祈り

2011年9月10日 チャリティーコンサート『祈り』
佐藤千郎 牧師      

神さま、私たちは、あの日の出来事以来、あなたに向かって「神さま」と呼びかけ祈ることに、幾度も躊躇を覚えてきました。それは、あなたが天と地の創造者であること、全能者であること、そして、愛のお方であり正義を貫かれるお方であることを信じるが故の躊躇でした。あの日の出来事とは、去る3月11日発生した東日本大震災のことです。


 あの日、多くの命が失われ、助かった人たちの多くが、家族や住まいを始め大切なものを失いました。一人ひとりの喜怒哀楽を露にしながら、一つの食卓を家族で囲むごくありふれた日常の風景は、この日を境に消え、愛する者の死を悼む悲しみが食卓を包む日々が日常となり、いまなお、所在の分からない肉親を呼び求める魂の叫びが、被災地を覆う沈黙や夜の暗闇の中でも消えることはありません。


 昨日9月9日現在、死亡15780人、行方不明4122人、これらの数字ひとつひとつのいのちに刻まれた来し方が、深い悲しみや、腹の底からの叫びを生み、遺された人たちに辛い日々をもたらし、さらに、かつて共にあった人たちへの懺悔さえ、染み出させています。


 あの日から、まもなく半年、今なお、明日への道筋は定まらず、むしろ日ごとに厳しさを増すとしか表現しようのない悲惨に、被災者だけでなく、災害の復旧・復興にあたる人たちもまた、立ち尽くすほかありません。さらに、原発事故の復旧にあたる人たちの苦闘や、被爆への不安は、将来への、なお遙かに遠い道のりを感じさせます。


 しかし、私たちは祈り続けてきました。被災地から離れたこの地で思い浮かぶ数々の知恵を尽くし、出来るだけの援助・支援に取り組みながらも、なお立ち尽くさざるを得ないこの悲惨のただ中で、祈り続けてきました。


 天と地を創造し、そこにあるものすべてに愛を注ぎたもう神さま、私たちの祈りに耳を傾けてください、私たちの祈りをこころに留めてくださいと。


 神さま、今日も、被災地の悲しみや叫びにみ顔を向け、彼らの祈りを聞き取ってください。彼らの祈りに合わせる私たちの祈りを、こころに留めてください。


 そして、あなたのみ力によって悲しみを慰め、慰めを喜びの歌に変えてください。遺された者に去来する懺悔を、あなたのみ言葉によって、感謝に変え、感謝を賛美へと高めてください。


 親を亡くした子どもたち。わが子を亡くした親たち。友人を失い、母校を離れ、バラバラに散らされたクラスメート 。津波によって仕事場ともども流され、一瞬にして同僚を失い、かろうじて助かった人たち、障がいがある故にさらに不自由な暮らしを強いられている人たち、高齢になって遭遇したこの厳しい現実を耐えている人たち、豊かな大地を奪われた畜産や農家の人たち、原発事故のために故郷を離れ、今も帰る目処が立たず将来の不安につつまれている人たち……


 こうした悲しみと苦悩を背負いながら、被災地で、そして避難の地で、必死で生き、立ち上がろうとしている人たちの姿が、祈りの言葉をたぐる私たちの脳裏に浮かびます。


 この国の政治が、この国の社会がこれらの人たちを孤立させることなく、むしろ、これらの人たちの中から生まれる祈りの言葉にこそ、明日への希望を見出し、彼らが流す涙と汗に復興の基を定め、彼らの働きに国が仕え、民が仕えていくことが出来るように、私たちを導いてください。


 加えて、先週末からこの国を襲った自然災害による、被害の数々が、新たな悲しみと困窮を生んでいます。このためにもあなたの助けを祈り求めます。


 神さま、あなたのもとで起こったことで、無駄に消え去る歴史はありません。被災された人たちと私たちが、いつの日か、この度の震災を、感謝と共に想起することが出来ますように、そして、感謝を伴いながら亡き人を追悼しつつ、真実慰められた者としてそれぞれの人生を全うすることが出来ますように、恵み導いてください。


 この祈りと共に始められる演奏会を祝福し、演奏されるお一人おひとりを力づけてください。今日もまた、この会堂に響く調べの中で、被災地への祈りを一つにしていくことが出来ますように。


 この祈りを、私たちの救い主で居ましたもうイエス・キリストのお名前を通しておささげ致します。