クリスマス

63号 クリスマスの思い出 羽田時子 

クリスマスの思い出

羽田時子


 神の時を待つこと誠に少ない者に、そして又、待ち望む心をさえ失い易い者に、年々めぐってくるクリスマスに、謙虚な思いをもって振り返って見ることにします。 雪深い北信濃の小さい町で迎えた子供とのクリスマス、その夜は降り積もった八〇センチ程の雪に、人の往来もまばらな道を、雪帽子をかぶせた二人の子供の手を引いて行けば、これこそホワイトクリスマスの世界でもあった。伝道館の薪ストーブの赤い火のまわりにお座りをして、馬ぶねの中のエスサマをお迎えした事です。「汝の幼き日に主を知るは幸いなり」と聖句にありますが、手を引かれて行った幼かった日のクリスマスを今、娘たちはそれぞれの立場と所で、思いを新しく、祈りのうちに迎えることと思います。 その夜の祝会で、ある全盲の少年が歌った讃美歌の一節が、私には終生忘れることの出来ない、尊い導きと、励ましになっているのです。それは、「歌いつつ歩まん、主をほめたたえて」世の光から全く隔絶された少年(苦しみと闘いの深さ、大きさを思えば、誰の心も痛むものを、それにも勝って、なおも歌いつつ歩まんとは、何という大きな光を、身をもってクリスマスに投げかけたことか、と。この少年のことが、今も私の心の奥深くにしっかり根づき、四十年の歳月になおも生き生きと、悩みの時にも悲しみの時にも、ひと足ひと足と、踏み出す力となっております。

63号 1973/10月

64号 クリスマスの思い出 成田静子

クリスマスの思い出

成田静子


 戦後間もない昭和二十二年頃の祝会と愛餐会の思い出を!


 食糧には特に恵まれて居ります現代には、感覚のずれたお話で、お笑い草ですけど、当時、私は受洗後の感激を胸一杯に、教会に通って居りました。食糧事情は極端に乏しく、皆がお腹をすかせていた時代でした。
 愛餐会に豚汁を出そうとの婦人部の提案に大賛成、当時まだ配給制度の貴重な野菜や調味料を、各々が持ち寄りました。台所も不備のため、青年部の奉仕で庭に石や煉瓦で即席のカマドが出来上がり、薪を燃やして野菜の多い豚汁が大鍋一杯焚き上り、器も各自持参で寒い食堂で、熱い豚汁をふうふうと啜った時の美味しかった事、青年層が割合多くて賑やかでした。中には健啖家も居られて、大きい丼に「山盛一パイ」と差出されるなど、ほほえましい光景もありました。以来私は、豚汁というと当時の事が瞼に浮びます。又、祝会では当時四才位でS・S幼稚部にお世話になって居りました末の息子が開会のご挨拶をさせて頂く事になり、受持ちのK先生が、これも当時は貴重でしたキャンデーを与えては引止めて、覚えさせて下さった涙ぐましい御努力に、当日の出来栄え如何にと、親の方が胸をときめかせて出席しました。その息子も、現在はその頃の自分と同じ年の子供を持つ父親となって居ります。
 夢の様に過ぎ去った二十五年を振り返り、その若い時代の当時を懐かしく思い出しております。


64号 1973/12月

130号 今年のクリスマス愛餐会は立食パーティで 山本敬



今年のクリスマス愛餐会は立食パーティで(130号)
山本敬


 今年のクリスマスの愛餐会は、十二月二十三日、クリスマス礼拝に引きつづき、今年はじめて、テーブルを中央にくつゝけて、その上に持ちよりの御馳走の数々を並べ、参加者は自由にお皿にとって、いわゆる立食形式で行われました。


 参加者約一〇〇名、終始なごやかな雰囲気の中で、誠に楽しい会であった。会員数がふえて、とても坐席を作って、坐って会食するのが、スペース的に不可能となり、やむを得ず立食にしましたが、とてもよかったと思います。


 小学校六年生の小沢真智子さんのバィオリン演奏、今回転入された石郷岡さん、松本さんの、夫々クリスマスの思い出話、そして受洗された岩壁真理子さん、鷲見知子さんの御紹介、等のあと、恩寵教会聖歌隊によるコーラス、“ウリエ・イウッソン”(韓国語の子供讃美歌)、“きのたまものと”の二曲が歌われました。


 教会婦人達が夫々腕によりをかけて作られた御馳走は、毎年のことながら、素晴らしいものでした。

130号 恩寵伝道所初のクリスマス 橋下恭子

恩寵伝道所初のクリスマス (130号)
橋下恭子


 一九六八年三月三日、あの緑の木々に囲まれた永松あつ子さんのお宅で、みんな緊張とおののきに近い気持で守った伝道所第一回の聖日礼拝、ああこれでよかったと思ったが約五ヶ月目位から移転先を探さなければならなくなり、家か土地を見付ける為にみんなよく歩きまわりました。が、矢野ふく子さんが入手された情報から、ここ佐助の地が与えられ、住宅つきの手頃なものなのでみんな嬉しさに泣きました。


 持主の河田さんの移転の都合でクリスマスには間に合わないところを、同氏のご好意で荷物のあるまま洋間を礼拝の場所として明けて下さった。十畳の間にはピアノが、四畳半には掘りごたつや洋ダンスのある狭い場所に七十一名(内子供三名)が膝をくっつけ肩を寄せ合って祈った感激の十二月二十二日、その上相川麗子さんの受洗という恵まれた恩寵伝道所初のクリスマス礼拝と愛餐会でした。二十六日には内藤先生が引越して来られ名実ともに佐助の地に恩寵教会の基礎が作られたことは大きな感謝でした。


 十二月二十七日にはクリスマス祝会がもたれ、何もない板の間に座ってたべたトリの足と豚汁のおいしかったこと、どなたの瞳もかがやいて見えたあの夜のこと、今は天に召された方々のあの顔、あの声、みんなみんな懐かしいことばかりです。


 一九六八年十二月は私にとっては終世忘れられない思い出深いクリスマスでした。

130号  ミニバザー報告原 節子

ミニバザー報告(130号)
原 節子


 クリスマスが近づきますと、毎年恩寵教会のクリスマスプレゼントセールと称してバザーが開かれます。


 これは十年位前から婦人の集りの主催で「展示会と不用品交換会」としてこの時期に始り、教会の建築がきまった頃は十一月二十三日(祝日)に春のバザーを小規模にした形で少しでも多く建設、献金へと張切ったのですが、年二回のバザーは大変と云う事で今は親睦を兼ねてクリスマスプレゼントになる品を並べる様になりました。


 今年も十一月二十五日の礼拝後コーヒーアワーと一緒にミニバザーを致しました。コーヒーや手作りのいなりずしを頂きながら楽しい親睦の時が持たれました。


 バザーの店もお仕事会で作りましたティッシュ入れの小箱や一匹一匹違う顔をしたネコの人形、又会員の手作りのアクセサリー、パン、ケーキ類、手編ベスト、他にお花の鉢、包紙ナフキン、献品の沢山の靴下、ボタン飾、七宝焼のブローチ等可愛い小物も並び、収益も八八、三〇〇円を建設会計へ繰入れる事が出来ました。皆様の御協力感謝致します。

130号  クリスマスキャロル 滝口充

クリスマスキャロル(130号)
滝口充


 長く続いていた暖冬の日々が一変して酷しい寒さがやって来たのが十二月二十四日。神様は粋なことをなさるものです。ぴりっと身のひきしまるような寒さこそクリスマスイヴには似合うというものです。六時からの燭火礼拝は川村姉の奏楽。吉田兄のメッセージで司会は滝口でした。今年は子ども達の為にキャンドルライトという新兵器登場。蠟燭の火のゆらめきのムードは多少不足しましたが、子ども達に持たせても紙や髪を焼く心配もなく安心して礼拝が守れました。出席者は約五十名でした。


 七時からのキャロリングは恒例により先ず鎌倉駅西口公園での鎌倉教会と合同の大合唱で始まります。電車が着く度に駅から吐き出されてくる勤め帰りの人達やタクシーを待つ列に並ぶ人達の間をクリスマスの讃美歌が流れて行きます。参加者約百名。(恩寵約四十五名)その後、CSの子ども達を共に特養静養館、鎌倉保育園などを歌って廻って教会に戻り、おば様方お手作りの豚汁に今までの寒さも吹飛んで舌鼓を打ち、解散。

130号 クリスマスの夕べ 赤木きのえ

クリスマスの夕べ 130号
赤木きのえ


 待降節に入ってから比較的暖かい日が続いておりましたのに、十五日の「クリスマスの夕」の日は生憎の冷たい一日で、果たしてどの位の方達に集って頂けるのかと懸念しながら蓋をあけたのでした。


 今年のクリスマスアピールは、アフリカ難民の子供達への寄金が誰もの希いで即座に決まりました。第二部の出し物について、最初はその対象がハッキリ掴めず、多少モタつきましたものの、滝口姉の御口添えで上田次郎先生が丁度その夜はおあきとの事で先生の絵ばなしに決定、後は去年好評を博した関東学院中・高生によるハンドベルの演奏等、細かいプログラムについては経験豊かな諸先輩のアドバイスと、沢山の方々の御協力でスムーズに決められてゆきました。


 当日の第一部、山本敬兄によるメッセージは、携わっておられる医療活動を通じての自らの証しをのべられ、選ばれたマタイ伝十章三十四節から四十二節の中に書かれてあるキリストの真の愛に触れられ、又真の信仰とは何かの問いかけをなされ、自分を愛するように隣人を愛せという事の、その隣人の意味をも問われ、自らの真摯な生き方を、又信仰の在りようを率直にのべられました。宮川姉のアピールは具体的に確かな数字を以てアフリカの窮状を切々と訴え、聴く者の心をゆさぶりました。


 第二部は宮部姉の物馴れた司会で楽しく始り、ハンドベルの美しい音色は浄らかに澄み、クリスマスの夕べを飾るにまことにふさわしいものでした。アンコールに応えての日本の祭りの曲は又、日本民族の持つ土俗的韻律とベルから流れ出る流麗な音、そしてリズムが相俟って聴く者の心を魅了しました。又、上田次郎先生のお話も、七十余才の御高令とは思えぬお声の若々しさ、お優しい語り口、黒板に絵を描き乍らの物語等々、大人の吾々をもひとときを幼い日のメルヘンの世界へと誘って下さいました。CSの方々の讃美歌、吉田姉の指導による一同のキャロル合唱、そして最后に内藤牧師のお禱りによって、楽しい夕べのひとときの幕を閉じました。当夜の献金は六萬四千余円集り、教団教育委員会を通じ、アフリカに送られる旨、宮川姉より最后に報告がなされました。ささやかなこの日の善意が一日も早くアフリカの子供達の上に届き、その乾きを潤ほす一しづくとなりますように心より祈ります。

136号 「キャロリングの報告」 北村崇郎


「キャロリングの報告」 北村崇郎


 キャロリングの習慣は十二、三世紀に始まったものらしい。しかも、原型はひと頃の銀座の馬鹿さわぎの延長のようなもので、呑んべえが騒いだものらしい。それが、十八世紀の頃になると、雪の道をこっそり歩いて、ある特定の人の家で静かに主の降誕を祝って歌うキャロリングになったようだ。人々は明りを消して、窓を明け、美しい合唱が家の中にひびくようにして、心静かにきき入ったものだ。


 鎌倉教会の方々との鎌倉駅頭でのキャロリングは、このどれにもあてはまらない。われわれのひとりよがりの「キャロリング」としか思えなかった。耳をかたむける人はほとんどなく、現代式にマイクを使って、基督者にのみ通用する言葉で主の降誕の意義を説く。来年は、こんな独りよがりのキャロリングは止めるべきだと思う。


 それに反して、特養ホームと静養館でのキャロリングは何と意義があったことか。毎日を寂しく過しておられる方々が、心待ちにして、私達を迎えて下さった。力いっぱいキャロルを歌う私たちの喜びの声は、待ち望む人たちの声と和して「大合唱」となった。これこそ、本当のキャロリングだと思った。来年もこれをやろうではないか


(136号)

148号 一九八七年 クリスマス行事報告 川田俊和

148号 一九八七年 クリスマス行事報告 川田俊和


(この第一パラグラフは削除したほうがいいかなあ、と思います)
{このクリスマスで、たいへん喜ばしいことの一つは、一人の姉妹、沢井哲子姉が受洗され、松下裕子姉と池田久美子姉が転入されたことです。クリスマスに受洗なさるとは何と恵まれた姉妹でしょう。今迄、この世の価値観に束縛されて生きてきた者が、イエス・キリストによって自由な者とされ、全く逆の方向の向って生きる出発の日を迎えられたわけです。電車で言えば同方向行きの乗り替えでなく、反対方向行きに乗ることです。全く新しい価値観を持って、自由な人生に歩み出す日が受洗のように思います。沢井哲子姉、心強く、安心して信仰の道を歩んでください。教会員全員心からお祈りしております。}


 さて、教会のクリスマスは十二月十八日の夕べ、山口みどり姉の奏でるバッハの「いずこの家にもめでたきおとずれ」の前奏で始まりました。田村兄の静かな司会で、招詞イザヤ書9章が拝読され、CS生徒の下司君、平野君の小さな手でロウソク点火が行われ、讃美歌「神にはみさかえ」の大合唱となり、塩出伝道師のメッセージがあり、集会の献金は、PHDに捧げられました。PHDはアジアの国々から有能な若者を日本に招いて、夫々の国々が豊かになるための技術を修得させて送りかえし、アジアを地道に支援する、岩村昇博士をリーダーとする会です。


 第2部は楽しく素晴らしい、CS生徒と松崎先生ほかの名演技の劇「聖夜」が上演され、続いて吉田龍夫兄によるフルート二重奏、山口姉指導の「皆んなで歌おう」、内藤牧師のお祈りで閉会。


 十二月二十日クリスマス礼拝。今年も厳粛に行われ、そのあと松本兄の司会で豊かな愛餐会がもたれました。


 十二月二十四日クリスマス・イブ。今年は先に、特養静養館、鎌倉駅前、鎌倉保育園へ、キャロリングに行き、十九時十五分から教会で燭火礼拝。吉田兄の司会で、招詞、ろうそく点火、静かな祈りの中に、聖書ルカ福音書2章の朗読、佐々木兄のメッセージがあり讃美歌一一八番の大合唱で希望の聖夜は更けて行きました。在主。


(挿絵あり)

166号 クリスマスの思い出 アーモスト館のクリスマス 北村光世



 私は京都の生れで、父が同志社中学の教師をしていたことや、学校が高校まで同志社だったことから、子供の頃のクリスマスの思い出は同志社と結びついたものがほどんどです。中でも一番古く思い出深いのは、小学校三年の十二月、同志社のアーモスト館で行われた第一回教師の家族クリスマスです。終戦後三年目ですから、暖かい部屋でローソクを灯して礼拝をし、おいしい料理を食べながらキリストの降誕を祝うなどとは夢のような話でした。でも、この夢がその夜実現したのです。姉と私は、母が自分の服を縫い直して作ってくれた新しい洋服に身をまとい、真新しい白いストッキングをはいて父につれられて出かけました。
 アーモスト館は、同志社の設立者、新島襄の母校アマースト・カレッジの名をつけたレンガ造りの洋館で玄関の白い戸にはヒイラギのリースが飾られ、クリスマスカードからぬけ出たような光景です。
 「メリークリスマス!」宣教師のグイン先生が出迎えて下さいました。なんだか恥ずかしくて父の後で小さくなって靴をぬごうとすると、「そのままで」と言われて、ビックリ。日本の家とは全然違うのです。暖炉ではアカアカと火が燃え、先が天井まで伸びたクリスマスツリーが赤や青の豆電球をつけて輝いています。まるで全てが別世界。キョロキョロ見回していると、突然電気が消えて、美しいハーモニーが響いてきました。
 「荒野のはてに夕日は落ちて」聖歌隊の白い衣がローソクの光で天使のように浮かびあがり、正面に並びました。そして物音一つしない静けさの中で、加藤校長先生の説教が低くおごそかに響き渡りました。内容については何も憶えていないのですが、この光景だけは今でも鮮明に脳裡に焼きついているところを見ると、よほど印象深かったのでしょう。
 そのあと、サンドイッチやチョコレートの入った箱が皆にくばられ、先生方の隠し芸を楽しみながら会食。最後に「雪よ降れ降れ降りつもれ…」の歌に乗ってサンタじいさん登場。プレゼントまでいただきました。でも神様からのそれにも優る贈物は、その夜の出来事全てであった、と今でも深く心に刻まれています。










184号 クリスマス・リース作り 沢辺幸子

184号 クリスマス・リース作り 沢辺幸子


 数年前、「クリスマスリースをつくりましょうか?」と軽い気持ちで云ったのがはじまりでした。それから毎年、休むことも無く続けることができました。神様のお導きと協力してくださった皆様に感謝いたします。


 材料は、杉の穂、ヒイラギモクセイの小枝、針金、リボン、麻紐、松ぼっくりです。杉とヒイラギモクセイは伊勢原の恵泉女学園園芸科へリースを作る前日に買いに行来ます。その他の材料は逗子の花材屋さんで求めました。


 リース作り当日は、七人の方が協力してくださいました。まずは礼拝堂入り口の大リースから始めます。輪にした針金に杉の穂を麻紐を使って巻き付けて土台を作ります。できた土台にヒイラギモクセイを挿してきれいな輪に仕上げます。最後にリボンと松ぼっくりを飾って出来上がり。大リース作りのあとは、個人用の小リースを作ります。作り方は殆ど同じですが丸いはずのリースが四角になったり、皆でワイワイと楽しみながら今年も無事リースをつくりました。

184号 「市民クリスマス」 山口みどり

184号 「市民クリスマス」 山口みどり


 鎌倉市内の新旧教会が合同、それに鎌倉YMCAも加わって毎年開催される「市民クリスマス」も今回は第十三回となり、昨年の十二月十一日(土)午後六時半から教団の鎌倉雪ノ下教会で八つの教会の参加により行われました。第Ⅰ部礼拝の後、第Ⅱ部では各教会聖歌隊によるクリスマス讃歌、又全員合唱も混じえ、腹話術や鎌倉ハンドベル・クワイヤの演奏があり、最后に、全員で「ハレルヤ・コーラス」を唱い大いに盛り上がりました。


 この「市民クリスマス」、そもそもの始まりは、故内藤牧師が市内の教会の中でエキュメニカルな運動に力を注いでおられ、合同の教職の集まりを作られたことに端を発しています。先生は新旧合同で何か具体的な行動をすることの一つとして「市民クリスマス」を提唱されました。それが今日に至ってるわけです。毎年まだ暑い八月頃から運営委員会がもたれ、各教会から先生方、委員が参加してその年のプログラムのアイデアが検討され、準備されます。同じ救い主を信じる者が一致して人々にその喜こびを伝えることのできるこの集いが更に発展していきますよう心から祈ります。

190号 一九九四年クリスマス報告 嵯峨道子

190号 一九九四年クリスマス報告 嵯峨道子


 今年のクリスマスは、菅根牧師をお迎えして初めて祝うものでした。十一月の第四土曜日、教会員による大掃除の後、クリスマス委員によって作られた大きなリースが会堂入口に飾られ翌日からアドベントに入りました。


 聖日ごとに一本ずつローソクの光りが輝きを増し五本目に点火された二十五日にクリスマス礼拝が守られました。それに先立ち十二月十日には、市民クリスマスがカトリック雪ノ下教会にて行われ、恩寵教会からも聖歌隊が参加し日頃の練習の成果を披露しました。


 二十三日にはCSのクリスマス祝会が、二十四日には例年のように燭火礼拝の前にキャロリングがありました。特養静養館、夕方六時半過ぎからは、西口駅前で鎌倉教会と合同でクリスマスソングを歌いました。とても暖い穏やかな夜でしたが土曜日とあって人の往来が多少すくなく道ゆく人々と共に歌うことが出来なかったのは、ちょっぴり残念でした。帰りに鎌倉保育園に寄り、その後七時半からの燭火礼拝に臨みました。聖書朗読と聖歌隊の合唱が厳かな中に繰り返され美し歌声が会堂に響き渡りました。礼拝の後、階下で豚汁をいただきながら和やかなひと時を持ちました。


 二十五日のクリスマス礼拝には会堂が多勢の出席者でいっぱいになり、二名の受洗者と二名の転入会者が与えられ又、次代を担うお二人の可愛いお子さんの幼児祝福がありました。キリストの体なる教会に連なる仲間が与えられましたことはこの上ない大きな喜びでした。牧師先生よりクリスマスのメッセージをいただき礼拝後の記念写真には喜びに満ちた顔で、全員カメラに収まりました。


 松本長老の司会で始まった愛餐会は、テーブルにのり切らない程の会員手づくりの料理が並べられ、暫くの間おいしく頂きながら本日受洗された副島さん、井沢さん、そして転入会された井戸さん御夫妻と牧師夫人のスピーチに耳を傾けました。CS生徒によるページェントは立派な衣装に身を包み、昨年の名誉挽回とばかり張り切って演じてくれました。幼稚科の羊さん達はとても可愛いかったです。一番目立ったのは何と言っても牧師先生扮するヘロデ王ではなかったでしょうか。平野さんの御主人のフルート演奏は、ページェントを一段と盛り上げて下さいました。聖歌隊の合唱に続いて最後に会員一同で「聖しこの夜」を口ずさみ心から主の降誕を祝い感謝の祈りで閉会となりました。

196号 クリスマスの思い出 クリスマスキャロルの歌声 吉田潤

196号 クリスマスの思い出 クリスマスキャロルの歌声 吉田潤


 私がCSに通うようになる数年前から小学校の低学年の頃まで、まだ教会が伝道所の時代のこと。


 クリスマスイブ、しんと静まりかえった谷戸の山小屋の様な家で、気付くと歌声がどこからともなく聞こえてきます。耳を澄ますと、はっきりと家の外で人が歌っていると解ります。両親に知らせに行き、家の中の明りを消し、用意しておいたキャンドルに火を燈し、窓を開けると、教会の方々が暗闇の中、キャンドルの光の中でクリスマスキャロルを歌っています。私達家族も加わり、夜空に歌声だけが響いていました。皆でクリスマスを祝い、お菓子などの手みやげを渡し、皆さんが次のお宅に向かって行くのを見送りました。クリスマスが来た事を何か神聖に感じながら、そして翌朝のプレゼントを楽しみにしながら、なかなか眠りにつけない夜でした。


 何年かして、CSにも通う様になり、中高生の仲間に入れてもらい、今度はキャンドルサービスに参加できないお宅を訪問する番です。礼拝の後、身支度をし、キャンドルと讃美歌を持って、何組かに分かれて車で出発します。どこのお宅でも部屋の明りを消し、キャンドルの光だけを燈し、クリスマスキャロルを歌います。皆さん本当に嬉しそうに迎えて下さいました。そしてキャロリングの後のあの温かいブタ汁の美味しかったこと。


 今思えば、あのキャンドルの暖かい光が、この世の暗闇の中に、世々の光としてお生まれになったイエス様を、そしてあの歌声が、貧しい馬小屋に導かれた羊飼や博士の、救主の誕生への祝福の象徴として、私の心にしっかりと刻み込まれているのかもしれません。

196号 クリスマスの思い出 「感動的なクリスマス」渡辺文子

196号 クリスマスの思い出 「感動的なクリスマス」渡辺文子


 一九六八年十二月二十二日鎌倉恩寵伝道所の初めてのクリスマスを迎えました。三月に永松さんのご好意でお家を拝借して伝道所として第一歩を踏み出したのですが、お家の事情で他を探すことになりました。あてがなく会員のお家を順番に廻る覚悟をしたところ思いがけなく現在の所を与えられました。引越の前に一日だけお借りして礼拝の準備をしました。普通の家屋でしたので応接間と次の茶の間の部屋の仕切りをはずして座布団を敷きつめました。六十八人の熱い思いが部屋一ぱいにみなぎり、みんな明るい笑顔でした。そして相川麗子さんの教会最初の洗礼式が行われたのです。あまりの恵みの重さに畏れをいだきつゝ深く感謝を捧げました。内藤先生のお説教は「インマヌエル」でした。私はこの先どんな事が起こっても主がともにいてくださると信じ支えとして進まねばと自分に言いきかせ祈りました。一九七五年のクリスマスは商工会議所ホールを借りてクリスマス伝道集会を開きました。舞台を飾る大きなクリスマスツリーはいろいろ飾りつけに大童でした。小さなお子さんや家族達でにぎやかに盛会でした。一九八十年まで毎年行い出席者も増えて定着してきました。等身大のエンゼルを舞台の両側に立たせたのが頭がバレーボールほどの大きさなのでユラユラしてはらはらさせられたのも楽しかった想い出です。一九八一年は新しい会堂での礼拝でした。工事中は保育園の講堂を拝借して礼拝を続け十二月二十日まで会堂は完成していませんが言葉につくせない感動的なクリスマス礼拝でした。私達はいつも助けられ支えられてきたのです。




202号 キャロリングの歌声ひびく 井戸茂行

202号 キャロリングの歌声ひびく 井戸茂行


 まっ暗な保育園の庭にペンライトの明りが灯り、「メリークリスマス」の声で子供達は一斉にベランダに姿を現わす。暗いので顔は見えないが元気な声で讃美が始まった。つい一瞬前まで部屋の隅で先生に叱られベソをかいていた子もいるだろう。友達とケンカして腹を立てたまま唱っている子もいるかも知れない。しかし皆が一つのことに心を捧げる時ひとりの悲しみや苦しみは、ほんの一時忘れ去られる。歌声が消えて部屋へ戻れば、先程迄の現実が一人一人を待っている。神様の下さった「ホッと一息」を子供達は味わいまた元気にケンカも始めるのだろう。


 例年に習い西口駅前でのキャロリングの輪に一人二人と通りすがりの方も加わって下さる。私達も又この方々も各々に全く違った重荷を引きづりながら歩き、そして束の間のキャロリングで神様を讃美する。その一瞬の時、大きな声で歌を唱うことに心を捧げている時は、日常のつい先程までの思い悩み、苦しみ、悲しみを少しだけでも主にお預けすることが出来る。ペンライトが消え歌の輪が散って行くと、また私達は現実に引き戻される。だから讃美し続けたい。だから祈る時が嬉しい。そして礼拝している時が感謝なのだ。


 神様に心を捧げていると、私達はその一時各々の重荷を主にお預けすることが出来る。「普段自分にばかり心を捧げているから苦しいのだよ。」と神様が私に囁いて下さった今年のキャロリングの夜だった。感謝。

202号 燭火礼拝で演奏して(中二)皆川真里奈

202号 燭火礼拝で演奏して  (中二)皆川真里奈


 十二月二十四日は満月でとてもきれいな夜でした。私はバイオリン演奏準備のためCSの皆が参加した三角公園等でのキャロリングにでられなくて、とても残念でした。


 教会での燭火礼拝での礼拝堂は多くの人達が一つずつ小さなローソクの灯を持って集まり、前日のリハーサルの時の、向かいの人の顔も見えないような時とは、比べものにならないほど明るく、あたたかい部屋となりました。


 そんな中で、讃美歌や、フルートの演奏や、聖書の朗読、お祈りを聞いていると、教会が楽しい集会所、あるいは大きな家のように感じられるようになりました。


 礼拝の最後にフルート奏者の平野氏と一緒に拍手をいただいた時、その後、戸口近くにいた私にたくさんの人達に声をかけていただいた時は、はずかしいながらも、とてもうれしく、光栄に思い、神様からの最高のクリスマスプレゼントだと感じました。


 後、とん汁も、おにぎりも(あれは何のおにぎりだったのでしょうか。茶飯かな。)たいへん美味しかったです。とてもあたたまりました。


 最後に、オルガンで素晴らしい伴奏をしてくださった山口みどりさん、フルートの演奏をして下さった平野さん、色々と声をかけて下さった皆様、とん汁やおにぎりを作って下さった皆様、そして、絶好の演奏の場をあたえて下さった牧師先生、そして、私の演奏に耳をかたむけて下さった皆様にあつく、御礼申し上げます。

208号 レンズから見る恩寵教会・クリスマス 山内一郎

208号 レンズから見る恩寵教会・クリスマス 山内一郎


 本題に入る前に、昨年のクリスマス礼拝後の記念撮影について、ひと言お詫びを申し上げます。これまでは照明を使用し、後の方の方まではっきりと写るようになさいました。今回もこれまで同様にと、いろいろ努力しましたが、不出来なものになり申訳なく存じております。どうぞお許し下さい。


 さて、写真は趣味程度ですし、当教会の会員に加えて頂いてからなお日も浅く、とても皆様のご批判に耐える程のものはなく、敢えて愚考を申し上げる次第です。


 一方、光がレンズを通して画像を造る、いわゆる写真はなん秒分の一の瞬間に被写体を把えるもので、加えてカラー写真になってからプリントの調整技術が進んで、画像の表現を操作できるようになりました。ですから、写真は事実を、ましては真実を表現していないと思っております。しかし瞬間的な事実は一種の記号として残してくれるものと考えております。


 これまで当教会の歩みの参考になればと、折々に皆様の肖像権を犯して撮らせて頂いて参りました。


 教会も独立した組織を形成し教団や教区という上位の組織に組込まれております。したがって、そこには当教会なりの組織風土(組織としての思考様式や行動様式)があります。


 そこで、前述の撮影の機会に、レンズを通して当教会の組織風土を見てきたことになります。そこで際立ってレンズが把えておりますのは、当教会組織を更に細分化した小集団活動でありましょう。この活動(奉仕)は狭い空間を巧みに利用し、コミュニケーション・ネットワークのもとに、協働してそれぞれの行事を見事に創り上げて盛り上げていく。その最たるものが、クリスマスの一連の行事であると思います。


 そこに表わされているのは、教会員の持つ様々な価値観を、当教会の姿勢に沿い、さりげなく統合し、明るく、優しい気配りをなさる多くの方々が、ほのぼのとした風土を形成しているものでありましょう。


 今後も機会をとらえては撮らせていただきます。できるだけ皆様のお邪魔にならないように。どうぞよろしくお願い申し上げます。


 当教会に主の豊かな恩寵がありますように。

214号 クリスマスの思い出 浜本真理

214号 クリスマスの思い出 浜本真理


 私の記憶にあるクリスマスを一番遠いところまで遡っていくと、ある音楽礼拝に辿り着きます。確か海老名かどこかのホールで行われたオーケストラを交えての礼拝だったように覚えています。そしてその礼拝こそが私の初めてのキリスト教との接触でした。小学校にあがったあがらないかの時分のことでしたので、礼拝の内容は少しも残っていないのですが、周りにいる大人たちの祈る姿は心象風景に焼きついています。恐らく目に見える対象に向かってではなく、変哲もないホールの中で目に見えないものに向かって祈るということが不思議に感じたためだと思います。また同時にひどく厳かな雰囲気も肌で感じたように記憶しています。この十数年後、私がイエス・キリストを信じて同じクリスマスの時に洗礼を受けるなどとは神以外、この時点では誰も考えもつかなかったことです。


 クリスマスの思い出を違った角度からもう一つ。我が家には毎年サンタクロースが訪れます。鎌倉に越してきたのは小学校四年の時分だったので、既にサンタクロースは卒業していたのですが、その裏をかくようにプレゼントは家の門に掛けられていました。もちろん両親からのものではありません。一体誰が?と数年家族中誰も分かりませんでしたが、ある時、そのプレゼントの中身から言ってどうもお向かいのKさんに違いない、ということになりました。といっても現場を目撃した人は誰もいませんが。今年もプレゼントがありました。プレゼントそのものも嬉しいのですが、ありがとうも言われないのにそっと置いていくKさんの心が私には尊く思えてなりません。いつか私も謎のサンタになろうと思ったりもするのです。

220号 日本のクリスマス アメリカのクリスマス 北村洋

220号 日本のクリスマス アメリカのクリスマス 北村洋


 「アメリカで過ごしたクリスマス」を思い出してみると、一つ忘れられない経験がある。二年前の秋学期、現在留学中のウィスコンシン大学で歴史の授業の助手をしていた僕は、クリスマス・イブだというのに、期末試験の採点に追われていた締め切りが二日後に迫っていたからだ。
 気がつくと、時計は夜八時をまわっていた。気分転換もかねて、車で二十分ほどのところにある二四時間営業のスーパーへ行こう、と思い立った。
 車で街の目抜き通りを通りかかると、いつもとは違って人がいない。休暇中なので学生は当然いないのだが、街の人たちもほとんど見あたらない。ショッピング。モールに着くと、目当てのスーパーはおろか、終日開いているはずのドラッグストアやガソリンスタンドもすべて閉まっていた。雪の薄く積もった無人の駐車場で、「これがアメリカのクリスマスなんだ」と我に帰った。
 日本ではクリスマスになると、都会の盛り場は若い男女でごったがえす。店先ではお決まりのクリスマス・ソングがながれ、「ロマンティックな聖夜」が演出される。毎年、レストランやホテルは予約で一杯になるという。しかし、アメリカのクリスマスは若いカップルに限定された行事ではなく、世代を超えて家族や友人が集う家庭のお祝いだ。したがって、遠方より親子、兄弟、友人、親戚が集い、一つ屋根の下で食事や団欒を楽しむ。もちろん、その日は店は閉まり、街からは人込みが消えてしまう。クリスマスの祝い方が、日本とアメリカの間でこれだけ違うのか、と驚いてしまう。
 ただ、今日アメリカで見られるクリスマスの祝い方は、かなり最近確立したものだそうだ。ピューリタンたちがニュー・イングランドにやってきた十七世紀のアメリカでは、クリスマスになるとどんちゃん騒ぎが行われ、治安が悪化したらしい。そのため、地域によっては祝うことが禁じられた。家族を主体としたクリスマスは、十九世紀半ばになって初めて成立したのだと聞く。
 そう考えると、一口に「クリスマス」といっても様々な過ごし方があることがわかる。日本やアメリカ以外では、どのようにこの祭日を祝うのだろうか。興味深いところである。

225号 クリスマス用品セールのお知らせ 菅根洋子

225号 クリスマス用品セールのお知らせ 菅根洋子


 来る一一月二六日(日)収穫感謝合同礼拝後、例年のように、クリスマス用品の販売を行う予定です。このクリスマス・セールでの売り物をただ今、有志で製作しています。


 月に一度礼拝の講壇のお花を活けて頂いている井村さんのご指導のもと、お友だちの松尾さんと共に、子育て中の時間を縫って集まって作業を続けています。今年は、シックなイメージを大切にした、ザルツブルガーガーランド(ドイツ風ミニ壁飾り)、可愛らしい星形の飾り物などを製作しています。また、山本メグミ作ブローチも、数点予定しています。


 皆様、どうぞ、クリスマス・プレゼントなどに、ご用立て下さい。どうぞ、楽しみにお待ち下さい。

226号 アラビヤのクリスマス ジェイコブソン俊子



 ここアラブ首長国連邦ドバイはイスラム教徒の国です。クリスマスとは少し縁遠い所で、今年は断食の時期にあたり益々クリスマスどころでは、と言うのが表向き。しかし探してみると、ホテルはクリスマスイベントが目白押しですし、ショッピングセンターには本物のツリー、リース、ライトまで様ざまな物が店頭に置かれています。サンタクロースに会える所もあります。それもそのはずこの国の全人口の七〜八割はインド、パキスタン、フィリピン、他のアラブ諸国と西洋人を始めとする外国人労働者なのです。ですから色々な人種が亜集まれば他宗教も小規模ながら存在します。プロテスタントやカトリックの教会も政府が割り当てた敷地内で活動が行われています。
 さて、個人ではと言いますと、西洋人らは母国へ一時帰国したり、または親族が尋ねてきたり、家族一緒に過ごすよう努力しているようです。それが不可能な者たちは、お互いに誘い合い異国で寂しくないよう精一杯アットホームなパーティーを行っています。先日、アメリカ人のお宅に招かれた際に驚かされたのは車庫から天井まで全て飾りで埋め尽くされておりました。しゃわーカーテンもでした。また我家は複合住宅地なのですが、皆さん玄関先にリースやポインセチアや、クリスマスライトを飾り各々のスタイルで主の誕生を一生懸命お祝いしています。今年は断食の時期と重なってしまい日中盛大なパーティーとはいきません。しかしかえって貧しい人たちを覚えるこの時期はキリストが馬小屋というあまり恵まれない環境で生まれたのをもう一度思い起こさせる何か初心に戻る特別な思いを感じます。

310号 クリスマス愛餐会 会員部

310号  クリスマス愛餐会
 今年の愛餐会は例年と異なり、まず全員がテーブルを囲んで座りました。
いつもは部屋の中央に色とりどりのご馳走が並べられ、好きな物を選んで食す
バイキング形式でしたが、ご高齢の方々への配慮でしょうか、各テーブルには
持ち寄ったお料理がすべて並べられていました。当然同じものが各テーブルに
のるとは限りませんが、オードブルやおにぎりは必ず同じに有りました。
各テーブルのお元気な方が見まわして、適当に皆様にお配りしていました。
 井村さんの温かい美味しいスープは、ご夫妻が全員に配って下さり、私はおかわりまでしてしまい、その上コップの底に○印がついていた人には、可愛い
花束のプレゼントまで有りました。お心遣いに感謝です。
 お食事を頂きながらのプログラムは、大野先生のネパール訪問報告(●ページ参照)内林絢子さんの美しい歌声(伴奏は寺崎美知子さん)そして最後に
登内さんの名司会によるテレビでおなじみの「なんでも鑑定団」ならぬ「恩寵・お笑い鑑定団」。鑑定人には荒井牧師をはじめ、その道の鑑定プロとも言える博識の柴田昌一さん、宇治田憲彦さんが言葉巧みに鑑定。もう一人の鑑定人の嵯峨は席を温めているだけでした。今回の依頼人は女性3名と男性2名。ミンクのコートをはじめ翡翠や歴史を感じさせるフランス刺繍そして年代物のウイスキー等お宝を持参してくださいました。最後にクリスマスの讃美歌を歌い、牧師の祈りで楽しいひと時を閉じました。日頃教会になかなか足を運ぶことが困難な方もご一緒にクリスマスを祝えたことは感謝です。             会員部     (m・s)