」と今でも呼ぶのです。
時期は異なりますが、真里奈ちゃんは小さい時からCSに来ていて、思い出すのは大人と話ができてその内容が面白くて感心したことです。 


ただ一つ残念なのは林利雄さんにお聴かせしたかったことです。


CS教会学校 平野ゆう子


(写真キャプション)中里美穂子さん、尾嶋和子さんは林利雄さん、美子さんのお嬢さん。皆川真里奈さんは原保夫、節子さんのお孫さんです。子ども時代にCSに通われた方々です。